木村氏は農場で過ごすも、西方への憧れをいだいていた。あるとき、張家国に休暇旅行に出かけ、彼の上司にあたる善隣協会理事の中沢達吉氏と昼食にでかけた。仕事のことだけでなく、21歳も間近にせまり、兵隊にとられる可能性について話すためだ。高級和食レストランの2階の畳部屋で日本大使館調査室長の次木一氏に出会う。次木氏はモンゴルにおける特務活動の統括者であり、2.26事件のつわものであった。戦争の初期段階にあって、連戦連勝を重ねて全盛期にあった時期であった。日本軍が広範囲に侵略の手を広げようとしていたことを示す記述をp42〜43より抜粋する。
昼食後、私の存在は多かれ少なかれ忘れ去られたようだった。当時の私はたったの20歳、二日酔いの辮髪の若者にすぎず、畳の上で日本酒を飲みながら、自分には雲の上の人とも思える実力者2人の高度な会話を耳にしているだけで十分幸せであった。当時の次木氏は仕事に忙殺されていた。戦争の初期段階は日本軍は予想以上の勝利を重ねており、情報活動は時代からとり残されていた。今では日本軍は外モンゴルや中国の西部、はてはチベットにまで興味を示すようになっていた。フフホト(厚和)では研究センターとともに「新疆回教作戦」が動きだし、地元の特務員を募って、キャラバン隊のルートぞいに送り込んでいた。一方ビルマでも「チベット作戦」があわただしく開始されていた。噂によるとダライ・ラマ13世の篤い信頼をかちえたこともある青木文教(今や半分伝説の人となりつつあった)がこの作戦に協力したという。
外モンゴル、チベット、新疆にまで日本軍は目をつけていたのである。
一応、このときの話題は日本が秘密戦争で見事な一撃を加えたことに終始したようである。この時期、日本はベンガル人の独立闘士スババ・チャンドラ・ボースの協力をとりつけることに成功し、さらにインドから英国を駆逐するためにマレーシア、シンガポール、香港、ビルマで捕虜になったインド人兵士を組織して「インド国民軍」を編成しつつあるという。次木氏は自ら関わる作戦にこれに匹敵するような成功がないことを嘆いていたようだ。
その後、木村氏はフフホト(厚和)で徴兵検査を受ける。その結果は甲ではなく、第一乙に分類された。木村氏にとっては最悪な状況で、誰一人望んでいない種羊の無為に育てながら待機させられる可能性が高いからだ。ところが著者は少々ついていたようである。p45より
私の生活ぶりを知った面接官は感銘を受けたようだった。どうやらこの期間に面接した徴収兵の中でみこみがありそうな者は草原に住む私だけだったようで、面接官は私がまことに有益な仕事をしており、兵士になるより効果的に国に奉仕しているとの言葉をもたらした。もちろん私は自分の労働の成果のたどる悲しい運命など口にしなかった。だが仮に面接官がそのことを知っていても、同時期に面接したものとは対照的にスパルタ式生活をおくっていることを認めてくれたに違いない。今から考えると、1943年1月に「第一乙、公平の八番なれど入営におよばず」という秘密の電報をもらったのもこの面接官の影の力があったからではないか。私は欣喜雀躍し、西北行に再度志願した。
木村氏の言語および異民族と交わる才能は尋常だはなかったようだ。草原に住んで、日々モンゴル語と触れ合い、スパルタ式の厳しい生活に耐えて、特務員(スパイ)の任務に耐えうる人物は面接官の受け持つ中では木村氏ただひとりだったのである。
1943年9月に張家口に呼び出されることになる。次木氏の上司にあたる安木偉久太氏と木村氏は話をした。一年以内に帰還すると言う条件と日本大使館に雇われる形で西北行きを許可された。その後、著者らは準備をはじめることになる。ところで、また当時の日本の腐敗を示す記述があるのだが、p49より引用
後になるまで知らなかったのだが、その間に大使館の役人のあるものが私服を肥やすためにこの西北行を利用しようとたくらみ、ためには旅はさらに危険なものになっていた。彼らは道ぞいにもっと現地の特務員を送り込んでおいたほうがいいと主張し、特務員の訓練と維持費の口実で金を引き出し、その大半を着服したのであった。こうした不運な「特務員」たちはろくな準備もなしに送り込まれ、少なくともそのうちひとりは国境地帯の日本の特務機関の役人に捕まり、私を待ちうけていることが認められるまで拷問を受けるはめになった。
この記述も当時の大日本帝国というものが骨の髄まで腐敗していたのである。現在でも外交機密費の問題や外交官による莫大な公費のプールなどが行われているが、現在の日本政府は大日本帝国時代と体質は変わっていなと思う。
いよいよ木村氏は西北行きへ出発することになる。メンバーはダンザンハイロブことダンザンとその妻ツェレンツォー(ダンザン夫妻)と木村氏である。ダンザン夫妻が身のまわりをできるように実験農場にたちよったり、最後の支持を仰ぐために次木氏を待ったことで数週間足止めをくった。次木氏の指示は、道筋に派遣してある現場の特務員を利用して機会をのがさず報告書を送れ、であった。一旦新疆ウイグルに着いたら、「隠れスパイ」(スリーパー)として現地を収集して、日本軍が威風堂々と到着するというのを待つというもの。そのことは大日本帝国が明確に新疆ウイグル侵略を狙っていることを示すものである。最終的に出発できたのは1943年の10月末のこと。しかしこの頃太平洋のガダルカナルでは大敗北していたのだ。とりあえず、国境を突破し、寧夏省に入り、青海省のクンブム僧院を木村氏らはめざすことになった。
ところで若干西北行きを補足しておけば、木村氏には2つの目的があって、ひとつはモンゴル民族や西北地方へのあこがれというべき知的要求、もう一つは、戦時下の青年として、西北援蒋ルートを探るという国家的忠誠心に基づくものである。(注:南方援蒋ルートはビルマを日本軍が占領したこと、もうひとつはチベット政府が中立政策をとったため、チベット経由のルートが開けなかったことにより事実上消滅した。蒋援ルートは新疆ウイグル(西北地区)を通ってのソ連ルートのみである。また西北地方は共産党根拠地の延安があり、そういった意味でも日本軍にとって戦略的に重要であると思われる)。後者についてはチベット偽装の十年 木村肥佐生著 スコットベリー編 三浦順子訳にみる日帝悪part2http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13210164.htmlで示したとおり、ばりばりの愛国青年であり、そういうあこがれがあっても国家的忠誠心を忘れることがなかったのである。とりあえずpart7を終了し、続きはpart8で




大変面白そうな本ですね。私もその存在は知っていますが、まだ読んでおりませんでしたのでとても参考になりました。
その本にもあります、第二次大戦中の大日本帝国と新疆ウイグルの関係は研究者の方が調べてレポートされております。ご参考までに。
http://www.uighur.jp/jp/wiki.cgi?page=essay2004b
私は新疆ウイグル自治区に関するブログをやっておりますのでおひまでしたらおいでください。
☆ チン 〃 ∧_∧ /癡所の右翼討伐人チャソ
ヽ ___\(\・∀・)<2チ ヤ ソ ネ ルで他人のメ ア ド晒した謝罪まだー ?
\_/⊂ ⊂_)_ \____________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
|  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:| |
| H A N 板人 .|/
数万円もする研究室の実験器具を壊した事を隠蔽しようとした癖に自からHAN板でバラして罵倒嘲笑を浴びた。
他人のメ ア ドを本人の許可無くHAN板で晒し、スレ住人にたしなめられたが開き直って削除依頼もせず逃走した。
2TIYANNELUの理系板で日本軍悪口雑言板スレ立てをして沈着冷静、頭脳明晰な住人の罵倒嘲笑を浴びた。
2TIYANNELUの海旅板で日本の加害情報求む等と馬鹿なスレ立てをして総スカンを喰らった挙げ句スレストされた。
HAN板で(さば)を(こい)と読んで無知文盲がばれて祭りになった。
理系大学の学生でありながら本を買ったのがたった二冊だけだと平然とほざいてHAN板でスレ住人にあきれられた。
南京大虐殺問題で妄言ほざいたが博覧強記のHAN板住人に全く歯が立たず泣き言を吐いて逃走した。
HAN板で意気揚々とソースに「半月城通信」を引用して大爆笑になった。
自分の専門分野について質問された時に錬金術の如き化学反応式を並べて文系住人さえ絶句させた。
鬼女板と恐れられる既婚女性板にカキコして百戦錬磨一騎当千の鬼女板住人に粉砕されて逆上、「お前らなんて一生結婚出来ないぞ!!」と
既婚女性板住人が化石するしかない捨て台詞を吐いて逃走した。
就職の面接で担当者が一文字姓だった為、勝手に在日朝鮮人と決めつけ、得意満面でこの自慰ブログの如き電波左翼妄言を吐いて見事に落ちた。
民団の掲示版に日本の悪口を書いて賛同を求めたが逆に門前払いを喰らって唖然とする程の癡所ぶりをオチされて侮蔑と嘲笑を浴びた。
何故ならば、痴藷烏討伐人は自分を除外して考えているからである。「自虐」というのは文字通り自分や自分を含めた集団を指す概念であるが、
このような考え方を行う人たちは形式的には「日本人」という集団の一構成員として「反省」したり「謝罪」したりするものの、
本心では自分はその構成員ではないと考えている。
仮に、本当に自虐的で何にも心を痛める人なのであれば、日本軍の「悪事」についてのみならず、
自分や自分が属する会社及び集団などの「悪事」についても言い訳をせず、反省・謝罪をするはずである。しかしながら、現実はそうではない。
例えば、朝日新聞販売店の従業員が犯罪を犯した場合は、「弊社と取引関係のある販売店の従業員が
このような犯罪を犯したことは真に遺憾であり云々」と、自社とは関係がないことを強調する。
社民党も又市幹事長の女性スキャンダルに関して、「全くの事実無根でわが党に対する誹謗中傷するための云々」と防衛体制に入る。
ここには、自虐的な傾向は全く見られない。彼が本当に自虐的ならば、いかなる言いがかりであろうと「全部自分が悪いんです。
申し訳ございません。生まれてすみません」的な対応が見られるはずである。しかしそのような対応は全く見られない。
ところが、日本の「悪事」となると、捏造・隠蔽・拡大解釈・誇張などあらゆる手法を駆使して日本を責め立てる。
しかも、「日本人として」反省したりお詫びしたりする。ここが非常に厄介な部分である。
何せ、「お前いい加減なことを言うな。証拠を出せ」という主張が効かない。
「日本人として」勝手に相手側の立証責任を免除しちゃうからである。また、「名誉毀損だ」という主張も無効である。
「日本人として」日本を悪く言ってるだけなのだから、「自らの名誉を放棄して何が悪い」となるのである。
しかし、何となくモヤモヤする。腑に落ちない部分がある。これは、形式と実質を分離して考えることでスッキリする。
通常は形式と実質は一致しているので、何ら問題にならない。
例えば、又市幹事長は社民党の党員・幹部という肩書きを持っており(形式の問題)
自らも組織の一員として行動している(実質の問題)。
このように形式と実質が一致している場合には、又市幹事長及び社民党に対して何らかの不利益が生じる可能性が出ると防衛体制に入る。
ところが、又市幹事長は日本の国籍を持っているし「日本人として」と発言する(形式の問題)が
本音では「日本人」とは思っていない(実質の問題)。
じゃあ痴藷烏討伐人は自分を何だと考えているかと言うと、
「正 義 の 日 本 人 」と い う カ テ ゴ リ ー に 属 す る 人 間 だ と 考 え て い る の で あ る。
日本人を悪と正義に分けた上で、自分は正義の側に立つと考えている。
正義と言うカテゴリーに属する人間が悪と言うカテゴリーに属するを非難しているのだから、自分は痛くも痒くもない。
痛くも痒くもないので「関与」という抽象的な言葉で責任を追及するし、「犯罪をしていない証拠を出せ」という無茶な注文も付ける。
しかし、「自分は正義のカテゴリーに属する人間だ」とは明言しない(良識派という言葉にこれが現れるが)。
「同じ日本人として反省します」とは言うものの、実態は「他人」を批判しているだけ。
しかも、「他人」を批判すればするほど自分の相対的な正義度がアップするので、これはとてつもない快感を生み出す。
これはいわゆる差別と構造的に全く同じことが分かる。
「あいつは被差別部落の者で卑しい身分だ」と言い立てることで、自分の相対的な優位性を確認し安心する。
「あいつは戦争を反省しない悪い日本人だ」と言い立てることで、自分の相対的な正義度を高める。本質は何にも変わらない。
しかし、ただ一つ違うことがある。
被差別部落の者は形式的にも実質的にも被差別部落の人間であり、また同じように被差別部落以外の者は
形式的にも実質的にも被差別部落に属さない人間である。
つまり、部落以外の人間が部落の人間を悪く言っていると言う構造が、誰の目にもに明らかなのである。
従って、被差別部落の立場からは「俺たちを差別するな」という声が有効となる。
一方で「自虐史観」の場合は、外形的にはあたかも日本人が反省しているというように見える。
しかし、実質的には「全部あいつが悪いんです。私は悪くありません。『関与』したので責任があるのは間違いありません。
言い訳はさせません。私が封じ込めます。だから、私は悪くありません」という類の話であり、自虐でもなんでもない。
こういうのは、単に「なすりつけ」という。
これは、構造的には部落差別と全く同じ話なのであるが、形式的には「日本人が日本人として反省している」だけなのだから、
差別として捉えられないところにタチの悪さがある。「てめえ証拠も無いのにふざけたことを言ってるんじゃねえ!」と言おうものなら、
「日本人が一人の日本人として反省することの何がいけないのでしょうか」とのたまう。
しかし、これが本心でないことは既に述べた通り。
こういった問題を「自虐史観」と表現することは形式に着目したモノであって、本質を表現しているとは言いがたい。
実は、そこに日本人の陰湿な差別意識が隠れているわけであり、「差別反対!!」とうるさい
痴藷烏討伐人ほど実は一番差別的な人間なのである。そこで、これを痴藷烏討伐人に自覚させるために、
今後は「歴史問題における差別的なすりつけ解釈」と呼ぶことにしたい。
少々長ったらしいのでもう少し短い言葉があればいいのだけど、代わりの言葉が見つかるまでは、
「歴史問題における差別的なすりつけ解釈」もしくは「差別的なすりつけ解釈」という用語を使用したい。
差別問題で痴藷烏討伐人がよく言うセリフに、「差別問題は、差別される側がどう感じるかの問題だ」というものがある。
従って、痴藷烏討伐人に「我々は差別などしていない」などという言い訳は通用しない。
痴藷烏討伐人こそが一番の差別主義者であることを自覚させなければならない。