生体解剖:「フィリピンでも」 84歳元衛生兵が証言、住民30人以上が犠牲
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でフィリピンで日本軍の生体解剖があったことを取り上げましたが、私もひとつ日本軍の生体解剖事件を紹介したいと思います。実際に戦犯裁判で裁かれていまして、陸軍ではなく、j海軍が行ったものです。
『世界戦争犯罪事典』秦 郁彦, 佐瀬 昌盛, 常石 敬一監修、文藝春秋社 p179〜181の"トラック病院の生体解剖事件"より抜粋します。
トラック病院の生体解剖事件
中部太平洋トラック諸島のデュブロン島(夏島)にあった第四海軍病院で、1994年2月末から7月までに米軍捕虜8人を処刑した「2月事件」と、同年7月に捕虜2人を処刑した「7月事件」の2件を指す。「2月事件」は、米軍捕虜の「生体解剖事件」としても知られている。
米軍グアム法廷の判決要旨によると、44年1月末から2月にかけて起きたものとされる「2月事件」は、1月30日に発生したことになっている。院長岩波浩軍医大佐と軍医4人(うち1人は戦死、1人は自殺)が、海軍第四一警備隊から譲り受けた米軍捕虜4人の手足に止血器を取り付け生体切開を行った。止血器は捕虜2人については2時間後、残り2人はついては7時間後に外された。
前者の2人は一命を取り止めたものの、後者の2人はショック死した。岩波大佐はさらに米軍捕虜4人にぶどう状球菌を注射し、捕虜は高熱を発し死亡した。
止血器実験で生き残った2人の捕虜は2月1日病院裏で爆風実験として1メートルの距離で爆発させたダイナマイトで足を引き裂かれ、なお絶息しなかったので、毒薬を注射して殺害した。遺体はショック死した捕虜とともに岩波院長らによって解剖され、頭部、心臓、内臓は標本として内地の軍医学校へ送られた。遺体の残部は島民によって地中に埋められた。
「7月事件」は44年7月22日に起きた。岩波大佐の命令で捕虜2人が病院裏の丘に連行され、棒杭に縛り付けられた。神川秀博少佐が中心となり約100人の病院関係者が現場に集合し、岩波大佐がスピーチした後、大石鉄夫大尉に捕虜の処刑が命じられた。大石大尉ら被告16人は列を作り、次々に槍と銃剣で捕虜を刺した。岩波大佐は大石大尉と浅沼大尉に斬首せよと明治、遺体は現場近くに埋められたが、後に岩波の命令で海に捨てられた。
「2月事件」では岩波と坂上衛生中尉が起訴され、坂上には終身刑が言い渡されたが、岩波は無罪になった。大佐が無罪になったのは、「証拠並びに証言等に於いて疑問とせらるるもの、或はねつ造作為せる点の露骨なる点」があったとされたためである。しかし「7月事件」では岩波大佐に絞首刑の判決がくだり、被告17人が有罪となった。
被告側の主張によると、いずれの事件も終戦時に、第四艦隊参謀長(澄川道男少将)、第四根拠地隊軍医長、トラック警備隊付軍医官、海軍病院外科部長、同外科科長、同部員が協議し、関係者の被害を少なくするための隠蔽工作が行われたようである。協議により、実際は44年2月末より7月にわたる事件の発生時期を1月下旬と捏造することによって、当時の艦隊司令部の責任を前任者に転嫁しようとした。
その結果、小林仁海軍中将(昭和19年2月19日まで第四艦隊司令長官)、若林清作海軍中将(昭和19年2月19日まで第四根拠地隊司令官)、原忠一海軍中将(昭和19年2月19日より終戦まで第四艦隊司令長官)にまで、指揮系統上の統括責任が波及する。
戦後の47年6月10日から始まった法廷は、「2月事件」、「7月事件」を含む戦争の放棄慣例に対する違反で、小林中将に懲役15年、原中将に懲役6年を言い渡した。
澄川参謀長や海軍病院の外科部長種田軍医大佐、外科科長岡村軍医中佐、同部員中村軍医大尉(裁判中に自殺)らは検事側証人となり、米軍に協力することにより起訴を免れる。
ついで両事件の捜査過程で、関係者の米軍側への密告によって、海軍警備隊の「第二事件」画発覚した。判決文によると、軍医長上野千里中佐は、昭和19年5月上旬から8月にかけて(上野中佐によると6月中旬)、中瀬庄七少佐により米軍捕虜2人の処分を持ちかけられ、上野中佐は第四一海軍警備隊(司令浅野新平少将)の江里口武歯科少尉と小林和三衛生少尉の立ち会いで、捕虜の生体解剖を実行した。同中佐らは、捕虜1人にクロロホルムで麻酔をかけ、右足の爪を抜き、右足大腿部を切開、腿の付け根の動脈のほか虫垂、睾丸を摘出した。
さらに腹部や右胸を切開し、筋肉と助骨を取り出した後、傷口を接合しテープで止め、診療室の裏に掘った穴に運び、そこで江里口少尉が斬首したとされる。もう1人の捕虜は、診療室の裏で田中末太水兵長によって銃剣で処分された。
裁判では警備隊の全員が関与したと認められたが、有罪となったのは6人に止まった。判決では浅野少将と上野中佐に死刑、江里口少尉と田中水兵長にも死刑判決が下されたが、後に終身刑に減刑された。中瀬少佐と小林少尉には、終身刑が言い渡された。
その他にも、トラック警備隊関係では1944年2月7日と18日の空襲の混乱時に、米軍捕虜8人を処分したいわゆる「トラック警備隊第一事件」がある。この事件では、田中政治海軍大佐に絞首刑、檀崎留六少佐と吉沼義治少尉に終身刑が言い渡された。
トラック島捕虜事件は、陸軍軍医が中国大陸でしあしば試みていた捕虜の生体解剖を海軍でぜひ実行したい、と意気ごんで着任した岩波大佐の「熱意」に起因するところが大きい。裁判を混乱させたのは、責任者の1人である澄川参謀長をふくむ関係幹部が自身の罪を免れ、他に押し付けようとしたに日本側内部の不和で、結果的に公正を欠く判決を招いた。
(桶口和歌子)
《参考文献》
"Final Report of Navy War Crimes Program"(submitted by the Director War Crimes, U.S. Pacific Fleet to the Secretary of the Navy. December 1, 1949)
岩上隆『孤島の土になるとも』(講談社 1995)
大日本帝国は極悪帝国主義国家であるし、その皇軍はもはや救いようのない残虐行為を重ねに重ねた人類史上例のない悪逆非道な悪魔の軍隊であろう。虐殺などの残虐行為、生体解剖などはそうした日本軍の救いようのない悪魔な体質、いや性質からくるものである。トラック海軍警備隊の海軍病院で岩波軍医大佐らが行った生体解剖はナチスや悪魔も真っ青の所業である。こうした中部太平洋ミクロネシアのデュブロン島の海軍病院でもこうした非人道の生体解剖が行われていたのである。生体解剖といえば、731部隊が有名だが、何も731部隊に限ったことではない。生体解剖は中国大陸に駐屯していた陸軍全体で公然と行われていたことだし、フィリピンでも行われていた。海軍はどうだろうか?海軍も皇軍であり、明治維新以来大日本帝国の侵略の歴史の中で脈々と培養され、侵略や戦争を重ねることに増長してきた残虐非人道の極みを行った悪魔の体質を受け継いでもっているのである。したがって、日本海軍には陸軍と異なり、開明的で紳士的だという話があるが、これは誤りである。バハル島の住民虐殺事件やボルネオのポンチャナック事件など日本海軍が関わった虐殺行為は数々ある。海軍でも生体解剖が行われたというのは、当たり前の話だ。 生体解剖については、731部隊(陸軍)起源であるが、岩波軍医大佐のように陸軍で行っていた生体解剖を海軍でやりたいという人間がでてくるのは皇軍であるが故の宿命である。生体解剖をやりたいという熱意をもったのは、別に岩波軍医大佐1人だけではない。生体解剖を試みようとした海軍(軍医)関係者はもっと多くいた。皇軍は、各地で捕虜や住民を虐殺、惨殺してもしても、人間の生き血を求め続ける血に飢えた野獣なのだから。現に私の抜粋した部分にあるように、止血実験と称して、捕虜を生きたまま解剖し、その上、生き残った兵士に対して、爆風実験と称して1メートルもの近距離でダイナマイトを爆破させるようなナチスの親衛隊員やゲシュタポでさえ、真っ青にさせるような残虐行為が海軍病院という閉鎖的環境で行われていたのである。
話が少し脱線したので、トラック諸島デュブロン島の海軍病院における生体解剖について話を戻そう。マーシャル諸島のミレー島やチェルボン島では、現地住民とともに、朝鮮人軍属が虐殺されたことが明らかになっている。まずは、明らかになったのは、米軍捕虜に対する生体解剖であるが、朝鮮人軍属や現地人の犠牲者がいなかったのかどうか、そうした見逃された余罪がないのかどうか調べられなければならない。トラック諸島ひとつをとっても、デュプロン島のほかに、モエン島などの数々の島があり、ほかにはヤップ島、ポナペ(ポンペイ)島、パラオ、マーシャル諸島、サイパン・テニアン・ロタ、グアムなど日本軍が支配した島々がたくさんある。それらの島々の海軍病院でも同様の生体解剖が行われたことは間違いがない。何度もいうように、侵略と植民地支配の加害の歴史に対して、向き合い"ケジメ"をつけなければならない。ただ、生体解剖についての情報は中国戦線を除けば、情報が限られてくるのである。毎日新聞の記事で、2006年の今頃になって、フィリピンで日本軍が生体解剖を行っていたことが明らかになったぐらいだからである。日本軍の生体解剖の問題というのは、現在の医療問題や生命倫理の問題にも深く結びつくのである。闇に葬ってうやむやに済ますことは許されない。日本政府やマスゴミを含む日本社会には北朝鮮の核問題で騒いでいる暇があったら、過去の侵略と植民地支配の加害の歴史に全力に向き合えと言いたい。戦争加害国であった日本政府が全責務を負う問題であるが、国内外の戦争体験者が高齢化し鬼籍に入り、戦争を知る人が少なくなる中、時は許してくれないのだ。国際社会も北朝鮮の核実験への制裁や再実験阻止に向けたくだらない屁理屈を考えるくらいなら、大日本帝国・日本軍の加害事実の掘り起こしに全力を傾けるべきであろう。各国(日本、連合国、大日本帝国の被害を蒙ったアジア・太平洋諸国(韓国、中国、インドネシア、フィリピン、マレーシア、シンガポール、ミクロネシア))の資料や戦争体験者からの証言や(祖父から孫へのように)世代から世代へと語り継がれた体験談、戦争体験者の手紙や日記等の掘り出し物を国連のレベルで緊急に調査し、収集する必要がある。国際社会もアホみたいに北朝鮮の核実験などくだらない議題で馬鹿騒ぎしている場合ではないのだ。