●リー・クアンユーの日本人のイメージの変換、
下巻、p430
日本人に関する私のイメージは過去60年の間に何度か変化している。第二次世界大戦前、私の知っていた日本人は丁寧で礼儀正しい販売員であり歯科医師だった。彼らはきれい好きで、規律のあるコミュニティーを仲間内で作って生活していた。そのため1942年2月、旧日本軍がシンガポール占領後に行った残虐行為はまったく予想外のことだった。その時の日本人は信じられないほど残虐で、例外を除けば、軍部の蛮行に無感覚になっていたとしか思えない。我々は3年半の間貧窮と恐怖の中での生活を余儀なくされた。東南アジアの日本軍占領地域では数百万人が命を落とした。戦争捕虜も、英国、オランダ、インド、オーストラリアの多くの兵士たちが過酷な労働で衰弱し、死んでいった。
45年8月15日、まったく予期せぬ形で日本の天応の命により日本軍が降伏した。日本人は、我々の支配者や主人の立場から今度は良心的で勤勉な模範的戦争捕虜に変貌した。新たな自分の役割として真面目に街を掃き清め、シンガポールから去っていった。
60年代に入り、良質の日本の電気製品がシンガポールに流入し始めた。70年代までに日本人は再び我が国で活発な活動を始めていた。日本人は、繊維、石油化学、電子機器、テレビ、テープレコーダー、カメラなどの製品の生産技術に加え、近代的な経営・マーケティング手法を取り入れて、目を見張るような工業大国になっていた。だが、経済的に強くなるにつれて、日本人は再び不遜になっていった。
著者の間で、日本人のイメージの変換である。日本人の二面性をことごとく示しているのではないだろうか。日本人は限りなく良心的で模範的な紳士になれるし、限りなく悪魔や鬼、獣のごとく残虐非道に振舞える。
●決して本気で悔い改め謝罪しない国、それは日本だ
p430〜431
私や同世代のシンガポール人にとって、日本が残した最も深く強烈な印象は占領中の恐怖である。その記憶は生涯消すことができないものだ。戦後になって、国務大臣、外交官、実業家、学者、ジャーナリストなど様々な分野の多くの日本人を知った。彼らはいずれも立派な教育を受けた、教養のある、人間味豊かな人たちだった。占領中の苦しみからくる恐れと憎しみのためだろうか、戦後の焼け野原で日本人が飢えに苦しんだことを書物で読んだとき私の心の中には他人の不幸を喜ぶ気持ちがあった。その感情がいや応なしの尊崇の念に変わったのは、彼らが敗戦の焼け野原の中で、克己心と組織の力で国の再建に立ち上がったのを見たときだ。日本人は巧みにマッカーサーの軍事占領方針をすり抜け、かつて強い日本を作り上げた国家の特質を維持していた。戦犯は一部死刑になったが、多くはほどなく復権した。民主主義者として選挙に選ばれた大臣になった者もいれば、勤勉な閣僚として国家再建に貢献した者もいる。だが、この人々が作った日本は、平和的で非軍事的ではあるが、決して本気で悔い改め謝罪しない国である。
戦後、私が初めて日本人と向き合ったのは、日本占領時の42年に起こった血も凍るような虐殺事件の処理交渉においてだった。62年2月、島の東部地区のシグラブで、建設工事で地面を掘り返したときに偶然に集団埋葬された人骨が発見された。集団埋葬の場所は40ヵ所に上る。旧日本軍のシンガポール占領後、憲兵隊が中国人の若者を一斉検挙し5万ー10万人を殺戮した20年前の記憶を甦らせた。まだ戦争の傷跡があちこちに残っていた。
シンガポールの人々にとって、日本軍が残した遺産は肉親をなくした悲しみと想像を絶する恐怖である。日本は見事戦後復興を遂げたが、戦争犯罪者を罰せず大臣にまでしたとんでもない平和国家だった。本気で悔い改めない国ができあがったのである。戦後になると、シンガポールでは日本軍の蛮行がどんどんと明らかになってくる。日本軍の恐怖が消えるのと反比例するかのように、肉親をなくしたり被害にあったシンガポールの被害者たちの怒りが強くなり、それに押されて、リー・クアンユー氏は虐殺事件の補償交渉へと向かうのである。
下巻、p432〜より
池田勇人首相との会談で私が取り上げたのは"血の負債"、すなわち戦時中の日本軍によるシンガポール人虐殺に対する償いの要求だった。池田はシンガポールで起こったことに対して「心からの遺憾の意」を表明したが、謝罪はなかった。首相は日本国民が「故人の精神に対してなされた不当な行為」を償いたいと述べ、過去の行為が両国の友好関係の発展を阻害しないことを願うといった。だが、補償問題の結論は保留となった。首相も側近たちも実に丁寧で、なんとかこの問題を解決しようとしていたが、被害を受けた他国から補償要求が殺到することを恐れ先例を作るのをためらっているように見えた。両国がこの問題を解決したのはシンガポール独立後の66年10月で、5000万ドルの補償金は円借款と無償供与が半々だった。私は一刻も早く両国間にいい関係を作り上げ、日本の企業家たちにシンガポールへ投資してほしかった。
著者は池田勇人首相との会談で、虐殺事件を取り上げた。少し著者であるリー・クアンユー氏には失望した。ほかのアジア・太平洋諸国のように目先の経済利益や発展のために、補償を円借款と無償供与で済ませたのは納得はいかない。この時は謝罪ではなく、遺憾の意止まりである。シンガポールの被害者たちには納得できなかったのだろう。俗に言う賠償という名を借りた経済侵略であった。経済力に物を言わせ、戦後のアジアの被害国の指導者を懐柔し、はした金の無償援助と円借款で自らの過去の問題に幕引きを図ろうとしたのである。まさに、本気で過去を悔い改めない醜い国、それが日本だ!!!
●なかなか謝罪しない日本の首相−なぜ日本は謝罪を拒むのか
下巻の第31章日本の奇跡で、日本との首脳外交についていろいろと書いている。著者の首相在任中、1962年の池田勇人から90年の宮沢喜一まで多くの日本の首相と出会った。日本の首相から直接謝罪の言葉を聞くことはなかった。
下巻、p443〜
日本は経済大国として先進国首相会議の正式メンバーとなり、世界の主要国として果たすべき役割を模索し続けてきた。とりわけ深刻なのは指導者たちの過去の戦争に対する残虐行為に対する姿勢だった。西ドイツの政治指導者は明確に戦争犯罪を認めて謝罪し、犠牲者に賠償を支払い、若い世代に戦争犯罪の歴史を教えて再発を防ぐ努力を行ったが、日本の指導者はどうだろう?多くはいまだ曖昧な態度で言を左右にしている。天皇への配慮に加えて、国民を困惑させたくない気持ちや先祖を侮辱したくない思いがあるのだろう。理由のいかんを問わず、歴代の自民党政権は日本の過去と向き合うことはなかった。という風に自民党政権の過去の歴史に対する態度を批判しているのだ。海部首相あたりから、歴史問題に対する態度が変化してきたことも事実であろう。海部首相はシンガポールでの演説で初めて正面きって戦争問題について触れた。「アジア太平洋地域の多くの人々に耐え難い苦難と悲しみを与えた過去の日本の行為に対して心からの悔恨の意」を表し、「悲劇的な結果をもたらしたそれらの行為を、二度と繰り返さないことを日本国民は固く決意している」と述べた。もう少しで謝罪となるものだった。次の宮沢喜一首相は、施政方針演説で「深い反省と遺憾の意」を表したが、まだ謝罪ではなかった。次に、宮沢は93年6月に野党が提出した内閣不信任決議案で一部の自民党議員の造反で可決し、内閣総辞職に追い込まれた。そして、総選挙の結果、細川護熙内閣が誕生した。ようやく、細川首相は曖昧な言い方とはいえ、大戦時の日本の侵略事実を認め、引き起こされた被害について謝罪したのである。正式なものではないにしろ、日本が謝罪したのは非自民政権になってからで、実に戦後48年の月日が経っていたのである。
翌94年の日本社会党の村山富市首相はさらに日本の謝罪を進展させた。村山首相は、ASEAN諸国歴訪時に各国首相に対して直接謝罪をおこなったのである。95年8月15日には、戦後50年目の終戦記念日の首相演説で、再び深い悔恨と心からの謝罪の気持ちを表明するにいたったのである。それだけではない旧日本軍のシンガポール占領時に殺された人々の慰霊碑に花輪を捧げたのである。シンガポール政府が求めていたわけではない。革命的な進展といえよう。細川氏と村山氏の非自民首相の謝罪は、それまでの日本政府の頑なまでの謝罪を拒む強行姿勢を変えた。自民党自身は謝罪はしなかったが、自民党も謝罪した村山連立政権の一員だったというところが大きかったのではないか。しかし、次の自民党の橋本龍太郎政権はだめであった。日本の謝罪姿勢が交代することになった。
下巻446〜447より
96年に首相就任した自民党の橋本龍太郎はその年の7月、自分の誕生日に個人の資格で靖国神社を非公式参拝した。戦没者の霊に敬意を表したが、その中には東条英機首相ほか戦争犯罪で絞首刑にされた者たちが含まれている。このどっちつかずの態度は大きな問題である。ドイツ人と違って日本人は精神の浄化ができておらず、自分たちのシステムから毒を取り去ってない。若い世代にみずから犯した悪行を教えていない。その一方で、橋本首相は97年8月の終戦記念日の演説で深い遺憾の意を表し、同9月の北京訪問中には深甚なる悔恨を表明している。とはいえ橋本は謝罪をしていない。
日本人はなぜ過ちを認め、それを謝罪し、前進することに消極的なのか私には理解できない。謝らない理由があるにちがいない。謝罪とは悪いことをしたと認めることである。遺憾の意や悔恨の思いを表すことは彼らの現在の主観的な感情を示しているにほかならない。日本人の一部は南京大虐殺を否定する。朝鮮半島やフィリピン、オランダなどの女性が連行され、従軍慰安婦として働かされたことも、旧満州(現在の中国東北部)で中国、朝鮮半島、ロシアなどの囚人を生きたまま残酷な生物の実験台にしたことも認めようとしない。いずれのケースも、反駁できない証拠を見せられてから、しぶしぶ認めただけである。このような態度は日本の将来の意図に疑念を抱かせるもととなる。
現在の日本人の態度は将来の行為を示唆するものである。もし過去を恥じる気持ちがあれば、将来、同じ過ちを繰り返す可能性は少ない。戦犯として処刑された東条英機の遺書を思い出す。彼はその中で、日本軍が負けたのは
敵の軍勢が優勢だったからだと書いた。この言葉をどう位置づけるべきなのだろう。日本の能力を過小評価してはいけない。日本人は石油などの重要な天然資源を絶たれ、輸出市場から閉め出され、国家としての生計の手段を奪われ、脅迫感を覚えれば、再び42年から45年のときのように獰猛に戦うだろうと私は思う。
日本とアジアにとってどのような未来が待ち受けているにせよ、日本人はまずこの謝罪問題に決着をつけるべきである。アジアと日本は共に前進しなければならない。そのためにも、より大きな信頼と信用が必要とされている。
私も日本がどうして過去の罪行を認め、謝罪し、被害者に補償して、前進することについて極めて消極的なのか理解できない。ひとつでも過去の過ちの事実を認め、そして被害者に補償することによって、被害を受けた国からさらに加害事実や、そして被害者からの補償要求が殺到してくるのを恐れ、そういった先例をつりたくないというのだろうか?だとしたらとんだお門違いをしている。どんどんと過去の被害国から大日本帝国・日本軍の加害事実をでてきてどんどん事実が明らかになったらいい、被害者や犠牲者遺族からの補償要求が殺到したらいい。個々の加害事実に対して、被害者や犠牲者遺族からの補償に応じて、そして謝罪をして解決することに、前進することで我が国は一人前の国際社会から認められる国になる。それを行うだけの立派な国力があるはずだ。そんなことを戸惑ってたら"いつまでも過去を悔い改めない醜い国"で終わるだろう。私はそんなことは御免だね。
●まとめ
これまでのエントリーです。
リー・クアンユー回顧録 ザ・シンガポール・ストーリー 小林利寿訳 日本経済新聞社 上巻・下巻 に見る日帝悪 part1
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/22521867.html
リー・クアンユー回顧録 ザ・シンガポール・ストーリー 小林利寿訳 日本経済新聞社 上巻・下巻 に見る日帝悪 part2 華僑粛清事件、シンガポールにおける慰安所など
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/22525349.html
リー・クアンユー回顧録 ザ・シンガポール・ストーリー 小林利寿訳 日本経済新聞社 上巻・下巻 に見る日帝悪 part3 日本人の心の中に潜む獣、残虐だった日本人
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/22559435.html
最後のまとめとなりますが、この本に書かれている大日本帝国・日本軍の加害事実と日本の歴史認識に関わる問題について抜き出してまとめているうちに、日本人という存在について改めて考えてみました。日本人はなかなか謝罪のしない往生際の悪い国民である。リー・クアンユー氏がさんざん批判する通りのことだ。謝罪しないことで新たなる日本の再侵略の疑念をアジア諸国の人々は抱いている。過去の大日本帝国の犯した罪は多過ぎた。数だけではない、その残虐性、被害者や犠牲者数の多さ、残虐行為が行われた地域の広大さ、殺戮・拷問手段の残虐性において、人類史上例を見ないほどだった。従軍性奴隷制度に代表される性暴力と南京大虐殺、731部隊による生体実験・細菌戦、中国大陸や数々の占領地で行われた住民虐殺行為が、当時の日本人の悪魔の行いの主たるものだ。ナチス・ドイツが強制収容所で実施したユダヤ人絶滅計画以上の人類史上例を見ない残虐かつ非道な虐殺行為であった。当時の日本人は血に狂った野獣だったことは私自身正直なところ信じられないが、人類の歴史に消すことのできない汚点を残した悪魔の行いの数々は疑いようがないのだと思う。
リー・クアンユー氏は、日本人のことを「日本人には完璧を求める習性があり、生け花であれ日本刀作りであれ、そして戦争であれ、何事でも極限まで行ってしまう」(本書、下巻p444)と評している。ある意味当たっていると思う。日本には世界一と誇れるものがたくさんあるはずだ。特に科学技術の分野はすごいと思う。しかし、誇れない、恥ずべきものがある。大日本帝国の加害歴史も"世界一"であるからだ。大日本帝国の植民地に関していえば、植民地統治の非人道性、独立運動弾圧の凄惨さについては"世界一"といえる。アジア・太平洋戦争において、大日本帝国・日本軍が中国大陸・東南アジア・太平洋諸島の占領地や戦地の民衆が蒙った被害の大きさは、"世界一"だったといえる。日本人、特に集団、そして軍隊意識が働けば極限にまで残虐・残忍になれるのである。日本人は過去の日本軍の悪魔の如き戦争犯罪の数々を通して深く考えなければなりません。戦争から61年がたち、大日本帝国の加害の歴史ははるか昔の過去の出来事だと勘違いしている人々が多いですが、決してそうではありません。加害の歴史や大日本帝国・日本軍の植民地時代、占領時代の苦しみは被害にあった国々、シンガポールなり、中国なり、そして韓国なり、その他のアジア・太平洋諸国なりで、お爺さんやお婆さんの世代から子々孫々に世代を超えて伝えられているのです。決して風化することはありません。61年以上前の昔、大日本帝国時代の日本人はアジアの人々にとって紛れも泣く加害者であったのです。そのことを我々日本人は忘却すべきではないと思います。以上でこのエントリーを終わります。




「靖国参拝でも経済影響なし」 首相がシンガポール元首相と会談 http://www.sankei.co.jp/news/060523/sei066.htm
小泉純一郎首相は23日午前、首相官邸でシンガポールのリー・クアンユー元首
相と会談し、首相が靖国神社参拝を続けても日中、日韓の経済交流に悪影響を及ぼ
さないとの認識で一致した。
会談で、小泉首相は「中国は心理的なプレッシャーをかけているが、日中友好の
底流は変わらない」と指摘。リー元首相は「靖国参拝問題が経済や人々の交流を阻
害するものではないと思う」と応じた。
リー・クアンユーは靖国参拝をさして問題視
してませんな。
靖国反対の朝日の記事はバイアスがかかってるといって、反対するくせに、反対側の産経の記事はスルーで出してくるのか?
さすがネット右翼
銃剣と単発銃のみで80万人以上殺す等、原爆以上の破壊力を持つ携行兵器を誇り、
各植民地で無駄に現地人を殺してまわる程武器弾薬が余っていて、
国境地帯に計19ヶ所、4700kmに及ぶ要塞及び1700kmもの地下要塞を作り、
その工事で320万人もの労働者を運用するノウハウと物資があり、
さらに工事後1万人を生き埋めにしたのみで、60年間もこの超巨大要塞を隠蔽する程情報管理が徹底しており、
揚子江の川幅を2m以下にしたりする程の高い土木技術を持ち、
人口20万人の南京市で30万人を虐殺し、20万人を生還させるクローン技術を持ちかつ、その死体を1台のトラックで2週間で片付けられる程の行動力があり
沖縄で米軍上陸後も市民に玉砕命令が出せる程命令系統がしっかりしていて、
何百万人を殺しておきながら、戦後半世紀以上も、殺害時期、殺害方法、日本兵の心理状況などこと細かな内容迄隠し通す機密保持の高さを誇り
当時オランダ領だったインドネシアにも開戦前から日本軍用の慰安婦を送り込む程先見性があり、
日本兵の数を上回る程の従軍慰安婦を一日に一人あたり何十人も暴行する程体力と食料があって、
AVが無かった時代にも関わらず慰安婦に顔射する程独創性に富み、
韓国で文化施設はもちろん一般家庭にある辞書から料理本に至るまで処分してまわる程暇で、
好太王碑拓本を近代日本の半島進出を正当化するため、都合の良い様に改変し、
保護する為に植民地ではなく「併合」したにも関わらず、
韓国の運気を捻じ曲げる為に、山の頂上に鉄杭を埋め込む程風水に明るく、
韓国の優れた建築施設/街/鉄道を全て接収することなく破壊し尽くした上、
新たに日本のダメな建築物に建て替える程資材と資財が有り余っていて、
劣等民族と言う卑下意識を植え付ける為に行政区域の名前を変更し、
当時の朝鮮の人口のおよそ半数近くを日本へピストン輸送する程燃料と船舶が豊富で、
人間の脂肪から、航空燃料を作れる程錬金術に長け、
写真の影さえ消せる位の隠密行動に長け、銃殺しても血が流れない銃を開発し
中国で家々に火を放ちまくり無駄に虐殺した民間人の死体を
一カ所に集めてたっぷりとガソリンをまいて燃やす程石油資源に余裕があり、
わずか70万人の関東軍で戦闘の合間に20万人もの中国人慰安婦を満足させる程絶倫で、
960万平方kmもの大地の3分の2を支配し、
家々に火を放ちまくり6年間で1万7000以上の村を焼き払う程の行動力があり
5000万人もの民間人を250種類もの殺人方法を用いて殺害した上にその痕跡を残さず、
広く険しい中国大陸を大軍勢で移動していたにも関わらず、
各地区の兵士や民間人が逃げる暇も無い程のスピードで動き回るなど金メダル級の運動能力を誇り、
山東省で広島+長崎の核2発分の犠牲者数を超える42万人を殺戮する程の細菌兵器を保有し、
さらに細菌兵器開発の為20万人を生体実験出来る程医療設備が充実しており
田舎から都市部まで全ての街道を余す所無く隅々まで破壊し尽くし、
さらに人気の無い山の奥深くでさえ草一本残さず毟り取る程の根気と几帳面さを兼ね揃え、
11歳が戦場で暴れ回る程若い内から逞しく、14歳で731部隊に採用される程医学を習得し
15歳の少年に細菌戦部隊での軍務が務まる程の教育水準を持っていて
終戦後になぜか意味の無い強制連行を行いまくる程の軍備と余裕があり、
1941年の大東亜戦争開戦時にダム一つ作る為に延べ360万人を動員し9年間に83名もの犠牲者を出し
圧倒的科学力を誇る朝鮮の反日勢力になぜか圧勝する程運がよく、
朝鮮人を殺しまくりながら人口を2倍にするという魔術を持ち、
敗戦国でありながらGHQを手玉にとって朝鮮戦争を起こすよう
コントロールする程政治力と外交能力に長け、
中国での最初の慰安所「大一サロン」にはハイテクエアコンを完備させ、
中国の呼倫貝爾市の地下に60年も見つからない、
広さが東京ドーム2.5個分の毒ガス実験室を作る程に優れた土木技術と豊富な資源、人材を保有し、
重慶大爆撃は世界戦争史上、無辜(むこ)の非戦闘員を大量に殺戮(さつりく)して敵の戦意を奪った“戦略爆撃”を発明し、
そこで半世紀以上放置されても使用出来る毒ガスを作れる程の科学力を誇り、
金の掛かる化学兵器砲弾を200万発も生産して中国全土に埋め、
終戦間際の補給線が断たれた時期にマニラで一日3000人を殺害する継戦能力を保持し続け
もともと無い記憶を奪えるという摩訶不思議な技術を持っていた大日本帝国が敗戦した事は、
人類史上最大のミステリー。
│あ、どうもスイマセン、右翼討伐人がお騒がせしました・・・
└───v───────────────
/⌒\ っ /\
/'⌒'ヽ \ っ/\ |
(●.●) )/ |: | すぐ連れて逝きますんで・・・
>冊/ ./ |: /
/⌒ ミミ \ 〆
/ / |::|λ| |
|√7ミ |::| ト、 |
|:/ V_ハ |
/| i | ∧|∧
и .i N /⌒ ヽ) >>右翼討伐人
λヘ、| i .NV | | |
V\W ( 、 ∪
|| |
∪∪
反論できないとレッテル張りとはさすがですなw
これから進む社会において一番自分たちが困るという事を理解できていないのだよ。
自分で自分の墓を掘っているようなものだね。
子供から抜け出せないのだよ。
俺多分あんたの言うネウヨって人種なんだろうけど今会社から帰ってきたばっかなんだけど?
シャドーボクシングの真似事は見苦しいからよせよな。
日本と日本人が嫌いなクセに日本人のフリをして生きている寄生虫。
寄生虫の宿命として宿主(日本と日本人)無しでは生きていられない哀れな存在。
北と南の二種類がある。→北鮮虫、南鮮虫
日本憎さのあまりに時と場所をわきまえずに2ch中のあちこちのスレに
反日カキコや反日コピペをして日本人住民に迷惑をかけている。
【特徴】
・自分の持論(捏造)を論破されるとスルーし、一時的には居なくなるが、
また他の持論(捏造)を持ってくる。それが論破されるとスルーし、
同じことの繰り返しで学習機能が無い。(=虫の脳みそ)
・宗教家のように自らの持論のみを肯定し、他人の意見は頭ごなしに否定し耳を貸さない。
考え方が一方通行で、発想が乏しい。
・文句を言われると逆ギレして脊髄反射のごとく、
「差別」「ウヨ(ク)」「低脳」「嫌韓厨」など同じことしか言えない。
・日本人のことをどうこう言う前におまえはどうなんだ?と思わせる馬鹿な虫が多い。
・情報ソースと称するサイトは得体の知れない個人や、民団・総連の関連組織が開設しているサイト。
・南鮮虫の場合、アンチ北朝鮮の投稿に対しても「嫌韓厨」呼ばわりし、
「嫌鮮厨」「嫌朝厨」とは絶対言わないので南鮮虫だとすぐバレる。
・自分ではAAを作れないので、日本人の作ったAAを改造する。
・日本語読解力が低い、日本語のボキャブラリーが少ない、文章構成が超ワンパターン。
・オウム返し系のレスしか出来ない。
【ソウル=鈴木壮太郎】米国など海外市場で、電機や自動車など競合関係にある日韓製品の価格差が縮小している。現代自動車とトヨタ自動車の主力セダンや、サムスン電子とソニーの液晶テレビの価格が横並びになった。韓国の通貨ウォンの上昇を受け、韓国企業が製品価格を引き上げているためだ。主要輸出企業の業績も日本は増益、韓国は減益基調で、為替の影響により明暗を分けた。
韓国には自動車や電機製品、造船など日本企業と競合する輸出品目が多い。大韓貿易投資振興公社(KOTRA)が5―6月に実施した販売店への聞き取り調査によると、現代の「ソナタ」と、競合するトヨタの「カムリ」の米国内での価格差は1年前の約2000ドルから現在はほとんどなくなった。 (07:00)
宣祖実録25年(文禄の役の年)は欠落が多い。1-3月まで丸々無い。4月も飛び飛び。
宣祖修正実録があるのだが1-3月の補完で4月は14日しかない。(実際は14日以外の日付が無いと言うのが正解。)
なお、当時の日本の旧暦と中国・朝鮮の旧暦は1日ずれている?
なお王の漢城逃亡は5/1、秀吉軍のソウル入城は5/3です。
野史によればこの間に王宮に放火されて一部の建物が灰燼になったそうです。
一方、漢城内は平穏そのものでほとんど無傷だった様です。むしろ、戦後の王宮復興時に資財調達の為に破壊された建物が多かったと言われます。
宣祖実録26巻 25年(1592年)04月13日(壬寅)
十三日壬寅,倭寇至。 先是日本賊酋平秀吉爲關白。
この文章には2つ間違いがあります。
1.当時の秀吉の姓は豊臣(関白に成ったときは藤原)それ以前が平。
2.当時の秀吉は関白では無く太閤
この2行だけでこの国の情報収集能力が何如にいい加減かよく分かります。
宣祖修正実録 25年(1592年)04月14日(癸卯)
○朔庚寅/十四日〔癸卯〕, 倭賊大擧入寇, 陷釜山鎭, 僉使鄭諸モ戰死; 陷東除ナ府, 府使宋象賢死之。 平秀吉以我國不許借途, 遂發諸島兵二十萬, 親領至一岐島, 以平秀家等三十六將分領, 以馬島主平義智及平調信、行長、玄蘇爲導, 船四五萬艘, 蔽海而來, 是月十三日, 乘曉霧渡海。
1.平秀吉は直ってません。
2.平義智、調信は対馬宗氏ですね。桓武平氏知盛流惟宗系に属します。
3.船4,5万艘って100万も兵連れてきたのですか?
4.小西行長・・・後を読むと平行長になってます。 藤原氏秀郷流ですのでこれも誤りです。
朝鮮軍は百戦百敗ですけどね。
宣祖実録26巻 25年(1592年)04月17日(丙午)
○十七日丙午書シ時, 邊報至京, ?以李鎰爲巡邊使, 將精?, 禦戰于?州, 敗績, 從事朴徐エ、尹暹等皆死, 鎰單騎走免。
と言う訳でさきほどの記述は17日の様です。
○?至忠州, 諸將皆欲據鳥嶺之險, 以遏敵衝, ?不從, 欲長驅於平原。 二十七日陣于丹月驛前, 軍卒有言: “賊已至州?。” 者, ?以爲驚衆, ?斬以徇。 賊設伏繞, 出我師之後, 衆遂大潰。 ?突圍至?川^月灘邊, 召其下曰: “無面目見殿下。” 遂溺死。 其從事金汝?、朴安民, 亦溺死。
17日になっていますが忠州に都発つしたのは27日の様です。
ところで戦死ではなく溺死って何?
宣祖25年4月28日(丁巳)。
○二十八日丁巳, 忠州敗報至, 上召大臣, 臺諫入對, 始發去障樗V議。 大臣以下皆涕泣, 極言其不可。 領中樞府事金貴榮啓曰: “宗廟園陵, 皆在此, 去將何往? 當固守京城, 以竢外援。” 右承旨申?啓曰: “殿下若不聽臣, 終至播越, 則臣家有八十老母, 欲自刎於宗廟大門之外, 不敢從殿下去也。” 修撰朴東賢啓曰: “殿下一出城, 則人心不可保。 荷輦之夫, 亦將委諸路隅而走矣。” 仍失聲痛哭, 上色變, 遽還内。
忠州で敗北の知らせ。大臣が集まってアイゴー、アイゴーと泣き叫び、何の言葉も出ない。
領中樞府事の金貴榮がようやく話し始めて、「宗廟の園陵は皆ここに在る。どうしてどこかに去ろうとするのか?都を固守して、援軍を待つべきだ。」右承旨の申?が言った。「王様(殿下)は、なお私の言葉を聞こうとしない。ついに軍がやってきてしまったが、まだ私には八十の老婆が家に居る。宗廟の大門の外で自刎しようとも思ったが、あえて王様が逃げるのについていこうと思う。」 修撰の朴東賢が話した。「殿下はひとたび城を出て、すでに人心を保てる状態ではない。荷車の人夫や、将にゆだねてもろもろの路を走っている。」 しきりに声を失いアイゴー、アイゴーと叫び、顔の色を変えて、あわただしく、帰って行った。
時をおいて、大臣以下しきりに出入りしたが、皆言極まって、立ちつくしていた。しかるに領議政の李山海はただ、アイゴー、アイゴーと泣き叫び、謂承旨の申?は、「古くはまた去って逃げるものあり。」、衆はかすまびき、李山海に罪を着せた。
>何やってるのやら・・・。
○上以人心危懼, 謂大臣曰: “?星所在之國, 伐之者必有其殃。 今?星在於燕分, 賊當自滅。” ?又下?, 安慰之。
○上御宣政殿, 引見?兵體察使李元翼、崔興源, 右副承旨申?, 注書趙存世, 假注書金義元, 奉詫
宣祖25年4月29日(丁巳)。
○戊午/立光海君諱爲世子。 出東宮, 僚屬百官陳賀。
光海君(諱)が世子に立つ。東宮を出た。
○起復金命元爲都元帥, 申恪爲副元帥, 屯漢江, 邊彦奈?嬰埖舩髻?
金命元都元帥、申恪復元水が漢江に駐屯し、邊彦討?嬰埖臂@蔑閏蕕療圓鰺造?辰拭?
○時, 去障樗V議已決, 宗室海豐君^耆等數十百人, 叩閤痛哭。 上傳曰: “當與卿等, 效死勿去。” 耆等乃退。
アイゴー、アイゴー言っています。
○上命尹斗壽扈駕。 命金貴榮、尹卓然奉臨海君^?, 韓準、李曙タ奉順和君^?, 出奔北道。
臨海君、順和君が北道から逃げた。
○是夜, 衛士盡散, 宮門不下鑰, 禁漏不傳更。
この夜、衛士はことごとく散り、宮門は開け放たれ、放置された。
○己未/曉, 上已出御仁政殿, 百官人馬上カ咽於殿庭。 是日, 大雨終日, 上及東宮御馬, 中殿御屋轎, 淑儀以下到洪濟院, 雨甚, 舍轎乘馬, 宮人皆痛哭?從。 宗親、文武扈從者, 數不滿百。 晝點于碧蹄館, 僅備御廚, 東宮則闕膳。 兵曹判書金應南, 親自奔走於泥濘中, 猶不能制, 京畿觀察使權?, 抱膝序U目, 罔知所措。
王様、両班総出で夜逃げ。
○?廷撒畋胸匈?, 自請奉順和君, ?以廷死?望せ?, 代韓準等, 召準等還。
○夕次臨津登舟, 上對侍臣, 俯伏痛哭良久, 左右皆流涕, 不能仰視。 天陰夜?, 無一條燈。 燭夜深得達東坡。 上命沈舟斷渡, 撤近水邊人家。 蓋慮賊兵取以爲筏也。 百官飢疲, 散宿於村家, 阻水不得渡者, 亦過半矣。
>逃避行中。ここでもアイゴー、アイゴー言っています。
○先是, 有一鳥灰色形如鳩, 自十三日夜, 鳴于禁林, 其聲若曰: “各各禍逃。” 或曰: “各各弓筒介。” 聲甚悲急。 奔遑往反數日, 遍啼於城中。 或曰自海中來, 或曰深山中或有之云。 始鳴之日, 乃倭寇下陸之日也。 且上年有死鼈, 自上流蔽漢江而下, 江水又赤, 人多憂之, 至是有倭變。
日本軍が漢江の側まで来ているようです。
○倭寇下陸之後, 上坐于寢殿, 殿西小池, 有?カ?, 其氣東指折而北向, 穿中門, 入殿上近御座。 上避而西座, 則西指, 避而東座, 則東指云。
○國初, 有僧人無學讖記, ?言國家事, 壬辰年則曰: “缶聳雲根, 潭空月影, 有無何處去, 無有何處來” 云云。 自戊子己丑年間, 行于世, 至壬辰盛行, 人莫能解其語。 及倭寇卒至, 朝廷遣巡邊使申?禦之, ?到忠州敗軍, 全軍更沒於月落灘。 所謂岳?維缶降申也, 聳立也, 雲根石也。 潭空月影, ?月落灘溺死之言也。 其下句, ?都民避亂, 倭寇入城之言也。 且有童謠, 自壬辰正月, 行於都中, 至四月大行。 其謠曰: “此八字, 彼八字, 打八字, 自利奉事, 高利僉正, 京畿監司, 雨裝直領, 大月乙麻其。” 云云, 亂後解之者曰: “中原人, 謂男女相奸爲打八字, 此乃唐兵, 來奸我國女人之言也。 自利高利者, 我國方言臭穢之謂, 此乃亂後納粟軍功 奉事僉正, 皆卑微可賤之謂也。” 上於四月晦日, 去障・ 其月?大月晦日, ?末日也, 所謂大月乙麻其者, ?大月末也。 其日適大雨, 京畿監司着雨裝直領而扈駕。” 云。
宣祖25年5月1日(庚申)
○庚申/上發東坡館, 晝點于板門。
王(宣祖)は 東坡館出発して、昼、于板門についた。
○是夕, 有從卒因魘失聲, 衆皆夜驚, 互相書B撲, 聲徹大内。 内人有自剄幾死者, 姐堙駄舫疂?, 聲到殿外而止。
自殺してる・・・。
○有從卒奪平安道土兵馬者, ?斬以徇。
宣祖25年5月2日(辛酉)
○辛酉/上留駐開城府
ケソンまで逃げてきたようです。
○咸鏡南道兵使申序?領手下親兵, 聞變入衛。 上御南大門, 召見父老軍民, 諭以死守之義。 上問: “本府軍兵幾何?” 留守洪仁恕曰: “驕?兵, 九百三十餘名矣。” 弘文校理李?弘, 將讀諭書, 上曰: “百姓不解文字, 仍令留守曉諭。”仁恕承命諭訖, 士民皆感泣曰: “上?離京城, 京城已潰矣。 若復離此, 尤難收拾, 願留鎭之。” 上曰: “當從爾意。” 仍問: “爾等, 常時所苦何事?” 甲士趙億麒對曰: “王子君, 多占山林川澤, 以是苦之。” 副提學洪麟祥曰: “自古駐蹕之地, 或給復一年, 或賜田租之半。” 上命除今年半租, 仍命復?。 民皆曰: “天恩罔極。 萬?享福。” 有三士人言曰: “不收?海蘆田, 民得安業。” 上曰: “蘆田, 言于有司。” 左副承旨閔濬曰: “京城重地, 不可棄之。 宜令申序?率兵守禦。” 上曰: “都元帥金命元, 方守漢江矣。” 濬曰: “雖有元帥, 軍兵孤弱。 賊若一渡, 長驅何難?” 上曰: “然則當守漢江乎? 守京城乎?” 濬曰: “宜守漢江。” 兵曹判書金應南曰: “本府亦城池齟齬, 守衛孤?。” 尹斗壽曰: “申序?不可不送。 如此驍將, 置之無事之地, 非計也。” 上顧序?曰: “卿意欲行乎?” 對曰: “臣觀行在, 亦極?疎。 然臣當往也。” 上問: “守漢江乎?” 對曰: “然。 我國不謹瞭望。 若依山谷, 設疑埋伏, 賊不知?實, 豈能遽逼哉?” 仍命領精兵及新及第五十餘人, 赴之。
○壬戌/上在開城府。
○兵曹正原饅?ム罷職不敍。 兩司論其殿上, 譏斥言官, 失體貌也。
○以李忠元爲都承旨, 李?爲同副承旨, 以李廷馨爲開城留守。 時洪仁恕以病免, 廷馨曾爲本府經?, 有遺愛也。
ケソンを後にして更に逃げる様です。
○遣兪泓、李恒福, 奉王子信城君、定遠君西行。
信城君・定遠君は西(北西)へ逃げます。(これを清正が追いかける。)
○是日, ?海?兵六千餘人, 因宗廟守僕爭覺相詰, 遂作亂, 露刃大呼, 擾亂至殿門。 上命梟示守僕, 諸軍乃安。 遣杞城府院君^兪泓, 吏曹參判李恒福, 信城君^叙・ 定遠君^?等, 先往平壤, 修治城池, 爲死守之計, 且使召募西兵, 以待乘輿。
信城君・定遠君は平壌へ逃げました。
○遣輔篠逝?, ?兩南勤王兵入援, 不至。 時, 全羅道觀察使李洸, 領兵人援, 行到公州, 聞京城已陷, 大駕西幸, 遂撤兵還鎭。 上日望南軍之來, 杳無聲息。 忠て視兄〇晩セ蓚?, 亦不來, 嘆慨久之。 輔篠逝?, 因入對, 自請南行, 致命于洸等。 上甚?, 謂岱曰: “卿若能召南兵來者, 國家當與卿共之。” 命陞堂上, 岱涕泣固辭。 時道路斷絶, 人皆危之, 岱慷慨自奮, 由祖江浮海南行。 見李洸等, 責以大義。 洸等遂與尹先覺等, 合兵北上。 岱竟復命於平壤。
○先是, 上手書禄?, 遣右承旨申?, 往諭京城士民, 且諭留都大臣李陽元, 都元帥金命元。 ?行到坡州地, 聞京城已陷, 不至而還。
>人口20万人の南京市で30万人を虐殺し、20万人を生還させるクローン技術を持ちかつ、その死体を1台のトラックで2週間で片付けられる程の行動力を持ち
この一文につっ込みますがこの一文だけでも嘘だらけなので長くなります。管理人さん何卒ご容赦下さい。
事件当時の実際の南京市の人口は50万人だったことが確認されています。よく否定論者は「当時の南京には20万人しかいない」と言うが、20万人というのは南京市の一部の地区の人口であって南京市全体の人口ではない。言ってみれば東京都の人口を述べるのに23区の人口だけを出すようなもの。悪質なペテンですな。さらに言うと南京戦というのは南京市だけの話ではなく隣接する都市と周辺の農村地区も含めた話なのだが?なぜかというと南京攻略戦は連接する都市とその周辺地区から戦闘が始まっており当然その人口も考慮に入れなければならない訳です。ですから否定論者みたいに南京市の人口だけ出すのはナンセンス(しかも南京市の人口も一部だけ)もいいとこ。まぁ否定論者の場合それを知らない人間を騙す為わざとやっているのだが・・・。
あと「20万人生還させる」の下りだが恐らく南京没落後に人口が20万人回復した事を言ってるのだろうが、都市が壊滅状態になって占領軍がいても戦闘状態が解除されれば市民は戻ってくるし人口も回復しますよ?例えば東京だって焼け野原になって占領軍がきても市民は残っているし疎開した者も戻ってきますけどねぇ?原爆が落ちた広島・長崎だって例外ではなく人口は回復してますけど?それとも「クローン技術でもない限り20万も人口は回復しない」とあくまで言い張りますか?
それと「その死体を1台のトラックで2週間で片づけられる程の行動力を持ち」というのもおかしな話ですよね。戦争で出た犠牲者の死体というのはみんな軍隊が片づけるものなんでしょうか?勿論、軍隊がそこに駐留する場合、ある程度は軍の処理班もやるだろうが、ほとんどの場合地域住民が片付けるしかないのですが?
例えば米軍による本土爆撃による犠牲者の死体、沖縄戦での15万人もの犠牲者の死体、ソ連軍満州侵攻による一般市民の犠牲者の死体、これらはみんな米軍・ソ連軍が片づけたのでしょうか?結局ほとんど戦場となった土地の住民が片づけてるのですが?住民だって好き好んで死体なんか片づけたい訳じゃないが、処理しないで放っておくと死体が腐乱して腐臭を巻き散らかし、どんな疫病や伝染病が発生するかわからない。だから軍に命じられるまでもなく、いやでも住民が片づけなくてはならないのだが?
以上のように、この名無しの奴の言っている事は何から何まで全部デタラメ。本当は全部つっ込んでやりたいのだが、たった一文につっ込むだけでもこれだけ長くなりますので、きりが無いのでこれだけにしておきます。取りあえずコイツの言っている事がみんなデタラメだということは頭に入れておいてください。「当時の南京市の人口」でも解るようにちょっと調べれば嘘だとわかりますから。
>事件当時の実際の南京市の人口は50万人だったことが確認されています。
これは、南京戦の前の人口です。
>南京市だけの話ではなく隣接する都市と周辺の農村地区も含めた話なのだが?
南京戦は確かに、周辺での戦闘が行われましたが、虐殺の行われた範囲は中国側の見解としては南京市の市域のみであったかと思います。これは30万人虐殺説の立場をとる研究者の見解と捉えてもよいでしょう。
確かに、南京の行政区全体を含めれば大虐殺は不可能ではないかもしれません。しかし、戦闘地域の死傷者数の中から市民の死者の概算を果たして、史料に基づいて割り出すことができるのか疑問ですね。
>以上のように、この名無しの奴の言っている事は何から何まで全部デタラメ。
最後のこのくだりはコピペ貼りをしてる名無しと水準が一緒ですね。できるんなら朝鮮系のネタの反論に期待したいところです。こっちはそっち(朝鮮)が本当は専門なんで。
イギリス・アーノルド・J・トインビー 歴史学者
「第2次大戦において日本人は日本の為というよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々の為に偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前においてアジアとアフリカを支配してきた西洋人が過去200年の間に考えられていたような不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」(1956年10月28日/英紙「オブザーバー」)
アメリカ・ジョイス・C・レブラ コロラド大学歴史学部教授
「日本の敗戦 それは勿論、東南アジア全域の独立運動には決定的な意味をもっていた。今や真の独立が確固とした可能性となると同時に西洋の植民地支配の復活も許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。民族主義者は日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力総動員して西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。」(「東南アジアの解放と日本の遺産」)
アメリカ・ジョージ・S・カナへレ 政治学博士
「日本占領軍がインドネシア民族主義の為に行った種々の仕事の中で最も重要なものの一つは正規軍及び準軍事組織を創設して、それに訓練を与えたことである。このような機会がなかったならば戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。」(「日本軍政とインドネシア独立」)
オランダ・サンティン・アムステルダム市長 現内務大臣
「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分をさげすむことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。」(1985年日本側傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時、行われた市長主催の親善パーティの歓迎挨拶)
タイ・ククリット・プラモード 元首相
「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々この2つの日を忘れてはならない。」
マレーシア・ャー・ダト・ノンチック 元上院議員
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。」
マレーシア・ガザリー・シャフィー 元外務大臣
「日本はどんな悪いこ事をしたと言うのか。大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが英軍は再び取り返すことができずマレーシアは独立したのだ。」
マレーシア・ザイナル・アビディーン 歴史学者
「日本軍政は東南アジアの中で最も政治的意識が遅れていたマレー人に、その種を播き、成長を促進させ、マラヤにおける民族主義の台頭と発展に大きな“触媒”の役割を果たした。」
インドネシア・モハメッド・ナチール 元首相
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。」
インドネシア・アラムシャ 元第3副首相
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。」
インドネシア・サンパス 元復員軍人省長官
「特にインドネシアが感謝することは戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。」
インドネスア・ブン・トモ 元情報相
「日本軍が米・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。」(昭和32年の来日の際の発言)
インド・ラダ・クリシュナン 大統領
「インドでは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像も出来なかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。」(昭和44年日本経済新聞)
インド・ハビブル ・ラーマン 元インド国民軍大佐
「ビルマ、インドネシア、フィリピンなどの東アジア諸国の植民地支配は一掃され、次々と独立し得たのは日本が育んだ自由への炎によるものであることを特に記さなければならない。」
インド・グラバイ・デサイ インド弁護士会会長
「インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のおかげで30年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべ共通である。インド4億の国民は深くこれを銘記している。」(1946年の軍事裁判に出廷した藤原岩市氏らに)
スリランカ・J・R・ジャヤワルダナ 大統領
「往時、アジア諸民族の中で日本のみが強力且つ自由であってアジア諸民族は日本を守護者且つ友邦として仰ぎ見た。当時、アジア共栄のスローガンは従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には最愛の祖国が解放されることを希望して日本に協力した者がいたのである。」(1951年、サンフランシスコ対日講和会議演説)
ビルマ・バー・モウ 元首相
「歴史的に見るならば日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたの解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから日本ほど誤解を受けている国はない。もし日本が武断的独断と自惚れを退け、開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、南機関や鈴木大佐らの解放の真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北もアジアの半分、否、過半数の人々からの信頼と感謝とを日本から奪い去ることはできなかったであろう。日本の為に惜しむのである。」
シンガポール・ゴー・チョクトン 首相
「日本軍の占領は残酷なものであった。しかし日本軍の緒戦の勝利により欧米のアジア支配は粉砕され、アジア人は自分たちも欧米人に負けないという自信を持った。日本の敗戦後15年以内にアジアの植民地は全て解放された。」(「諸君!」平成5年7月号)
a2さんの言う
>>虐殺の行われた範囲は中国側の見解としては南京市の市城のみであったかと思います。
これは正しいです。
中国側公式見解では、「南京市のみ、時期は南京攻略戦の直後の数日〜数週間」となっていて、これを同市の周辺地域に広げた解釈をしたのは本田勝一等の反日人士でした。
環七エクスプレスさんこそ、「本田勝一信者」では有りませんか。南京市には「安全区」と言うものが有った事を忘れて居る。南京市から脱出し損ねた同市市民(貧しくて脱出の為の資金が無かったり、ツテを持たなかった人達が大半だった様だ)は全てそこに集まって居た。そりゃそうだ。誰だって危険な所には居たくない。安全な所へ行きたい。飲食物も手に入らないしな。安全区にはそれらが有ったから人々が集まり、その事は二つの救援組織(欧米人系の国際安全コミテイ・親日派中国人系の安全政府コミテイ)の記録に人口の増加となって反映されている。
この事を環七エクスプレスさんは意図的か忘れて居るのか解らないが、考慮してない。
では、これにて。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/08/20070308000007.html
米人権報告書「韓国、女性・高齢者への差別意識強い」
http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=060000&biid=2006031079098
韓国、外国人労働者を差別
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=40657&servcode=200§code=20
0
外国人労働者を奴隷扱い
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2000/05/23/20000523000021.html
「呆れる人種差別」 恥ずかしい韓国人
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/10/29/20031029000091.html
純血主義により差別される混血児
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2005070987528
韓国系NFLスターが明かす 「韓国は美しい国だが、混血児を差別」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/05/15/20060515000024.html
韓国語が話せないため6年間も精神病院に入れられたネパール人
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=55477&servcode=100§code=12
0
米国人主婦を襲撃、兵士を刺殺・・・韓国内の米国人に警戒令
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2000/07/07/20000707000023.html
障害児の地獄のような学校生活
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/04/21/20050421000032.html
障害児「韓国では居場所がないの」
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2002011038528
道に迷った障害者を25年間も奴隷に
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/09/19/20040919000006.html
障害児を海外輸出 養子にも行けない障害児たちの現状
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2002/01/09/20020109000045.html
エイズ患者は国外追放
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/10/04/20041004000070.html
☆ チン 〃 ∧_∧ /癡所の右翼討伐人チャソ
ヽ ___\(\・∀・)<2チ ヤ ソ ネ ルで他人のメ ア ド晒した謝罪まだー ?
\_/⊂ ⊂_)_ \____________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
|  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:| |
| H A N 板人 .|/
数万円もする研究室の実験器具を壊した事を隠蔽しようとした癖に自からHAN板でバラして罵倒嘲笑を浴びた。
他人のメ ア ドを本人の許可無くHAN板で晒し、スレ住人にたしなめられたが開き直って削除依頼もせず逃走した。
2TIYANNELUの理系板で日本軍悪口雑言板スレ立てをして沈着冷静、頭脳明晰な住人の罵倒嘲笑を浴びた。
2TIYANNELUの海旅板で日本の加害情報求む等と馬鹿なスレ立てをして総スカンを喰らった挙げ句スレストされた。
HAN板で(さば)を(こい)と読んで無知文盲がばれて祭りになった。
理系大学の学生でありながら本を買ったのがたった二冊だけだと平然とほざいてHAN板でスレ住人にあきれられた。
南京大虐殺問題で妄言ほざいたが博覧強記のHAN板住人に全く歯が立たず泣き言を吐いて逃走した。
HAN板で意気揚々とソースに「半月城通信」を引用して大爆笑になった。
自分の専門分野について質問された時に錬金術の如き化学反応式を並べて文系住人さえ絶句させた。
鬼女板と恐れられる既婚女性板にカキコして百戦錬磨一騎当千の鬼女板住人に粉砕されて逆上、「お前らなんて一生結婚出来ないぞ!!」と
既婚女性板住人が化石するしかない捨て台詞を吐いて逃走した。
就職の面接で担当者が一文字姓だった為、勝手に在日朝鮮人と決めつけ、得意満面でこの自慰ブログの如き電波左翼妄言を吐いて見事に落ちた。
民団の掲示版に日本の悪口を書いて賛同を求めたが逆に門前払いを喰らって唖然とする程の癡所ぶりをオチされて侮蔑と嘲笑を浴びた。
何故ならば、痴藷烏討伐人は自分を除外して考えているからである。「自虐」というのは文字通り自分や自分を含めた集団を指す概念であるが、
このような考え方を行う痴藷烏は形式的には「日本人」という集団の一構成員として「反省」したり「謝罪」したりするものの、
本心では自分はその構成員ではないと考えている。
仮に、本当に自虐的で何にも心を痛めるのであれば、日本軍の「悪事」についてのみならず、
自分や自分が属する会社及び集団などの「悪事」についても言い訳をせず、反省・謝罪をするはずである。しかしながら現実はそうではない。
例えば、朝日新聞販売店の従業員が犯罪を犯した場合は、「弊社と取引関係のある販売店の従業員が
このような犯罪を犯したことは真に遺憾であり云々」と、自社とは関係がないことを強調する。
社民党も又市幹事長の女性スキャンダルに関して、「全くの事実無根でわが党に対する誹謗中傷するための云々」と防衛体制に入る。
ここには、自虐的な傾向は全く見られない。彼が本当に自虐的ならば、いかなる言いがかりであろうと「全部自分が悪いんです。
申し訳ございません。生まれてすみません」的な対応が見られるはずである。しかしそのような対応は全く見られない。
ところが、日本の「悪事」となると、捏造・隠蔽・拡大解釈・誇張などあらゆる手法を駆使して日本を責め立てる。
しかも、「日本人として」反省したりお詫びしたりする。ここが非常に厄介な部分である。
何せ、「お前いい加減なことを言うな。証拠を出せ」という主張が効かない。
「日本人として」勝手に相手側の立証責任を免除しちゃうからである。また、「名誉毀損だ」という主張も無効である。
「日本人として」日本を悪く言ってるだけなのだから、「自らの名誉を放棄して何が悪い」となるのである。
しかし、何となくモヤモヤする。腑に落ちない部分がある。これは、形式と実質を分離して考えることでスッキリする。
通常は形式と実質は一致しているので、何ら問題にならない。
例えば、又市幹事長は社民党の党員・幹部という肩書きを持っており(形式の問題)
自らも組織の一員として行動している(実質の問題)。
このように形式と実質が一致している場合には、又市幹事長及び社民党に対して何らかの不利益が生じる可能性が出ると防衛体制に入る。
ところが、又市幹事長は日本の国籍を持っているし「日本人として」と発言する(形式の問題)が
本音では「日本人」とは思っていない(実質の問題)。
では痴藷烏討伐人は自分を如何なる存在だと考えているかと言うと、
「正 義 の 日 本 人 」 と い う カ テ ゴ リ ー に 属 す る 人 間 だ と 考 え て い る の で あ る。
日本人を悪と正義に分けた上で、滑稽にも自分は正義の側に立つと考えている。
正義と言うカテゴリーに属する人間が悪と言うカテゴリーに属するを非難しているのだから、自分は痛くも痒くもない。
痛くも痒くもないので「関与」という抽象的な言葉で責任を追及するし、「犯罪をしていない証拠を出せ」という無茶な注文も付ける。
しかし、「自分は正義のカテゴリーに属する人間だ」とは明言しない(良識派という単語は使うが)。
「同じ日本人として反省します」とは言うものの、実態は「他人」を批判しているだけ。
しかも、「他人」を批判すればするほど自分の相対的な正義度がアップするので、これはとてつもない快感を生み出す。
これはいわゆる差別と構造的に全く同じことが分かる。
「あいつは被差別部落の者で卑しい身分だ」と言い立てることで、自分の相対的な優位性を確認し安心する。
「あいつは戦争を反省しない悪い日本人だ」と言い立てることで、自分の相対的な正義度を高める。本質は何にも変わらない。
しかし、ただ一つ違うことがある。
被差別部落の者は形式的にも実質的にも被差別部落の人間であり、また同じように被差別部落以外の者は
形式的にも実質的にも被差別部落に属さない人間である。
つまり、部落以外の人間が部落の人間を悪く言っていると言う構造が、誰の目にもに明らかなのである。
従って、被差別部落の立場からは「俺たちを差別するな」という声が有効となる。
一方で「自虐史観」の場合は、外形的にはあたかも日本人が反省しているというように見える。
しかし、実質的には「全部あいつが悪いんです。私は悪くありません。『関与』したので責任があるのは間違いありません。
言い訳はさせません。私が封じ込めます。だから、私は悪くありません」という類の話であり、自虐でもなんでもない。こういうのは、単に「なすりつけ」という。
これは、構造的には部落差別と全く同じ話なのであるが、形式的には「日本人が日本人として反省している」だけなのだから、
差別として捉えられないところにタチの悪さがある。「てめえ証拠も無いのにふざけたことを言ってるんじゃねえ!」と言おうものなら、
「日本人が一人の日本人として反省することの何がいけないのでしょうか」とのたまう。しかし、これが本心でないことは既に述べた通り。
こういった問題を「自虐史観」と表現することは形式に着目したモノであって、本質を表現しているとは言いがたい。
実は、そこに日本人の陰湿な差別意識が隠れているわけであり、「差別反対!!」とうるさい
痴藷烏討伐人ほど実は一番差別的な人間なのである。そこで、これを痴藷烏討伐人に自覚させるために、
今後は「歴史問題における差別的なすりつけ解釈」と呼ぶことにしたい。
少々長ったらしいのでもう少し短い言葉があればいいのだけど、代わりの言葉が見つかるまでは、
「歴史問題における差別的なすりつけ解釈」もしくは「差別的なすりつけ解釈」という用語を使用したい。
差別問題で痴藷烏討伐人がよく言うセリフに、「差別問題は、差別される側がどう感じるかの問題だ」というものがある。
従って、痴藷烏討伐人に「我々は差別などしていない」などという言い訳は通用しない。
痴藷烏討伐人こそが一番の差別主義者であることを自覚させなければならない。