2009年01月19日

皆様の投稿をお待ちしています。(BlogPet)

右翼討伐人の「皆様の投稿をお待ちしています。」のまねしてかいてみるね

皆様の過去の力をお持ちの方にお願いをお持ちのほうよろしくお願いしてください♪
よろしくお願いをお持ちの方はここに投稿をどうぞ気軽に送付したいです?
大日本帝国のメールアドレスuyotoubatsunin/24日でもって、良識派の方々によっていってしまいました!
右翼荒らしどもにお願いしてしまいました。

*このエントリは、ブログペットの「右翼討伐犬」が書きました。
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2009年01月05日

国内(BlogPet)

右翼討伐人は、国内を展示したいなぁ。

*このエントリは、ブログペットの「右翼討伐犬」が書きました。
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2009年01月02日

今までずっと思っていたこと。拉致被害者家族という醜悪な生物

過激な題名の記事ですが。反発を承知で書かしていただきます。私は今までずっと思ってきたことですが、やはり拉致被害者家族というのはいろいろ右翼連中から持て囃されていますね。罪もない身内を拉致の被害にあったのだから、毎日そういう辛い気持ちを抱くのは当然でしょう。私もその想像するにあまる心の痛みは理解できます。しかし、そうであればこと、国内はもちろん、太平洋の島々や南方の各地の戦場に朝鮮人青年男女を軍隊労務者や「従軍慰安婦」として連れて行き、戦闘に巻き込まれたり、集団虐殺されて帰ってこなかったこと、そうした強制連行の犠牲者の家族たちが拉致被害者と同じ、あるいはそれ以上の痛みを50年以上も持ち続けていること。強制連行の被害は朝鮮にとどまらず、台湾や中国、東南アジアにも及んでいること。大日本帝国・日本軍が侵略し、占領していった地域で膨大な数の拉致被害者・犠牲者たちが存在していたという事実。南方や太平洋の島々で過酷な酷使、疫病、餓死、戦況の悪化に伴う虐殺によって、彼ら・彼女らの多くは生きて、いや死んでも帰ることができていません。拉致の被害を身内に受けた拉致被害者家族だからこそ、朝鮮・韓国をはじめ、アジアのそういう被害者や犠牲者に思いを馳せ、彼らの痛みにも思い至り、大日本帝国・日本軍の過去の歴史清算の中核を担うべきである。そればかりか右翼勢力にひたすら迎合し、あまつさえ、北朝鮮への厳しい制裁や敵視にも同調している。朝鮮半島に万が一戦争が起これば、拉致被害者などはとっくに吹っ飛び、何十万、何百万を超える犠牲者がでるということも考えもしないで!!!。やはり、拉致被害者はどう考えても、自らの身内に被害を受けながら、同じく過去の大日本帝国・日本軍の侵略・戦争によって被害を蒙った犠牲者やその身内に1ミクロンの思いを馳せることもなく、右翼や自民党ファシスト政府に迎合する拉致被害者家族はこの日本に蔓延る最も醜悪な生物の1つとして結論づけざる負えない。今日の過去の歴史無関心と排外ナショナリズムの高揚、過去の歴史改ざんの歴史修正主義の一翼を拉致被害者家族という生物は担ってきたのである。拉致被害者家族という生物は身内が戻ってきたらいい、大日本帝国の加害歴史やその被害者・犠牲者とその身内に考えが及ばない自己中心的極まりない醜悪な生物である!!!とこの機会に書かせてもらう。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 11:42 | Comment(136) | TrackBack(2) | 日々の雑感ならびに考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

産経新聞社のナショナリズムをひたすら煽る記事、対馬が危ない!?

【対馬が危ない!】「立法措置が不可欠」議員視察で高まる機運
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081221-00000561-san-pol

12月21日22時56分配信 産経新聞


 長崎県対馬市で過疎化が進み、それに呼応するように一部不動産が韓国資本に買収などされている問題は20日、自民・民主両党の国会議員を中心とした超党派の議員グループ11人が同市を公式視察したことで、国会議員の間にも強い危機感が現実味を帯び、領土問題と真正面から取り組む兆しが見えてきた。議員らの間には立法措置が不可欠との認識が強まっている。

 今回の公式視察では、韓国資本に買収され、現在はリゾートホテルとして営業している海上自衛隊対馬防備隊本部(同市美津島町竹敷)の隣接地が、実は明治期、旧日本海軍が造成した軍事施設だったことが明らかになった。聞くと、水雷艇の停泊地として開発され、かつては14隻の水雷艇が停泊していたといい、しかも石組みは現在も健在で、軍港としての使用が可能だというのだ。

 韓国資本がそれを見通して買収したとは言えない。しかし、竹敷地区は、リアス式海岸特有の湾曲に富んだ入り江と無数の小島からなる浅茅湾に面している。明治期から、自然が作った迷路を生かして海軍要港施設が整備されるなど、国土防衛の要害で有り続けた。

 対馬全体をみると、国防の要塞(ようさい)の地であるという歴史的事実や30を数える要塞が今も残っていることが示すように、風光明媚(めいび)な観光地というだけではなく、国土防衛の要の地として島全体がその歴史を刻んできた。この点について、同じ離島でも内海離島とは本質的にその性格が違う。島のあちこちに軍事施設となりうる場所がちりばめられていることから、現状が続くと、海自対馬防備隊本部の隣接地のように旧日本軍が建設した軍事関連施設跡が買収され続けかねない。

 今回の視察で平沼赳夫衆院議員(無所属)は「領土意識が希薄になっていることを象徴している」と断じた。また松原仁衆院議員(民主)は「旧海軍施設を韓国資本が買っていることになる。将来的に国防上どうなるのか…」と危機感を現した。

 今、外国資本による対馬での不動産売買に規制を求める声が同市や一部国会議員の間でわき上がってきた。

 今回の視察団は11人全員が、同市の経済活性化と領土問題の両輪を視野に入れた新法の必要性を強く感じた。対馬問題は領土問題、特に国境・離島問題についてすべての政治家や国民を覚醒(かくせい)させ、真摯(しんし)に向き合うべきことを示唆している。(宮本雅史)
議員団、対馬の現地視察で驚いた! 韓国資本の買収地は旧日本軍港
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081220-00000592-san-pol

12月20日22時35分配信 産経新聞


議員団、対馬の現地視察で驚いた! 韓国資本の買収地は旧日本軍港

対馬市交流センターを視察し、現況を確認する山谷えり子議員、松原仁議員ら=12月20午前9時、長崎県対馬市(鈴木健児撮影)(写真:産経新聞)

 長崎県対馬市で韓国資本が一部不動産を買収などしている問題で、自民、民主両党の国会議員を中心とした超党派の議員グループ11人が20日、同市を公式視察した。視察団は、韓国資本に買収された海上自衛隊対馬防備隊本部(同市美津島町竹敷)の隣接地などを訪問。同本部の隣接地はもとは明治時代に造成された旧日本海軍の軍事施設だったことが分かり、視察団長の平沼赳夫衆院議員(無所属)は「領土意識が希薄になっていることを象徴している」と改めて危機感を表明、新法の制定に強い意欲を見せた。(宮本雅史)

 視察団は午前中、対馬市厳原町の市交流センターや厳原港ターミナルを見学。午後は、海自対馬防備隊本部の施設と隣接するリゾートホテル、上対馬町の韓国展望場や航空自衛隊レーダー施設などを訪問した。

 視察団が最も関心を示したのは韓国資本に買収された同防備隊本部の隣接地。以前は真珠加工場だったが、明治時代に造成された旧日本海軍の軍事施設だったことが、市側の説明で分かったためだ。

 対馬市議会自衛隊増強特別委員会委員長の大浦孝司氏によると、買収された敷地内にある浅茅湾に通じる岸壁は旧日本軍が水雷艇の停泊地として開発、軍港として利用していた。現在も石組みが残され、軍港としての活用が可能という。

 松原仁衆院議員(民主)は「旧海軍施設を韓国資本が買っていることになる。将来的に国防上どうなのか…」と危惧(きぐ)した。

 超党派の議員グループ11人に、対馬市側は、防衛施設の整備や韓国資本による不動産買収の規制、税の減免措置、さらには、国境・離島を管轄する新たな省庁の設置などを盛り込んだ特別措置法の制定を求めた。

 視察に参加した国会議員は、ほかに、衛藤晟一▽山谷えり子▽西田昌司▽山内俊夫▽谷川弥一▽赤池誠章(以上、自民)▽山根隆治▽山田正彦▽石関貴史(以上、民主)の各氏。有村治子参院議員(自民)は秘書が出席した。

 「防衛施設が無防備なのを知って驚いた。何かあったら大変だ」。衛藤参院議員は、日本の安全保障上の観点から、そう感想を述べた。山内参院議員も「常に有事を考えないといけない」と指摘した上で、「このままでは、島民の命を守れないと感じた」と話す。

 対馬は日本の他の離島と同じように地域経済の衰退や過疎化という問題に直面している。こうした点を踏まえ、「島の活性化と安全保障の視点から新法制定に向けて議論を進めたい」(山谷参院議員)「国がしっかり現実をみて、国防と地域振興をしなければならない」(西田参院議員)との意見も相次いだ。

 「問題解決に取り組むスタート地点に立った」と石関衆院議員。赤池衆院議員と山根参院議員は「超党派で取り組みたい」と口をそろえ、新法制定への決意を新たにしていた。

 視察を終え、平沼氏は「対馬だけでなく、国全体が困ることが起きつつある。しっかり対策を考えたい」と語った。
こういうナショナリズムを高揚させ、韓国をはじめとする近隣諸国に対して敵愾心を煽るような記事を平気で書くわけですね。ただ単に対馬の韓国観光客向け不動産が韓国資本に買われているというだけの話であって、韓国までも仮想敵国にして排外ナショナリズムを煽りたいようです。韓国に対する植民地支配、強制連行、慰安婦被害という過去の加害認識が対馬を利用した産経の排外ナショナリズムの高揚記事からはすっかりと抜け落ちています。同月の19日には南京大虐殺記念館の写真撤去の捏造記事を出しておりますので、当然この記事との関連性があるとみてもいいでしょう。とりあえずは麻生という爬虫類以下の脳みそ政権の擁護でそういう失政および失策から目を逸らそうと画策し、よければ排外ナショナリズムを一層高揚させ大日本帝国への回帰を狙ったものと私は考えています。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 10:35 | Comment(146) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

糞産経新聞が捏造。南京大虐殺記念館は写真撤去していない

南京大虐殺記念館が産経新聞に反発「写真撤去はない」
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=1220&f=national_1220_002.shtml

 
写真: / 写真販売
  19日付中国新聞社電によると、南京大屠殺紀念館(南京大虐殺記念館)は同日、産経新聞に対する抗議の声明を発表した。産経新聞は、同記念館が信憑(しんぴょう)性が乏しいと指摘されていた写真3点の展示を取りやめたと報じていた。

関連写真:そのほかの歴史認識問題に関する写真

  産経新聞は◆「連行される慰安婦」として紹介された写真は「南京攻略戦の前に撮影。兵士に守られて帰宅する女性や子供」の写真◆「日本兵に惨殺された幼児たち」は「匪賊に殺された朝鮮人幼児」◆「置き去りにされて泣く赤ん坊」は、「南京ではなく上海で撮影された写真」――と、それぞれの写真を初掲載時の解説などにもとづき紹介。いずれも信憑性に乏しかったと報じた。

  記念館は声明で、「2007年12月13日に新館が開業して以来、写真は1枚も変更していない。産経新聞は意図的に事実を歪曲(わいきょく)して、本記念館の名誉を傷つけた。厳重に抗議する!」などと、強く反発した。

  写真は南京大虐殺記念館の集会広場。07年12月12日に撮影。(編集担当:如月隼人)
といったと少し古いニュース。一応南京事件について書いたのだから触れておかねばならない。検索すれば、2chにおけるネット右翼やブログ右翼が大喜びしてみたみたいである。

南京大虐殺記念館、信憑性乏しい写真3枚を撤去
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/205441/
【主張】南京大虐殺記念館 問題写真撤去を第一歩に
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/205848/
↑が産経新聞の記事

一応もう1つ具体的な記事を
南京大虐殺記念館、産経新聞の捏造報道に強烈な抗議
http://j.people.com.cn/94475/6560278.html
 日本紙「産経新聞」が19日に掲載した南京大虐殺の写真に関する事実でない報道について、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館(南京大虐殺記念館)がこのほど、厳正な「声明」を発表し、強烈な抗議を表明した。新華社が伝えた。

 産経新聞は19日付「主張」欄で、南京大虐殺記念館が07年12月13日の南京大虐殺70周年の際に再展示した「連行される慰安婦たち」「空襲で置き去りにされ泣く赤ん坊」「日本兵に惨殺された幼児たち」の3枚の写真は事実と符合しないと日本の研究者が指摘し、日本外務省が中国側に研究結果を伝えた結果、これらの写真が撤去されたと報じた。

 南京大虐殺記念館の朱成山館長は、この件について次のように述べた。

 産経新聞の今回の報道は、南京大虐殺の歴史の歪曲を何度も企んできた東中野修道、小林進ら日本の右翼学者の謬論に依拠したもので、故意に歴史を歪曲している。彼らの誤った言論を論駁するため、記念館は厳正な声明を発表した。要旨は次の通りだ。「昨年12月13日の新館拡張後、写真の入れ替えは1枚もない。産経新聞が下心をもって事実を捏造し、本館の名誉を毀損したことに、強烈な抗議を表明する!」

 これら3枚の写真そのものは、いずれも歴史の事実に符合するものだ。また、新館にこれら3枚の写真を陳列したことはそもそもなく、オープンから1年経っても1枚の写真も入れ替えておらず、日本外務省からの通知を理由に写真を撤去したような事実は全くない。新館に陳列している3500枚の写真は中国社会科学院、江蘇省社会科学院、北京大学、南京大学、南京師範大学などの学術機関の数十人の専門家が繰り返し論証し、日本側の専門家にも1枚1枚考証してもらったもので、どの写真も歴史の事実に符合する。

 記念館は開館後の20数年間で、館内外の専門家による南京大虐殺に関する歴史研究の不断の進展に基づき、展示内容を何度も調整してきたが、これは正常なことだ。記念館は近年来、すでに1万2000点以上の文物・写真・絵を収集しており、展示には非常に豊富な選択肢がある。

 新館のオープン前後には、史実を故意に歪曲し、南京大虐殺の歴史に関する事実でない報道を行った日本メディアが多くあった。現在、産経新聞はまたこのように事実を捏造しているが、実は彼らの目的はただ1つだ。すなわち、歴史の一部を否定する方法によって、南京大虐殺全体の歴史を否定する目的を果たすこと、さらに「記念館の展示内容は事実でない」とのデマを日本国内に悪意をもって撒き散らすことで、日本国民、特に青少年が南京に来て歴史の真相を理解するのを阻止することだ。(編集NA)

 「人民網日本語版」2008年12月23日
そもそも産経新聞が撤去したと主張する写真は、陳列したことすらないとのこと。
[6033]産経新聞は大ウソの垂れ流し体質
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=6033;id=sikousakugo#6033
 
▼ピッポさん:
当該記事には記者の署名はなく、いったいどの記者がなにを根拠にこの記事を書いたのか、疑問が湧く。

「連行される慰安婦たち」の写真は笠原十久司氏がアメリカのスタンフォード大学の資料を見て、いままでに見たことがないものだと思って、氏の著作に取り上げたものである(後に著作から削除)。当然、以前には記念館にも展示がなかったはずである。この写真が記念館に、しかも南京事件の資料として展示されたとは到底思えない。

「日本兵に惨殺された幼児たち」というのはどの写真のことか不明なのでコメントはなし。

「置き去りにされ泣く赤ん坊」というのが上海南駅の写真のことらしいが、この写真が上海爆撃のものだということはこの写真が著名なものであるので、中国側ももとから知っているはずである。手許にある、『南京大屠殺図証』(吉林人民出版社,1995年、中央档案館 中国第二歴史档案館 吉林省社会科学院 合編)でもこの写真の説明は上海のものとなっている。この写真が最近まで記念館に南京事件の写真として展示されていたことは絶対にない。
この写真は真正のものであるし、南京事件の背景として、上海・南京戦についての資料として展示することはまったく問題がない。したがって、もしこの写真を展示していたとしても中国側が「抗議を受けて撤去する」ことはありえないのである。

取材もなしに思いこみで大ウソの記事を書きとばす、産経新聞を強く非難したい。
 ということです。そもそも、右翼のいう南京事件における信憑性の疑わしい写真や捏造写真は1枚たりとも存在しない。産経新聞社は@南京大虐殺記念館は3枚の写真を展示していたA日本側の抗議を受けて撤去したB3枚の写真は信憑性に乏しい(捏造である)という三重の捏造をさらりとおこなったわけですね。良心の呵責すらない幼稚園児以下の脳みその産経新聞には徹底的に抗議し粉砕しなければならないが、そういう産経新聞の捏造記事の背景にある下心をもって歴史を歪曲し捏造しようとした勢力を明らかにしなければならない。こういう酷い歪曲記事を平気で出す新聞社が日本に存在すること自体が南京事件における犠牲者や被害者の尊厳を傷つけ、貶めるセカンドレイプのようなものである。徹底した歴史教育と、やはりこういう言論を良識でもって統制する右翼言論を徹底的に罰する法律が必要だとつくづく感じさせられる。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 10:09 | Comment(9) | TrackBack(0) | 激怒(むかついた)ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

南京事件、笠原十九司著 岩波新書 南京事件について

お正月でようやく休めるかとおもったら、読み終わった感想ですが、1つに素晴らしいですね。南京事件という人類史上最大の惨事を歴史的に、または学問的に深く考察され、まとめられた本だと思います。
南京事件といっても、いまだに否定する自民党のアホ右翼連中のような醜い物体の出現が絶えません。戦後直後、焦土となった日本で悲惨な酷く窮乏を強いられた敗戦体験から戦争被害者という感情が強く形成されていたのでしょう。戦時中は厳しい報道管制や言論統制によって知らされることは当然ありませんでしたが、戦後も似たような報道官製および戦後の敗戦体験も合わさって、無意識にそういう過去の汚点の事実に目をむけて直視することを避けていたのです。戦後直ぐに米ソ冷戦が始まり、連合国にとっても大日本帝国の戦争犯罪を追及し続けることに労力を避けなかったのと、冷戦の中で自らの陣営に日本をひきつけておくことも重要視されたこともあり、多数の戦争犯罪の事実が日本国民の前に明かされることはなかったのである。
少し脱線したが、本書は多数の一次資料を用いてあり、中国側の資料はもちろん、旧日本軍側の資料や元日本兵に至るまで幅広く取り入れてあります。
 日中戦争の歴史は1937年7月7日に盧溝橋事件が起こります。1937年8月13日には第二次上海事変が起こります。その2日後に日本軍が南京を宣戦布告なく爆撃します。皮肉なことに、その8月15日というのは日本の敗戦記念日と重なってしまうのですね。
 その爆撃というのは卑劣なもので軍人と市民に多数の死傷者を出しました。その爆撃は交戦法に違反したもので、宣戦布告もしていない中国の首都南京を爆撃したのは戦時国際法「開戦に関する条約」に違反。また非戦闘員を死傷させたこと、および非武装地域へ爆弾投下を行ったことは同法の「陸戦の法規慣例に関する条約」に違反。このような卑劣な国際法に違反した南京の爆撃が南京事件の前史となし、南京市民の受難の幕開けであったのである。
 海軍航空隊による渡洋爆撃と称する爆撃は頻度を増して南京へ続けられ、中国の大中小都市各地にまで及んだ。日中戦争における侵略は日本陸軍に目を向けられがちだが、1937年の時点では、参謀本部では上海の占領に限定し、内陸に侵攻しないように必要以上の拡大を避けようとしていたのに対し、海軍は中国の各地を爆撃したように、陸軍に先立って中国の屈服と敗北を目的とする日中全面戦争に乗り出していたという風な事実は意外だった。その後、第二次上海事変は上海派遣軍と中国軍の精鋭部隊らとの激しい戦闘が行われ、1937年第10軍の杭州湾上陸、第16師団の白茆口上陸によりようやく決着をみる。その後上海戦の消耗や疲弊を癒す暇なく南京へ侵攻し、あの忌まわしい南京事件を引き起こしていくのである。
 本書では海軍と異なり陸軍は拡大派と不拡大派に分かれて抗争していたこと。拡大派の中心には参謀本部第一作戦課長武田章大佐と不拡大派の中心には同部第一作戦部長石原莞爾少将にはいた。当然後者が前者を駆逐していくのであるが、武田氏よりも石原氏のほうが軍人としての階級も地位も上である。階級も地位も上である上官が不拡大論を主張しているならば、通例ならば自分の拡大論を改めるか引っ込めるべきだったが、武田氏は拡大論を主張し不拡大派の石原氏を押し切ったのである。陸軍内部には下克上というのが一種のブームとなっていた。石原氏が中央の命令を無視して満州事変を主導し、成功を収め、作戦部長という地位を得るに至ったが、自らの行為によって助長した下克上に直面するという皮肉である。
 南京事件というのは本書を読んで想像を絶するものだったといわざる負えない。原因としては

・「支那鷹懲」という根本にある精神
「支那鷹懲」というスローガンは軍部によって、日中戦争の目的として掲げられたが、これほど勝手に解釈される不明確な戦争目的はなく、政府、軍中央、果ては現地軍指揮官らによって勝手に解釈され、日中戦争の目的は絶えず拡大し、不拡大の枠を守ることを困難にした。参謀本部の統制にしたがわず、上海派遣軍が独断専行で南京攻略戦を開始したことを国民やマスメディアが支持する上で大きな役割を果たした。南京やその進軍過程などにおける残虐行為における役割として、
 

この残敵掃蕩、つまり敗残兵として残っている者を皆殺しにするという戦法は、敗残兵が一般民衆の間に逃れえた場合は、民間人を巻き添えにして殺害することになった。日本政府・軍部が日中全面戦争の口実にした「支那鷹懲」という思想そのものが、天皇の軍隊=皇軍に対して屈服してその配下にくだらないものは、武力で征伐し、討ち懲らしめるというものであった。それは中国民衆が生きて生活する場所に侵入し、彼らの生活を破壊しておきながら、日本軍に敵対したり、あるいは協力しない民衆を見て、さらに抗日的と疑うだけで「鷹懲」してしまうまでになった。(本書p96より)

という風に、「支那鷹懲」というスローガンが南京事件をはじめとする日中戦争における日本軍が中国の民衆に対する残虐行為を行って行く中で果たした役割は大きい。
・南京攻略戦は当初は予定していなかったこと
南京攻略戦は参謀本部の作戦計画にもともとなかったため、南京を陥落させた後の次に移すべき明確な作戦が陸軍中央にはなかったのである。国民政府と停戦・和平を目指す勢力、国民政府を屈服させて傀儡政府で変えようとする勢力、拡大派と不拡大派の対立があり、意思統一がなされていなかったことが数々の無策とそれにより引き起こされた南京事件の原因のひとつである。

・予期されていなかった日中全面戦争と戦争の長期化、それに伴う兵員の急速な水脹れと将兵の訓練・教育不良
日中全面戦争が長期化し、陸軍中央は抵抗が激しくここまで手こずるとは考えていなかった。急遽、予備役兵を召集し臨時の特設師団を編成するに至ったのだが、当然軍隊の装備も将兵の教育・訓練も不十分なままのにわか作りの部隊だったのである。住民への略奪、暴行、強姦などに至る軍規頽廃が著しく、日本軍の匪賊化が進んだ要因の1つである。

・後方支援部隊(兵站部隊)がなく、「現地調達」をあてにした進軍だったこと
中支那方面軍の独断専行で開始された南京攻略戦だから、上海派遣軍だけの場合、上海周辺だけ載狭い想定していたものだから、各兵站部は当然貧弱だった。しかも、上海というより狭い範囲でさえ、食糧・軍需品を供給する兵站機関が混乱していて、住民から略奪し、暴行に及んでいたのである。上海を占領してまもなく独断で始めたものだから、兵站部隊を整備する時間もない。なおさら、南京攻略戦における前線部隊は現地調達を余儀なくされる。

・上海戦に続く南京攻略戦に連戦への憤怒と憤りが中国軍民への敵愾心となって現れたこと
1937年11月の中旬には上海全域を制圧した。兵士たちの多くは予備役兵・後備役兵で、妻子を残した出征であったのだが、上海戦が終われば帰還できると思いきや、そのまま南京攻略戦に駆り立てられ、兵士たちの中に大きな不満や憤りが生まれたのに違いない。それが逆に中国軍民に対する敵愾心の形で現れ爆発したのである。特に中沢三夫大佐率いる第16師団が特に酷かった。第10軍に属し、華北から転戦させられてきたのだが、華北でも戦い犠牲を強いられ、転戦の負担にもかかわらず、途中から投入された上海戦では継子扱いさせられ、物資ばかり兵要地誌さえもまもとに与えられず行き当たり式に戦闘を命じられた挙句、こきおろしされて、さらに南京進軍へ駆り立てられたというのがその理由である。
・各部隊を挑発し、南京一番乗りに向けて競争させ、煽り立てたこと
拡大派の武藤参謀副長は参謀本部の統制に反する形で南京攻略戦を独断専行で進めたので、一刻も早く南京急進撃を成功させる必要があった。進撃が停滞した場合は、南京攻略が反対している不拡大派の幹部に前進停止を命じられる可能性があったためである。手段は疲労した上海派遣軍を挑発し、第10軍と「南京一番乗り」を争わせることだった。上海派遣軍と第10軍の競争になるわけだが、当然それぞれの軍は指揮下の各前線部隊に「南京一番乗り」を煽ったのである。ただでさえ、兵站が崩壊しているのだが、それを強行軍でやるわけである。ほとんどが現地の調達になり、略奪に伴う強姦や暴行などが増えるのも必然だった。「南京一番乗り競争」進軍に伴う被害として波状進撃に伴う被害も深刻だった。前線部隊が各師団の先頭部隊や主力部隊、後続部隊にバラバラ(波状)に進軍していったのだが、さらに遅れて補充員部隊の波状進軍があったのである。上海での日本軍の損害が甚大であったため、各部隊とも多数の補充を必要とした。このためつぎつぎと補充員部隊がのちに各前線部隊へ送られていくことになるのだが、本体の指揮に入るまでは臨時のために、明確な指揮系統はなく軍紀もなきに等しかった。中国人をかってに徴用し、勝手に食糧の略奪を繰り返しながら、任意集団として南京へ向かった。前線部隊よりも指揮系統がなかった分、軍紀が弛緩し、残虐行為の数々は前線部隊よりも上回ったのである。

・中支那方面軍司令部が配下の全軍を統括統制する機関を備えていなかったこと
大本営は1937年12月1日、南京攻略の独断専行を正式承認し、戦闘序列が正式に下命され、上海派遣軍と第10軍よりなる中支那方面軍司令部が正式に発足するが、指揮下の全軍を統括する兵站機関をもたない正規のものではないことにはかわりなかったのである。南京攻略戦の作戦指揮だけをして、軍隊の食糧・軍需品の補給、将兵の軍紀風紀の取り締まりも、傷病兵の救助・治療も、上海派遣軍・第10軍および各師団の責任に任せるという、無責任なものだった。中支那方面軍司令部が指揮下の全軍を統括・統制する機関と権力を一切備えていなかったことが、南京とその攻略における残虐事件の数々を発生させる要因のひとつとなったのである。上海攻略戦の時点で軍紀頽廃が著しかったので、なおのことである。

・上海、杭州湾より続く、仲間の犠牲とそれに比例する中国人に対する復讐心と敵愾心
上海、机州湾から戦闘と殺戮を繰り返してきた日本軍の将兵は、仲間の犠牲が増えるに比例して中国人に対する復讐心、敵愾心が高まっていた。残虐行為にも慣れ、民衆に危害を加えることも躊躇しなくなっていたのである。南京陥落後の捕虜虐殺では「戦友のかたき」「憎い敵」という激しい敵愾感情というのも背景に存在する。中国の民衆からすれば殺人鬼ならぬ「日本鬼子」「東洋鬼」以外のなにものでもない。

・農村部の心理的性犯罪行為を行いやすい環境
農村部では、村落が孤立し、人家も分散している上、土塀や石垣で囲まれて農家の家構えが密室状態になっていたこと、あるいは婦女子が山野や田畑に逃げ隠れているところを発見された場合、街中や往来と異なり心理的に性犯罪行為をやりやすかったこともあって、農村部では凌辱された上殺害される強姦殺害が多かった。もちろん、街中や往来でも多数の強姦及び強姦殺害は行われた。無数の女性が性の恥辱と生命の剥奪という二重の犠牲を強いられたのである。
・強姦行為などの兵士の犯罪を取り締まる憲兵がいなかったこと
これはよく言われていることである。強姦や略奪、殺戮、放火、暴行などを禁止する注意事項というのは下達されてあったが、それを取り締まる憲兵がほとんどいなかった。南京入場式直前の1937年12月17日の段階でたったの17人に過ぎなかった。

・残虐行為の放任・黙認
注意事項が下達されてあるし、それ以前に陸軍刑法でも、ハーグ陸戦条約においても禁止されていることだが、無理難題の南京攻略において、将兵の憤怒や反発のガス抜き、はけ口、あるいは慰労という形で略奪および殺戮、強姦といった行為を部隊や上官が放任・黙認しているのである。上海から南京攻略の過程でも、軍の上官らは兵士たちの性的暴行を「兵の元気をつくるに必要」という理由で黙認する傾向があった。南京陥落後は、多くの部隊が南京城内に進駐するなかで、勝利者、征服者の「特権」という形で略奪や殺戮、強姦などの不法行為に走るのを黙認・放任されたのである。
・南京陥落後、兵を城内に駐屯させたこと
軍紀弛緩の上、戦場の狂気をもった兵隊が市内に放てば、悲惨な不祥事が起こるのは当たり前である。
・入城式の挙行とそれに伴う掃蕩作戦による犠牲
中支那方面軍が陸軍中央の統制を無視して強行したのだが、ついには大元帥の昭和天皇から直々に「御言葉」を下されるまでに至ったのである。掃蕩の関係上、12月20日以後を申し入れていたのにも関わらず、17日に強行した。もちろん、入城式は式場はもちろおん、城内、城外であっても敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動があれば皇軍の威厳を損ねることになる。その上、上海派遣軍の朝香宮鳩彦王中将は皇族であり、天応の軍隊の象徴である皇族の司令官に万が一のことがあれば天下の一大事である。17日に入場式を挙行するため、南京城区ではなく近郊農村にまで及んで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開されて、虐殺される軍民の犠牲を一層大きくしたのである。

・敗残兵狩りのため、難民収容所や民家の隅々まで捜索に入ったこと
当然民家の奥に隠れている婦女子と日本兵が接する機会が増える。押し入った部屋の奥に隠れていた婦女子を発見し、強姦し、輪姦に及ぶことになった。

以上が原因として挙げられるところである。
他にも書きたいところがあるが、触れる時間はなく省略しておく。
南京事件は大量虐殺もそうだが、強姦が大日本帝国の加害歴史、いや人類が誕生して以来歴史上これほどまでに行われたことはないだろう。ヴァーリントン氏らをはじめ安全区国際委員会らの外国人らが彼女らを救うために健闘した。

 酒に酔っ払って、凶暴化した兵士が強姦や殺傷をおこなう場合が多く、彼らの残虐行為を止めにいくには、命の危険がともなった。安全区国際委員たちは一人でも二役も三役もこなしながら、日本兵と「たたかい」を続けた。日本軍の入場式前後から激増した強姦事件が、1日千件以上も発生し、最初の1週間で8000人以上の女性が犠牲にされるなかで、彼らは婦女陵辱にたいする闘いに大変な時間をついやした。
 被害の大きさを考えればイタチごっこの観もあるが、通報され救助を求められた現場を駆けつけて、強姦行為を阻止すること、強姦により傷害を負った女性を病院に運び治療させること。そしてもっとも多かったのは、強姦された女性を早く病院へ連れて行き、妊娠しないように膣の洗浄をさせること、などであった。夜は夜で婦女の難民の近くで警備しながら寝る必要があった。(本書p198〜199)


といった具合である。他にも書きたいところがあるが、時間がないのでやめておく。南京事件の記事を書く中で思ったのは、中国政府が発表する犠牲者30万人も過少ではないかと思えてくる。南京周辺の近郊の農村や街でも残虐行為は繰り返されており、そうした犠牲も含めれば30万人ではすまない。改めて思ったのは先の戦争における女性の被害の大きさである。1938年3月28日の傀儡政府である中華民国維新政府が成立してからは治安がほぼ回復し、一応の終結をみるが、日本軍の慰安所が設置されて おり、おそらく終戦の8月15日に至るまで女性の犠牲は続いたのであろう。
 今回南京事件について本格的に記事にするのは初めてであり、右翼を討伐し、歴史修正主義に反対するブログとして南京事件をテーマに出来た記事をかけてのは幸いである。忙しい中でもっと大日本帝国の加害歴史を勉強し、そういうテーマに取り組んでいきたい所存です。末永く応援していただけると幸いです。

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 01:25 | Comment(8) | TrackBack(0) | 書籍などにみる日帝悪および書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月01日

あけましておめでとうございます。今年と2009年に向けて

1年過ぎるのも早いもので、今年1年も忙しかったのです。とはいっても今年はいろんなことがありました。特に、私が更新するのを絶った夏から今日に至るまでです。まずは国外に目を向ければ、住宅バブル崩壊に伴うアメリカのサブプライムローン問題や、それに続くリーマンブラザーズ破綻による破綻に伴って、大きな世界不況であろう。国内に目を向ければ、輸出成金と非正規労働者、下請けの酷使で成長してきたトヨタをはじめとする自動車産業(輸出産業)が大幅な業績悪化に見舞われたことだろう。それで、世界的な景気の後退や金融危機、業績の悪化およびその懸念などを理由に、非正規労働者を切ろうとしているが、自分たちは対米輸出で散々儲けた挙句、その儲けた時期でさえ労働者の賃金や待遇の改善を渋り搾取し、二重に利益を稼いできたのである。危機が来るや、そういう自分たちの都合がいいように、労働者に犠牲を押し付ける財界や大企業の姿は、まさに大日本帝国と日本軍とその取り巻きの業者ら侵略戦争下で朝鮮人労働者らを酷使し、各地で儲けていた過去の悪しき歴史を彷彿とさせるものがある。
国内の政治に目を向ければ、福田康夫氏が辞任し、幹事長だった責務を放り出して恥を知らず首相に就任した麻生太郎と侵略戦争肯定の論文を発表した田母神俊雄航空幕僚長という2匹の醜い生物の姿があった。田母神俊雄航空幕僚長のニュースは見たことはあったが、記事にはできなくて残念である。背後にはその論文を最優秀賞に選んだ日本会議を中心とする右翼勢力アパグループというのも背後にあった。いまどき、当時の日本(大日本帝国)が戦争の被害者であったというからまさに破廉恥の上塗り。こんな歴史観をもつ醜い生物が航空自衛隊の最高幹部にいたことが私も驚かされた。自衛隊はまさに日本軍の悪しき血統を引き継ぎ、大日本帝国の悪に染まった非常危険極まりない組織であることを示すものである。
もう1つは麻生太郎という生物である。9月に就任してから3ヶ月になるのだが、もう末期状態である。私個人としては麻生太郎という醜い生物が日本の首相になれたことはこれからの日本の歴史で大きな汚点であろうが、日本のためを思えば正解である。漢字すらまともによめないマンガ脳の爬虫類以下の下等生物が顔の自民党ではもうじきある衆議院選挙では勝てない。かといって、アベ、福田、麻生と続いた顔の挿げ替え戦術はもはや通用しないし、民主党が大勝利するのは必然である。麻生という醜い下等生物を顔に据えてしまった自民党はもはや船底に大きな穴を開けた沈み行くしかない船でしかない。
そこで、提案である。2009年は反右翼法の制定を行うべきである。世界平和、戦争反対、、過去への反省、大日本帝国の残滓の徹底的な撲滅の観点から右翼思想を取り締まるべきだと考えます。
ドイツでは過去への反省から反ナチ法という物が存在しており、日本もこれを見習うべきです。
中山成彬が言った日本は単一民族という妄言、これに象徴されると思います。アイヌや在日朝鮮・韓国人、華僑の方々などを無視し、そういう多様な諸集団を単一の大和民族というのに一元的にまとめ、全体(国家・民族)の絶対的優位の元に管理し、総動員する思想、これがまさに大日本帝国の残滓が主張するところの右翼思想の根源です。もっぱら権威に価値を認める主義で、権威に対する自己卑下や盲目的服従、また、権威をもって他を圧迫する態度で、議会政治の否認、一党独裁、市民的・政治的自由の極度の抑圧、対外的には侵略蛍光をもち、合理的思想をもたず、もっぱら感情的に国粋的思想を宣伝し自国の歴史・文化・政治を貫く民族性や国体の優秀性を主張し、民族固有の長所や美質と見なされるものの維持・高揚をはかる思潮であり、上からの強権的な国家と対外進出の主張が特徴である超国家主義と必然的に結びついていくのです。
  右翼思想の取り締まりと大日本帝国の残滓の撲滅、大日本帝国の加害の歴史の精算を国民レベルで真剣に考えていく、それを義務化する法律がこれからの日本には必要で、2009年の民主党政権が成立させてくれることを私は期待します。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 01:50 | Comment(66) | TrackBack(1) | 日々の雑感ならびに考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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