2008年01月03日

もの食う人びと 辺見庸著 共同通信社にみる日帝悪part1 ちょっとした本書の感想とミンダナオ島における残留日本兵における人肉食の話 

あけましておめでとうございます。今年の第一歩として、書籍に見る日帝悪シリーズを久々にエントリーしたいと思います。
 もの食う人びと 辺見庸著 共同通信社を読みました。この本は1994年に出版されたもので、12〜13年前の本である。この本に書かれている日帝悪の部分を抜き出したいと思います。共通通信の記者である辺見氏が世界各地を旅をして、出会った人と、その人々が何を食べていたか、というのを取材執筆し、ルポタージュという形でまとめた記録である。ただし、グルメ本ではなく、生きるためには、万人共通なのが食、食そのものに付随するさまざまなドラマがあることを思い知らされた著作だった。多くの国を訪れ、食を通して現代世界の皮肉な現実を伝えている。
 著者はバングラディシュのダッカの駅前広場の屋台で知らず知らずに、残飯を口にしたりしている。骨付きカルビを喰おうとした瞬間、現地の人から止められた。肉に他人の歯型があることに気づき、思わず皿を放り出す。その皿を奪い取り、残った残飯の骨付き肉にわき目も振らず噛み付く少年。少数の富めるものは、本書にはそれを"残飯リサイクル"と書いてあるが、大量に輸入しては喰い残す日本の現状を考えさせてくれた。
 ミャンマーの軍事政権が西部のイスラム教住民へ迫害をはじめ、多数の難民がバングラディッシュに流入するということがあった。当初、周辺部の村人は同じイスラム教徒ということもあって、毛布や食料を持ち寄るなどして親切にしたという。国際赤十字などが本格的に食糧援助を開始したら少し気配が変わった。配給された食糧が同程度以上のものだということが村人は知ると、急によそよそしくしたのだ。難民たちは配給された食糧では何もできない。食糧を調理するためには、薪(燃料)がいるのだ。妬みを抱く住民はわかっていない。薪は治安上の理由で配給はされていないので、配給された食糧を物資を売って手に入れる。薪だけではなく、さらにちゃんとした料理(本書では魚のカレー煮としている)を食べたいために、その材料を仕入れなければならない。しかも村人の言い値で買わないといけないという事情もあり、配給された食糧はどんどんと減っていくのである。実際には恨まれるほどは食っていないし、ミャンマーに戻るに戻れない。食糧を減らしたくないために、せめて薪だけは自分たちで調達しようと山の木を折る。はげ山もできる。村人たちに言わせれば、"働かずに食糧をもらっているだけでなく、山の木を折っては、根っこまで引き抜いて燃料として持っていく"ということになる。お互いの事情が真に理解できず、感情は行き違い、食料に絡む妬みが恨みへと変わっているという皮肉な現状があった。良かれと思って国際社会が行った慈善援助が、時に大きな問題をもたらすことになるのであろう。生きるために誰もが欠かすことができない"食"だけに、それが生み出す問題も多いということなのだろう。
 チェルノブイリの移住禁止地帯の故郷に疎開先から余儀なく戻ってくる老人たち・・彼らは、放射能で汚染された森のキノコや魚、リンゴを食う。外国からの援助が来ても食べずに、一生懸命何とか縁をつなぎとめるために、疎開先の孫に送ったりしているというという話、村の小学校で586人の生徒のうち289人が両親か片親をエイズで亡くしているという、ウガンダでのエイズの話など、他にも私が考えさせられることがたくさんあった。飽食の日本の中で、普段"食"というのをあまり日常の中で考えることはないかもしれません。
 前置きが長くなりましたが、本書にみる大日本帝国の加害事実を取り上げていきます。
ミンダナオ島の食の悲劇(p43〜53)より、ミンダナオ島の残留日本兵による人肉食事件を取り上げます。フィリピン・ミンダナオ島カガヤンデオロ市から南東に約90キロのキタンラド山中に、著者ととある老人はいた。その老人はアルハンドロ・サレといい、農民。第二次世界大戦でアメリカからシルバー・スター勲章を贈られたこともある元フィリピン軍大尉であった。著者はその老人に、残留日本兵が1947年まで潜んでいた現場まで案内してくれるように頼んだという。

私は三度も転んだ。老人は一度しか転ばなかった。抗日ゲリラ戦当時の山歩きと退役後の農作業で足腰が鍛えられている。 
 夫人はタフなこの老人を時々おどけて「タイソン」と呼ぶのだという。マイク・タイソンのタイソンだ。私がこけるたびに、"タイソン"は、ほっほっほと笑う。 
 泥だらけの私をしりめに、老人が野の草を引き抜きはじめた。 
 アザミみたいな花をつけた草。ドゥヤンドゥヤンというのだそうだ。「連中(残留日本兵)はこの草とあの肉をいっしょに煮とったよ」 言いながらドゥヤンドゥヤンの花をむしっている。泥道に、血のように鮮やかな朱色の点が散らばった。
(p44)
老人といってもものすごく鍛えられているようである。体のほうがしっかりしているということは、頭の記憶のほうもしっかりしているということだろう。あの肉というのは、後にでてくる人肉のことである。
 途中に掘っ立て小屋があった。
 「ここからも農民が連れていかれた」 老人がつぐやく。 
 ふもとのインタバス村まで私を乗せ、そのまま同行してきたトラック運転手が「行き先は皆連中の鍋のなかだよ」と冗談でなく言った。
(p45)
具体的に日本軍による被害の証言がでてきた。アジア・太平洋の占領地の各地、住民虐殺や強姦、性奴隷制度だけではなく、日本兵による人肉食もあったのである。特にフィリピンやニューギニアの例は有名だが、日本兵が現地住民を狩って、食っていたという人肉食の蛮行はもはや公然の事実である。しかし、そのことは最もタブーとされ、強姦や慰安婦制度以上に日本社会では伏せられている。
 老人がぽつぽつと語りはじめた。 
 この山一帯に潜んでいた旧日本軍第14方面軍所属揚陸隊の高官(すでに死去)の子息が、74年ごこからわざわざ老人を訪ねてきたので、この小屋まで案内したという。
 「あの話」をしたかどうか、私は聞いた。
 「しないさ。子供にするわけがない」老人は顔色も変えず、答えた。
(p45)
なぜ、訪ねにきた旧日本軍戦没者の子息に対して、日本兵の人肉食について話さなかったのだろうか。日本社会の反動、侵略戦争・戦争犯罪否認否定論が後を絶たない理由の一つが分かった気がする。海外に慰霊にでかけた戦没者の子息がこういった加害の話を持ち帰ってこないからである。現地の人にこういう話をされても、無意識に自分の心の奥底に封じ込めてしまうというケースもあるだろう。あるいは、慰霊事業が現地の収入源になっている事情もあるのかもしれない。
 フィリピン人の同僚が私の会社にいるが、なかなか過去の戦争のことについてしつこく聞いても話してもらえなかった。粘って粘って、祖母が日本兵にレイプされた経験をもつことや日本軍の元で働いていたお爺さんが捕らえて拷問して殺した抗日ゲリラの死体を切り裂いて食ったのを目撃したという戦慄の日本兵の人肉食の話をようやく聞きだすことができた。したがって、現地の人がわざわざ遠くから訪ねてきてくれたご子息を気遣って、こういう加害、とりわけ日本兵に身内や住民が食われたなどという話をしないということも多いのではないかと思う。私はこの点、サレ老人を批判するし、こういう配慮は最も無用のものだと思う。まあ、話を戻して続けると
 掘っ立て小屋から先の密林地帯には、この揚陸隊員30数名の投降(47年2月)以来、日本人はだれも入っていないという。登るのがかなり難しい。
 老人が「それでも行くか?」と問うた。
 事件から46年。現場を見たところでどうにかなるわけでない。が、見たかった。
 濡れぞうきんのようになった体を引きずって、どこにも道筋のない勾配を登った。木のとげで腕を擦りむいた。ヤマビルが張りついている。やぶ蚊にも刺されどおしだった。
 「ゴーゴーゴー」と老人は私に気合をかけた。
 「謎なんだな」
 老人が立ち立ちどまって独りごちた。
 残留兵たちが栄養失調状態にあったのは事実だろう。が、46,7年当時、山 には野豚も猿もいた。山を少し下れたガビ(里芋)も生えていた。
 残留兵たちには銃も弾薬もあった。タンパク質がほしかったら動物だけを撃てばよかったのではないか。動物がだめなら、栄養豊富なガビだけでも相当生きられるのに。あれを、しかも数十人も食ってしまうなんて・・・。
 それがいまでもどうしても謎だというのだ。
 戦争とそれに伴う極限状況が人類最大のタブーを破らせた。
 私は疲れた顔でそう考えていた。同時に、この一般論はどんな戦争犯罪にも当てはまっているけれども、老人の言う謎への正確な答えにはなっていない気がした。
 「投稿してきた時、彼らはけっこういい体つきをしとったな」
 老人は続け、ほっほっとまた笑った。攻めるでも皮肉でもない声音である。ただ、なにごともあきれるほど陽気に話す人なのだ。
(p45〜47)
残留日本兵たちが人肉を食った理由である。食糧もなにもない極限の状態だったら、起こりえることである。アンデス山中の墜落事故で、乗客たちが人肉食をして生き残ったというエピソードは有名である。人間が人間を食うという状況は極限のものだろうが、そもそもこのフィリピン残留兵による人肉食のケースには当てはまらない。食糧があったのである。タンパク質が欲しいのであれば人肉でなくても、その辺の動物を捕らえて食べればいいのである。動物が無理でも、ガビというフィリピンの粘り気のある芋もあったのだ。
著者の言うとおり、戦争とそれに伴う極限状態により引き起こされたという一般論だけでは、この残留日本兵による人肉食を説明するのには不十分である。なぜならば、大日本帝国・日本軍、天皇ファシスト体制の軍隊がもちうる特有の暴力的教育システムによるものである。日本軍将兵の没個性化、残虐性、人格・人間性の荒廃が極限にまで進み、敵兵も捕虜も非戦闘員、女も子供も幼児も見境なく殺し、犯す殺人マシーンと化した。そして、惨めなその成れの果てが住民を見境なく撃って狩って人肉を貪り食う残留日本兵である。侵略戦争を遂行し、大日本帝国天皇ファシスト制度の日本軍の比類なき軍隊暴力システムが生み出した必然である。
 1500mほど登り、うっそうとした樹海に入ったところで、著者は疲労のためへたりこんでしまうのだが、そのとき老人は叫んだ。
「あそこだ!」 老人の太い指が、谷を隔て4,50メートルほど先の尾根を指している。
 だが、なにも見えない。原生林のあいだの、丈の高い草しか見えない。近づこうにも、急な崖でとても行けそうにない。回りこむにはふたたび樹海を抜けなければならない。
 フィリピン兵の攻撃を逃れ、潜むのには格好の場所だったのだろう。そこは、しかし、人が存在するにはあまりにも厳しく、5分もたたずむだけで孤絶感で震えがくるほどの空間だた。
 敗戦を知らず、あるいは信じようとしなかった者たちに生じた心の乱れが、ここまで苦労して登ってきて、はじめて少しなぞれる気がした。胸が締めつけられた。
 あの尾根に残留日本兵の小屋が5つあったという。
 47年のはじめに老人の率いる兵が急襲した時、野の草とともに調理されたその肉が、鍋と飯盒に入っていたのだ・・・・。暗い樹海に老人の声がやけに大きく響いた。
 マニラで読んだフィリピン公文書館所蔵の戦争犯罪裁判(49年)の英文記録を私は思い出していた。揚陸隊兵士のうち十数人の供述がいま、うめき声になって聞こえてくる。
 「私は食べました」
 「私も食べました」
 私だったら、どうしたか。食べずにいられたか。
 この仮定はばかげているだろうか。思いにふけっている時、老人は沈黙を破った。
 「私もあれを食べてしまったのだよ」
 わが耳を疑い、私は「え?」と問うた。
 「私も食べてしまったのだよ」 目の前の陽気な老人が、人を食べたことあると告げている。しかも、馬肉でも食べたと言うように、さらりと、こともなげに。
(p47〜48)
著者はさらに、奥地に進み、残留日本兵の潜んでいた場所にたどりつく。私は日本人が人肉を食う蛮族だとは思わない。残留日本兵らも元は普通の百姓だったり、学生だったり、家族を持つ父だったのだろう。だが、大日本帝国は揚陸隊兵士たちを見境なく殺し人肉を食う蛮族に変えたのだ。改めて大日本帝国という存在に激しい怒りを覚えた。
 揚陸隊兵士が潜んでいた現場を指して、なぜ食べたのかを、サレ老人は語りはじめた。
 1947年はじめの残留日本兵掃討作戦の最中だった。
 未明の急襲で、現場は暗かった。日本兵は逃走した。
 小屋近くの鍋にまだなま温かい料理があった。サレは当時20代の食い盛りだったし、朝食をとらずに出発したので空腹だった。
 鍋の肉を5切れむさぼり食べた。
 「まだ若い犬のシチュー」だと思った。ちょっぴり塩辛かった。
 日光が射してから、耳、指の形で人だとわかった。木の下に人の頭部もあった。
「胃のなかのものを吐こうとしたんだ。だが手遅れだったな」
 老人はカトリック教徒である。すぐ神父に告白した。まちがって食べたのだから、罪にはならない、と言われたという。
 その「偶然の食」についてのこだわりを、私はいかつい表情に探ろうとした。が、深く隠されているのか、なにも見いだせなかった。ただ、通常はのぞけないある領域をこの人は見てしまっていると思った。
 私は日本兵を何人殺したことがあるか、老人に問うた。
 ぶっきらぼうにサレ老人は答えた。
 「7人さ」
 私たちは無口になって山を下った。
(p48〜49)
偶然にしろ、人肉を食べてしまったサレ老人には酷な体験だったと思う。著者と話した時は平然と人肉を食べたことを言い、若い犬の味だったというが、当時としては寿命の縮む思いをしたのであろう。まさか、残っていた鍋の肉が人肉だったとは思いもしなかったであろう。著者は山を降りたふもとのインタバス村での被害者の証言を聞くことになります。
 ふもとのインタバス村にたどりついたら、村人が6,7人、私を取り囲み、キタンラド山になぜ登ったか問うてきた。
 私はわけを話した。残留日本兵の「食」に少し触れた。
 その時に村人が示した反応を、どのように形容すればいいのだろう。疲労の果てに夢を見ているのかと私は思った。
 村人たちは口々に言ったのだ。
「母も妹も食われてしまいました」
「私の祖父も日本兵に食われてしまいました」
「棒に豚のようにくくりつけられて連れていかれ、食べられてしまいました」
「食われた」。この受け身の動詞が、私のメモ帳にたちまち10個も並んだ。
 村人たちは泣き叫んでいない。声を荒げてもいない。押し殺した静かな声だった。なのにメモ帳が「食われた」という激しい言葉で黒く埋まっているのが不思議だった。老人は、戸惑う私を無言でじっと見つめていた。
 49年の戦争犯罪裁判(マニラ)の証言者でもある農民のカルメリノ・マハヤオが、村人の声をまとめた。46年から47年はじめにかけて、この村とその周辺だけで38人が残留日本兵に殺され、その多くが食べられた。頭部など残骸や食事現場の目撃証言で事実は明白になっている。しかし、日本側は一度として調査団を派遣してきたことはない。
 マハヤオは最後に言った。
「でも、忘れないでくださいよ。きちんと伝えてください」
 じつは、事件の概要は92年秋、共同通信マニラ支局により報じられている。しかし、47年以降の残留日本兵の尋問当時から、現代史ではきわめてまれな兵士による「組織的食人行為」として、連合軍司法関係者を仰天させたこの事件の全貌は、日本ではほとんど明らかにされていない。
 なぜだろう、と私は思う。
 事実を秘匿する力がどこかで動いたのだろうか。そうだとしたら、この事件がとても説明がつかないほど深く「食のタブー」を犯していることへの、名状しがたい嫌悪が下地になっていたのではないか。
 戦争を背景にした一つの過誤として、もう忘れたほうがいい。そんな意識もどこかで働いたかもしれない。だが、私のすぐ目の前には、肉親が「食われた」ことを昨日のことのように語る遺族たちがいる。「食った」歴史すら知らず、あるいはひたすら忘れたがっている日本との気の遠くなるような距離。私はひたすら沈黙するしかなかった。
(p50〜51)
文字を通して語られる「食われた」という被害証言。大日本帝国・日本軍の侵略と戦争犯罪を追及する側の私にはズサリと心に突き刺さってくる。フィリピン公文書館所蔵の戦争犯罪裁判記録および、戦争裁判での証言者カルメリノ・マハヤオ氏の調査によって、インタバス村で起きた残留日本兵による人肉食があったことはもはや疑いようがないだろう。この出来事は厳密には戦中ではなく、戦後起こったことであるが、日本兵たちをこのような蛮族に仕立て上げた日本政府に責任があることは明白である。
 しかし、日本政府は一度として調査団を派遣してこない。事実を隠匿する力が働いたのは明白であろう。南京事件をはじめ、身近な中国での戦争犯罪でさえ、本多勝一氏の"中国の旅"のルポが始まった(南京事件から34年後の)1971年まではほとんど明らかにされていなかったのだから。
当然、過去の戦争犯罪・残虐行為について隠避する力は人肉食に限らず、ことさら閉鎖的な日本社会だからこそ強く働くのである。明らかになったらなったらで、臭いものには蓋、責任の所在を曖昧にしたり、転化したり、すり替えたり、あるいは戦争犯罪の事実そのものを否定するような反動的な力が何処からともなく湯水のようにわいてくるのだ。
私はその力の排除に忙しい。戦争犯罪はもとより、東南アジアの占領は侵略だった、朝鮮半島は植民地支配であるという風な簡単な事実にまで、その力は働くのだから。それが日本兵による現地住民への人肉食という食のタブーも合わさることになれば尚更のことである。過去の侵略・戦争犯罪をめぐる問題はものすごく根が深い。フィリピンのインタバス村での残留日本兵による人肉食事件にとどまらない。日本軍に被害を受けたことを話す昨日のように語る被害者や遺族、加害の歴史すら知らず、ひたすら忘れたがる日本との気の遠くなる距離を埋めなければ、アジア・太平洋戦争は真に終戦を迎えることはできないのである。
 サレ老人と私はインタバス村をあとにした。
 道すがら老人は、彼が中心となり遺族らを対象にほぼ半世紀前の事件の聞き取り調査をはじめたことを明かした。日本政府になんらかの補償を求めたいというのだ。
「(元残留日本兵の)個々人については、もう恨んでないのだよ。みんな、いい人たちだ」
 水溜りを巧みによけながら、老人は話した。 老人は残留将兵30数人の投稿に立ち会っている。そのうち10人がマニラの法廷で死刑、4人が無期懲役を言い渡されたが、恩赦で刑は執行されず、死去した隊長を除く全員が帰国したという。その後、キリスト教徒になった人、ミンダナオの村に薬品を送ってきた人、現地入りして村民に謝罪していった人もいる。
 補償要求といっても、人知れず悩み抜いているだろうその人たちには迷惑をかけたくない、と老人は言った。 老人は帰国した彼ら元残留将兵と文通していた。元将校が、日本に語学研修に行った老人の娘の身元保証人になったこともあるという。
(p52〜53)
サレ老人は補償を求めるべく、運動を起こそうとしていたのである。今現在でも調査や補償を求める運動が続けられているかどうかは分からないが、日本は即急に彼らの求める補償に応じなければならないのはいうまでもあるまい。残留日本兵も元は普通の人間だったのである。薬品を村に送ったり、村の人に謝罪をした人、語学研修を言ったサレ老人の娘の身元保証人になったりと、人間性を取り戻し、過去の自分自身の罪を償おうと必死に生きようとする元残留日本兵の人たちがいた。それと対照的に過去の戦争犯罪の事実と何も向き合おうとしない日本政府と日本社会。過去清算を果たし、日本軍が侵略し、被害を与えた国・地域の人々と真の和解が達成される日が来るでしょうか。著者は慰安婦被害者にも取材をしており、Part2ではそれを取り上げたいと思います。Part2へ続く
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 14:44 | Comment(11) | TrackBack(1) | 書籍などにみる日帝悪および書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 又、「証言」ですか?
いくら言っても解ろうとしない様だが、
 『証言は物語化する』のだ。
どんなに村人達の話を聞き取り調査しようとも、
『物証』が無いと単なる「都市伝説」レベルの
お話に過ぎなくなる。
誰だってそう思うだろうが、この辺見氏のした
のは、『民話・伝承・怪談・都市伝説の聞き取り
調査』と大差ないものだ。
 辺見氏は言う。
>>目撃証言で真実は明らかになっている。と。
 ここだけ見てもこの人が『証言の裏取り』を
やっていないのは明白だ。
相手の言うままを何の疑いも無く信じ込み、
そのまま自著に載せてしまう。
普通、こういう状態を「思考停止」と言うのでは
無いか?証言の強烈さに圧倒され、脳の働きが
止まってしまった状態。
 この本は辺見庸氏の思考停止ぶりを示すもの
と言える。
   では、これにて。
Posted by 懐疑主義者 at 2008年01月03日 15:14
お前、節穴だろ?すでに辺見氏は裏づけのようなものはとってあるだろうが。フィリピンの戦争犯罪裁判記録に目を通して、日本兵の人肉食があったことを確認しているはずだが。その裁判記録を示せとか、その裁判記録、一次資料であるが、それの裏づけをとったかなど、学者でもない一ルポライターにそこまで求めるのは酷というもの。
Posted by 節穴 at 2008年01月03日 23:58
 今晩は。節穴さん。懐疑主義者と言います。
 そうはおっしゃいますが、では、「学者でもない一ルポライター」だったら、いい加減な証言で何書いても良いんですか?それだと報道ーこの場合はルポルタージュだが、報道と同義に扱うー被害は無くなりませんね。
 「挙証責任」と言う言葉が有ります。これは、「有罪を言い出した側に証拠を挙げる責任が有る」と言う意味の法律用語です。
もちろん、この[証拠]は「物証」で無いといけません。
 では、辺見氏はそれを果たしたと言えるでしょうか?
私が引用文を読んだ限りでは、それは無いとは言わないまでも、かなり希薄だ。と言わなくてはならない。
一応、戦争裁判の記録は読んだらしいが、それについての記述が少ない。裏取りをしたかについては何も無い。
 事は「日本兵による現地人殺傷食肉事件」だ。重大事件なのだから、きちんと裏取りして貰わないと困る。
なにせ、日本の名誉が掛かって居るのだ。裏取りを要求して何が悪い?
告発して居るのは辺見氏の側だ。復讐裁判になりやすい戦勝国の主催する戦争犯罪裁判の記録、それも「証言」でなく、何でも良いから「裏の取れた物証」を示さなくてはね。
 では、これにて。
Posted by 懐疑主義者 at 2008年01月05日 18:42
裏の取れた物証って何よ?ボケナス
Posted by at 2008年01月05日 19:10
 上の人のコメントへ。
では、あなたは「裏の取れた物証無しで、誰かが"あいつは殺人をした"と告発しただけで逮捕され、碌な裁判も受けられず死刑にされても」良いんですね?
あなたの言い方だと、あなた自身がそうなっても文句は言えない。言えばダブルスタンダード(二重基準)になるからだ。
あなたの様に「挙証責任」等の近代司法制度の考え方を否定して居るとしか思えない人達が最近は多い。
裁判員制度がもうすぐ始まると言うのに、困るんですよ。それだと。
 良く考えてから発言なさって下さい。「ボケナス」等の罵倒語は使用しない方が宣しいでしょうね。意味が無いから。
  では、これにて。
Posted by 懐疑主義者 at 2008年01月05日 19:58
☆ (これ)とうん            
 ☆ (これ)とうん〃 ∧_∧   /歯序優の右翼トボルイウングジヤウング♪
  □ ___\(\・∀・)<2 ti私のニェルで他人のザリュアも当たったマあだ- ?
      \--/ ⊂_)_ \____________
    /|
   |  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:|  |
   | h an 利他なの  .|/
数万にはする研究室の実験器具を壊した事を隠蔽しようと思った癖に人から h an 版で暴露して売渡(罵倒)(売渡(罵倒)) 物笑いを受けた.

他人のザリュアドを本人のホがオブだと h an 版で当たって, スレ住人が責めることができたが顔色が変わって裂く-西門依頼島しないで逃走した.

2 ジミウングニェリュの理科版でイルボングヨッククヨッククジゴリパンスレセウォをして沈着冷情, 頭脳明細である住人の売渡(罵倒)(売渡(罵倒)) 物笑いを受けた.

2 ジミウングニェリュヤはリョパンで日本の加害情報要求するなどであほらしいスレセウォをしてチグスカンをシックククッグスレストになった.

hよ an 良い湿布して(邪魅)を(ノングウィ)と読んで非常にムンマングネボリョポムネヌンになった.

理科大学の学生ながら本を買ったことがただ 2冊万がラメテヨンハゲゼサンなら hよ an 版でスレ住人がまいることができた.

南京大虐殺問題で妄言席あったが博覧綱紀の h an 版パンゴズザに全然適う道理がなくて右と逃走した.

h an 版で意気さんたちとソースに 「半月城通信」を引用して大幅所になった.

自分の専門分野に到着して質問受けた時にアルケミーみたいな化学反応式を開きなさいと文科住人さえ絶句させた.

鬼女版と恐ろしがる既婚女性版に芳名録を書いて百戦研磨一騎当千の鬼女版住人に粉砕されて小給暇 「お前たちは一生結婚することができない!!」と
既婚女性版住人が化石するしかない捨てるせりふを吐いて逃走した.

就職の面接で担当者が一自省だったからエゴイスチック在日朝鮮人で決めて得意満面でこのオノイウィブログ (院)みたいな電波左翼妄言を吐いて素敵に落ちた.

民団の掲示板に日本の悪口を書いて賛同を要求したが反対に門前薄待を式などはアヨンハゲにするほどのチソサングを終りになって bubetuと物笑いを受けた.

自分の風呂場道具でも歳に読むのにかかって物笑いを受けた.

自分の風呂場道具の管理も満足にできなくて毎年 12月 31日に皆さんの投稿を待っていますなどだと言う
言葉外に縁(側) 鳥を後進続いた.

土地来るという自分の風呂場道具で自作の時グリムウングを始めたが文体に帰る事もできない地取ってアックゴだから一発でばれた.

結局他人の万を分はザシンキネを始めたが
それを難しくて球団になると麻子ぴったりやめて失笑を買った.

他人様を代弁インも呼んだ癖に自分の意見を言わないで他のブログや HPをリンクすることだけで相手を論破したと信じてしまう位の tisyou加減が糾弾されて何も反論しないでオナアアにおいてエントリーを連続tジブオグヨルモスブをまたまた証明した


Posted by ちいいいえええええおおおおくううれええとおおおうううばああつううにんんんのおおてええんんぷうれえでえすうう at 2008年01月17日 15:33
チン☆ チン ☆チン マチクタビレタ〜 ♪
           ♪
    ♪          ☆チン    .☆  ジャーン!マチクタビレタ〜!
        ☆ チン   〃  ∧_∧  ヽ/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          ヽ  ___\(・∀・ #) /\_/ <癡處齲の右翼討伐塵ちゃん♪
        チン    \_/⊂    つ    ‖  2 tiィヤんネル゙で他人サマのメァド サラシたシャザイまだー?
           / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|     ‖    
        |  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |   /|\
        |             |/

数万もする研究室の実験器具を壊した事を隠蔽しようと思った癖にテメエから h an 版で暴らして売渡(罵倒) 物笑いを受けた.
h an 版で 他人のめえアドを本人の許可なくサラシしてスレ住人に糾弾されたが開き直ってさあくうじょおお依頼もしないで逃走した.
2 チィヤァんネルの理科版で旧日本軍の悪口雑言をカキコして沈着冷情, 頭脳明細な住人の(売渡(罵倒)) 物笑いを受けた.
2 チィヤァんネルは海外旅行版で日本の加害情報要求するなどあほらしいスレ縦をして総スカンを喰らい速攻でスレストになった.
h an 版で(sあbあ)を(kおい)と読んで余りの鞭悶妄がばれて祭りになった.
理科大学の学生ながら本を買ったことが2冊だけとほざいて h an 版でスレ住人を唖然とさせた
南京大虐殺問題で妄言ほざいたが博覧強記の h an 版住人に全然適う道理がなくて泣き言を残して逃走した.
h an 版で得意気にソースに詐欺師の 「半月城通信」を引用して半月城のインチキさを知悉している住人の大爆笑を誘った.
自分の専門分野に間して質問受けた時に錬金術ーみたいな化学反応式を曝して文科住人さえ絶句させた.
鬼女版と恐ろしがられる既婚女性版におぅなにぃカキコをして百戦練磨、一騎当千の鬼女版住人に粉砕されて狼狽逆上
「お前たちは一生結婚することができない!!」と既婚女性版住人が化石するしかない捨てせりふを吐いて逃走した.
就職の面接で担当者が一文字性だったから在日朝鮮人と決めつけて得意満面でこのsenzuriブログの如き電波左翼妄言を吐いて見事に落ちた.
大学院をでても全く使い物にならず担当教授のお情けで研究室の派尻をやってかろうじて糊口を繋いだ
どこの版でも全く相手にされず遂に民団の掲示板に日本の悪口を書いて賛同を要求したが反対に門前払いを喰らって唖然とするほどの怒唖補さ加減をオチしていたh an 版住人の bubetuと物笑いを受けた.
自分の風呂具でもまんまと縦読みにひっかかって物笑いを受けた.
自分の風呂具の管理も満足にできず毎年12月31日に皆様の投稿をお待ちしています等という
うましかエントリを何時までも削除出来ず莫迦をさーら下.
土地来るって自分の風呂具で自作時絵んを始めたが文体を帰る事も出来ない蜘獲悪苦れの為一発でばれた.
遂に他人の鏝を方って自分まnせえを始めたがそのことを厳しく球団されたとたんぴたりと辞めて失笑をかった.
他人様を糞コテ呼ばわりした癖に自分の意見をいわず他のブログやHPをリンクするだけで相手を論破したと思い込む位のtisyouさ加減を糾弾され何も反論せずオナアアにいエントリを立て続けるtいえオく列振りをまたもya証明した
「類は友を呼ぶ」、「癡處齲と付き合うと癡處齲が伝染る」、という真理を鷹嘴(不条理日記)が癡處齲討伐人と同じく他人
のめえアドを本人の許可なくサラシしてをやらかしている事で実証した。
鷹嘴(不条理日記)が癡處齲討伐人を凌ぐちぃえぇおくうぅれなのが「なめてます」コメント及び
「高潔にして偉大なる俺様のsenzuriブログに都合の悪い事をカキコした奴はIPアドレス、サーらしてやんよ!!」コメントで判明した(w
Posted by ちいいいえええええおおおおくううれええとおおおうううばああつううにんんんのおおてええんんぷうれえでえすうう at 2008年02月26日 21:30
チン☆ チン☆ マチクタビレタ〜 ♪
           ♪
    ♪          ☆チン    .☆  ジャーン!マチクタビレタ〜!
        ☆ チン   〃  ∧_∧  ヽ/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          ヽ  ___\(・∀・ #) /\_/ <癡處齲の右翼討伐塵ちゃん♪
        チン    \_/⊂    つ    ‖  2 tiィヤんネル゙で他人サマのメァド サラシたシャザイまだー?
           / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|     ‖    
        |  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |   /|\
        |             |/

数万もする研究室の実験器具を壊した事を隠蔽しようと思った癖にテメエから h an 版で暴らして売渡(罵倒) 物笑いを受けた.
h an 版で 他人のめえアドを本人の許可なくサラシしてスレ住人に糾弾されたが開き直ってさあくうじょおお依頼もしないで逃走した.
2 チィヤァんネルの理科版で旧日本軍の悪口雑言をカキコして沈着冷情, 頭脳明細な住人の(売渡(罵倒)) 物笑いを受けた.
2 チィヤァんネルは海外旅行版で日本の加害情報要求するなどあほらしいスレ縦をして総スカンを喰らい速攻でスレストになった.
h an 版で(sあbあ)を(kおい)と読んで余りの鞭悶妄がばれて祭りになった.
理科大学の学生ながら本を買ったことが2冊だけとほざいて h an 版でスレ住人を唖然とさせた
南京大虐殺問題で妄言ほざいたが博覧強記の h an 版住人に全然適う道理がなくて泣き言を残して逃走した.
h an 版で得意気にソースに詐欺師の 「半月城通信」を引用して半月城のインチキさを知悉している住人の大爆笑を誘った.
自分の専門分野に間して質問受けた時に錬金術ーみたいな化学反応式を曝して文科住人さえ絶句させた.
鬼女版と恐ろしがられる既婚女性版におぅなにぃカキコをして百戦練磨、一騎当千の鬼女版住人に粉砕されて狼狽逆上
「お前たちは一生結婚することができない!!」と既婚女性版住人が化石するしかない捨てせりふを吐いて逃走した.
就職の面接で担当者が一文字性だったから在日朝鮮人と決めつけて得意満面でこのsenzuriブログの如き電波左翼妄言を吐いて見事に落ちた.
大学院をでても全く使い物にならず担当教授のお情けで研究室の派尻をやってかろうじて糊口を繋いだ
どこの版でも全く相手にされず遂に民団の掲示板に日本の悪口を書いて賛同を要求したが反対に門前払いを喰らって唖然とするほどの怒唖補さ加減をオチしていたh an 版住人の bubetuと物笑いを受けた.
自分の風呂具でもまんまと縦読みにひっかかって物笑いを受けた.
自分の風呂具の管理も満足にできず毎年12月31日に皆様の投稿をお待ちしています等という
うましかエントリを何時までも削除出来ず莫迦をさーら下.
土地来るって自分の風呂具で自作時絵んを始めたが文体を帰る事も出来ない蜘獲悪苦れの為一発でばれた.
遂に他人の鏝を方って自分まnせえを始めたがそのことを厳しく球団されたとたんぴたりと辞めて失笑をかった.
他人様を糞コテ呼ばわりした癖に自分の意見をいわず他のブログやHPをリンクするだけで相手を論破したと思い込む位のtisyouさ加減を糾弾され何も反論せずオナアアにいエントリを立て続けるtいえオく列振りをまたもya証明した
「類は友を呼ぶ」、「癡處齲と付き合うと癡處齲が伝染る」、という真理を鷹嘴(不条理日記)が癡處齲討伐人と同じく他人
のめえアドを本人の許可なくサラシしてをやらかしている事で実証した。
鷹嘴(不条理日記)が癡處齲討伐人を凌ぐちぃえぇおくうぅれなのが「なめてます」コメント及び
「高潔にして偉大なる俺様のsenzuriブログに都合の悪い事をカキコした奴はIPアドレス、サーらしてやんよ!!」コメントで判明した(w
Posted by ちいいいえええええおおおおくううれええとおおおうううばああつううにんんんのおおてええんんぷうれえでえすうう at 2008年03月03日 21:34
ノンフィクションの定義

フィクション以上に嘘の多い読み物

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フィクション以上に嘘の多い読み物
Posted by at 2008年04月21日 14:16
日本語でおk
Posted by at 2008年04月22日 14:01
痴藷烏討伐人のような考え方は、従来は「自虐史観」と呼ばれていたが、実はこの言葉に違和感があった。
何故ならば、痴藷烏討伐人は自分を除外して考えているからである。「自虐」というのは文字通り自分や自分を含めた集団を指す概念であるが、このような考え方を行う痴藷烏は形式的には「日本人」という集団の一構成員として「反省」したり「謝罪」したりするものの、本心では自分はその構成員ではないと考えている。
仮に、本当に自虐的で何にも心を痛めるのであれば、日本軍の「悪事」についてのみならず、
自分や自分が属する会社及び集団などの「悪事」についても言い訳をせず、反省・謝罪をするはずである。しかしながら現実はそうではない。
例えば、朝日新聞販売店の従業員が犯罪を犯した場合は、「弊社と取引関係のある販売店の従業員がこのような犯罪を犯したことは真に遺憾であり云々」と、自社とは関係がないことを強調する。
社民党も又市幹事長の女性スキャンダルに関して、「全くの事実無根でわが党に対する誹謗中傷するための云々」と防衛体制に入る。
ここには、自虐的な傾向は全く見られない。彼が本当に自虐的ならば、いかなる言いがかりであろうと「全部自分が悪いんです。
申し訳ございません。生まれてすみません」的な対応が見られるはずである。しかしそのような対応は全く見られない。
ところが、日本の「悪事」となると、捏造・隠蔽・拡大解釈・誇張などあらゆる手法を駆使して日本を責め立てる。
しかも、「日本人として」反省したりお詫びしたりする。ここが非常に厄介な部分である。
何せ、「お前いい加減なことを言うな。証拠を出せ」という主張が効かない。
「日本人として」勝手に相手側の立証責任を免除しちゃうからである。また、「名誉毀損だ」という主張も無効である。
「日本人として」日本を悪く言ってるだけなのだから、「自らの名誉を放棄して何が悪い」となるのである。
しかし、何となくモヤモヤする。腑に落ちない部分がある。これは、形式と実質を分離して考えることでスッキリする。
通常は形式と実質は一致しているので、何ら問題にならない。
例えば、又市幹事長は社民党の党員・幹部という肩書きを持っており(形式の問題)
自らも組織の一員として行動している(実質の問題)。
このように形式と実質が一致している場合には、又市幹事長及び社民党に対して何らかの不利益が生じる可能性が出ると防衛体制に入る。
ところが、又市幹事長は日本の国籍を持っているし「日本人として」と発言する(形式の問題)が
本音では「日本人」とは思っていない(実質の問題)。
それでは痴藷烏討伐人は自分を如何なる存在だと考えているかと言うと、

「正 義 の 日 本 人 」 と い う カ テ ゴ リ ー に 属 す る 人 間 だ と 考 え て い る の で あ る。

日本人を悪と正義に分けた上で、甚だしくも滑稽な事に自分は正義の側に立つと考えている。
正義と言うカテゴリーに属する人間が悪と言うカテゴリーに属する人間を非難しているのだから、自分は痛くも痒くもない。
痛くも痒くもないので「関与」という抽象的な言葉で責任を追及するし、「犯罪をしていない証拠を出せ」という無茶な注文も付ける。
しかし、「自分は正義のカテゴリーに属する人間だ」とは明言しない(良識派という単語は使うが)。
「同じ日本人として反省します」とは言うものの、実態は「他人」を批判しているだけ。
しかも、「他人」を批判すればするほど自分の相対的な正義度がアップするので、これはとてつもない快感を生み出す。
これはいわゆる差別と構造的に全く同じことが分かる。
「あいつは被差別部落の者で卑しい身分だ」と言い立てることで、自分の相対的な優位性を確認し安心する。
「あいつは戦争を反省しない悪い日本人だ」と言い立てることで、自分の相対的な正義度を高める。本質は何にも変わらない。
しかし、ただ一つ違うことがある。
被差別部落の者は形式的にも実質的にも被差別部落の人間であり、また同じように被差別部落以外の者は
形式的にも実質的にも被差別部落に属さない人間である。
つまり、部落以外の人間が部落の人間を悪く言っていると言う構造が、誰の目にもに明らかなのである。
従って、被差別部落の立場からは「俺たちを差別するな」という声が有効となる。
一方で「自虐史観」の場合は、外形的にはあたかも日本人が反省しているというように見える。
しかし、実質的には「全部あいつが悪いんです。私は悪くありません。『関与』したので責任があるのは間違いありません。
言い訳はさせません。私が封じ込めます。だから、私は悪くありません」という類の話であり、自虐でもなんでもない。こういうのは、単に「なすりつけ」という。
これは、構造的には部落差別と全く同じ話なのであるが、形式的には「日本人が日本人として反省している」だけなのだから、
差別として捉えられないところにタチの悪さがある。「てめえ証拠も無いのにふざけたことを言ってるんじゃねえ!」と言おうものなら、
「日本人が一人の日本人として反省することの何がいけないのでしょうか」とのたまう。しかし、これが本心でないことは既に述べた通り。
こういった問題を「自虐史観」と表現することは形式に着目したモノであって、本質を表現しているとは言いがたい。
実は、そこに日本人の陰湿な差別意識が隠れているわけであり、「差別反対!!」と喚き散らす痴藷烏討伐人こそ実は一番差別的な人間なのである。そこで、これを痴藷烏討伐人に自覚させるために、
今後は「歴史問題における差別的なすりつけ解釈」と呼ぶことにしたい。
少々長いのでもう少し短い言葉があればいいのだけど、代わりの言葉が見つかるまでは、
「歴史問題における差別的なすりつけ解釈」もしくは「差別的なすりつけ解釈」という用語を使用したい。
差別問題で痴藷烏討伐人がよく言うセリフに、「差別問題は、差別される側がどう感じるかの問題だ」というものがある。
従って、痴藷烏討伐人に「我々は差別などしていない」などという言い訳は通用しない。

痴藷烏討伐人こそが一番の差別主義者であることを自覚させなければならない。
Posted by 痴藷烏討伐人こそが一番の差別主義者であることを自覚させなければならない。 at 2008年04月29日 21:07
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Tracked: 2008-02-02 00:03
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