私に関するブログ記事を検索してひっかかったブログ記事の一つ
憂国列記
http://blogs.yahoo.co.jp/sakusikahosokawaコメントもあまりついてないので小物だと思います。ちなみに本人は
自分の考え
http://blogs.yahoo.co.jp/sakusikahosokawa/470635.htmlにて
基本的に自分は中道派だと思います。時に左翼的な考えも出れば右翼的な考えだと思います。
けれど支那、朝鮮辺りには右翼的な考えがほとんどです。どこかの国で言うバランサーです(笑)
自称中道派だといってますが私からすれば完璧な糞ネット右翼です。支那という日本軍が中国大陸を蹂躙した際の合言葉である【暴支膺懲】を彷彿とさせる気持の悪い蔑称を平然と使用できる神経が私には信じられないのですが。そもそも大日本帝国の侵略・戦争加害問題を考える上で中国と朝鮮半島というのは欠かせないもので、最も大きな苦痛を味わったのが中国や朝鮮半島の民衆です。彼らに対して右翼的な考えしかでないということ自体、典型的な糞右翼なのです。
5 先の日本の大戦をどう思うか。
勿論、戦争ですから。失うものが大きいでしょう。
ただ、その当時の状況や日本が与えた影響を考慮する必要があります。
先の支那や亜細亜との戦争は侵略戦争と自分は位置付けます。それは美化しません。
いくら、現地の住民が喜んだとしても、近代化に協力したとしても、
明らかに日本側の過失ではあります。
サヨクと違うのは全てを否定しないこと。肯定できる部分は肯定します。
亜細亜諸国の独立運動の先駆けとなったのは事実です。
白人による劣等感に悩まされていた亜細亜人に希望を持たせたのも事実です。
後は日本側の補償。これはもう支那側は放棄しているので問題にしません。
韓国ともキッチリと補償済みです。
国際常識とはそんな物です。後はうだうだ言わないのが最低限のマナー。
勿論、反省を忘れるなという事ではありません。が、いちいち掘り起して
謝罪を求めるものでもない。ここら辺が自分を中道と位置付けている理由です。
この文言だけでも右翼ですね。もちろん、侵略戦争であることだけは定義づけていることはほめたいと言う気もしますが、読んでいると全然本人からそういう感じが感じ取れないです。侵略戦争であると定義づけていることとブログの内容が一致しません。肯定できる部分は肯定するというだけでも典型的な右翼だし、日本人からすれば先の大戦において大日本帝国は絶対悪でしかない存在でしかなくてはなりません。犠牲になって死んでいった幾多のアジアの人々、拷問や強制労働、従軍慰安婦の苦痛を味わった被害者のこと考えるだけでもそのように考えることはできないのが普通の心をもった人間です。アジア人に希望をもたせたのは大日本帝国ではありません。大日本帝国・日本軍における旧植民地の百数十年を超える過酷な圧政と戦い耐え忍んだ中で希望を見出し、日本の敗戦とともに花開いたというだけの話です。それを大日本帝国のおかげだというのは笑止千万。大日本帝国・日本軍によって殺さたり傷つけられたり苦痛を味わった数千万人のアジアの民に対して失礼だと思わないのでしょうか?過去の大日本帝国の侵略・戦争加害責任を正当に認識していれば、『肯定できる部分は肯定します。』『亜細亜諸国の独立運動の先駆けとなったのは事実です。』などという妄言ははけないはずです。後、補償に関する問題ですが、仮に補償が解決されたと考えても、あなたは先の大戦を侵略戦争だと定義づけているのであれば、それに代わる侵略・戦争加害で犠牲になった犠牲者・被害者たちに対する誠意のある贖罪感情を持って、現代の世代としての反省の念の気持をもっているのでしょうか?それにかわることやそれにかわる全うな良識的精神をきづきあげているのでしょうか?長くなるのでここまでにしておきますが、あなたのような人間に中道派などと名乗る資格はありません。もっと、真摯に侵略・戦争加害の問題を考え、日本軍による残虐行為によって犠牲になったやられた犠牲者の痛みを理解し、反省を踏まえた上で、かって迷惑をかけた国々の人達と、どのように友好をきづきあげていくかという良識的な思考になるように心がける。それができないならば、ネットから一切の手を引いて、右翼的な記述を社会や公共の場面に出さないでください。大日本帝国の侵略・戦争加害によって犠牲になった幾多の民衆に対して失礼です。
私に関するブログ記事も斬っておこう。
右翼討伐だか知らんが
http://blogs.yahoo.co.jp/sakusikahosokawa/1247530.html もう名前からして左翼のイデオロギー的な匂いがぷんぷんしてきて、唾でも吐きたくなるような感じがします。この手の人に多いのは人の話を聞かずに、自分の意見のみが正しいという自己主張が強いんですよね。
自分が一番気に入らないのは、右翼を完全否定してしまっているところ。自分は出来ることなら真正左翼の人達とも手を取り冷静な議論をしていきたいと思っています。しかしこういうエセ左翼の面被った奴等が闊歩しているようではまだまだ左翼側の汚点はぬぐえないでしょう。
で、まぁ眺めていたところ「南京事件」が出てきましたので、綴りたいと思います。
なんか都合の悪い記述に対しては『左翼のイデオロギー的な匂いがぷんぷんする』とか言って提起されている問題に対して真っ当に考えるのを避けるという典型的な右翼のパターンですね。私は自分の意見のみが正しいとは思わないですし、自己主張も控えてます。もっともこの記事では東中野修道を讃えてますけどね。
東中野修道氏は南京事件を「今の時点では」否定しています。
それは客観的な証拠に基づき冷静な判断をした結果その結論に辿り着いたのだと思います。
修道氏は著書「南京事件証拠写真を検証する」でも分かるとおりかなりの年月をかけ、細心の注意を払い南京事件の証拠として出された写真を一枚、一枚検証していった良心的な人物です。「たかじんのそこまで言って委員会」にも出演していましたがゲスト等の質問に非常に丁寧な答えを出していました。その番組の中でも言っていますが、
「あるものは証拠が出てきますが、ないものは証拠は出てこない」(というような趣旨の発言
正確には覚えていませんが)
という事を仰っていました。思わず「その通りだ」と思いましたね。
修道氏は別に有ったか無かったかということには深く言及していません。その証言が正しいか、提示された証拠が正しいか、という事を検証しているだけです。
序文に「今の時点では」否定していると書きました。もし南京事件の「有力な証拠」が出れば修道氏も直ぐに検証してあった派に行くと思います。けれど、「有力な証拠」も無く真実味に欠ける証言ばかりで修道氏はあえて「なかった」と結論付けたのだと思います。
引用部分には分かるとおり修道氏の疑問に対して全く持って答えられていない。
人間ですから。修道氏のように疑問を提示する人がいておかしくありません。
だから日本にも、「あった派」と「ない派」が存在するのです。
笑わせないでくれ。なにが『東中野修道氏は南京事件を「今の時点では」否定しています。それは
客観的な証拠に基づき冷静な判断をした結果その結論に辿り着いたのだと思います。』
東中野修道はでたらめの塊だ。恣意的な証拠どころかいろいろと資料を改ざんし、歪曲した判断に基づき、捏造した結論をでっちあげただろうが。
東中野修道のでたらめぶりはあきらかだ。てめえはネット検索もできないのか?ちなみにそのでたらめぶりを検証した中ですばらしいサイトがある。南京事件やそれに付随する中国における日本軍の所業一般を取り扱っている豊富な資料が満載のサイトがある。
南京事件 小さな資料集
http://www.geocities.jp/yu77799/である。
ちなみに
東中野氏の徹底検証 1
はじめに
http://www.geocities.jp/yu77799/higasinakano0.htmlより
一般的に、「歴史書」は、いろいろな「資料」を一定のストーリー(あるいは「史観」)に沿って再構成し、事件の実像を描く、というスタイルで書かれていると思います。「南京事件」についての、洞氏、秦氏、吉田氏、笠原氏、藤原氏の概説書(と限らず、いわゆる「歴史書」一般)は、すべてこのスタイルです。
当然のことですが、「資料」の意味を捻じ曲げて引用したり、「資料」から演繹的に読み取れること以外のことを勝手に付け加えたり、「ストーリー」と明らかに対立するデータを無視したり、意図して公正を欠く記述を行うことは、「禁止事項」です。これでは「歴史書」ではなく「歴史小説」になってしまいます。
ところが東中野氏のこの本は、捻じ曲げ引用、勝手な解釈、対立データの無視、一方的な記述―「禁止事項」のオンパレードでした。いやはや、ここまでいいかげんな本だったとは・・・。
だそうです。
その著書「南京事件証拠写真を検証する」のでたらめぶりは
南京大虐殺と「証拠写真」
「南京事件『証拠写真』を検証する」を検証する
http://www11.ocn.ne.jp/~nbbk/143/index3.htmlおよび
「南京事件」143枚の写真
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/で確認できる。その東中野修道らの著作である「南京事件証拠写真を検証する」は捻じ曲げ引用、勝手な解釈、一方的記述などのでたらめのオンパレードであり、大部分が検証する値打ちすらないものばかりであることは明らかだ。東中野修道という人物そのものに疑問をもたないこと自体、中道派ではなく、糞右翼にすぎないことを典型的に示している事例である。
で、反論できなくなるとすぐに怒りを起こして損害賠償だのを持ち込む。
それを誰が信用するというのでしょうか。浅はかですよねぇ。
しかもそれを応援しようとしている愚かなブログがあるわけですよ。
さっきも言ったとおり修道氏は「無かった」と自称被害者の女性に言っているわけではありません。
「何故なのか?」と疑問を提示しているのです。自分が被害にあったと言うならば誰を問わずその状況を説明するのが第一課題と自分は考えます。それも出来ないで、謝罪も、賠償も、へったくれもありません。根拠も無いのは被害者の女性でしょうが。
第一、これは証言だけに頼り切ってしまっている。証言なんていくらでも出てきますよ。
それは例えば今、自分が「俺の爺さんは支那人の兵隊に殺されたんだ賠償しろ」と言って「何故なのか」
と返されて「否定するな!殺されたんだ!それを傷つけるとは!損害賠償だ!」と喚いてるようなものです。具体的な反論は何にもありませんね。あくまで証言者の感情論だけで流されている。
勿論、写真だって古い写真に少し加工を施し、いかにも支那人が爺さんを殺している様に見せかければ偽証拠の出来上がりです。そういう事例があるから修道氏のように真実を検証しようという人が出てくるのです。
頑なに否定しては議論の余地がありません。そして証言や検証もされていない証拠をただ鵜呑みにする左翼や支持団体の多いこと。多いこと。
馬鹿の一つ覚えとは良くいったものです。嘘や偽りに凝り固まった証言が通じると、味を占めてただそれだけを中心に相手に押し付ける。で、反論されると怒る。
反論できなくなったから、訴訟を起こしたからではありません。根拠もなく、偽者呼ばわりされたことによって被害者女性である夏淑琴氏自身が尊厳を傷つけられたこと、また、南京大虐殺という史実を否定しようとする右翼を罰し、彼らを野放しにすることが日本の若者や未来にとってもよくないという偉大な決断に基づいて起こされたものです。証言だけに頼り切っているというが、この種の蛮行においては証言以外の証拠はなかなか見つからなかったが、ただマギーフィルムに被害にあった夏氏が写っており、それを東中野修道が否定したことにより問題に発展したわけだ。被害者を偽者呼ばわりするならば、偽者呼ばわりする側が証拠を容易するのが筋であろう。そうでないから当然名誉毀損で告発する。それは当然だろうが。ちなみに、『勿論、写真だって古い写真に少し加工を施し、いかにも支那人が爺さんを殺している様に見せかければ偽証拠の出来上がりです。そういう事例があるから修道氏のように真実を検証しようという人が出てくるのです。』とブログ主は言っているが、偽証拠や偽写真なるものはほどんど皆無に等しいことが良識派の検証によって明らかになっている。東中野修道ら右翼歴史歪曲主義者が南京大虐殺という史実を否定したいがために、偽写真でないのに偽写真に見せようとあらゆる手でデタラメ検証を行っているというのが実態だ。そういうことも分からないのか?糞が。かたくなに日本軍の蛮行を否定しているのが右翼だし、議論の余地をなくしているのが右翼だ。証言や検証もされていない証拠だといって、大日本帝国・日本軍の蛮行の数々を否定しようとする右翼やその支持団体の多さには呆れてものがいえません。どうしてこういう反動的な右翼の輩がのさばるような世の中になってしまったのでしょうか?嘆かわしいです。
右翼討伐その2
http://blogs.yahoo.co.jp/sakusikahosokawa/1248346.htmlよく、左翼の人物に唯一口出しできないのが
「報道の自由」だとか「言論の自由」なんですよね。
さすがに、左翼もこれを否定しまうと、日本の根本である民主主義自体を否定してしまうので言いません。しかしこのプロフィールには堂々と言論禁止を訴えているのです。
驚くと同時に一種の恐怖感を覚えました。何の矛盾も考えずこんな事を平気で公の場にベラベラと書き綴れるのですから。
それは当然のことを書いたまでです。「報道の自由」だとか「言論の自由」も無制限に許されるわけではないということはご存知でしょう。たとえば、「イスラム教徒・ムスリムを皆殺しにしてよい」「沖縄で米兵強姦事件が起こった。けしからんから米国大使館、あるいは米軍基地を爆破してしまおう」というような言動を吐いたら、即座に可笑しい人物だと思われるし、報道機関、あるいはそうじゃなくても公にやった場合は間違いなく逮捕です。それと同じことが大日本帝国・日本軍の蛮行を否定したりする議論にもいえるわけです。大日本帝国を讃える言論を規制したり、大日本帝国・日本軍の蛮行を否定したり矮小化する言動を禁止したりしても、あるいは在日コリアンなどに対する外国人蔑視などを禁じても日本の民主主義は否定されません。そもそも、言論の自由、それに付随する報道の自由、表現の自由などは元々も自由権のひとつであって、つまり個人なり法人などの組織が国家権力の制約や強制から自由に思想を表現したり、表明したりする権利のことを言うのだ。近代民主主義の基本原則として確立されたものであり、民主主義の原則は「法の下の万人の平等」であるから、王や貴族といった特権階級、あるいは国家などが、個人の自由を不当に制限することはできないのである。そういうことが背景にあるものであり、「国家権力、ないしは何らかの権力からの個人の自由」という意味合いであるものであり、大日本帝国の蛮行否定、大日本帝国賛美、民族差別などは「言論の自由」などのさまざまな自由権の名の元で無制限に許容することはできないというのが私の立場である。「言論の自由」などは基本的人権の一つであるが、右翼勢力の躍進の糧とするために大日本帝国の蛮行を否定したり、侵略を美化したり、解放戦争だとか讃えたり、在日コリアンに対する民族差別を煽動したりする思想を擁護するロジックとして、「言論の自由」を持ち出すのは矛盾しているということがお分かりですか?私は自由と民主主義を尊重する一日本市民として「大日本帝国を賛美したり、その蛮行を否定・歪曲したり、在日コリアンなどの人々を蔑視したりする言動を『言論の自由』で擁護することはできないし、むしろそうした言動こそが自由と民主主義の敵」であることを主張したい。
自分達に都合の良い発言は許可して、反する発言は駄目ってか?ご都合主義も大概にしましょうね。
それこそ支那の言論統制と変わりはない。
ご都合主義はあなた方のほうです。大日本帝国を賛美したり、蛮行を否定したり歪曲したり、右翼的活動を擁護するための手段として「言論の自由」という歴史の中で国家権力との戦いの中で確立されていった偉大な民主主義の基本原則を持ち出そうとしているのですからね。
また、エセ極左の右翼討伐委員会について書きたいと思います。
私は断じて極左ではありませんし、また"エセ"と呼ばれる筋合いもありません。右翼討伐委員会についてぜひ書いてください。あなたは小物のブログ右翼などで忙しい中気にかけている時間があるかどうかは分かりませんが、このブログに関する記事を書かれるなら、私に反論する時間があるなら再度反論してこのブログにエントリーします。ところで、東中野修道についていかにでたらめな糞人物であるかのサイトを提示しておきましたので、あなたがこれで東中野修道という人物を通して、右翼勢力に対する懐疑の念を持たれるきっかけになったらいいなと思います。少し長くなりましたが以上。
ちょっとだけ追記 マギーフィルムに写っていた夏淑琴さんの件ですが、きちんと検証しているところがありました。
[274]マギーフィルム画像と解説書
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=274;id=imgbord#atopの
[368]Re(3):東中野修道氏のトリック
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=368;id=imgbord#368の部分ですかね。この掲示板では東中野修道らの検証がいかにいい加減で、南京大虐殺を資料を恣意的に引用、解釈を捻じ曲げてでも否定しようとする右翼学者どもの罪深さが改めて認識できると思います。