2006年06月01日

ビルマにおける日本軍の住民虐殺事件―カラゴン事件について

ビルマにおける日本軍虐殺事件―カラゴン事件をアップします。
http://www.come.or.jp/hshy/j96/08c.htmlより

【歴史残影】
旧日本軍戦犯を裁いた英国の全記録発見
共同通信によると、第二次大戦後、英国が旧日本軍の戦争犯罪を裁いた計303件、5万ページに及ぶ東南アジアなどでの裁判の全記録がロンドンの英国立公文書館から、ロンドン滞在中の関東学院大の林博史助教授(41)によって発見された。  

 英軍は原鼎三海軍中将以下、計8900人を逮捕したが、起訴されたのはそのうちの約1割。これまで英国人に対する残虐行為が中心とみられていた訴追対象が、現地住民の被害にも広く及んでいたことも判明し、林助教授が一年間にわたり裁判記録の分析を進めた結果、被告数は延べ919人、うち279人に死刑、55人に無期懲役の判決が下され、約230人の死刑が実際に執行されたことが分かった。107人は無罪となった。
 記録によると、1945年7月、陸軍第33師団歩兵第215連隊第3大隊が、ビルマ中部のカラゴン村を急襲。男性174人、女性196人、子ども267人の計637人を銃剣で刺し、井戸に投げ込むなどして殺害したと、難を逃れた当時の村長が証言した。

 46年4月、兵士3人とともに死刑判決を受けた同大隊の少佐が「(英軍に協力する)住民を殺せという連隊長命令に従っただけ。子どもを殺したのは、助けても孤児になって生きていくことはできないと判断したからだ」と供述した調書も見つかった。
 カンボジアのプノンペンの北約50キロにあるウドンで45年7月、窃盗容疑で逮捕した住民1人を生体解剖し、軍医3人が死刑になった事件や、「慰安婦」になることを拒否したビルマ人女性75人が集団暴行を受けたとされる事件の記録もあった。

続・戦犯容疑者の囹圉記
故 岡崎 武男 大正七年七月五日生(昭和四十三年没)
http://hp.town.kamifurano.hokkaido.jp/hp/saguru/0707okazaki.htm

四月二十七日
今日も又 立ち上りける 友と友
    吾れ腹空きて 止むる気もなし
今日入獄以来始めての、戦犯の裁判判決が伝えられて来た。判決で刑を言い渡された者は夫々別棟の独房に移されて行く。
 ◎ 判決 弓部隊関係(カラゴン事件)
 市川少佐         絞首刑
 緑川大尉以下中隊長三名  銃殺刑
 憲兵准尉一名        五年
 小林曹長           五年
 野本軍曹           七年
 

戦犯裁判記録翻訳資料
関連新聞記事
http://www.asahi-net.or.jp/~FM7s-KNJY/gunma_b/bccourt/kiji.htmより

埋もれた残虐行為克明に 
英の旧日本軍裁判記録発見  

 【ロンドン14日近藤共同記者】第二次大戦後、英国が旧日本軍の虐殺、拷問などの戦争犯罪を裁いた計三百三件、五万nに及ぶ東南アジアなどでの裁判の全記録が、ロンドンの英国立公文書館から見つかった。
連合国側は米国、英国、中国、オランダなど七カ国がBC級戦犯に対する戦争裁判をそれぞれ実施したが、件数が多かった英国による裁判の起訴状、判決文、調書などの全容が明らかになったのは初めて。
日本近現代史研究のため、ロンドン滞在中の関東学院大の林博史助教授(四一)が発見した。
記録は、住民約六百人が殺害されたビルマ(現ミャンマー)でのカラゴン村虐殺事件やカンボジアでの生体解剖事件など、歴史のやみに埋もれかけた戦争犯罪を克明に記載、旧日本軍兵士の目撃陳述書なども含まれており、貴重な歴史文書として注目される。

ビルマの村民600人虐殺
カンボジアで生体解剖

 林助教授が一年間にわたり裁判記録の分析を進めた結果、被告数は延べ九百十九人、うち二百七十九に死刑、五十五人に無期懲役の判決が下され、約二百三十人の死刑が実際に執行されたことが分かった。百七人は無罪となった。その後、冷戦による対日占領政策の変化から、減刑された戦犯も少なくない。
 英軍は原鼎三海軍中将以下、計八千九百人を逮捕したが、起訴されたのはうち約一割。これまで英国人に対する残虐行為か中心とみられていた訴追対象が、現地住民の被害にも広く及んでいたことも判明した。
 記録によると、一九四五年七月、陸軍第三三師団歩兵第二一五連隊第三大隊が、ビルマ中部のカラゴン村を急襲。男性百七十四人、女性百九十六人、子ども二百六十七人の計六百三十七人を銃剣で刺し、井戸に投げ込むなどして殺害したと、難を逃れた当時の村長が証言した。
 四六年四月、兵士三人とともに死刑判決を受けた同大隊の少佐が「(英軍に協力する)住民を殺せという連隊長命令に従っただけ。子どもを殺したのは、助けても孤児になって生きていくことはできないと判断したからだ」と供述した調書も見つかった。
 カンボジアのプノンペンの北約五十`にあるウドンで四五年七月、窃盗容疑で逮捕した住民一人を生体解剖し、軍医三人が死刑になった事件や、「慰安婦」になることを拒否したビルマ人女性七十五人が集団暴行を受けたとされる事件の記録もあった。
 裁判は四六年一月二十一日から四八年十二月二十日まで、現在のシンガポール、マレーシア、ミャンマーと香港の計二十カ所で開かれ、計三百五件が扱われた。うち資料の紛失は二件分にとどまっており、死刑執行日などこれまで日本で伝わっていた記録を大幅に書き換える内容となっている。

『大東亜共栄圏』の実態
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper41.htm
 ビルマでは、これまでわかっているかぎりで最大規模の虐殺は1945年7月のカラゴン事件である。パラシュート降下したイギリス軍の工作員とゲリラを支援していたカラゴン村を日本軍が襲い、女性子どもも含めて、10人くらいずつ井戸の側に連行し刺殺してから井戸に投げ込み、合わせて600人以上を虐殺した。現場で指揮した大隊長は、戦後、英軍による戦争裁判にかけられ死刑になるが、裁判のなかで子どもまで殺したことを追及されると、もし子どもを助けても孤児になり生きていけないので殺したと弁明している(英国国立公文書館所蔵英軍戦争裁判記録)。  
 ビルマではインドからイギリス軍の反攻が行われ、それに呼応してビルマ国軍も日本軍を攻撃した。また各地の抗日ゲリラも協力して日本軍をビルマから追い出そうとした。そうしたなかで日本軍は住民全体を敵視し、虐殺したのである。

続きを読む・・・・以降ではさらにカラゴン事件を詳細に掘り下げて述べていきたいと思います。

『世界戦争犯罪事典』秦 郁彦, 佐瀬 昌盛, 常石 敬一監修、文藝春秋社 p231〜232より抜粋します。

カラゴン事件
 終戦直前の1945年7月、日本軍が英軍ゲリラに通じているとの理由で、南ビルマのカラゴン村(Karagon)の村民約600人を集団殺害した事件。
 人口約1000人のカラゴンは、モールメンの東北方約50キロにあった。当時ビルマの日本軍は4月末に首都ラングーンを放棄して、モールメン経由でタイへ向け敗走撤退途中だったが、英軍特殊部隊136部隊は、親英派のビルマ人と結んで先回りする形で各所に拠点を作り、ゲリラ戦による敗残兵狩りを進めていた。モールメンのビルマ方面軍司令部は、撤退路の安全をはかるため指揮下部隊と憲兵隊にゲリラ討伐作戦を実施するように下令した。
 第33師団(長・田中信男中将)は開戦直後からビルマに駐屯、インパール作戦で壊滅的打撃を受けたあと、戦力再建中の部隊であったが、英空挺部隊がカラゴン村の近くのジャングルに降下し、村民たちの全面的支援を受けているとの情報が入ったので、歩兵第215連隊第三大隊に討伐を命じた。この情報はほぼ正確で、村長は136部隊のために小屋を建てたり、必要な物資を提供していたことが裁判でも判明している。
 7月7日夕方、カラゴン村に到着した第三大隊(長・市川清義少佐)は、村民たちを集め、男はモスクに女と子供には付近の集会所に閉じ込め、協力の事実を確認した。そして翌8日、村民は小グループに分けられ、銃剣で刺殺後に井戸に放りこまれた。
 英軍法廷の起訴状は「約600人の男女および子どもを不法殺害し、殴打、拷問、傷害その他の虐待を加え、戦争法規と慣習に違反した」と述べているが、生き残った村長の証言では男174人、女195人、子ども266人、計635人が殺害されたとしている。
 弁護人は、この虐殺について「軍や上官の命令によって戦時復仇の方法として実行され、不法とは言えない」と主張した。戦時復仇とは、敵の戦時国際法違反の行為(本件の場合は戦時反逆行為)をやめさせるため、やむを得ず自らも戦時国際法違反の行為に訴えることをいう。
 しかし、その正当化の要件として、敵が違反行為を続けるならば復仇に訴えることをあらかじめ通告しておくこと、復仇措置は敵の違反行為と均衡を失してはならないこと、さらにあまりにも非人道的な行為は差し控えなければならないことがあげられる。したがって、日本軍による住民の集団殺害は国際法に違反することが明らかである。なお、本件では、なぜか命令を下したとされる師団長や連隊長は訴追されていない。
 英軍のラングーン法廷は、同じ時期にモールメン周辺で起きた住民スパイの処刑(26人)については「戦時反逆罪」だとする弁護側の言い分を酌量してか極刑を科さなかったが、カラゴン事件は何といっても600人以上の多数であり、女や子どもをふくめば一村全員の皆殺しであったため、きびしい処断となった。
 1946年4月10日の判決は、市川大隊長を絞首刑、3人の将校が銃殺刑、その他は有期刑という結末であった。
(秦 郁彦)
 

《参考文献》
岩川隆『弧島の土となるとも』(講談社 1995)
林博史『裁かれた戦争犯罪』(岩波書店 1998)


『裁かれた戦争犯罪、イギリスの対日戦犯裁判 林博史著 岩波書店』にもカラゴン村事件についてp253〜262にひとつの日本軍の戦争犯罪の項目として記載されています。それぞれの項目別に分けて述べていきたいと思います。  

●カラゴン村の虐殺事件の概要 本書p253〜256より

 ビルマにおける日本軍の残虐行為のなかでもっとも大規模な住民虐殺は、これまでわかっているかぎりではカラゴン村の虐殺であろう。カラゴンはビルマ南東部モールメン地方にあるインド人の村だった(WO 203/4927 A, WO 235/961.なおこの裁判については例外的に判決文が作られており、判決理由がわかる)。
 この事件は早くからイギリス軍の捜査の対象になっていた。なぜならこの村は村の東南12マイルの森のなかに潜んでいたアビー少佐率いる136部隊のパーティに協力していたことが理由で日本軍の残虐行為の対象になったからである。憲兵隊から疑いを受けたこの村に1945年7月7日第33師団歩兵第215連隊第三大隊と憲兵隊がやってきて、村民を集め取り調べを始めた。そして翌8日約600人の村民を虐殺した。その後、日本軍は村を離れたが11日に戻ってきて村に火をつけて燃やし、約10人の女性を連れて去っていった。なお約400人の村民は殺されずに助かった。
 1946年3月22日ラングーンの軍事裁判所で裁判が始まった。(略)。前年末の時点ではビルマ憲兵隊長、モールメン憲兵隊長、第三大隊長に加え23人の憲兵をこの事件に関係する容疑者として逮捕していた。しかし実際に基礎されたのは第三大隊長市川清義少佐以下大隊関係者が8人(大隊長、連絡将校、副官、中隊長4人、軍医、「いずれも将校)と現地に派遣された憲兵6人(大尉から伍長まで)の計14人だった。
 起訴状には3つの容疑が挙げられている。第一にビルマ、モールメン地方のカラゴンにおいて1945年7月8日あるいはそのころ、カラゴン村の住民である男女子どもを不法に殺害することに関与したこと、第二にカラゴン村の住民を不法に殴打し、拷問し、傷つけ、その他の虐待をおこなうことに関与したこと、第三に村長の妻と9人の女性を不法に誘拐あるいは誘拐を引き起こしたこと、の3点であり、それぞれが戦争の法規と慣習に違反し戦争犯罪を犯したとして起訴された。ただし第三の容疑は大隊長に対してだけである。
(略)

裁判は4月10日から17日間にわたっておこなわれた。生き延びた村民たちがつぎつぎに証言台に立った。裁判記録から事件の概要は次のような経過だったことがわかる。
 7日7日午後4時ごろ村民たちは日本軍によって集められ、男はモスクに、女と子どもは付属の建物に閉じ込められた。日本軍についてきたビルマ人がイギリス軍のパラシュートで降下した兵士たちのことを聞いてまわった。それから憲兵によって夜を徹して取調べがおこなわれ、その間虐待がおこなわれた。そのなかで何人かの村民がゲリラに協力していることを認めた。翌日、住民たちは4人から10人ずつのグループに分けられて近くに連れて行かれた。一人一人紐で結ばれ、目隠しをされ、銃剣で刺されてから井戸に放り込まれた。
 証言をおこなった24歳の村民によると、手を後ろで縛られ目隠しをされて、ある家に連れていかれ、そこから一人ずつ近くの井戸の側に連れて行かれた。そして銃剣で刺されて井戸に投げ込まれた。彼のあとからつぎつぎに投げ込まれた。しばらく暗くなってから、側の者に話しかけてみるとまだ生きていたのでお互い紐を解いて逃げ出した。彼は5ヵ所に銃剣の傷跡があり、裁判官と弁護士が法廷で傷跡を確認した。
 別の35歳の村民はモスクに閉じ込められていたが、男たちは数人ずつに分けられ紐で結ばれてあちこちの方向に連れ去られた。彼は四人一組で縛られてある家に連れて行かれた。そこから一人の知り合いが井戸に連れて行かれるのが見えた。知り合いは井戸のそばでひざまずくように命令され、その横に2人の日本兵が立ち、1人が銃剣で刺した。そして2人が足と頭を持って井戸に放り込んだ。日本兵が別の1人にかかっているときにうまく紐を解いて壁の隙間から逃げ出すことができた。逃げる途中、彼の兄弟が井戸のそばで日本兵に囲まれてひざまずかされているのを見たので、日本軍が去ってから兄弟を探してあちこちの井戸を見てまわった。いずれの井戸にも死体があった。
 カラゴン村の村長も証言に立った。村長は村のなかの墓地の茂みの中に隠れて村で起こっていることを目撃していた。当時のカラゴンの人口は900人から1000人くらいだった。
 モスクなどからグループに分けて人々を連れ出すのは午後3時ごろから夕方まで続いた。彼が目撃したのは男たちばかりだが、別の方向からは女性や子どもの叫び声を聞いている。いちど村から離れたあと、12日に戻ってきて井戸を調べたところ彼の妻と家族は殺されて井戸に投げ込まれていたのを見つけた。
 戦争が終わって、生き残った村民から殺された人を確認した。その数は男174人、女195人(または196人)、子ども266人(または267人)、計637人だった(数字は村長の証言のまま)。
 村長をはじめ村人は136部隊への協力を積極的におこなっていた。「あたなたはほかの者たちと同じようにアビー少佐とイギリス軍を助けていた勇敢な愛国者でしたか」という質問に対して、「はい、そうでした」と答えている。実際に136部隊のために小屋を建てたり、必要な物資を提供していた。村長自らも136部隊のジャングル内のキャンプを数日に一度は尋ねており、アビー少佐のことを知っていた。この虐殺事件の前にもイギリス軍について情報を得ようとして村に来ていたので村長は警戒していた。だから7月7日に日本軍がやってきたとき村長はすぐに隠れたのであろう。ただ村民たちは武器を持っていなかったし、村のなかに武器を置いていなかったと証言している。

これがカラゴン村における虐殺の概要です。事実が淡々と記述されているだけですが、裁判で証言を行った村長をはじめ、肉親や知人を殺された人々の悲痛を考えると胸が痛くなります。  


続いてカラゴン事件の裁判の以下の詳しい内容についても、『裁かれた戦争犯罪、イギリスの対日戦犯裁判 林博史著 岩波書店』に記載されているので触れておきたい。ただし、すべて抜粋するのはめんどくさいので、自分的にできるだけ簡潔にまとめてみて述べます。

●裁かれた大隊長たち
 検察の承認尋問のあとに大隊長が検察側の尋問を受けました。彼の証言によれば、連隊長のほうから「カラゴンとチョック北西地域の敵の根拠地を完全に殲滅せよ」「カラゴン村の住民は殺し、家は焼却すべし」との命令を受けました。カラゴンの村民が武器を集めパラシュート部隊に渡そうとしていること、村民は物資を集めパラシュート部隊に提供していること、インド国民軍からの脱走者がカラゴン村民に匿われ匪賊と連絡をとっていること、村民はアビー少佐からゲリラとしてリクルートされ、パラシュート部隊のメンバーがミルクなどの物資を手に入れていたし、村民が森に行ってかれらのための小屋をつくっていたなどの情報を知らされた。殺せとの命令は口頭によるものだということらしい。子どもまで殺したことについて彼は追及されたが次のように答えたという。
p257〜258より

Q「あなたは女性や子どもが日本軍に敵対する行為をおこなっていたと本当に考えているのですか。」
A「はい」
Q「幼児を殺したことをどのようにして正当化するのですか。」
A「子どもたちを扱うほかの選択肢はありませんでした。」
Q「もう少し詳しく説明してください。」
A「第一に、私が受けた命令のなかに子どもたちを殺すことも含まれていました。もし私が子どもたちを救っても、かれらは孤児になり生きていくことはできなかったでしょう。時間を節約し、私の任務を遂行するために私はかれらを殺さざるをえなかったのです。」

このやりとりを見て思ったのですが、もはや人間ではありません。大隊長のことです。連隊長からの命令だったにしろ、その大量殺害を直接指揮して実行したのは自分自身なんです。子どもや女、さらには幼児まで皆殺しにしておいて自身を正当化しようとしています。あくまでも自分は悪くなかった。当時の日本兵が人間性を失い、いかに冷徹非情であったかを示す。さらにいえば、このやりとりを行った大隊長の頭のなかには、殺された者たちや肉親を失った被害者らのことが頭の片隅にすらない。彼の頭のなかにあるのは「上官の命令だったからやむを得なかった」という自己正当化し、自分の命が惜しいがための弁解だけだ。嘆きかわしい次第である。大隊長には村民を取り調べた憲兵から村民のうち約20人が森のなかにいるイギリス軍に協力し、別の20〜30人が小屋の建設などに協力していることなどの情報がもたらされた。村のなかから武器などは発見できなかったにも関わらず、そうした情報だけで村全体が関わっていると決め付けたのである。ただし、法廷では、大隊長はそうした情報から自分の判断で殺害を命令したのではなく、あくまでも「上官の命令を遂行した」という自己弁解に終始した。
 弁護側は、カラゴンで大量の住民が殺害されたということについては争わなかったのである。一方の検察側は、村民の多くが136部隊を支援していたことを争わなかった。弁護側は第一にこの日本軍の行為は敵対行為に対する合法的な報復であり、軍事的にも必要な行為であったこと、第二に仮に戦争犯罪であったとしても被告たちは条件の命令を遂行しただけであり責任はないと主張して無罪を申し立てたのである。
 当たり前のことだが、こうした弁護側の主張はことごとく退けられた。イギリス軍に協力した村民は数十人であり、労働や物資を提供しただけで、村民からは武器も見つかっていないという程度であり、それへの報復として、男女子ども合わせて600人以上も殺害することは合法的な報復の範囲をはるかに超えているとして弁護側の主張は退けられたのである。
 起訴状には3つの容疑が挙げられた。判決では、第一の村民殺害の容疑については、6人の憲兵は関係ないとして、第二の虐待の容疑について3人が5年の刑を言い渡された。第一の容疑について第三大隊関係者の8人のうち、軍医(中尉)は殺害に関係していないとして無罪になった。残りの7人については、大隊長は絞首刑、実際の処刑にあたった3つの中隊の中隊長3人には銃殺刑の判決、大隊副官、連絡将校と村の外で軽微にあたっていた中隊長の3人は10年の刑が下された。この7人のいずれも第一と第二の容疑でともに有罪を認定された。第三の容疑は女性の誘拐に関する容疑であるが、ビルマにおける日本軍の性暴力に関わることなので、別項で触れることにします。  

●裁かれなかった連隊長と師団長
 判決後、被告たちの上司であった柄田節連隊長がビルマ軍司令官に減刑の嘆願書を出した。そのなかでカラゴン村の虐殺の責任者は私以外の何者ではないこと、カラゴン村民を殺せと明確な命令を与えたのは自分自身であり、事件について大隊長には自由裁量の余地はなく、すべての責任が私にあると自らの責任を認めた。
 連隊長は裁判開始の約1ヵ月前の宣誓供述書において「大隊長は村民を殺せという命令を与えられていない」と責任を否定した。しかし法廷ではこの供述書の内容を自ら否定し、責任を認める証言を行い、さらに嘆願書でも自らの責任であることを認め、部下の救済を訴えた。
 嘆願書のなかで大隊長に対してカラゴン村民を「殺してよい」と口頭で命令したと述べており、自分が裁判にかけられることを待っているとも付け加えられていた。
 しかし裁判所はカラゴン村で起きたことについて、幾分かの自由裁量の余地があったと判断し「殺してよい」は「殺せ」という命令は違うこと、どの村民を何人くらい殺すのか、それは現場で指揮していた大隊長の判断だとみなしたのであった。また被告らが、軍事的必要という理由や上官の命令には絶対服従という理由から大量殺害を正当化しているが、「裁判にかけることなしに処刑するのはことは正しくない」というような被告の証言から事件の犯罪性を認識していたと判断された。
 判決についてそのまま確認され、7月15日朝6時、大隊長の絞首刑が、それに続いて6時30分に3人の中隊長の銃殺刑がラングーンで執行されたのである。
 大隊長と中隊長に死刑の方法で差をつけたのは、大隊長の責任を重くみたからだと思われる。ただ大隊長から現場で直接命令を受けた中隊長3人の死刑は軽くはない。大隊長の自由裁量の問題については検討され自由裁量の余地があったと判断されているが、中隊長らのその問題には十分に判決文では触れられることはなかった。大規模な住民虐殺で大隊長だけが死刑ということでは家族を殺された人々にとっては納得がいかなかったので、中隊長も死刑に処せられた可能性がある。
 裁判でまったく言及されていないのが田中信男師団長であった。師団長は、戦犯容疑で召還された部下たちに対して「お前らのやったことは、一切お前らで責任を取れ。上の者には絶対迷惑を掛けてはならんぞ」とすごい権幕で脅したという。著者によれば、歩兵第215連隊の戦記(歩兵第二一五連隊戦記編集委員会編『歩兵第二一五連隊戦記』1181頁)には、カラゴン村での掃蕩命令を下したのは師団長であるにもかかわらず、自らの免責のために部下に責任を押し付けて恥じない師団長に対する反発が色濃くでているらしい。もっともである。師団長も途中から責任を認めた連隊長も起訴されず、大隊長らに責任を押し付けて終わりとされてしまった。イギリス軍が一連の掃蕩作戦を命じた連隊長や師団長ら上層部を起訴しなかった理由はわからないという。

 

●まとめ
 今回一番腹立たしいの点は、途中から責任を認め、罪を自らかぶろうとした連隊長はともかく、師団長である田中信男という自分が掃蕩命令を下したのにもかかわらず、命が惜しいがために、部下に責任を押し付け恥じない人間の物体をした中で最も軽蔑すべき物体の典型的なやつがなんの咎めも受けず、戦後も生き続けたということである。このことがカラゴン事件のイギリス戦犯裁判の大きな問題点ではなかろうか。掃蕩作戦の命令を下したり、作戦計画を立てた師団長ら上層部が罰せらず、現場に行った実行者ばかりが罰せられたことには非常に疑問に思います。もちろん、裁判所が「命令には幾分かかの自由裁量の余地」を認めたように、大隊長らをはじめとする現場の実行者の責任は大きいとしてもだ。
 それにしても、犠牲者637人のうち、男よりも女性や子供が多く、一番犠牲になったのは子供であるということだ。なぜかはわからないが、逃げのびた証人から推察するに、男であれば自分で縄を解いて逃げ出すことができたかもしれないし、危険をいち早く察知できて俊敏に行動できたかもしれない。女性や子供には縄を解いて隙をみて逃げ出すという機敏な動作をとることは困難であり、それで女性や、何よりも子供がこの虐殺で多く犠牲になったと考えられる(カラゴン事件だけではなく、他のアジア・太平洋地域で行われた虐殺事件にもいえることかもしれないが)
 ビルマ(他のアジア・太平洋地域)でも連合軍の攻勢により後退していく過程で、住民に対する残虐行為がたくさん行われてきた。戦争末期にはますます日本軍は凶暴になり、住民が連合国に内通しているなどとますます疑心暗鬼の虜となった。しかし、この虐殺事件は敵に協力していたからという理由だけで、男女子ども、幼児までも含めて皆殺しにして至極当然だと考える典型的な日本軍の典型的な体質が生み出した必然的な悲劇であったのである。日本軍の鬼畜極まりない戦争犯罪の一つがカラゴン村の大虐殺である。カラゴン事件についてはネット上の情報もなく、ビルマが軍事政権であるからして日本軍の占領やそこで行われた数々の蛮行に関する調査や被害者となった人々や遺族、市民が声をあげるのは非常に困難な状況となっている。彼らが日本政府や国際社会に向けて、日本軍占領中に行われた数々の蛮行を告発する上で行わないといけないステップはビルマの民主化である。すなわち日本軍の落とし子ともいえるビルマ軍部から政権をビルマ国民の手に取り戻す作業が必要なわけである。非常に困難な道であるが、達成し、民主とともに、被害者やビルマ市民による日本軍の占領や加害に対する告発および謝罪補償要求への道を切り開いていってほしいというのが私の何よりの希望です。

 
《注釈》
WO:イギリス陸軍省 War Officeの未公刊資料
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:42 | Comment(9) | TrackBack(5) | 各国民衆の大日本帝国侵略・戦争被害情報コーナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
北朝鮮で建設中だった軽水炉発電所の工事中断による清算費用は、全部韓国側が負担する
ことになった。

軽水炉事業推進体である朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)は今年解体される。
KEDO推進理事国である韓国とアメリカ・日本・ヨーロッパ連合(EU)は、先月31
日(現地時間)米ニューヨークで理事会を開催し、この日で軽水炉事業を完全に中断する
ことを公式決定した。

理事会決議文によれば、最大2億ドル(約1900億ウォン)に推算される軽水炉清算費
用はKEDOの主契約者として参加して来た韓国電力が支払う。代わりに韓電は原子炉と
タービンジェネレーター(発電機)など韓国とアメリカ・日本などが軽水炉事業のために
製作中だった設備と資材に対する権利を持つことになる。政府高位当局者は1日「韓電が
確保する北朝鮮地域以外の設備・資材が8億ドルに推算され、韓国の損になる事はないだ
ろう」と言った。

アメリカと日本は、韓国政府の清算費用均等負担提案を拒否したことが分かった。
KEDOのパク・ビョンユン事務総長は理事会直後「北朝鮮に必ず損害賠償を請求する方
針」と明らかにした。統一省は軽水炉事業の公式終了と関連した対国民説明文で「これま
で政府は、軽水炉事業を再開するという立場から努力して来た。しかし北核問題解決が引
き延ばされて、工事をこれ以上長く続けることができない環境が造成されるによって、事
業を終了するようになった」と言った。

軽水炉事業清算費用を米日と公平に負担するという政府の公言は実現できなかった。軽水
炉事業に対する各国の立場の差が大きかったからだ。米日は一銭も出す事ができないとつ
っぱねた。北核と偽装紙幤・拉北者問題など対北懸案に対する三国のくい違いと不信が軽
水炉清算過程でもそのまま現われたのだ。今度の決定で、韓国は2億ドルの負担を引き受
けることになった。

1994年10月、ジュネーブ合意で誕生した軽水炉事業に参加した韓国側分担額11億
3700万ドル(約1兆3640億ウォン)に追加されたのだ。(中略)これを税金で支
払った政府は、今すぐ電気代に追加課税するか、国債を発行するなどの対策を用意しなけ
ればならない。ところが鉄道試験運行中止など北朝鮮側の不当な態度で対北負担に対する
国民のまなざしは厳しい。しかも200万kW送電構想まで浮いた状態だから政府の悩み
は深い。

ソース:朝鮮日報(韓国語)
<血税1兆3640億ウォン虚空に…清算費用は皆韓国が引き受けて[中央日報]>
http://www.joins.com/article/2311393.html?ctg=11
Posted by at 2006年06月02日 00:45
日本軍って残虐
Posted by at 2007年08月02日 19:15
 まあ、確かに残虐とは思うが、イギリス軍に協力していたーしかも検察側はそれについて争わない事で事実上認めているー村民の行為はどう説明する?これは立派な"利敵行為"だぞ。何もやってないのに日本軍が襲いかかった訳じゃ無いのだ!占領地域で地元の民間人が敵と通じていたら、殺されないまでも軍事常識としてはボコられるのが当たり前だ。討伐人さん、あるいはそのシンパの方々。「日本語訳・スイス民間防衛」を良く読む事を勧めます。戦時下での民間人の身の処し方について詳しく書かれて有るから。
私としては旧軍はやりすぎたとは思うがな。村民と英軍との連絡を厳重に断つだけで良かった筈だが、何らかの事情でそう出来なかったのかもしれない。この地元集落と敵との離間ー引き離しーの例としてはベトナム戦争当時の"戦略村"のケースが有る。又、日中戦争(支那事変)前後の旧軍による"清郷工作"の例も有るが、末期日本軍にはそうした行動を計画し、動く余裕すら無かったのだろう・・・・。
 一方的に村民を善、旧軍を悪。と割ってしまうのは危険だ。女子供(だが幼児を殺したのはやりすぎってもんだ!)と言えども利敵行為をしたらただでは済まない。
 続きます。
Posted by 懐疑主義者 at 2007年08月04日 14:19
続きです。
 こうした「戦時下における民間人・非戦闘員の振る舞い方」について、戦後民主主義教育の下では意識的にせよ、無意識的にせよスルーされて来ていた。ことに増田某ないしはその小型版教師の教育を受けて来た人達にはそうした傾向が強い。
私は38分の1タミヤ模型ミリタリープラモデルシリーズを作るのが小学校6年〜中学3年頃まで好きでね、このプラモの説明書の最初のページにはその兵器に関する説明文があり、そこから私は戦争を見るのには違うアプローチの仕方が有ると知った。参考資料として読んだ模型専門雑誌の影響もあるが・・・。
「なぜ、この武器・兵器はこう言う作りをしているのか?何で、この材質なのか?塗装なのか?等々・・・。」
すなわち、"武器・兵器から戦争を見る"事を学んだ。それが現在の私の懐疑的戦争観につながっている。
 戦争の見方は一つじゃ無い。私はプラモを作りつつ、知らない間にそれを学んだと言える。だから、曲がりなりにもここでこうして書き込める。まあ、万人向けのやり方とは言えないから推奨は出来ないがね。
 では、これにて。  
Posted by 懐疑主義者 at 2007年08月04日 14:58
でも村全体ではなく、20人程度くらいが関わっていただけでしょう。武器も発見されなかったというし、イギリス軍やゲリラに多少協力していたとしても、女子供を含む600人以上の皆殺しというのはどう考えても弁解の余地はないでしょう。日本軍に。
Posted by どう考えても日本軍に弁解の余地なし at 2007年08月05日 00:25
 どう考えても日本軍に弁解の余地なしさん。懐疑主義者です。
 確かに日本軍はやりすぎた。ただ、注意しなくてはならないのは"例え20人程度とは言え、村民が積極的に利敵行為をしていた"って事。
きっかけを作ったのは村民側であって、一方的に日本軍がいわば面白半分に殺戮した訳じゃ無いのだよ。
又、こうした戦勝国主催の戦犯裁判では「被害者人数の誇大化」、言い換えると虐殺被害者の数は"増やされる"事が多い。と言う事になりがちだ。こう言うと残虐行為をかばうのか!と叫ぶ人が必ず居る。さらに被害者達の前で同じ事言って見ろ!と言う人もな。
私の答えとしては、ええ、言えますよ。と答えられる。なぜなら、「同じ事言って見ろ派」の言う通りにしたのだから、今度は彼らがこっちの主張を認めなくてはならないからだ。「同じ事言って見ろ派」は単に論敵を脅して黙らせようとしているだけなのだから、内容を詰めて言い立てていない。だから、こうした矛盾が出てくる。
この手の罵倒は思想信条の別を問わず使われる。これに対抗するには、「言えますよ」と言う事しか無い。相手はまさか返事をして来るとは考えて無いから、かなり驚くだろう。
 では、これにて。
Posted by 懐疑主義者 at 2007年08月05日 13:19
       ☆ チン            
 ☆ チン  〃 ∧_∧   /癡所の右翼討伐人チャソ
  ヽ ___\(\・∀・)<2チ ヤ ソ ネ ルで他人のメ ア ド晒した謝罪まだー ?
      \_/⊂ ⊂_)_ \____________
    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
   |  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:|  |
   | H A N 板人  .|/
数万円もする研究室の実験器具を壊した事を隠蔽しようとした癖に自からHAN板でバラして罵倒嘲笑を浴びた。

他人のメ ア ドを本人の許可無くHAN板で晒し、スレ住人にたしなめられたが開き直って削除依頼もせず逃走した。

2TIYANNELUの理系板で日本軍悪口雑言板スレ立てをして沈着冷静、頭脳明晰な住人の罵倒嘲笑を浴びた。

2TIYANNELUの海旅板で日本の加害情報求む等と馬鹿なスレ立てをして総スカンを喰らった挙げ句スレストされた。

HAN板で(さば)を(こい)と読んで無知文盲がばれて祭りになった。

理系大学の学生でありながら本を買ったのがたった二冊だけだと平然とほざいてHAN板でスレ住人にあきれられた。

南京大虐殺問題で妄言ほざいたが博覧強記のHAN板住人に全く歯が立たず泣き言を吐いて逃走した。

HAN板で意気揚々とソースに「半月城通信」を引用して大爆笑になった。

自分の専門分野について質問された時に錬金術の如き化学反応式を並べて文系住人さえ絶句させた。

鬼女板と恐れられる既婚女性板にカキコして百戦錬磨一騎当千の鬼女板住人に粉砕されて逆上、「お前らなんて一生結婚出来ないぞ!!」と
既婚女性板住人が化石するしかない捨て台詞を吐いて逃走した。

就職の面接で担当者が一文字姓だった為、勝手に在日朝鮮人と決めつけ、得意満面でこの自慰ブログの如き電波左翼妄言を吐いて見事に落ちた。

民団の掲示版に日本の悪口を書いて賛同を求めたが逆に門前払いを喰らって唖然とする程の癡所ぶりをオチされて侮蔑と嘲笑を浴びた。
Posted by at 2007年10月17日 23:37
http://sankei.jp.msn.com/sports/soccer/080221/scr0802210753001-n1.htm
飛び蹴り、首絞め、イエロー6枚…岡田監督が怒りの猛抗議

ベンチから選手に指示を出す岡田監督(撮影・森本幸一) 東アジア選手権・男子(20日、中国・重慶)
完全なアウェー状態での中国戦勝利にも、岡田武史監督(51)は不機嫌だった。不可解なジャッジ、
相手の執拗(しつよう)なラフプレー。カッカした指揮官とは対照的に選手は落ち着いていた。
ハートは熱く、頭は冷静に−。岡田ジャパンの成長ぶりに、指揮官はW杯予選突破の手応えを得た。

 「試合前からタフになると思っていたが、選手は冷静に戦ってくれた。けが人がまた出たというのは、
レフェリングだけの問題じゃないが残念」。会見場では1度も笑顔を見せず無表情だった指揮官。
不可解な判定、中国のラフプレーにご立腹だった。

 君が代演奏でブーイングも出ず、不気味な平穏を保った試合。負けた瞬間には
ペットボトルが投げ入れられ、発煙筒もたかれたが、試合中は予想された反日ムードはほとんどない。

問題があったのはピッチだ。中国側に足を投げ出すタックルなどのプレーが続出。
相手の警告は4枚に及んだ。後半11分にはMF安田が相手GKに右脇腹と腰を蹴られて病院送り。
左足首をひねって交代したDF駒野を含め軽傷の見込みだが、離脱者が続出する中、怒りは当然だった。
北朝鮮人主審の判定も疑問符が付いた。

 中国のラフプレーに付き合わず落ち着いてプレーした選手たちに、岡田監督は「選手たちに冷静にと言ったが、
選手は冷静だった。私が1人興奮していた」と称賛の言葉を贈った。

 レフェリーへの抗議など、試合中も落ち着きなく走り回った指揮官。北朝鮮戦後には「気持ちが入ってない」と
カツを入れた。戦う監督の“熱さ”がチームに伝わり、相手とは正反対のフェアなプレーで爆発した。

 「粘り強く戦って結果を残してくれたので、これで最終戦、(23日に)韓国と
チャンピオンシップを目指して戦える。全力を尽くしたい」。アウェーでの3・26W杯予選・バーレーン戦前に、
敵地戦克服の糸口はつかんだ。まずは東アジアの盟主の座をつかみ、その勢いで南アフリカへと続く階段を一気に駆け上がる。

血染めのセーブ連発!楢崎が体を張って最後のとりで死守


血染めのセーブ連発!楢崎が体を張って最後のとりで死守(サンケイスポーツ)
 東アジア選手権・男子(20日、中国・重慶)思わず、顔ごと飛び込んだ。1−0の前半31分、
GK楢崎の目の前でDF内田の頭上を相手のクロスボールが越えた。ペナルティーエリア内で
中国MF杜と1対1でこぼれ球の競り合いに。楢崎はシュートを打たせず、体を張ってボールを死守。
左ほおに血をにじませたが、後半からガーゼを張り最後のとりでを守りきった。

 「相手はロングボールとサイドからのボールに合わせてくる。そんなに複雑ではなかった」

 アウェーの洗礼は覚悟の上だった。後半のロスタイムはなんと5分(前半は3分)、
イエローカードも両軍で6枚も乱れ飛び、後半ロスタイムに入る直前には、楢崎の背後の観客席で発煙筒がたかれた。
背後の興奮は最高潮に達しても、楢崎は淡々とした表情を崩さなかった。

 「後半は守り方を修正して入った。そんなに難しくはなかった。相手のボランチの16番をしっかり抑えることを心がけた。それがうまくいったと思う」

 岡田監督の楢崎評は現時点で第2の男。東アジア選手権初制覇には絶対落とせない試合だったが、
完全アウェーでの先発は楢崎にとって絶好のアピールチャンス。13日の出発直前、成田空港で楢崎は
川口と一緒に買い出しに出た。普段はお互いを尊重する同志でも、ピッチでは川口がつける背番号1を奪いたい。
胸の内からほとばしる闘争心が、ピッチに漂う異様な緊迫感を忘れさせた。

 岡田監督が前回、日本代表を指揮した98年フランスW杯から続くライバル争い。その激しさに比例して、最後の“壁”の厚さも増すはずだ。

根強い反日感情、また日の丸焼かれた…サッカー東アジア選手権

 東アジア選手権・男子(20日、中国・重慶)日本は、地元中国に1−0勝利。この日の日中戦には
17日の開幕戦の約2倍となる3000人の警備員が動員されたが、試合終了後に中国ファンが日の丸の旗を焼くなど、
反日感情の根強さをうかがわせた。

 4年前のアジア杯の反省から、日本のサポーターはゴール裏の一角に“隔離”。
試合前から「罵詈(ばり)雑言を吐かないように」とのアナウンスが流れ、国歌演奏中のブーイングも一瞬で収束した。

 しかし0−1で試合終盤を迎えると、徐々にヒートアップ。中国ファンの一部がペットボトルを投げ込み、
たどたどしい日本語で日本のサポーターに向けて「バカヤロー」と叫び始めた。さらには発煙筒に火をつけ、
警備員が駆けつけて羽交い締めにする一幕も。試合終了後にも、日の丸の小旗にライターで火をつけるファンがいた。
この状況に、不測の事態に備えて派遣されていた駐重慶日本総領事館の館員は
日本のサポーターを最寄りのモノレール駅まで送り届けたほどだ。




Posted by ちゃんころころころ at 2008年02月21日 12:42
村民を戦争に巻き込んだのはイギリス軍!
ゲリラを掃討するのは当たり前じゃないの?生きるか死ぬか、の逼迫した状況なんだから。戦争とはそういうもの。アメリカもロシアも、ドイツもどこも酷い事やってるでしょ!韓国なんかベトナムでかなりむごい事やってるよ。
Posted by 良識ある国民 at 2015年08月12日 17:53
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

free beastiality movies
Excerpt: <a href="http://susu.whitesnow.jp/antique/wiki/index.php?plugin=attach&pcmd=open&file=shaved-beavers.html&refer=FrontPage">hairy muff</a> <a href="http://susu.whitesnow.jp/antique/wiki/index.php?plugin=attach&pcmd=open&file=horse-hung.html&refer=FrontPage">dog sucking</a> <a href="http://susu.whitesnow.jp/antique/wiki/index.php?plugin=attach&pcmd=open&file=shaved-beavers.html&refer=FrontPage">girls with hairy armpits</a>
Weblog:
Tracked: 2007-02-21 13:42

suicide rates for transsexuals
Excerpt: <a href="http://www.foroswebgratis.com/foro-Tema.php?id_foro=83503">transsexual breast growth</a> <a href="http://www.foroswebgratis.com/foro-Tema.php?id_foro=83517">sexy lingere</a> <a href="http://www.foroswebgratis.com/foro-Tema.php?id_foro=83503">denver transsexual escorts</a>
Weblog:
Tracked: 2007-02-21 22:37

ass penetration
Excerpt: <a href="http://www.kwiz.biz/showpoll.php?pollid=31939">ejaculating pussy</a> <a href="http://www.kwiz.biz/showpoll.php?pollid=31942">bubble butts</a> <a href="http://www.kwiz.biz/showpoll.php?pollid=31939">free squirt</a>
Weblog:
Tracked: 2007-02-22 06:07

small animal cages
Excerpt: <a href="http://www.foroswebgratis.com/foro-Tema.php?id_foro=84103">hairy daddies</a> <a href="http://www.foroswebgratis.com/foro-Tema.php?id_foro=84102">horse genitals</a> <a href="http://www.foroswebgratis.com/foro-Tema.php?id_foro=84103">male armpit hair</a>
Weblog:
Tracked: 2007-02-22 23:27

young tight pussy
Excerpt: <a href="http://shavedpussy.phpbbx.de/">topless young beach girls</a> <a href="http://inceststories.phpbbx.de/">mother son lust</a> <a href="http://shavedpussy.phpbbx.de/">very young vagina</a>
Weblog:
Tracked: 2007-02-24 04:17
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。