2010年05月23日

旧日本軍の731部隊細菌戦の遺跡が世界遺産に申請へ

旧日本軍の731部隊細菌戦の遺跡が世界遺産に申請へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100515-00000005-scn-cn
 ハルビン市平房区には、世界に現存する最大規模の細菌戦の遺跡群である「731遺跡」が現存している。第二次世界大戦の3大戦争遺跡の一つとして、20年間の保護と開発を経て「731遺跡」は中国100カ所の革命聖地としての観光名所の一つとなり、世界からも注目されている。
 ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所と日本の広島原爆遺跡が世界遺産に登録されたが、「731遺跡」の研究に携わってきたハルビンの専門家や学者は、この遺跡の世界遺産申請の歩調を速める必要があると呼びかけている。チャイナネットが伝えた。
 ここ数年、ハルビンの関連部門が申請作業に力を入れている。ハルビン市農工党の関係者は、世界遺産に申請することが遺跡にとってもっともよい保護方法だと見ている。(編集担当:米原裕子)

是非世界遺産に登録されて欲しいと思います。日本の過去の加害の歴史を未来に伝えていかないといけませんからね。というか、本来は本来過去の加害歴史を清算し、そういう日本の過去の加害の歴史を代々伝え、そういう過去の加害や侵略の歴史の遺産を保存し、歴史教育に役立て、二度とこういう類似の侵略や類する国家犯罪行為を行わないように謝罪し、再発防止のための措置を含めて取ることに対して、積極的にならないといけないのに、日本社会や日本政府、日本人の腑抜ぷりにはつくづく情けなくなるね。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 19:03 | Comment(3) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月20日

レイプ(BlogPet)

きょう、上官たちへレイプするはずだったみたい。

*このエントリは、ブログペットの「右翼討伐犬」が書きました。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 07:36 | Comment(1) | TrackBack(0) | BlogPet用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月10日

朝鮮人強制連行:飛行場徴用の労働者19体分の遺骨発掘−−猿払 /北海道

朝鮮人強制連行:飛行場徴用の労働者19体分の遺骨発掘−−猿払 /北海道
http://mainichi.jp/hokkaido/news/20100508ddlk01040107000c.html
 猿払村浅茅野で行われていた朝鮮人労働者の遺骨の発掘調査が7日終わり、今回の調査でこれまでに最も完全体に近い1体を含め、推定で19体分の遺骨を発掘した。調査を実施した「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」が発表した。遺骨と遺品は浜頓別町の天祐寺に安置される。
 旧日本軍の飛行場建設に徴用された朝鮮人労働者の遺骨発掘は06年の第1回調査に始まり、北大や韓国の漢陽大の学生らが参加。09年の第2回調査を経て、今年5月1日から始まった第3回調査には、学生ら計75人が参加していた。

 調査は今回で終了となるが、発掘調査に当たった漢陽大学の安信元教授(45)は「記録では96人がここで働いたとある。調査を進めれば、もっと多くの遺骨が出ると思う」と話し、「北大と漢陽大の学生が一緒に作業したことは、両国の和解と平和のモデルになると思う」と発掘作業を振り返った。【金子栄次】
全く、未だにこんなことをやっているのだな。敗戦から65年の月日がたったのによ、未だに犠牲者の遺骨の発掘調査が行われている段階。しかも、国が直接行っているのではなく、学生たちが発掘調査を行っている。国が責任をもって、直接発掘調査を行うと同時に、関係者への聞き込みおよび、関係する文書や資料を調査し、そしてそれらをすべて公開して真相を明らかにすること。そして強制労働や強制連行を含む過去の国家犯罪や侵略・植民地化の事実を認め、被害者や犠牲者遺族に誠意のある謝罪と個人補償を行い、また学校の歴史教育においてその犯罪事実を正しく記し、子孫代々に伝え、再びこのような侵略や国家犯罪、それに類する国家の犯罪的行為(黙認も含む。ODAや財界による経済侵略や発展途上国への環境破壊促進)が起きないな再発防止措置も含めて現地点で取られているべきなのだ。現にドイツはそうしているのだが、この国はほんとどうしようもないね。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:17 | Comment(30) | TrackBack(2) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月09日

露大統領:スターリンの「犯罪」批判

露大統領:スターリンの「犯罪」批判
http://mainichi.jp/photo/news/20100508k0000m030021000c.html
【モスクワ大木俊治】ロシア紙「イズベスチヤ」は7日、就任から2年を迎えたメドベージェフ大統領との会見記事を掲載し、国営テレビも同日、会見の模様を放映した。大統領はこの中で、旧ソ連の指導者スターリンを「国民に対し多くの犯罪を行った。その行為は許されない」と批判した。大統領は昨年10月、自身のブログでスターリン批判を展開したが、公の場で言及したのは初めて。
 大統領はまた、第二次世界大戦後のソ連政権を「基本的人権や自由が押しつぶされた全体主義体制」と批判。一方で「ソ連軍の(同大戦で果たした)使命と、戦後のソ連国家を区別すべきだ」と述べ、ソ連軍が欧州をナチス・ドイツの支配から解放したことは「歴史的事実」だと強調した。
 このほか日露間の領土問題について、双方が極端な立場を離れて取り組めば「将来に問題を解決することができる」と述べたが、これまで繰り返してきた「我々の世代での解決」には言及しなかった。
 会見は9日の対独戦勝65周年を主なテーマに行われた。
関連記事
カチンの森から70年 ポーランドとロシアの和解のニュース
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/146189986.html

政治的にも国内的にも歴史逆行(反動化/反良識化)する日本と、大国でありながら過去の歴史を見つめ清算することにおいて日本に勝るロシアというところでしょうかね。
日本では民主党政権においても、よくなるどころか悪くなるばかりで。民主党政権の内部からも、あまり過去の大日本帝国やその軍国主義体制への批判は聞こえてこないし、従軍慰安婦問題が教科書から消えるわ、沖縄の集団自決の軍の強制の記述が修正・削除されるわで、日本という国がロシア以上に醜い姿を国際社会や人類の歴史において晒していることに、いい加減気づけ、日本国民、マスメディア

2010年05月06日

一端(BlogPet)

きょう右翼討伐犬は反論するはずだったの。
だけど、きのう右翼討伐人と、説明しなかった。
だけど、一端が編成したいです。

*このエントリは、ブログペットの「右翼討伐犬」が書きました。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 07:31 | Comment(3) | TrackBack(0) | BlogPet用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月05日

従軍慰安婦の訴え退ける フィリピン最高裁・・・産経新聞

従軍慰安婦の訴え退ける フィリピン最高裁
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/100504/asi1005041916004-n1.htm

 第2次大戦中に日本軍の従軍慰安婦を強いられたフィリピン女性約70人が、日本への謝罪要求を支持するよう自国政府に求めた訴訟で、フィリピン最高裁は4日までに、訴えを退ける判決を言い渡した。判決は4月28日付で、4日に公表された。

 判決理由については、外交問題であり司法の権限を越えると述べた。 
訴えは2004年、ロムロ外相やアルバート前外相らを相手取って起こされた。日本政府国際法廷の場で公式謝罪し損害賠償を行うよう要求、フィリピン政府もその立場を支持するよう求めていた。(共同)

この記事の内容が本当なら、まさに怒涛の怒りなんですけど。今のところ、取り上げているのは産経新聞だけですから、産経新聞のことですから、こういう加害歴史やナショナリズムに絡むことにおいては事実とはかなり異なるように脚色したり、捏造したりするのは毎度のことですからね。嘘であって欲しいですが、本当にフィリピン最高裁が自国の被害者の訴えを棄却したのであれば、まさに怒りです。こういう大日本帝国の被害国においてすら、いまだに大日本帝国の残滓が根を強く貼っているという感じです。日本はODAという援助のもと、経済的に大日本帝国のような侵略的にもってあくどくやってきましたからね。まさに、良識派と大日本帝国の残滓との闘いは、日本だけではなく、東南アジア・太平洋地域、欧米各国においても戦場となって繰り広げられる世界規模のものですからね。この大日本帝国の残滓との闘いを制し、真の意味でアジア・太平洋戦争、大日本帝国・我が国の加害の歴史の連鎖の流れを終結させ、大日本帝国の加害の歴史の真の清算を成し得ない限り、世界はもちろん、日本の未来の可能性は永劫にありえません。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 10:34 | Comment(14) | TrackBack(0) | 激怒(むかついた)ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Amebaに会員登録致しました。

Ameba
http://www.ameba.jp/に会員登録いたしました。というのも、投稿したいAmebaブログがあったのですが、会員登録しないとコメントできなかったり、メッセージが送れない仕様になっているものがあったからです。

会員登録と同時にブログの開設が事実上義務づけられているので、私もアメブロ(amebaブログ)を開設しました。引っ越すかどうかはまだ決めてません(Seesaaはなにかと使いやすいので、引っ越さないと思いますけど)

アクアリウスのブログ
http://ameblo.jp/aquarius-uyotoubatsu/
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:45 | Comment(2) | TrackBack(0) | 備忘録・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月04日

マレーシア関連のブログに投稿。その返答報告

1ヶ月ほど前になりますが、マレーシア関連のブログにも投稿致しました。その中できちんと返答きたものは1つのブログだけですが、非常にこれまたうれしい成果が得られました。

Dari Borneo
http://blogs.yahoo.co.jp/raenterkkというブログですが。
☆リマウマニスマドゥ☆(南国フルーツ)
http://blogs.yahoo.co.jp/raenterkk/3973006.htmlという記事があり、その記事に投稿を致しました。
リマウマニスマドゥという果物の別名が日本軍の占領時代の蛮行に由来するというエピソードが書かれています。抜粋させていただきますと、
そうそう、この果物の又の名、『ジャパニーズヘッド』という。
この果物、聞いた話によると、戦時中、日本軍がボルネオ島にいた頃、
原住民や華人を捕らえて、働かせたりしていた。
華人たちは日本軍人には逆らえないため、悔しくてこのリマウマニスマドゥを
日本人の頭と思って(ちょうど、人間の頭と同じくらいの大きさなので)、
棒で叩いたり、割ったりして、紛らわせていたそうだ・・・・
日本軍は、戦時中ボルネオ島でも、いろいろ残酷なことをしていたらしく、

(アジアに行くとこんな話しはたくさん聞くが・・・)
いろいろな話が地元の人たちの間では、伝えられているようだ。

(私は、日本人なので直接はそんな話をあまり聞かされないが、まだまだ、日本軍にまつわる話はあるよう。)

ようやく、大日本帝国・日本軍の加害に関するエピソードがでてきました。直接の加害を受けた被害者や犠牲者や、戦争犯罪・蛮行に関するものではないのですが。
それではブログ主とのやりとりを紹介したいと思います。
その前に興味深い、私以外の人とブログ主のやりとりがありますので紹介しておきます。

・こっこさんのその記事に対する投稿
大きなフルーツ!
酸味がないとは想像できませんよね…
南国のフルーツは形も味もいろいろあって面白そうですね♪

戦争の話…日本って戦争教育をさらっとしかしないじゃない?

事実として何があったかきちんと伝えるべきだと思うのだけど…
一歩国外へ出たら恥ずかしい思いをするのは
きちんと自国の歴史を学んでない私たちだものね。

それにしても…

ベビーあやかちゃんとっても可愛い♪
真っ白いマシュマロみたい♪

・ブログ主の返答
私は、第二次世界大戦ころのことは、学校ではあまり教わった覚えがありません。
日本史は大好きで、よく勉強しましたが、教科書の後ろのほうに行くほど内容が薄く、戦時中のことは調べようと思っても
隠されていて、勉強できませんでした。
戦争教育は、もっとされるべきですね。
今の教科書は少しは変わったのでしょうか?
タイを回っていたとき、オーストラリア人にいろいろ聞かされて、
英語に本とかも貸してもらいました。その時はショックでどう反応したらいいかわかりませんでした。

あゆかは、将来中華系の学校に入れるつもりなので、
かなり詳しく戦争のことを、華人の立場から勉強すると思います。
母親の国がしてきたことをどのように受け止めるでしょうか。

ベビーあゆか、可愛いですか?


あゆかもこんなふわふわした赤ちゃんの時期があったんですよね。
子供は本当にすぐ大きくなってしまいますね。
この活動を続けてきて、ようやく心が洗われるような気分を味わえました。こっこさんの指摘は最もだし、それを受けてのブログ主の心がけは非常に立派です。
この後に私も投稿します。

・私の投稿
はじめまして。大変興味深い話ですね。その柑橘類のジャパンヘッドという名の由来が日本軍占領時代の恨み辛みをぶつけていたことに由来するとか、書籍や資料ではなかなか知ることのできないことだと感じました。過去の歴史に関心をもち調べております。

私自身、アジアへ旅行しようと思っているのですがなかなか機会が取れません。

日本軍占領時代を体験された老人(高齢者)の方から日本軍や日本軍占領時代について直に話を聞かれたことはございますか?こういう又聞きではなく、実際に体験された方の口から直接語られる歴史に特に関心があります。今後、そういう機会があれば記事にしていただければ幸いです。
・ブログ主の返答
アクアリウス様
はじめまして!

ご訪問、コメントどうもありがとうございます。
そうですね。日本軍占領時のこのような話は、日本でなかなか聞くことができませんよね。
私も、こちらで暮らして10年になりますが、高齢者の方から直接
話をじっくり話をお聞きしたことはございませんが、
知り合いで、日本軍占領時代の話を知っている方や、日本軍歌を
覚えていて、今でもはっきりと歌える人は知っています。

普段はそんな話はしませんが、インタヴューみたいな形で
お話を聞かせてくださる方は、探してお願いしてみたら
見つかるとは思います。

戦時中の体験談は、語り継がれていくべきですし
私たち日本人はもっと知っておくべきでしょうね。

もしまたそのような話を聞く機会がございましたら、
記事にいたしますね。
当然のことならが、積極的な返答を得られました。すばらしく良識的な方だと思いました。大変ありがとうございました。私自身はそういうお話を聞いて記事にされることを期待して待っています。
本来なら、私自身も東南アジアにでかけていって、動きたいのですが、なかなかそうも行きません。だからといって、何もしないわけにはいきません。こういう地道な活動を通じて、大日本帝国・日本軍の加害歴史の一端を掘り起こし、明らかにしていくことをできるようにこういう草の根の活動を頑張っていく次第です。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 21:59 | Comment(4) | TrackBack(0) | 私の活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

インドネシア関連のブログへアプローチに対する返答報告

だいぶ前になりますが、きちんと報告を行いたいと思います。GW中も忙しく、久々に長くまじめなエントリーを書いたことによって、こちらのほうはサボっています。これからの残りの時間を草の根の交流に費やしたいですが、その前に1ヶ月ほど前におこなった投稿に対して具体的に成果のでた返答に関して報告をいきたいと思います。

バリの素(もと)〜バリ島東部のチャンディダサより
http://blog.goo.ne.jp/baliclub 
・私の投稿  バリ島における日本軍占領時代について
はじめまして。日本の過去の歴史に関心をもち、アジアにおける日本軍の占領時代について調べています。書籍や資料ではなく、生の人間から語られる歴史について関心があります。ところで2枚目の写真におばあさんが写っていますが、年は何歳ぐらいでしょうか?日本軍占領時代を経験されているのでしょうか?バリ島でホームステイされているということですが、日本軍の占領時代を経験した方から日本軍や日本軍占領時代のことについて直接お話を聞いたことはございますか?バリ島(インドネシア)を日本軍が占領したという歴史について関心をもっていただければ幸いだと思います。

・ブログ主からの返答
アクアリウスさん
はじめまして。書き込みありがとうございます。写真に写っている方はおばあさんと言っても50代ぐらいの方だと思います。バリの田舎に住んでいる方は日本人とは違って普段から着飾ってお化粧しているわけでは無いので年齢より老けて見える方がいます。ホームステイ先では日本軍の占領についての話は聞いたことはありませんが、たまに日本語で話しからけてくるおじいちゃんに会うことはあります。戦時中に学校で日本の体操(ラジオ体操的なもの)を教わったり君が代、、、など日本の民謡を教わったりしたという話は聞きます。意味は分からないけど子供のときの記憶としてきちんと覚えているみたいです。
・私の投稿
今後、もしホームステイを続ける中で、日本軍占領時代を知るおじいさんなどに会う機会があれば、詳しくお話を聞いて頂ければと思います。不躾な質問ですが、丁寧なご返答を頂きありがとうございました。今後、バリ島などに行く機会があればよろしくお願い致します。
・私の再度の投稿
度々、すいません。聞きそびれたのですが、そのおじいさんなどから日本軍占領時代に関する感情などは何か感じられたのでしょうか?日本軍占領時代への恨み辛みとかが多かったのでしょうか?また、他のアジア地域と同じように、バリ島には日本軍占領時代に起因するような反日感情はホームステイをしている実感と
してはございますか?
・ブログ主の返答

アクアリウスさん
再度 ブログへの書き込みありがとうございます。私はバリ島に来て2年足らずですが反日感情抱いていると感じたり、直
接そのような話をぶつけられたり、差別を受けるようなことは今までありませんでした。
ホームステイ先の家族も独立戦争の際にバリに残っていた日本兵がたくさん参戦してることを知っていたりします。
その人その人にとって感情は違うと思いますが私がお会いしたおじいさんも嬉しそうに日本の歌を歌っていました。戦争でよい思いをした人はいないと思います。ですが、日本人を恨んでいる方だったら私に対して日本の歌を歌ったりはしなかったと思います。
先ほども言いましたがその人にその人で違う感情を抱いてると思いますので一概に私からはっきりとお伝えできません。
お役に立てたでしょうか、、、。
ということで、これもまた期待外れでした。
長くなりますので、以後は続きを読むをクリックしてください。

 続きを読む
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 21:19 | Comment(4) | TrackBack(0) | 私の活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

"蟻の兵隊 日本兵2600人 山西省残留の真相 池谷薫著 新潮社"を読みました

たまたまBook offに立ち寄ったとき見かけたて買ったものですが、"蟻の兵隊 日本兵2600人 山西省残留の真相 池谷薫著 新潮社"を読了しました。
GW中に読んでいました。いろいろ出かけることもあり、ようやく書いてエントリーします。
著者が制作の指揮をとった"蟻の兵隊"という映画はまだ見ていませんが。

本書を読み終わった感じを一言で言うなら「がっかり」というところでしょうか。

中国初「慰安婦」被害調査 敗戦後も慰安婦制度持続
http://j.people.com.cn/2007/07/03/jp20070703_73134.html
  中国初の「慰安婦」被害事実調査報告が2日、公表された。旧日本軍が廟宇を慰安所として接収した事実や、山西省では少なくとも日本敗戦後の1947年まで慰安所が存続していた事実が明らかになった。「京華時報」が伝えた。
 中国元「慰安婦」被害事実調査委員会は昨年9月に調査に着手、今年3月に第1次調査を終えた。同委員会は、現在も山西省の4県に16人、海南省のある県に1人の生存者がいることを確認した。17人の被害者は旧日本軍の手で兵営内、あるいは兵営付近の建物に連行され、性的な蹂躙を受け続けた。最年少は当時12歳、最年長は21歳だった。
  調査によると、旧日本軍は民間の会館、民家、仮設建築などに慰安所を設置し、雲南省騰沖県では廟宇まで接収。日本の敗戦後もなお、中国に残留した日本軍が従軍「慰安婦」制度を維持していたことも明らかとなった。1945年の日本投降後、一部の残留日本軍は閻錫山の国民党軍地方部隊に編入されたが、独立編成を維持。このうち「保安第6大隊」は、山西省太原に慰安所を設置したことを、残留日本兵に日本語で告知していた。この調査結果は、日本軍が設立した、女性を迫害対象とする「慰安婦」制度が、少なくとも1947年以降まで一貫して続いていたことを実証するものである。

  調査に参加した康健弁護士は「これは慰安婦の被害事実を系統的に調査した国内初の調査。第1次調査の報告は3回に分けて発表される。今後はさらに大規模な調査がある」と述べた。(編集NA)

 「人民網日本語版」2007年7月3日
という記事では中国側の調査により、日本軍の慰安婦制度が少なくとも山西省において存続していたことが分かっています。敗戦で大日本帝国・日本軍の加害が終わったわけではないのです。

本書を含めて、山西省の残留日本軍の経緯を話します。
戦中より北支那派遣軍第一軍と親日派とされる閻錫山の間で、"対伯工作"という名で接触・工作が続けられた。日本軍側では中央の国民党軍や八路軍と違い、戦意の乏しい山西軍の帰順を狙ったものだった。
昭和17年5月、当時の第一軍司令官岩松義雄中将はあわよくば閻錫山を華北一帯の親日政権のトップに据え、思いのままに操ろうと交渉を持ちかけた。しかもその条件が破格のもので、日本軍が支配する地区に閻錫山の山西軍の兵営を準備し、兵器や金まで用意するというものだったという。交渉こそ実らなかったが、閻錫山と第一軍の関係を緊密にし、戦後の組織的な山西省における日本軍残留の下地となったというわけです。

本書においては、山西省に残留させられた将兵たちは被害者で、残留を画策した閻錫山および閻錫山に擦り寄って、日本軍の残留計画の思惑に載ったが第一軍の幹部が悪いだけということしかみえてきません。戦中はもちろん、戦後も通して、日本軍の蛮行や加害に晒された中国の民衆の視点は非常に少ないです。もちろん、残留させられて敗戦後も戦わされ、帰国後も国から酷い仕打ちを受けた残留兵士たちには深く同情をしますが。

本書の戦中の日本軍の加害を記述したものは大変短いものです。
p28より抜粋します。
国共合作の結果、日本軍が戦う相手は重慶に総司令部を置く国民政府軍だったが、蒋介石の国民党は兵力を温存して持久戦に持ち込もうという戦略をとっていた。そのため、実質的に日本軍と闘っていたのは、ほとんどの場合が八路軍だった。
八路軍は徹底したゲリラ戦法で日本軍と対峙した。毛沢東の唱える「遊撃戦論」なるものが実践されたのだ。
(略)
 こうして攻め込むと忽然と姿を消してしまう八路軍だったが、時には大規模な兵団を組織し巧みな戦術で大反撃してくることがあった。
 なかでも昭和15年8月20日にはじまった「百団大戦」では、約100個団、40万人を動員して一斉蜂起した。これによる日本軍の戦死者は約2万人にのぼり、合計470キロに及び鉄道が寸断され、1500キロの道路と200を超える橋が破壊された。
 大損害を蒙った日本軍は、すぐに報復の手段に打ってでた。治安を回復するために第一軍がとった行動は徹底していた。八路軍が支配する地域に入ると、兵士でなくとも疑わしき者は殺し、食糧を奪い、女を犯して、家を焼いた。これが悪名高い「三光作戦」である。三光とは、「殺光」(殺し尽くす)、「略光」(奪い尽くす)、「焼光」(焼き尽くす)を指す。日本軍はこれを「塵滅作戦」と呼んだ。
 思うに、日中戦争はベトナム戦争のようなものだったのではないか。ゲリラ戦を仕掛けてくる敵はどこにいるのか分からない。正面きっての戦闘はあまりないのだが、ある日、行軍の最中にパーンと音がしたかと思うと戦友の1人が死んでいく。
 見えない恐怖に、いつ終わるやも知れない持久戦のいらだちが重なり、兵士たちは激しく消耗していった。ましてや、満期除隊となるはずが自動的に兵役を延長させられた古年兵が多く、長い軍隊生活のなかでいつの間にか人間の理性は剥脱されていった。
といった具合です。戦中の日本軍の加害に触れた部分はかなり少ない記述です。ゲリラ戦と長い軍隊生活で兵士たちの理性が剥脱されていった部分はあるのは確かでしょうが、それ以上に日本軍では生きた朝鮮人や中国人の農民や捕虜らを使って、銃剣で刺し殺す「刺突訓練」が行われ、日頃から新兵の頃から人間としての感情や理性を奪う軍隊教育が行われてきたです。ベトナム戦争を例に出しているが、ベトナム戦争に限らず、アフガンやイラクにおける米軍においても、他の如何なる戦争の事例においても、戦争犯罪はなかったわけではないが、当時の日中戦争における"日本兵"ほど病んで、残虐と野蛮の極地に達した兵士たちはいませんでした。

p36においても、大日本帝国・日本軍の加害についての記述があります。山西省残留の被害者である奥村和一氏の記述がある。
 1945年(昭和20年)8月15日。この日の早朝、第一軍独立混成第三旅団陸軍兵長の奥村和一は、八路軍に対する討伐作戦のため寧武の大隊本部を出発した。空は晴れていたものの、いつものように黄砂が視界をさえぎり、昼なお暗い行軍だった。
 ふと上を見上げると、おそらく農民のものであろう中国人の首が電線に点々と吊るされていた。八路軍に鉄道を爆破された腹いせに、日本軍あたりが農民にスパイの嫌疑をかけて処刑したものだ。
「見せしめか・・・」
 凄惨な光景だ、もはや奥村に何の感受も沸き起こらなかった。討伐に出るたびに見かけるため慣れてしまったからである。入営してから10ヶ月、すでに奥村は、人間を一個の物体としてみなして処理する”一人前”の兵士になっていた。
 歩きながら奥村は、半年前に行われた訓練のことを思い出していた。うしろ手に縛られた中国人を銃剣で刺し殺す。上官たちはこれを「肝試し」と呼んでいた。最前線の戦場で躊躇なく敵を殺せるように、中国戦線の日本軍は初年兵の仕上げとして新兵たちにこうした訓練を命じていた。
 最初はあばら骨に当たるばかりでうまくいかなかったのだが、何度目かの時にスーッと心臓に入っていった。
「ああ、俺にも人殺しはできるんだ。これで一人前の兵士になれた」
 今年(2007年)83歳になる奥村は、かつての記憶をこう語った。
という具合です。日本兵たちはこうして人殺しを躊躇なく殺人マシーンに育っていくことが分かる本書の記述でした。戦中の日本軍の加害につながる記述は本書においてはたったのこれだけです。
戦後も山西省の日本軍は閻錫山の山西軍の一部(第一軍では"特務団"、閻錫山の側では当初"鉄道修理工作部隊")として(実態は命令系統も含めて日本軍のまま残っていた)、山西省に駐屯し、八路軍と闘い、戦後も戦争を続行した。
残留日本軍の団長の早坂元大尉の記述が本書にあるが、奥村氏のいた独立第三旅団において、こともあろうに敗戦した次の年、昭和21年2月に、兵団内において戦技武技競技会というのを行っていたのである。山西省において、日本軍は上から下まで命令を下達させる厳格な規律が守られていた。
人民日報の中国側の調査において、山西省において戦後も日本軍の慰安婦制度が戦中のそのままに存続したというのは頷ける話です。

敗戦後も中国では日本軍は戦争を続行した。というのも、国共内戦が勃発し、国民党軍、八路軍、どちらの側の軍隊が敗戦後の日本軍(傀儡軍を含む)の武装解除を行うかが問題となった。国際的な慣習では、降伏部隊の武装解除は、そのとき対峙していた部隊によって行われるが、そうなると日本軍を武装解除するのは戦線の大部分で戦っていた八路軍ということになります。蒋介石の国民党中央軍は奥地に逃げ込んでいた。八路軍よりも先に日本軍を武装解除しようとしても間に合わないので、敗戦後の日本軍に対して、「日本軍は、わが軍が指定した部隊が到着するまで武器をもって治安にあたれ、共匪が攻めてきたら撃退しろ。もし、占領区の一箇所でも共匪に取られたら、日本軍の責任で奪回しろ」という通達を出したのです。
さらには戦後の陸軍司令部の混乱などがあり、「一切の武力行使を停止すべき」という命令が支那派遣軍の緊急措置としての自衛行動を例外として認めたことがあり、拡大解釈されていって、中共軍(八路軍)に対して「断乎鷹懲すべし」という戦争中の積極的な命令となって前線の部隊に伝えられたのです。そうして、厚生省援護局が昭和39年3月1日付で作成した資料「大東亜戦争における地域別兵員及び死没者概数」によれば、昭和20年8月15日の敗戦以降においても、満州を除く中国全土で戦死した日本軍将兵の数は5万人にも達しているという。
それ以上に皆様に想像していただきたいのは、八路軍との戦いにおいて住民が巻き込まれたのはもちろん、日本軍兵士たちの女性への強姦や住民の虐殺といった加害が将兵が5万人死ぬ戦後の戦争においても各地において行われたということです。

本書のp131に
 8月、大原近郊の彭村に駐屯する第三団に出撃命令が下された。目的は、共産党軍が大原東南部の奉陽県一帯に集積している小麦などの食糧の略奪だった。忻県、大同の攻防戦で残留日本軍の戦闘能力を再確認した閻錫山は、敵の攻撃をも待つばかりではなく、こちらからも打ってでることにしたのである。この作戦には第一団、第四団も参加し、全体の指揮は岩田清一参謀が執ることになった。
(中略)
 どこから襲ってくるかわからない緊張感に耐えながら、各団は食糧強奪の任務を果たすため部落の掃討を続けた。
とあります。本書には淡々としか書かれていませんが、その食糧強奪のための部落の掃討中、その残留日本軍の部隊が部落の住民の虐殺や女性への強姦などの犯罪を犯したことは容易に想像できます。残留日本軍は国民党軍(山西軍)の一部隊として行動していますが、この戦後の食糧強奪の作戦時においても、命令系統を含めてそのまま残っており、戦中の中国戦線時の日本軍の冷酷残忍な体質をそのまま受け継いでいることは明白でしょう。"戦後"における国共内戦時の日本軍の加害という側面もそっくり抜け落ちています。

最後に山西省残留日本軍問題について話そうと思います。山西省に残留し、生き残り、中国での服役を終えて残留日本兵らは帰国するのですが、そこに待っていたのは国からの酷い仕打ちでした。映画でも主役として出演されている奥村氏も昭和29年に帰国されているのですが、終戦の翌年の昭和21年3月15日に「現地除隊」として、軍籍抹消になっていました。その間(戦後の内戦で残留日本兵として戦闘していた時期も、中国側の捕虜となって抑留された期間)の軍人恩給は支給されません。それだけではなく、中共帰りとして公安の刑事にマークされて、ろくに就職先も見つけることが出来ないという有様でした。シベリアの抑留者は、日本に帰国するまでの軍籍を認められたのに対して、あまりにも酷い扱いだと私は思います。国はこの問題を取り上げるために国会に設置された委員会の場でも裁判においても、"個人の意思"で残留したものであるという意見を曲げませんでした。
 真相はそうではなく、北支那派遣軍第一軍の澄田司令官が"戦犯"訴追を免れるために、自らの部下である将兵らを閻錫山に売ったのがその事実です。祖国復興、天皇制護持と戦犯を救うという名分までも加えられた軍命が下され、結果として2600人もの兵士が山西省に残留し、4年間も八路軍との戦闘を継続するのです。
 澄田司令官は戦犯を免れるために閻錫山と密約を交わし、残留を画策したこと。残留を命令しておきながら、国共内戦の形成が不利になると、自ら閻錫山の援助を得て、早々と帰国すると言うあるまじき狡いさ、あくどさといい、さらに残留問題の委員会の場で、軍民全員の帰還の方針を徹底したかの真逆の嘘を平然と語る厚顔無恥さには声もでません。日本社会の無責任、嘘、偽り、二枚舌、不正・腐敗に塗れた体質も戦中から戦後、現代と一貫して続いているのだろうなと改めて思います。
 この地点においては、閻錫山と戦犯容疑を逃れるために閻錫山の残留の画策にのった澄田軍司令官ら、第一軍の幹部が悪いという印象しか受けず不十分ですが、本書においてはほんの少しですが、山西省残留の問題はもっと根が深いものだということが言及されています。
 ポツダム宣言に違反する第一軍の山西省残留の動きを、敗戦翌年 21年の3月までに日本政府(第一復員省)に伝えられて、日本政府が知っていることを本書の118〜120頁に記述されています。著者は、単に第一軍の山西省残留が単に第一軍首脳の戦犯逃れといったレベルを超え、「反共」の旗印のもと、大本営や日本政府、占領国アメリカの連合国軍総司令部(GHQ)の一部了解の元に進められたのではないかと著者は言及していますが、本書ではその辺まで深く書かれていません。
 残留させられて戦わされた将兵らにも同情しますが、それ以上に残留したことにより、国共の内戦が長引き、それにより多くの中国の人々が巻き込まれ犠牲になったこと。さらには、日本軍部隊が残留したことにより、慰安所が継続され、そこでもさらに戦後も少なくとも2年間(日中戦争期を含めて10年間)も多くの女性たちに対する監禁レイプが続いたこと。戦中の東洋鬼子の鬼畜体質の残留日本軍部隊が4年間も戦争を継続して行っていく中で、住民への虐殺や加害、そして女性への性暴力といった中国民衆に対する加害が行われ、その被害や犠牲のことを考えると胸が痛くなります。残留日本兵らが戦中に犯した罪、さらには全く触れられていない戦後、国共内戦で山西軍のもと戦争を継続する中で犯した罪についてももっと本書の中で記述されるべきでした。

 この山西省残留問題ひとつをとっても、加害歴史の根が深いことが改めて感じさせられました。敗戦以後も継続しており、薬害エイズや派遣問題のように、日本という国家や社会、大企業などが"人間"をモノのように"使い捨て"にする体質が続いている通り、大日本帝国が終わっても、その大日本帝国の残滓やそれより受け継がれた体質が引き起こす、数々の加害の連鎖はまだ終わっていないのです。こういった加害の連鎖を終わらせ、大日本帝国の残滓を駆逐するためにも、一刻も早い、良識派が一致団結した加害歴史の清算が求められるのだと思います。
何度もいうように、今ある日本社会の問題の根源には、大日本帝国の加害の歴史を断ち切れず、戦後も一貫して継続してきた事実があります。今ある日本社会の諸問題を解決する方法はただひとつ、過去の加害の歴史の徹底した清算しかありません。このことは何度も強調しておきます。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 16:56 | Comment(6) | TrackBack(0) | 書籍などにみる日帝悪および書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月30日

従軍慰安婦問題を記載した「日本の良心的な教科書」が消える−韓国

従軍慰安婦問題を記載した「日本の良心的な教科書」が消える−韓国
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100423-00000036-scn-kr
 歴史の教科書を発行する日本書籍新社が21日、同日の教科書検定申請期限までに文部科学省に申請を行わなかったことが、産経新聞の22日付の報道で明らかとなった。

 この教科書は、中学校社会の歴史教科書では唯一従軍慰安婦問題を取り上げており、平成24年度からは従軍慰安婦問題に関する記述をした教科書が、すべてなくなることとなる。

 韓国のメディアは、日本の慰安婦問題などの恥ずべき歴史を正しく記録した、日本の良心的な教科書が消えると報道。歴史をわい曲した右翼的な教科書が幅をきかす状況で、採択する市町村が激減したことが原因とみられているが、日本の今後に大きな懸念を抱く、と伝えている。

 また、日本書籍新社の中学校歴史教科書について、従軍慰安婦の存在を認め、強制動員された元従軍慰安婦の集団提訴を扱った朝日新聞の写真付き記事を掲載するなど、日本の戦争責任を強調してきたが、日本の「新しい歴史教科書をつくる会」などから「自虐的歴史観を土台にしている」と、荒々しい批判を受けてきたと説明。

 さらに、1996年の教科書検定時は、検定を通過した7つの教科書すべてに従軍慰安婦問題が記述されていたが、2002年には3つ、2005年には2つとなり、関連記述が減少する傾向にあると指摘している。これに対し韓国側は、先月の日韓歴史共同研究委員会の2次報告書で「縮小一辺倒」と批判したと伝えている。(編集担当:李信恵・山口幸治)
これもまた危機的なニュース。私は何度も強調しているが、過去の加害の大日本帝国の歴史の清算をなくして日本の再生は成し得ない。過去の歴史の清算の過程の一部として、大日本帝国時代、過去に我が国が行った加害・戦争犯罪、侵略行為を余すことなく、子孫代々伝え、世代を超えて受け継いでいく義務がある。それの初歩的なものが歴史教育だが、それが民主党政権下でも着々と骨抜きが進むもんどだ。まして、"従軍慰安婦"はその加害歴史の中でも最たるものだ。日本軍の占領地や植民地の女性に対する性暴力や性加害がいくつもの加害、戦争犯罪の中でも最たるものであることは言うまでもない。肉体的にはもちろん、心に深い傷を受け、死ぬまで生涯にわたり誰にもいえず苦しめられている無数の被害女性らがいたし、現在でも少数ながらそういう生存被害女性の方々がいる。そういうことを考えれば、このような加害の歴史清算の退行の動きを断じて許すわけには行かないだろう。くだらない政治のお芝居を繰り広げている場合があるなら、こういう問題への対処が真っ先に急がれるべきである。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:49 | Comment(19) | TrackBack(1) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

外国人差別を煽る酷い記事:子ども手当 554人分申請、「孤児と養子縁組」兵庫・尼崎市不受理

いろいろと忙しいわけです。
会社や私のサークル仲間でも子ども手当の話題で、韓国人が500人もの孤児と養子縁組して子ども手当を騙し取ろうとしたことが話題になっていました。大分日にちもたちましたが、この機会にここでも取り上げることにしました。
産経新聞は取り上げて外国人・韓国人への憎悪や差別、ナショナリズムを扇動する材料としてくることは予想していましたが、まさか毎日新聞などの一般新聞や普通のメディアが取り上げるとは思っていませんでした。

毎日新聞より記事をあげておきます。

子ども手当:554人分申請 韓国人男性「孤児と養子縁組」 兵庫・尼崎市不受理
http://mainichi.jp/life/kawaru2010/news/20100424ddm041010005000c.html

 兵庫県尼崎市に住む50歳代とみられる韓国人男性が、養子縁組したという554人分の子ども手当約8600万円(年間)の申請をするため、同市の窓口を訪れていたことが分かった。市から照会を受けた厚生労働省は「支給対象にならない」と判断し、市は受け付けなかった。インターネット上では大量の子ども手当を申請した例が書き込まれているが、いずれも架空とみられ、同省が数百人単位の一斉申請を確認したのは初めて。【鈴木直】

 尼崎市こども家庭支援課の担当者によると、男性は22日昼前に窓口を訪れた。妻の母国・タイにある修道院と孤児院の子どもと養子縁組をしていると説明し、タイ政府が発行したという証明書を持参した。証明書は十数ページに及び、子どもの名前や出生地、生年月日などが1人につき1行ずつ書かれていた。担当者が「養子はどの子ですか」と聞くと「全員です」と答え、男女で計554人と説明したという。

 男性には実子が1人いる。子ども手当は月額1人につき1万3000円(10年度)で、計555人分が認められれば、年間8658万円の手当が支給されるが、厚労省子ども手当管理室は「支給はあり得ない」と言う。

 今回のようなケースについては、国会審議で野党から問題点として指摘されていた。手当の支給要件は(1)親など養育者が日本国内に居住している(2)子どもを保護・監督し、生活費などを賄っている−−の2点だけ。母国に子どもを残してきた外国人にも支給されるうえ、人数制限もなく、機械的な線引きが難しいためだ。こうした盲点を突かれ、ネット上では「100人を養子縁組しても手当はもらえる」といった書き込みや批判が絶えない。同省は今月6日、ホームページに「50人の孤児と養子縁組をした外国人には支給しない」と記したものの、根拠は「社会通念」とあいまいだ。何人以上なら不支給という明確な基準はなく、同様の申請が各地で続発しかねない状況となっている。

 尼崎市の男性は、子どもへの送金証明や面会を裏付けるパスポートのコピーなど外国人に求められる書類をそろえており、事前に調べてきた様子がうかがえた。市の担当者は「可能ならもらおうという意欲を感じた」と話している。

毎日新聞だけではなく、朝日新聞および各地方紙や一般の民放、ワイドショーなんかでも取り上げられているようです。結果として不受理になったわけで、こういうくだらないニュースを取り上げ、記事になる意味が私には分かりません。まして、国籍まで、そして外国人であることまで取り上げる必要性はどこにあるのでしょうか?
私にはこういう一連の韓国人子ども手当記事・報道の背景には反外国人のレイシスト勢力および追い詰められた大日本帝国残滓系(旧自民)などが復権を目論見、外国人ないし韓国人(韓国との間には歴史問題があり、ナショナリズムを煽りやすい)に対する敵愾や憎悪を扇動し、国民1人1人の潜在的意識にでも植えつけようとの意図が感じられます。

2010年04月22日

皆様の投稿をお待ちしています。(BlogPet)

右翼討伐人の「皆様の投稿をお待ちしています。」のまねしてかいてみるね

皆様のメールアドレスuyotoubatsunin@yahoo.jpに参加しました。
ところで4/news

*このエントリは、ブログペットの「右翼討伐犬」が書きました。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 07:37 | Comment(2) | TrackBack(0) | BlogPet用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月11日

いくつかのインドネシア関連のブログに投稿したやつの返答報告

いろいろと過去に我が国が侵略し占領したアジア・太平洋地域に在住の方のブログへ投稿するという活動を行っているのですが、一応の返答成果が得られたものの活動報告をします。

地球にマングローブを!! FROM インドネシア
http://blogs.yahoo.co.jp/ayo_menanam_bakauより
●私の投稿
すばらしいですね。実際に植林されているということですが、そもそも森林破壊が行われなければ植林する必要性もないわけです。森林破壊の一員に日本が関わってますよね。そもそも、アジアに対して高圧的態度を取り、経済侵略し、そういう森林破壊を含める影には、日本軍による過去の占領という側面があります。私は過去の日本について関心をもっています。書籍や資料によって綴られるものではなく、生きた人間によって語られる歴史についてに関心をもってます。
インドネシアにおいて植林を行われる中で、村々を訪れ、日本軍の占領時代を生きた高齢者の方々からお話を聞く機会はなかったのでしょうか?あれば詳しく教えていただければ幸いです。

●ブログ主の方からの返答
コメントありがとうございます。

確かに、インドネシアと日本の関係は切っても切り離せないものです。
インドネシアの自然破壊に関しては、特にですね。
私たちがインドネシアで植林事業を始めた大きな理由のひとつにそのことがあります。
インドネシアに対して、何か恩返しができればと思っております。
そんななか、インドネシア中どこに行っても、日本人である私たちを温かく迎えてくれるインドネシアの人々。

BBCの発表では、インドネシア人の85%は親日だそうです。
ありがたいことです。

インドネシア現地の村々で、直接戦時中の体験を味わった方とお会いできる機会はほとんどありません。
もうかなりのお年を召されていますので。

しかし、知人の林英一さんという方は、戦時中のインドネシアの様子を研究しています。
彼は慶應義塾大学院生で、インドネシアに滞在し、インドネシアに残留した日本兵の生き残りの人たちに話を聞き、本を出版しています。
「残留日本兵の真実 インドネシア独立戦争を戦った男たちの記録」というタイトルです。
彼の話では、当時の戦争を体験した生き残りの方々は、もう数名しかおられないそうです。
その数名の方々を訪ね歩き、話を聞いて、記録しているので、かなり詳しく書かれていると思います。
もし興味を持たれましたら、ご覧になられるのもいいかもしれません。
●私の再度返答
戦時中の体験を味わった方とほとんどお会いできる機会がないとしても、今後万が一でも直接戦時中の体験を味わった方に会いし、お話を聞く機会があれば、そのことを記事にしてください。過去の歴史のついでに、昔の環境や生態系がどうであったかをお聞きすることができれば、植林事業を進める上での助けとなる情報も得られるかもしれません。今後とも植林事業等を頑張って行って下さい。不躾なコメント失礼しました。不躾なコメントに丁寧な返答を頂きましてありがとうございました。今後のご健闘をお祈りいたします。


●ブログ主の再度返答

アクアリウスさん>

戦時中を体験された方とお会いできる機会があれば、ぜひお話を聞いてみたいと思います。
もちろんお会いする機会があったときには、このブログ上で記事を書かせて頂きます!
植林活動への応援ありがとうございます。
不躾なんてとんでもありません。大歓迎です。
一年の内、日本にいる時間よりインドネシアにいる時間のほうがかなあり長いので、色々な意見をもらえると考えが偏らずにすみます。
これからもよろしくお願いいたします。


ということで、前向きな回答が得られました。もし、戦争中を体験された方とお会いする機会があればお話を聞いて記事にしていただけるようなので楽しみにしています。
長くなるので続きを読むをクリックしてください続きを読む
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 18:54 | Comment(4) | TrackBack(0) | 私の活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロンボク島における日本軍について調べてみました、インドネシア人には過去の被害については必要以上に追及しない深慮深い国民性があるよう

ママハナのロンボク日記に投稿し、ママハナさんからの返答を報告した次第ですが、私のほうでも少し調べてみました。

ロンボク島で描く、飯塚正彦
http://blogs.yahoo.co.jp/anjinlaut1967

というブログがあるのですが、
そこにも日本軍占領時代について見聞きした記事がありました。

5月21日
http://blogs.yahoo.co.jp/anjinlaut1967/6400210.html
左は義理の父アヤグシ、右は妻のサリイ。本当はアヤグシはもう少し怖い顔をしているように思う。変わり者で無骨なところがあるが、正直な人で、ここの人にしては珍しく金銭にきれいである。履物を使っているのを見たことがなく、当然ものすごい足の裏をしている。

アヤグシは日本帝国が侵略してきたころは既に十代の若者になっていたそうで「ちょっとのことですぐ人のことを殴る連中だった。」と教えてくれた。しかし同時に「まったく俺等は馬鹿で何にもできないままでいた。教え方はとにかく、俺達に仕事の仕方というものを教えてくれたのは日本人だ。」とも言う。

ここは土地柄、親族でなくとも近所であれば冠婚葬祭にはまめに顔を出さなければならない。特に葬式のほうは重要なようだ。ある葬式のときいきなり日本語で「自分は青年団にいました。」と話しかけてきた老人がいる。話を聞くとその昔、日本軍のもとで働いていたという。「ウエマツフジロウという名前ももらった。」よく仕事をしてくれたということでもらったのだと思う。きりりとした顔の老人だった。

日本帝国は無理な戦で惨敗したわけで「この人も手伝わされて、もらったものは何の役にも立たない名前だけか、申し訳ないなあ。」とひとりごちていたら、「お陰で我々は独立できた。あれが来なかったら、独立など到底無理だったろう。」というようなことを言ってくれて嬉しかった。

怪我の功名というやつだが、ここの人達がおおむね日本帝国時代の占領について悪く言わないのは有難く感じている。

町のパンク修理屋は、「イスラムの泥棒を豚にくくりつけて引き回したりしていたが、治安はかえってよくなった。敗戦後中華の人にかくまってもらって中華のふりをしてそのまま居ついた人もいたよ。」と教えてくれた。

さてその履物を使わないアヤグシだが、仕事を教えた教師がこんな教師なので子供のしつけが厳しいというか、理不尽なところがあるようで、妻からこんな話をきいたことがある。

とある日水辺に生える自生の野菜をアヤグシと二人で採りに行ったとき、ぬかるんでまごまごしていたら、「こんなもん使ってるから滑るんだ。」と怒鳴られて、彼女のサンダルを取り上げると遠くに放り投げて捨ててしまった。

ある朝、妹と二人寝坊したら、姉が起こしてくれて泣きながら二人を打った、そうしないとアヤグシがもっとひどく叱るのがわかっていたからだと妻は言う。

などなどである。
どうやら、インドネシア人は日本軍占領時代で酷いことをされたにせよ、一般的には日本人に対して悪いことを言わない深慮深い国民性らしい。インドネシアは日本軍に、中国やフィリピンに次いで、酷い目に合わせれた。強制労働、農作物の搾取と飢餓、暴行、慰安婦などの陵辱の数々などを強いられたのだが、怪我の功名とはいえ、独立できたことを評価するようなこういう国民性もあるのだろうか。しかし、そんなのは右傾化が進み、過去を反省せず、過去を忘却する国民性の日本国家にとって「百害あって一利なし」である、そういう無用な配慮こそ、日本国家や社会に対してはとんだ阿片以外の何者でもない。一時凌ぎであり、人類史上かつてないほどの地獄絵図をアジアにもたらしたことはご存知であろう。自らの甚大に積み重ねれれた加害の歴史に正面から向き合い、清算に取り組まない限りは日本社会は大日本帝国の残滓の飲まれ滅びるだろう。インドネシア人が配慮といってかつての加害国を追及しまいとやっていることは、日本のためにはなっておらず、、結果として日本を亡国への道に突き落としているのである。
そのことをインドネシアをはじめとするアジア・太平洋諸国の人々にはわかって欲しいと思う。
手加減なく、過去の加害の歴史を追及し、清算に取り組むように、日本を扱いてやって欲しいと思う。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 18:20 | Comment(8) | TrackBack(0) | 私の活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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