2010年01月01日
その投稿に対してケチをつけてきたネット右翼との闘争 part2
その投稿に対してケチをつけてきたネット右翼との闘争 part1
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/137126193.html
の続きです。
良好な反応はよかったのですが、ここにもネット右翼が現れました。古参のネット右翼で以前にも現れて私にケチをつけてきたのですが。で久々にネット右翼の討伐を行うことになり、ここにその記録をおいておきます。ケチをつけてきたネット右翼がいた掲示板はインドネシアのコミュニティです。
一応IME誤字等は訂正したり、加工したりして、ある程度見やすく編集しておきます。
尚長くなるので、続きを読む以降をクリックしてお読みください。続きを読む
2008年01月05日
新年早々の私の初行動について、インドネシア掲示板における従軍慰安婦決議案への協力の件
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/76178899.htmlについては削除こそされていませんが、今のところ賛同を得られた書き込みはブログ記事にも、当掲示板の返答にも見られませんでした。ただ一つ、理解を示してくださる方はいたようです。流浪の民の乱というHNの方で、
>思考的視野狭窄に陥り歪んだ国家観、世界観しか持っていないのにさも論理的と思い込んでアホなことを言うあなたのような馬鹿日本人がいるから、日本は世界から相手にされないのだ。というわけで、インドネシア人は、というかアジアの人たちは表層的には親日である。しかし、きちんと世代を超えて教育によって、過去大日本帝国・日本軍が行ったことを忘れているわけではなく、侵略戦争で辛酸を嘗め、自分たちの国・地域が軍靴で踏みにじられ蹂躙された恨みをきちんと心の深層・根っこの部分にはもっていること。ここの掲示板には何度か書き込んだことがあったが、今回も含め私に対する罵倒の意見が多かったが、そこにいる右翼はインドネシアには実はいったことはないか、あるいは滞在者であっても、表面のアジア人の優しい部分のみしか見えず、わが国が過去やったことを決して忘れていないその心の奥深くを見通せていないだけであろう。それに、過去のわが国の侵略と加害についてはインドネシア、他のアジアにおいても簡単に情報が得ることができるはずだ。ロウムシャやヘイホについても、さらには日本軍による女性への性暴力についても。ロウムシャ・・インドネシア語になっている ヘイホとして戦争に狩り出された損害補償請求に日本の裁判所は悉く却下した
小中の社会科教科書にも日本兵に拠る虐殺の写真と記述が記載されて国民は過去より真実を教え伝えられている
表層的には親日であるが情況次第では憎悪を剥き出しにする反日暴動の素地はある
老人から何度も責められた事がある 刑務所では一部から常に脅威に晒された
ジャワポスの記事 http://suihanmuzai.hp.infoseek.co.jp/jawa001.jpg.htm
インドネシアにおける慰安婦調査報告 倉沢愛子
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/531.html
第2次大戦中、日本軍占領下のインドネシアで、多くの女性(インドネシア人、華人、オランダ人)が、日本兵の性的犠牲になったことはインドネシア社会では周知の事実であった。たとえば、1959年4月3日付けのインドネシアの新聞(Mestika紙)には、日本の賠償支払いに関連した投書が掲載されているが、その中で、日本からの賠償を本当に受け取る権利があるのは、日本の兵士たちの横暴の犠牲者になった人々であるとして、「聖戦を戦う手伝いのための売春婦として連れていかれた少女たち」のことに触れている。
筆者自身1980年から1981年にかけてジャワ農村で実施した調査の中でも、そういう女性のことはしばしば耳にした。それは、この村の○○の娘が、「学校へ入れてやる」と騙されて日本軍に連れて行かれ日本兵の女にされた、というような話である。
インドネシアでは日本軍の占領下で、多くの女性が性暴力の被害にあったことは周知の事実であり、ジャワの農村でも倉沢愛子氏はいとも簡単に、日本軍による女性の性暴力の被害の情報を得ている。しばしばだから、かなり日常的に日本軍占領下では女性が連れて行かれる、失踪するということが起きたようである。このように、少し関心をもち、行動を起こせば、掲示板にいるインドネシア滞在の彼らであれば日本軍の加害の情報について得られるのに、私に反対する罵倒しか返答できない。わが国の過去の侵略と加害に無関心ばかりか、インドネシアをオランダから解放してやったの寝言を吐ける。怠慢だ、怠慢ばかりか、島国の国粋鎖国根性の腐れ右翼どもばかりだ。
私の会社にはアジア系の社員が多い。国籍はさまざまで、大日本帝国の被害国・地域でいえば、中国、韓国、台湾、フィリピン、シンガポール、インドネシアだ。中国や韓国ばかりでなく、戦争の話になると、フィリピン、シンガポール、インドネシア、台湾などにおいても、祖父が日本兵に酷い暴行を受けて、今も足腰を痛めているとか、殺されたとかそんな話ばかりだ。海外に行かなくても、そういう人たちと接点があれば、おのずと日本が過去アジア・太平洋地域において何をやったかを知ることはできるはず。無論、普通の日本人、まして右翼や右翼的偏向をもつ人間であれば、彼らは何も話さないと思う。しかし、正しい歴史認識をもって、過去の歴史清算と贖罪意識で心からの真の友好の眼差しで接すれば心を開いて、心の奥底から何もかも話してくれるはずである。そういうことをできない大日本帝国の残滓に心を喰われた人間が多いことかと嘆かわしくなる次第である。暇さえあれば、今後とも根強くこういった活動を続けている所存である。
新年早々の私の初行動について、加害情報収集
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/76249759.htmlではろくな成果を得られませんでした。一人の回答を除けばとんだ右翼の的外れの軸が狂った回答で、的確といえるものではありません。こんなところにも、右翼が蔓延っているとは。
フィリピン人:現地では特に何も言われなかった。滞在時間は短かったですけど。という一応誠意の感じられた回答でしたが、言葉の定義、左翼がどうのこうのの論点がずれた右翼どものいやがらせです。質問文を読んでいるか疑わしいですし、そもそも私に対する妨害に他なりません。
来日した台湾人:感謝された。
私の少ない経験では、以上の通りです。
まだ、回答のほうを締め切らず、しばらく様子をみて続行します。
海外旅行者に従軍慰安婦決議案への協力を求めた投稿については削除されたために、成果はなしです。
PS
少しだけ補足しますが、なぜ私がアジア系の会社員が多い中、比較的大日本帝国・日本軍の加害情報が得られるはずなのに、貪欲に海外旅行者・在住者などに大日本帝国・日本軍の加害情報を求め続けるかといえば、やはり生の声をより多く知りたいわけです。アジア系の会社員からもわが国の加害の情報を引き出せます。がしかし、やはり現に海外にいる在住者や旅行者で日本軍の占領時代を生きて、日本軍と接点をもつ年配の方々の話、つまりオーラルヒストリーを個人的には収集して、私の大日本帝国絶対悪の信念をさらに確固たるものにしたいと考えるからです。
2006年07月02日
九郎政宗氏の活躍
http://bigkorea.seesaa.net/article/19845370.htmlのコメント欄に注目。
九郎政宗氏の示された資料になんら反論できていない。私の右翼討伐記録というわけではないが、九郎氏の右翼闘争(討伐記録)ということで、このカテゴリーに入れておく。
九郎氏の示された資料をここにて抜粋しておく。このような悲劇的な題材を前に大爆笑するような屑どもが撃破されている。「「日本軍が関わった」という指令書なり一次史料を教えて下さい。」と管理人は主張。管理人をはじめ、右翼は日本軍従軍慰安婦制度の非道性の証拠は証言だけだと思い込んでいたそうだが、実際はそうではないということ。九郎氏の提示された資料をひとつひとつ抜粋しますと、
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▼『陸軍省業務日誌』より、
・1941年7月陸軍省内の会議にて、蘭印調査から帰ってきた深田軍医少佐が「村長に割当て厳重なる検梅の下に慰安所を設くる要あり」と報告。この際
、現地の村長に対して「募集」を要求している。
・42年7月の陸軍省の会議にて、慰安所について、「北支100ケ、中支140、南支40、南方100、南海10、樺太10、計400ケ所」を作ったと報告あり。
・1942年8月の報告において、「南方の犯罪610件。強姦罪多し。シナよりの転用部隊に多し」とある。
・1943年2月の会議において、「強姦逃亡等増加せる外将校の犯罪増加せることに注意を要す」と報告されている。
(※金原節三「陸軍省業務日誌摘録」参照。強姦による占領政策上の不都合や性病などの防止のために、軍が兵士の性欲管理を行うのは近代的軍隊の常識。)
▼台湾軍起案「南方派遣渡航者に関する件」(1942年3月)
『大臣宛
発信者 台湾軍司令官
台電 第602号
陸密電第63号に関し「ボルネオ」行き慰安土人50名為し得る限り派遣方南方総軍より要求せるを以て陸密電第623号に基き憲兵調査選定せる左記経営者3名渡航認可あり度申請す』
(※昭和17年3月12日、台湾軍司令官の電報。東南アジアを占領した南方軍から慰安婦を送るよう要求された台湾軍司令官が、「憲兵による調査選定ずみ業者3名を慰安婦とともに南方に送ること」に関する許可を陸軍大臣に求めたもの。)
▼上海総領事館『昭和一三年中に於ける在留邦人の特種婦女の状況及びその取締並びに租界当局の私娼取締状況』(1938年)
>「上海事変勃発と共に我が軍隊の当地駐屯増員に依り、此等兵士の慰安機関の一助として海軍慰安所を設置し現在にいたりたり」
▼「昭和十一年中における在留邦人の特種愚所の状況及其の取締」
(海軍慰安所の営業内容について)
>「海軍下士官を専門として、絶対に地方客を〔民間人〕に接せしめず、且酌婦の健康診断も陸戦隊員及当館警察官吏立会の上、毎週二回専門医をして施行しあるの外、慰安所に対しては海軍とも協調を厳にし、且新規開業を許さざることとせり」
↑
(※当時の中国政府は公娼廃止の方針をとっており、日本の外務省としても、表向きは「貸座敷」「貸席」と呼ばれた公娼制度を1929年に廃止していた。しかし抜け道として「料理店酌婦制度」という名目で海軍慰安所は存在していたのであって、上記2資料はその記録。)
▼92/12/06 東京朝刊 26 頁
『日追い深まる日本軍介入 朝鮮人慰安婦、国立公文書館の新資料』
>今回、国立公文書館から発見された旧満州の従軍慰安婦関連文書の特徴は、朝鮮人慰安婦を管理した記述が、これまでで最も古く、日本軍が展開したのに合わせるように事実上の慰安所ができていったことだ。
▼『正論』2005年1月号 小野田自然塾理事長・小野田寛郎氏による
「私が見た『従軍慰安婦』の正体」
>私は幹部候補生の教育を南昌から三〇キロ以上も離れた田舎の連隊本部で受けた。「慰安所」は連隊本部の守備陣地の一隅に鉄条網で囲まれて営業していた。教育の末期に候補生だけで本部の衛兵勤務につくことになった。もちろん勤務は二十四時間である。
>私は営舎係だったので歩哨に立たないから何度も歩哨を引率して巡察に出た。巡察区域の中に「慰安所」も含まれていた。前線の歩哨は常時戦闘準備をしている。兵舎内の不寝番でさえ同様だ。鉄帽を被り、銃には弾を装填し夜間はもちろん着剣である。その姿で、「慰安所」の周囲だけならまだしも、屋内も巡察し、責任者の差し出す現在の利用者数の記録を確認する。軍規の維持とゲリラの奇襲攻撃を警戒しているからである。
(※従軍慰安婦は商行為である!と主張したつもりが、軍による慰安所管理や「半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話はしばしば聞いた」と証言してしまった小野田さんの手記。)
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とこれだけの日本軍が関わったという一次資料がでてきてしまった。多くはインターネット上で簡単に探せるものであり、従軍慰安婦制度を否定しようとする輩の目には、こういう資料は目に入らないのであろうか?機能性盲目!?
2006年06月17日
インドネシア掲示板にて、であった(自称?)インドネシア人についてpart2
インドネシア掲示板にて、であった(自称?)インドネシア人についてpart1
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/19414912.htmlのインドネシア人についてどう思いましたか?掲示板といえば、匿名ですので、断言できませんが、正直インドネシア人を装った右翼の巧妙な工作である可能性が高いと思います。しかし、あくまで断言はできませんので、このインドネシア人が本当のインドネシア人であるという前提でもって、考えていきたいと思います。
彼自身両親や親戚から戦争の話をよく聞くそうです。しかも、オランダやイギリス(連合軍)の兵隊よりも、日本の兵隊のほうが酷かったというのは、インドネシアおよび多くのアジア・太平洋地域で伝えられている通りだと思います。ただし、彼はどのように日本の兵隊がイギリスやオランダの兵隊よりも酷かったのか、返答はなかったのです。日本を恨んでいないそうです。本当でしょうか?恨んでない、恨んでる以上に、どのように酷かったのかという答えを彼自身から聞きたかったです。
過去の歴史よりも、今の自国を発展させることが大事だと言っています。日本人や日本政府が過去の加害の歴史と向き合わないといけないのはもちろんのことですが、インドネシアなどのアジア・太平洋諸国も日本の被害者であった歴史を追及し、加害者であった日本が常に反省と正しい歴史認識の誠意ある態度をとり続けるように、過去の日本の加害を攻め続けなければならないのではないでしょうか。韓国や中国だけでなく、インドネシアを含むアジア・太平洋地域が日本に対して常に過去の加害歴史を心に刻み続けるように口を酸っぱくして主張し続けてほしいのです。そうした私の気持ちは理解できないのでしょうか?このことは戦後のインドネシアを含むアジア・太平洋地域に対する日本政府と日本人の接し方・態度にも関わってくるのです。ODAや日本政府、日本人のそれらの地域での行動や態度が戦後の経済侵略だといわれている通り横暴でエコノミックアニマルそのものでした。、アジアやアフリカなど非白人圏に対する偏見を戦前・戦中の大日本帝国時代より日本人の意識の中に受け継がれているからです。戦後の過去の侵略に対する侵略責任、戦後責任を日本人はきちんと果たさなかった。そのツケが友達のいない国家、日本の絶望的な対外的閉塞状況を招いているのです。あなた方インドネシア人が日本の過去の歴史を日本人一人ひとりが過去の歴史に対する反省の気持ちを持つまで攻め続けることは、最終的には日本の利益に適うことなのです。このことをこのインドネシア人の方にわかったほしかったです。現在のインドネシアの汚職と戦っているといいますが、それだって日本の過去の歴史と無関係ではありません。まずはインドネシアに対するODAのあり方が関わってきますし、さらにいえば、インドネシアの汚職の中で軍部が相当な割合を占めます。インドネシア軍が過去の日本軍占領時代の義勇軍PETAに起因することはご存知でしょう。そういうことなのです。
もし、そのインドネシア人が本当にインドネシア人であればね。右翼の自演だったら、この私の文は駄文となりますがね。以上
インドネシア掲示板にて、であった(自称?)インドネシア人についてpart1
ジャワ島への自衛隊派遣に反対したことをご存知だと思います。問答有用という掲示板に投稿したことは報告したとおりです。とあるインドネシア掲示板にも投稿しました。どこの掲示板かは現時点では、伏せさせて頂きます(といっても検索すれば、すぐにわかってしまいそうですが)。
そこでの私とインドネシア人を名乗るものとのやり取りを抜粋します(途中のやり取りの部分、赤が私のコメントで、青がそのインドネシア人のコメント)
私がジャワ島への自衛隊派遣へ反対と投稿
↓
この掲示板の右翼どもが私に集中砲火↓
さらに付け加えれば、崩壊した家の前に佇む高齢のお婆さんの姿がテレビの画面のほんの一瞬を通してですが、非常に印象的でした。高齢のお婆さんのことですから、青春時代に恐怖の日本軍占領時代を肌身に受けています。震災のショックに加え、さらに自衛隊、すなわち日本軍が来るという恐怖を与えて、さらに追い撃ちの一撃を浴びせるつもりですか?この掲示板の皆様に考えてもらいたいことですね。でこの私に対してインドネシア人が初コメント
両親も戦争を経験した親戚も皆戦争のことをよく話してくれていますが、顔には恨みとかまったく見えていません。インドネシア人は、ほとんどpemaafですよ。
●そのコメントに対する私のコメント
●そのインドネシア人(彼)のコメント
> 両親も戦争を経験した親戚も皆戦争のことをよく話してくれていますが、顔には恨みとかまったく見えていません。インドネシア人は、ほとんどpemaafですよ。
本当にインドネシア人なんでしょうか?インドネシアの方なら、歴史教育で、300年間植民地支配したオランダ以上に過酷で悪い国だということを教わってこなかったのでしょうか?
●私のコメント
私はまったくインドネシア人です。勿論、日本の兵隊がオランダやイギリス兵隊より酷かったと親も親戚も言っています。しかし、日本を恨む人は一人もいません。
で、あなたはどこの国の人でしょうか。
●彼のコメント
> 私はまったくインドネシア人です。勿論、日本の兵隊がオランダやイギリス兵隊より酷かったと親も親戚も言っています。しかし、日本を恨む人は一人もいません。
>
> で、あなたはどこの国の人でしょうか。
具体的に、どのようにオランダやイギリス兵隊より醜かったのでしょうか?
インドネシアの若者を大勢殺したり、家々を襲っては女性を連れ去り、ところかまわず凌辱するような軍隊が日本軍だったのではないでしょうか?日本語を話せるのですね。日本へ留学したことがあるのでしょうか?『新しい歴史教科書をつくる会』とか醜い右翼団体とかあるでしょう?ともに戦いませんか?
戦いの誘いをお断りします。私(多分インドネシア人の殆ど)が必要なのは、自国を発展させることです。インドネシアの現在は、汚職している(した)人と戦っています。あなたがインドネシアに来れば良いかと思います。インドネシアに来て、現地調査して、あなたと同じような考え方を持っている人を誘ってください。多分百万人に一人しかいないと思います。●私のコメント
そして、歴史を隠さない国はないと思います。兵隊はその兵隊の国ではヒーローと呼ばれるが、植民地となった国では惨酷者と呼ばれます。それは仕方がありません。
もうひとつの質問を忘れていませんか?●彼のコメント
日本の兵隊がオランダやイギリス兵隊よりどのように酷かったとあなたの親戚や親は言っているのでしょうか?
日本軍が気に入らないとなれば、インドネシア人をと平気で、銃剣を振り回して殺傷する、あるいは美しい女性を見ると、家にまで押し入ってところかまわず凌辱するような軍隊だったかどうかを聞いているのですが。
ここで質問を答えないのは、題名とはまったくずれているからです。どうも貴方が現在の現地の状況が解っておられないみたいですね。それなのに、援助のための自衛隊派遣の反対を広げようとしていますね。もし、被害者は貴方が考えるようなこと(日本の自衛隊に怖がること)を思っていなければ、貴方はどう責任を取っていますか。●私のコメント
以上です。
あなたは本当にインドネシア人ですか?あなたというインドネシア人はわかりません。たとえば最初に名乗り出た従軍慰安婦被害者であるマルディエムさんをご存知ですか?マルディエムさんをはじめ、従軍慰安婦・強姦などの日本軍による性的被害者が2万人近く名乗りでているのはご存知でしょうか?名乗りでていないもの、日本軍に殺されたり、従軍慰安婦問題が世に知れる前になくなったものなどを含めれば、数十万人のインドネシア女性が日本軍によってレイプされました。たとえば、10代の初潮前の少女を含めてインドネシア女性らをところかまわず集団レイプし、性の慰みものとした大日本帝国・日本軍に対して、怒りを感じませんか?同胞の女性が犯されたことに対して、同じインドネシア人としてどう思いますか?インドネシア人としての誇り、あなたは何人なのかはわかりませんが、たとえばあなたがジャワ人だとすればジャワ人としての民族の誇りはないのですか?大日本帝国・日本軍がオランダからインドネシアを解放したなどと叫び、いいたい放題妄言を吐く日本の右翼に対して憤りを感じませんか?あなたがインドネシア人であることが信じられないです。
●彼の最後の返答
>もし、被害者は貴方が考えるようなこと(日本の自衛隊に怖がること)を思っていなければ、貴方はどう責任を取っていますか。
という質問に答えることを忘れていました。答えたら、私の質問にも回答してください。被害者の日本軍による被害の程度によるとしかいえません。ジョグジャカルタに在住のマルディエムさんのような悲惨な従軍慰安婦にされた女性の性的被害者のケースであれば、日本軍である自衛隊が来ることに大変恐怖と憎悪を感じるでしょう。日本軍占領時代を経験した年配の人たちのケースにおいて、地震と、自衛隊による援助を天秤にかけて、 自衛隊による援助が勝る人が統計的に多いということになるならば、私の考えることが間違っているように思えるかもしれませんね。そうであっても若い世代を含めて、心の奥底では決して自衛隊や日本を歓迎しているとは思えないのですがね・・・。
ますます題名とずれていきますね。答えたくないですが、私も気が済まないので、少しだけお答えします。この後は、もう答えしません。で、最終的にそのインドネシア人が逆ギレしたかのように終わりました。少し長くなったのでpart2でそのインドネシア人について私の思うところを書きたいと思います。以上
私の血にはインドネシア人の血以外は流れていません。貴方はインドネシアの国民性を把握していないから、私がインドネシア人であることを信じていないですよ。靖国神社のお参りの件で、怒るインドネシア人はいますか。
一つ教えてあげましょう。見知らぬ人に事実を伝えても、無意味です。私は、友情を通して事実を伝えています。友情があるからこそ伝えられるのです。日本人の友人となぜか戦争時代の話になって、そこで両親、親戚から聞いた事実を話しました。すると、友人は謝りました。それを見て、私はまったくいい気分になりませんでした。何も知らない友人は悪くないと思っています。過去に何があっても、今の友情が大切だと思っています。望んでいるわけでもないのですが、その友人も親戚や友達に友情を通して伝えるかもしれない。
今貴方が求めているのは何か、どうぞ自分の本心を聞いてください。
2006年02月12日
私が問答有用に投稿した記事を紹介
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=38361&range=1にて投稿した記事
死の行進歪曲と文春に抗議 生き残りの米国男性ら
【ロサンゼルス13日共同】第2次大戦中フィリピンで起きた「バターン死の行進」で生き残った退役軍人の米国男性が13日、ロサンゼルスで記者会見し、月刊誌「文芸春秋」が2005年12月号で掲載した同行進についての検証記事に対し「事実を著しく歪曲(わいきょく)している」として抗議、同誌に謝罪を求める手紙を送ったことを明らかにした。
同誌を出版する文芸春秋社長室は14日、「いまだ書面が届いていないのでコメントはできません」としている。
「死の行進」では旧日本軍の捕虜となった米兵やフィリピン人住民が1942年4月、約100キロの行進をさせられ、多数が死亡したとされる。
記事では、ジャーナリスト笹幸恵氏が昨年10月にほぼ同じ行程を実際に歩いた。たまたま体調不良で炎天下、4日間歩き続けたが、「この距離を歩いただけでは人は死なない」「(旧日本軍の)組織的な虐待という指弾はあたらない」などと結論付けた。
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=IBR&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2006011401001517
「バターン死の行進」記事、ユダヤ人団体が文春に抗議
【ロサンゼルス=古沢由紀子】日本軍が捕虜米兵らを炎天下歩かせた「バターン死の行進」についての月刊「文芸春秋」の記事が「歴史を誤って伝えるものだ」として、ユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・米ロサンゼルス)は13日、当地で抗議の記者会見を開き、文春側に元捕虜らへの謝罪を求めた。
記事は、同誌の昨年12月号に掲載された「『バターン死の行進』女一人で踏破」。ジャーナリストの笹幸恵さんが、フィリピンで行進のルートを4日間かけてたどり、「栄養失調気味の私ですら踏破できた」と報告。「日本軍による組織的残虐行為」との批判に、疑問を投げかけた。
行進を体験した元米兵でアリゾナ州立大名誉教授のレスター・テニーさん(86)は、文春側に抗議文を送付。会見で、「水や食事をきちんととって歩いた彼女の行程は、当時の状況とかけ離れている」と批判した。
同誌編集部は「抗議文などを見ておらず、現段階ではコメントできない」としている。
同センターは1995年、文芸春秋社の月刊誌「マルコポーロ」の「ナチスのガス室はなかった」とする記事に抗議し、同誌は廃刊になった経緯がある。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060114i504.htm
文芸春秋社は過去に前科があり、月刊誌「マルコポーロ」がナチスのホロコーストを歪曲記事を載せて、抗議され廃刊になったことで有名。発刊している雑誌、「週刊文春」、「文藝春秋」、「諸君」にて従軍慰安婦や南京大虐殺、さまざまな歴史修正右翼記事、ナショナリズム煽動記事、政治家や芸能人などのスキャンダル名誉毀損記事などを出すなど罪深き会社が文藝春秋社である。今回のバターン死の行進に限って言えば、欧米で広く知られており、捕虜を非人道的に扱った日本軍の戦争犯罪として有名である。バターン死の行進の背景には日本軍は「戦陣訓」にある「生きて虜囚の辱(はずかし)を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿(なか)れ」が象徴するように、兵士は投降するものだと考えていなかったことや、補給体制の貧弱さによる薬品や食糧の不足、日本軍は大原則として移動手段は徒歩であり、米軍は機械化されており、ジープで移動などの基本体制の差が背景にあったのである。何よりも許せないのが、歩けない兵士を虐待するとか、列から遅れたり、はみ出したりするだけで殴ったり刺し殺したりする残虐性、まして何の理由もなく、列から引っ張り出して殴り殺したり射殺するのはとんでもないことだし、助けようとした周りのフィリピン民衆に対しても刺し殺したり、射殺したりする非道性である。どうせ南京大虐殺否定の東中野がやるような非科学的で言いがかりのトンデモ検証でバターン死の行進に疑問をさして、日本の国家犯罪に疑問を向け記事を書かせるとは恥を知れといいたい。この抗議を気に、中国や韓国だけではなく、バターン死の行進の現場で100万人以上が犠牲になったフィリピンの方々やアメリカの方々、そしてユダヤの方々が日本の歴史歪曲・右翼問題に目を向けて下さったら、私としては幸いだと思います。日本の右翼勢力や小泉政権、今後小泉後に誕生する日本の政権は歴史・靖国問題の前に四面楚歌という状況を向かえることになればと思います。そうしないと日本の新しい歴史教科書問題や戦争責任問題、靖国問題は解決しないと思いますし、今後の進展を見ていきたいと考えてます。