2011年01月02日

「豊かさ分け合える絆を」、日本軍政時代の苦悩語る、真剣にメモをとる生徒ら、JJS小学部で特別授業 郷土防衛義勇軍の元将校

以上、http://www.jakartashimbun.com/より

 バンテン州南タンゲラン市ビンタロのジャカルタ日本人学校(JJS、長谷川清孝校長)小学部六年生三クラス九十人は二十二日午前、特別授業として郷土防衛義勇軍(PETA)の元将校ハリム・ダヌアトモドジョさん(八九)を招き、日本軍政期から独立戦争にいたる歴史の生き証人の言葉に耳を傾けた。  
六年生は二学期から戦中インドネシアの歴史について学習を始め、九月にはバンドンで日本軍が「ロームシャ(労務者)」に手で掘らせた洞窟を見学している。
先月二十三日のJJC顧問石居日出雄さんの特別授業を含め、生徒は事前に準備を進めており、授業はハリムさんへの質問という形で進んだ。
 ハリムさんは日本軍政期に医学生だったが、大学の恩師に勧められたことと、将来はインドネシアの独立のために軍隊の知識が必要と感じていたことから、PETAへの入隊を決めた。 
日本の敗戦で、PETAは解散したため、郷里のスラバヤに戻り、国軍の前進となる地方組織の結成に参加していた。間もなく、旧宗主国のオランダがインドネシアを取り戻そうと攻めてくるのに対抗して、スラバヤで軍隊を組織した。オランダ軍や英国軍と独立戦争を戦い、数々の戦功で勲章を受けた。独立後は国軍の教官として後進の指導を行ってきた。
 「オランダに代わって日本が支配するようになったときはどう思ったか」が一つ目の質問。ハリムさんは左手を表現豊かに動かしながらゆっくりと語った。
 
「初め、日本はアジアを解放するために来たと思った。だが日本の支配が始まると、生活は一気に苦しくなった。食べ物、資源、労働者、すべて戦争のためにとられた。オランダ時代は差別で学校に通えなかったが、生活は楽だった。日本の三年間は学校に行けるようになったが、生活は厳しかった」「国民につらい生活をさせたのはひどい。多くの人を悲しませたのは事実」と語気を強めて軍政期の日本を厳しく批判すると、教室にはしばらく沈黙が訪れた。
 次に「日本から何を学んだか」との質問には「軍の規律・ルールを学んだ。規律を守ること。上の人の命令に従うこと。武器の使い方。相撲や剣道も学んだ。規律を破るとぶたれる。一人が破ると連帯責任で全員ぶたれた」と答えた。
 体育座りをした生徒たちの目は真剣そのもの。ある生徒はノートをとり、ある生徒は微動だにせず、ハリムさんの話に聴き入った。  
ハリムさんは独立でのPETAの果たした役割について、「PETAで多くの国軍のリーダーが育ち、彼らが独立戦争で活躍した」と語り、「独立を勝ち取ったときはどう思ったか」と問われると、「誇りに思ったが、国はすぐに安定しなかった。共産主義や資本主義などを叫ぶさまざまな政党が現れ、混乱が起きた」と答えた。
 ハリムさんは最後に「日イの絆(きずな)を大切にしてほしい。協力してともに豊かになれればいい」と語った。三組の学級委員、佐藤麻衣さんらがハリムさんにお礼をいい、玄関で送り出した。
 三組の田口駿也さんは「日本がしたことに謝罪したい気持ち」、二組の野村美友奈さんは「(日本は)悪いことも良いこともした。これから良い関係を作りたい」と話した。 
特別授業は二部構成で、次には新任でインドネシア人のレナ先生(二五)が戦争を知らない若者と華人系インドネシア人の目線から日本と日本人像を語った。日本軍がオランダ植民地だった蘭印を支配した時代を経験した祖母や祖父の世代では日本のイメージが悪いことや、過去は過去として現在の絆を大事にする姿勢を若い世代が持つことなどを生徒に話した。

◇郷土防衛義勇軍(PETA)


一九四三年、日本軍政下にあるジャワで編成されたインドネシア人の軍隊。「インドネシア民族軍」の名目はあるものの、各大隊に配属された日本人指揮官が実権を握っており、実態は日本軍の補助部隊。四五年の独立宣言以降は、現インドネシア国軍の母体となる人民治安軍を編成し、独立戦争で活躍した。
最も私が望んだような、"草の根の歴史証言"に焦点を当てたようなことがつい最近になって行われたようです。12月28日の記事ですが。残念なのは、日本軍の残虐やその酷い支配の苦しみというという加害歴史が中心ではないこと。加害の部分では、食べ物、資源、労働者がすべて戦争のためにとられたと言いますが、インドネシアの女性も性奴隷として取られたという点が抜けています。生活は厳しかったというか、国民に辛い生活をさせたとありますが、それではあまり日本軍軍政下のインドネシアの地獄絵図はなかなか伝わらないのではないでしょうか。"多くの人を悲しませた"という点に、日本軍軍政下のインドネシアでは、多くの人命が失われ、多くの悲しみが生まれたということが伝わってきますが。
日本軍が規律を伝え、国軍の元となるPETAをつくった云々なのが後で言われてますが、そんなことは日本軍の加害歴史のスケールの大きさ、根深さの前にはどうでもいい部分です。
">二組の野村美友奈さんは「(日本は)悪いことも良いこともした。これから良い関係を作りたい」と話した"とあるように、JJSの子どもたちに謝った感想を抱かせています。悪いことも良いこともした。
日本軍がやったことは、インドネシアを含むアジア・太平洋地域の人々に対し、筆舌に尽くし難い惨苦と悲痛を与え、人類史上類例のない地獄絵図の大地に変えた。いくら反省しても、償いしても足りることではない。そういうことを教えるべきだと思います。
そういう点でJCCで行われた試みは大失敗ですが、日本軍占領時代のインドネシアの生き証人を読んで授業したという試みは間違っていないと思います。
私は4日から仕事ですが、いろいろ親戚等の集まりがあり、忙しいですが、限られた正月の期間、いろんな場にてこういう草の根から大日本帝国・日本軍の加害歴史を振り返るべく、活動をしていきたいと思っています。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 01:45 | Comment(5) | TrackBack(2) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

強制動員の朝鮮人捕虜2千人がシベリアで強制労働

強制動員の朝鮮人捕虜2千人がシベリアで強制労働
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101228-00000013-cnippou-kr
第2次世界大戦当時に日本の中国侵略のために強制動員され、終戦後にシベリアや中央アジア一帯の捕虜収容所に抑留された朝鮮人が最低でも2000人余りに上ると公式に確認された。また、抑留され現地で死亡した60人余りの名簿も公開された。

対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者など支援委員会は27日、「シベリア抑留朝鮮人捕虜問題真相調査」報告書をまとめ、「1945年の終戦後に、強制徴用された朝鮮人2万人余りのうち半分が捕虜として抑留され、彼らのうちシベリアや中央アジア一帯まで移され3年以上長期労役した人は最低でも2000人余り」と明らかにした。
これはロシア文書保管署の資料、朝鮮人捕虜名簿、ロシア政府が発給した労働証明書などを通じて得た数値だ。
報告書によると終戦後に日本軍捕虜60万人余りが2000カ所余りの捕虜収容所に収容されたが、朝鮮人も日本軍と区分されずに抑留された。日本軍指揮官がソ連側に軍人名簿を渡す際に韓国人の日本式の名前をそのまま記載したためよりわけることができなかったとみられる。
当初捕虜として抑留された1万人のうち7000人余りは朝鮮人の身分が明らかになったり、健康が悪化するなどで比較的早い時期の1948年末に解放された。
60人余りは現地で死亡したことが確認されたが、91年にソ連が日本政府に渡した抑留死亡者4万人余りの名簿から発見された。


この2011年になろうという時にも、こういう過去の加害歴史のニュースがでてくるところに、我が国の深刻な加害歴史の深さが見えてくる。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 01:24 | Comment(3) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月11日

日本軍が朝鮮人の人肉を食べた・・・マーシャル諸島朝鮮人虐殺事件

日本軍が朝鮮人の人肉を食べた? 韓国では「絶対に許せない!」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101006-00000014-scn-kr
 日本の植民地時代にマーシャル諸島に強制動員された朝鮮人たちの被害調査の結果が明らかになり、注目を集めている。韓国の複数メディアは「朝鮮人たちが日本軍による『人肉食用事件』に集団抵抗し、無差別に虐殺されたことが政府の調査で初めて確認された」と伝えた。
 韓国の「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者支援委員会」のオ・ビョンジュ委員長が5日、3年間の調査を経て「ミリ環礁朝鮮人抵抗事件と日本軍の弾圧真相調査報告書」を公開した。
 報告書によると、太平洋戦争末期の1942年に約1000人の朝鮮人がマーシャル諸島に強制動員された。1944年の6月から米軍の攻撃による食糧不足の中、朝鮮人120人が監視目的で派遣された日本軍7人を殺害した事件が起きた。報告書では、朝鮮人たちが日本軍に抵抗したのは「日本軍が朝鮮人を殺害し、その肉を食べていたのが原因だ」と主張。
 事件発覚後、日本軍は100人あまりの朝鮮人を虐殺した。生存者の証言によると、当時日本軍が飢餓に苦しんでいる朝鮮人たちに「鯨肉」を食べさせたが、数日後に近所の無人島で肉が残酷にえぐられた朝鮮人たちの死体が発見されたという。
 研究委員のゾ・グォン氏は、「抵抗事件の発端になった『日本軍の人肉食用事件』は実質的な証拠はないが、状況資料と証言を元に事実だと判断できる」と説明。「日本軍の人肉食用事件」は、日本軍が飢餓状況と米軍に対する恐怖、戦争ストレスが重なって犯した蛮行だとの見方を示した。
 同件について、韓国のネットユーザーらは「本当に衝撃的だ。言葉が出てこない」「過去の歴史は許すものの、忘れてはならない」「心底から許せない国があるならばそれが日本だ」などの反応を見せている。(編集担当:永井武)


太平洋戦争で日本軍が朝鮮人に人肉与える=韓国が報告
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101006-00000012-xinhua-int
【新華網 北京】韓国政府は5日、第二次世界大戦中に日本軍によって太平洋のマーシャル諸島に強制動員された朝鮮人が、人肉を食べさせられていたことに反抗し日本軍に虐殺されたとの調査報告を発表した。
 韓国の対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援委員会が2006年から調査を開始し、同報告書をまとめた。
 報告によれば、日本軍は1942年、飛行場など軍事施設を建設するという名目で、朝鮮人労働者800〜1000人をマーシャル諸島のミリ環礁に強制動員した。ミリ環礁は人口の増加と、米軍による孤立化作戦により、44年以降は食糧不足の状態が続いた。
 生存者の証言によると、日本軍人が45年初頭にクジラの肉を朝鮮労働者に与えるようになった。しかし、朝鮮人に行方不明者が続出していることに気づいた一部の労働者が捜索後、肉をえぐり取られた朝鮮人の死体を発見した。そのため、人肉をクジラの肉といつわって与えられているのではないかと疑うようになったという。
 報告によると、1945年2月28日、約120人の朝鮮人が日本人によって殺害され、その翌日にさらに約100人が銃殺された。生き残った数十人がその後、日本軍の虐殺行為を明かした。報告はこの虐殺について、朝鮮人労働者が食人行為に反抗したことが原因だとまとめている。
(編集翻訳 松尾亜美)

マーシャル諸島における朝鮮人軍属の反乱と、朝鮮人・島民の虐殺について
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13729151.html
でこの種の事件を取り上げましたが、また別の事例なのでしょうか。ともあれ、こういうことは、マーシャル諸島に限らず、朝鮮人が強制動員された南の島の各地、恐らくミクロネシアやソロモン諸島などでも間違いなく発生したことでしょう。

西部ニューギニア戦線・川上政記マノクワリ〜イドレ転進作戦証言(1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201010/article_9.html

昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミそしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリの兵力のおよそ半数を南部のイドレ(Idore)へ転進させた。その数約1万2千名。
 第2軍参謀長の藤塚止戈夫(ふじつかしかお)中将発案とされる、このイドレ転進は、結果的に"飢餓地獄"への無意味・無慈悲な敗退行軍となった。一週間で到達できるとされた距離。しかし、実際には2〜5ヶ月を要した。木の根を齧り、泥水を飲んだ将兵。戦わずして、1万数千もの将兵が草生す屍と化した。
連合軍が"緑の地獄"と称した、深いジャングルと熱帯病が"敵"の行軍。次々と斃れる将兵。一方、藤塚中将は、持病の痔の手術を理由に、同地からセレベス経由ジャワ島へ、当時の状況下では"破格の"航空機を使っての脱出。残された将兵は、藤塚中将を恨みに恨んだと言われている。

(略)
 転進途中、隊長の藤井啓太郎中尉らは、敵軍の海上からの銃撃を受け戦死。さらに、小隊長の藤田福太郎少尉も地元住民から攻撃を受け、自活していた農園で戦傷死。165名中、戦後祖国へ復員できた者は僅か10名。転進途中、“喰うか喰われるか”の“人喰”が、日本兵と異人種間で頻発した。人肉食の真相に迫る赤裸々な証言 
イドレ到着以前、数ヶ月間を過ごした、地元住民から奪った農園で自活生活を送っていた頃、第14師団海上輸送隊(元独立工兵第22連隊)第1中隊(芝崎中尉)所属の小田切重徳伍長と仲矢辰巳兵長が、農園直下の浜辺に到達。川上軍曹は、この両名を農園での共生に誘った。現在山梨県甲斐市に暮らす小田切さん(89歳)は、その著『白骨街道 死の転進』の中で、この邂逅を生に導いた幸運と記している。

このように、人肉食というのは、日本軍が占領していたアジア・太平洋地域の各地で存在していました。現地の人の畑や農園を奪うわ、人肉を食べるわで、傍若無人のやりたい放題をやっていたのです。その根本の原因を突き詰めれば、将兵たちをそのようなあらゆる良心や感情うを奪い非人間的な殺人マシーンと仕立て上げ、無知、無計画、無謀な侵略戦争を遂行し、飢餓・餓死地獄へと追い立て追い詰めた大本営および天皇を含む大日本帝国ファシスト体制にあるわけです。しかし、どういう理由があれ、現地で日本軍の将兵という立場で、現地の人や強制動員された朝鮮人を殺害し、その人肉を食べて上、反抗した朝鮮人や現地の人を殺害したり、虐殺したということには変わりありません。
このような事件が戦後65年も経っても尚、こういう事実がでてきて取り上げられる現実を考えなければなりません。この記事にでてくる凄惨な人肉食や虐殺の現場から生き残った生存者を徹底的に咎めて、その加害事実を否定している右翼どもが現に存在していますが、そういう右翼どもを撲滅すると同時に、、生き残った被害者の人々の苦しみや悲痛に思いを馳せ、過去の加害歴史の認識と贖罪の気持ちをもち、1日も早い過去の加害歴史の清算に向けて徹底的に邁進する。
これが今の日本政府や日本社会、日本人に求められることだと思います。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 19:15 | Comment(23) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月22日

植民地時代の郵便貯金約43億円、「韓国人にも返還すべき」・・・・韓国

植民地時代の郵便貯金約43億円、「韓国人にも返還すべき」−韓国
http://news.livedoor.com/article/detail/4954703/
日本が統治した朝鮮半島や台湾などの旧郵便局に、払い戻しを求めないまま残されている口座数が約1900万件あり、残高は利子を含めて約43億円に
上ることが18日、分かった。共同通信が報じている。中国や朝鮮半島、東南アジア、南洋諸島で開かれたもので、民間人や軍人の口座だという。 貯金した本人かその相続人や代理人は、払い戻しを求めることができ、外地郵便貯金の払い戻しには通帳が必要で、軍事郵便貯金は通帳がなくても部隊の在籍証明などで請求できるとされている。
 韓国のメディアは、過去の日本の植民地支配は、韓国から金融の面でも無差別に収奪しており、その象徴である郵便貯金の実態が、少しずつ明らかになっていると報じている。
 日本は植民地時代、朝鮮半島と台湾などの植民地の住民はもちろん、サハリンへ強制徴用した人々にも郵便貯金への強制的に加入させた。この貯金は植民地収奪のための経済政策と、戦争を遂行する資金として使用された。 
日本はこの郵便貯金額の返還問題と関連して、台湾人には1995年から2000年までの期間に、貨幣価値の変化を考慮し、確定債務の120倍を支給したが、一方、韓国人の預金については、1965年の日韓基本条約で個人請求権が消滅したとして、返還をずっと拒否していると伝えている。
 これまで、1990年代以降に韓国に帰国したサハリン残留韓国人が、日本の裁判所に郵便貯金の補償請求訴訟を提起した。しかし、日本政府は、これらについても「請求権が消滅した韓国国民の範囲に含まれている」という主張を提出したとしている。
 日韓併合100年を迎え、韓国内では日本による植民地時代のさまざまな問題に対して、解決を求める声が高まっているようだ。(編集担当:李信恵・山口幸治)

大日本帝国は台湾や朝鮮半島などの植民地の住民はもちろん、サハリンへ強制徴用した人々にも郵便貯金への加入を強制して徹底的に財産の収奪を行った。この貯金は大日本帝国の侵略のため、経済政策と戦争遂行のための資金として利用された。台湾人には実質上の返還を行ったが、韓国人の預金に対しては日韓基本条約において個人請求権が消滅したことを盾に、徹底的に拒んでおり、日本政府、そしてそれを許してきて、今尚許容している日本社会、日本国民の悪辣さが感じられるニュースである。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:21 | Comment(13) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月01日

仙谷官房長官の「戦後個人補償」発言に韓国では大きな期待

仙谷官房長官の「戦後個人補償」発言に韓国では大きな期待
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0709&f=politics_0709_001.shtml
 菅直人内閣の要である仙谷由人官房長官が7日、記者会見の席上で、政府として、韓国に新たな戦後個人補償を検討する必要があることを示唆した。

  仙谷官房長官は、1965年に締結された日韓基本条約で決着済みとされる日韓間の補償問題について「法律的に正当性があると言って、それだけで物事は済むのか。改善方向に向けて政治的な方針を作り、判断をしなければいけないという案件もあるのではないかという話もある」と述べた。 
 韓国のメディアは、日本の菅直人政権が、植民地時代の強制徴用者などに対する日本政府による補償に関して、これまでの政権と違う積極的な立場を見せているとして、社会党出身で先進指向の仙谷長官が植民地支配をめぐる個人請求権問題に対して、政府レベルの補償を検討していることを示唆したと伝えた。

  日韓強制併合100年を迎える今年、日本は両国関係のターニングポイントになる政策を出すことができるのか期待されるとしている。
  クォン・チョルヒョン駐日韓国大使は8日、記者懇談会で「前向きで重要な意味」と評価。日本政府が今年中に韓日強制併合100年に関連した首相談話などを出すならば、そこに補償問題解決法の方向が提示される可能性があるとの見方を示した。
  しかし、仙谷長官が指摘したように、日本国内の世論がさらに成熟しなければ、政治的反発が起こるため、民主党政権としても大胆な問題提起は難しい状況だとし、さらに請求権問題がすでに解決されたという前提の下で施行する補償政策は、対象と程度に限界があるとの見方を示している。実際にこの戦後個人補償が成立するためには、越えなければならない難関があまりにも多いとの声も上がっている。(編集担当:李信恵・山口幸治)

仙谷官房長官が過去の歴史補償問題、個人補償について言及したという一点は褒めてもいい。自民党ファシスト時代だったらありえないことだった。でもこれが民主党の限界を示している。日韓基本条約で決着済の補償問題について法律的に正当性があると言っている点。所詮、民主党は民主党。変らんさ。真の良識派勢力が政権を奪し、右翼勢力、大日本帝国残滓を粉砕できる力を持たない限り、過去の歴史問題は終わることはない。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:38 | Comment(13) | TrackBack(1) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国際組織「日本は自国解釈のみ反映」 歴史教科書“一方的”勧告

仕事が忙しくて、ブログ更新をサボっています。今日は休みですが、いろいろと疲れが取れません。今年はお盆がなさそうなので、今日は更新しておきましょう。

国際組織「日本は自国解釈のみ反映」 歴史教科書“一方的”勧告
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100725-00000036-san-soci
 国際組織「児童の権利委員会」が、日本の歴史教科書について「日本の解釈のみを反映している」などと批判し、日本側に是正を勧告していたことが24日、分かった。具体的な問題点や教科書名には触れていないが、日韓が対立する歴史認識の問題をめぐって、一方的に日本に“譲歩”を求めているようにも受け取れる内容で、外務省などは勧告に困惑気味だ。

 同委員会は、18歳未満の権利についての国際条約「児童の権利条約」が、締約国で履行されているか審査する組織。

 6月に採択した日本に対する文書で「歴史教科書が、歴史的事件に関して日本の解釈のみを反映しているため、地域の他国の児童との相互理解を強化していないとの情報を懸念する」と批判。そのうえで、「アジア太平洋地域の歴史的事件に関して、バランスのとれた視点を反映することを確保するよう勧告する」としている。

 歴史教科書は中学だけで9種類(平成22年度用)あるが、教科書名は特定せず、具体的にどういう情報を基に何を問題視しているかも明示していない。

 ただ、委員会の審査段階では、日韓併合や「従軍慰安婦」という言葉の是非などについて議論を行った日韓歴史共同研究が取り上げられ、ドイツ人委員が日本側に質問したことがあった。

 委員から質問を受けたという文部科学省の担当者は「教科書の記述について具体的な質問もなかったし、韓国のことを単に『コリア』と呼んでおり、北朝鮮との違いも明確ではなかった」と首をひねる。

 韓国と歴史認識が異なることを理由に日本の教科書是正を勧告しているとすれば、重大な問題だ。

 勧告には法的拘束力はないが、外務省の担当者は「適切に対処する、としかいえない」と困惑している。

 外務省によると、同委員会委員は条約締約国の選挙で選ばれ、学識経験者や「人権の専門家」ら18人で構成されている。政府関係者によると、非政府組織(NGO)や日弁連などの見解の影響を受けることはしばしばあるという。

 教科書問題に取り組む「新しい歴史教科書をつくる会」(藤岡信勝会長)は「教科書をどのように書くかは、その国の教育の根幹にかかわる。不当な内政干渉で、断固拒否すべきだ」とする要請書を外務省に提出した。


産経の飛ばし記事。国際組織から日本の歴史教科書について改善勧告があったのは事実なのでしょう。これは従うべきですね。日本の歴史教科書に問題があるのは事実です。第二次世界大戦で、人類史上類例がないほどに、アジア・太平洋地域の各国に惨劇、惨禍、悲痛に与えました。そして、性暴力においては、特に常軌を逸し、その被害者数といった量、さらにその女性の受けた被害や凄まじさといった質ともに、"現代においてもそういうこと"がいった比喩を超越しているのです。日本の子どもたちにはそういう過去の歴史を知る義務があります。それが日本軍・大日本帝国の被害者や散って行った犠牲者に対する償いの1つですね。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:35 | Comment(1) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月23日

731部隊の人体細菌実験、3000人以上の被害者と1467人の身元判明のニュース

731部隊の人体細菌実験、3000人の被害者を確認−中国
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100516-00000003-scn-cn
 専門家の金成民氏が最近、旧日本軍731部隊について公表した新しい史料によると、ハルビンの平屋区にあった部隊本部では1939年から1945年にかけて、3000人以上の人びとが人体細菌実験の対象にされ、生き残った人は1人もいなかったと発表した。チャイナネットが伝えた。
 金成民氏は約3000人の被害者リストを手に入れ、中国を侵略した旧日本軍の非人道的な犯行の直接的証拠だと指摘している。
 また専門家はここ数年の調査で、数人の731部隊の元隊員による平屋区での人体実験の証言を得た。元731部隊の部長だった軍医の川島清少将によると、毎年、本部の監獄に実験用として拘束されていた人は400人から600人で、実験で亡くなった人は毎年600人以上に上り、少なく見積もっても5年間に3000人以上が命を失ったという。(編集担当:米原裕子)
あくまで少なく見積もってだから、実際は3000人をはるかに上回るということだろう。

 旧日本軍731部隊の人体実験、1467人の身元判明−中国報道
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100517-00000077-scn-cn
新華網はこのほど、第2次世界大戦時における旧日本軍731部隊に人体実験の対象とされた1467人の身元が判明したと報じた。中国新聞網が伝えた。
 中国731部隊罪証陳列館の金成民館長によれば、身元が判明した1467人のなかには23人の旧ソ連出身者と6名の朝鮮半島出身者が含まれていた。元731部隊の部長だった軍医の川島清少将の証言によれば、1939年から45年までの間に、年間最低でも500人の被害者が黒龍江省ハルビンの731部隊本部で人体実験の対象となっていたという。
 金成民館長は、「人体実験の対象となった人びとは日本憲兵隊にソ連のスパイという名目で拘束された人びとで、おもに抗日地下情報員と中国人捕虜であった」と話した。また、報道では中国南方でも旧日本軍による細菌戦の被害者8000人あまりを確認したという。
 中国での報道では、「731部隊は日本軍国主義者が第2次世界大戦時に組織した細菌戦秘密部隊の一つである」とし、「中国人や旧ソ連人、朝鮮人、モンゴル人などの捕虜を、細菌兵器に対する人体実験の対象とした」とした。
 また、ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所と日本の広島原爆遺跡が世界遺産に登録されたことを受け、ハルビンにある「侵華日軍部隊731遺跡」も世界遺産に登録する動きが出ている。(編集担当:畠山栄)
過去の大日本帝国は酷いことをやったものだ。生きた人間を使って。人体実験という非人道的なことは、人類史上幾多となく行われてきたものだが、ここまで規模が大きく、人体実験の残虐の質の度合い、さらには被害人数の多さを考えれば、人類史上類がなく、大日本帝国の右にでるものは存在しないということだ。731部隊のあった満州に限らず、国内においても、南方においても、日本軍が各地で人体実験を行ってきた過去の加害事実があるということも触れておかないといけないね。
こういう731部隊をはじめとする人体実験を含めて中国大陸で行なった大殺戮の数々や毒ガス戦、シンガポール・マニラでの民間人虐殺の凶行、朝鮮半島や中国、アジア・太平洋地域における強制労働・従軍慰安婦(女性)狩り、日本国内でも行なった思想弾圧・政治弾圧、特攻隊や一億玉砕と称する自国民への自殺強制や朝鮮人やアイヌに対する大日本帝国時代の民族弾圧、沖縄や南洋諸島での集団自決t強制という自国民虐殺、敗戦後も65年も経つのに誠心誠意過去の歴史に真剣に向き合って来なかったことに対して、ドイツと同じように、過去の大日本帝国の植民地支配・侵略した被害国、日本政府から謝罪や補償を何ら受けることなく苦しみや痛み、心の傷を背負ったまま亡くなった数々の被害者・犠牲者の遺族、大日本帝国によって青春や人生を奪われ、散って行った数々の犠牲者たちの骸に対して、そして世界中に向けて「謝罪」をすべきなのだ。それができず、過去の加害歴史について頬かむりを続ける日本という国、日本人に対して私は情けなくなります。
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突然の毒ガス…少女の夢奪う 中国遺棄事故、24日判決

突然の毒ガス…少女の夢奪う 中国遺棄事故、24日判決
http://www.asahi.com/national/update/0520/TKY201005200207.html

 少女は突然、戦争の被害者となった。旧日本軍が遺棄した毒ガスで2003年に中国・チチハル市で1人が死亡、43人が負傷した事故。当時10歳の馮佳縁さん(17)は汚染された土で遊び、被害にあった。負傷者全員と遺族計48人が日本政府に損害賠償を求めた訴訟の判決は24日、東京地裁で言い渡される。
 5月初旬、東京・吉祥寺の公園に、被害者救済を求めて署名を募る馮さんの姿があった。外見では遺棄兵器の被害者とは分からない。だが、後遺症で体力が低下し、長く動いてはいられない。
 事故があった03年8月、馮さんは小学3年生。整地のために運ばれた土で遊び、帰宅した後、足に激しい痛みを覚えた。皮膚がただれていた。目は赤く腫れて開けられず、のどに激しい刺激を感じた。
 学年で一番の俊足だった。スピードスケートの選手だった父の影響で、自分は陸上選手になる夢があった。しかし、事故後は、すぐ息が切れて胸が苦しくなる。成績も良かったのに、記憶力や集中力が途切れがちになり、普通高校への進学をあきらめた。
  いずれも毒ガス被害者によくみられる健康被害だった。そのうえ「あの子に近づいては駄目」といわれのない差別を受け、住まいも替えた。
なぜ、こんな目に遭わなければならないのか――。中国と日本の間で戦争があったことは知っていたが、遺棄化学兵器は全く知らず、チチハルに埋まっていたことは知るよしもなかった。「日本の化学兵器のせいだと知った時、激しい怒りと恨みを感じた」。同時に戦争の悲惨さ、恐ろしさも身をもって感じた。

 日本政府は09年度までに約4万7千発の遺棄化学兵器を回収したが、大部分が埋まっているとされる吉林省のハルバ嶺(れい)だけでもまだ30万〜40万発あると推計される。
 訴訟を通じ、馮さんは日本に自分を支援してくれる人たちがいると知った。「二度と同じような被害者が出て欲しくない」。そんな思いで判決の日を迎えようとしている。(向井宏樹)


5月24日ということは明日の月曜日に判決がでるということでしょうね。私は被害者自身が納得のでる判決が出てほしいですが、無理でしょうね。この記事で知って欲しいというのは、まだ、過去の加害歴史や戦争はまだ終結しておらず、戦後65年にもたとうというのに、大日本帝国というの悪の権下たるファシズム国家がしてきたことがまだ尾を引いているということです。いつこの国に良識が訪れるのでしょうか?
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旧日本軍の731部隊細菌戦の遺跡が世界遺産に申請へ

旧日本軍の731部隊細菌戦の遺跡が世界遺産に申請へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100515-00000005-scn-cn
 ハルビン市平房区には、世界に現存する最大規模の細菌戦の遺跡群である「731遺跡」が現存している。第二次世界大戦の3大戦争遺跡の一つとして、20年間の保護と開発を経て「731遺跡」は中国100カ所の革命聖地としての観光名所の一つとなり、世界からも注目されている。
 ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所と日本の広島原爆遺跡が世界遺産に登録されたが、「731遺跡」の研究に携わってきたハルビンの専門家や学者は、この遺跡の世界遺産申請の歩調を速める必要があると呼びかけている。チャイナネットが伝えた。
 ここ数年、ハルビンの関連部門が申請作業に力を入れている。ハルビン市農工党の関係者は、世界遺産に申請することが遺跡にとってもっともよい保護方法だと見ている。(編集担当:米原裕子)

是非世界遺産に登録されて欲しいと思います。日本の過去の加害の歴史を未来に伝えていかないといけませんからね。というか、本来は本来過去の加害歴史を清算し、そういう日本の過去の加害の歴史を代々伝え、そういう過去の加害や侵略の歴史の遺産を保存し、歴史教育に役立て、二度とこういう類似の侵略や類する国家犯罪行為を行わないように謝罪し、再発防止のための措置を含めて取ることに対して、積極的にならないといけないのに、日本社会や日本政府、日本人の腑抜ぷりにはつくづく情けなくなるね。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 19:03 | Comment(3) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月10日

朝鮮人強制連行:飛行場徴用の労働者19体分の遺骨発掘−−猿払 /北海道

朝鮮人強制連行:飛行場徴用の労働者19体分の遺骨発掘−−猿払 /北海道
http://mainichi.jp/hokkaido/news/20100508ddlk01040107000c.html
 猿払村浅茅野で行われていた朝鮮人労働者の遺骨の発掘調査が7日終わり、今回の調査でこれまでに最も完全体に近い1体を含め、推定で19体分の遺骨を発掘した。調査を実施した「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」が発表した。遺骨と遺品は浜頓別町の天祐寺に安置される。
 旧日本軍の飛行場建設に徴用された朝鮮人労働者の遺骨発掘は06年の第1回調査に始まり、北大や韓国の漢陽大の学生らが参加。09年の第2回調査を経て、今年5月1日から始まった第3回調査には、学生ら計75人が参加していた。

 調査は今回で終了となるが、発掘調査に当たった漢陽大学の安信元教授(45)は「記録では96人がここで働いたとある。調査を進めれば、もっと多くの遺骨が出ると思う」と話し、「北大と漢陽大の学生が一緒に作業したことは、両国の和解と平和のモデルになると思う」と発掘作業を振り返った。【金子栄次】
全く、未だにこんなことをやっているのだな。敗戦から65年の月日がたったのによ、未だに犠牲者の遺骨の発掘調査が行われている段階。しかも、国が直接行っているのではなく、学生たちが発掘調査を行っている。国が責任をもって、直接発掘調査を行うと同時に、関係者への聞き込みおよび、関係する文書や資料を調査し、そしてそれらをすべて公開して真相を明らかにすること。そして強制労働や強制連行を含む過去の国家犯罪や侵略・植民地化の事実を認め、被害者や犠牲者遺族に誠意のある謝罪と個人補償を行い、また学校の歴史教育においてその犯罪事実を正しく記し、子孫代々に伝え、再びこのような侵略や国家犯罪、それに類する国家の犯罪的行為(黙認も含む。ODAや財界による経済侵略や発展途上国への環境破壊促進)が起きないな再発防止措置も含めて現地点で取られているべきなのだ。現にドイツはそうしているのだが、この国はほんとどうしようもないね。
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2010年04月30日

従軍慰安婦問題を記載した「日本の良心的な教科書」が消える−韓国

従軍慰安婦問題を記載した「日本の良心的な教科書」が消える−韓国
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100423-00000036-scn-kr
 歴史の教科書を発行する日本書籍新社が21日、同日の教科書検定申請期限までに文部科学省に申請を行わなかったことが、産経新聞の22日付の報道で明らかとなった。

 この教科書は、中学校社会の歴史教科書では唯一従軍慰安婦問題を取り上げており、平成24年度からは従軍慰安婦問題に関する記述をした教科書が、すべてなくなることとなる。

 韓国のメディアは、日本の慰安婦問題などの恥ずべき歴史を正しく記録した、日本の良心的な教科書が消えると報道。歴史をわい曲した右翼的な教科書が幅をきかす状況で、採択する市町村が激減したことが原因とみられているが、日本の今後に大きな懸念を抱く、と伝えている。

 また、日本書籍新社の中学校歴史教科書について、従軍慰安婦の存在を認め、強制動員された元従軍慰安婦の集団提訴を扱った朝日新聞の写真付き記事を掲載するなど、日本の戦争責任を強調してきたが、日本の「新しい歴史教科書をつくる会」などから「自虐的歴史観を土台にしている」と、荒々しい批判を受けてきたと説明。

 さらに、1996年の教科書検定時は、検定を通過した7つの教科書すべてに従軍慰安婦問題が記述されていたが、2002年には3つ、2005年には2つとなり、関連記述が減少する傾向にあると指摘している。これに対し韓国側は、先月の日韓歴史共同研究委員会の2次報告書で「縮小一辺倒」と批判したと伝えている。(編集担当:李信恵・山口幸治)
これもまた危機的なニュース。私は何度も強調しているが、過去の加害の大日本帝国の歴史の清算をなくして日本の再生は成し得ない。過去の歴史の清算の過程の一部として、大日本帝国時代、過去に我が国が行った加害・戦争犯罪、侵略行為を余すことなく、子孫代々伝え、世代を超えて受け継いでいく義務がある。それの初歩的なものが歴史教育だが、それが民主党政権下でも着々と骨抜きが進むもんどだ。まして、"従軍慰安婦"はその加害歴史の中でも最たるものだ。日本軍の占領地や植民地の女性に対する性暴力や性加害がいくつもの加害、戦争犯罪の中でも最たるものであることは言うまでもない。肉体的にはもちろん、心に深い傷を受け、死ぬまで生涯にわたり誰にもいえず苦しめられている無数の被害女性らがいたし、現在でも少数ながらそういう生存被害女性の方々がいる。そういうことを考えれば、このような加害の歴史清算の退行の動きを断じて許すわけには行かないだろう。くだらない政治のお芝居を繰り広げている場合があるなら、こういう問題への対処が真っ先に急がれるべきである。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:49 | Comment(19) | TrackBack(1) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月11日

日本の竹島明記に韓国反発「妄言吐いた日本政治家は入国禁止!」

日本の竹島明記に韓国反発「妄言吐いた日本政治家は入国禁止!」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100409-00000003-scn-kr
 韓国のハンナラ党は7日、国会の最高重鎮連席会議で、日本の文部省が「竹島(韓国名:独島)は日本領土」と明記した小学校教科書を検定合格とさせたことや、竹島領有権記述を盛り込んだ2010年度版外交青書が確定したことに対し、「後世に戦争の火種を残している」「妄言を吐いた日本の政治家を入国禁止にすべき」など厳しく非難する声が相次いだ。

 ハンナラ党のアン・サンス院内代表は、「日本が行なった侵略と略奪の歴史について、韓国を含める関連国に謝罪を求める」とし、国会に対して「早急に独島特別委員会を構成、稼働し、この問題に対処すべき」と強く要請した。

 また、ソン・クァンホ最高議員は、「日本が後世に戦争の火種を残している。再び第二次世界大戦のような崩壊の道を歩かないようにするのなら、領土主権主張を止めるべき」と警告。続けて、ファン・ウヨ議員も、「これ以上、日本に礼譲政策をとる必要はない」「今後、日常的に妄言を吐く日本の政治家や官僚の韓国入国について、検討する必要がある」と述べた。

 一方、キム・ヨンミン議員は、「竹島問題や慰安婦問題など未解決の問題に対して日本政府は謝罪や事後の対応がない」と非難し、今後、韓国政府は日本と歴史的な問題で葛藤(かっとう)していることを深刻に議論する必要があると述べた。(編集担当:新川悠)

民主党政権になってもこの辺の無神経さは相変わらず。韓国がこのような決議をだし、制裁を課すのはすばらしいことですが、韓国一国だけでは意味はありません。国連の事務総長は韓国人の潘基文氏ですから、国連を巻き込んでやるべきだというのが私の主張です。日本社会の右翼化並びに憲法9条改正を含む大日本帝国への回帰、歴史修正主義の蔓延が危険水準で進んでいます。外圧だろうとなんだろうとなりふり構ってはいられません。右翼的、歴史修正主義の妄言を吐く政治家や官僚、右翼どもについては国連で制裁決議を課し、全加盟国の入国を禁止するだけではなく、、ICPO(国際刑事警察機構)に国際的な指名手配し、逮捕して処罰できるようにしなければなりません。そういう国際的に徹底した圧力および処置によってこそ、日本社会は変れると思います。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 12:22 | Comment(15) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

韓日間の過去史整理を促す決議案、民主党議員が発議

韓日間の過去史整理を促す決議案、民主党議員が発議
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100405-00000027-yonh-kr
【ソウル5日聯合ニュース】民主党の姜昌一(カン・チャイル)議員は5日、韓日間の過去史の整理を促す内容の議決案を代表発議した。

 決議案は、日帝時代の植民地支配の被害国と被害者に対し、日本政府が謝罪と補償を行い、慰安婦問題など1965年に締結された韓日基本条約で除外された事項について、両国が追加の交渉、または再交渉を行うことを促す内容を盛り込んでいる。

 また、日本が独島(日本名:竹島)領有権主張を撤回し、教科書から関連内容を削除すること、靖国神社参拝を中断し、在日韓国・朝鮮人に対する差別解消政策を策定することを求めた。

 姜議員は「韓日強制併合100年を迎え、新たな100年を準備するためには歴史の整理が必要だ。日本は韓日関係発展を望んでいるのであれば、われわれの要求を積極的に受け入れるへきだ」と述べた。

 決議案には、姜議員を含む与野党議員70人が署名した。


至極当然の内容。日韓基本条約の再交渉や全大日本帝国被害者の個人個人に対して再度の誠意のある謝罪と補償を行うことは当然。大日本帝国が1905年に朝鮮を保護国という名の実質的な植民地にしたついでに強奪したものであり、日本人が竹島の領有権を主張できること自体おかしい話だ。朝鮮半島に対する過去の侵略や植民地支配に対して真摯に反省していないということだ。撤回は当然だし、未だに在日韓国・朝鮮人に対して参政権を含む非道な差別政策を敷いていること、さらにそれを容認し、また差別政策を敷いていることに平然としていられる、異常とは思わない病的な社会感覚や世論をみるに、まだ、大日本帝国天皇ファシスト体制の過去の呪縛はまだ解けていないのだと感じる。過去の加害歴史の徹底的な清算を目指し、私は1人の微力な人間ながら、断固闘い続けます。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 12:13 | Comment(21) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月21日

「日本に植民地宗主国の後遺症が残存」立命館大教授

「日本に植民地宗主国の後遺症が残存」立命館大教授
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100318-00000023-yonh-kr
【大邱18日聯合ニュース】立命館大学コリア研究センターの勝村誠・副センター長(政策科学部教授)は17日、慶北大学で開かれた「日帝強制併合100年の回顧と韓民族の発展課題」と題する国際学会で発表に立ち、「日本社会には今もあちこちに植民地宗主国の後遺症が残っており、日本人はこれと闘い続けねばならない」と述べた。日本の高校授業料無償化、一部補助制度に朝鮮学校を含めるかどうかが政治争点となるなど、日本の世論からこうした後遺症をうかがうことができると説明した。

 また、日本は自身の手で植民地支配を清算しようとする意志が不足していたため、大半の日本人が植民地支配の問題点を認識できずにいると指摘。韓日併合100年を迎え大手雑誌が特集を組み、数多くの市民団体が朝鮮植民地支配を反省する講演や写真展を企画しているが、これらを妨害しようとする右翼団体の行動が過激になり参加者は多くないと、日本のムードを伝えた。



 その上で、韓日併合100年を機に韓日間に残る戦後の補償問題を早期に解決し、日本人が植民地支配の問題点を顧みることができるよう、条件と環境を整えねばならないと強調した。



今の日本人は一億総レイシスト状態といっても過言ではないでしょうかね。日本の高校無償化問題でも、朝鮮学校を含まるかどうかを争点とすること自体、そういうことに異論を唱える右翼勢力の存在そのもの問題とされなければならないのにね。こういう近隣諸国との歴史問題が解決できず、偏見や民族蔑視に凝り固まり硬直した日本社会のあり方こそが国辱ものであり、世界、いや人類史上の歴史において恥です。一刻もはやく、日韓だけではなく、すべてのアジア・太平洋諸国に残る過去の加害問題を早期に解決するともに、過去の加害歴史について日本国民1人1人が顧みることが出来るように、条件と環境が整えられることを願ってやみません。微々たる努力ですが、私もこういう合間を惜しんでブログを更新していく所存です。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:12 | Comment(4) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

万人坑:旧満州「もう一つの強制連行」 歴史に光を、14日に報告会 /大阪

万人坑:旧満州「もう一つの強制連行」 歴史に光を、14日に報告会 /大阪
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100312-00000170-mailo-l27
大阪市の市民団体の女性が、中国侵略戦争の際に鉱山などで現地の人が酷使されて埋められた跡「万人坑(まんにんこう)」を知る旅を催し、報告会を14日午後1時半から、大阪市港区弁天1の弁天町市民学習センターで開く。中国人が日本国内に連れて来られ酷使されたことはよく知られているが、旧満州などでの「もう一つの強制連行」はほとんど知られておらず、「想像以上の被害規模だった」という。

 企画したのは、日本人戦犯を中国側が寛大に扱ったことなど元日本兵から聞き取っている「撫順(ぶじゅん)の奇蹟(きせき)を受け継ぐ会」関西支部代表の野津加代子さん(48)。遼寧政治経済学院の李秉剛(りへいごう)元教授が万人坑などを研究していることを知り、案内役になってもらった。

 旅行は昨年9月に実施し、野津さんら戦後世代3人を含め6人が遼寧省(旧満州)の炭鉱や鉄鉱などにある6カ所の万人坑を訪問。過酷な労働の後、栄養失調やけが、病気、虐待などで亡くなった人たちがまとまって埋め捨てにされており、おびただしい遺骨だったという。

 李元教授は「関心を示す人が少ない万人坑の悲痛な歴史の事実を日本人に知ってもらえてうれしい。今後も交流に尽くしたい」と話したという。

 資料代800円。野津さんは今年9月末にも別の万人坑旅行を計画中。問い合わせは竹本さん(090・8860・9961)。【大島秀利】


今現代においても、戦時とは違いますが、労働者が酷使されて使い捨てにされていますよね。この現代の日本で。特に派遣労働者や外国人研修生において顕著である。例えば、不条理日記信仰の自由すら奪われる中国人研修生という記事にありますが、中国などから研修や実習と称して騙して連れてきて、劣悪な労働条件で低賃金で酷使されてパスポートも奪われ、外出の自由もなく、信仰の自由さえ奪われている外国人の方々がいる。大日本帝国の過去の歴史の清算を怠ってきたつけが、2010年という70年たった今も日本社会および在日外国人や貧困者を蝕んでいる。参議院選挙で国民新党や民主党の右派・極右を追い出して、良識派連合の名のもと、過去の清算を徹底的に行い、膿を出すべきである。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:00 | Comment(10) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月20日

旧満州国の思想弾圧事件 でっち上げ 脅す憲兵隊、資料が語る

旧満州国の思想弾圧事件 でっち上げ 脅す憲兵隊、資料が語る
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201003040258.html
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201003040258_01.html
旧日本陸軍の憲兵隊によるでっち上げ事件であったことが分かった、旧満州国(中国東北部)での合作社事件。戦時中の思想弾圧の実相を浮かび上がらせたのは、憲兵隊側の内部資料だった。捜査の過程だけでなく、満州国での過酷な弾圧の様子や、当時の日本人の中国人観を伝える資料も含まれていた。(渡辺延志)


 資料は、静岡県の民家で見つかった。関東軍の警察組織である関東憲兵隊特高課に勤務した元下士官の遺品だ。事件の中心人物とされた日本人6人の調書や手記など捜査側の資料などが含まれていた。治安維持法事件の捜査資料がこれほどまとまって見つかったのは初めてだという。


 中には、憲兵たちに任務を理解させるために使われた教本も含まれていた。

 「警備警察」という教本は、満州国の治安状況と憲兵隊の任務について「我が国治安維持上の最大障害は匪賊(ひぞく)である」「討伐の対象は主として共産匪である」と記していた。匪賊とは、満州国や日本軍に抵抗する現地の人たちの集団を指した。

 「極秘」と表紙に印刷された「剿共(そうきょう)実務教案」は、「中国共産党は最大の剿滅目標なり」と述べていた。剿(掃)は、はらい去るの意だ。満州における憲兵は単なる警察ではなく、前線の実戦部隊だった。

 中国人に対する当時の過酷な取り締まりの様子をうかがわせる資料もあった。

 「憲兵支那語会話」という手帳サイズの冊子は、「路上検問」での「止まれ」「逃げるでない」で始まる。「高等訊問(じんもん)」の項は、次のような「会話」が並んでいる。

 「おい、これだけ証拠があるのにまだ隠しだてをするのか」「はやく白状しろ」「どのようなことがあっても白状させるぞ」「どうだ、云(い)え、云え」「早く白状すれば、こんな目にはあわないですむのに」「よし、後悔するな」「来い、目にもの見せてくれるぞ」……
 資料を残した男性(故人)は、小学校を出ると家業の農家を手伝い、20歳で徴兵された。満州へ送られ、鉄道の警備などを経て、憲兵を志願していた。合作社事件の当時、28歳だった。

 資料には、鉛筆書きの手紙も含まれていた。「私はきゅうちょうです」という女子の名前が記されている。「へいたいさん だんだんおさむくなりました」と始まり、「ほんとうにかわいそうです。国のためにはたらいて下さったのですね」「しなのチャンコロを、うちころして早くかへって来て下さい」と続いていた。

 資料を保管するJR総連資料室(東京都品川区)の松山英司さんは、「慰問のために学校で書いたものでしょう。憲兵の仕事をするための心の支えだったのでしょうか……。こんな時代があったことを忘れてはいけない、と教えてくれるようです」と話す。

 合作社事件では5人が無期刑を受けた。治安維持法第一条「国体を変革することを目的として団体を結成した」との罪に問われた。執行猶予がつくこともあった満鉄調査部事件や横浜事件などその後の思想弾圧と比べて罰が重く、獄死者も多かった。

 満州国の治安維持法は日本の法をもとに1941年の年末に施行された。小樽商大の荻野富士夫教授によると、満州国での運用は日本よりはるかに過酷で、敗戦までの3年半ほどの間で、中国人に対する死刑判決は2000人近くに達したと推計できるという。

     ◇

 ■合作社事件 旧満州で農協運動をしていた農事合作社の勤務者など日本人五十数人を、関東憲兵隊が1941年秋以降に逮捕した思想弾圧事件。治安維持法で5人が無期刑に。発見された旧満州国最高検察庁の資料を松村高夫慶応大名誉教授らが分析した結果、憲兵隊の作り上げた虚偽の容疑だったことが分かり、資料集として不二出版から刊行された。
 


ちなみに朝日新聞のWebにあった写真と説明



TKY201003040238.jpg
満州国最高検察庁がまとめた合作社事件の資料。無期刑を受けた5人の捜査から裁判までの一括資料だ

TKY201003040237.jpg
憲兵用の中国語会話集には「はやく白状しろ」などが並んでいる

一応、写真と説明を載せておきますね。大日本帝国の過去の加害の紛れもない証拠となる貴重な写真ですので、記事本文だけではなくこちら側でも永久にブログに残るように転載しておきます。

深くは書きませんが、未だに取調べを含む警察や検察における聴取における弁護士の同席や全面可視化が行われず、拷問紛いが行われているのが日本の現状であり、こういう大日本帝国の暗黒部分が脈々と受け継がれています。こういう部分が民主党になって変わっていくと思いましたが、何も変わる気配はありませんね。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:50 | Comment(7) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月13日

国立歴史民俗博物館の沖縄集団自決への軍関与削除 良識派団体抗議行動など

また嘆かわしいニュース。当たり前のように起こりすぎてこのレベルでは怒れなくなってしまった私の感性もどうかしているが。

歴博・軍関与削除 抗議行動協議へ 9・29実現させる会
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100310-00000012-ryu-oki
千葉県の国立歴史民俗博物館が16日から公開する新たな常設展で、沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)への旧日本軍の関与を示す記述を取りやめたことに対し、2007年9月の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」を呼び掛けた6団体でつくる「9・29県民大会決議を実現させる会」は9日、抗議行動に向けた話し合いを11日に那覇市内で開くことを確認した。一方、県教育庁は「情報収集して判断する」としている。

 同会の玉寄哲永世話人は「沖縄戦当時、喜屋武岬で日本兵から『貴様らこれを使え』と手りゅう弾2個を渡された」と自身の経験を振り返りながら「軍が関与している沖縄戦の実態は多くの体験者が証言している。根底には教科書から軍強制の文言を削除した文部科学省の判断があるのだろうが、歴史を捏造(ねつぞう)する行為だ。全く許されない」と語気を強めた。
「集団自決」軍関与削除 館の判断で表現ぼかす
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100313-00000012-ryu-oki
 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市、平川南館長)は12日、新常設展示室「現代」における沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)解説文から日本軍の関与を示す記述が削除された件で、初めて館の見解を示した。高校歴史教科書検定問題や軍命の有無が争点となっている大江・岩波訴訟などを理由に挙げ「文字資料から検証できるレベルのものに留(とど)めた」と説明。最終的に館の判断で「軍の関与をぼかす文章にした」と説明した。

 公開後に館内外の専門家でつくる委員会を早急に開き、「諸方面からの意見に関して検討を行う」と記述変更の可能性を示唆した。予定通り16日から一般公開する。

 同館はこの件が発覚した8日以降「対応を検討中」として、記述変更の経緯を明らかにしていなかった。12日は「第6展示室『現代』開室にあたって」という文書を発表した。

 同室展示責任者の安田常雄副館長は、琉球新報の取材に対し、展示の中身に助言する「第6室リニューアル委員会」の委員から軍の関与を否定する意見はなかったが、表現について「慎重にすべきだ」や、根拠とする資料を提示し「工夫しながら(軍の関与を)明示した方がいい」などの助言があったことを明らかにした。

 県内で反発があることに「率直に受け止めたい。さまざまな意見を聞き、公開後の記述変更も含めて検討していきたい」と話した。


今更検証もなにも、沖縄の集団自決における日本軍の関与は状況証拠も文献証拠ともに出揃っているのだ。その権威の林博史先生に聞いてみたらいい。状況証拠の例をあげるなら、サイパンやグアムなどの太平洋諸島でも邦人の集団自決があり、そこに軍の関与もあったこと。沖縄県において集団自決は日本軍のいた島で起こっており、日本軍が駐屯していない島では起きていないということなどがあげられるね。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 21:33 | Comment(5) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月06日

朝鮮学校への公立高校との同等の補助はなされるべき 「高校無償化」 日本外国特派員協会で朝鮮学校校長らの会見

「高校無償化」 日本外国特派員協会で会見
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2010/03/1003j0305-00008.htm

「教育内容、遜色ない」、「除外すれば歴史に汚点」
「朝鮮高校で学ぶ息子は在日4世で私は3世です。父は10歳まで日本人でしたが解放後、朝鮮人に戻りました。みなさん考えてみてください。一度日本人にさせられた子供に民族の言葉を学ばせ朝鮮人として再生させる、そのために祖父母たちは朝鮮人学校を立ち上げたのです。」
 朝鮮学校学生の保護者が各国の記者たちにアピールした。「高校無償化」の対象から朝鮮学校を除外しようとする動きが あることと 関連して3日、日本外国特派員協会で会見が行われた。日本朝鮮学術交流協会の西澤清副会長、園部守事務局長、茨城朝鮮小中高級学校の崔寅泰校長、東京朝鮮中高級学校の 保護者 である厳光子氏が発言した。
 この日の会見は 「 朝鮮学校の歴史と教育内容についてもっと広く知ってもらい たい」(園田守事務局長) との趣旨から開かれた。 会見場には各国の特派員が集まり、日本のテレビ局も取材を行った。

 会見で 崔寅泰校長 は日本植民地支配からの解放とともに、強制連行によって日本につれてこられた在日朝鮮人1世の手によって日本各地に設置された朝鮮人学校の歴史とその教育内容について述べた。
 崔校長は、朝鮮学校が日本の学校制度にあわせて6・3・3・4制を採用し、学校教育法第1条が定める日本の学校と遜色のないカリキュラムで教育を行っており、各種学校である他の外国人学校と同様に、教育と運営において関係法規を遵守し報告を行うなど、所管の都道府県の監督を受けていることを説明した。
 また、朝鮮高校卒業生には東大や京大などほとんどすべての国立大や私立大の受験資格が認められており、受験生のほとんどが現役合格を果たしていると紹介した。
 崔校長は、朝鮮学校を無償化の対象から外すべきと主張する人々の「中身が見えない」「制裁をしている国の国民」などの指摘は事実と異なると指摘し、過去にも朝鮮半島情勢を口実に何の罪もない生徒たちに対するチマチョゴリ事件や暴言、暴行が繰り返されてきた事実について触れながら「政治、外交的な理由により朝鮮学校を無償化の対象から除外しようとする動きは、民族差別を一層助長するもので看過することはできない」と述べた。
 厳光子氏は朝鮮学校で子供を学ばせる親たちの気持ちを語り、「日本人とともに歩んでいく子供たちの未来を思い、無償化制度を差別的に運営することが本当に日本の国益になるのかどうか、真剣に考えて欲しい」と訴えた。
 西澤清副会長は無償化制度が間接給与であるため学校問題が論じられているが、本来は個々人の学生に対して授業料を支援するのが制度の趣旨であり、どの学校に通っているかによって差別的な運営をするべきではないと主張した。そして「無償化の対象から朝鮮学校を外せば、日本は歴史に汚点を残すことになる」と述べた。
 外国特派員たちは朝鮮学校を無償化対象から除外しようとする動きを「人権問題」として扱うべきとの認識を示しながら、学校の教育内容について質問した。
過去に日本の人権侵害状況について勧告を行った国連が、無償化問題の差別的運営に対して、どのような見解と態度を示すのかについて関心を持つ記者もいた。
 教育内容に関する質問に答えた崔寅泰校長は「国交がない国の教育内容」を確認することが出来ないとの鳩山首相の発言に触れ、「朝鮮学校は遠くにあるのではなく、日本にある。実情を直接確認することは可能だ」と述べた。



朝鮮学校校長らの言い分は最もでしょう。一番強調しておきたいのは朝鮮学校のカリュキュラムについては、北朝鮮にいかなくても日本国内にあるのですからすぐに確認がとれるということです。「国交がないから教育内容を確認できない」というのは怠慢に他ならないでしょう。日本の高校とどうなっているのかであって、母国が高校と認めていたら小中学校レベルのカリュキュラムしか備えてなくても高校と認定するのかという話ではないはずです。そういう怠慢さの背景にあるのが、日本社会の朝鮮民族をはじめとするマイノリティ、弱者への差別・蔑視であり、さらに突き詰めれば、日本社会の鎖国性、閉鎖性、異端排除の思想、それをさらに支えるのが大日本帝国の残滓です。結局のところ、朝鮮学校の無償化の問題にしろ、在日朝鮮人への無年金問題、在日外国人参政権の問題、非正規労働者の問題、現代に通ずる諸問題は結局のところ、過去の大日本帝国の加害の歴史から目を背け、清算の義務から逃げ続けてきた戦後の歴史問題に通じるのです。
朝鮮学校の無償化を認めるべきでありますが、それで解決ではなく、過去の加害歴史の清算と大日本帝国の残滓を除去すること。このような同種の問題が二度と起こさないように、過去の加害及び名誉や尊厳を回復されぬまま亡くなった被害者や犠牲者に心を痛め、謝り償いたいと心底より思う正常な人間感覚、人権感覚を日本人一人ひとりが身につけるようにすべきです。この問題で改めてこういうことを思う次第です。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 21:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自民党:「徴兵制検討」示唆 幹事長、慌てて否定

自民党:「徴兵制検討」示唆 幹事長、慌てて否定
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100305k0000m010084000c.html
自民党の憲法改正推進本部(本部長・保利耕輔元文相)が4日公表した論点整理に徴兵制の検討を示唆するかのような部分があり、大島理森幹事長が急きょ談話を発表して打ち消す一幕があった。

 論点整理は「国民の権利及び義務」の項目で「ドイツをはじめ多くの国では、憲法で、国民の兵役義務や、良心的事由に基づいてこれを拒否する者の代
替役務等が定められている」と指摘したうえで、「民主主義国家における兵役義務の意味や軍隊と国民との関係などについて、さらに詰めた検討を行う必要があ
る」と提起した。


 これが「徴兵制検討」と速報されたのに慌てた大島氏は、談話で「論点整理はあくまでも他の民主主義国家の現状を整理したもの。わが党が徴兵制を検討することはない」と否定した。【木下訓明】

ついつい本音がでちゃったんだね。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 16:34 | Comment(4) | TrackBack(1) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月28日

強制労働の戦後補償の問題のニュース

≪解説≫「南洋群島の悲劇」、戦時日本の蛮行明らかに
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100225-00000028-yonh-kr
【ソウル25日聯合ニュース】朝鮮半島出身の強制徴用者に対する日帝(大日本帝国)の残酷さを見せる新たな事実が政府の調査で発見され、三・一節(独立運動記念日)を控え、国民に再び「亡国の恨み」を抱かせることになった。

 1930年代後半、サイパンなどの南洋群島(日本が統治していたミクロネシアの島々)に強制徴用された朝鮮半島出身の労働者の多くが、地獄のような苦痛を味わった末に生涯を閉じたことが確認されたためだ。

 実際は強制徴用だったものの、「移住すれば土地をやる」という朝鮮総督府の言葉に一抹の希望を抱き、南洋群島行きの船に乗った人々は、要塞(ようさい)工事などで酷使された。その後太平洋戦争が発生し、約6割が爆撃や飢えなどにより遠い異国の地で帰らぬ人となった。

 日帝強占下強制動員被害真相糾明(究明)委員会が25日に発表した調査結果は、当時南洋群島に強制徴用された韓国人や朝鮮人の置かれた惨状を生々しく伝えている。

 調査結果によると、1939〜1941年に南洋群島に強制動員された5000人以上の朝鮮半島出身労働者は、飛行場の建設やサトウキビの栽培などに投入され、酷使された。1941年に日本の真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まってからは、盾として爆撃にさらされ、飢えも重なり徴用者の6割が死亡したものと把握された。

 日本は当初、サイパンなどを太平洋戦争の前進基地にしようと、この地域に大規模軍事施設を建設し、ここに必要な人員が足りなくなるや、朝鮮半島から労働者を徴用し始めた。

 徴用を担った朝鮮総督府は、労働者や小作農、軍属の名分で人々を募集し、「環境の良い場所で働け、10年以上の長期移住者には農地も与える」と約束していたことがわかった。

 しかし、現地に到着した人々にはつらい長時間労働をあてがい、賃金は約束よりもはるかに少なかった。こうした劣悪な環境の中で、日本は精神教育という名のもとに人々を組織的にコントロールしていた。

 苦しい労働に投入された人々は、太平洋戦争が始まると突如として軍人・軍属とされ、戦場で盾となった。日本軍はこれら人々に対し、火薬を頭に載せ米軍の戦車が来たら自爆するよう命じるなど、自殺も強要した。

 南洋群島の韓国人・朝鮮人死亡率は、海外徴用地域のうちで最大水準となる。日本やシベリアなど他の徴用地域では、韓国人・朝鮮人の犠牲者が徴用者全体に占める割合は最高で6%ほどと推定されている。

 戦火を逃れ生き残った人々も、相当数が戻れないまま現地で苦しい生活を続け、この世を去った。生存者の子孫で同地域に暮らす韓国人・朝鮮人は、「キン」や「サイ」などの姓が多いという。日本語の発音にのっとりキム氏がキン氏に、チェ氏がサイ氏になったためだ。約2500人が暮らすテニアン島は、原住民人口の4割以上が韓国人・朝鮮人の血筋と伝えられていると、真相糾明委は説明した。

 今回の調査で、南洋群島の強制徴用実態の一部が明らかになったが、これに関する学界の研究実績はほとんどなく、また1942〜1945年の強制動員被害実態に関してはまったく伝えられていない。

 国内に暮らす生存者は、現在50人余りを残すのみとなっている。手遅れになる前に南洋群島への韓国人・朝鮮人強制徴用の真相を究明すべきだとの声が、三・一節を前に一層高まる見通しだ。

99円年金 韓国の78歳女性、厚労省に抗議
http://www.asahi.com/national/update/0224/TKY201002240430.html

 太平洋戦争中に朝鮮半島から日本の工場に徴用され、厚生年金の脱退手当金として昨年12月、旧社会保険庁(現在の日本年金機構)から99円の支給を受けた韓国・光州市に住む梁錦徳(ヤン・クムトク)さん(78)が24日、厚生労働省や民主党幹部を支援者らとともに訪問し、謝罪や補償などを求めた。

 厚労省で細川律夫副大臣と面会した梁さんは、机の上に99円分の硬貨を並べ、「徴用で2年間も働いて賃金も支払われず、苦痛と涙の65年を過ごして受け取ったのがこれだけ。もし、あなたの母や姉が同じ目にあったらどう思いますか」と訴えた。

 これに対し、細川副大臣は「私個人の気持ちとしては、本当に失礼な金額だと思う。ご要望は大臣にきちんと伝えたい」と述べた。

 国会内で民主党の今野東・副幹事長と面談した際も99円を並べた。今野副幹事長は「不愉快な思いをさせて申し訳ない。誠意ある対応をするよう厚労省に伝えたい。一日も早く解決すべき問題だと考えている」と、党として対応を検討する考えを示した。

 「99円」の手当金支給を巡っては、韓国の柳明桓(ユ・ミョンファン)外交通商相が「日本側の誠意ある措置を期待する」と表明したほか、光州市では連日、市民による抗議デモが続いている。(中野晃)

侵略国によって、強制労働させられ、地獄のような苦しみを味わい、その上賃金ももらえず、納得の行く説明や謝罪、真相解明も国家の厚い壁に阻まれてなおざりにして、過去の戦争の被害者や犠牲者を侮辱してきた戦後の歴史がある。もう終わりにしようや。そういう悪い積み重ねが、現代の問題、例えばトヨタの大規模リコールの問題、年金の問題、今の政治不信の問題の根本につながっていると私は思う。そういう悪しき大日本帝国の輪を切り崩すべきだ。すべては大日本帝国の過去の清算より始まる。私が右翼討伐委員会を立ち上げた当初から言い続けてきたことです。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:46 | Comment(3) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高齢化で元慰安婦女性の死相次ぐ、急がれる問題解決、慰安婦問題について

高齢化で元慰安婦女性の死相次ぐ、急がれる問題解決
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100223-00000028-yonh-kr
【ソウル23日聯合ニュース】3・1独立運動の記念日を前に、旧日本軍により被害を受けた元慰安婦女性らの悲報が相次ぎ伝えられている。存命者が少なくなる前に慰安婦問題を解決すべきだとの声が高まっている。

 韓国挺身隊問題対策協議会が23日に伝えたところによると、国に登録された元慰安婦女性234人のうち半数を超える148人が、日本政府の謝罪の言葉を聞くことなく亡くなっている。特に2000年代に死亡者が急増している。2000年に10人が亡くなって以来、ことしまでに101人が亡くなった。ことしだけでも2人が他界した。

 存命する86人のうち78人が韓国内に、8人が中国、米国など海外に居住している。このうち80歳以上が71人(全体の82.5%)と、高齢者がほとんどだ。存命者は年々少なくなっており、1日も早く日本の謝罪と法的賠償を引き出すことが何より重要となっている。

協議会のアン・ソンミ幹事は「おばあさんが1人亡くなるごとに、慰安婦問題を早急に解決する必要性を感じる。1人でも多く生きているうちに、日本政府が動き、慰安婦問題を解決してもらいたい」と話す。

 83歳の元慰安婦女性も「被害者たちが、あとどれだけ生きるだろうか。わたしたちの代で日本の謝罪を受けなければ。子孫に荷を残すことはできない」と語った。

 元慰安婦女性らは、ソウルの在韓日本大使館前で毎週水曜日に慰安婦問題の解決を叫ぶ「水曜集会」を18年間続けているが、日本は依然、黙して語らない。
世界各国が慰安婦問題の誠実対応という圧迫を加えるなかでも、日本政府は公式謝罪、法的賠償、再発防止に向けた法律制定など、実質的な問題解決をいまだ行っていない。

 協議会はこのため、日本政府の公式謝罪と法的賠償などに向けた法律制定を求める50万人署名運動を実施すると同時に、韓日国会議員が参加する懇談会や討論会を開催する計画だ。ヤン・ノジャ幹事は「日本が法を作るには、韓日両国の議員や専門家の力が必要となる。日本の市民団体とも連帯し、慰安婦問題を解決する法制定に向け努力する」と強調した。

<インタビュー>最高齢の慰安婦被害者、イ・スンドクさん
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100223-00000030-yonh-kr
【ソウル23日聯合ニュース】「日本軍の蛮行でわたしたちは殻だけが残った。目を閉じる前に日本の謝罪と賠償を受け取らねばならないのに…」――。

 元慰安婦の生存者のうち、93歳と最高齢のイ・スンドクさんが、先ごろソウル・西大門にある施設「ウリチブ(わたしたちの家)」でインタビューに応じ、今後の希望を尋ねる質問にこのように答えた。

 イさんは、若いころの日本軍の暴行で体中傷だらけだと、つらい過去を打ち明けた。全羅北道・裡里(現在の益山)出身で、1934年に17歳で満州に連れて行かれ、苦難を味わった。「白米の飯ときれいな服をくれるという言葉にだまされて満州に渡った後、上海に移された。家に帰してほしいと泣けば、返ってくるのは日本軍の暴行だけだった」。

 時がたち、1945年の植民地支配からの解放と同時に祖国の地を踏んだ彼女を待っていたのは、青天のへきれきにも等しい両親の死の知らせだった。「満州に連れて行かれる際、両親と満足に別れのあいさつもできなかったが、故郷に戻ると2人とも亡くなっていた」と目頭を熱くする。

 解放により自由の身になったが、それまでに受けた苦難で体は満身創痍(そうい)の状態だった。女性としての人生は捨てざるを得ず、さまざまな病気で常に薬を手に生きてきた。「耳もよく聞こえず、腰も痛くて毎日薬で耐えている。死ぬ前に日本の謝罪と賠償の知らせを聞けば遺恨はない」と願いを口にした。

 寒さのためしばらく休んでいたが、暖かくなれば、在韓日本大使館前で慰安婦問題解決を訴える水曜集会にも再び出席し、日本の謝罪を求めていく考えだ。

 元慰安婦のキル・ウォンオクさん(83)も、「日本政府が謝罪と賠償を拒み、生存している女性がみな死ぬことだけを待っていても、問題はなくならない。子孫が記憶し、歴史が証言するだろう」と強調する。

 施設でイさんとともに暮らすキルさんは、体が不自由ながらも慰安婦の人権回復と真相究明を目指し、世界各国で慰安婦の被害状況を証言してきた。「被害者の女性が生きるとして、あとどれだけ生きられるだろうか。わたしたちの代で日本の謝罪を受けねばならず、子孫に荷を負わせるわけにはいかない」と言葉に力を込めた。

 国に登録された元慰安婦234人のうち半分以上の148人が、望んでいた日本政府の謝罪の言葉を聞けないままこの世を去っている。


こういう大日本帝国関連のニュースがあるので伝えておきたい。あまり言うことはないでしょう。くだらない政治の問題やスキャンダルばかり、テレビをみれば下らないワイドショや芸能番組ばかりやっていますが、そんなことをしている場合ではないでしょう。この大日本帝国・日本軍の被害者への戦後補償問題の解決については次の世代にはもはや持ち越すことはできない緊急に対応を要すべき課題です。他の問題はおいておいてもこれだけはすぐにでも解決すべきだと思います。というか、大日本帝国・日本軍の侵略や加害を考える上で、その被害者やその残された家族、残された家族の苦しみと痛みについて思いを馳せる正常な心を持つならば、私は誰しもが日本軍の性暴力に会い、屈辱と名誉を晴らされぬ不条理に怒りを覚え、即急に解決しなkればならないという思いに一直線になるのではと思うのですがね。
それと、Yahooの記事にはいつの間にかコメント欄がついたのですが、そこには右翼の被害者へのセカンドレイプに満ちたコメントに溢れていて正直腹立たしいです。もちろん、右翼だけではなく、右翼のコメント欄に満たされるという現実。こういう現実を許しているのは、右翼以外の普通の人たちなのです。私はそういう普通の人たちに対しても、こういうのをみると腹が立ちます。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:33 | Comment(6) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月05日

独島:日本領ではないことを示す地図を発見

独島:日本領ではないことを示す地図を発見
http://www.chosunonline.com/news/20091231000005

 独島(日本名:竹島)を日本の領土から除いた19世紀
後半の日本の地図が、新たに発見された。東北アジア歴史財団(鄭在貞〈チョン・ジェジョン〉理事長)のホン・ソングン研究委員は30日、日本の内務省地理
局が1879年と1881年に制作した地図「大日本府県管轄図」と「大日本府県分割図 島根・岡山二県図」の2点を公開した。この2つの地図では、隠岐だ
けが島根県の所属として描かれており、独島と鬱陵島は日本の領土には含まれていなかった。

 ホン・ソングン研究委員は「これらの地図は、1877年に独島と鬱陵島
を日本の領土から除外した明治政府の方針に従って制作されたものと見られる」と語った。島根県は、1876年に独島と鬱陵島を島根県に含めるかどうかを内
務省に問い合わせ、当時の内務省は最高権力機関の太政官に再度問い合わせを行った。太政官は、翌年3月20日に「独島と鬱陵島は日本と関係ない」と回答
し、両島を島根県煮含めないことを指示した。2つの地図を作成した日本の内務省地理局は、明治初期に日本の地図を製作していた機関だ。

 またホン研究委員は1880年に地理局が作成した「大日本国全図」でも、当時領有権問題が持ち上がっていた小笠原諸島と南千島については詳細に描
かれている反面、独島と鬱陵島は日本に含まれていなかったことを紹介した。日本は、1904年の日露戦争直前まで、独島を韓国領と認めていたが、ロシアと
の戦争が本格化した1905年2月、それまでの態度を変え、独島を島根県の所属に編入した。東北アジア歴史財団は、ホン・ソングン研究委員など独島研究所
の研究者5人が執筆した研究書『独島と韓日関係』を30日に発行した。



金基哲(キム・ギチョル記者)

どんどんと研究が進むにつれて、日本政府や右翼どもの竹島/独島領有の主張のデタラメを示す証拠がでてくるね。朝鮮半島の侵略化への試みと同時に、独島を略奪した経緯から、日本政府や右翼がいう島領有権主張は、こういった韓国に対する侵略、植民地化といった歴史的知識と反省の認識を欠いた不遜極まりないものだ。鳩山政権には独島の領有権放棄を勇気をもって実現して欲しいと思う。、
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 20:10 | Comment(15) | TrackBack(1) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月04日

従軍慰安婦被害者の金順岳さん死去

従軍慰安婦被害者の金順岳さん死去
http://www.chosunonline.com/news/20100104000009

 日帝による植民地統治下で日本軍の従軍慰安婦として連行され、近年は当時の実態を積極的に証言してきた金順岳(キム・スンアク)さん(82)が2日午前、死去した。

 金さんは現在の慶尚北道慶山市で小作農の家に3人兄弟の長女として生ま
れ、16歳の時に「繊維工場に就職させる」という言葉にだまされ、日本軍の慰安所に連れていかれた。その後、中国のハルビン、内モンゴル、北京などで2年
あまりにわたり、日本軍に性的奴隷生活を強要された。金さんは解放後の1946年に鴨緑江を渡り帰国し、ソウル、群山、麗水、東豆川などを転々としながら
苦しい生活を営んできた。



 金さんは2000年に日本軍による従軍慰安婦被害者として登録し、韓国挺身隊問題対策協議会の集会で慰安婦の実態について証言してきた。07年2
月には国会統一外交通商委員会に出席し、慰安婦の生活実態について証言。08年8月には慰安婦のつらい生活をつづった一代記『わたしの気持ちは誰も分から
ない』を出版した。



 大邱市中区の病院に設けられた遺体安置所には、「挺身隊のおばあさんと共にある市民の集い」や挺身隊問題対策協議会のメンバー約50人が訪れた。中には大邱市在住の慰安婦被害者、イ・ヨンスさん(82)、シム・ダルヨンさん(83)ら4人の姿もあった。


 ひつぎの前には白喜英(ペク・ヒヨン)女性部長官、丁世均(チョン・セギュン)民主党代表、朴宣映(パク・ソンヨン)自由先進党広報担当、大邱市民団体連帯会議などから献花があった。金さんの死去で、韓国政府に登録した慰安婦被害者のうち生存者は88人となった。


チェ・ソンジン記者

素直にご冥福をお祈りしますとしか言えません。日本政府は何人の日本軍被害者を見殺しにすれば気が済むのでしょうか。彼女は結局、日本政府の誠意のある謝罪と補償を受けることなく、屈辱と名誉を晴らさぬままなくなったのです。今残っている生存者88人には同じ思いをして亡くなって欲しくありません。
もはや、残された時間はありません。鳩山政権には何よりも優先して、過去の歴史の清算に取り組んで欲しいと思います。全大日本帝国・日本軍被害者およびその遺族・家族の方々への国家補償・賠償実現立法の実現を求めたいと思います。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:58 | Comment(4) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月27日

「旧日本軍の軍票1300億円を賠償せよ」総領事館前でデモ=民主党は賠償を支持?―香港

「旧日本軍の軍票1300億円を賠償せよ」総領事館前でデモ=民主党は賠償を支持?―香港
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091225-00000005-rcdc-cn
12月25日11時14分配信 Record China




「旧日本軍の軍票1300億円を賠償せよ」総領事館前でデモ=民主党は賠償を支持?―香港
拡大写真
24日、香港中国通訊社によると、民間団体「香港賠償請求協会」は24日、在香港日本総領事館前でデモを行い、かつて日本が発行した軍票を交換するよう要求した。写真は香港九龍地区。

2009年12月24日、香港中国通訊社によると、民間団体「香港賠償請求協会」は24日、在香港日本総領事館前でデモを行い、かつて日本が発行した軍票を交換するよう要求した。中国新聞網が伝えた。

今年は日本の香港占領68周年にあたる。「香港賠償請求協会」の代表十数人は、占領期間に発行された軍票の兌換を求めてセントラルにある日本総領事館前でデモを行った。デモ隊は領事館員に抗議の手紙を手渡した後、平和的に解散した。

【その他の写真】

同協会の推計では、香港に関連する軍票の発行額は当時の金額で5億4000万元、現在の価値では110億香港ドル(約1300億円)に相当するという。香港賠償請求協会の呉溢興(ウー・イーシン)首席は、政権交代により民主党政権が誕生したことで賠償が認められる可能性は高まったとコメントした。野党時代に民主党は同協会の主張を支持していたと明かしている。(翻訳・編集/KT)


今年ももうすぐ終わりなものでもう2010年になろうというのに、大日本帝国・日本軍の侵略加害の惨状が尾を引いている。民主党が過去に従軍慰安婦の問題をはじめ、戦争犯罪に向き合う姿勢を示したことがあるが、どうやら政権を取ると積極的ではなくなってたりする。野党時代の決意などあてにならん。

検証<たかしの予言>
http://takashichan.seesaa.net/article/136116327.html
が大方当たっているような気がする。国民の命や生活を守り、民衆の視線に立つといいながらもやっていることは自民党と変わらん。たかし氏の予言に触れられてはいないが、大日本帝国の過去の歴史の清算という点でも恐らくサボり、手をつけないかなおざりにすると思う。このような過去の歴史問題を解決するためにも、自民党一党独裁ファシスト政権からの腐敗の連鎖を断ち切るためにも、民主党ではなく、社民党と共産党の連立政権ぐらいになってもらわないと困る。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:22 | Comment(2) | TrackBack(1) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月20日

シベリア抑留 最大5000人、新情報か 既存資料の中に

シベリア抑留 最大5000人、新情報か 既存資料の中に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090920-00000045-san-int
 
■日本側「露政権、誠意ない」

【モスクワ=佐藤貴生】モスクワのロシア国立軍事公文書館で7月、シベリアなど旧ソ連に戦後抑留された日本人の個人記録の存在が明らかになった問題で、同
館のウラジーミル・コロタエフ副館長は産経新聞に「最大で抑留者5千人分の新たな情報が見つかるかもしれない」と語った。ロシアから情報が提供されていな
い抑留死亡者1万2千人に関する手がかりとなる可能性もある。だが、新情報は既存資料の中に眠っていたことになり、日本側からは怒りの声も上がっている。

 副館長によると、個人記録はカード形式で延べ70万人分以上。氏名や軍での所属、捕虜になった日時・場所などがロシア語で書かれ、すべてに収容所を示す番号が入っていると考えられていた。

 カードはこれまで、別に保管されている50万人以上の身上書を検索する役割を果たしてきたため、重視されていなかった。しかし、数年前に身上書の情報を
日本側に提供し終えた際、「抑留死亡者の情報が不十分だ」と指摘され調べたところ、番号のないカードの存在が判明。移送者を一時的に留め置いた軍管轄の収容所の記録とみられる。


 カードは千人分ずつの木箱にして約700個あり、副館長は「1箱に数枚ずつ番号のないカードがあり、抑留者2千〜5千人分の新しい情報が含まれているのではないか」と推測する。

 カードが身上書より20万枚も多いのは、「収容所を転々とした人の場合、そのたびに移送先でカードを作成した」(副館長)ためとみられ、重複情報の整理には長い時間を要しそうだ。今後1年以内に、カードの個人記録をコンパクトディスク(CD)に写し、日本側に引き渡すとしている。

 元抑留者で全国強制抑留者協会会長の相沢英之元衆院議員(90)は、「抑留者名簿の提出を求めて20年になろうというのに、死亡者の情報がそろわないのはおかしい。ロシアの現政権にも誠意が感じられない」と話す。



                  ◇



【用語解説】シベリア抑留

 1945年8月、日ソ中立条約を破って対日参戦したソ連軍が、日本軍将兵らをシベリアなどソ連各地の収容所へ連行した。抑留者は森林伐採などの労働を強
いられ、厚生労働省は日本人抑留者約56万1千人のうち約5万3千人が寒さや飢えなどで死亡したと推計。ロシアは91年締結の政府間協定に基づき、抑留死
亡者約4万1千人の情報を日本側に提供した。


>日本側「露政権、誠意ない」 
その露政権よりも、はるかに誠意がないのが現在の日本でありますな。誠意がないというけれども、きちんと露側はシベリア抑留についての資料や情報を引き渡してますし、露側は今回、さらなる調査で既存資料のなかに、新情報がわかったことをいちいち日本側に伝えてますがな。確かに誠意はないかもしれませんが、それよりもはるかに誠意のない、過去の加害の歴史について微塵の誠意すらないのが日本と言う国です。
たとえば、日本政府は南京攻略戦に関する日本側の資料(戦闘詳報)を中国側に提供したことありますが、大戦中、中国から強制的に連れてこられた労働者に関する資料、花岡事件等、中国人労働者を虐殺した事実、日本軍慰安婦制度と言うのがあって植民地及び各占領地の女性を人身売買し軍兵士の慰みものとしたが、資料を調査し、引き渡す努力を日本が行っているかと言えばNoだ。資料を発掘ないし、調査すらろくにせず、当然、中国などの大日本帝国の被害を受けた国の側に提供する努力を形の上だけでもなんらおこなっていない。こういうことをとっても、わが国日本は加害歴史に関する取り組みではロシア(旧ソ連)にすら及ばないことを自覚せねばならない。
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2009年08月15日

福沢諭吉…侵略戦争正当化した日本右翼の元祖

【その時の今日】福沢諭吉…侵略戦争正当化した日本右翼の元祖
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=119108&servcode=A00&sectcode=A00
 「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」天賦人権を叫んだ日本の代表的啓蒙思想家、福沢諭吉(1835〜1901)。1854年からオランダと
イギリスの近代学問である蘭学と英学を独学で学んだ彼だったが、1862年、ヨーロッパ探訪時、彼の目前に開かれた世の中は本の中の世界とあまりにも違っ
ていた。特に西欧近代の産物である民主主義の基本制度はまったく理解することができない別の世界の話だった。


  「選挙法というのはどんな法律で、議会というのはどんな官庁なのかと問えば、あちらの人は笑ってばかりだった。保守党と自由党とい
う党派のようなものがあって互いに負けずに押されないように猛烈に争うという。太平泰平の天下で政治的な争いをするとは。一体分からない。あの人とこの人
が敵だと言いながらも一緒に食事もし、酒も飲む。全く理解ができない」1862年、パリの国立自然史博物館に立ち寄った際、撮った伝統的な侍の服に刀をさ
した彼の写真(東京大学史料編纂所所蔵)が物語るように、明治維新(1868)に33年先立って生まれ、正確に33年後に死んだ彼の頭の中は西欧「近代」
と日本「伝統」が互いに衝突する戦地だった。


  しかしそのとき西洋は文明で東洋は野蛮という非西洋に対する西洋の差別論理であるオリエンタリズムは彼の脳裏の奥深く刻印された。


  もう彼の目に朝鮮は連帯して協力する相手ではなく、日本が「文明化」させなければならない侵略の対象と映った。1885年3月16日
付時事新報に掲載された「脱亜論」はこれを雄弁する。「今日を図ることにおいて我が国は隣国の開明を待って一緒にアジアを興す余裕がない。むしろその隊伍
から脱して西洋の文明国と進退をともにし、あの中国・朝鮮と接触する方法も隣国だから特別に見てあげるのではなく、まさに西洋人がこれらと接触する方式に
従って処理するだろう。悪友と親しくなれば悪名を免れにくい。我々は心よりアジア東方の悪い友達を謝絶しなければならないだろう」


  アジアの多くの国を見下して侵略を肯定した彼は、侵略の過去史を誇らしい歴史としようと右翼勢力と日本列島で吹き始めた嫌韓流を生
んだ父だ。1万円券紙幤の肖像人物として福沢が生きて呼吸する今日。一世紀前の暗い失敗の歴史にリピートマークを打たないために我々は彼を記憶しておかな
ければならない。
福沢諭吉って 「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」というので有名だけど、こんなに外道な人物だったとわね。西洋文明に触れたばっかりのために、アジアは連帯して協力する相手ではなく、日本が侵略して文明化させなければならない相手だとみなした。結局、人(日本人)の下に人(朝鮮人)を作ってるんだと。そもそも、大日本帝国天皇主権体制を支持したということは、"天は人の上に人を作らず"というに反するだけどね。そんな人物が1万円の紙幣に行き続けているということは、日本においては過去の歴史の清算がなんら行われておらず、大日本帝国の残滓が行き続けている証拠。1万円の紙幣の肖像人物を変えるべきだろう。福沢諭吉を変えるとして、1万円の肖像人物に誰がいいと思います?
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 11:02 | Comment(11) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月14日

台湾の先住民族議員ら、靖国神社でデモ=台湾先住民の合祀取り消しなど訴えのニュースと糞産経

皆さんお久しぶりです。 忙しくてなかなか更新できませんね。とりあえず、このニュースを

台湾の反日女性議員ら、靖国神社でデモ=台湾先住民の合祀取り消しなど訴え―東京
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090811-00000030-rcdc-cn
2009年8月11日、台湾中央通訊社によると、台湾の高金素梅(ガオジン・スーメイ)立法議員(国会議員)は台湾先住民らのグループ約50人と共に靖国
神社の拝殿前で抗議活動を行い、台湾先住民の元兵士の合祀取り消しと日本政府による謝罪と賠償を求めた。新華網が伝えた。



記事によれば、高金素梅委員らは午前9時半ごろ靖国神社に到着し、「靖国は先祖の魂を返せ」などと書かれた横断幕を掲げ、スローガンを叫びながら拝殿に向
かってデモ行進を行った。その際、制止しようとした警備員ともみ合いになり、台湾側グループのメンバー数人が軽傷を負ったという。



【その他の写真】



同委員らは、当時日本軍として編成された台湾先住民による「高砂義勇隊」の合祀取り消しと日本政府による謝罪と賠償を求めている。同委員は日本側が同意し
ない限り、活動は毎年続けると強調した。グループはその後、鎮魂歌を歌い、「意に反して同神社に祀られた先祖の霊」を慰めた。



同委員は台湾メディアに対し、「平和活動を行っただけなのに、警備員が荒っぽい手段で阻止しようとした。でも私たちは終始、手を出さなかった」と説明。
「デモの成功に喜びと安堵を覚える」と話した。同委員は母親が台湾先住民で、反日活動家として知られている。(翻訳・編集/NN)

ところがこの糞産経の記事は

反日の台湾女性議員ら靖国神社でもみ合い
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090811/crm0908111648013-n1.htm

 反日活動家として知られる台湾の高金素梅・立法委員(国会議員)らのメンバーが11日、東京都千代田区靖国神社の拝殿前で靖国神社反対活動を行い、制止した神社職員ともみ合いになり、警察官が出動する騒ぎがあった。靖国神社によると、職員数人がけがをしたといい、警視庁麹町署に被害相談している。

 靖国神社によると、高金素梅委員ら約50人が11日午前9時ごろ神社に訪れ、同9時半ごろから約20分間に渡り、拝殿前で拡声器で「ヤスクニNO」と訴えたり、持っていた写真やパネルを掲示。このうち1人が拝殿に登ろうとして、制止しようとした神社職員ともみ合いになった。職員数人が突き飛ばされ、打撲などの軽傷を負ったという。
 警視庁によると、高金素梅委員は今月7日から11日までの予定で来日し、「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」シンポジウムを開催。8日には中国人強制連行殉難者合同慰霊祭に出席し、9日にも東京・上野でデモ行進をしていた。

「平和活動を行っただけなのに、警備員が荒っぽい手段で阻止しようとした。でも私たちは終始、手を出さなかった」と説明しており、台湾先住民族の抗議活動は非暴力的で完全な平和活動であることは明らかである。靖国神社側が非暴力の平和活動に対して暴力を振る舞い、大日本帝国的弾圧を靖国神社側が試みたのがもみ合いの原因である。しかし糞産経の場合、台湾先住民議員側の言い分を隠し、あたかもその高金素梅先住民議員らが暴力を振舞って、悪者に仕立てようとする外道畜生振りを許すわけにはいかない。どこまでも産経・右翼どもは外道畜生なのであった。
高砂義勇隊犠牲者の合祀取り消しだけとは言わず、靖国神社を解体し、朝鮮人や台湾人の合祀者を含むすべての戦争犠牲者の魂を解放と徹底完全なる謝罪と補償を実現すべきであるのは言うまでもない。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 19:41 | Comment(4) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月02日

産経新聞社のナショナリズムをひたすら煽る記事、対馬が危ない!?

【対馬が危ない!】「立法措置が不可欠」議員視察で高まる機運
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081221-00000561-san-pol

12月21日22時56分配信 産経新聞


 長崎県対馬市で過疎化が進み、それに呼応するように一部不動産が韓国資本に買収などされている問題は20日、自民・民主両党の国会議員を中心とした超党派の議員グループ11人が同市を公式視察したことで、国会議員の間にも強い危機感が現実味を帯び、領土問題と真正面から取り組む兆しが見えてきた。議員らの間には立法措置が不可欠との認識が強まっている。

 今回の公式視察では、韓国資本に買収され、現在はリゾートホテルとして営業している海上自衛隊対馬防備隊本部(同市美津島町竹敷)の隣接地が、実は明治期、旧日本海軍が造成した軍事施設だったことが明らかになった。聞くと、水雷艇の停泊地として開発され、かつては14隻の水雷艇が停泊していたといい、しかも石組みは現在も健在で、軍港としての使用が可能だというのだ。

 韓国資本がそれを見通して買収したとは言えない。しかし、竹敷地区は、リアス式海岸特有の湾曲に富んだ入り江と無数の小島からなる浅茅湾に面している。明治期から、自然が作った迷路を生かして海軍要港施設が整備されるなど、国土防衛の要害で有り続けた。

 対馬全体をみると、国防の要塞(ようさい)の地であるという歴史的事実や30を数える要塞が今も残っていることが示すように、風光明媚(めいび)な観光地というだけではなく、国土防衛の要の地として島全体がその歴史を刻んできた。この点について、同じ離島でも内海離島とは本質的にその性格が違う。島のあちこちに軍事施設となりうる場所がちりばめられていることから、現状が続くと、海自対馬防備隊本部の隣接地のように旧日本軍が建設した軍事関連施設跡が買収され続けかねない。

 今回の視察で平沼赳夫衆院議員(無所属)は「領土意識が希薄になっていることを象徴している」と断じた。また松原仁衆院議員(民主)は「旧海軍施設を韓国資本が買っていることになる。将来的に国防上どうなるのか…」と危機感を現した。

 今、外国資本による対馬での不動産売買に規制を求める声が同市や一部国会議員の間でわき上がってきた。

 今回の視察団は11人全員が、同市の経済活性化と領土問題の両輪を視野に入れた新法の必要性を強く感じた。対馬問題は領土問題、特に国境・離島問題についてすべての政治家や国民を覚醒(かくせい)させ、真摯(しんし)に向き合うべきことを示唆している。(宮本雅史)
議員団、対馬の現地視察で驚いた! 韓国資本の買収地は旧日本軍港
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081220-00000592-san-pol

12月20日22時35分配信 産経新聞


議員団、対馬の現地視察で驚いた! 韓国資本の買収地は旧日本軍港

対馬市交流センターを視察し、現況を確認する山谷えり子議員、松原仁議員ら=12月20午前9時、長崎県対馬市(鈴木健児撮影)(写真:産経新聞)

 長崎県対馬市で韓国資本が一部不動産を買収などしている問題で、自民、民主両党の国会議員を中心とした超党派の議員グループ11人が20日、同市を公式視察した。視察団は、韓国資本に買収された海上自衛隊対馬防備隊本部(同市美津島町竹敷)の隣接地などを訪問。同本部の隣接地はもとは明治時代に造成された旧日本海軍の軍事施設だったことが分かり、視察団長の平沼赳夫衆院議員(無所属)は「領土意識が希薄になっていることを象徴している」と改めて危機感を表明、新法の制定に強い意欲を見せた。(宮本雅史)

 視察団は午前中、対馬市厳原町の市交流センターや厳原港ターミナルを見学。午後は、海自対馬防備隊本部の施設と隣接するリゾートホテル、上対馬町の韓国展望場や航空自衛隊レーダー施設などを訪問した。

 視察団が最も関心を示したのは韓国資本に買収された同防備隊本部の隣接地。以前は真珠加工場だったが、明治時代に造成された旧日本海軍の軍事施設だったことが、市側の説明で分かったためだ。

 対馬市議会自衛隊増強特別委員会委員長の大浦孝司氏によると、買収された敷地内にある浅茅湾に通じる岸壁は旧日本軍が水雷艇の停泊地として開発、軍港として利用していた。現在も石組みが残され、軍港としての活用が可能という。

 松原仁衆院議員(民主)は「旧海軍施設を韓国資本が買っていることになる。将来的に国防上どうなのか…」と危惧(きぐ)した。

 超党派の議員グループ11人に、対馬市側は、防衛施設の整備や韓国資本による不動産買収の規制、税の減免措置、さらには、国境・離島を管轄する新たな省庁の設置などを盛り込んだ特別措置法の制定を求めた。

 視察に参加した国会議員は、ほかに、衛藤晟一▽山谷えり子▽西田昌司▽山内俊夫▽谷川弥一▽赤池誠章(以上、自民)▽山根隆治▽山田正彦▽石関貴史(以上、民主)の各氏。有村治子参院議員(自民)は秘書が出席した。

 「防衛施設が無防備なのを知って驚いた。何かあったら大変だ」。衛藤参院議員は、日本の安全保障上の観点から、そう感想を述べた。山内参院議員も「常に有事を考えないといけない」と指摘した上で、「このままでは、島民の命を守れないと感じた」と話す。

 対馬は日本の他の離島と同じように地域経済の衰退や過疎化という問題に直面している。こうした点を踏まえ、「島の活性化と安全保障の視点から新法制定に向けて議論を進めたい」(山谷参院議員)「国がしっかり現実をみて、国防と地域振興をしなければならない」(西田参院議員)との意見も相次いだ。

 「問題解決に取り組むスタート地点に立った」と石関衆院議員。赤池衆院議員と山根参院議員は「超党派で取り組みたい」と口をそろえ、新法制定への決意を新たにしていた。

 視察を終え、平沼氏は「対馬だけでなく、国全体が困ることが起きつつある。しっかり対策を考えたい」と語った。
こういうナショナリズムを高揚させ、韓国をはじめとする近隣諸国に対して敵愾心を煽るような記事を平気で書くわけですね。ただ単に対馬の韓国観光客向け不動産が韓国資本に買われているというだけの話であって、韓国までも仮想敵国にして排外ナショナリズムを煽りたいようです。韓国に対する植民地支配、強制連行、慰安婦被害という過去の加害認識が対馬を利用した産経の排外ナショナリズムの高揚記事からはすっかりと抜け落ちています。同月の19日には南京大虐殺記念館の写真撤去の捏造記事を出しておりますので、当然この記事との関連性があるとみてもいいでしょう。とりあえずは麻生という爬虫類以下の脳みそ政権の擁護でそういう失政および失策から目を逸らそうと画策し、よければ排外ナショナリズムを一層高揚させ大日本帝国への回帰を狙ったものと私は考えています。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 10:35 | Comment(146) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月31日

麻生太郎の先祖はとんでもないゲス 旧麻生鉱業で外国人捕虜300人が労働

旧麻生鉱業で外国人捕虜300人が労働
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=108981&servcode=A00&sectcode=A00
  時事通信は18日、「麻生首相の親族が日本植民地時代に経営していた旧麻生鉱業が外国人捕虜300人を鉱夫として使用していたという日本政府の文書が確認された」と報じた。日本政府がこのような事実を認めたのは今回が初めてとなる。麻生首相は外相時代に「第2次世界大戦の当時、旧麻生鉱業に外国人捕虜がいた」という主張に対し、一貫して否認してきた。

  厚生労働省はこの日、民主党の藤田幸久参議院議員の要請で公開した公文書は戦後、旧陸軍省の資料を引き継いだ政府機関で作成された。公文書には福岡県にある旧麻生鉱業吉隈炭坑の捕虜収容所「第26分所」で英国人(101人)、オランダ人(2人)、オーストラリア人(197人)が1945年5月から終戦の8月15日まで強制労働をさせられた事実が明示されている。

  藤田議員は18日の記者会見で「麻生首相は捕虜の労働条件と死亡の因果関係について検証する責任がある」と主張した。

  厚生労働省の社会・援護局側は「捕虜を労働力として使用することは当時の状況では一般的のこと」とし「虐待があったのであれば別問題だが、この資料ではこのような内容は確認されてない」と話している。

  麻生首相の親族が経営していた麻生鉱業は日本植民地時代に1万人以上にのぼる韓国人を徴用したことが伝えられている。韓国政府は11月28日、「戦時、動員された韓国人犠牲者の遺骨の実態を調査するため、政府間協議会(韓日遺骨調査協議会)で旧麻生鉱業に関連する資料の提出を求めた。麻生首相は、旧麻生鉱業が後に名前を変えた麻生セメントの社長を務め、政界入りしている。
 皆様、お久しぶりです。一月に一度は更新しようと思っていたのですが、忙しくできませんでした。まあ、1週間以上前の古いニュースだけどコピペ。麻生太郎という醜い生物は、戦前・戦中の大日本帝国時代、朝鮮人労働者、外国人捕虜を酷使していたのですね。

〔証拠の動画〕麻生太郎首相が秋葉原で問題発言

というような非正規雇用者に対する問題発言
非正規社員から正規社員になったら結婚確率が増えたことを挙げてから
「やっぱり、女性がもう、結婚する相手が、なんとなーく、食いっぱぐれそうな顔してるとこりゃちょっと、結婚したらあたしが一人で働かないかんと、そらなかなか結婚したくないよ、そら女性のほうも選ぶ権利がある。当然のこととして、稼ぎが悪そうなのより、稼ぎがいいほうがいいに決まってる。そう思って結婚しないんだと思いますが、それがこれできちんと証明されていると思います。」
というのは、やはり麻生太郎は先祖の悪しき血統を余すところなく引き継いだこの世でゴキブリやハエよりも汚く醜い生物の1つだと思います。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:13 | Comment(33) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月17日

アヘン王、巨利の足跡 新資料、旧日本軍の販売原案も

アヘン王、巨利の足跡 新資料、旧日本軍の販売原案も
http://www.asahi.com/national/update/0816/OSK200808160057.html
http://www.asahi.com/national/update/0816/OSK200808160057_01.html
http://www.asahi.com/national/update/0816/OSK200808160057_02.html
 日中戦争中、中国占領地でアヘン流通にかかわり「アヘン王」と呼ばれた里見甫(はじめ)(1896〜1965)が、アヘンの取扱高などを自ら記した資料や、旧日本軍がアヘン販売の原案を作っていたことを示す資料が日本と中国で相次いで見つかった。取扱高は現在の物価で年560億円にのぼり、旧日本軍がアヘン流通で巨利を得ていたことがうかがえる。
 日本側の資料は「華中宏済善堂内容概記」で、国立国会図書館にある元大蔵官僚・毛里英於菟(もうり・ひでおと)の旧所蔵文書に含まれていた。
 この文書には、里見の中国名「李鳴」が記され、付属する文書に里見の署名がある。毛里は戦時総動員体制を推進した「革新官僚」の一員で、里見の友人だった。内容から42年後半の作成とみられる。
 文書によると、日本軍の上海占領とともに三井物産が中東からアヘンの輸入を開始。アヘン流通のため、日本が対中国政策のために置いた「興亜院」の主導で、「中華民国維新政府」内に部局が置かれ、民間の営業機関として宏済善堂が上海に設立された。
 維新政府は38年3月に成立した日本の傀儡(かいらい)政権だった。
 文書では、里見が宏済善堂の理事長になっている。取引の主流は中東からの輸入品と、日本軍が内モンゴルに設立させた蒙疆(もうきょう)政権の支配地域からのアヘンで、41年度の取扱高は3億元(当時の日本で約1億5500万円、現在の物価で約560億円に相当)だったという。
 また、在庫として、満州国産モルヒネ999キロ、台湾専売局製コカイン277キロが記録されている。計630万元に該当し、「市中相場に換算せば約倍額に販売可能」としている。
 里見は戦後、極東国際軍事裁判法廷に提出した宣誓口述書で、自分は宏済善堂の副董事(副理事)で、董事長は「空席」と供述。幹部の顔ぶれや経理の詳細には触れず、アヘン以外のヘロインやモルヒネは扱わなかったと主張していた。
 中国側の資料は、愛知県立大学の倉橋正直教授(中国近現代史)が南京の中国第二歴史トウ案(トウは木へんに當)館で発見した。
 極秘印がある「中支阿片麻薬制度ニ関スル参考資料」と題する文書などで、この文書は38年10月1日付で軍特務部が作成していた。
 文書によると、蒋介石政権はアヘンの取り扱いを厳禁していたが、旧日本軍の特務部は中毒患者の救済を名目に許可制とする布告文案を作り、維新政府に示していた。
 文書は、浙江、江蘇、安徽の3省の占領地域で人口を2495万7千人とし、うち3%がアヘン中毒と推定。台湾や旧満州国の実績から、維新政府の税収を3173万元(当時の日本で2322万円、現在の物価で約111億円に相当)と見込んだ。
 当時、駆逐艦の建造予算が1隻676万円だった。
 付属する文書には、軍特務部から任務を引き継いだ日本政府の組織と維新政府が交わした覚書の内容も記され、アヘン収入の扱いについて、維新政府側と軍特務部の間で協議することなどが明記されている。
 倉橋教授は、資料について「表向きは中毒患者の救済を掲げながら、軍部が傀儡政権に膨大な利潤が上がるアヘンの流通制度を導入させた実態がうかがわれる」と話している。(永井靖二)
     ◇
 〈里見甫〉 中国の日本語新聞の記者などを経て、32年12月、旧満州国の首都新京(現・長春市)で「満州国通信社(国通)」を設立。日中戦争が始まると陸軍特務部の依頼でアヘン流通を支配したとされ、「アヘン王」の異名をとった。敗戦後は戦犯訴追を免れ、政治・経済の表舞台に現れることなく死去した。
◆秘密主義者の詳細示す資料
 〈里見甫の伝記「阿片王 満州の夜と霧」を書いたノンフィクション作家佐野眞一さんの話〉 里見は極端な秘密主義者だった。「右手がしていることは左手に教えるな」という言葉を生涯の行動規範とし、直属の部下にすら仕事の全容を教えなかった。その里見が、アヘン取引について自ら記した文書が見つかったのは初めてではないか。日本軍の主導でアヘン専売制が敷かれた経緯や、「宏済善堂」の業務などが詳細に述べられ、極めて貴重な内容だ。
大日本帝国・日本軍の侵略・加害事実を取り上げた記事をさっそくですが発見。小さいですが、まだまだこういう資料の発見が続き、大日本帝国・日本軍の国家犯罪の歴史的事実が明らかにされていく現在進行形の状態にあるわけです。性暴力や性奴隷から、強制連行・強制労働、大虐殺・暴行、毒ガス、731部隊、人体実験やら犯した犯罪の数、その質やその規模・量ともに、人類史上例のないものであり、枚挙に暇がない。占領地の女性はもちろん、理不尽な物資の徴発や課税、略奪で、人命も人間としての尊厳も魂もなにもかも奪っていった。その上、占領地に阿片等の大量の麻薬を流し、薬漬けにしてこれでもかというほど布切れ一つ残さぬほどこれでもかこれでもかというほど収奪した歴史的事実があるわけです。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:31 | Comment(49) | TrackBack(1) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

朝日・毎日・産経の8月15日、先の大戦社説を検証

朝日・毎日・産経の3社の8月15日の社説の比較

●朝日新聞
終戦から63回目の夏―「嫌日」と「嫌中」を越えて
http://www.asahi.com/paper/editorial20080815.html

 北京五輪第3日の10日、柔道会場に日の丸が揚がり、君が代が流れた。日本人金メダル第1号、内柴正人選手の表彰式だ。  中国人の観衆はどう反応するだろうか。一抹の不安を覚えながら、テレビの中継画面に見入った人もいたに違いない。観衆の多くは起立し、メダリストたちの健闘に拍手を送った。
 だが、わずか4年前にはこんなこともあった。中国で開催されたサッカーのアジア杯。日本代表の試合では観衆の大半が相手チームの応援に回り、ブーイングが浴びせられた。中国との対戦となった決勝では、試合後、日本選手団のバスは群衆に囲まれた。
■生々しい傷跡の体験
 3年前に中国各地で起きた激しい反日デモの嵐も、まだ記憶に新しい。
 そんな嫌日感情がまたいつか噴き出すことはないのか。五輪で繰り広げられる熱戦を楽しみつつも、そんな不安がなかなかぬぐえない。
 中国の人々の嫌日感情が戦争の記憶に根ざしているのは言うまでもない。
 万里の長城に近い河北省張家口。都内で勤務する看護師の三瓶久美子さん(29)が青年海外協力隊員として派遣され、この街の病院で働き始めたのは3年前の冬だった。日中戦争時代、この街は戦略的要衝として日本軍に占領され、その支配は8年間に及んだ。
 「日本人がここに何をしに来た」。自己紹介を終えるやいなや、病室のベッドに横たわっていた老人たちからあがった怒声を、三瓶さんは今でもはっきり覚えている。
 「日本軍の兵隊がおれに何をしたか知っているか」。ある老人はそう言って右手と右足に残る刀傷を見せた。「日本兵は赤ん坊を刀で突き刺し、女たちに手を出したんだ」
 いくつもの病室で、老人たちから向けられた怒りに満ちた視線。戦争のことを知識としては学んできたつもりだった。だが、その心の傷の深さは想像をはるかに超えるものだった。
 それでも日々の仕事をしつつ、老人たちから当時の話を聞き続けた。次第に彼らの表情が和らいできた。2年後に帰国する際、老人たちが心底別れを惜しんでくれたように思えたという。
■抽象化する戦争の記憶
 戦争についての直接の記憶を持つ世代は、どんどん減りつつある。代わって中国社会の中心を担うのは、彼らの子や孫、ひ孫である。そうした世代の嫌日とは何なのか。
 3年前、東京大学と北京大学の学生が「京論壇」と名づけた討論フォーラムを立ち上げた。反日デモの激しさをまのあたりにした双方の学生たちが「日中関係をどうすればいいのか、本音で語り合おう」と呼びかけ合った。
 「日本人はよく軍部の独走などといった逃げ口上を用いるが、われわれから見れば日本は日本、別物ではない」「戦前と戦後の日本の体制は連続しているのではないか」「日本企業は質の悪い製品を中国に輸出している」
 過去2回の討論会で、中国人学生からこうした発言が出たという。昨年の討論に参加した山形宏之さん(25)は、中国側には思いこみや誤解も少なくないと痛感した。しかし、決して単純な嫌日一色ではないことを知ったのも大きな収穫だったと話す。
 かつての軍国主義を恨むと話す学生が、戦後日本の経済発展に対する羨望(せん・ぼう)を語る。靖国神社について批判的な意見が多い中で、戦争で亡くなった肉親を思う遺族の感情には理解を示す学生もいた。
 戦後世代、とりわけ若者たちにとって戦争の記憶とは、多くがメディアや教育などを通じてもたらされる。それだけに抽象的で、時として現実離れした理解をうんでしまう面も免れない。その時その時の政治的要請を反映しやすくもなる。
 中国の5大学の学生を対象にした06年度の世論調査では、「日本を主導する政治思潮」を聞く質問に対し、53%が軍国主義と答えた。自由主義は18%、平和主義は9%しかなかった。
■若い世代の取り組み
 日本社会の嫌中感情にも、似た側面があるのかもしれない。中国の現実よりも、思いこみや毒入りギョーザのような「事件」に影響されやすいのは事実だろう。大国化する中国への反感と閉塞(へい・そく)感から抜け出せない日本自身へのいら立ち。嫌中と嫌日は今の日中関係を映して、合わせ鏡のように共鳴しあっているのかもしれない。
 互いの「嫌」感情を、どう乗り越えるか。今秋の「京論壇」第3回会合の準備に走り回る北京大学の張一さん(19)は「自分たちが学校で受けた教育や家庭での影響などをお互いがさらけ出し合ってはどうか。無理をして歩み寄るよりも、なぜ歩み寄れないのかを知ることが大事だと思う」と語る。
 認識がどこでずれていくのかを探り、柔軟な心で双方の「違い」に向き合っていく。回り道のようだが、それが結局、信頼と友情を手にするための王道なのだろう。時代とともに、そうした違いの中身も急速に変化していくとなれば、なおさらだ。
 中国と日本との間ではこれからもさまざまな摩擦があろう。だが、嫌日と嫌中がぶつかり合うのは不毛である。
 終戦から63回目の夏。五輪が象徴する中国の台頭は、日中関係にも新たな発想を迫っている。若い世代の取り組みにそのひとつの芽を見る。
●毎日新聞
社説:追悼のあり方 静かに議論を続けたい
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080816k0000m070152000c.html
 63回目の終戦記念日を迎えた15日、福田康夫首相は当初から表明していた通り、靖国神社を参拝しなかった。かねて毎日新聞は首相の靖国参拝に反対してきた。当然の対応であると評価したい。  一昨年は小泉純一郎元首相が参拝に踏み切り、騒然とした一日となった。安倍晋三前首相は昨年、参拝を見送ったものの「参拝するかしないか明言しない」と言い続け、あいまいさを残した。
 これに対し、福田首相は就任前から参拝しないと明言してきた。この結果、靖国問題は政治の表舞台から消えたように見える。
 だが、実情はどうか。この日は現職閣僚の太田誠一農相、保岡興治法相、野田聖子消費者行政担当相のほか、小泉、安倍両氏も参拝した。福田首相だから参拝しなかったのであり、靖国問題は依然、決着していないと見るべきである。
 靖国神社にはA級戦犯が合祀(ごうし)されている。問題の本質は、やはりここにあろう。
 中国人監督によるドキュメンタリー映画「靖国」が今春、「反日的だ」との批判を受け、上映を取りやめる映画館が相次ぎ、さまざまな論議を呼んだのは記憶に新しい。一方で、昭和天皇がA級戦犯合祀に強い不快感を抱いていたことも近年、明らかになった。
 一部の若い政治家の中には、先の大戦を正当化、美化するかのような風潮が出てきているのも事実だ。しかし、あの無謀な戦争に突き進んだ戦争指導者たちがまつられていることに違和感をおぼえる国民は決して少なくないはずだ。
 では、わだかまりなく戦死者を追悼するためにはどうするか。
 小泉元首相の参拝を契機にA級戦犯の分祀論や靖国神社の非宗教法人化、新たな国立追悼施設建設案などが浮上したが、政界では今、こうした議論はほとんどされていない。
 河野洋平衆院議長が、この日の全国戦没者追悼式で無宗教の追悼施設建設を検討するよう求めたのは、この状況は好ましくないと考えたからだろう。小泉時代の喧騒(けんそう)は終わった。むしろ、静かに追悼のあり方を議論する好機だと考えたい。
 安倍前首相の参拝見送り後、日中関係は改善に向かっているが、中国製ギョーザ問題など新たな難題も出てきている。北京五輪での応援ぶりを見ると中国側の反日感情は根強く、日本国内にも反中、嫌中意識があるように見える。韓国との関係も竹島(韓国名・独島)問題などをめぐり、再びぎくしゃくしている。
 歴史認識をめぐる溝はなお深いということだ。その中心に靖国問題があるという状況も変わっていない。日本はまず、偏狭なナショナリズムに陥ることなく、アジア各国とさらなる関係改善に努めていく必要がある。ここでも大切なのは静かに議論することだ。
●産経新聞
【主張】8月15日 日米の絆を確かめたい
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080815/plc0808150313002-n1.htm
■将来を誤らせぬ鎮魂の日に  63回目の終戦の日を迎えた。日本列島はあの日と同じ蝉(せみ)しぐれの中で「鎮魂」の色に染まる。
 だが一方で今、日本人の関心の多くは、隣国・中国で開催中の北京五輪に向けられている。日本選手の活躍にだけではない。中国の国力を誇示することを最大の目的にしたような五輪のあり方そのものに対してでもある。
 その開会式には日本や米国、ロシアをはじめ80を超える国の首脳が出席した。五輪史上異例の多さである。その中には、チベットの人権問題を理由に欠席を表明していたフランスのサルコジ大統領の姿もあった。
 ≪「大国」見せつける五輪≫
 中国による外交戦術の成果という面もある。だがそれよりも、経済発展や軍拡によるこの国の強大化を、世界中が良くも悪くも無視できなくなってきたことの表れといっていいだろう。
 「帝国」復活を思わすような中国の台頭は、日米安保条約による米国との同盟を軸に、安全と繁栄を保ってきた日本の国家戦略を根本的に揺さぶる要素にもなってきた。それだけに、北京五輪の最中に終戦の日を迎えたことは、日本の戦後と将来を考える上で大きな意味を持っているといえる。
 米国のブッシュ政権は、北朝鮮の核申告と引き換えに11日にも可能だった同国へのテロ支援国家指定解除を延期した。だがこれは、指定を拉致問題解決のカードとして期待してきた日本にとって気休めにしかならない。
 米国世論が中国に傾斜していくのは避けられそうにない。米国が東アジアの安全保障の枠組みで、日米同盟より6カ国など多国間の交渉に重点を置いていこうという流れを止めるのは容易ではないとみられるからだ。
 しかし日米同盟を軽視し、これを無力化させようとしているのは米国だけではない。
 インド洋で日本の海上自衛隊が行っている米国などの艦船への補給活動は今年になって約3カ月も中断した。国会の衆参ねじれでテロ特措法の成立が大幅に遅れたためである。
 新たな法律が必要な補給継続をめぐっては、野党に加え公明党も反対するなど極めて難しい状況だ。補給はアフガニスタンでのテロとの戦いを進めるためのものだ。これでは、米国内に「日本は助けを求めるだけで助けにはこない」と、日米同盟への疑念が生じても仕方あるまい。
 ≪日英同盟の廃棄に学ぶ≫
 今、日本国内にも「国連中心主義」を唱える民主党の小沢一郎代表をはじめ、日米同盟より多国間の協調を重視する声が急速に強まっている。こうした状況は、かつて日英同盟が廃棄されたときと似ていると言わざるをえない。
 明治35年(1902年)に結ばれた日英同盟は、日露戦争での日本の勝利に貢献し、国際社会での日本の安定した地位を確保させた。しかし大正10年(1921年)のワシントン会議で、新たに日米英仏4カ国条約を結び、同盟は廃棄された。
 中国への進出をうかがう日本への反発から、日英間に亀裂を入れようとする米国や中国の外交戦略に乗せられたためだった。日本国内にも「新外交」として同盟より多国間の協調を求める空気が強まっていた背景もあった。
 4カ国条約は太平洋地域における国際協調をうたっていたが、同盟とは異なり、何ら日本の安全を保障するものではなかった。唯一の同盟をなくした日本は国際的孤立を深め、先の大戦での破滅の道をたどることになる。
 今、日米同盟に代わり、価値観の異なる中国や、領土問題などで日本に敵対姿勢を強める韓国などと、多国間の枠組みを選ぶとなれば、日本はまた、孤立の道を歩むことになるだろう。
 むろん外交は、相手国があってのものだ。米国の「変心」に備えて「自立性」を強めることも大切である。
 だが、その前にやるべきは、補給の継続などにより「同盟の成果」を示し、日米の絆(きずな)を確かめることだ。中国や北朝鮮などによる同盟への揺さぶりや、これを弱体化させる動きは封じていかなければならない。
 国の将来を誤らせないような設計図を描かなければならない。それこそ、300万人にも上った先の大戦の戦没者たちの霊を慰めることになるのである。
8月16日の記事ですが、靖国関係なので
【主張】終戦の日と靖国 福田首相はなぜ参拝せぬ
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080816/edc0808160333001-n1.htm
 終戦の日の8月15日、東京・九段の靖国神社には、今年も多くの国民が参拝に訪れた。だが、福田康夫首相の姿はなかった。予想されたこととはいえ、残念である。  福田首相は昨年9月の自民党総裁選時から、靖国参拝問題で「友達(中国、韓国など)が嫌がることはしない」と述べ、今年8月15日に向けても「私の過去の行動を見てほしい」と参拝しない意向を示した。
 福田首相は中国製ギョーザ問題でも、中国で中毒事件が起きたことを洞爺湖サミット中に知らされながら、中国への配慮から、それを1カ月も隠していた。
 隣国への配慮も結構だが、肝心の国民のことをどう考えているのか。国を代表するリーダーなら、まず、国民のことを考えて行動してもらわなければ困る。
 靖国神社には、幕末以降の国に殉じた246万余柱の霊がまつられ、うち213万余柱は先の大戦の死者だ。それだけ終戦の日の参拝の意義は大きい。とりわけ、首相以下の閣僚による靖国参拝は、国を守るという観点からも、重要な意義を持っている。
 この日、靖国神社に参拝した閣僚は保岡興治法相、太田誠一農水相、野田聖子消費者行政担当相の3人にとどまった。福田首相が率先して参拝していれば、以前のように、多くの閣僚がそろって参拝したであろう。
 一方、日本武道館での全国戦没者追悼式で、河野洋平衆院議長は「政府が特定の宗教によらない、すべての人が思いを一にして追悼できる施設の設置について、真剣に検討を進めることが強く求められている」と述べ、無宗教の国立戦没者追悼施設の建設が望ましいとの考えを表明した。
 この構想は、福田首相が小泉内閣の官房長官だったときに発足した懇談会で浮上し、多数意見として報告されたものだ。しかし、国民の間から「戦没者慰霊の中心施設である靖国神社を形骸(けいがい)化するものだ」といった強い反対意見が出され、棚上げされていた。
 それをあえて、戦没者追悼の場で持ち出すべきことだろうか。衆院議長の見識を疑う。
 この日の靖国神社は、戦没者遺族にまじって、親子連れや若い学生、カップルらの姿がさらに目立っていた。靖国参拝が、遺族から子や孫の世代へと確実に受け継がれていることをうかがわせた。この参拝風景を定着させたい。
3社でそろったわけですが。私の基準からすれば、朝日や毎日も不合格です。まだまだ、大日本帝国・日本軍の侵略加害歴史に対する認識は甘いですね。あえて、3社の中で選べば、朝日新聞が唯一具体的に都内で勤務する看護師の三瓶久美子さんが中国の老人から聞いた日本軍の加害事実に触れ、後は戦争を知らない世代が増えていく中で、日中の若い世代が不毛な嫌日・嫌中のぶつかり合いを乗り越え、対話を通して相互理解を深めていこうという具合に結んでいるのでいて3社の中では一番いい出来です。合格点はあげられないけど。
毎日新聞の場合、靖国神社が追悼施設というのは論外だが、過去の加害歴史をなおざりにしたまま、一方的に別の追悼施設をつくる議論をする資格はあるのか、国家による慰霊追悼そのものが許されるかどうかの議論に踏み込んでない。不合格。参考記事:8.15 集会とデモ●小泉は靖国に行くな!国家による「慰霊・追悼」反対!のお知らせ。で論外は産経である。プロパガンダ丸出しで、反中プロパガンダに加えて、日英同盟を持ち出して、日米同盟を是としてあたかも日本を米国と心中させたいばかりの主張ですね。「国の将来を誤らせないような設計図を描くことが、300万人にも上った先の大戦の戦没者たちの霊を慰めることになるとか」書いているのですが、産経の"国の将来を誤らせる設計図"だと、先の大戦の戦没者たちに加えられる霊が増えて、先の大戦の戦没者を慰めるばかりか悲しみのどん底に落としますね。
で一番許せないのが8月16日の主張。とっとと産経死ねよ。日本人を全員、日帝奴隷の気持ち悪い靖国蝗にしたいばかりの社説ですね。産経は屑で、こういう右翼新聞は大日本帝国・日本軍の犠牲者の魂や尊厳を傷つけた罪で発禁処分が相応しいようです。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:23 | Comment(24) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月26日

安倍訪印 アジアから厳しい目「大アジア構想」を批判 パール判事遺族面会に警戒

安倍訪印 アジアから厳しい目「大アジア構想」を批判 パール判事遺族面会に警戒
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-26/2007082606_02_0.html
 安倍首相のインド訪問をめぐって、中国をはじめとするアジアのメディアは、厳しい批判と警戒の目を向けています。

時代に逆行

 とくに議論が集中しているのが、首相のいう「大アジア」構想です。
 中国国営新華社通信(電子版)は二十四日、「『大アジア』構想は時代の潮流に逆行する」という論評を出しました。
 論評は、安倍首相のインド訪問の目的の一つは「中国に向けての“日・米・印・豪の四国戦略同盟”をつくりあげることにある。それが『大アジア構想』だ」と指摘。「勝手に敵をつくりあげてしゃにむに突き進もうとするもので、大方の失笑を買う」と批判しています。
 論評は「中国と良好な関係にあるインド、米国、オーストラリアが、日本のたくらみに乗るだろうか。『大アジア』構想で、どうして国連加盟国の信頼が得られるだろうか」と問いかけています。
 最後に、「安倍首相の提起する『大アジア』構想は、冷戦時代の思考の表現であり、今日の時代潮流におよそ合致しないものである」と厳しく指摘しています。
 主に華僑向けに発行されている中国新聞二十三日付(電子版)は、「中国排除の『大アジア』構想は、日本メディアの支持も得られず」と報じました。
 記事は、日本のメディアが「首相のインドでの講演での四国協力構想は、中国に向けて“包囲網”で対抗していく狙いであることは明らか」と報じていると紹介。「米国も、東アジアに不安を引き起こす行動には慎重な態度だ。安倍首相の構想への国際社会の共鳴はきわめて少ない」と指摘しています。
 シンガポールの聯合早報二十四日付は、安倍首相のインド訪問について「中国を排除した“大アジアの仲間”だけの組織をつくろうとしている」と指摘しています。

無罪を宣伝

 多くのアジアのメディアが警戒の目を光らせているのが、安倍首相が東京裁判のパール判事の息子と会ったこととその話の内容です。
 中国の北京晨報二十四日付は、「安倍首相は戦犯を無罪にした人物の息子と会った」という見出しで報じました。記事は「安倍首相のこの行動は、少なからぬ騒ぎを引き起こした。東京裁判の判決を覆したという印象を免れない」と指摘しました。
 記事は“東京裁判は事後法で裁いたので被告は無罪”というパール判事の論理は、戦争犯罪をめぐる国際法の発展を軽視していると指摘しています。
 さらに日本や韓国のメディアは、安倍首相のこの行動に疑問や不安を表明していると指摘。韓国メディアは「安倍首相はわざわざインドまで行って、日本軍国主義者をかばった判事の息子に会った。その目的は“A級戦犯は無罪”と宣伝することにあった」と報じたと紹介しました。
 マレーシアの星州日報二十四日付は、安倍首相が「パール判事を多くの日本人は尊敬している」とたたえたことを紹介し、「これでは日本に侵略されたアジア諸国の激しい怒りを買うだろう」と述べています。

韓国紙

“戦犯無罪”の言動だ

 韓国紙朝鮮日報は十六日付社説で、「極東国際軍事裁判の判事のうち、A級戦犯全員の無罪を主張した唯一の人物」であるパール判事の遺族との安倍首相との会見について論評を掲載、これを同首相の「戦犯無罪」の「アピールをもくろむもの」だと批判しました。
 同論評は、パール判事が戦犯裁判は戦勝国による「報復のためのもの」と主張したことを指摘。安倍首相が著書『美しい国へ』のなかで「A級戦犯は日本の国内法上は犯罪者という扱いではない」と記していることや、昨年十月の国会答弁で「戦争責任の主体についてはさまざまな論理が存在し、政府が具体的に断定するのは適切ではない」と語ったことに触れ、パール判事の遺族に会うことにしたのは「決して偶然ではない」と述べています。
 同紙は、安倍首相が今年四月の靖国神社の春季例大祭時に、現職の首相としては約二十年ぶりに、「内閣総理大臣」名で玉ぐしの一種である真榊(まさかき)を奉納したことを紹介。「ドイツの首相が事あるごとに、やり過ぎではないかと思うほどナチスの戦犯らを強く非難するのとはまったく正反対の行動だ」と強調しました。
 さらに「終戦記念日には靖国神社への参拝はしなかった」にもかかわらず、「その数日後には、インドで軍国主義者らが英雄視する『戦犯無罪論者』の子孫と顔合わせする」と述べ、「米下院の外交委員長が言った通り、日本の首相の度重なる『吐き気がするような』言動には、あきれるほかない」と指摘しています。

英紙

また批判を無視

 英紙フィナンシャル・タイムズ紙二十四日付は、安倍晋三首相がインド訪問時にパール判事の長男と会ったことについて、「アジアの批判を無視したものだ」とする記事を掲載しました。
 同紙は「安倍首相は、終戦の日に靖国神社を参拝せずに失望させた右翼へのジェスチャーとして、パール判事の息子と二十分間懇談した」と報道。「複数の論評が、この懇談は靖国神社参拝の代替として、首相自らの自尊心を救済し、国粋主義的な支持者をなだめるためのものだとしている」と論評。韓国紙、朝鮮日報の記事を紹介しています。
 同紙は、国際キリスト教大学のピント客員研究員の「パールは右翼の最愛の人であり、右翼は東京裁判が巨大なでっちあげであったと証明しようと決心している」とのコメントを紹介しています。
 同紙はまた、日本の戦争を侵略戦争ではなく植民地主義からの解放の戦争だとする見解をもっていたチャンドラ・ボーズ氏の関連施設訪問とその関係者との会見を、「微妙な戦時の問題にもう一つ手を出した」と報じました。
やはり安倍ファシストは安倍ファシストである。靖国神社を参拝する代わりに、こんな反動的で、大日本帝国・日本軍侵略美化的な行動をとってやがったのか。つくづく、岸信介らA級戦犯ら、大日本帝国ファシズム体制の侵略指導者らのドス黒い血を引き継いだだけのことはある。大アジア構想というふざけた大日本帝国ファッショ的妄想など、世界の良識ある世論によって粉砕されるだろう。安倍ファシストの退陣、そしてそれ相応の天罰、天誅を与えてやらなければならない。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 21:42 | Comment(60) | TrackBack(1) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月16日

「慰安婦問題」謝罪を フィリピン下院に決議案

「慰安婦問題」謝罪を フィリピン下院に
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-16/2007081607_01_0.html
 【ハノイ=井上歩】第二次大戦中の「従軍慰安婦問題」をめぐり、フィリピンの与野党七人の下院議員が十三日、日本政府に対し、責任を認め、謝罪するよう求める決議案を提出しました。  米下院が七月、日本政府に公式謝罪を求める「従軍慰安婦」決議を採択したことに続こうとする動きです。
 決議案は、日本政府に対し「第二次大戦中、若い女性たちを性的奴隷にしたことを公式に認め、謝罪し、責任を認め、犠牲者たちに賠償する」よう求める内容です。
 決議案は、「慰安婦」に対する軍の関与と強制性を認めて「心からのおわびと反省」をのべた一九九三年の河野官房長官談話について、「日本の官民の関係者が最近、撤回させるか弱めようとする意図を表明している」と言及しています。
 同様の決議案は過去にも数回下院に提出されましたが、採択されていません。上院にも七月、「慰安婦」に関する決議案が提出されています。

比上院にも先月決議案

 七月三十一日にフィリピン上院に旧日本軍の従軍「慰安婦」問題で日本政府に謝罪を求める決議案を提出したのは、女性議員のコンパネラ・カエターノさんです。同決議案はフィリピン外相に対し、日本の参議院に日本共産党を含む野党が共同で二〇〇三年と〇四年に提出した「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」の進ちょく状況の調査を要求しています。
 決議案は、米下院外交委員会で六月二十六日に「慰安婦」問題で日本政府に正式謝罪を要求する決議案が採択されたこと、百人余のフィリピン人女性が戦争中に「性的な強制」の犠牲者となったこと、彼女らの尊厳と名誉の回復を急ぐ必要性などに言及。フィリピン外相に、日本の参議院に提出された法案の即時成立に全力をあげるよう求めています。
 フィリピンでは一九九三年以降、百七十人が「慰安婦」だったと名乗り出ています。安倍首相が今年三月一日、「慰安婦」問題で「強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実」と述べた時には、フィリピンでも強い抗議の声があがりました。
 その際、フランクリン・エブダリン外務次官は「日本政府が、一九九三年の河野官房長官による性奴隷についての謝罪や、二〇〇二年の小泉首相がフィリピンの(元)『慰安婦』たちに送った謝罪の手紙の言葉と内容を順守するよう求める」(三月五日)と語っています。(宮崎清明)
これは既に取り上げていますが、赤旗にでていたので改めて、この記事を転載。台湾や香港でも慰安婦(軍隊性奴隷)被害者や支援団体らのデモが繰り広げられていますし、フィリピンでもね。大日本帝国・日本軍の侵略・加害したほかのアジア・太平洋地域にもその動きは広がっていくでしょう。今後、イギリスやオランダ、ドイツ、シンガポール、マレーシア、タイ、インドネシアなどの各国においても、今後従軍慰安婦決議案が提出され、安倍ファシストを含む大日本帝国の残滓勢力に対する国際包囲網が構築されるのは時間の問題だと思います。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:35 | Comment(72) | TrackBack(1) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

戦争関係の記事がたくさん

’07平和考・京都:「被害の苦しみ今も」 中国人女性、南京虐殺事件を証言 /京都
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070815-00000193-mailo-l26
1937年に始まった日中戦争下、旧日本軍による南京虐殺事件で家族9人中7人を殺された中国人女性、夏淑琴(シャースーチン)さん(78)の証言集会が13日夜、上京区の洛陽教会であった。開戦から70年。今も被害の記憶に苦しむ夏さんは、加害責任をわい小化する日本の風潮に悲憤しつつ「戦争がないよう日中友好を祈ります」と語り、約100人の参加者が拍手で受け止めた。
 南京陥落の同年12月13日朝、約20人の日本兵が自宅に侵入した。「父と祖父母は射殺され、母と姉2人(当時15歳と13歳)は裸にされ暴行された。8歳の私は叫び声を上げて銃剣で3カ所刺され、気を失った。目覚めると、生き残ったのは4歳の妹と2人だけ。母が抱いていた1歳の妹も殺された」
 ハンカチで涙をぬぐいながら夏さんは話した。「敵意のない子どもの私たちがなぜ被害を受けるのか」「今も姉たちの姿が脳裏に浮かび、心を針で刺されるよう」
 家族の遺体に囲まれて10日間過ごした後で助けられ、約20年前から被害証言を始めたが、日本の書物で「ニセ証言」とされた。夏さんは「70年も不幸と闘ってきたのに、生存者の立場も奪うのか」と悲嘆。「生き残った者として歴史を語りたい。命は長くないが、ニセ証人扱いは許せない」と言葉に力を込めた。
 他方、耳を傾ける日本の市民に「みなさんの親切にどう応えていいか分からないが、平和を願いたい」と感謝。「望むのは日中友好が続き、戦争を二度と起こさないこと。戦争は双方の命を奪うのだから」と結んだ。
 証言に先立ち、主催団体「旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委員会」のメンバーが、事件の死者を約20万人として概要を文献で説明。現地司令部が食糧補給のない無謀な作戦を強行し、人権を無視された兵士らが中国人蔑視の意識下で略奪・強姦・放火と虐殺に走った。これを司令部が助長し、国民には事実が隠ぺいされたと指摘した。
 証言後、メンバーの浅井桐子さん(51)は「事実を否定する風潮は加害責任をあいまいにしてきたため。被害だけでなく、戦争すら抽象化されるが、個々の話を聴けば人生を大きく変えてしまうことを実感する」と話し、「私たちが心につなぎ止め、語り継ぐことを夏さんに約束します」と結んだ。【太田裕之】
慰安婦問題に抗議の小中高生、上野公園で抗議集会
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070815-00000025-yonh-kr
【東京15日聯合】慰安婦問題に対する日本政府の公式謝罪と賠償を求めるため13日から日本を訪問している「平和を愛する青少年の歴史の会」所属の小中高校生11人が15日、上野公園で抗議集会を開き、日本政府の誠実な対応を促した。生徒らは公園を訪れる人たち準備したビラを配り、従軍慰安婦問題への関心を訴えた。また、日本政府と安倍晋三首相への公開書簡と、日本の青少年らに送る手紙を朗読した。
 公開書簡では、従軍慰安婦問題に対する公式の謝罪と責任の履行を求めるとともに、日本が経済大国だけでなく良心大国、平和大国の主軸となり、アジアと世界から尊敬されるようになることを希望すると主張した。日本の青少年に対しては、過去史の認識をしっかりと持ち、慰安婦問題のような悲劇が二度と起こらないよう平和の歌を歌おうと呼びかけた。

 生徒らは集会に先立ち、バイオリンや伝統楽器のカヤグムの演奏とともに、「アリラン」などの民謡を合唱する音楽界を開いた。
<従軍慰安婦>台湾、香港で抗議活動 謝罪と賠償求める
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070815-00000074-mai-int
戦時中に旧日本軍の従軍慰安婦をさせられたと訴える台湾人女性8人と支援者ら約70人が15日、台北市内にある日本の台湾交流の窓口機関の周辺で、日本政府への謝罪と賠償を求める抗議活動を行った。香港でも日本の戦争責任を問う市民団体などが同日、相次いで抗議活動を行い、在香港日本総領事館に抗議書を手渡した。
ざっと目についただけで、これだけありました。南京大虐殺と従軍慰安婦(軍隊性奴隷)問題は今もなお色褪せることはありません。きちんと、日本政府と日本国民が、当時の戦争に対して何よりも加害者意識・視点をもち、侵略と加害歴史清算責任を果たすという義務を履行しなければ、この問題に終止符はないでしょう。いや、あってはならないでしょう。過去の侵略や残虐行為、加害という歴史に対する清算義務を果たし、日本国の新生を果たすべく、一人の社会人としてこれからも戦っていきます。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:48 | Comment(60) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

語る・伝える平和:’07滋賀/中 旧日本軍「インパール作戦」の生き残り /滋賀

語る・伝える平和:’07滋賀/中 旧日本軍「インパール作戦」の生き残り /滋賀
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070814-00000197-mailo-l25
◇87歳・津田正澄さん、1000枚に及ぶ体験記−−愚かで悲惨、伝え続ける
 兵士が食べ物もなく、密林をさまよい、病気と飢えで死んでいく――。太平洋戦争末期、約7万人といわれる戦死・傷病者を出した旧日本軍のインド侵攻「インパール作戦」の生き残り、津田正澄さん(87)=守山市服部町=は、10年以上前から自分の体験をA4判約1000枚にまとめ、希望者に実費でコピーし、約200枚単位で配っている。甘い見通しで、敗走路が「白骨街道」と呼ばれた戦いを「戦争の愚かさ」の象徴として多くの人に知ってもらいたいと考えている。
 太平洋戦争の開戦後、旧日本軍は英領ビルマ(現・ミャンマー)を占領したが、英米軍は英領インド北東部に拠点を移し、反撃していた。日本のビルマ方面軍は大規模なインド侵攻で“一発逆転”を狙い、8万人以上で東部のインパールに進攻する計画だったが、国境にそびえる3000メートル級のアラカン山系を徒歩で越える苦労や、食糧と弾薬の補給が困難であることは軽視された。
 旧制滋賀県師範学校(現・滋賀大)卒の教師だった津田さんは1940年に徴兵され、第15師団で中国・南京に駐屯し、同師団は43年にビルマ方面軍に編入。津田さんは補給係兵士として翌年のインパール作戦に参加した。
 「そもそも補給線が無いので、補給係の出番はありません。自分の装備品と銃、3週間分のコメを背負って山を越えるのが大仕事でした」。装備の重さは50キロ。持てる武器弾薬と食糧だけで戦うことを強いられた兵士にとっては命綱だった。
 4月に英軍陣地への攻撃を開始。「司令官は『補給は無い。食糧は敵から奪え』と指示しました。実際、英軍の陣地や倉庫から捕獲した缶詰やコンデンスミルクで命をつなぎました」。補給係の主な仕事は、最前線の兵士が捕獲品を全部食べてしまわないよう「交渉」することだったという。
 日本軍は次第に、航空機や重砲の補給を受ける英軍に押し戻される。「食べ物が無いだけでなく、こっちは銃にも大砲にも弾丸が無いんです」。日本軍は多くの戦死者を出して崩れ、撤退した。
 「進撃・戦闘よりも撤退時が一番悲惨でした。アメーバ赤痢やマラリア、栄養失調で衰弱した戦友たちが雨期のぬかるみの中で次々死んでいく。遺体はウジがわき、すぐに骨がむき出しになります」。敵の追撃、飢え、病気の三重苦だった「白骨街道」を思い出すと、津田さんの表情は、たちまち曇った。
 「まだ、息のある戦友が道端に横たわっていても、担いでやる体力は無い。助けてもらえないことを悟った彼らは、先に死んだ兵士のそばに、にじりよる。一人で死ぬのが寂しかったのでしょう」。僧侶でもある津田さんは「自分も同じ運命」と覚悟をし、先に逝った戦友のために念仏をとなえて歩き続けたという。
 「私が今でも平和な日本で生きていられるのは、先に死んだ彼らが生かしてくれたから」と津田さん。亡き戦友のためにも悲惨な戦いを伝え続ける決意だ。「今の日本は平和憲法で『戦争はいけない』と、はっきり宣言している。平和を愛して愛し抜き、二度と戦争を起こさないためにも、伝え続けなくてはならないと思っています」
 体験記「インパール戦記」の問い合わせは津田さん(077・585・0721)。【鈴木健太郎】
今朝、帰省の電車の中で、結構新聞を読む機会があった。毎年のことながら、戦争体験談がたくさん載せられる。たまたま、ネット上でこの記事があったので取り上げた次第だ。私が何を言いたいのかといえば、これらの戦争体験談は主として、"私は戦争の被害者だった"に終始していることにつきる。津田氏も辛い体験をなされたのでしょうが、インパール作戦だけではないが、兵站を全く無視した無謀で、物理的にも不可能な作戦を大日本帝国・日本軍の上層部が無理やり強行し、何万もの兵士の命を奪ったことは知っています。しかし、この体験も主として"私たちは戦争の被害者だった"ということに終始しているのです。持たされたのは自らもてる分の食糧と武器弾薬分だけで、当然直ぐに底を尽くでしょう。英軍の陣地や倉庫から捕獲した食糧で後は食いつなぐぐらいですから。当然戦地には一般の集落もあり、そこからも食糧や物資を略奪したのに違いありません。そうした現地住民に対する加害者だったという視点に何よりもかけているのです。何よりも英軍の陣地から略奪した分だけで食いつなげるとは思えませんから、そこにいた現地の住民が被害を受けることになるわけです。

ビルマにおいては、ファシスト日本と呼ばれるくらいですから、凶暴な軍隊として日本軍は振舞っていました。カラゴン村では、村民が英軍を支援しているからといって皆殺しを図ったほか、

驚愕すべきビルマにおける日本軍性暴力の実態
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/19481229.htmlでは、日本軍による南シャン州で75人以上もの集団レイプ事件や、ビルマ各地の村々で掠奪や強制労働、拷問や殺害に加えて、女性をなりふり構わず強姦しまくりました。大本営の無謀な作戦のせいで、戦友が戦死したとか、敵の攻撃や飢え、病気、いかに食いつなぐかに、そして如何に生き残るかの戦地・密林でのサバイバルに苦しんだとか、もちろん、辛い体験だったのは分かりますが、"自らがあたかも被害者ヅラ"ばかりで、よくよく考えてみれば腹がたちます。そう思いませんか?現地の人々、とりわけ日本軍の被害者になった人やその身内はもっと辛い思いをしているのです。こういう日本兵の戦地での苦しかった体験は時が癒してくれます。しかし、日本軍によって拷問を受けたり、とりわけ慰安婦(性奴隷)被害者などのように、強姦のような性暴力を受けた女性は一生日本兵に身を穢されたことを呪いながら苦しまないといけません。そうした自ら(たとえ自分はそういう残虐行為をしてない・無関係だったとしても)、日本兵としての加害者の意識(占領地の民衆の苦しみや残虐行為の犠牲になったり、傷ついたもの、家族が犠牲になったりした被害者の心に思いを馳せ、理解をしようとする)を持たないといけません。こういう記事を見て、そういう加害者としての視点がないことに嘆かわしく思うのは私だけでしょうか?
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2007年08月13日

従軍慰安婦:フィリピン上院で決議案提出 日本に謝罪要求

従軍慰安婦:フィリピン上院で決議案提出 日本に謝罪要求
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/news/20070812k0000m030063000c.html
 第二次大戦中の従軍慰安婦問題をめぐり、日本政府に謝罪などを求める決議案が11日までに、フィリピン上院に提出された。下院でも同様の動きがあり、同国の元慰安婦らがつくる団体などは同日、米下院本会議が7月末に可決した決議を評価するとともに、フィリピン上下両院での動きを歓迎する声明を発表した。  決議案は日本政府の公式謝罪と補償や、フィリピン政府の医療支援などを求める内容。野党議員が7月末に提出した。過去にも提出例があるが、元慰安婦のフリア・ポラスさん(78)は「フィリピン議会が米議会と連帯することを願う」と訴えた。下院では今月中旬に野党議員数人が連名で提出する予定。
 フィリピンの団体とともに記者会見した日本の非政府組織(NGO)「戦後補償ネットワーク」の有光健代表は、参院選の自民党大敗で「日本の政治が変わりつつある」とし、日本政府による謝罪と金銭支給を柱とする「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」が参院で可決される可能性が出てきたとの見方を示した。(マニラ共同)
毎日新聞 2007年8月11日 20時30分
米国下院の従軍慰安婦決議案の波紋は非常に大きく、フィリピンの議会にも提出されるようです。フィリピンという国は中国に次いで、日本軍の戦争犯罪と残虐行為の数々に蹂躙された国です。日本軍の性暴力犠牲者や被害者をたくさん出した暗い過去の傷もまだ癒えていません。フィリピンでも可決されれば、インドネシア、シンガポール、マレーシア、オランダなどでも同様の動きがでてくるでしょう。法的拘束力はないものの、人道的・道徳的な見地より、過去の大日本帝国・日本軍の侵略加害歴史の清算に背き続けている日本政府やその右翼連中に対して大きな圧迫となることを期待したいと思います。
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2007年05月01日

戦争賠償条項への日本の勝手な解釈に反対 外交部

戦争賠償条項への日本の勝手な解釈に反対 外交部
http://www.people.ne.jp/2007/04/28/jp20070428_70602.html
  外交部の劉建超報道官は27日、日本の最高裁判所が「西松建設」損害賠償請求訴訟に最終審の判決を下したことについて取材に応えた。

  ――日本の最高裁が27日、旧日本軍が中国に侵略した時期に強制労働させられた中国人元労働者による、日本企業「西松建設」への損害賠償請求裁判について最終審の判決を下した。最高裁は「中国政府は『中日共同声明』で日本に対する戦争賠償の請求を放棄すると宣言しており、これには個人の請求権も含まれる」とした。これは日本の最高司法機関が中国政府の日本に対する戦争賠償請求問題に対する一方的な司法解釈だが、中国側のコメントは?

  劉報道官:中国政府が「中日共同声明」で日本国への戦争賠償請求放棄を宣言したのは、両国人民の友好的共存に目を向けた政治的決断だ。われわれは日本の最高裁が中国側の度重なる掛け合いを顧みず、この条項を勝手に解釈したことに対して強い反対を表明する。

  日本の最高裁が「中日共同声明」に下した解釈は違法であり、無効だ。われわれは日本政府に対し、中国側の懸念に真剣に対応し、適切にこの問題を処理するようすでに要求している。

  日本が中国侵略戦争期に中国人民を強制連行・労働酷使したことは、日本軍国主義が中国人民に対して犯した重大な犯罪であり、今なお適切な処理がなされていない現実的に重大な人権問題でもある。中国は日本に対し、歴史に責任ある態度で適切に関連問題を処理するよう要求する。(編集ID)

  「人民網日本語版」2007年4月28日
人民日報にも、記事がでていましたね。でしゃばるな、糞最高裁、そして今回の野蛮な判決を出した糞裁判官。日中共同声明の勝手なとんでもない解釈だ。
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2007年04月16日

731部隊、子どもの前で慰安婦の母を生体解剖

731部隊、子どもの前で慰安婦の母を生体解剖
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=86442
生体実験で悪名高い旧日本軍731部隊が子どもの前で慰安婦の母を生体解剖したという証言が、当事者から出てきた。 第2次世界大戦当時、731部隊で衛生兵として服務した大川福松(88)は8日、大阪市で開かれた国際シンポジウム「戦争と医の倫理」で、「子どもが泣いている前で、母親が死んでいった。子どもは凍傷の実験台になった」と証言したと、読売新聞が9日報じた。 これまで731部隊に関する記録と証言はあったが、当事者が公開講演会に出て残酷行為を明らかにしたのは今回が初めて。 大川は早稲田大学で細菌学を専攻した後、1941年に軍に入隊、44年8月から旧満州(現中国東北部)にあった関東軍防疫給水部本部(通称731部隊)の第2号棟で衛生伍長をしていたという。 大川が所属した班はペスト・コレラ・梅毒などの病原体を人体に注射して感染の状態を調べたり、人為的に凍傷を作ったりしていた。 大川は「最初は‘大変な所に来た’と思ったが、次第に感覚がまひし、そのうち毎日2〜3体を解剖しなければ仕事を終えていない気になった。多いときは1日に5体を解剖した」と明らかにした。 大川は「不正を社会にはっきりと示さなければいけないと考えた」と証言の背景について説明した。 731部隊は36年から45年まで韓国・中国・ロシア人など3000人余を対象に各種細菌・薬物実験などを行なった。
731部隊と生体解剖と慰安婦ですか?まるで、大日本帝国の悪の三強が同時に出てくるとは、まさに、大日本帝国・日本軍の卑劣非道極まりない血に彩られた残酷史は尽きることはありませんな。
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2007年04月15日

慰安婦強制示す調書、東京裁判に各国検察提出

慰安婦強制示す調書、東京裁判に各国検察提出
http://www.asahi.com/national/update/0414/TKY200704140400.html
 日本軍慰安婦問題をめぐり、東京裁判に提出された各国検察団の証拠資料の中から、占領支配したアジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す尋問調書などを、林博史・関東学院大教授(現代史)が確認した。17日に日本外国特派員協会で会見して公表する。裁判で証拠として採用されたもので、東大社会科学研究所図書館に所蔵されている。  東京裁判には、日本軍によるアジア各地での住民・捕虜殺害など具体的な残虐行為を立証するために膨大な証拠資料が提出された。今回、林教授が確認したのは、オランダやフランス、中国など各国の検察団が提出した調書や陳述書など。
 インドネシアで、ジャワ島やモア島、カリマンタン(ボルネオ島)で女性たちが強制的に慰安婦にされたことを示す証拠資料が提出されたことが判明したほか、アジア各地で同様のケースがあった。これまで、国立国会図書館所蔵の東京裁判関係資料から尋問調書の一部が確認されていた。
 オランダが提出した、ボルネオ島で海軍の情報機関にいた男性軍属に対する46年3月13日付の尋問調書。日本人と親しくしていた地元女性が日本軍に拘束され、警備隊長に平手打ちをされ、裸で立たされる状況に触れて、取調官が追及する。
 彼女たちを拘束した理由について、男性軍属はこう答えた。「抑留したのは彼らを淫売(いんばい)屋に入れることができるための口実を設けるために警備隊長の命令でなされたのであります」
 46年5月16日付の尋問調書では、ジャワ島の民間抑留者の収容所にいたオランダ人女性が強制的に慰安婦にされたことを証言している。
 44年1月28日、インドネシア人警察官が彼女を含め計7人の女性や少女を日本軍捕虜収容所事務所に連れていき、日本人に引き渡した。さらに車で小さな収容所に運ばれた。同年2月3日に医師による健康診断を受けた際、日本人向けの「娼楼(しょうろう)(brothel)」で働かされることを知ったという。
 「労働日には娼楼は日本将校のために、日曜日午後は日本下士官のために開かれ、日曜日の午前は兵卒等のために保留された。時々一般の日本人が来た。私は常に拒絶したが無駄だった」
 フランスが提出したベトナム人女性の口述書の抜粋には「日本人はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数人に、光安に設けた慰安所(brothel)へ一緒へ行くよう強制しました」とある。
 中国の「軍事委員会行政院」が46年5月27日付で作成した資料は日本軍の桂林での残虐行為に言及、「四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き脅迫して、妓女(ぎじょ)として獣の如(ごと)き軍隊の淫楽(いんらく)に供した」と記す。東京裁判の判決も桂林の残虐行為に触れた中で、「工場を設立するという口実で、かれら(日本軍)は女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」と認定している。
 一連の資料について林教授は「これらは各国が作成した公文書であり、判決でも強制したことが事実認定されている。サンフランシスコ平和条約で戦犯裁判を受諾した日本には、これらの文書の意味は無視できないだろう」と話している。
林博史先生、GJというところか。ともあれ、東京裁判時に慰安婦問題が提起されていたという事実は何ら目新しいことではない。1998年3月に出版された、氏の著書、裁かれた戦争犯罪 イギリスの対日戦犯裁判でオーストラリアのニュージランド人戦犯調査員ゴッドウィン氏が慰安婦問題に着目し、東京裁判で提起していた事実を記している。最もGHQによって封じこめられたそうだが。これらの発見も何ら目新しいものでもない。とはいっても、オランダのスマラン事件にあるような慰安婦の狭義の強制連行事件も、氷山の一角でしかなかったということだ。一部の民間人や業者、悪い将兵・部隊がやったことではなく、アジア・太平洋各地の占領地各地で駐留していた日本軍が組織的に女性を慰安婦として強制連行していたことが、各国の東京裁判に提出された調書により明らかになったわけだ。
blog*色即是空より、
軍による強制連行はあった 証言編(1)
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070405/p1
軍による強制連行はあった 証言編(2)
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070411/p1などの、加害者である軍人の証言がある。さらにいえば、 慰安婦被害者が韓国、台湾、中国、マレーシア、インドネシア、ニューギニア、東ティモールなどで2万人以上名乗り出てもいるのだ。彼女らのケースはとても、戦犯裁判で扱いきれず、慰安婦問題に対してはGHQより途中で圧力がかかって葬られたことを考えれば、その戦犯裁判の調書などに記されていることも、また氷山の一角であろう。ともあれ、右翼連中の反応が楽しみだ。右翼連中は口述や連合国の資料など、デマだとか、勝者の記録は証拠にならないとか、あるいは完全無視するといった、現実を直視しないし、日本軍の犠牲者や被害者に無礼な態度を取り続ける醜い物体であり続けるだろう。その事実は、こういう大発見でもってしても、右翼連中には通じないのだろうか。右翼連中に関してはもはや頭が悪いというレベルではないだろう。いやはや大きな悩みどころだ。問題は右翼連中は姑息だから、実力行使にでるかもしれない。東大社会科学研究所図書館にあるらしいから、資料を燃やして処分しようとひそかに画策しているのかもしれない。用心せねば。それにしても、右翼という物体はなぜこの世に存在できるであろうか。こういうやつらをとっとと地の底にでも突き落として埋めてしまわねばならない。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:40 | Comment(67) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

慰安所開設、軍が強制のニュース

慰安所開設『軍が指示』 靖国合祀男性経営 戦犯裁判で認定
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2007041202008019.html
【ベルリン=三浦耕喜】日本占領下のインドネシアで民間の慰安所を経営していた日本人男性に靖国神社への合祀(ごうし)が認められていた問題で、同慰安所の開設が旧日本軍の指示によるものだったとオランダ軍による戦犯裁判の判決文に記されていることが十一日、明らかになった。憲兵によって逮捕、監禁された女性の証言も記載されており軍が関与した「強制性」を示す資料ともなっている。
 判決文はベルリン在住のフリージャーナリスト梶村太一郎氏(60)がオランダの資料館から入手、近く週刊誌上で発表する。
 同戦犯裁判は、インドネシア・バタビア(現ジャカルタ)で民間の慰安所「櫻クラブ」を経営していた男性が「婦女子強制売淫」の罪に問われたもの。男性は一九四六年十月に禁固十年の有罪判決を受けた後、服役中に死亡した。
 判決文では、慰安所を開設した経緯について「被告は四三年六月二日、軍政監部(原文でもGunseikanbu)から売春宿を開設するよう指示を受けた」と記載。「被告は異議を申し立てたものの、二度目の指示で従った」と、軍の強い意向があったことを指摘している。
 慰安所は憲兵の監視下に置かれ、オランダ人抑留所などから集めた欧州系の女性二十人ほどを雇用。判決に記された証言によると、慰安所には売春部門と食堂部門があり、どちらで働くかは当初は自由意思だったが、次第に食堂部門の未成年の少女にも売春を強要。拒むと「憲兵を呼ぶ」と脅され、逃亡して実際に憲兵に逮捕、監禁された女性もいた。これらを根拠に、判決文では「多くが自らの意思に反して売春を強制されたことは確実」と認定している
軍指示で慰安所開設 「靖国合祀」の経営者、占領下インドネシアで
http://www.chunichi.co.jp/article/world/news/CK2007041202007997.html
 【ベルリン=三浦耕喜】日本占領下のインドネシアで民間の慰安所を経営していた日本人男性に靖国神社への合祀(ごうし)が認められていた問題で、同慰安所の開設が軍の指示によるものだったとオランダ軍による戦犯裁判の判決文に記されていることが十一日、明らかになった。憲兵によって逮捕、監禁された女性の証言も記載されており軍が関与した「強制性」を示す資料ともなっている。
 判決文はベルリン在住のフリージャーナリスト梶村太一郎氏(60)がオランダの資料館から入手、近く週刊誌上で発表する。
 同戦犯裁判は、インドネシア・バタビア(現ジャカルタ)で民間の慰安所「櫻(さくら)クラブ」を経営していた男性が「婦女子強制売淫」の罪に問われたもの。男性は一九四六年十月に禁固十年の有罪判決を受けた後、服役中に死亡した。
 判決文では、慰安所を開設した経緯について「被告は一九四三年六月二日、軍政監部(原文でもGunseikanbu)から売春宿を開設するよう指示を受けた」と記載。「被告は異議を申し立てたものの、二度目の指示で従った」と、軍の強い意向があったことを指摘している。
 慰安所は憲兵の監視下に置かれ、オランダ人抑留所などから集めた欧州系の女性二十人ほどを雇用。判決に記された証言によると、慰安所には売春部門と食堂部門があり、どちらで働くかは当初は自由意思だったが、次第に食堂部門の未成年の少女にも売春を強要。拒むと「憲兵を呼ぶ」と脅され、逃亡して実際に憲兵に逮捕、監禁された女性もいた。これらを根拠に、判決文では「多くが自らの意思に反して売春を強制されたことは確実」と認定している。
 男性に対しては、厚生省(当時)と靖国神社が一九六七年に合祀を決めていたことが、先月二十八日に国会図書館が公表した資料の中で明らかにされている。
靖国神社が軍隊強姦強制収容所経営者をしかも、婦女強制売淫の戦犯として裁かれたのにも神として祀り上げるとんでもない神社であることはおいておいて、このニュースの重大性は判決文で、被告人である経営者が、日本軍によって慰安所を開設するように、命令されていたということだ。本人が一度意義を申し立てていることから、その経営者には一片の良心があったことは窺い知れる。ただ、意義の後、二度目の強い指示があったことはやはり、日本軍は慰安所の開設に相当躍起になっていたのであろう。慰安婦の強制連行はなかったとか、民間人や業者が行ったことで、当時の軍や政府に責任はないとする右翼勢力は上記の記事に反論できまい。オランダの戦犯裁判の判決文が右翼勢力の妄言を断固粉砕してくれる。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:09 | Comment(16) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月25日

慰安婦問題で安倍ファシスト発言に非難轟々。世界で孤立し、友人国のいなくなる国日本

「慰安婦」問題 安倍発言 各国から激しい非難の声
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/05/0705j0320-00001.htm
「強制性はなかった」 米、中、豪、北南当局 強い抗議、遺憾表明
 安倍首相の「従軍慰安婦」をめぐる発言に対し、各国から激しい非難の声がわき起こっている。問題の発言は、「従軍慰安婦」問題の「強制性について、それを証明する証言や裏付けるものはなかった」(1日、93年の「河野洋平官房長官談話」についての報道陣の質問に対し)、「官憲が家に中にまで入って連れていったという強制性はなかった。米下院外交委員会の決議案は客観的事実に基づいていない。決議があっても謝罪することはない」(5日、参院予算委員会)。
 知日派も危機感
 05年までホワイトハウスでアジア問題を扱っていたマイケル・グリーン前米国国家安全保障会議(NSC)上級アジア部長は、「強制されたかどうかは関係ない。日本以外では誰もその点に関心はない。問題は『慰安婦』たちが悲惨な目に遭ったということであり、永田町の政治家たちは、この基本的な事実を忘れている」と批判した。グリーン氏は日米関係にとってこの問題は、「牛肉問題や沖縄の基地問題より危ない」と見ている。
 一方、J・トーマス・シーファー駐日米大使は9日、東京都内の大使公邸で日本の記者団と会見し、米下院決議案と関連して「この問題の米国での影響を過小評価するのは誤りだ」「河野官房長官談話から後退すれば破壊的な影響を与える」と述べ、米政府としても事態を憂慮していることを明らかにした。
 1月31日、日本当局の責任認定と首相の公式謝罪を求める内容を盛った「従軍慰安婦決議案」が提出された米下院では、安倍首相の発言を受け、「決議案」支持の動きが広がっている。
 「決議案」代表提出者のマイク・ホンダ議員(民主党)の事務所によると、「決議案」共同提案者は当初の6人から42人(民主党32人、共和党10人、9日現在)に増えた。08年の大統領選への出馬を表明している保守派のダンカン・ハンター前軍事委員長(共和党)も名を連ねているという。
 ダナ・ローラバッカー議員(共和党、2月15日に米下院で行われた「慰安婦」被害者を招いての初の公聴会で日本擁護発言)は6日、安倍首相の発言をふまえ、これまでの「決議案」反対姿勢を翻した。
 こうした状況下、「米国内のジャパン・ウォッチャーや日本支持者は落胆するとともに困惑している」(カート・キャンベル元国防次官補代理)という。そして、「このまま行けば、米国内での日本に対する支持は崩れる」との指摘も出ている。
豪首相も強い遺憾
 オーストラリアのジ・エイジ紙(13日)によると、ジョン・ハワード首相は12日、安倍発言を受け、「過去の出来事についてつまらない言い訳はしてはいけない」と指摘。「慰安婦」被害者に対する「強制動員がなかったという主張は、私としては絶対に受け入れることができないことであり、ほかの同盟国も絶対に受け入れることができない主張」であると強調した。
 南朝鮮は3日、外交通商部当局者論評を発表し、政府の強い遺憾を表明した。これに先立ち宋旻淳外交通商部長官は2日、ワシントンで行った演説で、日本と南朝鮮の健全な関係構築において有益でないと述べた。
 中国の李肇星外相は6日、北京の人民大会堂で記者会見を行い、日本政府の責任負担と問題の適切な処理を求めた。中国国営通信の新華社は4日までに、「日本の犯罪を示す決定的証拠は山のようにあり、否定は許されない」と指摘する論評を発表した。
 台湾では6日、外交部が声明を発表し、「深い遺憾と厳重な抗議」を表明。蘇貞昌行政院長(首相に相当)も同日、「事実を正視しない、いかなる政権に対しても厳しく抗議する」と述べた。
 朝鮮外務省スポークスマンは7日に談話を発表、「厳然たる歴史的事実と国際社会の公正な世論にあえて挑戦している」と安倍首相を厳しく非難した。
 また、カナダ主要政党の一つである新民主党(NDP)の議員は、8日の国際婦人デーに際し、下院に「慰安婦」被害者に対する日本政府の公式謝罪と補償を要求する法案を提出した。
 各国のメディアも一様に安倍発言を非難している。
矛盾する立場
 安倍首相は、各国の強い非難をかわそうと、あわてて「河野官房長官談話」継承を口にしたが、糊塗策にすぎない。そのことは、首相就任以前の活動と発言などからも明らかだ。
 安倍首相は、それまでの日本の歴史教育に異議を唱え、侵略の過去を全面的に正当化している「新しい歴史教科書をつくる会」を支援してきた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(97年2月結成、「若手議員の会」)の事務局長を務めた。
 97年12月、「若手議員の会」への寄稿文で、日本政府が「従軍慰安婦」への日本軍の関与と強制性を認め、「おわびと反省の気持ち」を表明した「河野官房長官談話」は「日韓両国の外交上の問題を懸念したもの」で、証言者への「聞き取り調査にたいする何の裏づけもなかった」との見解を明らかにしている。
 また、ホームページ(98年〜01年まで、現存)に、「『若手議員の会』の中間報告」を掲載。「若手議員の会」で行われた勉強会によって、「いわゆる慰安婦問題がいかにわい曲されて伝えられているか」「日本の外交のこれまでのありかた(いわゆる謝罪体質)がいかに今日の問題を招く端緒となったか」明らかになったとしており、「今後は関係各方面に向けた政策提言、あるいはその実現のための働きかけに着手する」と表明している。
 「河野談話」を踏襲するとの立場と、その否定。矛盾はあらわだ。(呉陽希記者)
 各国の強い非難に驚いたため、河野談話の継承を口にしたが、そんなこと心にも思っていないことはみえみえ。業者のせいにしたり、韓国のキーセン云々のせいにしたり、大日本帝国・日本軍の責任を明確に否定し、被害女性の訴えを証言だけでは信用できないという風な発言が飛び出したり、安倍のグロテスクな心の内がさらにあからさまにしたのが、この"従軍慰安婦問題"だ。
 安倍発言 各国メディアの非難論調 「恥ずべき過去認めよ」
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/05/0705j0320-00002.htm
▼米国  ニューヨーク・タイムズ社説 「日本が責任をとることを要求しているのは米国だけではない。中国と南朝鮮も日本の態度について憤っている」「日本の政治家たちは恥ずべき過去を率直に認め、これを克服すべく最初の一歩を踏み出す時であることを認識すべき」(3月6日)
 サンノゼ・マーキュリー社説 「(米)下院は歴史の教訓を創出すべきだ」(3月7日)
 ボストン・グローブ社説 「近隣アジア諸国にとどまらず、同盟国たる米国の信頼も失った」(3月8日)
 ロサンゼルス・タイムズ社説 「今回の出来事はアジア地域の平和と安全を後退させたのみならず、米国の国益をも害する結果となった」(3月7日)
 タイム誌 「安倍首相は一握りの日本人の拉致の清算を北朝鮮に求める一方、何百何千といわれる性的奴隷(「慰安婦」)に対する自国の責任に疑問を投げかけているようにみえる」(3月8日)
▼南朝鮮
 京郷新聞社説 「安倍総理は政治的目的から、隠すことのできない歴史的事実をわい曲することがどんな結果をもたらすのか知らなければならない。なぜ歴史問題で日本とドイツがよく比較されるのか知っているのか」(3月4日)
 東亜日報社説 「普遍性を欠いた偏狭な自己中心的論理では、『島国根性は捨てられない』という嘲弄を免れる道はない」(3月5日)
 朝鮮日報社説 「アジアを見下す彼(安倍総理)の態度には、むしろアジアを侵略した100年前の日本の態度、いやアジアの女性を性的奴隷として戦場に連行した70年前の日本の官憲や官営業者に対するのと同じくらい、背筋が寒くなるものを感じた」(3月6日)
 中央日報社説 「被害者の女性たちが1人1人世を去っているというときに、『広義』だの『狭義』だの言葉遊びをする安倍首相の態度からは、今後の韓日関係が順調ではないと懸念せざるをえない」(3月7日)
▼インドネシア
 ジャカルタ・ポスト社説 「安倍氏はわずか6カ月で、日本の戦争中の責任と向き合う点で小泉首相とあまり変わらないことを世界に示した」「日本がなぜ戦争中の歴史的事実を正直に受け入れずこうしたこどもじみた態度を維持し続けるのか、世界中の人々にとって理解しがたい」(3月6日)
▼マレーシア
 星州日報論評 「日本が第2次世界大戦中にアジアの女性に『慰安婦』になるよう強要したのは歴史的事実だ」(3月6日)
▼フィリピン
 マニラ・タイムズ社説 「われわれフィリピン人は、米国の議員らと同じく日本帝国軍隊がフィリピンなどアジア諸国の女性を『慰安婦』にしたという残虐行為に対し真の謝罪を求める」(3月7日)
▼香港
 明報社説 「安倍氏は日本軍による『慰安婦』強制の事実を否認することで、米議会での『慰安婦決議案』可決を阻止しようとしている。これは、歴史を改ざんし否定する立場であり、隣国の人民の感情を顧みないものだ」(3月3日)
▼英国
 エコノミスト誌社説 「彼女らの証言に疑問を呈すること、すなわち、彼女らをうそつき呼ばわりすることで、安倍氏は過去の傷に新たな侮辱を加えた」「安倍氏は恥を知るべきだ」(3月14日)
各国のメディアにおいては、政府に非難よりもさらにすごいことになっている。米国の親日派とされ、右翼・保守派のアイドル的存在だったマイケル・グリーン氏でさえ、日米関係にとって"牛肉問題や沖縄の基地問題より危ない"といったのはまさに事の本質を突いていると思う。少なくとも主要国の、特に女性やメディアをすべて日本は敵に回したのである。日本の市民団体は、大日本帝国・日本軍の侵略や戦争犯罪・加害の追及や被害者の救済に熱心だし、若者の多くもその流れに加わっているが、安倍ファシストとその取り巻きの右翼連中どもによって、すべて台無しにされている。日本国民には、安倍ファシストなどのごく一人握りの連中によって、決して悔い改めない国・国民という風にレッテルを貼られているのである。安倍ファシストの排除と、さらに徹底した謝罪と軍による女性の拉致と性奴隷化への否定主張を断固たる公的な粉砕を進めて、誠意のある行動がないと、日本人は国外のどこの国・地域でも歩けなくなるだろう。私はそんなのは嫌だから、徹底的に安倍ファシスト一派と右翼と戦う。
 
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2007年03月24日

「それが地獄の始まりだった」、元慰安婦抗議の叫び - フィリピン

おっと、このニュースを忘れていた。
「それが地獄の始まりだった」、元慰安婦抗議の叫び - フィリピン
http://www.afpbb.com/article/1417133
【マニラ/フィリピン 15日 AFP】1943年、当時14歳だったVirginia Villarmaさん(78)は若さと純潔を奪われた。その時の出来事を思い出すたびに、深いしわが刻まれた顔が涙で泣き濡れるという。

 Villarmaさんは食べ物を手に入れるためマニラ郊外の通りを歩いていた時、突然、日本兵の集団に襲われた。動物のように軍用車の後座席に投げ入れられると、港にある兵舎の一室へ連れて行かれ、そこで服をはぎ取られ3、4人の兵士に繰り返しレイプされたという。Villarmaさんが悲鳴を上げ相手を殴って抵抗すると、失神するまで殴られたり蹴られたりした。

「静まりかえった部屋の中で意識が戻ったとき、体中に激しい痛身を感じました。その痛みはその後も消えず、今も残っています。その日から3か月間、朝から夜まで毎日虐待され続けました。あれは私の一生で一番長い3か月でした」

 VillarmaさんはAFPの取材に応じて、ピンクのハンカチを指に巻きながら静かな声で語った。

「それが地獄の始まりでした。当時何が起きたのか、そしてなぜ私たちが日本政府に過去の過ちについての正式な謝罪を求めているのかを、大勢の人に知ってもらいたいんです」

 取材中に時折、言葉に詰まると金縁の眼鏡をはずし、目にあふれる涙をぬぐった。

 3か月後、連合軍の爆撃のおかげで、Villarmaさんはやっとのことで兵舎から逃げ出すことができた。だが、彼女の人生はその出来事を境に一変した。

■安倍首相の発言に抗議の声を上げる女性たち

 その後Villarmaさんは結婚したが、数年後にVillarmaさんが日本兵の慰安婦にされていたことを知った夫は、彼女と5人の子どもを置き去りにして去っていった。

 第ニ次世界大戦時の従軍慰安婦問題で、安倍首相は今月、「旧日本軍が従軍慰安婦への強制性を裏付ける証言はない」と発言。これを受けて、忘れ去られていた従軍慰安婦の問題が再び注目される形となり、元慰安婦だった大勢の女性が抗議の声を上げた。

 そのほとんどはアジア圏の女性だ。大半は慰安婦だったことが理由で一度も結婚できずにいる。中には社会から隔絶した生活を送っている女性、虐待により子どもの産めない体になった女性などもいる。
 
 日本政府は戦時中に起きたこの出来事を無視しようとしているが、がVillarmaさんのように慰安婦として虐待された女性たちは、決してそうはさせないと決意しているという。

 アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)がまとめた報告書によると、戦時中、強制的に慰安婦にされた女性はインドネシアから中国まで多数の国で計約20万人に達する。その中で一番若い女性は当時12歳だった。

 第2次大戦後、日本の戦争犯罪を起訴するために設置された極東国際軍事裁判所(International Military Tribunal for the Far East)の法廷では従軍慰安婦問題は無視された。
これが、立派な狭義の強制連行の例ですね。スマラン事件のようなごく例外的なものではありません。日本軍が存在していた国外の地域であれば、どこでも起こりえたことなのです。東京裁判では従軍慰安婦(日本軍性奴隷問題)は一切取り上げられませんでしたし、BC級戦犯裁判でもごく数件強制売春や誘拐などの容疑で取り上げられたにすぎない程度の酷い扱いでした。Villarmaさんの例のフィリピンの戦犯裁判で取り上げられることがなく、誘拐した日本兵の集団や朝から晩まで虐待し、繰り返しレイプを加えた多数の日本兵たちは裁かれていないのです。もちろん、戦争で亡くなったのも多いと思いますが、裁かれることなく日本に帰国できたのも多数いるとなれば、私としては同じ日本人として恥ずかしいです。故郷に帰り平凡な老人として暮らし、戦友会などで酒が入り当時の話となれば、真っ先にこれだけ若い初々しい娘を好き勝手強姦できたことを自慢げに話す。考えただけでも、ゾっとしますね。
◆ 美しい壺日記 ◆より
続 従軍慰安婦は強制です
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-33.htmlから、

1983年産経新聞社長だった鹿内信隆氏の証言
フィリピンでの日本軍に関して(鹿内氏は1942年当時主計将校として陸軍省勤務)

本間軍団の経理部のいちばん偉い人は、私どもの経理学校の上官だった人ですが、名前はここで申し上げないほうがいいとおもう。上陸作戦がすんでから、その人が陸軍省に報告に来られた。経理担当の最高の師団将校ですから。
で、その人の報告は、要するに「すばらしい」というんです。
何がすばらしいのかといったら、マニラ大学の女の学生は全部セレベスとか、方々の島々の豪族の娘たちが集まっていた。
ところが、日本軍がマニラに上陸したら、島に帰れなくなっちゃった。
寄宿舎にいるやつが、みんな孤立しちゃったわけだ。
それを日本の将校がいただくわけだ。
それが、いかにすばらしいかという報告で終始一貫おわっちゃったわけね。
その戦況報告のはなしが……。

「いま明かす戦後秘史 上」サンケイ出版 1983  P29〜30

というか、産経新聞社鹿内信隆氏が日本軍がマニラ大学の女学生を全員いただいて強姦しちゃったことを認めていますね。フィリピンでは日本軍が組織的に女性狩りをしていたのでしょう。しかも、経理担当の最高の師団将校でさえ加わっているのだから。しかも、陸軍省にそのようなマニラ大学の女学生を頂きおいしい思いをしたということを報告してお咎めなし。話を聞いた鹿内信隆氏も面白半分に聞いていた。大日本帝国・日本軍性善説などお話にならない右翼の妄想。大日本帝国・日本軍の上層部も黙認ないし公然と現場の実態を知って許容していたわけだ。鹿内信隆氏が直接関与したわけではないが、経理担当の将校がやったことは立派な誘拐や強制売春という戦争犯罪だし、じかに本人より聞いたのに調査すらせず、見逃した点では同罪。十分責任を取るべき立場であり、裁かれてもおかしくない戦争犯罪人なのだが、産経新聞社の社長にまで出世している。中曽根氏も慰安所の設置と婦女の拉致と強制に関与しているが、これも戦争犯罪人として裁かれることなく首相に出世している。とんでもない話だ。肝心の何度もいうように、もちろん、程度の差はあるでしょうが、フィリピンだけではなく、インドネシアであれ、マレーシア・シンガポールであれ、ビルマであれ、日本軍の侵略先ではどこでも起こりえたでしょうし、起こったのでしょうね。アムネスティーの報告によれば、若くして純潔を奪われ、朝から夜までレイプされた女性が20万人いたということです。突然兵舎に拉致され、服を剥ぎ取られ、日夜強姦され続けた日本軍性暴力被害女性の気持ちに立てない安倍ファシストや東国原や右翼連中は逝ってよし!!!そして、多くの婦女を強引に連れ去って、日夜レイプと虐待の地獄を与え、人生を奪い、平和国家日本でのうのうと生きてきた元日本将兵の老人ども!!!恥を知れ!!!!
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2007年03月21日

[慰安婦問題]安倍首相の強制否定で拉致支援者に困惑 米紙

[慰安婦問題]安倍首相の強制否定で拉致支援者に困惑 米紙
http://news.livedoor.com/article/detail/3081150/
 
【ワシントン及川正也】米紙ロサンゼルス・タイムズ(電子版)は18日、従軍慰安婦問題で安倍晋三首相が「狭義の意味での強制性を裏付ける資料はなかった」との立場を堅持していることについて、「強制性」を否定していることで北朝鮮による日本人拉致問題で日本政府の立場を支持する人たちを「困惑させている」とする記事を掲載した。  記事は東京発。従軍慰安婦問題と拉致問題への安倍内閣の対応を比較。拉致問題では「北朝鮮を非難」するが、慰安婦問題では「強制を否定している」と指摘。シーファー駐日米大使が米紙に「元慰安婦は旧日本軍によって強姦(ごうかん)された」と発言したことに言及し、「ワシントンの日本の最大の支援者たち」にも困惑が広がっているとの見方を示した。
 また、批評家の見方を引用する形で「首相は旧軍によって恐怖を強いられた多くの女性に対し、(拉致被害者へのと)同じ同情を持てないでいる」と批判している。
とあるコピペを貼り付けておく。 ◆ 美しい壺日記 ◆
【安倍】従軍慰安婦問題【アホ】
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-41.htmlより、コピペさせていただきます。
しかし、こいつらって日本が被害国である拉致事件を「歴史捏造主義者」の論理で否定されたら許せるんだろか?


↓例えばこんな感じで

◯金正日の「(拉致)は特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走って起こした」発言から分かるように北朝鮮政府は拉致をしていない

◯拉致したことを証明する公文書は一切存在しない

◯北朝鮮で高額な給料をもらい裕福なくらしをし結婚までしていたのだから拉致ではない

◯拉致被害者の数が毎年増え、いつのまにか10倍に増えているのはおかしい

◯拉致被害者と言われている方の証言内容に不明な点が多く証拠にはならない

◯当時の工作船には朝鮮半島まで戻る技術はなかった

◯日本が主張する拉致被害者の姿がどこにも見当たらない

◯当時は楽園と呼ばれていたので、日本人達は自分の意思で北朝鮮に来た

◯拉致事件はCIAと公安の陰謀によるでっち上げである
日本の右翼どもは、北朝鮮の拉致問題を否定することと従軍慰安婦(日本軍性奴隷)として日本軍が女性を拉致したことを別だというだろうが、世界では同列の卑劣な大嘘というのに見られているんだよ。私の知り合いの女性の白人英語教師は、実際の拉致(狭義の強制連行)の有無や集められた方法ではなく、彼女らが望んでもいない性行為を強いられて、奴隷的拘束下におかれたことを問題視していました。北朝鮮にしろ、拉致を行ったことよりも、現実に特殊部隊とはいえ拉致の存在を認めたのにも関わらず、被害者を家族の元に返しておらず、奴隷的な拘束下にあることが問題だと言いました。拉致問題も従軍慰安婦拉致問題もどちらも酷い人権問題です。多国間的な問題という意味では従軍慰安婦問題のほうが世界にとっては重大性があるでしょう。従軍慰安婦の拉致を含む戦争犯罪を否定し、悔い改めまいという日本政府の姿勢は、拉致問題に取り組む海外の活動家の足を引っ張る国賊的行為なのです。右翼どもへ、どちらが国賊であり、酷い売国奴なのかよく考えましょうね。
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日本政府を厳しく批判 強制連行 被害者と元日本兵会見

日本政府を厳しく批判 強制連行 被害者と元日本兵会見
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-03-17/2007031704_05_0.html
 戦時中の日本による強制連行・強制労働による被害にあった中国人と、強制連行を実行した元日本兵が十六日、東京都千代田区の日本外国特派員協会で記者会見し、当時の実態を語り、責任をとろうとしない日本政府を厳しく批判しました。  一九四四年に山東省から強制連行され新潟港で過酷な労働を強いられたケイ念芳さんは、被害者の賠償請求を棄却した十四日の東京高裁判決への怒りを表明し、涙をぬぐいました。
 同じ山東省で一万人の中国人を連行した軍隊の一員だった小山一郎さん。農作業中の農民を銃で脅したり、家々の戸を蹴破って男性を引っ張り出し、すがりつく妻や子どもを突き飛ばして連行した様子を生々しく語り、「命令とはいえ強制連行に携わったことを心からおわびしたい」とケイさんに頭を下げました。
 中国人強制連行新潟訴訟の中村洋二郎弁護団長は、「(中国人の戦後補償裁判で)被害者すべて負けになってしまう。国と企業の犯罪行為にふたをしようとするもの。国際的にも問題提起をしていきたい」と語りました。
大日本帝国・日本軍はさんざん、中国大陸で拉致をやりまくったのではないですか。小山一郎氏は立派だと思います。加害者の一人として被害者に謝罪し、その上、被害者と協力して戦後補償裁判で日本政府と戦う立派な元日本軍軍人としての献身的行為だと思います。加害者として残虐行為・蛮行の数々に加わった元日本兵のお爺さんは何をやっているのでしょうか?こんなこといっていいかどうか分からないですが、私個人的には小山一郎氏の部隊が行ったことはマシだと思うのです。農民を銃で脅したり、家々の戸を蹴破って、男性を連行しただけで、すがりつく妻子を蹴飛ばしただけで、それ以外に子供や妻には手を加えていません。普通の日本軍であれば、男性の拉致ついでにその妻子は強姦されて、場合によってはやったののち、銃剣で腸を突き刺して殺害していたでしょう。たとえ幼児であっても容赦なしです。妊婦であっても、強姦したのち、銃剣で腹をえぐって断ち割り、胎児ごとめったざしにする。赤ん坊であれば、上へ放り投げて、銃剣で串刺しにする。有り金や食糧をすべて強奪し、火を放って、その村には燃えカスと強姦されて殺害された惨い婦女の遺体と日本兵の糞尿以外に何も残らないでしょう。日本軍の部隊であれば、掃討作戦の部類でなく、ただ、通過しただけでもそのような地獄絵図が繰り広げられたことを考えれば、小山一郎さんの部隊は言葉が悪いかもしれませんが、まだマシだったのです。小山一郎さんよりも、酷い加害者だった日本兵がたくさんいたはずだのに、誰も名乗り出てこない。加害者として中国の人々や被害者にお詫びをして、その上で、過去の蛮行の数々と過ちを認めず、悔い改めない日本政府を糾弾し、戦うという行動こそが大事なのではないですか。とはいっても始まりません。結局、頼るべきは外圧しかないのですか。米国の下院では従軍慰安婦・日本軍性奴隷問題だけではなく、あらゆる戦争犯罪・蛮行を取り上げ、国連の場においても日本の過去を糾弾すべく決議を行う。そうしないとやっぱり駄目ですかね。
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慰安婦問題の第一人者である吉見教授、安倍首相の発言に苦言 - 東京

ケンシロウさま、ありがとうございました。ひさびさに、
http://8112.teacup.com/uyotoubatsunin/bbsの掲示板を見たら、ケンシロウさまからの投稿がありました。右翼などの荒しばかりなので、見向きすらしませんでしたが、きちんと拝見させていただきました。他は別途取り上げるとして、今日は疲れたので、ひとつだけ紹介されたニュースを取り上げます。 
慰安婦問題の第一人者である吉見教授、安倍首相の発言に苦言 - 東京
http://www.afpbb.com/article/1407058?lsc=1&lc=2
【東京 11日 AFP】慰安婦問題に旧日本軍が組織的に関与していたことを示す資料を発見した、中央大学の 吉見義明教授は、この問題についての安倍晋三首相の発言、明らかに1993年の河野洋平官房長官による謝罪を修正するような発言に、危機感を募らせている。

 15年前、吉見教授により、資料が発見公表されたことにより、日本政府は関係する韓国人女性数千人に対して、画期的な謝罪を行った。

 しかし、安倍首相は最近、「旧日本軍が従軍慰安婦への強制性を裏付ける証言はない」と述べ、旧日本軍の組織的に関与を否定した。これに対して吉見教授は、「わたしは、政治の現状に不安を抱いている。首相と主要な閣僚はこの問題の根本的な事実を否定しているように思える」とは話す。

■1991年12月、事実を示す資料の発見

 1991年12月、元従軍慰安婦だったという複数の韓国人女性が名乗り出て、過去を語り始めたのをきっかけに、吉見教授は、この問題に関係することとなった。教授は、防衛庁(現防衛省)の図書館に足を運び、2日間の調査で日本政府による従軍慰安婦問題への直接関与を示す証拠の書類を発見した。

 吉見教授によれば、旧日本軍が前線部隊のために慰安所を設置する命令を下した関係書類を、偶然、発見したのは1980年だったと語る。

 書類には、中国北部を占領する旧日本軍の参謀が、慰安所の設置を求める内容が記されてた。旧日本軍兵士が、中国女性に性的暴行を加え、現地住民の怒りを買うことを避けることが目的だったという。

 一部の歴史家によれば、終戦までに約20万人の女性がアジア各地の慰安所で慰安婦として働かせられていたとも言われる。

 「わたしにとって大きな驚きだったのは、それが日本の当局による直接関与を初めて明らかにする公式書類の一つだったからです」と吉見教授はAFPの取材に対し述べる。「その重要性を十分認識していたので、資料は金庫に厳重に保管していました」と教授は話す。

 吉見教授の従軍慰安婦に関する研究は、1992年1月11日付の
朝日新聞に掲載された。そして、その翌日には政府が、この問題の調査に乗り出すことを約束した。

 そして1993年、当時、官房長官であった
河野洋平氏は、旧日本軍が直接、あるいは間接に、慰安所の設置と管理、および慰安婦の移送に関与したことを認め、慰安婦問題で謝罪と反省を表明した。いわゆる河野談話で、「心から」の「お詫びと反省」を内外の関係者に示し、旧日本軍が従軍慰安婦問題に、「直接あるいは間接に」関与した過去を認めた。

■従軍慰安婦問題に対する米下院の決議案に、否定的な安倍政権

 安倍政権は、従軍慰安婦問題をめぐり日本政府に明確な謝罪を求める米下院の決議案に対し、否定的な姿勢を強めている。同決議案は、民主党が1月の中間選挙で勝利したことで採択される可能性が強まったが、日本政府に対し、事実関係を完全に認めることと、当時の慰安婦らへの謝罪を求める内容となっている。

 保守的な歴史観で知られる安倍首相は今月、「(旧日本軍による)強制性を裏付けるものはなかった」、「強制性を裏付ける証言はない」と発言。首相は一方で、「そのときの経済状況もあった」「間に入った業者が事実上強制していたケースもあった。広義の解釈では強制性があった」と述べ、河野談話の継承も明言している。

 また、安倍首相は与党主導の従軍慰安婦問題再調査への協力を約束したが、一部には、これは1996年の河野談話の修正への第一歩と見る向きもある。

 吉見教授は、日本の保守派の指導者はしばしば歴史問題で論戦を繰り返す中国に比べ、米国からの批判を受けた場合により柔軟に対応するだろうと話し、自らも決議案支持の請願書に署名をした。

 「わたしは、米議会での決議案採択が、現在、日本に広がりつつある保守化傾向への歯止めとなることを期待しています。安倍首相にとって、重要な同盟国である米国の忠告を拒絶することは恐らく不可能でしょう」と分析する。

■吉見教授は、過去の過ちを認めること拒否する流れを懸念

 60歳を迎え、白髪の吉見教授は、書籍が所狭しと並ぶ研究室で、この問題に対する安倍首相の発言を静かに批判する。

 「慰安婦の募集にあたり、女性への強制があったのは明らかであり、慰安所の設置を決定したのは日本政府だったのです」と、発見した資料の写真を手に取り、吉見教授は話す。「日本政府こそが首謀者であり、請け負った業者や中間業者は、政府の手先として働いただけ。しかし、その反対は絶対にあり得ない」と。

 吉見教授はさらに、柔らかい語り口調で、脅迫電話や脅迫の手紙をいくつも受け取ったと話す。教授が資料を発見、公表したことに腹を立てた人物が、教授に「死ね」という書面を送りつけてきたこともあるという。

 政府が1993年の河野談話の立場を継承したとしても、この見解に反発する動きが。既に国内に広がっている。現在、中学生の教科書で、従軍慰安婦問題を取り上げたものは存在しない、とも、吉見教授は語る。

 「悪行を認めることを拒絶する感情はいつの世も存在しますが、とりわけ1990年代のバブル崩壊以降は、独自の文化を無理やり主張することが、一つの流れとなっているように思えます」と同教授は分析している。
従軍慰安婦問題の権威であられる吉見教授もこの騒動に賛成されたようです。すべて業者によるもので、狭義の意味での強制連行はなかった、証拠がないとしてつまり政府・軍の組織的な直接関与を否定していますが。立派な証拠があるじゃないですが。当時の大日本帝国政府・日本軍自身が慰安所の設置を命令し、慰安婦への募集における女性への強制の首謀者は間違いなく政府・軍だったのです。公式書類として証拠がでております。それでもしらばくれているのでしょうか。被害女性への謝罪および日本軍性奴隷制度という蛮行の事実そのものを抹消しようと画策しています。河野談話を引き継ぐといっていますが、修正して骨抜きにしようとしています。強制の部分を業者のせいにして、その業者の取締りが不十分だったのは遺憾であり、その点政府に責任があり、謝罪する"という風にして、業者を取り締まりきれずに女性を酷い目に合わせた道義的責任があるが、大日本帝国・日本軍は根本的には悪くない性善の立場だ!!ということで、大日本帝国・日本軍の恥ずべき不名誉な歴史の塗り替えと美化を果たすつもりなのでしょう。根本的に、女性を慰安所でレイプしていたのは、日本軍の将兵であり、士気の高揚や強姦防止といって慰安所の設置を命令したのは政府や軍(大本営)であり、領事館までが関与し、女性を前線まで引き連れて玉砕の現場にすら慰安婦がいた。慰安所の規則・料金経理や運営、慰安婦として働く女性の選別や輸送、などのあらゆるところに軍が関与していたことは明白な歴史的事実なのだ。もちろん、このような不名誉な過去の歴史をもつのは、国家として恥かもしれない。しかし、それを誤魔化そうとしたり、否定したり、まして蛮行の事実を自身の都合のいいように塗り替えて美化しようすることは、不名誉な過去の歴史の存在以上に恥であり、恥の上塗りにすぐない。断じて許してはならない。資料を公表した吉見教授自身への脅迫も相次いでいることも問題だ。歴史を真っ当にみることができないやつらには、言葉ではだめなら体で分からせないといけない。私は国連の場で従軍慰安婦問題を議論すべきだと思う。国連人権委員会、さらには日韓、日中のみならず、日米関係すら悪化させ、世界的脅威にもなりかねない問題であるから安保理でもかまわないと思う。思い知らしめなければならない。そうしないと日本のファッショ的体質は何も変わらない。
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2007年01月08日

旧満州・中国人捕虜強制労働、関東軍が賃金不払い明文化

旧満州・中国人捕虜強制労働、関東軍が賃金不払い明文化
http://www.asahi.com/national/update/0107/OSK200701070036.html

 日中戦争で捕虜になった中国人兵士らを旧満州国(中国東北部)に連行し、建設現場で「特種工人」として働かせるため、旧日本軍が1943年に作成した極秘の取扱規定が見つかった。中国・吉林省の公文書館にあたる档案(とうあん)館に残されていた関東憲兵隊の内部文書を、愛知県立大学の倉橋正直教授(中国近現代史)らが入手した。賃金を各部隊が一括保管して本人に支払わないことを明文化するなど、不明な点が多い中国大陸での中国人強制労働の実態解明につながる内容になっている。
 文書は旧満州に展開していた関東軍総司令部が43年7月に作成した「関東軍特種工人取扱規程」。通則、輸送、使役、管理、監視及警戒、経理、報告の7章32項目と二つの付則からなり、表紙には「極秘」の印が押されている。
 冒頭の第1項では、中国北部戦線で捕虜にした国民党軍や共産党軍の兵士、匪賊(ひぞく)と称していた反日武装勢力を「特種(特殊)工人」と定義。軍の管理下にある飛行場や鉄道などの建設現場で使役する場合の必要事項を定めている。
 処遇については、特種工人の配属を受けた部隊長がその使役や管理を直接担当する▽輸送の際は将校を輸送指揮官とする――など、管理・使役に関東軍の各部隊が直接かかわる仕組みになっている。
 賃金については、「特種工人に支給せず、部隊が一括保管し、日用品などの購入に充てる。なお余剰がある時は本人の帰還や解放時に交付する」と定めている。しかし、死亡した際に残されていた遺留金は埋葬費に充て、残額があれば遺族に送る▽送金不能ならば残りの特種工人の福利施設に充ててよい▽逃亡した場合は捜索費に充て、残った額は他の特種工人の警護施設に充当する――などの規定があり、賃金を直接手渡さずに捕虜を働かせることができる仕組みになっている。
 日本が1911年に批准した「ハーグ陸戦条約」は、捕虜を使役した場合は自国の陸軍軍人と同じ基準で賃金を支払うことなどを義務付けるとともに、捕虜の賃金から必要経費は控除できるとしている。関東軍の取扱規程は、「特種工人」が諸外国から国際法上の捕虜と認定された場合でも、同条約を順守していると主張できる形を取りつつ、現場で強制労働を可能にする狙いがあったと見られる。
 旧満州国での捕虜の強制連行・強制労働をめぐっては、当時の統計資料をもとに、1941年5、6月から43年6月末までの2年間に民間企業と軍を合わせて約10万人が動員されたと推計する中国側の研究がある。敗戦時に関係資料の多くが散逸したり処分されたりしたため、全体像は不明となっている。
 一方、日本国内への中国人の強制連行については、外務省が敗戦直後の46年3月にまとめた「華人労務者就労事情調査報告書」で、43年4月〜45年5月に3万8935人が連行され、帰国までの死亡者数を6830人としている。
 〈旧日本軍の強制連行や捕虜政策に詳しい内海愛子・恵泉女学園大教授(戦後補償論)の話〉 日中戦争での中国人捕虜の扱いについての全体像が明らかになっていないなか、強制連行も軍が直接管理し、賃金の扱いまで示していたことを明らかにする画期的な資料だ。表向きは「国際条約を守っている」という主張も可能な表現をとりながら、文面通りにすれば現場で賃金を不払いにできるのが特徴で、実に巧妙なやり方だ。このような規定が、上層部は責任追及を逃れながら末端の担当者が捕虜虐待に問われ、多数のBC級戦犯を生む素地になったとも言える。

ほんと、大日本帝国はつくづくとんでもない国だなと思う。表向きは国際条約を守っていると装うところが巧妙で、大日本帝国・日本軍はアホだがこういうところには妙に悪知恵がまわる。とはいっても、違反は違反だ。ハーグ陸戦条約は捕虜を使役した場合、賃金を払わないといけないとしているし、その倉橋正直氏が入手した資料は、部隊が日用品などの購入(部隊、いや将兵の指摘流用、軍部の裏金化)に当てる、ありきで、賃金を払いませんと奴隷労働を謳っているのだから話にならない。大日本帝国・日本軍はまさに奴隷国家である。関東軍では中国人捕虜を賃金なし、つまり奴隷労働を行わせているわけだが、多かれすくなかれ、朝鮮半島、台湾、そして日本本土における朝鮮人や台湾人労働者、日本軍の強制レイプ所に監禁された性奴隷に従事させられている女性も、賃金なしの奴隷状態だったのである。奴隷といえば、聞こえがいいが、実態といえばまさに、でてくる資料に書いてあることからは想像すらできない、奴隷より格下の、家畜と同じが、それ以下の"ただのモノ""戦争遂行のための消耗品"並だったのである。大日本帝国は、ナチスの強制収容所群、ソ連のソルジェニーツィン氏が書いた収容所群島、北朝鮮国内で現在行われていることより、はるかに残酷で、巨大なアウシュビッツシステムを備えていた。シベリアや中央日本兵で旧日本兵が抑留され、強制労働させられたことを、右翼の連中はどうたらこうたらいうことがあるが、自分たちの過去の大日本帝国や各地の日本軍が、中国人や朝鮮人、台湾人、連合軍捕虜、その他アジアの人々に対してどういう惨い扱いをしたか少しでも考えてみろ!!!
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2007年01月07日

旧日本軍毒ガス提訴のニュース

『失った人生返して』 旧日本軍毒ガス提訴へ
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20070104/mng_____sya_____007.shtml

 旧日本軍が遺棄した毒ガス被害では「戦後最大の惨事」とされる中国東北部・黒竜江省チチハル市での事故。その補償が日本の法廷で争われる。訴えを起こす被害者四十四人は呼吸器障害などの後遺症で失職や離婚などを余儀なくされてきた。被害者には十代の子供も。六十年以上前の戦争の遺物が新たな被害を生んでいる実態を司法の場で訴える。 

 「健康、家族、仕事。すべてを失った。台無しにされた人生を返してほしい」。事故から丸三年を迎えた昨年八月、日本政府に窮状を訴えるため来日した被害女性の牛海英(ニウ・ハイイン)さん(28)は面会した国会議員を前に泣き崩れた。

 牛さんは当時、廃品回収所を切り盛りする経営者だった。工事現場から発掘されたドラム缶に毒ガスが入っているとは夢にも思わず解体し、二カ月間の入院生活を強いられた。十代のころは重量挙げの選手として活躍するほどの健康自慢。だが事故後は一転し、後遺症による免疫力の低下で、慢性的な疲労や体力、記憶力の低下、いつもかぜをひいているような気だるさに悩まされるようになった。

 「身体の不調が原因で夫とも口論が絶えなくなり、離婚。十歳の長男とも離れ離れになってしまった…」。今は仕事もできず、母親とひっそり暮らしているという。

 被害者の六割以上を占めているのは、十代から三十代の人たちだ。一家の大黒柱として働いていた作業員らも、後遺症が原因でほとんどが職に就けないままだ。

 整地のため工事現場から中学校の校庭や個人宅に運ばれた汚染土に触れ、健康被害を受けた子供もいる。「毒ガスを吸わなければこんな病気にならなかったのに」。当時十歳で、二〇〇五年に健康診断のため来日した女性、馮佳縁(フォン・ジャユアン)さん(13)は医師から慢性気管支炎という診断結果を伝えられ、おえつを漏らした。

 校庭の汚染土で砂遊びをしているうちに毒ガスを吸った。その夜のうちに病院に運び込まれたが、手足の皮膚がただれ、二カ月間にわたって入院。

 「学校に戻っても(感染症と誤解され)友達はみんな離れていった。目にもやがかかって、勉強にも集中できない」とつぶやいた。

 弁護団の南典男弁護士は「毒ガスが人体にどんな影響をもたらすのかについては、未解明な部分も多い。被害者が抱える後遺症は年々悪化している。勝訴して、研究・治療体制の整備を中心とする救済策を政府に促したい」と語った。

    ◇

 市民団体「毒ガス被害者をサポートする会」(東京都新宿区)は訴訟支援の寄付を募っている。郵便振替の口座名は団体名と同じで、口座番号は00160−8−583130。問い合わせは同会事務局=03(3268)1993。

『旧日本軍毒ガス事故 中国人44人損賠提訴へ
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20070104/mng_____kok_____003.shtml

 中国東北部の黒竜江省チチハル市で二〇〇三年八月、旧日本軍が終戦前後に遺棄した毒ガスが漏れた事故で呼吸器障害などの被害を受けた中国人四十四人が今月下旬、日本政府を相手に総額十三億二千万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こす。「毒ガスを放置し、危険を取り除く義務を怠った」として戦後処理の違法性を追及する。旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器をめぐっては、別の事故で二件の訴訟が東京高裁で続いているが、今回は原告数、賠償額とも最大規模になる。 

 事故は、チチハル市内の工事現場から毒ガスが詰まったドラム缶が掘り起こされたのが発端。漏れた毒ガスの被害はドラム缶を解体した作業員らのほか、中学校の校庭に運び込まれた汚染土に触れた子どもたちにまで拡大した。

 一人が死亡し、四十四人が皮膚がただれるなどの被害を受け、呼吸器障害などの後遺症が残っている。

 この事故は中国国内では「旧日本軍の毒ガス遺棄事故では戦後最大の惨事」とされ、日中の外交問題に発展した。日本政府は補償ではなく「事故処理費」の名目で中国政府に三億円を支出し、死亡した被害者の遺族に約二千万円、負傷した被害者には一人平均約五百五十万円の治療費が分配されている。

 だが、被害者弁護団は「被害者らは後遺症で仕事を失った。症状の進行は一生涯続き、一時金ではとても生活していけない」としており、慰謝料などを含め、死亡者を除いて一人当たり三千万円の賠償を求める。

 〇五年以降、被害者の代表らが何度も来日し、内閣府を窓口として医療体制の整備などを求めて交渉してきたが「誠意ある回答が得られなかった」として提訴に踏み切ることになった。

 旧日本軍が敗戦の前後に、中国各地に捨ててきた毒ガスなどの「遺棄化学兵器」の数は中国側推定で約二百万発。日本側の推定は少なくとも三十万−四十万発という。

■戦後責任在り方問う

 <解説>「問いかけたいのは毒ガスを遺棄した過去の責任より、回収を遅々として進めず、危険を知りながら放置し続けている現在の日本政府の責任だ」と被害者弁護団は強調する。これは、今回の訴訟が提起するものが、日本が果たしてこなかった戦後責任の在り方であることを意味している。

 一九九七年に発効した国連の化学兵器禁止条約に基づき、日本側に毒ガス兵器の廃棄を義務付けた覚書が日中両政府間で交わされたのは九九年。日本政府は重い腰を上げ、同年から回収作業を始めたが、これまでに処理できたのは四万発弱。日本政府が推定する遺棄数「三十万−四十万発」にも遠く及ばない。

 回収期限は今年四月だったが日本政府は国連の化学兵器禁止機関(OPCW)に五年間の延長を申請し、承認された。毒ガス兵器は中国全土の約六十カ所で見つかっているが、ほかにどこに埋まっているのか特定できていない。期限を延長しても、すべての処理が終わるかどうかは不明だ。遺棄毒ガス事故の被害は、いわゆる従軍慰安婦や強制労働をめぐる戦後補償の問題とは異なり、被害が今も広がっている点に特徴がある。チチハル市での事故後も、小規模だが同様の事故が起きている。

 戦後補償裁判の大半が戦前の日本には国が賠償責任を負う制度がなかったとする「国家無答責の法理」が適用されたり、賠償請求権が消滅する“時の壁”に阻まれた。これに対し、チチハルの事故が起きたのは三年半前。「現在進行形」の被害に対する日本政府の責任について司法がどう判断をするか。それが訴訟の焦点になる。(社会部・鬼木洋一)

 <メモ> 旧日本軍の毒ガス遺棄をめぐる訴訟 中国チチハル市での事故の被害者に先行し、黒竜江省で1950−90年代に発生した事故の被害者や遺族計18人が、日本政府に損害賠償を求めた2件の訴訟(請求総額約2億8000万円)を起こしている。2003年に両訴訟の1審判決が東京地裁であり、どちらも「毒ガスや砲弾の遺棄は違法な行為」と認定した。しかし、回収のための調査義務が日本政府にあったかどうかの判断が分かれ、1件は被害者側が勝訴、もう1件は敗訴した。両訴訟とも東京高裁で係争中。

日本の根本的な卑劣な精神は、60年以上も前の大日本帝国時代となんら変わっていない。大日本帝国の加害は今なお絶えることはない。日中両国に遺棄された毒ガス兵器によるものはその代表例だが、現在進行形で続く、大日本帝国による加害責任である。戦後60年以上も無視し、その戦後の悪しき置土産の後始末を怠っているし、あまつさえ被害者の訴えに対して控訴するような非人道の国である。こんな政府を存続させていることが、日本人としての何よりも恥だよ。本当に恥ずかしい限りで、外国の人々に対して、誇りをもって日本を自慢することなど、私にはできない。なにが美しい国だ。"汚物塗れ"の腐敗した国だ。

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2006年12月24日

講義:戦時中の生体解剖、元衛生兵が証言−−立命館大 /京都

講義:戦時中の生体解剖、元衛生兵が証言−−立命館大 /京都
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061220-00000305-mailo-l26
 
 第二次大戦末期、フィリピン・ミンダナオ島で、現地住民を生体解剖したという元海軍衛生兵、牧野明さん(84)=大阪府枚方市=が19日、北区の立命館大の講義で、学生約130人に体験を話した。牧野さんは今年10月、毎日新聞に生体解剖について初めて証言。講演で語るのは今回が初めてだった。「すまんな」と思い続けながら解剖に携わり、餓死寸前の状態で敗走した経験などを約1時間、涙ながらに語り、「戦争だけは絶対にしてはだめです」と繰り返し訴えた。
 1944年8月、医務隊の一員として同島に配属。30代の軍医長の命令で、米軍のスパイ容疑で日本軍に拘束された現地住民二十数人を生体解剖した。胃や腸の位置や、治療の方法を学ぶ目的だったという。
 「最初は手が震えたけれど、次第に慣れてしまった。でもずっと良心がとがめて、61年間忘れたことはありません」と苦しみを語った。学徒動員された大学生が、軍刀の切れ味を試そうと現地住民を殺したことも紹介した。また、「殺さないで、一緒に連れて行って」と懇願する負傷兵を仲間の兵が殺した様子や戦後の慰霊の旅なども話した。
 牧野さんは敗走の体験を小学校などで語ったことはあったが、大勢の前で生体解剖について話したのは初めて。毎日新聞の記事を読んだ山崎文徳・同大学非常勤講師が戦争の全体像を学ぼうと企画した。受講した政策科学部3年、小山格さん(22)は「想像以上に残酷だと思った。戦争をするな、と牧野さんが話す理由が強く伝わった」と話していた。【久木田照子】
 
牧野氏は精力的に活動されているようである。日本兵の話を聞けば、多くの人は、戦争をしてはいけないということを話す。しかし、それは自分が被害者であるかのように話し、自分が加害者だった体験に基づいて話する人が少ない。日本軍が生体解剖をはじめ、アジア各地で強姦や殺戮などを日常的に行ったのは紛れもない事実である。 自身の加害体験に基づいて、戦争反対の語り部となる決意をした牧野氏に私は一人の人間として大変敬意を払うであろう。彼の講演を講義で生で聞くことができた立命館大の学生がうらやましい。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:51 | Comment(20) | TrackBack(184) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月18日

東京で「慰安婦」被害女性の証言集会 「解決のため何をすべきか」

東京で「慰安婦」被害女性の証言集会 「解決のため何をすべきか」
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/01/0601j1218-00001.htm
日本、南朝鮮 各地で同時企画


 「ある『慰安婦』被害女性の現在−61年目の訴えと向き合う」(主催=旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・東京実行委員会)が11日、早稲田大学で行われた。集会には「慰安婦」被害者の姜日出ハルモニ(78)と南朝鮮の「ナヌムの家」の職員として働く村山一兵氏(26)が講演した。
 
「人を殺そうとしている」

 「小泉首相の時から、日本はまた戦争して人を殺そうとしている。小泉も安倍も口ではいいことを言っているが、行動は一つもともなっていない」
 姜日出ハルモニはこのように述べながら、元「慰安婦」への謝罪と補償をはじめとする過去の清算と正面から向き合わない日本政府の対応を厳しく非難した。
 また、米下院国際関係委員会で9月に採択された第2次世界大戦当時の日本の「従軍慰安婦」動員に関連した決議案(下院決議案759)の下院通過を阻止するため、日本政府が毎月約700万円を使ってロビー活動をしている事実に触れながら、「日本国内に、家もなく苦しんでいる人がどれだけ多いのか。そんな人たちには救いの手すら差し伸べず、自分たちの過去の過ちを認めまいとカネを使うような政府が果たして政府と言えるのか? ここにいる若い学生たちは頭がいいからわかると思うが、このまま放っておいたら私たちだけでなく、日本人も死ぬことになる」と強調した。
 そのうえで、「あなたたちには何の罪もないから、みなさんの前で自分が受けた苦しみを話すのはとても胸が痛む。でもみなさんが私の話を参考にして、二度とこのようなことが起こらないために何をすればいいかを考えてほしいから話している。みなさんが勉強して多くのことを知れば、絶対に昔のようなことは起こらないだろうし、そうなった時に初めて両国間の真の友好関係も築ける」と語った。
 一方、村山一兵氏は「ナヌムの家」で働くことになったきっかけについて述べたあと、「いわゆる『慰安婦』問題は、東アジアひいては東南アジアまで含んだ国際的な問題。高齢のハルモニたちが証言するのはとても難しいということを知ってほしい。『ナヌムの家』にいるあるハルモニは、昔の話をした晩には必ず当時のことを夢で見て、つらい思いをしている。問題は、61年経った現在でも、被害者本人が証言しなければならないということ」だと強調した。そして「本来なら、社会的に彼女たちを支えなければならないのに、そうなっていない。今日ここに参加した人たちは、姜日出ハルモニの証言を聞いて何をなすべきかを考えてほしい」と訴えた。
 
04年からさまざまなイベント

 「旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画」は、いわゆる「慰安婦」問題の解決を目指して、被害女性による証言集会などのイベントを同時期に各地で開催する企画だ。
 「ナヌムの家」を訪れた学生たちの呼びかけから始まったこの企画は、2004年12月に新潟、東京、神奈川、静岡、京都、大阪、広島、高知、福岡、沖縄の10カ所で行われたのを皮切りに、05年10月には9カ所で開催。今年は南朝鮮との同時開催が実現し、11月中旬から12月上旬にかけて南朝鮮の20カ所、日本の8カ所で証言集会などのイベントが行われた。
 東京実行委員会は1回目から参加し、04年にはフィリピンから被害女性を招いて法政大学で証言集会を開いた。また、05年には朝鮮から被害女性を招こうと準備を進めたが渡航許可が下りず、被害女性に関するシンポジウムを開催した。
 今年は、南朝鮮と日本の大学生を対象に、毎年春と夏に「ナヌムの家」で行われるワークショップであるピースロードに参加した学生たちを中心に、旧来のメンバーと合流する形で実行委員会を再結成。「ナヌムの家」に滞在してハルモニたちと交流し、そこで聞いたハルモニの話を多くの人に聞いてもらい、日本軍「慰安婦」問題について考えてもらおうと集会開催のための準備を進めてきた。
 主催者側では今後も、日本軍性奴隷問題の現在を知り、その解決のために何をすべきかを世代や地域を越えて共に考える場を提供していく予定だ。
[朝鮮新報 2006.12.18]

姜日出ハルモニの意見はもっともです。教育基本法改悪と防衛省法案を通し、露骨に戦争をするファシズム国家へと変貌を遂げようしている。また、戦争をしようとしている。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対して、強い敵視政策を進めているが、武力行使をし、朝鮮半島へと日本国自衛軍が侵攻した場合、また、日本兵による朝鮮人女性への強姦と輪姦が繰り広げられることになるのだろうか。日本国内には、いまだに家を持てずに、貧困に苦しんでいるホームレスの人々や社会の隅に追いやられ差別に苦しんでいる在日朝鮮人などのマイノリティーがいる。過去はもちろん、現代の過ちや罪を認めずに、自分たちの利権を守ろうと邁進している安倍ファシスト政府が存在するではないか。安倍ファシスト政権が誕生したのも、日本社会が袋小路に入り込み、絶望の淵に立たされているのも、日本人一人ひとりが、過去の清算と正面から向き合わなかった結果だ。「あなたたちには何の罪もないから」と、講演を聴きにくる日本人一人ひとりに語っているが、私は違うと思う。日本人一人ひとりに、何か甘えが会って、過去の歴史に向き合うという日本人一人ひとりのもつ戦後世代の戦争・侵略加害責任を遂行することに何にか妥協してうやむやにしていたと思う。もちろん、私を含めて。今からでも遅くない。安倍ファシスト政権を倒し、過去の加害の歴史に真っ当に向き合い、大日本帝国被害者がすべて鬼籍に入らないうちに、彼らが納得できる日本を見せたいと思う。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:42 | Comment(16) | TrackBack(192) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月10日

南京大虐殺の生存者、日本で講演へ

南京大虐殺の生存者、日本で講演へ
http://www.asahi.com/international/jinmin/TKY200612050265.html
 「日本に着いたら、少年時代の経験を語り、平和の維持を望み、戦争に反対する南京の農民の願いを日本人に伝えたい」――。南京の農民・蘇国宝さんが、訪日を翌日にひかえた4日、「中国青年報」の取材に応じた。
 南京市江寧区湯山社区湖山村で「次世代を気遣う協会」と「老年協会」の責任者を務める蘇さんは、数え年で今年80歳、中国を侵略した旧日本軍による南京大虐殺の証人だ。大虐殺の期間に湖山村では村民60人余りが犠牲となった(村外で犠牲になった村民、同村で犠牲になった他村民を含む)。蘇さんの弟、祖父、おじも犠牲になり、一家全員が難民となった。
 蘇さんは、日本で歴史を語る理由について「大虐殺で同胞30万人が犠牲になってから69年目に悲劇を振り返るのは、悲劇の再演を防ぐためで、戦争の残酷さを語るのは、平和の貴さを伝えるためです。平和な時代に生まれた人は、あの頃の歴史をあまり良く知らないので、真実の歴史を中日両国の青年に伝えなければなりません。歴史を理解してこそ、歴史を鑑とすることができるのです」と語った。
 さらに「南京には『隣人と仲良く暮らすのは、金や宝にも優る』という古い言葉があります。湖山村の農民は『隣国に善意をもって接し、隣国をパートナーとする』という言葉に賛成します。わたしたちは世界が平和で調和が取れていること、永遠に戦争をせず、世々代々太平を享受できることを望みます」と述べた。
 また、「平等互恵で、生態環境を破壊しさえしなければ、日本企業が湯山社区と湖山村に来て投資をしても、村民は必ず他の外資系企業と同じように歓迎するものと信じています」と指摘した。
 蘇さんは京都、大阪、神戸、名古屋、東京などで計9回の講演を行う予定だ。

蘇国宝産はすばらしい人だと思う。彼もまた日本軍によって青春時代を奪われた一人の被害者である。自分の一家全員を皆殺しにした大日本帝国・日本軍を今でも心の中で恨んでいると思う。それを押して、日中友好や平和のために懸命に活動されていることはすばらしいと思います。まさに人間の鑑でしょう。全国での講演も結構だが、大切なのはやはり教育の現場である。小中高大問わず、日本の教育現場に招きいれ、日本の児童・生徒・学生に蘇さんに、自身の味わった南京大虐殺の悲劇の体験談を語ってもらうべきである。日本の未来を担うものたちに、南京大虐殺の悲劇を通して、戦争の悲惨さ、平和や憲法9条の大切さ、生命や人権の尊重について考えてもらいたいものだ。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:55 | Comment(36) | TrackBack(200) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月03日

強制連行の朝鮮人犠牲者名簿 初の全国版

強制連行の朝鮮人犠牲者名簿 初の全国版
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000180109.shtml
 兵庫県内の在日コリアンの学生らでつくる在日本朝鮮留学生同盟兵庫地方本部(神戸市中央区)は二十九日までに、戦中に朝鮮半島から日本に強制連行され、帰国できずに労働死した朝鮮人のうち、千五十九人分の名簿をまとめた。これまでは北海道、福岡県分の名簿しかなく、全国を網羅した名簿は初めて。韓国政府は「強制連行犠牲者」の遺骨返還を求めており、民間レベルで調査を進める朝鮮人強制連行真相調査団(本部・東京)は名簿を公開し、遺骨回収の手がかりにしてもらう。
 
 同本部は神戸大、関学大、甲南大などの学生約五十人が参加。うち十二人が九月以降、調査団の助言を受け、一九四〇年十一月から四二年十一月までに亡くなった全国の労働者六千二百一人を掲載した「殉職産業人名簿」から、氏名や出身地から朝鮮人とみられる名前を抽出した。
 これまで調査団が複数の資料から、炭坑などが多かった福岡県、北海道の犠牲者の名簿をまとめ、公開しているが、全国を網羅した名簿はなかった。
 名簿は今後、調査団がインターネット上で公開し、韓国・朝鮮の関係機関にも提供する。
 調査団の推計では、一九三九-四五年の間、百五十万人以上が強制連行・徴用され、終戦までに亡くなった「犠牲者」は四万六千人から十万人以上という。
 韓国政府は二〇〇四年末の日韓首脳会談で、遺骨返還を要請。日本政府はこれまでに自治体、企業、仏教団体から集めた約千七百人分の遺骨情報を韓国側に提供し、実地調査も行っている。
 調査団の洪祥進(ホンサンジン)事務局長は「整理されている名簿はまだ一部。今後も作業への協力を呼び掛けたい」としている。
(森本尚樹)
 
◆朝鮮人死者日本人の3倍 戦中の名簿を基に算出す◆
 一九四二年当時、朝鮮人の労働人口における死者の比率が、日本人の三倍近くに上っていたことが、二十九日までに戦中の「殉職産業人名簿」を基に朝鮮人強制連行犠牲者名簿をまとめた在日本朝鮮留学生同盟兵庫地方本部による分析で明らかになった。同本部は「朝鮮人が死の危険性がある過酷で危険な労働を強いられたことを示す統計」と指摘している。
 
 「殉職産業人名簿」は戦時体制下に結成された労働組織「大日本産業報国会」が作成し、一九四〇年十一月から四二年十一月までの労働死者計六千二百一人分を収録している。うち、日本人は五千百四十二人、朝鮮人は千五十九人だった。
 同本部がこれらの数字と当時の労働人口との比率を算出したところ、四一年では朝鮮人の死亡率が日本人の約一・六倍、四二年は約二・八倍に上っていた。朝鮮人死者の雇用企業の八割近くが炭坑などの鉄鉱業で、ほかは土木・建築業、重工業などだった。
 朝鮮人死者を都道府県別でみると、北海道(28%)、福岡(26%)、山口(18%)が突出して多く、長崎、佐賀、福島などが続いた。出身地では半島南部の慶尚北道(26%)、慶尚南道(20%)、全羅南道(12%)などが多かった。
 学生らは犠牲者名簿とともに分析結果を論文にまとめ、十二月二日に東京で開かれる「コリアン学生学術フォーラム」で発表する。
 作業にあたった神戸大農学部三年の李洪潤(リホンユン)さん(20)は「犠牲者の遺骨回収に向けて、自分たちにもできることがたくさんある。全国の在日コリアンと意識を共有して、今後も活動を続けたい」と話している。(森本尚樹)

戦争から60年以上もの長い歳月がたっているのに、大日本帝国の加害事実は絶えることなく、発掘が続いていますね。
>四一年では朝鮮人の死亡率が日本人の約一・六倍、四二年は約二・八倍に上っていた。
どんどんと、戦争が長期化するにつれて、朝鮮人労働者の待遇が劣悪となってきている。もちろん、大戦前より、朝鮮人の境遇は悲惨だったが、対米戦以後はより使い捨てにできる労働力として朝鮮人労働者の強制連行・強制労働を強化された。あの花岡事件が起こるなど、朝鮮人労働者にとっても労働環境の過酷さが頂点に達した、大戦末期にはおそらくその死亡率の差は日本人の10 倍以上に膨れ上がっていたのではないかなと思う。日本人は、こうした踏みつけにされた朝鮮人労働者たちの屍や血の上に生きているという、加害の歴史観を常に心に刻み付けていなければならない。犠牲者に対する誠意のある謝罪や補償を忘れてはならない。それが、戦争責任・植民地加害責任だからね。いつまでもしらばくれているんじゃねーよ、糞日本政府、右傾日本社会の鬼畜ども!
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2006年11月26日

封印解き戦争語る 中国戦線従軍の片岡さん

封印解き戦争語る 中国戦線従軍の片岡さん
http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000160611220002

 太平洋戦争中、中国戦線に送り出された広島市西区の片岡正顕さん(86)は年に数回、汗びっしょりになって目が覚める。61年前、自らの弟と似た中国人の少年を殺害した体験が、夢に現れてはうなされるためだ。戦後、家族にも語らず心の底に封印してきたが最近になって、勇気を出して人前で語ると決めた。(武田肇)

 「記憶」は戦争末期、中国北西部を行軍中に起きた数分間の出来事だ。

 ある農村の郊外で、中国人の少年が「東洋鬼(トンヤンクイ)(日本軍に対する蔑称(べっしょう))」と叫びながら石を投げつけた。その一つが片岡さんの胸に当たった。

 「おのれ、何をするか」。怒った片岡さんは軽機関銃の引き金にかけていた人さし指に力を込めた。その瞬間、少年はスローモーション映像のように地面に崩れた。近づくと、12歳の自分の弟とよく似た少年が頭から血を噴き、目を見開いたまま事切れていた。

 片岡さんは41年12月に召集され、中国山西省などで約3年をすごした。少年を射殺したのは戦況が悪化し「転進」という名の敗走を続けていたさなかだ。「今思えば肉親を殺された孤児だったのではないか。いずれにしても戦闘員でないことは明らかだった」。非戦闘員の殺害は上官から戒められていた。だが、「無駄な弾を撃つな」と叱責(しっせき)されただけで何事もなく行軍を続けた。

 片岡さんは45年8月の終戦後も、蒋介石の国民党軍系の日本人部隊に編成され、毛沢東の共産党軍と戦った。帰国したのは48年9月だ。

 夢の中に頻繁に現れるようになったのは帰国した頃からだ。だが、「自分の恥をさらすようなもの」と、再会した妻や友人にも絶対に明かさなかった。肉体労働を転々として生活費を稼ぐ一方、旧日本軍の鉄かぶとをかぶって外出するといった「奇行」を繰り返した。「自分が中国でやったことは全部お国のためで、何ら恥じ入ることはないと思いたかった」

 60歳を過ぎて、たまたま出席した集会で、同世代の戦争体験者が自らの行為を反省とともに証言するのを聞いて「わしは悪いことしたんじゃ」と気持ちが変化した。中国の農村でコメや麦を略奪した経験などを少しずつ人前で語るようになった。それでも少年殺害の体験は語れなかった。

 転機は今月9日、片岡さんと同様、戦時中に中国山西省に駐屯し、戦後国民党軍系の日本人部隊に編成されて帰国できなかった奥村和一さん(82)=東京都=との出会いがきっかけだ。自らの半生をテーマにした記録映画「蟻(あり)の兵隊」(池谷薫監督)の上映のために広島市を訪れた奥村さんは片岡さんに「生き残った我々はすべてを語り残す責任がある」と言った。

 封印していた記憶を解く中で、片岡さんは不思議に思ったことがある。他人にほとんど語ることのなかったもう一つの事実、21歳のとき、初年兵訓練で、30代半ばの中国人の捕虜を銃剣で刺殺した経験が夢に現れないことだ。「刺突(しとつ)」と呼ばれた銃剣による捕虜の「処分」は当時、眠ることができないほどのショックを受けた。だが、夢に出てきてうなされたことは一度もない。

 片岡さんは思い悩んだ。当時、捕虜は共産党軍の関係者と聞かされた。もし彼が戦闘員だから殺されて当然と無意識に感じ、だから夢にも出てこないというのなら、自分の心にまだ日本軍の価値観が残っていることになる――。

 いま憲法9条の条文を記したバッジを付ける片岡さんはこう話す。「戦争にかり出された人間は、生き残っても重い業を背負わされる。人を殺すことを正当化する教育は一生心を縛る。私のような人間を生まないためにも、後世に語り継ぐしかないのです」

どれだけ戦争というのは、人間の人格を蝕み、戦争が終わってから長い時間をたってもその深く心に深く刻まれた傷は消えることはありません。12歳の少年を射殺したことや初年兵での捕虜の銃剣での刺殺「処分」の体験をいまだに人前でしゃべることはできないのではないのですか。それだけ大日本帝国の侵略加害戦争の闇は深いということです。過去の戦争で、自分のしたことは悪いということを認識し、少しずつ加害行為を話すように努力している片岡正顕さんはすばらしい人だと思います。しかし、略奪といった殺人や強姦に比べればごく軽い程度の加害で、それ以上人前でしゃべることはできません。本人の努力だけでは無理で、周りのサポートがないと無理です。日本社会の現状が、日本の戦争体験者に悲惨な加害体験の重い口を開かせるほど、成熟してはいません。ネット右翼などの同じ人間の血が通っているとは思えない愚劣なう輩がたくさんいます。戦場で人を刺し殺したなどの自らの加害行為をしゃべっても、"国賊""アカ、サヨク"などの罵倒が浴びせられ、勇気をもってしゃべってくれた戦争体験者に対する敬意は微塵もありません。非常に嘆かわしいことです。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:49 | Comment(11) | TrackBack(6) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月19日

今日(19日)、日本軍性奴隷被害者の証言集会が京都と大阪でありました。

従軍慰安婦:「元慰安婦」3人、集会で証言へ−−きょう、下京 /京都
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061119-00000182-mailo-l26


  旧日本軍の「慰安婦」に関して市民有志が19日、下京区・「ひとまち交流館 京都」で開く集会で、証言する台湾女性3人が決まった。19歳で旅館に売られ、23歳で前線に慰安婦として送られたという呉秀妹さん(91)▽台湾では家族との関係でいまだ公に話せない陳樺さん(85)=仮名▽17歳の時に旧日本軍駐屯地で働かされ、性暴力を受け続けて3度流産したという林沈中さん(78)。
 集会は午後2時半開演、一般500円、学生300円、18歳未満無料。実行委(090・8124・7752)。21日午後2時半から北区・佛教大常照ホールでも3人の証言を聞く集いがある。参加無料。いずれも「歴史の真実を知り、戦争と人権について考えよう」と呼びかけている。【太田裕之】

11月19日朝刊
 
(毎日新聞) - 11月19日15時2分更新
  平和集会:元従軍慰安婦の韓国人女性証言−−19日、大阪市中央公会堂 /大阪
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061114-00000316-mailo-l27

 集会「戦争を超え、平和に向かって手をつなごう!(11・19日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画in大阪)」が19日午後2時〜5時、大阪市北区中之島1の大阪市中央公会堂小集会室で開かれる。
 旧日本軍の従軍慰安婦として働いた経験を持つ李玉善(イオクソン)さん(79)や韓国「ナヌムの家」歴史館研究員、村山一兵さんの話やビデオ上映がある。李さんは韓国・釜山出身で16歳の時に男に連れ去られ、中国で従軍慰安婦をさせられた。そのまま中国で暮らし、00年に58年ぶりに帰国した。
 資料代1000円(学生および18歳以下500円)。主催は日本軍性奴隷問題の解決を求める会in大阪(080・6135・6937)。【山本真也】

11月14日朝刊
 
(毎日新聞) - 11月14日18時0分更新

もう敗戦から60年以上も立っているのに、大日本帝国・日本軍の被害者たちの訴えと叫びがとどまるところを知らない。いつまで被害者らにこのような仕打ちをさせておくのか。日本軍は行く先々、そして植民地で女性を連れ去り、拉致監禁し、レイプなどの性暴力を加えて弄んだのである。彼女たちは物以下の存在であり兵隊の性欲処理以外の何者でもなかった。日本軍の性暴力で貞操を失うことはもちろん、流産に苦しんだり、二度と子どもを埋めない後遺症の残る酷い体にさせられた女性たちの数は想像すらつかない。「日本政府が私の目の前に来て、謝罪してほしい。補償してほしい」という彼女たちの誠実な要求さえ、跳ね除け、現在まで応じない冷酷極まりない日本政府、そして日本社会が存在する。彼女たちを含むすべての大日本帝国・日本軍被害者たちの一人ひとりの尊厳を取り戻さねばならない。その日まで私は戦っていくことを誓いたい。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:35 | Comment(17) | TrackBack(100) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月11日

旧日本軍の韓国人遺族、戦地巡礼へ 日韓政府合意

旧日本軍の韓国人遺族、戦地巡礼へ 日韓政府合意
http://www.asahi.com/politics/update/1111/006.html
 日韓両政府は、戦中に日本によって徴用され、激戦地で亡くなった朝鮮半島出身者慰霊のため、韓国人遺族の追悼巡礼を12月中に実施することで合意した。日本政府が韓国人遺族の巡礼に協力するのは初めてという。
 12月10日ごろからフィリピン、パラオ、サイパンの3カ所で、朝鮮半島出身の旧日本軍人・軍属らが亡くなった戦跡を韓国人遺族に訪れてもらい、現地で追悼行事をする。費用として韓国側は4500万ウォン(約560万円)、日本側は1200万円を計上している。今回は各地とも遺族約20人ずつ、計60人程度を対象とする。韓国側の予算年度が12月までのため、年内実施が決まった。
 日本政府は52年度に海外戦没者の遺骨収集を始め、76年度から遺骨収集の困難な地域で慰霊巡拝事業を開始。06年度は10地域に465人の遺族が訪問できるよう約1億2500万円を計上した。
 ただし、戦中は日本軍人・軍属だったが戦後に外国籍とされた朝鮮・台湾出身の海外戦没者遺族は、慰霊巡拝事業の対象に含まれていない。
 韓国の遺族団体から巡礼の旅実施の要望があり、昨年から日韓両国で協議。戦時中に徴用された朝鮮人遺骨の返還問題を話し合う第5回日韓協議で9日に合意した。

いいことか、悪いことやら。今日は疲れているので、怒る気もしない。とはいえ、今まで日本人以外の朝鮮半島出身の遺族が慰霊巡拝事業の対象にはなっていなかったことである。ようやく今年の12月で韓国人遺族も対象にした追悼巡礼が行われることになったが、あまりにも遅すぎる。敗戦から何年立っていると思っているんだ、この糞日本政府は。朝鮮半島を侵略し、過酷な植民地支配の延長線上で、朝鮮人の旧日本軍人・軍属の戦没者がいるんだろうが。悔いても悔いても尽きないほどの反省と悔いが必要な植民地加害と侵略・戦争責任の問題が存在するが、戦後日本はこうした義務を怠ってきたのである。そうした結果の一つがこのニュースではないだろうか。たとえば太字にした部分にあろうが、慰霊巡拝事業の費用として韓国側にも支払わせようとしている。朝鮮半島に対する植民地支配や戦争責任の反省や悔い一欠けらの良心が日本政府に存在しているなら、"日本側が費用を全額負担します"という結論に至るはずである。さらには、今回はおそらく韓国在住の遺族だけで、海外の韓国人遺族、台湾人遺族についてはまた除者にされている。つくづくこの日本はとんでもない国だろうか。そんなことを呆れながら思わせてくれるニュース記事であった。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:51 | Comment(33) | TrackBack(99) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月21日

生体解剖:「フィリピンでも」 84歳元衛生兵が証言、住民30人以上が犠牲

生体解剖:「フィリピンでも」 84歳元衛生兵が証言、住民30人以上が犠牲
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/philippines/news/20061019ddm041040078000c.html

◇大戦末期
 第二次大戦末期、フィリピン・ミンダナオ島で、負傷兵の治療などに当たっていた元上等衛生兵曹の牧野明さん(84)=大阪府枚方市=が、仕えていた軍医とともに現地住民を生きたまま解剖したことがあると証言、その体験を基に、近く語り部活動を始める。解剖は軍医が衛生兵の医療実習として個人裁量で行ったとみられる。戦時中の生体解剖は旧満州(現中国東北部)の生物戦部隊「関東軍731部隊」が中国人に行った例が知られているが、フィリピンに関する証言は初めてという。【久木田照子】
 牧野さんは海軍第33警備隊の医務隊に所属。1944年8月から同島のサンボアンガ航空基地で負傷兵の治療に当たった。医務隊は軍医(大尉)を筆頭に、補佐役の牧野さんら三十数人がいた。
 牧野さんによると、解剖は同年12月から、米軍のスパイと疑われた住民(捕虜)に対し、基地内の病院で行われた。軍医の指示を受けながら2人で執刀。麻酔をかけた上で、10分〜3時間かけて、手足の切断や開腹手術などをした。解剖中は部下が助手や見張りをした。
 米軍上陸直前の45年2月まで3日〜2週間ごとに行われ、犠牲者は30〜50人に上るという。遺体は部下が医務隊以外に知られないように埋めた。
 牧野さんの部下だった80代の男性は「解剖には立ち会わなかったが、(何が行われていたかは)仲間に聞いて知っていた」と話している。45年3月に米軍が同島に上陸後、病気や飢えなどで医務隊も大半が死亡し、軍医は自決したという。
 牧野さんは「命令に逆らえず、むごいことをした。戦争体験者が減りつつある今、自分には戦争の真実を伝える責任がある」と話している。
 ◇「すまんな」震える手でメス
 牧野さんが戦後61年間、家族にも明かさなかった体験を語ることにしたのは、「せめてもの償いに戦争の本当の恐ろしさ、むごさをきちんと伝えたい」との思いからだ。
 牧野さんによると、同基地に配属されてから約4カ月後、軍医に命じられて捕虜の男性2人を連れて行くと、「これから解剖する」と告げられた。2人に服を脱ぐよう命じ、手術台に大の字に縛りつけ、顔に布をかぶせた。通常手術の2倍のエーテルをかがせると、5〜6分で意識を失った。
 「むごいな、すまんな」と心で叫びながら、軍医に習い、震える手で腹にメスを入れた。18歳ぐらいの女性2人を解剖したこともあった。「必要な実習なのだ」と自分に言い聞かせ、感覚をなくそうと努めたという。
 731部隊を研究する常石敬一・神奈川大教授(科学史)は「フィリピンでの生体解剖は初耳。見通しの立たない戦争末期のモラル低下を象徴している」と指摘している。
毎日新聞 2006年10月19日 東京朝刊

非常に関心のあるニュース。敗戦から60年以上たっているのに、未だに加害事実が尽きることなくでてくるのである。大日本帝国の血と残酷の加害歴史には、枚挙に暇がないね。これからの進展に期待。まず、生体解剖といえば、731部隊が有名だが、中国戦線では、731部隊だけではなく、中国に駐屯していた軍全体で、各部隊の野戦病院、各地の陸軍病院、海軍病院、研究施設なりで普遍的に行われていたことである。国内に目を通せば、九州帝国大学医学部で米軍の捕虜に対する生体解剖事件がある。ミクロネシアのトラック諸島にある軍病院でも行われている。後、
http://www.asahi-net.or.jp/~FM7s-KNJY/gunma_b/bccourt/kiji.htm
>カンボジアのプノンペンの北約五十`にあるウドンで四五年七月、窃盗容疑で逮捕した住民一人を生体解剖し、軍医三人が死刑になった事件
という風に、カンボジアでも日本軍により住民に対する生体解剖が行われたようである。生体解剖に限らないが、われわれ戦後の世代には日本軍の蛮行の数々の真相や全体像を解明し、真実を世代を超えて語り継いでいく義務があるのだ。大日本帝国・日本軍の蛮行で、広範囲にわたって繰り広げられた蛮行として、従軍性奴隷制度があげられる。日本軍がいた国内を含むすべての地域で性奴隷強姦所が設けられた。駐屯した各地で路上で拉致されたり、広告や宣伝で看護婦や留学の話があるといってだまして婦女子を集め、各部隊の強姦所に監禁し、日夜将兵による輪姦や集団レイプが繰り広げられたのである。住民に対する強姦や暴行、強制連行や強制労働とともに、生体解剖も日本軍が進駐したあらゆる場所で繰り広げられたのである。中国戦線は元より、国内、そしてカンボジアはもちろん、ミクロネシアのトラック諸島(現チューク諸島)、フィリピンでも広く行われたことが明らかになったのだ。マレーシア・シンガポール、インドネシア、ビルマ(ミャンマー)、ニューギニア、アンダマン・ニコバル諸島、ベトナム、ラオス、タイ、台湾・・・・、これらの地域でも日本軍の各部隊の野戦病院なり、陸軍・海軍病院なりで捕虜や住民に対し普遍的に行われたことは間違いない。一刻も早い生体解剖の全体像の究明が待たれる。在命中の元日本軍兵士には、戦時中に体験したり、見聞きしたむごい蛮行の数々を公けに明かしてほしいと思う。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:45 | Comment(12) | TrackBack(44) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月09日

赤旗の記事より、安倍の衆院予算委員会での答弁の詳細が 志位委員長頑張れ

歴史の真実と向き合ってこそ アジアと本当の友好が築ける 衆院予算委 志位委員長の総括質問(大要)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-10-08/2006100826_01_0.htmlに詳細があります。長いので全部は引用しません。特に志井委員長と安倍の野郎のやり取りのすばらしいところだけ。
 志位 侵略戦争の定義をあなたがたは問題にしていたのではないのです。「侵略的行為」「植民地支配」自体の事実を書き込むことをやめろといって行動されてきたのです。
 首相になってからの答弁では、“歴史観を語らない方が謙虚なんだ”と、“政治家は歴史観をあまり語るべきじゃないんだ”とおっしゃるけれど、首相になるまでは、さんざん、それこそ「植民地支配」「侵略的行為」を言うこと自体が「自虐史観」であり、「歴史観を歪める」と、そういう立場で行動してきたではないかと。これは説明がつかない矛盾ではありませんか。どう説明するのですか。
 首相 いま、急に、随分昔の議員連盟で出した文書を出されても、私も何とも答えようがないわけでありますが、現在の私の総理大臣としての考え方、立場についてはもうすでに累次申し上げてきている通りでございます。それをそのまま受けとっていただきたいと思います。
 志位 随分昔に、とおっしゃいますけど十年前のことですよ。そして、そのときの国会決議にたいして欠席したという事実も残っております。
 私は、この問題で、首相がお答えができないのは、あなたがそもそも立ち、ずっと主張してきた歴史観、戦争観というのは、首相になったらもう口にすることができないような性格のものだということを、物語っていると思います。


ほかにも引用すべきところがたくさんあるのですが、特にこの部分。安倍というやつは、歴史の認識や歴史の判断は歴史家に任せるとか、政治家は歴史観をあまり語るべきではない、と主張しておきながら、首相になる前には、「植民地支配」や「侵略的行為」の歴史観そのものが「自虐史観」であり、そういう歴史を葬り、過去の歴史を誇りあるものとして美化すべく率先して行動してきたのが安倍本人である。よく考えれば、安部が自身の歴史認識をはぐらかすために持ち出してきた歴史の認識や歴史の判断は歴史家に任せるとか、政治家は歴史観をあまり語るべきではない、という主張自体詭弁そのものであり、冗談は休み休み言えといいたい。こいつの脳みそはどこまで腐っているんだ!?で関係ない話で飛ぶが、この衆院予算委員会の志井委員長と安倍のやり取りで、すばらしい事実が明らかにされた。
 
2006100826_01_0b.jpg

赤旗の記事より拝借しました。
 
記事本文より、該当部分を引用すれば、
 志位 二つ目の文書を見ていただきたい。(配布資料の)三ページです。これは太平洋戦争に乗り出す一年前の一九四〇年九月十六日、大本営政府連絡会議――すなわち軍と政府の共同の戦争指導機関が決めた「日独伊枢軸強化に関する件」と題する文書(別項(2))です。
 これは同じ年の九月二十七日の日独伊三国軍事同盟締結を前にして、「皇国ノ大東亜新秩序建設ノ為ノ生存圏」の定義について決めております。この決定では、日本の「生存圏」――領土拡張と支配権の範囲として次のように述べています。
 配布資料の五ページの下の段をご覧ください。それをパネルにするとこういうことになります。(パネル(1)を掲げる)
 「独伊トノ交渉ニ於テ皇国ノ大東亜新秩序建設ノ為ノ生存圏トシテ考慮スヘキ範囲ハ日満支ヲ根幹トシ旧独領委任統治諸島、仏領印度(インド)及同太平洋島嶼、泰(タイ)国、英領馬来(マレー)、英領ボルネオ、蘭領東印度、ビルマ、豪州(オーストラリア)、新西蘭(ニュージーランド)竝ニ印度等トス」
 日本の「生存圏」は、この広大な範囲ですよ。これを大本営政府連絡会議で決めているわけです。太平洋戦争の始まる前の年です。
 こうなりますと、この太平洋戦争の性格は、領土の拡大と他国の支配を目的とした戦争であったということはまぎれもない事実だということを、この資料は示していると思いますが、総理の基本的見解をうかがいたい。太平洋戦争の基本的な目的です。


というわけで、大日本帝国は中国や東南アジアのみならず、インドやオーストラリア、ニュージランド、フランス領タヒチ、そして果てはウイグルやチベットにまで侵略の触手を伸ばそうとしていました。右翼はアジア太平洋戦争を自衛戦争だと主張したいわけであるが、真珠湾攻撃の前の1940年9月で大本営連絡会議で、「皇国ノ大東亜新秩序建設ノ為ノ生存圏」の概要を決定し、天皇を頂点とした大東亜新秩序の生存圏に組み込むべく、侵略と生存圏という植民地・領土の拡大のための計画を練っているわけだから話になりませんね。アジア太平洋戦争に自衛的要素はまったくなく、純粋な領土(大日本帝国の支配地域)拡張のための侵略戦争であったというまぎれもない事実ははっきりとしています。この地図によれば、モンゴルは含まれていませんが、モンゴル(外モンゴル)も大日本帝国の侵略対象に入っていますね。
チベット偽装の十年 木村肥佐生著 スコットベリー編 三浦順子訳にみる日帝悪part7
ttp://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13241409.html
チベット偽装の十年 木村肥佐生著 スコットベリー編 三浦順子訳にみる日帝悪part9
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13257734.html

を参照のこと。
安倍はアジア太平洋戦争は解放戦争であって侵略戦争ではないとする自民党の「歴史・検討委員会」の主要なメンバーである。アジア・太平洋戦争は解放戦争や自衛戦争ではなく、領土拡大と多くの地域や国々の支配を目的とした侵略戦争であるということを明確に決定づける資料が志井委員長に提示されたわけだが、政府としてどうだったのかということを判断する立場にない、適切な分析を歴史家がすべきだと往生際が悪くはぐらかしているのである。さらに、共産党は「マルクス史観」に立ってすべてを決めていることかもしれません、という風に討論相手の党首の政党を誹謗するかのような言動すらほざいているどうしようもないやつである。だれか、こいつ(安倍)の脳みそを解剖してくれ!!!志井委員長には是非いっそうの頑張りを期待します。

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:30 | Comment(6) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月08日

安倍、"村山・河野談話"受け継ぐ!?

村山・河野談話、個人としても受け入れ 安倍首相答弁
http://www.asahi.com/politics/update/1005/013.html
 
 安倍首相は5日の衆院予算委員会で、アジア諸国への「植民地支配と侵略」を認め、謝罪した村山首相談話について「国として示した通りであると、私は考えている」と述べた。従軍慰安婦問題で軍当局の関与と「強制性」を認めた河野官房長官談話に関しても「私を含め政府として受け継いでいる」と答弁。首相はこれまで両談話について「政府の立場」を説明してきただけだったが、個人としても受け入れる考えを初めて示した。  
 「政府の立場」を前面に出すことで首相は、就任以前に語っていた「持論」との整合性を説明していなかった。だが、中韓両国への訪問を控えたこの日の答弁は、政治家個人の考えとしても両談話を受け入れていることを明確にした。
 民主党の菅直人代表代行に答えた。村山談話について首相は、核心部分である「植民地支配と侵略」や「国策を誤った」などの記述への個人としての認識を問われ、「アジアの国々に対して大変な被害を与え、傷を与えたことは厳然たる事実」などと述べた。
 河野談話については、首相は「いわゆる従軍慰安婦の募集などに国の関与などについての言及がある」としたうえで、受け継いでいるとの認識を明確にした。
 さらに、97年5月の国会質問で「談話の前提がかなり崩れてきている」と発言したこととの整合性について「(軍当局が直接強要したという)狭義の強制性があったかどうかの確証について、いろいろな疑問点があるのではないかと申し上げた」と説明した。
 また、首相の祖父・岸信介元首相が41年、当時の東条内閣の商工相として開戦詔書に署名したことの評価を問われ、「敗戦し、また結果としてアジアの人たちに多くのつめ跡を残した。その時に指導者の立場にあった人たちは、私の祖父も含めて大きな責任があった」と答えた。
 さらに首相は「政治は結果責任であるから、当然その時の判断は間違っていた」と答弁。ただ、岸氏が戦後、首相に就任して日米関係の改善に取り組んだことにも触れ、「責任の取り方はいろいろあった。だからこそ、(祖父は)命をかけて安保条約の改定に取り組んだのだろう」と述べた。
 一方、首相が97年に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を立ち上げ、歴史教科書の記載内容を「自虐史観」と批判していた点については「義務教育段階の教科書のあり方についての議論。子供の発達段階において、どうかと申し上げてきた。別に間違ってはいなかった」と強調した。
 
先の戦争、指導者の開戦責任認める 安倍首相
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/22128/
 
 安倍晋三首相は5日午後の衆院予算委員会で、先の戦争をめぐり、祖父の故岸信介元首相を含む指導者の責任を認めた。同時に(1)「植民地支配と侵略」を明記した平成7年の村山富市首相談話(2)旧日本軍の強制を認めた従軍慰安婦問題に関する5年の河野洋平官房長官談話―の2つを、首相個人としても継承する考えを明言した。
 安倍首相は、東条内閣の商工相だった岸元首相が太平洋戦争開戦の詔書に署名したことを問われ「開戦の結果、アジアの人たちに多くのつめ跡を残した。指導者には祖父を含め大きな責任があった。政治は結果責任だから当然、判断は間違っていた」と述べた。
 首相は2日の衆院本会議で、A級戦犯として極東軍事裁判(東京裁判)で裁かれた国家指導者の責任を「具体的に断定することは適当でない」と言及を避けていた。
 
これだけをみるならば、安倍は良心的に改心したとして、良識派は騙されるかもしれない。しかし、安倍のドブネズミ野郎は決して、その下劣な歴史観や思想や野望を捨てたわけではないのだ。騙されてはならない。
 
東京裁判に疑問表明 安倍首相、衆院予算委
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=poli&NWID=2006100601000656
 
 安倍晋三首相は6日午後の衆院予算委員会で、日本の国家指導者の責任を追及した極東国際軍事裁判(東京裁判)について「平和に対する罪と人道に対する罪で裁かれたが、(いずれも)その段階でつくられた概念だ。罪刑法定主義上、犯罪人だということ自体おかしい」と述べ、正当性に疑問を呈した。
 サンフランシスコ平和条約で東京裁判を受け入れているとの指摘に対しても「受け入れなければ独立できなかった。独立するためにあえてのんだ」と表明。小泉純一郎前首相が国会でA級戦犯を戦争犯罪人と答弁したことには「(A級戦犯の遺族は)遺族援護法などの給付の対象になっているし、いわゆるA級戦犯の重光葵元外相は勲1等を受けている。国内法的に戦争犯罪人ではない」と持論を展開した。
 従軍慰安婦問題で旧日本軍の強制を認めた1993年の河野洋平官房長官談話を「首相として継承している」としながらも「今に至っても(強引に連行するなど)狭義の強制性については事実を裏付けるものは出てきていない」と指摘した。
 民主党の岡田克也元代表、共産党の志位和夫委員長らへの答弁。
 また国民新党の亀井久興幹事長が教育基本法改正をめぐり、公明党の支持母体である創価学会の意向が与党協議を通じて反映された可能性があるとただしたが、公明党前幹事長の冬柴鉄三国土交通相は「そういうことはまったくない。侮辱だ」と撤回を求めた。
 
下劣な思想や歴史観を捨てていないことの証拠が太字の部分だな。さすがに首相になって、安倍は東京裁判はでっち上げだとか、従軍慰安婦は出鱈目だとか叫べる立場ではなくなったことは認めているようだが、 村山・河野談話を個人として受け入れるというのはあからさまな嘘で、まさに偽証罪だな。安倍本人は村山・河野談話や、その背景にある大日本帝国の侵略・加害歴史観、日本軍の戦争犯罪の数々を受け入れることについて、絶対に納得していない。安倍は強制連行を否定したり、女性国際戦犯法廷のNHK番組に圧力をかけたり、数々の悪行を行ってきた極悪人である。恐らく、自身の大日本帝国の加害歴史の否定と美化の歴史観に基づき、東京裁判の正当性や日本の過去の蛮行を否定するような発言をすれば、アジアの各国はもとより、欧米からも非難の嵐を浴びることになるだろう。安倍が本心から納得し、アジア・太平洋の各地域を侵略し、多くの人々に多大な迷惑を掛けたと今回の国会答弁で認めた言動が本音そのものでなければならない。偽りの仮面を被り、その場その場を誤魔化すための偽りの言動であれば、先の戦争で多大な犠牲を蒙った中国や韓国を含むアジア・太平洋各国民衆に対する侮辱と侮蔑のさらなる上塗りだけでしかない。ところどころに、河野談話を受け入れるといいながら、慰安婦の狭義の強制連行を示す証拠はないと言ったりして、ところどころに政府の公式見解と異なる自身の醜い歴史観や思想が垣間見えたり、歴史の認識や評価は歴史家の判断に委ねるべきだとはぐらかして有耶無耶にしたり、非常に醜態極まりない。首相になった今でも非常に最低なゲス野郎が安倍ドブネズミである。私は何度でも主張し続ける。安倍自身の存在と、その歴史観および思想そのものが罪であり、退陣し国辱はとっとと山奥にでも篭って、私や日本国民、アジアの人々、世界の人々の目につかないようにしてもらいたいものだ。
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2006年09月09日

南京大虐殺生存者への医療保障 より手厚く

ひさびさに書く。 
南京大虐殺生存者への医療保障 より手厚く
http://www.asahi.com/international/jinmin/TKY200609060289.html
 旧日本軍による南京大虐殺の生存者400人あまりに対し、今後はより手厚い医療保障が提供されることになった。もとの所属機関の清算をもとに、旧日本軍南京大虐殺生存者援助協会が薬剤費の50%を補助し、また特殊なケースの場合はそれに見合って更に追加保障がある。同協会が明らかにした。
 同協会の朱成山副会長は「現在、生存者は400人あまりいるが、年齢も高くなり、大部分は健康状態が思わしくなく、医療費は大きな負担になっている。これを受けた関係者の呼びかけで、2年前に南京市で南京大虐殺生存者援助協会ができた。この2年間、協会の活動は社会各界からの支援を得て、現在300万元余りの資金が集まった。これらの資金は生存者の支援に活用され、その大部分は医療補助になるだろう」と語った。

これは本来は日本政府がやらなければならないことだ。南京大虐殺の生存者には、一年でも長く生きてもらい、世界の人々に日本軍の蛮行を語りついでもらいたいと思う。とはいえ、南京大虐殺の被害者や犠牲者遺族らに対して、補償も自ら出向きなんら誠意のある謝罪もしていないのだ。こんな国家は最低だと思うね。
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2006年08月31日

海南島戦時性暴力被害訴訟 不当判決についての追加記事

海南島慰安婦訴訟、中国人8人の請求棄却 東京地裁
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/23037175.htmlでお伝えしましたが、ほかにも記事が見つかりましたので、追加。
「請求棄却は後退」 慰安婦訴訟で中国の弁護士協会
http://www.people.ne.jp/2006/08/31/jp20060831_62642.html
 
  中国・海南島で戦時中「慰安婦」だった女性が日本政府を相手に謝罪と賠償を求めていた訴訟で、日本の東京地方裁判所は30日、原告の請求を棄却する判決を言い渡した。矢尾渉裁判長は判決で原告の請求は棄却したものの、旧日本軍が第2次世界大戦中に海南島で女性を連行、監禁、暴行した事実は基本的に認定した。

  旧日本軍は第2次世界大戦で海南島を占領し、駐屯地近くに「慰安所」を設置。当時14〜18歳の少女らを多数連行し、「慰安所」に監禁したうえで、暴行をはたらいた。

  陳亜扁さんら中国・海南島の「慰安婦」8人は2001年7月に東京地裁で、日本政府を相手に、謝罪による名誉回復と、それぞれ2300万円の賠償を求める訴訟を起こした。現在までに原告団のうち2人が亡くなっている。

  中華全国律師(弁護士)協会は今回の判決について、旧日本軍が第2次世界大戦において中国人女性を強制的に「慰安婦」にしたことを東京地裁が犯罪行為として認めなかったことは、一種の後退であると指摘。中国法律援助基金会と共に「中国元『慰安婦』被害事実調査委員会」や「『慰安婦』賠償基金」を設置することを検討している。同委員会は5年をかけて、「慰安婦」制度が中国人女性にもたらした被害や、「慰安婦」の実際の人数を調査する計画だという。(編集NA)

  「人民網日本語版」2006年8月31日
 
中国の弁護士、東京地裁による「慰安婦」訴訟棄却を非難
http://jp.chinabroadcast.cn/151/2006/08/31/1@72315.htm
 
 中国海南島の8人の女性が、かつて日本侵略軍の慰安婦にされたとして謝罪と損害賠償を求めた訴訟で、日本の東京地方裁判所が30日、いずれも請求を棄却したことを受け、中国の弁護士はこれを非難し、「この判決は歴史を逆戻りさせるものだ」と非難しました。  
 2001年の7月、林亜金さんら8人の女性は、かつて日本侵略軍の慰安婦にされたとして日本政府を相手に公式の謝罪と一人当たり2300万円の賠償を求め、東京地方裁判所に訴訟していましたが、東京地方裁判所は、この日、元の憲法下の公権力行使について国は賠償責任を負わないとする「国家無答責」の法理を適用した上で、今回の提訴は、戦時中の国の加害行為から20年以上がたち、「除斥期間」の経過により賠償請求権は消滅したとして原告側の請求を棄却したものです。
 中華全国弁護士協会の責任者はこれについて、「国連の規定により、反人類的な犯罪は期間の制限を受けない。日本軍の慰安婦強制連行は反人類的な犯罪に属することから、日本の裁判所が、今回の提訴は"除斥期間"の経過により賠償請求権は消滅したとして原告側の請求を棄却したことは、歴史を逆戻りさせる行為だ」と指摘しました。
 
ここまでの記事の感想は前と同じで、高齢の日本軍性奴隷被害者である原告に対する残忍な判決を下した日本の司法と、あくまでも誠意のある謝罪と補償を拒み続ける冷酷な日本政府、高齢の日本軍性奴隷被害者に対するその残酷な仕打ちをただ、傍観している糞日本社会に対して、強力な正義の制裁が必要だというのが私の考えである。ただ、赤旗の記事をみて少し考えが変わった。
 
海南島戦時性暴力被害訴訟 請求棄却、事実は認定 東京地裁http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-08-31/2006083114_01_0.html
 戦時中、日本の植民地下にあった中国・海南島で旧日本軍に性暴力を受けた女性八人(うち二人はすでに死亡)が、日本政府に対し一人二千三百万円の損害賠償と謝罪を求めた「海南島戦時性暴力被害訴訟」の判決で、東京地裁の矢尾渉裁判長は三十日、原告の請求をいずれも棄却しました。原告側は控訴します。
 矢尾裁判長は請求を棄却した一方で、旧日本軍の兵士によって拉致、監禁された上、継続的に性的暴行を受けたとする原告らの主張を詳細に認定。被害時に受けた恐怖が今も消えず悪夢にうなされるなどのPTSD(心的外傷後ストレス障害)についても認めました。
 判決は、一九四七年に国家賠償法ができるまでは国に損害賠償を求めるための法律はなく、同法施行前に国家がおこなった行為について国は責任を取らなくてもよいとする法理を適用。また、旧日本軍による加害行為から同訴訟提訴までに二十年以上が経過し、一定期間の時が経過したことから原告の損害賠償請求権は消滅したと判断しました。
 弁護団の小野寺利孝団長代行は、判決が原告一人ひとりについて旧日本軍による加害と被害を具体的に事実として認めたことは「重要だ」としつつ、「明らかな違法、不法行為を認めながら国の法的責任を不当にも免責した」と批判しました。「日本政府は判決の事実認定を真摯(しんし)に受けとめ、原告らだけでなく、すべての被害者に謝罪と賠償をおこなうべきだ」とのべました。

原告会見 「憤りを感じる」

 いわゆる中国人「慰安婦」への賠償を求めた裁判で地裁段階では最後の判決となった「海南島戦時性暴力被害訴訟」。原告はいずれも中国・海南島で十代のときに拉致され、慰安所などで長期間にわたり性暴力を受け続けた少数民族の女性たちです。学生中心の支援組織「ハイナンNET」が結成されるなど、支援の輪が広がっていました。
 三十日も若者を中心に多数の原告支援者が裁判所に詰めかけ、傍聴席を埋めました。しかし、矢尾裁判長は、わずか数秒で請求棄却の主文を読み上げ、立ち去りました。傍聴席からは「ひどい」「理由をいいなさい」との声が起こりました。通訳から判決内容を聞かされた原告の陳亜扁さん(79)は、ぼうぜんとした表情でだれもいなくなった裁判官席を見つめました。
 陳さんは今年三月の法廷で、十四歳のときから四年にわたって性暴力を受けつづけたことを生々しく証言しました。戦後解放されましたが差別を受け、流産・死産を八回も繰り返しました。判決後の会見では涙を何度もぬぐいながら「憤りを感じる。これだけの事実を知りながら責任を認めない。日本人に良心はあるのかと問いたい」と訴えました。
 ハイナンNETに参加している男子学生(22)は「思い出すだけでもつらい体験をわざわざ日本に来て証言したにもかかわらず、その人を前にこのような判決を言い渡すなんて」と語りました。
 同日夜に開かれた報告会には約百人の支援者らが参加。陳さんは「真の日中友好のためには罪を認め、公正な判断をするべきです。悪い裁判の結果にひるまず、たたかい続けます。支えていってほしい」と訴えました。

日本軍の凄惨な性暴力を受け続けた被害者女性を支援する学生中心の組織がハイナンNETです。多くの若者が中心となり、関わっていることに勇気づけられました。私自身も戦争を全く経験したことのない20代の若者です。若者よりも戦争体験や大日本帝国に実感がありながら、時代錯誤の古びた条約論を盾に、大日本帝国・日本軍被害者や犠牲者の苦しみや痛みを理解できない中年とか腐れ爺どもが多すぎる。そういうやつらにはとっとと引退してもらって、これからはそういった若者に政治を任せてもらいたいものだ。日本政府や日本社会に対する私の制裁という意見はとりあえず保留にしておきます。被害者の訴えに真摯に耳を傾け、祖父の世代が行ったことを悔いる良識的な心を持つ若者たちも多いという事実に一抹の希望を託したいと思います。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:40 | Comment(13) | TrackBack(7) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月27日

中国政府、日本企業の「三光」の商標登録を認めず

【中国情報】「三光」の商標登録を認めず 当局が政治判断か
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060824-00000005-san-int

 
 香港の人権団体、中国人権民主化運動情報センターは23日、日本企業が中国で申請した「三光」という商標が認められなかったと伝えた。中国では旧日本軍が「三光政策」(焼き尽くす、殺し尽くす、奪い尽くす)を行ったとされている。こうした政策を日本が行った事実はないが、中国当局が政治判断し、商標登録を認めなかった可能性がある。
 中国紙などによると、この日本企業は「三光」を医薬品、医薬飲料、医療用栄養剤の商品名として2004年1月に商標登録を申請。今年5月末から異議などを受け付ける公告期間に入ったことで中国紙が報道、反発が起きていた。「三光」はもともと、太陽、月、星の3つの輝きを表すもので、同センターによると、「三光」を使った中国企業名や商標が複数ある。(北京 野口東秀)  
(産経新聞) - 8月24日8時2分更新
こんなニュースがあったんだ。さすが、流石に産経。確かに、日本軍が”三光政策”を行った事実はないと産経新聞はいっているが、無人化区政策という非道な三光政策というのを日本軍は行っているんだけどね。後は三光作戦、日本軍の正式名称では塵滅作戦という。政治的な判断ではない。日本企業が"三光"という名称を使うこと自体が問題なんだよ。自国の中国企業や他国の企業だったら、問題はないかもしれないが、日本企業が"三光"という名称を使うと、かつての日本軍の"三光"というのを彷彿とさせるからね。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:04 | Comment(11) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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