2010年05月23日

遅くなりましたが、一連の活動を報告したいと思います。

GWの最中に行ったので、2〜3週間ほど前でしょうか?海外(日本軍が過去に占領した国)在住の方々ブログに対して日本軍占領時代についての情報を求めて投稿を行いましたが、それについての一連の報告をしたいと思います。
のんびりマレーシアde国際結婚生活
http://ameblo.jp/sainte317/というブログに対して、行いました。

中国式の結婚儀式?!
http://ameblo.jp/sainte317/entry-10331377285.html
伯父さんは11歳の時に日本軍の学校教育を受けた事があり、何度か日本に行ったことがあるようで、日本の童謡や日本文化に詳しい一面を見せていました。伯母さん夫婦のお家は家もお庭もとっても素敵で、鯉を沢山飼っていて、緊張したけど、なかなか楽しい週末でした(‐^▽^‐)
というのが検索中に目についたからです。

●私のこの記事に対する投稿
1 ■マレーシアの日本軍占領時代について 

はじめまして。突然のコメントすいません。過去の歴史に関心をもち、調べているものです。書籍や資料ではなく、1人の人間から語られる歴史に関心があります。
主人は中国系マレーシア人の方で、その結婚式にでている主人の伯父さんは日本軍占領時代の体験者ということですが、他に日本軍や日本軍占領時代についてお話を聞いたことはありませんか?伯母さんは日本軍占領時代の体験者でしょうか?主人やその両親との間で日本軍占領時代の歴史について話したことはありませんか?日本軍占領時代については恨み辛みといった話が多いのでしょうか?他に日本軍占領時代の体験者から日本軍やその占領時代について直にお話を聞いたことはございますでしょうか?

●ブログ主の返答
2 ■Re:マレーシアの日本軍占領時代について 

>アクアリウスさん
夫の伯父さんは70代ですが・・・ごめんなさい、あまり親しく話す程回数会っていないので、私ではお答えできることがないようです。
日本人の兵隊さんに「万歳」という言葉を習ったり、赤とんぼという曲を習ったとは言っていましたが・・・詳しいことはよく分かりません。
お役に立てず、申し訳ありません。


●私のお礼の言葉
3 ■返答ありがとうございました 

そうですか。また、是非過去の歴史について関心をもち、伯父さんに会う機会がございましたら、詳しく話を聞いてください。返答ありがとうございました。


大した成果が得られませんでしたが、一応過去の日本軍占領時代の体験者の記事だったので紹介させていただきました。続きを読む
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 21:59 | Comment(10) | TrackBack(1) | 私の活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

731部隊の人体細菌実験、3000人以上の被害者と1467人の身元判明のニュース

731部隊の人体細菌実験、3000人の被害者を確認−中国
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100516-00000003-scn-cn
 専門家の金成民氏が最近、旧日本軍731部隊について公表した新しい史料によると、ハルビンの平屋区にあった部隊本部では1939年から1945年にかけて、3000人以上の人びとが人体細菌実験の対象にされ、生き残った人は1人もいなかったと発表した。チャイナネットが伝えた。
 金成民氏は約3000人の被害者リストを手に入れ、中国を侵略した旧日本軍の非人道的な犯行の直接的証拠だと指摘している。
 また専門家はここ数年の調査で、数人の731部隊の元隊員による平屋区での人体実験の証言を得た。元731部隊の部長だった軍医の川島清少将によると、毎年、本部の監獄に実験用として拘束されていた人は400人から600人で、実験で亡くなった人は毎年600人以上に上り、少なく見積もっても5年間に3000人以上が命を失ったという。(編集担当:米原裕子)
あくまで少なく見積もってだから、実際は3000人をはるかに上回るということだろう。

 旧日本軍731部隊の人体実験、1467人の身元判明−中国報道
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100517-00000077-scn-cn
新華網はこのほど、第2次世界大戦時における旧日本軍731部隊に人体実験の対象とされた1467人の身元が判明したと報じた。中国新聞網が伝えた。
 中国731部隊罪証陳列館の金成民館長によれば、身元が判明した1467人のなかには23人の旧ソ連出身者と6名の朝鮮半島出身者が含まれていた。元731部隊の部長だった軍医の川島清少将の証言によれば、1939年から45年までの間に、年間最低でも500人の被害者が黒龍江省ハルビンの731部隊本部で人体実験の対象となっていたという。
 金成民館長は、「人体実験の対象となった人びとは日本憲兵隊にソ連のスパイという名目で拘束された人びとで、おもに抗日地下情報員と中国人捕虜であった」と話した。また、報道では中国南方でも旧日本軍による細菌戦の被害者8000人あまりを確認したという。
 中国での報道では、「731部隊は日本軍国主義者が第2次世界大戦時に組織した細菌戦秘密部隊の一つである」とし、「中国人や旧ソ連人、朝鮮人、モンゴル人などの捕虜を、細菌兵器に対する人体実験の対象とした」とした。
 また、ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所と日本の広島原爆遺跡が世界遺産に登録されたことを受け、ハルビンにある「侵華日軍部隊731遺跡」も世界遺産に登録する動きが出ている。(編集担当:畠山栄)
過去の大日本帝国は酷いことをやったものだ。生きた人間を使って。人体実験という非人道的なことは、人類史上幾多となく行われてきたものだが、ここまで規模が大きく、人体実験の残虐の質の度合い、さらには被害人数の多さを考えれば、人類史上類がなく、大日本帝国の右にでるものは存在しないということだ。731部隊のあった満州に限らず、国内においても、南方においても、日本軍が各地で人体実験を行ってきた過去の加害事実があるということも触れておかないといけないね。
こういう731部隊をはじめとする人体実験を含めて中国大陸で行なった大殺戮の数々や毒ガス戦、シンガポール・マニラでの民間人虐殺の凶行、朝鮮半島や中国、アジア・太平洋地域における強制労働・従軍慰安婦(女性)狩り、日本国内でも行なった思想弾圧・政治弾圧、特攻隊や一億玉砕と称する自国民への自殺強制や朝鮮人やアイヌに対する大日本帝国時代の民族弾圧、沖縄や南洋諸島での集団自決t強制という自国民虐殺、敗戦後も65年も経つのに誠心誠意過去の歴史に真剣に向き合って来なかったことに対して、ドイツと同じように、過去の大日本帝国の植民地支配・侵略した被害国、日本政府から謝罪や補償を何ら受けることなく苦しみや痛み、心の傷を背負ったまま亡くなった数々の被害者・犠牲者の遺族、大日本帝国によって青春や人生を奪われ、散って行った数々の犠牲者たちの骸に対して、そして世界中に向けて「謝罪」をすべきなのだ。それができず、過去の加害歴史について頬かむりを続ける日本という国、日本人に対して私は情けなくなります。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 19:57 | Comment(1) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

突然の毒ガス…少女の夢奪う 中国遺棄事故、24日判決

突然の毒ガス…少女の夢奪う 中国遺棄事故、24日判決
http://www.asahi.com/national/update/0520/TKY201005200207.html

 少女は突然、戦争の被害者となった。旧日本軍が遺棄した毒ガスで2003年に中国・チチハル市で1人が死亡、43人が負傷した事故。当時10歳の馮佳縁さん(17)は汚染された土で遊び、被害にあった。負傷者全員と遺族計48人が日本政府に損害賠償を求めた訴訟の判決は24日、東京地裁で言い渡される。
 5月初旬、東京・吉祥寺の公園に、被害者救済を求めて署名を募る馮さんの姿があった。外見では遺棄兵器の被害者とは分からない。だが、後遺症で体力が低下し、長く動いてはいられない。
 事故があった03年8月、馮さんは小学3年生。整地のために運ばれた土で遊び、帰宅した後、足に激しい痛みを覚えた。皮膚がただれていた。目は赤く腫れて開けられず、のどに激しい刺激を感じた。
 学年で一番の俊足だった。スピードスケートの選手だった父の影響で、自分は陸上選手になる夢があった。しかし、事故後は、すぐ息が切れて胸が苦しくなる。成績も良かったのに、記憶力や集中力が途切れがちになり、普通高校への進学をあきらめた。
  いずれも毒ガス被害者によくみられる健康被害だった。そのうえ「あの子に近づいては駄目」といわれのない差別を受け、住まいも替えた。
なぜ、こんな目に遭わなければならないのか――。中国と日本の間で戦争があったことは知っていたが、遺棄化学兵器は全く知らず、チチハルに埋まっていたことは知るよしもなかった。「日本の化学兵器のせいだと知った時、激しい怒りと恨みを感じた」。同時に戦争の悲惨さ、恐ろしさも身をもって感じた。

 日本政府は09年度までに約4万7千発の遺棄化学兵器を回収したが、大部分が埋まっているとされる吉林省のハルバ嶺(れい)だけでもまだ30万〜40万発あると推計される。
 訴訟を通じ、馮さんは日本に自分を支援してくれる人たちがいると知った。「二度と同じような被害者が出て欲しくない」。そんな思いで判決の日を迎えようとしている。(向井宏樹)


5月24日ということは明日の月曜日に判決がでるということでしょうね。私は被害者自身が納得のでる判決が出てほしいですが、無理でしょうね。この記事で知って欲しいというのは、まだ、過去の加害歴史や戦争はまだ終結しておらず、戦後65年にもたとうというのに、大日本帝国というの悪の権下たるファシズム国家がしてきたことがまだ尾を引いているということです。いつこの国に良識が訪れるのでしょうか?
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 19:22 | Comment(4) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

旧日本軍の731部隊細菌戦の遺跡が世界遺産に申請へ

旧日本軍の731部隊細菌戦の遺跡が世界遺産に申請へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100515-00000005-scn-cn
 ハルビン市平房区には、世界に現存する最大規模の細菌戦の遺跡群である「731遺跡」が現存している。第二次世界大戦の3大戦争遺跡の一つとして、20年間の保護と開発を経て「731遺跡」は中国100カ所の革命聖地としての観光名所の一つとなり、世界からも注目されている。
 ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所と日本の広島原爆遺跡が世界遺産に登録されたが、「731遺跡」の研究に携わってきたハルビンの専門家や学者は、この遺跡の世界遺産申請の歩調を速める必要があると呼びかけている。チャイナネットが伝えた。
 ここ数年、ハルビンの関連部門が申請作業に力を入れている。ハルビン市農工党の関係者は、世界遺産に申請することが遺跡にとってもっともよい保護方法だと見ている。(編集担当:米原裕子)

是非世界遺産に登録されて欲しいと思います。日本の過去の加害の歴史を未来に伝えていかないといけませんからね。というか、本来は本来過去の加害歴史を清算し、そういう日本の過去の加害の歴史を代々伝え、そういう過去の加害や侵略の歴史の遺産を保存し、歴史教育に役立て、二度とこういう類似の侵略や類する国家犯罪行為を行わないように謝罪し、再発防止のための措置を含めて取ることに対して、積極的にならないといけないのに、日本社会や日本政府、日本人の腑抜ぷりにはつくづく情けなくなるね。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 19:03 | Comment(3) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月20日

レイプ(BlogPet)

きょう、上官たちへレイプするはずだったみたい。

*このエントリは、ブログペットの「右翼討伐犬」が書きました。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 07:36 | Comment(1) | TrackBack(0) | BlogPet用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月10日

朝鮮人強制連行:飛行場徴用の労働者19体分の遺骨発掘−−猿払 /北海道

朝鮮人強制連行:飛行場徴用の労働者19体分の遺骨発掘−−猿払 /北海道
http://mainichi.jp/hokkaido/news/20100508ddlk01040107000c.html
 猿払村浅茅野で行われていた朝鮮人労働者の遺骨の発掘調査が7日終わり、今回の調査でこれまでに最も完全体に近い1体を含め、推定で19体分の遺骨を発掘した。調査を実施した「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」が発表した。遺骨と遺品は浜頓別町の天祐寺に安置される。
 旧日本軍の飛行場建設に徴用された朝鮮人労働者の遺骨発掘は06年の第1回調査に始まり、北大や韓国の漢陽大の学生らが参加。09年の第2回調査を経て、今年5月1日から始まった第3回調査には、学生ら計75人が参加していた。

 調査は今回で終了となるが、発掘調査に当たった漢陽大学の安信元教授(45)は「記録では96人がここで働いたとある。調査を進めれば、もっと多くの遺骨が出ると思う」と話し、「北大と漢陽大の学生が一緒に作業したことは、両国の和解と平和のモデルになると思う」と発掘作業を振り返った。【金子栄次】
全く、未だにこんなことをやっているのだな。敗戦から65年の月日がたったのによ、未だに犠牲者の遺骨の発掘調査が行われている段階。しかも、国が直接行っているのではなく、学生たちが発掘調査を行っている。国が責任をもって、直接発掘調査を行うと同時に、関係者への聞き込みおよび、関係する文書や資料を調査し、そしてそれらをすべて公開して真相を明らかにすること。そして強制労働や強制連行を含む過去の国家犯罪や侵略・植民地化の事実を認め、被害者や犠牲者遺族に誠意のある謝罪と個人補償を行い、また学校の歴史教育においてその犯罪事実を正しく記し、子孫代々に伝え、再びこのような侵略や国家犯罪、それに類する国家の犯罪的行為(黙認も含む。ODAや財界による経済侵略や発展途上国への環境破壊促進)が起きないな再発防止措置も含めて現地点で取られているべきなのだ。現にドイツはそうしているのだが、この国はほんとどうしようもないね。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:17 | Comment(30) | TrackBack(2) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月09日

露大統領:スターリンの「犯罪」批判

露大統領:スターリンの「犯罪」批判
http://mainichi.jp/photo/news/20100508k0000m030021000c.html
【モスクワ大木俊治】ロシア紙「イズベスチヤ」は7日、就任から2年を迎えたメドベージェフ大統領との会見記事を掲載し、国営テレビも同日、会見の模様を放映した。大統領はこの中で、旧ソ連の指導者スターリンを「国民に対し多くの犯罪を行った。その行為は許されない」と批判した。大統領は昨年10月、自身のブログでスターリン批判を展開したが、公の場で言及したのは初めて。
 大統領はまた、第二次世界大戦後のソ連政権を「基本的人権や自由が押しつぶされた全体主義体制」と批判。一方で「ソ連軍の(同大戦で果たした)使命と、戦後のソ連国家を区別すべきだ」と述べ、ソ連軍が欧州をナチス・ドイツの支配から解放したことは「歴史的事実」だと強調した。
 このほか日露間の領土問題について、双方が極端な立場を離れて取り組めば「将来に問題を解決することができる」と述べたが、これまで繰り返してきた「我々の世代での解決」には言及しなかった。
 会見は9日の対独戦勝65周年を主なテーマに行われた。
関連記事
カチンの森から70年 ポーランドとロシアの和解のニュース
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/146189986.html

政治的にも国内的にも歴史逆行(反動化/反良識化)する日本と、大国でありながら過去の歴史を見つめ清算することにおいて日本に勝るロシアというところでしょうかね。
日本では民主党政権においても、よくなるどころか悪くなるばかりで。民主党政権の内部からも、あまり過去の大日本帝国やその軍国主義体制への批判は聞こえてこないし、従軍慰安婦問題が教科書から消えるわ、沖縄の集団自決の軍の強制の記述が修正・削除されるわで、日本という国がロシア以上に醜い姿を国際社会や人類の歴史において晒していることに、いい加減気づけ、日本国民、マスメディア

2010年05月06日

一端(BlogPet)

きょう右翼討伐犬は反論するはずだったの。
だけど、きのう右翼討伐人と、説明しなかった。
だけど、一端が編成したいです。

*このエントリは、ブログペットの「右翼討伐犬」が書きました。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 07:31 | Comment(3) | TrackBack(0) | BlogPet用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月05日

従軍慰安婦の訴え退ける フィリピン最高裁・・・産経新聞

従軍慰安婦の訴え退ける フィリピン最高裁
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/100504/asi1005041916004-n1.htm

 第2次大戦中に日本軍の従軍慰安婦を強いられたフィリピン女性約70人が、日本への謝罪要求を支持するよう自国政府に求めた訴訟で、フィリピン最高裁は4日までに、訴えを退ける判決を言い渡した。判決は4月28日付で、4日に公表された。

 判決理由については、外交問題であり司法の権限を越えると述べた。 
訴えは2004年、ロムロ外相やアルバート前外相らを相手取って起こされた。日本政府国際法廷の場で公式謝罪し損害賠償を行うよう要求、フィリピン政府もその立場を支持するよう求めていた。(共同)

この記事の内容が本当なら、まさに怒涛の怒りなんですけど。今のところ、取り上げているのは産経新聞だけですから、産経新聞のことですから、こういう加害歴史やナショナリズムに絡むことにおいては事実とはかなり異なるように脚色したり、捏造したりするのは毎度のことですからね。嘘であって欲しいですが、本当にフィリピン最高裁が自国の被害者の訴えを棄却したのであれば、まさに怒りです。こういう大日本帝国の被害国においてすら、いまだに大日本帝国の残滓が根を強く貼っているという感じです。日本はODAという援助のもと、経済的に大日本帝国のような侵略的にもってあくどくやってきましたからね。まさに、良識派と大日本帝国の残滓との闘いは、日本だけではなく、東南アジア・太平洋地域、欧米各国においても戦場となって繰り広げられる世界規模のものですからね。この大日本帝国の残滓との闘いを制し、真の意味でアジア・太平洋戦争、大日本帝国・我が国の加害の歴史の連鎖の流れを終結させ、大日本帝国の加害の歴史の真の清算を成し得ない限り、世界はもちろん、日本の未来の可能性は永劫にありえません。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 10:34 | Comment(14) | TrackBack(0) | 激怒(むかついた)ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Amebaに会員登録致しました。

Ameba
http://www.ameba.jp/に会員登録いたしました。というのも、投稿したいAmebaブログがあったのですが、会員登録しないとコメントできなかったり、メッセージが送れない仕様になっているものがあったからです。

会員登録と同時にブログの開設が事実上義務づけられているので、私もアメブロ(amebaブログ)を開設しました。引っ越すかどうかはまだ決めてません(Seesaaはなにかと使いやすいので、引っ越さないと思いますけど)

アクアリウスのブログ
http://ameblo.jp/aquarius-uyotoubatsu/
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:45 | Comment(2) | TrackBack(0) | 備忘録・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月04日

マレーシア関連のブログに投稿。その返答報告

1ヶ月ほど前になりますが、マレーシア関連のブログにも投稿致しました。その中できちんと返答きたものは1つのブログだけですが、非常にこれまたうれしい成果が得られました。

Dari Borneo
http://blogs.yahoo.co.jp/raenterkkというブログですが。
☆リマウマニスマドゥ☆(南国フルーツ)
http://blogs.yahoo.co.jp/raenterkk/3973006.htmlという記事があり、その記事に投稿を致しました。
リマウマニスマドゥという果物の別名が日本軍の占領時代の蛮行に由来するというエピソードが書かれています。抜粋させていただきますと、
そうそう、この果物の又の名、『ジャパニーズヘッド』という。
この果物、聞いた話によると、戦時中、日本軍がボルネオ島にいた頃、
原住民や華人を捕らえて、働かせたりしていた。
華人たちは日本軍人には逆らえないため、悔しくてこのリマウマニスマドゥを
日本人の頭と思って(ちょうど、人間の頭と同じくらいの大きさなので)、
棒で叩いたり、割ったりして、紛らわせていたそうだ・・・・
日本軍は、戦時中ボルネオ島でも、いろいろ残酷なことをしていたらしく、

(アジアに行くとこんな話しはたくさん聞くが・・・)
いろいろな話が地元の人たちの間では、伝えられているようだ。

(私は、日本人なので直接はそんな話をあまり聞かされないが、まだまだ、日本軍にまつわる話はあるよう。)

ようやく、大日本帝国・日本軍の加害に関するエピソードがでてきました。直接の加害を受けた被害者や犠牲者や、戦争犯罪・蛮行に関するものではないのですが。
それではブログ主とのやりとりを紹介したいと思います。
その前に興味深い、私以外の人とブログ主のやりとりがありますので紹介しておきます。

・こっこさんのその記事に対する投稿
大きなフルーツ!
酸味がないとは想像できませんよね…
南国のフルーツは形も味もいろいろあって面白そうですね♪

戦争の話…日本って戦争教育をさらっとしかしないじゃない?

事実として何があったかきちんと伝えるべきだと思うのだけど…
一歩国外へ出たら恥ずかしい思いをするのは
きちんと自国の歴史を学んでない私たちだものね。

それにしても…

ベビーあやかちゃんとっても可愛い♪
真っ白いマシュマロみたい♪

・ブログ主の返答
私は、第二次世界大戦ころのことは、学校ではあまり教わった覚えがありません。
日本史は大好きで、よく勉強しましたが、教科書の後ろのほうに行くほど内容が薄く、戦時中のことは調べようと思っても
隠されていて、勉強できませんでした。
戦争教育は、もっとされるべきですね。
今の教科書は少しは変わったのでしょうか?
タイを回っていたとき、オーストラリア人にいろいろ聞かされて、
英語に本とかも貸してもらいました。その時はショックでどう反応したらいいかわかりませんでした。

あゆかは、将来中華系の学校に入れるつもりなので、
かなり詳しく戦争のことを、華人の立場から勉強すると思います。
母親の国がしてきたことをどのように受け止めるでしょうか。

ベビーあゆか、可愛いですか?


あゆかもこんなふわふわした赤ちゃんの時期があったんですよね。
子供は本当にすぐ大きくなってしまいますね。
この活動を続けてきて、ようやく心が洗われるような気分を味わえました。こっこさんの指摘は最もだし、それを受けてのブログ主の心がけは非常に立派です。
この後に私も投稿します。

・私の投稿
はじめまして。大変興味深い話ですね。その柑橘類のジャパンヘッドという名の由来が日本軍占領時代の恨み辛みをぶつけていたことに由来するとか、書籍や資料ではなかなか知ることのできないことだと感じました。過去の歴史に関心をもち調べております。

私自身、アジアへ旅行しようと思っているのですがなかなか機会が取れません。

日本軍占領時代を体験された老人(高齢者)の方から日本軍や日本軍占領時代について直に話を聞かれたことはございますか?こういう又聞きではなく、実際に体験された方の口から直接語られる歴史に特に関心があります。今後、そういう機会があれば記事にしていただければ幸いです。
・ブログ主の返答
アクアリウス様
はじめまして!

ご訪問、コメントどうもありがとうございます。
そうですね。日本軍占領時のこのような話は、日本でなかなか聞くことができませんよね。
私も、こちらで暮らして10年になりますが、高齢者の方から直接
話をじっくり話をお聞きしたことはございませんが、
知り合いで、日本軍占領時代の話を知っている方や、日本軍歌を
覚えていて、今でもはっきりと歌える人は知っています。

普段はそんな話はしませんが、インタヴューみたいな形で
お話を聞かせてくださる方は、探してお願いしてみたら
見つかるとは思います。

戦時中の体験談は、語り継がれていくべきですし
私たち日本人はもっと知っておくべきでしょうね。

もしまたそのような話を聞く機会がございましたら、
記事にいたしますね。
当然のことならが、積極的な返答を得られました。すばらしく良識的な方だと思いました。大変ありがとうございました。私自身はそういうお話を聞いて記事にされることを期待して待っています。
本来なら、私自身も東南アジアにでかけていって、動きたいのですが、なかなかそうも行きません。だからといって、何もしないわけにはいきません。こういう地道な活動を通じて、大日本帝国・日本軍の加害歴史の一端を掘り起こし、明らかにしていくことをできるようにこういう草の根の活動を頑張っていく次第です。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 21:59 | Comment(4) | TrackBack(0) | 私の活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

インドネシア関連のブログへアプローチに対する返答報告

だいぶ前になりますが、きちんと報告を行いたいと思います。GW中も忙しく、久々に長くまじめなエントリーを書いたことによって、こちらのほうはサボっています。これからの残りの時間を草の根の交流に費やしたいですが、その前に1ヶ月ほど前におこなった投稿に対して具体的に成果のでた返答に関して報告をいきたいと思います。

バリの素(もと)〜バリ島東部のチャンディダサより
http://blog.goo.ne.jp/baliclub 
・私の投稿  バリ島における日本軍占領時代について
はじめまして。日本の過去の歴史に関心をもち、アジアにおける日本軍の占領時代について調べています。書籍や資料ではなく、生の人間から語られる歴史について関心があります。ところで2枚目の写真におばあさんが写っていますが、年は何歳ぐらいでしょうか?日本軍占領時代を経験されているのでしょうか?バリ島でホームステイされているということですが、日本軍の占領時代を経験した方から日本軍や日本軍占領時代のことについて直接お話を聞いたことはございますか?バリ島(インドネシア)を日本軍が占領したという歴史について関心をもっていただければ幸いだと思います。

・ブログ主からの返答
アクアリウスさん
はじめまして。書き込みありがとうございます。写真に写っている方はおばあさんと言っても50代ぐらいの方だと思います。バリの田舎に住んでいる方は日本人とは違って普段から着飾ってお化粧しているわけでは無いので年齢より老けて見える方がいます。ホームステイ先では日本軍の占領についての話は聞いたことはありませんが、たまに日本語で話しからけてくるおじいちゃんに会うことはあります。戦時中に学校で日本の体操(ラジオ体操的なもの)を教わったり君が代、、、など日本の民謡を教わったりしたという話は聞きます。意味は分からないけど子供のときの記憶としてきちんと覚えているみたいです。
・私の投稿
今後、もしホームステイを続ける中で、日本軍占領時代を知るおじいさんなどに会う機会があれば、詳しくお話を聞いて頂ければと思います。不躾な質問ですが、丁寧なご返答を頂きありがとうございました。今後、バリ島などに行く機会があればよろしくお願い致します。
・私の再度の投稿
度々、すいません。聞きそびれたのですが、そのおじいさんなどから日本軍占領時代に関する感情などは何か感じられたのでしょうか?日本軍占領時代への恨み辛みとかが多かったのでしょうか?また、他のアジア地域と同じように、バリ島には日本軍占領時代に起因するような反日感情はホームステイをしている実感と
してはございますか?
・ブログ主の返答

アクアリウスさん
再度 ブログへの書き込みありがとうございます。私はバリ島に来て2年足らずですが反日感情抱いていると感じたり、直
接そのような話をぶつけられたり、差別を受けるようなことは今までありませんでした。
ホームステイ先の家族も独立戦争の際にバリに残っていた日本兵がたくさん参戦してることを知っていたりします。
その人その人にとって感情は違うと思いますが私がお会いしたおじいさんも嬉しそうに日本の歌を歌っていました。戦争でよい思いをした人はいないと思います。ですが、日本人を恨んでいる方だったら私に対して日本の歌を歌ったりはしなかったと思います。
先ほども言いましたがその人にその人で違う感情を抱いてると思いますので一概に私からはっきりとお伝えできません。
お役に立てたでしょうか、、、。
ということで、これもまた期待外れでした。
長くなりますので、以後は続きを読むをクリックしてください。

 続きを読む
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 21:19 | Comment(4) | TrackBack(0) | 私の活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

"蟻の兵隊 日本兵2600人 山西省残留の真相 池谷薫著 新潮社"を読みました

たまたまBook offに立ち寄ったとき見かけたて買ったものですが、"蟻の兵隊 日本兵2600人 山西省残留の真相 池谷薫著 新潮社"を読了しました。
GW中に読んでいました。いろいろ出かけることもあり、ようやく書いてエントリーします。
著者が制作の指揮をとった"蟻の兵隊"という映画はまだ見ていませんが。

本書を読み終わった感じを一言で言うなら「がっかり」というところでしょうか。

中国初「慰安婦」被害調査 敗戦後も慰安婦制度持続
http://j.people.com.cn/2007/07/03/jp20070703_73134.html
  中国初の「慰安婦」被害事実調査報告が2日、公表された。旧日本軍が廟宇を慰安所として接収した事実や、山西省では少なくとも日本敗戦後の1947年まで慰安所が存続していた事実が明らかになった。「京華時報」が伝えた。
 中国元「慰安婦」被害事実調査委員会は昨年9月に調査に着手、今年3月に第1次調査を終えた。同委員会は、現在も山西省の4県に16人、海南省のある県に1人の生存者がいることを確認した。17人の被害者は旧日本軍の手で兵営内、あるいは兵営付近の建物に連行され、性的な蹂躙を受け続けた。最年少は当時12歳、最年長は21歳だった。
  調査によると、旧日本軍は民間の会館、民家、仮設建築などに慰安所を設置し、雲南省騰沖県では廟宇まで接収。日本の敗戦後もなお、中国に残留した日本軍が従軍「慰安婦」制度を維持していたことも明らかとなった。1945年の日本投降後、一部の残留日本軍は閻錫山の国民党軍地方部隊に編入されたが、独立編成を維持。このうち「保安第6大隊」は、山西省太原に慰安所を設置したことを、残留日本兵に日本語で告知していた。この調査結果は、日本軍が設立した、女性を迫害対象とする「慰安婦」制度が、少なくとも1947年以降まで一貫して続いていたことを実証するものである。

  調査に参加した康健弁護士は「これは慰安婦の被害事実を系統的に調査した国内初の調査。第1次調査の報告は3回に分けて発表される。今後はさらに大規模な調査がある」と述べた。(編集NA)

 「人民網日本語版」2007年7月3日
という記事では中国側の調査により、日本軍の慰安婦制度が少なくとも山西省において存続していたことが分かっています。敗戦で大日本帝国・日本軍の加害が終わったわけではないのです。

本書を含めて、山西省の残留日本軍の経緯を話します。
戦中より北支那派遣軍第一軍と親日派とされる閻錫山の間で、"対伯工作"という名で接触・工作が続けられた。日本軍側では中央の国民党軍や八路軍と違い、戦意の乏しい山西軍の帰順を狙ったものだった。
昭和17年5月、当時の第一軍司令官岩松義雄中将はあわよくば閻錫山を華北一帯の親日政権のトップに据え、思いのままに操ろうと交渉を持ちかけた。しかもその条件が破格のもので、日本軍が支配する地区に閻錫山の山西軍の兵営を準備し、兵器や金まで用意するというものだったという。交渉こそ実らなかったが、閻錫山と第一軍の関係を緊密にし、戦後の組織的な山西省における日本軍残留の下地となったというわけです。

本書においては、山西省に残留させられた将兵たちは被害者で、残留を画策した閻錫山および閻錫山に擦り寄って、日本軍の残留計画の思惑に載ったが第一軍の幹部が悪いだけということしかみえてきません。戦中はもちろん、戦後も通して、日本軍の蛮行や加害に晒された中国の民衆の視点は非常に少ないです。もちろん、残留させられて敗戦後も戦わされ、帰国後も国から酷い仕打ちを受けた残留兵士たちには深く同情をしますが。

本書の戦中の日本軍の加害を記述したものは大変短いものです。
p28より抜粋します。
国共合作の結果、日本軍が戦う相手は重慶に総司令部を置く国民政府軍だったが、蒋介石の国民党は兵力を温存して持久戦に持ち込もうという戦略をとっていた。そのため、実質的に日本軍と闘っていたのは、ほとんどの場合が八路軍だった。
八路軍は徹底したゲリラ戦法で日本軍と対峙した。毛沢東の唱える「遊撃戦論」なるものが実践されたのだ。
(略)
 こうして攻め込むと忽然と姿を消してしまう八路軍だったが、時には大規模な兵団を組織し巧みな戦術で大反撃してくることがあった。
 なかでも昭和15年8月20日にはじまった「百団大戦」では、約100個団、40万人を動員して一斉蜂起した。これによる日本軍の戦死者は約2万人にのぼり、合計470キロに及び鉄道が寸断され、1500キロの道路と200を超える橋が破壊された。
 大損害を蒙った日本軍は、すぐに報復の手段に打ってでた。治安を回復するために第一軍がとった行動は徹底していた。八路軍が支配する地域に入ると、兵士でなくとも疑わしき者は殺し、食糧を奪い、女を犯して、家を焼いた。これが悪名高い「三光作戦」である。三光とは、「殺光」(殺し尽くす)、「略光」(奪い尽くす)、「焼光」(焼き尽くす)を指す。日本軍はこれを「塵滅作戦」と呼んだ。
 思うに、日中戦争はベトナム戦争のようなものだったのではないか。ゲリラ戦を仕掛けてくる敵はどこにいるのか分からない。正面きっての戦闘はあまりないのだが、ある日、行軍の最中にパーンと音がしたかと思うと戦友の1人が死んでいく。
 見えない恐怖に、いつ終わるやも知れない持久戦のいらだちが重なり、兵士たちは激しく消耗していった。ましてや、満期除隊となるはずが自動的に兵役を延長させられた古年兵が多く、長い軍隊生活のなかでいつの間にか人間の理性は剥脱されていった。
といった具合です。戦中の日本軍の加害に触れた部分はかなり少ない記述です。ゲリラ戦と長い軍隊生活で兵士たちの理性が剥脱されていった部分はあるのは確かでしょうが、それ以上に日本軍では生きた朝鮮人や中国人の農民や捕虜らを使って、銃剣で刺し殺す「刺突訓練」が行われ、日頃から新兵の頃から人間としての感情や理性を奪う軍隊教育が行われてきたです。ベトナム戦争を例に出しているが、ベトナム戦争に限らず、アフガンやイラクにおける米軍においても、他の如何なる戦争の事例においても、戦争犯罪はなかったわけではないが、当時の日中戦争における"日本兵"ほど病んで、残虐と野蛮の極地に達した兵士たちはいませんでした。

p36においても、大日本帝国・日本軍の加害についての記述があります。山西省残留の被害者である奥村和一氏の記述がある。
 1945年(昭和20年)8月15日。この日の早朝、第一軍独立混成第三旅団陸軍兵長の奥村和一は、八路軍に対する討伐作戦のため寧武の大隊本部を出発した。空は晴れていたものの、いつものように黄砂が視界をさえぎり、昼なお暗い行軍だった。
 ふと上を見上げると、おそらく農民のものであろう中国人の首が電線に点々と吊るされていた。八路軍に鉄道を爆破された腹いせに、日本軍あたりが農民にスパイの嫌疑をかけて処刑したものだ。
「見せしめか・・・」
 凄惨な光景だ、もはや奥村に何の感受も沸き起こらなかった。討伐に出るたびに見かけるため慣れてしまったからである。入営してから10ヶ月、すでに奥村は、人間を一個の物体としてみなして処理する”一人前”の兵士になっていた。
 歩きながら奥村は、半年前に行われた訓練のことを思い出していた。うしろ手に縛られた中国人を銃剣で刺し殺す。上官たちはこれを「肝試し」と呼んでいた。最前線の戦場で躊躇なく敵を殺せるように、中国戦線の日本軍は初年兵の仕上げとして新兵たちにこうした訓練を命じていた。
 最初はあばら骨に当たるばかりでうまくいかなかったのだが、何度目かの時にスーッと心臓に入っていった。
「ああ、俺にも人殺しはできるんだ。これで一人前の兵士になれた」
 今年(2007年)83歳になる奥村は、かつての記憶をこう語った。
という具合です。日本兵たちはこうして人殺しを躊躇なく殺人マシーンに育っていくことが分かる本書の記述でした。戦中の日本軍の加害につながる記述は本書においてはたったのこれだけです。
戦後も山西省の日本軍は閻錫山の山西軍の一部(第一軍では"特務団"、閻錫山の側では当初"鉄道修理工作部隊")として(実態は命令系統も含めて日本軍のまま残っていた)、山西省に駐屯し、八路軍と闘い、戦後も戦争を続行した。
残留日本軍の団長の早坂元大尉の記述が本書にあるが、奥村氏のいた独立第三旅団において、こともあろうに敗戦した次の年、昭和21年2月に、兵団内において戦技武技競技会というのを行っていたのである。山西省において、日本軍は上から下まで命令を下達させる厳格な規律が守られていた。
人民日報の中国側の調査において、山西省において戦後も日本軍の慰安婦制度が戦中のそのままに存続したというのは頷ける話です。

敗戦後も中国では日本軍は戦争を続行した。というのも、国共内戦が勃発し、国民党軍、八路軍、どちらの側の軍隊が敗戦後の日本軍(傀儡軍を含む)の武装解除を行うかが問題となった。国際的な慣習では、降伏部隊の武装解除は、そのとき対峙していた部隊によって行われるが、そうなると日本軍を武装解除するのは戦線の大部分で戦っていた八路軍ということになります。蒋介石の国民党中央軍は奥地に逃げ込んでいた。八路軍よりも先に日本軍を武装解除しようとしても間に合わないので、敗戦後の日本軍に対して、「日本軍は、わが軍が指定した部隊が到着するまで武器をもって治安にあたれ、共匪が攻めてきたら撃退しろ。もし、占領区の一箇所でも共匪に取られたら、日本軍の責任で奪回しろ」という通達を出したのです。
さらには戦後の陸軍司令部の混乱などがあり、「一切の武力行使を停止すべき」という命令が支那派遣軍の緊急措置としての自衛行動を例外として認めたことがあり、拡大解釈されていって、中共軍(八路軍)に対して「断乎鷹懲すべし」という戦争中の積極的な命令となって前線の部隊に伝えられたのです。そうして、厚生省援護局が昭和39年3月1日付で作成した資料「大東亜戦争における地域別兵員及び死没者概数」によれば、昭和20年8月15日の敗戦以降においても、満州を除く中国全土で戦死した日本軍将兵の数は5万人にも達しているという。
それ以上に皆様に想像していただきたいのは、八路軍との戦いにおいて住民が巻き込まれたのはもちろん、日本軍兵士たちの女性への強姦や住民の虐殺といった加害が将兵が5万人死ぬ戦後の戦争においても各地において行われたということです。

本書のp131に
 8月、大原近郊の彭村に駐屯する第三団に出撃命令が下された。目的は、共産党軍が大原東南部の奉陽県一帯に集積している小麦などの食糧の略奪だった。忻県、大同の攻防戦で残留日本軍の戦闘能力を再確認した閻錫山は、敵の攻撃をも待つばかりではなく、こちらからも打ってでることにしたのである。この作戦には第一団、第四団も参加し、全体の指揮は岩田清一参謀が執ることになった。
(中略)
 どこから襲ってくるかわからない緊張感に耐えながら、各団は食糧強奪の任務を果たすため部落の掃討を続けた。
とあります。本書には淡々としか書かれていませんが、その食糧強奪のための部落の掃討中、その残留日本軍の部隊が部落の住民の虐殺や女性への強姦などの犯罪を犯したことは容易に想像できます。残留日本軍は国民党軍(山西軍)の一部隊として行動していますが、この戦後の食糧強奪の作戦時においても、命令系統を含めてそのまま残っており、戦中の中国戦線時の日本軍の冷酷残忍な体質をそのまま受け継いでいることは明白でしょう。"戦後"における国共内戦時の日本軍の加害という側面もそっくり抜け落ちています。

最後に山西省残留日本軍問題について話そうと思います。山西省に残留し、生き残り、中国での服役を終えて残留日本兵らは帰国するのですが、そこに待っていたのは国からの酷い仕打ちでした。映画でも主役として出演されている奥村氏も昭和29年に帰国されているのですが、終戦の翌年の昭和21年3月15日に「現地除隊」として、軍籍抹消になっていました。その間(戦後の内戦で残留日本兵として戦闘していた時期も、中国側の捕虜となって抑留された期間)の軍人恩給は支給されません。それだけではなく、中共帰りとして公安の刑事にマークされて、ろくに就職先も見つけることが出来ないという有様でした。シベリアの抑留者は、日本に帰国するまでの軍籍を認められたのに対して、あまりにも酷い扱いだと私は思います。国はこの問題を取り上げるために国会に設置された委員会の場でも裁判においても、"個人の意思"で残留したものであるという意見を曲げませんでした。
 真相はそうではなく、北支那派遣軍第一軍の澄田司令官が"戦犯"訴追を免れるために、自らの部下である将兵らを閻錫山に売ったのがその事実です。祖国復興、天皇制護持と戦犯を救うという名分までも加えられた軍命が下され、結果として2600人もの兵士が山西省に残留し、4年間も八路軍との戦闘を継続するのです。
 澄田司令官は戦犯を免れるために閻錫山と密約を交わし、残留を画策したこと。残留を命令しておきながら、国共内戦の形成が不利になると、自ら閻錫山の援助を得て、早々と帰国すると言うあるまじき狡いさ、あくどさといい、さらに残留問題の委員会の場で、軍民全員の帰還の方針を徹底したかの真逆の嘘を平然と語る厚顔無恥さには声もでません。日本社会の無責任、嘘、偽り、二枚舌、不正・腐敗に塗れた体質も戦中から戦後、現代と一貫して続いているのだろうなと改めて思います。
 この地点においては、閻錫山と戦犯容疑を逃れるために閻錫山の残留の画策にのった澄田軍司令官ら、第一軍の幹部が悪いという印象しか受けず不十分ですが、本書においてはほんの少しですが、山西省残留の問題はもっと根が深いものだということが言及されています。
 ポツダム宣言に違反する第一軍の山西省残留の動きを、敗戦翌年 21年の3月までに日本政府(第一復員省)に伝えられて、日本政府が知っていることを本書の118〜120頁に記述されています。著者は、単に第一軍の山西省残留が単に第一軍首脳の戦犯逃れといったレベルを超え、「反共」の旗印のもと、大本営や日本政府、占領国アメリカの連合国軍総司令部(GHQ)の一部了解の元に進められたのではないかと著者は言及していますが、本書ではその辺まで深く書かれていません。
 残留させられて戦わされた将兵らにも同情しますが、それ以上に残留したことにより、国共の内戦が長引き、それにより多くの中国の人々が巻き込まれ犠牲になったこと。さらには、日本軍部隊が残留したことにより、慰安所が継続され、そこでもさらに戦後も少なくとも2年間(日中戦争期を含めて10年間)も多くの女性たちに対する監禁レイプが続いたこと。戦中の東洋鬼子の鬼畜体質の残留日本軍部隊が4年間も戦争を継続して行っていく中で、住民への虐殺や加害、そして女性への性暴力といった中国民衆に対する加害が行われ、その被害や犠牲のことを考えると胸が痛くなります。残留日本兵らが戦中に犯した罪、さらには全く触れられていない戦後、国共内戦で山西軍のもと戦争を継続する中で犯した罪についてももっと本書の中で記述されるべきでした。

 この山西省残留問題ひとつをとっても、加害歴史の根が深いことが改めて感じさせられました。敗戦以後も継続しており、薬害エイズや派遣問題のように、日本という国家や社会、大企業などが"人間"をモノのように"使い捨て"にする体質が続いている通り、大日本帝国が終わっても、その大日本帝国の残滓やそれより受け継がれた体質が引き起こす、数々の加害の連鎖はまだ終わっていないのです。こういった加害の連鎖を終わらせ、大日本帝国の残滓を駆逐するためにも、一刻も早い、良識派が一致団結した加害歴史の清算が求められるのだと思います。
何度もいうように、今ある日本社会の問題の根源には、大日本帝国の加害の歴史を断ち切れず、戦後も一貫して継続してきた事実があります。今ある日本社会の諸問題を解決する方法はただひとつ、過去の加害の歴史の徹底した清算しかありません。このことは何度も強調しておきます。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 16:56 | Comment(6) | TrackBack(0) | 書籍などにみる日帝悪および書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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