半月城です。
戦前の「国粋主義的な愛国思想」を連想させる歴史教科書を出したことで知られる「新しい歴史教科書をつくる会」の内紛が深刻なようで、産経新聞をまきこんで泥仕合をやっているようです。 産経新聞が問題になったのは、つぎの記事でした。
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「つくる会、八木氏を副会長に選任 夏までに会長に復帰へ」
産経新聞(2009.3.29)
新しい歴史教科書をつくる会は28日の理事会で、会長を解任されていた八木秀次理事を副会長に選任した。7月の総会までに会長に復帰するとみられる。同会の内紛は事実上の原状回復で収束に向かうことになった。
つくる会は先月27日、無許可で中国を訪問したことなどを理由に会長だった八木氏と事務局長だった宮崎正治氏を解任。種子島経氏を会長に選任していた。副会長だった藤岡信勝氏も執行部の責任を取って解任されたが、2日後に「会長補佐」に就任していた。
しかし、地方支部や支援団体から疑問の声が相次いだことなどから再考を決めた。藤岡氏は会長補佐の職を解かれた。種子島会長は組織の再編などを進めた後、7月に予定されている総会までに八木氏に引き継ぐとみられる。宮崎氏の事務局復帰も検討されている。
理事会では西尾幹二元会長の影響力を排除することも確認された。(以下略)
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「つくる会」では、公民の教科書を書いた八木氏(高崎大教授)と歴史教科書を書いた藤岡氏(拓殖大教授)、両巨頭間の対立は公然の事実ですが、上記の理事会では八木派が西尾・元会長に近い藤岡氏を執行部から排除したようです。
しかし、これで理事会から藤岡派が排除されたわけではなく、逆に同派の反撃が開始されました。その第1弾が産経新聞に対する抗議で、「つくる会FAX通信」第170号は抗議文をこう掲載しました。
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『産経新聞』(3月29日付朝刊)で報道された理事会の内容は、憶測を多く含んでおり、「つくる会」本部として産経新聞社に正式に抗議しました。とくに、「西尾幹二 元会長の影響力排除を確認」「宮崎正治 前事務局長の事務局復帰も検討」は明らかに理事会の協議・決定内容ではありませんので、会員各位におかれましては、誤解
することの無いようにお願いします。
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先の新聞記事を書いたのは、産経新聞社 教科書班の渡辺浩氏ですが、同氏は抗議に対し、こう反論しました。
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本日午前、新しい歴史教科書をつくる会 事務局員の鈴木尚之氏から私に対し、組織内を収めるために抗議しなければならないという趣旨で電話があり、「あなたのお立場も大変ですね。聞きおきます」と返答しました。
しかしFAX通信に掲載されるに及び、私は種子島経会長あてに文書で厳重に抗議しました。抗議の内容は@昨日の理事会で「今後は西尾氏を無視する」旨の確認がなされたことは取材で判明しているA宮崎氏の事務局復帰については理事会で議論されたとは書いていない(執行部で検討されていることは事実であり、現に4月からの復帰が固まっている)−です。
FAX通信の内容は事実に反しており、引用は嘘を増幅することになります。この事実を知った後も「捏造記事」などの誹謗中傷を不特定多数の閲覧に供することが続くようであれば、刑法の名誉毀損罪を構成することをここに警告致します。
平成18年3月29日午後8時5分
産経新聞社教科書班 渡辺浩
http://nishiokanji.com/blog/2006/03/post_305.html
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渡辺氏は「刑法の名誉毀損罪」を云々するなど、ただならぬ気配ですが、それほどに産経新聞と藤岡派との関係は険悪なようです。
藤岡派は反撃の第2弾として、記事取材源の八木氏を追求し始めたようです。その事実は「つくる会 FAX通信」第173号(2006.5.2)にこう掲載されました。
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3月28日の理事会で、理事間の内紛は一切やめる、今後は将来についての議論のみ行い過去に遡っての糾弾は行わない、との方針を決めた。ところが、翌日の産経新聞が不正確な記事を出し、その取材源の追及が始まった。さらに一部の理事は、4月7日、会の活動とは関係のないことをことさら問題にして、八木氏を査問にかけるべきだとの提言を行ってきた。私(種子島会長)は峻拒した。
http://www.tsukurukai.com/fax-news/fax-news173.pdf
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「つくる会」の公式サイトは、もはや内紛を隠そうともしないようです。というより、とても隠しおおせないほど内紛は深刻なようです。
藤岡派とみられる東京支部は、ホームページの冒頭に露骨に<ブログ「藤岡信勝ネット発信局」>へのリンクを張ったくらいでした。また、東京支部の掲示板には会員の声としてそうした軋轢が赤裸々に書かれ、事態の推移が一目瞭然です。たまりかねた「つくる会」本部は掲示板へのリンクを断ったことを公表しました。
http://tsukurukaitokyo.hp.infoseek.co.jp/
本部の FAX通信に書かれた「4月7日」の事態というのが気になりますが、これは藤岡氏により同じ通信でこう説明されました。
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4月3日、(産経新聞の)渡辺記者は藤岡理事に面会を求め、藤岡理事に関する「平成13年 日共離党」という情報を八木氏に見せられて信用してしまったが、ガセネタであることがわかったと告白して謝罪した。6日には、謀略的怪文書を流しているのが「八木、宮崎、新田」であると言明した。
福地理事は、事態は深刻であり速やかに事の真相を糺す必要があると判断、4月7日に種子島会長に八木副会長から事情聴取する必要があると進言したが拒否された
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先日、国会ではガセネタで民主党党首の首が飛ぶといった事態に発展しましたが、「つくる会」でもガセネタで産経新聞まで巻きこんで大騒動が展開され、結局は会長、副会長の首が飛んだようです。同通信173号は理事会(4月30日)での討論をこう伝えました。
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討論の流れ
田久保理事から、「藤岡理事は八木氏宅へのファックスにたった一言書き込んだ言葉について八木氏の自宅に赴き、夫人に謝罪した。藤岡氏の党籍問題に関するデマ情報の流布は極めて重大な問題であり、八木氏はそれを他の理事などに公安調査庁の確かな情報であるとして吹聴したことについて藤岡氏に謝罪すべきである」との発言がありました。事実関係についても、参加者から具体的な補足情報の提供がありました。
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藤岡理事は、八木氏が世間一般の基準よりもより高い倫理的規範を求められる当会の最高幹部でありながら、このような反社会的行為を繰り返したことは決して許されないことであり、会則20条の除名処分に該当するとしつつ、終戦後「天皇を守ろうとした人びとは、気づく、気づかないは別として、独善、猜疑心、悪意、流血が連鎖、循環する悲劇を繰り返すまいとしたのである」という鳥居民氏の言葉を引用して、八木氏らが「理事会と会員に対し、事実を認め、心から謝罪するなら、すべてを水に流して、大義のために、会と会員と国民のために、手を結びたい」と提案しましたが、応答はありませんでした。
議論は2時間半以上にわたって続きましたが、結局八木氏は謝罪せず、種子島・八木両氏は辞意を撤回するに至らず、辞任が確定しました。この両氏の辞任に続いて、新田・内田・勝岡・松浦の4理事も辞意を表明(松浦氏は欠席のため文書を提出)、会議場から退出しました。
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結局、「反社会的行為を繰り返した」八木氏が副会長を辞任し、理事会を蹴って退席したようですが、そのような人が書いた公民の教科書は、はたして信頼するに値するでしょうか?
八木氏は「世間一般の基準よりもより高い倫理的規範を求められる当会の最高幹部」であるべきなのに、会内部からそのような資格がないと断定されるような人物なので、八木氏が書いた公民教科書を採択した地方自治体は、今からでもその採択を取り消すべきではないでしょうか。
八木氏は辞任するにあたり、その理由を「つくる会FAX通信」第172号で下記のように流したとされますが、その号は「会の混乱を企図した許されざる行為」としてすぐさま撤回されたことが「つくる会FAX通信」第172号で明らかにされました。
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さて私は、本日をもって本会の副会長・理事を辞任し、同時に正会員も辞して、名実共に本会を去る事に致しました。
(今年2月)会長を解任された後、3月末に副会長に就任し、7月の総会で会長に復帰する予定でありましたが、その路線を快く思わない一部の理事が会の外部と連動し、私の与り知らない問題で根拠も無く憶測を重ねて嫌疑を掛け、執拗に私の責任を追及し始めました。私としては弁明もし、何とか「理事会」の正常化が出来ないものか、と思って耐え忍んで参りましたが、この半年間を通じて彼等との間ではいつも後ろ向きの議論を余儀無くされ、その結果、遂に志も萎え、肉体的にも精神的にも限界に達するに至りました。また、これ以上、家族にも精神的負担を掛けられない、と判断致しました。
本会は発足以来、定期的に内紛を繰り返して参りましたが、"相手変わって主変わらず"という諺がある様に、今回は私などがたまたま<相手>とされたに過ぎません。<主>が代わらない限り本会の正常化は無理であり、また発展も未来も無いものと判断し、止む無く退会を決断した次第です。
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八木氏が指弾する<主>とは藤岡氏、「会の外部」とは西尾幹二・元会長をさすようです。西尾氏は「つくる会」を離れたものの「院政」を取り沙汰されるくらい影響力が強く、4月19日、ブログ「近況報告」で八木氏をこう批判しました。
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「つくる会」に残った人の中にも少数だが理想を失っていない人がいる。彼らは「事務局長の資質」「八木会長の指導力」に疑問を突きつけてきた。彼らは世間に広くまだ名前を知られていない。彼らがいや気がさして会をやめれば、そのときこそすべての幕が閉じるであろう。
http://nishiokanji.com/blog/cat34/
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「つくる会」を憂慮する西尾氏は、「つくる会」を離れた後もそれなりの策動をこころみていたようです。そのひとつが「藤岡会長擁立案」でしょうか。それがあらわになりました。西尾氏はそれを先の「近況報告」でこう告白しました。
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証拠書類は私が過去に藤岡氏に出したメール(2月3日付)である。私信が回り回っていつしか覆面の脅迫者の手に渡っていて、脅迫文と一緒に、藤岡氏が「西尾の煽動に反論して」八木氏に屈服した証拠書類としてファクスで送られてきたのである。
このメールは私が藤岡氏に「つくる会」の会長になることを強く要望し、藤岡氏がためらって逃げ腰であることに私が失望したという内容の、互いに正直に内心を打ち明けた往復私信であって、一枚の紙に二人で書き込まれ、ファクスで往復された
(後に全文を公開する)。
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西尾氏がもっとも信頼していた藤岡氏ですが、格言「昨日の友は今日の敵」さながら袂を分かったようです。西尾氏は上の文章にこうつづけました。
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この2月3日付の「西尾・藤岡往復私信」が3月末日に覆面の脅迫者の手に渡っている事実からいえることは、まず第一に藤岡氏が私信を無断で他に流用した道義的罪である。第二に藤岡氏は敵対している勢力--八木秀次・新田均・宮崎正治の諸氏に脅迫されたか何かの理由で屈服し、秘かに私を裏切って、内通し、相手への自己の忠誠を誓うしるしとして差し出しているのではないかという私の疑問である。
私は早くからこの疑問を抱いて、今回の怪メール事件のクライマックスはこれだと踏んでいた。なぜなら「西尾・藤岡往復私信」の西尾・藤岡以外の所有者が、覆面の脅迫者であり、彼こそ他でもない、「怪文書2」の作成者並びに発信者と同一人となるからである。犯罪人を突きとめる立証のカナメである。
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西尾氏は藤岡氏の「道義的罪」を問い、かれを「裏切り者」扱いにしているようです。こうなると猜疑心はますます深まるばかりで、西尾氏は藤岡氏の「共産党員」時代を問題にし始めました。
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藤岡氏にもひとこと、多くの人が口にする正直な疑問を私がいま代弁しておく。共産党離党は平成3年(1991年)であると信じてよいが、それでも常識からみると余りに遅いのである。先進工業国でマルクスは60年代の初頭に魅力を失っていた。68年のソ連軍チェコ侵入は決定的だった。左翼は反米だけでなく反ソを標榜するようになり、いわゆる「新左翼」となった。私は彼らは理解できる。しかし70年代から80年代を通じて旧左翼、民青、共産党員であったことはどうしても理解できない。
青春時代に迷信を信じて近代社会を生きつづけることがなぜ可能だったのか。藤岡さん、やはりあなたが保守思想界に身を投じたのは周囲の迷惑であり、あなたの不幸でもあったのではないか。私はあなたが党との関係史を一冊の本にして、立派な告白文学を書いて下さることを希望しておく。
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藤岡氏に「あなたが保守思想界に身を投じたのは周囲の迷惑であり、あなたの不幸でもあったのではないか」と語りかける西尾氏ですが、それならそのような人を「つくる会」の会長にと画策した西尾氏の見識が問われるところです。
そもそも、かつて共産党員であった人が「つくる会」を支える宗教団体などと協調できるのかどうか疑問です。内紛の根源の一端はそこにあるような気がします。
かつてマルクスは「宗教はアヘンである」と述べましたが、転向した共産党員が宗教の理解者になれるのかどうか疑問です。おそらくそうした困難のため、藤岡氏は日本会議系の理事たちと長年にわたり暗闘を繰りひろげてきたように思えます。
日本会議派は、その地方組織が「つくる会」のそれとかなり重なるだけに発言力も強く、西尾幹二氏もブログで「つくる会」事務局の人事は日本会議の承認なしには動かせない実態となっていると明らかにしたくらいでした。
蛇足ですが、日本会議派の生い立ちは「日本をまもる国民会議」と「日本を守る会」が統合する形で1997年に発足しました。「日本を守る会」には、神道・仏教系宗教・修養団体中心、統一協会、キリストの幕屋などがメンバーになっていました。なかでも「幕屋」と「つくる会」との関係は深いようで、俵義文氏はこう記しました。
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(前会長の種子島経氏は)「原始福音キリストの幕屋」という国粋主義・天皇主義の宗教組織との関係が指摘されている。また「幕屋」と「つくる会」の親密ぶりは有名で、「つくる会」の会員の4分の1は「幕屋」のメンバーだという内部情報もある(注)。
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昨年、宗教団体などをバックに持つ宮崎正治氏を西尾氏や藤岡氏が追い出そうとしたようですが、それが一連の内紛の始まりだったようで、俵氏はこう記しました。
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教科書採択「惨敗」責任のなすりあい
今回の内紛の一番の原因は、昨年の教科書採択における採択率が、歴史 0.39%、公民 0.19%と「惨敗」(八木)した責任のなすりあいだと思われる。
「つくる会」の内部情報によれば、昨年9月に西尾・藤岡が採択の責任を宮崎に押し付けて解任しようとしたが、後述するように宮崎擁護派の理事が反対し、宮崎も退任に応じなかったということである(西尾は、八木もこの段階では宮崎解任に賛成だったと、自らのホームページ「インターネット日録」に書いている)。
西尾が「日録」に掲載した「『つくる会』顛末記」や内部情報によれば、10月から1月にかけて、宮崎の解任をめぐって、日本会議派の理事(内田智・勝岡寛次・新田均・松浦光修)と西尾・藤岡グループの間で泥仕合のような応酬がつづいていた。
この4理事は「抗議声明」を出したり、新田が西尾の理事会への出席資格を問題にしたり、八木が全く相反する内容の声明を2回出したりするなど、醜い泥仕合を演じている。
そして1月の理事会で「会に財政的損害を生じさせた」という理由で西尾・藤岡らが宮崎を解任しようとしたが、八木・日本会議グループが抵抗し、逆に西尾が退任することになったのである。
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さらに荒れたのが、2月27日の理事会だ。まず、藤岡と八木が議長に立候補し、投票の結果、8対6で藤岡が議長に選出された。
次に宮崎事務局長の解任を8対6で可決。さらに八木会長、藤岡副会長の解任動議が出され、八木は6対5(棄権3)で、藤岡は7対4(棄権3)で、いずれも解任が可決された。・・・・・
八木、藤岡は理事として留まったが、宮崎は退職させられ(事実上の解任)、副会長と事務局長が不在という異常事態になり、まさに、解体・分裂の「危機」に直面した。
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新会長には種子島経理事(元副会長)が就任した。70歳の種子島は西尾の学友で、元BMW東京社長。・・・・・
3月1日、新会長となった種子島と会長補佐に納まった藤岡が産経新聞社社長の住田良能を訪問した。しかし住田からは「今回の内紛に関しては、開いた口がふさがらない」と冷たくあしらわれたと言われている。
また同月13日に扶桑社社長の片桐松樹を訪問した際も、片桐は2人に「あなた方とは連携できない。八木さんたちに新しい会を作ってもらう」と厳しく宣告したという。
産経・扶桑社が八木を支持するのは、八木がフジテレビの番組審議委員であり、フジテレビの支持が背景にあるという内部情報もある(注)。
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内紛はこれに納まらず止めどなく続きました。3月28日、藤岡氏が特別補佐を解任され、八木氏が副会長に就任しました。これは、冒頭に書いた産経新聞の記事が報道したとおりです。これでは会の名を「内紛をつくる会」と呼んだほうがふさわしいかも知れません。
実際、「つくる会」の歴史は、内紛・内部抗争の歴史でもありました。過去のいざこざを俵氏はこう記しました。
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(1)草野隆光事務局長の解任
結成からわずか1年後の98年2月、初代事務局長の草野隆光が解任された。大月隆寛は 『あたしの民主主義』の中で、草野を「Pさん」と仮名にして退任(大月は「追放された」としている)の経緯を書いている。「(追放の)経緯は本当に妙なものでした。事務局員との間が少しギクシャクしていたのをことさらに理事会がとりあげて、それを理由に放り出すというおよそ考えられないような仕打ちでした」
(2)藤岡信勝・濤川栄太 両副会長の解任
99年7月29日の理事会で藤岡、濤川栄太 両副会長を解任、高橋史朗が副会長に就任した。藤岡は一理事として留まるも、濤川は怒って理事も退任した。解任劇の直接のきっかけは、『噂の眞相』が濤川の女性問題を追及したことだが、さらに根本的には藤岡と濤川の指導権争いにあった。
当時、「つくる会」は都道府県支部づくりに取り組んでいたが、それを濤川が主導することを快く思わない藤岡が、濤川の女性問題などを理由に攻撃し、二人は公然とお互いを誹誇・中傷し合い、会の運営に支障をきたすまでになっていたのである。この時は、理事でもない小林よしのりが二人の解任と新副会長人事を理事に根回しし、理事会にも出席して「活躍」した。
(3)大月隆寛事務局長の解任
大月の解任も草野の時と同様だったようである。『あたしの民主主義』などによると、大月は自律神経失調症で99年5月から3カ月間自宅療養をし、9月から活動に復帰したが、ある日 「事務所にたち寄った時に、西尾さんや藤岡さんが事務所の人たちを集めて何か話し合っていて、あれ、なんだろう、と思っていたら、露骨に人払いされた」。つまり、大月は追い出されたということである。
そして、同月15日に西尾会長(当時)から手紙で「『君は思想的にこの会にいないほうがいい人間だ』などと退任を勧告された」。大月は、「病み上がりにようやく立ち上がろうとしたところを後ろからいきなり斬りつけられた」「どうしてこのような内紛(としか言いようがありません)が絶えないのか」と書いている。
(4)小林よしのり・西部邁の退会
02年2月に「つくる会」が開催したシンポジウムで、基調講演した小林よしのりが、アメリカのアフガン侵略によって「無辜の民が死んでいる」とアメリカを批判したことに対して、八木、田久保、西尾、藤岡らが、「思想と政治は別。思想は反米だとしても、現実の政治では反米は選択肢たりえない」(「つくる会」会報『史』02年3月号)などと小林を批判、会場からも小林への激しい野次が飛んだ。これをきっかけに、小林・西部邁と西尾・八木・藤岡ら理事が対立し、当時理事待遇だった小林と理事の西部が退会した。
これは、反米右派対親米右派との対立で、反米右派が「つくる会」と決別したということを意味する。小林は理事待遇を退任、歴史教科書の執筆も降り、西部は理事を退任して公民教科書の代表著者も辞めている(注)。
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このように醜い内紛に明け暮れていた人たちがつくった教科書が教育的であるはずがありません。その点を俵氏は、下記のように指摘しました。
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このように「つくる会」は、たえず醜い内部抗争をつづけできた非教育的な政治組織であり、そこには子どもや教育に対する視点や思いはまったく見られない。
また、現行版歴史教科書の代表著者であり、改訂版歴史教科書の著者欄に名前がある西尾は、自分の原稿が岡崎久彦によって勝手に書き直されたことを理由に、改訂版には責任を持たないと言っている。
さらに、まともな歴史研究者がほとんどいない著者陣の中で唯一名前が知られ、歴史教科書の監修者である伊藤隆も理事を辞めた。「つくる会」教科書は、著者・執筆体制が崩壊している状況であり、これから学校で使用される際に、内容の問い合わせなどに応答する責任をとれるのか疑問である。
このような無責任な政治組織と人物がつくった教科書を採択した杉並区、大田原市、東京都、滋賀県、愛媛県の教育委員会の責任は重大である。今からでも採択を撤回すべきではないだろうか(注)。
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
以上、転載しました。「新しい歴史教科書をつくる会」の醜い内部事情が明らかになりました。つくる会とキリストの幕屋などのカルト宗教との係わり合いは指摘されてきました。ここまで醜い内部抗争を続けてきたとは知りませんでした。よくもこのような組織がつくる教科書を文部科学省は公認してきたものです。ごく少数ですが、このような教科書を採択した地方自治体もあります。「新しい歴史教科書」のシンパの右翼の皆様は、今回のつくる会の内ゲバ騒動を気に右翼思想をやめて、大日本帝国を憎み、過去の日本の侵略と加害の歴史を心に刻み、その被害者と犠牲者への償いをバネに、世界の平和と人権のために尽くす地球市民的良識リベラルに転向されることをお勧めします。以上です。