*このエントリは、ブログペットの「右翼討伐犬」が書きました。
2008年01月18日
2008年01月14日
(特にフィリピンにおける)日本兵による人肉食
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/76192229.htmlで取り上げましたが、
http://blogs.yahoo.co.jp/hobb9313jpjp/8144302.htmlでは
生涯を捧げたという、70歳に近いころまで働いたが二〜三年前亡くなり3日後には親も他界した。戦争の悲劇の一つの例である。ほかにも
もう一つは、「敗走する旧日本兵」 旧日本兵が人肉を食っていたということが、テレビで放映されていた。戦後軍部は戦争が終ったことを知らず山へ逃げ込んだ。日本兵は食料がなく住民を襲い人肉を食料にしていたという、それに反対するものは、殺されそうで兵隊の間にも不信感があり同僚も信頼されない状況であった。
ある人は、せめてもの罪滅ぼしにフィリッピンにボランチチァを続けているという。この話は12年前の日記(平成5年10/23、10/24)からの抜粋であります。
食人文化ファイル0045 フィリピン敗残兵食人事件
http://shock.gray-japan.com/ura/can/file-0045.htmlでは
日本は敗戦したが、敗残兵がフィリピンに取り残された。
その敗残兵が食人行為を働いていたと言う事実でる。
1946年10月、5人の敗残兵は、ある一家に食糧を奪いに入ったが、食料が無いのを知ると、父親の首を切り食べた。
1946年10月、7人の敗残兵が、ある一家に押し入り兄を連れ去る、後日、頭部のみ発見。
80人近くの人名が奪われ、敗残兵14人に死刑、終身刑が言い渡されたが、恩赦により日本に戻された。
なお、この食人の発生した地域には野生の鹿が多数生存していたという。
敗残兵は鹿を捕まえることができず、人肉に走ったのだろうか?
それとも、鹿肉より人肉の方が旨かったのであろうか・・・
尚、これほどの事件を一般日本人は殆ど知らない。
この事実は1993年にTBS、テレビ朝日が簡単に短い時間で報道しただけで、新聞にも発表されなかった。
放送されなかった理由として、あまりにも悲惨な事件であったこと、遺族会からのクレーム等である。
しかし、こういった事実はあったのである。
敗戦後、残留日本兵により人肉食があったが、やはり人肉以外の食糧はあったのである。この事例は辺見氏が取材したミンダナオ島のインタバス村での事件だと考えられる。
フィリピンとのビデオ交換プロジェクト
http://blog.canpan.info/ideaeast/archive/123
元日本兵の方は、戦争が終わって60年以上、ほとんど戦争の時のことを語らなかった方が多いのですが。人生の終わりが見えてきたこともあり、今、戦争の体験を語り出しているのだそうだ。同じ日本兵同士でさえも、人肉を喰いあう共食いの狂気。言葉がないですね。
その証言を、フィリピンの方が見たとき、当時の様子がフィードバックされる人もいたそうだが、日本兵も仕方なく戦っていたという被害者でもあるという事を言う方も出てきた。
そして、そのビデオを、元日本兵の方に見てもらうと。いままで、語らなかった事実を語り出したのだ。
それは、日本兵が、日本兵の人肉を食べたという話しだった。
昭和20年の6月〜8月が、当時のフィリピンにいた日本兵にとって最悪の時期で、総ての補給が絶たれ、軍隊内でも食料の取り合いが行われるようにもなっていた。そんなある日、アメリカ軍の基地に投降すると見せかけて、自爆テロをするという3人が現れたのだ。しかし、なんとなく、おかしいと思って、調べたら爆弾ではなく米が入っていて、どうもこの3人は、食料を持った上、アメリカ軍に投降しようとしていたようだ。
そんなことが、そのにいる辛い思いを共有している兵士にばれ、収まりがつかなくなったので、この3人の日本兵を殺すことになった。
その殺された日本兵の肉を、その部隊の何人かが、あまりもの飢えのために食べたそうだ。
カニバリズムについて
http://www1.odn.ne.jp/~ccb07360/sub/sub7.htm
インタバス村、いや現在分かっている日本兵の人肉食も氷山の一角であり、フィリピン以外のほかの地域でもごく日常的に行われたというのですから、恐ろしいですね。日本兵による人肉食事件
- 1946年6月、フィリピンのインパソゴン村でその事件は起きた。村で評判の美人である若妻(20歳)が、日本兵に捕らえられ、刃物で切り殺された。日本兵は全裸にした女を、バナナの葉の上に横たえ、解体作業を行った。切り取った肉片とトウモロコシと雑草でスープを作って食べたということである。日本兵によって、同様な行為が、各地で行われた。(「棄てられた日本兵による人肉食事件」)
サンイシロでの聞き取り調査@−ICANのご協力を頂きました−
http://blog.bridgeforpeace.jp/?eid=490153
●LUCIO SAN JOSEさん、71歳日本軍による女性への性暴力の話と一緒に、人肉食がでてくるのですから、これほど怖ろしいものはありません。右翼からすれば、ただの証言であり、被害者と称するものが嘘をついているということになりますが、私の会社のフィリピン人の同僚からも聞きましたし、戦犯裁判の資料でも証明されている以上、疑いのない事実なのです。それにフィリピン人が嘘をつく必要性も無いわけですから、右翼の根拠のない言いがかりは、被害者や犠牲者の尊厳と名誉をさらに貶め、傷つけるセカンドレイプ以外のなにものでもありません。
「いつも走って、逃げて、隠れていたのを覚えています」。
そう切り出した妻のLUCIO さん。洗濯をしている時に日本兵が急に現れ、「殺される」と夢中で逃げたこともありました。食事の用意さえ、ままならなかったと言います。煙が出ると日本兵に存在がばれてしまうので、調理は見つからないよう夜に行うのが暗黙の了解でした。
「だから、いつもお腹が空いていました」。
戦時中の為、食糧自体が不足し、日本兵にとっておいた食べ物を取られたこともあると言います。
そんな逃避行の日々の中、彼女は父親を亡くします。家族で日本兵から逃げている時、事故で亡くなってしまったそうです。無我夢中で逃げ切った直後、父親がいないと気付いて来た道を戻ってみると、無残な姿で息を引き取っていました。それ以来、彼女が家族の責任を負う立場になりました。母親も、戦時中は何とか生き抜いたものの、戦後すぐ亡くなってしまったそうです。
日常的に辛い経験をしていたと見受けられるLUCIOさんですが、最も怯えていたことは、日本兵にレイプされること。独身女性と分かると連行されることが常だったので、日本兵に見つかった時は子供を抱え、連れて行かれぬようごまかし通したと言います。
「抵抗は出来ない。拒否すれば銃剣で殺されました。男性も連行されていく女性を助けることは出来ないのです。助けることは死を意味しましたから」
1年位続いた日本兵の占領の中、日本兵が人肉を食べる場面にも遭遇したというLUCIOさん。その話の後、当時を思い出してしまった様子で、彼女が再び口を開いて語ってくださることはありませんでした。フィリピン人女性の足を日本兵が食べているところを、木陰から目撃してしまったというのです。
「思い出してしまった。本当にひどかった。二度と若い人に同じことを経験してほしくないと思っています」
中国でも日本兵のカニバリズムがありました。
脳を食った話 日本側の記録
http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/nou.html
日本国内でいえば父島での人肉食事件や辻政信がビルマで英軍捕虜の人肉を食ったという話が有名、
パプアニューギニアではゆきゆきて神軍が有名ですが、日本兵は現地人を黒豚、白人を白豚などと称して喰っていたそうです。
ニューギニアで旧日本兵が行った残虐
http://www.midori-kikaku.com/mariko/j-ist01.htmlでは日本兵による凄惨な数々の現地人への人肉食蛮行が繰り広げられました。人肉食の被害は現地人が名乗り出ているだけでも、1,867人です。強姦などの性暴力の被害もすさまじく、強姦5,164人以上、慰安婦12,718人に上っています。その後朝日新聞による続報もあってさらに人数が増えています。戦後50年以上経っており、パプアニューギニアというのは他の村落同士でコミュニケーションもとりづらく、通信手段もなく、被害が被害だけに名乗り出ない人などのことも考えれば、どれほど被害が惨烈を極めたことか想像できません。
日本兵による人肉食が一方で、大日本帝国の侵略戦争での必然でもあったと考えられるのです。明治維新以来、富国強兵の名の下、欧米の列強以上に侵略の欲望をむき出しにし、帝国主義路線をとり、一方で国内では天皇を中心とする恐るべき軍事的圧制体制を築きあげた。満州事変、日中戦争とアジア太平洋戦争に至る中で、さらに狂気を増し、占領地に出て行く兵士には恐るべき軍隊教育がなされた。理性と良心の微塵の欠片さえもない、人間を殺しても、女を強姦して殺しても、幼い少女の膣に銃剣でえぐり殺しても、人間的な感情など全く持ち合わせていない畜生道に堕ちるところまで堕ちた殺人マシーンにしたのである。戦況が悪化する中で、各地で補給が絶たれ、戦陣訓に縛られ投降すらできず、大本営から捨てられた殺人マシーンたちの成れの果てが現地の人々を女子供も関係なく殺して喰って、日本兵同士ですら関係なく喰いあう地獄絵図であったのだ。日本兵の人肉食という行為は大日本帝国の侵略戦争の狂気がエスカレートして極限までいった当然の帰結である。日本兵の人肉食という蛮行を否定するのではなく、そこまでの狂気に至らせた大日本帝国という過去の体制を憎むのが本来の筋ではないだろうか。右翼はその辺分かっていない。
ついでにですが、この前ですがフィリピン人の同僚が祖父(お爺さん)のことを少しだけ話してくれました。日本兵が拷問して殺した抗日ゲリラを殺して食ったという人肉食を目撃したという話を私は聞きました。将来、私がフィリピンに渡航することも視野に入れて、詳しく報告できたらいいと思います。
2008年01月13日
ナウル共和国における大日本帝国の加害・・・軍隊のない国家(23)――ナウル共和国より
ナウル共和国における大日本帝国加害事実
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13729281.html
他の太平洋諸島の島々における加害情報も扱っております。
前田朗氏の[AML 17731] 軍隊のない国家(23)――ナウル共和国 より転載
前田 朗「軍隊のない国家(23)――ナウル共和国」法と民主主義424号(2007年)
目次
一 リン鉱石の島
二 憲法政治の構造
三 日本による占領
以下にさわりをご紹介。
* ***********************************
*
日本軍は、一九四二年八月二三日、ナウルに侵攻した。二隻の艦船と九機の爆撃機による爆撃が行われ、翌日、オーストラリア側が降伏した。占領は八月二六日である。日本軍兵士三〇〇人が上陸した。西欧人はすべて自宅拘禁となった。八月二九日、南洋興発会社の七二人がナウルに到着し、リン鉱石採掘所の調査を行った(4)。
ナウルは戦略拠点とされ、さらに日本軍が集中した。一九四二年一二月には海軍三〇〇人が加わって六〇〇人になり、日本人および朝鮮人労働者七〇〇人が送り込まれた。三〇〇人のナウル人を労働させて飛行場滑走路建設も行われた。
ナウル人の生活は劇的に変化した。オーストラリア統治下では想像もできない厳しい強制労働につかねばならなかった。しかも、食料は一日あたり米二ポンド、牛肉十分の一ポンドしかなかった。日本人労働者も同じだったが、中国人労働者にはもっと少ない食料しか与えられなかった。滑走路は一九四三年一月末に完成し、日本軍機が飛来するようになった。二月二一日には連合軍による空襲で戦闘機一五機が大破した。
ナウル人は国内で強制労働させられただけではない。一九四三年六月三〇日、日本軍はナウル人の強制移送のための選別を始めた。食料の豊富な島に避難するという口実であった。ナウル人は、日本軍が土地所有者を移送することによって土地を取り上げるのではないかと疑った。七月、ナウル人六〇〇人の移送が始まり、他方、六五九人の日本人がナウルに送り込まれた。八月一六日にも六〇一人のナウル人がトラック島(現在のミクロネシア連邦のチューク島)に移送された。
日本軍は結局、一二〇〇人のナウル人をはるか遠くのトラック島に運び、逆に七〇〇人のバナバ人をナウルに送り込んだ。この強制移送は実に不可解なことであった。他方、占領期にナウルに送り込まれた日本軍兵士はのべ三〇〇〇人に及ぶ。
ナウル人と入れ替えに送り込まれたバナバ人にとっても悲劇であった。バナバ島はナウルの東にある六平方キロメートルの小さな島(現在はキリバス共和国領)であり、ナウルと同様にリン鉱石の島である。かつては南洋の楽園であったが、第二次大戦の悲劇や、ナウルやフィジーへの強制移住のため、民族が破壊された。かつては一万人であったのに、現在は二〇〇人がバナバ島に住んでいるにすぎない(本連載次回キリバス参照)。
日本占領期のナウルの人口構成については二つの統計が知られる。一九四三年六月一日の調査によると、日本海軍一三八八人、南洋興発会社七二人、朝鮮人を含む労働者一五〇〇人であり、以上の合計が二九六〇人である。西欧人二人、ナウル人一八四八人、中国人一八四人、その他太平洋諸島人一九三人。総計五一八七人である。
一九四四年五月一二日の調査によると、日本海軍二八六七人、朝鮮人を含む労働者一三一一人、ナウル人を含む太平洋諸島人一四六三人、中国人一七九人で、総計五八二〇人である。
強制移送に伴って、日本軍はナウルの家屋、学校、教会を破壊した。ナウル人は飢餓ぎりぎりの状態に置かれ、伝統的な生活様式そのものが破壊された。ナウル人の三分の二が強制移送され、トラック島で農作業を強制された。戦後、帰還できたのは七三七人だという。約五〇〇人が死亡したと推定される。このため戦後のナウル社会には世代間のギャップが生じ、通常の家族生活が成立しない有様だった。社会の存続にとって最低限の一五〇〇人しか生存できなかったのだ。
日本人はナウル人を通訳として利用したが、ナウル人が熟達した通訳や教師になるような教育は受けさせなかった。日本が提供した教育は最低のものでしかなかった。オーストラリア統治期には、ナウルの学校教師はすべてナウル人であったし、教員として訓練を受けるためにオーストラリアに留学した者もいたのとは、対照的である。
戦争末期、一九四四年には、ミクロネシアにおける日本軍守備隊は住民をさらに虐待するようになった。ポナペ、トラック、ロタでも虐待が行われ、オーシャン諸島とナウルでも虐殺があったといわれる。
虐殺、強制労働、強制移送、家や学校、教会などの財物の破壊、食糧難による飢餓など、蛮行と悲惨のオンパレードです。ナウルは地球温暖化の危機にありますが、すでに危機は50年以上も前にあったのです。ナウルの伝統や文化、そして民族の尊厳までも一かけらたりも残さず奪っていった侵略者・大日本帝国という存在がありました。今なお苦しんでいられる被害者の方もいられるでしょうが、何ら補償も償いもしない日本という国は一体なんなんでしょうね。
高金素梅氏のことでうれしい続報
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/76494233.htmlの続報です。
とりあえず一安心です。
[AML 17727] Fw: Re: 台湾当局への抗議声明(選挙速報) より転載
以下転送します。
原住民枠は縮小されましたが善戦です。和田喜太郎
>Subject: [kyodo:266] Re: 台湾当局への抗議声明(1月7日)
>To: kyodo@ml-1.plala.or.jp
>
>台湾選挙の速報です。
>
>> 選挙結果 続報
>> 最終得票が決まりました。
>> 高金素梅(チワスアリ)は山地原住民当選者(3名)中、一位とわず
>> か200票強の差で残念ながら第二位でした。とは言えすばらしい勝
>> 利です!高金素梅(チワスアリ)を妨害し続けた民進党候補は落選で
>> す!
>>
>> 民進党は大敗決定。最低ラインとしていた「35議席」に遠く及ばな
>> い、僅か「28議席」でした。
>
高金素梅氏の当選に感謝。たったの3人枠で1位との差がわずか200の大量の支持を得て当選とはうれしい限りじゃないですか。高金素梅氏が台湾で支持されている何よりの証拠でしょう。民進党の卑怯な策略は失敗し、民進党は大敗北です。大日本帝国賛美の右翼迎合の李登輝の台湾団結同盟なる政党は議席そのものがなくなっていまったじゃないですか。感極まるもので、台湾の大日本帝国加害追及陣営に加わると考えたらうれしくてたまりません。
2008年01月05日
懐疑主義者という糞コテに告ぐ
おっと、忘れるところだったが、「多数の死傷者数がでたのは中国側の便衣兵攻撃」だという便衣兵戦術についてだが、私は生憎この方面には勉強不足で詳しくない。
いい相手を紹介してやる。
思考錯誤
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?id=sikousakugoのとほほ、タラリ氏をはじめとする論客
クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/の青狐氏
そして最も博識で論がたつ
Apes! Not Monkeys! はてな別館
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/のApeman氏
Apes! Not Monkeys!掲示板
http://homepage3.nifty.com/biogon_21/index.htmlという掲示板もある。
糞懐疑主義者よ、お前の便衣兵などに関する"御高説"を垂れて来い。そしてケチョンケチョンにされてこい。侵略を受けて、日本軍の犠牲になった人々や人権ばかりか、人間としての尊厳や誇りまでもズタズタにされ心身に深い傷を負って今なお苦しんでいる被害者に対しては失礼すぎではないか。中国大陸での戦争においても、あくまでも日本軍は被害者で、多数の死傷者が出た責任はすべて中国側にあって、日本軍に悪かったなどとは微塵たりとも感じない腐ったやつよ。
裏づけ、物的証拠などとうるさいが、日本軍の加害や被害証言などばかりで、一次資料でも連合国側の戦犯裁判資料、日本側の加害者(中帰連などの兵士)の証言などに対してはものすごくうるさいくせに、自説(侵略戦争正当化、大日本帝国免罪論)の都合のいい日本側の関係者の証言や資料、著書、右翼側の人間の主張に対しては求めない、無批判・無検証で採用するくせにな。
戦犯裁判で冤罪を主張する弁明する主張であれば、本や人(掲示板・ブログのコメント)からの伝聞の裏づけのへったくれのないやつでも、裏づけや(物的)証拠、根拠を求めない、無批判・無検証で採用。
日本人が被害者だった場合(ソ連兵に性的暴行を受けた日本人女性、朝鮮半島・満州で引揚者が暴漢に襲われたこと)、ネット右翼が宣伝する戦後の朝鮮人や中国人の悪行の類(戦後、日本の闇市などで戦勝国人として暴動を起こした話)には、裏づけや(物的)証拠を求めない、当然無批判・無検証。連合国の戦犯裁判で日本軍の残虐行為に関するものは勝者の一方的なものだと主張するくせに、そういうことを裏付ける日本側の一次資料については、日本側の資料だけでは一方的だから他の資料を含めた総合的な検証という風な話にはなぜかならないのである。
無論、ソ連兵や米兵に暴行されたという風な日本人が被害者だった場合も、私は日本人女性被害者の話も大日本帝国・日本軍の被害者と対等に尊重する。私は戦争の被害者の痛みが分かる人間だからだ。分かったか?糞懐疑主義者よ
でもう一度繰り返してしつこく言う
思考錯誤
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?id=sikousakugoのとほほ、タラリ氏をはじめとする論客
クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/の青狐氏
そして最も博識で論がたつ
Apes! Not Monkeys! はてな別館
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/
Apes! Not Monkeys!掲示板
http://homepage3.nifty.com/biogon_21/index.htmlのApeman氏のところへ出向いて、大日本帝国の犠牲者や被害者に失礼な自説を垂れてこい。そして、自分の中の悪しき大日本帝国の残滓を浄化して、まともな人間になってこい。話はこれからだ。もちろん、懐疑主義者だけではなく、他の右翼コテの皆さんもどうぞ。


新年早々の私の初行動について、インドネシア掲示板における従軍慰安婦決議案への協力の件
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/76178899.htmlについては削除こそされていませんが、今のところ賛同を得られた書き込みはブログ記事にも、当掲示板の返答にも見られませんでした。ただ一つ、理解を示してくださる方はいたようです。流浪の民の乱というHNの方で、
>思考的視野狭窄に陥り歪んだ国家観、世界観しか持っていないのにさも論理的と思い込んでアホなことを言うあなたのような馬鹿日本人がいるから、日本は世界から相手にされないのだ。というわけで、インドネシア人は、というかアジアの人たちは表層的には親日である。しかし、きちんと世代を超えて教育によって、過去大日本帝国・日本軍が行ったことを忘れているわけではなく、侵略戦争で辛酸を嘗め、自分たちの国・地域が軍靴で踏みにじられ蹂躙された恨みをきちんと心の深層・根っこの部分にはもっていること。ここの掲示板には何度か書き込んだことがあったが、今回も含め私に対する罵倒の意見が多かったが、そこにいる右翼はインドネシアには実はいったことはないか、あるいは滞在者であっても、表面のアジア人の優しい部分のみしか見えず、わが国が過去やったことを決して忘れていないその心の奥深くを見通せていないだけであろう。それに、過去のわが国の侵略と加害についてはインドネシア、他のアジアにおいても簡単に情報が得ることができるはずだ。ロウムシャやヘイホについても、さらには日本軍による女性への性暴力についても。ロウムシャ・・インドネシア語になっている ヘイホとして戦争に狩り出された損害補償請求に日本の裁判所は悉く却下した
小中の社会科教科書にも日本兵に拠る虐殺の写真と記述が記載されて国民は過去より真実を教え伝えられている
表層的には親日であるが情況次第では憎悪を剥き出しにする反日暴動の素地はある
老人から何度も責められた事がある 刑務所では一部から常に脅威に晒された
ジャワポスの記事 http://suihanmuzai.hp.infoseek.co.jp/jawa001.jpg.htm
インドネシアにおける慰安婦調査報告 倉沢愛子
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/531.html
第2次大戦中、日本軍占領下のインドネシアで、多くの女性(インドネシア人、華人、オランダ人)が、日本兵の性的犠牲になったことはインドネシア社会では周知の事実であった。たとえば、1959年4月3日付けのインドネシアの新聞(Mestika紙)には、日本の賠償支払いに関連した投書が掲載されているが、その中で、日本からの賠償を本当に受け取る権利があるのは、日本の兵士たちの横暴の犠牲者になった人々であるとして、「聖戦を戦う手伝いのための売春婦として連れていかれた少女たち」のことに触れている。
筆者自身1980年から1981年にかけてジャワ農村で実施した調査の中でも、そういう女性のことはしばしば耳にした。それは、この村の○○の娘が、「学校へ入れてやる」と騙されて日本軍に連れて行かれ日本兵の女にされた、というような話である。
インドネシアでは日本軍の占領下で、多くの女性が性暴力の被害にあったことは周知の事実であり、ジャワの農村でも倉沢愛子氏はいとも簡単に、日本軍による女性の性暴力の被害の情報を得ている。しばしばだから、かなり日常的に日本軍占領下では女性が連れて行かれる、失踪するということが起きたようである。このように、少し関心をもち、行動を起こせば、掲示板にいるインドネシア滞在の彼らであれば日本軍の加害の情報について得られるのに、私に反対する罵倒しか返答できない。わが国の過去の侵略と加害に無関心ばかりか、インドネシアをオランダから解放してやったの寝言を吐ける。怠慢だ、怠慢ばかりか、島国の国粋鎖国根性の腐れ右翼どもばかりだ。
私の会社にはアジア系の社員が多い。国籍はさまざまで、大日本帝国の被害国・地域でいえば、中国、韓国、台湾、フィリピン、シンガポール、インドネシアだ。中国や韓国ばかりでなく、戦争の話になると、フィリピン、シンガポール、インドネシア、台湾などにおいても、祖父が日本兵に酷い暴行を受けて、今も足腰を痛めているとか、殺されたとかそんな話ばかりだ。海外に行かなくても、そういう人たちと接点があれば、おのずと日本が過去アジア・太平洋地域において何をやったかを知ることはできるはず。無論、普通の日本人、まして右翼や右翼的偏向をもつ人間であれば、彼らは何も話さないと思う。しかし、正しい歴史認識をもって、過去の歴史清算と贖罪意識で心からの真の友好の眼差しで接すれば心を開いて、心の奥底から何もかも話してくれるはずである。そういうことをできない大日本帝国の残滓に心を喰われた人間が多いことかと嘆かわしくなる次第である。暇さえあれば、今後とも根強くこういった活動を続けている所存である。


新年早々の私の初行動について、加害情報収集
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/76249759.htmlではろくな成果を得られませんでした。一人の回答を除けばとんだ右翼の的外れの軸が狂った回答で、的確といえるものではありません。こんなところにも、右翼が蔓延っているとは。
フィリピン人:現地では特に何も言われなかった。滞在時間は短かったですけど。という一応誠意の感じられた回答でしたが、言葉の定義、左翼がどうのこうのの論点がずれた右翼どものいやがらせです。質問文を読んでいるか疑わしいですし、そもそも私に対する妨害に他なりません。
来日した台湾人:感謝された。
私の少ない経験では、以上の通りです。
まだ、回答のほうを締め切らず、しばらく様子をみて続行します。
海外旅行者に従軍慰安婦決議案への協力を求めた投稿については削除されたために、成果はなしです。
PS
少しだけ補足しますが、なぜ私がアジア系の会社員が多い中、比較的大日本帝国・日本軍の加害情報が得られるはずなのに、貪欲に海外旅行者・在住者などに大日本帝国・日本軍の加害情報を求め続けるかといえば、やはり生の声をより多く知りたいわけです。アジア系の会社員からもわが国の加害の情報を引き出せます。がしかし、やはり現に海外にいる在住者や旅行者で日本軍の占領時代を生きて、日本軍と接点をもつ年配の方々の話、つまりオーラルヒストリーを個人的には収集して、私の大日本帝国絶対悪の信念をさらに確固たるものにしたいと考えるからです。


荒らした対策のため、認証コードを付け加えました。
緊急のお知らせ、台湾の立法委員高金素梅さんへの弾圧に抗議を
小川町企画事務局の遠藤裕二です。今年もよろしくご鞭撻くださいますようお願い申し上げます。
さて、まだご存知でない方もいらっしゃると存じますが、二年前の反ヤスクニキャンドル行動でも私たちと一緒に果敢に活動されていた、台湾の高金素梅(チワス・アリ)さんの選挙活動(今月12日が投票日です)に関して政府与党が不当きわまる政治弾圧・選挙妨害を仕掛けてきました。
高金さんに根も葉もない「収賄」容疑をかけ、高金さんの再選を何としてでも妨害しようという工作です。
詳しい内容に関しては、以下の大阪の活動家・墨面(モーメン)さんから送っていただいた抗議文見本にありますので、それをお読みいただきたいのですが、とんでもない弾圧です。
日本からも抗議の声をあげていくべきだと思いますので、ぜひみなさんにもご協力いただけますようお願い申し上げます。
なお、最新情報では、この弾圧で最初おびえていた台湾原住民たちも怒りだし、団結を固め、高金さんの訪れるところ必ず百数民の青年たち現われて彼女をガードし、警察も手を出せない状態で、高金さんの選挙は最高の盛り上がりを見せているそうです。
以下、墨面さんからのメールの転載です。私の文章も含め転載大歓迎です。なお、「先ほどお送りした、抗議先のメールアドレスでは送信がはねられる事があるようです。もし送信が不能な場合は、以下の台北駐日経済文化代表処のホームページの最後にある「ご意見ご感想E-mail宛」に直接添付してお送りください。
http://www.roc-taiwan.or.jp/org/index.html 」だそうです。
………………………………………………………
参考のため、抗議文の見本をお送りします。あくまでも「見本」です。各自で創意工夫をお願いします(もっと短いもので良いと思います・・・)。
早急に、大量に発信してください。是非ともお願いいたします。
(当方でも集約したいと思います。お手数ですが、できれば発信したものを私にもお送りください。)
墨面 拝
抗議文見本(bPーFAX、メール用)
台湾当局は高金素梅(チワスアリ)さんたちへの政治弾圧をただちに止めろ!!
抗議文
報道によると、12月24日、台湾立法委の選挙運動の真っ只中、台湾最高検察局特偵組(特捜部)と宜蘭地検署は高金素梅(チワスアリ)の国会事務所と服務処の二カ所を「賄選容疑」を名目に強制捜索に入った。
原住民族の高率な失業問題を解決するために、河川保全の監視員に原住民族を任命するよう求めた高金素梅たちの行為が「公務員の肩書きを利用した賄選にあたる」という、まったく不可解な“罪状”を基にしたものである。
これまで長年にわたる差別政策の下で、劣悪な生活環境を強いられた原住民族の生活改善に、原住民族選出立法委員として全力を注ぐのは極めて正当かつ当然の活動であり、おまけにこの件が起こったのは、今年の七月のことである。なぜ今の時期を狙って大々的な捜索が行われたのか?!さすがに、台湾新聞各紙もこの強引かつ意図的な「捜索」には一斉に疑問の声を上げている。
また、当局は大量の捜査員を動員し、各地の部落で「捜索」「事情聴取」を名目にして、高金素梅の支援者を不当に拘束し、脅迫、圧力を加えている。世界の常識からすれば、これは明らかに「賄選捜索」を名目にした高金素梅(チワスアリ)たちとその活動に対する選挙妨害、政治弾圧そのものである。
かつて、独裁政権からの迫害の犠牲者を“自称”し、それに対する抵抗運動を闘ったと吹聴する陳水扁民進党政権は、今やその仮面さえ拭い捨て、当時の独裁政権と同じファッショ的手法で民衆を弾圧しようとしている。
近年、日本やアメリカなどで熾烈に闘われた「反靖国闘争」の第一線で、常に先頭に立つ高金素梅(チワスアリ)たちの勇姿に、常々陳水扁や李登輝の如き「好戦右翼」の“ペット”に成り下がった「台湾人」しか知らされてこなかった私たちは大きな感動を受けると共に、この上ない尊敬を抱いた。“台湾独立”を高唱しながら、民族の権益と尊厳を平然と売り渡す恥ずべき輩が政権を握る台湾の現状において、彼女(彼ら)こそが誇り高く、世界から尊敬される「台湾人」の姿である。
高金素梅(チワスアリ)たちの献身的活動は、原住民族はもとより、台湾各界、更には世界の心ある人々から絶大な支持と賞賛を得ている。それ故に、今回の選挙において高位当選を確実視されている。
今回の選挙や次の総統選挙において劣勢が伝えられる陳水扁・民進党が今回起こした高金素梅(チワスアリ)たちに対する露骨な政治迫害に私たちは大きな驚きと怒りを覚えている。
高金素梅(チワスアリ)たちに対する選挙妨害、政治弾圧を即刻中止せよ!!
抗議文見本(bQーハガキ用)
台湾当局は高金素梅さんたちへの政治弾圧をただちに止めろ!!
台湾立法委の選挙運動の真っ只中、台湾当局は高金素梅に対し「賄選容疑」名目の強制捜索を行った。
原住民族の高率な失業問題を解決するために、河川保全の監視員に原住民族を任命するよう求めた高金素梅たちの行為が「公務員の肩書きを利用した賄選にあたる」という、まったく不可解な“罪状”を基にしたものである。
今だ劣悪な環境にある原住民族の生活改善に、原住民族選出立法委員として全力を注ぐのは極めて正当かつ当然の活動であり、おまけにこの件が起こったのは、今年の七月のことである。
なぜ今の時期を狙って大々的な捜索が行われたのか?!
また、当局は大量の捜査員を動員し、各地の部落で「捜索」「事情聴取」を名目にして、高金素梅の支援者を不当に拘束し、脅迫、圧力を加えている。
世界の常識からすれば、これは明らかに「賄選捜索」を名目にした高金素梅たちとその活動に対する選挙妨害、政治弾圧そのものである。
高金素梅たちの献身的活動は、原住民族はもとより、台湾各界、更には世界の心ある人々から絶大な支持と賞賛を得ている。それ故に、今回の選挙においても高位当選を確実視されている。
今回の選挙や次の総統選挙において劣勢が伝えられる陳水扁・民進党が今回起こした高金素梅たちに対する露骨な政治迫害に私たちは大きな驚きと怒りを覚えている。
高金素梅たちに対する選挙妨害、政治弾圧を即刻中止せよ!!
******************
抗議先:台北駐日経済文化代表処
〒108-0071 東京都港区白金台5−20−2
(広報部)電話 03(3280)7840〜 8 、7827、7916
FAX 03(3280)7926
e-mail:teco-jp@www.roc-taiwan.or.jp
ひさびさにAMLからのお知らせを投稿いたします。私がいる時期でよかった。高金素梅氏は、台湾で靖国訴訟などの大日本帝国の植民地時代の過去清算に取り組む闘志です。また、台湾では抑圧されてきた原住民の生活の改善に尽力し、多大な支持を得ているということです。台湾でも選挙が行われるようですが、民進党は日本に融和的で日本に過去の清算を求めることにほとんど無関心ですが、今年行われる選挙では劣勢が伝えられています。李登輝のような日本の右翼勢力に迎合するような輩ばかりが日本で注目される中で、高金素梅氏こそ真の台湾人であり、原住民はもとより台湾各界、世界からも絶大な賞賛を得ているのです(そのことを知らないのは日本人、特に右翼)。
彼女こそ、台湾のリーダーに最も相応しいと個人的には思っています。
でも高金素梅氏は民進党反動政権の極めて陰湿で不当な選挙妨害、政治的な弾圧に晒されています。
支持者を含めて多数の台湾人が今戦っているのです。台湾だけの問題ではありません。
日本の右翼勢力は高金素梅氏を反日外国人だとみなし、民進党勢力、李登輝などの台湾の大日本帝国美化勢力の弾圧側に加わるでしょう。この民進党の高金素梅氏への不当な弾圧劇は日本の良識派勢力と右翼勢力の代理闘争でもあります。高金素梅氏への不当弾圧を止め、返す力で反動的な民進党勢力や李登輝ら大日本帝国美化の日本右翼迎合勢力を台湾から追い出し、台湾を大日本帝国の加害歴史の清算を追求する輪に加えるのです。この記事をみた良識派、少しでも良心のある方々はご協力の方お願いいたします。以上
2008年は外国人の社会参加を革命的に進める年に・・・司法参画の壁挑む…調停委員めざす在日韓国人弁護士
http://mindan.org/shinbun/news_t_view.php?category=13&page=28
年齢など調停委員の資格要件を満たす外国籍の弁護士9人が、本年4月の採用に向けて意欲を燃やしている。最高裁は外国籍の調停委員は認めていないが、現実には法律にも規則にも国籍条項はない。外国人の司法参画をめぐる論議がこれから本格化しそうだ。奇しくも今年は金敬得さんが司法修習生への司法参画を認められて30周年の節目となる。2008年こそ、在日外国人参政権と一層の社会進出を願う年でもあります。今回は司法の場であり、最高裁が法律にも規則もないのに、在日外国人の調停委員、司法参加を認めていないという驚愕すべき事実がまた新年早々に明らかになりました。日本の司法がここまで腐っていて、国際社会、そして文明の進歩に取り残されたいることが明らかになりました。日本は司法の後進国であることはいうまでもありません。2008年こそ、日本のあらゆる分野で在日外国人の活躍の場が革命的に広がる年にしないといけません。衆議院選挙では、自民党が政権から追い出され、過去清算と多民族・多文化共生の進歩的良識派政権が誕生するを願いつつ、その外国籍の弁護士9人にはご健闘を祈りたいと思います。
金敬得さんの修習生採用から30年
調停委員は最高裁から任命を受けると、離婚など民事上のトラブルについて当事者の話し合い、および合意に基づき、裁判手続きに至る前に解決する役目を担う非常勤の国家公務員。
白承豪さん(45)は兵庫弁護士会の副会長当時の03年、神戸家裁から家事調停委員の推薦依頼に対して会員の梁英子さん(50)を候補として推薦した。これに対し、神戸家裁は「当然の法理」に抵触するとして最高裁への上申を自粛した。梁さんは家裁で離婚、DVといった家事事件を得意としてきただけに当時を思い起こして「だめだったということで寂しさがあります」と語っている。
白弁護士はいまになって「予想していたが、やってみないとわからないという気持ちだった」と述懐している。推薦拒否の事実に日本人弁護士からも「なぜ日本国籍がないと調停委員員になれないのか」という疑問の声がまき起こった。さらにこの問題が兵庫弁護士会から近畿弁護士連合会全体の問題として新たな議論を呼び起こしたことを思えば、貴重な問題提起だった。
崔信義弁護士も06年1月、仙台弁護士会から調停委員になってほしいと要請を受けたひとり。梁弁護士の先例があるだけに一瞬戸惑いを覚えた。半信半疑ながら翌日、引き受けると返事した。しかし、家裁所長との面談を前に推薦を拒否された。
崔弁護士は昨年、近弁連主催のシンポで「最初は怒りを覚えたが、時間が経つと悲しくなった。われわれはここで生まれ育った。私たちは社会参加したいだけなのに」と語気を強めた。
一方、東京の殷勇基弁護士は昨年、本紙の取材に対し、すでに簡易裁判所の司法委員候補として面接を済ませたことを明らかにした。殷弁護士だけが特別なケースとは思えず、4月の任命に向けてかすかな希望をつないだといえよう。
司法界にはいまや日本国籍を取得したとはいえ、本名を堂々と名のる同胞裁判官が出てきたともいわれる。同じく東京では、検察官をめざす司法修習生もいる。金敬得さんの以前に台湾国籍のまま司法試験に合格し、後に日本国籍を取得した兵庫弁護士会所属の吉井正明弁護士は司法専門誌に「最高裁のこの多民族・多文化社会に逆行した現状を変えさせ、国際社会にふさわしい司法参画が模索されなければならない」(『自由と正義』06年7月号)と記している。
(2008.1.1 民団新聞)
2008年01月04日
2008年01月03日
BlogPetの復旧が完了しました
過去わが国が侵略した国・地域の加害情報を収集すべく、投稿をおこないました
過去、わが国が侵略した地域・国に在住・旅行された方に質問があります
●以下投稿文
過去に大日本帝国・日本軍が侵略し、塗炭の苦しみを味わった国・地域、具体的には韓国、北朝鮮、中華人民共和国、台湾、マーシャル諸島、ミクロネシア、パラオ、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、ブルネイ、インドネシア、東チモール、フィリピン、パプアニューギニアなどたくさんありますが、それらの国・地域に在住、あるいは在住されていた方、旅行した経験をもつ人に質問があります。それらの国・地域で、過去の日本の占領時代の経験者や戦争体験者の話を具体的に聞かせてくれませんか?例えば、マレーシアの教科書には〜と書いてあるとか、という本には〜と書いてあるとか、〜に駐屯していた祖父から聞いた話という風な、伝聞の類は結構です。大日本帝国・日本軍の占領時代、あるいは植民地時代を体験した年配の方から直接聞いた話をお願いします。特に、特に憲兵隊に拷問されたり、鉱山や軍事工場、鉄道等で強制労働させられたり、日本軍将兵による強姦や慰安婦などの性暴力の具体的な被害者や目撃者の話であればなおいいです。よろしくお願いします。
回答が来次第、報告できればいいと思っています。以上
とある旅行掲示板への各国の従軍慰安婦決議案採択への向けての投稿
●以下投稿文
海外旅行された皆様へ、なんとなく日本人に対する風当たりは強くないでしょうか?日本はまさに世界、とりわけアジアの孤児なのです。特に過去の侵略戦争の被害に会って辛酸を嘗めたアジア・太平洋の国・地域では特に反発が強く、特に私のアジア系の会社の友達は「拉致は過去の侵略戦争の当然の帰結であり、自業自得」だと言っています。もちろん、普通の日本人の前なら決して言いませんが、アジア人同士であれば公然と語られていることなのです。
政府間を含めてどうやって批判をかわすかといえば、お金と恫喝外交です。そのため、いつまでたってもウソツキニッポン、不誠実ニッポンなのです。過去の侵略はもちろん、そういう横暴な外交姿勢なども反省せず、誠実の欠片もなく、お金をばら撒くことでなんとかしようとします。お金をばら撒いてくれるから、侵略を受けた国・地域を含め、表面上は日本大好きですが、実のところ世界で一番嫌われている国なのです。無尽蔵にお金をばら撒く経済力がなくなったとき、経済発展が進み日本の出す金額に見向きもしなくなったとき、日本はそれこそ終わりです。誰にも相手にされなくなるでしょう。
我々日本人は自ら行動を起こさないといけないのです。日本人のイメージは極度にまで悪化しています。海外旅行者の皆さん、各国での従軍慰安婦決議案採択に向けてご協力をお願いします。
具体的には旅行先で会った人々に日本軍が多くの女性の青春を軍靴で踏みにじって、性のいけにえにしたかを語り、大日本帝国・日本軍および過去清算に無関心な日本政府と過去の加害歴史を歪曲する右翼勢力への憎悪を抱かせるようにしてください。日本人が損得勘定のない真の友人をつくるためには、今まで失っていた信頼を取り戻し、マイナスをゼロにしないといけません。さらに確固たる信頼関係を築きあげるにはさらなる努力が必要なのはいうまでもありません。何処の国よりも他の誰よりも海外に出て行く日本人一人ひとりが自国の過去の侵略や加害に真摯に取り組み、向かい合う姿勢が重要なのだと思います。そういった一人ひとりの行動が世界各国で従軍慰安婦決議案採択を目指して行動していただきたく、何卒ご理解とご協力を宜しくお願いします。
もの食う人びと 辺見庸著 共同通信社にみる日帝悪 part2従軍慰安婦被害者 金福善、李容洙、文玉珠さんについて
もの食う人びと 辺見庸著 共同通信社にみる日帝悪part1 ちょっとした本書の感想とミンダナオ島における残留日本兵における人肉食の話
あけましておめでとうございます。今年の第一歩として、書籍に見る日帝悪シリーズを久々にエントリーしたいと思います。
もの食う人びと 辺見庸著 共同通信社を読みました。この本は1994年に出版されたもので、12〜13年前の本である。この本に書かれている日帝悪の部分を抜き出したいと思います。共通通信の記者である辺見氏が世界各地を旅をして、出会った人と、その人々が何を食べていたか、というのを取材執筆し、ルポタージュという形でまとめた記録である。ただし、グルメ本ではなく、生きるためには、万人共通なのが食、食そのものに付随するさまざまなドラマがあることを思い知らされた著作だった。多くの国を訪れ、食を通して現代世界の皮肉な現実を伝えている。
著者はバングラディシュのダッカの駅前広場の屋台で知らず知らずに、残飯を口にしたりしている。骨付きカルビを喰おうとした瞬間、現地の人から止められた。肉に他人の歯型があることに気づき、思わず皿を放り出す。その皿を奪い取り、残った残飯の骨付き肉にわき目も振らず噛み付く少年。少数の富めるものは、本書にはそれを"残飯リサイクル"と書いてあるが、大量に輸入しては喰い残す日本の現状を考えさせてくれた。
ミャンマーの軍事政権が西部のイスラム教住民へ迫害をはじめ、多数の難民がバングラディッシュに流入するということがあった。当初、周辺部の村人は同じイスラム教徒ということもあって、毛布や食料を持ち寄るなどして親切にしたという。国際赤十字などが本格的に食糧援助を開始したら少し気配が変わった。配給された食糧が同程度以上のものだということが村人は知ると、急によそよそしくしたのだ。難民たちは配給された食糧では何もできない。食糧を調理するためには、薪(燃料)がいるのだ。妬みを抱く住民はわかっていない。薪は治安上の理由で配給はされていないので、配給された食糧を物資を売って手に入れる。薪だけではなく、さらにちゃんとした料理(本書では魚のカレー煮としている)を食べたいために、その材料を仕入れなければならない。しかも村人の言い値で買わないといけないという事情もあり、配給された食糧はどんどんと減っていくのである。実際には恨まれるほどは食っていないし、ミャンマーに戻るに戻れない。食糧を減らしたくないために、せめて薪だけは自分たちで調達しようと山の木を折る。はげ山もできる。村人たちに言わせれば、"働かずに食糧をもらっているだけでなく、山の木を折っては、根っこまで引き抜いて燃料として持っていく"ということになる。お互いの事情が真に理解できず、感情は行き違い、食料に絡む妬みが恨みへと変わっているという皮肉な現状があった。良かれと思って国際社会が行った慈善援助が、時に大きな問題をもたらすことになるのであろう。生きるために誰もが欠かすことができない"食"だけに、それが生み出す問題も多いということなのだろう。
チェルノブイリの移住禁止地帯の故郷に疎開先から余儀なく戻ってくる老人たち・・彼らは、放射能で汚染された森のキノコや魚、リンゴを食う。外国からの援助が来ても食べずに、一生懸命何とか縁をつなぎとめるために、疎開先の孫に送ったりしているというという話、村の小学校で586人の生徒のうち289人が両親か片親をエイズで亡くしているという、ウガンダでのエイズの話など、他にも私が考えさせられることがたくさんあった。飽食の日本の中で、普段"食"というのをあまり日常の中で考えることはないかもしれません。
前置きが長くなりましたが、本書にみる大日本帝国の加害事実を取り上げていきます。
ミンダナオ島の食の悲劇(p43〜53)より、ミンダナオ島の残留日本兵による人肉食事件を取り上げます。フィリピン・ミンダナオ島カガヤンデオロ市から南東に約90キロのキタンラド山中に、著者ととある老人はいた。その老人はアルハンドロ・サレといい、農民。第二次世界大戦でアメリカからシルバー・スター勲章を贈られたこともある元フィリピン軍大尉であった。著者はその老人に、残留日本兵が1947年まで潜んでいた現場まで案内してくれるように頼んだという。
私は三度も転んだ。老人は一度しか転ばなかった。抗日ゲリラ戦当時の山歩きと退役後の農作業で足腰が鍛えられている。老人といってもものすごく鍛えられているようである。体のほうがしっかりしているということは、頭の記憶のほうもしっかりしているということだろう。あの肉というのは、後にでてくる人肉のことである。
夫人はタフなこの老人を時々おどけて「タイソン」と呼ぶのだという。マイク・タイソンのタイソンだ。私がこけるたびに、"タイソン"は、ほっほっほと笑う。
泥だらけの私をしりめに、老人が野の草を引き抜きはじめた。
アザミみたいな花をつけた草。ドゥヤンドゥヤンというのだそうだ。「連中(残留日本兵)はこの草とあの肉をいっしょに煮とったよ」 言いながらドゥヤンドゥヤンの花をむしっている。泥道に、血のように鮮やかな朱色の点が散らばった。(p44)
途中に掘っ立て小屋があった。具体的に日本軍による被害の証言がでてきた。アジア・太平洋の占領地の各地、住民虐殺や強姦、性奴隷制度だけではなく、日本兵による人肉食もあったのである。特にフィリピンやニューギニアの例は有名だが、日本兵が現地住民を狩って、食っていたという人肉食の蛮行はもはや公然の事実である。しかし、そのことは最もタブーとされ、強姦や慰安婦制度以上に日本社会では伏せられている。
「ここからも農民が連れていかれた」 老人がつぐやく。
ふもとのインタバス村まで私を乗せ、そのまま同行してきたトラック運転手が「行き先は皆連中の鍋のなかだよ」と冗談でなく言った。(p45)
老人がぽつぽつと語りはじめた。なぜ、訪ねにきた旧日本軍戦没者の子息に対して、日本兵の人肉食について話さなかったのだろうか。日本社会の反動、侵略戦争・戦争犯罪否認否定論が後を絶たない理由の一つが分かった気がする。海外に慰霊にでかけた戦没者の子息がこういった加害の話を持ち帰ってこないからである。現地の人にこういう話をされても、無意識に自分の心の奥底に封じ込めてしまうというケースもあるだろう。あるいは、慰霊事業が現地の収入源になっている事情もあるのかもしれない。
この山一帯に潜んでいた旧日本軍第14方面軍所属揚陸隊の高官(すでに死去)の子息が、74年ごこからわざわざ老人を訪ねてきたので、この小屋まで案内したという。
「あの話」をしたかどうか、私は聞いた。
「しないさ。子供にするわけがない」老人は顔色も変えず、答えた。(p45)
フィリピン人の同僚が私の会社にいるが、なかなか過去の戦争のことについてしつこく聞いても話してもらえなかった。粘って粘って、祖母が日本兵にレイプされた経験をもつことや日本軍の元で働いていたお爺さんが捕らえて拷問して殺した抗日ゲリラの死体を切り裂いて食ったのを目撃したという戦慄の日本兵の人肉食の話をようやく聞きだすことができた。したがって、現地の人がわざわざ遠くから訪ねてきてくれたご子息を気遣って、こういう加害、とりわけ日本兵に身内や住民が食われたなどという話をしないということも多いのではないかと思う。私はこの点、サレ老人を批判するし、こういう配慮は最も無用のものだと思う。まあ、話を戻して続けると
掘っ立て小屋から先の密林地帯には、この揚陸隊員30数名の投降(47年2月)以来、日本人はだれも入っていないという。登るのがかなり難しい。残留日本兵たちが人肉を食った理由である。食糧もなにもない極限の状態だったら、起こりえることである。アンデス山中の墜落事故で、乗客たちが人肉食をして生き残ったというエピソードは有名である。人間が人間を食うという状況は極限のものだろうが、そもそもこのフィリピン残留兵による人肉食のケースには当てはまらない。食糧があったのである。タンパク質が欲しいのであれば人肉でなくても、その辺の動物を捕らえて食べればいいのである。動物が無理でも、ガビというフィリピンの粘り気のある芋もあったのだ。
老人が「それでも行くか?」と問うた。
事件から46年。現場を見たところでどうにかなるわけでない。が、見たかった。
濡れぞうきんのようになった体を引きずって、どこにも道筋のない勾配を登った。木のとげで腕を擦りむいた。ヤマビルが張りついている。やぶ蚊にも刺されどおしだった。
「ゴーゴーゴー」と老人は私に気合をかけた。
「謎なんだな」
老人が立ち立ちどまって独りごちた。
残留兵たちが栄養失調状態にあったのは事実だろう。が、46,7年当時、山 には野豚も猿もいた。山を少し下れたガビ(里芋)も生えていた。
残留兵たちには銃も弾薬もあった。タンパク質がほしかったら動物だけを撃てばよかったのではないか。動物がだめなら、栄養豊富なガビだけでも相当生きられるのに。あれを、しかも数十人も食ってしまうなんて・・・。
それがいまでもどうしても謎だというのだ。
戦争とそれに伴う極限状況が人類最大のタブーを破らせた。
私は疲れた顔でそう考えていた。同時に、この一般論はどんな戦争犯罪にも当てはまっているけれども、老人の言う謎への正確な答えにはなっていない気がした。
「投稿してきた時、彼らはけっこういい体つきをしとったな」
老人は続け、ほっほっとまた笑った。攻めるでも皮肉でもない声音である。ただ、なにごともあきれるほど陽気に話す人なのだ。(p45〜47)
著者の言うとおり、戦争とそれに伴う極限状態により引き起こされたという一般論だけでは、この残留日本兵による人肉食を説明するのには不十分である。なぜならば、大日本帝国・日本軍、天皇ファシスト体制の軍隊がもちうる特有の暴力的教育システムによるものである。日本軍将兵の没個性化、残虐性、人格・人間性の荒廃が極限にまで進み、敵兵も捕虜も非戦闘員、女も子供も幼児も見境なく殺し、犯す殺人マシーンと化した。そして、惨めなその成れの果てが住民を見境なく撃って狩って人肉を貪り食う残留日本兵である。侵略戦争を遂行し、大日本帝国天皇ファシスト制度の日本軍の比類なき軍隊暴力システムが生み出した必然である。
1500mほど登り、うっそうとした樹海に入ったところで、著者は疲労のためへたりこんでしまうのだが、そのとき老人は叫んだ。
「あそこだ!」 老人の太い指が、谷を隔て4,50メートルほど先の尾根を指している。著者はさらに、奥地に進み、残留日本兵の潜んでいた場所にたどりつく。私は日本人が人肉を食う蛮族だとは思わない。残留日本兵らも元は普通の百姓だったり、学生だったり、家族を持つ父だったのだろう。だが、大日本帝国は揚陸隊兵士たちを見境なく殺し人肉を食う蛮族に変えたのだ。改めて大日本帝国という存在に激しい怒りを覚えた。
だが、なにも見えない。原生林のあいだの、丈の高い草しか見えない。近づこうにも、急な崖でとても行けそうにない。回りこむにはふたたび樹海を抜けなければならない。
フィリピン兵の攻撃を逃れ、潜むのには格好の場所だったのだろう。そこは、しかし、人が存在するにはあまりにも厳しく、5分もたたずむだけで孤絶感で震えがくるほどの空間だた。
敗戦を知らず、あるいは信じようとしなかった者たちに生じた心の乱れが、ここまで苦労して登ってきて、はじめて少しなぞれる気がした。胸が締めつけられた。
あの尾根に残留日本兵の小屋が5つあったという。
47年のはじめに老人の率いる兵が急襲した時、野の草とともに調理されたその肉が、鍋と飯盒に入っていたのだ・・・・。暗い樹海に老人の声がやけに大きく響いた。
マニラで読んだフィリピン公文書館所蔵の戦争犯罪裁判(49年)の英文記録を私は思い出していた。揚陸隊兵士のうち十数人の供述がいま、うめき声になって聞こえてくる。
「私は食べました」
「私も食べました」
私だったら、どうしたか。食べずにいられたか。
この仮定はばかげているだろうか。思いにふけっている時、老人は沈黙を破った。
「私もあれを食べてしまったのだよ」
わが耳を疑い、私は「え?」と問うた。
「私も食べてしまったのだよ」 目の前の陽気な老人が、人を食べたことあると告げている。しかも、馬肉でも食べたと言うように、さらりと、こともなげに。(p47〜48)
揚陸隊兵士が潜んでいた現場を指して、なぜ食べたのかを、サレ老人は語りはじめた。偶然にしろ、人肉を食べてしまったサレ老人には酷な体験だったと思う。著者と話した時は平然と人肉を食べたことを言い、若い犬の味だったというが、当時としては寿命の縮む思いをしたのであろう。まさか、残っていた鍋の肉が人肉だったとは思いもしなかったであろう。著者は山を降りたふもとのインタバス村での被害者の証言を聞くことになります。
1947年はじめの残留日本兵掃討作戦の最中だった。
未明の急襲で、現場は暗かった。日本兵は逃走した。
小屋近くの鍋にまだなま温かい料理があった。サレは当時20代の食い盛りだったし、朝食をとらずに出発したので空腹だった。
鍋の肉を5切れむさぼり食べた。
「まだ若い犬のシチュー」だと思った。ちょっぴり塩辛かった。
日光が射してから、耳、指の形で人だとわかった。木の下に人の頭部もあった。
「胃のなかのものを吐こうとしたんだ。だが手遅れだったな」
老人はカトリック教徒である。すぐ神父に告白した。まちがって食べたのだから、罪にはならない、と言われたという。
その「偶然の食」についてのこだわりを、私はいかつい表情に探ろうとした。が、深く隠されているのか、なにも見いだせなかった。ただ、通常はのぞけないある領域をこの人は見てしまっていると思った。
私は日本兵を何人殺したことがあるか、老人に問うた。
ぶっきらぼうにサレ老人は答えた。
「7人さ」
私たちは無口になって山を下った。(p48〜49)
ふもとのインタバス村にたどりついたら、村人が6,7人、私を取り囲み、キタンラド山になぜ登ったか問うてきた。文字を通して語られる「食われた」という被害証言。大日本帝国・日本軍の侵略と戦争犯罪を追及する側の私にはズサリと心に突き刺さってくる。フィリピン公文書館所蔵の戦争犯罪裁判記録および、戦争裁判での証言者カルメリノ・マハヤオ氏の調査によって、インタバス村で起きた残留日本兵による人肉食があったことはもはや疑いようがないだろう。この出来事は厳密には戦中ではなく、戦後起こったことであるが、日本兵たちをこのような蛮族に仕立て上げた日本政府に責任があることは明白である。
私はわけを話した。残留日本兵の「食」に少し触れた。
その時に村人が示した反応を、どのように形容すればいいのだろう。疲労の果てに夢を見ているのかと私は思った。
村人たちは口々に言ったのだ。
「母も妹も食われてしまいました」
「私の祖父も日本兵に食われてしまいました」
「棒に豚のようにくくりつけられて連れていかれ、食べられてしまいました」
「食われた」。この受け身の動詞が、私のメモ帳にたちまち10個も並んだ。
村人たちは泣き叫んでいない。声を荒げてもいない。押し殺した静かな声だった。なのにメモ帳が「食われた」という激しい言葉で黒く埋まっているのが不思議だった。老人は、戸惑う私を無言でじっと見つめていた。
49年の戦争犯罪裁判(マニラ)の証言者でもある農民のカルメリノ・マハヤオが、村人の声をまとめた。46年から47年はじめにかけて、この村とその周辺だけで38人が残留日本兵に殺され、その多くが食べられた。頭部など残骸や食事現場の目撃証言で事実は明白になっている。しかし、日本側は一度として調査団を派遣してきたことはない。
マハヤオは最後に言った。
「でも、忘れないでくださいよ。きちんと伝えてください」
じつは、事件の概要は92年秋、共同通信マニラ支局により報じられている。しかし、47年以降の残留日本兵の尋問当時から、現代史ではきわめてまれな兵士による「組織的食人行為」として、連合軍司法関係者を仰天させたこの事件の全貌は、日本ではほとんど明らかにされていない。
なぜだろう、と私は思う。
事実を秘匿する力がどこかで動いたのだろうか。そうだとしたら、この事件がとても説明がつかないほど深く「食のタブー」を犯していることへの、名状しがたい嫌悪が下地になっていたのではないか。
戦争を背景にした一つの過誤として、もう忘れたほうがいい。そんな意識もどこかで働いたかもしれない。だが、私のすぐ目の前には、肉親が「食われた」ことを昨日のことのように語る遺族たちがいる。「食った」歴史すら知らず、あるいはひたすら忘れたがっている日本との気の遠くなるような距離。私はひたすら沈黙するしかなかった。(p50〜51)
しかし、日本政府は一度として調査団を派遣してこない。事実を隠匿する力が働いたのは明白であろう。南京事件をはじめ、身近な中国での戦争犯罪でさえ、本多勝一氏の"中国の旅"のルポが始まった(南京事件から34年後の)1971年まではほとんど明らかにされていなかったのだから。
当然、過去の戦争犯罪・残虐行為について隠避する力は人肉食に限らず、ことさら閉鎖的な日本社会だからこそ強く働くのである。明らかになったらなったらで、臭いものには蓋、責任の所在を曖昧にしたり、転化したり、すり替えたり、あるいは戦争犯罪の事実そのものを否定するような反動的な力が何処からともなく湯水のようにわいてくるのだ。
私はその力の排除に忙しい。戦争犯罪はもとより、東南アジアの占領は侵略だった、朝鮮半島は植民地支配であるという風な簡単な事実にまで、その力は働くのだから。それが日本兵による現地住民への人肉食という食のタブーも合わさることになれば尚更のことである。過去の侵略・戦争犯罪をめぐる問題はものすごく根が深い。フィリピンのインタバス村での残留日本兵による人肉食事件にとどまらない。日本軍に被害を受けたことを話す昨日のように語る被害者や遺族、加害の歴史すら知らず、ひたすら忘れたがる日本との気の遠くなる距離を埋めなければ、アジア・太平洋戦争は真に終戦を迎えることはできないのである。
サレ老人と私はインタバス村をあとにした。サレ老人は補償を求めるべく、運動を起こそうとしていたのである。今現在でも調査や補償を求める運動が続けられているかどうかは分からないが、日本は即急に彼らの求める補償に応じなければならないのはいうまでもあるまい。残留日本兵も元は普通の人間だったのである。薬品を村に送ったり、村の人に謝罪をした人、語学研修を言ったサレ老人の娘の身元保証人になったりと、人間性を取り戻し、過去の自分自身の罪を償おうと必死に生きようとする元残留日本兵の人たちがいた。それと対照的に過去の戦争犯罪の事実と何も向き合おうとしない日本政府と日本社会。過去清算を果たし、日本軍が侵略し、被害を与えた国・地域の人々と真の和解が達成される日が来るでしょうか。著者は慰安婦被害者にも取材をしており、Part2ではそれを取り上げたいと思います。Part2へ続く
道すがら老人は、彼が中心となり遺族らを対象にほぼ半世紀前の事件の聞き取り調査をはじめたことを明かした。日本政府になんらかの補償を求めたいというのだ。
「(元残留日本兵の)個々人については、もう恨んでないのだよ。みんな、いい人たちだ」
水溜りを巧みによけながら、老人は話した。 老人は残留将兵30数人の投稿に立ち会っている。そのうち10人がマニラの法廷で死刑、4人が無期懲役を言い渡されたが、恩赦で刑は執行されず、死去した隊長を除く全員が帰国したという。その後、キリスト教徒になった人、ミンダナオの村に薬品を送ってきた人、現地入りして村民に謝罪していった人もいる。
補償要求といっても、人知れず悩み抜いているだろうその人たちには迷惑をかけたくない、と老人は言った。 老人は帰国した彼ら元残留将兵と文通していた。元将校が、日本に語学研修に行った老人の娘の身元保証人になったこともあるという。(p52〜53)
新年早々、インドネシア掲示板にインドネシア国会における従軍慰安婦決議案採択にむけての協力を得るべく投稿
●以下投稿文
新年明けましておめでとうございます。当掲示板において、ご迷惑をおかけしましたことをお詫びいたします。どうしても投稿をさせていただきたく参りました。
日本はアジアの孤児となっており、インドネシアにおいてもなぜ日本人がこんなに嫌われているのかどうか不思議に思う人も多いのではないかと思います。恫喝外交や金のばら撒きなどの日本政府の汚いやり方のために、日本の過去の侵略によって被害を受けた国や地域では、金と恫喝で無理強いをしようとするから、日本は政府レベルでも、国民レベルでも総スカンなのでしょう。
そこで提案があります。日本人自ら一人ひとりが日本の過去清算に向けて行動を起こすべきなのではないでしょうか。その第一歩がインドネシアなのです。
従軍慰安婦決議案というのはご存知でしょう。米国に続き、カナダ、オランダ、そして欧州議会でも採択されました。その決議案をインドネシア国会でも採択させようというものです。韓国やフィリピンをのぞけば、各国の議会に従軍慰安婦決議案の提出さえもされていません。日本政府が米国や欧州議会でロビー活動させたように、各国に圧力をかけているせいなのかもしれませんが、そういう時こそ、日本人一人ひとりが行動すべきなのだと思います。
インドネシア在住の日本人の方々には、インドネシアの国会や、在住の州、県、市議会レベルでも従軍慰安婦決議案採択に向けて動いていただきたいと強く思うのです。特にインドネシア在住のジャーナリストの方がいらっしゃれば、そのような趣旨の記事をインドネシアの民間紙やメディアなどに投稿して頂きたいと思います。インドネシアでは、大勢の日本軍の性暴力被害者がいらっしゃると思います。名乗り出ている人数では侵略にあったアジア・太平洋地域ではNo.1ではありませんか。インドネシアで従軍慰安婦決議案が採択されること、それから日本とインドネシアおよびアジアとの真の和解および日本の過去清算に向けた一歩が始まると思います。何卒ご協力をお願いします。
なお、今しがた投稿を終わりました。無事投稿できてうれしいです。12:50
あけましておめでとうございます。で、2007年の総括と2008年度の目標
2008年の目標としては、こんな卑劣なヤツラを政府から追放すること。大日本帝国より引き継がれた卑劣な政府の体質を根本から変える必要があるのだ。2008年には、衆議院選挙がある。今度の選挙で、卑劣な自民党を政権の座から追放しよう。それこそが今年の目標だろう。私の会社はアジア系の社員が多い。会社の中でより多くアジア系の社員との交流の輪を広げることだ。もちろん、大日本帝国・日本軍の加害の情報が得られればいいし、まず社内でアジア系社員を中心に日本の過去清算と日本政府や歴史修正主義の右翼勢力と戦う共同戦線が築ければいいと思っています。従軍慰安婦決議案がもっと世界各国に広がればいいと思います。もちろん、法的拘束力のあるもので、内外のあらゆる分野からの日本の右翼勢力への包囲網、これこそが本年度の目標にふさわしいのではないでしょうか。