2006年03月22日

インドネシアにおける日本軍強制売春(性奴隷)システムについて

ネットサイト上におけるインドネシアにおける従軍慰安婦についてまとめてみました。

インドネシアで子供に教える日本軍の性犯罪
http://www.ipsnews.net/jp/n02/09.htmlより
(1月30日)
リチェル・ダルシン著
【ジャカルタIPS】
第二次世界大戦中の占領日本軍による性犯罪の実態が、まもなくインドネシアの学校で子供たちに教えられるようになる。遅すぎた歴史教育ではあるが、ないがしろにできないテーマだ。
「インドネシアで起きた日本軍による性犯罪を子供たちに教える目的は、日本の占領下で何が起きたのかという真実を伝えることです。過去を隠すことなどできませんから」とエラ・ユララワティさんは語る。ユララワティさんは、文部省で初等教育のカリキュラムを担当する責任者だ。
 学校教育課程に性犯罪問題を盛り込み、1942年から45年まで、インドネシアの女性たちが日本軍の性の奴隷として働かされるようになった事実を学校で教えるべきだと提案したのは、ジョクジャカルタの非政府組織(NGO)の「司法支援所」(LBH)だ。「インドネシアの子供たちが、自分たちの国の歴史を漏らすことなく学ぶことは重要なことです」とLBHの弁護士ブディ・ハルトノさんは言う。
一方、文部省の研究開発課程センター所長のスード・カリム氏によれば、「日本軍の残虐行為は、小中学校、高校の教科の中に盛り込まれることになる」。おそらく、改定されたカリキュラムが導入される来年には、実施されることになりそうだ。
 数十年前、第二次世界大戦中のインドネシアで、どのようにして女性たちが日本軍の「慰安婦」にさせられたかをよく知るインドネシア人は、高齢者も含め少ない。中国、韓国からフィリピンまで、東アジアで約20万人の女性たちが、占領日本軍から兵士たちの性の奴隷として働くよう強要された。インドネシア女性もその20万人の一部だ。
 「これまでインドネシアでは、日本軍による性犯罪の問題は決して教えられることがありませんでした。歴史の教科書はインドネシアの英雄たちのことだけを伝え、犠牲者としての女性を扱うことなどなかったのです」と文部省で教育課程の研究に携わるヘルマナ・ソマントリーさんは話す。例えば歴史教育に登場するインドネシアのヒロインとしてはカルティニさんが挙げられる。彼女は、インドネシアで女性が二流市民とみなされがちだった時代に女性の権利を訴えた活動家だ。
 「90年代になって、韓国やフィリピンの元慰安婦が証言するのを耳にするまで、インドネシア人はインドネシアで従軍慰安婦が存在したことすら知らなかったのです」。ソマントリーさんは、自分の過去について公言するようになった韓国とフィリピンの女性たちに触れながら、こう指摘した。彼女たちが証言してくれたおかげで、圧力を感じた日本政府はようやく、アジア中に設置された「慰安所」について「自責の念」を表明したのだった。今では高齢となった犠牲者らが「性の奴隷」に関する報道の正しさを証明した90年代初め以降のことだ。
 第二次世界大戦末期の日本軍による占領について、歴史の教科書はかなりの紙数を割いてはいるが、インドネシアの女性たちが性の奴隷として搾取された事実には触れていない。90年代に入ってようやく戦時中の性犯罪が明らかになったことを別にしても、2億1000万人の国民の大半がイスラム教徒であるインドネシアでは、とかく「性」がタブー視されがちだ。
 専門家によれば、歴史の教科書は、日本人について性以外の面で、悪いイメージを伝えているという。「インドネシアの女性が日本軍兵士の性の奴隷となった問題は学校で教えることがなかったものの、日本軍占領時代の日本人について、欲深い泥棒だったといった教え方がなされてきました」とソマントリーさんは指摘する。
 歴史教科書には例えば、日本軍兵士が住民から米や戦闘で利用できそうな物資を盗んだことが記されている。「彼らは戦争で必要なものとあれば何でもインドネシア人から奪いました」。ユララワティさんは歴史教科書の記述をこう紹介している。
 自国の国民に事実を知ってもらうことなく、多くの慰安婦がすでに他界している。現在も生存が確認されているのはジャワと東ヌサテンガラの計1156人だ。ただ、実際の元慰安婦の数は、これよりもっと多いとみられる。中には過去を葬りたがる女性たちもいるからだ。ソマントリーさんは言う。「恥だと思って、名乗り出ない元慰安婦がいるのです」
 だが、他のアジア諸国の犠牲者らのように、法的な謝罪と補償を求めて立ち上がった女性たちもいる。昨年は、過去の日本政府による補償がスハルト政権によって不当に流用されたとして、元慰安婦が追加補償を求める出来事があった。彼女らは、他のアジア諸国の元慰安婦が訴えているように、過去の日本政府による謝罪は形式的なものに過ぎないとして、明確な真の謝罪を要求した。
 ジョクジャカルタ出身で71歳になる元慰安婦のマルディイェムさんは言う。「私たちに対する行いについて日本政府にきちんと遺憾の気持ちを表現してほしいのです」。
 96年、スハルト政権は当時の社会相のインタン・スウェノ氏を通じ、90億ルピア(約90万米ドル)の金を元慰安婦支援金として受け取っている。資金源は、日本政府が寄付金を集めて創設したアジア女性基金だ。受け取った金のうち、7億7500万ルピアは、高齢者用の住宅5棟の建設費として使われたが、残りの使途は不明だ。「犠牲者は一文も手にしていないのです」と「正義と民主主義のためのインドネシア女性連合」に所属する国会議員のカトジャスンガナさんは言う。
 日本軍占領下でインドネシア人女性が強いられた苦境そのものを子供たちに教えることに加え、慰安婦問題の教育では、女性への暴力を減らすことも同様に大切な目的だ。「女性が守られなければならないこと、女性への暴力は許してはならないことをインドネシアの国民が学ぶことはとても重要なことなのです」とユララワティさん。
 文部省関係者は、日本軍が犯した性犯罪を倫理教育の中で教えることも予定している。「女性の苦しみや勇気に重点を置いた授業にするべきです」とユララワティさんは言う。「さらに、子供たちが日本人を憎むことにならないよう慎重に教える必要もあります」と主張する。
 日本軍の慰安婦問題以外の戦争犯罪についても教えるべきだと要求している専門家もいる。「なぜ日本軍の性犯罪だけを子供たちに教えるのか。オランダ軍の兵士だって、350年にわたる植民地時代に自分たちの性欲を満たすためインドネシア人女性を使ったではないですか」とユララワティさんは指摘する。

大日本帝国はインドネシアにおぞましいことをしました。米や労働力、そして、女性までも徴発し、奪いました。インドネシア人の女性は性奴隷として日本兵への性奉仕を強制されました。現在生存が確認されている被害者だけでこの記事では1156人で死去された方や実際に名乗りでない方、別の場所へ強制連行されて戻ることができずに残留された方、終戦時に日本軍によって虐殺された犠牲者などを含めれば、これ以上の数になるのは当然です。

日本のインドネシア占領と独立運動
   講師;藤原 彰先生(歴史研究者・映画自由ネット代表委員)
http://www.ei-en.net/frenet/kouen5.htmより
 日本は、基本的には、インドネシアは独立させず、日本直轄の領土にすると言ってきたわけです。インドネシア人を、「兵補」とか「義勇軍」とかに編成したのも、日本軍の下働きをさせる意味だった。ですからインドネシア人は、兵補という形で日本軍に直接使われたり、或いは労務者として連れて行かれたりした。またインドネシアへは、軍隊だけなく商社もいっぱい資源開発のために出て行っている。日本人の人口は、軍隊よりも多かった。その人々のために、インドネシアの女性が何万人も慰安婦にされた。ということで、結局日本はインドネシアの独立の援助をしたのではなく、それを抑えた側に終始立っていた。

このサイトでは何万人もの女性が慰安婦にされたという。軍人だけでなく民間人も多くいて、そういう人たちのためにインドネシアの女性は性奴隷として弄ばれたという。
半月城通信 No. 36 性奴隷と奴隷条約
http://www.han.org/a/half-moon/hm036.htmlより
 被害者の証言以外では、インドネシアの事例がかなり明らかになっている。ジャワ島スマランなどでオランダ人女性を連行したケースや、スマランからフローレス島へオランダ人・インドネシア人女性を連行したケース、ボルネオ島ポンティアナックで地元女性を連行したとみられる事件、モア島で軍が連行したとする裁判資料、サバロワ島で地元女性を連行したとする証言、アンボン島で地元女性を連行したとする証言などがある。

半月城通信 No. 36 インドネシア「慰安婦」(1)より
 私はインドネシアの場合、暴力的な強制連行・強制売春の方針は現地部隊止まりであったと考えています。陸軍省など軍首脳は暴力的な強制連行を国策上指示するはずはなかったと思います。
 一方、現地司令部の方針は、後に示すように、建前は女性の自由意志尊重、本音は強制連行もやむを得ないという姿勢であったようでした。これに反し、「慰安婦」集めに苦労していた現地部隊は暴走しがちで、時には暴力的な強制連行に走ったようでした。そのような暴走行為が判明しても、往々にして処罰はないがしろにされたようです。

国立国会図書館所蔵の極東軍事裁判の関係文書の中に、日本軍人の戦争犯罪を立証する尋問調書が見つかった。指揮官だった陸軍中尉が(インドネシア)モア島で現地の女性をむりやり「慰安婦」にしたことが供述されている。

問「ある証人はあなたが婦女たちを強姦し、その婦人たちは兵営に連れて行か れ、日本人たちの用に供せられたと言いましたが、それはほんとうですか」
答「私は兵隊たちのために娼家を一軒設け、私自身もこれを利用しました」

問「婦女たちはその娼家に行くことを快諾しましたか」
答「ある者は快諾し、ある者は快諾しませんでした」

問「幾人女がそこにおりましたか」
答「六人です」

問「その女たちのうち、幾人が娼家に入るように強いられましたか」
答「五人です」

問「どうしてそれらの婦女たちは娼家に入るように強いられたのですか」
答「彼らは憲兵隊を攻撃した者の娘たちでありました」

問「ではその婦女たちは父親のしたことの罰として娼家に入るよう強いられたのですね」
答「左様です」

半月城通信 No. 36 インドネシア「慰安婦」(2)より
 日本軍により『ロームシャ』にされた人たちは、戦後、インドネシア兵補協会を結成し補償を求めていますが、その一環として元「慰安婦」の補償問題でも重要な役割を果たしているのは、よく知られていることと思います。
 日本人の調査では、ノンフィックション作家の川田文子さんたちがインドネシアを何回も訪れ、「慰安婦」の聞き取り調査を精力的に行いました。それに基づき、川田さんはインドネシアの軍事的性奴隷を、六つのタイプに分類しました(「インドネシアの『慰安婦』」、明石書店)。
1.人口の稠密なジャワ島の女性が他の島に連行された慰安所
2.日本軍駐屯地近くに住む女性たちが軍人に拉致されるなどして造られた慰安所
3.営外居住の将校らが女性を自分の宿舎に連れ込み、専用の性奴隷にした例
4.当時、日本の植民地であった朝鮮、台湾の女性が連行された慰安所
5.オランダ人抑留所から若い女性が連行され、造られた慰安所
6.インドネシアの女性がフィリッピン、ビルマ、シンガポールなど他の国の慰安所に連行された例

 この分類を見ると、インドネシアでは実にさまざまな方法で多くの女性が日本軍の性奴隷にされたようです。そうした被害者二千人を対象に、インドネシア兵補協会が被害の実態を調査し、760名から回答者を得ました。
 アンケートで、「何が原因で『従軍慰安婦』になったのですか?」という
問いに対し、回答は次のとおりでした。

45% 逆らうと家族を殺すと日本兵に脅迫されて強制された。
45% 看護婦にしてやる、学校へ行かしてやる、職を紹介するなどと言わてだまされた。
 9% 帰宅途中、あるいは路上で拉致・誘拐されて。
 1% その他。

これをみると、脅迫・拉致・誘拐による強制連行が半数以上になります。

●13歳の時、学校から帰る途中に拉致された元インドネシア人「慰安婦」マリアムさんの証言
 両親はバティック(ジャワ更紗)の商人だったが、1932年に亡くなり
、マリアムさんは、カラテンガ村(現スカブミ市)の村長の秘書をしていた叔父に育てられ、スラバトゥにあった学校に通っていた。その学校は家から歩いて3キロぐらい、オランダ時代にはオランダ語で授業を行っていたが、日本の軍政が敷かれると、日本語の授業になった。
 日本語で授業を受けるようになってまだ間もない1942年10月のころである。学校の帰りに、突然四人くらいの剣を持った日本兵に囲まれた。剣を突きつけられたので、殺されるかと思ったが、日本兵は「歩け」と、身振りで指示した。その中の一人がツムラであった。
 同じ村の顔見知りの女性も何人か捕らえられていた。連れていかれたのはキリスト教会のすぐ側の建物だった。まだ13歳、何のためにその建物に入れられたのか、まったく分からなかった。そこに入れられた直後、軍医から性病検査を受けた。その検査も何のための検査であるのか、理解できなかった。
 三日目、叔父が会いに来た。叔父は、マリアムさんが学校へ行ったまま帰ってこなかったため、学校へ問い合わせるなどして、ようやく探し当ててきたのである。
「なぜ家に帰って来ないんだ」
 叔父は、マリアムさんが自分の意志でキプロス(ホテルやレストラン、オランダ語)に来たと思いこんでいた。日本兵に捕らわれたのだと話したが、充分説明しきれないうちに、叔父は部屋から出ていくようにと日本兵から警告された。その警告に逆らうことなどできなかった。
 キプロスを管理していたのはふたりの日本人男性である。まず最初に、そ
の建物から外に出ることは厳禁された。用便以外には部屋から出ることさえ自由にはできなかった。食事は他の女性が運ぶと説明されたが、食事を部屋に運んできたのは同じ村の六歳年上の女性だった。その女性は食事を運んだり、掃除をしたりなどの雑用をしていた。
 軍人は切符を持って、キプロスに来た。受付で軍人から切符を受け取って
いたのは、ふたりの日本人だが、もうひとり17,8歳のインドネシアの女性も受付にいた。彼女は軍人の相手もしたが、ふたりの日本人とともに、部屋にいる少女たちが逃げ出さないように、常に見張っていた。
 キプロスに入れられていた少女たちの全体の数は分からない。マリアムさんがキプロスにいた期間、ずっと一緒だったのは7名である。だまされてキプロスに連れてこられた人が多かった。
 キプロスを利用しに来たのは軍服を着た軍人だけである。兵隊は朝から夕方までの間に、階級が上の軍人は夜に来た。
 ツムラは度々やって来た。軍服の襟に星三つをつけていた。太っていて、年齢は40代だっただろうか。13歳のマリアムさんにはとても年をとっているように見えた。横暴な軍人で、しばしば、ここから逃げ出したら殺す、と脅された。マリアムさんの両親はすでに他界していたのに、お前がここから出ていけば両親の命はないものと思え、といった。
 キプロスに入って間もない頃は、軍人の要求をなかなか受け入れられなかった。すると、しばしば剣を突きつけられた。
 用便のため、部屋から出て、廊下で顔を合わせた他の部屋の少女と話をしていたら、逃亡を図っているとでも勘違いされたのだろうか。部屋に引き戻されて殴られたこともある。軍人のいうことに従わないと、罰として食事を減らされた。だが、日本語を理解できなかったから、何が原因で罰せられているのか、理解できないことの方が多かった。
 つらかったのは、マリアムさんには、キプロスに連れてこられた時に着て
いた服、たった一着しかなかったことだ。他の少女たちは、2,3枚着替えを持っていた。
 高原地帯であるスカブミは雨期には気温が20度以下になることもある。
そんな日には軍人の上着を部屋においてもらって、寒さをしのいだ。洗濯をする時にはツムラの服を借りるか、裸になって、乾くまで待つ他なかった。
「外に出ることはないし、軍人に犯されるために部屋に閉じ込められていたのだから、衣服は必要ないと思われていたのでしょう」
 と、マリアムさんはいった。
 性病検査は週に二回、民間の病院から中国人医師が定期的に来ていた。性病にかかると、ただちに病院に送られた。食事の量が少なく、体力が衰弱していたためであろうか、下痢など、性病以外の病気にかかる人も多かった。
 倉本部隊がスカブミから去り、キプロスから解放された時、マリアムさんは17歳になっていた。その時、金は一銭も受け取っていない。カラテンガ村の叔父のもとに帰ったが、受け入れられなかった。その直前までキプロスにいたことを、叔父は嫌ったのだ。
 近隣の人々も学校などを通じ、マリアムさんが日本軍に捕らえられていたことを知っており、蔑まれ、辱められた。叔父が受け入れてくれたとしても、カラテンガ村では暮らせなかったのだ。

●中曽根氏の発言
(略)中曽根氏は首相在任当時、「国家国民は汚辱を
捨て、栄光を求めて進む」と発言し、大見得を切りました(第5回自民党軽井沢セミナーでの特別講演)。
 この発言は、インドネシアでかっての部下である「イモ兵士」たちのために特別な「慰安所」を作ったと豪語する中曽根氏にふさわしいといえましょうか(注1)。このように、国家の帝国主義的な栄光しか眼中になく、恥知らずな汚辱の過去を切り捨てるという思考方式は、「新しい歴史教科書をつくる会」が唱える「誇りの持てる歴史教育」をほうふつとさせます。
 さて、イモ兵士の総指揮官であった中曽根氏ですが、同氏は、その当時「慰安婦」をどのように集めたかについては何も語りませんでした。あるいは台湾総督府に依頼して「慰安婦」を軍需物資として送ってもらったのかもしれません。(略)。
 あるいは、手っ取り早く現地女性を「調達」したのかもしれません。中曽根元首相と似たような境遇にあった、海軍(四南遣艦隊)司令部副官である東大出身の大島主計大尉が、インドネシアでの「慰安婦」集めについておよそこう述べたことが伝えられています(禾晴道「海軍特別警察隊」太平出版社)。              ・・・・・
 「司令部の方針としては、多少の強制があっても、できるだけ多く集めること、そのためには宣撫用の物資も用意する。いまのところ集める場所は、海軍病院の近くにある元の神学校の校舎を使用する予定でいる。集まってくる女には、当分の間、うまい食事を腹いっぱい食べさせて共同生活をさせる。その間に、来てよかったという空気をつくらせてうわさになるようにしていきたい。そして、ひとりひとりの女性から、慰安婦として働いてもよいという承諾書をとって、自由意志で集まったようにすることにしています」
「特警隊なら通訳もいるし、おどしもきくから(女集めを)どうか」
 これに対し、特警隊の禾(のぎ)晴道中尉は「治安維持を任務としている特警隊の信頼はまったくなくなる」ことを理由に、「特警隊は協力することはできます。女性のリストをつくり現地人の警察隊とか、住民のボスを利用して、反感が直接日本軍にくることを防ぐ必要があります」と述べて、この任務を逃れました。結局、「慰安婦」集めは民政関係の現地人警察を指導している政務隊におしつけられ、副官が中心になり、特警隊は協力し、各警備隊・派遣隊もできるだけ候補者のリストをだして協力することになりました。 そうやって政務隊が「女集め」をしましたが、その後のエピソードを、担当の司政官が禾中尉に戦後、次のように語りました。
「あの慰安婦集めには、まったくひどいめに会いましたよ。サパロワ島で、リストに報告されていた娘を強引に船に乗せようとしたとき、いまでも忘れられないが、娘たちの住んでいた部落の住民が、ぞくぞくと港に集まって船に近づいてきて、娘を返せ! 娘を返せ! と叫んだ声が耳に残っていますよ。
 こぶしをふりあげた住民の集団は恐ろしかったですよ。思わず腰のピスト
ルに手をかけましたよ。敗れた日本で、占領軍に日本の娘があんなことをされたんでは、だれでも怒るでしょうよ」
 このような強制連行でも、司令部副官のいうように「慰安婦として働いてもよいという承諾書」はとられたのかもしれません。この承諾書は前回、スマラン慰安所の例からすると、おそらく日本語で書かれ、うむをいわせずに承諾させられたのではないかと思われます。
 ここに書いたインドネシアの例はほんの一部にしかすぎません。ここ数年来、インドネシア「慰安婦」に関する研究も進展しだしましたので、今後、新たなたな事実が徐々に明るみに出されるのではないかと期待されます。(注1)
 <半月城通信、「従軍慰安婦」33,「イモ」の総指揮官>
 元首相の中曽根氏は「慰安所」をつくったと堂々と公言しています。元首相は回想記「二十三歳で三千人の総指揮官」で次のように記しています。
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった」(松浦敬紀編「終わりなき海軍」文化放送開発センター)

半月城通信より引用しましたが、日本軍のおぞましさに寒気がします。インドネシアを日本軍は侵略しましたが、食糧や労働力を奪っただけではなく、女性そして13歳の少女まで奪ったのです。禾晴道「海軍特別警察隊」太平出版社という本に従軍慰安婦強制連行の事実が載っていることや、中曽根元首相が慰安所の開設などの日本軍の人権侵害に自ら手を下しているという事実が明らかになりました。

http://www.ask.ne.jp/~hism/nikki7.htmより
8月19日

吉見義明著「従軍慰安婦」はもう少しで読み終わる。
元慰安婦の人たちに、日本が補償することは不可能に思える。
国のお金で補償をするのに感情、同情ではできない。
元慰安婦の一人一人が異なったケースで慰安婦体験をしているし、慰安婦ではなく強姦、輪姦され挙げ句に証拠隠滅のために殺された人もいる。
(略)
吉見氏の「従軍慰安婦」のなかには証拠となるような資料が色々とあげられている。中曽根元総理の回想記「23歳で3000人の総指揮官」というものまである。中曽根氏は主計将校(中尉)として軍慰安所設営に関係していたそうで、フィリピンのダバオ、ボルネオのバリクパパンと転戦し、この間、みずから軍慰安所を開設したと回想記に書いてある。
 このように自らが手を下した経験のある人が厚顔無恥に世に憚っていることは従軍慰安婦の問題が国際的にも知られている中、日本人として恥ずかしく、また、そのような人に対する軽蔑の気持ちを抑えるのに苦労する。かなりお年を召した方だし、戦時中に洗脳されたまま今日まできてしまったのだろうと考える。

平成の妖怪・中曽根康弘を読む 鎌田 慧http://www1.jca.apc.org/iken30/News2/N87/KamataSatoshi.htmより
この古田班長は、松浦敬紀編『終わりなき海軍』でも重要な登場人物としてつかわれている。七十万円(現在の金額で数十億円という)の軍票(占領地で流通させる紙幣)を受け取った中曽根輸送隊隊長は、それを紙のベッドにして、勇躍ボルネオ島のバリクパパンに侵入した。が、ここでイギリス駆逐艦の攻撃を受け、古田班長は足に負傷する。
「片足がぶらぶらになり、皮一枚でくるぶしの下がぶらさがっている」と描写されている(「片足がぶらぶらになり」と「皮一枚でくるぶしの下がぶらさがっている」という様子はよく飲みこめない)。全身血まみれ(足をやられて全身血まみれとは、逆立ちでもしていたのか)の古田班長、ただ一言、「隊長すまねぇ」という。
「しっかりしろ、傷は浅いぞ」
と中曽根隊長、名セリフを言ったのだった。
「こうして古田正夫は、南の海で壮烈な戦死をとげたのである」。これがかれの自慢の戦闘体験なのだが、そのあとに書かれていた事実で、それ以降、忽然として消えてしまったエピソードがある。引用してみよう。

「三千人からの部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある」

軍がつくった「慰安所」とは、いうまでもない、売春施設のことである。が、そこではたらく女性たちは、日本から志願して渡ってきた女性ではない。何人いたかは明らかではないが、これまでの侵略地での女性たちの証言で明らかにされているように、「拉致」だった、と考えられる。
とすると、まるで婦女拐帯の責任者、女衒のような仕事をしていた隊長が、のちに一国の首相になったことになる。まあ、戦犯だった岸信介も首相になったのだから、ことさら驚くこともないか。

中曽根はまさに妖怪。このような戦争犯罪に手を染めて、平然としている人間はどうかしている。このような戦争犯罪を犯した人間を日本政府あるいは日本国民は自らの手で処罰しなかった。それがいまの戦前から脈々と続く日帝悪の体質によって今まさに窮地に陥っている原因である。

従軍慰安婦資料集より
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/1794/ianfu.html
モア島での取調べ
モア島(現インドネシア)指揮官だった日本陸軍中尉が、連合国のオランダ軍の取り調べの中で、「現地在住の女性を無理やり慰安婦にした」と供述している(46年1月)。次のような問答があった。
問 ある証人は婦女を強姦し、その婦人たちは兵営に連れて行かれ、日本人達の用に供せられたと言いましたがそれは本当ですか。
答 私は兵士達のために娼家を一軒設け、私自身もこれを利用しました。
問 婦女たちはその娼家に行くことを快諾しましたか?
答 ある者は快諾し、ある者は快諾しませんでした。
問 幾人そこに居りましたか。
答 6人です
問 その女たちの中、幾人が娼家に入るように強いられましたか。
答 5人です
問 どうしてそれらの婦女たちは娼家に入るように強いられたのですか。
答 彼らは憲兵隊を攻撃した者の娘達でありました。
問 ではその婦女たちは父親たちのした事の罰として娼家に入るように強いられたのですね。
答 左様です。
モア島のすぐ西にあるチモール島のポルトガル領(現東チモール)では進駐した日本軍が、地元の酋長に慰安婦募集への協力を強要していた。その様子を目撃したポルトガル人の医院事務員が証言している。(46年6月)「私は日本人が酋長に原住民の女の子たちを娼家に送る事を強要した多くの場所を知っています。彼らはもしも首長が女の子達を送らないのなら、彼ら即ち日本人が酋長の家に行って彼らの近親の女達をこの目的で連れ去ると言って脅迫しました」
(97年3月31日、朝日新聞の朝刊)

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8536/slave.htmより
 管理される側の慰安婦は、どんな状況の下に暮らしていたのか。

 連合国軍がビルマで捕虜にした経営者、朝鮮人慰安婦に尋問してまとめた報告(四四年)では、一カ月三百―千五百円の稼ぎを得て、五〇―六〇%は経営者の取り分だった。「都会では買い物も許された」という。
 一方で、慰安婦たちが厳しい条件、監視の下に置かれたことを示す文書もある。東京裁判に提出された証拠資料の中に、ボルネオ島の慰安所状況について、オランダ軍が作成した報告書があった。
 「日本人と以前から関係のあった婦人たちは、鉄条網の張りめぐらされたこれらの性慰安所に強制収容されました。彼女らは特別な許可を得た場合に限り、街に出ることができたのでした。慰安所をやめる許可は守備隊司令からもらわねばなりませんでした」(四六年七月)

 インドネシアでは民間団体の呼びかけに対し、二万人以上が、「慰安婦にされた」「強姦された」などと名乗り出ている。同国政府と基金は今年三月、元慰安婦を優先する福祉施設建設の覚書に調印。日本政府が基金を通じて経費を出資する。インドネシアは「元慰安婦の特定は困難」などとして、個人対象の支援事業には応じていない。このほか、ジャワ島にいたオランダ人一人が提訴している。

◇インドネシア

 インドネシア・ジャワ島チマヒ出身のスハナさん(七〇)は一九四二年、無理やり慰安婦にされたとしている。家の前で遊んでいると、日本の軍服を着た五、六人の男に車に乗せられた。両親は留守だった。男たちは刀を持っており、抵抗できなかったという。
 連れて行かれたのはオランダ軍の旧兵舎だった。ほかにも多数の女性と通訳兼雑役係がいた。
 一週間は何もせず、八日目から兵士の相手をさせられた。
 「食事と衣料の支給はあった。現金をもらったことはない。いつも『お金は、あとで』と言われ続けた。一人の将校から二度、軍票をもらったが、額は覚えてない」
 外出はいっさい許されなかった。二年半ほどたって、突然家に帰るように言われた。両親はすでに死んでいた。

http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/DATA02.htmlより
元日本軍「慰安婦」スハナさん(インドネシア出身)の証言

「一九四三年、私は一六歳でした。私が家の道端にいた時、突然「ダイニッポン」(日本軍)のジープがやってきました。ジープには軍人が六人ぐらい乗っていたと思います。その男たちは私に「一緒に来るか?」と訪ねました。私は「いやだ」と答えました。すると彼らは私に「ジープに乗れ」と命令しました。私が再び「いやだ」と拒否しますと、頬をぶたれました。私の両親は市場で店を出していたので、「それなら、お父さんとお母さんに行くと言わなければ」と私は言いました。しかしもちろん両親に会いに行くことを許してはもらえませんでした。彼らは私の長かった髪を、まるで馬のたてがみを引っ張るようにして私を引きずりました。私が必死に抵抗したので、結局彼らは私を抱え上げてジープのなかへ押し込みました。
 そのあと私は、もともとオランダ軍の将校用住宅だったグドゥン・ドゥラパンという建物へ連れて行かれました。日本兵は私に「働け」と命令しました。私は「いやだ、学校に行きたい。私の両親も私がここへ連れてこられたことを知らないから、絶対に働くのはいやだ」と言いました。
 しかし、その建物に入れられた後、別の部屋に連れて行かれました。そこには若い女性がたくさん、三十人くらい入れられていて驚きました。私は「家に帰りたい」と泣き続けていたら軍人に殴られました。すると、女性たちの一人がそばに来て、「泣くのはやめなさい。私たちはどうせ「囚われの身」なのだから」と私に言いました。
 一晩その部屋で過ごした翌日、私は中国人に別の部屋に連れて行かれました。その部屋に入れられると、まもなくして「ダイニッポン」の男がやってきて、そこで私はむりやり犯されました。抵抗しようとすると平手打ちされました。
 その日本軍の男は、私に服を脱ぐように命令しました。私はいやだったので抵抗したところ、私が腰に巻いている布をむりやり剥ぎ取り、下着も剥ぎ取りました。その「イケダ」という日本の軍人に私は犯されました。私はそのとき処女でした。私は本当に死んだような気がしました。
 そうやってその男に犯された後、私はまたもとのたくさん女の人がいる部屋に戻されました。部屋の中で私は泣きました。周りにいた人たちは同情してくれました。私が彼女たちの中では一番若かったからです。「これ以上泣いているとまた殴られるよ」となぐさめてくれました。その日から毎日毎日、イケダに限らず他の日本軍の男たちに犯され続け、とても時が長く感じられました。
 そして金曜日がやってきました。私は「タナカ」という医師に検査されました(性病の検査と思われる)。検査が終わると、また中国人にタナカ医師の家に連れて行かれました。そこでなんと、タナカ医師も私をレイプしたのです。そのときタナカ医師は、コンドームを使用しました。そのあと私はまたもとの部屋に帰されました。
(中略)
 軍人たちの相手をさせられる部屋は、私たち一人に一部屋ではなく、一部屋に三人入れられました。それなのに軍人たちは他の人がそういうことをやっていたり、あるいは他の人に見られているということも全然おかまいなしです。ですから、他の女性たちが同じ様な目に遭っている中にいて、私は周りをとても見ることができず、いつも目を覆っていました。そんな私を見て日本軍の男は「こんなこと恥ずかしがる必要はない」と言いました。
 また、拒否すると足蹴にされたり、頬を殴られたりしました。私は拒否をしたためにずいぶん殴られました。殴られるのが恐ろしかったので、私は仕方なく犯されざるをえませんでした。いろんな軍人が次々に指名してくるので体を休める暇もなく、終わったかと思うとまた次の軍人が来るという状況でした。」
(koβ註:スハナさんは犯され続けたためか、後に病気になり、一年半後、そのまま慰安所と共に放棄される形で日本軍から解放された。が、スハナさんの父親は日本軍により殺されており、母親も夫と娘を失ったショックから病気になり亡くなっていた。)

「インドネシア侵略と独立」(戦争犠牲者を心に刻む会・編 東方出版)より

「インドネシアで会った人々」(その3)
http://www.haruko.gr.jp/enews/enews2000/enews2000_16.html
スハルディさんは1943年従軍慰安婦にさせられました。日本名ミキと呼ばれました。
 「私は東ジャワで生まれました。村長・副村長が家にきて『各村長に日本軍から指示がでて、どういう女の子がいるか調査するように言われました。壮年はロームシャ(労務者)に、青年はヘイホに、女の子は遠いところで事務の仕事をするた』と言われたので、二人でやってきたということでした。

 父は『たった一人の子なので行かせないで』と頼みました。母は村の代表の足にしがみついて『やめてほしい』といいました。しかし村長は、『心配するな。学校で教育を受けて働けるいいチャンスだ』と。また『子どもを行かせないとたいへんなことになる。日本兵に拷問される』といい、2日後、父親は村長のところに行きサインしました。5日後、42キロ離れている村長の事務所に父と歩いて行きました。15歳の時でした。少女達はスラバヤ行トラック二台に乗せられました。そのとき母が、『おまえともう一度会えるのか、会えないのか』と叫びました。(ここでスハルティさんは涙をぬぐった)

 スラバヤ港から船に乗せられて出航したが、一昼夜の後、船は連合軍から攻撃され撃沈。気がついたら木の机にしがみついていました。どれくらい漂流したかは分からないが、日本の軍艦に助けられてバイフアカン港に上陸。軍艦の上で身体検査をされて、OK.の者から下船させられました。名前を呼ばれグループごとに別れました。グループは18人でした。

 石油会社の幹部の住んでいるところに長屋があって慰安所になった。病院に連れてゆかれ18人の女性と身体検査を受けさせられました。小野という男が私を連れて行き、彼から暴力を受けました。・・中曽根のつくった長屋の慰安所に行くことになると小野に言われました。・・5時間に5人に奉仕しなければなりませんでした。一人の男が3回犯す場合もありましたが平均2回でした。夕方5時から労働の始まりです。・・・
 連合軍がどんどん爆弾を落とし、中曽根の部隊は誰もいなくなりました。「今日からここで働かなくもいい。別の町に行ってもいい。自分で選択してくれ」と言われましたので「ジャワに返してほしい」と要求しました。戦争なので山の中を通って逃げました。」

「インドネシアで会った人々」(その4)http://www.haruko.gr.jp/enews/enews2000/enews2000_17.htmlより
 13才の時 元従軍慰安婦にさせられたスイボンさんは、私たちがあった三人の元従軍慰安婦の中で一番小柄でした。にこにことして私の手を取り身体をすり寄せる等、大変人なつこい態度でした。
 私たちは他の二人の元従軍慰安婦からはインドネシア語の通訳を介して話を聞きましたが、彼女は「インドネシア語が正確でない」とのことで、付き添いの人が中に入り、二重通訳で話を聞きました。

 それによると、「13才の時、村上という人物にジョクジャカルタの郊外に連れて行かれた。村上はいつの間にか自分の管理をするようになっていた。大きな家で女中をするといわれ、そのつもりでいたら夜男が襲ってきた。二年間そこにおかれ次から次に男が襲ってきた。そこには三人の女性がいて同じ運命にあった。一時間程度の外出は許可されたが、いつもスパイがついていた。町の外に行くことはできなかった。その後脱走して自分の家に帰ったが、病気をして病弱になった。」

http://www.ashir.net/siis/koron/shohgen.htmlより
 マルディエムさんは、淡々とご自分のつらい体験を話されました。13歳の時に侵略してきた日本軍から「芸能人募集」の誘いがあり、だまされてカリマンタン(ボルネオ)島につれて行かれました。慰安所にいれられ、そこで日本軍の将校・兵隊・民間人に連日レイプされ続けたことをはっきりと証言しました。妊娠がわかると日本軍は中絶の手術をし、また慰安婦として陵辱し続けたのです。マルディエムさんは、中絶させられた時(5ヶ月になっていたといいます)子どもに名前をつけ、忘れないようにしたといいます。連合軍の反撃が激しくなると、日本軍はマルディエムさんたちを放置し、逃走しました。故郷に帰るすべもなくボルネオ島に置き去りにされたのです。

 こんな女性たちに日本の政府は何の謝罪も補償もしていないのです。マルディエムさんは、一番若い方です。慰安婦にさせられた方々の多くは70歳をこえています。マルディエムさんはインドネシアで元慰安婦の方々の世話もしています。高齢で生活も苦しい方がたくさんいます。当然戦後も幸せな人生を送った方というのはほとんどありません。日本軍がこの人たちの人生を狂わせたからです。マルディエムさんは言います「日本の政府は責任をきちんととって欲しい。そして補償もすみやかに行うべきだ。時間がない」と。
Mardiyem―マルディエム―彼女の人生に起きたこと
http://kanatomoko.jp.todoke.net/file/F_01kaisetsu.htmlより
歴史の証言者として  〜闘うマルディエム〜

 マルディエムさんは気高く強い女性だ。背筋をピンと伸ばし、インドネシアの『慰安婦』の声を人々に知ってもらうために、精力的に活動している。相手がインドネシア政府でも日本政府でも、彼女は丁寧な言葉で元『慰安婦』の現状を語り、正式な謝罪と個人への補償を訴える。ジャワの古き良き女性の慎ましさと、何者にも負けない力強さの2つをあわせもっている。

----------13歳で『慰安婦』に
 ジョグジャカルタの王宮に仕える厳格な家で彼女は育った。13歳の時、歌手になれると騙されて慰安所に連れていかれ『慰安婦』になった。初めてのレイプの日、彼女はセックスの意味も知らない子供だった。その子供を最初に犯したのは慰安所の軍医の助手。そして、その日の内に6人の日本兵に11回レイプされた。下半身から出血が止まらず、慰安所の彼女の部屋の床は血で真っ赤に染まったという。

----------慰安所で誓ったこと
 その日から3年半、昼となく夜となく、多くの兵士がコンドームと慰安所の切符を持って彼女の部屋を訪ね、ある者は彼女を殴りながら、ある者は卑猥な体位を強制しながら、ある者は避妊もせずに、彼女を犯し続けた。泣けば殴られる。逃げようとしたら日本兵に殺された。
妊娠したのは14歳の時。セックスすると子供が出来ることも知らなかった。麻酔のない手術室でお腹を押されて中絶した。一ヶ月も経たない内にまた、慰安所でのレイプは始まった。
 『殴られる度、蹴られる度に思ったわ。私は将来、ここで自分が経験した全ての出来事を絶対に明らかにして、『歴史の証言者』になってやると。だから、死ぬわけにもいかないし、生きて家に帰ってこの悲惨な事実を伝えなきゃ、そう思うことで命をつないでいたの。』

 1945年の8月に慰安所から解放された時、貯金してると聞かされていた慰安所の賃金は跡形もなくなった。遠く離れた実家に帰ることも出来ず、連合軍のレイプにおびえながら安全な場所を探して山の中を逃げまわった。16歳の時、夫と知り合って結婚。やっとの思いで実家に戻った時、彼女は23歳になっていた。

----------歴史の証言者に
 1993年、日本政府の『慰安婦』問題に関する謝罪のニュースを聞いたとき、体中に電気が走った。夫は既に他界していたし、迷うことなく彼女は自分の過去を公表した。今こそ『歴史の証言者』になる時だ。50年伏せてきた自分の中の怒りと悲しみと憎しみの全てを世の中に訴えたよう。その思いが彼女の体中を駆けめぐった。
 そして、その日から、彼女はインドネシアの元『慰安婦』を代表す女性の一人になった。

----------孤立する元『慰安婦』たち
 いま、マルディエムさんはインドネシアの元『慰安婦』を取り巻く厳しい環境と闘っている。LBH(法律援護協会)などの支援者に支えられながら、政府や関係者にデモを行い先頭に立って交渉を続けている。そうしたハードな戦いの日々の中で、彼女が一番力を入れているのは元『慰安婦』たちを定期的に回り、生活や精神面の相談に乗ることだ。過去を公表した仲間達の中には家族や周囲の人々からさげすまれ、後ろ指を指されている人が少なくない。ただでさえ、結婚もできず、孤独の中で人生を歩んできた元『慰安婦』たちが、死ぬ思いで告白した勇気が周囲の無理解のなかで、あだになっているのだ。

 パルティエムさんという友人の家を回ったとき、世話をしている甥がマルディエムさんにこう言った。『俺はパルティエムのことをかわいそうだと思っているよ。だから、迷惑なのに俺の土地に住まわせてやって、食べ物も分けているんだ。だから、早く彼女に来るはずのお金を俺にまわしてくれ。本当はあんただけいい目にあっているんじゃないのか?』パルティエムさんは甥の前でただ小さくなって下を向いていた。
『甥はね、私のことやっかいだから嫌っているのよ。でも、私はお金がないから彼に面倒を見てもらうしかないの。』これが、マルディエムさんの友人達の現実なのだ。

----------命の限りの中で
 『仲間の所を訪ねる度に私は悲しくなります。孤独だったり、親戚の施しで生きていたり。そんな彼女たちを見る度に自分はもっと日本やインドネシアの政府に呼びかけて、きちんとした謝罪と個人補償を生きている内になんとしてもしてもらわなければと思うの。』
 毎年、多くの友人が果たされぬ思いの中でその命を閉じている。昨年亡くなったスハルティさんは彼女の大親友だった。慰安所で、お姉さんのように面倒を見てくれた人だった。先ほどのパルティエムさんも今年病気でなくなった。何人の友が命を落としたのだろうか。闘いの時間はもう、限られているのだ。

----------次の世代に伝えたいこと
 最近マルディエムさんが活動の中で必ず強調することがある。それは、次の世代に『慰安婦』問題をきちんと伝えて欲しいと言うことだ。
インドネシアの教科書には戦後のかなり早い時期から、戦争の被害者として、兵補やロームシャとよばれる男性の強制労働などの被害者のことは記述されている。しかし、『慰安婦』問題は最近になってようやく記述の検討が始まったばかりだ。そして、日本では『慰安婦』の記述は義務教育の教科書から消えようとしている。
 2000年12月、東京で開かれた『国際女性戦犯法廷』という大規模な集会で証言したマルディエムさんは、記者会見でこう語った。『慰安婦問題は本当にあったことです。謝罪や補償と同じくらい大切なことは、日本の次の世代にこの事実をきちんと伝えることです。私は、13歳で慰安婦にならされました。家は王宮につかえていたので、お金に困って売春婦になる必要はありませんでした。慰安婦が売春婦だったと主張する人々がいるようですが、日本が私たちを強制的に『慰安婦』にした事実は紛れもなく本当のことです。過ちを繰り返さないためにも、この事実を若い人たちに知ってもらいたいのです。』
(略)

05年慰安婦マルディエムの告発 
http://members.jcom.home.ne.jp/eumeda/tanka/05marudhiemu.htmより
マルディエムさんは、インドネシアで生まれ、アジア・太平洋戦争のとき、日本軍により、いわゆる、「慰安婦」として戦時性暴力被害を受けた方です。一九九五年十二月にアジア・フォーラム横浜主催の証言集会で、証言をしてくださいました。
 また、二〇〇〇年十二月の女性国際戦犯法廷では、インドネシアの代表として、その体験を証言してくださいました。証言にこめられたマルディエムさんの想いを、短歌と文にまとめました

「慰安婦」マルディエムの告発
(略)

私の名前はマルディエム
インドネシアのジョグジャカルタに住んでいました。
インドネシアに日本軍が来たのは一九四二年三月 その時私は十三歳。
舞台で歌うことを夢見る、無垢な少女でした。
「女優にならないか」「ボルネオで大きな舞台に出られるよ」
そんな言葉を聞かされて、浮き立つ気持ちで汽車と船でバンジャルマシンに連れて行かれました。
デッキのすみに歌手になりたき少女らを乗せ船は行く青きボルネオ
十三歳は歌手になれると騙されて皇軍兵士の「慰安婦」とさる
同じような少女たちが私の他に四十七人いました。
着いたところは、舞台ではありませんでした。
大きな建物の二十くらい部屋がある中で、十一号室に入れられ、
まだ生理もない私に、六人の男たちが襲いかかってきたのです。
いったい何が起きているのか、恐怖と痛さで、夢中で叫びました。
痛い!やめて!お願い!
でもやめてくれませんでした……
そこは、「慰安所」だったのです。
初潮さえなき十三歳初めの日六人の兵にレイプされしと
慰安所の十一号室に入れられて「モモエ」と呼ばるる十三歳よ
三時間に十一回も…、それはその日だけではありませんでした。
慰安所の前に住んでいた日本人の「チカダ」は慰安所を経営していました。
ある日私は、チカダに怒鳴ったのです。「痛くて出血しているのよ!」
血が床に滴り落ちていました。
「だめだ!」チカダは怖い顔で言いました。私は血のついた下着を彼の顔に投げつけました。
あらゆることが時間で決められていました。
昼の十二時からずっと…、夜になるとまた七時から真夜中まで
毎晩二十人から三十人の兵士が来る、まだ幼い私なのに
あと何時間こうしていなければならないのか、
十四歳になったとき妊娠しました。
妊娠がどういうものか私には判りませんでした。だから、五ヵ月になっていました。
「チカダ」は薬を持ってきました。中絶の薬でした。でもそれは効き目がなかったのです。
「チカダ」は私の上にのしかかりました。
痛い!やめて!
私の下腹部を強く押すのです。く、苦しい、痛い!止めて!
気の遠くなるような時間、これ以上ないような…引き裂かれるような痛み、
気を失えたらどんなに良かったでしょう。
何かがドロッと出ました。生きていました。
涙も出ました。
腹押され五か月の胎児出されたり身ごもりに気づかぬ十四歳は
チカダは、私を床に突き飛ばし、背中を蹴りました。
私の髪の毛をつかんで腕に巻きつけ、私を投げたのです。
優しくなでられるために伸ばした私の黒髪は、無理やり引っ張られ抜けてしまいました。
その後、チカダは、私を、…レイプしたのです。
強く殴られて、私の足は長さが違ってしまいました。
私はその子に「マルディヤマ」と名前をつけました。
十四歳の麻酔もかけぬ中絶の記憶を語る男の子だったと
中絶をさせられし日よマルディエムはわが子殺せし罪に苦しむ
日本がインドネシアから去った後、やっと私は解放されました。
そして結婚しました。
夫はやさしかったけれど、夜をともにしても私は一度も喜びを感じることはありませんでした。
夫がなくなり、弁当の仕出しの仕事を夢中でやりました。
でも私が「慰安婦」と判ってから、お客が寄り付かなくなって。
「欠陥人間!」
「日本のパン屑!」
蔑まれました。
なりたくて、なったわけじゃない!
耐えられない日々を、日本軍に強いられただけなのに
マルディエムは「日本のお古」と言われつつ日本の罪を背負いて生き来
ボルネオの慰安所設置を自慢げに書きたる人を首相にする国
あの四年間、悪夢の年月、本当に夢だったと、幾度ねがったか。
しっかりものといわれ、我慢強いと褒められるけれど
このたけり狂う怒り、ふいに襲う、どうにもならない狂おしい思いは我慢出来ない。
夢を抱いて、ただ楽しく歌っていた十三歳の私を返して!
人を愛する気持ちを返して!
安らかな夜を返して!
マルディエム
私の人生
私は何のために生れてきたのでしょう。
十三歳のあの日から、六十年間は、…地獄でした。
マルディエムは言葉の杖に縋りつつ癒されたいと辛き証言す
日本の若き人らに伝えたしと戦争をまた起こさぬために
「慰安婦」らの辛き証言はめ込まれ歴史なりゆくジグソーパズルのごと
知ってください、心に地獄を抱き続けたまま生きている私がいることを
日本は謝ってください。二度と再び地獄を味わう人がいないように。
日本は賠償してください。あの時代が再び来ないように。
日本は伝えてください。過去の犯罪を
日本は、努力してください、本当の平和を得るために。

酷い話です。マルディエムさんの告発の短歌を読むと寒気がします。たった、13歳の少女を性奴隷にし、集団レイプするというおぞましい蛮行を日本軍はやりました。取り返しはつきません。彼女の勇気のある告発を無駄にしないためにも日本政府に過去の罪を清算させ、日本人1人1人が過去の日本が行った侵略と加害の事実を余すことなく知り、反省と贖罪の心をもち本当の平和へ向けて努力しなければなりません。
Rickshaw(リキシャ)Vol.32
http://www.asiavoice.net/rickshaw/n200106.htmlより
インドネシアへ
 1943〜44年にインドネシアのカリマンタン島西部のポンティアナック周辺で、日本軍への抵抗運動を組織した容疑で、住民の逮捕、虐殺事件がありました。殺害された人数は現在も明確な裏付けが取れていませんが、地元では1万人以上と言われています。1988年7月に地元の人の案内で、その中のおもな虐殺現場であるマンドルを訪ねました。そこには事件の顛末が描いてある大きなレリーフがあります。虐殺場面もリアルで、そのレリーフが具体的に雄弁に日本の占領統治がどういったものだったかを語っていました。「しんどいなぁ」と思いましたが、何らかの形で日本人に伝えなきゃと思い、帰国後、私は『アサヒグラフ』に写真中心の記事を書きました。

 このレリーフが作られた1977年頃は、「慰安婦」問題が一般的に認知されていなかったのですが、じつは、このなかに「慰安婦」につながる絵もあるんです。酔った日本兵が酒瓶を振りながら女性を引っ張ったり、蹴っている場面。

 事件当時、ポンティアナックに住んでいた日本人商社員の井関氏(故人)は、著書『西ボルネオ住民虐殺事件』のなかで、軍は、最初は日本の商社で働く女性に目を付けて、裸にして性器を調べ、処女でなかったら慰安所に放り込むということをやっていたと書いています。当然、現地の反感があり、日本軍への抵抗運動(本当に組織的に動いていたかは疑問だが)が事件への伏線になっていたといえるし、期せずして、性奴隷の問題がこのリレーフから見えていたと、今にしてみれば言えます。(略)

ババル島虐殺事件
 ババル島はインドネシア東南部にある孤島です。この島のエンプラワス村で1944年に住民虐殺事件がありました。この事件では村民ほとんどが殺されました。ベトナム戦争時のソンミ事件のような事件です。1992年、インドネシアの知識人向け週刊誌『テンポ』がこの事件について報道し、いくらかは知られるようになりました。しかし、辺境の地であるババル島へはインドネシアのメディアも含めて現地調査が行われていませんでした。そこで、1992年にインドネシア研究者である内海愛子さんと村井吉敬さんとともに調査に行きました。その報告は、私もメンバーであったアジア民衆法廷準備会のニューズレターに掲載しました。

 じつは、この事件について、その調査の数年前に日本軍が作成した秘密文書が発見されていました。戦争直後、オランダが戦争犯罪として裁判にかけようとていたことに対して、そうならないように、日本軍が現地で関わった人から文書を出させて作ったものです。それらの文書には、数次にわたる改竄の後がみられるのです。後で作成された文書ほど、住民が混乱のなかで自暴自棄になって、同士討ちしたといった記述が書き加えられるなど、日本軍の責任を逃れるための改竄、追記のあとがありました。これらの文書のうち、もとになる最初の文書を書いた当時の士官は、この文書が明らかになった後の朝日新聞の取材に対して、日本軍による一方的な虐殺をおおむね認めています。

 また、私たちの調査でババル島の陸軍駐屯地にも慰安所があり、エンプラワス村からも女性が連れていかれたことがわかりました。日本軍の秘密文書のなかには、生き残った人に生業を与えるようにとりはかったという記述があります。少なくともその「生業」の一部が「慰安婦」だったと思われます。ここでも性奴隷の問題にぶつかっているのです。

 こうして、ポンティアナック、ババル島の事件で性奴隷・「慰安婦」問題の片鱗が見えてきたのです。しかも住民虐殺と性奴隷の問題はセットで出てくるところが極めて恐ろしい。日本軍の負の面を強烈な形で示すものだと感じました。

■ ジャワ・バリ・幽玄・夢現 ■
【連載2 独立記念日の祈り (2)】
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/AA/JB/JavaBali002.html より
 熱帯の地でやりたい放題ができた日本男児たちにとって、ジャワ島やバリ島はまさに「楽園」だったのだろうが、いまその行為のツケが回ってきている。日本軍の従軍慰安婦の問題もその一つだ。
 インドネシアでは、中部ジャワを中心とした地域から日本軍に性暴力を受けた被害者が四百人も名乗り出てきた。そのうちの二百五十人が従軍慰安婦として働かされたという。残りは強姦被害者などだ。中には初潮前の十三歳の少女だった女性もいた。彼女は「モモエ」という日本名で呼ばれ、将校、軍属、兵士の客を取らされたという。
 日本政府は彼女たちに対して、誠意をもった謝罪としかるべき保証をすることが当然なのではないだろうか。

元日本兵の証言に見る日本軍慰安婦
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper02.htmより
アンボン島にいた海軍の主計将校の証言によると、参謀が四つの慰安所を設置し百名の慰安婦を「現地調達」する案を示した。それは「日本将兵とよい仲になっているもの」を「密告」などによって探し出し「その中から美人で病気のないもの」を選ぶという計画だった。この主計将校はこのことを「慰安婦狩り」と呼び「クラブで泣き叫ぶインドネシアの若い女性の声を私も何度か聞いて暗い気持ちになったものだ」と回想している(坂部康正「アンボンは今」)。

スマトラで憲兵として慰安所に巡回で出入りしていた元憲兵は親しくなった朝鮮人慰安婦から「私達は好き好んで、こんな商売に入ったのではないのです」と打ち明けられたことを記している。「従軍看護婦」などの名目で騙されたこと、当初は「毎日泣きながら過した」こと、さらに「汚れたこの体はどう見たって昔の私には戻らない。親や兄妹に会せる顔もないでしょう」「どうせ帰れないんだから、友達とお金を貯めて、どこかこっちで何か商売でもしようと相談しているの」「皆な大声で笑ったり、噪いだりしているけれど、心では泣いているんです。死のうと思ったことも何度もあるんです。この気持ち解ってもらえるかしら」と涙ぐみながら聞かされたと語っている。彼は憲兵として彼女らの徴集のされ方を知っていたのである。

東南アジアの日本軍慰安所
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper22.htmより
 インドネシアについては(10)、セレベスの第二軍司令部が戦後に作成した「売淫施設に関する調査報告」では、「売淫婦は本人の希望に依り営業せしむ」「希望者を募集」と記している(11)。この史料によるとトラジャ、マンダル、ジャワ、ブギス、マカッサル、マンダル、などの慰安婦がいたことが記されている。

 インドネシアの元慰安婦の証言によると、ウエイトレスや事務員、看護婦などの仕事だと言われたり、裁縫をならわせてやるという詐欺の方法で誘いに応じて強姦されたうえで慰安婦にさせられたケース、警察官や村の役人を通して集めたケースなどがある。日本軍の一斉取締で捕らえられて慰安婦にされたというケースも報告されている。
 だまして連れていったケースが多いと見られるが、軍が表に出ずに警官や村の役人を使って集めさせたケースもかなりあると見られる。そこでは強制的に連行したケースもあったようである。

(10)インドネシアについては、川田文子『インドネシアの「慰安婦」』明石書店、1997年。
(11)吉見義明編集・解説『従軍慰安婦資料集』大月書店、1992年、三七三〜三七五頁。

 第四にインドネシア、特にジャワの女性がマラヤやボルネオなどに連れていかれて慰安婦にされた例が多い。特に一九四四年以降、マラヤにかなりのインドネシア女性が連れてこられた模様である。日本軍の戦局が不利になり、日本本土や朝鮮、中国からの慰安婦の供給が滞るようになるとジャワが供給地にされた。

インドネシアでも各地に慰安所が開設されていたことがわかっているが、慰安所の規定はまだ見つかっておらず史料もきわめて少ない。ただ戦後、復員にあたってセレベス民政部(海軍の軍政組織)の海軍司政官が作成した報告が残されており、海軍の軍政下にあったセレベスの慰安所の状況がわかる(21)。

 南部セレベスに関する史料では、民間人が実質的に経営していたという説明になっているが、各施設の「婦女の保護、収入支出、休養給与等の適正監督、風紀衛生等の取締指導等」は各県分県監理官がおこなうこと、「糧食、寝具、食器類、水道料、使用人の給養等一切民政部負担」となっていることなどから見て、ほとんど民政部(海軍の軍政機関)の丸抱えといってよい。民政部の監督下にあった慰安所は二三軒、慰安婦は二二二人となっている。トラジャ人、ジャワ人などほとんどがインドネシア人である。この他に第二軍司令部、パレパレ警備隊、神地区警備隊、ケンダリー海軍部隊のそれぞれの下に計七つの慰安所があった。このうちパレパレとケンダリーでは将校自らが責任者となる軍直営方式であり、残りの二つも民政部のものと同様に一応民間人が責任者だが軍丸抱えであった。

 インドネシアでも軍政機関と各部隊の両者がそれぞれ管理する慰安所があった。小さな島になるほど軍直営の性格が強いと見られる。米軍が上陸しなかったインドネシアではマレー半島と同様、敗戦までこの状況が続いたと見られる。

インドネシアにおける慰安婦調査報告
倉沢愛子
http://www.awf.or.jp/program/pdf/p089_105.pdfより
1インドネシア社会における「慰安婦問題」認識第2次大戦中、日本軍占領下のインドネシアで、多くの女性(インドネシア人、華人、オランダ人)が、日本兵の性的犠牲になったことはインドネシア社会では周知の事実であった。たとえば、1959年4月3日付けのインドネシアの新聞(Mestika紙)には、日本の賠償支払いに関連した投書が掲載されているが、その中で、日本からの賠償を本当に受け取る権利があるのは、日本の兵士たちの横暴の犠牲者になった人々であるとして、「聖戦を戦う手伝いのための売春婦として連れていかれた少女たち」のことに触れている。
 筆者自身1980年から1981年にかけてジャワ農村で実施した調査の中でも、そういう女性のことはしばしば耳にした。それは、この村の○○の娘が、「学校へ入れてやる」と騙されて日本軍に連れて行かれ日本兵の女にされた、というような話である。また、そのような女性を題材とした小説や映画は早い時期から作られていた。たとえば、1982年には「カダルワティ──5つの名を持つ女──(Kadarwati : Wanita dengan Lima Nama)」と題するするパンディル・クラナの小説が出版され、のちに映画化もされた。さらに1986年には「欲望の奴隷(Nafsu Budak)」と題する映画が制作・上演された。この映画はあまりにも有名で、そのため今でもマスコミ等では、「慰安婦」を象徴する代名詞としてしばしばこの「欲望の奴隷」という表現が使われるほどである。
 性的な犠牲になった女性という場合、かならずしもすべてが厳密な意味での従軍慰安婦を意味するわけではない。非常に多くの女性が、特定将校の「女中」あるいは「現地妻」のような形で、専属的に性的な奉仕をさせられていた。そしてそのようなケースの場合、必ずしも「強制」によるものではなく、そのことにより本人あるいは家族に対し保障されるさまざまな物質的な利益を考えて、ある程度納得のうえでその道を選んだ者もいる。あるいは時には純粋な恋愛に近いかたちで関係が始まった場合もあるだろう。インドネシア社会では、そういったさまざまなケースと、厳密な意味での従軍慰安婦を、ほとんどの人が区別して理解していない。またわれわれが、いくらその区別を説明してもなかなか納得してもらえない。それがこの国での慰安婦調査の場合の最大のネックである。
 いずれにせよ、その頃の小説や映画、あるいは人々の記憶の中では、このような日本軍の性的犠牲になった人々は、かつては「イアンフ」という明確な用語で認識されていたわけではなかった。この言葉自体はインドネシア社会ではきわめて新しいもの、つまり、1991年12月に韓国で名乗りを上げた元従軍慰安婦が日本政府に補償金支払いを求める訴えを起こし、いわゆる従軍慰安婦問題が国際的にクローズアップされて以来のことである。

すでに慰安婦問題が取り上げられる以前から、インドネシアにおいて女性が日本兵の性的犠牲になったことは周知の事実だったのだ。
1慰安婦募集の過程インドネシアにおいても、当初従軍慰安婦は、もともと売春を生業としていた女性たちを中心に募集された。しかしそれでは十分賄うことができず、やがて一般の女性から募集された。人種的な近似性のゆえに、バンカ島のマルガレタ(ホ・スイ・リウ)さんのような中国系の女性が好まれたようであるが、絶対数が少ないので、圧倒的多数はプリブミの女性であった。ジョクジャカルタのマルディエムさんのように一部の慰安婦は都市部から選ばれたが、多くは村落社会から募集された。

 
(略)名乗り出ている女性たちの中には、日本人将校の現地妻だった者、強姦された者なども数多く含まれている。そこで面接に際しては、本来の意味の慰安婦、すなわち軍が管理する慰安所に一定期間置かれて、繰り返し性的な相手をさせられた者、という範疇にあてはまる女性だけを選別してもらうよう頼んだ。しかし、にもかかわらず、われわれの予想に反して、40名の中にはさまざまなタイプの女性が混ざっていた。中でも多いのは、どの部隊の者も利用できる公的な慰安所ではなく、特定の部隊が独自に女性を集めて自分たちだけが利用した私設の慰安所のようなところ(正式には慰安所という用語は使用していないが)で働かされた者である。多くの場合それは、軍の兵舎の建物や、軍が運営している特定の工場の内部などに女性を多数住まわせ、将兵が必要に応じて「活用」するという形であった。(略) 
 当人たちはもちろんのこと、兵補協会や法律援護協会の関係者たちも、その種の私設慰安所と、軍管理の慰安所とは性格が異なるということに納得がいかないようであった。ここではとりあえず便宜上、前者を「準慰安婦」、後者を「慰安婦」というふうに区別し、そのおのおのについて叙述するが、他の個人的強姦や現地妻のケースについては特に触れない。
 慰安婦の場合、多くが居住地の区長や隣組の組長を通じて募集が行われたようである。「学校へ行かないか」とか「いい仕事があるが応募しないか」という形で誘いを受けたと述べている。単なる誘いであった場合もあれば、ノーといえないような強い雰囲気だったこともある。労務者の徴用も同じであるが、徴用令が施行されていた朝鮮や台湾とは違って、占領地では形式上は自由応募ということになっていた。とはいえそれでは、現実にはなかなか人数が集まらないので、村長や区長にノルマが課されるということが多かった。当時の権力関係からして、住民は村の役人や長老にはとても逆らえない状況であったため、そうなるとほぼ強制に近いこともなされたのではないかと思われる。
 日本軍の占領期には、総動員体制のもと、村落社会に対する介入や干渉が強化され、住民を強力に統制して、特定の目的に向けて動員するためのメカニズムが導入された。本来共同体の代表としての性格の強かった村落の長を、政府の役人のように変え、細やかに中央の命令を実行させていった。また、日本の組織を真似て隣組制度が導入され、これを通じて上意下達や相互監視を徹底させた。米の供出、労務供出などにおいても、目標が達成されなかった場合には最終的には、隣組に連帯責任が課され、組長に大きなプレッシャーがかかる。そのため組長は何とかして命令を遂行しようと努力し、そのしわ寄せが個々の住民にいくのであった。 労務者の場合でも、慰安婦の場合でもとりわけ、より貧しい者、より弱い者に対して大きなプレッシャーがかかるのが常であった。
 中には、実際娘がどんな仕事をさせられるのか実態をうすうす感じていた親もいたようであるが、日本軍の命令に反抗することの恐ろしさや、食料難、生活苦の中で差し出された前金に心を動かされてしかたなく娘を手放したこともあるといわれる。「強制」とはいっても、実際日本軍将兵が銃を突きつけてというようなケースは、厳密な意味での従軍慰安婦募集の場合にはむしろ少なく、以上述べたような行政機構や村役場を通じての半強制が行われていたというのが一般的であろう
 それに対して、「準慰安婦」の場合には、日本軍将兵が個人的に女性を「手込めにする」あるいは、上官の個人的な命令を受けて「女狩り」に行く、つまり、実際に軍人が直接手を出して連行したというケースが多かったようである。この場合は、村から町に働きに出ている女性が帰り道を襲われるというようなケース、あるいは、両親が仕事で出掛けていて1人で留守番をしている間にさらわれるというようなケースもみられる。
 いずれのタイプの場合も、連れていかれた時の少女たちの年齢は想像以上に低く、14-15歳というケースもかなりある。当初は筆者にも信じがたいことであったが、当時村落社会での結婚年齢はかなり若かったうえ、慰安婦の対象とされたのは「未婚の女性」であったことを考えると、そのような年齢になってしまうものと思われた。他に未亡人も恰好の対象とされた。ただし、「準慰安婦」の場合は、家庭状況を調べたうえでの連行ではないので、場合によっては夫のいる既婚者が連れていかれた場合もあるし、年齢もまちまちである。 

慰安所には2つあって、公的な慰安所と私設の慰安所があって、私設の慰安所は部隊が自由に設置していたみたいであり、いわば無法地帯のようなものだった。ところかまわず、女性を拉致してきては兵士の性奴隷にして監禁した。
2軍管理慰安所の状況
 慰安所の運営は多くが、日本人軍属や民間人に任されていたようである。元慰安婦の多くは、背後に日本人がいたことを知っており、その日本人の名もおおむね明確に記憶しているが、日常的に直接女性たちを管理したのは、インドネシア人男性であることが多かった。
 慰安所は将校用、一般兵士用、民間人用などに分かれていた。同じ市内に幾つかあり、ランクの高い慰安所には日本人女性や朝鮮人・台湾人女性がいたという。実は日本人の慰安婦も多数インドネシアに送られていた。基本的には、本来売春を職業としている者で、希望に基づいて募ったといわれているが、真偽のほどは分からない。彼女たちは終戦間際になると俄か看護婦となって陸軍病院へ移され、現に終戦時には看護婦として連合軍当局に報告された。従って、収容所や引き揚げ者名簿の中では看護婦という扱いになっている。
 慰安所は新たに新設された場合もあるが、なかには既存のホテル(ソロのフジ・ホテルなど)や、レストランを改造したもの(スカブミのスハルティンさんの場合など)もあった。いずれも、女性たちは個室を割り当てられ、そこを3交代制で、複数の仲間と共同利用した。

 兵隊たちは、休暇が出るといっせいに慰安所にかけつけることが多かったので、しばしば団体で列を成してやってきた。そのため、慰安婦たちは、概ね、短時間に多くの客の相手をしなければならないことが多かった。中には一晩に数人から10人くらいを受け入れたと証言している者も多かった。
 兵隊たちは、慰安所の入口で「キップ」を買って「有料」で慰安所を利用するわけであり、慰安婦にも、客の数に応じて収入が入ることになっていた。 しかし彼女たちの訴えによれば、多くの場合その報酬は未払いになっていたという。ただし、食事、衣装、化粧品などには事欠かなかった。周辺にいた証人たちの証言によれば、その生活は豊かで華やかでさえあったという。
 しかし問題は金銭的、あるいは物質的なことではなく、ほとんど自由を束縛されたうえ、1日に何人もの客を強制的に取らされ、からだが疲弊してしまったことである。多くの女性が健康を害している。ただし性病に対しては、日本側も非常に敏感になっており、必ずコンドームの使用が義務づけられていたうえ、毎週定期的に軍医や衛生兵による検査が行われた。しかしそれ以外の健康管理は十分に行われていなかったようである。しかもコンドームの使用を義務づけていたにもかかわらず、マルディエムさんのように妊娠する者もいた。そのような場合には強制的に堕胎を強いられたが、中絶は罪悪であると教えられてきたイスラム教徒の彼女たちにとって、それは精神的な重圧であった。

 それに対して、「準慰安婦」たちが入れられた、軍の兵舎内や工場内の私設慰安所の場合は、いろいろな意味で環境がもっと悪かったようである。「準慰安婦」の場合は、いわば、その部隊の将兵が女性を拉致してきて、そのままうむを言わさず自分たちの欲望の捌け口として使ったわけであるから、これらの女性の存在は軍司令部には秘密であったと思われる。そのため、慰安婦に一般に与えられていたような、健康管理のための措置もなされなかった。すなわち妊娠や性病を防ぐためのコンドームの使用もおそらく義務づけられてはいなかったであろうし、軍医や衛生兵による定期的な健康診断もなく、性病蔓延に対する衛生的な措置はなんらなされていなかった。
 また、彼女たちを利用する日本軍将兵は、正式の慰安所の場合のように「キップ」を買ったりはしていない。従って女性たちはもちろん何の報酬も受けていない。それどころか彼女たちのための正式な食料、衣料品の供給さえなかったようである。従って多くが、食事はありあわせで、時には1日1食であった、などと述べている。
「準慰安婦」の場合、多くは遠方へ連れていかれることはなく、居住地の近くで活用されている。たとえ、遠くの部隊へ連れていきたいと考えても、公的な存在でなかったから、その輸送手段も確保することはできなかったのであろう。

インドネシアでの日本兵のセックスアニマルぶりには驚かされる。
 最後に、この調査を終えて感じたことをまとめよう。インドネシアの場合、対日感情や治安が比較的良かったこと、支配機構が強固で上からの命令は恐れをもって受け入れられたことなどにより、かなりの数の慰安婦あるいは慰安婦に準ずる女性を集めることができたようである。もちろんそこでは、ほとんどの場合さまざまなレベルの強制力が働いていた。というのは、イスラム教徒が多い国ゆえに、売春行為に対する心理的抵抗は大きく、自ら志願するケースはほとんどなかったと思われる。

インドネシアでは慰安婦被害者を含め、日本軍の性暴力被害者が他国と桁違いの2万人近い数が集まったことに対しては、インドネシアの日本軍占領の初期は対日感情がよく、支配機構が強固であり、恐れをもってよく受け入れられたことによって、多数の女性を集めることができたという。
それにしてもインドネシアにおける日本軍性奴隷制度を調べてみて、13歳もの少女を性奴隷として狩り出す悪質さには腹が立った。日本軍は人類史上例がないほど非道な武装組織であることが明らかになった。特にインドネシアでは前代未門の軍隊強制売春(性奴隷)システムを日本軍は築きあげていた。インドネシアではカリマンタンや西部ニューギニア地域以外のジャワやスマトラは平穏だったが、平穏だったことがこの種の性の欲望につながり、巨悪な強制売春制度をつくりあげる要因にもなったのかもしれない。ともあれ、日本政府はこのような戦争犯罪について認めてもいないし、日本ーインドネシア相互で賠償の問題が済んだということを言いことに被害にあった彼女たちに対して何の補償も謝罪もしていないのである。良識ある日本人なら13歳もの少女に対してこのような非道な蛮行がなされたことを知ったら、大日本帝国を憎み、日本政府にしかるべき償いをさせて、自らも現代世代の戦後責任を感じずにはいられないはずである。人間としての心を持たない右翼どもは、インドネシア女性の日本軍性暴力被害者の証言をみて何を思うのであろうか。今もトラウマに苦しんでいる。10代という若い年齢で日本兵に性奉仕させられて、戦後は社会に迫害され生涯地獄の苦しみを見ないといけなかったのである。私はすべての過去の日帝悪が清算され、日帝被害者・犠牲者の尊厳を汚す右翼勢力を駆逐するまで『右翼討伐人』をやめるつもりはない。

(ちょっと追記 2/36)
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:57 | Comment(15) | TrackBack(0) | 各国民衆の大日本帝国侵略・戦争被害情報コーナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は約二十年程タイ国に住まわせて戴いている者ですが、タイの記述については誤りがあります。タイは英国の植民地とはなってはおりませんが、実質的にはほぼ植民地と同じ状態にあったという事です。また、十年程前にお亡くなりになりましたが、戦前からタイに住まい、日本の外務省に籍を置いておりました西野さんという方からお話を聞いた事がありますが、この方が日本とタイトが一緒に戦う事になったその歴史的な証人とも云える人でありました。そしてタイは日本と共闘する事によってビルマにとられていた領土を取り返す事が出来ました。
しかし、日本の敗戦が近付くにつれ、アメリカや英国に留学などで行っていたタイ人達が、フリータイという組織を作り、日本と一緒に敗戦国にならずに済む様活動を行い、結果としてタイは敗戦国にならずに済みましたが、タイという国は歴史的にも政治的には非常に強かな国であり、当時日本と一緒に敗戦国にされてしまえば戦後賠償が生じるという事があったからだという事です。また、今日のタイに来てみればご理解出来ると思いますが、タイ人の多くは日本には好意的であり、二十年も住んでいますが、悪く云われて事はありません。
但し、タイにも中国系タイ人は沢山おりますので、勘違いからあまりよくは思っていない人も居る事も確かですが、多くは日本には好意的な考えを持っております。
Posted by BKK at 2006年03月23日 10:54
シャルル・ダレ、住居の項にて:289頁

「貴方はみすぼらしい茅屋というものを見たことがあるでしょう。
では貴方の知っている最も貧しい茅屋を、その美しさと強固さの程度を更に落として想像してみてください。
するとそれがみすぼらしい朝鮮の住まいについての、殆ど正確な姿となるでしょう。」

「2階建ての家は探しても無駄です。そのようなものを朝鮮人は知らないのです」

「朝鮮の宮廷は非常に貧しく、国庫はさらにもっと貧弱です。
宦官やその仲間である国王の妾、宮中の侍女たちは、もし大臣の地位や、
又時には他の幾つかの高官職を売って得る金がなくなれば、きっと打撃を蒙るでしょう。
従って権力の座にあるものは、贈り物を次々と与えては機嫌をとり、
これらすべての貪欲な吸血鬼をいつも満腹にしておかなくてはなりません。
特に今までに増して国王の寵愛を獲得しようとする時には、巨額の金が必要になります。

所が金炳国(きむぴょんごく・国王の義兄弟)は、幾つかの官職をかなり高く売り、
朝鮮人参の専売権を引き受けたのだが、それでも尚必要とされるすべての人々に富を行き渡らせて、
地位を買収するだけの金を得ることができなかったのです。
昨年の真冬に、金炳国のおかげで多くの地位と富を得た1人の男が金炳国を訪ねてきて、
「最高権力を握りたいとは思わないですか」と尋ねたのです。
「答えるまでもないでしょう。しかしそれを得るためにはとにかく金がいるのというのに、私にはそれがありません」と国王の義兄弟は答えました。
「それでは私に王国の南部地方の租税を徴収する職を下さい。
そうすれば必要なお金を手に入れて差し上げましょう」「よろしい」と大臣は答え、 すぐさまその男の指示に従って対策を講じたのです。
南部地方の租税は主に米で、それは海路を通じてソウルに運搬されていました。
くだんの男はこれらの米をみんな集めて船に積み込み、中国まで運搬し、
朝鮮で売る4倍の価格で売りさばいたのです。
帰国した彼は租税に必要な米を再び買いととのえました。
こうした値段の差額によって、国王の義兄弟は、宮中にあふれている一群の宦官と侍女の支持を一手に獲得することができたのです。
そして彼は自分の競争相手を罷免し、すべての権力を独占しました。
いかなる穀物を輸出しても、それは極刑にかけられる犯罪になります。
ましてや王室の維持費のために徴収された米を売るものは許し難い国事犯なのです。
この密輸出が原因となって、とうとうこの年は幾つかの道にとっては深刻な飢えの年となったのです。
しかし彼にとって何の関係があるでしょう。
彼が権勢を得、豊になった以上、誰が彼の行状を問い正そうとするでしょうか」

フランス人宣教師のシャルル・ダレは、当時の朝鮮王国のがんこな鎖国政策について、こう書いている。
「1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲 い、国土は荒廃した。
あまりの酷さに、西海岸の人々のなかに は、娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で 売るものもいた。
北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人か の朝鮮人は、 惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し
「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。
しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの 食料買入れを許すよりも
むしろ国民の半数が死んでいくのを 放置しておく道を選んだ。」(朝鮮事情・平凡社東洋文庫)


Posted by 処女献上朝貢 at 2006年04月04日 23:20

インドネシアの女性をたぶらかしていたのはどうやら
朝鮮人の女衒のようですよ?

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html

上記より抜粋

■4.インドネシアに現れた日本人弁護士たち■

 日韓関係と同様、インドネシアとの間でも、慰安婦問題が焚き
つけられた。平成5年に高木健一氏(金学順さんらの日本政府に
対する訴訟の主任)ら、日本の弁護士3人がインドネシアにやっ
てきて、地元紙に「補償のために日本からやってきた。元慰安婦
は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出した。[5]

 兵補協会のラハルジョ会長は、「補償要求のやり方は、東京の
高木健一弁護士の指示を受け」、慰安婦登録を始めた。会長は取
材した中嶋慎三郎ASEANセンター代表に対して、「慰安婦に2百
万円払え」と怒号したというから、名乗りでれば、2百万円もら
えると宣伝している模様であった、と言う。

 インドネシアでの2百万円とは、日本なら2億円にも相当する
金額なので、大騒ぎとなり、2万2千人もが元慰安婦として名乗
りをあげた。ちなみに、当時ジャワにいた日本兵は2万余である。

 この様子を報道した中京テレビ製作のドキュメンタリー「IA
NFU(慰安婦)インドネシアの場合には」に、英字紙「インド
ネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長は次のように語った。

 ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦
がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さ
ない。こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。我々に
は、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。
「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオラ
ンダにだって要求しない。

■5.慰安婦番組での仕掛け■

 ちなみに、この番組では、元慰安婦のインタビュー場面が出て
くるが、ここでも悪質な仕掛けがあった。元慰安婦が語る場面で、
日本語の字幕で

 戦争が終わると日本人は誰もいなくなっていたんです。私た
ちは無一文で置き去りにされたんです。

 と出ているのだが、実際には、インドネシア語で、

 あの朝鮮人は誰だったろう。全員がいなくなってしまったん
です。私たちは無一文で置き去りにされたんです。

 と話していたのであった。慰安所の経営者は朝鮮人であり、戦
争が終わると、慰安婦たちを見捨てて、姿をくらましたのである。
Posted by 路傍 at 2006年04月08日 19:33
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Posted by english amatuer porn at 2006年10月03日 14:55
酷い酷すぎる。日本軍はまさに鬼畜としかいいようがない。
Posted by 懐疑主義者 at 2007年08月30日 22:15
おい、癡穢惡狗列!!

何、ヒトサマのコテ騙ってやがる!!

てめえは本物のゲス野郎だな!!

まあお前には「恥」なんて観念はないだろうよ

ヒトサマの本名とメアド晒すような犯罪者だもんな

てめえは屍亡癡狗、膓賎塵以下の最低の屑だ!!

反論も出来ねえんなら大人しく賎ズリこいて妄言
エントリ並べてりゃいいんだよ!!

端から荒らしまくってやるから安心しな(笑


Posted by at 2007年08月30日 23:42
☆☆☆ 近所に怪しい外国人がいればすぐにこちらまで通報を! ☆☆☆

入国管理局 情報受付
http://www.immi-moj.go.jp/zyouhou/index.html

特に連日特定の部屋に大勢が出入りしたり、近所でよくトラブルを起こすような外国人には
注意が必要です。少しでも不審な点があった場合には即通報しましょう。

犯罪者を匿う者もまた犯罪者です。あなたの通報で芋づる式に検挙できるかもしれません。
メールするだけで簡単に日本の治安を守れます。よろしくお願いします。
Posted by at 2007年08月30日 23:56
●世界最大の日本人拉致国家は北朝鮮ではなく韓国です。
●すでに6500人以上の日本人女性を洗脳し韓国人男性の性奴隷にしました。

☆★韓国人と結婚して韓国に住んでいる日本人女性の9割は、カルト・統一協会信者です★☆

http://www.chosunonline.com/article/20060427000052
>法務部は26日、韓国人男性と結婚し、韓国に居住している女性移民者の数は昨年末現在 、
>計6万6,659人であるとした。国別には在中韓国人の居住地域が2万7,717人(41.6%)と最も多く、
>次いでは中国1万3,401人(20.1%)、ベトナム7,426人(11.1%)、日本10.7%(7,145人)だった。

韓国人男性と結婚し、韓国に居住している日本人女性移民者の数は7,145人

http://www.christiantoday.co.jp/news.php?id=393&code=sn
>日本基督教団統一原理問題連絡会主催の統一協会問題日韓教会フォーラムで、日本側は、韓国で
>統一協会の合同結婚式に参加した後、行方不明になった日本人女性6500人の捜索を韓国教会
>に要請した。韓国教会側は教団と団体が協力し、問題解決に積極的に対処していくことに合意した。

韓国で統一協会の合同結婚式に参加した後、行方不明になった日本人女性6500人。

つまり、韓国人と結婚して韓国に住んでいる日本人女性の9割は、カルト・統一協会信者です。

【韓国】在韓日本人2万1000人 10年で倍 半数以上は反日行動が目を引く統一教会関係者[09/09]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1126292146/

韓国の田舎者信者と結婚させられ、韓国の山村に送り込まれる日本女性信者
http://72.14.235.104/search?q=cache:1MEzV0QflXYJ:hikamituki.up.seesaa.net/html/hamamatyu.htm+%E9%9F%93%E5%9B%BD%E5%9C%A8%E4%BD%8F%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA+%E7%B5%B1%E8%A8%88&hl=ja&ct=clnk&cd=24
Posted by at 2007年08月31日 02:16
北朝鮮→シリアの核技術移転疑惑、6か国協議に影響か

【ワシントン=宮崎健雄】シリアが北朝鮮の協力を得て核施設を保有した可能性について、
米メディアが相次いで報道している。

6か国協議の米首席代表、クリストファー・ヒル国務次官補は14日、北朝鮮が申告する核
計画には外国への技術移転も対象となるとの見解を明らかにした。

次回6か国協議は19日にも北京で開かれるが、シリアとの関係が浮上したことで、北朝鮮の
核放棄に向けた動きに暗雲が立ちこめている。

ヒル次官補は会見で、「コメントする立場にない」と事実確認を避けながらも、一般論として、
「朝鮮半島の非核化には拡散問題も含まれる。拡散への懸念は常に6か国協議の(テーマの)
一部である」とし、北朝鮮に事実を問いただす可能性を示唆した。

次官補はさらに、「申告では、計画や拡散のすべてを我々は知る必要がある」と述べ、「北朝鮮
が核ビジネスをやめることがゴールだ」とも語った。

米紙ニューヨーク・タイムズは12日、米政府当局者の話として、北朝鮮がシリアに核物質を売却
した可能性があると報じた。ワシントン・ポスト紙も13日、イスラエルから衛星写真などを提供され
た情報筋を引用する形で、シリアが北朝鮮の協力を受けて核施設を保有する可能性があると報道。
米当局者は、この施設を使って核兵器に必要な物質が製造できると見ているという。

センメル米国務次官補代理代行は14日、AP通信に、「シリア政府は、核施設を得るため『謎の
売人』と接触してきた可能性がある」と発言。北朝鮮が売人である可能性についても、「北朝鮮の
人たちがシリアにいることは間違いない」と話し、注視していることを明らかにした。シリアはこれ
までも、北朝鮮とミサイル技術で交流があると指摘されてきた。

6か国協議では、「次の段階の措置」となるすべての核計画の申告、既存核施設の無能力化の方法や
手順を本格的に議論する予定だ。米国から「テロ支援国」に指定されている北朝鮮は、見返りとして
指定解除の要求を強めている。

だが、同様にテロ支援国に指定されているシリアに核技術を渡している疑惑が出たことで、米国内の
慎重論が強まり、6か国協議の足かせとなる可能性がある。

この時期に報道が相次いだことについて、「テロ支援国家指定を解除したくないと考える者のリークで
はないか」(外交筋)との見方も出ている。米国は、マカオの銀行の北朝鮮関連資金凍結解除などの
譲歩を重ねてきたことから、米国内の対北朝鮮強硬派がこれに反発したとの解釈だ。

真偽は不明だが、米政府、国民は中東情勢に極めて敏感で、今後、米国内で北朝鮮への強硬論が
強まる可能性がある。

(2007年9月15日23時5分 読売新聞)

ソース:読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070915i311.htm
関連スレ
【北朝鮮】核開発でシリアに北朝鮮が協力の可能性 6者協議の行方に影響も [09/13]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1189660995/
Posted by at 2007年09月23日 02:52
内部対立が表面化
 朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)に何が起こっているのか—。「勝利と団結」を謳った第21回全体大会から
わずか4カ月。総連内部で対立が表面化しつつある。7月下旬、実名で内部批判文書が出されたほか、
一部の支部では、上部の人事決定に反発し、「委員長空席」状態が続いている。総連関係者によれば、
以前にも傘下団体で人事に対する反発はあったが、支部とはいえ、今回のように何カ月も「トップ不在」の
状態が続くのは異例だという。一方、総連中央あてに内部批判文書を出した鄭文策氏(元総連神奈川本部
委員長)らは5日、改めて総連中央に対する批判文書を発表し、内部対立に追い打ちをかけている。(政治部・崔世一)

9月に新たな批判文書
 現在、委員長ポストの空席状態が続いているのは、東京の北支部と文京・千代田支部。2支部とも、
総連東京本部が決定した新人事を拒否している。

 北支部で人事への反発があったのは、7月の支部大会でのことだった。長年、同支部を引っ張ってきた
呂基鳳委員長(現荒川支部委員長)を外したのが原因だったようだ。大会で新人事に異議申し立てをしたのは、
李準徳氏(東京商工会副会長)だった。

 「支部の実情を全く考えていない人事を受け入れることはできない。委員長なしで、われわれでやっていく」
 李氏の発言に多くの参加者が賛同し、結局「委員長空席」のまま今に至っている。

 文京・千代田支部は、「適任者がいない」ことを委員長空席の理由にしているが、北支部同様、
新人事に対する反発があると見られている。

 上部の人事決定に対する反発は、これまでもたびたびあったようだ。だが、今回のように長引くケースはなかったという。

 「力でねじ伏せてきた昔と比べ、(傘下団体への)中央や本部の影響力が低下している証拠」と、
元総連関係者は指摘する。

 そんななか、鄭文策氏らは、7月に続き今月5日に改めて総連中央批判文書を出した。

 「総連中央会館の売却実態に対するわれわれの意見」と題された文書は、一般活動家向けに
書かれたと思われるもので、7月に文書を出した経緯や総連中央会館の売却問題について
疑問を投げかけている。さらに「許宗萬責任副議長を非難する声が同胞の間で多く聞かれる」とし、
許責任副議長の辞職を再度促した。

 署名者は7月同様、鄭文策(元総連中央監査委員会副委員長)、李範洛(元朝信協会長)、
崔益佑(元隆興貿易株式会社社長)、朴応星(朝日経済交流促進会顧問)の4氏にとどまっているが、
「彼らの主張に賛同しながらも、実名を出せない状況にある活動家は大勢いるようだ」と、公安調査庁関係者は見ている。

 文書を契機に反執行部勢力は勢いをつける可能性はあるが、逆に「反動分子」の名の下、
組織から追放されることもあり得る。どちらにしろ、総連中央が受けている打撃は少なくなさそうだ。

http://www.onekoreanews.net/news-seiji01.cfm
Posted by at 2007年09月23日 02:53
http://wstatic.dcinside.com/new/ahehe/n0920-5.JPG
http://wstatic.dcinside.com/new/ahehe/n0920-7.jpg

最近、Youtube利用者 'JustinWar'があげた映画 'D-War' 鑑賞評が国内ネチズンの間
で話題を集めた。

この少年は映画評で始終一貫 'ひどい(horrible)'を連発してネチズンの間で 'ホリ
ブルボーイ(horri
ble boy)'と呼ばれている。この動画は国内ポータルサイトなどに移されて20万以上
の視聴数を記録し
た。「ホリブル」を叫ぶ一アメリカ少年の動画にどうして多くのネチズンが関心を持
つのだろうか?
(中略)
'JustinWar'の動画が国内ポータルサイトに初めて公開された時も'D-War'に対する攻
防は続いた。一
部'D-War'支持者たちはYoutube'JustinWar'動画の下に「韓国政府が君を見守ってい
る」「映画が気に
入らなければ、そのまま腹の中に思って終わらせなさい」「こんな動画あげるな」な
ど英語でコメン
トをつけて反感を示した。この中には「おまえの顔がもっとひどい(horrible)」など
人種差別的な単
語を使用、悪態をつく利用者もいた。現在、このコメントは'JustinWar'によって削
除された状態だ。

韓国でスターになったと知った'JustinWar'は、19日「Dragon Wars Review Part
1(Response to the
World)」というタイトルの後続動画を通じて自分に悪口を浴びせたネチズンたちに向
けたメッセージ
を伝えた。この動画で'JustinWar'は先に「平凡な映画評だったが、韓国でとんでも
なく人気をあつめ
て驚いた。韓国ウェブサイト内で 'ホリブル・ボーイ'と呼ばれることも知ってい
る」とくちを切った。

続けて'JustinWar'は「顔も見た事がない人々が 'やめなさい、続けなさい'と言う
が、私がYoutubeに
動画をあげたければあげるだけだ。このような行動が気に入らないとしても、私がし
たい以上ずっと
あげるだろう」と明らかに言った。中傷発言に対する'JustinWar'の反応は思ったよ
り冷静だった。彼
は「ただ映画が良くない、という私の意見を言っただけなのに、どうしてこんなに感
情的に受け入れ
るのか分からない。韓国ではその映画監督が伝説かもしれないが、有名な監督だと
言って映画がすべ
て面白いわけではない」と強調した。

'JustinWar'は最後に「他の意見について受け入れることも可能だから、私の意見に
同意しなければ、
中傷ではなく、反論のコメントを残してください」と頼んだ。この日'JustinWar'は
'Dragon Wars
Review Part 2(Response to the World)'というタイトルの'ホリブル・ボーイ動画3
弾'も一緒にあげ
た。この動画は'JustinWar'が今年最高の映画だと思っている映画'300'と'D-War'に
ついて、ストーリー
と俳優たちの演技に関して例示を持って条目別に比べている。

'JustinWar'によれば、'300'と'D-War'を比べた理由は、二つの映画とも無名の俳優
が出ているが、劇
の中での演技力はまったく正反対に見えたという。また、「戦争映画として見たら
300'は戦闘場面が
多く、連続的に話の構造が進行されたのに比べて'D-War'は、はじめから最後まで竜
が女性を追撃する
話ししかなくて、むちゃくちゃだと思ったと言う。

一方、' ホリブル・ボーイ動画'を受けてネチズンたちは'JustinWar'に対して「どう
して幼い小僧が
こんなに冷静で論理的にものを言うのか?」と言って感嘆した。これ以外にも「この
動画を見てから
も、相変らず扱き下ろしたいという気がするか?」「当たり前の言葉なので、反駁の
余地がない」
「どうして韓国にはこんな少年がいないのだろう?」などの反応を示した。

ソース:(韓国語)
http://www.dcnews.in/news_list.php?code=ahh&id=249783&curPage=&s_title=&s_bo
dy=&s_name=&s_que=
動画はリンク先参照
Posted by at 2007年09月23日 23:11
米下院で証言した慰安婦ババアがただの嘘つき売春婦だという決定的証拠!!
http://www010.upp.so-net.ne.jp/japancia/iyonsu/punsun2.gif
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http://www010.upp.so-net.ne.jp/japancia/iyonsu/punsun2.gif
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http://www010.upp.so-net.ne.jp/japancia/iyonsu/punsun2.gif
Posted by at 2007年09月23日 23:24
http://wstatic.dcinside.com/new/ahehe/n0920-5.JPG
http://wstatic.dcinside.com/new/ahehe/n0920-7.jpg

最近、Youtube利用者 'JustinWar'があげた映画 'D-War' 鑑賞評が国内ネチズンの間で話題を集めた。

この少年は映画評で始終一貫 'ひどい(horrible)'を連発してネチズンの間で 'ホリブルボーイ(horri
ble boy)'と呼ばれている。この動画は国内ポータルサイトなどに移されて20万以上の視聴数を記録し
た。「ホリブル」を叫ぶ一アメリカ少年の動画にどうして多くのネチズンが関心を持つのだろうか?
(中略)
'JustinWar'の動画が国内ポータルサイトに初めて公開された時も'D-War'に対する攻防は続いた。一
部'D-War'支持者たちはYoutube'JustinWar'動画の下に「韓国政府が君を見守っている」「映画が気に
入らなければ、そのまま腹の中に思って終わらせなさい」「こんな動画あげるな」など英語でコメン
トをつけて反感を示した。この中には「おまえの顔がもっとひどい(horrible)」など人種差別的な単
語を使用、悪態をつく利用者もいた。現在、このコメントは'JustinWar'によって削除された状態だ。

韓国でスターになったと知った'JustinWar'は、19日「Dragon Wars Review Part 1(Response to the
World)」というタイトルの後続動画を通じて自分に悪口を浴びせたネチズンたちに向けたメッセージ
を伝えた。この動画で'JustinWar'は先に「平凡な映画評だったが、韓国でとんでもなく人気をあつめ
て驚いた。韓国ウェブサイト内で 'ホリブル・ボーイ'と呼ばれることも知っている」とくちを切った。

続けて'JustinWar'は「顔も見た事がない人々が 'やめなさい、続けなさい'と言うが、私がYoutubeに
動画をあげたければあげるだけだ。このような行動が気に入らないとしても、私がしたい以上ずっと
あげるだろう」と明らかに言った。中傷発言に対する'JustinWar'の反応は思ったより冷静だった。彼
は「ただ映画が良くない、という私の意見を言っただけなのに、どうしてこんなに感情的に受け入れ
るのか分からない。韓国ではその映画監督が伝説かもしれないが、有名な監督だと言って映画がすべ
て面白いわけではない」と強調した。

'JustinWar'は最後に「他の意見について受け入れることも可能だから、私の意見に同意しなければ、
中傷ではなく、反論のコメントを残してください」と頼んだ。この日'JustinWar'は'Dragon Wars
Review Part 2(Response to the World)'というタイトルの'ホリブル・ボーイ動画3弾'も一緒にあげ
た。この動画は'JustinWar'が今年最高の映画だと思っている映画'300'と'D-War'について、ストーリー
と俳優たちの演技に関して例示を持って条目別に比べている。

'JustinWar'によれば、'300'と'D-War'を比べた理由は、二つの映画とも無名の俳優が出ているが、劇
の中での演技力はまったく正反対に見えたという。また、「戦争映画として見たら300'は戦闘場面が
多く、連続的に話の構造が進行されたのに比べて'D-War'は、はじめから最後まで竜が女性を追撃する
話ししかなくて、むちゃくちゃだと思ったと言う。

一方、' ホリブル・ボーイ動画'を受けてネチズンたちは'JustinWar'に対して「どうして幼い小僧が
こんなに冷静で論理的にものを言うのか?」と言って感嘆した。これ以外にも「この動画を見てから
も、相変らず扱き下ろしたいという気がするか?」「当たり前の言葉なので、反駁の余地がない」
「どうして韓国にはこんな少年がいないのだろう?」などの反応を示した。

ソース:(韓国語)
http://www.dcnews.in/news_list.php?code=ahh&id=249783&curPage=&s_title=&s_body=&s_name=&s_que=
動画はリンク先参照
Posted by at 2007年09月24日 01:55
そもそも「「従軍」慰安婦」という単語自体が戦後25〜30年ぐらいたってから
創作された新造語なのです。造語された目的は反日運動のためです。
歴史的事実を検証するのなら、その当時に使用されていた文言はなんだったのかを
明確にすることが必要です。
「従軍」という言葉が入る事例としては「従軍記者」「従軍看護婦」という言葉が
が良く知られた例であり、これらは軍が明確に関与した場合に「従軍」という名称
がつきます。従い、朝日新聞や反日主義者は、むりやりに「軍の関与」をイメージ
つけたいので、当時は存在していなかった「「従軍」慰安婦」などという新設造語
で歴史を捏造し、捏造した歴史で日本を批判しているのです。
「「従軍」慰安婦」という戦後の造語は、中共支那による非軍事手段による我が国
侵略の手段として用いられていますが、お先棒を担ぐ軽佻浮薄な半島の元キーセン
達による矛盾に満ちた「証言」により、逆に存在しなかったことが明白になった。
そんな手垢のついた明白なウソを、今度は、中共支那によるロビー活動で日本以外
の地域で「同じ手」で日本を批判させているのが、この話の正体なのです。
虚偽による悪魔化レッテル貼りによる日本悪玉論が今回も続いているのです。
【従軍慰安婦の嘘】http://specific-asian-flash.web.infoseek.co.jp/ianfuuso.html
【反日勢力撃退用】http://resistance333.web.fc2.com/html/patriotism_web.html
【朝鮮慰安婦強制】http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=ttalk&nid=617250
Posted by at 2007年09月24日 02:41
Posted by at 2007年08月30日23:42さん。初めまして。本物の懐疑主義者です。
 なりすましを見破ってくれてありがとう。変だと思ったんですよ。このエントリーでは書き込みしてないから。
 討伐人さん。あなたは最低の管理人ですね。私はネチケット(インターネット上での礼儀・作法・仁義)に則って書き込みをしています。あまりひどい荒し行為には注意もしました(ただし、一部についてはやるだけの訳が有ってしているのが判明したので、静観しています。)。
なのに何ですか!管理者自らが迷惑行為をしているとは!恥を知りなさい!恥を!
私も討伐人さん、あなたにこんな風に言うのは嫌なのです。ブログだからトリップ機能は無い。ハンドル(コテ)を名乗るのがブログの通例の礼儀だから名乗る。掲示板とは違いレス番が表示される訳じゃないから名乗って居るのに、なりすましをする、しかも管理者サイドがだ。
これでは他の人達は"なりすまされるから、名無しで行こうぜ"。となり、余計に書きにくくなり、結果は閉鎖又は碌に誰も立ち寄らないブログになる。荒し行為も増えるし・・・。
 直ちになりすましをやめなさい、討伐人さん!
では、これにて。
 
Posted by 懐疑主義者 at 2007年09月24日 15:49
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