2007年01月31日

コメントや掲示板、自身へのメールに返信ができなかった件と、右翼を完全に論破するエントリー

私は多忙のため、ブログへのコメント、掲示板、自身へのメールに返信ができませんでした。忙しさを言い訳に、正当化しているとおっしゃられるかもしれませんが、このことに関する批判は甘んじて受けます。私自身、多忙を言い訳にして、ブログを更新しようとすることを怠ってきました。よく考えれば、同じ大学院生で、修士論文発表会、博士論文発表会を前にしても、ブログの更新を怠らずに続けていらっしゃる方もおられますし、多数のサラリーマンや著名人もブログを持っていますが、忙しさを理由に更新やコメントなどへの返信を怠ることはせず、寝る間も惜しんで努力していらっしゃる方も多数いることでしょう。そういう方からすれば、こういった言い訳は腹立たしく思うかもしれません。私も実際に努力をしていますが、ブログを書くために、実際に忙しい中、気合を奮い立たせることには大変苦労します。根性がないといえばそうかもしれません。で、あろうことに、ブログのコメント欄や掲示板は管理を怠ったばっかりに荒れるに荒れています。大変困っていますが、どうしようもありません。当分は返信しません。ご了承ください。
 それで右翼は論破できのか、できたのかと思いの方、心配はご無用です。すでに私のエントリーで論破されています。右翼が絶対に避けて読まない、反論できないエントリーがたくさんあります。
 
書籍などにみる日帝悪および書評
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/category/1143555.html
各国民衆の大日本帝国侵略・戦争被害情報コーナー
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/category/1157220.html
のカテゴリーです。ブログの構成がわかりにくくてすいません。この2つのカテゴリーは我が右翼討伐委員会のメインであり、心臓部なのです。私が最も誠意琢磨、努力して書籍やネットサイト上の資料を一生懸命集めました。持てる力と勢威を結集した自信のあるエントリーが勢ぞろいです。右翼どもに特にお勧めです。その割には、まったく読んでいませんね。その中でも選りすぐりのエントリーを紹介しましょう。
 

チベット偽装の十年 木村肥佐生著 スコットベリー編 三浦順子訳にみる日帝悪part1
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13208784.html
チベット偽装の十年 木村肥佐生著 スコットベリー編 三浦順子訳にみる日帝悪part2
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13210164.html
チベット偽装の十年 木村肥佐生著 スコットベリー編 三浦順子訳にみる日帝悪part3
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13211549.html
チベット偽装の十年 木村肥佐生著 スコットベリー編 三浦順子訳にみる日帝悪part4
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13226122.html
チベット偽装の十年 木村肥佐生著 スコットベリー編 三浦順子訳にみる日帝悪part5
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13235043.html
チベット偽装の十年 木村肥佐生著 スコットベリー編 三浦順子訳にみる日帝悪part6
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13238032.html
チベット偽装の十年 木村肥佐生著 スコットベリー編 三浦順子訳にみる日帝悪part7
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13241409.html
チベット偽装の十年 木村肥佐生著 スコットベリー編 三浦順子訳にみる日帝悪part8
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13251888.html
チベット偽装の十年 木村肥佐生著 スコットベリー編 三浦順子訳にみる日帝悪part9
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13257734.html

チベット偽装の十年 木村肥佐生著 スコットベリー編 三浦順子訳にみる日帝悪part10
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13284122.html


ビルマにおける日本軍の住民虐殺事件―カラゴン事件について
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/18714731.html
驚愕すべきビルマにおける日本軍性暴力の実態
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/19481229.html
大日本帝国・日本軍によるパプアニューギニア加害事実について
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/17823322.html
アンダマン・ニコバル両諸島における日本軍の加害事実(虐殺事件を中心に)
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/16455967.html
ミクロネシア、パラオ、マーシャル諸島および太平洋地域全般における大日本帝国加害事実
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13728839.html
 

 リー・クアンユー回顧録 ザ・シンガポール・ストーリー 小林利寿訳 日本経済新聞社 上巻・下巻 に見る日帝悪 part1
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/22521867.html
リー・クアンユー回顧録 ザ・シンガポール・ストーリー 小林利寿訳 日本経済新聞社 上巻・下巻 に見る日帝悪 part2 華僑粛清事件、シンガポールにおける慰安所など
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/22525349.html
リー・クアンユー回顧録 ザ・シンガポール・ストーリー 小林利寿訳 日本経済新聞社 上巻・下巻 に見る日帝悪 part3 日本人の心の中に潜む獣、残虐だった日本人
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/22559435.html

リー・クアンユー回顧録 ザ・シンガポール・ストーリー 小林利寿訳 日本経済新聞社 上巻・下巻 に見る日帝悪 part4 決死して本気で悔い改め謝罪しない国 と まとめ
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/22573089.html
 

裁かれた戦争犯罪 イギリスの対日戦犯裁判 林博史著 岩波書店part1
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/16966486.html
裁かれた戦争犯罪 イギリスの対日戦犯裁判 林博史著 岩波書店part2
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/17242931.html

裁かれた戦争犯罪 イギリスの対日戦犯裁判 林博史著 岩波書店part3―戦犯裁判に関する問題点
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/17518766.html
裁かれた戦争犯罪 イギリスの対日戦犯裁判 林博史著 岩波書店part4―総括とまとめhttp://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/17825025.html
 

50年目の証言 アジア・太平洋の傷跡を訪ねて 森武麿著にみる日帝悪 冒頭の説明とマレー半島南部編
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/14680267.html
50年目の証言 アジア・太平洋の傷跡を訪ねて 森武麿著にみる日帝悪 タイ・マレー半島北部
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/14755894.html

50年目の証言 アジア・太平洋の傷跡を訪ねて 森武麿著にみる日帝悪 フィリピン編
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/14807634.html

50年目の証言 アジア・太平洋の傷跡を訪ねて 森武麿著にみる日帝悪 中国編ー主として南京大虐殺について と まとめ
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/14829521.html
 
ソ連が満州に侵攻した夏 半藤一利著 文藝春秋
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/14395646.html
 
水木しげるのラバウル戦記にみる日帝悪 日本軍内部の暴力性part1
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13473427.html
水木しげるのラバウル戦記にみる日帝悪 従軍慰安婦、日本軍以外の捕虜など対する記述、現地住民などへの加害part2
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13479992.html


 特に私が大作だと思うものをここにあげて紹介しておきます。まだ、一つもコメントがついていないものがありますね。右翼どもに特に目を通してほしいものです。これだけでも右翼は十分完膚なきままに論破されていますね。この紹介されたエントリーだけでも目を通せば、普通の人であれば、大日本帝国・日本軍の蛮行の事実が紛れもない真実であり、大日本帝国・日本軍への憎しみと、アジア・太平洋地域の被害者や犠牲者の苦しみに耳を傾け、思いを馳せて、より一層良識的に進化できるはずです。右翼はこの紹介されたエントリーをもって葬られるはずですが、右翼は自分の見たいものしか見えない機能的文盲もいいところですから、気がつくかわかりませんね。右翼どもには各エントリーに具体的な反論を試みることをお勧めしますね。それだったら、ようやく論破されていることに気がつくかもしれませんね。

投稿日時を1月31日として、できる限り先頭に出して、右翼の目につくようにしておきましょう。右翼の皆様は私の紹介した力作エントリーを読まれることをお勧めします。

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 21:39 | Comment(43) | TrackBack(219) | 備忘録・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月14日

とある掲示板の暴挙!!!書かずにはいられない!!!!

これよりしばらく更新停止のお知らせ
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/31088369.htmlのお知らせしたとおり、忙しくなったために、ブログの更新の停止をお知らせしました。しかし、沈黙を破らざる負えない腸の煮えくり返ることがあったのです。見ればみるほど、怒りがこみあげてきます。

そのとある掲示板というのは、よろずインドネシア掲示板のことです。ここには、私は三度ほど書き込んでいます。
 
右翼討伐人氏の投稿およびそれに絡む投稿を禁じます
http://www.yorozu.indosite.org/keijiban/main/49782.html
投稿者: シスオペ (2007 年 01 月 09 日 14:14:27)

前にもお伝えしたはずです。
右翼討伐人氏の投稿は禁じます。
またそのツリーも削除します。
問答無用です。よそでやってください。

シスオペ

あまりにもひどい話である。
>前にもお伝えしたはずです。  と言っているが、この前書き込んだものでは、
 
ジャワ島地震への自衛隊派遣に反対!
http://yorozu.indosite.org/keijiban/main/46230.html
という投稿があるが、よろずインドネシアのシスオペなり、管理人からも、この種の(日本軍の加害歴史に絡む話題に関する)投稿に関して何の通知も警告も受けてないのである。そして、何の事前通告もなく、問答無用に私の投稿を削除という卑劣極まりない暴挙!!! 
 

http://www.yorozu.indosite.org/keijiban/manual.html

以下のようなの書き込みは、予告なく削除させていただくことがあることをご了解ください。  

1無断広告(法人・個人・求人・求職・会員勧誘など)
2誹謗・中傷・デマ・いやがらせ・ストーカー行為とシスオペ・編集長が判断したもの
3個人のプライバシーをおかすもの
4半角カナおよび特定のパソコン機種に依存した記号を含む投稿
5同一ツリー内で別名で投稿された発言(虚偽の演出)
6その他、シスオペ・編集長が削除の必要があると判断したもの

 
削除の対象となる書き込みとして、よろずインドネシア側は以上のようなものをあげている。よろずインドネシアとある以上、インドネシアに関係のない話題は当然してはいけないだろう。ただし、インドネシアに関することならば、インドネシアの歴史(古代史、王朝時代、植民地時代、日本軍占領時代etc)に関する話題を禁ずる規定はない。私の投稿したインドネシアにおける日本軍の加害歴史や、旅行者や滞在者が見聞きした日本軍の占領時代体験者や被害者の情報を求める投稿は、6その他、シスオペ・編集長が削除の必要があると判断したもの という削除規定 に該当したのだというのであろうか?この条文は大変危険なものである。管理人が気に入らないと思った投稿は、上記1〜5に該当しなくても削除できる。つまり、すべての投稿はこの6の魔法の削除規定により、この掲示板にされる投稿は実質的にはすべて削除対象であり、削除するかしないかは管理人の自由というわけである。

とある掲示板へ、新年早々に日本軍の侵略と加害について、情報を求める投稿を行いました。
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/31083054.htmlの投稿@が、当のよろずインドネシア掲示板に投稿したものだが、断じて公序良俗に反するものではない。ということは、日本軍の蛮行に関する投稿は管理人の気に入らない、癇に障る投稿であり、6の条文による削除対象だったのだろうか?
しかし、
http://www.yorozu.indosite.org/jendela/wd200202.html
[ 第24回 かの女たちの犠牲の上にわたしたちがいる ]

時はめぐり、ひとの一生は歩みを続ける。だが過去の苦い経験は、簡単に記 憶から消せるものではない。ましてや、その経験がその後の人生を通じて抱え続けねばならない肉体上の障害や精 神的な傷、そして汚辱をもたらすものであったなら。
それがブ・マルディエムをはじめとする5百人以上のインドネシア女性が直面している状況なのだ。1942年から1945 年にいたる日本占領時代にインドネシアで従軍慰安婦とされた女性たちの・・・。

皮肉なことに、かの女たちの正義を求める努力に対して世間はあまり支持を与えようとしていない。それどころか、日 本の軍と民間人が行ったセックス奴隷制度の話しは、従軍慰安婦にとって当たり前の個人的秘密だと世間は見てい る。
「秘密を国際的なフォーラムにさらけだして、まあ恥を知らないこと・・・。」1993年以来、日本、オーストラリア、その他 の国で開かれたさまざまなフォーラムから帰国した後、知識学識を持つ有能な人たちが述べたコメントを、71歳のブ・ マルディエムは真似てみせる。
日本のセックス奴隷にされた女性たちは去る9月19日台北に集まり、きたる12月に予定されている人民裁判で日本 政府に要求するべき内容を協議した。

  という風に、日本軍性奴隷制度などの日本軍の加害に対するコラムを扱っているではないか?よろずインドネシアの管理陣は少なくとも右翼ではなく、日本軍の蛮行に関する投稿に対して悪い感情を抱くようには思えない。なんとも今回の私の投稿を削除というのはなんとも不自然である。とはいえ、過去の私の投稿に対する反論で、日本軍の性奴隷被害者を偽の証言者という風に、彼女らの名誉を既存し、紛れもない日本軍の加害の歴史的事実を曲げて、否定することに余念のない右翼どもの反社会的投稿に対して、何の削除や警告もなく、今回の私のインドネシアに対する日本軍の蛮行の情報を求める投稿を削除した仕打ちはファシスト的暴挙に他ならないという事実ははっきりとしている。右翼の脅迫に屈したのだろうか、何らかの外圧があったのだろうか?とはいえ、今回のシスオペによって行われた削除は、四文字でいえば、"利右行為"(右翼を利する行為)といえるだろう。右翼が今回のことに味をしめて、さらなる言論弾圧への引き金にもなりかねない悪しき一例であり、私に対する暴挙だけではなく、社会や右翼を憎み、日本軍の加害歴史を追及し、歴史的事実を正しく伝えるために日々奮闘する良識派に対する暴挙でもあり、深い憤りを覚える。よろずインドネシア掲示板の今回の反ファシスト的言論弾圧・暴挙には、断じて抗議する。私はまだ、書き込もうと試してはいないが、恐らく書き込めはしないだろう。機会あれば、携帯やインターネットカフェなどを通じて、よろずインドネシア掲示板に投稿し、断じて引かない構えである。あまりにもの怒り心頭のために、頭に血が上っているために、沈黙を破って今回の投稿をした次第である。もちろん、私は修論発表会という学生時代最後の一大行事に向けて奮闘中だし、学生の本業に集中しなければならない。この件については、落ち着く時期を見計らい、よろずインドネシア掲示板に対してしかるべき抗議を行いたいと思っています。
 なお、幸いなことに、もうひとつの投稿のほうはいきていました。ただし、右翼どものレスばかりでまともな情報が集まっていないのは残念でした。方法論をもう少し考えたほうがいいのかもしれません。
 なお、これ以後については、私が代理を依頼してあります。代理人からのブログ投稿はあるかもしれません。そのときはよろしくお願いします。以上
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 01:18 | Comment(35) | TrackBack(101) | 備忘録・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月13日

miura(BlogPet)

いつも、右翼討伐人は
パパバリ・三浦襄と皆様楽土の夢http://www.fsinet.or.jp/~oak-wood/miura.htmlより、バリ島における日本軍占領時代とはいかなるものか見ていきたいと思います。
っていってたの。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「右翼討伐犬」が書きました。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 13:37 | Comment(3) | TrackBack(128) | BlogPet用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月08日

これよりしばらく更新停止のお知らせ

私自身、前のエントリーでした言い訳が理由で申し訳ございません。実際、多忙極まりないです。ブログの更新をやっていたら、私の体力が持ちません。本日より、しばらくブログの更新を中断したいと思います。再開は2月の後半から3月あたりからを予定しております。Blog Pet"右翼討伐犬"による投稿は存続しますし、コメント欄やトラックバックについては封鎖いたしません。コメントやトラックバックは今までどおり歓迎し、ご自由に受け付けます。当然のことながら、私からの返信はありません。しかし、私のブログ更新の代理人を引き受けてくれる人が見つかりました。だから、その代理人による投稿はあるかもしれません。そのときはよろしくお願いします。また、更新の日にお会いしましょう。しばしのお別れです。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 21:53 | Comment(26) | TrackBack(135) | 備忘録・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

とある掲示板へ、新年早々に日本軍の侵略と加害について、情報を求める投稿を行いました。

2つのとある掲示板に日本軍の侵略および加害情報を求めて投稿をおこないました。。海外旅行者や滞在者が多いと思われる掲示板です。大急ぎで文書をねって、投稿したので、ちんけな文章となってしまいました。とはいえ、投稿は成功しました。日本軍の占領時代を体験した年配や老人の方の話、さらには被害者やその家族、目撃者の体験談がでてきて、新たな日本軍の残虐行為が白日の下に晒されることを期待してやみません。その投稿内容をご紹介いたします。ですが、不都合が生じたので、続きが読む以降をクリックしてお読みください。続きを読む
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 20:11 | Comment(21) | TrackBack(27) | 他のコミュニティーへの投稿記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新年祝賀記念!日本軍がアジアを解放したという右翼の恥ずべき、犯罪的な自慰史観をブッタ斬る!!!!インドネシアの事例を中心に、改めて大日本帝国・日本軍の侵略・加害事実を見ていきます。

まず、各国の教科書に日本軍の占領時代がどう書かれているのかみてみよう。
マレーシア、ミャンマー、フィリピン、インドネシアの教科書の日本
http://web.hpt.jp/ficus/newpage25-INNDONESIA.htm

マレーシアの「歴史の中のマレーシア」より。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 日本は、マレー人の解放獲得への期待を裏切った。日本人はマラヤを、まる
で自分たちの植民地であるかのように支配した。今度は彼らがイギリス人の座
を奪ったのだ。日本の支配はイギリスよりずっとひどかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ブルネイの「ブルネイの歴史」より。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 一九三八年、日本は「東亜新秩序」を宣言した。それは、日本が蒋介石政府
を打ち倒し、中国を手中に収めるためのものであった。また新秩序は、東アジ
アにおけるすべての西洋列強を排除することも目的とした。日本のスローガン
は「アジアのためのアジア」であった。
―――――――――――――――――中略――――――――――――――――
 日本陸軍は、その後すぐ、その新秩序を宣伝し始めた。その新秩序は、日本
陸軍の宣伝が乱暴かつ横暴だったために、ブルネイの人々の歓迎を受けなかっ
た。クアラ・ベイトの住民は油田の労働にかり出され、村人は穀物の生産を強
いられた。彼らはまた、日本の軍事規律を無視したもの達に対して行われた大
量処刑を目の前で見せられた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ミャンマーの「ビルマ史」より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 「独立」したとはいえ、ビルマ政府には本来あるべき権限はなかった。ファ
シスト日本が許容した権限があっただけである。日本時代にもっとも強大な権
力を見せ付けたのは、日本軍のキンペイタイン(憲兵隊)である。憲兵隊が管
轄し、処理する事柄については、階級の上下を問わず、いかなる日本軍将校も
口出しできなかった。一般の国民は、憲兵隊の思うがままに逮捕され、拷問さ
れ、さらには虐殺されたのである。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 タイの「歴史学 タイ2」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 タイ人の多くは、日本がタイを占領し、横行することに不満を感じていた。
タイ人グループの中には、日本と同盟関係をもつという政府の方針に反対する
ものもあった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 フィリピンの「フィリピンの歴史と政治」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 東南アジア諸国のなかで、フィリピン人が一番激しく、長く戦ったので、フ
ィリピン人全体で一一一万人千九三十八人が戦死した。このなかには、戦場や
日本の捕虜収容所で死亡した兵士たち、また日本軍によって虐殺された市民(
男性・女性・子供たち)が含まれている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 インドネシアの「社会科学分野・歴史科第五分冊」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 当初、日本軍の到来はインドネシア民族に歓迎された。インドネシア民族に
歓迎された。インドネシア民族は、長く切望してきた独立を日本が与えてくれ
るだろうと期待した。
 どうしてインドネシア民族は、このような期待をもったのだろうか。それは、
日本がやってきてまもなく、次のような宣伝を展開したからである。
―日本民族はインドネシア民族の「兄」である。日本がきた目的は、インドネ
 シア民族を西洋の植民地支配から解放することである。
―日本が「大東亜の共栄」のために開発を実施する。
 その実態はどうであったか。日本時代にインドネシアの民衆は、並外れた苦
痛を体験した。日本は結局、独立を与えるどころかインドネシア民衆を圧迫し、
摂取したのだ。その行いは、強制栽培と強制労働時代のオランダの行為を超え
る、非人道的なものだった。資源とインドネシア民衆の労働力は、日本の戦争
のために搾り取られた。


もちろん、大日本帝国・日本軍の侵略や加害事実に当てる分量や表現の違いはあっても、日本軍の占領を侵略と捉え、憲兵隊などによって残虐な支配がされたとしている記述は各国同じである。どの国も日本軍による占領が前宗主国(インドネシアならオランダ、マレーならイギリス、フィリピンならアメリカ)以上に残酷で、より多大な苦痛を蒙ったとしている。
 
アジアの教科書に書かれた日本の戦争
<東南アジア編>
http://www.ipc.hokusei.ac.jp/~z00323/classes/history/topics/war/textbooks/asianwar/
をさらに見てほしいと思う。

 
http://www.ipc.hokusei.ac.jp/~z00323/classes/history/topics/war/textbooks/asianwar/indonesia1.htmlより抜粋
 その実態はおづであったか。日本時代にインドネシアの民衆は、肉体的にも精神的にも、並はずれた苦痛を体験した。日本は結局、独立を与えるどころか、インドネシア民衆を圧迫し、搾取したのだ。その行いは、強制栽培と強制労働時代()のオランダの行為を超える、非人道的なものだった。資源とインドネシアの民衆の労働力は、日本の戦争のために搾り取られた。

農地造成のための場当たり的な森林伐採は、結局のところ、食料増産にはつながらず、それどころか逆に収穫は減少した。思慮を欠いた森林伐採は、土地の浸食と洪水の原因となった。浸食は土地の肥沃度を低下させ、灌漑に不可欠な水源をかれさせた。洪水は、稲作を破壊した。 
 そのほかにも、農業生産を減少させた原因があった。
ーー優れた農業技術を欠いたまま、農業が続けられていた。日本は、その国内で実施していたような、近代的農法の指導をしたことがなかった。
ーー日本軍政府は、軍隊の消費のために家畜を大量に殺した。その結果、家畜の数が次第に減少していった。しかし、農民たちには、田を耕すために、家畜が必要だった。
ーー民衆は、各自の庭でヒマを栽培することを義務づけられた。その収穫は日本軍政府に引き渡さねばならなかった。これは、オランダ東インド政府時代の強制栽培とどこが違うだろうか。結果的に、耕地は減少し、農民には田で働く時間が不足してきた。
ーー多くの民衆が無理やりロームシャ()(強制労働者)にされた。こうして、田を耕作する労働力が、しだいに減少していった。
 農業生産はすでに減少していたが、民衆は依然として収穫の80パーセントを、日本軍政府に引き渡すよう強制された。
 この結果、民衆の間では食糧がたいへん不足してきた
。飢餓の危機がいたるところで発生した。栄養失調で腹ばかりがふくれた。多くの人びとが死んでいった。道端や店先など方々で死体が目撃された。
 一方、日本軍政府による衣料品の供給も失敗してしまう。オランダの植民地時代には、戦時であったので、このような輸入はありえなかった。そのため、民衆は綿の栽培を義務づけられた。しかし、十分な成果は上がらず、またインドネシア国内で加工することは、まだできなかった。
 その結果、民衆の衣料は非常に不足し、地方の多くの人びとは、綿やシュロの繊維で作った粗末な服を、身に着けるしかなかった。それさえも買うことができない民衆もまたいたのである。
 
 もっともひどい目にあったのは、強制労働者(ロームシャ)にするために動員された人びとだった。彼らは田舎の出身で、多くは文字が読めなかった。もし教育のある者がいたとしても、小学校卒業がせいぜいであった。
 そのロームシャたちは、橋、幹線道路、飛行場、防衛拠点、防空壕といった、日本の防衛のために重要であった建設工事で労働を強制された。そのような壕が、いまでも残っている。カリウラン(ジョクジャカルタ)にあるのは、その一つだ。
 ジャワ島の各地方から集められた数千の人びとが、ジャワ島以外の島の森林で働かされた。それどころか、例えばマラヤ、ビルマ、タイ、インドシナなど、国外で労働させられた人びともいた。ロームシャの仕事は、非常に重労働だった。原始林で木を伐採し、丘を掘り崩し、山の中で岩を砕くことなどが、その仕事だった。それとともにロームシャたちの待遇は、きわめて残酷であった。かららが労働中に少しでも不注意だったりすると、平手でたたかれ、銃で殴られ、鞭で打たれ、足蹴にされた。これにあえて抵抗した者は、殺された。また、彼らの健康は、配慮されなかった、衣服は満足に配給されなかった。彼らは食糧を与えられはしたが、米の飯ではなく、タピオカ()の粉の粥だった。それも1日1回であり、量もきわめて限られたものであった。
 その結果、何千人ものロームシャは、二度と故郷に戻ることがなかった。彼らは、働かされていた森林で世を去ったのだ。
 この事実を目にして、多くの青年たちが村々から姿を消した。彼らは、ロームシャにされることを恐れて逃げたのだ。もちろん、これは地方の農業に悪い影響をもたらさざるをえなかった。その結果は、どのようなものだったのか、いうまでもないだろう。


おのずと理解できただろう。日本軍占領がいかにインドネシア人を苦しめ、蹂躙したのかを。インドネシアは日本軍のアジア解放論で最もよく持ち出される国だが、とんでもないことがわかる。インドネシア人は日本軍によって最も協力させられたあげく、食料を供出されて餓死し、ロウムシャとしてヘイホとして扱き使われて捨てられ殺された(虐殺といっても過言ではない)のである。
 
教科書だけではわからないので、実際にインドネシアに滞在したブログやサイト管理人の文を参考にします。

 
刺龍堂ブログ
http://shiryudoh.blog.ocn.ne.jp/ron/2006/01/style_of_asian__3.htmlより
 
スマトラの人々は非常に親切でした。どこに行ってもご馳走してくれるし、気にかけてくれる。そんなインドネシア人と日本人の僕という間柄でしたが、過去に国同士では、暗い歴史があります。
ガライ・シアノッというインドネシアのグランドキャニオンと言われるところでは、巨大な防空壕があるのですが、そこは旧日本軍がインドネシア人達に強制労働させ、作らせたところと言います。動けなくなった人間は、刀で切捨て、大勢の人が崖から投げ捨てられたと言います。(略奪)他の島々でも日本軍による虐殺があったという話はごろごろあります。肉親が食われたという話も耳にしました
しかし現在、日本ではそのような虐殺はなかったという事を訴えています。
これが真実かどうかは分かりません。
ただ僕にはこんなインドネシア人達がよく言う言葉が印象的でした。  
オランダ統治の300年間よりも、日本の3年間の圧制の方がきつかった

教科書のみならず、オランダ統治の300年間よりも、日本軍占領の3年間の残虐の方がきつかったと、草の根の民衆の間で世代を越えて語りつがれていることがわかりましたね。余談ですが、肉親が食われたという話ですが、日本兵による人肉食がインドネシアでも行われていました。ニューギニアにおける人肉食(ゆきゆきて神軍がその代表例)、そしてミンダナオ島をはじめとするフィリピンにおける残留日本兵による人肉食(もの食う人びと)があります。世界中で人肉を食う狂気を見せた蝗軍の実態でしょうね。
 
ガルーダの翼に乗せて 第8章
http://www.keicho.com/indonesia/garuda8.htmlより
 インドネシアは日本軍の占領下に入る前に、数百年にわたってオランダの植民地であった。しかし、オランダの支配には誇りを持って懐かしみ、オランダ語を使う老人達もいる反面、日本軍の侵攻に対しては、思い出したくない悪夢という印象が強いという。この違いはどこから来るのだろうか。当時の日本軍が、相当残酷なことをしたと思わざるを得ない。また現在でも、インドネシアでは欧米人は尊敬されるが、日本人は尊敬されないというのを聞いたことがある。欧米人は仕事を離れても、インドネシア人に無償で教育を施したり、文化を教えてくれたりするそうであるが、日本人は単に打算的で、仕事以外は全く閉鎖的で現地に溶け込もうともしないという。現地の人たちの最大の不満は、インドネシアに進出している日本の企業に就職しても、日本人ではないという理由だけで給料も安く、いくら優秀な人材でも高いポストに就けないことだという。これでは、現地の人たちに顰蹙を買うだけである。こんなことをしているから、未だに日本は何をしでかすか分からないと、アジア諸国に根強く残る日本軍国主義復活への不安感を拭い去ることができない。莫大な円借款のために日本に遠慮をしている彼らの気持ちが分からないようでは、真の友人となるべきアジアとの精神的な距離を縮めることなどできない。

これがインドネシアの人々の本音でしょうね。オランダ時代を懐かしむ人はいる一方、日本軍時代は残虐な悪夢というのが実態でしょう。オランダへの独立戦争という側面もありましたから、終戦直後は、オランダからも独立したいというのが終戦直後のインドネシア人の気持ちかもしれません。その当時のインドネシア人が老人となり、昔のことに思い出し、日本軍とオランダを比べると、オランダの時代は良きものがあったと懐旧の思いに浸るのです。共産主義から解放され、民主化した後の東欧やロシアの人々に、当時は共産主義からの解放を訴え、闘ったはずが、不況や治安の荒廃を目にするあたり、昔の共産主義時代に誇りと懐かしさを感じるという気持ちと同質のものでしょう。オランダ時代にはそういう回顧の情の気持ちがでてくる一方、日本軍占領時代に関しては、直接の残虐行為の被害者にならなくても、ひたすら残虐で苦しかった思い出したくない思いが残るのですね。オランダ時代より比べ物にならないほど残虐だった日本軍時代という答えが皆様の頭の中ににでたはずです。 
 
パパバリ・三浦襄と南方楽土の夢
http://www.fsinet.or.jp/~oak-wood/miura.htmlより、バリ島における日本軍占領時代とはいかなるものか見ていきたいと思います。
日本軍占領下のバリ島に偉人がいました。三浦襄という方です。右翼が喜びそうな話ですが、絶対にそうではありません。彼の話は大日本帝国・日本軍の支配の蛮行、非人道性、残虐性を物語るものです。

http://www.fsinet.or.jp/~oak-wood/miura2.htmlから
 そして翌日の9月7日、日本によってインドネシアの独立が許容されるはずだった日の明け方に、島の人たちに日本軍が占領した3年間を詫びる遺書を残し、拳銃で自決した。「この戦争でわが祖国日本の勝利を念ずるためとはいえ、愛するバリ島の皆様に心ならずとも真実を歪めて伝え、日本の国策を押しつけ、無理な協力をさせたことにお詫びする」としたためていた。そして、捕虜となる日本人が無事故国へ帰還するまでの支援を依頼していた。日本人が無抵抗で屈従したのは天皇の諭によるものだから、彼等の尊厳を尊重して欲しいとも懇願した。

 この戦争を機会に植民地支配をはね除けて、アジアの国々は独立を果たした。日本が意図した「八紘一宇」と「大東亜共栄」の構想は、西欧列強支配の肩代りでしか無かったが、この三浦襄のように同じアジアの友として真の幸せを願い、独立を支援した数多くの日本人がアジアの各地で汗と血を流したことを銘記したい。どうか永久の友情のために、語り継いで欲しい。そして日本人がアジアの一員であることを、忘れないためにも語り継いで行きたい。


明確に大日本帝国・日本軍によるアジア解放論を打ち砕いていますね。日本軍の政策を押し付け、無理に協力させたことをお詫びしている。彼も大日本帝国・日本軍の支配に参加した加害者であるが、その最後は悲惨だった。バリ島民と大日本帝国・日本軍の相反する意識の狭間で非常に苦しんでいると思う。
 
http://www.fsinet.or.jp/~oak-wood/miura11.htmlより

進駐した日本軍は大規模な収容所を作りオランダ人ら敵性国民を収容し朝鮮人と台湾人の軍属に管理させましたが、戦乱で生じた難民や孤児への対策はまったく手を着けませんでした。駐軍の軍属としてバリに戻った三浦襄はまっさき孤児院作りに着手し、琉球人漁夫の妻たちを寮母として雇い入れ自分たちの子どもと孤児たちの面倒を見させました。孤児院の運営費用は私費で賄い、のちに軍の民生部から資金援助の申し出があっても、自主性が損なわれる恐れからその申し出を断わったようです
なんと、人道の精神に溢れる人なんだろうか。本当にそんな日本人があの時代にいたのかと信じがたい気持ちだ。  
 日本軍将兵が進駐していることで、毎日牛と豚が数十頭づつ食用に供されていました。そのうちにバリ島内全ての農耕用水牛まで食べ尽くしてしまう恐れが予想されたので、そのような事態が起こらないようにと食肉缶詰の備蓄が計画されました。軍からの要請ということにして事業を進め易くして、台湾を主とした東南アジア各地から牛と豚を輸入して缶詰に加工しました。皮革製品を開発し獣毛がブラシとなり骨で日用品の柄を作るなどして、捨てる部分を出さず完全利用して家内工業を育成しました。この事業は「三浦商会」という名称で自身は社長に就任しましたが、軍との渉外役に徹して運営の全てをバリ人に任せました。前出のブジャ氏と共に軍の民政部の特別顧問に就く前から、民政官の役割を果たし民政の安定に尽くしました。軍の民政官には望めない事柄にまできめ細かく対応し民衆の福祉の充実に尽力したので、バリの老若男女全てから「パパ・バリ」という愛称で呼ばれていました。"バリのお父さん"という意味合いよりも、ローマ法皇が「パパ」と呼ばれているような意味合いで"聖者"のように敬愛されました。


日本軍はアジア・太平洋の膨大な地域を占領するに至ったが、各地に日本軍の進駐を維持するためには物資、とりわけ食糧が必要である。膨大な数の兵員を食わせないといけない。本土から食糧を輸送するのではなく、現地自活を絶対方針とした。現地自活とは、各地にいる部隊はその土地で食糧を調達しろということである。もちろん、ラバウルなどの一部では耕作したりとか、初期には物々交換や現金調達などの乱暴な手法を使わない場合もあったが、しかし、大半は徴発と略奪によるものである。バリ島でも牛と豚などの家畜を現地の人々に食用として供出されていました。日本兵は現地の食糧事情などお構いなしに、食料を奪う。やがては、食糧は食い尽くされ、農業用の水牛までも取り尽くされ、バリ島民に大規模な飢餓が襲うことは確実でしょう。日本軍が進駐したアジア・太平洋のほとんどは食糧不足でベトナムのように大規模な飢餓が生じた場合もありました。まさに、自力で調達せず、現地民から強制的に収奪し、餓死者がでようと、農業生産が破綻しようとお構いなしに、籾まで供出させ、ひたすら食い尽くす蝗軍なのである。バリ島のような小さい島なら、なおさらのことでしょう。三浦氏は予想されうる最悪の事態を食い止めたのである。それでも

http://www.hcn.zaq.ne.jp/rukisan/Diary2003.htm
 その実家に泊めてもらった時のこと。彼のおじいさんに僕が日本人だというと日本軍が占領していた頃の話をしてくれた。軍の食料の徴収が厳しくて食べる物が無くなってとても辛かったという話しを聞きながら果実の女王といわれるドリアンをご馳走になった。それまでうかつにも日本軍がバリ島の歴史に登場するとは思ってもいなかった。高原とはいえ熱帯の夜の空気は甘くねっとりとした香りをまとわせ、ドリアンの濃厚な味と舌触りと良い勝負をしていた
のように、バリ島に日本軍の食料の徴収と飢えの話が出てくるあたり、いかに過酷だったということを示す。三浦氏がいたバリ島でさえ、こうなのだから、ほかの地域、特に日本軍に進駐された小さい島・離島なんかの悲惨さは想像をはるかに絶するものであろう。

 バリ島民の生活はそれなりに豊かで信仰心は強く、島内に乞食と売春婦はいませんでした。にもかかわらず慰安婦を要求することがあり、バリ舞踊の踊り子たちをそれに代えようとしました。それに対してバリの宗教と文化を説明して、踊り子は神に仕える巫女のようなものであり仏に仕える尼僧のようなものであると納得させました。そして、是非と言うなら還俗させなければならないし、それには日数がかかるからと諦めさせました。不幸にして将校宿舎の下働きとして雇い入れると騙され、被害にあった女性を孤児院の寮母として"居場所"を与えました。

日本軍は人権も人道も人間性も一切欠いたどこまでも卑劣な組織であることを思い知らされる。
一切欠いたどこまでも卑劣な組織であることを思い知らされる。 
チベット偽装の十年 木村肥佐生著 スコットベリー編 三浦順子訳にみる日帝悪part6
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13238032.htmlでは、もともと性を売買する習慣のない土地に不浄な売春を持ち込んだりしている。バリ島でも同様のこと。日本軍はバリ島でも売春婦がいない、信仰心が強い土地柄でも慰安婦、いや性奴隷として女性を狩ろうとしていたのです。日本軍のいるところ、日本兵の去ったところ処女なしと言われています。慰安婦、性奴隷として幼い少女を含む多くの女性を連行し、陵辱の限りを尽くしました。規律もきわめて粗暴で慰安所外の女性もレイプされたのです。だから処女なしです。世界の軍隊のなかでもずばぬけて好色な日本軍にとって、女は肉便器以外のなにものでもないのです。アジア・太平洋地域の日本軍が進駐した地域で、性奴隷にされたり、強姦されたりした女性は数知れません。バリ島でも現地の信仰心や宗教や文化を無視して、性奴隷としての女性の供出を強制したのです。日本軍は女性の中でもとりわけ、非売春婦・処女、特に幼い少女や美人が大好きでしょう。売春婦がいない貞操を大切にするバリ島の土地柄は駐屯した日本軍にとって好みの女を収集する環境としては抜群でしょうね。最初にバリ舞踊の踊り子に目をつけ、彼女らを日本軍専属の性奴隷に変えようとしたのです。三浦氏は日本軍を説得して、あきらめさせようとしました。あきらめたかのように見えましたが、将校宿舎の下働きにするとバリの女性を騙し、性奴隷として奉仕させていたのです。多くのバリ女性が日本兵によって、性奴隷を強制されて、強姦・輪姦されました。多くの被害者がバリ島にもいたことでしょう。日本軍は本当に許しがたい犯罪集団です。そういう系譜を受け継いでいる連中に対してますます怒りが沸いてきます。

 
http://www.fsinet.or.jp/~oak-wood/miura12.htmlより
 語り継がれた有名な事件として、スパイの嫌疑をかけられ銃殺刑にもなりそうな小学校の先生を機転をきかせて救ったことがありました。無実の罪で罰せられる人たちをたくさん救ったことはありましたが、機転のきかせかたが絶妙だったのでしょう。それは、平穏な生活を続けている日々であっても、夜間は外出禁止で特別な許可証を持たないものは逮捕されて処罰を受けました。
 子どもの病状が悪化して医者を呼びに行きたくても夜間外出許可証を持たない教員の父親が、友人の警察官からその許可証を借りて医師を呼びに街へ出た際に起こった出来事でした。運悪く陸軍の巡察隊に出会ってしまい尋問をうけました。警察官になりすますことはできたのですが、私用外出に「公用証」を持っていたことで不審に思われ、分屯地内の司令部に連行されてしまいました。警官で無くて教員であることがばれて、スパイであろうということになりました。 
 バリ人の間で評判の悪い日本人のことを「ニップ」またはバリ語で「ゆでたまご」の意味の言葉で呼んでいました。なぜ「ゆでたまご」と呼んだかは、日本兵は場所を選ばず何処ででもドラム缶風呂に入っていたので、水浴の習慣しかないバリ人たちには奇妙なことと思えたようです。またバリ人はバリ・ヒンドゥの宗教的習慣から、中国の「風水」に似たこだわりがあったのです。一方的な尋問を受けてついこの言葉を口にしてしまい、新任の若い将校を怒らせてしまったのです。
 先任の特幹准尉は悪意の無いことを知っていたので仲裁にでましたが、大学出のエリート少尉のプライドが事態をこじらせてしまったようなのです。急を知らされ駆けつけた三浦襄は、病気の子どもの医者呼びであってスパイでないことを説明して納得をして貰いました。しかし、引っ込みがつかなくなったエリート少尉は一度判決した銃殺刑を撤回出来ません。事態は膠着し、夜は明けて来て一番鳥が鳴き始めました。
 エリート少尉の体面に傷がつかないよう配慮すれば解決できると考えた三浦襄は、日本人に馴染みのある「大岡裁き」や「相撲の痛み分け」の例を出し、江戸時代の昔から死罪を避ける方便として「遠島流罪」と「処払い」があることを思い出して貰いました。そのことから事態は急転して、銃殺刑が"閉居謹慎"刑に変更されました。デンパサール市内から「処払い」となり、郷里へ「遠島流罪」となったのです。殆ど無罪放免と変わらない処置であったことに気付かれることを心配するむきもありましたが、その人たちに「英語は解ってもバリ語は解らないから心配ない。バレるころには他の任地へ転属だろう。暫く辛抱してデンパサールが静かになったら、もとの教員生活に戻れば良い。」と涼しい顔をして言ったとのことです。バリと日本の双方の事情に詳しくて、バリ人のために尽力してくれたのですから、なによりも心強かったことと思います。
平穏な日々(日本軍占領地の人々にとってはどこも平穏ではないのだが)でも、夜間外出禁止令が敷かれていました。バリ島だけでなく、どこの日本軍占領地でもそうでしょう。とてつもなく不自由な生活をバリ島民は強いられていたわけです。日本軍の恐怖とあわせて、息が詰まる地獄のような日々だったでしょう。とんだ事件が起こります。夜間に子供の病状が悪化して、医者を呼びにいきたいがために、友人の警官からその許可書を借りて町へ外出したときにおきた出来事でした。途中、陸軍の巡察隊に出会い、捕まって尋問を受けてしまいます。やがて、警察官でないことをばれて、スパイ容疑で逮捕という筋書きです。ところで、バリ島の人々は日本兵のことを"ニップ"という蔑称を持って呼んでいました。バリ島だけではなく、占領されたアジア・太平洋各地に日本兵に対する蔑称は多くあります。それだけ、日本兵は横暴で、現地の人々の憎しみを買っていたということでしょう。一方的な尋問のなかで、この蔑称を日本兵に対して使ってしまい、若いエリート将校を怒らせてしまったのです。三浦氏が知らせを聞いて駆けつけ、子供の医者呼びであり、スパイではないと誤解は解けたのですが、若いエリートの少尉は一度出した銃殺刑を自身のプライドのために、撤回しません。日本軍というのはとても体面にこだわります。エリートであればなおさらです。自分自身の体面のほうが一人の人間の命よりも大切だというのでしょうか?そういうのは日本軍では当たり前で、インパールやガダルカナルのような多くの日本兵を餓死に追いやったという悲惨な失敗を招いたのも、人間の命より自分ひとりの体面が大切だという日本軍上層部のエリートに一因があることは間違いありません。
 バリ島の三浦氏は機転を利かせ、銃殺刑から一人の人間を救いました。日本軍の体制側に協力する日本人(日本兵を含む)として極めて珍しい偉人でしょう。ちなみに、ほかのケースとして横小路喜代美中尉という、マレー半島のイロンロン村で憲兵隊から住民を守ろうとした人物もいた。そういう人もいたことが確かだが、当時の日本人といえば、日本兵以外の現地在住の日本人を含めて、鬼の形相で、時に薄ら笑みを浮かべながら、没人間的で残酷非道な禽獣(多くの当時のアジアの人々からはそう見えた)として絶対的支配者として君臨し、すき放題殴る、蹴るの暴力振るうは、女性を連れ去り強姦するは、住居に押し入り略奪するはで好き放題苦しめてきたのである。
 日本の戦争指導者たちにとって「八紘一宇」と「大東亜共栄」のスローガンは、侵略と植民地化の鎧を隠す衣でしか無かったわけですが、それを信じた日本人は少なくなくアジアの各地でその夢の実現のために血と汗を流しました。アジアの国々の人たちと手を握り互いに協力し合って共に豊かな生活を実現させようとしたのです。アジアの国々が植民地支配をはね除けて、それぞれの自国が独立を果たし自由を獲得することが「共栄」に繋がると信じていました。しかし、独立を支援するための戦争でもあったはずが、いつの間にか傀儡政権を擁立して第二、第三の満州国を作ろうとしていたのです。しかも、夢が破れただけでは済まされず、国家総動員法で侵略戦争の遂行に協力しなければならなくなってしまったのです。心ならずも日本人であるが故にアジアの友を裏切らねばならなかったのは死んでしまいたくなるほど辛かっただろうと思います。

 日本がインドネシアの独立を許容するはずだった昭和20年9月7日に自決したのは、生涯をかけた夢の実現を完成目前に打ち砕かれた悔しさ、信じてくれていた人たちを裏切らねばならない情況に追い込まれた悔しさ、バリ人の幸福とそれに繋がるインドネシアの独立を願う気持ちに偽りのなかったことの証としてのことだったのでしょう。戦争指導者たちへの激しい憤りとは別に、捕虜となって抑留された日本人たちも戦争犠牲者だったわけですから、無事祖国へ帰還できるよう引き上げ船に乗るまでの安全をお願いしたのだろうと思います。さらに驚くばかりの徹底ぶりは、自決するについて室内を汚さぬよう中庭のアタップハウス(ヤシ葺きの東屋のような小屋)を選び、粗末な棺をいつの間にか準備して中庭ぞいのヒサシの下に置かれてありました。(三浦襄は個人の資産は所有せず、住居もブジャ氏宅に"居候"していた。義父と息子のような関係になっていて、子どもたちは日本のおじいちゃんと慕っていたそうです。)そしてさらに驚かされたのは、街はずれの住民墓地の中のひときわ目印になる老樹のかたわらに棺のはいるだけの墓穴が掘らせてあったことです。

三浦氏のことを思うと、日本はアジアを解放したなどと自慰史観に走り、オナニーして大日本帝国の美化に走り歴史を美化する右翼勢力に対する憎悪がさらに沸いてきます。こういう偉大な先人の業績すらも葬りさろうとしているのは、右翼そのものです。三浦襄氏ら現地を愛して、また日本をも愛した真のすばらしい愛国者を第二、第三の満州国を築き、自身の侵略の野望に利用した大日本帝国と、一部をもってして、大日本帝国・日本軍の加害事実を亡き者とし、歴史を捏造に邁進する右翼と何が違うのでしょうか。本質は同じです。大悪魔国、大日本帝国の穢れた精神を受け継ぐのは右翼であり、右翼を倒さない限り、三浦氏ら当時存在した偉大な人物の慰霊は済んだことにはならないでしょう。右翼に対する憎悪がさらに沸いてきました。右翼とこれからも全力で戦い、この悪しき日本の右翼という物体をこの世から消し去るまで頑張っていきます。以上
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 18:28 | Comment(18) | TrackBack(119) | 各国民衆の大日本帝国侵略・戦争被害情報コーナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

講演会のお知らせ:拉致問題で歪む日本の民主主義

pamlで流れて いましたので、以下転載します。
 
東北アジアの平和を考える講演会 
テーマ: 「拉致問題で歪む日本の民主主義」
講師: 高嶋伸欣さん(琉球大学教授) 

日時: 3月11日(日) 13:30〜16:30 
場所: 神戸市勤労会館405 (JR三ノ宮駅から東へ徒歩5分)
http://www.kobe-youthnet.jp/youthhall/access.html (神戸市青少年会館のアクセスマップですが、同じビルの4階です。)
参加費: 1000円

主催:対話で平和を!日朝関係を考える神戸ネット(略称:日朝ネット)
連絡先: 高橋090−3652−8652 
dfadl300@kcc.zaq.ne.jp
賛同団体: 子どもと教科書兵庫県ネット21・市民社会フォーラム

現在、拉致問題について、「家族会」や「救う会」と異なる主張をすることは、非常に勇気のいることです。個人はもちろんマスコミでさえ、「家族会」やその支援者を名乗る人たちから猛烈なバッシングを受けるからです。
しかし、そのことが民主主義の危機として大きな問題にならない。とてもおかしなことです。拉致問題が、北朝鮮の政権打倒や日本の右傾化のために政治的に利用され、そのことが逆に拉致問題の解決を困難にしているのではないでしょうか?

拉致問題は人権問題だからこそ、当事者が納得するまでの完全解決を求めるのは当然です。しかし、安倍政権が拉致問題の早期完全解決を日朝国交正常化の前提条件とし、全面的な経済制裁を発動するとなると話は違います。

日本政府が現在も有効とする日朝ピョンヤン宣言では、「拉致問題が再び生じることがないような措置をとること」が国交正常化の条件であり、真相究明を含む完全解決は国交正常化の進展によってはかられることとなっていました。日本政府が態度を変えて、拉致問題の早期完全解決を国交正常化の前提条件とし、その要求が受け入れられないからと制裁を発動することは、交渉拒否にしか映りません。国交正常化交渉の進展によってこそ拉致問題の解決が進
むことは、この間の5人とその家族の帰国からも明らかです。拉致問題の政治利用にこだわり交渉を拒否する安倍政権のやり方を変えることこそが、拉致問題の解決につながります。

拉致問題の政治利用を誰も問題にしない日本の状況は国際的にも、奇異に見られています。イラク戦争の旗振り役をしたニューヨークタイムズでさえ、「拉致問題は日本の右翼化に利用」され、「右翼の脅迫が穏健な意見を封じることに役立っている」、と批判しています。今まさに日本の民主主義は拉致問題によって危機に瀕しているのです。「石を投げるなら私に投げよ」と宣言する高嶋さんとともに、日本の民主主義を本物にしませんか?拉致問題の解決のために何が必要かをいっしょに考えませんか?

講師紹介
高嶋伸欣(たかしま のぶよし)
1942年東京生。東京教育大学(現・筑波大学)地理学専攻修士課程終了後、68年から96年の間、同大学付属高校社会科担当教員。以後、筑波大学教育学部教授・社会科教育専修。教材研究のため75年以後、東南アジアで日本軍による住民虐殺を中心に調査、主に教員を対象とする研修旅行を企画実施、地元側と共催で追悼行事を開催、高嶋教科書裁判(93.6〜05.12)原告。
主な著書(単著)『八〇年代の教科書問題』(新日本新書、1984年)、『教育勅語と学校教育』岩波ブックレット、1990年)、『教科書はこう書き直された!』(講談社、1994年) 最新著『拉致問題で歪む日本の民主主義 石を投げるなら私に投げよ』(2006年、スペ−ス伽耶)でこの間の家族会や救う会の動きをリサーチし、拉致問題の政治利用を批判している。
 

 
ひとつだけ、納得できないことがある。
>拉致問題の政治利用にこだわり交渉を拒否する安倍政権のやり方を変えることこそが、拉致問題の解決につながります。
安倍政権のやり方を変えるのではなく、安倍政権は元より、自民党政権も妥当して、政権、政治、政府そのものを良識化しなければなりません。やり方をかえるといっても、安倍ファシスト政権に話は通じません。この点論外だと思います。ほかの趣旨は同意いたします。
右翼や安倍ファシスト政権が、北朝鮮による拉致問題を右傾化や憲法9条改正などの軍国主義化に利用しています。それだけでなく、拉致問題という人道の名を借りて、(政権や右翼の意見と対立する)意見、穏健なものさえ脅迫し、封殺することに利用しています。反対勢力を人道の名の元に弾圧することを正当なものに見せ、日本のファシズム体制化を増長させているのが、拉致問題の政治利用の現状でしょう。拉致問題によって日本の民主主義は大きい岐路に立たされていることに間違いありません。ぜひ良識派の皆様は講演会へご参加ください。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 18:14 | Comment(10) | TrackBack(50) | お知らせ および メーリングリスト関連総合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ホワイトカラー・エグゼンプション、現代において国内に奴隷制度を復活させようとする安倍ファシスト

残業代ゼロ 首相「少子化対策にも必要」
http://www.asahi.com/politics/update/0105/007.html
 安倍首相は5日、一定条件下で会社員の残業代をゼロにする「ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入について「日本人は少し働き過ぎじゃないかという感じを持っている方も多いのではないか」と述べ、労働時間短縮につながるとの見方を示した。さらに「(労働時間短縮の結果で増えることになる)家で過ごす時間は、例えば少子化(対策)にとっても必要。ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)を見直していくべきだ」とも述べ、出生率増加にも役立つという考えを示した。首相官邸で記者団の質問に答えた。
 首相は「家で家族そろって食卓を囲む時間はもっと必要ではないかと思う」と指摘。長く働くほど残業手当がもらえる仕組みを変えれば、労働者が働く時間を弾力的に決められ、結果として家で過ごす時間も増えると解釈しているようだ。
 ただ、連合などはサービス残業を追認するもので過労死が増えるなどとして導入に猛反対している。このため、夏の参院選をにらんで与党内でも慎重論が広がっている。
 しかし、首相は通常国会への法案提出については「経営者の立場、働く側の立場、どういう層を対象にするかについて、もう少し議論を進めていく必要がある」と述べるにとどめた。

安倍ファシストは先代の血よりトチ狂っているので、やつが何をいっても別に私は驚かない。この話題を私がとりあげたのは、やはり世間では大きな話題となっているから、このブログでも一切触れずじまいというのはできないと判断したからだ。ホワイトカラー・エクゼンプションのことである。安倍ファシストや経団連の認識からすれば、残業代目当てに残業し、企業から搾取しているのが日本の社員だ。ケシカランという発想なのだろう。どうしてそこから、家族と家で過ごすことより、残業代を優先するという発想が真っ先にでてきて、仮にそうだとしても残業しなければ食っていけないワーキング・プアに陥った日本のサラリーマン家庭の事情に考慮が浮かばないところが、さすが安倍ファシストや経団連などの大日本帝国の悪しき血が通った連中の考えそうなところである。いろいろと聞こえのいい理屈ばかりをごねてくるが、ホワイトカラー・エグゼンプションの背景は愛国心や愛社心などを植え付け、国民をお国、お上、組織に従順にしたて、どんなに貧しくても残業代0のサービス残業という奴隷奉仕をさせようとしているのである。
 

旧満州・中国人捕虜強制労働、関東軍が賃金不払い明文化
http://www.asahi.com/national/update/0107/OSK200701070036.htmlというニュースがあるが、これも大日本帝国・日本軍の奴隷労働という加害事実の延長線上である。表向きは国際的な基準を満たしているように、国民の福利厚生を手厚くしているように装い、裏では企業の賃金不払いの奴隷労働で酷使できるように誤魔化し、日本国を政府の役人や自民党ナチスや経団連の連中、軍需産業などの利権屋が潤う酷い奴隷制国家にするつもりだ。断じてそのような試みは許しておけません。右翼や安倍ファシストや経団連、現在の自民党や日本政府などの大日本帝国の悪しき系譜を引き継ぐ連中がどういうやつらかという警告のために、この話題に触れました。

旧満州・中国人捕虜強制労働、関東軍が賃金不払い明文化

旧満州・中国人捕虜強制労働、関東軍が賃金不払い明文化
http://www.asahi.com/national/update/0107/OSK200701070036.html

 日中戦争で捕虜になった中国人兵士らを旧満州国(中国東北部)に連行し、建設現場で「特種工人」として働かせるため、旧日本軍が1943年に作成した極秘の取扱規定が見つかった。中国・吉林省の公文書館にあたる档案(とうあん)館に残されていた関東憲兵隊の内部文書を、愛知県立大学の倉橋正直教授(中国近現代史)らが入手した。賃金を各部隊が一括保管して本人に支払わないことを明文化するなど、不明な点が多い中国大陸での中国人強制労働の実態解明につながる内容になっている。
 文書は旧満州に展開していた関東軍総司令部が43年7月に作成した「関東軍特種工人取扱規程」。通則、輸送、使役、管理、監視及警戒、経理、報告の7章32項目と二つの付則からなり、表紙には「極秘」の印が押されている。
 冒頭の第1項では、中国北部戦線で捕虜にした国民党軍や共産党軍の兵士、匪賊(ひぞく)と称していた反日武装勢力を「特種(特殊)工人」と定義。軍の管理下にある飛行場や鉄道などの建設現場で使役する場合の必要事項を定めている。
 処遇については、特種工人の配属を受けた部隊長がその使役や管理を直接担当する▽輸送の際は将校を輸送指揮官とする――など、管理・使役に関東軍の各部隊が直接かかわる仕組みになっている。
 賃金については、「特種工人に支給せず、部隊が一括保管し、日用品などの購入に充てる。なお余剰がある時は本人の帰還や解放時に交付する」と定めている。しかし、死亡した際に残されていた遺留金は埋葬費に充て、残額があれば遺族に送る▽送金不能ならば残りの特種工人の福利施設に充ててよい▽逃亡した場合は捜索費に充て、残った額は他の特種工人の警護施設に充当する――などの規定があり、賃金を直接手渡さずに捕虜を働かせることができる仕組みになっている。
 日本が1911年に批准した「ハーグ陸戦条約」は、捕虜を使役した場合は自国の陸軍軍人と同じ基準で賃金を支払うことなどを義務付けるとともに、捕虜の賃金から必要経費は控除できるとしている。関東軍の取扱規程は、「特種工人」が諸外国から国際法上の捕虜と認定された場合でも、同条約を順守していると主張できる形を取りつつ、現場で強制労働を可能にする狙いがあったと見られる。
 旧満州国での捕虜の強制連行・強制労働をめぐっては、当時の統計資料をもとに、1941年5、6月から43年6月末までの2年間に民間企業と軍を合わせて約10万人が動員されたと推計する中国側の研究がある。敗戦時に関係資料の多くが散逸したり処分されたりしたため、全体像は不明となっている。
 一方、日本国内への中国人の強制連行については、外務省が敗戦直後の46年3月にまとめた「華人労務者就労事情調査報告書」で、43年4月〜45年5月に3万8935人が連行され、帰国までの死亡者数を6830人としている。
 〈旧日本軍の強制連行や捕虜政策に詳しい内海愛子・恵泉女学園大教授(戦後補償論)の話〉 日中戦争での中国人捕虜の扱いについての全体像が明らかになっていないなか、強制連行も軍が直接管理し、賃金の扱いまで示していたことを明らかにする画期的な資料だ。表向きは「国際条約を守っている」という主張も可能な表現をとりながら、文面通りにすれば現場で賃金を不払いにできるのが特徴で、実に巧妙なやり方だ。このような規定が、上層部は責任追及を逃れながら末端の担当者が捕虜虐待に問われ、多数のBC級戦犯を生む素地になったとも言える。

ほんと、大日本帝国はつくづくとんでもない国だなと思う。表向きは国際条約を守っていると装うところが巧妙で、大日本帝国・日本軍はアホだがこういうところには妙に悪知恵がまわる。とはいっても、違反は違反だ。ハーグ陸戦条約は捕虜を使役した場合、賃金を払わないといけないとしているし、その倉橋正直氏が入手した資料は、部隊が日用品などの購入(部隊、いや将兵の指摘流用、軍部の裏金化)に当てる、ありきで、賃金を払いませんと奴隷労働を謳っているのだから話にならない。大日本帝国・日本軍はまさに奴隷国家である。関東軍では中国人捕虜を賃金なし、つまり奴隷労働を行わせているわけだが、多かれすくなかれ、朝鮮半島、台湾、そして日本本土における朝鮮人や台湾人労働者、日本軍の強制レイプ所に監禁された性奴隷に従事させられている女性も、賃金なしの奴隷状態だったのである。奴隷といえば、聞こえがいいが、実態といえばまさに、でてくる資料に書いてあることからは想像すらできない、奴隷より格下の、家畜と同じが、それ以下の"ただのモノ""戦争遂行のための消耗品"並だったのである。大日本帝国は、ナチスの強制収容所群、ソ連のソルジェニーツィン氏が書いた収容所群島、北朝鮮国内で現在行われていることより、はるかに残酷で、巨大なアウシュビッツシステムを備えていた。シベリアや中央日本兵で旧日本兵が抑留され、強制労働させられたことを、右翼の連中はどうたらこうたらいうことがあるが、自分たちの過去の大日本帝国や各地の日本軍が、中国人や朝鮮人、台湾人、連合軍捕虜、その他アジアの人々に対してどういう惨い扱いをしたか少しでも考えてみろ!!!
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2007年01月07日

旧日本軍毒ガス提訴のニュース

『失った人生返して』 旧日本軍毒ガス提訴へ
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20070104/mng_____sya_____007.shtml

 旧日本軍が遺棄した毒ガス被害では「戦後最大の惨事」とされる中国東北部・黒竜江省チチハル市での事故。その補償が日本の法廷で争われる。訴えを起こす被害者四十四人は呼吸器障害などの後遺症で失職や離婚などを余儀なくされてきた。被害者には十代の子供も。六十年以上前の戦争の遺物が新たな被害を生んでいる実態を司法の場で訴える。 

 「健康、家族、仕事。すべてを失った。台無しにされた人生を返してほしい」。事故から丸三年を迎えた昨年八月、日本政府に窮状を訴えるため来日した被害女性の牛海英(ニウ・ハイイン)さん(28)は面会した国会議員を前に泣き崩れた。

 牛さんは当時、廃品回収所を切り盛りする経営者だった。工事現場から発掘されたドラム缶に毒ガスが入っているとは夢にも思わず解体し、二カ月間の入院生活を強いられた。十代のころは重量挙げの選手として活躍するほどの健康自慢。だが事故後は一転し、後遺症による免疫力の低下で、慢性的な疲労や体力、記憶力の低下、いつもかぜをひいているような気だるさに悩まされるようになった。

 「身体の不調が原因で夫とも口論が絶えなくなり、離婚。十歳の長男とも離れ離れになってしまった…」。今は仕事もできず、母親とひっそり暮らしているという。

 被害者の六割以上を占めているのは、十代から三十代の人たちだ。一家の大黒柱として働いていた作業員らも、後遺症が原因でほとんどが職に就けないままだ。

 整地のため工事現場から中学校の校庭や個人宅に運ばれた汚染土に触れ、健康被害を受けた子供もいる。「毒ガスを吸わなければこんな病気にならなかったのに」。当時十歳で、二〇〇五年に健康診断のため来日した女性、馮佳縁(フォン・ジャユアン)さん(13)は医師から慢性気管支炎という診断結果を伝えられ、おえつを漏らした。

 校庭の汚染土で砂遊びをしているうちに毒ガスを吸った。その夜のうちに病院に運び込まれたが、手足の皮膚がただれ、二カ月間にわたって入院。

 「学校に戻っても(感染症と誤解され)友達はみんな離れていった。目にもやがかかって、勉強にも集中できない」とつぶやいた。

 弁護団の南典男弁護士は「毒ガスが人体にどんな影響をもたらすのかについては、未解明な部分も多い。被害者が抱える後遺症は年々悪化している。勝訴して、研究・治療体制の整備を中心とする救済策を政府に促したい」と語った。

    ◇

 市民団体「毒ガス被害者をサポートする会」(東京都新宿区)は訴訟支援の寄付を募っている。郵便振替の口座名は団体名と同じで、口座番号は00160−8−583130。問い合わせは同会事務局=03(3268)1993。

『旧日本軍毒ガス事故 中国人44人損賠提訴へ
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20070104/mng_____kok_____003.shtml

 中国東北部の黒竜江省チチハル市で二〇〇三年八月、旧日本軍が終戦前後に遺棄した毒ガスが漏れた事故で呼吸器障害などの被害を受けた中国人四十四人が今月下旬、日本政府を相手に総額十三億二千万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こす。「毒ガスを放置し、危険を取り除く義務を怠った」として戦後処理の違法性を追及する。旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器をめぐっては、別の事故で二件の訴訟が東京高裁で続いているが、今回は原告数、賠償額とも最大規模になる。 

 事故は、チチハル市内の工事現場から毒ガスが詰まったドラム缶が掘り起こされたのが発端。漏れた毒ガスの被害はドラム缶を解体した作業員らのほか、中学校の校庭に運び込まれた汚染土に触れた子どもたちにまで拡大した。

 一人が死亡し、四十四人が皮膚がただれるなどの被害を受け、呼吸器障害などの後遺症が残っている。

 この事故は中国国内では「旧日本軍の毒ガス遺棄事故では戦後最大の惨事」とされ、日中の外交問題に発展した。日本政府は補償ではなく「事故処理費」の名目で中国政府に三億円を支出し、死亡した被害者の遺族に約二千万円、負傷した被害者には一人平均約五百五十万円の治療費が分配されている。

 だが、被害者弁護団は「被害者らは後遺症で仕事を失った。症状の進行は一生涯続き、一時金ではとても生活していけない」としており、慰謝料などを含め、死亡者を除いて一人当たり三千万円の賠償を求める。

 〇五年以降、被害者の代表らが何度も来日し、内閣府を窓口として医療体制の整備などを求めて交渉してきたが「誠意ある回答が得られなかった」として提訴に踏み切ることになった。

 旧日本軍が敗戦の前後に、中国各地に捨ててきた毒ガスなどの「遺棄化学兵器」の数は中国側推定で約二百万発。日本側の推定は少なくとも三十万−四十万発という。

■戦後責任在り方問う

 <解説>「問いかけたいのは毒ガスを遺棄した過去の責任より、回収を遅々として進めず、危険を知りながら放置し続けている現在の日本政府の責任だ」と被害者弁護団は強調する。これは、今回の訴訟が提起するものが、日本が果たしてこなかった戦後責任の在り方であることを意味している。

 一九九七年に発効した国連の化学兵器禁止条約に基づき、日本側に毒ガス兵器の廃棄を義務付けた覚書が日中両政府間で交わされたのは九九年。日本政府は重い腰を上げ、同年から回収作業を始めたが、これまでに処理できたのは四万発弱。日本政府が推定する遺棄数「三十万−四十万発」にも遠く及ばない。

 回収期限は今年四月だったが日本政府は国連の化学兵器禁止機関(OPCW)に五年間の延長を申請し、承認された。毒ガス兵器は中国全土の約六十カ所で見つかっているが、ほかにどこに埋まっているのか特定できていない。期限を延長しても、すべての処理が終わるかどうかは不明だ。遺棄毒ガス事故の被害は、いわゆる従軍慰安婦や強制労働をめぐる戦後補償の問題とは異なり、被害が今も広がっている点に特徴がある。チチハル市での事故後も、小規模だが同様の事故が起きている。

 戦後補償裁判の大半が戦前の日本には国が賠償責任を負う制度がなかったとする「国家無答責の法理」が適用されたり、賠償請求権が消滅する“時の壁”に阻まれた。これに対し、チチハルの事故が起きたのは三年半前。「現在進行形」の被害に対する日本政府の責任について司法がどう判断をするか。それが訴訟の焦点になる。(社会部・鬼木洋一)

 <メモ> 旧日本軍の毒ガス遺棄をめぐる訴訟 中国チチハル市での事故の被害者に先行し、黒竜江省で1950−90年代に発生した事故の被害者や遺族計18人が、日本政府に損害賠償を求めた2件の訴訟(請求総額約2億8000万円)を起こしている。2003年に両訴訟の1審判決が東京地裁であり、どちらも「毒ガスや砲弾の遺棄は違法な行為」と認定した。しかし、回収のための調査義務が日本政府にあったかどうかの判断が分かれ、1件は被害者側が勝訴、もう1件は敗訴した。両訴訟とも東京高裁で係争中。

日本の根本的な卑劣な精神は、60年以上も前の大日本帝国時代となんら変わっていない。大日本帝国の加害は今なお絶えることはない。日中両国に遺棄された毒ガス兵器によるものはその代表例だが、現在進行形で続く、大日本帝国による加害責任である。戦後60年以上も無視し、その戦後の悪しき置土産の後始末を怠っているし、あまつさえ被害者の訴えに対して控訴するような非人道の国である。こんな政府を存続させていることが、日本人としての何よりも恥だよ。本当に恥ずかしい限りで、外国の人々に対して、誇りをもって日本を自慢することなど、私にはできない。なにが美しい国だ。"汚物塗れ"の腐敗した国だ。

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:21 | Comment(3) | TrackBack(56) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本の右傾化「音もなく速やかに進行」

日本の右傾化「音もなく速やかに進行」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/01/07/20070107000019.html

 安倍晋三首相が右傾化政策を「速やかに音を立てず」推し進めている。靖国神社参拝を除けば、安倍首相は首相就任以前に示していた右傾化路線を大きな反発なく一つずつ成就していっている。

 この状況について、日本の政界のある人物は「韓国や中国を刺激すれば、日本国内からも韓中との関係悪化を懸念する声が上がる。しかし、逆に両国さえ刺激しなければ、(日本の右傾化に対する)国内からの反発はほとんどないという点を狙った戦術が通用しているようだ」と評した。

 安倍首相が「女性天皇」を認める「皇室典範」改正案を白紙化した、と産経新聞が3日に報じた。同紙は保守偏向との批判を受けているが、それだけに政権内部の右傾化の流れに明るい。

 完ぺきな男女平等の理想を盛り込んだ「皇室典範」改正案は、昨年国会審議に入る予定だったが、日本の保守層の反発と秋篠宮ご夫妻の長男悠仁(ひさひと)さまの誕生を受け、議論が保留されていた。

 同紙によれば、終戦後に日本を占領した米軍が、天皇の力を弱める目的で皇室から追放した皇族らを復帰させる方式で、男子による皇位継承問題を解決する方針だという。従って、「皇室典範」改正案の白紙化は、日本の保守界にとって「皇族復帰」という「戦後清算」の意味を帯びている。

 また、安倍首相は1日の年頭所感で、「戦後レジームから脱却し、新しい時代にふさわしい憲法とするため憲法改正に取り組む」と強調した。昨年、愛国心教育を強化した教育基本法改正案を国会で通過させた余勢を駆って、今年は改憲を最も重要な政治課題として推進するという意志を見せたのだ。

 

 改憲自体については野党民主党も賛成しているが、平和憲法の象徴である憲法第9条(戦争放棄条項)の扱いをめぐって意見が分かれている。安倍首相が率いる与党自民党は「自衛軍の保有」を明文化した草案を発表しており、同盟国が攻撃された際にも武力使用を可能とする「集団的自衛権」についても検討は可能との立場を取っている。

 外交的反発を招く恐れのあるデリケートな事案については、政権内の極右傾向のある人物の「口」を通じて推進されている。

 自民党の中川昭一政調会長が主導する、自民党有志議員による議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は、昨年末に日本軍慰安婦を意味する「従軍慰安婦」から「従軍」の文字を削除するよう政府に要求することを決定した。これは、「日本軍が強制的に引き連れてきたかのような誤解を招く恐れがある」という主張に基づく要求だ。またこの会では、日本政府が慰安婦募集に介入した事実を認定した1993年の「河野談話」について、これに代わる新たな談話を発表することも併せて政府に要求する方針だ。

 同様に「日本の核武装論」も、安倍首相は認めていないものの、中川政調会長や麻生太郎外相など、安倍政権の主要人物が主導している。

 しかし、こうした右傾化の流れに対し、日本国内からの反発はほとんど見られない。核武装論は既にタブーの領域から抜け出し、マスコミで活発に賛否をめぐる議論が展開されている。さらに、「皇室典範」改正案の白紙化や「河野談話」否定の動きは論点にすらなっていないというのが実状だ。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報JNS

中国や韓国などのアジア諸国の反発と抵抗が自民党の歴代政権や右翼勢力の日本の右傾化を阻止する上で一定の原動力になっていたことはいうまでもありません。しかし、連中は騒ぎ立てずに、静かに右傾化を進めています。まずは安倍ファシスト政権を倒すことでしょう。静かな右傾化を阻むためにはそれしかありません。ふと気がついたとき、完全に外堀を埋められたとなっては、遅いのです。安倍ファシスト政権打倒のちに、一切の日本の右への動きを完全に封殺するために、日本の核武装主張や従軍性奴隷、南京大虐殺否定の歴史修正主義議論を一切禁止するために、右翼言論取り締まり法を制定すべきなのです。それ以外に日本がが取りうる進路はありませんから。

インドネシア 多民族国家の模索 岩波新書 小川忠著にみるインドネシアと日本

 私が忙しい合間をぬって、少しずつ、書き上げてきました。。書籍などにみる日帝悪シリーズを新年明けまして、ここにアップします。「インドネシア 多民族国家の模索」岩波新書 小川忠著という本です。1993年に出版されたもので、内容はかなり古いです。当時のインドネシアにおける日本に対する認識(日本軍占領時代に対する歴史認識)を知るには、もってこいだと思います。著者は1989年4月から93年1月まで、国際交流基金ジャカルタ日本文化センターの駐在員として、インドネシア共和国のジャカルタに滞在。「ジャカルタ通信」という個人通信を帰任の月まで執筆し続けました。この本はその「ジャカルタ通信」をもとに加筆、修正して描かれたものです。
  インドネシアは2億近い人口、そして、多数の民族と、何よりも世界最多のイスラム教徒を有してます。著者が生活する中で、多民族社会の現状、多数の民族を束ねるための言語の成り立ち、長期間のスハルト政権が転機を迎えると同時に高まり始めた民族と宗教意識、芸術や文化交流、日本との関係など多様な分野を著者が生活し、肌身で感じたことを紹介してくれています。前置きはここまでにしておいて、本書の詳しい内容については触れません。

 本書第三章の『日本を見る目』より、1989年から93年にかけて、日本軍による侵略とその記憶について引用・抜粋し、インドネシア人が日本軍占領時代をどのようにとらえているかを見ていきたいと思います。長いので、続きを読む 以下をクリックして下さい。
続きを読む
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:22 | Comment(19) | TrackBack(193) | 書籍などにみる日帝悪および書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月02日

新年早々のうれしいこと。一右翼ブログが凍結

というか、忘れていましたね。
嗚呼、負け犬の遠吠え日記(新館)

『反日ブログ監視所(旧館)』がサイト凍結か!? 自業自得だ、ざまあみろ!(笑
http://komichin.blog80.fc2.com/blog-entry-41.htmlによれば、『反日ブログ監視所(旧館)』という右翼ブログが凍結されたようです。理由は規約違反、多数のユーザーへの迷惑行為で、散々荒らしまくったあげく凍結というわけですね。右翼というやつはどいつもこいつも汚い、グズのの風上にすらおけない醜い生物。こんなやつ、とっとと絶滅してしまえばいい。凍結じゃなくて、逮捕して刑務所にぶち込んでしまえばいいんじゃないですかね。ただし、別の新館のほうは生きているようですから、残念ですが。

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:33 | Comment(52) | TrackBack(158) | 備忘録・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

初詣に行って思ったこと。神道、一般神社や初詣(神社を参拝すること自体)の戦争責任、侵略加担責任について

題名の通りです。初詣に行ってまいりました。家族と何気なく神社にいきました。国民的な習慣でしょう。初詣という行為や、さらにいえば神社を参拝するという行為自体がもはやわが国の国民的慣習になっていることでしょう。ふと思いました。何気なく行っている行為に、何の問題がないのかということを感じました。もちろん、靖国神社などの特殊な軍国主義神社を扱おうとしているのではありません。靖国神社と一般の神社(神道)とは別で、大日本帝国時代、前者は陸軍・海軍省管轄で、内務省管轄だったという違いがあります。だからといって、なんら、戦争責任、侵略加担責任がないというわけではないと思います。国家神道として、大日本帝国天皇ファシズム体制と深く結びついていました。天皇と国家を中核に沿え、国民の思想統制の道具として使われたのである。靖国神社以外の一般神社もその手先となった責任は免れまい。さらには、植民地にした地域、朝鮮半島なり、台湾なり、南洋諸島、関東州、ひいては満州国にまで、日本本土以外の各地、侵略エイリアンである日本人が入植し、集落をつくると必ずといっていいほど神社ができているのである。植民地という異郷の地に移った日本人の信仰の拠り所といえば、聞こえがいいが、実際にはお国と天皇のため、大日本帝国の植民地の確固たる維持と徹底的な搾取によってお国と天皇に貢ぐという、植民地にいる日本人としての義務を守るべく忠実な臣民としての忠誠心を常に保ち、育むための国家施設だったのである。植民地の人々にとっては、神社の存在、鳥居や社、年明けの初詣や何か祝い事があるたびの神社詣までが、植民地で翻る日の丸とともに、大日本帝国の植民地支配で苦しむ民衆の怨恨の的となったのである。神社の参拝や初詣などの行事を強制することで、臣民化、つまり植民地の民衆の大日本帝国と天皇の奴隷化にも加担したのである。これが侵略加担責任というものだ。兵士が戦地へ出征する際、出発前に、神社に武運の長久や、凱旋帰還の祈りを捧げてから、赴いたという事実がある。靖国神社の話ではない、一般神社もそういう兵士の大日本帝国や天皇のために、命を捧げて戦うという闘争心を鼓舞するということに対して一定の役割を果たしているのである。神道や全国に存在する一般神社も国民の思想統制と戦争に深く、密接に関わっているということがわかってもらえたと思う。初詣などの神社で行われるあらゆる国民的行事が、大日本帝国時代には国家による国民の統制と国威発揚に使われたのは事実だ。もちろん、大日本帝国という時の政府や軍部によって利用されたという反論もあるだろうが、利用された責任もあるし、大日本帝国の天皇ファシスト体制構築と軍国主義や侵略戦争遂行に加担した罪は免れない。結論として、神道や一般神社、初詣、つまり神社に詣でるという行為やその他神社の行事もろもろにも、過去の戦争に対する戦争責任、侵略加担責任は存在するのだ。

明治学院の戦争責任・戦後責任の告白
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/meijigakuinn.htm
では、中山弘正氏がキリスト教徒でありながら、国家の手先となり、さらには教え子を戦地に送ったことに加担したことの戦争責任・戦後責任を告白しておられます。

第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白
http://www.cityfujisawa.ne.jp/~s.atusi/sensekij.htm
日本基督教団でも戦争に同調したということを明確に反省しておられます。ほかのキリスト教派も戦争責任や侵略に加担した責任を告白し、反省の意を表明しておられます。
 
 http://www.bukkyo.net/shuuha/sin.htm

大師号について

 明治9年、真宗の有力宗派にたいして太政官より親鸞に見真大師の諡号がおくられ、以後国策にそい戦争協力をすすめる。平成13年、教団の戦争責任を認め、国策に追従した歴史を反省し、7月1日より大師号の使用を見合わせる事を決定。「朝廷の弾圧に屈せず信心を貫いた宗祖親鸞聖人をしのぶのに、歴代朝廷が高僧に与えてきた大師号はふさわしくない。」 (大谷派

仏教においては、浄土真宗も国策に追従した戦争責任を認めておられますね。一般神社(神道)は戦争責任を認めないんでしょうか?初詣に限らず、何の行事に参加するにしろ、過去の侵略戦争や大日本帝国の加害歴史に照らし合わせ、戦争責任や侵略加担責任がないかどうかを考えてみてはいかがでしょうか?以上、私が初詣をしながら思ったことでした。ちょっと、考えすぎですかね?皆様はどう思われますか?
  
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:58 | Comment(24) | TrackBack(14) | 日々の雑感ならびに考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今年の目標と2007年を迎えるにあたって考えること

今年の目標と2007年を迎えるにあたっての所信
@安倍ファシスト政権と自民党ナチス一党独裁体制の打倒は急を要することでしょう。Aその次に右翼の駆除です。大日本帝国の被害者や大日本帝国・日本軍によって犠牲になった人々や、侵略や戦争加害の被害を蒙った国々や地域の人々に対するセカンドレイプ野郎である右翼をこの日本に存在させていることが、人類のあらゆる道徳、平和と自由、民主主義、人道主義に対する罪であり、冒涜である。歴史を歪め、大日本帝国のために命を奪われて人や、家族を失い、レイプ・暴行・奴隷労働を強いられ深いトラウマと心の傷を負った数々の被害者の人々の気持ちを踏みにじってまでも、大日本帝国を盲信し、崇拝し続けることの罪を気づかない、人間の顔すらしていない醜い物体どもをこの世から駆逐することが私の責務だと考えています。
B大日本帝国・日本軍の侵略や加害・蛮行事実の発掘。既存の書籍や資料ではなく、各国の大日本帝国・日本軍占領時代体験者や被害者、目撃者、大日本帝国・日本軍の一員だった元日本兵の証言・オーラルヒストリーを早急に調査・収集して、この時代に行われた恐ろしい鬼畜以下の外道の国家犯罪・戦争犯罪・蛮行の数々を掘り出していかなければならないと考えている。野党良識派政権が樹立した後、日本政府が何よりも全力をあげて取り組まないといけないことである。野党政治家の何人かにはそういう旨のメールを送り、意見を申し上げている。
C良識派政権が誕生した後は、日本は真の独立した国家として、憲法9条と絶対平和主義、人道主義を至高の国是とする、安倍ファシストの"美しい国"ではなく、世界の誰(大日本帝国により被害を蒙った国や、大日本帝国被害者やその遺族)が客観的にみても、美しい国にしなければなりません。日米安保を破棄し、米国追従をやめ、世界に対して横暴を続ける米国を止める側に立たないといけません。ほかのどの国よりも過去に残虐無比この上ない罪を犯した前科者である日本だからこそ、真に更正してできる役割ではないでしょうか。米国追従をやめるといっても、左翼の一部は現在のファシスト・ナチス安倍・自民政権、さらには右翼(新米右翼?)に対して米国追従を辞めろとか、米国を批判しろとかいっていますが、とんだ筋違いだと思います。安倍ファシストや自民ナチスや右翼は撲滅しなければならない存在です。安倍ファシスト政権や自民党政権などの右翼ファシズム政権のまま、米国独立という選択肢も私には恐ろしくて仕方ありません。右翼ファシズム政権のまま、米国の制御すら外れることになれば、間違いなく史上最悪の大日本帝国ファシズム体制が復活の引き金を引くことになります。アクセルレバーが全開、そしてブレーキが壊れた暴走特急のように、突っ走って世界を破滅させることになるのです。また、左翼やリベラルは口にはしませんが、私は言います。歴史を捏造し、戦争責任を認め、過去の罪を認識しない右翼や安倍ファシストどもに、米国を批判する資格はありません。米国のフィリピンやハワイ侵略の過去の罪はともより、中南米やアフガニスタンや、現在でのイラクの蛮行を非難する資格は右翼どもにはないと申し上げておきます。小林よしのりなどの反米右翼というものが存在すること自体がもともと罪深いものです。中国共産党のチベット支配や文革、天安門事件、現在の北朝鮮の体制、西欧列強の植民地支配(大東亜共栄圏を賛美するにあたっての材料として)を右翼どもが非難する資格がないのと同様に、米国(もちろん米国だけではなく、東南アジアやアフリカなどの独裁圧制体制を含めて)を非難する資格はないのです。現在の自民党ナチス政権に対して、米国批判やイラク戦争反対の"踏み絵"を踏ませることは、根本的に間違ったことであり、政権そのものを挿げ替えて野党の良識派政権を樹立させて、過去の戦争・侵略加害責任を果たし、更正した良識的日本社会に維新させることで解決すべき問題なのです。
以上が私のこれからの目標と、2007年を迎えてこれからの日本の歩む道筋を自分なりに考えてみました。皆様はいかがでしょうか?悪しき日本を一掃して、良き日本を未来の世代に残すためにがんばろうではありませんか?以上です。

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 01:35 | Comment(26) | TrackBack(107) | 日々の雑感ならびに考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広島瀬戸内新聞ブログ版の安倍総理の退陣勧告(案)

 広島瀬戸内新聞ブログ版
安倍総理の退陣勧告(案) 賛同よろしくお願いします!
http://blogs.yahoo.co.jp/hiroseto2004/43794716.htmlに賛同します。
 
安倍晋三にNO!AbEndキャンペーンの一環というわけですね。支持率が急落し、安倍ファシストが守勢の淵に立たされている今だからこそ、さらに攻勢をかけて、追い落とさないといけません。自民党の下野と野党の良識派勢力による政権の樹立。これこそが、日本の再生の道です。皆様、賛同をよろしくお願いします。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:50 | Comment(11) | TrackBack(47) | 備忘録・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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