2008年08月17日

インドネシア:マルク州西南東マルク県セラル島リンガット村における日本軍

インドネシア文化宮さんのところで読めます。
マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html
 マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_10.html
マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_9.html
マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_8.html
マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_7.html
マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_6.html
マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluk (3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_5.html
マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_4.html
マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_3.html
タニンバル島謎の石階段(Tangga Batu, Tanimbar, MTB, Maluk)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200805/article_5.html
タニンバル島謎の石船No.2(Kapal Batu, Tanimbar MTB) No.2
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200805/article_4.html
タニンバル島謎の石船(Kapal Batu, Tanimbar MTB) No.1
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200805/article_3.html
戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_6.html

一見、夢溢れるバカンスの南の島という感じもしないではないですが、とてつもない悲劇の歴史の傷跡を背負う島なのです。右翼連中は都合の悪いことをみない機能的文盲連中ばかりなので、それらの中から日本軍の占領や日本の戦争・戦後責任に関するところを中心に抜粋していきたいと思います。

戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_6.htmlより
終戦記念日の前日(2007.8.14)、マルク州西南東マルク県のセラル島のレミャン海岸に立った。ここは、日本軍が連合軍と対峙した、正真正銘、“最前線”だった。南の方角にはオーストラリアのダーウィンが位置する。レミャン海岸に夜間上陸した日本部隊は、陸路、東海岸に面するリンガット村に進駐した。リンガット村で、“戦後”が訪れていないことを実感した。陸地、海岸、そして海中に投棄された多量の弾薬と兵器。「村は破壊され、連合軍の爆撃で約200名の村人が死亡した。そして村のおよそ50名の若い女性が慰安婦として強制的に性の奴隷となった」と、現村長のユスフ・サンボヌさん。
これが悲劇の概要です。未だに戦後が訪れていない日本軍の被害にあった地域がたくさんあるという事実を理解すべきですね。

リンガット村のユスフ村長。「私たちに戦後は未だ来ていない。戦後賠償ができないことは分かっている。しかし、日本軍の最前線として、強制的に協力させられた村のことを少しでも思い出して欲しい」
被害を受けた側の人間が「日本は戦後賠償できないということができないということは分かっている」という現実、胸が張り裂けるほど痛いです。
マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_3.html
悲劇の舞台である西南東マルク県のあらましについて書かれています。地理的なことからアラブ人に支配されていたところから香料を求めてヨーロッパ勢力がやってくるまでの概要など、そして東ティモールとオーストラリアと関係を結んで経済を引き立てようとするような計画のことまで書かれています。で、日本軍に関するところは

タニンバル諸島は、かつて太平洋戦争の時代、日本軍にとって、連合国と対峙する“最前線”と位置づけられていた。このため、今日のMTB県の主要な島に、その地元住民数並びに農水産能力とは不釣り合いな規模の日本兵が駐屯した。また、日本軍の“最前線”はそのまま連合国軍の“最前線”をも意味し、その結果、海上・航空能力で優った連合国軍の攻撃を受け、多数の地元住民もその犠牲者となった歴史がある。疑心暗鬼が軍と住民双方に生まれやすい緊張感に包まれた最前線。この結果、後述するが、日本軍による地元住民の大規模虐殺事件もMTB県の一角であるババル(Babar)島で起きている。
の部分です。
マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_7.htmlより

セラル(Selaru)島は日本軍の最前線だった。リンガット(Lingat)村にたくさんの日本兵がいた。もちろんタニンバル諸島の各地にも駐屯していたがね。終戦後、日本軍の弾薬や機材は全て海に捨てられた。まだ、それらは海の中に残っている。一方で、当時最新のトラックなどは陸上に残していった。日本軍兵士による虐待は、それは酷いものだった。多くの女性が慰安婦にさせられた」---マルク州MTB(西南東マルク・Maluk Tenggara Barat)県の現県知事で、セラル島出身のビット・テマール(Bitto S Temmar)さんが語る。
「当時、私の父はセラル島のナムタブン(Namtabun)村の村長だったが、日本軍から村の若い女性をサムラキ(Saumlaki)へ送れと。そこで、父はお婆さんを送ったんだね。そしたら、怒った日本兵は、父の指の間に鉄棒を挟んで縛り上げたそうだ。父の世代は、私たち次の世代にそれらの話を伝え、そしてトラウマは引き継がれた。なんでも日本は戦後賠償をしたそうだが、それらの賠償金はすべてジャカルタへ行ってしまった。地方には何も来なかった。是非、日本政府に伝えてほしい。私たちは何も謝罪を要求するつもりは毛頭ない。私たちが言いたいのは、突然やってきて、突然去っていった中で起きた事に関して、少なくとも戦後に関心を払ってくれても良かったのではないかということです。言い換えれば、社会のリハビリに対する可能な援助をしてくれないか、ということです。ここは“忘れられた島々(Forgotten Islands)”とも言われる地域ですが、“忘れられない出来事”があるのです」と。
また、戦争の賠償金や謝罪は要求しないと被害地域の住民に言わせている。戦後のことだけにでも関心を払ってくれと。私からすれば悲しいですね。ここの文で重要なのが、やはり慰安婦(性奴隷)の徴収に日本軍が関与していて、村の有力者に若い女性を慰安所に送れと強制していたところ。軍の関与がなかったとか、軍の強制はなく自発的なものだったと嘘の上塗りとセカンドレイプを続ける右翼勢力はとっとと死ねって。
インドネシアが独立して60数年。電気が入っていないばかりか、灯油の入手にも苦労するセラル島。小学校を卒業すると、村に残る以外に選択肢のない現状。テマール県知事は言う。「お金のことは二の次の問題です。まずは、思い、関心を持って欲しいということです。私が知っている限り、戦後、旧日本兵がセラル島を再訪したことはありません。私は、その昔セラル島に居ざるを得なかった、そうした旧日本兵たちが、あるいはその子孫たちがやってきて、今の世代と友好を築き上げて欲しいと願っています。援助ではなくても、旧日本兵の孫の世代が、この島に投資をしてくれないだろうか。例えば、電気の問題でいえば、太陽光発電などの技術を持ってきてくれると大変嬉しい。あるいは、貧しい家庭の子供たちに奨学金を出してくれるとか、あるいは優秀な生徒を日本へ留学させてくれてもいい。終戦時、他の地域では、恨みから日本軍が攻撃を受けたこともありますが、この県の中で、セラル島やその他の島々にいた日本兵は、皆無事に祖国へ帰ることができました。そればかりか、実の兄は、日本兵に養子縁組される直前まで親密な間柄だった。時代が残虐性をもたらしたが、一時期とはいえ、日本人と地元民との間に、うまくは表現できないが、普通では考えられない友好や友情があったことも事実です」

サムラキ市内で、日本軍支配時代を知る少なくない人々から「セラル島は、今の県知事もそこの出身であることからも分かるが、勤勉で高いディシプリンを持った住民が多い。それは、日本軍が残したものであることは間違いない」との話を聞いた。連合軍と対峙する、正真正銘の“最前線”であったセラル島。サムラキから40馬力のエンジン2基装備のボートで出発。ヌス・タブン(Nus Tabun)島とマトゥクス(Matkus)島の間を抜けて、アンワール・マス(Angwar Mas)島を右手の見ながら約2時間。セラル島の中央付近のくびれ部分の北岸にある白浜(レミャン海岸)に到着。そこで、オジェック(オートバイタクシー)が来るのを待つ。浜の沖合、そして陸上の到る所に、日本軍が投棄した弾薬や機材が眠っているという。
多大な苦痛を与えたのにも関わらず、誰一人やってこない無事に祖国に帰れた元日本兵。過去の侵略・加害について無関心で、そういう小さな島一つの過去の出来事すら関心を向けようとしない日本政府。十分に戦争犯罪を裁ききれず、戦争責任の精算ができないまま大日本帝国の残滓が温存されたままの日本社会、大変腹立たしいものです。
レミャン海岸から十数メートルの場所には未だに旧日本軍が投棄した弾薬や機材が眠る。ここは、掘り返された跡。地元民によれば、アンボンで宗教抗争が激しかった頃、手製爆弾を作るための材料として、この場に埋まっていた弾薬などが持ち去られたという。連合国との戦いの最前線に蓄積された日本軍の弾薬が、半世紀以上も経て活用されようと誰が想像できよう。レミャン海岸のずっと東に位置するナムタブン村では、2003年、沖合から打ち上げられた旧日本軍投棄の迫撃砲弾のような形をしたものを、魚料理の焚火の脚として使用し、爆発、二人の村人が亡くなった。いまだに“大東亜戦争”の遺物が村人を苦しめている
戦後不当に投機された日本軍の兵器類が今尚住民の前に現れては傷つけるという点で、中国で問題になっている日本軍の遺棄化学兵器の問題に似ていますね。マーシャル諸島のほうでもそういう事例があり、戦後補償裁判で取り上げられています。日本軍が占領時代に行った加害ばかりに目を向けることは大切ですが、不当に投機された兵器類が現れて現代も住民を傷つけているという現在に現れた加害にも目を向けていかなければなりません。

マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_8.html
セラル(Selaru)島のリンガット(Lingat)村。かつて日本軍の最前線部隊が駐留していた村だ。2007年8月時点での人口は453世帯で2,003名(女性1,017名&男性986名)。ユスフ・サンボヌ(Yusuf Sambonu)村長(36歳)が語る。
「日本軍の進駐で、この村は戦争の犠牲となった。遠い北からやってきた日本兵が、南のオーストラリアと対峙するために、ここを戦場に変えてしまった。島にはまったく関係のないよその国の問題なのに、村人は巻き込まれてしまった。連合軍の爆撃でたくさんの家屋が破壊され、焼かれた。日本兵による拷問で死んだ村人もいたが、少なくとも200名近くの村人が連合軍の爆撃に巻き込まれて亡くなった。村の墓を見てください。一目瞭然です。それから、村の若い女性たちが性暴力の犠牲者となった。その数は約50名。日本軍によって強制的に性の奉仕をさせられたのです」
リンガット村ではあの“先の不幸な大戦”が終わっていないような錯覚にとらわれる。到る所に“戦争”が残っている。日本から赤道を越え、5千キロ以上もの長旅をして運ばれてきた、日本軍の武器・装備が残骸となって視線に飛び込む。
「繰り返して言いますが、私たちは罪のない犠牲者です。人間としての威信を傷つけられた女性たち。そして意味のない軍票で強制労働に従事した男たち。傷はいまだに癒えていません。どうか、傷を癒してくれませんか。どのようにしたら傷が癒えて、私たち村人に、本当の戦後が来るのか、考えてもらいたいのです」とユスフ村長。
村長の悲痛の叫びが聞こえてくる。勝手にやってきて、最前線に関係のない村を巻き込んだ日本軍。て村の若い女性たちを集め、弄び、性奴隷にした罪や強制労働や拷問で村人を苦しめたこと、連合軍の爆撃に巻き込んで罪は許されるもんではない。その傷は今もなお癒えていない。このような悲痛な小さな村の叫びが右翼や日本政府に届く日は来るだろうか。
村では、旧日本軍が残した武器・装備などを一か所に集め『戦争博物館』を建設する計画を持っている。付近の珊瑚礁の海底や砂浜の地中に投棄された装備なども回収したい考えだが、多量の弾薬や武器も一緒に捨てられているため、その回収は困難だ。「戦後、一人として日本人がこの村に来たことはない。ただし、日本兵の血を引く村人はいますがね(笑)。日本軍にとって最前線だったこの地に戦争博物館ができ、そこで平和の尊さを感じることは大切なことだと思います。日本の方で、建設に協力してくれる人はいないでしょうか?」とユスフ村長。、
 取材中、乳飲み子を抱いた30代の女性が近づいてきた。「まだ生きているけれども、私の母エマは終戦間じかに、日本兵の“サノ”とアディテナお婆ちゃんとの間に生まれたの。だから私はサノの孫ね」と。
戦後、この島に来たのはこの記事の筆者一人だけだった。こういう小さい大日本帝国・日本軍の占領被害の現場にももっと着目して事実を掘り起こしていかないといけないと思います。

マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_9.html
日本軍によって“最前線”基地が築かれたため、連合国軍の爆撃で200名もの村人を失ったリンガット村(ユスフ村長談)。サンゴが作り出した真っ白な砂浜。そしてコバルトブルーの海。光景はまさに“南の楽園”のような、この美しい小島に、島の人口と比べて不相応な数の日本兵が駐留した。“日本軍支配時代”の残像がまだまだ生き続けているリンガット村。60数年前から時が止まってしまったかのような空気が流れている。日本の軍歌を昨日習ったかのように、見事な節で歌い上げる古老たち。一時期の駐留とはいえ、村の歴史は日本軍無しには語れない。家々の庭に置かれた旧日本軍の赤錆びた鉄の塊は、黙して語らないが、村人の心の髄に、あの大戦の記憶が刻み込まれている。あの戦争は未だ終わっていない、と言うユスフ村長の言葉には、入村儀式を経ることもなく、いわんや招待状も無しに突然村に進駐し、悲劇だけをもたらして、そして潮が引くように去って行った“日本”に対する積年の思いがある。

「2,003名のリンガット村を代表して“日本”にお願いしたいことがあります。まず第一に、家々の周囲用のレンガの柵を造るための援助は期待できないでしょうか。レンガとセメントの提供を受ければ、作業は村人が行います。次に、日本軍が残した物を集めた戦争博物館の建設に協力できないかということです。博物館と言っても、簡易なもので十分です。第三に、村の伝統・慣習ハウス(Rumah Adat Desa)を建ててくれないかということ。そして、第四に、およそ10kmの長さの海岸線の浸食を防止するために、何か防止装置のようなものを考えてくれないか。最後に、電気ですが、この村にも島の東端のアダウト(Adaut)から電線はきていますが、ほとんど機能していません。可能ならば2万ワット規模の発電機もしくは太陽光発電装置の援助はしていただけないでしょうか。あれやこれやお願いが多いのですが、私たちが戦後を迎えられるよう、そして村人があの戦争から真に癒されるように、是非とも願いを聞いて欲しいのです」---ユスフ村長からのメッセージだ。
悲しいながら要求が随分と小さめで、太陽光発電といったインフラ設備なのの未来のことが中心だ。ただし、その小さな要求すら耳を傾けようとしない日本政府。ただし、その要求だと日本の商社や外務省の喰いものにされるだけだと思う。過去の謝罪及び補償、並びに調査団の派遣や加害の全体像を明らかにし未来永劫に子孫代々に教育することを日本政府に誓わせるなどもっと過去を取り上げた大きい要求でなければならない。それが大日本帝国の残滓に病んだ日本社会に対する薬にもなる。そう考えると非常に残念でならない。

 マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_10.html
 日本軍が進駐した時8〜16歳だった今日のリンガット村の長老たちは、いまだ鮮明に当時のことを記憶している。以下は、彼らの証言。(注:但し、記憶内容は人によって異なり、必ずしも正確とは言えない部分もある。文中に引用した年月日や数値は、大多数が同意した発言内容と理解いただきたい)。

 まず、日本軍は1942年3月に、一大隊規模で、セラル島の北岸のレミャン海岸に夜間上陸した。そしてリンガット村を始め各村へ移動。リンガット村では教会を本部として使用した。(海軍か陸軍かは記憶が曖昧だが)ナカムラ部隊は、自転車、戦車、トラックなどの四輪車を持ち込んだ。
 リンガット村西方の滑走路は1942年に建設を開始、その年、日本軍機が飛んできた。建設には村人が強制労働で駆り出された。日本軍は直ちに学校を作り、日本語や君が代などの歌を教えた。村は、連合国軍の爆撃を何度か受け、200〜300名の村人が亡くなった。日本軍の軍医も、その爆撃で死んだ。彼の墓は今でも残っていると思う。
敗戦後、日本軍は1945年9月頃、島を去った。武器類は、この近辺で地中に埋めたり、焼いたりした。弾薬の多くは海中へ投棄した。レミャン海岸の海中と浜の地中には、たくさんの自転車、戦車、そして銃、迫撃弾、100kg爆弾などが捨てられた。リンガット村東方の北海岸の村ナムタブンでは、2003年、日本軍が残した、そういった弾薬類とは知らずに、迫撃砲弾のようなものを、村人が魚を焼くための焚火の脚として使用し、それが爆発して二人死んでしまった。
何年か前に、地中から日本軍が埋めていった鉄製の箱が見つかった。その中には、(日本語だから)読めないドキュメントが詰まっていた。しかし、ほとんど腐っていたため、保管せずに捨ててしまった。
リンガット村に駐留していた部隊は:「ニシハラ部隊」そして「ナカムラ部隊」だった。二人の部隊長以外で、まだ記憶している日本兵の氏名は:「ヒロハタ」、「サイキ」、「コタケ」、「ミソベ」、「イレシド(イシド?)」、「スギタ」、「オイダ」、「イケダ」、「サノ」など『上智アジア学』第10号(1992年)に掲載された「日本軍によるババル島住民虐殺覚え書き」(村井吉敬)によれば、第5師団(別名:鯉師団、司令部はケイ島のトゥアル)の歩兵第42聯隊(司令部タニンバル、リンガット?)の隊長は「西原修三大佐(43.7〜44.3.1)→吉川章大佐(44.3.1〜)」とある。現住民が言うところの「ニシハラ部隊」とはこの「西原修三大佐」指揮下の部隊と思われる。
以上、リンガット村へ日本軍が来たいきさつのまとめという感じですね。この記事には実際の占領時代経験者からインタビューをされています。その中から2人ほど抜粋

ウルバヌス・ランコラタットゥ(Urbanus Rangkoratat)さん(73歳)
@「日本軍が来た時はまだ子供だったから、日本軍が開校したSR(Sekolah Rakyat・国民学校)に3年通った。私の日本人の友人はタラダだった。私は何も仕事というようなものはしなかった。だって“kodomo(子供)”だったから。いつもいつも、タラダと遊んでばかりいた。SRの教師はインドネシアだった。歌は日本兵から習ったけれども」---と言うや、ガスパルさん同様に一気に歌い上げた。
見よ東海の空あけて 旭日高く輝けば 天地の正気溌剌と 希望は踊る大八洲 おお晴朗の朝雲に 聳ゆる富士の姿こそ 金甌無欠揺るぎなき わが日本の誇りなれ
『愛国行進曲』だ。「私は日本兵士が好きだった。なぜなら生活は悪くなかったし。。。」「しかし、父親は連合軍の空爆で死んだ。空爆ではこの村で300人近くが死んだ」
A「日本軍がいたために村人が失った財産を弁償してほしい」
ルカス・ララットマセ(Lukas Raratmasse)さん(75歳)
@「いわゆる苦力(クーリー)みたいな手伝いをした。主に魚獲りをした。でもある日、魚を隠したと誤解され、日本兵から叩かれたこともある。実際はそうじゃなくて日本兵のために保管していたのに」
A「村人が失った財産分の賠償金を支払ってもらいたい」
村長は日本政府に補償は求めないといいつつも、村人は失った財産の補償を求めているのです。その村の補償や謝罪の要求有無以前に、日本社会は補償だけではなく、謝罪にも被害の調査などの過去の清算に取り組む義務があるのです。セラル島のリンガット村のような小さなところを含めて、大日本帝国・日本軍が被害を与えた地域の隅々まで。現にそれだけのことをしても、未来永劫謝罪を続けても償いきれないほどのことをしたのだから。リンガット村をはじめとする広大な大東亜共栄圏の隅々に至るまで徹底的に血と屍のキリングフィールドの大地に変えていったのである。その蛮行は人類が地球上に誕生して以来、歴史上例のないものだったのだから。
さておいて、大日本帝国・日本軍の占領地域の戦争体験者の証言・オーラルヒストリーを集めることは即急に進めなければならない課題である。歴史上例のない大日本帝国という最厄(災厄)を未来永劫伝えていくために必要な作業である。私個人としては女性、とりわけ性暴力被害者のインタビューも聞きたかったところ。性奴隷以外に一個大隊もの日本軍が駐屯していたリンガット村で強姦事件はなかったのかとか、セラル島の他の村はどうか、他の島々はと気になるところである。一つ分かったことがある。やはり慰安婦の徴収に軍の関与があり、村長らに若い女性を集めさせて性奴隷にしていたという事実。当時の村長も女性たちを性暴力の被害者と捉えており、自発的に応募したとか、村人が集めて商売として自発的に女性を集めたとか嘘を上塗りを続ける奴はいい加減にしろと言いたい。

マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.htmlのババル島事件の話でも裏付けられていることである。
農産物やヤギなどの家畜といった食糧とともに、各村に対して兵士の性奉仕のための女性を供出するように割り当てている事実が明らかになっており、複数の地域にまたがていることも明らかになったのだから、嘘の上塗りは許しません。リンガット村のような小さなところを含めて隅々まで大日本帝国・日本軍の加害の事実が明らかにされ、謝罪や補償を含む過去精算が被害にあったすべての地域の隅々に至るまで、米粒一つ足りの穴を残さないほど徹底的に行われることを望みます。以上
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 15:18 | Comment(12) | TrackBack(0) | 各国民衆の大日本帝国侵略・戦争被害情報コーナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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          ヽ  ___\(・∀・ #) /\_/ <癡處齲の右翼討伐塵ちゃん♪
        チン    \_/⊂    つ    ‖  2 tiィヤんネル゙で他人サマのメァド サラシたシャザイまだー?
           / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|     ‖    
        |  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |   /|\
        |             |/

数万もする研究室の実験器具を壊した事を隠蔽しようと思った癖にテメエから h an 版で暴らして売渡(罵倒) 物笑いを受けた

h an 版で 他人のめえアドを本人の許可なくサラシしてスレ住人に糾弾されたが開き直ってさあくうじょおお依頼もしないで逃走した

2 チィヤァんネルの理科版で旧日本軍の悪口雑言をカキコして沈着冷情, 頭脳明細な住人の(売渡(罵倒)) 物笑いを受けた

2 チィヤァんネルは海外旅行版で日本の加害情報要求するなどあほらしいスレ縦をして総スカンを喰らい速攻でスレストになった

h an 版で(sあbあ)を(kおい)と読んで余りの鞭悶妄がばれて祭りになった

理科大学の学生ながら本を買ったことが2冊だけとほざいて h an 版でスレ住人を唖然とさせた

南京大虐殺問題で妄言ほざいたが博覧強記の h an 版住人に全然適う道理がなくて泣き言を残して逃走した

h an 版で得意気にソースに詐欺師の 「半月城通信」を引用して半月城のインチキさを知悉している住人の大爆笑を誘った

自分の専門分野に間して質問受けた時に錬金術ーみたいな化学反応式を曝して文科住人さえ絶句させた

鬼女版と恐ろしがられる既婚女性版におぅなにぃカキコをして百戦練磨、一騎当千の鬼女版住人に粉砕されて狼狽逆上
「お前たちは一生結婚することができない!!」と既婚女性版住人が化石するしかない捨てせりふを吐いて逃走した

就職の面接で担当者が一文字性だったから在日朝鮮人と決めつけて得意満面でこのsenzuriブログの如き電波左翼妄言を吐いて見事に落ちた

大学院をでても全く使い物にならず担当教授のお情けで研究室の派尻をやってかろうじて糊口を繋いだ

どこの版でも全く相手にされず遂に民団の掲示板に日本の悪口を書いて賛同を要求したが反対に門前払いを喰らって唖然とするほどの怒唖補さ加減をオチしていたh an 版住人の bubetuと物笑いを受けた

自分の風呂具でもまんまと縦読みにひっかかって物笑いを受けた

自分の風呂具の管理も満足にできず毎年12月31日に皆様の投稿をお待ちしています等という
うましかエントリを何時までも削除出来ず莫迦をさーら下

土地来るって自分の風呂具で自作時絵んを始めたが文体を帰る事も出来ない蜘獲悪苦れの為一発でばれた.
遂に他人の鏝を方って自分まnせえを始めたがそのことを厳しく球団されたとたんぴたりと辞めて失笑をかった

他人様を糞コテ呼ばわりした癖に自分の意見をいわず他のブログやHPをリンクするだけで相手を論破したと思い込む位のtisyouさ加減を糾弾され何も反論せずオナアアにいエントリを立て続けるtいえオく列振りをまたもya証明した

「類は友を呼ぶ」、「癡處齲と付き合うと癡處齲が伝染る」、という真理を鷹嘴(不条理日記)が癡處齲討伐人と同じく他人
のめえアドを本人の許可なくサラシしてをやらかしている事で実証した

鷹嘴(不条理日記)が癡處齲討伐人を凌ぐちぃえぇおくうぅれなのが「なめてます」コメント及び「高潔にして偉大なる俺様のsenzuriブログに都合の悪い事をカキコした奴はIPアドレス、サーらしてやんよ!!」コメントで判明した(w
Posted by 2 tiィヤんネル゙で他-人サマのメァド サラシたシャザイまだー? at 2008年08月17日 17:02
痴藷烏討伐人のような考え方は、従来は「自虐史観」と呼ばれていたが、実はこの言葉に違和感があった。
何故ならば、痴藷烏討伐人は自分を除外して考えているからである。「自虐」というのは文字通り自分や自分を含めた集団を指す概念であるが、このような考え方を行う痴藷烏は形式的には「日本人」という集団の一構成員として「反省」したり「謝罪」したりするものの、本心では自分はその構成員ではないと考えている。
仮に、本当に自虐的で何にも心を痛めるのであれば、日本軍の「悪事」についてのみならず、
自分や自分が属する会社及び集団などの「悪事」についても言い訳をせず、反省・謝罪をするはずである。しかしながら現実はそうではない。
例えば、朝日新聞販売店の従業員が犯罪を犯した場合は、「弊社と取引関係のある販売店の従業員がこのような犯罪を犯したことは真に遺憾であり云々」と、自社とは関係がないことを強調する。
社民党も又市幹事長の女性スキャンダルに関して、「全くの事実無根でわが党に対する誹謗中傷するための云々」と防衛体制に入る。
ここには、自虐的な傾向は全く見られない。彼が本当に自虐的ならば、いかなる言いがかりであろうと「全部自分が悪いんです。
申し訳ございません。生まれてすみません」的な対応が見られるはずである。しかしそのような対応は全く見られない。
ところが、日本の「悪事」となると、捏造・隠蔽・拡大解釈・誇張などあらゆる手法を駆使して日本を責め立てる。
しかも、「日本人として」反省したりお詫びしたりする。ここが非常に厄介な部分である。
何せ、「お前いい加減なことを言うな。証拠を出せ」という主張が効かない。
「日本人として」勝手に相手側の立証責任を免除しちゃうからである。また、「名誉毀損だ」という主張も無効である。
「日本人として」日本を悪く言ってるだけなのだから、「自らの名誉を放棄して何が悪い」となるのである。
しかし、何となくモヤモヤする。腑に落ちない部分がある。これは、形式と実質を分離して考えることでスッキリする。
通常は形式と実質は一致しているので、何ら問題にならない。
例えば、又市幹事長は社民党の党員・幹部という肩書きを持っており(形式の問題)
自らも組織の一員として行動している(実質の問題)。
このように形式と実質が一致している場合には、又市幹事長及び社民党に対して何らかの不利益が生じる可能性が出ると防衛体制に入る。
ところが、又市幹事長は日本の国籍を持っているし「日本人として」と発言する(形式の問題)が
本音では「日本人」とは思っていない(実質の問題)。
それでは痴藷烏討伐人は自分を如何なる存在だと考えているかと言うと、

「正 義 の 日 本 人 」 と い う カ テ ゴ リ ー に 属 す る 人 間 だ と 考 え て い る の で あ る。

日本人を悪と正義に分けた上で、甚だしくも滑稽な事に自分は正義の側に立つと考えている。
正義と言うカテゴリーに属する人間が悪と言うカテゴリーに属する人間を非難しているのだから、自分は痛くも痒くもない。
痛くも痒くもないので「関与」という抽象的な言葉で責任を追及するし、「犯罪をしていない証拠を出せ」という無茶な注文も付ける。
しかし、「自分は正義のカテゴリーに属する人間だ」とは明言しない(良識派という単語は使うが)。
「同じ日本人として反省します」とは言うものの、実態は「他人」を批判しているだけ。
しかも、「他人」を批判すればするほど自分の相対的な正義度がアップするので、これはとてつもない快感を生み出す。
これはいわゆる差別と構造的に全く同じことが分かる。
「あいつは被差別部落の者で卑しい身分だ」と言い立てることで、自分の相対的な優位性を確認し安心する。
「あいつは戦争を反省しない悪い日本人だ」と言い立てることで、自分の相対的な正義度を高める。本質は何にも変わらない。
しかし、ただ一つ違うことがある。
被差別部落の者は形式的にも実質的にも被差別部落の人間であり、また同じように被差別部落以外の者は
形式的にも実質的にも被差別部落に属さない人間である。
つまり、部落以外の人間が部落の人間を悪く言っていると言う構造が、誰の目にもに明らかなのである。
従って、被差別部落の立場からは「俺たちを差別するな」という声が有効となる。
一方で「自虐史観」の場合は、外形的にはあたかも日本人が反省しているというように見える。
しかし、実質的には「全部あいつが悪いんです。私は悪くありません。『関与』したので責任があるのは間違いありません。
言い訳はさせません。私が封じ込めます。だから、私は悪くありません」という類の話であり、自虐でもなんでもない。こういうのは、単に「なすりつけ」という。
これは、構造的には部落差別と全く同じ話なのであるが、形式的には「日本人が日本人として反省している」だけなのだから、
差別として捉えられないところにタチの悪さがある。「てめえ証拠も無いのにふざけたことを言ってるんじゃねえ!」と言おうものなら、
「日本人が一人の日本人として反省することの何がいけないのでしょうか」とのたまう。しかし、これが本心でないことは既に述べた通り。
こういった問題を「自虐史観」と表現することは形式に着目したモノであって、本質を表現しているとは言いがたい。
実は、そこに日本人の陰湿な差別意識が隠れているわけであり、「差別反対!!」と喚き散らす痴藷烏討伐人こそ実は一番差別的な人間なのである。そこで、これを痴藷烏討伐人に自覚させるために、
今後は「歴史問題における差別的なすりつけ解釈」と呼ぶことにしたい。
少々長いのでもう少し短い言葉があればいいのだけど、代わりの言葉が見つかるまでは、
「歴史問題における差別的なすりつけ解釈」もしくは「差別的なすりつけ解釈」という用語を使用したい。
 
差別問題で痴藷烏討伐人がよく言うセリフに、「差別問題は、差別される側がどう感じるかの問題だ」というものがある。
従って、痴藷烏討伐人に「我々は差別などしていない」などという言い訳は通用しない。
痴藷烏討伐人こそが一番の差別主義者であることを自覚させなければならない。
Posted by 痴藷烏討伐人こそが一番の差別主義者であることを自覚させなければならない。 at 2008年08月17日 17:08
あーはいはい。
毎度おなじみ反日ネタ発掘お疲れ様。
お前いつも日本は悪いことした悪いことしたって口ばっかじゃん!
そんなにインドネシアに申し訳ないと思うなら身体張ってその村の再建にでも行ってやれよ!
ウチの父ちゃんなんか家族の時間犠牲にしてインドネシアに水道引く仕事やってたんだぜ。普通のサラリーマンなら子供と遊ぶ時間も海外出張先で水道引く仕事やってたんだぜえ。給料は勿論日本人の血税のODAからだ。
ウチの父ちゃんは日本の威信を背負って家族の時間を犠牲にしても、アジアのインフラ設備に貢献してきたんだよ。お前が糞ブログ書いてる間も父ちゃんはモルドバやマケドニアで水道引く仕事やってるんだよ!
それを日本は何も償ってないだって?ふざけるな!
お前なんかよかウチの家族の方がよっぽどインドネシアに貢献してるわい。
悔しかったらADB(アジア国際開発銀行)の水道技師にでもなってインドネシアのインフラ事業にでも貢献してみろよ!
まあIQ138のウチの父親がようやく入れた組織に境界知能のお前が入れるかどうか甚だ怪しいものだけどねwwww
Posted by ♪ at 2008年08月18日 02:05
日本はアジアに悪いことした。という奴に限ってアジアのために何ひとつ貢献していないという現実。
ほらほらお前のことだよ!紆余狗討伐人!
Posted by ♪ at 2008年08月18日 02:20
お前アジアに一見同情的なこといっても、何ひとつアジアのためになることやってないよなー。
まあ正義の味方ヅラして常に上から目線って奴?
アジアに水道引いたことある?地雷の埋まってる場所で仕事したことある?人間の身体に卵生み付けるハエがブンブン飛んでるアフリカで仕事したことある?大統領が殺される物騒な国で仕事したことある?どーせどれもないんだろ?
ウチの父ちゃんは全部やってるぜぇ。当時小学生だった漏れも現地のニュースで大統領が暗殺されたって聞いて超ビックリしちゃった。殺された大統領の名前はたしか…ベニグノ・アキノとかいったっけ。

Posted by ♪ at 2008年08月18日 02:43
☆ チン ☆チン マチクタビレタ〜 ♪
           ♪
    ♪          ☆チン    .☆  ジャーン!マチクタビレタ〜!
        ☆ チン   〃  ∧_∧  ヽ/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          ヽ  ___\(・∀・ #) /\_/ <癡處齲の右翼討伐塵ちゃん♪
        チン    \_/⊂    つ    ‖  2 tiィヤんネル゙で他人サマのメァド サラシたシャザイまだー?
           / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|     ‖    
        |  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |   /|\
        |             |/

数万もする研究室の実験器具を壊した事を隠蔽しようと思った癖にテメエから h an 版で暴らして売渡(罵倒) 物笑いを受けた

h an 版で 他人のめえアドを本人の許可なくサラシしてスレ住人に糾弾されたが開き直ってさあくうじょおお依頼もしないで逃走した

2 チィヤァんネルの理科版で旧日本軍の悪口雑言をカキコして沈着冷情, 頭脳明細な住人の(売渡(罵倒)) 物笑いを受けた

2 チィヤァんネルは海外旅行版で日本の加害情報要求するなどあほらしいスレ縦をして総スカンを喰らい速攻でスレストになった

h an 版で(sあbあ)を(kおい)と読んで余りの鞭悶妄がばれて祭りになった

理科大学の学生ながら本を買ったことが2冊だけとほざいて h an 版でスレ住人を唖然とさせた

南京大虐殺問題で妄言ほざいたが博覧強記の h an 版住人に全然適う道理がなくて泣き言を残して逃走した

h an 版で得意気にソースに詐欺師の 「半月城通信」を引用して半月城のインチキさを知悉している住人の大爆笑を誘った

自分の専門分野に間して質問受けた時に錬金術ーみたいな化学反応式を曝して文科住人さえ絶句させた

鬼女版と恐ろしがられる既婚女性版におぅなにぃカキコをして百戦練磨、一騎当千の鬼女版住人に粉砕されて狼狽逆上
「お前たちは一生結婚することができない!!」と既婚女性版住人が化石するしかない捨てせりふを吐いて逃走した

就職の面接で担当者が一文字性だったから在日朝鮮人と決めつけて得意満面でこのsenzuriブログの如き電波左翼妄言を吐いて見事に落ちた

大学院をでても全く使い物にならず担当教授のお情けで研究室の派尻をやってかろうじて糊口を繋いだ

どこの版でも全く相手にされず遂に民団の掲示板に日本の悪口を書いて賛同を要求したが反対に門前払いを喰らって唖然とするほどの怒唖補さ加減をオチしていたh an 版住人の bubetuと物笑いを受けた

自分の風呂具でもまんまと縦読みにひっかかって物笑いを受けた

自分の風呂具の管理も満足にできず毎年12月31日に皆様の投稿をお待ちしています等という
うましかエントリを何時までも削除出来ず莫迦をさーら下

土地来るって自分の風呂具で自作時絵んを始めたが文体を帰る事も出来ない蜘獲悪苦れの為一発でばれた.
遂に他人の鏝を方って自分まnせえを始めたがそのことを厳しく球団されたとたんぴたりと辞めて失笑をかった

他人様を糞コテ呼ばわりした癖に自分の意見をいわず他のブログやHPをリンクするだけで相手を論破したと思い込む位のtisyouさ加減を糾弾され何も反論せずオナアアにいエントリを立て続けるtいえオく列振りをまたもya証明した

「類は友を呼ぶ」、「癡處齲と付き合うと癡處齲が伝染る」、という真理を鷹嘴(不条理日記)が癡處齲討伐人と同じく他人
のめえアドを本人の許可なくサラシしてをやらかしている事で実証した

鷹嘴(不条理日記)が癡處齲討伐人を凌ぐちぃえぇおくうぅれなのが「なめてます」コメント及び「高潔にして偉大なる俺様のsenzuriブログに都合の悪い事をカキコした奴はIPアドレス、サーらしてやんよ!!」コメントで判明した(w
Posted by 2 tiィヤんネル゙で他人サマのメァド サラシたシャザイまだー? at 2008年08月23日 21:02
       総合株価指数  前営業日比   出来高概算
大引け      1474.15   19.77安     2.12億株
高値        1503.74
安値        1473.00
前営業日終値  1490.25   11.86安     2.11億株
----------------------------------------------------------------------
 [ソウル 28日 ロイター] 28日のソウル株式市場は、続落して引けた。サムスン電子
などハイテク株が業績先行き懸念から売られ、下げを主導した。また現代自動車などが、
従業員がストライキを実施したことを受けて売られた。
 総合株価指数(KOSPI)終値は19.77ポイント(1.32%)安の1474.15と、終値
としては16カ月ぶりの安値を付けた。同指数は、5月中旬に付けた高値から22%下落
している。世界的な信用収縮、原油高、ウォン下落などを背景に、海外勢の売りが膨らん
でいるのが背景。
 タウラス・インベストメント・アンド・セキュリティーズの市場アナリスト、Lee Kyoung-su氏
は「ポジティブな米統計や米国株式市場の上昇にもかかわらず、ソウル市場は買い意欲
が乏しく、好転できない」と指摘、世界経済やクレジットへの懸念に加え、ウォン相場の
ボラタリティーが、投資家の心理を冷やしている、と述べた。
 27日に現代自動車や起亜自動車の組合員がストに入ったことを受け、自動車株が
下落。また現代自動車の米国でのリコール計画のニュースも、同社株を圧迫した。
現代自動車は2.88%安。起亜自動車は5.49%安。
 ウォン下落にもかかわらず、業績先行き懸念からハイテク株は軟調。サムスン電子
は1.7%安。ハイニックス半導体は3.03%安。
 LG電子(066570.KS: 株価, 企業情報, レポート)は2.36%安。
 ウォン下落による原材料の輸入コスト上昇懸念から、鉄鋼株も振るわず。また、
需要減退から鉄鋼製品の価格が下落するとの見方も重しとなっている。ポスコ
は1.49%安。現代製鉄も3.66%下げた。
 半面、大宇造船海洋は0.42%高で、2営業日連続の続伸。同社の50.4%株式
売却をめぐって、4社が関心を示していることが好材料視された。
 原油価格の上昇を受けて、航空株や観光株は圧迫された。大韓航空は1.66%安。
ハナ・ツアーは7.09%急落。

ロイター日本語版
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPnJS824489920080828
Posted by ばかちょんめつぼうカウントダウン中(w at 2008年08月28日 19:13
そんなこと書いている間にインドネシアのために何かすればいいじゃん
Posted by 宴花 at 2008年09月05日 18:48
【五輪野球】「独島を越えて対馬まで」〜李スそヨプHRで韓国・MBCの解説

22日、北京・五か松(かは木へんに果)野球場で行われた“2008北京オリンピック野球準決勝”で、6-2で日本に通快な勝利を収めた韓国チームの中継で、MBCのホ・グヨそ解説員の名解説が光った。

ホ・グヨン解説員は、決定的な瞬間ごとに深みのある解説を伝えたのはもちろん、真率で素朴な表現で視聴者の試合沒入を促して『小味』を効かせた。

以下は野球・韓日戦で光ったホ・グヨそ解説員の名言集。


○…「たじたじになってます」〜8回裏、カそ・ミそホの打席で日本の投手が動揺。

○…「アリガト佐藤」〜 8回裏、コ・ヨそミその大きな打球を日本のレフト佐藤が落球。

○…「独島を越えました、対馬島まで」〜8回裏、李スそヨプがホームランを打ち、「さすが李スsoヨプnida」など感激的なコメントと同時に。

○…「大韓民国のカso・ミンホです」〜8回裏、カso・ミンホのダメ押しの後、『ロッテのカso・ミンホ』から『大韓民国のカso・ミンホ』になった瞬間。

○…「これ以上の言葉はありません」〜試合終了後、イ・ヨsoギュなどの若い選手が喜ぶ場面を報告、「その意味は分かっている」との余韻を残して。

○…「楽しみになってきました」〜6-2の逆転後、我が国の選手が自分を称える姿を
見せて。

○…「何回見てもイイ」〜試合終了後、李スそヨプのホームラン場面を再び見て。

○…「日本を沈沒させました」〜6-2で試合終了後。

元記事
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=106&oid=111&aid=0000113276



こういうことになるのが分かっていたから絶対勝たなくてはいけなかったんだよ
(スポーツに政治を絡める(特に日本に対しては)民度なんだから
逆のことを日本の解説者が言ったら、fabyoって謝罪と賠償を求めてくるくせにね。)

しれっと次は対馬を強奪するとアナウンサーが言って、それを嬉々として取り上げる国。

万事がこの調子のちょうせそ目クラ禿び塵夢死
Posted by こういうことをへいぜんとほざくごみくずちょん at 2008年09月07日 12:37
朝鮮水軍の戦艦「海鶻船」描いた図画が初公開
http://www.chosunonline.com/article/20071209000018

 豊臣秀吉の朝鮮侵攻で李舜臣(イ・スソシソ)将軍の亀甲船が活躍してから150年
後に
建造された朝鮮水軍の戦艦は、ハトのような形をしていた!?

 朝鮮王朝後期の戦艦として、「朝鮮王朝実録」に記録されている「海鶻船」の姿を
描いた
図画が初めて公開された。「海鶻」とは、「海のハト」や「ハヤブサ」を意味する。
韓国古書協会のコ・チヤソソク元会長は、最近出版した『朝鮮水軍と海の遺物の図
録』
(チヤソボゴ刊)で、自ら所蔵している「海鶻船図」を公開した。

 18世紀に描かれたと推定されているこの図画では、「海鶻船」というタイトルの下
に描かれた
船の前の部分が鳥の頭のような形、また上の部分は鳥の羽に覆い隠されたような形に
なっている。
その下には「本板(床)の長さは7把(1把=10尺)5尺、後部の長さは9把3尺、幅は2
把5尺、
高さは2把1 尺。丁卯年(1747年と推定される)3月○日に建造に着手し、費用はコメ
80石6斗5合」
と記されており、全羅右道の公印が押されている。


http://file.chosunonline.com//article/2007/12/09/909617960895358596.jpg
1747年3月、全羅道右水営が作成したと推定される文書に収録されている、朝鮮水軍
の戦艦「海鶻船」の図。
/提供=コ・チヤソソク氏

 「朝鮮王朝実録」の英祖16年(1740年)6月18日の項目には、「全羅道左水使の田
雲祥
(チヨソ・ウソサソ)が海鶻船を建造した。船体は小さいが、軽くて速く、風に対す
る心配がない」
「(王は)統営と複数の道の水営に海鶻船を建造するよう命じた」と記録されてい
る。
また、22代国王・正祖の代(1776‐1800)に編さんされた『全羅道右水営誌』によれ
ば、
海鶻船には56人が乗ることができたという。学界では、秀吉の朝鮮侵攻当時の板屋船

比べ船体は小さいものの、運用しやすいため、中・小型の軍艦として活躍した、との
見解を示している。

 だが、これまで海鶻船の姿を描いた当時の資料は発見されていなかった。
100年後の1855年に編さんされた『武備要覧』で、中国の『武備志』を参考に描かれ
たとみられる
海鶻船の図が掲載されているが、それは今回公開された資料に描かれた海鶻船とは
まったく
違うものだった。海軍士官学校博物館のチヨソ・ジソスル企画室長は「文書の出典や
時期は
確実なものではないが、朝鮮王朝後期の主要な軍艦だった海鶻船の姿を想像できる唯
一の資料だ」
と話している。なお、『朝鮮水軍と海の遺物の図録』には、このほかにもコ・チヤソ
ク氏が所蔵する
「忠武公(李舜臣将軍)の状啓」「朝鮮司空名簿」「海東諸国記」などの資料が収録
されている。

兪碩在(ユ・ンクジエ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS

ハハハ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   ハライテ-   
   ( ^∀^) <戦艦は、ハトのような形  ∧_∧  イキデキネーヨ
.  ( つ ⊂ )  \_______   (^∀^ ,,)、    ゲラゲラ
   .)  ) )   ○   ∧_∧      ,, へ,, へ⊂),    ∧_∧ ○,
  (__)_)  ⊂ ´⌒つ^∀^)つ    (_(__)_丿  ⊂(^∀^⊂ ⌒ヽつ
          タッテ ラレネーヨ   

       ___   _
       //  ̄ ̄\( ゚i>
       | |∧ ∧ | | |      
       | |<丶`Д´>| | |  urinara戦艦の威力tiyotupariに思い知らせてやるnida!!
     .ゝゝ| |( つ┬つノ |  
ヽノヽ (     ̄ ̄ ̄ ̄ 丿ノヽ キコキコ
ノヽノヽノヽノヽノヽノヽノヽノヽノヽノヽノ ジャブジャブ         
Posted by これがれきしになるばかちょんわーるど at 2008年09月14日 20:31
( ´_⊃`)<ヘイ!ジャップ!
( ´∀`)<・・・・・・(無反応)

( ´_⊃`)<ヘイ!イエローモンキー!
( ´∀`)<・・・・・・(無反応)

( ´_⊃`)<ヘイ!ユーはコリアンみたいだな!
(♯´Д`)<ふざけるな!物事には言って良い事と言って悪い事があるんだぞ!
       お前は日本人を侮辱した!もう堪忍袋の緒が切れたぞ!
       射程をアメリカにして「日銀砲」を撃つぞ!

(;´_⊃`)<ほんのジョークデ〜ス。ホンキにしないでくださ〜い。
(♯´Д`)<言って良いジョークと言って悪いジョークの区別もつかないのか!
       ジョークで済まされないほどの国際問題だぞ!
       もし私がアナタに向かって「コリアンみたいですね?」と言われたら、どう思う?
       相手の立場に立って物を言え!

(;´_⊃`;)<アイムソーリーデ〜ス。本当に御免なさい。
(♯´Д`)<今度から発言には気を付けてくださいよ!!!
Posted by さべつようごはただしくつかいましょう at 2008年09月25日 20:42
http://sankei.jp.msn.com/world/china/081229/chn0812292305002-n1.htm

「日本軍医の美談」日本語教材から削除 中国側のご都合歴史教育

 【北京=矢板明夫】日本のNPO法人が編集した日本語教材が中国で今秋出版されたが、原本に史実として収録されていた「旧日本軍医が多くの中国人を助けた」との内容に対し、中国側が「問題がある」として削除していたことが29日までにわかった。中国では愛国主義教育の一環として、日本軍の残虐さを誇張して描写した書籍が大量に出版されており、こうした日本軍のイメージと矛盾しているため中国側が難色を示したとみられている。

 この日本語教材は、北京の大手出版社「外語教学と研究出版社」が9月に出版した「日語読庫」で、日本のNPO法人、日本語多読研究会(本部、東京)が外国人向けに編集した「日本語多読ライブラリー」(アスク出版)を原本にしている。

 日中の両出版社は当初、同じ内容の掲載を前提に話を進めていた。ところが、中国側が突然、変更を求めてきたという。

 この教材にはもともと、「雪女」「走れメロス」など日本のおとぎ話や短編小説、伝記など5つの文章が収録されていたが、中国側が問題視したのは「永井隆、原爆の地 長崎に生きて」という文章だった。
 長崎に原爆が投下された後、自分も被爆しながら、多くのけが人を治療した医者、永井隆氏の生涯をつづった文章で、1937年に永井氏は軍医として中国に赴き、日本人だけではなく、病気や負傷をした中国人を多数治療したことも紹介されている。

 そのうち、「1939年には1年間で4000人の中国の人々を助けた」などの部分について、中国の出版社が「記述に問題がある」として日本側に手直しを求めてきた。

 日本側は、執筆の際に参考にした「永井隆全集」など多くの史料を中国側に送り、説得しようとしたが、結局「永井隆」の部分はすべて削除して出版された。

 アスクの担当者は産経新聞の取材に対し、「この教材は外国人向けの読み物であり、日本人の中には永井隆博士のように素晴らしい人物がいることを、ぜひ中国の皆さんに知ってもらいたかった」と述べた。中国側と何度も交渉したこの担当者は「削除は中国側の出版社の現場の意見ではなく、上の方の判断」との印象を受けたという。中国の外語教学と研究出版はこの件について「ノーコメント」としている。

 同教材は2007年10月に韓国で出版され、来春は台湾でも出版される予定だが、いずれも原本のままで、内容については問題視されていない。
Posted by 「日本軍医の美談」日本語教材から削除 中国側のご都合歴史教育 at 2008年12月30日 11:25
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