もう1つ、証言、生体解剖 旧日本軍の戦争犯罪 同文舘 という本を手に入れました。まだ読み始めたばかりですが。書評を書けるかどうかは分かりませんが。非常に残酷な日本軍の生体実験の実態が伺えます。1人の兵士の人間性をマヒさせ、そういう殺人や平気で拷問紛いの人体実験をして楽しむようなことさえ、習い性としてしまう人類史上例のない悪辣を極めた軍隊が日本軍であり、そういう体制が大日本帝国天皇ファシスト体制だと言えます。
以上というところですかね。
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安倍普三にNo!AbENDキャンペーンを始めました。安倍ファシストドブネズミが首相になったら、日本は終わり。今からでも遅くないから草の根の良識派の力で断固安倍ファシスト政権を阻止しよう!!!
(バナーについては雑談日記より拝借しました)伯父さんは11歳の時に日本軍の学校教育を受けた事があり、何度か日本に行ったことがあるようで、日本の童謡や日本文化に詳しい一面を見せていました。伯母さん夫婦のお家は家もお庭もとっても素敵で、鯉を沢山飼っていて、緊張したけど、なかなか楽しい週末でした(‐^▽^‐)というのが検索中に目についたからです。
1 ■マレーシアの日本軍占領時代について
はじめまして。突然のコメントすいません。過去の歴史に関心をもち、調べているものです。書籍や資料ではなく、1人の人間から語られる歴史に関心があります。
主人は中国系マレーシア人の方で、その結婚式にでている主人の伯父さんは日本軍占領時代の体験者ということですが、他に日本軍や日本軍占領時代についてお話を聞いたことはありませんか?伯母さんは日本軍占領時代の体験者でしょうか?主人やその両親との間で日本軍占領時代の歴史について話したことはありませんか?日本軍占領時代については恨み辛みといった話が多いのでしょうか?他に日本軍占領時代の体験者から日本軍やその占領時代について直にお話を聞いたことはございますでしょうか?
2 ■Re:マレーシアの日本軍占領時代について>アクアリウスさん
夫の伯父さんは70代ですが・・・ごめんなさい、あまり親しく話す程回数会っていないので、私ではお答えできることがないようです。
日本人の兵隊さんに「万歳」という言葉を習ったり、赤とんぼという曲を習ったとは言っていましたが・・・詳しいことはよく分かりません。
お役に立てず、申し訳ありません。
3 ■返答ありがとうございましたそうですか。また、是非過去の歴史について関心をもち、伯父さんに会う機会がございましたら、詳しく話を聞いてください。返答ありがとうございました。
そうそう、この果物の又の名、『ジャパニーズヘッド』という。
この果物、聞いた話によると、戦時中、日本軍がボルネオ島にいた頃、
原住民や華人を捕らえて、働かせたりしていた。
華人たちは日本軍人には逆らえないため、悔しくてこのリマウマニスマドゥを
日本人の頭と思って(ちょうど、人間の頭と同じくらいの大きさなので)、
棒で叩いたり、割ったりして、紛らわせていたそうだ・・・・
日本軍は、戦時中ボルネオ島でも、いろいろ残酷なことをしていたらしく、
(アジアに行くとこんな話しはたくさん聞くが・・・)
いろいろな話が地元の人たちの間では、伝えられているようだ。
(私は、日本人なので直接はそんな話をあまり聞かされないが、まだまだ、日本軍にまつわる話はあるよう。)
大きなフルーツ!
酸味がないとは想像できませんよね…
南国のフルーツは形も味もいろいろあって面白そうですね♪
戦争の話…日本って戦争教育をさらっとしかしないじゃない?
事実として何があったかきちんと伝えるべきだと思うのだけど…
一歩国外へ出たら恥ずかしい思いをするのは
きちんと自国の歴史を学んでない私たちだものね。
それにしても…
ベビーあやかちゃんとっても可愛い♪
真っ白いマシュマロみたい♪
私は、第二次世界大戦ころのことは、学校ではあまり教わった覚えがありません。この活動を続けてきて、ようやく心が洗われるような気分を味わえました。こっこさんの指摘は最もだし、それを受けてのブログ主の心がけは非常に立派です。
日本史は大好きで、よく勉強しましたが、教科書の後ろのほうに行くほど内容が薄く、戦時中のことは調べようと思っても
隠されていて、勉強できませんでした。
戦争教育は、もっとされるべきですね。
今の教科書は少しは変わったのでしょうか?
タイを回っていたとき、オーストラリア人にいろいろ聞かされて、
英語に本とかも貸してもらいました。その時はショックでどう反応したらいいかわかりませんでした。
あゆかは、将来中華系の学校に入れるつもりなので、
かなり詳しく戦争のことを、華人の立場から勉強すると思います。
母親の国がしてきたことをどのように受け止めるでしょうか。
ベビーあゆか、可愛いですか?
あゆかもこんなふわふわした赤ちゃんの時期があったんですよね。
子供は本当にすぐ大きくなってしまいますね。
はじめまして。大変興味深い話ですね。その柑橘類のジャパンヘッドという名の由来が日本軍占領時代の恨み辛みをぶつけていたことに由来するとか、書籍や資料ではなかなか知ることのできないことだと感じました。過去の歴史に関心をもち調べております。・ブログ主の返答
私自身、アジアへ旅行しようと思っているのですがなかなか機会が取れません。
日本軍占領時代を体験された老人(高齢者)の方から日本軍や日本軍占領時代について直に話を聞かれたことはございますか?こういう又聞きではなく、実際に体験された方の口から直接語られる歴史に特に関心があります。今後、そういう機会があれば記事にしていただければ幸いです。
アクアリウス様当然のことならが、積極的な返答を得られました。すばらしく良識的な方だと思いました。大変ありがとうございました。私自身はそういうお話を聞いて記事にされることを期待して待っています。
はじめまして!
ご訪問、コメントどうもありがとうございます。
そうですね。日本軍占領時のこのような話は、日本でなかなか聞くことができませんよね。
私も、こちらで暮らして10年になりますが、高齢者の方から直接
話をじっくり話をお聞きしたことはございませんが、
知り合いで、日本軍占領時代の話を知っている方や、日本軍歌を
覚えていて、今でもはっきりと歌える人は知っています。
普段はそんな話はしませんが、インタヴューみたいな形で
お話を聞かせてくださる方は、探してお願いしてみたら
見つかるとは思います。
戦時中の体験談は、語り継がれていくべきですし
私たち日本人はもっと知っておくべきでしょうね。
もしまたそのような話を聞く機会がございましたら、
記事にいたしますね。
はじめまして。日本の過去の歴史に関心をもち、アジアにおける日本軍の占領時代について調べています。書籍や資料ではなく、生の人間から語られる歴史について関心があります。ところで2枚目の写真におばあさんが写っていますが、年は何歳ぐらいでしょうか?日本軍占領時代を経験されているのでしょうか?バリ島でホームステイされているということですが、日本軍の占領時代を経験した方から日本軍や日本軍占領時代のことについて直接お話を聞いたことはございますか?バリ島(インドネシア)を日本軍が占領したという歴史について関心をもっていただければ幸いだと思います。
アクアリウスさん・私の投稿
はじめまして。書き込みありがとうございます。写真に写っている方はおばあさんと言っても50代ぐらいの方だと思います。バリの田舎に住んでいる方は日本人とは違って普段から着飾ってお化粧しているわけでは無いので年齢より老けて見える方がいます。ホームステイ先では日本軍の占領についての話は聞いたことはありませんが、たまに日本語で話しからけてくるおじいちゃんに会うことはあります。戦時中に学校で日本の体操(ラジオ体操的なもの)を教わったり君が代、、、など日本の民謡を教わったりしたという話は聞きます。意味は分からないけど子供のときの記憶としてきちんと覚えているみたいです。
今後、もしホームステイを続ける中で、日本軍占領時代を知るおじいさんなどに会う機会があれば、詳しくお話を聞いて頂ければと思います。不躾な質問ですが、丁寧なご返答を頂きありがとうございました。今後、バリ島などに行く機会があればよろしくお願い致します。・私の再度の投稿
度々、すいません。聞きそびれたのですが、そのおじいさんなどから日本軍占領時代に関する感情などは何か感じられたのでしょうか?日本軍占領時代への恨み辛みとかが多かったのでしょうか?また、他のアジア地域と同じように、バリ島には日本軍占領時代に起因するような反日感情はホームステイをしている実感と・ブログ主の返答
してはございますか?
アクアリウスさんということで、これもまた期待外れでした。
再度 ブログへの書き込みありがとうございます。私はバリ島に来て2年足らずですが反日感情抱いていると感じたり、直
接そのような話をぶつけられたり、差別を受けるようなことは今までありませんでした。
ホームステイ先の家族も独立戦争の際にバリに残っていた日本兵がたくさん参戦してることを知っていたりします。
その人その人にとって感情は違うと思いますが私がお会いしたおじいさんも嬉しそうに日本の歌を歌っていました。戦争でよい思いをした人はいないと思います。ですが、日本人を恨んでいる方だったら私に対して日本の歌を歌ったりはしなかったと思います。
先ほども言いましたがその人にその人で違う感情を抱いてると思いますので一概に私からはっきりとお伝えできません。
お役に立てたでしょうか、、、。
すばらしいですね。実際に植林されているということですが、そもそも森林破壊が行われなければ植林する必要性もないわけです。森林破壊の一員に日本が関わってますよね。そもそも、アジアに対して高圧的態度を取り、経済侵略し、そういう森林破壊を含める影には、日本軍による過去の占領という側面があります。私は過去の日本について関心をもっています。書籍や資料によって綴られるものではなく、生きた人間によって語られる歴史についてに関心をもってます。
インドネシアにおいて植林を行われる中で、村々を訪れ、日本軍の占領時代を生きた高齢者の方々からお話を聞く機会はなかったのでしょうか?あれば詳しく教えていただければ幸いです。
コメントありがとうございます。●私の再度返答
確かに、インドネシアと日本の関係は切っても切り離せないものです。
インドネシアの自然破壊に関しては、特にですね。
私たちがインドネシアで植林事業を始めた大きな理由のひとつにそのことがあります。
インドネシアに対して、何か恩返しができればと思っております。
そんななか、インドネシア中どこに行っても、日本人である私たちを温かく迎えてくれるインドネシアの人々。
BBCの発表では、インドネシア人の85%は親日だそうです。
ありがたいことです。
インドネシア現地の村々で、直接戦時中の体験を味わった方とお会いできる機会はほとんどありません。
もうかなりのお年を召されていますので。
しかし、知人の林英一さんという方は、戦時中のインドネシアの様子を研究しています。
彼は慶應義塾大学院生で、インドネシアに滞在し、インドネシアに残留した日本兵の生き残りの人たちに話を聞き、本を出版しています。
「残留日本兵の真実 インドネシア独立戦争を戦った男たちの記録」というタイトルです。
彼の話では、当時の戦争を体験した生き残りの方々は、もう数名しかおられないそうです。
その数名の方々を訪ね歩き、話を聞いて、記録しているので、かなり詳しく書かれていると思います。
もし興味を持たれましたら、ご覧になられるのもいいかもしれません。
戦時中の体験を味わった方とほとんどお会いできる機会がないとしても、今後万が一でも直接戦時中の体験を味わった方に会いし、お話を聞く機会があれば、そのことを記事にしてください。過去の歴史のついでに、昔の環境や生態系がどうであったかをお聞きすることができれば、植林事業を進める上での助けとなる情報も得られるかもしれません。今後とも植林事業等を頑張って行って下さい。不躾なコメント失礼しました。不躾なコメントに丁寧な返答を頂きましてありがとうございました。今後のご健闘をお祈りいたします。
ということで、前向きな回答が得られました。もし、戦争中を体験された方とお会いする機会があればお話を聞いて記事にしていただけるようなので楽しみにしています。
アクアリウスさん>
戦時中を体験された方とお会いできる機会があれば、ぜひお話を聞いてみたいと思います。
もちろんお会いする機会があったときには、このブログ上で記事を書かせて頂きます!
植林活動への応援ありがとうございます。
不躾なんてとんでもありません。大歓迎です。
一年の内、日本にいる時間よりインドネシアにいる時間のほうがかなあり長いので、色々な意見をもらえると考えが偏らずにすみます。
これからもよろしくお願いいたします。
左は義理の父アヤグシ、右は妻のサリイ。本当はアヤグシはもう少し怖い顔をしているように思う。変わり者で無骨なところがあるが、正直な人で、ここの人にしては珍しく金銭にきれいである。履物を使っているのを見たことがなく、当然ものすごい足の裏をしている。どうやら、インドネシア人は日本軍占領時代で酷いことをされたにせよ、一般的には日本人に対して悪いことを言わない深慮深い国民性らしい。インドネシアは日本軍に、中国やフィリピンに次いで、酷い目に合わせれた。強制労働、農作物の搾取と飢餓、暴行、慰安婦などの陵辱の数々などを強いられたのだが、怪我の功名とはいえ、独立できたことを評価するようなこういう国民性もあるのだろうか。しかし、そんなのは右傾化が進み、過去を反省せず、過去を忘却する国民性の日本国家にとって「百害あって一利なし」である、そういう無用な配慮こそ、日本国家や社会に対してはとんだ阿片以外の何者でもない。一時凌ぎであり、人類史上かつてないほどの地獄絵図をアジアにもたらしたことはご存知であろう。自らの甚大に積み重ねれれた加害の歴史に正面から向き合い、清算に取り組まない限りは日本社会は大日本帝国の残滓の飲まれ滅びるだろう。インドネシア人が配慮といってかつての加害国を追及しまいとやっていることは、日本のためにはなっておらず、、結果として日本を亡国への道に突き落としているのである。
アヤグシは日本帝国が侵略してきたころは既に十代の若者になっていたそうで「ちょっとのことですぐ人のことを殴る連中だった。」と教えてくれた。しかし同時に「まったく俺等は馬鹿で何にもできないままでいた。教え方はとにかく、俺達に仕事の仕方というものを教えてくれたのは日本人だ。」とも言う。
ここは土地柄、親族でなくとも近所であれば冠婚葬祭にはまめに顔を出さなければならない。特に葬式のほうは重要なようだ。ある葬式のときいきなり日本語で「自分は青年団にいました。」と話しかけてきた老人がいる。話を聞くとその昔、日本軍のもとで働いていたという。「ウエマツフジロウという名前ももらった。」よく仕事をしてくれたということでもらったのだと思う。きりりとした顔の老人だった。
日本帝国は無理な戦で惨敗したわけで「この人も手伝わされて、もらったものは何の役にも立たない名前だけか、申し訳ないなあ。」とひとりごちていたら、「お陰で我々は独立できた。あれが来なかったら、独立など到底無理だったろう。」というようなことを言ってくれて嬉しかった。
怪我の功名というやつだが、ここの人達がおおむね日本帝国時代の占領について悪く言わないのは有難く感じている。
町のパンク修理屋は、「イスラムの泥棒を豚にくくりつけて引き回したりしていたが、治安はかえってよくなった。敗戦後中華の人にかくまってもらって中華のふりをしてそのまま居ついた人もいたよ。」と教えてくれた。
さてその履物を使わないアヤグシだが、仕事を教えた教師がこんな教師なので子供のしつけが厳しいというか、理不尽なところがあるようで、妻からこんな話をきいたことがある。
とある日水辺に生える自生の野菜をアヤグシと二人で採りに行ったとき、ぬかるんでまごまごしていたら、「こんなもん使ってるから滑るんだ。」と怒鳴られて、彼女のサンダルを取り上げると遠くに放り投げて捨ててしまった。
ある朝、妹と二人寝坊したら、姉が起こしてくれて泣きながら二人を打った、そうしないとアヤグシがもっとひどく叱るのがわかっていたからだと妻は言う。
などなどである。
タケノコ医者さま、詳細な返答をありがとうございました。◎私の投稿に対するDien氏の投稿
しかし、いくつかの疑問があります。
インドネシアでは日本の過去を非難するような論調がないというのは嘘だと思います。日本人社会に篭って自身が知ろうと努力してないだけなのではと思います。
インドネシアの歴史教科書の日本軍占領時代の項目
http://www.geocities.jp/indo_ka/buku_pelajaran/bahasa_jepang2.htmlがあるのですが、そこではオランダよりはるかに酷い日本軍の非人道的支配について触れられています。日本軍性暴力被害者(マルディエムさんなど)をご存知でしょうか?
ともあれ、詳しい返答には改めて御礼を言います。今後、もし日常の生活や医療の業務の中でインドネシアの日本軍占領時代を知る高齢者の方々に万が一でも接
する機会があれば詳細な話を聞いてください。
最後にカノサバ症候群というセックス依存症を取り上げられてますが、その最たるものが日本軍の兵士たちだと思います。南京事件や日本軍兵士の性暴力や従軍慰安婦制度にみられるものです。戦争という狂気以上に、大日本帝国・日本軍では青少年らを人々の生命を奪うことをためらうという良心を捨てさえ、国家や組織の命令に絶対服従する狂気の野獣戦士に育て上げたのです。そういう歴史を知って頂きたいと思います。
初めて投稿します。Dien氏は
アクアリウス氏が紹介しているインドネシア歴史教科書の日本語訳ページを作成したものです。タケノコ先生のBlogで小生のページが(コメント欄とはいえ)紹介されており、仰天しているしだいです。まったく場違いですよね。
さて、小生がインドネシアに滞在していたのは、90年代前半。早いものでもう20年近く前のことになりつつあります。業務での滞在でしたし、インドネシア人たちとの付き合いも皮相的なレベルにとどまっていたせいかもしれませんが、旧日本軍についての批判めいた言葉を彼らから聞くことはまったくありませんでしたね。
アクアリウスさん、あなたは他人を説得したのですか?論破したいのですか?単に騒ぎ立てたいだけなのですか? あなたの要求『もし日常の生活や医療の業務の中でインドネシアの日本軍占領時代を知る高齢者の方々に万が一でも接する機会があれば詳細な話を聞いてください。』というのには驚いてしまいます。××討伐が主な目的のようですので、そのためには問答無用なのかもしれませんけど。
はじめまして。◎タケノコ医者氏の返答
過去の日本の歴史について関心があるものです。現地で医療に携わっていれば、インドネシアの高齢者と接した経験があると思います。
日本軍占領時代を生きたインドネシアの高齢者(生き証人)の方から日本軍や占領時代について直接お話を伺ったことはございますか?
教科書や書籍、資料には載ることはない、一人ひとりの方のドラマについて一番関心を抱いています。お話を伺ったことがあれば、詳しく教えていだたけないでしょうか?
日本人は インドネシア独立のために働いた尊敬すべき侍の国だ・・というのが 普通です。日本にひどい目にあった・・などという話は 一回として聞いたことがなく 日本人として誇りに思っています。
平均寿命が短いインドネシアでは 戦争を知っているような老人はほとんどいないので 会ったことはないのですが 祖父や父親が 日本人と共に独立戦争を戦ったという話は聞いたことがあります。父は 日本人を尊敬して 自分にも日本式の名前をつけたというタクシーの運転手に会ったこともあります。
過去をどのようにひっくりかえして意味つけるのも自由ですが 日本人は 戦前も戦後も そして現在も インドネシア人の友であり続けています。
中国や韓国の人々の中には 過去の日本の間違い(?)を必要以上に強調する人々もいますが インドネシアでは そのうような論調はなく 住めば住むほど 愛すべき国 日本の本当の友好国になれる国だと感じます。
トヨタも ホンダもパナソニック そのほか多くの日系企業が インドネシア人のスタッフを何万人も雇用し 日本とインドネシアの経済を支えるべく努力しているのを眼にするにつけ 日本とインドネシアの未来を信じたい・・という気になります。
過去のこと それも日本の帝国主義だの侵略だのという言葉を 一回でもインドネシア人から聴いたことはなく 反対に「カイゼン」をトヨタで学んだ・・と誇らしげに言うインドネシア人には 何人も会いました。
あなたの期待とはまったく反対の国がインドネシアのように思えます。ご自分で 確かめられんことを望みます。インドネシア語を勉強されて来ていただきたいです。合掌。
タケノコ医者さま、詳細な返答をありがとうございました。できるだけ、穏便にとどめることを心がけていましたが、先のタケノコ医者氏の返答に頭がカチンときて、ほぼ脊髄反射的に右翼を攻撃する論調になってしまいました。タケノコ医者氏とのやりとりについてこの後もいろいろ行ったのですが、それについては省略したいと思います。
しかし、いくつかの疑問があります。
インドネシアでは日本の過去を非難するような論調がないというのは嘘だと思います。日本人社会に篭って自身が知ろうと努力してないだけなのではと思います。
インドネシアの歴史教科書の日本軍占領時代の項目
http://www.geocities.jp/indo_ka/buku_pelajaran/bahasa_jepang2.htmlがあるのですが、そこではオランダよりはるかに酷い日本軍の非人道的支配について触れられています。日本軍性暴力被害者(マルディエムさんなど)をご存知でしょうか?
ともあれ、詳しい返答には改めて御礼を言います。今後、もし日常の生活や医療の業務の中でインドネシアの日本軍占領時代を知る高齢者の方々に万が一でも接する機会があれば詳細な話を聞いてください。
最後にカノサバ症候群というセックス依存症を取り上げられてますが、その最たるものが日本軍の兵士たちだと思います。南京事件や日本軍兵士の性暴力や従軍慰安婦制度にみられるものです。戦争という狂気以上に、大日本帝国・日本軍では青少年らを人々の生命を奪うことをためらうという良心を捨てさえ、国家や組織の命令に絶対服従する狂気の野獣戦士に育て上げたのです。そういう歴史を知って頂きたいと思います。
はじめまして。アクアリウスと言います。◎ママハナさんの返答
こういう子供たちの遊ぶ風景は懐かしいですね。日本ではあまり見ないですね。
ところでですが、私はインドネシアにおける日本軍の占領時代について関心を抱いております。とはいっても、書籍や資料によるものではなく、生の体験者からの話を知りたいと思っております。生の体験者からの聞いた体験談やお話があれば、詳しく教えて頂けないでしょうか?ブログの記事にしてもらっても構いません。あれば、お待ちしております。
■アクアリウスさんとのことです。
こんにちは 訪問ありがとうございます。
インドネシアの子供は自分の子供時代を思い出します。
ただし私の時代でも道のど真ん中で素っ裸になる子はさすがにいなかったけど(苦笑)
ところで戦争時代の話ですが う〜ん主人の父の兄がまだ存命でマラン(ジャワ)に住んでいますが戦争中に通訳をしてたらしく お会いした際は私(わたし)という言葉を「わたくし」なんて言ってまして昔の人はきれいな日本語を使ってたんだな〜とそれくらいの印象しかなかったです。(最近あっていません)
2年前に亡くなった親戚のおばあさん(インドネシア人)も当時小学生とかで 日本の戦時中の歌を覚えていて私の母がこちらに来た際一緒に歌っていました。
あまりひどい話は聞いていませんし 彼らは日本人の私に対しても好意的でした。
■アクアリウスさんママハナさん丁寧な返答を頂きありがとうございました。
日本のような長生きの方 今のところあまりおられないし戦争知ってる人も少なくなってるので情報集めるのも大変ですね^^;
がんばってください。
場所は変わってインドネシア、ここも終戦前3年くらい 一時日本が占領してた時代がありました。マランの叔父さん
やっぱり日本はその間 現地の人々に日本語を強制していたようで私のオットの親戚の現在70歳半ばくらいの人の何人かは日本語ができたりします。
オットの叔父さんは 日本語で話をするとき 「私」というのを「ワタクシ」と表現するあたり当時の日本人は上品な言葉を使っていたんだろうなぁと思うのでありました。私の両親が初めてロンボクに来た6年前 こちらの家族との夕食のときに母と同じ年のおばさんが戦争時代に習った日本の歌を 母と2人で歌ったのを嬉しいような なんだか変な気分で聞いていたのを覚えています。
ただ 両者(韓国とインドネシア)の日本人への感情は同じように日本語を強制されていても なんだか全然違うんですよね。
インドネシア人は 日本人に対して 憎しみ、ライバル意識の感情はありません(たぶん。。。)
歌を歌ったおばさんも 戦時中の楽しい思い出の歌、というカンジでくったくなく まるでその歌を習った時の少女のような顔だったのが印象的でした。
叔父は 第二次世界大戦中 終盤にインドネシアが3年ほど日本の占領下にあったころに日本語の教師をしていたらしく片言ではありますが日本語ができます。とのことです。日本軍の加害情報を伝えるどころか、逆に右翼の歴史美化を宣伝しているような気分に陥ってきました。ママハナさんの言うことですから事実なのでしょう。捻じ曲げてまで、日本軍の加害や蛮行の事実があって、ママハナさんの接したインドネシアのご年配の方々は恨んでいる、また少なくともロンボク島においては日本軍の残虐行為や酷い被害があったなんていうことを現段階において主張することはできません。これはまた、別の歴史修正主義に走ることなりますから、そういうことは断じて慎まないといけません。もしかしたら、ロンボク島では例外的に駐屯した日本軍部隊が他の地域よりもマシだったのかもしれません。さらに、情報を集めて、結論を出す必要があるようです。
(略)
他にも 戦時中 小学生だったという叔母さんも 日本語の歌を覚えていて私の母がロンボクに来た時に 一緒に歌っていたりしました。
現在70代中盤以降の人は こんな風に日本語知ってる率が高いようです。中国や韓国と違って インドネシアでの年配の人の当時の日本のイメージって戦争中のドサクサで 長いオランダ支配から 独立するキッカケを作ってくれた国という良い印象があるような気がします。
だって叔父は私を見ると 本当に懐かしそうに日本語を喋りますから。
はじめまして、アクアリウスと言います。私は過去の歴史に対して関心をもっています。とはいっても、特に興味があるのは、資料や書物に書かれた歴史ではなく、生の人間から語られる歴史についてです。インドネシアは過去、日本軍によって占領されていましたが、インドネシアの日本軍占領時代を経験したことのある高齢者(生き証人)の方から実際に日本軍やその占領時代についてのお話を聞いたことはございますか?あるなら詳しく教えて頂けませんでしょうか?◎相手側の返答
はじめまして。アクアりウスさん。。ということで、日本軍占領時代について実際に体験した方から伺った話を記事にしてくださるようです。私も気長に待ちたいと思います。インドネシア 発日本行き興行ビザの管理人さんには丁寧な返答を頂き感謝いたします。
私もジャワの歴史には事の他興味があり、現地で写真や新聞、貨幣、統治の関連資料などを集めたり、当時を生きたインドネシア人や華僑人のお話をインタビューさせていただく機会もありました。
生き証人である人々とは、それほど多くはないですが、日本統治時代の話を伺ッたこともあります。特に、私は、ぺタ(日本軍が兵員の不足を補う為にインドネシア人を教育した義勇軍で、現在のインドネシア国軍の前身となる)で教育を受け、日本軍との戦争終結後にオランダとのインドネシア独立戦争を戦ッた人との話などもあります。かなり高齢の方でしたが、背筋ものび他のインドネシアの高齢者とくらべると背丈も高く、言葉もはッきりとして印象的にはピシッとしている方でした。
後日、おりを見てそのような、直接伺ッた話として、戦時から戦中、そして戦後の、インドネシアの激動の時代のお話しなど記事にしようかと思います。。
サムスルさま、はじめまして。インドネシアに長い間在住していたということですが、インドネシアの地において日本軍の占領時代の生き証人(老人)の方から直接お話を聞いたことはありますか?◎サムスル氏の返答
アクアリウスさん、福祉友の会の元日本兵の方や、インドネシアの老人からも話しを聞きました。◎私の再度の質問(投稿)、具体的に日本軍の加害情報について聞き出そうとしました
サムスルさま、ありがとうございます。◎サムスル氏の返答
特にインドネシアの老人からお話を聞いたということですが、具体的にどういった内容でしたか?日本軍への恨み辛みが一番多かったのでしょうか?
インドネシアの人は、あまり悪口は言わないので、そういう話は中々聞けませんでした。との返答で有力な日本軍の加害情報は得られませんでした。心の奥底にはあるそうですが、心の奥底までインドネシアのご老人の声を引き出すということはされなかったようです。サムスル氏は完全に帰国されたようですので、これでやりとりのほうは終了です。さほどの成果は得られませんでしたが、日本軍占領時代を経験さえた生の証人とお会いし、実際にお話を聞かれた方ということで紹介しました。ともあれ、サムスル氏には一応の返答を頂き感謝致します。以上です。報告はさらに続きます。
ただ、心の奥にはあるのでしょうね。