[AML 7447] 初めての投稿なので自己紹介
はじめまして。最近になってこのMLを知りました増田都子と申します。
私は千代田区立九段中学校の社会科教員でしたが、授業で「ノ・ムヒョン大統3・1演説」を教材に使い、「つくる会」教科書、侵略否定妄言都議を批判したことがきっかけで、都教委により、この3月31日付で分限免職となったものです。もちろん、断固、この教育基本法第十条違反の処分弾圧と闘っていますので、ぜひ、皆に知っていただきたく、以下、私の闘いの紹介をします。なにしろ、97年からの既に9年になる闘いですので、少々長くなりますが、読んでいただけたら嬉しいです。
なお、「週刊金曜日」の5月12日号に鎌田慧さんが「痛憤の現場を歩く」に、雑誌「創」の6月号に斎藤貴男さんが「『非国民』のすすめ」に、それぞれ私のことを取り上げてくださいました。
(1)東京の教育の「茶色の朝」の始まり -東京・足立十六中事件-
産経新聞および『正論』という名前の、謬論満載で有名な雑誌以外では全く報道されなかったので、知らない人が多いのですが、都教委による教育基本法第十条違反の教育内容への介入・干渉、即ち教育への「不当な支配」は、「日の君・不起立弾圧」の03年・10・23通達から突然、始まったのではありません。それは1997年の「足立十六中事件」から始まっていたのです。
同年3月の足立十二中の卒業式で、社会科教員の私がビデオ『侵略パート1』などを使い、しっかりと侵略と植民地支配の歴史、戦争責任、憲法の理念・原則を教えた卒業生達が、『国歌斉唱』時に不起立をしました。これは、卒業生達が自主的にしたことなので、教育委員会は私を処分したくとも、当時は、そのための『制度』がなかったために処分できませんでした。そのため、この『制度不備』を土屋たかゆき・古賀俊昭らの右翼都議が問題にし、後に『日の君・不起立処分制度』が作り上げられます。
当時、ちょうど強制異動期に当たっていた私は4月に足立十六中に異動させられました。その1学期に私は、中2地理「沖縄県」の授業で米軍基地を取り上げたことで、米人と結婚していた一母親から「反米偏向教育」と攻撃されました。彼女は自分の娘である生徒を私の社会科授業だけボイコットさせるという卑劣な手段をとりました。その結果、私と他の生徒達とは授業を通じて信頼関係が深まっていくのに、この生徒だけは、それから取り残され、友人関係もうまく行かなくなり、不登校、転
校の道をたどりました。それを母親は、また「増田の授業のせいだ」と攻撃し、都教委・産経新聞・右翼都議と結託しました。
ところが、当時私の所属していた全教・都教組は、所属組合員である私の方を『偏った教育』をしたなどと明記した誹謗中傷ビラを全足立区でばらまく始末でした。「保護者と対立した」ということが、当時、保守が二つに割れて勝ち取った虎の子の共産党区長を持っていた足立区では、その集票組織である都教組にとってガマンならなかった、ということでしょうか。その他の『人権派』と言われる人達も「生徒が泣いた」という情緒主義にコロッと引っかかって「だめじゃないですか、増田
さん、子どもの前で親の悪口を言うなんて」と、私の足を引っ張りながら「私たちって、なんて好い人なんでしょ」!? と自己満足していたみたいです。東京都の教育における『茶色の朝』は、ここから始まっていた、 というのに、当時、『民主教育・平和教育』を唱えるほとんどの人々は、この一母親が起こした『足立十六中事件』の本質を見抜くことができなかったのです。
当時、私は四面楚歌ならぬ八面楚歌・・・@一部右翼的保護者、A保身しか考えない校長・教頭、B都(区)教委、C土屋たかゆきら右翼都議、D産経新聞、E行政の犬になり下がった官僚裁判官、F所属組合員を売って恥じない全教(都教組)、G子どもが泣いたという浪花節に引っかかり、教育内容・方法に対して不当な干渉をしかけてきた一母親への屈服を迫った「人権派」弁護士・・・の中で、断固として闘ってきました。この事件の顛末については拙著『教育を破壊するのは誰だ! ドキュメント東京・足立十六中事件』(社会評論社)を参照いただければ嬉しいです。
(2)「ノ・ムヒョン大統領への手紙」事件 上記の弾圧の中で、2回の減給処分と2年7ヶ月にわたる長期隔離研修を受けましたが、私は屈服せず、02年4月に千代田区立九段中に現場復帰しました。そして、今回「ノ・ムヒョン大統領への手紙事件」が、きっかけで、去年8月30日付で「戒告処分」、9月1日付で「長期研修処分」を受けて学校現場から追放され、本年3月31日付の免職処分です。
私は去年6月、公民的分野学習の一環として、同年の「ノ・ムヒョン大統領3・1演説」を教材に取り上げ、生徒達に手紙や意見を書かせ、私も手紙を書いて発表し合う紙上討論授業をしました。このプリント教材を読んだ皇国史観論者のPTA副会長の保護者が、都教委にこれを「偏向教育」として送付したのです。
都教委は私の手紙にあった以下の文面に飛びつきました。『04年10月26日、古賀俊昭という都議会議員(自民党)は言っています。「(我が国の)侵略戦争云々というのは、私は、全く当たらないと思います。じゃ日本は一体どこを、いつ侵略したのかという、どこを、いつ、どの国を侵略した
かということを具体的に一度聞いてみたいというふうに思います。(カッコ内は増田)」(文教委員会議事録)などと、国際的には恥を晒すことでしかない歴史認識を得々として嬉々として披露しているのが我が日本国の首都の議会なのです。横山洋吉教育長以下、東京都教育委員会は、これに対し何の反論もしませんでした。というより、大いに共鳴しているのでしょう。侵略の正当化教科書として歴史偽造で有名な扶桑社の歴史教科書を「生徒たちに我が国に対する愛国心を持たせる一番良い教科書」などと公言して恥じない人たちですから。』
これが「特定の公人名を挙げ」「特定の出版社名を挙げ」ているから「不適切」で「地方公務員法で禁じる信用失墜行為」であるとして「戒告処分」「長期研修処分」され、学校からの追放されたのです。
この去年9月から今年の3月までの「長期隔離研修」たるや、内容的にはゴリゴリと教育内容・方法に干渉し、「生徒達に正しい歴史認識を育み、誤った歴史認識を批判した教育」をしたことへの『反省・改善』を迫るものであっただけでなく、悪名高いJR西の日勤教育を上回るような陰惨なものでした。
常に背面監視の「指導主事」が部屋の入り口に机と椅子を置いて、壁に向けられた私の机の後ろの位置に張り付いています。いつかマヌケな見張り番が中座したすきに、彼らが記入している「増田用背面監視日誌」を見ました。「9:49〜10:02 離席」というふうに私がトイレに行った時間まで、ご丁寧に記入してあり「16:04〜16:08 携帯に電話、礼を言っていた模様」などと・・・まるで、全体主義国家の思想改造所か、ここは? でした。 この事実を知られて、これも『免職処分理由』の一つとなりました、『ファイル無断持ち出し』!?
(3)都教委が「指導」と称してしたこと
「研修」内容のほんの一例を挙げます。私が歴史の授業で生徒達に、ビデオ『語られなかった戦争 侵略パート1』や原爆記録ビデオ『予言』を見せることをやめさせようとして、ある社会科指導主事は以下のように「指導」してくれました。( )内は増田の内心の声。
○○「作られてるビデオそのものがぁ、子どもを、対象にして作られているんではないわけですよねぇ。」
増田「子どもも(中学生なら「配慮」すれば大丈夫。「指導力」ある教師の下ならね!)」
○○「そうすると、まるまる見せる、っていうことになるとー、・・・んー、やっぱり、なかなかぁ、中学生じゃ・・・厳しい、場面もー、たくさん出てくるんじゃないかな、というふうに、思うんですね。で、私ねー、あのー、これは、ちょっと見ましたけどもぉ・・・
知らなかったもんですからぁ、あのー『侵略』の方のビデオなんですけどぉ、私が気になるのはぁ、あのー・・・殺された幼児の写真が出てきますよねぇ・・・それからー・・・様々な殺し方で殺された、っていう、その、虐殺の、ま、方法が、あります。様々、こう示されてましてぇ・・・それから、もう一つは・・・あの、強姦、輪姦・・・で、強姦された女性が泣いている写真とかぁ、強姦されたあとに腹を割
かれた女性の死体とかぁ、・・・
で、やっぱり、そーーー○○ますごとに、私はー・・・すごく・・・子ども、中学生の、あの、13歳から14歳ぐらいの子どもたちにぃ、やっぱり、そのまま見せる、とっていうのは、すごくー・・・配慮が必要なんじゃないか、と思うんですね。」
増田「・・・(そう指導案に書いているでしょう!?)」
○○「先生は、どういうふうに?」
増田「今まで、そうしてきました。取り返しのつかないことを、やってしまったんです、私たちの先輩。・・・皇軍」
○○「・・・、うん、あのー、事実を、あの、伝えなければいい、ってことを言ってるんじゃなくてぇ(言ってるくせにさ!?)、・・・今、申し上げたようなぁ、」
増田「子どもたちは、事実にきちんと正対して成長していきました。」
○○「・・・、・・・」
増田「『配慮』という名前で・・・そういう事実を・・・見せることを、排除することの方が問題だと思います」
○○「で、あのビデオーの中でー、(中略)つまり、あの、僕はですねぇ、13歳、4歳の子にぃ、あの幼児が死んでる写真とかぁ・・・強姦ということはね、もろちん、それは、じ、事実だから、その、目をふさぐような、ってこと、そういうこと言ってんじゃないですけどね(言ってんのよ!?)、そういうもの
、こう、あまりにもリアルにぃ、突きつけられること、っていうのはー・・・やっぱ、僕ーは、ちょっと懸念があるんですね」
増田「加害者の側面を、きちんと教えなくちゃいけなんじゃないでしょうか」
○○「うん、だけどぉ、だけど、うん、でも、いや、そういうこと、伝え、伝え、伝えない、って言ってるんじゃなくて(「言って」るのよ!?)、そういうことからー、それは、中国の子どもたちにしろね、アジアの子どもたちにしろぉ、やっぱり、戦場になる子どもたち、ってのは、やっぱり、そういう理不尽さがあるんだ、っていうことをー、自分の中で、つなげて、理解させる、っていうふうな、『うながし』を教師がする、と、いう、ま、できると思う、ってこと言ってんですよぉ。(「でき」てなんかいないくせに!? )だから、僕はー、・・・ま、そりゃ、そういうふうに思う、っていうことなんですけどね。」
要するに「ビデオ『侵略』を授業で使うな。生徒たちに『天皇の軍隊』が行ったアジア侵略の実態をリアルに生々しく教えるな」ということを「指導」などと称しているのです。「子どもたちの発達段階に合わない」からと・・・実は、都教委や指導事たちの精神的知的「発達段階に合っていない」だけなのですが。その他『「ノ・ムヒョン大統領3・1演説」を教材にしたことを、どう思うか書きなさい』とい
うテーマの「授業改善のための課題レポート」強要もありました。
(5)屈服を拒否して免職されたが、断固、闘う!
私は課題レポートなるものに常に「誤った歴史認識に対しては批判することを教えた私は正しい。誤っているのは、これを処分した都教委である」と論証しました。結果「処分に対し反省も改善も見られないから公務員に不適格」と、免職処分となったのです。
しかし、この解雇は、行政権力による教育内容への介入を禁止した教育基本法十条を蹂躙する違法行為であることは明白で、日本が法治国家であるなら無効のはずであり、今後も裁判闘争など考えられるあらゆる手段を使って断固として闘っていきます!
今後、私の闘いについて情報をお知らせします。関心を持っていただけたら嬉しいです!
以上紹介しました。いかに増田都子教諭が理不尽な戦いを強いられていることがわかったと思います。右翼だけではなく、一部の人権派といわれる都教組の人々も「子どもが泣いた」という事実の背後関係を疑わず、右翼の増田都子教諭を攻撃する立場に加わってしまったことでした。日本の子供たちに大日本帝国の血塗られた歴史と近隣諸国を加害し、踏みにじり蹂躙した加害者としての側面を伝えようとする良識的な志をもつ数少ない良心的教師が増田都子氏です。是非暖かい応援をお願いします。