2010年08月02日

私の"abaut me"のコメント欄についた塵右翼、 偏将軍K-5(美周郎)を殴り倒しました。

私のプロフィール
http://aquarius-uyotoubatsu.aboutme.jp/profileがありますが、ここのコメント欄についた塵右翼 この機会に偏将軍K-5(美周郎)を殴り倒しました。今回の夏はお盆休みは事実上ありませんので、この機会にね。

偏将軍K-5(美周郎)という塵の話
現在も生きている我が祖母からの話です。

当時日本赤十字の看護婦として上海に派遣されていました。


主な任務は日本軍慰安所の性病検査と、傷病者の手当。

その為、現地では朝鮮人や台湾人の売娼婦(=慰安婦)と
仲良くなったそうです。

彼女らは一様に明るく、そして逞しかったそうです。

何しろ軍が移動するとそれに追随してゲルマン民族大移動の如く
列が連なったそうですから。

彼女らにその件(何故軍をわざわざ追い縋るのか)で話を聞くと
【稼ぎの時期・相手をみすみす逃す馬鹿はいない】だそうです。


慰安所で行為の最中を検査の為に脇で覗く事もあったそうですが、
大抵彼女らはマグロ、男だけが必死に腰を振っていたそうです。


彼女らは軍の駐屯している一角に居を構え、彼女らが稼いだ金で
自由に買い物をしていたそうです、祖母と一緒に。

とても裕福で、彼女らの奢りで外食することもあったそうです。
ちなみに亡き祖父は南京攻略戦で戦っていたので
例の南京大虐殺とかいう作り話が妄言である事は幾度となく語り継いでくれていました。

糞右翼だから文字の色は茶色でいいや。こんな右翼の汚物、私のブログに載せたくはないだがね。
これを私が殴り倒す。
その祖母の話が本当だという証拠は?その慰安婦たち、性暴力の被害を受けた彼女が楽しそうに笑っていたとしても、本当に楽しかったというわけではないだろ
うが。たとえ、悲痛であり、苦しみや虐待の中にあっても、被害者たちが作り笑いをして、表面上楽しそうに繕っていたということはよくある話だ。
自由に買い物をしていたという話も怪しいし、大体日本軍の職員としてその祖母が働いていたわけで、後ろめたい話は都合のいいように脚色したりしているのではないのか?お前が祖母から聞いたという事実が作り話ではなければな。
で、こんどは祖父の南京の証言か?なんとも都合のいいこった。南京大虐殺は創りものでそれを補完する証言として、"南京で死体や殺害を1人としてみていな
い"というものがあるがこれも荒唐無稽なものだな。たとえば、南京という都市やその周辺の農村を含めての広範囲で、かつ数週間から数ヶ月の間に起きたこと
を示すのが南京事件だが、大体1人の人間ですべて全体像を鳥瞰できるのか?
南京大虐殺と総称されるものは一連の虐殺、暴行、略奪、強姦の数々の事件の集合体だ。"大虐殺をみていない"というのに対して、1人で数千人単位の虐殺の現場をみるのがいかに大変かは理解できない。

南京事件というのは「殺害」という事例に至っても、小は1人から、大は万単位の人間を殺害した事例を数週間から数ヶ月にわたって繰り返された集合体だ。これが10〜30万オーダーの犠牲者数に繋がって来る。右翼どもはこういうことが理解できないらしい。
仮に"殺害を1人をみなかった"という証言にしても、その人の歩いたり見回ったりした可視範囲内で殺害をみなかったということで、南京という都市部や周辺
部を含めて広大な地域、数週間〜数ヶ月にわたる期間において日本軍の虐殺や強姦が行われなかったという事実を否定することにはならないんだよ。ボケナス
が。お前の祖父から話を聞いたという事実が本当ならなw)。とっとと氏ねよ。偏将軍K-5(美周郎)のウンコ野郎が
随分と汚い言葉を使っていますが、糞右翼に対してはこれが正当。本当、こういうヤツラ、右翼どもは生きる権利がないと思うよ。こいつらの存在、そして同じ地球上、次元に存在して同じ空気を吸って呼吸していること自体、大日本帝国・日本軍の犠牲者や被害者に対するセカンドレイプだから。

2010年03月13日

"近野滋之・民族主義者の警鐘"の"高校無償化は止めてしまえ、朝鮮学校へ血税を使うのは違憲であり無駄だ"を論破する。

近野滋之・民族主義者の警鐘
http://blogs.yahoo.co.jp/x1konno
を血祭りにあげるよ。

Apeman様にはご教授頂き感謝致します。

高校無償化は止めてしまえ、朝鮮学校へ血税を使うのは違憲であり無駄だ
http://blogs.yahoo.co.jp/x1konno/31469267.html

と同じ記事を桂田智司・右翼の寝言という奴が書いていた。

それはこちら
朝鮮学校に公的支援は必要ない、違憲であり税金の無駄だ
http://blogs.yahoo.co.jp/kaiketuharimao2665/23259632.html

なんかテンプレみたいなのが恐らくあり、右翼の間でソースロンダリングされている模様。
一緒に論破し、叩きのめしておこう。

まずは朝鮮学校への助成は「違憲」という違憲という妄言を叩きのめしておく。

これが憲法第89条 公の財産の利用の制限
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属さない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
に抵触するというのだが、自分勝手な"オレ様解釈"もいいところ。こういう憲法という絶対的な権威を借りてでも、朝鮮学校はもちろん、そこに通う罪もない子どもたちに対しても徹底的に差別し迫害したいらしい。こういう右翼の暴挙は断じて許してはならない。

ちなみにこれらのブログでは朝鮮学校に対しても、地方自治体がこれまでに助成金を出していることが言及されているが、無償化の対象に含めることが憲法第89条に違反するのであれば、その"助成金"だって違反です。その右翼の狙いは朝鮮学校の無償化の排除に加え、ドサクサに助成金すら辞めるべきだ。さらには朝鮮学校の税制の優遇や免除も援助にあたるため、違憲だということに最終的につなげる腹づもりでしょう。朝鮮人の子どもたちが通い、民族文化とアイデンティを継承するための朝鮮学校という教育の場の存続を完膚なきまでに絶ちたい、その悪しき野望を断固許しておけません。
さて、その第89条違憲の根本の論拠が"日本の文部科学省が示す学習指導要領に沿った教育内容"を朝鮮学校が一切行ってないということだそうですが、それは教育内容を実際にみて根拠をもって言っているわけではない。朝鮮学校側が第一に自治体の教育委員会の指導に従い、学習指導要領に沿った教育内容も行っていると主張し、民主党や社民党の有志が見学し確認しているわけです。"北朝鮮式の教育"を百歩譲って行われているとしても"北朝鮮式の教育を行っているいうこと"と"日本の文部科学省が定めた学習指導要領に沿った教育内容も行う"ということが両立しえるわけです。
私学ではキリスト教系の学校では、日本の文部科学省が定めた学習指導要領のないキリスト教の授業”旧約聖書を教える授業”を行っているところもあるわけです。同時に学習指導要領に沿った教育も組んでいれば、助成金は貰えるわけです。朝鮮学校の教育体系が特殊であっても、私学は多種多様性をもち、小中高の枠組みを撤廃したりして、公立の場合と全く異なる独自のカリュキュラム編成になってたりしますが、それでも"日本の文部科学省が定めた学習指導要領に沿った教育"と看做されますよね。公立でも地域によって特色を見出す授業やカリュキュラムが(特に高校において)行われることも近年多々あり、日本の学習指導要領にない教育内容も行われることがあっても違憲・違法というわけではないわけですね。朝鮮学校の場合も北朝鮮式の教育が行われているからといって助成金を出すことが違憲とはいえないわけです。
さらに現実論を言えば、第一に、現に助成が行われているということは、これまで助成金を違憲とする判決が出たことはない、ということです。過去に朝鮮学校への助成金に関する住民訴訟そのものがあったかどうか知りませんが、少なくとも地方自治体や日本政府のこれまでの行政の判断としては朝鮮学校への助成金は違憲ではないということが定着しているわけですね。当然、朝鮮学校に無償化を行うことは現時点では違憲であるとは言えず、右翼どもの根拠のない妄想です。妄想ですめばいいですが、在日朝鮮人への民族差別を煽り、敵視する危険極まりない暴言です。

最後に
日弁連の"高校無償化法案の対象学校に関する会長声明"
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/100305.html
 
今国会に提出された、いわゆる高校無償化法案(「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律案」)について、朝鮮民主主義人民共和国に対する制裁措置の実施等を理由に、朝鮮学校を対象校から外すか否かが、政府内で検討されている。 

しかし、本法案の趣旨は、「高等学校等における教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄与する」(法律案の理由)ことにある。教育を受ける機会は、政治・外交問題に左右されてはならず、朝鮮学校に通う子どもたちについても変わることなく保障されるべきものである。

また、朝鮮学校については、教育課程等の確認ができないとの考え方も報道されているが、朝鮮学校の教育課程に関する情報は、各種学校の認可を受ける際に必要に応じて提出され、朝鮮学校自らがホームページ等でも公開しているのであるから容易に調査可能であり、現に、ほとんどの大学は朝鮮学校卒業生に入学資格を認めている。

朝鮮学校に通う子どもたちが本法案の対象外とされ、高等学校、専修学校、インターナショナル・スクール、中華学校等の生徒と異なる不利益な取扱いを受けることは、中等教育や民族教育を受ける権利にかかわる法の下の平等(憲法第14条)に反するおそれが高く、さらには、国際人権(自由権・社会権)規約、人種差別撤廃条約、子どもの権利条約が禁止する差別にあたるものであって、この差別を正当化する根拠はない。

当連合会は、高校無償化法案の適用において朝鮮学校が不当に排除されることのないように強く求めるものである。
 

2010年(平成22年)3月5日


日本弁護士連合会
会長 宮ア 誠



があるわけです。
そこでは日弁連の会長声明ではむしろ朝鮮学校だけを排除することこそ憲法およびその関連条約が禁止する差別に抵触するものであり違反だということが述べられていますね。憲法第14条に関しては朝鮮学校に通う朝鮮人(朝鮮籍)には関係ないじゃないかとイチャモンをつけられそうですけど、朝鮮学校は別に朝鮮籍の方々だけが通っているわけではなく、日本国籍をもつもの(憲法上の日本人)も少数在籍しているわけであり、朝鮮学校を除外したりすることは、その朝鮮学校に在籍する日本人(日本国籍者)に対しても差別しているわけで、憲法第14条 法の下の平等に違反するわけですね。

でこれでこの2つの糞右翼ブログを殴り倒すことを終了。
完膚なきままに論破してしまいました手(グー)

近野滋之桂田智司と、ついでにバンクーバーの彩帆好男も朝鮮学校およびその通う子どもたちへの侮辱および迫害、民族差別扇動、歴史修正主義の罪で天罰が下されんことを、そして、貴様たちが1秒でも多く生きていることで、日本や世界が穢されていくので1秒でも早くノタレ氏んでね。

2009年08月30日

アホウヨのコメントに突っ込んでおく

久々にコメント欄を観察したら、アホウヨのネガ/ヘイトコピペばかりだ。コメント欄を含めて、ブログのスタイルも古いし、いろいろと改装したいところだけど、なかなか時間と気力がない。

アホウヨがさっそくコメント欄で自爆してくれたので突っ込んでおこう


余り知られていないがカナダも第二次大戦中、なんの罪も無い日系移民を強制収容所にぶち込んだ恥ずべき過去があるなんてお前知りもしないし知りたくもないだろうよ

イギリス連邦の主要構成国かつ連合国の1国であり、アメリカの隣国でもあるカナダにおいても、日系カナダ人に対する強制収容が行われた。日加間の開戦後すぐに日系カナダ人と在加日本人の財産は没収され、ブリティッシュコロンビア州の内陸部にあるタシュミ強制収容所に移された後、ベイ・ファームスとレモン・クリークにある強制収容所への移動を余儀なくされた。

開戦後にバンクーバー島の軍施設が日本海軍の艦艇に攻撃されたことや、その後もカナダの太平洋沿岸部で多くの連合軍の船艇が日本軍の潜水艦に撃沈されたこともあり、日系カナダ人は戦後も1949年まで沿岸部160キロ以内に移動することが許されなかった。
1941年12月7日の日本軍の真珠湾攻撃から始まる第二次世界大戦のさなか、日系カナダ人も1942年、深まる戦火の中で拘留された。総数20,881人、そのうち75%はカナダ国籍を所持していた。当時、アメリカでも同様の事態が起こった。

戦後、日系カナダ人の財産、不動産は没収され、連邦政府はロッキー山脈以東の地域への移住、又は日本帰国を命じた。その後1970年代後半から1980年代、日系カナダ人抑留に関する記録が公開され、損害賠償が請求された。1986年、日系カナダ人は抑留時に4億4,300万ドルの損失があったことを訴えた。この運動は、リドレス運動(redress movement)と呼ばれる。

1988年9月22日、 ブライアン・マルルーニー首相は損害賠償を行うことを決定(1人につき、21,000ドル)。賠償終了の1993年、約18,000人の抑留生存者があった。

Posted by 余り知られていないがカナダも第二次大戦中、なんの罪も無い日系移民を強制収容所に at 2009年08月30日 20:33

 これがアホウヨの書き込みで突っ込むところが満載なのだが、開戦後にカナダに対しても空爆をしかけたりして攻撃してたんですよね。カナダが一方的に悪いわけではないですね。
それともう1つ日本軍は中国大陸や香港を占領しましたが、カナダ人捕虜の他、軍人以外のカナダ人を含む欧米籍の民間人を拘禁していたことを知らないわけ?参考旧日本軍に拘禁された欧米人、中国の収容所跡を再訪
私が一番言いたい突込みどころはここだな。
>1988年9月22日、 ブライアン・マルルーニー首相は損害賠償を行うことを決定(1人につき、21,000ドル)。賠償終了の1993年、約18,000人の抑留生存者があった。
カナダは日系移民民間人の抑留に対して、きちんととるべき過去の清算を行っている。日本軍は中国大陸および、東南アジアを占領したが、そこでは捕虜のみならず、欧米籍をもつ民間人も強制収容所に入れられて、虐待、殺害、強制労働、女性であれば慰安婦にされたという話もある。たとえば、蘭印等でオランダ軍の兵士軍属のみならず、一般の民間人(子供女性を含めて)、強制収容所に拘禁したという行為もあるわけ。
日本ゴンの占領地の各地で拘禁された欧米の民間人は軍人ではなく、敵国人だからといって罪はないわけだが、罪がない人々を強制収容所にぶち込んだ恥ずべき過去が大日本帝国・日本軍にあることを知らないわけだ。日本政府は彼ら欧米民間人収容者を含めて、中国や朝鮮人ならびに東南アジア占領地各地の被害者等に誠意のある謝罪および賠償を行ったか?まさに厚顔無恥の極みですね。

2008年08月17日

便衣兵について答えてやるよ

これから年明まで記事を書けない可能性があるので(なるべく書けるように努力はするが)、この機会に一つの課題を終わらせようと思う。糞懐疑主義者答えてやるよ。
●南京における便衣兵
南京における便衣兵の話だが、調べてみたが、捕虜の殺害は便衣兵のせいだとか、便衣兵のために日本軍に多くの戦死者が出たという話は右翼の南京大虐殺という事実を否定したいがための妄想にすぎない。第一に南京で便衣兵による攻撃で日本軍が困らされたというソースがないのだ。

「便衣兵の処刑」という勘違いについて
http://www10.ocn.ne.jp/~war/beni.htmという 鷹嘴氏のサイトが参考になるだろう。今ちょくちょく読んでいる「南京事件、笠原十九司著、岩波新書」も参考に交えて少しだけ。便衣兵というのは、民間人の平服を着用して、単独あたは小グループでゲリラ的な戦闘活動を行うものののことで、民兵や義勇隊の部類もこれに属したという。上海戦では市民や学生も参加し、確認されているが、南京についてはそうした組織が存在したというソースはない。南京で日本軍が便衣兵だと勝手にみなして虐殺対象にしたのは、戦闘意欲を失って武器と軍服を脱ぎしてて市内へ逃げ込んだ敗残兵で、便衣兵ではない。便衣兵ばかりか、敗残兵かどうか軍籍をもつかどうかの区別の基準さえなく、青年と認められるものは虐殺していったのである。明らかに捕虜として捉えられたものも含めて、手首足首縛られて拘束された状態で揚子江の川岸か市内の空き地などに連行して、機関銃射撃か手りゅう弾で大量処刑しているのだから便衣兵も糞もへったくれもないことが懐疑主義者たる糞右翼にも分かるだろう。

●日本軍の便衣兵戦術
おまけですが日本軍が便衣兵戦術を行っていたという事実もあわせて載せておきたいと思います。
思考錯誤の画像資料掲示板より画像を含めて拝借させていただきます。
[40]日本側の武装市民
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=40;id=imgbord#40



.

市民の武装抵抗=ゲリラ=国際法違反 → いくらでも殺していいのだ

という主張をする人がよくいますが、これこそ平和ボケ。

ハーグ陸戦規約は市民の武装抵抗を全面的に禁じているわけではありません。

国際法の議論はさておき、日中戦争当時は日本人も「市民の武装抵抗」をしていたという記録写真を紹介しておきます。
1937年7月、日中戦争(支那事変)開戦当時の写真です。

装備は1924年型モーゼル小銃とチェコ機銃のようです。


[18]日本軍の便衣行為
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=18;id=imgbord#18


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元トピ消滅につき転載

実は昨年、画像による日中戦争検証シリーズを、某theBBSに連続投稿していたのですが、元トピが事故で消滅してしまいました。
前記した「軍装なんて例外だらけだ」ということの裏付けとして、それなりに面白いテーマもありましたので、この場を借りて、再録を試みて見たいと思います。


【日本軍の便衣行為】

[15]ja2047 04/08/12 17:55
掲示板で熊猫さんがたびたび引き合いに出す「日本軍の便衣斥候」です。
もちろん、撮影当時は「不許可」扱いで掲載禁止でした。
(毎日新聞社 一億人の昭和史10 「不許可写真史」P49)

[48]ja2047 04/08/19 20:18 IXOO5KPU38J
便衣斥候の別の例、画面中央左の帽子の男がそれです。

「図説日中戦争」(河出書房新社)P8に、1933年の熱河作戦の写真として掲載されています。



「日本史なんて怖くない」民主化政策1
http://www.melma.com/backnumber_10441_267426/
 

一方、西原村に残り、周辺に潜んでいた女性や高齢者も、米軍から襲撃されるという事態が起きる。なぜ戦闘員でない一般住民にまで米軍の銃撃が及んだのか。「西原地区における戦闘実施要領」という日本軍の作戦文書が、昨年アメリカで発見された。これは、激戦が続く西原村で米軍が入手し、直ちに翻訳したものである。そこには、日本軍の斬り込み攻撃が詳細に記されていた。沖縄での日本兵の住民偽装作戦を知っていた米軍。そのことが、米軍の女性を含む住民への攻撃を誘発した可能性が高まる。

続いて裁かれた戦争犯罪 イギリスの対日戦犯裁判 林博史著 岩波書店のp176に日本軍が住民に偽装して攻撃を仕掛けた(便衣兵攻撃)を行ったために、インド部隊が多数のマレー人の男女を殺してしまったケースがあることが触れられている。
引用すると

 イギリスの東南アジアの拠点シンガポールでの敗北は、イギリス軍のみならずイギリスの植民地統治のあり方への批判を招いた。あとえば、海峡植民地、マラヤ連邦州、マラヤ非連邦州とばらばらであったために日本軍に対して有効な対応ができなかったという統治形態えの批判、イギリス当局のスタッフの資質の問題、住民からの積極的な協力を引き出せなかった統治の問題などが取り上げられた。特にマレー人が「第5列」として日本軍にさえ協力したことはイギリスの統治が根無し草だったのではないかという批判を受けた(WO203/4036,CO968/15/1,CO968/84/5など参照)。この第5列に関する批判については植民地省も納得せず、軍の不十分な訓練と低いモラルが敗因であるにに軍はそのことを理解せずに責任転嫁している。特に遅くマラヤに着いた部隊は、マレー人、インド人、中国人、日本人の区別もつかず、すべてを敵とみなしがちだったと反論した(CO273/671/9)。
 実際に日本軍が住民に変装して奇襲をかけてきたことがあり、その数日後にあるインド部隊が多数のマレー男女を日本軍と間違えて殺してしまったケースがあることが報告されている(マラヤ計画班の作成した「マレー戦における第5列の活動」44年8月、WO203/4036)。

林博史氏の著書には日本軍が便衣兵攻撃を仕掛けてきた場所は書かれていないが、この場合間違いなくビルマである。中国戦線や沖縄戦、ビルマでも日本軍が住民偽装の便衣兵戦術をとっていたことが明らかになっている。ただし、直接日本軍の住民への加害というのに繋がるものではないため、林博史氏も深くは追求されなかったようである。日本軍への住民の加害に繋がらないかという話だが、とんでもない話で、便衣兵戦術を取ることで無関係な人々がどれほど被害を蒙るのかという住民の立場を試みなかったからこそ便衣兵戦術を行えたといえる。占領地の若い女性を集めてはレイプし、抗日であるという妄想で、あるいはなんとなく人をやりたかったからという理不尽な理由でたくさんの住民を殺戮してきた。非人間性の頂点を極めた人類史上例のない軍隊が日本軍である。日本軍が展開していたフィリピンやニューギニアなどでも便衣兵戦術がなかったのかどうかという研究はまだないようでまだ手がつ蹴られていない分野の一つであろう。そもそもこれも大日本帝国・日本軍の性暴力制度や住民の大量殺戮といった戦争犯罪の数々に比べればずっと些細な問題であるから困る。
明日からまた忙しくなり、しばらく更新できないと思います。でも、なるべく毎日とは言いませんが、月1回は更新して記事を書くように努力したいと思います。以上

2008年01月05日

懐疑主義者という糞コテに告ぐ

おっと、忘れるところだったが、「多数の死傷者数がでたのは中国側の便衣兵攻撃」だという便衣兵戦術についてだが、私は生憎この方面には勉強不足で詳しくない。
いい相手を紹介してやる。

思考錯誤
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?id=sikousakugoのとほほ、タラリ氏をはじめとする論客
クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/の青狐氏
そして最も博識で論がたつ
Apes! Not Monkeys! はてな別館
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/のApeman氏
Apes! Not Monkeys!掲示板
http://homepage3.nifty.com/biogon_21/index.htmlという掲示板もある。

 糞懐疑主義者よ、お前の便衣兵などに関する"御高説"を垂れて来い。そしてケチョンケチョンにされてこい。侵略を受けて、日本軍の犠牲になった人々や人権ばかりか、人間としての尊厳や誇りまでもズタズタにされ心身に深い傷を負って今なお苦しんでいる被害者に対しては失礼すぎではないか。中国大陸での戦争においても、あくまでも日本軍は被害者で、多数の死傷者が出た責任はすべて中国側にあって、日本軍に悪かったなどとは微塵たりとも感じない腐ったやつよ。
 裏づけ、物的証拠などとうるさいが、日本軍の加害や被害証言などばかりで、一次資料でも連合国側の戦犯裁判資料、日本側の加害者(中帰連などの兵士)の証言などに対してはものすごくうるさいくせに、自説(侵略戦争正当化、大日本帝国免罪論)の都合のいい日本側の関係者の証言や資料、著書、右翼側の人間の主張に対しては求めない、無批判・無検証で採用するくせにな。
 戦犯裁判で冤罪を主張する弁明する主張であれば、本や人(掲示板・ブログのコメント)からの伝聞の裏づけのへったくれのないやつでも、裏づけや(物的)証拠、根拠を求めない、無批判・無検証で採用。
 日本人が被害者だった場合(ソ連兵に性的暴行を受けた日本人女性、朝鮮半島・満州で引揚者が暴漢に襲われたこと)、ネット右翼が宣伝する戦後の朝鮮人や中国人の悪行の類(戦後、日本の闇市などで戦勝国人として暴動を起こした話)には、裏づけや(物的)証拠を求めない、当然無批判・無検証。連合国の戦犯裁判で日本軍の残虐行為に関するものは勝者の一方的なものだと主張するくせに、そういうことを裏付ける日本側の一次資料については、日本側の資料だけでは一方的だから他の資料を含めた総合的な検証という風な話にはなぜかならないのである。
 無論、ソ連兵や米兵に暴行されたという風な日本人が被害者だった場合も、私は日本人女性被害者の話も大日本帝国・日本軍の被害者と対等に尊重する。私は戦争の被害者の痛みが分かる人間だからだ。分かったか?糞懐疑主義者よ

でもう一度繰り返してしつこく言う
思考錯誤
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?id=sikousakugoのとほほ、タラリ氏をはじめとする論客
クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/の青狐氏
そして最も博識で論がたつ
Apes! Not Monkeys! はてな別館
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/
Apes! Not Monkeys!掲示板
http://homepage3.nifty.com/biogon_21/index.htmlのApeman氏のところへ出向いて、大日本帝国の犠牲者や被害者に失礼な自説を垂れてこい。そして、自分の中の悪しき大日本帝国の残滓を浄化して、まともな人間になってこい。話はこれからだ。もちろん、懐疑主義者だけではなく、他の右翼コテの皆さんもどうぞ。

2007年12月26日

アジアの真実というブログの妄言を叩く、日中戦争の犠牲者3500万人は不当ではない の補足

仕事で忙しい日も今日まで。明日からは忘年会で忙しいというところ。

昨晩書いた
アジアの真実というブログの妄言を叩く、日中戦争の犠牲者3500万人は不当ではない
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/74493297.htmlが急ぎ足になってしまい、いろいろと付け加えます。

 もう一度、南京事件の犠牲者と日中戦争の犠牲者の前に、戦争における犠牲者の意味について、触れておく必要がある。一般的には死者のみを犠牲者として、負傷者を含むその他大勢を被害者として分ける考え方も強いのであろうか。犠牲の意味は、私の辞書によれば、自分の意思によらず戦争・天災・事故の巻きぞえなどによって生命を失ったり傷ついたりすること。・・・・傷ついたりすること、つまり、死者だけでなく、負傷者も(広義の意味で?)戦争の犠牲者に含まれるのである。行政機関の発表で、交通事故の犠牲者の統計を発表するといった場合、死亡したものだけではなく、負傷した人の数も含まれていた。
 そこで南京事件の犠牲者30万人の示すところを簡単である。南京大虐殺の犠牲者、つまり、南京で日本軍によって虐殺された軍民の数である。私の中国系の同僚の話では、少なくても虐殺された者の数は単純には20万人はくだらないだろうということだった。中国側の言う南京事件の犠牲者30万人は虐殺されたもの30万人であり、もちろん負傷者も含まれない、当然戦闘行為の巻き沿いによる死者、ここの将兵による略奪に伴う民間人の殺害及び暴行死、婦女子への夥しい無数の強姦致死といったものは含まれないのである。
 続いて中国側発表の日中戦争の犠牲者であるが、その数字の示すところはいわゆる南京事件の犠牲者よりも幅広いものである。私の中国人の友人が言うには、直接・間接のより幅広い被害を含んだものであるということであった。
"アジアの真実"という管理人のアホブログウヨは

 日中戦争が行われたのは1937年7月〜1945年8月です。約8年。月で言えば96ヶ月。96ヶ月間の間に、日本軍は3500万人の中国人を殺した計算になります。これをさらに月平均にすると約36.5万人。凄いです。30万人を殺したと言う南京事件でさえ2ヶ月かかったのに、その2倍以上の殺戮を毎月欠かさず96ヶ月間も行った計算になります。こうなると、南京事件は、いつもの半分しか殺さなかったサービス期間ということになります。
ということをふざけたことをほざいているが、

南京事件と日中戦争の犠牲者数の内容が違う以上、南京事件の30万人の大虐殺の2倍以上の殺戮を毎月欠かさず行わないと、3500万人にはならないという設定は破綻しているのである。
 百歩譲って、3500万人を日中戦争における死者だと考えても、先のような屁理屈は成り立たない。中国戦線では、三光作戦のほか、抵抗に手を焼いた日本軍は八路軍の活動を封じるために、住民を強制移住させて抵抗を根から断つための無人化区政策というのがとられている。対象となった地域に存在する集落は焼き払われ、抵抗する村人は虐殺され、人囲いと呼ばれる集落に集められたが、農地も家畜も不足し、極めて不衛生な環境で伝染病も多発し、多くの病死・餓死者がでました。もちろん、強制移住中における日本兵による暴行・虐待死、特にお年寄りや女性・子供の脱水や熱射病、病や過労による死も無視できないと思います。
日本軍が強制労働のために、農民を強制徴用した結果、労働力不足で、また鍬、鎌、鉈、ツルハシなどの農作業用の金属製品を軍需生産のために徴収したり、農耕牛や馬などの農作業用の家畜を軍の運送用に徴発したり、あるいは日本兵が食糧にするために屠殺するなどして、農村部の農業生産に著しい打撃を与えたが、その上日本軍は過大な義務を課して無理に食糧を徴発したために、農村部は破綻をきたして、酷い飢餓が発生したこと。
物資調達日本軍は国民党や共産党に対する経済封鎖を行い、農村には工業製品、さらには、都市部には農産物が入らなくなり、その上、物資調達のために日本軍は軍票を乱発し、激しいインフレ、数少ない物資も日本軍よって安い価格で強制的に買い閉められたため、食糧を含む物資が著しく手に入りらない困窮状況に陥ったため、激しい飢饉が各地で蔓延したこと。
八路軍の根拠地となった地域では、日本軍によって厳しく封鎖され、そこに住む住民には食糧などの物資がいきわたらなくなり、多数の餓死者がでた。
あげていけば、きりがないが、日本軍の戦争犯罪や残虐行為による直接的な被害ばかりではなく、食糧や生活物資の著しい欠乏に伴う飢餓や伝染病に伴う餓死・病死などの間接的な被害も無視できないのである。飢餓や病死などを含む間接的な死は日本兵一人ひとりが直接手を下さなくても、農村部から労働力の強制徴用、農作業用の道具や家畜を徴発した上、膨大な農作物供出義務を課せば、ベトナムのように何十万人単位の飢餓が起きる。無人化区政策をとって、民衆を狭い場所に家畜と一緒に狭い場所閉じ込め、不衛生な中、食糧と物資が欠乏した環境におかれれば伝染病が蔓延して病死者が多数でるのは目に見えていることである。特に幼児や子供、お年寄りなど体力や抵抗力がないものが、不衛生で食糧や物資もない悲惨な状態に置かれれば簡単に犠牲者になることは目に見えている。
南京事件を何度も引き起こさなくても、何十万、何百万の死を生み出すことはできるのである。
アホウヨの言う、南京事件の30万人の大虐殺の2倍以上の殺戮を毎月欠かさず行わないと、3500万人にはならないという屁理屈は通用しないことはわかってもらえたと思う。

日中戦争における中国の被害者数水増しの推移

1945年 連合国報告書 132万人
1948年 蒋介石国民党政府の報告書 438万人
1950年代 中国の教科書 約1000万人
1985年 中国政府発表 約2100万人(抗日40周年)→これ以後 博物館や教科書で公式数字となる
現在  約3500万人(江沢民が演説で発言後、南京の記念館で公式数字となる) 

これは、よく見る典型的なコピペ
http://www.h2.dion.ne.jp/~tomo7/05-jul.htm
http://takutsubu.blog.drecom.jp/archive/1581
http://asahi.kirisute-gomen.com/rekisimondai.html
ぐぐるだけでもたくさんこのコピペがでてくる。このコピペには信頼できるソースがあるのか、知りたい。右翼連中のネットワークの中で使いまわされて、ソースもへったくれもないのが実情なのだろう。ところで、百歩譲っても1985年の中国政府の正式発表までは、中国国民党の発表だと思われるが、一般市民の被害は含んでいないのである。

中国は知らなかったか?
http://www.geocities.jp/yu77799/chuugoku.htm何応欽将軍の『中日関係と世界の前途』に記載されている『中華民国政府と人民は、八年の抗戦で空前の損失を蒙つた。統計によると、軍人の死傷者が三百二十一万余人に達し、人民の直接間接の死傷者は二千万人を越えた。』という部分であるが、中国国民党政府がすでに中国共産党政権の公式発表2100万人の前に、日中戦争の犠牲者は2300万人と発表していたということを示唆するものである。
 中華民国のBC級戦犯裁判では、殺人や虐待に対する行為はもちろん、財物の略取、破壊・焼却・強制徴発、労務強制、思想麻痺、奴隷化、アヘン販売などの様々な行為が裁かれたが、裁かれなかったことがある。戦後まもなく国共内戦が始まり、このことが中華民国の裁判に大きな影響を与えたのである。日本軍による徹底した塵滅作戦、いわゆる三光作戦と呼ばれた村落の破壊、殺戮、略奪作戦が華北の共産党根拠地で展開されたが、そこでの被害は日中戦争においても特に甚大だったのにも関わらず、裁かれなかった。さらには中国人の強制労働についても、中華民国政府は強制労働させられている者たちは八路軍(共産軍)関係者であると見ていたとされ、それが一因となり、中国人の強制労働についても中華民国の裁判では裁かれなかったのである(BC級戦犯裁判 林博史著、岩波新書p103〜105を参照) 。
何がいいたいかといえば、三光作戦や無人化区政策など数々の残虐な作戦がとられ、日中戦争でとりわけ大きな被害を受けたとされる八路軍根拠地(共産党側、共産党地区)の犠牲者が中国国民党発表の数字には含まれていないと考えられるのである。
『中華民国政府と人民は、八年の抗戦で空前の損失を蒙つた。統計によると、軍人の死傷者が三百二十一万余人に達し、人民の直接間接の死傷者は二千万人を越えた。』を参照するならば、中華民国、国民党政府の発表で省かれた共産党根拠地、中国人強制労働者の犠牲等を含まれば、人民の直接間接の死傷者は単純に2倍になるとして、4000万人を超えることになる。つまり、4300万人以上で、江沢民氏が発表したとされる3500万人の死傷、あるいは犠牲でさえも過少評価であるという見方ができるのである。
 右翼以外の人にはわかってもらえたと思う。私の説明が下手な点があると思いますが、ご容赦ください。数々の悪質なデマを垂れ流す人でなしの右翼ブロガーどもにはとっとと地獄に落ちたらいい。

2007年12月25日

アジアの真実というブログの妄言を叩く、日中戦争の犠牲者3500万人は不当ではない

日中戦争の犠牲者数は3500万人 〜日本は南京事件に匹敵する大虐殺を117回起こしていた〜
http://ameblo.jp/lancer1/entry-10060997747.html#cbox


ひさびさにブログ右翼の粉砕を挑みたいと思います。こいつは良識の欠片もなく、偏向したオナニー記事を垂れ流す典型的なブログウヨです。あまり、時間が無いのですが、突っ込むのであれば、産経新聞の記事が南京大虐殺の30万人と日中戦争の3500万人を同列においている点でしょう。南京大虐殺の30万人は純粋に虐殺者のみを対象として、負傷者を含めないのに対して、 日中戦争の3500万人は日本軍によって虐殺された人だけでなく、軍人・市民での戦闘行為での死者、死者だけではなく、行方不明者、負傷者、その他強制労働させられていたり、強姦されたりした性暴力の被害者、家や財産を失った財物の被害者など、さまざまな被害者を犠牲者として含んでいるものだと、会社の中国人の同僚はおっしゃってました。

http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTMにあるのですが、中国の戦争での犠牲者は軍人しか厳密には分かっていません。軍人だけでもざっと死者、負傷者、行方不明者を含めて300万人を超えているのです。一般市民の犠牲者というのを考えれば計測不能な数字になるでしょう。むしろ、3500万人ですら少ないくらいです。
ゆうの小さな資料集
中国は知らなかったか?
http://www.geocities.jp/yu77799/chuugoku.htmlより引用すると、

『中日関係と世界の前途』より 

 一九三七年七月七日、日本軍は大挙北平郊外の盧溝橋を攻撃し、ついに「七七事変」が勃発して、中国軍は英雄的な抗戦をした。この中日戦争の勃発によつて、日本は中華民国と奇しくも悲惨な運命を共にした。

 中華民国は八年間の抗戦中に、日本軍閥によつて、歴史に類例を見ないほどの殺戮と迫害を受けた。いまその一、ニの例を挙げてみるが、この一事をもつてしても日本軍閥の暴虐がいかに言語に絶するかを知ることができる。

 (一)南京陥落後の大屠殺で、殺害された市民が十万人以上にも達した。日本軍は麻縄で数百名の武装のない兵士や市民を一しょにしばつて機関銃で一斉掃射したり、あるいはガソリソをかけて彼らを焼き殺した。日本の将校が兵士を引率して、いたるところで放火、掠奪、強姦をほしいままにし、強姦された婦女子の数は教え切れず、しかも強姦された婦女子の多くは殺された。甚だしいのになると軍刀で乳房を切り取つた後、裸のままで地上に転がして、その痛み苦しみ、もがいている哀れな姿を見て日本軍の人達は喜んでいた。また、ある日ある婦人は三十七回も強姦された。この世界を驚かせた大暴行は、今日これを思うだけで、実に胸がはり裂け、血がほとばしり出るほどの悲憤の念を禁じ得ないものがある。

 (ニ)一九三九年五月四日、日本航空隊がわが戦時首都重慶を爆撃した。一日の内に爆撃によつて死亡した市民が七千五百人の多きに達し、しかもこの大爆撃は数日間も続いた。死傷者は町に溢れ、市内は廃墟に帰した。日本の軍閥はどうしてこのような非人道で、残虐な手段をくり返すのかと悲憤が胸にこみ上げて来る。

 中華民国政府と人民は、八年の抗戦で空前の損失を蒙つた。統計によると、軍人の死傷者が三百二十一万余人に達し、人民の直接間接の死傷者は二千万人を越えた。戦火によつて家園を捨て去り、路頭に迷う者が一億人以上にも達した。

 財産の損失に至つては更に数え切れないものがある。経済資源、税収及び日本軍、王精衛偽政権の発行した通貨によつて生じた損失は、一九四一年までに総額が当時の国幣(法幣)四百四十九億六千余円、常時の米ドルに換算し一百三十二億六千余万ドルの天文学的数字に上つている。

 中国は侵略に対する抵抗でこのような莫大な代償を払つたが、一方、日本軍閥は他国を侵略した結果、その得たものはなんであつたか? 日本の人民は貧困のドタン場におちいり、国が破れ家が亡びる惨めな結果をもたらした。これは日本の軍閥が始めから思いも及ばなかつた歴史的な重大な誤りであつた。
 
(「中日関係と世界の前途」 P44〜P45)

引用部分の太字部分に注目してください。都合の悪い文字列が読めない右翼どものために、親切に書きますが、
【軍人の死傷者が三百二十一万余人に達し、人民の直接間接の死傷者は二千万人を越えた。」
これで、日中間の戦争における負傷者などを入れての犠牲者は2300万人です。3500万人は決して不当なものではありません。百歩譲って江沢民が日本憎しに持ち出したと、ネット右翼や産経が曰く3500万人が不当な数字なら、それ以前の2100万人や、軍民あわせて死者1000万人以上というそれ以前の数字については認めるのですか?日本兵の死者が50万人ということを考えれば、もちろん、シベリア抑留や開拓者の負傷者を含む犠牲者ということでしてみても、いかに中国側の犠牲者が多かったかということ、日本軍の中国に対する凶悪で一方的な残虐非道な侵略ぶりが分かります。

http://www.nihongo2.com/history/history42.html
コラム
 日本軍の中国全土への進出は、結局、都市と線路の支配(点と線の支配)でしかなかった。補給線の伸びきった日本軍は、広大な中国を支配することはできなかった。
そして、この点と線を取り囲んだ広大な面…農村地帯を基盤として抗日ゲリラが活躍した。中国共産党八路軍や新四軍の兵士達である。これに手を焼いた日本軍がとった作戦が「三光作戦」である。満州侵略時に行った「平頂山事件」を中国全土で実施したのである。ゲリラの潜む村々を焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くしたのである。

 これはゲリラ対策だけではなかった。補給のおぼつかない日本軍兵士にとっては、奪うことは、自らの食糧の補給でもあった。日本軍首脳はこれを見逃すのではなく、むしろ促進した。この結果、中国民衆の被害は未曾有のものとなり、戦後も被害総額も死亡者数も定かではないほど、甚大なものとなった。死亡者数5000万人とする研究者もいるが、あながち過大な数とは言えないのである。三光作戦だけでない。前記した、「731部隊」の人体実験による死者。そして、そこで研究された細菌兵器、毒ガス兵器が実際に日中戦争で使用され、多くの犠牲者を出した。中国民衆はこれらの兵器の実験材料とされたのである。

 中国戦線で日本軍が実施した犯罪行為はこれだけではない。中国に派遣された日本軍兵士の性の捌け口として、多くの中国人女性や朝鮮人女性が強制的に連行され、兵士の相手をさせられたのである。「従軍慰安婦」と呼ばれるこれらの女性には、日本から娼婦も連れて行かれたが、多くは、働き口があるとだまされるか、拉致されて連れてこられた人々であった。「日本軍性奴隷」と最近では呼ばれることが多くなったこれらの女性は、一日に多いときは100人もの日本兵の相手をさせられ、性病のかかり、病死した者が大半であった。

 この事実は、戦後長い間、日本では明らかにされてこなかったが、1980年代の後半から、日本の戦争犯罪についての事実が明らかになりだし、アジア各国から謝罪要求の声があがり出す中で、ようやく明らかになってきた。それは、それまで生き残った慰安婦の女性達が声を上げなかったからで、1980年代から、それらの女性達が一斉に声を上げ、事実を話し出したのである。それとともに、日本でもこれらの女性への謝罪と補償を政府がすべきであるとの声が起こり、大きな社会問題となった。政府はこれには応えず、政府ではなく、民間組織のよる、従軍慰安婦への補償金募金運動と、それによる補償が適当であるとして、元首相村山富一氏を会長とする組織を作り、募金と補償を実施した。しかし、日本ではこれに反対する人々が多く、元慰安婦への補償を要求する人々のほとんどは協力しなかった。また、朝鮮、中国、フィリピンなどの元慰安婦女性の多くが「日本政府による謝罪と補償」を求めて、この民間組織からの募金の受け取りを拒否したのである。

 今、日本では政府を相手にしたアジア各地の元慰安婦による謝罪と補償要求する訴訟がいくつも起こされている。このような動きに対して、南京大虐殺と同じように、一部の政治家や学者、文化人から「慰安婦は存在していなかった」という主張がなされている。彼らによると、慰安婦は正式な商行為として行われていたもので、本人の意思によって行われ、対価が支払われていて強制的なものではなかったとされている。これに対して、日本軍が組織的に行ったものであるとの資料も発見されて、議論が続いている。しかし、教科諸問題などから、各教科書は、慰安婦問題を大きくは取り上げなくなってきている。日本全体の傾向として、南京大虐殺、三光作戦、731部隊、従軍慰安婦問題といった日本の恥部には、これ以上ふれたくないといった雰囲気が増してきている。

この文の言うとおりである。私からすれば、5000万人ですら、過少に思えてくるくらいだ。アジアの真実というブログを運営している糞ブログウヨ野郎をはじめとする右翼連中のの脳みそのいかれっぷりが改めてこのエントリーを立てて私は実感したし、他の良識派の方々も実感していただけることだと思います。

2006年05月21日

遺棄化学兵器の件で、中南海ノ黄昏というブログを殴り倒してみる

中南海ノ黄昏というブログのとある記事を殴り倒してみようと思う。ほかにも数々の右翼ブログが発狂したかのように、例の正論6月号の記事を紹介し、日本軍の化学戦および遺棄化学兵器で犠牲になった数々の中国人民の存在と侵略責任の反省の視点を忘れて、公然とブログでマスターベーションを行っており、私はものすごい不快と怒りに襲われた。とりあえず、遺棄化学兵器の件については、中南海ノ黄昏というブログを血祭りにあげておこうと思う。
 

中国における「遺棄化学兵器」問題
http://ihasa.seesaa.net/article/17862904.html
という記事であるが、殴り倒すのはいとも簡単なことである。
 『正論』六月号“化学兵器引継スクープ”の勇み足を参考にしていただきたい。
 
いかに冒頭からとんちんかんなことが書いてあるかわかるであろう。

米軍再編に絡む3兆円に関しては大々的に報じられていますが、遺棄化学兵器処理を巡り中国へ1兆円もの税金が投入される可能性、過剰な設備や軍事利用されかねない施設が建設されることなどほとんど報じられていません。しかも、「日本側に支払い義務がないのではないか?!」という証拠が発見されたにも関わらずほとんど報じられていません

なぜ、ほとんど報じられていないのかわかりますか、報じられていないのは水間政憲氏の記事はとんでもないガセだからですよ。発見された資料が捏造という意味ではないですよ。発見された日本軍の引渡しリストの中に化学兵器の類は一切見られないというものでした。永田メールというとんでもないガセメールがあったことを覚えているでしょう。中国大陸にいた日本軍(関東軍および中国派遣軍)と中国国民党軍の間で化学兵器の引渡しがあったという資料がでてきたという事実が水間氏のトンデモ解釈によるとんだ"ガセネタ"であることが明らかなのです。だから、報じられません。むしろ、報じてほしいくらいのものです。世間を騒がせて外務省を震撼させたのはいいが、専門家の分析によりガセだとわかって、水間氏本人および、産経新聞社、正論編集部が窮地に立たされるような場面を見てみたいものですね。 
確かにこの中南海ノ黄昏の記事で書いてあるように、もし、降伏時に中国かソ連に化学兵器が、ほかの兵器物資とともに引き渡されたとなれば、確かに中国側が戦後化学兵器を遺棄したことになり、日本側に処理する義務はないとする倫理も一利あるでしょう。しかし、大日本帝国を憎み、近隣アジア諸国に対する反省と贖罪の視点をもつ私にはそうは思えません。やはり、中国に対して侵略を仕掛けた侵略責任というものが付きまとうし、侵略戦争の元で化学兵器を大量に持ち込み、戦争の過程で国際法違反の化学戦を行い、中国民衆に大きな傷害を与えました。遺棄されている化学兵器の製造責任を含めて、仮に降伏時に日中両軍に化学兵器のやりとりがあって、日本軍が遺棄していないという場合があっても、その場合でも日本側には相応の責任があります。不発弾などの通常兵器とは異なり、遺棄化学兵器というのは恐ろしいものであり、長期間にわたり周辺地域を汚染し、人々に被害を与え続けます。遺棄化学兵器によって、今も深刻な被害を与えて続けているのだ。大日本帝国の中国大陸に対する侵略戦争の結果、膨大な遺棄化学兵器が存在するのだ。河野洋平氏が「中国にある化学兵器は、中国製であろうとソ連製であろうと日本がすべて処理します」と主張されたことは、痛切な反省とお詫びのもと、戦争責任を踏まえた正当なものなのである。
 
旧日本軍兵器引継書発見とのスクープがなされます。つまり、この書が本物であった場合、精査することによって現在日本の税金を投入して調査処理している化学兵器が日本に処理責任のない引き渡された兵器である可能性が出てくるわけです。


この引渡しリストが本物であろうとなかろうと、日本軍が化学兵器を引き渡さず、降伏時に遺棄したという事実には変わりません。この引渡しリストが本物であって困るのは、むしろこのブログ主や日本政府、右翼側でしょう。この資料には武器弾薬から球のない電気スタンドやアイロン、烏口といった小物まで、全て数を数えてリストアップされて几帳面な引継ぎを示すものだが、その中には化学兵器の"カ"の字すら見当たらないのだから。化学兵器だけは正式に引き継ぎされなかった=遺棄されたことの傍証になるので哀れな限りである。もっとも、私にとってはうれしいことだ。
中国に対する大日本帝国・日本軍の侵略と加害の事実を認めず、さらには黒を白に言いくるめるがごとく、遺棄化学兵器の責任を被侵略国である中国に押し付けようとしている水間氏および産経新聞社、および中南海ノ黄昏などの数々の右翼ブログは恥を知れ!

 
<関連ブログ記事>
『正論』六月号"化学兵器引継スクープ"の勇み足?
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/18150291.html
 
失礼。また変なプロパガンダが現れたようだ。その名も『旧日本軍の「遺棄化学兵器」は中国側に引き渡されていて、日本に遺棄化学兵器の処理の義務はない』という名の反中キャンペーン
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/17597719.html

2006年04月30日

アンボン終戦秘話?

軍事評論家=佐藤守のブログ日記
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/というブログがある。たまたま検索していて引っかかった記事がある。
 
2006-04-09 アンボン終戦秘話
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20060409/

 戦況が不利であることは知っていたが、8月15日の陛下の放送は意外だった。誰もが虚脱状態だったが、在アンボンの海軍25根拠地隊司令官・一瀬中将より、陸軍の第5師団長の方が先任だから、降伏に伴う一切の指揮を取ってもらおうとのんきに構えていたところ、師団長と参謀長が敗戦を聞いて自決してしまった。そこで一瀬司令官以下、在アンボンの2万5千人の日本人を無事に内地に復員させる責任は、海軍が負うことになった。 
 進駐してきた豪州軍の司令官はスティールという准将で、補給参謀はアーノット少佐だったが、日章旗を下し、ユニオンジャックを掲げた波止場で降伏式が終わると、豪州軍司令部スタッフをオランダ総督邸であった司令部庁舎に案内した。豪州軍のために綺麗に掃き清められ、長官室には日本人形や生け花まで飾られていて、負けっぷりを良くしようという我々のせめてもの配慮だった。
 スティール准将が〈先任者〉である一瀬司令官に「アドミラル」の敬称で先に敬礼し、それぞれ紹介しあったが、アーノット少佐は、日本軍の幕僚が余りに若いので驚いていた。
 スティール准将が「私は第1次大戦のとき、少尉で地中海に派遣されダーダネルス作戦に参加したが、独逸のUボートに撃沈され海上を漂流した。そのとき日本の駆逐艦に救助された思い出がある。今回、占領軍指揮官としてやってきたが、日本海軍の軍規は立派だ。アドミラル一瀬以下、各スタッフの協力を得て、戦後処理復員業務を速やかに終了させたい」と話したが、一瀬司令官も「私も当時地中海で日本駆逐艦の甲板士官をしていた。かっての戦友がこのような状況下でお会い出来たことは感慨無量である。貴軍の命令を着実に実行し、2万5千人の日本人を速やかに無事帰国させたい」と述べた。
 当時インドネシア独立運動が巻き起こり、アンボンでも武装蜂起があって治安は悪かったので、豪州軍は日本軍から「軍刀」だけを取り上げたものの、武器類はそのまま携行保管させていた。収?された日本軍は、森林を伐採して芋を植え、食料を自給自足しつつ帰国を待つことになったが、携行食糧は約1ヶ月、芋が実るのは4ヶ月。どうしても食料不足は避けられない。そこでアーノット少佐にその補給をお願いし、昭和20年末ごろ入ることになっていたが、十月ごろに連合軍の上級司令部から米軍の参謀長がアンボンを視察に来た。ところが日本海軍が兵器を携行して歩哨に立ったり、町を巡察している。これに驚いた参謀長はスティール准将以下、豪州軍スタッフを怒鳴りつけたらしい。しかしスティール司令官以下も負けてはいなかった。占領軍政も日本軍の協力でうまくいっている、と反論、そして辞表を提出して帰国することになったという。
帰国を前にしたスティール司令官とアーノット少佐は、連絡将校の川崎中尉に「米軍参謀長と意見があわないので帰国するが、約束した食料はたとえ米軍が補給しなくとも豪州政府が必ず送る。帰国すれば私は〈国会議員〉だし、アーノットは豪州ナンバーワンの〈ビスケット会社の社長さん〉だ。ところで君を密かに呼んだのは、御土産に別室に集めてある日本刀を一振りずつ持って帰りたい。出来るだけ古くてよいものを選んでくれ。これはアドミラル一瀬にも、うちの参謀のコステロ中佐にも内緒だ」とウインクしたという。
その後占領軍は豪州軍からオランダ軍に交代したが、その支配下では仕事もなくのんびりしたものだったが、食糧事情は困窮した。
昭和21年4月のある日、英国国旗を掲げた貨物船が2隻入港した。豪州からの食料だった。バター、チーズ、コンビーフ、小麦粉、ビスケットなど、25000人の一ヶ月分であった。スティール准将とアーノット少佐が約束を果たしてくれたのである。坂部大尉は目頭が熱くなったという。「受領に行った船長室で出された紅茶とビスケットのうまかったこと!ふと、そのビスケットのブランドを見たら〈アーノットカンパニー〉とあった。復員船が入ったのはその日から約一ヶ月後であった。食料不足の日本に帰る復員兵のリュックサックには、このコンビーフやビスケットが大事に詰め込まれていた」という。
 昨日の友は今日の敵、今日の敵は明日の友。二十一世紀の太平洋・アジア地区の安定は、日米豪の3カ国が中心になって動くと言われている。
この話を聞いて、私には、何となく明るい予感がしたのであったが、高山教授が言った様に、貴重な〈秘話〉が埋もれたまま消滅することは残念でならない。

このブログの内容を見る限り、老いぼれの右翼爺である。過去の大日本帝国を美化し、大日本帝国が行った侵略戦争がいかにアジア・太平洋地域を踏みにじり苦しめたということに気づいていないのである。日本軍がアンボンで潔く正しく紳士的に降伏を終えたということが書いてある。しかし、状況が180度急変し、オーストラリア軍を捕虜として支配していた側から屈服し服従させられる側になったため、特にアンボンの部隊の上層部たちは自分たちの命が欲しいから、借りてきた猫のように従順になり、進軍してきたオーストラリア軍に大人しく媚びた(そういう命令を部隊全体に出した)だけの話だ。日本軍人というのは、状況が変われば態度を急変させて、何事もなかったかのようにおとなしく紳士的になるのがうまい。あれだけ横暴で腐りきっていた日本軍の上官連中も、アジア各地で強姦や暴虐を重ねていた極悪日本兵も、8月15日を境に急変し、おとなしくなり、日本の家庭(家族)のもとへ帰ると何事もなかったかのようにればよき夫、よき父に様変わりしました。この話はなんら美化できるものではなく、こんなのを持ち出して、日本軍賛美思想を宣伝しようなど犠牲になった人々に対して不遜極まりないものだ。謝罪してもらいたいね。さらにアンボンで降伏したオーストラリア軍兵士に対して日本軍は何をしたのか、佐藤氏は知らないようなので教えてあげよう。オーストラリア軍は司令部となる建物が綺麗に掃き清められ、長官室には日本人形や生け花まで飾られている誠意のある対応を快く受け入れ、日本軍に戦後処理復員業務を速やかにするように、また、武器類の携帯を認めるなどそれ相応の配慮で応じた。しかし、逆に日本軍が1942年にアンボン島に侵攻し、オーストラリア軍を屈服させた際、オーストラリア軍兵士たちにどれだけ酷いことをしたのかわかっていないのだ。
 
第7週 オーストラリアと太平洋戦争
http://opinion.nucba.ac.jp/~kamada/H17Koceania/oceania17-7.htmlより
アンボンで実際には何がおきたのか
オーストラリア映画『アンボンで何が裁かれたか』(Blood Oath)1990年は、泰郁彦『昭和史の謎を追う』下巻、文芸春秋社、1993年所収の「第31章 BC級戦犯たちの落日ーアンボンで何が裁かれたか」(pp.151-167)で詳しく検証されています。以下、泰氏の論文を要約します。  

ラハ事件
日本軍のラハ攻略の激戦の後、日本軍の報告ではオーストラリア兵約200名(後の報告では250名)が捕虜となった。多くの捕虜はアンボンに送られたが、よりわけられたオーストラリア兵に対して銃剣の刺殺による集団処刑が行われた。後に、数珠つなぎになった50体ほどの遺体が発掘されたが、全貌の解明に届かなかった。豪側は、ラハの死者を300人ほどとしているが、戦死者と処刑者の内訳はつきとめられなかった。泰氏は、戦死者は20名程度で、あとは処刑されたのではないかと推測している。ラハ事件では、最高責任者はすでに戦死しており、1人が死刑、2人が禁固20年の有罪判決を受けた。

アンボン収容所の捕虜虐待
アンボン攻略直後は、収容所は管理がゆるやかで、労働も課せられなかった。監督者が交替した1942年6月から待遇が悪化し、暴行、処刑などの「捕虜いじめ」が頻発した。特に1944年以降は補給が絶たれ、日本兵も慢性的飢餓にさらされて、捕虜の待遇もさらに悪化した。アンボン収容所での捕虜の生存率は、23%であった。飛行士処刑も含め、起訴された者は100人を超えたが、死刑13名、有期刑43名の結末となった。

捕虜飛行士の処刑
映画のストーリーのモデルとなった飛行士の処刑事件では、3名が死刑となった。映画のストーリーのように片山たちが「命令者」と証言した大佐は有期刑にとどまり、実行者であった士官の片山、高橋と兵曹長の3名に極刑が科された。


映画になるほど、降伏したオーストラリア軍兵士に対して酷い残虐行為をしたのである。オーストラリア軍捕虜は1000人ほどいたが、日本軍敗戦後には300人ほどになっていたそうである。生存率が23%恐ろしい限りである。忘れてはならないのは、捕虜だけではなく、アンボン島の日本軍の苛政に苦しんだ原住民のことである。
半月上通信 No.48
http://www.han.org/a/half-moon/hm048.htmlより
 ジャワ島スマランなどでオランダ人女性を連行したケースや、スマランからフローレス島へオランダ人・インドネシア人女性を連行したケース、ボルネオ島ポンティアナックで地元女性を連行したとみられる事件、モア島で軍が連行したとする裁判資料、サバロワ島で地元女性を連行したとする証言、アンボン島で地元女性を連行したとする証言などがある。

アンボン島では地元女性を慰安婦として連行して、日本軍の性奴隷として働かせていたそうです。しかし、詳しいソースとなるとわかりません。慰安婦以外の住民虐待についてもさしたるソースは見つかりませんでした。  

東南アジアでもこの"侵略"ぶり
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper51.htm

(4)インドネシア
  インドネシアは石油、スズ、ボーキサイトなど豊富な資源を有する国です。ですから日本は、敗戦の直前まで「独立」を認めようとしませんでした。インドネシア人は当初、日本軍を歓迎しましたが、希望はすぐに失望にかわりました。
 日本軍は、結社・集会、政治的言論・行動・示唆を禁止しました。インドネシアを三つの地域に分割してしまい、民族旗と民族歌を禁止しました。そのかわり、「日の丸」を掲揚し「君が代」を歌うこと、学校では宮城邁拝(皇居にむかって最敬礼すること)も行なわれました。
 何千人という人々が「ロウムシャ」(労務者)として徴用され、マラヤ・ビルマ・タイなどへも送られました。この「ロウムシャ」という言葉は、日本の占領時代、重労働を強いられた人々、という意味でインドネシア語になっているほどです。それほど多数の人々が重労働に使われたのです。食糧に対する日本軍の徴用もきぴしく、多数の餓死者が出ました。
 敗戦後、アンボンで日本人戦犯の処刑が行なわれた時、民衆は「ざまみろ、早く死んじまえ」と火のような憎しみの叫びをあげたのでした(『昭和戦争文学全集』15)

明確な虐待に関するソースは見つかりませんでしたが、アンボン島でも戦犯裁判が開かれて、日本人戦犯が処刑されましたが、民衆はそのとき、憎しみの叫びをその処刑される戦犯に投げかけたそうです。『火のような憎しみ』という形容句がアンボン島でも日本軍の振る舞いは傍若無人極まりないものがあり、原住民が計り知れない苦痛を味わい、敗戦後の日本軍に対する怨念はすさまじかったことを示すものである。
佐藤守氏が『アンボン秘話』と取り上げているのも、秘話でもなんでもなく、ただのオナニーやマスターベーションの類にすぎないのである。日本軍の軍規は厳正であり、敗戦後の復員の過程を含めて立派だったとブログをみた一般人を洗脳するようなオナニー話を書いている暇があったら、日本軍がアンボン島をはじめ、インドネシア、そしてアジア各地で行った残虐行為と、その犠牲者、被害者、家を失ったもの、家族を失ったものなど一連の残虐行為によって被害を被った人々に対して言及することがあるだろう。現に佐藤守氏は元日本兵で、戦争体験者でしょう。あなたのような日本軍が行った一連の残虐行為を恥じず、右翼活動に精を出すような人が現在の日本のような絶望的な状況を作り出しているのです。戦争を体験した佐藤守氏のような爺さんが日本軍が行った蛮行や虐待行為の数々を無視し、アイボン秘話なるものを都合のいい話と都合のいい解釈でもって持ち出して、大日本帝国・日本軍美化言論を行うことは普通のネット右翼以上に罪が重いことを自覚してもらいたいものだ。  

2006年04月02日

Yahooブログ<憂国列記>を斬る。

私に関するブログ記事を検索してひっかかったブログ記事の一つ
憂国列記
http://blogs.yahoo.co.jp/sakusikahosokawa
コメントもあまりついてないので小物だと思います。ちなみに本人は

自分の考え
http://blogs.yahoo.co.jp/sakusikahosokawa/470635.htmlにて
 基本的に自分は中道派だと思います。時に左翼的な考えも出れば右翼的な考えだと思います。
けれど支那、朝鮮辺りには右翼的な考えがほとんどです。どこかの国で言うバランサーです(笑)

自称中道派だといってますが私からすれば完璧な糞ネット右翼です。支那という日本軍が中国大陸を蹂躙した際の合言葉である【暴支膺懲】を彷彿とさせる気持の悪い蔑称を平然と使用できる神経が私には信じられないのですが。そもそも大日本帝国の侵略・戦争加害問題を考える上で中国と朝鮮半島というのは欠かせないもので、最も大きな苦痛を味わったのが中国や朝鮮半島の民衆です。彼らに対して右翼的な考えしかでないということ自体、典型的な糞右翼なのです。
5 先の日本の大戦をどう思うか。

勿論、戦争ですから。失うものが大きいでしょう。
ただ、その当時の状況や日本が与えた影響を考慮する必要があります。

先の支那や亜細亜との戦争は侵略戦争と自分は位置付けます。それは美化しません。
いくら、現地の住民が喜んだとしても、近代化に協力したとしても、
明らかに日本側の過失ではあります。
サヨクと違うのは全てを否定しないこと。肯定できる部分は肯定します。
亜細亜諸国の独立運動の先駆けとなったのは事実です。
白人による劣等感に悩まされていた亜細亜人に希望を持たせたのも事実です。

後は日本側の補償。これはもう支那側は放棄しているので問題にしません。
韓国ともキッチリと補償済みです。
国際常識とはそんな物です。後はうだうだ言わないのが最低限のマナー。
勿論、反省を忘れるなという事ではありません。が、いちいち掘り起して
謝罪を求めるものでもない。ここら辺が自分を中道と位置付けている理由です。

この文言だけでも右翼ですね。もちろん、侵略戦争であることだけは定義づけていることはほめたいと言う気もしますが、読んでいると全然本人からそういう感じが感じ取れないです。侵略戦争であると定義づけていることとブログの内容が一致しません。肯定できる部分は肯定するというだけでも典型的な右翼だし、日本人からすれば先の大戦において大日本帝国は絶対悪でしかない存在でしかなくてはなりません。犠牲になって死んでいった幾多のアジアの人々、拷問や強制労働、従軍慰安婦の苦痛を味わった被害者のこと考えるだけでもそのように考えることはできないのが普通の心をもった人間です。アジア人に希望をもたせたのは大日本帝国ではありません。大日本帝国・日本軍における旧植民地の百数十年を超える過酷な圧政と戦い耐え忍んだ中で希望を見出し、日本の敗戦とともに花開いたというだけの話です。それを大日本帝国のおかげだというのは笑止千万。大日本帝国・日本軍によって殺さたり傷つけられたり苦痛を味わった数千万人のアジアの民に対して失礼だと思わないのでしょうか?過去の大日本帝国の侵略・戦争加害責任を正当に認識していれば、『肯定できる部分は肯定します。』『亜細亜諸国の独立運動の先駆けとなったのは事実です。』などという妄言ははけないはずです。後、補償に関する問題ですが、仮に補償が解決されたと考えても、あなたは先の大戦を侵略戦争だと定義づけているのであれば、それに代わる侵略・戦争加害で犠牲になった犠牲者・被害者たちに対する誠意のある贖罪感情を持って、現代の世代としての反省の念の気持をもっているのでしょうか?それにかわることやそれにかわる全うな良識的精神をきづきあげているのでしょうか?長くなるのでここまでにしておきますが、あなたのような人間に中道派などと名乗る資格はありません。もっと、真摯に侵略・戦争加害の問題を考え、日本軍による残虐行為によって犠牲になったやられた犠牲者の痛みを理解し、反省を踏まえた上で、かって迷惑をかけた国々の人達と、どのように友好をきづきあげていくかという良識的な思考になるように心がける。それができないならば、ネットから一切の手を引いて、右翼的な記述を社会や公共の場面に出さないでください。大日本帝国の侵略・戦争加害によって犠牲になった幾多の民衆に対して失礼です。

私に関するブログ記事も斬っておこう。

右翼討伐だか知らんが
http://blogs.yahoo.co.jp/sakusikahosokawa/1247530.html
 もう名前からして左翼のイデオロギー的な匂いがぷんぷんしてきて、唾でも吐きたくなるような感じがします。この手の人に多いのは人の話を聞かずに、自分の意見のみが正しいという自己主張が強いんですよね。

 自分が一番気に入らないのは、右翼を完全否定してしまっているところ。自分は出来ることなら真正左翼の人達とも手を取り冷静な議論をしていきたいと思っています。しかしこういうエセ左翼の面被った奴等が闊歩しているようではまだまだ左翼側の汚点はぬぐえないでしょう。

で、まぁ眺めていたところ「南京事件」が出てきましたので、綴りたいと思います。

なんか都合の悪い記述に対しては『左翼のイデオロギー的な匂いがぷんぷんする』とか言って提起されている問題に対して真っ当に考えるのを避けるという典型的な右翼のパターンですね。私は自分の意見のみが正しいとは思わないですし、自己主張も控えてます。もっともこの記事では東中野修道を讃えてますけどね。

東中野修道氏は南京事件を「今の時点では」否定しています。
それは客観的な証拠に基づき冷静な判断をした結果その結論に辿り着いたのだと思います。
修道氏は著書「南京事件証拠写真を検証する」でも分かるとおりかなりの年月をかけ、細心の注意を払い南京事件の証拠として出された写真を一枚、一枚検証していった良心的な人物です。「たかじんのそこまで言って委員会」にも出演していましたがゲスト等の質問に非常に丁寧な答えを出していました。その番組の中でも言っていますが、
「あるものは証拠が出てきますが、ないものは証拠は出てこない」(というような趣旨の発言
正確には覚えていませんが)
という事を仰っていました。思わず「その通りだ」と思いましたね。

修道氏は別に有ったか無かったかということには深く言及していません。その証言が正しいか、提示された証拠が正しいか、という事を検証しているだけです。
序文に「今の時点では」否定していると書きました。もし南京事件の「有力な証拠」が出れば修道氏も直ぐに検証してあった派に行くと思います。けれど、「有力な証拠」も無く真実味に欠ける証言ばかりで修道氏はあえて「なかった」と結論付けたのだと思います。

引用部分には分かるとおり修道氏の疑問に対して全く持って答えられていない。
人間ですから。修道氏のように疑問を提示する人がいておかしくありません。
だから日本にも、「あった派」と「ない派」が存在するのです。

笑わせないでくれ。なにが『東中野修道氏は南京事件を「今の時点では」否定しています。それは客観的な証拠に基づき冷静な判断をした結果その結論に辿り着いたのだと思います。』
東中野修道はでたらめの塊だ。恣意的な証拠どころかいろいろと資料を改ざんし、歪曲した判断に基づき、捏造した結論をでっちあげただろうが。
東中野修道のでたらめぶりはあきらかだ。てめえはネット検索もできないのか?ちなみにそのでたらめぶりを検証した中ですばらしいサイトがある。南京事件やそれに付随する中国における日本軍の所業一般を取り扱っている豊富な資料が満載のサイトがある。
南京事件 小さな資料集
http://www.geocities.jp/yu77799/である。
ちなみに
東中野氏の徹底検証 1
はじめに
http://www.geocities.jp/yu77799/higasinakano0.htmlより
一般的に、「歴史書」は、いろいろな「資料」を一定のストーリー(あるいは「史観」)に沿って再構成し、事件の実像を描く、というスタイルで書かれていると思います。「南京事件」についての、洞氏、秦氏、吉田氏、笠原氏、藤原氏の概説書(と限らず、いわゆる「歴史書」一般)は、すべてこのスタイルです。

 当然のことですが、「資料」の意味を捻じ曲げて引用したり、「資料」から演繹的に読み取れること以外のことを勝手に付け加えたり、「ストーリー」と明らかに対立するデータを無視したり、意図して公正を欠く記述を行うことは、「禁止事項」です。これでは「歴史書」ではなく「歴史小説」になってしまいます。

 ところが東中野氏のこの本は、捻じ曲げ引用、勝手な解釈、対立データの無視、一方的な記述―「禁止事項」のオンパレードでした。いやはや、ここまでいいかげんな本だったとは・・・。
だそうです。
その著書「南京事件証拠写真を検証する」のでたらめぶりは
南京大虐殺と「証拠写真」
「南京事件『証拠写真』を検証する」を検証する
http://www11.ocn.ne.jp/~nbbk/143/index3.htmlおよび
「南京事件」143枚の写真
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/で確認できる。その東中野修道らの著作である「南京事件証拠写真を検証する」は捻じ曲げ引用、勝手な解釈、一方的記述などのでたらめのオンパレードであり、大部分が検証する値打ちすらないものばかりであることは明らかだ。東中野修道という人物そのものに疑問をもたないこと自体、中道派ではなく、糞右翼にすぎないことを典型的に示している事例である。

で、反論できなくなるとすぐに怒りを起こして損害賠償だのを持ち込む。
それを誰が信用するというのでしょうか。浅はかですよねぇ。
しかもそれを応援しようとしている愚かなブログがあるわけですよ。
さっきも言ったとおり修道氏は「無かった」と自称被害者の女性に言っているわけではありません。
「何故なのか?」と疑問を提示しているのです。自分が被害にあったと言うならば誰を問わずその状況を説明するのが第一課題と自分は考えます。それも出来ないで、謝罪も、賠償も、へったくれもありません。根拠も無いのは被害者の女性でしょうが。
第一、これは証言だけに頼り切ってしまっている。証言なんていくらでも出てきますよ。

それは例えば今、自分が「俺の爺さんは支那人の兵隊に殺されたんだ賠償しろ」と言って「何故なのか」
と返されて「否定するな!殺されたんだ!それを傷つけるとは!損害賠償だ!」と喚いてるようなものです。具体的な反論は何にもありませんね。あくまで証言者の感情論だけで流されている。

勿論、写真だって古い写真に少し加工を施し、いかにも支那人が爺さんを殺している様に見せかければ偽証拠の出来上がりです。そういう事例があるから修道氏のように真実を検証しようという人が出てくるのです。

頑なに否定しては議論の余地がありません。そして証言や検証もされていない証拠をただ鵜呑みにする左翼や支持団体の多いこと。多いこと。

馬鹿の一つ覚えとは良くいったものです。嘘や偽りに凝り固まった証言が通じると、味を占めてただそれだけを中心に相手に押し付ける。で、反論されると怒る。

反論できなくなったから、訴訟を起こしたからではありません。根拠もなく、偽者呼ばわりされたことによって被害者女性である夏淑琴氏自身が尊厳を傷つけられたこと、また、南京大虐殺という史実を否定しようとする右翼を罰し、彼らを野放しにすることが日本の若者や未来にとってもよくないという偉大な決断に基づいて起こされたものです。証言だけに頼り切っているというが、この種の蛮行においては証言以外の証拠はなかなか見つからなかったが、ただマギーフィルムに被害にあった夏氏が写っており、それを東中野修道が否定したことにより問題に発展したわけだ。被害者を偽者呼ばわりするならば、偽者呼ばわりする側が証拠を容易するのが筋であろう。そうでないから当然名誉毀損で告発する。それは当然だろうが。ちなみに、『勿論、写真だって古い写真に少し加工を施し、いかにも支那人が爺さんを殺している様に見せかければ偽証拠の出来上がりです。そういう事例があるから修道氏のように真実を検証しようという人が出てくるのです。』とブログ主は言っているが、偽証拠や偽写真なるものはほどんど皆無に等しいことが良識派の検証によって明らかになっている。東中野修道ら右翼歴史歪曲主義者が南京大虐殺という史実を否定したいがために、偽写真でないのに偽写真に見せようとあらゆる手でデタラメ検証を行っているというのが実態だ。そういうことも分からないのか?糞が。かたくなに日本軍の蛮行を否定しているのが右翼だし、議論の余地をなくしているのが右翼だ。証言や検証もされていない証拠だといって、大日本帝国・日本軍の蛮行の数々を否定しようとする右翼やその支持団体の多さには呆れてものがいえません。どうしてこういう反動的な右翼の輩がのさばるような世の中になってしまったのでしょうか?嘆かわしいです。

右翼討伐その2
http://blogs.yahoo.co.jp/sakusikahosokawa/1248346.html
よく、左翼の人物に唯一口出しできないのが
「報道の自由」だとか「言論の自由」なんですよね。
さすがに、左翼もこれを否定しまうと、日本の根本である民主主義自体を否定してしまうので言いません。しかしこのプロフィールには堂々と言論禁止を訴えているのです。
驚くと同時に一種の恐怖感を覚えました。何の矛盾も考えずこんな事を平気で公の場にベラベラと書き綴れるのですから。

それは当然のことを書いたまでです。「報道の自由」だとか「言論の自由」も無制限に許されるわけではないということはご存知でしょう。たとえば、「イスラム教徒・ムスリムを皆殺しにしてよい」「沖縄で米兵強姦事件が起こった。けしからんから米国大使館、あるいは米軍基地を爆破してしまおう」というような言動を吐いたら、即座に可笑しい人物だと思われるし、報道機関、あるいはそうじゃなくても公にやった場合は間違いなく逮捕です。それと同じことが大日本帝国・日本軍の蛮行を否定したりする議論にもいえるわけです。大日本帝国を讃える言論を規制したり、大日本帝国・日本軍の蛮行を否定したり矮小化する言動を禁止したりしても、あるいは在日コリアンなどに対する外国人蔑視などを禁じても日本の民主主義は否定されません。そもそも、言論の自由、それに付随する報道の自由、表現の自由などは元々も自由権のひとつであって、つまり個人なり法人などの組織が国家権力の制約や強制から自由に思想を表現したり、表明したりする権利のことを言うのだ。近代民主主義の基本原則として確立されたものであり、民主主義の原則は「法の下の万人の平等」であるから、王や貴族といった特権階級、あるいは国家などが、個人の自由を不当に制限することはできないのである。そういうことが背景にあるものであり、「国家権力、ないしは何らかの権力からの個人の自由」という意味合いであるものであり、大日本帝国の蛮行否定、大日本帝国賛美、民族差別などは「言論の自由」などのさまざまな自由権の名の元で無制限に許容することはできないというのが私の立場である。「言論の自由」などは基本的人権の一つであるが、右翼勢力の躍進の糧とするために大日本帝国の蛮行を否定したり、侵略を美化したり、解放戦争だとか讃えたり、在日コリアンに対する民族差別を煽動したりする思想を擁護するロジックとして、「言論の自由」を持ち出すのは矛盾しているということがお分かりですか?私は自由と民主主義を尊重する一日本市民として「大日本帝国を賛美したり、その蛮行を否定・歪曲したり、在日コリアンなどの人々を蔑視したりする言動を『言論の自由』で擁護することはできないし、むしろそうした言動こそが自由と民主主義の敵」であることを主張したい。
自分達に都合の良い発言は許可して、反する発言は駄目ってか?ご都合主義も大概にしましょうね。
それこそ支那の言論統制と変わりはない。

ご都合主義はあなた方のほうです。大日本帝国を賛美したり、蛮行を否定したり歪曲したり、右翼的活動を擁護するための手段として「言論の自由」という歴史の中で国家権力との戦いの中で確立されていった偉大な民主主義の基本原則を持ち出そうとしているのですからね。
また、エセ極左の右翼討伐委員会について書きたいと思います。

私は断じて極左ではありませんし、また"エセ"と呼ばれる筋合いもありません。右翼討伐委員会についてぜひ書いてください。あなたは小物のブログ右翼などで忙しい中気にかけている時間があるかどうかは分かりませんが、このブログに関する記事を書かれるなら、私に反論する時間があるなら再度反論してこのブログにエントリーします。ところで、東中野修道についていかにでたらめな糞人物であるかのサイトを提示しておきましたので、あなたがこれで東中野修道という人物を通して、右翼勢力に対する懐疑の念を持たれるきっかけになったらいいなと思います。少し長くなりましたが以上。

ちょっとだけ追記 マギーフィルムに写っていた夏淑琴さんの件ですが、きちんと検証しているところがありました。

[274]マギーフィルム画像と解説書
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=274;id=imgbord#atop

[368]Re(3):東中野修道氏のトリック
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=368;id=imgbord#368の部分ですかね。この掲示板では東中野修道らの検証がいかにいい加減で、南京大虐殺を資料を恣意的に引用、解釈を捻じ曲げてでも否定しようとする右翼学者どもの罪深さが改めて認識できると思います。

私に関するブログ記事<涼風庵(麻生閣下を次期総理に!)>を斬っておく

右翼サイト認定キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!!
http://ryou1kanou.seesaa.net/article/15305938.html
「右翼討伐委員会」なるブログ(リンクは貼りません、検索してください)で、右翼認定をもらいました。
コメントは(キモすぎ)だそうで。

お褒めにあずかり恐悦至極。
中共に「言論暴力団」と名指しされた産経新聞のような勲章です。
リアルで可愛い女の子に言われたら傷つくかもしれないけど(爆

本当にキモイんですけどね。所詮小物のブログ右翼でしょうけど。産経新聞に自分を喩えてなにがうれしいのでしょうか?産経新聞は新聞の体をなしていない糞右翼新聞社なんですけどねwww
右翼を批判するページのわりには。「討伐」、「殴り倒す」などの乱暴な語彙が豊富です。
日本の「軍国主義復活」を批判しながら、核ミサイル製造に精を出す支那のような感じですね(良い意味で−笑)。

それは悪かったですね。ただ、右翼の言動を見ていると無性に腹が立って、どうしても乱暴な語彙が多くなります。ただし、あくまで良識的なものでありえばいいのです。その良識的というのは一般的な道義や道徳に反しないこと。このブログで強調しているのが、大日本帝国・日本軍の数々の所業や侵略・戦争加害を否定したり、矮小化したり、当時の日本政府の責任を連合国に押し付けたり軽減させたりするような思考態度をとらないこと。その上で現代の世代として先の大戦をはじめとする大日本帝国の侵略・戦争加害の問題を真摯に反省し、世界平和にたって行動するということがこのブログで強調する"良識的"というものです。
「右翼討伐人」さんはある記事で、東中野修道氏を「歴史修正主義者」と罵倒し、「名誉毀損で(?)訴える」事を容認しておられます。
しかし、別の記事の「政治的発言、被爆者は自粛を−平和推進協の要請に波紋」のニュースでは、言論の自由の侵害だ、と訴えられておられます。
東中野修道氏の学術研究に対し、学問の自由および言論の自由を否定しようとしながら、後者に対しては言論の自由だと怒ってみせる。
これは、ダブルスタンダードではないでしょうか?

いえ、別にダブルスタンダードではありません。たとえば、レイプ被害者がいるとしまして、レイプ被害者を嘘だと公に報じた報道機関(新聞社、マスコミ、雑誌出版業界などを含む)があるとしましょう。レイプ被害者というのは悲惨なもので、事実が知られると周りから白く見られて偏見されて社会から疎外されるケースがほとんどです。そのような被害者が勇気をもって警察に告発していたとしても、もし彼女がレイプ被害者ではないという風に報じた報道機関があったとします。そのような報道機関に対してそのレイプ被害者が名誉毀損で訴えるのがおかしいとあなたは言っているのです。夏淑琴さんが東中野修道を訴えましたが、それは東中野が彼女を偽被害者呼ばわりしたためです。彼女が東中野を名誉毀損で訴えるのはレイプ被害者の件と同様に正当です。このような報道権力および歴史歪曲主義者・右翼によるセカンドレイプ言動に対して被害者が名誉毀損で訴えでるというのは当然の行為だと思います。被爆者については名誉毀損云々は関係ありません。大日本帝国の被害者・犠牲者であるといえます。憲法9条改正などの反動化が進む中、実際の惨劇を身に受けた被爆者被害者らの意見を聞いて取り入れるというのは現代の世代の当然の義務です。彼らに政治的言動を長崎県という公権力が規制しようとするのは言論弾圧と見られて当然ではないでしょうか?
そういうことすらも考察に及ばず、ダブルスタンダードとはどういう頭をしているんでしょうかね?
あと、改行が少ない上に難解な文章で、何が言いたいのかわかりにくい。
主張の正しさ云々の以前の問題ですね。

それは悪かったですね。私は文章がうまくありませんので。最も右翼にとっては受け入れがたい事実が満載でありますから、難解に感じて苦痛なんでしょうけどね。

2006年03月24日

mumurブルドグ、アジアの真実および右翼サイトにおける慰安婦記述の妄言を斬る

【朝日新聞vsNHK問題】つらい目にあった慰安婦の証言を疑ってはならない
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50426914.htmlより
>「つらい経験をされた方の言葉について疑うのはあり得ないと思っている」と声を詰まらせた。

ある事実の主張について「信憑性に疑問がある」と言われたら、その疑問を解消すべく証拠を提示すべきなのであって、「被害者が言ってるのだから疑ってはいけない」という反論は0点です。

逆に言うと、従軍慰安婦を未だに主張してる人間というのは、「かわいそうだから」という根拠しかないということが明らかになっちゃいました。

mumurはNHKの永田君に聞きたいのだが、同志社大学の浅野健一センセーのセクハラは事実だと思いますか?
というか、聞くまでもなく、彼の主張に従うと自動的に事実だということになっちゃうわけだが。

mumurの馬鹿さには呆れてものがいえん。第一点は従軍慰安婦(日本軍性奴隷)被害者と浅野健一教授のセクハラ疑惑の問題と比べること自体が可笑しい。週刊文春が同志社大学の浅野健一教授のセクハラ疑惑を記事にしたというが、そもそも週刊文春自体の信憑性は傷物だ。週刊文春は名誉毀損で訴えられまくっているし、きちんと取材しているかどうかも怪しい。まず、第一に浅野健一教授にセクハラされた被害者自体の存在自体が怪しいのだ。しかし、従軍慰安婦被害者は実名を明かし、所在もはっきりして、数々の出版物、テレビ、公衆の前の演説等で証言していて、週刊文春の記事のような゛A゛という匿名の存在ではなくて、この地球上に存在するのが明らかだろうが。
第二点は従軍慰安婦被害者が証拠を出せといっても、実際のところは不可能に近い。証拠があったとしても日本政府なり、海外の米国や英国、オランダなど東京裁判やBC級戦犯裁判で原告になった連合国が保管しているだろう。未公開の資料も多く、慰安婦被害者自身が動いてもどうしようもないからだ。そもそも証拠となる文書は敗戦時の混乱で紛失したか、組織的に日本政府、日本軍の手で焼却されたものもたくさんある。日本政府という巨大な組織を相手にして、とてつもない労力を掛けて、自分の名誉と尊厳を回復するために戦わないといけない。必死の思いで名乗り出た彼女たちの気持ちがてめえに理解できないのか!?といいたい。別に日本軍性暴力の被害者に限らず、レイプされた女性が告訴等に路み切ることがどれだけ大変かわかっていない。実際のところはレイプされた女性が妊娠や身体的傷害を乗り越えられても、自分の意に反した性行為を強制されたされたということで自己否定に陥り、自傷行為や自殺未遂を繰り返したり男性恐怖症状に日夜悩まされることが多い。あまりの苦痛からその記憶を忘れようとします。レイプについてはまだまだ被害者に落ち度があるという見られがちであったり、レイプ被害者であることで周りから白い目で見られたり罵られたりするような社会の中で、その恥辱の事実を周りに知られたくないという中で隠そうとする被害者が多い。わざわざ70〜90という年齢になって人生の終盤も向かえ、余命幾ばくもない彼女にとって日本兵にレイプされ続けた恥辱の汚名を自ら偽って被ることにいったい何のメリットがあるのだろうか?金銭目的?名乗りでた従軍慰安婦被害者の方は実際には家庭もなく家もなく、もはや失うもののないほど何もなくなってしまった人たちが多いのだ。人生の終盤近くになり、このまま黙って死んでしまっていいのか、こんな辛い人生を送ったのは誰のせいか、『大日本帝国』のせいだ、あの国は国家犯罪である軍隊強制売春システムを隠蔽しようとしている、加害の歴史を美化しようとする歴史教科書がある、憎い、このような自分の体験した加害の事実をこの世の闇に葬りさることは日本国民のためにもならないなどと、名乗りでることを決意したことでしょう。私は他の大日本帝国侵略・戦争被害者もそうなんですが、とりわけ従軍慰安婦被害者が名乗りでて、日本政府に謝罪と補償を求めていく行為をこそ、評価に値すると思います。そんな勇気ある彼女たちを、「従軍慰安婦は強制ではなかった」「証拠を出せ、でないと出鱈目だ」と言うこと自体、正にセカンドレイプあることが気づかないほどすさんでいるのだろうか?

とあるコメント欄より
従軍慰安婦問題を仕掛けたのは日本人
http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/ianhu.html
「従軍慰安婦」問題(下)〜仕掛けられた情報戦争〜
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.htmlというものがあった。証拠はなかった。従軍慰安婦は日本人が作り出し、最初に仕掛けたものだとしている。しかし、本当にそうだったのだろうか?実はそうではない。

インドネシアにおける慰安婦調査報告
倉沢愛子
http://www.awf.or.jp/program/pdf/p089_105.pdfによれば、1959年4月3日付けのインドネシアの新聞(Mestika紙)には日本からの賠償支払いについての記事があって、日本からの賠償を本当に受け取る権利があるのは、日本の兵士たちの横暴の犠牲者になった人々であるとして、「聖戦を戦う手伝いのための売春婦として連れていかれた少女たち」のことに触れているそうだ。つまりインドネシアでも問題にされているようだ。ちなみに、提示された両サイトには戦時中あるいは終戦直後、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦から聴取したアメリカ軍の記録というのが題材にされているが、
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8536/slave.htmlより
 管理される側の慰安婦は、どんな状況の下に暮らしていたのか。

 連合国軍がビルマで捕虜にした経営者、朝鮮人慰安婦に尋問してまとめた報告(四四年)では、一カ月三百―千五百円の稼ぎを得て、五〇―六〇%は経営者の取り分だった。「都会では買い物も許された」という。
 一方で、慰安婦たちが厳しい条件、監視の下に置かれたことを示す文書もある。東京裁判に提出された証拠資料の中に、ボルネオ島の慰安所状況について、オランダ軍が作成した報告書があった。
 「日本人と以前から関係のあった婦人たちは、鉄条網の張りめぐらされたこれらの性慰安所に強制収容されました。彼女らは特別な許可を得た場合に限り、街に出ることができたのでした。慰安所をやめる許可は守備隊司令からもらわねばなりませんでした」(四六年七月)

ボルネオ島の慰安婦状況は悲惨だったようである。一部の状況のよかった慰安所の事例のみを証拠として持ち出して、慰安婦というのはこんなに待遇がよかったんだよという証拠として提示する右翼どもの浅はかさには呆れてものがいえない。

雲南ビルマ最前線における慰安婦、死者は語る
http://www.awf.or.jp/program/pdf/p061_088.pdf によれば玉砕の現場にまで慰安婦がいたという。日本軍はありとあらゆる地域・部隊に慰安所が設置されて慰安婦を送り込んでいた。玉砕の悲惨な戦場の超最前線にすら慰安婦が多数いて、玉砕からなんとか生き残った慰安婦女性たちが米軍の捕虜にされているという。本当に信じられない国だ。おそらく日本軍の部隊・進駐した地域のおそらく9割5分、ほとんどの地域に慰安婦がいて慰安所が存在したのだろう。まさにセックスアニマルぶりであり、ここまで巨大でそして悪質な軍隊強制売春システムを構築していた軍隊は古代から現在に至るまで存在しない。連合国の人間のなかににこのような巨大な軍隊強制売春システムを戦争犯罪として立件し、問題にしようとしていたことも明らかとなっている。
ちなみに多くの連合国、とりわけイギリスは強姦や女性を暴力的に拉致した場合には戦争犯罪であると認識していたがが、日本軍の慰安所制度(軍隊強制売春システム)そのものを戦争犯罪、性犯罪として考える観点はなかった。なぜならば、シンガポールやマラヤに多数のイギリス軍将兵がやってきたが、イギリス軍の中でも性病が広がったためだ。売春宿よりは、カフェやキャバレーが娼婦との接触の場になっており、強制的な性病検査を復活させようということをおこなった。詳しくは述べないが、管理売春システムはイギリス軍にも存在したのである。もちろん、日本軍との違いは、性病拡大を防止するほかに、地元女性に対する強姦の頻発という別の理由があることであり、軍自らが詐欺や暴力的な方法で女性集めをおこなうなどイギリス軍との違いははるかに大きかった。しかし、将兵のために性病管理の発想ではイギリス軍と日本軍も共通性があったというわけである。ところで、日本軍の強制売春システムを問題にしたという連合国の人間がいたという件だが、『裁かれた戦争犯罪 イギリスの対日戦犯裁判 林博史著 岩波書店』より引用したい。p277〜278より
 ところで戦争犯罪の捜査員のなかには日本軍の慰安婦制度を戦争犯罪と考えていた者がいないわけではなかった。イギリスではないが英連邦の一員であるオーストラリアの戦争犯罪捜査員に加わり東京で活動していたニュージランド人ジェイムズ・ゴッドウィン大尉はその1人だった*。
* James Mackay,Betrayal in High Places.この本はゴッドウィンが残した日記や捜査資料を基に彼の捜査員としての活動を記した本である。ゴッドウィンは1950年に捜査員をやめてマラヤ、ボルネオなどでイギリスの植民地の行政官を勤めた人物である。

 日本軍の捕虜になった経験を持ち日本語ができた彼は1947年8月より捜査員としての活動を始めた。彼はGHQの上層部より捜査を止められたケースとして天皇や731部隊のケースと並んで慰安婦問題があったという。「約25万人の女性が、公式に設置された数え切れないほどの慰安所(売春所)で、好色な日本帝国陸軍の欲求に(無報酬)で奉仕する売春を強要されていたといううわさ、いや証拠があった。これらの深刻な問題はわれわれのあいだで議論された。しかしアメリカの民主主義の建前にとって奇妙なことに、捜査に対する包括的な検閲と禁止が課せられた。私は自問している。一体なにが起きているのか。」(ibid.,p.177)
 ゴッドウィンは日本軍が占領したすべての地域で日本軍の「性奴隷産業」(ibid.,p.220)がおこなわれていたことを知っていた。そしてその捜査を抑えているのはマッカーサーとG2のウイロビーだと推測している。彼はいくつかの戦争犯罪を政治的な判断で裁かないという、「選択された正義」(ibid.,p.162)に強く反発していた。
 このことは連合軍の戦争犯罪捜査員のなかに日本軍の慰安婦制度を戦争犯罪と考えていた人たちがいたこと、GHQすなわち米軍が慰安婦制度自体の捜査を抑えていたことを示している。

というわけで、慰安婦制度そのものが、連合国内にすでに問題視する人がいました。それを米国の都合で731部隊、天皇の戦争責任の問題とともに葬ったわけです。すでに証拠自体はありますし、従軍慰安婦制度は何ら問題がないし、慰安婦の扱いは人道的でほめられるものだったと妄言を吐く、mumurをはじめ、
従軍慰安婦問題を仕掛けたのは日本人
http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/ianhu.html
「従軍慰安婦」問題(下)〜仕掛けられた情報戦争〜
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.htmlの両サイトをつくった人のお頭が問題になってくるでしょうね。証拠もなく、大日本帝国・日本軍のおこなったことは正しく、善行であり、何ら問題がなく責められるものではなく、むしろほめられるものだったとしているほうがよっぽど問題です。それが従軍慰安婦問題にもいえるわけです。戦犯裁判の時点で戦争犯罪にあがっていたほど悪質であり、非人道的な国家犯罪であったことは明白であり、証拠もなく、従軍慰安婦制度は問題なく、慰安婦被害者の発言はでたらめだとしている右翼の粕どもはほんとどうしようもない。私はとっとと頭を自発的に更正させてほしいのだが、最悪の場合、ドイツでナチスを美化したり、ホロコーストを否定するような言動が犯罪なように、日本でもそういう法律をつくって、歴史を歪曲する右翼どもを刑務所に収容して隔離して自身の罪深きセカンドレイプ思想を体でもって償ってほしいものだ。

ちょっと追記です。
・米国で行われた従軍慰安婦訴訟時の日本の主張とは 〜日本政府は歴史問題の真実追及に着手すべき〜
http://ameblo.jp/lancer1/entry-10010360896.html
アジアの真実というブログでも取り上げられていました。他のブログでも取り上げられているでしょう。ちなみに突っ込みどころは
日本の公式問題見解として認めてしまっているのが問題だと言っている。果たしてそうのか、すでにBC級戦犯裁判がおこなわれていた段階ですでに連合国の中に問題にする人間がいたということを知っているだろうか?女性を強制的に拉致して慰安婦として慰安所で働かされていたこと、ほとんどの地域・部隊で慰安婦に性奉仕させており、しかも超最前線である玉砕の現場にいたということ。それらの事実が日本軍の強制売春システムがすでに悪質であり人道上の人権侵害の極まりない戦争犯罪であることを示しているのだ。
正しくない、もしくは不確かな歴史見解を政府が保持してしまっていることが中韓との外交問題を引き起こす最大の原因にもなっているのです。

従軍慰安婦に関する問題は正しくない、不確かな歴史見解であるといえる。むしろ反対の意味で。日本の公式見解でさえ、従軍性奴隷制度が戦争犯罪であるという歴史的事実の前にはむしろ弱いくらいであるからだ。
 いつまでも逃げていては何も解決はしません。難しく長い道のりにはなるかもしれませんが、そろそろ日本は従軍慰安婦、強制連行、南京事件といった問題に対し、本格的に真実を追及することを始めたらどうでしょうか。それが長い目で見れば、中国や韓国との外交を正常な状態に修正することにもなるはずです。

めずらしく私と意見が一致した。いつまでも逃げていては解決しないのはその通り。ただし、本格的に真実を追及したら困るのは日本政府であり、何よりも右翼勢力である。真実といっても東京裁判やBC級戦犯裁判で原告をつとめた連合国の資料も参考にするといいだろう。想像以上の加害事実の大きさに目が飛び出すだろう。日本人の歴史認識、特に右翼の歴史認識の態度が改心するいい機会かもしれない。もちろん、長い目でみなくてもすぐにやって、事実を調査して公表すれば、日本の過去の悲惨な侵略・戦争加害事実が明らかになるし、突きつけられた戦争責任の前には改めて中国や韓国に謝罪し、歴史教科書などの国民の教育現場に還元することが求められるだろう。したがって中国や韓国との外交を正常な状態に戻すことができるわけだ。

2006年02月19日

ぼやきくっくりを斬る

ぼやきくっくり
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri/
というブログがある。

がんばれ麻生さん!がんばるな熊本市!
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri/index.php?eid=309
麻生マンセーの記事。知性が知れる。
くっきりさんの熊本市総連の件ですが、

■熊本市 「朝鮮会館の税金免除は違法」との高裁判決に対し上告(NNNニュース)

 熊本市の朝鮮会館に対する税金の免除をめぐる裁判で、熊本市は15日、「免除は違法」とした福岡高裁の判決を不服として、上告した。

 この裁判は、朝鮮総連(=在日本朝鮮人総連合会)熊本県本部が入っている朝鮮会館について、熊本市が固定資産税を免除しているのは違法だと、北朝鮮の拉致問題に取り組む「救う会熊本」が訴えているもの。一審の熊本地裁は、会館に公益性を認めて原告の訴えを退けたが、福岡高裁は今月、「朝鮮総連の活動は日本社会の利益のために行われていない」と、公益性を認めず、市に課税を命じる逆転判決を言い渡した。

 上告について、熊本市は「高裁判決は公益性の意味を狭く解釈している」と話している。

 一方、救う会熊本は「会館の閉鎖性は市民の多くが感じている。公益性を認めるのはおかしい」と、市を批判した。
[16日1時53分更新]


私もはじめてしりました。しかし、私なら熊本県GJといいたい。救う会という組織は拉致被害者を食い物にした右翼団体の一つであり、強制連行を否定する運動にも関わっているところ。
AMLの配信にこういうものがあった。反論になっているので掲載。市民運動の動きがこういう反動的な右傾化の動きに歯止めをかけたことを示すものである。

[AML 5860] 熊本朝鮮会館福岡高裁判決についてのお願い 

熊本朝鮮会館行政訴訟をめぐる福岡高裁判決について全国のみなさんへのお願


2月2日熊本朝鮮会館の固定資産税減免措置の取り消しを求めて「救う会熊
本」が起こした行政訴訟の控訴審判決で福岡高裁(中山弘幸裁判長)は一審
熊本地裁の減免措置を適法とする判決を否定し、減免措置を取り消す判決を
下しました。

この判決は「救う会熊本」など極右勢力が主張する内容に沿ったきわめて政
治的判断が先行した判決であり、在日朝鮮人だけでなく在日外国人総体の日
本社会での生活や生存権を脅かす偏狭な排外主義に貫かれたものと言わざる
を得ません。

一審熊本地裁は昨年、熊本朝鮮会館がその利用対象者、設備や利用実態、事
業内容などから見て公益性を備えており「公民館類似施設」に当たるとする
熊本市の決定は適法であるという判断を下しました。
 熊本朝鮮会館で日頃行われている活動は民族教育のための事業や日本人と同
 等の社会保障が受けられない在日朝鮮人の人権と生活を守るための活動、高
 齢者・障害者支援などの福祉活動、さらに国交がない状況下で日朝友好親善
 のための諸活動など多岐にわたっています。在日朝鮮人以外の利用も規則や
 運用上可能とされており、駐車場が狭くて車三台程度しか駐車できない点や、
 会館の老朽化の進行で一般の公民館のような利便性はなくとも、私たち熊本
 県民が会議などで利用することもあります。

しかし福岡高裁判決はこのような朝鮮会館の活動内容を検討の対象とはせず、
「減免措置の対象となる『公益性』は『わが国社会一般のために』と解する
べきことは文脈上からも、本件の対象が国内の固定資産であることからも当
然である」という偏狭な判断基準に基づき「総連の組織及び活動にかんする
事実から、総連は北朝鮮の指導のもと、北朝鮮と一体の関係にあり、北朝鮮
の国益や在日朝鮮人の私的利益を擁護するために活動している。その活動が
わが国社会一般の利益のために行われていないことは言うまでもない」とし、
「市長が特に必要と認める固定資産」には当たらないと結論づけたのです。

裁判所が作る判決文に「北朝鮮」なる国名が登場することがまず問題とされ
るべきですが、この裁判が「北朝鮮」国家そのものの是非を争う裁判でない
ことはもちろんのこと、「総連」とは在日本朝鮮人総聯合会のことを差すと
思われますが、「総連」が北朝鮮の国益や在日朝鮮人の「私的利益」を擁護
する活動を行っており、それが日本社会一般の利益と対立するという一方的
な結論の導き方はまさに北朝鮮バッシングを行う週刊誌以下的な認識を示す
ものです。金末幸委員長は「会館活動に公共性がないと言うことは私たちに
死ねと言うことと同じだ」と言われましたが、まさにそれほどひどい内容を
含んでいます。朝鮮総連がこれまで日朝友好親善に果たしてきた役割の評価、
在日朝鮮人の存在にたいする歴史的な認識も欠落し、ピョンヤン共同宣言の
実現に向けてともに進むべきパートナーであるという対象ではなく、まさに
「北朝鮮」の指導のもと日本の国益に逆らう活動を行う違法な存在であると
いう描き方をしています。これは悪辣な政治的判断にほかなりません。外国
人排斥という最悪の排外主義を助長し、国際人権規約にも抵触する内容と言
わざるを得ません。

 しかしこの判決の持つ法的拘束力は単に朝鮮総連傘下の在日朝鮮人だけに限
 定されたものではありません。最も近い存在として韓国民団の「韓国会館」
 があります。私は朝鮮会館だけでなく韓国会館にも良く伺いますが、活動内
 容はほぼ朝鮮会館の場合と同じといえます。もしこの判決が確定すれば、朝
 鮮会館と同じように韓国会館も固定資産税の減免措置は受けられなくなるの
 です。その他日本国内で民族的な活動のためにたてられた在日外国人のため
 の「公民館類似施設」のほとんどがこの判決の影響を受けることになります。
 韓国民団の関係者からもすぐに私のところへ電話で「日本の社会が怖くなり
 ました」という大変厳しい認識が示されました。私たちはこの言葉をとても
 重く受け止めなくてはいけません。

そこでこれからのことでみなさんにお願いがあります。今後最高裁へ上告す
るのかどうかが問題となりますが、「救う会熊本」と熊本市長の間での訴訟
ですので、熊本市長が上告するか否かにかかります。幸山政史市長は監査委
員会の勧告を拒否して非課税を継続したいきさつもあり、簡単にこの判決を
受け入れるとは思われませんが、右翼の街宣車が毎日市役所周辺を動き回っ
ているという情報もあります。

 この問題を憂慮する全国のみなさんから幸山政史熊本市長宛に、不当な判決
 を許さず上告して闘ってくれるように励ましのメッセージをメールやFAX
 で伝えていただけないでしょうか。上告審の重要な意義、アドバイスなどお
 書きいただければ幸いです。また福岡高裁中山裁判長への抗議のメッセージ
 もお願いします。
熊本では今週中に仲間たちと市長に申し入れに参ります。

熊本市長宛のメールは熊本市役所秘書課宛に hisho at city.kumamoto.lg.jp
FAX 096−351−2180
福岡高裁中山弘幸裁判長への抗議は福岡高裁民事第5部まで
FAX 092−781−3183


この問題については触れられるとおり、一方的に救う会の主張を鵜呑みにし、「総連の組織及び活動にかんする 事実から、総連は北朝鮮の指導のもと、北朝鮮と一体の関係にあり、北朝鮮 の国益や在日朝鮮人の私的利益を擁護するために活動している。その活動が わが国社会一般の利益のために行われていないことは言うまでもない」とし、「市長が特に必要と認める固定資産」には当たらないと一方的に結論づけた不当極まりないもの。この判決は深刻で、他の外国人の「公民館類似施設」がこの判決の影響を受けることになり、深刻危険極まりないもの。市民運動のおかげで、熊本県が上告してとりあえず安心しました。普通の人物であれば、救う会が熊本県に対して総連の施設に課税しないのはおかしいと訴えたという動き裏があり、在日朝鮮人に対する右翼勢力の妨害行為であることは考えれば分かるのですが、くっきりさんは他の右翼と同様、救う会の側を鵜呑みにし、異常なほどの総連憎し、在日朝鮮人蔑視のレイシズム的なバイアスがかかった見方をしていると思う。良識派の方々はこのAML配信の記事をみて、右傾化する動きに歯止めをかけて、北朝鮮・朝鮮総連憎しの一方的な世論の傾向に染まらないようにしていただきたい。

 もう一つは台湾と麻生についてであり、麻生をくっきりさんはほめ称えているが、そんな人物ではないことは言うまでもあるまい。一外相が大日本帝国の侵略・加害行為を正当化するということ自体をわかってはいない。大日本帝国は日清戦争の講和条約で不当に高い賠償金を奪いとって、台湾を割譲させて植民地化した。

『新しい歴史教科書』(扶桑社)を斬る14
「戦前日本は台湾で何をやったのか」のその2
http://kyoukasyonet.fc2web.com/kiru14.htmlより
その植民地化による抵抗運動鎮圧の過程で、2例をあげれば

台湾植民地戦争の第二期
(平野部で農業を営む中国系住民を対象とする、"糖業帝国主義"的統治体制の確立過程)
第二期は台湾人民のゲリラ的抵抗を鎮圧する植民地戦争に移行し、だいたい日露戦争前の1903年までつづく。
この時期につまりゲリラ的抵抗鎮圧戦争における殺害総数として、後藤新平民政長官の報告として、10950人という数字が挙げられているが、これも正確なところは分からない。『後藤新平』第二巻によると1897年から1901年までに死刑や殺戮した数は、11946人にのぼる。
「雲林の虐殺」は不明
しかし、上の数字は1896年4月から12月までの数字が抜けている。実はその間のはげしいゲリラ的抵抗の鎮圧における、中国人殺害者数が不明となっている。国際問題にまでなったのが、1896年6月の雲林支庁の斗六周辺の虐殺事件であった。台湾警察の正史である『台湾総督府警察沿革誌』IIに、
「後民戸の兵燹(へいせん:戦争のためにおこる火事)に罹(かか)りしものを調査せるに斗六街に於て三百九十六戸を首(はじ)めとして、付近村庄五十五庄三千八百九十九戸に及び土民殺載の数の如きは審(つまびらか)にすべからざりき。」
とあり、一般住民もゲリラもすべて一まとめにして殺戮(さつりく)し、民家に放火し、その犠牲者数不明という、大惨劇を演じた。
この「第一次の討伐は、世上(せじょう:世間)所謂(いわゆる)雲林の虐殺と伝えられ、深く地方民の怨恨を買いたるを以て」、しかも中国で漢字紙・英字紙などにより報道されたので、天皇が罹災民に見舞の金を賜い、総督府も救恤(きゅうじゅつ)金を支出するなど慰撫策を講じ、かつ責任者を処罰した。しかし、その犠牲者数は不明のままである。



台湾植民地戦争の第三期("樟脳帝国主義"的支配体制確立期)
以下は、『日本植民地探訪』(大江志乃夫著,新潮選書,1998)
の文章をそのまま引用する。(・・・は省略したところ)

・・・日露戦争が終わったとき、山地先住民つまり「高砂(たかさご)族」にたいする制圧はまだほとんど手がつけられていなかった。かつて台湾の中国系農民にたいする支配が「糖業帝国主義」と呼ばれたことがあったが、私はこれにちなんで、山地先住民にたいする制圧作戦をかって「樟脳(しょうのう)帝国主義」と名付けた。石炭化学工業の発達によるナフタリンの生産まで、台湾特産の天然樟脳は、防虫剤・医薬品のカンフル、セルロイドやフィルムの原料として世界的独占商品であった。良質の樟脳は樹齢五〇年以上の芳樟(台湾のみに生育)の根から採取されるため、樹齢の大きい芳樟を求めて次第に山深くに入らねばならなくなり、必然的に山地先住民の生活領域を犯し、あるいは樟脳採取者(脳丁と呼ぶ)と山地先住民との衝突・流血沙汰も頻発するようになった。しかも、一八九八年に樟脳は総督府の専売商品として盛んに輸出されていた。樟脳を手に入れつづけるためにも、山地先住民の制圧は不可避とされた。

(略)

塩を絶ち死に追い込む残酷な戦術
・・・総督府は、樟脳を手に入れるために、「熟蕃」でさえもが反乱せざるをえないような窮地に追いこむことを辞さなかったのであるから、「生蕃」に対してはどのような残酷な手段もはばからなかった。
一九〇四年(明治三十七)の鳳紗山方面の隘勇線(いつゆうせん)圧縮作戦は、まさに残酷な作戦であった。宜蘭庁のパリシャ管内では、前年、製脳地保護の目的から隘勇線を開設したが、「今年になって、多大の製脳を増したところ、たちまち原料が欠乏した」ので、隘勇線を圧縮し、「生蕃」を生存に必要な物資の入手が不可能な奥地の高山に追いあげ、その生活の道を絶ったのである。こうした仮借なき隘勇線の圧縮は、一九〇八年(明治四十一)のタイヤル族中の南澳族に対する海岸線からの隘勇線の推進が、「彼等が生命とも頼む食塩が、自分の海岸で得らるる」という基本的な生存条件の意図的な破壊を目的として行われたことからも、その非人間的な残酷さを知ることができる。
一九〇九年(明治四十二)、時の総督陸軍大将佐久間左馬太は、五か年計画で、軍隊を投入しての大討伐を行い、隘勇線を前進させて包囲の鉄環をちぢめ、「生蕃」を標高三〇〇〇メートル以上の高山がつらなる台湾脊梁山系に追いあげ、追いつめ、糧道を絶って、降伏か餓死かの二者選択を迫るという大作戦を開始した。五年目の一九一四年(大正三)、当時の台湾守備隊の兵力の大部分を投入して西側から脊梁山系を越えさせ、東海岸から警察隊を進撃させ、最後の包囲網圧縮を行い、五か年計画を終了させたのであった。
こうして、台湾植民地戦争は第三期の最終段階を終った。この間の山地系住民の餓死させられあるいは殺害された人命の被害「傭役」された中国系の隘勇や巡査補の死傷についての具体的な資料の存在を私は知らない。
・・・しかし、そこでは、アメリカ合衆国における白人の「インディアン狩り」、オーストラリアとくにタスマニア島における白人の「アボリジニ狩り」に劣らぬ、残酷な「人間狩り」が日本人の手でおこなわれたのであった。とくに塩を絶つ作戦はタスマニアでおこなわれた前例があり、日本はそれから学んだのではないかとさえ思われる。


樟脳は台湾総督府の専売商品だった。本来なら、服従を拒む地域・部族については無理に支配に組み込まずに、自然においておくのが人道たるやり方だが、ことあろうに樟脳を供給し続けるために、大日本帝国は前代未聞の先住民大量殺戮をやってのけたのである。アイヌだけではない。台湾でもだ。くっきりさんも糞麻生氏もこいった台湾における大日本帝国の殺戮の歴史を知らないでいる。右翼としてではなく、日本人として恥ずかしいと思わないのか?そういう神経がすごいと思う。

■2/11付朝日社説:麻生発言 外交がとても心配だ
 (朝日社説のリンクは1週間で消えてしまうので、例によってmumurブルログさんに貼らせてもらってます<(_ _)>)

 かつて日本は朝鮮半島や台湾を植民地にした。しかし、それは必ずしも悪いことではなかった。麻生外相はそう言いたくて仕方がないかのようだ。

 先週末、福岡市での講演で、日本が戦後のアジア各国の発展を支えたと説くなかでこう述べた。

 「日清戦争のころ、台湾という国を日本に帰属することになった時に、日本が最初にやったのは義務教育です。貧しい台湾の人々が子どもを学校にやったらカネをやるという大英断を下した」

 「結果として、ものすごく教育水準があがって識字率が向上した。おかげで、台湾という国は極めて教育水準が高い国であるがゆえに、今の時代に追いつけている」


に対する反論として

・植民地時代に教育水準向上 麻生外相、台湾に触れ

 麻生太郎外相は4日午後、福岡市で講演し、日本が植民地支配下の台湾の義務教育に力を入れたと指摘した上で「台湾はものすごく教育水準が上がって識字率などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるがゆえに、今の時代に追いつけている」と述べた。
 日本と関係の深い地域として台湾に言及する中での発言。
 麻生氏は「これは台湾の偉い方から教えてもらった話で、年配者は全員知っていた。われわれの先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直その時思った」と述べた。
 また、当時の日本の政策について「最初にやったのは義務教育。(台湾の家族が)子どもを学校に出したら1日の日当を払う大英断を下した」と強調した。
(共同通信) - 2月4日20時21分更新


をあげているが、糞麻生がほんとうに台湾を訪れて、年配層に話を聞いたのかという事柄に対して何の疑いもなく盲目的に信じている。私なら百歩譲って本当だとしても、台湾の親日派であり、先の取り上げた討伐過程における先住民の大量虐殺や霧社事件などの事件を知らずして、台湾で教育を行ったという一面を取り上げて、日本の植民地支配を賛美するなどして一外相がしてはならないことが分からないらしい。後、台湾の声というとんでもない日本極右の声を取り上げているが、このくっきりさんはどうかしていると思う次第である。


麻生外相とはこんな人物
今日のおコトバ 麻生太郎
http://tadanorih.hp.infoseek.co.jp/okotoba/okotoba07.htmより
麻生太郎 自民党政調会長(当時)
「創氏改名は、朝鮮の人たちが『名字をくれ』と言ったのがそもそもの始まりだ」
2003年東大五月祭講演会での発言

結局、麻生太郎は「学生にわかりやすく説明しようとして言葉が足りなくなり、真意が伝わらなかった」とお茶を濁して“陳謝”した。なんとも情ない話だ。麻生の口にしまりがないのは有名で、かの『アサヒ芸能』にすら、「『ちゃんと根回しをしないでやるのは前戯もなくいきなり×れてしまうようなもの』など発言が下品すぎてテレビで肉声を流せない」と書かれるほどらしい。
こんな品性下劣な殿方の素性を調べてみると、なんと筑豊を牛耳る麻生財閥の御曹司。吉田茂の孫・三笠宮寛仁親王妃信子の兄、学習院大学政経学部卒業、米スタンフォード大学大学院留学、英ロンドン大学大学院留学、という金持ちの××息子用ゴールデン・コース。麻生財閥は戦前に炭坑・銀行・電力・病院までを傘下においた大財閥で、現在でもセメント事業を中心に建設・人材派遣業など80社をひきいる麻生グループを形成。麻生財閥が所有していた飯塚炭坑で、強制連行してきた朝鮮人労働者を酷使・虐待していたのは地元では有名な話。そんな「原罪」を知ってか知らずか、「日本会議国会議員懇談会」会長として、教育基本法改悪や靖国神社公式参拝の旗を振ってきた張本人なのだから、麻生の「真意」など言わずとも知れている。
ところがそれ以上に興味深いのが、麻生発言が話題になった6月6日の自民党総務会。その場で奥野誠亮元法相(90歳!)らが「日本と同じ処遇をしようとしたもので強制ではなかった」と麻生に同調したという事実だ。麻生と同じく奥野も妄言専門政治家として有名だが、創氏改名についてはかつて「日本国になり日本人になったんだから、日本人と同じようにしたければさせてあげようということで、日本流の「氏」を使い、名を使うなら申請すればそのようにしてあげましょう、としたんです」(『月刊国会ニュース』95年4月号)と放言している大先輩。大正2年生まれの奥野は、朝鮮統治を担った旧内務省官僚で、どうやら当時の「内鮮一体」という虚構の金看板を棺桶まで持ち込みたいようだ。麻生をかばうのも、同類相憐れむの心情だろう。
怒ったソウル大学の学生たちが、「麻生先生、ぜひ私たちの大学で講演してください」と“招請状”を送ったそうだ。麻生もいまこそ「大和魂」を発揮して、「真意」なるものをソウルで熱く語ればよかろう。 


創始改名については
http://www10.ocn.ne.jp/~war/sousi.htmを読んでください。
例をあげれば、

1.「親日地主」の自殺に纏わるエピソード

宇垣一成・朝鮮総督の秘書だった鎌田沢一郎氏の「朝鮮新話」(創元社、1950年)は、植民地朝鮮に於ける歴代総督在任中の施政について論評を加えています。鎌田氏の論調は宇垣以外に対してはあまり好意的ではなく、とりわけ7代目総督の南次郎に対しては辛辣に批判しています。

南次郎が朝鮮総督に就任した1936年は日本が大陸での泥沼の戦争に突入する前年でした。これ以降朝鮮人に対して過大な戦争協力が求められ、また「皇民化」政策が推進され、激しい圧迫となって朝鮮人を苦しめました。これは南自身の失政というよりもこの時代の趨勢と言えますが、鎌田氏は様々な「悲喜劇」を交えて南総督時代の施政を批判しています。その中に「創氏改名」に関する興味深いエピソードがありますので引用します。

(略)
内鮮一体のスローガン実施に当つて、もつとも大きい失政は、世に有名なる創氏と国語常用の問題だ。即ち朝鮮人に日本の姓を与え、加藤清正とか石川五右衛門とか名乗らせることだ。名は体を現はすことなるが故に、日本名を名乗らせて、その中味をも、完全な日本人にしようといふことであつた。

もつともそのころは、日華事変から太平洋戦争へ引きつづく重大時期で、国家意識は昂揚され、軍国主義が高調される段階であつて、朝鮮人の中にも、創氏改名を希望する者も相当あつた。そのころ著者が外遊中に於ても、欧州やアメリカで滞在する朝鮮人、中国人の多くは、大抵日本名を名乗り、日本人と称してゐた。ホテルレジスターなどで、意外な日本名が記録されてゐることを発見することなどしばしばであつたのだ。

然るに南はそれを全鮮に強制した。各地にいろいろの悲喜劇が発生した。裁判所などで終日被告控室で待ち続け遂に呼出しがない。しかるに判決は欠席裁判で有罪となつて居る。段々聞けば裁判所は創氏の日本名で呼ぶのだが、本来その名は自分が改名したものでなくて、面長や駐在所の巡査などが勝手に改めて、夫々登録されたものであるから、本人は全く知らなかつたり、又うつかり忘れて了ふところから起きる喜劇であつた。

悲劇は至るところで発生し、それが猛烈な反日思想に発展し、対日非協力の地下運動になつて行つた。その一例に全羅北道高敞郡に薜鎭永といふ中地主の奮家があつた。主人は実に真面目な愛国者で戦争が段々と進んで軍糧米が次第に不足になつて来たころ、自家の一年分の小作米全部二千石を献納して、朝鮮軍司令部をあつと驚かせた。一年分の小作米収入がなくとも、どうやら税金と小使銭は若干の貯金で賄へるから、お国の為になつて真裸身になつて御奉公したいといふ奇特な申出であつたのだ。

その特志家の家へも、御多分に洩れずに、ぜひ創氏改名せよと面長や郡守から強制して来た。しかしこればかりは許して貰ひたいといつてどうしても肯かない。それは挑戦の大家族主義は系譜を非常に尊重する。特にこの薜鎭永の家は奮家としての誇りがあつて、祖父から系譜を大切にせよ、名を汚すなと言はれてゐた。だから整然たる系譜をもつこの家名だけは残しておきたいから諒承を乞ふ、決して反日感情のためではない。愛国者として人後に落ちないことはすでに皆さん御承知の通りなのですと、実に筋道の通つた話なのだ。

ところがこの薜家が改名しなければ、その附近の村落全部に於て一人として改名するものがない。焦つた當局はその愛児の通ふ小学校の教員を動員して、創氏しなければ学校の進級をとめるぞと脅迫したものだ。子供は泣く泣く帰宅して、之を父に訴へぜひ創氏して欲しい、それでなければ学校へゆけないとせがまれて、薜鎭永氏は子供可愛さに遂に決心し、翌日面事務所へ行つて、創氏改名の手続きを完全に済ませ、学校へも届けて子供を喜ばせた上、その翌日、石を抱いて井戸に沈み祖先への申譚を死によつて果したのであつた。

その話を著者にした全北知事の孫永穆は、両眼から涙をぽたぽた落とし乍ら、非圧迫民族の悲痛さを嘆いたが、彼は最後まで創氏改名をしなかつた。慶北知事の金大羽もさうであつた。


糞麻生は創始改名が朝鮮人自身の意思であり、日本へ頼み込んだという風に妄言を吐いたが、どうして死者が出る事態にまで発展したのか分かっているのかといいたい。当時の朝鮮植民地統治の非人道性を示すものである。創始改名に対する朝鮮人の抵抗はすごく、井戸に飛び込み、死をもって先祖に償うほど朝鮮人にとっては屈辱的だったのである。こういう事実について学習しないくっきりさんと糞麻生には日本人の資格はないとこの記事を締めくくろう。

2006年02月17日

このコーナーの紹介 mumurブルログーーー典型的な馬鹿ブログ右翼を殴り倒してみる。

このコーナーではカテゴリー名の通り、私がネットサーフィンで右翼サイト・ブログ、あるいは右翼的記述を発見し、ここで殴り倒すコーナーです。まず、血祭りにあげるのは、

mumurブルログ
http://blog.livedoor.jp/mumur/
ここの管理人は重症な病気です。

「在日の強制連行は嘘」 朴一教授渋々認めるも、反省の言葉無し
民潭新聞
朴一教授招き在日理解講座 箕面市国際交流協 2006-02-15
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50376895.html

タイトルのつけ方が恣意的ですね。在日強制連行が嘘ではなく、在日がすべて強制連行でいるわけではないということだけです。もちろん、自発的に来た人や戦後、済州島の虐殺など朝鮮戦争前後の混乱から日本へ来た人もそれなりにいます。しかし、本当に自発的に来た人は少なく、背景には土地収奪、米の強制供出、大日本帝国の政策の失敗によってもたらされた貧困に起因してやむ負えなく来た人が多いわけです。真の”自発”という意味で来た人は数%もいないでしょう。そういう在日韓国・朝鮮人がいる暗い歴史背景を知らずに、恥ずかしいと思いません?
土地収奪という点であれば、ノンポリ氏の資料が詳しいですね。
http://www10.ocn.ne.jp/~war/buyaku.htm
反骨の士である“耕堂”中野正剛は、著作「我が観たる満鮮」(大正四年五月二十八日 政教社)にて、「夫役」の実態をレポートしています。

(略)


而して此道路を開くには、人民の土地を没収し、人民に負役を課せざる可ならず、其困難は警務部長が机上に鉛筆を弄して、直線道路を書くの比に非ざるなり。然れども斯の如き人民の怨嗟は毫も上に達せられず、且又人民の為に苦痛を訴えんとする新聞紙もなし。是に於てか警務部長は軍隊的に其成績を報告して曰く、大田より公州に向ひて直線道路を開く、一路坦々軍隊の通過に対しては、別して便利を興ふと。総督は遂に此れ以上の報告を得る能はず。

大田にて憲兵専制の実例を目撃せし余は、世人の憲兵に対する怨嗟の、決して偶然ならざるを感じたり。然れども更に南下して江景に到り、諸種の事情を見聞するに及びて、余が曩に(さきに)大田にて目撃せしが如き事例は、此地方一円に行はるる尋常茶飯事なるを知り、喫驚禁ずる能はざるに至れり。


人民を強制労働させて、道路をつくるために土地を奪い、このような暴虐に日帝支配下の朝鮮人民はさらされていたわけです。mumur氏はもっと歴史を学習しなさい。アホ右翼のくせに。

再確認しておくけど、朝鮮総連・民潭等の民族団体や朝日新聞等の左派系マスコミは「我々在日は強制連行されて仕方なく日本に住んでいる」と主張し、それを報道してきた。その主張は長年信じられ、在日が日本人を黙らせるカードとして利用されてきた。
また、文化人・言論人・ジャーナリスト等の所謂知識人は「日本の悪行」の具体例として挙げてきた。
その主張には限定はなく、あたかも全ての在日は強制連行の被害者であるというイメージが作られていった。

 しかし、インターネットの普及によりマスコミによる情報統制は有名無実化し、これまで朝鮮人・韓国人が作り上げてきた嘘が全て暴かれるようになった。
すると、朝鮮総連・民潭やマスコミは強制連行「等」と密かに逃げ道を用意し始めた。

ここで、朴一は一歩踏み込み、在日強制連行説を否定した。
この意義は大きい。

しかし、これで許してはダメ。
しっかりとケジメをつけさせることが大事。
ケジメをつけないということは、今後も「大きい声で嘘をついた奴が勝ち」という嫌な風潮を残すことになる。朝鮮半島ではそういう風潮でもかまわないが、ここは日本。しっかりと追及するべき。


管理人は馬鹿ですね。>朴教授は、在日のすべてが強制連行ではないとしながらも
としているではないですか。在日強制連行説を否定したわけではありません。何回も言うように。そもそも、在日韓国・朝鮮人のすべてが(狭義の)強制連行に起因するものではないというのは前々から知られている話です。何を許すだって?しっかりとケジメをつけるのはお前だって mumurさん。
ちなみに 『悲しみの島 サハリン 戦後責任の背景』角田房子 新潮社のp30〜31より引用すれば、

 
 1937年(昭和12年)に始まった日中戦争の長期化と、1941年(昭和16年)からの"大東亜戦争"のため日本の男性の多くが兵役に服し、労働力不足は深刻な問題となった。この対策として日本政府は朝鮮人労働力を確保する措置を講じ、それは次第に強化された。1941年6月に朝鮮総督府内に朝鮮労務協会が作られ、総督府と協会が一体となって、事実上の強制連行がだんだんと増していった。
 国家総動員体制の下で、日本内地では1939年(昭和14年)7月から"徴用令"が適用されたが、朝鮮に対しては民族的反発や抵抗をおそれて控えられていた。だが戦局は悪化の一途をたどり、終に1944年(昭和19年)9月には朝鮮にも"徴用令"が適用され、法の強制で朝鮮人の強制連行が行われることになった。これに対する朝鮮人の抵抗が各地で激化したことは、当時の帝国議会の説明資料にも現れている。
 しかし、"徴用令"の適用によって、連行の強制力が急に増したわけではない。それまでに用いられていた"募集"や"官斡旋"も名称が違うだけで、それを拒むことは不可能の場合が多かったという。これは時期や地域によっても差があった。私が話を聞いた人々の中には、"徴用令"適用の一年も二年も前に連行されているのに、「適用で連れてこられた」と答えた人がかなりある。朝鮮労務協会や警察の末端では適用前から"徴用"という言葉を口にして、絶対命令であることを示していたのではないだろうか。
 "募集""官斡旋""徴用令"によって、どれほどの朝鮮人が連行され、日本の戦争に協力を強いられたのか。それを正確に知る資料がないのは戦争末期の混乱や資料の処分、散逸のためであろうが、朝鮮半島全体で動員計画数約90万、実際の動員数70万以上というのが最低限の数字だといわれている。


というわけで、強制連行というのは、"徴用令"が適用される前から幅広く行われていたことであり、否定することはできません。ちなみに前掲書はサハリンの残留韓国人の戦後の苦境や40年以上も故郷に残した家族と引き裂かれた人々の悲劇を角田房子氏が取材したもので、畑仕事をしているとき、巡査に拉致されサハリンまで連れて行かれたという韓国人の証言もたくさんでてきます。ぜひ読んでください。

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