バンテン州南タンゲラン市ビンタロのジャカルタ日本人学校(JJS、長谷川清孝校長)小学部六年生三クラス九十人は二十二日午前、特別授業として郷土防衛義勇軍(PETA)の元将校ハリム・ダヌアトモドジョさん(八九)を招き、日本軍政期から独立戦争にいたる歴史の生き証人の言葉に耳を傾けた。最も私が望んだような、"草の根の歴史証言"に焦点を当てたようなことがつい最近になって行われたようです。12月28日の記事ですが。残念なのは、日本軍の残虐やその酷い支配の苦しみというという加害歴史が中心ではないこと。加害の部分では、食べ物、資源、労働者がすべて戦争のためにとられたと言いますが、インドネシアの女性も性奴隷として取られたという点が抜けています。生活は厳しかったというか、国民に辛い生活をさせたとありますが、それではあまり日本軍軍政下のインドネシアの地獄絵図はなかなか伝わらないのではないでしょうか。"多くの人を悲しませた"という点に、日本軍軍政下のインドネシアでは、多くの人命が失われ、多くの悲しみが生まれたということが伝わってきますが。
六年生は二学期から戦中インドネシアの歴史について学習を始め、九月にはバンドンで日本軍が「ロームシャ(労務者)」に手で掘らせた洞窟を見学している。
先月二十三日のJJC顧問石居日出雄さんの特別授業を含め、生徒は事前に準備を進めており、授業はハリムさんへの質問という形で進んだ。
ハリムさんは日本軍政期に医学生だったが、大学の恩師に勧められたことと、将来はインドネシアの独立のために軍隊の知識が必要と感じていたことから、PETAへの入隊を決めた。
日本の敗戦で、PETAは解散したため、郷里のスラバヤに戻り、国軍の前進となる地方組織の結成に参加していた。間もなく、旧宗主国のオランダがインドネシアを取り戻そうと攻めてくるのに対抗して、スラバヤで軍隊を組織した。オランダ軍や英国軍と独立戦争を戦い、数々の戦功で勲章を受けた。独立後は国軍の教官として後進の指導を行ってきた。
「オランダに代わって日本が支配するようになったときはどう思ったか」が一つ目の質問。ハリムさんは左手を表現豊かに動かしながらゆっくりと語った。
「初め、日本はアジアを解放するために来たと思った。だが日本の支配が始まると、生活は一気に苦しくなった。食べ物、資源、労働者、すべて戦争のためにとられた。オランダ時代は差別で学校に通えなかったが、生活は楽だった。日本の三年間は学校に行けるようになったが、生活は厳しかった」「国民につらい生活をさせたのはひどい。多くの人を悲しませたのは事実」と語気を強めて軍政期の日本を厳しく批判すると、教室にはしばらく沈黙が訪れた。
次に「日本から何を学んだか」との質問には「軍の規律・ルールを学んだ。規律を守ること。上の人の命令に従うこと。武器の使い方。相撲や剣道も学んだ。規律を破るとぶたれる。一人が破ると連帯責任で全員ぶたれた」と答えた。
体育座りをした生徒たちの目は真剣そのもの。ある生徒はノートをとり、ある生徒は微動だにせず、ハリムさんの話に聴き入った。
ハリムさんは独立でのPETAの果たした役割について、「PETAで多くの国軍のリーダーが育ち、彼らが独立戦争で活躍した」と語り、「独立を勝ち取ったときはどう思ったか」と問われると、「誇りに思ったが、国はすぐに安定しなかった。共産主義や資本主義などを叫ぶさまざまな政党が現れ、混乱が起きた」と答えた。
ハリムさんは最後に「日イの絆(きずな)を大切にしてほしい。協力してともに豊かになれればいい」と語った。三組の学級委員、佐藤麻衣さんらがハリムさんにお礼をいい、玄関で送り出した。
三組の田口駿也さんは「日本がしたことに謝罪したい気持ち」、二組の野村美友奈さんは「(日本は)悪いことも良いこともした。これから良い関係を作りたい」と話した。
特別授業は二部構成で、次には新任でインドネシア人のレナ先生(二五)が戦争を知らない若者と華人系インドネシア人の目線から日本と日本人像を語った。日本軍がオランダ植民地だった蘭印を支配した時代を経験した祖母や祖父の世代では日本のイメージが悪いことや、過去は過去として現在の絆を大事にする姿勢を若い世代が持つことなどを生徒に話した。
◇郷土防衛義勇軍(PETA)
一九四三年、日本軍政下にあるジャワで編成されたインドネシア人の軍隊。「インドネシア民族軍」の名目はあるものの、各大隊に配属された日本人指揮官が実権を握っており、実態は日本軍の補助部隊。四五年の独立宣言以降は、現インドネシア国軍の母体となる人民治安軍を編成し、独立戦争で活躍した。
日本軍が規律を伝え、国軍の元となるPETAをつくった云々なのが後で言われてますが、そんなことは日本軍の加害歴史のスケールの大きさ、根深さの前にはどうでもいい部分です。
">二組の野村美友奈さんは「(日本は)悪いことも良いこともした。これから良い関係を作りたい」と話した"とあるように、JJSの子どもたちに謝った感想を抱かせています。悪いことも良いこともした。
日本軍がやったことは、インドネシアを含むアジア・太平洋地域の人々に対し、筆舌に尽くし難い惨苦と悲痛を与え、人類史上類例のない地獄絵図の大地に変えた。いくら反省しても、償いしても足りることではない。そういうことを教えるべきだと思います。
そういう点でJCCで行われた試みは大失敗ですが、日本軍占領時代のインドネシアの生き証人を読んで授業したという試みは間違っていないと思います。
私は4日から仕事ですが、いろいろ親戚等の集まりがあり、忙しいですが、限られた正月の期間、いろんな場にてこういう草の根から大日本帝国・日本軍の加害歴史を振り返るべく、活動をしていきたいと思っています。