反戦反天皇制労働者ネットワークの吉田です。
参戦と天皇制に反対する連続行動は以下の行動を行います。多くの参加を呼びかけます。
●天皇アキヒトのタイ・シンガポール・マレーシア訪問反対6・7大阪集会
□ 日時:6月7日(水)午後6時30分
デモ:7時30分出発
□場所:大阪市役所南側・女性像の前
□主催:参戦と天皇制に反対する連続行動
連絡先:大阪市淀川区十三東3−16−12
Tel/Fax 06 (6303) 0449
■ アキヒトとミチコは6月8〜14日、国交樹立40周年式典の行われるシンガポールと、プミポン国王(78)の即位60周年記念式典が行われるタイを公式訪問し、マレーシアには立ち寄る。15年前の91年9月、天皇として初めてのタイ・インドネシア・マレーシア訪問でも謝罪しなかったが、今回もする気はない。宮内庁は「相手国の考えを考慮して今後検討するが、
中心テーマにはならない」としている。タイには、62年に「タイ特別円」協定をむすび九六億円を、またシンガポールとマレーシアには67年9月にそれぞれ無償経済協力協定を結び、
約二九億四千万円を支払ったことで、戦争責任問題はなくなったとしているのだ。日本は、賠償ではない「つかみ金」を出すことで戦争・侵略責任を「不問」に付し、この金をテコに経済
侵略をはかってきたのである。
■ 日本の東南アジア侵略戦争を象徴するひとつにタイ・ビルマに敷設された泰緬鉄道がある。
1941年12月8日、真珠湾攻撃より約一時間早く、日本軍はマレーのコタバル、つづいてタイのシンゴラ、パニタに侵攻した。中国大陸で民衆の激しい抗日戦に苦戦を強いられた日
本軍は、中国民衆を支援する連合軍の中国蒋介石援助物資輸送路「援蒋ルート」の遮断作戦と、イギリス軍の拠点であるインド・インパールの壊滅作戦をとった。その一歩がタイとビルマの国境を結ぶ泰緬鉄道と軍用道路の建設であった。四一四・六キロ(東京―大垣間に相当)の泰緬鉄道は機械を使わず人海戦術で一年四ヶ月という短期間で仕上げられた。連合国俘虜五万五〇〇〇人、「ロームシャ」と呼ばれたタイ・マレーシア・インドネシアの労働者約二〇万人は雨季の最中でも休むことなく働かされた。倒れると声高にののしり、生竹でピシッピシッと殴りつけ、頭を軍靴でけりつける日本兵もいた。発熱して作業に出ないと食事が与えられず、三、四日も寝ているとジャングル内の病院に送られ、そのまま帰ってくることはなかったという。過酷な労働、食料不足からくる栄養失調とコレラやマラリアで、死者は莫大な数にのぼった。「枕木の数ほど」が殺されたのである。泰緬鉄道は「死の鉄路」と呼ばれた。
ところで、鉄道建設の直前、朝鮮人青年が軍属として採用され俘虜監視に動員された。ジャングルの行軍で一万人を超す俘虜を軍属数十人で、しかも言葉が通じないなかで見張ることなどできることではなかった。犠牲やむなしとする軍への異議申し立てなど許されないなかで、彼らの俘虜の扱いが乱暴になり、病気の世話も放置された。そして彼らは、戦争裁判で俘虜の死などの責任を問われたのである。泰緬鉄道関係の戦争犯罪人(BC級戦犯)としての朝鮮人軍属の起訴は三五人、有罪三十三人、うち死刑九人であった。
■ しかし戦後、日本はこうした戦争責任をまったくとろうとしなかった。
三年三ヶ月泰緬鉄道で働いたマレーシア出身の宋日開さんは軍票一ビルマ・ドルしか支払わなかった日本に、生き残った一九人と遺族のマレーシア人、計三〇〇人を組織して賃金全額の支払いを要求した。91年11月、朝鮮人元軍属のBC級戦犯と遺族の七名が戦争責任を肩代わりさせられたうえ半世紀近く放置されてきたと日本政府に謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴した。一審、二審、そして最高裁(99年12月)も訴えを退けた。1998年夏、天皇アキヒトのイギリス訪問に際しては、日の丸は燃やされ、イギリス人元捕虜らはアキヒトパレードに背を向け、口笛を吹いて抗議の意を表した。
こうした憤りと抗議はいまもつづいている。しかし、日本の歴代政府は一貫して拒絶し、小泉首相にいたっては戦争・侵略神社=靖国神社に五年連続参拝するという計画的な挑発をくりかえしている。この靖国神社の遊就館には泰緬鉄道のC56型蒸気機関車が零戦52型や人間魚雷「回天」などとともに展示されているのだ。わざわざタイから買い付けて「奉納」したのだという。ふたたび侵略と戦争を開始した日本の支配階級の新たな軍国主義の強い意志があると見なければならない。
■ 「タイ特別円」協定を契機とした日本の独占資本のタイへの経済侵略はじつに大きく、タイの支配階級も日本独占資本から離れられない。タイから見て日本は貿易額、投資額、援助額ともに第一位なのだ。タイはいまや東南アジア地域における日本の重要な生産拠点かつ市場となっており、タイ労働者の低賃金を利用した強搾取は日本の独占資本に膨大な利潤を保障している。現在、バンコク日本人商工会議所の加盟企業は一二〇〇
社を数えるという。
タイの国王と軍部、資本家などの支配層はベトナム・カンボジア・ラオスのインドシナ革命や共産党の伸張に恐れをなし、反共産主義の国是をいっそう強め、アメリカとの同盟に未来を賭けてきた。ベトナムを空爆する米軍爆撃機の八割がタイの軍事基地から出撃したのだ。こうしたタイがいま、アメリカの中国包囲網、反テロ世界戦争の重要な一陣地としての役割をはたしている。イラクに四五〇名の兵士を派遣しただけでない。この5月には米国とタイを軸とした東南アジア最大級の合同軍事演習「コブラゴールド」(総勢一万一三〇〇人)が行われた。シンガポールやインドネシア、そして日本の自衛隊も参加した。
04年12月のスマトラ沖大地震・津波では、タイのウタパオ軍事基地は米、日、豪、独、マレーシア、シンガポールなど一四カ国の「現地連絡・調整本部」となった。米軍は輸送機約
二〇機、ヘリ約四〇機、約一万一五〇〇人の兵員を投入した。それは被災者の救援活動というより、対テロ戦争の軍事演習なのは明らかであった。自衛隊も現行の自衛隊法を踏みにじって、一人の司令官が陸海空の全部隊を指揮する「統合部隊」を初めて編成し、戦争を実際に遂行する戦闘態勢の確立を行ったのである。自衛隊の海外展開は著しく、米軍との共同作戦態勢は米軍再編によっていっそう強められている。タイもこうしたなかにあるのだ。
■ 上記のような戦後タイの経済・政治・軍事体制の形成に決定的な役割を果たしてきたのがタイ国王プミポンであり、彼の在位60年である。アキヒトはこのプミポンの祝賀に参列し、
日本とタイの支配層の反動的連帯を行う。それは、いまや「象徴天皇」(現行憲法)の枠を超えて「戦争と国家を担う」までになった天皇アキヒトのさらなる一歩である。
■ 私たちは、こうした天皇アキヒトとタイ・シンガポール・マレーシア訪問に反対である。反対行動への参加を訴える。
タイ・シンガポール・マレーシアにおける大日本帝国の侵略と戦争加害および現代の経済侵略の実態については、
50年目の証言 アジア・太平洋の傷跡を訪ねて 森武麿著にみる日帝悪 タイ・マレー半島北部
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/14755894.html
50年目の証言 アジア・太平洋の傷跡を訪ねて 森武麿著にみる日帝悪 冒頭の説明とマレー半島南部編
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/14680267.html
の記事のほうも参考に。




中国がかつての渤海(7〜10世紀に中国東北地方から朝鮮半島北部にかけて
存在した国)の首都だった「上京龍泉府」遺跡の復元作業を進めている。
黒龍江省が「唐渤海国上京龍泉府遺址保護条例」の草案をまとめ、
今月中に省の人民代表大会で審議するという。
中国が渤海の遺跡を復元した後、2007年にユネスコの世界文化遺産への登録を
目指す計画だといわれている。
上京龍泉府は渤海が926年に滅亡するまで、160年にわたって首都だった所だ。
韓国の学界はこのような動きを中国の渤海遺跡復元が渤海の歴史を中国史の一部に
含めようとする「東北工程」(東北地方歴史見直し研究作業)と関連したものとみている。
中国が作った「唐渤海国上京龍泉府遺址保護条例」という条例名も、渤海が独立国
ではなく「唐の地方政府」であったとする「東北工程」の主張が盛り込まれている。
しかし渤海は、唐と形式的な冊封関係にはあったが、独自の年号や諡号(しごう、
国王の死後に贈られる贈り名)、「皇帝」の称号を使っていたため、独立国家であった
というのが広く知られている事実だ。
中国が高句麗に続き、渤海をも中国の地方史に組み入れようとする「東北工程」を
引き続き進めようとしているのは、このプロジェクトが体制の安定と結びついている為だ。
中国は1949年以後、現在に至るまで自国領土内に存在する56の民族を全て「中華
民族」とみなし、その歴史を中国史に含める「統一的多民族国家論」を主張してきた。
少数民族の分離・独立運動を防ぎ、これを中国に統合しようとする目的で、
伝統的に敵対関係にあったウイグルやチベット、モンゴルの歴史をも
中国史に組み入れている。
しかし、中国が現在の領土内で起こった全ての歴史事象を中国の歴史に含めよう
とする行過ぎた自国中心主義は、歴史的な事実にそぐわないのみならず、
中国自身によっても望ましくないということを自覚するべきだ。
中国の56の民族が固有の歴史と文化を強制的に否定されれば、
中国政府が目標とする国家統合も内部から揺らぐからだ。
朝鮮日報 2006/06/02 10:47
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/06/02/20060602000025.html
あなたは今上陛下が92年に中国を訪問されたことを知っていますか?
若いから記憶にないのだろうけど。
反対したのは右翼ばっかりで左翼は音なしでしたがね。
当時の楊尚昆国家主席が歓迎晩餐会で挨拶していますよ。
………………
尊敬する日本国天皇皇后両陛下
友人の皆様
同志の皆様
中日両国は一衣帯水の隣国であり、両国国民は二千年以上の友好往来の歴史を有しております。中日国交正常化二十周年に際し、日本国天皇皇后両陛下が我が国に対し初の公式訪問を行うことは、中日関係史における大きな出来事であります。私は中国政府と中国国民を代表し、また私個人の名において、両陛下の御来訪を熱烈に歓迎します。
中華民族と日本民族はいずれも偉大な民族であります。勤勉かつ英知に富んだ両国国民は長い友好往来の中で互いに学びあい、助け合い、深い友情を結び付け、人類のオリエント文明に貴重な貢献をしてきました。
遺憾なことに、近代の歴史において、中日関係に不幸な一時期があったため、中国国民は大きな災難を蒙りました。前のことを忘れず、後の戒めとし、歴史の教訓を銘記することは両国国民の根本的利益に合致することであります。中日双方の共通の努力によって、我々両国が二十年前に国交正常化を実現し、その後、また中日平和友好条約を締結し、善隣友好協力の広々とした見通しを切り開きました。
中日国交正常化二十年来、我々両国の各分野にわたる交流と協力はいずれも長足の発展を遂げ、両国国民間の友情はたえず深められ、中日友好の基盤は一層強固なものとなりました。天皇皇后両陛下のこの度の御訪問は、両国国民の相互理解と伝統的な友情を一層増進し、両国の善隣友好協力関係を新たな深まりと広がりに向けて推し進めることになるでありましょう。当面の国際情勢の下で、独立自主の平和外交政策を実行する中国と引き続き平和的発展の道を歩む日本が長期安定の善隣協力関係を維持することは中日両国国民に有利であり、アジア太平洋地域ひいては世界の平和、安定と発展にも寄与するものであります。
中国国民は日本国民との伝統的な友情を非常に大切にしております。我々両国が中日共同声明と中日平和友好条約の定めた諸原則を遵守し、たえず努力しさえすれば、両国国民が世々代々にまで友好的につきあっていく願望は必ずや実現できるに違いありません。
つい最近、大きな歴史的意義をもつ中国共産党第十四会大会が成功裡に閉幕しました。大会の精神に励まされて、中国国民は改革開放の歩みを速め、経済発展に全力を尽くしており、中国の大地は生気と活気に満ち溢れております。両陛下は御訪問先において、改革開放と近代化建設によって中国にもたらされた変化を御覧になれますし、日本国民に対する中国国民の友情をも感じ取られることでありましょう。私は、両陛下のこの度の歴史的御訪問は必ずや円満裏に御成功を収められるものと深く信じております。
それでは、乾杯を提案いたします。
中日両国国民の世々代々にわたる友好のために、
天皇皇后両陛下の御健康のために、
日本国の御繁栄と御発展、国民の御多幸のために、
日本国の友人の皆様及び同志の皆様の御健康のために、
乾杯
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPCH/19921023.O2J.html
あちらが拒否すると言うのなら行くべきではないですし、きてくださいと言うのなら行くべきです。
市民団体が決めることではありません。
☆ チン 〃 ∧_∧ /癡所の右翼討伐人チャソ
ヽ ___\(\・∀・)<2チ ヤ ソ ネ ルで他人のメ ア ド晒した謝罪まだー ?
\_/⊂ ⊂_)_ \____________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
|  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:| |
| H A N 板人 .|/
数万円もする研究室の実験器具を壊した事を隠蔽しようとした癖に自からHAN板でバラして罵倒嘲笑を浴びた。
他人のメ ア ドを本人の許可無くHAN板で晒し、スレ住人にたしなめられたが開き直って削除依頼もせず逃走した。
2TIYANNELUの理系板で日本軍悪口雑言板スレ立てをして沈着冷静、頭脳明晰な住人の罵倒嘲笑を浴びた。
2TIYANNELUの海旅板で日本の加害情報求む等と馬鹿なスレ立てをして総スカンを喰らった挙げ句スレストされた。
HAN板で(さば)を(こい)と読んで無知文盲がばれて祭りになった。
理系大学の学生でありながら本を買ったのがたった二冊だけだと平然とほざいてHAN板でスレ住人にあきれられた。
南京大虐殺問題で妄言ほざいたが博覧強記のHAN板住人に全く歯が立たず泣き言を吐いて逃走した。
HAN板で意気揚々とソースに「半月城通信」を引用して大爆笑になった。
自分の専門分野について質問された時に錬金術の如き化学反応式を並べて文系住人さえ絶句させた。
鬼女板と恐れられる既婚女性板にカキコして百戦錬磨一騎当千の鬼女板住人に粉砕されて逆上、「お前らなんて一生結婚出来ないぞ!!」と
既婚女性板住人が化石するしかない捨て台詞を吐いて逃走した。
就職の面接で担当者が一文字姓だった為、勝手に在日朝鮮人と決めつけ、得意満面でこの自慰ブログの如き電波左翼妄言を吐いて見事に落ちた。
民団の掲示版に日本の悪口を書いて賛同を求めたが逆に門前払いを喰らって唖然とする程の癡所ぶりをオチされて侮蔑と嘲笑を浴びた。
何々・・・。スマトラ島沖地震の時に14ヵ国の災害救援に来た各国軍の調整本部をタイの空軍基地に置き、アメリカ軍が一万人余りの兵員と多数の軍用航空機を災害救援に送り込んだら、テロとの戦いに備えるものであるのは明白?
何じゃそりゃ!?AMLも「池沼」の同類だったって事だな。災害救援に自活能力の有る正規軍を送り込んで困り切ってる現地の被災者達を助けるのが悪いと言うのなら、AMLと言うのは「池沼」、通俗的な用語を用いれば「頭おかしい」となるな。
なぁ、おい。討伐人さんよ、あんたいい加減このAMLとか言うのから手を切った方が良いな。ただでさえ、考え無しなのに、こんなのと付き合って居たらますます頭回らなくなるぜ。私かい?私は懐疑思考と言う攻性防壁が有るから、大丈夫だよ。はっはっは・・・。常に電波浴用電波定義ファイルの手動更新(読書)も欠かさないしね。ぶわっはっはっはっは・・・・。
今回、最後の部分は軽く遊んで見ました。
では、これにて。
http://www.chosunonline.com/article/20071209000018
豊臣秀吉の朝鮮侵攻で李舜臣(イ・スソシソ)将軍の亀甲船が活躍してから150年
後に
建造された朝鮮水軍の戦艦は、ハトのような形をしていた!?
朝鮮王朝後期の戦艦として、「朝鮮王朝実録」に記録されている「海鶻船」の姿を
描いた
図画が初めて公開された。「海鶻」とは、「海のハト」や「ハヤブサ」を意味する。
韓国古書協会のコ・チヤソソク元会長は、最近出版した『朝鮮水軍と海の遺物の図
録』
(チヤソボゴ刊)で、自ら所蔵している「海鶻船図」を公開した。
18世紀に描かれたと推定されているこの図画では、「海鶻船」というタイトルの下
に描かれた
船の前の部分が鳥の頭のような形、また上の部分は鳥の羽に覆い隠されたような形に
なっている。
その下には「本板(床)の長さは7把(1把=10尺)5尺、後部の長さは9把3尺、幅は2
把5尺、
高さは2把1 尺。丁卯年(1747年と推定される)3月○日に建造に着手し、費用はコメ
80石6斗5合」
と記されており、全羅右道の公印が押されている。
http://file.chosunonline.com//article/2007/12/09/909617960895358596.jpg
1747年3月、全羅道右水営が作成したと推定される文書に収録されている、朝鮮水軍
の戦艦「海鶻船」の図。
/提供=コ・チヤソソク氏
「朝鮮王朝実録」の英祖16年(1740年)6月18日の項目には、「全羅道左水使の田
雲祥
(チヨソ・ウソサソ)が海鶻船を建造した。船体は小さいが、軽くて速く、風に対す
る心配がない」
「(王は)統営と複数の道の水営に海鶻船を建造するよう命じた」と記録されてい
る。
また、22代国王・正祖の代(1776‐1800)に編さんされた『全羅道右水営誌』によれ
ば、
海鶻船には56人が乗ることができたという。学界では、秀吉の朝鮮侵攻当時の板屋船
に
比べ船体は小さいものの、運用しやすいため、中・小型の軍艦として活躍した、との
見解を示している。
だが、これまで海鶻船の姿を描いた当時の資料は発見されていなかった。
100年後の1855年に編さんされた『武備要覧』で、中国の『武備志』を参考に描かれ
たとみられる
海鶻船の図が掲載されているが、それは今回公開された資料に描かれた海鶻船とは
まったく
違うものだった。海軍士官学校博物館のチヨソ・ジソスル企画室長は「文書の出典や
時期は
確実なものではないが、朝鮮王朝後期の主要な軍艦だった海鶻船の姿を想像できる唯
一の資料だ」
と話している。なお、『朝鮮水軍と海の遺物の図録』には、このほかにもコ・チヤソ
ク氏が所蔵する
「忠武公(李舜臣将軍)の状啓」「朝鮮司空名簿」「海東諸国記」などの資料が収録
されている。
兪碩在(ユ・ンクジエ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
ハハハ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ハライテ-
( ^∀^) <戦艦は、ハトのような形 ∧_∧ イキデキネーヨ
. ( つ ⊂ ) \_______ (^∀^ ,,)、 ゲラゲラ
.) ) ) ○ ∧_∧ ,, へ,, へ⊂), ∧_∧
○,
(__)_) ⊂ ´⌒つ^∀^)つ (_(__)_丿 ⊂(^∀^⊂ ⌒ヽつ
タッテ ラレネーヨ ___ _
//  ̄ ̄\( ゚i>
| |∧ ∧ | | |
| |<丶`Д´>| | | urinara戦艦の威力tiyotupariに思い知らせてやるnida!!
.ゝゝ| |( つ┬つノ |
ヽノヽ (  ̄ ̄ ̄ ̄ 丿ノヽ キコキコ
ノヽノヽノヽノヽノヽノヽノヽノヽノヽノヽノ ジャブジャブ
飛び蹴り、首絞め、イエロー6枚…岡田監督が怒りの猛抗議
ベンチから選手に指示を出す岡田監督(撮影・森本幸一) 東アジア選手権・男子(20日、中国・重慶)
完全なアウェー状態での中国戦勝利にも、岡田武史監督(51)は不機嫌だった。不可解なジャッジ、
相手の執拗(しつよう)なラフプレー。カッカした指揮官とは対照的に選手は落ち着いていた。
ハートは熱く、頭は冷静に−。岡田ジャパンの成長ぶりに、指揮官はW杯予選突破の手応えを得た。
「試合前からタフになると思っていたが、選手は冷静に戦ってくれた。けが人がまた出たというのは、
レフェリングだけの問題じゃないが残念」。会見場では1度も笑顔を見せず無表情だった指揮官。
不可解な判定、中国のラフプレーにご立腹だった。
君が代演奏でブーイングも出ず、不気味な平穏を保った試合。負けた瞬間には
ペットボトルが投げ入れられ、発煙筒もたかれたが、試合中は予想された反日ムードはほとんどない。
問題があったのはピッチだ。中国側に足を投げ出すタックルなどのプレーが続出。
相手の警告は4枚に及んだ。後半11分にはMF安田が相手GKに右脇腹と腰を蹴られて病院送り。
左足首をひねって交代したDF駒野を含め軽傷の見込みだが、離脱者が続出する中、怒りは当然だった。
北朝鮮人主審の判定も疑問符が付いた。
中国のラフプレーに付き合わず落ち着いてプレーした選手たちに、岡田監督は「選手たちに冷静にと言ったが、
選手は冷静だった。私が1人興奮していた」と称賛の言葉を贈った。
レフェリーへの抗議など、試合中も落ち着きなく走り回った指揮官。北朝鮮戦後には「気持ちが入ってない」と
カツを入れた。戦う監督の“熱さ”がチームに伝わり、相手とは正反対のフェアなプレーで爆発した。
「粘り強く戦って結果を残してくれたので、これで最終戦、(23日に)韓国と
チャンピオンシップを目指して戦える。全力を尽くしたい」。アウェーでの3・26W杯予選・バーレーン戦前に、
敵地戦克服の糸口はつかんだ。まずは東アジアの盟主の座をつかみ、その勢いで南アフリカへと続く階段を一気に駆け上がる。
血染めのセーブ連発!楢崎が体を張って最後のとりで死守
血染めのセーブ連発!楢崎が体を張って最後のとりで死守(サンケイスポーツ)
東アジア選手権・男子(20日、中国・重慶)思わず、顔ごと飛び込んだ。1−0の前半31分、
GK楢崎の目の前でDF内田の頭上を相手のクロスボールが越えた。ペナルティーエリア内で
中国MF杜と1対1でこぼれ球の競り合いに。楢崎はシュートを打たせず、体を張ってボールを死守。
左ほおに血をにじませたが、後半からガーゼを張り最後のとりでを守りきった。
「相手はロングボールとサイドからのボールに合わせてくる。そんなに複雑ではなかった」
アウェーの洗礼は覚悟の上だった。後半のロスタイムはなんと5分(前半は3分)、
イエローカードも両軍で6枚も乱れ飛び、後半ロスタイムに入る直前には、楢崎の背後の観客席で発煙筒がたかれた。
背後の興奮は最高潮に達しても、楢崎は淡々とした表情を崩さなかった。
「後半は守り方を修正して入った。そんなに難しくはなかった。相手のボランチの16番をしっかり抑えることを心がけた。それがうまくいったと思う」
岡田監督の楢崎評は現時点で第2の男。東アジア選手権初制覇には絶対落とせない試合だったが、
完全アウェーでの先発は楢崎にとって絶好のアピールチャンス。13日の出発直前、成田空港で楢崎は
川口と一緒に買い出しに出た。普段はお互いを尊重する同志でも、ピッチでは川口がつける背番号1を奪いたい。
胸の内からほとばしる闘争心が、ピッチに漂う異様な緊迫感を忘れさせた。
岡田監督が前回、日本代表を指揮した98年フランスW杯から続くライバル争い。その激しさに比例して、最後の“壁”の厚さも増すはずだ。
根強い反日感情、また日の丸焼かれた…サッカー東アジア選手権
東アジア選手権・男子(20日、中国・重慶)日本は、地元中国に1−0勝利。この日の日中戦には
17日の開幕戦の約2倍となる3000人の警備員が動員されたが、試合終了後に中国ファンが日の丸の旗を焼くなど、
反日感情の根強さをうかがわせた。
4年前のアジア杯の反省から、日本のサポーターはゴール裏の一角に“隔離”。
試合前から「罵詈(ばり)雑言を吐かないように」とのアナウンスが流れ、国歌演奏中のブーイングも一瞬で収束した。
しかし0−1で試合終盤を迎えると、徐々にヒートアップ。中国ファンの一部がペットボトルを投げ込み、
たどたどしい日本語で日本のサポーターに向けて「バカヤロー」と叫び始めた。さらには発煙筒に火をつけ、
警備員が駆けつけて羽交い締めにする一幕も。試合終了後にも、日の丸の小旗にライターで火をつけるファンがいた。
この状況に、不測の事態に備えて派遣されていた駐重慶日本総領事館の館員は
日本のサポーターを最寄りのモノレール駅まで送り届けたほどだ。