消滅の危機に瀕するマクア語― 最後の話し手3人とのインタビュー ―
http://www.geocities.jp/hkbtls/hakerek/Hakerek13/makua_japan.htm
2.3人とのインタビュー
(1)老婦人1:フェニシダーデ・コレイアさん。推定年齢およそ80歳。近親結婚で脱色しておられ一見したところ豪州人のような白人に見える。
子ども:息子1人。キクオラ(マクア語)=ツツアラ(ファタルク語)で生きている。少しマクア語が話せる
(2)老人男性1 アルフレド・ドス・サントスさん。推定年齢80歳以上。日本軍が侵略してきた時まだ結婚しておられなかったが「老婦人1」よりも年上であるという。
子ども:3人。2人の息子はファリンティルの英雄。森でインドネシア軍に殺された。1人の娘は生きているがマクア語は話せない。
(3)老婦人2 ラウリンダ・ダ・コスタさん。日本軍侵略時未婚だったがすでに大人になっていた。推定年齢およそ80歳。
子ども:5人。娘2人 --- 1人は東ティモール 1人はインドネシアに居る。でも2人ともマクア語は話せない。息子3人 --- 2人はインドネシア軍に殺された。1人は生存している(4)「なぜ子どもたちはマクア語を話せないか?」
老婦人2の答え。困難な情勢でマクア語を学べなかった。ポルトガルの殖民統治時代には学校の教師は学校でポルトガル語とファタルク語を使用。ポルトガル殖民統治者はポルトガル語のみの使用を望んだ。マクア語を尊重しなかった。子孫がマクア語を話せないのは、ポルトガル植民地主義の帰結だ。
(5)基本的なマクア語
数の数え方や挨拶を3人に発音していただき録音録画した挨拶の例証。
こんにちは ケンナ カチ アカさようなら ラハ
有難う ブラハ(6)このインタビューに対する3人の印象
良かった。なぜなら、消え行く言語を保存するためということを理解しているから。
3.今後の課題―言語学者の責任と日本政府の責任
(1)急ぐべき言語学的調査
消え行く言語マクア語を話せる3人の老人はいずれも推定年齢80歳以上で、いまだ元気ではあったが、語学的調査をおこなうなら早急におこなうべき段階であることは明らかである。言語学者のご協力を要請する。
(2)日本政府の戦争責任
同時に第二次大戦中の日本軍による東ティモール侵略に対する調査と賠償を急がなければ、調査し、謝罪し、損害賠償する機会を失う恐れがある。彼らが生きているうちに日本政府の責任ある対応がぜひ必要である。
特にマクア語を話せる最後の老人アルフレド・ドス・サントスさんに対し日本政府は早急に面会し日本軍の与えた損害(見張りとしての労働対価)を調査し謝罪し損害賠償を行うとともに、マクア語民衆の家畜の殺害と食料化による日本軍の略奪の実態調査を行い、謝罪・損害賠償をおこなわねばならない。
このことは東ティモール全体に対する日本政府の実態調査・謝罪・損害賠償の基本方針の確立が問われていることを意味する。しかし基本方針確立の議論の開始と平行して、3老人への実態調査を開始しなければ、誠意あるマクア語を話す3老人への対応の時間を失うのである。
日本人の倫理の根本が試されている。一応、ここまでHPの内容を転載しました。大日本帝国・日本軍の加害歴史というのは奥深く、そしてとてつもなく罪深い。日本軍が深い理由もなくアジア・太平洋諸国に攻め込み、占領し、惨たらしい酷政を強いて、占領地の民衆を虐げた、大日本帝国・日本軍の加害がマクマ語という少数言語を滅ぼそうとしている。こういう細かい事例はまだ研究されてないだけで、大日本帝国・日本軍が植民地支配したり、占領したりした広大なアジア・太平洋地域には陽の目が当たることがなく、埋もれているに違いない。こういうときこそ、海外の旅行者や在住者が現地の大日本帝国・日本軍の占領時代の古老から話を伝えたり、自発的に集め回ったりするそういう草の根の歴史研究が重要となってくるとつくづく感じる。大日本帝国・日本軍の残っている戦史叢書といった公文書、戦記、今いる日本軍兵士の話やメディアの輪から外れ、陽の目が当たることなく埋もれた加害歴史の事実を掘り起こす上で不可欠なものであり、今後もこういう活動を日々の仕事の忙しさに負けることなく続けていなければならないとつくづく感じます。