2006年02月25日

グアム島における大日本帝国加害事実

グアムにおける大日本帝国加害事実について

● 次に消されるのはだれ? ● グアム先住民の旅、2004年春
http://prof.mt.tama.hosei.ac.jp/~otadashi/travel_prof9.htmlより
<日本の責任>
死を恐れず勇敢に、しかもなんだか不思議なユーモアをもって、アメリカの支配とたたかって独立を求めるチャモロの人々。見ていて気持ちいいし、いっしょにいて楽しい。しかし、チャモロの人々の苦しみについていくと、日本という国、日本の会社、日本人の責任ということを考えずにはいられない。
Hさんのくれたタダ券で2人の学生がパラセイリングに挑戦。レンタカーの都合もありみんなでその浜におしかけ、帰りを待つ。あたりは日本人観光客ばかり。レジャー・クラブのプライベート・ビーチだ。浜辺のホテルのプールを浜から隔てる壁の隅に、ちょっとした石碑のようなものがある。近づいて読めば、「ここは植民地化以前のチャモロ人の集落…、浜は墓場…、30数体の遺骨が発掘され、ここに眠る」とある。日本資本のホテルがひしめくタモン湾の大ホテル街のプライベート・ビーチは、すべてチャモロの先祖たちの墓だ。私の母がまず立ち上がり、私も反対運動をやったけど、すべて掘り返されて、ホテルになった。抗議を受けたホテルはいちおう埋葬しなおしたけど、どこに骨を捨てたかわからないホテルもたくさん。京都に行ったときに、日本人は、先祖を敬うりっぱな墓を作る民族だとわかった。それなのに、どうしてグアムでこんなことができるの?…そんなHさんの話を聞くと、あくまで透き通って美しい水に白い砂浜のビーチのホテル街にも近づきたくなくなる。
(略)
<戦争による損害賠償委員会>
Hさんがみせてくれた昨年12月の新聞。グアム政府が、第二次大戦による損害賠償委員会を立ち上げて、証言を集めている、とある。泣き崩れる女性の写真入り。子供だった彼女の目の前で、縛り上げられた母親は日本軍に銃剣で刺され、倒れたところをレイプされ、収容所で食料を盗んだ弟は殺されたという。…グアムに日本軍の「従軍慰安所」もあり、チャモロ人女性も犠牲になったことは我々も事前勉強会で知っていた。知り合いの女性の人権NGOの人からは、オランダやアジア各地の女性たちと呼応して名乗り出て、訴えて出る被害者が現れてこないかどうか、調べてきて、とも頼まれていた。…この女性の訴えは、Hさんにもショックだったという。日本軍のレイプによる被害は地元社会では周知の事実なのに、これまで自分からその被害を訴え出る人はいなかった、というのだ。
その委員会は、レイプや収容所での虐待、虐殺ばかりでなく、日本軍による土地や財産の没収についての証言も受け付けている。被害状況をまとめて、アメリカ政府に対して、戦後処理の妥当性を問い、改めて日本政府に対する損害賠償を検討したい、という。チャモロ人にしてみれば、自分たちの被害をろくに調査もせず、意見を聞くでもなく、アメリカ政府が勝手に日本政府と話をつけて賠償問題のけりをつけてしまっている、というわけだ。日本軍が奪った土地の問題は、それをそのまま使い続けるアメリカの責任に直結する。


● …ああ美しい、天皇陛下の… ● グアム先住民の旅、2004年秋
http://prof.mt.tama.hosei.ac.jp/~otadashi/travel_prof12.htmlより
<白地に赤く…>

   しろじにあかく、ひのまるそめて、
   ああうつくしい、てんのうへいかのくには

最後のことばが、天皇陛下の「国」だったか、「旗」だったか。彼自身もウラ覚えで、口を濁した。私の記憶もさだかでない。一列に並んで虐殺の洞窟に向かう丘の道を登りながら、はるかにグアム最南端の青い海を見下ろせる尾根に出た。とたんに、先頭に立つ元村長のじいさんが歌いだしたのだ。驚いて顔を見合わせるわたしたち。その直前にいっしょに昼食をとったときにも、突然に、流暢な日本語が断片的に飛び出す時があった。小学校の高学年の3年間、日本軍統治時代のグアムで叩きこまれたという日本語。私たちといっしょにいて、驚く私たちの反応を見るうちに、どんどんよみがえってくるらしい。山歩きのリズムは、この70を越えた老人の体の中から「日の丸」の歌のメロディまでよみがえらせたようだ。ぼくの小学校時代、音楽の教科書にのっていたこの「日の丸」の歌の歌詞には「天皇陛下」なんてことばはなかったけど。…

<おまえ、立て!>
すこし歩いて林に入り、その洞窟の前に着いた。洞窟はすでに埋められている。入り口の前には、小さな石碑があって、20名ばかりの犠牲者の名前が刻んである。そのとき、すでにアメリカ軍の艦船は、集結して、この山から見えるグアム南方の沖合いにまで迫っていた。日本軍は、もうひとつの洞窟で、先住民村のリーダー格のものたち20名ばかりを虐殺したあと、この洞窟では、さらに特に体格のいいものを選んで、殺した。元村長は、その話をしながら、突然、ぎろりと私たちをにらむと、「I will show you. Sit down please, here.(どんなだったか見せてあげよう。ここに座ってみて。)」と言って、Oさん、Rくん、それにわたしを含む同行の男性3人を石碑の側に並べてしゃがませた。そして、Rくんの前に立って、頭を指差すと、軍隊調の日本語で叫んだ。「おまえ、立て!」驚いたRくんがのそりと立ち上がると、こんどは、Oさんの前にいって、「おまえ、立て!」…こうして連れて行かれた、身長180センチ以上はある体格のいい、その先住民村の若者たちは、2度と帰ってこなかったという。
(略)

<3泊4日グアム・リゾート>
今年3月に、ゼミの学生諸君と先住民問題を中心とするグアム研修旅行をやったあと、日本の戦争被害証言を聞こうという趣旨のNGO「アジア・フォーラム」との間で、あれよあれよと話が展開。9月末には、3泊4日で、グアムを再訪することになった。12月に予定されている講演会のために、グアムから、日本軍による先住民虐殺の生存者を招待するための予備調査、というわけである。3月にお世話になった先住民運動の活動家Hさんに再び全面的にお世話になっての調査。…戦後生まれのHさんにとっても、戦争中のことを掘り起こすのは、なんとなく、荷が重い感じ。…しかし、過去のことをしっかり見据えて、グアムの先住民と日本の住民たちとの間の未来をつくっていきたい、という私たちの説得・協力要請に、Hさんは最大限の下準備をして答えてくれた。グアム先住民の墓をブルドーザーで壊してホテルを乱立させてしまった日本資本と観光客に対して、先住民の尊厳の立場から、果敢に墓地保存・乱開発反対運動にも取り組んできたHさん。いつもながらのエネルギッシュな仕事ぶりで、われわれを乗せてバンをすっとばし、こちらをのぞきこんでしゃべるので、同上の私たちは、生きた心地がしない。…

<チャモロ・ハーブの女性>
最も始めの時期にわれわれがリクエストしていたのは、昨年暮れの日本軍による被害証言委員会で、初めて明確な証言をして地元紙にも大きく取り上げられた女性。日本軍は、彼女の目前で母親をレイプして殺し、弟は収容所で食べ物を盗んだとして殴り殺された、という。Hさんは、ひょんなことで、チャモロの伝統的なハーブを採っていた彼女と話をしたという。…ずいぶん迷った末に探し出した彼女の家は、質素な木造平屋の小屋のようなもの。それでも、テレビもあれば冷蔵庫も。マリア像や、造花や、終日灯しつづけるという蝋燭、そんなおごそかな伝統的なチャモロ・クリスチャンの祭壇を中心とする部屋。奥のベッドルームから椅子をもってきて、近所のおばさんと合わせてみんなで座る。ドアのすぐそばの台所では、大きな鍋に、カゼ薬として調合したというチャモロの伝統的なハーブ茶。草やら木の枝、妙な果実などがぐつぐつ煮えている。ちょっとカゼ気味というHさんは、ペットボトルに入れてもらう。われわれにもおおきなカップにいっぱい。やはりカゼからかろうじて回復したばかりの私には、実においしく、何杯もおかわりを。…Hさんはチャモロ語で原料を聞いている。家伝のもので、症状に応じて、さまざまなものを混ぜるとか。

<ほんとうのことを知ってほしい>
そのことにすこし触れただけでも、すぐに涙いっぱいになってくる彼女に、Hさんはとても細やかな気遣いを見せる。手を握って、チャモロ語で話しかける。…かろうじて、彼女が証言する気になったいきさつを聞かせてもらう。…もう70歳を過ぎた彼女の親しい友人が亡くなった。ほんとうのことを知る人がどんどん死んでいってしまう。…悲しいこと、恥ずかしいこと、思いだしたくないことだと思って、ずっと黙ってきた。でも、ほんとうのことを知ってほしい。死ぬ前に言っておきたいと思った、と。

<ほんとうの歴史を知ってほしい>
もうひとりの女性の生存者は、今回訪問の本命の人。あの元村長が見た洞窟の虐殺と同じ頃の、別の集団虐殺の生き残り。ある洞窟では、女性ばかりが押し込められ、集団レイプされたうえで、殺された。私たちが合った女性は、その洞窟の近くで、男性が中心だった洞窟での虐殺の生き残りだった。…初日の家への訪問では、あいにく不在でからぶりに終り、会いたくないのではないかと心配していたHさん。こんどは、孫の誕生パーティーが終った頃に、会場になっていた海辺の公園へ。孫はどこかに遊びにいったのであろう。長髪の若い息子と椅子に座っていた彼女は、とても穏やかな笑顔のおばあさん。…ひとめでお互いに気に入ったらしいHさんと、しっかりほとんど英語で受け答えする。我々の訪問意図にしっかりとうなずき、歴史として、戦争のほんとうのことを子供たちに伝えたい、と言う。自分が虐殺の生き残りであることは、息子にも孫にも言わずに過ごしてきた。でも、孫に、「おばあちゃん、戦争にいったんでしょ? どうやって戦ったの?」なんて言われると、戦争のほんとうのことを伝えたいと思う、と。彼女の知り合いには、そのレイプ虐殺の生き残りのひともいるという。名乗り出なくても、村人には公然の秘密なのだ。…息子さんか、親戚をいっしょに招待すれば、可能性はあるかもね。でも、心臓が悪いといっていたから、すこし心配、とHさん。
(略)
<自然と歴史に向き合う>
次の日の朝はどしゃぶりの雨。飛行機出発までの数時間、ようやくおさまった雨雲の雲間を縫うように、レンタカーを飛ばして、ほんの10分あまり泳ぐために、北部の自然保護区内のビーチへ。3月に来たときにHさんに教えてもらった、地元民しか泳ぎにこない穴場。浜辺の椰子の木陰ですばやく着替えて、ゴーグルをつけ、サンゴ礁へ。…スペイン人がくる前は、人々はほんとうに真っ裸だった。男も女も、素っ裸で海を抱きしめ、魚をとった。こんな暖かくなまめいた海。…Hさんたちが展示した大聖堂のチャモロ民族博物館には、ほんの数年前に出されたという、ローマ法皇による過去の暴力的な宣教へのお詫びと反省の文があった。スペインのあとにきたアメリカ。そのあとにきた日本。そしてアメリカ。どれもとりかえしのつかないほどの爪あとを島の人々に残した。歴史は消せない。記憶は消せない。日の丸の、天皇陛下の歌はじいさんの頭から消せない。水爆の放射能は、何千年たっても消せない。…博物館には、体格のいい裸の男性に裸の人々がひざまずいている絵もあった。スペイン人が来る前のこの島も階級社会。天国なんかじゃない。…どんな歴史も自然も、おれたちでしっかり向き合って、これからのために生かしていくしかない。傷ついた人々と自然へのケアって、そういうことじゃないかしら。


【土生長穂、11月の一言】 グアムという戦場
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nhabu/kotoba0411.html より
 今年は、グアムから先住民チャモロの方を招いての証言集会です。グアムと言えば若い人々にはリゾートの島と言う印象しかないでしょうし、事実日本から年間100万もの人がグアムへリゾートで訪れるとのことです。しかし、太平洋戦争の時にはアメリカ領だったグアムを日本が攻撃して1944年まで2年半以上占領していました。44年8月アメリカ軍の反撃によって2万の日本軍がほぼ全滅(生存者千名余にすぎなかった)しました。その際追いつめられた日本軍はグアムの先住民チャモロの人々を洞窟に押し込めて虐殺するなどの被害を与えました。こうして、グアムを奪回したアメリカ軍はサイパンとグアムを日本空襲の基地として使用しました。東京大空襲も広島長崎への原爆投下もここから行われたのです。そして、グアムは今でも沖縄と同じように墓地の島なのです。 

   
グアム戦略記
http://www1.linkclub.or.jp/~oya-wm/guamfile/guamhistory.htmlより
 グアム奪還のために米軍は約7000名の死傷者を出した。日本軍の兵力は約20000名と言われているが、収容所に収容されたのは1250名余りであった。当時グアムには邦人約300名、現地住民約24000名がおり、彼らも戦闘に巻き込まれた。又木山の東、高原山に避難した邦人の婦女子たちは自殺を強要させられている。西海岸バンギ岬には、敗走中の日本兵に虐殺されたグアム島住民チャモロ人の慰霊碑が建てられている。犠牲者数は正確には把握されていない。
 1978年、米議会の決議によって、『第二次世界大戦の際に太平洋で作戦に参加した者の勇気と犠牲を讃え、またグアム島の素晴らしい自然環境と歴史的価値の産物を現在及び将来に渡り保存維持していくことを目的に』ガン岬をはじめとする米軍が上陸した海岸などは「太平洋戦争国立歴史公園(War in the Pacific National Historical Park )」として指定された。


この夜のしじまに:グアムの防空壕跡にて
http://nue.cocolog-nifty.com/sijima/2005/01/post_11.htmlより
グアムで、ラッテ・ストーン公園という公園を訪れた。ラッテ・ストーンと呼ばれるグアムに特徴的な石の柱の遺跡を移築したところだ。
ここには戦時中の防空壕の跡があり、アメリカの史跡として指定されている。おそらくは、防空壕があるから、ここを公園にして、ラッテ・ストーンを移築したという経緯ではないかと思われる。

防空壕の説明は、チャモロ語、英語、日本語の3つの言語で書かれているが、その内容がどうも食い違っている。日本語では、防空壕を「実際に掘ったのはチャモロ人の使役労働者」と書いてあるのに、英語では、チャモロ人、朝鮮人、沖縄人の強制労働者(forced labor)と書いてある。チャモロ語は判らないものの、チャモロ語版の説明の中にチャモロ人、朝鮮人、沖縄人と並べて書いてあることは確認できた。

つまり、日本語の説明では、わざわざ朝鮮人、沖縄人が働いていた(働かされていた)ことを削除しているわけだ。まず、この記述をどんな意図で日本語では削除したのか(日本語の説明文が一番短くなっており、記載する場所が足りなくて省略されているわけではない)、そこにどんな配慮があったのかが良く理解できない。事実ならば省略する必要は全くなさそうなものだが。

さらに、(1)朝鮮人の強制労働、(2)沖縄人の強制労働と書かれているものが、実態としてどのようなものだったのだろう。防空壕が作られたのは戦時中のことだが、そんななかで敢えて徴用された特別な"forced labor"だったのか、あるいは、他の地域出身の日本人も同様に働いたのか否か。直感的には日本本土での徴用による強制労働の話とは事情が多少なりとも違う気もしないではないが、実際に当時の朝鮮や沖縄から強制労働者が送り込まれていたのであれば、普通には視野に入りにくい戦中の歴史がここにあるということだろう。

ちなみに、チャモロ語でも防空壕はBoukungo'と言うらしい。少なくともチャモロ人が被害者であったことは間違いなかろう。


http://www.bekkoame.ne.jp/~yamadan/mondai/rmal9/react546.htmlより
グアムでも従軍慰安婦 国連人権委で近く報告−−朝鮮人連行調査団が確認
96.4.3 毎日新聞東京本紙夕刊 
米国領・グアムで地元女性が従軍慰安婦として売春を強制されていた事実を朝鮮人強制連行真相調査団(日本側団長・鈴木二郎都立大名誉教授)が確認し、当地で行われている国連人権委員会で非政府組織(NGO)として近く報告する。これまで朝鮮、オランダなどの慰安婦が大きな問題になっていたが、米国領内での慰安婦問題が国際社会で取り上げられるのは初めて。調査団は昨年から米国領内に存在したとされる慰安婦の実態調査を行っていたが、米国立公文書館のマイクロフィルムや日本政府の法務省に残されていた裁判資料から、日本軍にグアム島が占領された3カ月後1942年2月、グアムの日本人会幹部が地元女性2人を強制的に慰安婦にし性的虐待を強いていたとする裁判資料を発見した。法務省の資料では「現地の女性を慰安婦として日本軍にあっせんしていた」と記述されており、この日本人会幹部は、戦後、グアム戦争裁判で売春強制罪などに問われ15年間の強制労働の判決を受けていた。資料は同委員会のクマラスワミ特別報告官(スリランカ)も入手、「旧日本軍の行為は人道に対する罪であり、元従軍慰安婦に対する国家補償と加害者の処罰が必要だ」として2月に公表した特別報告書の基礎にもなっている。 同調査団は「グアムのケースは戦争犯罪として法的に処罰されており、従軍慰安婦問題の法的責任を日本政府が明確にしないのはおかしい」としている。


http://www.guam-shinbun.com/islandnews/newstop_past/878.html
戦後補償に
2,500万ドル
 
 グアム戦後補償再審委員会の報告書が発表され、1941年から1944年の日本占領時代のチャモロ人の被害に対し2,500万ドルを請求していることが明らかになった。

 85ページの報告書の作成は昨年米議会が戦争被害の再審査のための議会委員会を設置することを承認したことを受けて作成されたもので、この報告書に基づきグアムのボダリオ米下院代議士が委員会に法案作成を求めることになっている。

 報告書の要求の概要は、●日本統治時代に死亡した人の家族に2万5,000ドル支払う。この家族とは配偶者、子供、両親に限られ、優先順位もこの順序となる。●強姦や栄養失調、強制労働、避難命令などを含み個人的な障害・苦痛を受けた人に対しては1万2,000ドル支払う。●補償金によって基金を創設し、奨学金、医療施設その他のグアム住民のための施設のために使用する。●補償受給対象は1990年当時にまだ存命していた占領統治のチャモロ人生存者。体験者であっても1990年以前に死亡した人は対象とならない。

 報告書によれば占領期に死亡したチャモロ人口は1,000人。1990年度の人口統計に基づいた推算では、8,551人のチャモロが戦争を生き延びたということになる。今回の補償請求ではこれらのうち、1990年まで生存した人が対象となる。ただし島外に移住した人については1990年度統計に含まれていない。

 グアムでは戦後補償として1945年に「グアムの『勲功』に応えるための補償法」によってグアム住民から賠償請求がまとめられ、総額800万ドルが支払われている。しかしチャモロ人側は1948年の戦後補償法にもとづく財産の破壊と損失を対象にした支払いは行われていないとして長年、連邦政府に補償の見直しを迫っていた。今回の報告書は「グアム議会はチャモロへの補償のために1990年の米議会の行動に対し積極的に応じなかったことを後悔している」として、グアム議会の行動力のなさも含めて戦後補償問題がまだ未解決であることを強調している。


http://www.jca.apc.org/JWRC/center/library/jihyo46-1.htmより
グアムの戦後補償問題

荒井信一 

 2004年9月28日、アメリカ下院はグアム解放60周年記念決議(下院決議737号)を可決した。グアム島は、ミクロネシアにある米領の島で、太平洋最大と称される米軍の基地がおかれている。ハワイとならぶ南海の楽園として毎年多くの日本観光客が訪れるが、敗戦を知らずに潜伏していた横井庄一元陸軍軍曹が、28年ぶりに「恥ずかしながら」といって島のジャングルから姿を現したとき以外、この島が太平洋戦争の戦場であったことは、日本人の意識にあまりのぼらない。
 決議は、開戦と同時にグアムが日本軍の攻撃をうけ、1941年12月10日から44年7月21日まで日本軍に占領されていたことを想起する。そしてグアムの人々が「合衆国への一貫した忠誠のゆえに残忍な占領を経験し」「32ヶ月の占領中に強制労働、死の行進、抑留、障害および公開処刑をふくむ死を経験した」と明記している。決議が「グアムの人々」と呼んでいるのは、具体的には島の先住民、チャモロ人のことである。1940年当時、人口の90%以上を占めていたが、1990年には人口の43.3%となった。
 軍事基地と観光産業への依存により島の経済・社会が変容し、チャモロの生活文化が脅かされ、島の自然が取り上げられ汚染されているのが現状である。島民の自治権要求も次第にたかまった。決議は、戦時中の島民の合衆国への忠誠を強調するが、それは逆に島民と合衆国の紐帯がうすれつつあることへの警戒をしめすもののようにも思える。
 決議が、解放60年の記念の年に、あらためて日本軍による占領中の残虐行為を想起していることは重要である。日本との緊密な同盟関係にもかかわらず、アメリカ議会が日本軍の非人道行為を直視している証しである。またチャモロ人の受けた戦争被害が具体的に言及されていることにも注意すべきであろう。先住民の復権の動きと結びつくからである。
 戦後、アメリカ政府は占領中の損失財産と死傷者への補償を約束したが、実際に支払われたのは虐殺された人にたいする一人当たり200ドルの支払いだけだという。ようやく2002年になって議会はおもい腰をあげて下院に「グアム戦後補償審査委員会」を設け、32ヶ月に及ぶ占領中に日本軍がおこなった虐殺、暴行などの被害実態を調査することとした。04年の議会決議直前の6月、報告書が米政府と議会に提出された。「日本の占領はとくに残虐、圧政的かつ野蛮」だったと指摘、殺された人の遺族に一人当たり2万5千ドル、負傷者や強制労働被害者には一人当たり1万2千ドル、総額1億2500万ドルの補償支払いを勧告した。今回の下院決議はその内容を反映しているが、補償には言及していない。法案が近く議会に提出される予定といわれている。それはアメリカと先住民との和解の一歩となる。同時に日本がこの和解のプロセスにたいしどう関与してゆくかが問われる問題でもあろう。


以上グアムについての大日本帝国加害事実を追加しました。まとめてみると日本兵による集団強姦や女性の従軍慰安婦強制、強制労働、集団虐殺というまで、沖縄の事例とそっくりだと思います。近年、沖縄における日本軍の加害行為も問題視されていますが、グアムやほかの太平洋の島々でもそっくりでしょう。この小さな太平洋諸国における戦争被害については見落とされがちですね。沖縄とグアムとの類似点ですが、日本政府の戦争責任に対する動きと、同じ米軍基地を抱え米国の影響力が強く、米国に対する抵抗運動と今まで抑圧されて本土の思うがままになされてきたことに対する反発と民族自決権に対する民族的覚醒における民衆の動きと密接にリンクしていることが大きく類似していきます。

追記します 2006年2/16(日)
ファニータ・クルスさんの証言 1 -日本軍によるグアム先住民虐殺事件-。
http://blogs.yahoo.co.jp/asiaforum3tama/11599072.htmlより
私の名前はファニータ・クルスです。70歳です。母の名前はマリア・パンゲリナン・ナプティ・イグナシオです。父は1938年に亡くなりました。モンモン(グアムの首都ハガニャ近郊の集落)に住んでいました。8歳の時に初めて日本兵に会いました。飛行機がたくさん飛んできたのを覚えています。軍人や馬が私の農場に入ってきました。上空には飛行機が飛んでいました。あまりそのことを考えずに仕事をしていました。

次の日に、20人くらいの日本兵が馬に乗ってやってきました。私は馬を見たことがありませんでした。日本軍の兵士と馬が農場に入ってきたのです。一人の日本兵士が母に平手打ちをしました。日本語で何か言いました。母はチャモロ語で「それは食べ物です」と言いました。馬が畑の作物を食べてしまったのです。日本兵は馬のえさにするため、私たちの畑に入ってきたのです。隊長がやってきて、母をココナツの木にしばろうとしました。私は母をしばった布をほどこうとしました。別の兵隊が私を銃剣で刺そうとしました。私の足にその先が当たりました。隊長は母をしばってしまいました。馬に食料を与えた後、母の縄を解いて、そこに倒し、レイプしたのです。私と弟は母を助けようとしました。2時間ぐらいそのままでした。私と弟はそばにいるだけでした。母は何とか自分ではって家に入りました。母が「薬をとって」というので、薬を取ってきて貼り、体を洗いました。

その後2週間、母は寝ていました。薬をあげたりしていました。1ヶ月くらいして、体をうごかせて働けるようになりました。日本兵が鶏や豚を取っていってしまったので、食べるものがありません。魚を取ったりして食べていました。仕方がないので、ココナツで飢えをしのぐ状態でした。
2ヶ月後に再び日本兵がやってきて、服を洗濯するよう言われました。兵士に食べ物も渡しました。家の中をチェックするので隠すことはできません。


ファニータ・クルスさんの証言 2 -日本軍によるグアム先住民虐殺事件-
http://blogs.yahoo.co.jp/asiaforum3tama/11599930.html より
ある日、白人のアメリカ人のような人が家にやってきてバーガーグに来るように言いました。そこでは石を拾ったりしました。そこは飛行場を作るための土地でした。
また、マネンゴンの収容所に行くように言われました。私は10歳になっていました。沢山の人と一緒に歩きました。5時間ほど歩きました。日本兵に追い立てられて歩き続けました。日本兵に何度も平手打ちされてり、殴られたりする人も沢山いました。倒れると余計殴られました。立ち上がれないと殺されました。首を切り落とすのも見ました。悲しくて恐怖でいっぱいでした。その恐怖というのは、母に何をするかわからないという恐怖でした。私たちは休むことが許されませんでした。

到着したマネンゴンは鉄条網がはりめぐらされていました。人の手で作られた洞窟もありました。私たちの多くがここに押し込められました。逃げようとした人に向かっては銃で殺してしまいました。生き残った者は鉄条網で囲まれたところに収容されました。そこには食べ物がほとんどありませんでした。ある時どうして逃げたのかわかりませんが、母が外に行って小さな魚を取ってきました。私と弟に渡して「隠しておくように」と言いました。しかし兵士が来てしまいました。私は大丈夫でしたが、兵士は弟の口をこじ開け、舌を切り落としてしまいました。弟はそこで死んでしまいました。私はありったけの布で弟をくるみました。

アメリカ兵が(解放しに)来たとき、私は病気でした。日本兵の銃剣の破片が足に刺さっていたのです。体調が今でも良くありません。悪夢を見ます。

このことを私の子どもたちは知りません。娘たちは言います「日本人を嫌いにならなくたって・・・。いい人たちでしょう」と言いますが、私には難しいことです。

(2004年12月10日神宮前区民会館、12月11日立川女性センターアイムでの証言)
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:33 | Comment(8) | TrackBack(0) | 各国民衆の大日本帝国侵略・戦争被害情報コーナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私もグアムに何度か行ったことがありますが、グアムで日本軍がこんなに酷いことをやっていたなんて知りませんでした。多くの日本人はグアムで日本軍が占領していた時代があったことすら知らないのではないでしょうか。私は右翼討伐人さんを応援します。ぜひ、埋もれた日本軍の蛮行の事実を解明し、世に知らしめてください。
Posted by 懐疑主義者 at 2007年08月30日 22:18
■寺強盗の韓国人 在日サイトで共犯募集

仏画を奪おうと寺に押し入り、僧侶に暴行し負傷させたとして、強盗傷害罪などに
問われた韓国籍の金在七被告(48)が、在日韓国人向けの求人サイトで共犯者
を募っていたことが30日、名古屋地裁が金被告に言い渡した判決などで分かった。

名古屋市の路上で女性が拉致、殺害された事件でも、逮捕された男3人は携帯
電話のサイトを通じて集まっていた。

金被告に懲役12年(求刑懲役15年)を言い渡した判決や弁護人によると、金被
告は昨年5月、在日韓国人向けの求人サイトの掲示板に「日本語ができる人」「運
転ができる人」「報酬は一億ウォン以上」と書き込んで共犯者を募集。返信してきた
男らと共謀し同9月、福井県敦賀市の西福寺に押し入って僧侶に暴行し現金など
を奪った。仏画は見つからず、共犯者の一部は逃走中。

▽ソース:スポニチAnnex [ 2007年08月30日 18:29 速報記事 ]
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20070830032.html
______

■ネットで強盗団組織、寺を襲う 被告に懲役12年判決

愛知、福井両県内の寺に押し入り、僧侶らにけがを負わせるなどしたとして、強盗
致傷などの罪に問われた韓国籍の住所不定、無職金在七被告(48)に対する判決
が30日、名古屋地裁であった。近藤宏子裁判長は「高い報酬を約束してインター
ネットで共犯者を募集するなど、主導的な役割を果たした」として、懲役12年(求刑
懲役15年)を言い渡した。

判決によると、金被告は高麗仏画などを盗み転売しようと、氏名不詳の男3人と共謀。
05年8月3日夜、愛知県御津町広石の大恩寺に押し入り、住職の長男の腹を刺す
などして約3カ月の重傷を負わせた。また06年9月22日には、韓国籍の金鍾浣被告
(35)=福井地裁で公判中=らと共謀し、福井県敦賀市原の西福寺に侵入。男性
僧侶をバットで殴り重傷を負わせた上、現金約41万円を奪った。

両被告の捜査段階の供述によると、在七被告は在日韓国人向け求人サイトの掲示
板を利用して共犯者を募集。福井の事件前には「日本語、運転ができる人。報酬は
1億ウォン以上」などと書き込んでいたという。

▽ソース:朝日新聞(2007年08月30日19時32分)
http://www.asahi.com/national/update/0830/NGY200708300010.html

▽関連スレ:
【犯罪】 韓国人が国重文の仏画狙い寺襲う 二名は母国へ逃亡 ★2[02/01]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1170328067/
Posted by at 2007年08月30日 23:32
おい、癡穢惡狗列!!

何、ヒトサマのコテ騙ってやがる!!

てめえは本物のゲス野郎だな!!

まあお前には「恥」なんて観念はないだろうよ

ヒトサマの本名とメアド晒すような犯罪者だもんな

てめえは屍亡癡狗、膓賎塵以下の最低の屑だ!!

反論も出来ねえんなら大人しく賎ズリこいて

妄言エントリ並べてりゃいいんだよ!!

端から荒らしまくってやるから安心しな(笑
Posted by at 2007年08月31日 00:04
       ☆ チン            
 ☆ チン  〃 ∧_∧   /癡所の右翼討伐人チャソ
  ヽ ___\(\・∀・)<2チ ヤ ソ ネ ルで他人のメ ア ド晒した謝罪まだー ?
      \_/⊂ ⊂_)_ \____________
    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
   |  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:|  |
   | H A N 板人  .|/
数万円もする研究室の実験器具を壊した事を隠蔽しようとした癖に自からHAN板でバラして罵倒嘲笑を浴びた。

他人のメ ア ドを本人の許可無くHAN板で晒し、スレ住人にたしなめられたが開き直って削除依頼もせず逃走した。

2TIYANNELUの理系板で日本軍悪口雑言板スレ立てをして沈着冷静、頭脳明晰な住人の罵倒嘲笑を浴びた。

2TIYANNELUの海旅板で日本の加害情報求む等と馬鹿なスレ立てをして総スカンを喰らった挙げ句スレストされた。

HAN板で(さば)を(こい)と読んで無知文盲がばれて祭りになった。

理系大学の学生でありながら本を買ったのがたった二冊だけだと平然とほざいてHAN板でスレ住人にあきれられた。

南京大虐殺問題で妄言ほざいたが博覧強記のHAN板住人に全く歯が立たず泣き言を吐いて逃走した。

HAN板で意気揚々とソースに「半月城通信」を引用して大爆笑になった。

自分の専門分野について質問された時に錬金術の如き化学反応式を並べて文系住人さえ絶句させた。

鬼女板と恐れられる既婚女性板にカキコして百戦錬磨一騎当千の鬼女板住人に粉砕されて逆上、「お前らなんて一生結婚出来ないぞ!!」と
既婚女性板住人が化石するしかない捨て台詞を吐いて逃走した。

就職の面接で担当者が一文字姓だった為、勝手に在日朝鮮人と決めつけ、得意満面でこの自慰ブログの如き電波左翼妄言を吐いて見事に落ちた。

民団の掲示版に日本の悪口を書いて賛同を求めたが逆に門前払いを喰らって唖然とする程の癡所ぶりをオチされて侮蔑と嘲笑を浴びた。
Posted by at 2007年10月08日 03:31
       ☆ チン            
 ☆ チン  〃 ∧_∧   /癡所の右翼討伐人チャソ
  ヽ ___\(\・∀・)<2チ ヤ ソ ネ ルで他人のメ ア ド晒した謝罪まだー ?
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数万円もする研究室の実験器具を壊した事を隠蔽しようとした癖に自からHAN板でバラして罵倒嘲笑を浴びた。

他人のメ ア ドを本人の許可無くHAN板で晒し、スレ住人にたしなめられたが開き直って削除依頼もせず逃走した。

2TIYANNELUの理系板で日本軍悪口雑言板スレ立てをして沈着冷静、頭脳明晰な住人の罵倒嘲笑を浴びた。

2TIYANNELUの海旅板で日本の加害情報求む等と馬鹿なスレ立てをして総スカンを喰らった挙げ句スレストされた。

HAN板で(さば)を(こい)と読んで無知文盲がばれて祭りになった。

理系大学の学生でありながら本を買ったのがたった二冊だけだと平然とほざいてHAN板でスレ住人にあきれられた。

南京大虐殺問題で妄言ほざいたが博覧強記のHAN板住人に全く歯が立たず泣き言を吐いて逃走した。

HAN板で意気揚々とソースに「半月城通信」を引用して大爆笑になった。

自分の専門分野について質問された時に錬金術の如き化学反応式を並べて文系住人さえ絶句させた。

鬼女板と恐れられる既婚女性板にカキコして百戦錬磨一騎当千の鬼女板住人に粉砕されて逆上、「お前らなんて一生結婚出来ないぞ!!」と
既婚女性板住人が化石するしかない捨て台詞を吐いて逃走した。

就職の面接で担当者が一文字姓だった為、勝手に在日朝鮮人と決めつけ、得意満面でこの自慰ブログの如き電波左翼妄言を吐いて見事に落ちた。

民団の掲示版に日本の悪口を書いて賛同を求めたが逆に門前払いを喰らって唖然とする程の癡所ぶりをオチされて侮蔑と嘲笑を浴びた。
Posted by at 2007年10月16日 23:34
 過去ログを当たっていたら、第一コメントに私の名があった。何だ?この「いかにも」な文体は?
ちょっと待ってくれ!私はグアムにしろ、どこにしろ「海外旅行」なんてしたことは無いぞ!
 本物の懐疑主義者としては、このなりすましを見過ごす事は出来ないな。
 後な、私が討伐人さんを応援するなんて『事は絶対に無いからな!!!!!!』いいな?
 
 Posted by at2007年08月31日00:04さんへ。
なりすましを見破って頂いて有難う。感謝です。
困ったものです。討伐人さんには。人のコテ使わずに、自分のコテ使えば良い。別名の「討伐人ファン」でも宜しい。
 本当に汚い人ですな!討伐人と言う人はっ!
呆れ果ててもう怒る気すら生じない・・・。
  こんなことしてるから、「池沼」等と言われるのですよ。あなたは私を「新右翼」と言ったのだから、その人のコテを使うと言うことは、「討伐人は右翼だ」となるがそれで良いな?
 私は改心するつもりも無いし、ましてや「日帝悪」なるものの追及・批判をすることは絶対にないからな。寧ろこの国に対して(口はばったい様だが)「愛国心」を持っている。そこを理解せよ!討伐人さんよ!解ったか?討伐人とやら。
    では、これにて。
Posted by 懐疑主義者 at 2007年11月17日 13:16
情けない成り済まし!
よっぽど応援される自信がないんだなw

懐疑主義者さんに謝れゲス!
Posted by A士 at 2009年02月09日 20:36
世宗代に開発された「神機箭」は、文宗が「火車」を製作し、大量に発射できるようにした。火薬の力を借りて自分で敵陣に飛んでいくよう考案されたこの新兵器は、空中で煙を噴出し、敵に恐怖感を与え、敵陣を撃破した。19世紀の西欧のロケットと比較しても、遜色ない技術だ。

 戦争記念館の学芸研究員だった著者は、「朝鮮中期までの先端兵器は、科学の面と威力の面で決して世界的水準に劣るものではなかった」と語る。しかし朝鮮中期以後、党派間の対立が激しくなるにつれ兵器開発の努力は鈍り、革新的な技術は現代に継承されなかった、と指摘する。

 高麗末期の崔茂宣(チェ・ムソso)以来発展させてきた火砲の製造技術から、韓国のけん銃のはしりといえる「細銃筒」、朝鮮最高の戦艦だった「板屋船」、朝鮮の最も特徴的な火器だった「飛撃震天雷」…。高句麗から朝鮮まで、それぞれの時代を代表する伝統の兵器が列伝形式で紹介されている。兵器ごとに、誕生の過程やその時代的背景、戦争のエピソードなどが写真と共に収められており、気軽に読める。戦争と兵器という窓を通じ歴史を覗いてみることで、韓国が外国勢力に立ち向かい国を守ってきた力がどこにあったのかを、改めて理解することになる。

ホ・ユnヒ記者

また、基地外妄想のbakatiyonかww

          __
        /  ../)
        三三)/)
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/  ../) こうだったハズnida゙♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ かんしゃく起こるnida!
   ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧     __
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ‖ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐'    `ー‐' uriらは、こうだったに違いないnida!
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三三)/)     /  ../)     〃∩ ∧_∧ウeーハhaハ♪
三三)/)     三三)/)     ⊂⌒< `∀´>
三三)/      三三)/       `ヽ_っ⌒/⌒c

Posted by 【書籍】 「神機箭」や「飛撃震天雷」、韓国が国を守った兵器を紹介〜『火炎朝鮮』pあク・ジeグァn著 at 2009年02月09日 21:24
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