*このエントリは、ブログペットの「右翼討伐犬」が書きました。
2010年08月26日
2010年08月23日
とある掲示板にて
2010年08月22日
植民地時代の郵便貯金約43億円、「韓国人にも返還すべき」・・・・韓国
http://news.livedoor.com/article/detail/4954703/
日本が統治した朝鮮半島や台湾などの旧郵便局に、払い戻しを求めないまま残されている口座数が約1900万件あり、残高は利子を含めて約43億円に
上ることが18日、分かった。共同通信が報じている。中国や朝鮮半島、東南アジア、南洋諸島で開かれたもので、民間人や軍人の口座だという。 貯金した本人かその相続人や代理人は、払い戻しを求めることができ、外地郵便貯金の払い戻しには通帳が必要で、軍事郵便貯金は通帳がなくても部隊の在籍証明などで請求できるとされている。
韓国のメディアは、過去の日本の植民地支配は、韓国から金融の面でも無差別に収奪しており、その象徴である郵便貯金の実態が、少しずつ明らかになっていると報じている。
日本は植民地時代、朝鮮半島と台湾などの植民地の住民はもちろん、サハリンへ強制徴用した人々にも郵便貯金への強制的に加入させた。この貯金は植民地収奪のための経済政策と、戦争を遂行する資金として使用された。
日本はこの郵便貯金額の返還問題と関連して、台湾人には1995年から2000年までの期間に、貨幣価値の変化を考慮し、確定債務の120倍を支給したが、一方、韓国人の預金については、1965年の日韓基本条約で個人請求権が消滅したとして、返還をずっと拒否していると伝えている。
これまで、1990年代以降に韓国に帰国したサハリン残留韓国人が、日本の裁判所に郵便貯金の補償請求訴訟を提起した。しかし、日本政府は、これらについても「請求権が消滅した韓国国民の範囲に含まれている」という主張を提出したとしている。
日韓併合100年を迎え、韓国内では日本による植民地時代のさまざまな問題に対して、解決を求める声が高まっているようだ。(編集担当:李信恵・山口幸治)
大日本帝国は台湾や朝鮮半島などの植民地の住民はもちろん、サハリンへ強制徴用した人々にも郵便貯金への加入を強制して徹底的に財産の収奪を行った。この貯金は大日本帝国の侵略のため、経済政策と戦争遂行のための資金として利用された。台湾人には実質上の返還を行ったが、韓国人の預金に対しては日韓基本条約において個人請求権が消滅したことを盾に、徹底的に拒んでおり、日本政府、そしてそれを許してきて、今尚許容している日本社会、日本国民の悪辣さが感じられるニュースである。
2010年08月15日
管直人首相の対韓国植民地支配謝罪談話について思うこと。
日韓併合条約の無効についてまず、言及されていない。遺産を返還するのはいいが、略奪したことを認めず、当然返還ではなく"お渡し"という表現でそれを誤魔化している部分がある。それに、一番重要な植民地時代や戦争の補償の認識が過去の自民党と同じ立場で、解決済みという立場に立っている点だ。
日本政府や日本社会、日本企業には韓国をはじめとした被害国に対して補償の義務がある。日韓併合条約に基づき、肉体的なものだけではなく、精神的なもの含む生じたすべての被害や損害を補償すべきなのです。日本企業にも賠償の義務があるというのは、大日本帝国の侵略、植民地支配、戦争によって、私服を肥やしたことであり、補償の責任があります。日本社会は、大日本帝国の過去の侵略の歴史があり、アジア・太平洋諸国の無数の骸の上に立っているのであり、補償の道義的責任があるのは当然であり、それを言われなくても過去の国の罪を認識し、心より謝罪し、償いたいという良識・道徳感を日本人1人1人が持っていなければなりません。
それと私がもう1つ言っておきたいのが、管首相の声明が、韓国のみを対象していることです。同じ朝鮮半島の北朝鮮にはもちろんのこと、中国にも直接の謝罪と補償をしなければならない。台湾にはもちろん、パラオやミクロネシアなどの南洋諸島やフィリピンやマレーシア、シンガポール、インドネシアなどの東南アジア・太平洋諸国にも直接の謝罪と補償が必要であることは言うまでもないと思います。
日本軍が展開していたすべての地域では、略奪や放火、虐殺、拷問、そしてレイプや性奴隷のための女性の拉致が日常的に行われていたのであり、アジア・太平洋地域における日本軍の進軍はまさに、飢餓・飢饉・略奪・虐殺・強姦の波が押し寄せ、それらの地域を人類史上類例のない地獄絵図に変えていくものでした。
各国に共通して謝罪と補償を行わないといけないのは、大日本帝国・日本軍が侵略したという事実、強制労働、強制連行、従軍慰安婦(性奴隷)の強制および少女を含む女性の強制連行・拉致、それらの被害者や犠牲者遺族への補償・賠償、奪われたり破壊されたりした財物の返還と補償などが上げられるでしょう。
個別であげれば、中国に対しては南京大虐殺や満州国建国はもちろん、日本軍を送り込んだこと自体に対する謝罪や補償は必要です。731部隊の人体実験や細菌戦、毒ガス戦や遺棄した化学兵器、火器・弾頭類の除去とそれらにより負傷した現代の被害者や犠牲者遺族の補償が上げられます。
シンガポールやマレーシアでは華僑の大粛正や何千万ドルにも及ぶ強制献金などに対する謝罪と補償・賠償など、他の東南アジア・太平洋諸国においても個別の例を挙げれば枚挙に暇がありません。
過去の我が国はアジア・太平洋地域の国々に対して人類史上類例のない惨禍をもたらし、地獄絵図に変えた、それだけではすまないことをやった。日本人1人1人、日本政府は悔い改める必要があります。韓国だけではなく、他のアジア・太平洋諸国を含めた、そうした過去の歴史的事実に立ち、大日本帝国・日本軍の戦争被害を受けたもの、犠牲になったものの立場になって、この管直人首相の談話よりもさらに進んだ声明並びに謝罪と補償・賠償を行うべきだと2010年8月15日の今日改めて思い、ここに書きました。
2010年08月12日
2010年08月02日
草の根の歴史証言収集活動に、私自身報奨金を出しましょう。
例えば、建築人類学者の佐藤浩司氏のサイトですが、
http://www.sumai.org/asia/field1986.htm
戦争中、セラム島のある村で結婚式があった。夜間は厳重に灯火管制されているから火をつかうことはできない。けれども、彼らは村の伝統にのっとって灯火をつけ、結婚式をおこなった。日本兵の一隊が村に乗り込んだ。日本兵は結婚式にあつまった村人たちをかこみ、銃を向ける。隊長は命令する。裸になれ。村人たちは上着を脱ぎ、下着に手をかけたところで躊躇する。銃口を向けさらに威嚇する。仕方なく、新婦をはじめ、調理人、参列者すべて丸裸になった。結婚式にはダンスがともなう。大東亜構想のただ中にあるから、踊りは認められても、ダンスは西洋のものだとして認められない。けれども隊長はこれをみとめた。村人たちは恥部をかくすため不格好に腰をかがめながら踊った。村の名前は聞き忘れたが、いまでもセラム島で××村の裸踊りと言えば知らぬ者はないという。という一文がある。"セラム島で××村の裸踊り"のエピソードなんて、どこのサイト、公文書、戦記、書籍、教科書を探しても、このサイト以外に載っていないだろう。私のいう海外旅行者や在住者個人による草の根の歴史探求というはこういう陽に当たらず埋もれた歴史的事実を発掘することにあるのだ。数々の海外在住のブログで試みてきたが、さらに積極的に打ち出すべきだと私は考えました。
大日本帝国・日本軍のことを知る人は高齢化社会といわれる日本においても、少なくなってきました。アジア・太平洋諸国であれば、尚更のことです。極めて少数であれ、その時代を知る高齢者の方々に海外の在住者や旅行者個人の方々は話しかけて積極的に話を聞いて埋もれた歴史的事実を発掘して欲しい。
ぶっちゃけ報奨金を出します。海外在住者や旅行者の方には、日本軍占領時代を知る高齢者を探し話を積極的に聞きに行ってもらいたいです。証言の詳しい和訳・内容、できれば、証拠となる高齢者(証言者)の写真、録音テープやその他記録類をコピーするなりし添付し、口座番号を書いてメールで送ってきてください。有用なものには報奨金を振り込みます。なりふり構ってはいられませんから。とりあえず、ブログで告知しますが、後日他のBBS等のコミュニティでも、報奨金をもって集めたいと考えています。
消滅の危機に瀕するマクア語― 最後の話し手3人とのインタビュー ―
消滅の危機に瀕するマクア語― 最後の話し手3人とのインタビュー ―
http://www.geocities.jp/hkbtls/hakerek/Hakerek13/makua_japan.htm
2.3人とのインタビュー
(1)老婦人1:フェニシダーデ・コレイアさん。推定年齢およそ80歳。近親結婚で脱色しておられ一見したところ豪州人のような白人に見える。
子ども:息子1人。キクオラ(マクア語)=ツツアラ(ファタルク語)で生きている。少しマクア語が話せる
(2)老人男性1 アルフレド・ドス・サントスさん。推定年齢80歳以上。日本軍が侵略してきた時まだ結婚しておられなかったが「老婦人1」よりも年上であるという。
子ども:3人。2人の息子はファリンティルの英雄。森でインドネシア軍に殺された。1人の娘は生きているがマクア語は話せない。
(3)老婦人2 ラウリンダ・ダ・コスタさん。日本軍侵略時未婚だったがすでに大人になっていた。推定年齢およそ80歳。
子ども:5人。娘2人 --- 1人は東ティモール 1人はインドネシアに居る。でも2人ともマクア語は話せない。息子3人 --- 2人はインドネシア軍に殺された。1人は生存している(4)「なぜ子どもたちはマクア語を話せないか?」
老婦人2の答え。困難な情勢でマクア語を学べなかった。ポルトガルの殖民統治時代には学校の教師は学校でポルトガル語とファタルク語を使用。ポルトガル殖民統治者はポルトガル語のみの使用を望んだ。マクア語を尊重しなかった。子孫がマクア語を話せないのは、ポルトガル植民地主義の帰結だ。
(5)基本的なマクア語
数の数え方や挨拶を3人に発音していただき録音録画した挨拶の例証。
こんにちは ケンナ カチ アカさようなら ラハ
有難う ブラハ(6)このインタビューに対する3人の印象
良かった。なぜなら、消え行く言語を保存するためということを理解しているから。
3.今後の課題―言語学者の責任と日本政府の責任
(1)急ぐべき言語学的調査
消え行く言語マクア語を話せる3人の老人はいずれも推定年齢80歳以上で、いまだ元気ではあったが、語学的調査をおこなうなら早急におこなうべき段階であることは明らかである。言語学者のご協力を要請する。
(2)日本政府の戦争責任
同時に第二次大戦中の日本軍による東ティモール侵略に対する調査と賠償を急がなければ、調査し、謝罪し、損害賠償する機会を失う恐れがある。彼らが生きているうちに日本政府の責任ある対応がぜひ必要である。
特にマクア語を話せる最後の老人アルフレド・ドス・サントスさんに対し日本政府は早急に面会し日本軍の与えた損害(見張りとしての労働対価)を調査し謝罪し損害賠償を行うとともに、マクア語民衆の家畜の殺害と食料化による日本軍の略奪の実態調査を行い、謝罪・損害賠償をおこなわねばならない。
このことは東ティモール全体に対する日本政府の実態調査・謝罪・損害賠償の基本方針の確立が問われていることを意味する。しかし基本方針確立の議論の開始と平行して、3老人への実態調査を開始しなければ、誠意あるマクア語を話す3老人への対応の時間を失うのである。
日本人の倫理の根本が試されている。一応、ここまでHPの内容を転載しました。大日本帝国・日本軍の加害歴史というのは奥深く、そしてとてつもなく罪深い。日本軍が深い理由もなくアジア・太平洋諸国に攻め込み、占領し、惨たらしい酷政を強いて、占領地の民衆を虐げた、大日本帝国・日本軍の加害がマクマ語という少数言語を滅ぼそうとしている。こういう細かい事例はまだ研究されてないだけで、大日本帝国・日本軍が植民地支配したり、占領したりした広大なアジア・太平洋地域には陽の目が当たることがなく、埋もれているに違いない。こういうときこそ、海外の旅行者や在住者が現地の大日本帝国・日本軍の占領時代の古老から話を伝えたり、自発的に集め回ったりするそういう草の根の歴史研究が重要となってくるとつくづく感じる。大日本帝国・日本軍の残っている戦史叢書といった公文書、戦記、今いる日本軍兵士の話やメディアの輪から外れ、陽の目が当たることなく埋もれた加害歴史の事実を掘り起こす上で不可欠なものであり、今後もこういう活動を日々の仕事の忙しさに負けることなく続けていなければならないとつくづく感じます。
私の"abaut me"のコメント欄についた塵右翼、 偏将軍K-5(美周郎)を殴り倒しました。
http://aquarius-uyotoubatsu.aboutme.jp/profileがありますが、ここのコメント欄についた塵右翼 この機会に偏将軍K-5(美周郎)を殴り倒しました。今回の夏はお盆休みは事実上ありませんので、この機会にね。
偏将軍K-5(美周郎)という塵の話
現在も生きている我が祖母からの話です。
当時日本赤十字の看護婦として上海に派遣されていました。
主な任務は日本軍慰安所の性病検査と、傷病者の手当。
その為、現地では朝鮮人や台湾人の売娼婦(=慰安婦)と
仲良くなったそうです。
彼女らは一様に明るく、そして逞しかったそうです。
何しろ軍が移動するとそれに追随してゲルマン民族大移動の如く
列が連なったそうですから。
彼女らにその件(何故軍をわざわざ追い縋るのか)で話を聞くと
【稼ぎの時期・相手をみすみす逃す馬鹿はいない】だそうです。
慰安所で行為の最中を検査の為に脇で覗く事もあったそうですが、
大抵彼女らはマグロ、男だけが必死に腰を振っていたそうです。
彼女らは軍の駐屯している一角に居を構え、彼女らが稼いだ金で
自由に買い物をしていたそうです、祖母と一緒に。
とても裕福で、彼女らの奢りで外食することもあったそうです。
ちなみに亡き祖父は南京攻略戦で戦っていたので
例の南京大虐殺とかいう作り話が妄言である事は幾度となく語り継いでくれていました。
糞右翼だから文字の色は茶色でいいや。こんな右翼の汚物、私のブログに載せたくはないだがね。
これを私が殴り倒す。
その祖母の話が本当だという証拠は?その慰安婦たち、性暴力の被害を受けた彼女が楽しそうに笑っていたとしても、本当に楽しかったというわけではないだろ随分と汚い言葉を使っていますが、糞右翼に対してはこれが正当。本当、こういうヤツラ、右翼どもは生きる権利がないと思うよ。こいつらの存在、そして同じ地球上、次元に存在して同じ空気を吸って呼吸していること自体、大日本帝国・日本軍の犠牲者や被害者に対するセカンドレイプだから。
うが。たとえ、悲痛であり、苦しみや虐待の中にあっても、被害者たちが作り笑いをして、表面上楽しそうに繕っていたということはよくある話だ。
自由に買い物をしていたという話も怪しいし、大体日本軍の職員としてその祖母が働いていたわけで、後ろめたい話は都合のいいように脚色したりしているのではないのか?お前が祖母から聞いたという事実が作り話ではなければな。
で、こんどは祖父の南京の証言か?なんとも都合のいいこった。南京大虐殺は創りものでそれを補完する証言として、"南京で死体や殺害を1人としてみていな
い"というものがあるがこれも荒唐無稽なものだな。たとえば、南京という都市やその周辺の農村を含めての広範囲で、かつ数週間から数ヶ月の間に起きたこと
を示すのが南京事件だが、大体1人の人間ですべて全体像を鳥瞰できるのか?
南京大虐殺と総称されるものは一連の虐殺、暴行、略奪、強姦の数々の事件の集合体だ。"大虐殺をみていない"というのに対して、1人で数千人単位の虐殺の現場をみるのがいかに大変かは理解できない。
南京事件というのは「殺害」という事例に至っても、小は1人から、大は万単位の人間を殺害した事例を数週間から数ヶ月にわたって繰り返された集合体だ。これが10〜30万オーダーの犠牲者数に繋がって来る。右翼どもはこういうことが理解できないらしい。
仮に"殺害を1人をみなかった"という証言にしても、その人の歩いたり見回ったりした可視範囲内で殺害をみなかったということで、南京という都市部や周辺
部を含めて広大な地域、数週間〜数ヶ月にわたる期間において日本軍の虐殺や強姦が行われなかったという事実を否定することにはならないんだよ。ボケナス
が。お前の祖父から話を聞いたという事実が本当ならなw)。とっとと氏ねよ。偏将軍K-5(美周郎)のウンコ野郎が


2010年08月01日
仙谷官房長官の「戦後個人補償」発言に韓国では大きな期待
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0709&f=politics_0709_001.shtml
菅直人内閣の要である仙谷由人官房長官が7日、記者会見の席上で、政府として、韓国に新たな戦後個人補償を検討する必要があることを示唆した。仙谷官房長官は、1965年に締結された日韓基本条約で決着済みとされる日韓間の補償問題について「法律的に正当性があると言って、それだけで物事は済むのか。改善方向に向けて政治的な方針を作り、判断をしなければいけないという案件もあるのではないかという話もある」と述べた。
日韓強制併合100年を迎える今年、日本は両国関係のターニングポイントになる政策を出すことができるのか期待されるとしている。
韓国のメディアは、日本の菅直人政権が、植民地時代の強制徴用者などに対する日本政府による補償に関して、これまでの政権と違う積極的な立場を見せているとして、社会党出身で先進指向の仙谷長官が植民地支配をめぐる個人請求権問題に対して、政府レベルの補償を検討していることを示唆したと伝えた。
クォン・チョルヒョン駐日韓国大使は8日、記者懇談会で「前向きで重要な意味」と評価。日本政府が今年中に韓日強制併合100年に関連した首相談話などを出すならば、そこに補償問題解決法の方向が提示される可能性があるとの見方を示した。
しかし、仙谷長官が指摘したように、日本国内の世論がさらに成熟しなければ、政治的反発が起こるため、民主党政権としても大胆な問題提起は難しい状況だとし、さらに請求権問題がすでに解決されたという前提の下で施行する補償政策は、対象と程度に限界があるとの見方を示している。実際にこの戦後個人補償が成立するためには、越えなければならない難関があまりにも多いとの声も上がっている。(編集担当:李信恵・山口幸治)
仙谷官房長官が過去の歴史補償問題、個人補償について言及したという一点は褒めてもいい。自民党ファシスト時代だったらありえないことだった。でもこれが民主党の限界を示している。日韓基本条約で決着済の補償問題について法律的に正当性があると言っている点。所詮、民主党は民主党。変らんさ。真の良識派勢力が政権を奪し、右翼勢力、大日本帝国残滓を粉砕できる力を持たない限り、過去の歴史問題は終わることはない。
撫順戦犯管理所開館60周年 「鬼を人間に変えた」奇蹟受け継ぐ
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100709-00000302-kinyobi-soci
六月二〇日、快晴炎天下の中国遼寧省撫順市で、撫順戦犯管理所開館六〇周年式典が行なわれた。日本からは戦犯管理所に収監されていた元戦犯、坂倉清氏(九〇歳)、高橋哲郎氏(八九歳)とともに撫順の奇蹟を受け継ぐ会、日中友好協会、紫金草合唱団ら約一〇〇人が参加した。
同管理所には、中華人民共和国成立翌年の一九五〇年、ソ連と中国の協定により、シベリア捕虜だった元日本軍将兵、「満州国」官僚ら約一〇〇〇人が移管された。
ソ連での待遇とは打って変わり、強制労働もなく三度の米の食事に、医療など徹底した人道的な待遇を受けた。その中で戦犯たちは、中国の戦場で犯した加害行為を直視し、罪を認め反省していく。それを「認罪」と呼んだ。管理所の職員も苦悩の連続だった。加害者が目前にいても仕返しは許されない。しかも自分たちよりよい食事が与えられる。不平が出るたびに話し合いをし、職員たちの人道主義政策への認識も高まっていった。戦犯の一人ひとりを丁寧に観察し、食べた食事の量までチェックされ健康管理も徹底的に行なわれた。
五六年の瀋陽軍事法廷で、四五人の有期刑を受けた者以外はすべて不起訴、即日釈放となった。有罪の者も満期前に帰国を許され、死刑はなかった。帰国後、彼らは「中国帰還者連絡会」(中帰連)を組織し、反戦平和、日中友好の活動を続けてきた。
二〇〇二年に会員の高齢化のため解散したが、同時に若い世代が「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」を結成しその精神と事業を継承している。
式典では、高橋哲郎氏が中帰連を代表し、挨拶した。
「当時私たちは、全ての者が、日本の天皇中心主義の軍国主義に骨の髄まで侵されており、中国を侵略して、取り返しのつかない被害を中国人民に与えたという自覚を微塵も持っていませんでした。量り知れない被害を受け、恨みと憎しみに満ちている中国人民である管理所職員は、このような私たちの態度に対して、実に辛抱強く、誠心誠意を持って人道的に処遇してくれました。私たちは一歩一歩自己の過去を厳しく反省することができるようになり、中国人民に与えた被害の深刻さに愕然とし、心から自らの罪行を率直に認めることができました。二〇世紀の半ばに、この撫順の地において、平和を熱愛する中国人民の手によって『鬼が人間に』転変するという『奇蹟』を実現したこの管理所が、名実ともに大改修され、平和学習の殿堂として、世界の若い人びとに強い影響を与え続けることを心より祈念致します」
開館六〇周年記念として、佐官・将官級の戦犯が入っていた二棟が改修され陳列館となった。ここでは、管理所と中帰連の六〇年の歴史が一次資料や写真パネルで詳しく紹介されている。戦犯が生活していた部屋、医務室、散髪室、風呂などは保存され見学できる。強制労働がなかったため、戦犯たちはスポーツで体力をつけた。また社会科学の学習はもちろん、演奏会や演劇など文化活動も盛んであった。映画も週一回鑑賞した。管理所時代に戦犯たちが踊りや演劇を披露した野外ステージも復元され、この日、元戦犯・矢崎新二氏の息子らが父親から受け継いだ「蒙古踊り」を再演、合唱団が組曲「撫順の朝顔」を披露した。
中帰連の認罪は今でも続いている。高齢のため出席できないものは祝辞を託した。車椅子で参加したいと望んだ小山一郎氏が亡くなったのは六月三日のこと。
戦犯を鬼から人間に変えたのは、被害者であった管理所の職員だ。命をかけて炎天下の式典に元職員たちと手を携えて参加した中帰連の二人の姿は、この地で起きた「二〇世紀の奇蹟の姿」そのものであった。
(荒川美智代・撫順の奇蹟を受け継ぐ会)
これは良識的ニュース記事。こういうのを取り上げないとね。糞右翼どもはこういうのをみても、中国共産党の洗脳政策云々だというけれど、戦犯管理所の当時の職員たちは、加害者である戦犯たちに憎しみを堪え、人道的に接し、最終的には戦犯彼らと当時の管理所の職員たちに草の根の友情が芽生え、加害者と被害者の真の和解が成立したという事実が存在する。これをアジア・太平洋地域全般に広めていかないといけないね。そのための最大の障害である日本社会や日本政府に存在する大日本帝国の残滓をどう徹底的に滅菌するかだ。
国際組織「日本は自国解釈のみ反映」 歴史教科書“一方的”勧告
国際組織「日本は自国解釈のみ反映」 歴史教科書“一方的”勧告
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100725-00000036-san-soci
国際組織「児童の権利委員会」が、日本の歴史教科書について「日本の解釈のみを反映している」などと批判し、日本側に是正を勧告していたことが24日、分かった。具体的な問題点や教科書名には触れていないが、日韓が対立する歴史認識の問題をめぐって、一方的に日本に“譲歩”を求めているようにも受け取れる内容で、外務省などは勧告に困惑気味だ。産経の飛ばし記事。国際組織から日本の歴史教科書について改善勧告があったのは事実なのでしょう。これは従うべきですね。日本の歴史教科書に問題があるのは事実です。第二次世界大戦で、人類史上類例がないほどに、アジア・太平洋地域の各国に惨劇、惨禍、悲痛に与えました。そして、性暴力においては、特に常軌を逸し、その被害者数といった量、さらにその女性の受けた被害や凄まじさといった質ともに、"現代においてもそういうこと"がいった比喩を超越しているのです。日本の子どもたちにはそういう過去の歴史を知る義務があります。それが日本軍・大日本帝国の被害者や散って行った犠牲者に対する償いの1つですね。
同委員会は、18歳未満の権利についての国際条約「児童の権利条約」が、締約国で履行されているか審査する組織。
6月に採択した日本に対する文書で「歴史教科書が、歴史的事件に関して日本の解釈のみを反映しているため、地域の他国の児童との相互理解を強化していないとの情報を懸念する」と批判。そのうえで、「アジア太平洋地域の歴史的事件に関して、バランスのとれた視点を反映することを確保するよう勧告する」としている。
歴史教科書は中学だけで9種類(平成22年度用)あるが、教科書名は特定せず、具体的にどういう情報を基に何を問題視しているかも明示していない。
ただ、委員会の審査段階では、日韓併合や「従軍慰安婦」という言葉の是非などについて議論を行った日韓歴史共同研究が取り上げられ、ドイツ人委員が日本側に質問したことがあった。
委員から質問を受けたという文部科学省の担当者は「教科書の記述について具体的な質問もなかったし、韓国のことを単に『コリア』と呼んでおり、北朝鮮との違いも明確ではなかった」と首をひねる。
韓国と歴史認識が異なることを理由に日本の教科書是正を勧告しているとすれば、重大な問題だ。
勧告には法的拘束力はないが、外務省の担当者は「適切に対処する、としかいえない」と困惑している。
外務省によると、同委員会委員は条約締約国の選挙で選ばれ、学識経験者や「人権の専門家」ら18人で構成されている。政府関係者によると、非政府組織(NGO)や日弁連などの見解の影響を受けることはしばしばあるという。
教科書問題に取り組む「新しい歴史教科書をつくる会」(藤岡信勝会長)は「教科書をどのように書くかは、その国の教育の根幹にかかわる。不当な内政干渉で、断固拒否すべきだ」とする要請書を外務省に提出した。