2006年02月25日

ミクロネシア、パラオ、マーシャル諸島および太平洋地域全般における大日本帝国加害事実

ミクロネシア、パラオ、マーシャル諸島および太平洋地域全般における大日本帝国加害事実について

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper51.htmより
(7)太平洋諸島
 太平洋諸島においては日米両軍の死闘がくりひろげられました。多くの島で日本軍は玉砕し、またガダルカナル島をはじめ多数の餓死者を出しました。たとえばギルバート諸島のタラワ、マキン鳥は日本軍「全員玉砕」の地として知られています。両島で日本人、朝鮮人約五、〇〇〇人(朝鮮人は飛行場建設のため強制連行された人々です)、米軍約一、〇〇〇人が戦死しました。
 ここで忘れられてはならないのは、これらの島々にはもとから住んでいる人々がいたということです。彼らは飛行場建設に動員され、荷かつぎをさせられました。ギルパートのある老人が知っていた日本語は、歌のほかに「シゴト、カカレ、ヤスメ」という言葉でした(小田実『世界が語りかける』)。家も樹もふきとぷ戦闘の中で、彼らにも当然冬多数の犠牲者が出たでしょう。しかしこのことは、日米両国民には、まったく目にはいらないかのようです。


http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper01.htmより
16 太平洋諸島 

 ミクロネシアの島々は戦前は南洋諸島と呼ばれ、日本の統治下におかれていた。これらの島々にも日本軍が配置されていた。島民はロームシャとして駆り立てられ、食糧を供出させられた。特に日本の戦況が悪化すると外部との連絡が途絶え、多くの日本兵が駐屯していたため食糧難に陥った。また米軍に通じているとして疑いをかけられ、殺された人も多い。これらの島々はかつてのスペイン統治の影響でカトリック教徒が多く、グアムやロタでは白人の神父がスパイ容疑で処刑されている。
 グアム島はアメリカ領だったので、地元のチャモロ人は日本に反感が強かった。一九四四年七月米軍が上陸する直前にメリーソン村で、米軍に通報したという理由で一六人が捕らえられ、手榴弾で殺された。さらに三〇人も同じようにして殺された。その一方、村にいた日本兵と在留邦人たちが村の男たちを監禁したうえで若い女性を一人ずつ連れ込み泊まらせた。その直後にメリーソン村の日本人は、地元民に荷物を担がせて避難を始めたが、その途中、地元民に襲われ一一人が殺される事件がおきた。
 マーシャル諸島のミリ環礁のルクノール島では、島民が逃げ出して米軍に情報を漏らすことをおそれて厳しく監視されていたが、その中で一人が逃亡した。そのため同じ防空壕に住んでいた家族など約二〇人が処刑された。チェルボン島では食糧の強制的な供出に抗議した首長が日本軍に殺されたため、島民は朝鮮人軍属と一緒に反乱を起こしたが、鎮圧され朝鮮人約六〇人と島民三〇〜四〇人が殺されるという事件が起きた。ミリ環礁全体では五つの島で虐殺があり二〇〇人近くの犠牲者が確認されている。
(略)
日本軍が駐留していた各地の島々で、敵に通じているという疑いや食糧を盗んだという理由で住民が拷問・処刑され、時には集団虐殺される事件がたくさん起こっていたと推測される。さらに米軍が上陸してきた場合には、激しい爆撃や艦砲射撃、地上戦により住民にも多くの犠牲が出た。サイパンやテニアンなどでは、降伏を許されず、追い詰められた在留邦人が絶壁から身を投げたり手榴弾で「自決」したことは有名だが、こうした太平洋の島々の人々に日本軍が与えた被害については、ほとんど忘れられたままである。


滝尾英二的こころ
http://takio.cocolog-nifty.com/kokoro/2005/11/より
 「パラオ・サイパン・ヤップ・ヤルートに、1922年に日本政府によってつくられた「南洋庁」によって、日本植民地下のこれら4箇所の島々にハンセン病収容所がつくられたこと。その収容所に強制収容されたハンセン病患者は「‥‥由来島民は其の伝染性を信じないので当局は常に適当なる方策を講じ隔離治療を行う要あるを痛感し大正一五年(=1926年)サイパン島に癩療養所を設け、之に患者を収容して‥‥糧食等は夫々親族縁故者の負担とした‥‥」(『南洋群島要覧=南洋庁』より)。

 また、パラオの元挺身隊員であったヤノ・マリウスさんが1991年に日本のアジア・太平洋地域戦後補償国際フォーラムで証言されたなかで「(パラオでは)ハンセン病患者四名は銃殺、あるいは剣で刺し殺されました」と発言されています(国際フォーラム実行委員会編『戦後補償を考える』29ページ、東方出版)。このようなことが、ミクロネシア四島の各地であったのではないでしょうか。(『飛礫』47号・2005年7月発行の滝尾英二著「ミクロネシアのハンセン病政策」を参照)。


大日本帝国の植民地下におけるハンセン病強制隔離問題については厚生省が補償を行うという解決への一歩が見出せたが、太平洋地域におけるハンセン病隔離問題についてはまだ未解決である。ナウル共和国にしろ、パラオなどの南洋諸島にしろ、台湾や韓国における事例よりもさらに非道なものだった可能性が高いと思う。被害事実の解明と、日本政府一刻も早い、被害者本人や犠牲者遺族に対する補償に向けて、圧力をかけていかないといけないと思う。
太平洋の島々でも戦争被害
http://web.archive.org/web/20020821094546/www5.sdp.or.jp/central/shinpou/newsfiles98/6sensouhigai0812.htmlより
アジア太平洋戦後補償国際フォーラム
 第二次世界大戦での旧日本軍による残虐行為については、すでに中国をはじめ東南アジア各地で明らかにされているが、太平洋の島々やニューギニアにおいても、住民に対する虐殺や強姦、「慰安婦」などか烈な戦争被害があったことが、被害者らの証言で明らかになった。

 七月二十六日に東京で開かれた、アジア太平洋戦後補償国際フォーラム(戦後補償アジア太平洋被害者団体国際協議会主催)に参加したトラック諸島、マーシャル諸島、パプアニューギニアから来日した被害者や関係者が語ったもの。

 このなかで、マーシャル諸島のミリ・アトール出身のタリナ・レイトさん(七十二歳・女性)は、戦時中、島に進駐してきた日本兵が「部隊の洗濯と炊事のために働くように」と無理やり部隊の兵舎に連行、連日のように兵士によって強姦が行なわれた事実を証言。「私は兵士たちがした残虐行為を生きている限り決して忘れない。神様がいつかこの残虐な人びとに罰を下してくださるよう祈っている」と、訴えた。

 また、戦争中飢餓地獄といわれたニューギニアで、日本軍の炊事係として部隊に同行した体験をもつパプアニューギニアからきたブガ・グロ・ハウエバルさん(七十五歳・男性)は、日本兵十一|十二歳の少女を強姦した後、銃剣で殺害したことや、行軍途中の村々で、若い女性たちを性の奴隷とするため部隊に従軍させ、その途中で強姦した女性の乳房を切りとり、兵士たちの食料として揚げて食べたという、現地住民を対象とした組織的な人肉食が行なわれた事実について証言。

 また、同じくパプアニューギニアから来日した「日本軍による戦争被害に補償を求める会」代表のガブリエル・ラクさんは、これまでの現地での聞き取りなどの調査により、戦争中に住民七千七百四十八人が日本兵に殺害されたほか、食料不足を補う目的で二千三百八十八人が人肉の犠牲となり、また、一万六千百六十一人の女性が日本兵の性的奴隷として「慰安婦」にされたと報告した。

 フォーラムを主催した同協議会代表で、これまでアジアの戦争犠牲者の戦後補償問題に取り組んできた弁護士の高木健一さんは「これまで韓国や台湾、フィリピン、インドネシアやオランダについては、アジア女性基金など不十分ながら償いの事業がなされているが、なぜ太平洋地域についてはできないのか。この地域の人びとを、日本政府と日本人は軽んじてはならない」と発言、具体的な償いの実現に向けて今後も努力していく考えを強調。

 また、この日のフォーラムには、社民党戦後補償問題プロジェクトチーム事務局長の清水澄子参院議院が出席、「被害者に対して個人補償するのが政治。皆さんと力を合わせてやっていきたい」と激励。翌二十七日には、清水議員が窓口になって高木弁護士や来日した被害者とともに、外務省アジア局地域政策課と総理府外政審議室の担当者と交渉、「日本政府としてこの問題に誠実に真剣に取り組んでほしい」と要請した。


ミリ・アトール出身のタリナ・レイトさんについてぐぐってみましたが何も分かりませんでした。ともあれ、凄惨な蛮行が繰り広げられたようです。
>戦時中、島に進駐してきた日本兵が「部隊の洗濯と炊事のために働くように」と無理やり部隊の兵舎に連行、連日のように兵士によって強姦が行なわれた事実を証言
日本軍という存在はどこかの野蛮な軍閥か、蛮族の集団のようですね。

◇第一作 『日本軍歌思考』第二部
http://homepage3.nifty.com/alexcompany/novel_02.htmlより
 日曜の或るテレビ番組に出場のコメンテーターは、この現象を指して“歴史はくりかえす”と言ったが、気掛かりなのはその不況だけではなく、前述した昭和九年の世上をもいっしょくたに繰り返されたのでは困るのである。何となれば、昭和初期に見舞われた不況のそれから先の道筋は戦争であるからだ! 
 博識にあるコメンテーターの言をかり、それをそこまで二重写しにして気にかけるのは、杞憂というものであろうか… とりもなおさず、それは前述の「衆愚政治」なる言に過去の傷口がうずき、そこをひじくられそうにあるからだ。 
 腹立ちついでに、これも真実に違いあるまいと思われるので、付け加えておきたい。それは、これを書きかけ中に目にふれた極く最近の新聞記事で、読んでるうちに、日本人なら誰もが忸怩たるの思いをさせられる内容のものであった。

 それによれば、“南太平洋の声とゞかず”の見出しに始まるそこは、かって旧日本軍の占領下にあったところである。で、住民の強制移住や土地の強制接収等の被害をこうむった周辺三カ国(パプアニューギニア、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦)の民間人代表七人が過去の補償を求め、七月下旬に来日した。
 ミクロネシア・トラック諸島の代表は奪われた先祖代々の土地についての補償を、パプアニューギニアの代表は被害調査の最新データ(旧日本軍から被害を被った犠牲者、生存者、遺族合わせてその数九万五千余人。そのうち人肉食の被害が二千三百余人、強姦殺人が約六千五百人)を提示して、その補償を迫った。
 また、マーシャル諸島の元慰安婦であった代表は、自らの体験を何度も語り、現在フィリピンなどで進められている“アジア女性基金”の「償い事業」を南太平洋でも展開するよう求めるものであった。
 だが、むなしさがつのるとはこのことであろうか…。
 もとより、これの交渉の場としては、国会議員の仲介で政府との会合が実現し、各国の実態報告書が手渡されたのであるが、外務省、内閣外政審議室、アジア女性基金の反応はいちように鈍く、「新たな判断材料があれば…」(内閣外政審議室)「何らかの公的文書がないと」(外務省)といった具合で、引率の弁護士は「人肉食など日本軍が記録するはずがないじゃないか」と反論しても、前向きの答えはなかったという。
 さらに、マーシャル諸島の被害者組織代表から、「今も続く重大な被害」として残留不発弾の処理問題が訴えられ、それによれば、ミリ島の旧日本軍が連合国に敗れ撤退する際、千発以上の砲弾を放置したゝめ、危険で農地を耕すことができないという。
 それでも何の回答もないので、組織代表は手をあげて、「最後に言いたい」と次のように語り,記述はこれを以って締めくゝられている。
 「マーシャルでは三十一人の元慰安婦がいることがわかっている。遺族の中には、父親が日本人だったという人もいる。証拠を出せと言われても難しいが、証人ならいる。真実を知ってほしい」
 かくして、政府側の終始「公的史料がなければ補償しにくい」とする杓子定規な物言いの態度に代表は折れ、「戦争で荒れ果てた島に公的文書など元々なく生き証人の言葉を信じてもらえないのか」の言を残し、彼らは帰国したとある。

 これでは証拠を出せないのをいゝことに、それを出せと意地悪くされているのと同じようなものである。とかく、弱者は既存の施策から踏んだり蹴ったりの仕打ちを受けるが、これはそれの典型のように思えてならない。
 抑も、これのやりとりは、被害にあった国の人々がこちらに出向いて実情を訴えるのではなく、被害を与えた日本側が占領した各地へ出向いて実情を調査し、それによっては出来るかぎりの誠意を尽くすのが筋というもので、こゝに見られる何でもが証拠一点張りの対応には、情実のないじれったさが感じられ、日本人そのものが問われられているようで嘆かわしい…。


http://u-air.net/social-science/theses/kuri.pdfより
b. 経済活動
(略)
「従順だが未開であるため労働力としては使用
し得ない」と見なされていた島民に与えられた仕事は、日本人移住者がやりたがらない類
のものであった。


3. 国連信託統治領 アメリカ統治時代
 1941年12月8日、日本軍のハワイ真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まった。南洋群島は、日本にとって重要な軍事拠点となり、パラオもまた戦火に巻き込まれていった。
1943年には、数十人の島民により「パラオ挺身隊」が組織されニューギニア戦線へ送られた。半数が戦死、行方不明となる。1944年9月に入ると、パラオもアメリカの本格的な攻撃を受けるようになり、ペリリユー島とアンガウル島は玉砕の島となった。1945年8月15日、日本の無条件降伏により太平洋戦争は終結し、第二次世界大戦もその幕を閉じた。


こだわらない強み −ミクロネシア連邦モエン島の現状に対する島民の意識−
http://www.apa-apa.net/~jinrui/soturon/paper/harada.pdfより
 しかし1941年に太平洋戦争がはじまると事態は一変した。「海の生命線」と呼ばれ、戦略的拠点となったミクロネシアの島々には、非常に数多くの軍人や軍属が来島し、島民は土地を奪われ、軍作業や食糧増産に使役された。戦争は4年間続いた。島のお年寄りの方も戦争中は大変だったと話してくれた。 「私は戦争の時は兵隊さんと一緒に働いた。戦争がひどくなると兵隊さんは食料をくれないから多くの島民が水曜島へ引っ越したよ。パンの実やバナナ、ココナッツ、何もくれなかったから。昼間は勤労奉仕で軍隊で働いて、夜は防空壕掘ったり、畑仕事したり。働かなかったら罰でした。空襲があるときは寝られないし、たくさんの島民が日本兵と一緒の防空壕で死にました。」 「戦争の時は苦しかったよ。戦争中は食べ物はみんな軍隊のものになったし、家もとられて、島民は山の奥にいた。夜は寝られないし、昼は軍隊の仕事。戦争最中はトラックの人をぶん殴ったりもしていました。」 「軍隊で働きました。各部隊に分かれて兵隊さんのお手伝いとか、伝令をするとか、まるで兵隊さんのようにやったんです。敵が来たら僕らもみんな向かうからね、僕らも軍隊になっちゃう、そうでしょ。例えば敵陣島陸すれば僕らは日本人と働いているから向かうし敵も僕らをねらうでしょ。僕らは軍人と同じなんですよ。」


http://www.tkfd.or.jp/publication/reserch/2005-10.pdf p7より
 大東亜戦争が始まると島の人々も戦争に協力した。青年団は挺身隊に編成され、軍隊を支えた。1940 年、南洋群島大政翼賛会が結成されると、島民も参加し、日本本土と同じように宮城遥拝、君が代と愛国行進曲の合唱、国防献金、慰問袋作り、戦勝祈願の儀式、勤労奉仕をした。さらにパラオ調査隊、パラオ挺身隊、ポナペ決死隊としてニューギニア等の南方戦線で日本兵とともに戦った島民もいる。


高橋潤次さんの戦争体験
http://www.geocities.jp/haguma27/hiromi/sensoutaiken1/page02top.htmより
 北朝鮮による拉致闘題は許せないが、誓本人からみて許せないことは朝鮮人、中国人からみても許せないとおもいます。この近くでも久根鉱山、峰の沢鉱山など、天竜川流域の銅山やトンネル工事に、強制連行された朝鮮・中国人が労働につかわれ、かなりの犠牲者も出ているのですが、これらのことに補償らしい補償がまったくないのが現状です。
  わたしが戦争に反対する大きな理由は、爆撃で手をとられて前途まっくらになった、わたし自身が被害者という意識が強くあったことからです。戦後五年間くらいは占領軍により軍人恩給もストップされていた。講和条約成立後に恩給は再開したが、金はもらえても手は返してもらえない。こんなことは他の人にはぜったい経験させたくない、だから戦争反対と強くおもった。その被害者意識から出発して、転機となっこのは、1980年にベラウに行ったことです。
 べラウでは、日本の海軍軍艦のはなしが、現地の婦人から涙ながら訴えでられました。当時ベラウの人口、一万二、三千人のうち約半分の六千人が死んでいる。なくなった原因の多くは飢え死にです。
  そのもっとも大きな要因となったのは、ベラウ諸島の最南端、ペリリュー島という島に、一万二千人の日本の陸海軍が要塞を作ってたてこもっていた(*この軍隊は三十八名が残っただけで全滅した)ことです。宝の島といわれたぺリリュー島は、野菜、果物やコメまでつくり、ベラウ全島に供給していたところです。
  それに追い討ちをかげたのが、海軍の艦船の寄港でした。たとえば戦艦「大和」も、1944年2月にトラック島の米軍の空襲からのがれて、ベラウへ逃げこんできています。「大和」のほか五隻ぐらいの船がついていた。これらを全部あわせると、約五千人の人口です。これらに相当する人口が、水や生鮮食料品、ニワトリやブタの肉などもまきあげられたといいます。島の人々はアメリカの空襲を避けてジャングルへ逃げたけれど、ジヤングルのなかには食べるものは何もなかった。
  それをきいてショックだった。わたしらの船もそれをやってきたのです。
  マーシャル群島へ寄港したとき、ヤシの若芽をつんで食べていました。野菜がない状態でしたから、うまい、うまいと。ヤシは土地の人には重要な生活手段であり食料です。それを若芽のうちにつんでしまっていた。
  わたし自身は航海士で、艦の運行の仕事をしていました。大砲はおろか鉄砲一発撃ったことがなかったのに、れっきとした加害者だったのです。


核超大国のエゴに向き合う
アジアボランティアセンター(AVC)代表・平田 哲
http://www.shinshukyo.com/webup/back04/main04/2004.06.04.htmより
 日本のマグロ漁船「第五福竜丸」が被曝した米国のビキニ水爆実験から50年の3月1日、実験地のマーシャル諸島共和国の首都マジュロで(同国政府主催)の記念式典に参加した。式の模様や今なお核実験の後遺症に苦しむ島民の実情が、日本でも報道されたが、少し補足したい。
 マーシャル諸島は、侵略の歴史に塗りつぶされた人類史の恥部が凝縮されている。日本の施政権下にあった第二次大戦中は、旧日本軍がヤルート島やミリ環礁などで多くの島民を虐殺した。犠牲者の子孫の何人かから、私も直接その話を聞かされた。
 戦後は新たな支配者である米国の核実験で、多くの島民が土地を追われた。とくに象徴的なのは、被曝難民が米国の核補償金への依存を強いられて以来、島民全体の生活はゆがみ、自立への意欲にも水を差していることだ。日本のNGOの一つとして、この状況を改善する事業を進めるため、私は数年前から5回、同国を訪れたが、そのたびに力のない民衆を犠牲にして恥じない大国のエゴに、憤りがこみ上げる。


第3回 南海の楽園と被曝のトラウマ 05/10/31
教育ジャーナリスト 渡辺 幸重
http://kaze.shinshomap.info/report/gaikokujin/03.html
島よ、蘇れ——日本人としてできること
 私たちは、推し測ることができないほど深い傷が島民の社会にトラウマとなって存在していることを十分に認識しながら活動しなければならない、と感じている。フォトジャーナリストの島田興生さんは、著書『還らざる楽園/ビキニ被曝40年 核に蝕まれて』(小学館)の中で「被曝の後遺症は、単に島民たちの身体的障害だけにとどまらない。家族、村、島社会における生活共同体、環境や生態系、文化や伝統など、すべてにわたって破壊の爪あとを残している」と指摘している。
 同時に私たちは、南方系の底抜けの明るさを併せ持つことも必要だ。今回の報告会と前歯検査を通じて、帰島実現に一歩近づいた。このことについては、私たちは島民と一緒に心から喜び合うことができる。サヨナラパーティーで来年の現地調査と併行して若者が参加するサマーキャンプをやろうという話が出たとき、被曝経験を持つ女性から「自分たちも行こう」と元気な声が上がり、盛り上がった。被曝の後遺症や共同体社会が破壊されたことによる苦しさよりも、現在から未来に向かっての明るさをあっけらかんと表現し、顔をくしゃくしゃにしながら体全体で笑い合う彼女たちの姿に接すると、私たちもつい嬉しくなり、躊躇も恥ずかしさもなく抱き合ったりするのだった。
 太平洋の島々は、西洋の大航海時代から受難の歴史をたどってきた。太平洋戦争の爪あとは戦地となった島のあちこちに今でも残されている。マーシャル諸島の島々で、破壊された日本軍の軍事施設跡やいまだにヤシも生えない日本軍のコンクリート滑走路を見、日本軍によるマーシャル人や朝鮮人の虐殺や兵站を断たれた日本兵を含む人々の餓死などの話を聞いてきた島田さんは、島の生態系と人々の伝統的な生活が回復できるよう「せめて、島を昔の状態に戻すのが日本人としての最低の義務だと思う」と訴えている。


質問主意書情報
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/syuisyo/132/syuh/s132009.htmより

質問主意書


質問第九号

マーシャル諸島ミリ環礁における旧日本軍の武器撤去と復旧問題に関する質問主意書右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。
  
平成七年三月八日




竹 村 泰 子
  

       参議院議長 原  文 兵 衛 殿
--------------------------------------------------------------------------------

   マーシャル諸島ミリ環礁における旧日本軍の武器撤去と復旧問題に関する質問主意書

 一九九四年八月に東京で行われた「アジア・太平洋戦後補償国際フォーラム」に、マーシャル諸島共和国のミリ環礁出身の国会議員および島民の代表が来日し、同環礁で行われた旧日本軍による住民虐殺について証言するとともに、日本政府に対し、終戦に際しここに旧日本軍が放置した武器、弾薬などの撤去と復旧を訴えた。こうした活動はマーシャル諸島共和国議会によって支持されており、武器、弾薬、特に地雷などの撤去と復旧問題は、爆発の可能性が高く危険であるとして、一九九五年二月に開催された「アジア・太平洋国会議員連盟」の会議においても同共和国代表によって言及された。
 ミリ環礁は、連合軍の反攻作戦に対する前線基地として要塞化されたことは明らかであり、戦後こうした武器、弾薬が放置されているとすれば、住民の安全を脅かし、経済活動を阻害するものとして、見過ごすことができない問題であると考える。戦後五十年に当たり、戦後補償の一環として、以下のことを質問する。
 こうした旧日本軍の放置した軍事物資や施設に関し、住民から強い撤去と復旧要請もあり、これに対する人道上の対応として、まず早急に、実務的な実態調査の必要があると思われるが、政府はどう考えているか。中国に残した旧日本軍の化学兵器の撤去問題に関しては、すでに政府の調査団を派遣している事実もある。また、これに代わる対策として検討中のものがあれば、これを明らかにされたい。

  右質問する。


○まとめ
パラオ、ミクロネシア、マーシャル諸島において大日本帝国は委任統治領として植民地支配しましたが、特に戦争時は酷かったようです。多くの住民が日本軍によって虐殺されたり、孤立し補給がなくなったため、島の住民も日本軍と同じく飢餓に陥りました。従軍慰安婦や強姦、強制労働の被害者の傷は今も癒えてません。そして戦後日本軍が残していった砲弾や兵器類が問題となり、島民の生活を脅かしているのです。詳しいことはぐぐってもでてきませんでした。パラオ、ミクロネシア、マーシャル諸島、サイパン、グアムを含むマリアナ諸島などの太平洋諸国・地域に大日本帝国が与えた被害について、メディアはおろかネット上からも多くが抹殺されてしまったようです。の今はミクロネシアなり、マーシャル諸島政府なりが韓国や中国のように日本に対して過去の侵略、戦争被害に対する謝罪や補償問題を提起する動きがないようなのですが、その辺どうなのでしょうか?日本人として情けなくなります。大人の国家、そして国際社会で真に認めてもらう国家になるためにも、日本政府にしかるべき責任をとらせるべきだと思います。歴史の闇にこれらの被害事実を葬って済まされる問題ではありません。いつになったら、この日本に正義が訪れるときがくるのでしょうか?
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:36 | Comment(10) | TrackBack(0) | 各国民衆の大日本帝国侵略・戦争被害情報コーナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あら、こんな所にも在日が。


村山内閣の頃はよかった
マーニャさん UID:3775633072447227
2005/09/19 13:24:15 ID:1383687
バブルが終わってから日本政府が出し渋りするので民団からの補助金が降り難くなりましたよね。
あの頃は車も諸費用込みで補助金が出てたし、車検も事故の時の修理代も出てました。
今は車検や事故は自腹だし、車の購入も審査があって補助が出ないこともあります。
小泉になってからは最悪です。何もかも自腹で審査がほとんど通らなくなりました。
私達は好きで日本に住んでるわけじゃないのでこの仕打ちは絶対におかしいと思います。
村山さんの時はF40とディアブロと959が家にあったんですけど、自民に政権が戻ってから補助金が出なくなって維持できずに手放すハメになりました。家も売りました。
こんな酷い事をする自民に票を入れた人は何を考えているのでしょうか?
(p)http://www.carview.co.jp/community/bbs/bbs126.asp?bd=100&ct1=126&ct2=0&pgc=1&th=1383687&act=th
Posted by 馬鹿討伐人 at 2006年02月26日 02:14
日本軍によって、ひどい仕打ちをされた南洋の国々からは、
全然といっていいほど、賠償の話とか持ち出されてきませんよねぇ。
そんな話をしてくるのは、特定アジアの3カ国だけなんですが・・・

時に、討伐人さん、以下のような話はご存知ですか?


−−−−−−−−−−−−−−−−−−
パラオの国旗は、どうして日の丸とデザインが似ているのか。それには深いわけがある。
パラオはドイツの植民地だったが、第一次大戦下、この地域の戦争でドイツに勝った日本は、
戦後、国際連盟からパラオを含むミクロネシア地域を委任統治することを求められた。
日本はたくさんの移民をこの地に送り、産業、教育、文化の発展に大きな功績を残した。
第二次世界大戦後、この地域を占領したアメリカは、日本文化の影響を徹底的に破壊した。
南洋神社は取りつぶされた。校庭の二宮金次郎の銅像は引きずり降ろされた。

しかし、パラオ人は、心の中では勤勉の精神を教えてくれた日本人を敬い、日本統治時代を懐かしんでいる。
その証拠にパラオ人の八割は、その姓名のどちらかをに、日本式の名前を付けているといわれる。

1994年、パラオはアメリカから独立した。独立にあたり国旗を制定することになり、
国民の間から一般公募した結果、日の丸をもじった今のデザインに決まったというわけである。
ただし、パラオの国旗の満月は、日の丸の旗の太陽とは違って、中心からすこしズレている。
日本に失礼だからと、わざと中心をはずしたのだそうだ。これはパラオの人たちの慎み深い態度をよく表している。

パラオの国旗は、日の丸は侵略のシンボルではないこと、かつて日本の統治下にあった国で、
日本の日の丸を模した国旗がつくられるほど、戦前の日本と日本人はアジアの人たちから
尊敬されていたことを教える実物教材である。


http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/menu00.htm
より抜粋

−−−−−−−−−−−−−−−−−−

討伐人さんのおっしゃるような極悪非道な行いを日本が行ったのならば、
国旗を真似て作るなんて事ありえませんよねぇ?
Posted by 路傍 at 2006年04月09日 01:38
パラオが日本の国旗を真似たということを何の証拠に基づいて妄想しているのですか?一般には、パラオは親日感情が高いようですが、パラオ挺身隊としてニューギニア戦線に動員したり、戦時下には島民の多数が餓死するなど、加害事実が満載な点にはスルーですか?この記事に書かれている大日本帝国の侵略・戦争被害に関する事実の前に、右翼の妄言など通用しませんね。大日本帝国賛美妄想症をいい加減治療に行って、正しい歴史認識を身につけましょうね。
Posted by 右翼討伐人 at 2006年04月28日 00:41
過去の記事を見渡していたのですが少し、事実誤認が多いので指摘しておきます。まず、コメントから

> パラオ挺身隊としてニューギニア戦線に動員したり

南洋での挺身隊は内地での勤労奉仕だけです。戦闘に参加することは挺身隊ではありえません。まぁ、元ネタのサイト(論文)が事実誤認ですから仕方ありませんが…

> 戦時下には島民の多数が餓死するなど

日本人でさえも餓死していた事実は無視ですか?ついでに言うと、これも証言者の事実誤認で、餓死者が大量に出た直接的な原因は食料庫を米軍が爆撃したこと、そして、畑もガソリン投下で焼かれたことです。因みにペリリューの要塞は地下壕ですし、戦闘が始まる前に住民を隣の島に疎開させています。
Posted by a2 at 2006年05月26日 01:06
アメリカも悪どいことするよなぁ・・・。ガソリン撒いて畑燃やしてんだもんな。討伐人さんが信じられないと思うなら米国公文書館にあるはずの作戦報告書でも、お調べになってはいかが?
Posted by 懐疑主義者 at 2007年02月07日 12:34
岡山の姫は面白いことになってますな。




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・民主党の参院議員、横峯良郎氏(47)の不倫&賭けゴルフ疑惑を報じ、同氏から
 5500万円の損害賠償訴訟を起こされた週刊新潮が、30日発売号で疑惑の“第2弾”を
 報じる。また同党の新人議員、姫井由美子氏(48)の“不倫スキャンダル”が同日発売の
 週刊文春で報じられることも分かった。

 参院選の岡山選挙区で自民党の片山虎之助前参院幹事長(72)を破って初当選し、
 「姫の虎退治」として話題を呼んだ民主党の姫井氏に、不倫疑惑が浮上した。
 30日発売の「週刊文春」9月6日号が報じている。

 「虎退治 姫井ゆみ子との愛欲6年」と題する記事で、交際していた岡山市在住の元高校
 教諭(42)が実名で告白。平成12年9月、ある会合で知り合った2人は、ダイビングなど
 共通の話題で意気投合。初めて2人きりで飲んだ13年12月、岡山市内のラブホテルで
 一夜を過ごしたという。

 参院選で学校、家庭、地域が一体となった教育の重要性などをアピールしていた姫井氏には
 夫がおり、一男一女の母。教諭はバツイチの独身だった。2人は頻繁に同市内のラブホテル
 などで密会し、教諭によると、「彼女はかなりのMで『ぶって、ぶって』とよくせがまれ」、
 「妻になってあげる」ともいわれたという。

 2人は、姫井氏らが昨年5月にオープンした喫茶店の経営を巡る問題で同10月に破局。
 今年4月、教諭らは未払い分給料など約1500万円の支払いを求める調停を裁判所に
 申し立てた。
 姫井氏は29日、都内で民主党の女性議員研修などに出席。同氏の事務所は「事実確認が
 できないので、何も言えない」と言葉少なだった。
 http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200708/sha2007083002.html
Posted by at 2007年09月01日 02:26
       ☆ チン            
 ☆ チン  〃 ∧_∧   /癡所の右翼討伐人チャソ
  ヽ ___\(\・∀・)<2チ ヤ ソ ネ ルで他人のメ ア ド晒した謝罪まだー ?
      \_/⊂ ⊂_)_ \____________
    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
   |  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:|  |
   | H A N 板人  .|/
数万円もする研究室の実験器具を壊した事を隠蔽しようとした癖に自からHAN板でバラして罵倒嘲笑を浴びた。

他人のメ ア ドを本人の許可無くHAN板で晒し、スレ住人にたしなめられたが開き直って削除依頼もせず逃走した。

2TIYANNELUの理系板で日本軍悪口雑言板スレ立てをして沈着冷静、頭脳明晰な住人の罵倒嘲笑を浴びた。

2TIYANNELUの海旅板で日本の加害情報求む等と馬鹿なスレ立てをして総スカンを喰らった挙げ句スレストされた。

HAN板で(さば)を(こい)と読んで無知文盲がばれて祭りになった。

理系大学の学生でありながら本を買ったのがたった二冊だけだと平然とほざいてHAN板でスレ住人にあきれられた。

南京大虐殺問題で妄言ほざいたが博覧強記のHAN板住人に全く歯が立たず泣き言を吐いて逃走した。

HAN板で意気揚々とソースに「半月城通信」を引用して大爆笑になった。

自分の専門分野について質問された時に錬金術の如き化学反応式を並べて文系住人さえ絶句させた。

鬼女板と恐れられる既婚女性板にカキコして百戦錬磨一騎当千の鬼女板住人に粉砕されて逆上、「お前らなんて一生結婚出来ないぞ!!」と
既婚女性板住人が化石するしかない捨て台詞を吐いて逃走した。

就職の面接で担当者が一文字姓だった為、勝手に在日朝鮮人と決めつけ、得意満面でこの自慰ブログの如き電波左翼妄言を吐いて見事に落ちた。

民団の掲示版に日本の悪口を書いて賛同を求めたが逆に門前払いを喰らって唖然とする程の癡所ぶりをオチされて侮蔑と嘲笑を浴びた。
Posted by at 2007年10月08日 05:42
       ☆ チン            
 ☆ チン  〃 ∧_∧   /癡所の右翼討伐人チャソ
  ヽ ___\(\・∀・)<2チ ヤ ソ ネ ルで他人のメ ア ド晒した謝罪まだー ?
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   | H A N 板人  .|/
数万円もする研究室の実験器具を壊した事を隠蔽しようとした癖に自からHAN板でバラして罵倒嘲笑を浴びた。

他人のメ ア ドを本人の許可無くHAN板で晒し、スレ住人にたしなめられたが開き直って削除依頼もせず逃走した。

2TIYANNELUの理系板で日本軍悪口雑言板スレ立てをして沈着冷静、頭脳明晰な住人の罵倒嘲笑を浴びた。

2TIYANNELUの海旅板で日本の加害情報求む等と馬鹿なスレ立てをして総スカンを喰らった挙げ句スレストされた。

HAN板で(さば)を(こい)と読んで無知文盲がばれて祭りになった。

理系大学の学生でありながら本を買ったのがたった二冊だけだと平然とほざいてHAN板でスレ住人にあきれられた。

南京大虐殺問題で妄言ほざいたが博覧強記のHAN板住人に全く歯が立たず泣き言を吐いて逃走した。

HAN板で意気揚々とソースに「半月城通信」を引用して大爆笑になった。

自分の専門分野について質問された時に錬金術の如き化学反応式を並べて文系住人さえ絶句させた。

鬼女板と恐れられる既婚女性板にカキコして百戦錬磨一騎当千の鬼女板住人に粉砕されて逆上、「お前らなんて一生結婚出来ないぞ!!」と
既婚女性板住人が化石するしかない捨て台詞を吐いて逃走した。

就職の面接で担当者が一文字姓だった為、勝手に在日朝鮮人と決めつけ、得意満面でこの自慰ブログの如き電波左翼妄言を吐いて見事に落ちた。

民団の掲示版に日本の悪口を書いて賛同を求めたが逆に門前払いを喰らって唖然とする程の癡所ぶりをオチされて侮蔑と嘲笑を浴びた。
Posted by at 2007年10月16日 23:32
大日本帝国万歳!
Posted by 愛国者 at 2011年09月01日 07:57
南方諸島は日本軍が撤退した後、核実験場にされた。爆発させる瞬間はさすがに避難させたが、汚染がとれてないのに戻された。南方諸島では日本軍を怨んでる人は少ない
日本軍が撤退してからが地獄だったのだよ

勉強しろよ情報カタワw
Posted by 馬鹿? at 2011年10月18日 21:59
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