2006年08月31日

海南島戦時性暴力被害訴訟 不当判決についての追加記事

海南島慰安婦訴訟、中国人8人の請求棄却 東京地裁
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/23037175.htmlでお伝えしましたが、ほかにも記事が見つかりましたので、追加。
「請求棄却は後退」 慰安婦訴訟で中国の弁護士協会
http://www.people.ne.jp/2006/08/31/jp20060831_62642.html
 
  中国・海南島で戦時中「慰安婦」だった女性が日本政府を相手に謝罪と賠償を求めていた訴訟で、日本の東京地方裁判所は30日、原告の請求を棄却する判決を言い渡した。矢尾渉裁判長は判決で原告の請求は棄却したものの、旧日本軍が第2次世界大戦中に海南島で女性を連行、監禁、暴行した事実は基本的に認定した。

  旧日本軍は第2次世界大戦で海南島を占領し、駐屯地近くに「慰安所」を設置。当時14〜18歳の少女らを多数連行し、「慰安所」に監禁したうえで、暴行をはたらいた。

  陳亜扁さんら中国・海南島の「慰安婦」8人は2001年7月に東京地裁で、日本政府を相手に、謝罪による名誉回復と、それぞれ2300万円の賠償を求める訴訟を起こした。現在までに原告団のうち2人が亡くなっている。

  中華全国律師(弁護士)協会は今回の判決について、旧日本軍が第2次世界大戦において中国人女性を強制的に「慰安婦」にしたことを東京地裁が犯罪行為として認めなかったことは、一種の後退であると指摘。中国法律援助基金会と共に「中国元『慰安婦』被害事実調査委員会」や「『慰安婦』賠償基金」を設置することを検討している。同委員会は5年をかけて、「慰安婦」制度が中国人女性にもたらした被害や、「慰安婦」の実際の人数を調査する計画だという。(編集NA)

  「人民網日本語版」2006年8月31日
 
中国の弁護士、東京地裁による「慰安婦」訴訟棄却を非難
http://jp.chinabroadcast.cn/151/2006/08/31/1@72315.htm
 
 中国海南島の8人の女性が、かつて日本侵略軍の慰安婦にされたとして謝罪と損害賠償を求めた訴訟で、日本の東京地方裁判所が30日、いずれも請求を棄却したことを受け、中国の弁護士はこれを非難し、「この判決は歴史を逆戻りさせるものだ」と非難しました。  
 2001年の7月、林亜金さんら8人の女性は、かつて日本侵略軍の慰安婦にされたとして日本政府を相手に公式の謝罪と一人当たり2300万円の賠償を求め、東京地方裁判所に訴訟していましたが、東京地方裁判所は、この日、元の憲法下の公権力行使について国は賠償責任を負わないとする「国家無答責」の法理を適用した上で、今回の提訴は、戦時中の国の加害行為から20年以上がたち、「除斥期間」の経過により賠償請求権は消滅したとして原告側の請求を棄却したものです。
 中華全国弁護士協会の責任者はこれについて、「国連の規定により、反人類的な犯罪は期間の制限を受けない。日本軍の慰安婦強制連行は反人類的な犯罪に属することから、日本の裁判所が、今回の提訴は"除斥期間"の経過により賠償請求権は消滅したとして原告側の請求を棄却したことは、歴史を逆戻りさせる行為だ」と指摘しました。
 
ここまでの記事の感想は前と同じで、高齢の日本軍性奴隷被害者である原告に対する残忍な判決を下した日本の司法と、あくまでも誠意のある謝罪と補償を拒み続ける冷酷な日本政府、高齢の日本軍性奴隷被害者に対するその残酷な仕打ちをただ、傍観している糞日本社会に対して、強力な正義の制裁が必要だというのが私の考えである。ただ、赤旗の記事をみて少し考えが変わった。
 
海南島戦時性暴力被害訴訟 請求棄却、事実は認定 東京地裁http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-08-31/2006083114_01_0.html
 戦時中、日本の植民地下にあった中国・海南島で旧日本軍に性暴力を受けた女性八人(うち二人はすでに死亡)が、日本政府に対し一人二千三百万円の損害賠償と謝罪を求めた「海南島戦時性暴力被害訴訟」の判決で、東京地裁の矢尾渉裁判長は三十日、原告の請求をいずれも棄却しました。原告側は控訴します。
 矢尾裁判長は請求を棄却した一方で、旧日本軍の兵士によって拉致、監禁された上、継続的に性的暴行を受けたとする原告らの主張を詳細に認定。被害時に受けた恐怖が今も消えず悪夢にうなされるなどのPTSD(心的外傷後ストレス障害)についても認めました。
 判決は、一九四七年に国家賠償法ができるまでは国に損害賠償を求めるための法律はなく、同法施行前に国家がおこなった行為について国は責任を取らなくてもよいとする法理を適用。また、旧日本軍による加害行為から同訴訟提訴までに二十年以上が経過し、一定期間の時が経過したことから原告の損害賠償請求権は消滅したと判断しました。
 弁護団の小野寺利孝団長代行は、判決が原告一人ひとりについて旧日本軍による加害と被害を具体的に事実として認めたことは「重要だ」としつつ、「明らかな違法、不法行為を認めながら国の法的責任を不当にも免責した」と批判しました。「日本政府は判決の事実認定を真摯(しんし)に受けとめ、原告らだけでなく、すべての被害者に謝罪と賠償をおこなうべきだ」とのべました。

原告会見 「憤りを感じる」

 いわゆる中国人「慰安婦」への賠償を求めた裁判で地裁段階では最後の判決となった「海南島戦時性暴力被害訴訟」。原告はいずれも中国・海南島で十代のときに拉致され、慰安所などで長期間にわたり性暴力を受け続けた少数民族の女性たちです。学生中心の支援組織「ハイナンNET」が結成されるなど、支援の輪が広がっていました。
 三十日も若者を中心に多数の原告支援者が裁判所に詰めかけ、傍聴席を埋めました。しかし、矢尾裁判長は、わずか数秒で請求棄却の主文を読み上げ、立ち去りました。傍聴席からは「ひどい」「理由をいいなさい」との声が起こりました。通訳から判決内容を聞かされた原告の陳亜扁さん(79)は、ぼうぜんとした表情でだれもいなくなった裁判官席を見つめました。
 陳さんは今年三月の法廷で、十四歳のときから四年にわたって性暴力を受けつづけたことを生々しく証言しました。戦後解放されましたが差別を受け、流産・死産を八回も繰り返しました。判決後の会見では涙を何度もぬぐいながら「憤りを感じる。これだけの事実を知りながら責任を認めない。日本人に良心はあるのかと問いたい」と訴えました。
 ハイナンNETに参加している男子学生(22)は「思い出すだけでもつらい体験をわざわざ日本に来て証言したにもかかわらず、その人を前にこのような判決を言い渡すなんて」と語りました。
 同日夜に開かれた報告会には約百人の支援者らが参加。陳さんは「真の日中友好のためには罪を認め、公正な判断をするべきです。悪い裁判の結果にひるまず、たたかい続けます。支えていってほしい」と訴えました。

日本軍の凄惨な性暴力を受け続けた被害者女性を支援する学生中心の組織がハイナンNETです。多くの若者が中心となり、関わっていることに勇気づけられました。私自身も戦争を全く経験したことのない20代の若者です。若者よりも戦争体験や大日本帝国に実感がありながら、時代錯誤の古びた条約論を盾に、大日本帝国・日本軍被害者や犠牲者の苦しみや痛みを理解できない中年とか腐れ爺どもが多すぎる。そういうやつらにはとっとと引退してもらって、これからはそういった若者に政治を任せてもらいたいものだ。日本政府や日本社会に対する私の制裁という意見はとりあえず保留にしておきます。被害者の訴えに真摯に耳を傾け、祖父の世代が行ったことを悔いる良識的な心を持つ若者たちも多いという事実に一抹の希望を託したいと思います。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:40 | Comment(13) | TrackBack(7) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月30日

海南島慰安婦訴訟、中国人8人の請求棄却 東京地裁

海南島慰安婦訴訟、中国人8人の請求棄却 東京地裁
http://www.asahi.com/national/update/0830/TKY200608300337.html

 中国・海南島で旧日本軍の慰安婦にされ苦痛を受けたとして、同島の中国人8人(うち2人は死亡)が日本政府を相手にそれぞれ2300万円の慰謝料と謝罪広告を求めた訴訟で、東京地裁は30日、原告側の請求をいずれも棄却する判決を言い渡した。矢尾渉裁判長は被害の事実は大筋で認定したが、(1)加害行為から20年以上が過ぎて「時の壁(除斥期間)」により賠償請求権は消滅した(2)旧憲法下では国は損害を賠償する義務を負わない(国家無答責の法理)――として、日本政府の賠償義務を否定した。原告側は控訴する方針。
 戦後起こされた「慰安婦訴訟」は10件。一審段階で残っていたのは海南島訴訟だけだった。
 原告は陳亜扁さん(78)ら。陳さんは14歳のときに日本兵に拉致され、約2年間慰安婦として性被害を受けたという。ほかの原告らも10代で慰安婦にされ、戦後も不妊・流産などに苦しみ続けたと訴えた。

予想されたこととはいえ、大変腹立たしい。もちろん、控訴するとはいえ、被害にあたった性奴隷被害者女性は大変高齢で、これが最後の訴訟になるかもしれない。高齢で幾ばくもない、自国の過去の戦争犯罪被害者に対して容赦なく鞭を打ちつける日本政府に対して怒!!!!日本政府の言い分をそのままなぞり、被害者救済の勧告すらない被害者無視の残酷な判決を下した東京地裁に対しても怒!!!!大日本帝国時代と変わらず、戦後も日本社会や日本政府の終始一貫した残酷無比の態度に何よりも怒!!!!!今もなお、日本軍性奴隷被害者に対して、残忍なセカンドレイプを加え続ける日本政府や日本社会(司法のあり方)は地球のゴミ屑である。恥を知れ!!そういった日本政府や日本社会を正すためにはもはや頼るべきは外圧しかないのであろうか。北朝鮮やイランに核開発などの関連で経済制裁が欧米で叫ばれているが、日本軍性奴隷被害者の請求を無情な残酷でもって棄却した日本に対してこそ、安保理で経済制裁を実行すべきなのである。日本政府に日本軍性奴隷被害者を含むすべての大日本帝国・日本軍被害者に対して誠実に謝罪し、個人補償を含む被害者が納得のいく完全な法的責任、戦争・侵略加害責任を取らせるべく、国際社会があるいは少なくとも大日本帝国時代の侵略被害地域や戦争に関係した連合諸国が一致団結して強力な経済制裁を実行すべきではないのだろうか?
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:42 | Comment(28) | TrackBack(40) | 激怒(むかついた)ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月29日

皆様の投稿をお待ちしています。(BlogPet)

いつも、右翼討伐人は
あまりに分からないことが多すぎるのですが、いくつか重要な資料が皆様に残っています。
とか思ってたらしいの。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「右翼討伐犬」が書きました。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 14:37 | Comment(4) | TrackBack(9) | BlogPet用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月28日

救う会、中国側に会談を拒否られる(笑)

拉致家族会との意見交換をキャンセル=「静かな環境ない」と中国側
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060828-00000158-jij-int

 
 【北京28日時事】拉致被害者家族会・救う会の訪中団は28日、北京で予定していた中国の研究者との意見交換が急きょキャンセルされたことを明らかにした。中国側から「報道され、静かな環境での懇談ができなくなった」ことを理由に、中止の通告があったという。訪中団は「残念で遺憾。拉致問題に対する中国の姿勢の一面が反映されている」との声明を出した。
 家族会の増元照明事務局長、救う会の西岡力常任副会長ら4人は27日、北京入り。31日までの滞在中、数回にわたり中国の研究者と北朝鮮による拉致問題などについて意見を交わすことになっていた。中国側の直前のキャンセルは、北朝鮮を刺激したくないとの考えからとみられる。   
(時事通信) - 8月28日21時1分更新
中国側が会談キャンセル 家族会、救う会が批判声明
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2006082801003145.html
 【北京28日共同】訪中している北朝鮮による拉致被害者家族会と支援組織「救う会」のメンバーは28日、予定されていた中国側との懇談がすべてキャンセルされたことを明らかにした。
 同メンバーは「中国の拉致問題に対する姿勢の一面が反映されている」との声明を発表、北朝鮮への配慮をにじませる中国側の姿勢を批判した。
 救う会などによると、中国研究者との懇談について、中国側が「マスコミ報道があったため」としてキャンセル。また、中国外務省に申し込んでいた会談についても、同省が日本大使館を通じて「どのレベルにおいても会えない」と断ってきたという。

AMLで知らせてもらったニュース。中国側が北朝鮮への配慮というけど、実際のところはそれだけではないと思うけどね。救う会といえば、極右犯罪者組織。大日本帝国の過去の植民地支配や侵略といった歴史を正当化し、韓国や北朝鮮、中国だけではなく、大日本帝国被害者や犠牲者を貶めてきたのである。日本軍性奴隷や強制連行・労働、数々の虐殺の被害者や犠牲者、その支援団体を散々罵ってきた厚顔無恥の塊が集まった数ある右翼勢力のひとつが救う会である。救う会と会談する予定だった中国側の人も知らないわけではないでしょう。中国側を批判する前に、拉致被害者の救出と叫ぶ前に、自分たちの反動的、かつ、下品卑劣な思想や歴史観を改め、そのためにも、中国側に拒否られたことをいい機会に中国民衆の吊るし上げを喰らうべきだろうな。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:09 | Comment(80) | TrackBack(167) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月27日

ババル島虐殺事件

http://www.asiavoice.net/rickshaw/n200106.html

ババル島虐殺事件
 ババル島はインドネシア東南部にある孤島です。この島のエンプラワス村で1944年に住民虐殺事件がありました。この事件では村民ほとんどが殺されました。ベトナム戦争時のソンミ事件のような事件です。1992年、インドネシアの知識人向け週刊誌『テンポ』がこの事件について報道し、いくらかは知られるようになりました。しかし、辺境の地であるババル島へはインドネシアのメディアも含めて現地調査が行われていませんでした。そこで、1992年にインドネシア研究者である内海愛子さんと村井吉敬さんとともに調査に行きました。その報告は、私もメンバーであったアジア民衆法廷準備会のニューズレターに掲載しました。  
 じつは、この事件について、その調査の数年前に日本軍が作成した秘密文書が発見されていました。戦争直後、オランダが戦争犯罪として裁判にかけようとていたことに対して、そうならないように、日本軍が現地で関わった人から文書を出させて作ったものです。それらの文書には、数次にわたる改竄の後がみられるのです。後で作成された文書ほど、住民が混乱のなかで自暴自棄になって、同士討ちしたといった記述が書き加えられるなど、日本軍の責任を逃れるための改竄、追記のあとがありました。これらの文書のうち、もとになる最初の文書を書いた当時の士官は、この文書が明らかになった後の朝日新聞の取材に対して、日本軍による一方的な虐殺をおおむね認めています。
 また、私たちの調査でババル島の陸軍駐屯地にも慰安所があり、エンプラワス村からも女性が連れていかれたことがわかりました。日本軍の秘密文書のなかには、生き残った人に生業を与えるようにとりはかったという記述があります。少なくともその「生業」の一部が「慰安婦」だったと思われます。ここでも性奴隷の問題にぶつかっているのです。
 こうして、ポンティアナック、ババル島の事件で性奴隷・「慰安婦」問題の片鱗が見えてきたのです。しかも住民虐殺と性奴隷の問題はセットで出てくるところが極めて恐ろしい。日本軍の負の面を強烈な形で示すものだと感じました。

『世界戦争犯罪事典』秦 郁彦, 佐瀬 昌盛, 常石 敬一監修、文藝春秋社p167〜168より抜粋します。
ババル島事件(インドネシア) 
 1944年10月から12月にかけて、ニューギニア島とティモール島の中間に位置するババル島で起きた同島駐屯日本軍守備隊による数百人規模の住民虐殺事件。
 煙草の供出をめぐり、海軍の日本人嘱託によるエンプラワス(Emplawas)村の村長殴打を直接の引き金として、現地人が10月27日同嘱託と現地人密偵を殺害、さらに海軍見張所、憲兵屯所を襲撃、日本軍側に死傷者が出たことに対する報復討伐に端を発したといわれる。
 同島駐屯の陸海軍守備隊は2回にわたる討伐を行い、その過程で婦女子を含む週百人の住民を拘束、銃殺した。日本側資料によると、第一回目(11月3-9日)は30人から40人程度の小隊規模の討伐隊を編成、住民100人余を「銃殺及ビ捕ヘタノミ」としている。
 第二回目(11月11-20日)には、タニンバル諸島の歩兵第42連隊本部よりおよそ60人の増派を受け、田代中隊の主力が討伐を実施した。密林山中に逃亡避難していた住民400人ないし500人が帰順してきたものの、村落間の対立抗争を反映した他村落村長の「徹底的処分ヲ要スルノ意向」に乗じて、婦女子を含む帰順者400人余を銃殺したとされる。日本側資料により推計すれば、エンプラワス村の住民716人のうち、銃殺された数は400人から500人余とみられる。
 一方、インドネシア側証言およびエンプラワス村の資料では、焼き討ちされた家の数が400、殺害された住民の数704人とされている。また銃殺を免れ、あるいは連合軍の銃爆撃を逃れて終戦まで密林に隠れていた住民も、食糧難、マラリアなどにより多数が死亡した。
 いずれにせよ、極めて限られた典拠資料となる複数の第五師団参謀報告書に「添削、修正」されたあとがみられ、事件の実態を性格に把握することが困難になっている。さらにインドネシア側証言についても、生存者が少なく、事件後48年(調査者のインタビュー当時)を経ているうえに、証言者の多くが事件当時幼少であり、郡長、軍警関係者の立ち会いという特殊な状況下での証言ということもあって、戦時下のインドネシアでも異例の大規模な住民虐殺の実態解明をきわめて困難なものにしている。
 事件の背景としては、まずババル島に駐屯する陸海軍軍人・軍属が現地住民を「獰猛ナル」習俗の持ち主と認識したことによる高圧的態度が軍と住民間相互不信を生み、蓄積していたことがあげられる。
 食糧、煙草の不当な代価による供出強制、殴打を最大の侮辱と捉える現地習俗に対する日本人の理解不足は、島内の住民の不満を募らせていた。
 さらにガダルカナルの失陥いらい、豪州、ニューギニア、ティモール島の中間で、パンダ海とアラフラ海にはさまれたババル島は最前線と化し、連合軍の激しい空襲下におかれていた。 
 事件発生の当時は日本の制海・制空権はほとんど失われた絶望的な終局状況にあった。連合軍の伝単散布や工作員の潜入工作にさらされるなか、わずかな兵力(陸海軍あわせて60人から70人前後)のみで、最前線に孤立した同島守備隊(第五師団歩兵第42連隊より派遣、連隊本部は120キロ東方のタンニバル諸島)と住民の相互猜疑はますます高まった。そのなかで起きた村長に対する侮辱的殴打をきっかけとした、日本軍への襲撃は起こるべくして起きた事件といえよう。
 しかし9ヵ月後に終戦を迎えた第五師団の幹部は、連合軍による追及は必至と判断、関係書類を書き直したのが利いたせいか、戦犯事件として訴追されることはなかった。病院船橘丸の兵員輸送事件(230頁参照)の責任を負う形で、山田青一中将(第五師団長)が自決したことも影響したのではないかといわれている。
(山崎功)
 

 《参考文献》
 武富登巳男「発掘されたババル島残虐事件」(『歴史と人物』1961年冬号、中央公論社)
 武富登巳男編『ババル島事件関係書類』(不二出版 1987)
  村井吉敬「日本軍によるババル島住民虐殺覚え書き」(『上智アジア学』第10号 1992)

某所(サイトが行方不明)より、
インドネシアのババル島で旧日本軍、住民400人を虐殺
 朝日新聞 1986年(昭和61年)11月23日 朝刊 第1面より
 太平洋戦争末期の昭和19年11月、南海の小島、ババル島(現インドネシア領)を占領していた旧日本軍第5師団の部隊が、 住民400人以上を虐殺した事件があったことが、戦史研究家が入手した同師団参謀部作成の極秘書類で明らかになった。 書類では戦争犯罪人の追及を恐れてか、「虐殺」を「原住民の反乱」と言いくるめようと、師団長あての報告書の内容を2回に わたって変更していく過程が克明に記録されている。戦史研究家はこの書類をもとに、25日発売の雑誌「歴史と人物」61年冬号(中央公論刊)で、戦後40年以上隠され続けてきた住民虐殺事件を告発しているが、関係者は、 朝日新聞社の取材に対して、「報告書を改ざんすることで、戦犯として訴追されることを免れた」と認めた。

  制海・制空権はほとんど失われた絶望的な終局状況に追い込まれていたという事情があるにしても、日本軍人への襲撃のための報復として、婦女子を含め村人の大部分を虐殺するというのは日本軍の人命を何とも思わない愚劣な典型的な体質があってのものであろう。この闇に葬られた凄惨な日本軍による虐殺事件の存在を明らかにしたのは、 自宅を「兵士庶民の戦争資料館」として開放し、日本軍の戦争史を追及し続ける故武富登巳男氏です。「兵士庶民の戦争資料館」のサイトがあったのだが、消えていました。  
  この事件でのポイントとして、日本軍の史料が廃棄・焼却されたのではなく、改竄された点にある。たまたま、武富登巳男氏が日本軍の極秘書類を入手し、あからさまな改竄・修正の痕を見つけて、戦後長い間隠されてきたババル島エンプラワス村での住民虐殺事件が明らかにされることになった。そもそも、オランダがどうして日本軍の改竄・修正の痕を見抜けなかったのかという点を調べなければならないだろう。日本軍がもっと巧妙に史料の改竄・修正を行っていれば、現在でもこの恐ろしい虐殺事件が明らかになっていなかったかもしれない。もちろん、根本的に史料の遺棄や廃棄によって、闇に葬られた大日本帝国・日本軍の蛮行は数知れないかもしれない。しかし、このババル島虐殺事件を考える上で、現存する大日本帝国・日本軍の史料や書類史料についても、国家犯罪や戦争犯罪を隠し、作成当事者の罪を覆い隠す改竄や修正、捏造が施されている可能性を考えなければならないという点にある。戦後残されたアジア歴史資料センターなどにあるような公文書や史料が改竄や修正、捏造がなく、資料が正しいかどうかを吟味する必要もあるのではないだろうか?もちろん、大日本帝国・日本軍の一次史料は大変重要であることには変わりない。それだけではなく、大日本帝国・日本軍の被害者や犠牲者遺族の証言や目撃証言の地道な収集、日本兵などの加害当時者の証言、連合国側の一次史料をあわせて、まだ埃がかぶって埋もれている極秘史料の発掘を急がなければならない。ババル島住民虐殺事件をはじめ、関係者による史料の廃棄・焼却・秘匿、史料の埋没あるいは改竄・添削によって埋もれてしまった大日本帝国・日本軍の国家犯罪・戦争犯罪を被害者・犠牲者の人数や加害者の特定を含めて、余すところなく実態を解明し、応分の謝罪や補償、主要な加害実行者への処罰を含む誠実な措置が行われることを改めて求められているのである。戦後61年たったというけれど、日本にとっての第二次世界大戦はまだ終わっていないのである。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:59 | Comment(32) | TrackBack(62) | 各国民衆の大日本帝国侵略・戦争被害情報コーナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日帝の統治は世界に類を見ない悪辣なもの。今日の韓国社会の閉鎖性・退嬰性は日帝のせい

【日韓】日帝の統治は世界に類を見ない悪辣なもの。今日の韓国社会の閉鎖性・退嬰性は日帝のせい [08/25]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1156602892/

■清算されなければならない日帝残滓
日本は、理性を失った歴史歪曲や馬鹿馬鹿しい独島領有権主張、常識を逸した閣僚らの妄言などで私たちの心を苦しめてきたが、小泉首相が日本の終戦記念日であり私たちの光復節である8月15日に靖国神社を参拝したことで、韓国人たちの怒りは頂点に達した。こうした中、8月18日に親日派財産を取り戻すための汎政府機構である「親日反民族行為者財産調査委員会」が本格発足し、国民の関心と耳目を集めている。
 
もうすべて分かっているように、日帝の植民地時代は一言で言って、主権の毀損・喪失に始まり国家レベルでその主体が根本的に侵害された時期にあたる。それはすなわち歴史の断絶という深刻な不幸だった。このような歴史的不幸や主権の毀損は、政治的主体だった韓民族を統治の客体へと転落させる悲劇だった。こうして韓民族は日帝植民地時代を通じて、自国の政治の自律的主体になることができず単なる植民地統治過程の他律的客体に転落させられるという傷を負ったのだ。
 
このため、このような民族的悲劇をもたらしたり同調したりした「乙巳五賊」や「丁未七賊」などの親日反民族行為者とその子孫らの保有する財産に親日財産の疑いがある場合に、財産を国庫還収の優先対象に決めて職権調査に入ることが計画されている調査委員会の活動は、過去史真実糾明や日帝残滓に対する清算という次元から、遅きに失した感が無くはないものの当然であり望ましいことと評価しうる。
 
しかし、反民族行為者が膺懲され、彼らの財産を還収することだけで、植民地統治期間に負わされた傷や今も残る残滓が完全に治癒・清算されるものではない。外形的な治癒や清算はなるかもしれないが、内面化された意識の傷や残滓までもが治癒・清算されるものではないからだ。
第二次世界大戦以前、列強の植民地政策は一般に、間接統治であれ直接統治であれ、社会・経済的収奪のみを基本目的にしており、被支配民族の民族保存は当然のこととして認め、民族保存のための努力に対してはそれが直接的な独立運動でない限りは傍観的政策を採った。
 
しかし日帝の植民地政策は社会・経済的収奪に止まらず、異民族を抹殺・消滅させて帝国内の従属身分層として隷属させることに重点を置いた、異民族抹殺政策を根幹とする悪辣な性格のものだった。日本の植民地政策は、「同化」という美名の下に韓民族そのものを地球上から消滅させようとするものだったのだ。
 
その結果、韓民族は他律の傷を強圧的に受けるほかなく、民族意識と政治意識は極限的で極端な闘争意識と反抗意識に表出されて内面化してしまった。その結果、参加的よりも抵抗的、開放的よりも閉鎖的、進取的よりも退嬰的、肯定的よりも否定的な意識が主流になるという傷を受けることになった。こうした傷は、侵略の前に守勢に回らざるをえず、歴史の前に国家という主体さえ奪われたことで不可避的に現われた、民族的・政治的意識の姿といえよう。
 
しかし、こうした闘争的・反抗的な民族的・政治的意識は、国権を回復して独立国家となり、歴史と政治の主体になった際に、抵抗的ではなく参加的、閉鎖的ではなく開放的、退嬰的ではなく進取的、否定的ではなく肯定的・創造的・発展的な市民意識に転換されなければならなかったのだが、そうはならず清算さるべき日帝残滓で少なからず残っているというのが、今日の現実である。
 
今日、政治の世界や我が国の社会に蔓延している権威的な全面否定意識や反政治的無関心、黒白論理や極端主義は、日帝植民地時代に内面化された闘争的・反抗的な民族的・政治的意識の変形物として清算さるべき日帝残滓である。内面化された意識の残滓を清算することなく、外形的に人や財産に対して膺懲・還収するだけでは、国家の発展や政治の先進化を期待することはできないであろう。 【李ギョンテ (大邱大学名誉教授)】

▽ソース:大邱日報(韓国語)(2006-08-25 17:07)
http://idaegu.com/index_sub.html?load=su&bcode=ANAC&no=1082

 
たまたま2chで見つけたニュース。韓国に対して、現在も続く悪影響を残している日帝統治。現在の韓国でも大日本帝国、つまり、日帝の及ぼす負の影響は非常に甚大である。日帝統治は世界でも類を見ないほど悪辣なものであるのに、違いないのである。日帝の残滓の除去が必要なのは、韓国もそうだし、日本もそうだ。日本の日帝残滓の除去も考えなければならない。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:58 | Comment(31) | TrackBack(2) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

これは酷いサイトがあります。

脱・洗脳史講座
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/という、田辺敏雄という極右学者のサイトがあります。南京大虐殺や多くの日本軍の蛮行事例については、
 
半月城通信 
http://www.han.org/a/half-moon/
思考錯誤
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=tre;id=sikousakugo
南京事件 小さな資料集
http://www.geocities.jp/yu77799/
Apes! Not Monkeys!
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/index.html
Apes! Not Monkeys! はてな別館
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/
クッキーと紅茶と
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/
というサイトを見れば、大日本帝国・日本軍の被害者や犠牲者に対してきわめて失礼であり、侮辱であり、きわめて犯罪的な右翼勢力の妄言や妄想修正歴史のほとんどは論破されています。ただし、田辺敏雄という極右学者のサイトはほとんど手がつけられていません。その辺のところどうなのでしょうか?
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:45 | Comment(19) | TrackBack(0) | 備忘録・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中国政府、日本企業の「三光」の商標登録を認めず

【中国情報】「三光」の商標登録を認めず 当局が政治判断か
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060824-00000005-san-int

 
 香港の人権団体、中国人権民主化運動情報センターは23日、日本企業が中国で申請した「三光」という商標が認められなかったと伝えた。中国では旧日本軍が「三光政策」(焼き尽くす、殺し尽くす、奪い尽くす)を行ったとされている。こうした政策を日本が行った事実はないが、中国当局が政治判断し、商標登録を認めなかった可能性がある。
 中国紙などによると、この日本企業は「三光」を医薬品、医薬飲料、医療用栄養剤の商品名として2004年1月に商標登録を申請。今年5月末から異議などを受け付ける公告期間に入ったことで中国紙が報道、反発が起きていた。「三光」はもともと、太陽、月、星の3つの輝きを表すもので、同センターによると、「三光」を使った中国企業名や商標が複数ある。(北京 野口東秀)  
(産経新聞) - 8月24日8時2分更新
こんなニュースがあったんだ。さすが、流石に産経。確かに、日本軍が”三光政策”を行った事実はないと産経新聞はいっているが、無人化区政策という非道な三光政策というのを日本軍は行っているんだけどね。後は三光作戦、日本軍の正式名称では塵滅作戦という。政治的な判断ではない。日本企業が"三光"という名称を使うこと自体が問題なんだよ。自国の中国企業や他国の企業だったら、問題はないかもしれないが、日本企業が"三光"という名称を使うと、かつての日本軍の"三光"というのを彷彿とさせるからね。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:04 | Comment(11) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

NGO国際会議 日本に戦後補償求め開幕 マニラで

NGO国際会議 日本に戦後補償求め開幕 マニラで
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060827-00000008-maip-int
 
 【マニラ大澤文護】日本、韓国、北朝鮮、中国、フィリピンなど世界8カ国・地域の非政府組織(NGO)が参加し、日本政府に戦後補償を求める国際会議「日本の過去の清算を求める国際連帯協議会第4回会議」が26日、2日間の日程でマニラ市内のホテルで開幕した。
 会議に参加した韓国の「アジアの平和と歴史教育連帯」の梁美康(ヤンミガン)常任共同運営委員長(46)は記者会見で「各国が連帯して補償を要求しなければならない」と主張した。北朝鮮の「朝鮮日本軍『慰安婦』・強制連行被害者補償対策委員会」の孫哲秀(ソンチョルス)書記長(51)は今月、北朝鮮で85歳で亡くなった元従軍慰安婦被害者、朴永心(パクヨンシム)さんの写真を示し、「大事なことは日本政府が過去に関する資料を公開することだ」と述べた。
 また、会議では韓国の代表が小泉純一郎首相の靖国神社参拝を批判した。
 会議は国連に対して、慰安婦問題解決のため、日本政府に働きかけを強めるよう求める国際共同声明を出し、世界各国で署名運動を展開する方針を発表する。会議参加者は28日にフィリピン上院で「国際議員フォーラム」を開き、共同宣言を採択する。  
(毎日新聞) - 8月27日10時40分更新
日本政府に戦後補償を求める包囲網が着々と進んでいますね。8ヶ国ですが、大日本帝国の侵略・戦争加害の被害国は30ヵ国以上に上ります。すべてのアジア・太平洋諸国が参加してくれるといいですね。大日本帝国・日本軍のあらゆる蛮行に関する過去の史料をすべて公開し、戦争犯罪・国家犯罪のすべてを余すところなく全体像を明らかにした上で、すべての被害者や犠牲者遺族に対し誠実な謝罪と補償を求める国際連帯は花開いています。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 21:55 | Comment(9) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バリ島における日本兵による女性の略奪や強姦事実についての情報提供のお願い

日本軍による非人間的な数々の戦争犯罪・残虐行為がアジア・太平洋地域各地にあることは知っていると思う。百瀬直也氏のサイトにあるのだが、
■ ジャワ・バリ・幽玄・夢現 ■
【連載2 独立記念日の祈り (2)】
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/AA/JB/JavaBali002.html
 
 たとえば、こういう話...。バリ島には、日本人観光客が決して訪れることのない場所がある。メングウィという村にあるパナルンガン寺院だ。ここには、戦時中に日本軍兵士が女を略奪したり強姦した場面を描いたレリーフが残っているという。
 1942年、日本軍はバリ島に侵攻。2350隻のボートでサヌールに上陸した。日本兵たちは車で村々を走り、美しい女性を見つけると強姦したり、強奪して現地妻にした。
 
という話が気になって仕方がなかった。「バリ島 日本兵 強姦」という風にぐぐっても、はっきりとした情報はでてこないし、「メングウィ、パナルンガン寺院」とぐぐっても、百瀬直也氏のサイトにしかヒットせず、インターネット上では情報が得られないのである。裏づけが欲しい。バリ島といえば、多くの日本人が訪れる有名な観光地ですが、実際に旅行した方で日本軍占領時代を経験した方から話を聞いた方がいたら教えて欲しいと思います。実際に日本兵にレイプされたり、現地妻にされた被害女性から話を聞いたり、現地の老人から目撃証言やそういった噂があったという当時の証言が得られたなら、教えてください。私からのお願いです。ちなみに、自分でも少し調べてみました。
 

日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告―
http://www.awf.or.jp/program/pdf/p107_141.pdf より

10.バリ島
外務省公文書館には、バリ島での女性周旋に関する資料がいくつかあった66)。1942年及び1946年に複数のバリ人男性がオランダ語で書いた記録によると、日本占領期が始まった頃、日本人兵士の、女性に対する嫌がらせが横行していた。女性を集めて慰安所へ送るというような噂が流布し、連れて行かれることを免れるため、偽装結婚が盛んに行われるようになった。正式に日本当局から命令され、バリ人の官吏が地元の有力者に依頼し、おこなわれた女性の調達は、慰安所用の女性と日本人将校の愛人用も含まれていた。公文書から、この募集の結果は窺い知れない67)。この2点の資料は、同人物によって異なる時期、つまり異なる歴史環境のなか、異なる政治的圧力のなかで書かれたものである。このような、時代背景が異なっている2点の資料だが、大きな違いが見られないため情報としての信頼性は高いと思われる。他の1点の資料は、女性の犠牲者数人も含め異なる生活背景のバリ人の証言を抜粋した記述だった。日本人の猥褻行為のため女性の調達に関わった中心人物として、日本人憲兵隊の指図にしたがっていたバリ人男性と2人の中国人男性を指摘している。これは、慰安所のための徴募ではないようだが、連れ去られた期間は3日から10日であった。女性たちはその後、自宅に戻されている。女性たちは全員がバリ人だった68)。
オランダ側の資料ではバリ島の日本軍占領期の初期に、日本兵による女性に対する嫌がらせが多発していたことは確かなようだ。この"日本兵による女性に対する嫌がらせ"というのはどういったレベル・程度のものなのか、この論文では示されていないのでわからないのが、百瀬直也氏のサイトにある日本兵は「車で村々を走り、美しい女性を見つけると強姦したり、強奪して現地妻にした」ということも満更嘘ではないということが証明された。バリ島では日本軍の侵攻当時も今と同じように、ビーチに美しい女性がいるリゾート地だったのだろうか。リゾート地で、日本兵は多くの美しい女性がいることに興奮し、襲いまくっていたのであろうか?恐ろしい情景がバリ島で繰り広げられていたのであろうか?後実際は、さらなる裏づけである。元日本兵の従軍記や日記などの書籍に含まれる具体的な記述的な裏づけ、何よりもバリ島の旅行者・在住者からの、現地の長老・老人などの日本軍占領時代経験者による見聞きした被害あるいは(日本兵が女性を襲ったり、連れ去ったような)目撃の裏づけ証言である。メングウィという村にあるパナルンガン寺院やそこに存在する日本兵が現地の女性に襲いかかる風景を描いたレリーフを含む情報について、私のブログを見ているバリ島在住者・旅行者で何らかの情報をお持ちの方は、コメント欄、ブログをお持ちの方はトラックバックでももしくは、uyotoubatsunin@yahoo.co.jp までお知らせください。管理人からのお願いです。以上
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 01:20 | Comment(29) | TrackBack(0) | 各国民衆の大日本帝国侵略・戦争被害情報コーナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月26日

南京大虐殺検証で名誉棄損、日本人著者らに賠償命令

南京大虐殺検証で名誉棄損、日本人著者らに賠償命令
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060823-00000212-yom-int


 【南京(中国江蘇省)=加藤隆則】日中戦争時の「南京大虐殺」に関する書籍2冊で、被害者を装っているように書かれ、名誉を傷つけられたとして、中国人女性の夏淑琴さん(77)が著者の東中野修道・亜細亜大教授らに損害賠償など求めた訴訟の判決が23日、中国・南京市の玄武区人民法院であった。

 同法院は「著者は十分な調査を尽くしていない」として原告の訴えをすべて認め、東中野教授らに計160万元(約2300万円)の支払いと日中両新聞紙上での謝罪広告掲載、日本での出版差し止めを命じる判決を言い渡した。

 訴えられていたのは、いずれも1998年に出版された「『南京虐殺』の徹底検証」の著者、東中野教授と「『南京虐殺』への大疑問」の著者、松村俊夫氏、両書を出版した展転社(東京都文京区)。夏さんは2000年11月に提訴し、3被告が一度も出廷しないまま結審していた。日本には直接執行力が及ばないため、当初から政治的な意味合いが強かった。  
(読売新聞) - 8月23日20時25分更新
日本人著者らに 賠償命令 中国・南京、虐殺関連本で
http://www.chunichi.co.jp/flash/2006082301001342.html
 【南京(中国江蘇省)23日共同】日中戦争時の南京大虐殺の生存者、夏淑琴さん(77)が、日本で出版された本で「にせ証人」のように書かれ名誉を傷つけられたとして、著者2人と出版社に総額160万元(約2300万円)の損害賠償などを求めた訴訟の判決で、中国・南京市の玄武区人民法院(裁判所)は23日、原告側の訴えを認め、160万元の支払いを命じた。原告側弁護士が明らかにした。
 判決はさらに日中両国での新聞紙上での謝罪や、日本国内での出版差し止めも命じた。しかし、日中間には双方の民事判決の効力を認める司法協定がなく、原告勝訴の場合でも強制執行などはできない。

とりあえず、うれしいニュース。南京大虐殺の被害者である夏淑琴さんの名誉毀損が中国の裁判所で認められ、勝訴しました。被害者を偽者呼ばわりにした東中野修道らの罪は重い。日本人による大日本帝国・日本軍の被害者や犠牲者に対する言論によるセカンドレイプが絶えないことが非常に嘆かわしく思う。ただし、今回中国で勝訴したが、日本と中国では司法協定がなく、今回の判決の日本での強制執行はできないようだ。舞台は日本へと移ってくるが、日本でも夏淑琴さんの勝訴を期待する。ただ、けしからんのはいまだに、日本と中国の間で民事判決の効力を認める司法協定がないということだ。もちろん、日本と中国だけではなく、日本と韓国、他のアジア太平洋諸国との間でも、そういった各国間で司法協定やそれに伴う法改正をを早急に進めていく必要があるだろう。夏淑琴さんやその支援者にとって、再び日本で裁判を起こさなければならないとなれば、負担も大きい。日本人との係争で中国の裁判所で扱われた判決が、日本でも強制執行力をもつようにして、中国の日本軍被害者や犠牲者遺族が日本の右翼学者の著書で名誉毀損が発生した場合、日本に行かなくても中国の裁判所で気軽に訴訟を起こすことができる制度を構築しなければ駄目だ。もちろん、韓国や他のアジア・太平洋諸国との間にも言える。たとえば、韓国の日本軍軍隊性奴隷被害者を偽者呼ばわりするネット右翼によるインターネットの書き込みを認めると、日本軍性奴隷被害者やその支援者たちが、そのインターネットの発言者や管理者に対して韓国国内で誹謗・中傷や名誉毀損で訴える。その被害者原告の勝訴の判決が日本国内で強制執行力を発揮するとなれば、ネット右翼どもは震え上がるに違いない。証拠もなく、被害者自身を被害者を装っているように書いて、人一人の名誉を傷つけるということは、言論の自由の範囲を著しく逸脱しているのだ。右翼学者をはじめ、末端のネット右翼を含むすべての大日本帝国被害者・犠牲者に対するセカンドレイプ行為に、正義の鉄槌を下される世の中が実現することを願ってやみません。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:29 | Comment(7) | TrackBack(87) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月22日

幻の「新日本軍」計画 旧軍幹部、首相に提案

幻の「新日本軍」計画 旧軍幹部、首相に提案
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2006082001003860.html
【ワシントン20日共同】旧日本軍幹部が太平洋戦争後の1950年前後、「新日本軍」に相当する軍組織の設立を独自に計画していたことが20日、機密指定を解除された米公文書で判明した。構想は連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下で進み、河辺虎四郎元陸軍中将(故人、以下同)らが立案。最高司令官には宇垣一成元大将(元陸相)を想定しており、当時の吉田茂首相にも提案していた。
 戦後史に詳しい複数の専門家によると、服部卓四郎元陸軍大佐ら佐官クラスの再軍備構想は知られているが、河辺氏ら将官級による新軍構想は分かっていなかった。毒ガス隊など3部隊の編成を目指した河辺氏らの構想は最終的に却下され「幻の計画」に終わった。
 文書は、GHQや中央情報局(CIA)の記録を保管する米国立公文書館で見つかった。
(2006年08月20日 21時28分)
「新日本軍」はすでにあるんだけどな。自衛隊という、米国のイラク侵略やアフガニスタン民衆の殺戮に加担した極悪軍隊がね。自衛隊という「新日本軍」が発足したのが、1954年。自衛隊以外にも、「新日本軍」をつくる構想があったというわけだ。毒ガス部隊というのは、軍国主義国家へ戻す気満々じゃねーか。大日本帝国の残滓は、終戦後もずっと地下で蠢いていたんだね。大日本帝国の残滓は今も行き続けている。過去の侵略の罪や歴史を決して本気で悔い改め謝罪することのない日本政府や日本社会の旧態以前の体質と、新日本軍である自衛隊、憲法9条改正勢力、靖国神社、歴史を歪曲し全人類への挑戦と冒涜を続ける反動的な右翼勢力がその代表だ。がん細胞よりもたちの悪い、こいつらを徹底的に駆除して、日本を新生させ、大日本帝国・日本軍の被害者・犠牲者遺族全員への補償および真摯な謝罪が行われない限り、日本にとっての戦争や侵略の問題は終わらないのである。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:10 | Comment(23) | TrackBack(196) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月20日

南京大虐殺 と シンガポール華僑粛清事件について考察する

リー・クアンユー回顧録でも取り上げたので、改めて南京大虐殺 と シンガポール華僑粛清事件という日本軍により都市で行われた大虐殺について自分なりに、自分の調べた今までの知識でもって考えてみることにしました。

★まず、南京大虐殺の概要
1937年8月13日、日本軍は上海を攻撃。第二次上海事変が始まる。7月7日に華北、北京郊外の盧溝橋事件に端を発した日中戦争は、このときから華中、上海に戦線を拡大した。これが8月13日の上海事変から12月13日の南京占領にいたる華中における日本の侵略戦争の始まりである。上海を制圧後、松本石根上海派遣軍を中軸とし、に第16師団(中嶋今朝吾中将)、南に第10軍(柳川平助中将)を加えて三方面から南京への進軍した。南京事件というのは、南京に日本軍が入り、制圧後2〜3ヶ月の間に引き起こされた多数の捕虜、敗残兵、便衣兵 および一般市民を不法に虐殺したものである。それと南京事件という言い方が使われる。虐殺以上に酷いのは幼児、児童から老婆にいたるまでの婦女に対する強姦および強姦殺人、日本兵の見境のない略奪、放火であり、それをすべて含めて事件全体を論じたい場合、南京事件という。特に婦女に対する強姦は言葉には言い表せないほど酷かったため、海外では南京虐殺の変わりに、南京強姦がよく用いられる。

★シンガポール華僑粛清事件の概要
 アジア・太平洋戦争開戦の1941年12月8日、日本軍は真珠湾を攻撃するとともに、マレー半島北部の東海岸であるコタバル、タイ南部のソンクラ、パタニに上陸。日本軍は快進撃を続け、マレー半島を縦断南下し、シンガポールを目指した。1942年2月15日イギリス軍が日本軍の第25軍司令官山下奉文に降伏し、マレー戦は終結し、シンガポールの制圧は完了した。占領後の19日に、シンガポール在住の18以上50歳までの華僑に指定場所に集め、21〜23日に集中して虐殺された。虐殺は3月末まで行われた。シンガポール大検証とも呼ばれている。

★南京大虐殺とシンガポール華僑粛清事件の比較
☆犠牲者数について
・南京大虐殺http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/DATA.html#nanking_atrocitiesによれば、日本軍資料だけでも8万〜13万人に達する。私の見解でいえば、最低20万人以上ということは確かである。紅卍字会や崇善堂による15万5337体もの埋葬記録が存在する。さらに揚子江等に捨てられた遺体を含めれば20万人以上になると推定されている。 中国側の主張は30万人であるが、虐殺者だけではなく、強姦されて殺害された婦女、戦闘に巻き込まれた犠牲者を含めて南京事件を論じなければならない。1937年の南京占領で終わったわけではなく、日本の占領は(1940年3月に南京を首都として汪兆銘傀儡政権が発足するが)1945年8月15日までの日本の敗戦まで続くのである。日本軍の南京占領統治全期間を含めた犠牲者という視点も考えなければならない。憲兵隊の横暴や強制労働による犠牲、食糧難や酷いインフレによる物不足・食糧不足から来る市民の餓死や病死など、45年8月15日までの日本兵による婦女の強姦殺人数という観点から考えれば犠牲者30万人という数字は過少であるくらいだと思う。

・シンガポール華僑粛清事件
日本側資料:5000人(河村参郎少将の日記、俘虜関係調査中央委員会の第四班の報告書)、ネットサイトを見れば6000人という数字も存在する。
同盟通信記者、菱刈隆文の陳述書:約2万5000人
シンガポール政府:4〜5万人
華僑商工会議所:5〜10万人(リー・クアンユー回顧録)
まとめると、5000〜10万人。日本側の資料の5000人が最小値となるだろう。ただし、いずれも決定的なものではなく、調査が待たれるというところ。典型的な華僑粛清事件だけではなく、憲兵隊による市民への不当逮捕や拷問、処刑は8月15日の敗戦までに日常的にに行われており、日本軍のシンガポール統治の全期間の犠牲者ということで考えれば、最大値の10万人という数字も過大ではないと思う。

☆虐殺の実行方法や過程の残虐性
・南京大虐殺
 虐殺手段はきわめて残虐。たとえば、縄で両手を縛って河に投棄して水に溺れさせる、薪を積んで生きたまま焼く、建物に捕虜や難民を押し込めて手榴弾を置き油を流して火を放ち焦熱地獄の中で悶死させる、針金や縄で避難民や捕虜を数珠つなぎにして縛り機銃を浴びせる、一気に捕虜を縛り上げて数珠つなぎにし、銃剣で刺し殺し、足蹴りして揚子江に突き落としたetc。

・シンガポール華僑粛清事件
選び出された粛清対象者は、後ろ手に縛られ、バスやトラックで人気のない山地や砂浜に運ばれ、適当な場所へ強制的に歩かして、その後機関銃で虐殺。日本兵は死を確かめるために、死体を蹴ったり、銃剣で突き刺したりして一つ一つ確かめた。

☆(虐殺を実行する)日本軍部隊の規律の比較
 大虐殺というそのもの以上に酷かったのは、日本兵らによる強姦、略奪、放火などの不軍規だった。捕虜や敗残兵、便衣兵や婦女子幼児を含む一般市民・避難民の虐殺と平行して、日本兵のなすがままの非行が繰り広げられた。日本兵の蛮行は南京市内に突入という同時に行われた。市内や周辺部で戦闘が続いている状態でもおかまいなしだった。日本兵は市内へ入ると市民の住宅,商店、学校や官庁・役所などの公共機関のあらゆる場所を襲撃し、略奪が行われた。その略奪の過程で市民が抵抗すれば殺害し、欲しいがままに略奪した。倉庫や工場の財産、金銀財貨、文化財や骨董品、避難民の食糧や 病院の医薬品や布団、農民の家畜に至るまで奪われなかったものが一つもなかった。そして、日本兵たちは市街のいたるところに放火をしはじめた。日本兵は略奪した家屋や建物に火を放った。市民や避難民を押し込めて、火と放ち建物もろとも焼いたこともあった。多くの南京の家屋が焼け、全市の半分近くがほとんど灰尽に帰したという。何よりも、目を覆いたくなるのは婦女への強姦である。日本兵は婦女を見つけたり遭遇すると同時に、獣欲を剥き出しにし、欲しいがままに集団で婦女に襲いかかった。そして強姦し、輪姦した。場合によっては、部隊単位で協力して陣地、兵舎や建物に拉致・監禁の上、集団レイプや輪姦に及ぶことも多々あった。幼児・児童から老婆にいたるまで強姦され、占領から3ヶ月後には南京にもはや非処女はになかった。強姦につぐ、強姦、強姦、強姦で日夜問わず行われた。強姦した婦女を口封じのため銃剣で下腹部を突き刺し殺害するという強姦殺人行為も頻発した。強姦したのちに、殺害する場合、幼児や児童、妊婦であれ、容赦はなかった。殺害を免れても、日本兵に見つかるたびに何度も女性は強姦された。強姦を行う日本兵は理性の欠片もない獣兵であった。頻度の軽減こそ、あれ日本兵の婦女強姦に関しては放火や略奪、殺人、虐殺行為が止み、治安が回復した後も続き、ついに敗戦の45年8月15日まで止むことはなかった。便衣兵狩りと称する兵士・捕虜・市民への無差別殺戮、一般市民や避難民への集団あるいは個々での殺傷、放火、略奪、強姦および強姦殺人と日本軍の残虐行為には枚挙に暇がない。その規模の大きさ、被害人数・犠牲者数の多さ、持続期間の長さ、殺人手段の残虐さにおいて、人類史上、例のないものであった。では、シンガポールではどうだったのか?
 シンガポールでは南京と様相が違うようである。確かに南京での日本軍の軍規は地に落ちた。しかし、シンガポールでは陥落前後に大規模な日本兵による強姦、略奪、強姦は報告されていない。というのも、南京の経験があったためで、シンガポールを攻略した第25軍は戦闘部隊を市内へは入れなかったことが判明している。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper36.htm

.「大検証」  

 次に占領後の華僑粛清の問題について少しお話したいと思います。この問題については、こう言うとシンガポールの方に怒られるかもしれませんが、残念ながらきちんとした研究はなされていません。あまりに分からないことが多すぎるのですが、いくつか重要な資料がイギリスに残っています。たまたまそれを見る機会がありましたので、それを基にお話したいと思います。
2月15日にイギリス軍が降伏します。その時、日本軍は戦闘部隊を市内に入れませんでした。南京での経験があったからだろうと思いますが、戦闘部隊をそのまま市内に入れますと、略奪・強姦などさまざまな悪事をしでかすので、第25軍は戦闘部隊を市内に入れなかったわけです。憲兵隊だけ入れて、治安の維持をさせました。


南京の経験があり、日本軍は日本兵の不祥事にはかなり神経を尖らせていたようだ。とはいえ、リー・クアンユー氏は通りで通行人から所有物を取り上げたり、公式の捜査や捜査と装って、個人の住宅に押し入り略奪した日本兵を目撃している。ただし、南京で行われたことに比べれば、マシだと思う。虐殺の場合も、南京と異なり、大っぴらな日本兵の婦女への強姦、略奪、放火などの行為は付随しなかったと思われる。
シンガポールでは占領期間中も含めて、強姦事件の発生が頻繁には見られなかったというのが、意外だった(リー・クアンユー回顧録)。ただし、そうではないという情報も多々あるようだ。たとえば、陳素珍さん(65歳)は、「とにかく日本兵はこわかった」、理由は「家に来て娘をみつけると強姦するから」という証言(日本軍政下のアジア、小林英夫著 p214)が存在する。とはいえ、それでも少なくとも37年で南京とは違うようだ。シンガポールの人々は南京で行った無差別に強姦や略奪を行うことを最も恐れていた。しかし、日本兵が見境のない強姦や市内への略奪、放火を行うという37年の南京のような事態には至らなかったということはは確かだと思う。リー・クアンユー氏は頻繁には強姦は起こらなかったというし、一方で婦女への強姦は頻繁に行われ、家に押し入って女性を連れ去るようなことがよくあったという情報もある。このことについてはまだまだ研究していかなければならないと思う。  

☆虐殺対象者について
 南京大虐殺では捕虜、敗残兵、便衣兵、そして、幼児、婦女子、老人を含む市民・避難民・農民のすべてが対象だった。軍人だろうと捕虜であろうとインテリだろうと、乞食だろうと、女子供幼児であろうと便衣兵狩りと称して無差別に見境なく虐殺が行われた。
 一方シンガポールでの華僑粛清事件については犠牲者のほとんどは華僑であり、マレー人やインド人はほとんど被害を蒙らなかった。華僑のなかでも、屈強な青年男性やインテリ層が中心。女子供も含まれているという情報もある。華僑を一方的に抗日分子だと決めつけ、極めて綿密に計画的にかつ、秩序立って行われた。南京大虐殺とはこの点大きく異なり、ナチスのユダヤ人ホロコーストときわめて近いところがあるのではないかと思う。

☆進軍中の軍規
・上海から南京まで進軍する日本軍の軍規
南京占領以前の上海や南京への進軍路(揚子江沿い)で捕虜や市民への虐殺・略奪や婦女子への強姦を続けていたのである。南京への進軍中、村落を見つけ次第焼き払った。侵攻する先々で食料を奪い、抵抗する農民たちを虐殺した。特に婦女への強姦が酷く、幼児も老婆も見境なしであった。日本兵は進軍する先々で女性を見ると、まるでケダモノが異性を見つけたときのように、獣欲をむき出しにして襲いかかった。相手がどんな年寄りでも幼女や少女であっても、お構いなしで、群れを成して襲いかかって、性欲を発散させた。言うことを聞かないものは、銃剣で陰部や腹部を一突きにして殺害した。まさに、「殺つくす、焼きつくす、(食料も女も)奪いつくす」三光作戦が上海から南京までの進軍中展開されたのである。12月の南京占領でピークに達し、3ヶ月にわたって激しく継続された。言語に絶する阿鼻叫喚の地獄絵図が上海から南京占領後の3ヶ月まで繰り広げられたのである。南京市内および上海を含む周辺部では日本兵による婦女子への強姦は頻度の減少こそあれ、45年8月の敗戦まで止むことなく続けられた。日本軍が15年戦争の期間中、南京大虐殺(上海から南京までの進軍路を含む)というのが、いかに突出して人類史上例がないほどのものであったか、理解していただいたと思う。

・マレー進軍中の日本軍の軍規
 こちらは南京とはずいぶんと様相が違うようである。いろいろ調べてみたが、上海で日本兵による強姦や略奪が多発したという情報があるのに対し、たとえば、日本軍が上陸したコタバルで、日本兵が強姦や略奪をやりまくったということは聞いたことないし、ネットサイトでもそうした情報はなかった。
例えば、
マレー半島における日本軍慰安所について
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper09より

・・・マレー進攻作戦中の日本軍の規律は厳しかったと言われており、私がこれまで現地でおこなった聞き取りなどから判断して、確かに中国戦線とはかなり違うという印象を持っている。たとえば一つの例をあげると、日本軍の1 こ中隊が駐屯していたネグリセンビラン州のクアラクラワンでは、日本兵による女性に対するトラブルはまったくなかったと地元の年輩者が語っている。

マレー半島の日本軍慰安所
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper08.htmでも、ネグリセンビラン州のクアラピワでは女性を追い掛け回すような好色な日本兵がいたが、強姦事件はなかったことが関係者の証言で明らかになっている。
林博史氏が言うことだから間違いはないだろう。クアラクラワンやクアラピアの両都市では日本兵による強姦行為はなかった。リンク先を見てもらえばわかるが、一方で略奪行為が行われたという情報や、
50年目の証言 アジア・太平洋の傷跡を訪ねて 森武麿著にみる日帝悪 冒頭の説明とマレー半島南部編
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/14680267.htmlではアエル・ヒッタムという町で、日本兵により数名の婦人が強姦されたところを陳観鵬氏は目撃している。
http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/antigo83.htmlより、林博史氏のサイトでは紹介されていなかったが、
マレー半島でも強姦が相次いだようで、これは当時の日本の貴族院でも戦地強姦罪の審議の中で採りあげられている。
という情報もあるようだ。ただ、中国戦線での「殺しつくす、焼きつくす、奪いつくす」の強姦・略奪、放火、殺戮のオンパレードと比較すれば、マレー進攻作戦中に限っていうなら格段に日本軍の軍規は格段に改善していることは確かだと思う。それと、マレー戦線やシンガポールで、中国戦線や南京のような事態にならなかったのは、日本軍が慰安所を早期に設けたことが要因か、あるいは、日本軍が厳しい引き締めを行ったのが要因なのかの研究がなされていないのは、残念だ。ノモンハン事件の愚行をガダルカナルやニューギニア、インパール作戦で何度も繰り返すように、日本軍は学習しない軍隊と言われている。ただし、マレー戦線では中国戦線や南京での反省や教訓を汲み取り、(中国戦線や南京と比べて)軍規を格段に改善させた。シンガポールでは歩兵部隊を市内に入れるのを避けるという配慮まで取っている。日本軍が学習したほぼ唯一の事例だと思う。日本軍にそこまでさせた中国戦線や南京の酷さが推測される。とはいえ、学習もそこまでで、極端な精神主義や補給・兵站の軽視、食糧や物資の現地調達主義、アジア民衆の蔑視、人命軽視の体質の根本は変わらなかった。  

★まとめ
南京大虐殺 と シンガポール華僑粛清事件を比べて見ました。同じ都市部で行われた非道な日本軍による残虐事件ですが、このように比較すればかなり異質なものだと思いました。ただし、ともに日本軍の糾弾されるべき戦争犯罪であり、日本軍に内在する体質が問題であったのである。結論として、南京大虐殺もシンガポールの華僑粛清事件も、細部は大きく異なるが、血に狂った鬼の軍隊として、ナチスや悪魔も真っ青の身の毛のよだつ所業をやってのける同一の日本軍的体質によるものだと断言できます。

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リー・クアンユー回顧録 ザ・シンガポール・ストーリー 小林利寿訳 日本経済新聞社 上巻・下巻 に見る日帝悪 part4 決死して本気で悔い改め謝罪しない国 と まとめ

いよいよ最後のエントリーです。いかがでしたでしょうか。本書の下巻にも、日本軍の占領のことについて書かれています。このエントリーの引用はすべて下巻の第31章 日本の奇跡(p430〜447)からです。主に過去の歴史への日本政府の態度を批判していま。そういうところを下巻の第31章より抜粋したいと思います。日本人が過去に被害を与えた地域の信頼を取り戻し、国際人になるためにはどうしたらいいのでしょうか。そのようなヒントが書かれています。
 

●リー・クアンユーの日本人のイメージの変換、
下巻、p430

  日本人に関する私のイメージは過去60年の間に何度か変化している。第二次世界大戦前、私の知っていた日本人は丁寧で礼儀正しい販売員であり歯科医師だった。彼らはきれい好きで、規律のあるコミュニティーを仲間内で作って生活していた。そのため1942年2月、旧日本軍がシンガポール占領後に行った残虐行為はまったく予想外のことだった。その時の日本人は信じられないほど残虐で、例外を除けば、軍部の蛮行に無感覚になっていたとしか思えない。我々は3年半の間貧窮と恐怖の中での生活を余儀なくされた。東南アジアの日本軍占領地域では数百万人が命を落とした。戦争捕虜も、英国、オランダ、インド、オーストラリアの多くの兵士たちが過酷な労働で衰弱し、死んでいった。
 45年8月15日、まったく予期せぬ形で日本の天応の命により日本軍が降伏した。日本人は、我々の支配者や主人の立場から今度は良心的で勤勉な模範的戦争捕虜に変貌した。新たな自分の役割として真面目に街を掃き清め、シンガポールから去っていった。
 60年代に入り、良質の日本の電気製品がシンガポールに流入し始めた。70年代までに日本人は再び我が国で活発な活動を始めていた。日本人は、繊維、石油化学、電子機器、テレビ、テープレコーダー、カメラなどの製品の生産技術に加え、近代的な経営・マーケティング手法を取り入れて、目を見張るような工業大国になっていた。だが、経済的に強くなるにつれて、日本人は再び不遜になっていった。

著者の間で、日本人のイメージの変換である。日本人の二面性をことごとく示しているのではないだろうか。日本人は限りなく良心的で模範的な紳士になれるし、限りなく悪魔や鬼、獣のごとく残虐非道に振舞える。  
 

●決して本気で悔い改め謝罪しない国、それは日本だ
p430〜431

 私や同世代のシンガポール人にとって、日本が残した最も深く強烈な印象は占領中の恐怖である。その記憶は生涯消すことができないものだ。戦後になって、国務大臣、外交官、実業家、学者、ジャーナリストなど様々な分野の多くの日本人を知った。彼らはいずれも立派な教育を受けた、教養のある、人間味豊かな人たちだった。占領中の苦しみからくる恐れと憎しみのためだろうか、戦後の焼け野原で日本人が飢えに苦しんだことを書物で読んだとき私の心の中には他人の不幸を喜ぶ気持ちがあった。その感情がいや応なしの尊崇の念に変わったのは、彼らが敗戦の焼け野原の中で、克己心と組織の力で国の再建に立ち上がったのを見たときだ。日本人は巧みにマッカーサーの軍事占領方針をすり抜け、かつて強い日本を作り上げた国家の特質を維持していた。戦犯は一部死刑になったが、多くはほどなく復権した。民主主義者として選挙に選ばれた大臣になった者もいれば、勤勉な閣僚として国家再建に貢献した者もいる。だが、この人々が作った日本は、平和的で非軍事的ではあるが、決して本気で悔い改め謝罪しない国である。
 戦後、私が初めて日本人と向き合ったのは、日本占領時の42年に起こった血も凍るような虐殺事件の処理交渉においてだった。62年2月、島の東部地区のシグラブで、建設工事で地面を掘り返したときに偶然に集団埋葬された人骨が発見された。集団埋葬の場所は40ヵ所に上る。旧日本軍のシンガポール占領後、憲兵隊が中国人の若者を一斉検挙し5万ー10万人を殺戮した20年前の記憶を甦らせた。まだ戦争の傷跡があちこちに残っていた。

シンガポールの人々にとって、日本軍が残した遺産は肉親をなくした悲しみと想像を絶する恐怖である。日本は見事戦後復興を遂げたが、戦争犯罪者を罰せず大臣にまでしたとんでもない平和国家だった。本気で悔い改めない国ができあがったのである。戦後になると、シンガポールでは日本軍の蛮行がどんどんと明らかになってくる。日本軍の恐怖が消えるのと反比例するかのように、肉親をなくしたり被害にあったシンガポールの被害者たちの怒りが強くなり、それに押されて、リー・クアンユー氏は虐殺事件の補償交渉へと向かうのである。
下巻、p432〜より
 池田勇人首相との会談で私が取り上げたのは"血の負債"、すなわち戦時中の日本軍によるシンガポール人虐殺に対する償いの要求だった。池田はシンガポールで起こったことに対して「心からの遺憾の意」を表明したが、謝罪はなかった。首相は日本国民が「故人の精神に対してなされた不当な行為」を償いたいと述べ、過去の行為が両国の友好関係の発展を阻害しないことを願うといった。だが、補償問題の結論は保留となった。首相も側近たちも実に丁寧で、なんとかこの問題を解決しようとしていたが、被害を受けた他国から補償要求が殺到することを恐れ先例を作るのをためらっているように見えた。両国がこの問題を解決したのはシンガポール独立後の66年10月で、5000万ドルの補償金は円借款と無償供与が半々だった。私は一刻も早く両国間にいい関係を作り上げ、日本の企業家たちにシンガポールへ投資してほしかった。

著者は池田勇人首相との会談で、虐殺事件を取り上げた。少し著者であるリー・クアンユー氏には失望した。ほかのアジア・太平洋諸国のように目先の経済利益や発展のために、補償を円借款と無償供与で済ませたのは納得はいかない。この時は謝罪ではなく、遺憾の意止まりである。シンガポールの被害者たちには納得できなかったのだろう。俗に言う賠償という名を借りた経済侵略であった。経済力に物を言わせ、戦後のアジアの被害国の指導者を懐柔し、はした金の無償援助と円借款で自らの過去の問題に幕引きを図ろうとしたのである。まさに、本気で過去を悔い改めない醜い国、それが日本だ!!!  
 

●なかなか謝罪しない日本の首相−なぜ日本は謝罪を拒むのか
下巻の第31章日本の奇跡で、日本との首脳外交についていろいろと書いている。著者の首相在任中、1962年の池田勇人から90年の宮沢喜一まで多くの日本の首相と出会った。日本の首相から直接謝罪の言葉を聞くことはなかった。
下巻、p443〜

 日本は経済大国として先進国首相会議の正式メンバーとなり、世界の主要国として果たすべき役割を模索し続けてきた。とりわけ深刻なのは指導者たちの過去の戦争に対する残虐行為に対する姿勢だった。西ドイツの政治指導者は明確に戦争犯罪を認めて謝罪し、犠牲者に賠償を支払い、若い世代に戦争犯罪の歴史を教えて再発を防ぐ努力を行ったが、日本の指導者はどうだろう?多くはいまだ曖昧な態度で言を左右にしている。天皇への配慮に加えて、国民を困惑させたくない気持ちや先祖を侮辱したくない思いがあるのだろう。理由のいかんを問わず、歴代の自民党政権は日本の過去と向き合うことはなかった。
という風に自民党政権の過去の歴史に対する態度を批判しているのだ。海部首相あたりから、歴史問題に対する態度が変化してきたことも事実であろう。海部首相はシンガポールでの演説で初めて正面きって戦争問題について触れた。「アジア太平洋地域の多くの人々に耐え難い苦難と悲しみを与えた過去の日本の行為に対して心からの悔恨の意」を表し、「悲劇的な結果をもたらしたそれらの行為を、二度と繰り返さないことを日本国民は固く決意している」と述べた。もう少しで謝罪となるものだった。次の宮沢喜一首相は、施政方針演説で「深い反省と遺憾の意」を表したが、まだ謝罪ではなかった。次に、宮沢は93年6月に野党が提出した内閣不信任決議案で一部の自民党議員の造反で可決し、内閣総辞職に追い込まれた。そして、総選挙の結果、細川護熙内閣が誕生した。ようやく、細川首相は曖昧な言い方とはいえ、大戦時の日本の侵略事実を認め、引き起こされた被害について謝罪したのである。正式なものではないにしろ、日本が謝罪したのは非自民政権になってからで、実に戦後48年の月日が経っていたのである。
 翌94年の日本社会党の村山富市首相はさらに日本の謝罪を進展させた。村山首相は、ASEAN諸国歴訪時に各国首相に対して直接謝罪をおこなったのである。95年8月15日には、戦後50年目の終戦記念日の首相演説で、再び深い悔恨と心からの謝罪の気持ちを表明するにいたったのである。それだけではない旧日本軍のシンガポール占領時に殺された人々の慰霊碑に花輪を捧げたのである。シンガポール政府が求めていたわけではない。革命的な進展といえよう。細川氏と村山氏の非自民首相の謝罪は、それまでの日本政府の頑なまでの謝罪を拒む強行姿勢を変えた。自民党自身は謝罪はしなかったが、自民党も謝罪した村山連立政権の一員だったというところが大きかったのではないか。しかし、次の自民党の橋本龍太郎政権はだめであった。日本の謝罪姿勢が交代することになった。
下巻446〜447より
 96年に首相就任した自民党の橋本龍太郎はその年の7月、自分の誕生日に個人の資格で靖国神社を非公式参拝した。戦没者の霊に敬意を表したが、その中には東条英機首相ほか戦争犯罪で絞首刑にされた者たちが含まれている。このどっちつかずの態度は大きな問題である。ドイツ人と違って日本人は精神の浄化ができておらず、自分たちのシステムから毒を取り去ってない。若い世代にみずから犯した悪行を教えていない。その一方で、橋本首相は97年8月の終戦記念日の演説で深い遺憾の意を表し、同9月の北京訪問中には深甚なる悔恨を表明している。とはいえ橋本は謝罪をしていない。
 日本人はなぜ過ちを認め、それを謝罪し、前進することに消極的なのか私には理解できない。謝らない理由があるにちがいない。謝罪とは悪いことをしたと認めることである。遺憾の意や悔恨の思いを表すことは彼らの現在の主観的な感情を示しているにほかならない。日本人の一部は南京大虐殺を否定する。朝鮮半島やフィリピン、オランダなどの女性が連行され、従軍慰安婦として働かされたことも、旧満州(現在の中国東北部)で中国、朝鮮半島、ロシアなどの囚人を生きたまま残酷な生物の実験台にしたことも認めようとしない。いずれのケースも、反駁できない証拠を見せられてから、しぶしぶ認めただけである。このような態度は日本の将来の意図に疑念を抱かせるもととなる。
 現在の日本人の態度は将来の行為を示唆するものである。もし過去を恥じる気持ちがあれば、将来、同じ過ちを繰り返す可能性は少ない。戦犯として処刑された東条英機の遺書を思い出す。彼はその中で、日本軍が負けたのは
敵の軍勢が優勢だったからだと書いた。この言葉をどう位置づけるべきなのだろう。日本の能力を過小評価してはいけない。日本人は石油などの重要な天然資源を絶たれ、輸出市場から閉め出され、国家としての生計の手段を奪われ、脅迫感を覚えれば、再び42年から45年のときのように獰猛に戦うだろうと私は思う。
 日本とアジアにとってどのような未来が待ち受けているにせよ、日本人はまずこの謝罪問題に決着をつけるべきである。アジアと日本は共に前進しなければならない。そのためにも、より大きな信頼と信用が必要とされている。

私も日本がどうして過去の罪行を認め、謝罪し、被害者に補償して、前進することについて極めて消極的なのか理解できない。ひとつでも過去の過ちの事実を認め、そして被害者に補償することによって、被害を受けた国からさらに加害事実や、そして被害者からの補償要求が殺到してくるのを恐れ、そういった先例をつりたくないというのだろうか?だとしたらとんだお門違いをしている。どんどんと過去の被害国から大日本帝国・日本軍の加害事実をでてきてどんどん事実が明らかになったらいい、被害者や犠牲者遺族からの補償要求が殺到したらいい。個々の加害事実に対して、被害者や犠牲者遺族からの補償に応じて、そして謝罪をして解決することに、前進することで我が国は一人前の国際社会から認められる国になる。それを行うだけの立派な国力があるはずだ。そんなことを戸惑ってたら"いつまでも過去を悔い改めない醜い国"で終わるだろう。私はそんなことは御免だね。  

●まとめ
これまでのエントリーです。
リー・クアンユー回顧録 ザ・シンガポール・ストーリー 小林利寿訳 日本経済新聞社 上巻・下巻 に見る日帝悪 part1
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/22521867.html
リー・クアンユー回顧録 ザ・シンガポール・ストーリー 小林利寿訳 日本経済新聞社 上巻・下巻 に見る日帝悪 part2 華僑粛清事件、シンガポールにおける慰安所など
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/22525349.html
リー・クアンユー回顧録 ザ・シンガポール・ストーリー 小林利寿訳 日本経済新聞社 上巻・下巻 に見る日帝悪 part3 日本人の心の中に潜む獣、残虐だった日本人
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/22559435.html
 最後のまとめとなりますが、この本に書かれている大日本帝国・日本軍の加害事実と日本の歴史認識に関わる問題について抜き出してまとめているうちに、日本人という存在について改めて考えてみました。日本人はなかなか謝罪のしない往生際の悪い国民である。リー・クアンユー氏がさんざん批判する通りのことだ。謝罪しないことで新たなる日本の再侵略の疑念をアジア諸国の人々は抱いている。過去の大日本帝国の犯した罪は多過ぎた。数だけではない、その残虐性、被害者や犠牲者数の多さ、残虐行為が行われた地域の広大さ、殺戮・拷問手段の残虐性において、人類史上例を見ないほどだった。従軍性奴隷制度に代表される性暴力と南京大虐殺、731部隊による生体実験・細菌戦、中国大陸や数々の占領地で行われた住民虐殺行為が、当時の日本人の悪魔の行いの主たるものだ。ナチス・ドイツが強制収容所で実施したユダヤ人絶滅計画以上の人類史上例を見ない残虐かつ非道な虐殺行為であった。当時の日本人は血に狂った野獣だったことは私自身正直なところ信じられないが、人類の歴史に消すことのできない汚点を残した悪魔の行いの数々は疑いようがないのだと思う。
 リー・クアンユー氏は、日本人のことを「日本人には完璧を求める習性があり、生け花であれ日本刀作りであれ、そして戦争であれ、何事でも極限まで行ってしまう」(本書、下巻p444)と評している。ある意味当たっていると思う。日本には世界一と誇れるものがたくさんあるはずだ。特に科学技術の分野はすごいと思う。しかし、誇れない、恥ずべきものがある。大日本帝国の加害歴史も"世界一"であるからだ。大日本帝国の植民地に関していえば、植民地統治の非人道性、独立運動弾圧の凄惨さについては"世界一"といえる。アジア・太平洋戦争において、大日本帝国・日本軍が中国大陸・東南アジア・太平洋諸島の占領地や戦地の民衆が蒙った被害の大きさは、"世界一"だったといえる。日本人、特に集団、そして軍隊意識が働けば極限にまで残虐・残忍になれるのである。日本人は過去の日本軍の悪魔の如き戦争犯罪の数々を通して深く考えなければなりません。戦争から61年がたち、大日本帝国の加害の歴史ははるか昔の過去の出来事だと勘違いしている人々が多いですが、決してそうではありません。加害の歴史や大日本帝国・日本軍の植民地時代、占領時代の苦しみは被害にあった国々、シンガポールなり、中国なり、そして韓国なり、その他のアジア・太平洋諸国なりで、お爺さんやお婆さんの世代から子々孫々に世代を超えて伝えられているのです。決して風化することはありません。61年以上前の昔、大日本帝国時代の日本人はアジアの人々にとって紛れも泣く加害者であったのです。そのことを我々日本人は忘却すべきではないと思います。以上でこのエントリーを終わります。

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 11:05 | Comment(31) | TrackBack(3) | 書籍などにみる日帝悪および書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

戦争賛美の「靖国」に参拝していい訳がない

戦争賛美の「靖国」に参拝していい訳がない
http://www.janjan.jp/government/0608/0608169665/1.php

15日には全国各地で小泉純一郎首相の靖国参拝反対を訴える抗議の集まりがもたれたと思う。

 兵庫県でも以下のような取り組みがあった。その日は「平和のための市民の集い」が神戸勤労会館であり、その後、市役所花時計前で座り込みを2時間続け、そして抗議の街頭宣伝を三宮駅周辺で行った。

 小泉首相の靖国神社参拝は、彼は公約だといっているが、近隣諸国が期待している日本のあり方を完全に裏切るものである。また、日本の国内でも靖国参拝をしないほうがいいという声が強かったように思う。

 考えるに靖国神社は行ってみれば分かるが、靖国神社は単なる追悼・慰霊施設ではなく、英霊をたたえる顕彰施設だ。「間違った戦争であっても国に殉じた人はすべて神になる」という一定の歴史観に基づいている神社だ。

 本来、靖国をたたえ参拝することは、まさに戦争賛美になるということだ。

 誰に聞いても戦争はいけない、平和がいいといいながら靖国神社があり、それを参る人があるということは、戦争をする。お国のために身を投げ出してもいいという人を培うことになる。

 小泉首相であっても誰であっても平和のためにとか言って参っているが、全く矛盾している参拝である。

 そんなことを思いながら、昼から午後にかけての行動であった。15日に靖国神社へは、さまざまな思いで見学にいった人たちも多いのではないか。

(杉原栄)

短い記事ですが、まったく同感です。靖国神社は単なる追悼・慰霊施設ではなく、英霊をたたえる顕彰施設であるし、間違っていたあの侵略戦争を正しかったと讃えている。そのようなカルト神社に参拝するなど言語同断だ。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 10:47 | Comment(5) | TrackBack(0) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日は午後よりでかける予定があります。

今日は日曜日です。午後より出かける予定がありますので、投稿は午前中に済ませたいと思います。
戦後61年の8月15日を迎えるにあたって、大日本帝国・日本軍の各国民衆の被害情報収集計画
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/22350895.html
というわけで、昨日の晩のうちに、多くの掲示板に対し、日本軍の侵略および加害の情報を求める投稿を済ませました。というわけです。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 10:33 | Comment(6) | TrackBack(182) | 備忘録・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月19日

リー・クアンユー回顧録 ザ・シンガポール・ストーリー 小林利寿訳 日本経済新聞社 上巻・下巻 に見る日帝悪 part3 日本人の心の中に潜む獣、残虐だった日本人

このエントリーに書いてあることは我々日本人にとっては耳が痛いところが多いのではないだろうか。過去の日本人の恥部に目を背けたい気持ちはわかる。すべて、事実であるから、過去の蛮行を受け入れてシンガポールや近隣諸国に与えた加害について考えて欲しいと思う。当時の日本人は心に潜む獣の心を遺憾なく発揮し、現在では考えられない信じられないほど残虐だったのである。引用はすべて上巻からである。
 

●憲兵隊の恐怖
 著者は「組合」の仕事をやめた後、日本軍報道部に就職した。そこでの仕事は、連合軍側の報道機関が流す英語のニュースに目を通し、オペレーターが傍受したのを解読するというものであった。働いている報道部があるビルの一階には、憲兵隊の出先があったという。著者は、最新の情報を耳にし、日に日に日本が戦況が悪くなるのを耳にしている。インパール作戦が失敗し、日本軍が敗走しはじめたこと、日本軍は撤退しながらも激しく英軍に対し、執拗に抵抗していることを緊急連絡を読んで知った。英軍がマレー半島に南下し、また、日本軍が最後の一兵にまで抵抗するとなると、英軍のシンガポール奪還作戦は壮烈な市街戦にとなることを予想し、状況が平穏なうちにシンガポールを出ようと考えた。そこで、もっとも安全な場所に引っ越そうと考えた。日本軍報道部に辞職願を提出したのだが、憲兵隊に日本が不利になっているという情報を漏らした容疑をかけられ、尾行されることになった。

p50〜51

・・・・憲兵隊が私を捕まえに来たのではないかと想像したときの恐怖は筆舌に尽くし難い。多くの人と同じように、私も憲兵隊が加える拷問のことを聞いていたからだ。彼らは、漢字で「憲兵」と赤字で書いた白い腕章を巻いていた。憲兵隊は日本政府の上官でさえ手を出せない逮捕、尋問の権限を持っていた。憲兵隊司令部はスタンフォード・ロードにあるYMCAビルディングにあり、支部がオクスレイ・ライズ、スミス・ストリート、サウス・ブリッジ・ロードの中央警察署にあった。近所の人々の耳には苦痛のあまりのうめき声や恐怖感を与えるための音が聞こえる、との話が伝わり、恐怖は人々の口から口へと広まった。これは現地の人を怯えさせるための計画的な手法だった。シンガポールの人々を従順にすれば統制がしやすくなるためだった。

なるほどだと思う。恐怖を広めるというのは、人々を従順で統制をしやすくするためには一番いい方法だと思う。日本兵の狂気といいシンガポールの人々は肌身で感じていたのだと思う。  

●捕虜の苦しみ
p55〜56より

 ・・占領開始から10ヵ月の間は、少数の日本兵が監視する中、英国やオーストラリアの捕虜労働者が市内に入ってくる姿をよく見かけた。捕虜たちは普通、物資を倉庫からトラックに移し替えるなどの労役をしていたが、時々、食べ物を求めてコーヒー・ショップにこっそり入り込んできた。店の主人や普通の主婦がパンや缶詰などの食品やお金を彼らに渡していたものだ。華人は英国兵などの捕虜に大きな同情を寄せていたのである。ところが捕虜は次第に痩せ細り、健康状態が悪くなってきたように見えた。半ズボンとシャツの制服もぼろぼろになっていた。42年の終わりになると捕虜の姿は次第に見えなくなり、一年後にはめっきり見かけなくなった。
シンガポールの連合軍捕虜がタイ、インドネシア、日本など他のところへ送られたと思っていた。44年末から45年初め、捕虜が再びシンガポールに姿を見せたときには、骨格が外からわかるほど骨と皮の姿になっていた。ビルマ鉄道で建設徴用され猿股しかつけておらず、尻の骨が見える兵士もいた。捕虜たちの腕と足は傷だらけだった。彼らが味わった苦しみは、世界のどこで起きた戦争の捕虜のそれを越えるものだったと思う。

日本兵によりひどい目に合わされたのは、シンガポールの市民だけではない。日本軍占領前に駐屯していた英国やオーストラリアの兵士たちである。市民は同情を寄せて、食品やお金を彼らに合わしていた。虐げられる姿が自分たちと重なったのもあるだろうし、日本軍への憎しみと英国植民地時代への懐古の念がそうさせたのである。  
 

●シンガポールの大半の市民に降りかかった災いを足場にして、日本軍軍政時代に財をなした成金たち
p55〜56

 目先が利いてこの機会を利用しようという人たちもいた。日本軍に取り入って役に立とうとしたのである。彼らは労働者や物資、情報、女性、酒、上等な食物などを供給して金を稼いだ。最も恩恵に浴したのが建設請負業者だった。
 中でも最も恵まれた事業に成功したのはグレート・ワールド、ニュー・ワールドといった遊園地で賭博場を解説する利権を得たショウ・ブラザーズのような人たちだ。1年、2年または3年後に英国g日本を追い出すために戻ってくるときに予想される大量破壊と死に直面していたシンガポールの人たちにとり、賭博は麻酔薬であったのである。人々は運を試しに金を賭けて賭博場に出入りし、またそれを眺めて時間つぶしをする者もあった。人々がこのような賭博場で使った時間や失った金は驚くべき額だったと思う。みずからの存在自体の先行きが見えない中で、人々はこうした賭け事を喜んだのだ。生活そのものが運を賭けたゲームだったのである。
 しかし、どれだけ金を儲けたところで、肝心なのはそれを品物や海峡ドルに交換してその価値を維持することだった。穀物やその他の食料はかさばるので、貯蔵したり取り扱うのは大変だった。人々が一番求めていたのは、英国の復帰後も価値が変わらず、小さくて隠しやすいものだった。だから44年以来、バナナ札が毎日増刷されて出回る中で英国の海峡ドルの闇市レートは急上昇した。最も望ましい財産は貴金属類だった。それらを扱うため、ブローカーは純金や24カラット、18カラットなどで色合いがよく欠陥のないダイヤモンドの鑑定方法、ルビー、サファイア、アクアマリン、猫目石や準宝石の見分け方などを身につけなければならなかった。
 不動産に手を出す大胆な富裕層もいた。しかし、価格は金や海峡ドルほどには上がらなかった。所有権の移転には弁護士による譲渡証書と登記所での手続きが必要だったが、英国が戻ってきた際に、契約が成立するか否かの可能性は半々という事情があった。建物の場合は爆撃を受け、崩壊する可能性も考えなければならなかった。実際には、英国軍による侵攻作戦はなく、譲渡証書は無効にならず建物は破壊されなかった。ドイツが負け、日本の降伏が間違いなくなった占領末期には、ジョウニーウォーカーの12本入りケースを日本のバナナ札で売った金額で、ビクトリア・ストリートの店舗住宅を一戸買うことができたのである。こうした売買をうまくやった人たちは戦後いち早く金持ちになった。

日本軍占領下で多くの者が苦境にあえいでいる中で、それを踏み台にして儲けた財を成した成金たちがいる。これも大東亜共栄圏の歪んだ一側面である。  


●リー・クアンユーにとっての日本軍占領3年半−シンガポールの厳しい秩序と刑罰の起源

p53〜54

 日本占領の3年半は私の人生にとり最も大切な時期だった。私は、人間とその社会、行動の動機、衝動などについて生々しくその実態をかいま見ることができた。政府というものへの評価や、革命的変化をもたらす道具としての権力に対する理解などは、この日本占領期の経験がなければおそらく得られなかったと思う。ひとつの社会システムが手荒い占領軍の前に一瞬にして崩壊するのを私は目の当たりにした。日本軍はシンガポールに全面的な服従を求め、大半の市民はそれに従った。人々は日本軍を嫌っていたものの、日本軍が自分たちを押さえ込む力を持っていることを心得ており、迎合していたのである。こうした事態に素早く対応できなかったり不快感を持った人や、新しい支配者を受け入れなかった人はひどい目にあった。彼らは新しい世の中のすみに押しやられ、生活は停滞するか傾いて、社会的地位も失った。新しい情勢に即応し、日本軍に役立つことを通じてこの機会を利用した人は財をなした。シンガポールの大半の人々に降りかかった災いを足場にしてのことだった。
 日本軍政は恐怖心を広めることでシンガポールの人々を統制した。日本軍は、気高く振舞おうとの姿勢はまったく見せなかった。罰則は厳しく犯罪はごくまれにしか起きなかった。生活物資の窮乏が一段と進み人々が半ば飢餓状態に落ち込んだ44年後半でも、シンガポールの犯罪発生率は驚くほど低い水準を保っていたのである。人々は夜でも部屋の正面のドアを開け放しておくことができた。それぞれの家庭には家長、10軒の家庭ごとにその長がいて、日暮れから夜明けまで自分たちの地域を夜警することになっていた。しかし実際には地域の住民は警棒を持っていただけで、報告すべき犯罪行為は起きなかったのである。日本軍が科す刑罰が重すぎたからだった。私は刑罰では犯罪は減らせない、という柔軟な考えを主張する人は信じない。これは戦前のシンガポールではなく、日本の占領下とその後の経験で得た信念である。

p56〜57
 私は日本の占領時代から、どこの大学が教えるよりも多くのことを学んだ。私は毛沢東の「政権は銃口より生まれる」との言葉を知らなかった。しかし、日本軍の冷酷さ、銃、剣付き鉄砲、それにテロと拷問を目の当たりにして、だれが権限を持ち、何が忠誠心を含め人々の行動を変えることができるかという議論はすでに私は結論を出していた。日本軍はシンガポール人に対し単に従順になるだけでなく、長期的観点から日本の支配に順応するよう求めていらのである。シンガポール人が自分たちの子供を言葉、習慣や価値などの日本の新体制に適応できる人間に教育するように仕向けたのである。

著者にとって、日本軍占領時代とはいかなるものであったのだろうか?非常につらい体験であったが、多くのことを学び、今後の人生や思想に与えた影響は非常に大きいものがあると思う。中でも一番は、犯罪に対する刑罰の考え方であろう。日本軍の課す刑罰が厳しすぎたので、犯罪発生率が極めて低かったという。シンガポールの社会は極端なインフレ、物資不足、飢餓状態、社会秩序崩壊という酷い困窮状態だった。治安が悪化し、犯罪が蔓延していて当たり前の状態であった。それでも犯罪が発生しなかったというのは、日本軍の罰則がいかに過酷なものであったかを示すという。著者は、刑罰では犯罪を減らせない、という柔軟な考えを主張する人は信じないとまで言い切っている。ただし、私は著者の見方には疑問をもっている。たとえば、死刑の問題につながってくる。私は実は死刑の廃止論者である。死刑廃止反対派の論点のひとつとして、死刑を廃止すれば犯罪が増えるという。死刑を含めて、厳罰によって犯罪を抑止できると考えるものも多いが、私は極めて懐疑的だ。たとえば、日本軍占領下のペナン島をあげてみる。シンガポールと軍政そのものはさほど変わらないはずである。陸軍報道班員として東南アジアに派遣された石川達三がいる。『約束された世界』(1967年)のなかでペナンの軍政について書き残している。  
 
日本軍はこの街を占領して以来、銀行を閉鎖し商店を閉鎖した。金融は停止し消費経済は流通交換がとまってしまった。市民は貧富の区別なく、食糧に窮していた。闇の商売はあったかも知れない。しかし通貨も物資も流れなかった。富裕な者は日本人に物品を売って現金を手に入れなくてはならなかった。[中略]売るものを持たない貧民は、泥棒するよりほかに生きる手段がなかったのだ。[中略]それは軍政の拙劣さにほかならなかった。(日本軍政下のアジア ―「大東亜共栄圏」と軍票― 小林英夫著 岩波新書 p118からの孫引き)

石川氏は、ペナンでの思い出として、日本軍が占領した後この島が経済的に停滞し、人々が食えなくなり泥棒が増えたと嘆いたのである。銀行や商店が閉鎖し、金融は停止、消費経済は流通交換がとまり、市民は食糧に窮したというのは、シンガポールのそれと酷似する。シンガポールでは人々はどんなに生活に困ろうとも泥棒をほとんどしなかったが、ペナンの場合では泥棒が増えている。まるっきり逆である。どうしてこのような違いがでたのか分からないが、厳罰主義が必ずしも有効ではないことを示しているのではないだろうか。著者の日本軍の厳罰主義が正しいという妄信には私は反対である。
彼にとって、紛れもなく日本軍の占領時代の経験が大切な遺産だったのである。著者が反英国に傾き、マラヤの独立を考えるようになったのは、日本軍占領時代を経験した後だったからだ。ケンブリッジ大学に戦後留学するが、英国人のその場限りの気質を見抜き、植民地の戸雪的な発展には関心がないことに気づいた。著者にとっても、シンガポールの人々にとっても日本軍占領から生まれた人間的な変化は大きかったと思う。ただし、それは日本軍が意図せずとも戦後生じた"怪我の功名"というべきで、そのことによって日本軍の侵略や戦争犯罪が許されたり、免罪・相殺されるものではない。  

●日本軍も精神までを破壊することはできない。
p57〜

 もしもっと時間があれば、我々が自然の成り行きの一部として日本人を新しい支配者として受け入れたかもしれない。倫理や正義とは無関係なことだった。彼らは勝利者だった。彼らが一番上にいて命令権を握っていた。シンガポール人は彼らの神を敬い文化を称賛し、行動様式を真似なければならなかった。しかし、必ずしもそれはうまくいかなかった。朝鮮半島では日本人が統治しようとしたときから強い抵抗にあった。古い伝統文化を持ち、自分たちの歴史に強い自負を持ち、外からの抑圧者に対抗する強い気構えのある朝鮮民族の本能と習慣を、抑圧しようとしたからである。日本軍は朝鮮半島で多くの人を殺したけれども、その精神までも破壊することはできなかった。
 
大日本帝国というのは、植民地や占領地の住民にでさえ、天皇の従順な下僕として服従することを強制した。それはシンガポールでも朝鮮民族に対しても同じだった。大日本帝国・日本軍の無慈悲をもってしても、多くの人々を殺しても、その精神までを破壊することはできなかったのである。  
 

●裁かれなかった日本軍の蛮行
p57〜58

 8月15日の日本の降伏から9月下旬に英国が新たな統治を確立するまでの権力空白期間に、抗日グループは自分たちが法律となり、日本への情報提供者、拷問者、その他の日本への協力者にリンチ、虐殺、拷問、殴打を加えた。私はビクトリア・ストリートとチャイナ・ビルディングにあった私の家の周辺で白昼ドタバタと人が駆け回る音をいまだに忘れることができない。日本への協力者が殴られ、ナイフで突き刺された悲鳴が聞こえた。しかし多くの対日協力者は戦争の最終局面でマラヤの田舎やシンガポールの南のリアウ諸島へと逃げおおせた。
 だが、シンガポールが解放されても悪い者には罰を、正しい者には褒賞をというような人々が望んでいたような事態にはならなかったのである。過去の問題を完全に清算できることなどなかったのだ。公正な裁判には書類と綿密な調査が必要である。しかし、犯罪人を告発するのにあらゆる情報を集めるのは不可能である。日本人でもシンガポール人でも、そうしたことが多過ぎた。法律が適用されたのはごくわずかで、多くは逃れてしまった。
 裁判は行われたものの、日本人の主要戦争犯罪人は処罰の対象にならなかった。ソック・チンの大量虐殺を命令した辻大佐は行方不明となった。マレーの虎といわれた山下大将は、ソック・チンの計画を承認した人物だったが、その後満州へ移動、さらにフィリピンへと移った。45年9月、山下大将はマッカーサー元帥率いる連合軍に降伏し、マニラでの裁判で絞首刑となった。しかし、その判決理由は常軌を逸したフィリピンの都市での作戦についての責任であって、シンガポールで数万人もの罪のない人を虐殺した作戦を承認した責任からではなかったのである。

残念ながら、日本軍占領時代における犯罪者は、対日協力者(シンガポール人)にしろ、日本軍兵士・将校にしろ、それ相応の罰を受けたのはごく一部である。些細なことを含まれば数え切れないほどの暴虐行為が行われたのである。何よりも、山下奉文、辻政信という主要戦争犯罪人が処罰されなかったのは、後世にとっても大きな汚点であろう。被害者や犠牲者、肉親を失った者にとってやりきれない思いであろう。山下奉文はマニラの市民虐殺や陸海軍部隊が立てこもった激しい市街戦の惨状の責任をとって、アメリカの戦犯裁判で絞首刑に処せられた。仕方がない部分があるかもしれないが、辻政信の件については納得できないものがある。辻政信に関しては、シンガポールの華僑虐殺だけではなく、マラヤで行われた華僑虐殺に関わっており、その他複数の容疑がある。戦犯容疑者の中でも、特に極悪人である。日本人は、こういう人物に全面的な支持を与え、独立回復後の52年11月の石川県の総選挙でトップ当選、59年の参議院全国区で第三位で当選させている。61年に参議院議員のとき、ラオスを訪れたが、宿舎を出たきり行方不明となった。私個人としては、神により天罰が下されたのだと信じたいね。  
 

●シンガポールの人々が受けた恐るべき拷問(日本人に潜む獣の性格)
p58〜60より

 私の友人を含む何百人ものシンガポール人が憲兵隊に拘禁され拷問を受けた。一方で260人の日本人戦争犯罪人がシンガポールで裁判にかけられたが、有罪になったり死刑になったのは100人ほどだった。その犠牲者の1人が63年から80年まで政府の閣僚を務めたリム・キムサンである。彼は44年の恐ろしい経験を次のように私に語ってくれた。
「私はオクスレイ・ライズで2回拘禁された。最初は44年1月で2週間、2回目は2月で一月以上だった。ノース・ブリッジにある私の店に来たある中国人の若者が、私のことを共産主義者のためといって、彼に金を渡した人物だと証言したのである。私は資本家だから親共産主義というのはおかしい、と説明したものの日本兵に縄で縛られ、蹴られるなどの手ひどい扱いを受けた。顔に水をかけられ意識を取り戻したが、気がつくと私は15フィートと10フィート四方の部屋に入れられていた。男女30人ほどが一緒で、部屋の角にトイレがあった。頭上に貯水器があるしゃがみ式だった。その水を便器から集めてきた。これが、飲んだり顔を洗ったりする水だった。病気になれば神のみぞが知るところへ連れていかれた。私は女性が生理で血を流すのを見て胸が悪くなった。
 我々は灯油の缶に入った古い野菜入りのお粥をあてがわれた。とても胃に入っていかず、口にするたびに吐きそうになった。ガチョウにエサを与えるようだった。我々はあぐらをかかされ、その場所を動くことは許されなかった。場所を変わるには日本軍に雇われ、冷酷になるように仕込まれたシンガポール人青年看守の許可を得なければならなかった。
 ある日、足を骨折したインド人老人が連れ込まれてきた。座ることができず俯せの姿勢で足を引きずってしか動けなかった。制裁のため、若い華人看守が投げた棒を老人に取りに行かせた。気の毒にもそれは老人が疲れ果てほとんど苦痛で意識を失うまで続けられた。
 拘禁されていた中に若くてがっしりとした青年がいた。年は17歳か18歳だった。彼は任務から逃亡して捕まった看守だった。その夜、憲兵隊が彼を裸にして縛り上げ天井から吊した。後ろ手に縛られロープは足がほんの少し
地面につく程度に梁につないである。時がたつにつれ、肩にかかる重みを楽にするため彼がつま先を地面につけようとするのが見えた。憲兵隊は水も食べ物も与えず一晩中彼をそのまま放っておいた。彼は思いきり日本軍を強い言葉でののしっていたが、翌朝、憲兵隊がむちを使って彼の背中を打ち始めると、それは泣き声とうめき声に変わった。それは一時間以上も続き、泣き声とうめき声はだんだん小さくなり最後にそれは止まった。彼は死んだけれども我々全員の前でつるされたままにしてあった。看守と我々への警告だったのだ。
 ある時は、1人の男の口からホースで水をそそぎこまれた。彼の胃が水でいっぱいになると、拷問者はその上で跳んだり座ったりした。彼は吐いて気を失った。毎朝、我々は重い靴音が独房に向かってくるのが聞こえると震え上がったものだ。それは尋問と拷問が始まる予兆であり、戻ってこない人もあった。我々は台湾人の職員が間をとりなしてくれることで救われた。私は刑務所内外で、日本人の真の姿を見た。親切さとお辞儀は薄いうわべでその下には獣が潜んでいると思った。連合軍の勝利でアジアは救われたのだ」
 日本人のこのような獣のような性格は46年3月18日から始まったダブルテンス裁判における、コリン・スレーマン中佐の厳しい話に要約できよう。
「この裁判全体は2つの単語で要約できる。口にできないほどの恐怖、である」
 しかし、戦争が終わって50年もたつのに、歴代の自民党政権政府は、そして主要政党の主だった指導者、学界、そして大半のメディアはこの悪魔の行いについては語ろうとしない。ドイツと違い、彼らは世代が過ぎていくことでこのような行いが忘れられ、彼らの行為の記述が埃をかぶった記録の中に埋もれ去られてしまうことを願っている。もし、これらの過去を隣人に対して認めないならば、人々はこうした恐怖が繰り返されることもありえると恐れるしかない。日本がようやく無条件で謝罪をしたのは、92年に非自民党政権の細川護熙首相が政権を握ったときがはじめてである。

戦慄すべき拷問である。のちに政府の閣僚を勤めるようになった、リム・キムサン氏が憲兵隊の戦慄すべき拷問を語っている。ここで拷問に従事している日本兵や憲兵たちはすでに人間ではないのであろう。その鬼のような拷問マシーンと化した日本人たちがシンガポールの人たちにした悪魔の行いは同盟国であったナチスでさえ、戦慄するであろう。第二次世界大戦時、日本人は人類史上最も愚かで、残虐非道な獣のような人種であったことを知るべきだと思う。日本人の下には、獣が潜んでいるということをリム・キムサン氏は感じたようだ。もちろん、内側には獣が潜んでいるのは日本人だけではなく、人類皆そうだと思う(人間が潜んでいる獣を発揮させた残虐事例は戦後も枚挙に遑がない)。ただし、内側に潜む獣を引き出すことにおいて、大日本帝国・日本軍の右にでるものは、過去においても、そして現在においてもいないと思う。そのことの事実を日本人一人ひとりは歴史教育によって知って反省すべき義務がある。過去に起こしたあの残虐行為の数々を認め、誠意のある謝罪と補償を行うことによって、二度と過ちと恐怖が繰り返されないことを保障し、シンガポールの人々、そして世界の人々の納得を得なければならない。ところがようやく、日本がようやく無条件で謝罪をしたのは1993年(本書の92年は間違い)細川護熙首相のときである。戦後48年たってからの話である。まだまだ、その道は険しいといわざるを得ない。  
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:38 | Comment(7) | TrackBack(125) | 書籍などにみる日帝悪および書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

南京虐殺題材の3映画を計画 中国で70年目を前に

南京虐殺題材の3映画を計画 中国で70年目を前に
http://www.asahi.com/international/update/0817/014.html
 旧日本軍による1937年の南京虐殺を題材にした3作の映画制作の計画が中国で進んでいる。来年は南京虐殺から70年を迎える節目の年だが、同じ題材による映画が3作同時に制作されるのは異例だ。1本は米英中3国の共同制作による映画で、来年12月の公開を目指しているといい、国際的にも関心を呼びそうだ。
 米英中による共作映画の仮題は「南京災禍(中国語名・南京浩劫)」。中国から制作に加わる国有企業系の江蘇省文化産業グループによると、米国の脚本家、ウィリアム・マグドナルド氏がすでに南京入りし、生存者らに取材するなどで脚本を執筆したという。伝統的な中国人家庭の母親と、実在した米国人教育家という女性2人の目を通じて南京虐殺を描いた物語とされる。
 制作費は3億元(約45億円)。監督や出演者の顔ぶれは公表されていないが、中国政府当局から撮影許可を得て、今年12月からロケ地となる南京で撮影を始める。同グループは昨年11月に米映画会社側から話が持ち込まれ、ハリウッド進出など商業性も考慮したうえで共作に応じたという。
 李向民(リー・シアンミン)・同グループ会長は「国際社会ではあまり知られていない南京大虐殺を多くに知らせたい。中国政府や中国人の立場に立つのではなく、歴史の事実に忠実につくられる」と話した。
 ほかの2作は、04年東京国際映画祭審査員特別賞を受賞した陸川(ルー・チョワン)監督による「中国戦回顧録(仮題)」と、香港のスタンリー・トン監督による「日記」。
 陸監督側の説明によると、「中国戦回顧録」は旧日本兵だった一人の老人が、上海上陸から南京虐殺までを振り返り、戦争がどのように人間を変えたのかを描く。現在、脚本を執筆中で、来年初めから撮影を始める予定。陸監督は「南京災禍」にも企画担当として加わり、江蘇省文化産業グループが陸監督の映画にも資金提供する。
 「日記」は、今年4月に当局から撮影許可を得ているという。中国メディアの報道では、南京虐殺当時の複数の日記を参考に日中戦争を描くとされ、年末から来年初めにかけて撮影開始という。

日本でも放映されるといいね。南京大虐殺は日本軍によって引き起こされた人類史上最大の惨禍だからね。陥落後の南京や上海から南京までの行軍路で日本軍によって行われたことは悪魔でさえ、驚愕するほどの人類史上例がないほどの目を覆いたくなる惨状だった。日本人が血塗られた鬼として、アジア・太平洋地域を蹂躙していた時代があったということをこの映画を通して知るべきだと思うね。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 19:37 | Comment(19) | TrackBack(79) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小泉ファシストの靖国参拝のために、日本は東アジアから孤立する?

【靖国】8月15日に懺悔ではなく参拝した小泉首相
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/16/20060816000010.html

 小泉純一郎首相が日本の終戦記念日に当たる15日、靖国神社を参拝し、再び韓国と中国の反発を呼んだ。日本の現職首相が終戦記念日に靖国神社を参拝するのは、1985年8月15日に当時の中曽根康弘首相が初めて公式参拝して以来、21年ぶりだ。

 小泉首相は参拝直後「職務として参拝したのではない」と主張したが、モーニングを着込み、公用車で「内閣総理大臣・小泉純一郎」と署名するなど、中曽根元首相の公式参拝と同じ形式を取った。

 小泉首相は「8月15日を避けても反発があるから今日は適切な日」「ブッシュ大統領が止めても行くだろう」と述べた。しかし政界消息筋では「次期首相が靖国神社を参拝しやすい環境を整えるため8月15日の参拝を強行した」とみられている。

 小泉首相の靖国神社参拝をめぐる賛否両論が加熱する中、反対する立場を表明してきた自民党の加藤紘一元幹事長(68)の自宅兼事務所が15日、放火と推定される火事で全焼するという事件が起きた。火事の当時、加藤議員は東京の事務所におり、自宅に住んでいる母親は外出していたため、人命の被害はなかった。警察は、火事直後に建物の近くで男が腹部から血を流して倒れているのを発見、身元などを調べている。

 韓国政府は同日、外交通商部の秋圭昊(チュ・ギュホ)報道官の名で発表した声明で「深い失望と憤りを表明する。国際社会の度重なる懸念や反対にもかかわらず、国粋主義的な姿勢で靖国神社を参拝することで韓日関係をぎくしゃくさせ、北東アジアの友好協力関係を損なってきたことを厳しく指摘する」と述べた。

 盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領はこれに関連し、光復節(8月15日=日本の植民地から解放されたことを祝う日)の祝辞で「地域平和や協力秩序を脅かす覇権主義に警戒しなければならない。日本の憲法改正論議を懸念するのも、このため」と述べた。盧大統領は「日本は憲法を改正する前に、過去について繰り返された謝罪を裏付ける行動で、二度とかつてのようなことは繰り返さないとはっきり証明しなければならない。独島(日本名竹島)、歴史教科書、靖国神社参拝、そして日本軍慰安婦問題の解決のための実質的な措置がその行動だ」と語った。

 中国も強い非難と抗議を表明した。中国外交部は声明で「中国は、日本の軍国主義による侵略戦争で被害を受けた国々の人民の感情を害し、中日関係の政治的基礎を破壊する行動に対し、強く抗議する」と述べた。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

安容均(アン・ヨンギュン)記者

朝鮮日報




【靖国】海外メディアも小泉首相の参拝を批判
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/17/20060817000017.html

 小泉首相の靖国神社参拝をめぐり、日本はもちろん米国やヨーロッパ、中国などのメディアが批判の声を高めている。小泉首相の参拝は国内の政治的動機から始まった行動で、日本が東アジアで孤立する可能性はさらに高まった、と指摘している。

 米国のニューヨーク・タイムズ紙は15日、「小泉首相は、第2次世界大戦の終戦記念日に靖国神社を参拝することで国内では政治的勝利を収めたものの、東アジアにおける日本の立場はさらに孤立する可能性を高めた」と分析した。

 ワシントン・ポスト紙も「小泉首相の今回の“挑発的”参拝は、これを『日本の軍国主義に対する美化』と批判してきたアジア諸国に対する“告別の辞”となった」と報じた。

 英国のインディペンデント紙は16日のコラムで、「ドイツのアンゲラ・メルケル首相が定期的に戦時のヒトラーの地下壕(ごう)を訪問した場合、英国をはじめとする世界各国がどのような不快感を抱くのか想像してみるべきだ」とし、「小泉首相は多くの日本人と同じく、自分の良心から都合の悪い真実を払い落とす道を選択した」と批判した。

 同紙は「今回の参拝は、自民党支持勢力の5分の1が第2次世界大戦に参戦した軍人と直接関係がある点を考慮した政治的決定だ」と分析した。

 中国の新華通信は、小泉首相は日本とアジアの関係史において「反面教師」になる、と批判した。人民日報も論評で、「最近ようやくぬくもりを取り戻そうとしていた中日関係に再び暗い影を落とした」と指摘した。

 日本の朝日新聞は、小泉首相の靖国神社参拝をめぐる「口実」を5項目にわたって取り上げ、靖国神社問題は「単なる意見の食い違い」ではなく、過去の侵略と植民地支配を日本の政治指導者たちがどのように受け止めるのかという歴史認識問題と直結している、と指摘した。

 また、オーストラリアの日刊紙エイジは小泉首相の行動により、「後任の首相は、日本が国際舞台でさらに大きな役目を果たす資格があるかどうかを批判的に見つめている国際社会を、再び納得させるところから出発せざるを得なくなった」と指摘した。

イ・チョルミン記者

朝鮮日報

あああ、日中・日韓関係だけではなく、東アジアとの関係も悪化し、日本が孤立するのか。靖国参拝は間違いなく人類への挑戦だった。一からやり直さないとだめだね。次の首相は大変だな。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 19:26 | Comment(21) | TrackBack(1) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小泉首相もナムヌの家に来れば靖国参拝を思いとどまるはず

「小泉首相もナムヌの家に来れば靖国参拝を思いとどまるはず」

元従軍慰安婦が住む施設「ナムヌの家」研究員の村山一兵さん
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/15/20060815000044.html

 「慰安婦という言葉を聞いたことがありますよね? でも当事者のおばあさんたちが当時どんな生活を送っていたのか、そしてすでに80歳を越えたその人たちが今、1人、2人と亡くなっていることをご存じですか?」

 今月8日、京幾道光州市の「日本軍慰安婦歴史館」を訪ねた。そこでは展示室を訪れた日本の大学生12人が講師の説明に耳を傾けていた。太平洋戦争当時の日本軍の蛮行が日本語で説明されると、あちこちで驚き混じりのため息が漏れた。

 ここで日本の暗い歴史を日本人に伝えるその講師は、日本人の青年だった。

 村山一兵さん(26)は今年の4月から日本軍の元従軍慰安婦が住む施設「ナムヌの家」で研究員として勤務している。「ナムヌの家」の付属施設である慰安婦歴史館で案内役を受け持ち、元慰安婦のおばあさんたちの証言を日本語に通訳している。

 「中国で暮らしていた元慰安婦のキム・スノクさんが韓国籍を取り戻したのは昨年12月のことなんです。慰安婦問題は60年前に起きた過去の事件でなく、現在も進行中の問題なのです」

 彼が韓国語で説明を付け加えると、その場にいた韓国人訪問客もうなずいた。

 村山さんは現在、ナムヌの家で元慰安婦のおばあさん9人、韓国人職員6人と一緒に暮らしている。この日本人青年が他の多くの日本列島に住む日本人たちとは違い、挺身隊問題について沈黙したり無視しない理由はなぜだろうか。

 法政大学で政治学を勉強した村山さんは2003年から1年間、延世大に交換留学し、慰安婦のおばあさんたちに出会った。

 それは2004年3月、友人らとともにナムヌの家でボランティア活動を行った時のことだ。

 「その時私は2度の驚きを覚えました。最初はおばあさんたちの証言に驚きました。次に一緒に行った韓国人学生と日本人学生の間に横たわる気まずい沈黙に驚きました」

 若者ですら歴史の真実について心を開いて話せない雰囲気に衝撃を受けたという。その時、村山さんは「日本人として何をすべきだろうか」と考えたという。

 村山さんは今年3月、「ナムヌの家に勤務していた日本人研究員が他の国に留学に行く」という話を聞くやいなや大学院進学の計画を中止し、荷物をまとめて韓国に渡ってきた。そうして歴史館の研究員になって5カ月が過ぎた。

 村山さんは「ひと月に慰安婦歴史館を訪れる500人余りのうち半数以上を日本人が占める」と話した。光復節(8月15日)にも日本人25人の予約が入っているという。

 そんな村山さんが母国の強情な指導者に対して抱いてきた願いを明かした。

 「靖国神社は国家ではなく戦争を讃える施設です。小泉首相がここを訪れ、戦争が残した傷跡を見れば、きっと靖国神社に行くのをやめるだろうと思います。いや、靖国神社そのものが必要のないものにさえ思えてくるのではないでしょうか」

パク・スチャン記者

朝鮮日報

すばらしい日本人青年がいるんですね。私も見習いたいと思います。「ナムヌの家」は日本人が一度は尋ねる義務がある施設だと思います。なぜならば、日本軍の人類史上最悪の人権蹂躙制度だである日本軍性奴隷制度の生き証人がいるからです。その日本軍性奴隷制度から生還した高齢のお婆ちゃんが集まって生活するというまさに生きた証拠でしょう。良識的な人間の心を持った日本人であれば、この動かぬ証拠を突きつけられて、過去の日本人が行っていたことを恥じて、自らの悪行のように自責の念を感じずにはいられないでしょう。小泉ファシストに、良識的な人間の心があるかどうかはわかりませんが(たぶんない)

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 19:16 | Comment(13) | TrackBack(0) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リー・クアンユー回顧録 ザ・シンガポール・ストーリー 小林利寿訳 日本経済新聞社 上巻・下巻 に見る日帝悪 part2 華僑粛清事件、シンガポールにおける慰安所など

part1の続き
part2では、シンガポールで最大規模の戦争犯罪である華僑粛清事件と従軍慰安婦問題、日本兵の非人間性、著者の祖父の悲劇、日本軍占領下のシンガポール庶民の生活というわけで、本書より引用していく。このエントリーの引用箇所もすべて上巻からである。
●華僑粛清事件
シンガポールで日本軍が行った蛮行の中で最大規模なのが、華僑粛清である。著者もあわや犠牲者となるところであった。本書より抜き出して生きたいと思う。
p38〜39より

 日本兵が我が家から立ち去ってまもなく、華人はすべて尋問を受けるためブサール通りの華人登録センターに集合するよう日本軍から命令が来た。近所の人が家族と一緒に出向くのを見て、私も行ったほうが賢明だと思った。家にいて憲兵隊に捕まると必ず罰があるからだ。私はテオンクーと集合場所に向かった。人力車の運転手寮にあるテオンクーの部屋は鉄条網で囲まれた境界線の中にあった。数万人の華人家族が小さな一区画に押し込められていた。すべてのチェック・ポイントでは憲兵隊が見張っていた。憲兵隊の周りには何人かの現地の人々や台湾人がいた。私は記憶していないが、彼らの多くが顔が分からないよう頭巾をかぶっていたとの話を聞いている。
 テオンクーの部屋に一泊した後、私は思いきってチェック・ポイントから出ようとしたが、憲兵隊は外出を許可しなかったばかりか、中に集められていた華人青年グループに加わるよう指示したのである。本能的に危険を感じた私は番兵に荷物を取りに部屋に戻る許可を求めるとそれは許可され、私はテオンクーの部屋で一日半を過ごした。それからもう一度同じチェック・ポイントから出ようとすると、理由ははっきりしないけれども許可が出たのである。私は左の上腕とシャツの前部に消えないインクを使ったゴムのスタンプが押された。漢字で「審査済み」のマークがあれば、私が当局のお墨付きをもらった証明だった。私はテオンクーと家まで歩いて帰った。私は本当に胸をなでおろした。
 人間の命や生死に関わる決定がこんなにきまぐれに安易になされるとは、私にはとても理解できることではない。私はマレー半島作戦を計画した辻政信大佐による反逆者一掃作戦からかろうじて逃れたのである。辻大佐は南方日本軍司令官である山下知之大将から中国大陸での抗日戦争へ資金協力したり、日本製品ボイコット運動に参加した華人を処罰する了解を得ていたのである。
 辻大佐にはもうひとつの任務があった。シンガポールの地域指導者が日本軍に抵抗するため組織した1000人以上の在外華人志願者の組織であるダルフォース対策である。ダルフォースは英国の諜報機関であるマラヤ特別諜報部のジョン・ダレイ大佐の指揮下で、あらゆる社会的立場の人、蒋介石の国民党や英国に釈放されたマラヤ共産党員などで構成されていた。武装した志願兵はオーストラリア部隊の側面に配置され日本軍と激しく戦った。多くが戦死したが日本側も同じだった。ダルフォースは伝説、そして勇気と同義語になっていた。
 2月18日。日本軍は18歳から50歳までのすべての華人男性は、尋問を受けるため5ヵ所の検査書に集まるよう通達を出し、拡声器を持った兵隊を動員した。憲兵隊は一軒一軒家を回り、出頭しなかった華人を銃剣で脅し収容所へ連れていった。女性や子供、老人に対してもそうだった。
 後にわかったことだが、私が抜け出したチェック・ポイントでいいかげんにより分けられていた人はビクトリア学校のグラウンドまで連行され22日まで拘禁されていた。彼らは後ろ手に縛られ、40、50台のバスでチャンギ刑務所に近いタナ・メラ・ベサールの砂浜に運ばれた。バスから降ろされると今度は海辺のほうへ強制的に歩かされ、日本兵が機関銃を発砲し虐殺した。彼らの死を確かめるため、死体は蹴られ、銃剣で突かれたりした。死体を埋葬しようとする気配はなく、砂浜で波に洗われている間に腐敗した。奇跡的に逃げられた何人かがこの身の毛のよだつ話を伝えた。
 日本も2月18日から22日までに6000人の華人青年を殺害したことを認めている。戦後、華人商工会議所がシグラブ、プンゴル、チャンギで大量の墓地を発見した。商工会議所の推定によれば大量殺害の被害者は5万人から10万人に達した。
 理屈のうえでは、天皇の軍隊はこのような行為を法と秩序の回復、反日抵抗運動を封じ込めるための処置だったと正当化できるかもしれない。しかし、これは完全な報復処置だった。戦闘の最中に起きたことではなく、シンガポールがすでに降伏したあと起こったことである。この後も地方部、とりわけ東部でも反逆者一掃作戦が展開され、数百人の華人が犠牲になった。全員が若い不屈の男たちだった。

(まず、人名の間違いを指摘しておく。南方日本軍司令官である山下知之大将としているが、山下奉文の間違い。華僑粛清事件当時、階級は中将である。)
著者は間一髪のところで難を逃れたのである。しかし、それも大変いい加減で理由はわからないが、部屋に戻る許可がでて、「審査済み」のマークをもらい、お墨付きももらって助かったわけである。しかし、著者は自分が助かったことについても批判している。なぜならば、人間の命や生死に関わることだからだ。その重大な決定が気まぐれに安易になされたとことについて批判している。日本軍側の言い分では、抗日分子がゲリラ戦を開始する準備が地下で進めており、掠奪も酷く軍の作戦を妨げている。したがって、軍政を実施する上で、脅威になるため抗日分子を一掃するというのがこの華僑粛清の目的であった。21日から23日までの日に集中して虐殺が行われた。トラックで砂浜や郊外等に運ばれ射殺された。大量の中国人を短期間で選別しなければならなかったために、その方法はきわめてずさんなものだった。大量殺戮はいかなる論理でも正当化できるものではないのである。
 後、虐殺人数について述べておく。当時の日本軍資料がないなどして確定できないところが多い。歩兵第9旅団長であり、シンガポール警備司令官に任ぜられ、山下軍司令官より華僑粛清の掃蕩作戦の命を受けた河村参郎少将の日記では「処分人数約5000人なり」と記されている。その5000人というのは、2月23日までの厳重処分(虐殺)された数。、戦後、東京で陸軍大臣のもとに作られた俘虜関係調査中央委員会の第四班(第25軍参謀だった杉田一次を責任者)がまとめた報告書では「三月末迄に厳重処断を受けたるもの約5000名なり」となっている。河村日記が根拠だと考えられている。もうひとつは約2万5000人という数字で、戦犯裁判における同盟通信社の記者で第25軍のマレー作戦に従軍し、2月16日にシンガポールに入った菱刈隆文の陳述書がその根拠。その陳述書より該当部分を抜粋すれば、「杉田大佐は私に5万人の中国人が殺されることになっていると話しました。これらの中国人は抗日分子、特に共産主義者とゲリラ活動の疑いのある者たちからなっている。・・・・・後に杉田大佐は私に、5万人全部を殺すことは不可能だとわかったけれでおおよそ半分は処置したと話しました。・・・・・・・私はこの虐殺について林少佐に話しました。彼もまた私に、5万人を殺す計画だったが、約半分を殺したときに虐殺をやめるようにとの命令が出されましたと言いました。」、したがって、5万人の約半分ということで2万5000人である。ただし、この証言の裏づけはとれていない。現在シンガポールでは4〜5万人が虐殺されたという説が有力であること。(裁かれた戦争犯罪、イギリスの対日戦犯裁判 岩波書店 林博史著のp209〜214を参考)。本書の「日本政府が6000人の華人青年を殺害したことを認めた」という部分についてはわからない。日本側の公文書(河村日記、俘虜関係調査中央委員会)は5000人と記しており、6000人ではない。本書により華人商工会議所によれば、5〜10万人であること。さまざまな数字がでてきたが、いずれの数字も決定的な裏づけがあるわけではない。ただし、シンガポール人が犠牲になったのは、初期の華僑粛清事件だけではなく、憲兵隊などによる市民の逮捕・拷問は3年半の日本軍政全時期を通して、行われており、泰麺鉄道建設による労務者狩りもあり、日本軍政全時期を通した犠牲者ということで考えれば、10万人という数字も過大なものではないと思う。

●リー・クアンユーが見た慰安所−シンガポールは南京にはならなかった
p40〜より

 降伏から2週間後、私は日本軍がケアンズ・ロードにあるタウン・ハウスの周辺に木の堀を立てたと聞いた。西ヨーロッパ人がシンガポールを離れたあと空き家となっていたもので、中産階級よりも上のクラスが保有していた邸宅街だった。私が自転車で通り過ぎると、堀の外側には蛇がくねるように並んだ日本兵の列が見えた。近所の人から、中には戦闘の前後に兵士にサービスするため従軍してきた日本と韓国の女性たちがいると聞いた。100人から200人の男たちが自分の番を待つため並んでいる光景は壮観だった。私はその日女性を見かけなかったが、近所の人によると告知板には中国語で「慰安所」と書いてあった。このような慰安所は中国ではすでに設けられていた。ついにシンガポールまで来たわけである。慰安所は少なくともその他に4ヵ所あった。私は自転車に乗って回り、タンジュン・カントン・ロードには最大の施設があったことを覚えている。20軒から30軒の邸宅が木の堀で取り囲まれていた。
 これを見て私は、日本軍はこのような問題に対して実用的、かつ現実的な処理の仕方をすると思った。英国軍とはまったく違うのである。私はフォート・カニング駐留の英国兵士を狙うウォタールー・ストリート周辺の売春婦たちを記憶している。日本軍の司令部は男性の性的要求を考慮して、手当をしているのだ。この結果レイプはそれほど頻繁には起きなかった。日本軍占領後の2週間、シンガポールの人々は日本軍が手荒なことをすると怯えていた。レイプは起きたけれども大半は郊外のことで、37年に南京で起きたようなことはなかった。これらの慰安所の存在でその説明がつくと思う。私は当時、日本軍が韓国人、中国人、フィリピン人を誘拐して中国や東南アジアの前線での兵士の要求を満たしていたとは知らなかった。彼らは将校用にオランダ人女性にもサービスさせていた。

一番意外だった部分である。著者は慰安所の存在を肯定しているとは思わない。シンガポールでも日本兵による強姦は起きた。しかし、慰安所があったため、強姦はそれほど頻繁ではなく発生件数も少なかっただろうと。100〜200人もの日本兵の列というのはすごいものがある。

水木しげるのラバウル戦記にみる日帝悪 従軍慰安婦、日本軍以外の捕虜など対する記述、現地住民などへの加害part2
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13479992.htmlによれば、水木しげる氏が、慰安所に並ぶ日本兵を目撃している。まるで、変態性欲剥き出しの好色なセックスアニマルではないか。過酷で非人間的な日本軍軍隊生活が兵士を非人間の野獣にしてしまったのであろう。中国戦線では、慰安所の開設は有効ではなく、慰安所設置後も日本兵の婦女への暴行、強姦などの鬼畜の振る舞いはやまなかったという。ただし、シンガポールでは違ったようだ。慰安所の設置で強姦が減った事例というべきだろう。少なくとも慰安所の外にいた女性の多くは日本兵の性暴力がから免れた。シンガポールの人々にとって、慰安所に長蛇の列をなす日本兵を見るのは「壮観」ですらあっただろう。慰安所の中にいた女性にとっては溜まったものではない。日本軍の慰安所政策について、著者は「実用的、かつ現実的な処理の仕方をすると思った」と感想を述べているが、ただし、著者は当時、そこにいた女性たちの多くが、「強制的に連れて来られた人たち」だとは思っていないようだ。後で知ったらしい。慰安所についての言及箇所は少なく、あまり著者は嫌悪感を抱いてはいないようである。私は日本軍の慰安所政策は女性の人権を踏みにじり、弄ぶ非道な戦争犯罪だと思っている。強姦事件の減少の有無にかかわらず、女性を兵士の性欲処理のための道具として扱い、逃げ出せない慰安所で日夜輪姦させるということが倫理的に許されていいはずはないのである。

●リー・クアンユーがみた日本兵の非人間性、日本への原爆投下の肯定
p40〜41より

 私のような日本兵を目のあたりにした世代は、戦闘では死まで覚悟する非人間的な態度を忘れることができない。彼らは死を恐れていなかった。敵を震え上がらせた彼らは、進軍するに当たってほとんど何も要しなかった。コメと醤油と干物を入れた小さな容器を構えていただけである。占領期間を通じて見慣れた光景といえば、野外での剣付き銃の訓練だった。兵士が麻袋の模擬敵兵を刺すときの雄叫びは血が固まるほどぞっとするものだった。もし英国が反攻しマレー半島からシンガポールへと南下していれば、大変な惨状になっただろう。
 私は日本兵を近くで見て戦争精神で敵にえば世界でも最強の部類に入ると思った。彼らは敵に対してジンギスカンと同じくらい過酷さを見せつけた。ジンギスカンとその大軍もこれ以上に無慈悲になれなかったろう。私は、広島と長崎の原爆投下が必要だったとする点では疑問を持っていない。原爆がなければ数十万人のマラヤやシンガポールの人々、そして数百万人の日本人も死んだだろう。
 どうして日本人はそのような戦闘的な兵士になったのだろう。日本人はそれを武士道と呼ぶ。侍の倫理であり、日本の精神である。私はそれを天皇崇拝の組織的教宣行為であり、すべてを支配できるという選民としての民族優越感だと考えている。日本人が天皇のために戦闘で死ぬことは天に昇り神になることであり、灰は東京の靖国神社に奉られるのである。

著者は、原爆投下を完全に肯定している。私にとっては、もちろん原爆投下に賛同するものではない。ただし、死を恐れずに突撃する血の気の多い鬼のような日本兵を目の前にしたのだから無理はないと思う。広島、長崎への原爆投下がなければ、日本軍は全滅するまで抵抗しつづけ、結果的により多くの日本人とマララやシンガポールの人々が死に絶えると考えていた。そのことの意味を深く日本人は考えなければならない。

●日本軍が行った"中世の罰則"
p41〜42より

 私が外出するときは市内にでかけた。私は家から2マイル歩いて学校の中古教科書を販売しているプラス・バザー・ロードの書店へ出かけた。途中、私はキャセイ・シネマの正面入り口近くに群集が集まっているのを見かけた。この映画館はかつて日本人をばかにした喜劇映画を見たところである。群衆に混じって私は華人の首が柱の上の板に置いてあるのを見た。そこの横には中国語で何かが書いてある。私は中国語が読めなかったが、だれかが「こんな目に遭わないための警告だ」と言った。この男は略奪行為に走り、打ち首にされた。軍令に従わない人間はこの華人男性と同じ方法で処分される、とある。私は日本人の恐ろしさを感じたけれども、同時に『ライフ』に載ればどんなに素晴らしい写真になるだろうかとも思った。アメリカの週刊雑誌社なら、シンガポールの最も近代的なビルディングとその前で行われた中世の罰則との対比をくっきり物語るこの写真に相当の金を払うだろうと思った。もっとも、カメラマンも多分、首をはねられた略奪者と同じ運命で終わるかもしれない。

たかが盗みで、打ち首にする通りにさらし首にするという、まさに"中世の刑罰"。日本軍の進歩は実際は中世どまりなのかな。断じて日本軍は近代軍ではない。ただし、著者の「同時に『ライフ』に載ればどんなに素晴らしい写真になるだろうか」、「アメリカの週刊雑誌社なら、シンガポールの最も近代的なビルディングとその前で行われた中世の罰則との対比をくっきり物語るこの写真に相当の金を払うだろうと思った」という感想は頂けないと思う。もし、私が人のさらし首なり、死体を見た場合、まず気が動転するであろう。数分の思考の空白があった後、110をして警察を呼ぶという行動を取る。間違っても、写真を撮って「フライデー」に売りつけようなどとは考えない。

●リー・クアンユーの祖父の悲劇
p43〜より

 私の祖父のリー・ホンレンは7月に病気の症状が悪化し、私が日本語学校を卒業した3週間後に他界した。その前、私は祖父が養女と住んでいたプラス・バサー・ロードを何度も訪ねた。祖父に会うのは本当につらかった。彼の病気が重いためだけではなく、祖父がよりどころにしていた世界、つまり英国と英国にまつわるすべてが崩壊してしまったからだ。英国の海軍、船長、規律、優越性などが見慣れない顔をした日本人によって粉砕されてしまったからだ。彼はなぜ風采の上がらない人間が背筋のしっかり伸びた英国将校をうち破ることができたのかどうしても理解できなかった。日本がどうやって英国が誇る軍艦プリンス・オブ・ウェールズとレパレスを撃沈し、英国艦隊を粉砕したのか、英空軍機を撃墜し、11万の兵力でシンガポールを2週間で包囲し13万人の英国軍を捕虜にできたのか。彼が昏睡状態になるにつれ私は、祖父は戦争が起きる前に死んでいればよかったのに、と思わざるをえなかった。

著者の祖父は悲劇だったと思う。なぜ、野蛮な日本軍が英国軍をあっさりと打ち破ることができたのか。それは簡単な話である。本書は日本軍の快進撃を美化しすぎだと思うが、シンガポールを含め、短期間に広大な地域を占領し、欧米勢力を駆逐することができたのか。いろんな理由があるが、一番決定的なのは、この時期の英米の目がナチス・ドイツの打倒に向けられており、アジア方面ではなかった。ナチス・ドイツの打倒に見通しがついたあとにするという方針だったのであり、対日対策は後出に回ったためである。ヨーロッパ戦線に優先的に必要な資材・兵器・人員が回された。こうした理由から、またたくまに英軍を破り、シンガポールを短期間で陥落させた大きな理由である。それでも野蛮で血塗られた獣の集団が、紳士の英国を打ち破ったことは多くのシンガポールの人々にとって衝撃的だったのに違いはない。

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posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 01:30 | Comment(11) | TrackBack(50) | 書籍などにみる日帝悪および書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リー・クアンユー回顧録 ザ・シンガポール・ストーリー 小林利寿訳 日本経済新聞社 上巻・下巻 に見る日帝悪 part1

リー・クアンユー回顧録 ザ・シンガポールストーリー 小林利寿訳 日本経済新聞社を読みました(ずいぶん前の話ですが)。本書は上下巻に分かれており、上巻はリー・クアンユーの正午から、マレーシアから分離独立しシンガポールがひとつの独立国家になる1965年8月9日までの42年間、下巻は独立から現代までを描いている。そこに書かれていたことは、まさにシンガポールの歴史そのもので、リー・クアンユーという一人の政治家の成長を通して、シンガポールの発展過程が描かれている。シンガポールのおかれた国際情勢を知る上でいい教科書だと思います。シンガポールは、大英帝国は世界をまたぐ海洋国家の中継貿易港を起源とする人工国家であった。国家の発展を考える場合、シンガポールは多くの民族・人種が混じり合ったカオスのような国家である。そんな国家を引っ張ってきたリー・クアンユー氏は尊敬に値すると思う。英国植民地下で英国流の価値観を身につけ、英国留学時代に独立闘争に目覚め、帰国後は弁護士活動を通じて、社会の実態を知り、政治の世界に入ってからは共産主義勢力に、党運営の方法、政治の駆け引き、国民の統率手法などを学んでいる。長々とした脱線はここまでにしておいて、本題の日帝悪に入ろうと思う。リー・クアンユー氏は幼少のころ、悲惨な日本軍占領時代を過ごした。
シンガポールには、鞭打ちの刑がある。些細な違反でも厳しい刑罰が課されるのである。シンガポールの刑罰は非常に厳しいが、そのルーツがリー・クアンユー氏が幼少のころの日本軍占領時代にあることはご存知であろうか。そういうことを含めて、この本に書かれている日本軍の蛮行に関わる部分を抜き出していきたいと思います。日本軍の侵略については、本書の上巻の第3章 日本の侵略より(P27〜60)に書かれています。(このエントリーはすべて上巻より引用)


●日本軍侵攻前夜

リー・クアンユー氏(以下著者とする)は、ケンリッジ上級試験で最優秀の成績を収めた者に授与されるアンダーソン奨学金を受け、シンガポールのラッフルズ・カレッジに入学しました。学園生活を送っていましたが、1941年12月8日の早朝4時に寄宿舎で眠っているとき、鈍い爆発音で目を覚まします。そのときが、著者にとっての、アジア・太平洋戦争の始まりでしょう。学校の授業は停止されて、著者は医療補助隊に志願します。日本軍は英国の防衛ラインをやすやすと突破し、シンガポールの対岸であるジョホールまで迫ってきました。日本軍は昼となく、夜となくシンガポールを爆撃していたという。著者の父にも退避命令が出され、日本軍と対峙することになったオーストラリア兵は怯えていた。

p30〜31より引用する。

 こんな暗い時期ではあったが、私は医療補助隊が非番のときに何回か映画を見に行った。数時間、映画を見ることで暗い先行きを忘れることができたのである。一月下旬のある日、私はキャセイ・シネマで喜劇を見ていた。ある場面でひとつの爆弾が小さな音とともに遠くに落ちた。不発弾である。不発弾を開くと「日本製」の印が出てきた。私はおかしな気がした。過去2ヶ月の間、シンガポールは日本軍の圧倒的な空襲と砲撃を経験したのである。それなのに私が見ている映画は、日本人はがに股で、まっすぐに砲撃したり、嵐に耐えうる船は建造できず、製造できるのは性能の悪い兵器だけ、と日本人をばかにしたものだった。不幸なことに事実はその反対だった。12月8日以来、日本軍は勇気、力、そして英国軍に対してめざましい軍事的能力を証明してみせたのである。後に戦時中の首相だったウィンストン・チャーチルはシンガポールの陥落についてこう書いた。「英国史上、最悪の災難であり最大の陥落だった」。
 2月10日には英国軍が撤退したときに、軍隊がカレッジを接取した。その2日後には医療補助隊も解散した。最初、私はノーフォーク・ロードに住んでいたが砲撃が近づくにつれテロック・クラウに住む家族に合流した。その後の数日間、遠くで聞こえていたライフルの音が次第に多くなり近づいてきた。重火器や砲撃、爆撃音は聞こえなかった。好奇心から私は友達、漁師の子供たちとともにいつも一緒に遊んでいる集落につながる裏門から出ていった。20ヤードほど歩いて、私は英国軍の緑と茶色い制服とは違う焦げ茶色の制服姿の人間に会った。ゲートルを巻き、親指とその他の指が分かれたゴム底の靴を履いている。滑りやすい土地ではそのほうが土をつかみやすいと知ったのは後のことだった。しかも首の後ろに布垂れが下がった帽子をかぶっている。風変わりで小柄で長い剣先のついた銃を持っている。彼らは決して忘れることのできない異様なにおいを放っていた。マレー半島の北部のコタ・バルからシンガポールまでジャングルやプランテーションの道を2ヶ月間、体を洗うことなく戦闘してきた兵士たちのにおいだった。
 彼らがだれか気がつくまで数秒もかからなかった。日本兵だ。私は真っ青になった。彼らは敵の捜索中だった。私が日本兵の敵兵でないことは間違いない。日本兵は私を無視して行ってしまった。私はすぐに家に飛んで帰ると、家族にいま見てきたことを話して聞かせた。自分たちを守るためにどれほど意味があるか知らなかったが、我々は家の窓や戸を全部閉めきった。中国での37年の残虐行為のあと、レイプと略奪は日本軍があおった恐怖の中で
最も恐れられていたことである。しかし、その日の昼間と夜は何も起こらなかった。英軍は市街中心部まで急速に撤退し、戦闘で大きな抵抗を示さなかった。

この文より、イギリス側は日本軍の力をかなり見くびっていたことを示している。皮肉にもあっさりと日本軍の力を前に敗退し、白人神話はことごとく打ち崩れることになるのである。その後、著者は日本兵を目撃する。風呂にも入っていない、なんともいえない異様な姿に、シンガポールの人々は恐怖するであろう。南京・上海の中国戦線おける残虐行為はすでにシンガポールの人々に知れ渡っており、レイプや略奪の恐怖に苛まされたという。日本兵の異様な姿がいっそうその恐怖を煽り立てたことは間違いない。ただし、南京と異なりシンガポールでは陥落前後に日本兵の強姦などによる大きな不祥事はなかった。シンガポールを攻略した第25軍は南京のような日本兵による略奪や強姦などの不祥事が起こることを恐れて、陥落直後に市街地に戦闘部隊を入れないという措置を講じたりしたからだ。南京での経験があったからこそ、南京のような悲劇が免れたといえる。
p31〜32より
 翌2月15日。この日は中国人のお祭りの中で最大の春節である。いつもなら新しい服を着て、昔ながらの菓子や食べ物を食べて祝う日である。それが今年は中国人が1918年にシンガポールに移住を始めて以来、最も暗い春節となった。市街の北部や周辺地区では戦闘の音が聞こえた。砲撃の音も遠くに聞こえた。テロック・タラウでは何も起きていなかったが、日本軍はもう市街地に入り込んできたのである。
 夜になって銃声が聞こえなくなった。まもなく、英国軍が降伏したとのニュースが広まった。翌日、市街地から戻った友人によると、すでに略奪が始まっているらしい。英国人をはじめヨーロッパ人の邸宅で、彼らが雇っていた運転手や庭師が略奪をしているという。我々一家も不安になった。長期間をしのぐために食糧や生活必需品が貯蔵してあるノーフォーク・ロード28番地はどうなっているのだろう。母の了解を得て、私は庭師のテオンクーを連れてテロック・クラウから8マイルほどのノーフォークへと歩いて戻った。ちょうど2時間かかった。途中でマレー人たちが大きな家から家具や道具類を運びだしているのが見えた。華人の略奪者は倉庫にあるかさばらなくて値打ちの高いものを狙っていた。我々の家から二軒向こうの荒れ果てた平屋は20人ほどのジャワ海から来たボヤニーズの家族たちに占拠されていた。男たちの仕事は運転手だった。しかし、彼らはまだ我々のところまではやってこなかった。敵性収容所に集合して空き家となった西ヨーロッパが持つ大きい家のほうが、より上等なものが手に入るからだ。頃合いをみて私は家に戻った。
 私がノーフォークから2時間ほどかけてテロック・クラウに戻る途中、法と秩序が仮死状態になったシンガポールを目撃した。英国軍は降伏した。中国人やインド人警察幹部やマレー人警官の姿はどこかへ見えなくなった。日本軍から英国軍の組織員と思われることを恐れたのである。市内では依然、日本兵の姿は見えなかった。
 しかし、いつもとは違い多くの人々は法律に従った。しかしこれまでのボスがいなくなったことで機会に乗じ倉庫や百貨店、英国人所有の商店から略奪するつわものもいた。この略奪行為は日本軍が秩序を回復するまで数日間にわたり続いたが、日本軍は略奪者の集団を射殺し、首をはねて主要な橋や交差点にみせしめにしたので終結した。日本軍は人々の心に恐怖心を植えつけたのである。

 シンガポールは機能不全に陥り、無法地帯となり略奪が行われた。それは、権力の空白期間にあるとき、よくあることである。英国人などヨーロッパ人の邸宅が略奪され、英国統治機構が崩壊したことはひとつの時代を終わりを象徴する出来事であろう。さらにいえば、シンガポールの人々を苦しめ、過酷な日本軍占領時代の始まりを意味していた。シンガポールの人々を恐怖に陥れることになる。略奪が広範囲に行われており、秩序回復のために日本軍がとった手段は、略奪者の集団を捕らえるのではなく、問答無用で射殺し、首をはねて主要な橋や交差点に見せしめにすることであった。シンガポールの人々は、さっそく無慈悲な武装集団である日本軍を目の前に恐怖に慄くことになるのであった。のちに、著者に"中世の罰則"と評される光景である。  

●日本軍の略奪行為
p32〜より

 日本軍も略奪行為を働いた。日本の支配が始まった最初の数日間は、通りで万年筆や腕時計を持っていた人は日本兵にすぐに取り上げられた。兵士たちは公式の捜査で、あるいはそう装って家に押し入り、個人的に着服できるものを奪っていった。日本兵は高級な自転車を取り上げたが、数週間でそれは止まった。日本兵のシンガポール滞在時間は短く、より広大な領地を獲得するためにジャワ島やその他の島々へ向かい、自転車は持っていけなかったのである。

略奪者を問答無用で射殺し、首をはねて見せしめにしているくせに、自分たちは支配者として横暴を振る舞い、容赦なく市民から略奪しているのだ。どうしようもない軍隊である。  

●英国が敗北した意味
p33〜35より

 ・・・・・・ラッフルズが1819年にシンガポールを東インド会社の貿易拠点として開発して以来、アジア人より白人のほうが優れているという白人の優越性が問われたことはなかったのだ。なぜそうなったのか私は知らないが、少なくとも私が学校に入るころには、英国人は最大のボスであり、他の白人たちもボスだった。大きい人もいたし小さい人もいたが、いずれにしろ白人が我々のボスだった。白人の数はそれほど多くなく8000人ぐらいだった。白人はいい暮らしをし、アジア人とは違う離れた場所に住んでいた。政府の役人は高級住宅街の大きな住宅に自動車や召使い付きで住んでいたし、
食物は肉や牛乳がたっぷりで一クラス上だった。英国人は3年ごとに3ヶ月から6ヶ月の間、シンガポールの熱帯気候で消耗した体をいやすため英国に一時帰国した。子供たちも教育のため帰国した。子供たちも現地人とは一クラス違う生活をしていたのだ。
 ラッフルズ・カレッジの教師は全員が白人だった。物理と化学で最も優秀な成績を収めた2人の現地人卒業者が実験助手として登用されていたが給料は少なく、このポストを得るのにもロンドン外国理学士の学位を取得しなければならなかった。(略)
 我々には白人に対する恨みなどの問題はまったくなかった。政府や社会における英国人の優越的な地位は単なる世の中の事実だったにすぎない。英国人は結局のところ世界で最も偉大な人たちだったのである。彼らは史上最大の帝國を築き上げ、領土は4つの海と5つの大陸にまたがっていた。我々はこれを学校で歴史の授業で学んだ。英国人はシンガポールを統治するために定期的に交代する数百人の兵士を配備するだけで十分だった。最も目立ったのは市の中心部に近いフォート・カニングに駐屯していた兵士たちである。シンガポールなど海峡居留区とマレー各州に住む6,700万人のアジア人を支配するのにも、全部合わせて2000人ほどの兵士もいなかったのだ。
 英国はマレー人を守るため必要とされているとマラヤで自分たちの立場を正当化してきた。英国がいないと、マレー人はもっとよく働く華人などの移住者にやられてしまうからだった。多くの中国人、インド人が労働力として連れてこられた。マレー人は商業や農園経済が必要とするゴム液採取、道路や橋の建設などの仕事、また、社員や会計担当、店員などとして働くことになじまなかったからである。
 ごく限られた数であったけれども、白人のボスと社会的に交流することが許されたアジア人もいた。彼らは総督の補佐機関や立法機関の非公式メンバーに任命された。白い手袋を着け、最高の正装をした夫人とともに総督公邸のガーデン・パーティ、時には晩餐会に出席し総督夫妻に恭しく挨拶するアジア人有力者がよく新聞の写真に登場したものである。ナイト(侯爵)の称号を得た人もあった。そこまでいかなくても多くの現地人は仕事を長く勤め上げ、白人から栄誉を与えられることを願っていた。彼らは白人高官にひいきにされるのと引き換えに白人より格下の地位を受け入れた。これらアジア人は自分たちが他のアジア人よりも一段格上の人間だと思っていたのである。一方で、英国人であろうと他のヨーロッパ人やアメリカ人であろうと、行動に誤りがあると見なされた白人は即刻、シンガポールから追い出された。白人の優越性に疑問が生じることがあってはならず、そうした白人は白人社会全体の品位を汚すと考えられたからだ。
 私は両親や祖父から英国の優越性を前提とした社会を自然のこととして受け入れるような教育を受けて育った。私の記憶では、言葉であろうと行動であろうと、白人の優越性に疑問を差しはさんだ現地人はいない。英語による教育を受けたアジア人で、英国人と平等の地位を求めて、毅然と闘う人はいなかった。一方で私は中国でしか教育を受けていない華人たちが、実は英国植民地支配の内側には組み込まれず、その枠外にいたことも知らなかった。中国から派遣された教師も白人の優越性を受け入れていなかった。大英帝国の美徳や使命を受け入れるように教育を受けていなければ、吹き込まれていなかったからである。私は戦争が終わってからこうした華人の実態を深く知ることになる。
 以上、述べてきたことが、13万の英国兵、インド兵、オーストラリア兵を向こうに回し、日本が11万の兵力を動員して攻撃し獲得したマラヤとシンガポールの実情だった。人々が驚き、動転し、それに愚かさが入り交じった70日間で、シンガポールの英国植民地社会は、英国人が優秀だという虚構とともに吹き飛んだのである。アジア人は砲撃が始まるとうろたえると思われていたが、実際には冷静で犠牲を受け入れ死んでいった。これとは対照的に日本軍の爆撃や砲撃が始まると、まっさきにテーブルの下に潜り込んだのは白人のボスたちだった。41年12月16日、暗闇の中、アジア人を見捨ててペナン島からシンガポールへ脱出したのは白人公務員や民間人だった。英国軍は壊せるものは何でも破壊して退却していった。英国人は病院、公共建物をはじめ重要な施設は無人のまま放置したのだった。火事を消す消防士もいなければ水道を管理する役人もいない。責任がある立場の白人はみんな逃げた。自分たちだけは無事に逃げようとあわてふためく白人を見て、アジア人たちは白人が利己主義で臆病なことを見てとったのである。このような話の多くは明らかに誇張されておりバランスはとれていなかったとしても、事柄の本質はその中にあった。アジア人は白人のリーダーシップに期待していたけれど、白人にはその期待に応える力はなかったのだ。

シンガポールの人々にとって、英国とは何だったのだろうか。間違いなく、アジアの人々の上に君臨していたのは、英国人であったのである。英国人をはじめとする白人と現地の人々との差別も間違いなく存在した。ただし、リー・クアンユー氏が言うように、現地の人々は白人の優越性に疑問を挟むことはなく、ごく自然に受け入れていたのである。大日本帝国の植民地の朝鮮や台湾では、日本人が優越民族として君臨し、天皇の名の下に、植民地の人々を力でもって踏みにじっていたのである。フランスのインドシナ、オランダのインドネシアにしても、大日本帝国の植民地ほどではないが、白人による力による抑圧があり、独立運動が存在した。英国は非常にソフトであり、植民地統治機構の枠外でうまく調和させて厳然たる白人優越社会をつくってきたのであろう。英国を打ち破り、快進撃を続ける日本軍によって、その白人優越社会は破られることになる。
p35より
 白人は生まれながらに優秀であるという優秀神話をうち立てることに成功したので、多くのアジア人は英国人に刃向かうことなど現実的ではないと思い込んでいた。しかし、アジアの一民族である日本人が英国人に挑戦し、白人神話をうち砕いてしまったのである。ところが日本人は我々に対しても征服者として君臨し、英国よりも残忍で常軌を逸し、悪意に満ちていることを示した。日本の占領の3年半、私は日本兵が人々を苦しめたり殴ったりするたびに、シンガポールが英国の保護下にあればよかったと思ったものである。
 同じアジア人として我々は日本人に幻滅した。日本人は、日本人より文明が低く民族的に劣ると見なしているアジア人と一緒に思われることを嫌っていたのである。日本人は天照大神の子孫で、選ばれた民族であり遅れた中国人やインド人、マレー人と自分は違うと考えていたのである。

●新たな支配者の横暴
英国を打ち破って、シンガポールの人々の世界観を根底から覆した日本軍。しかし、新たに君臨した征服者は、英国よりもはるかに残虐で、アジアの人々を蔑み、当時の日本人にとって、中国人やインド人、マレー人は野良犬や虫けらと、少しも違う存在でもなかったわけである。結局、著者をはじめシンガポール人は幻滅することになる。
p36〜
 私が日本兵と初めて接触したのは、カンポン・ジャワ・ロードに住む母の妹の家に行く途中だった。ブキット・ティマ運河にかかるレッド・ブリッジを渡ろうとすると、たもとに歩哨が行ったり来たりしていた。周りに4,5人の日本兵が座っていた。分遣隊の隊員だったのだろう。私はオーストラリア兵が捨てた広い緑の帽子をかぶっていた。暑い日差しをよけるために拾ったものである。
 私はできるだけ目立たないように日本兵の脇を通り過ぎようとすると、1人の兵士が「これこれ」と言いながら私に手招きをした。近づくと、その兵士はいきなり剣付き銃の先でその帽子をはねのけ、平手打ちをし私に跪くよう仕草をしてみせた。私が起き上がると日本兵は私が来た道を戻るように指図した。それでも私の場合は軽くすんだほうである。新しい支配者である日本人の礼儀を知らなかったり、日本軍歩哨の前で敬礼しない者は炎天下で何時間も座らされ、頭の上で重い石を持たされたりした。
 ある日の午後、ノーフォーク・ロードの自宅のベランダに座っていると一人の日本人兵士が人力車夫に金を支払っているところが見えた。日本兵は少し多く払ってほしいと抗議する運転手の右腕をねじり、柔道技で空へ投げ上げられてしまったのだ。人力車夫は顔から真っ逆さまに落ちた。しばらくして人力車夫は起き上がったが人力車のそばでよろよろとふらついていた。あまりの仕打ちに私はショックを受けた。
 翌日、私はレッド・ブリッジで別の教訓を学ぶことになる。新たに徴発された車が青い旗をつけて走っていた。この手の旗といえば黄色は大将、赤は少将から大佐クラス、そして青は中佐から大尉クラスで一番下だ。ところが歩哨兵が持ち場で敬礼に立つのが遅かった。車は通りすぎたが、運転手がブレーキをかけ逆進した。将校が車から降りると歩哨兵に近づくなりきつく平手打ちを3回かました。右腕をつかむと、人力車夫にしたのと同じように歩哨兵を投げ飛ばした。私は今度は、それほど驚かなかった。粗暴なやりかたは日本の軍隊組織が持つシステムのひとつであり、ささいな違反行為に対する制裁を通じて日本兵の身に染み込んでいくと理解し始めたのである。

日本軍から暴力やリンチをとってしまったら何も残らないほど、日本軍には暴力体質が染み付いている。日本軍は暴力が支配する異常な軍隊である。軍隊に入ってまだ間もない初年兵が、下士官や上等兵から訳の分からぬ言掛りをつけられてビンタをくらわされるという。それを私的制裁という。軍帽の被り方が悪い、やれ動作が鈍い、返事の仕方が悪い、敬礼をしなかった、敬礼が遅れたなどといって、殴る、蹴る、平手打ちをする、炎天下の中で何時間も座らせるような制裁を階級もしくは年功序列が上の者が下の者に対し行う。それが順々と繰り返されて続いていく。日本軍の場合は、日本軍の規則を外部の人に対しても強制する。この場合、シンガポールの住民である。日本軍の規則や日本人の礼儀など、シンガポールの人々は知るわけもない。それを強制されるシンガポールの人々はたまったものではない。何回もいうように、日本軍というのは、兵士にはもちろん、枠外の占領地の市民にさえも、がんじがらめの規則と厳しい罰則と、そして服従の強制を強いるとんでもない軍隊であるというのがわかってもらえたと思います。
p36〜37
 その日の夜、日本軍下士官が数人の兵士とともに我が家にやってきた。家をひとわたり見回して私とテオンターしかいないことがわかると、彼らは我が家を一時、宿泊することを決めたようだ。これが私の悪夢の始まりだった。私はプレス・バサー・ロードにあった日本人歯科医院で治療を受けていたことがある。医者と看護婦は完璧なまでにきちんと清潔にしていた。ミドル・ロードにある日本人の安売り10セントショップの日本人店員も男性、女性とも同様に清潔だった。私は衣類を洗濯せず、風呂にも入っていない日本兵が放つ吐き気がするにおいには我慢できなかった。彼らは室内や敷地を歩き回った。彼らは食糧を探しており、私の母が蓄えた予備食料を見つけ、食べたいものは食べてしまった。私は言葉が違う日本兵とは話すことができなかった。彼らは仕草や指図で自分たちの要求を伝えた。私が日本兵の要求を理解できずにいると、怒鳴られ何度も平手打ちを食らった。彼らは理解し難い人間だった。ひげも剃らず、髪もとかさず、聞くに耐えない攻撃的な口ぶりだった。私は心の底から恐怖にさいなまれ、夜も何度も目が覚めたりした。地獄のような3日間の後に彼らは立ち去った。
 日本兵が私の家を仮の宿泊にしている間の2月17日から2日間、連合軍兵士は重い足取りで家の前を通りレッド・ブリッジを渡って収容施設のあるチャンギへと連行されていった。ベランダに座って彼らを見つめていた私の心は鉛のように重かった。多くの兵隊たちはいともたやすく、そして決定的に打ち負かされたことで、途方にくれた表情をしていた。降伏した兵士の姿は哀しい。

 シンガポール陥落当時といえば、職業軍人ではない限り、徴兵されてからそれほど期間はたっていないはずである。日本軍の暴力漬けの過酷な軍隊生活というのが、人間性を壊すのかというのを示している。当時の日本兵は風呂も入っていない、垢だらけの服装で、吐き気をする匂いを放ちながら、人様の家に土足で上がりこみ、口汚く罵倒し、誰彼なしに殴り、片っ端から食糧をあさり、およそ気品のかけらもない凶暴で下品な人種であった。これほどまでに人間性を崩壊させて、非人間性を叩き込んだ日本軍という存在を憎く思う。  
part2では、占領後行われた華僑粛清事件の様相と著者が見た慰安所、日本軍の非人間性、著者の祖父の悲劇、日本軍占領下のシンガポールの庶民の生活の様相について書く。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:26 | Comment(10) | TrackBack(44) | 書籍などにみる日帝悪および書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月18日

Irregular Expression の記事を嗤う

分祀でも靖国参拝容認せず 韓国政府が内部確認  2006/08/17 02:25
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060817&j=0026&k=200608173998&ref=rs
 【ソウル16日共同】韓国の聯合ニュースは16日、小泉純一郎首相ら日本の政治家の靖国神社参拝問題について、A級戦犯が分祀(ぶんし)されても参拝は容認できず、問題解決とはならないとの考えを韓国政府が内部で確認したと伝えた。  韓国政府は15日の小泉首相の靖国参拝に対し「A級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社」との表現で非難したが、今後は靖国神社自体が「侵略戦争を正当化する」施設であるとの判断に基づき、靖国問題に対応していく姿勢を示したといえる。
 韓国の青瓦台(大統領官邸)関係者は聯合ニュースに対し、靖国神社内の「軍事博物館」である遊就館は軍国主義を美化する施設と指摘。分祀した後に政治家らが参拝しても容認できないとし「靖国問題はA級戦犯の分祀では解決できない」と言明した。
を読んでもらいたい。 Irregular Expressionの記事について、ケチをつけてみることにする。今日はめんどくさいので論破というレベルまでは達しないだろうが。

韓国「A級戦犯分祀でも靖国参拝容認せず」
http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/200608171317.htmlという記事についてである。
韓国は靖国神社を解体しろとでも言いたいのか。
それは被害国の感情として当たり前だと思うが。今まで存在していること自体がおかしいんとちゃうか?
 
ここで中国韓国を怒らせないようにとA級戦犯を分祀しても次は「遊就館を展示内容を変更せよ」だの次々とエスカレートした難癖をつけ続ける事がハッキリしたじゃねえか
 
自分が一人の日本人として、加害の歴史を反省を微塵も感じさせないイラつくセリフだ。前々から、A級戦犯の分祀有無に関係なく、靖国神社の歴史といまだに、遊就館に代表されるように、過去の戦争を美化している施設だから、首相の参拝に反対するということがA級戦犯分祀が叫ばれる前から言われてきたことだ。A級戦犯分祀という課題がすめば、当然遊就館の展示内容を変更する。そして、靖国神社自らの戦争・侵略加害責任を謝罪せよというところまで行く。日本はアジア・太平洋地域にとって加害者の国だったという過去の歴史事実を忘れてないか?日本人として生きていく上でもっとも大切なことだ。過去の侵略・戦争加害歴史問題に対する近隣諸国の課題は、日本は加害者の国であったので、紳士に取り組むべき義務があるはずだ。この課題がすめば、次の段階の課題がでてきて、これも紳士に取り組む。そうやって、近隣の大日本帝国の被害国だった地域からの侵略・戦争加害歴史の課題を自らの糧とし、取り組むことでそうやって日本は前進が続けられる。近隣諸国からも信頼が得られる。すばらしいことではないか?それを「次々とエスカレートしていく難癖をつけ続ける」とは、なんだ!?恥を知れ、小泉マンセーブログ右翼野郎!
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:13 | Comment(11) | TrackBack(84) | ネット上の右翼サイト、ブログをけなすコーナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お笑い「愛国心」アンケート!「自分の国が侵略を始めたらどうするか」by九郎政宗氏

 以下転載

▼九郎政宗@CLick for Anti Warです。
http://d.hatena.ne.jp/claw/

▼ただいま、ネットのあちこちに以下のような世論調査アンケートをばらまいています。アンケートの質問文を作るのって面白いですね。それによってマスコミなどでは隠蔽されている論点をさらけ出すことができるから。

マジメに回答したいという人は、
http://d.hatena.ne.jp/claw/20060817のコメント欄までどうぞ。


(引用開始)

勝手に緊急世論調査!

▼あなたの国の政府が、他国に対する侵略戦争を開始したと仮定してください。
あるいは、あなたの国の政府が、他の国による侵略戦争を支援していると仮定してください。(例:アメリカのイラク侵略戦争)
あなたはどうしますか。

(1)侵略戦争は支持できないので、政府に対して反対の意思表示をする。
(2)侵略戦争を支持するので、政府に対して賛成の意思表示だけする。
(3)軍隊などに志願して侵略戦争に参加し、国のために戦う。
(4)わからない。


・・・JAWAY氏は何か勘違いをしているようですが、

アメリカのイラク侵略戦争に加担したのはベトナムでも中国でもなくわが祖国・日本です。自分自身の戦争責任についてもたまには考えてみたほうがいいと思います。

アルカイダとも大量破壊兵器とも911とも無関係だったイラクへの攻撃を、「侵略戦争とみなさない」というのであれば、中国・ベトナムを嘲笑する資格はないのではないでしょうか(@∀@)


posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:51 | Comment(5) | TrackBack(0) | お知らせ および メーリングリスト関連総合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロシア国境警備隊、日本漁船を銃撃

事実関係がわからないが。
<漁船拿捕>乗組員死亡認める ロシア連邦保安局
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060816-00000050-mai-int
 
 【モスクワ杉尾直哉】タス通信によると、ロシア連邦保安局サハリン国境沿岸警備局当局者は16日、日本の漁船を拿捕、乗組員1人が死亡したと認めた。漁船の識別番号は「123―174」で、「第31吉進丸」とみられる。ロシア沿岸警備隊が水晶島近くで同漁船を発見、検査しようとしたところ逃走したため警告発砲したという。だが、「死因は不明」と銃撃との関係は認めていない。
 同当局者によると、警備隊は無線や光の信号で停止を命じたが、応じなかったため、カラシニコフ銃で警告発砲したという。停止した漁船の乗組員4人のうち1人が死亡していたが、船体に銃弾の跡はなかったという。漁船は国後島の古釜布(ふる・かま・っぷ)に連行され、現地で国境警備当局や検察当局の調べを受ける予定という。
 同当局者によると、漁船は逃走中、船からカニやタコを捨てていたという。インタファクス通信はサハリン国境沿岸警備局の話として「乗組員は5人でうち1人が死亡。拿捕船からはタコ10キロ、カニ30キロ、カニかご25個が発見された」と伝えた。同通信によると、漁船は発見された時、暗闇の中ですべての明かりを消していたという。乗組員でロシア語を理解する者はいないという。  
(毎日新聞) - 8月16日13時8分更新
<露漁船銃撃>当局、船長取り調べ 「流れ弾の可能性も」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060817-00000009-mai-soci
 
【モスクワ杉尾直哉】北方領土・貝殻島付近の海域で16日未明、北海道根室市の根室湾中部漁協所属のカニかご漁船「第31吉進(きっしん)丸」=坂下登船長(59)、4・9トン=がロシア国境警備庁の警備艇に銃撃され、乗組員4人のうち根室市千島町、甲板員、盛田光広さん(35)が死亡した問題で、ロシア極東サハリン州の検察当局は16日、坂下船長の取り調べを始めた。また、ロシア連邦保安庁サハリン沿岸国境警備局は遺体を18日までに日本側に引き渡す意向を示した。
 ロシア外務省は16日、「すべての責任は、(事件の)張本人と、ロシア領海内における日本人漁業者の密漁を黙認する日本当局側にある」とし、漁船側と日本政府を厳しく非難した。
 保安庁中央広報センター(モスクワ)のシバエフ副部長は16日、毎日新聞に対し吉進丸を発見した状況について「拿捕(だほ)船は標識を掲げず、灯火を消していた。国境警備隊はロシア語、英語、日本語で停止を求めたが返答はなく、漁船が体当たりしてきた」と指摘。警備隊が警告の照明弾を上げるとカニかごなどを海に捨て逃走したため、吉進丸の前方へ向けカラシニコフ銃で警告発砲したという。副部長は「暗闇の中、波に揺られての発砲だったため、(乗組員に)流れ弾が当たった可能性はある」としている。
 ロシア外務省は同日、「乗組員の一人が犠牲となったことに深い哀悼を表明する」との声明を発表した。
 ◇露警備艇、待ち伏せか
 銃撃当時、現場近くを航行していたロシアの水産物運搬船乗組員から「ロシア警備艇が日露の中間ラインを越えて日本側海域で待ち伏せし、警備艇から下ろしたモーターボートで吉進丸を正面から銃撃した」との情報が、根室市の水産関係者にあった。乗組員は、レーダーと目視で双方の動向を追っており「少なくとも無線を使っての(警備艇からの)警告はなかった」とも話しているという。
 一方、ロシア側も「漁船は7月20日からロシア領海内で密漁を繰り返していた。今回は国境警備隊の巡視船が待ち構えていた」としている。
 また、吉進丸の坂下登船長は16日朝、家族からの電話に「逃走はしていない」と話した。【本間浩昭】  
(毎日新聞) - 8月17日3時5分更新


 ロシアの言い分(無灯火で操業していた、不審船としか思えなかった、無線や光の信号で停止を呼びかけたのに逃げた、密漁していたetc)がどこまで本当かどうかはわからない。もちろん、日本漁船にも落ち度はあったかもしれないが、 ロシア外務省は「すべての責任は、(事件の)張本人と、ロシア領海内における日本人漁業者の密漁を黙認する日本当局側にある」と言ってのけたが、それはないと思う。人が一人死んでいるし、死亡した漁師の遺族はたまらないであろう。ロシア外務省は人一人が自国の国境警備隊の銃弾で死んだというなんら思いやりが感じられない。

 私が一番危惧しているのはこの問題が、政府や右翼により、世論の煽動のナショナリズム高揚材料として利用されることである。幸い、右翼のブログでも取り上げているところは多くないようだが、油断を許さない。

お笑い・靖国アンケート!/靖国は個人情報保護法違反かも?by 九郎政宗氏

 以下転載
▼九郎政宗@CLick for Anti Warです。 http://d.hatena.ne.jp/claw/  
▼ただいま、ネットのあちこちに以下のような世論調査アンケートを ばらまいています。 
マジメに回答したいという人は、 http://d.hatena.ne.jp/claw/20060816
コメント欄までどうぞ。  (引用開始) ・・・勝手に緊急世論調査!  
▼靖国神社の「国」とは、何を意味すると思いますか。  
(1)英霊となった人々が命をささげたのは、天皇陛下を中心とする神の国・  
大日本帝国に決まっている。それ以外にありえない。 
(2)自由と民主主義の国・日本国だと思います。  大日本帝国は1945年に滅亡しています。
(3)わかりません。  
▼靖国に祀られている戦死者の遺族の中には、大日本帝国の戦争に批判的な人々や、
キリスト教徒・仏教徒を中心に、 「私たちの家族を無許可で靖国に祀らず、名簿から
削除してほしい」という 意見を持つ人もいますが、靖国神社はこの訴えを聞き入れないため、
 一部では訴訟も行われています。あなたはどう思いますか。 
 (1)そのような大日本帝国への冒涜行為を許してはならない。 一人でも自由を認めれば、
「国体のために死んだものはみな靖国に祀られる」 という国策全体が崩壊する。
大日本帝国では「個人の自由」 などという 敵性思想を振りかざす者は非国民である。
 (2)今の日本は自由と民主主義の国なのだから、遺族の意見を尊重すべきだ。
 (3)靖国神社のしていることは個人情報保護法に抵触するおそれがある。 
(4)わかりません。  (引用おわり)   
論調査の文章そのものが、政治的争点を押し隠すことがある。 では逆に、
その争点をムキダシにしてやれ!という企画です。  私は以前から主張しているの
ですが、 靖国神社の問題は、「自由や民主主義を認めるのか否定するのか」 という
論点を含んでいます。今回新たに、 靖国の行為は個人情報保護法違反ではないか、
という論点を 提出してみました。
ご意見は http://d.hatena.ne.jp/claw/20060816のコメント欄までどうぞ。  
 ▼JAWAY氏は大いに勘違いしているようですが、  
http://quizzes.yahoo.co.jp/quizresults.php?poll_id=3282&wv=1  
↑彼が示したネットアンケート結果は、以下のような↓、より手法の厳密な 世論調査と
大いに乖離しています。 まー何かくだらない事情があるのでしょうね。(@∀@)  
▼国民世論の現実 http://nsearch.yahoo.co.jp/bin/search?p=%CC%F7%B9%F1%A1%A1%C0%A4%CF%C0%C4%B4%BA%BA&st=n 
・首相靖国参拝前、政府が極秘に世論調査…反発回避狙い - 読売新聞 ・
<首相靖国参拝>評価50%、批判46% 
本社全国世論調査 - 毎日新聞 ・共同通信 首相の「8・15」参拝について、
「参拝してよかった」との回答 51・ 5%
 次期首相の靖国参拝自体に対しては「参拝すべきではない」 44・9%、 
「参拝 すべきだ」 は39・6%
 第2次世界大戦のA級 戦犯については「分祀(ぶんし)した方がよい」が 60・4% 
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:03 | Comment(5) | TrackBack(49) | お知らせ および メーリングリスト関連総合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月17日

反天連によるの緊急声明:小泉首相の靖国神社参拝に抗議する!

反天皇制運動連絡会(反天連)から緊急声明です。重複すみません。
発信がやや遅れましたが、当日発の声明です。たくさんの抗議の声を! 

======================================================================

【声明】小泉首相の靖国神社参拝に抗議する!

 本日の早朝に「参拝する」と公言した小泉首相は、午前7時40分、ついに実行してしまった。二礼二拍一礼の神道形式ではなかったものの、公用車を使い、本殿に一礼し、モーニング姿で昇殿参拝。「内閣総理大臣・小泉純一郎」と記帳し、私費で献花料3万円を納めるというスタイル。総裁選の票欲しさに掲げた5年前の「公約」をはたすため15日参拝に踏み切ったのである。
 なんと小泉は憲法の政教分離の原則を公然と踏みにじるこの行為を、憲法の「思想及び良心の自由は侵してはならない」という思想にそくした「心の問題」だと正当化し続けている。この植民地支配と侵略戦争を美化している「侵略神社」に首相が参拝するという行為が、どういう社会的・政治的意味を持つのかという点にまったくふれずに、自分の「心」は自由だなどという心情的論理で正当化できるわけがない。植民地支配や侵略戦争の最高責任者昭和天皇ヒロヒトの「A級戦犯」が靖国神社に合祀されているかぎりは行かないなどという嗤うべき「心」を小泉首相が踏みにじることに、私たちは何の怒りをも感じない。しかし、日本に植民地支配され侵略された国々の人民の「心」を踏みにじる事は断じて許されない。そして国(天皇)によって強制的に戦争に動員された戦死者たちの家族や友人たちがかかえる、国家によって死が積極的に意味づけされ追悼されるのはゴメンだという「心」を踏みにじるのも、また許されない。
 そういう立場から、私たちは小泉首相の靖国参拝・千鳥が淵戦没者墓苑での献花、そして全国戦没者追悼式への出席にまとめて抗議する!
 平和の名目で死者を戦争国家づくりのために政治利用する、いっさいの国家のセレモニーをやめよ!

2006年8月15日
反天皇制運動連絡会
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:57 | Comment(9) | TrackBack(5) | お知らせ および メーリングリスト関連総合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

読売新聞の大日本帝国美化記事? 

ブーゲンビル島で元日本兵の遺骨発見
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20060815p102.htm
◆兄は手厚く葬られていた
 パプアニューギニア・ブーゲンビル島で戦死した松茂良(まつもら)興哲(こうてつ)さんの弟、興昂(こうこう)さん(88)(大阪府東大阪市)のもとに6月、「お兄さんの遺骨が見つかった」と連絡が入った。クリスチャンだった兄は島民の協力者を増やすことが任務の「宣撫(せんぶ)班」班長。「マツモラさんにお世話になった」という島民が教会に手厚く葬っていたという。終戦記念日の15日、弟は「これでやっと兄に再会できる」と感慨を新たにしている。
 興哲さんは沖縄県出身。神学生時代に出征した。戦後、戦死公報で1945年に同島で死んだことがわかったが、遺骨は戻らなかった。大工となった興昂さんは、尊敬していた5歳上の兄の戦死の状況を知るため終戦10年後に新聞に投稿したものの、情報はなかった。
 それから半世紀。一昨年暮れ、戦友会「全国ソロモン会」から、兄の墓が見つかったという連絡がきた。同会の安田藤一郎会長(88)(東京都世田谷区)がブーゲンビルを訪れた際、長老のトレウさんから簡素な墓に案内され、「マツモラさんの墓」と説明されたという内容だった。安田さんは、自分と同じ歩兵第45連隊にいた松茂良という兵士を覚えていた。
 安田さんがトレウさんから聞いた話によると、興哲さんは現地の神父と共に村々を回り、住民と親交を深めた。ある時、「興哲さんらが襲撃された」という知らせに村人たちが現場に駆け付け、興哲さんの遺体を発見。その場に埋葬した。戦後、トレウさんが遺骨を掘り起こし、教会の墓地に葬った。トレウさんは安田さんに、「マツモラさんは教会の様々な仕事を手伝ってくれた。仲間だった」と懐かしげに話したという。
 興昂さんは昨年9月、現地に飛び、兄の墓を掘り返したが骨は見つからなかった。ただ、小さなキリスト像の破片が見つかった。村人の一人が「埋葬の際に一緒に入れた」と言った。
 いったんはあきらめた兄の遺骨。しかし今年6月、「村人が墓のすぐ横から足の骨の一部を掘り出した」という新情報が届いた。全国ソロモン会関係者が5月に現地で遺骨の存在を確認し、日本大使館に届けた。
(2006年08月15日  読売新聞)
読売にはこりごりしているね。
読売テレビ番組、「"桜と蛍と富士"〜日本兵が目にした祖国」を見たときの雑感
のとおりだけど。大日本帝国・日本軍の暴虐の加害事実をより多く伝えるべきなのにさ。流石に読売というわけか。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:50 | Comment(8) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月16日

韓国盧大統領「日本は歴史を真摯に反省すべき」

韓国盧大統領「日本は歴史を真摯に反省すべき」
http://www.asahi.com/international/jinmin/TKY200608160350.html
 韓国の盧武鉉大統領は15日、植民地からの解放を記念する式典「朝鮮半島光復61周年祝賀大会」でスピーチし、「日本は歴史を真摯(しんし)に反省し、再び過去の過ちを繰り返さないことを実際の行動で証明すべき」と述べた。盧大統領のスピーチの主な内容は次の通り。
 韓国は地域の平和と協力に脅威を与える覇権主義に警戒する必要がある。日本は歴史を真摯に反省し、過去の戦争における罪行に対する謝罪を土台として、実際の行動によって過去の過ちを繰り返さないことを証明するべきだ。
 日本は実際の行動を通じて、独島(日本名:竹島)の問題、歴史教科書の問題、靖国神社参拝問題、従軍慰安婦の問題などを解決するべきだ。ドイツはポーランドとの国境をオーデル川-ナイセ川線とすることを承認したほか、フランスやポーランドなどの隣国と歴史教科書を共同発行している。いずれも日本にとって手本になる。

終戦記念日の日に靖国参拝が行われてたことは残念だ。日本にとっても大日本帝国天皇ファシスト体制からの解放記念日であるともに、アジア・太平洋地域に対する懺悔と反省の気持ちを新たに不戦の誓いをする日でなければならない。小泉ファシストは、靖国参拝の理由のなかに、「戦没者に哀悼の意を示すこと」とついでに、「不戦の誓い」というのを理由に挙げていたと思う。しかし、過去の侵略戦争を欧米からの解放戦争だと評して正当化し、戦争神社としての振る舞いを隠そうとしない靖国神社への首相の参拝は、生々堂々と「日本は全世界に過去の過ちを繰り返すべき歩んでいきます」と宣言しているようなものである。言動と行動の不一致も甚だしいものだ。
それがわからない小泉ファシストは逝ってしまえ!!!
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:23 | Comment(23) | TrackBack(0) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「残念」「苦々しい」東南アジア・豪も批判 靖国参拝

「残念」「苦々しい」東南アジア・豪も批判 靖国参拝 2006年08月16日01時21分
http://www.asahi.com/international/update/0816/003.html
 小泉首相の靖国神社参拝をめぐっては、東南アジア各国からも懸念や批判の声が出た。
 シンガポール外務省は15日、「小泉首相の靖国参拝は遺憾だ。靖国問題は日本の内政であると同時に、国際外交上の懸案事項でもある。中韓はじめアジアの国々で反発を呼び起こし、緊密な関係と協力関係を築くという地域共通の利益に役立たない」との報道官声明を発表した。
 ジョージ・ヨー外相も同日、自民党の茂木敏充衆院議員と会談し、「参拝を大変残念に思っている。日本にとっても決してよいことではない」と述べた。
 戦時中、日本軍による中国系住民の虐殺があったマレーシアでは、中国系団体がクアラルンプールで恒例の追悼式を開いた。約300人が参加。祈りの後、「日本大使館へ抗議に行こう」との声があがり、約20人が大使館へ。「日本とマレーシアや東南アジアの市民の友情と緊密な関係が、少数の人々の行動で損なわれてはならない」などという抗議文を職員に手渡した。
 またダウナー豪外相は、記者団に対して2週間前の訪日に触れ、「小泉首相には、豪州はA級戦犯がまつられていることを憂慮しているし、地域の人々の居心地を悪くしていると伝えたのだが……」と話した。豪ABCテレビは「彼ら(日本人)はいまだに後悔していない。誰もが苦々しい思いだ」という退役軍人の声を紹介した。
 一方、インドネシアのハッサン外相は「何度も繰り返されてきた問題であり、コメントしたくない。アジア太平洋地域の平和と安定に寄与するような未来志向の解決を望む」と記者団に語った。

オーストラリアも東南アジア諸国も今回の小泉ファシストの靖国参拝を非難しております。中国や韓国に比べれば控えめというところが残念ですが。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:08 | Comment(8) | TrackBack(0) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

右翼による加藤紘一議員実家への放火テロ

やれやれというところ。
腹部切った男は右翼団体幹部か 加藤紘一氏の事務所火災
http://www.asahi.com/national/update/0816/TKY200608160261.html

 山形県鶴岡市にある自民党元幹事長の加藤紘一氏(67)の実家と事務所が全焼した事件で、敷地内で腹部を切った状態で見つかった男は、東京都内に住む右翼団体幹部(65)とみられることが16日、山形県警の調べでわかった。県警は発生が終戦記念日であることや、加藤氏が首相の靖国参拝に批判的な発言を繰り返していたことなどに着目。何らかの思想的な背景を持った行為との見方を強めている。
 調べによると、男は敷地内のブロック塀付近で倒れていた。腹部の傷は横方向に走っており、腸の一部が露出していた。集中治療室で治療を受け、容体は安定しているが、言葉が交わせない状態が続いているという。
 男は顔や口の中などにやけどを負っているが、体には大きなやけどはない。このため、火を放った際には何らかの揮発性の高い油か有機溶剤を使い、急激に燃え上がった炎を吸い込んだ可能性があると県警はみている。
 付近に刃物も見当たらないことから、実家内部に放火した後に割腹自殺を図り、そのまま外にはい出たところで倒れたとみられている。
 県警は地元消防と16日午前9時から、現場の実況見分を始めた。刃物の発見や火元からの油性反応の検出とともに、男の遺留品の捜索などを進めている。
加藤紘一氏の実家が全焼 男が放火、割腹自殺図る
http://www.asahi.com/national/update/0815/TKY200608150484.html
 
 15日午後5時55分ごろ、山形県鶴岡市大東町、自民党の元幹事長加藤紘一氏(67)の実家から出火、木造2階建ての住宅と隣接する加藤氏の事務所計約340平方メートルが全焼した。現場には、男が腹部を切って倒れていた。鶴岡署はこの男が放火した後、割腹自殺を図ったとみて調べている。男は顔や口の中などにやけども負い、意識がない状態だといい、同署は回復を待って事情を聴く方針。
加藤氏はこれまで、首相の靖国神社参拝をめぐり「参拝すべきではない」「個人の心の問題と考えること自体、大きな錯誤であり、外交問題だ」など批判的な発言を繰り返してきた。小泉首相が参拝した15日もテレビ各社に出演していた。県警は慎重に関連を調べている。
 調べによると、出火当時、実家の内部から煙が上がっていたという。男は50、60歳代とみられている。駆けつけた消防隊員が実家の敷地内で倒れていたのを発見し、市内の病院に搬送した。
 出火当時、実家で暮らしている加藤氏の母の於信(おのぶ)さん(97)は、散歩に出かけており、近くの美容室で保護された。事務所には女性事務員1人が勤務していたが、逃げ出して無事だった。
 東京都内にいた加藤氏は急きょ現場にむかった。同日夜、記者団の取材に応じ、終戦記念日というタイミングや小泉首相の参拝に対する加藤氏の考え方と火事との関係について、「まったく分からない。世の中にはいろんな形の人がいるので、先入観を持たずに警察の捜査を見守りたい」と話した。

この右翼のテロはおそらく、安倍・小泉ファシスト一派の差し金だろう。マスコミは、放火事件だと報じているが、立派な一議員に対するテロ行為だ。安倍・小泉ファシストどもが沈黙を保っていることが怖い。右翼幹部のテロ行為であるが、特に後ろで糸を引いているのは、安倍ドブネズミ陣営に違いないと思うね。その辺の背景を調べて、このテロ事件の真相をマスコミ各社には報じてほしいものだ。

2006年08月15日

小泉ファシストの靖国参拝理由説明

<首相靖国参拝>「今日は適切な日」小泉首相、理由を説明
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060815-00000024-mai-pol
 小泉純一郎首相は15日午前、終戦記念日の靖国神社参拝について「8月15日を避けても批判、反発は変わらない。いつ行っても同じだ。ならば今日は適切な日ではないか」と述べ、01年の自民党総裁選時の公約実現を優先した理由を説明した。首相官邸で記者団の質問に答えた。
 近隣諸国への配慮から「8・15」を見送ってきた過去5年の参拝との整合性に関しては「最初、多くの方々が8月15日だけはやめてくれと言ってきた。あえて15日を避けて参拝してきた。しかし、いつ行っても騒ぎにしようという勢力がいるんですから。矛盾しない」と強調した。
 また、中韓両国の反発については「中国や韓国の言うことを聞けばアジア外交が良くなるとは思わない」と主張。A級戦犯合祀(ごうし)問題に関しては「戦没者全体に哀悼の念を表すため参拝している」と説明し、憲法違反との指摘には「思想信条であり、心の問題だ」と語った。
 また、本殿に上がるなど04年以前の参拝形式に戻したことについて首相は「今日は戦没者追悼式もあるし、千鳥ケ淵の戦没者墓苑にもお参りする。その時にはこの服装(モーニング)で行くし、きちっと本殿に参拝するのが適切と思った」と説明。公私の区別については「総理大臣である人間・小泉純一郎が参拝している。職務として参拝しているものではない」と述べた。【中澤雄大】
(毎日新聞) - 8月15日12時16分更新
「8月15日を避けても批判、反発は変わらない。いつ行っても同じだ。ならば今日は適切な日ではないか」というのは、当然予想された言説とはいえ、とんでもない開き直り。首相や閣僚などの政府の責任のある立場のある人間が、靖国神社を参拝するという行為は「あの戦争は正しい戦争だった」とする靖国神社の誤った主張・歴史観にお墨付きを与えることはもちろん、その誤った主張・歴史観を肯定し、首相自らが被害や犠牲を蒙ったアジアの被害者・犠牲者を愚弄していることと同義だ。「戦没者全体に哀悼の念を表すため参拝している」というのは、詭弁そのもの。神聖な8月15日を前に、小泉ファシストの最後の悪あがきが行われ、汚されたことは痛恨の怒りだ!!!この怒りをどうしてくれようか!!!!
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:25 | Comment(17) | TrackBack(8) | 激怒(むかついた)ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

靖国参拝に関するYahoo投票と明日16日の緊急抗議行動のお知らせ

靖国参拝に関するYahoo投票が行われているようですね。
 

設問:日本の首相が靖国神社を参拝することについてどう考えていますか?  

   とくに問題はない
   周辺諸国との関係が懸念されるが控える必要はない
   政教分離の問題があるが控える必要はない
   政教分離の視点から控えるべき
   周辺諸国との関係から控えるべき
   理由を問わず控えるべき
   その他、わからない

から、一つ選ぶ
投票は、ここから。↓
http://seiji.yahoo.co.jp/    このサイトの右下に投票欄があります。

右翼勢力の組織票が行われています。とんでもない話です。結果を逆転させましょう。とはいっても、選択肢が貧弱ですね。

せめて、靖国神社は先の大戦での人々の戦争動員で精神的支柱を果たし、現代も、遊就館などに代表される神社の歴史認識に問題があるから控えるべき という風な選択肢をもうけるべきだろうな。
長すぎるから、人類への冒涜だから控えるべき という風にすればOKかな。とはいえ、選択肢が貧弱。

明日16日の小泉ファシスト靖国参拝緊急抗議行動のお知らせ
小泉首相が本日靖国参拝を強行しました。
予定どおり、明日正午から首相官邸近 くで抗議の共同行動をします。
連日の行動となり、大変とは思いますがぜひご参加ください。
▼<緊急共同抗議行動> ◎呼びかけ団体(50音順)  政教分離の侵害を監視する全国会議、
NCC(日本キリスト教協議会)靖国神 社問題委員会、平和遺族会全国連絡会、靖国参拝違憲訴訟の会・東京
◎日時=8月16日(水)正午から約1時間。雨天決行。
◎場所=首相官邸前(30分前に衆議院議員面会所集合。地下鉄国会議事堂前・永 田町下車)
◎各団体の抗議声明、のぼり、横幕、プラカードなどをご持参下さい
◎行動終了後、内閣府を通じて抗議声明提出と申し入れを予定
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:03 | Comment(14) | TrackBack(124) | お知らせ および メーリングリスト関連総合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小泉首相の靖国神社参拝に対する抗議文

[AML 8716] 小泉首相の靖国神社参拝に対する抗議文 より転載します。
本日、小泉首相は内外の反対の声を押し切って靖国神社へ参拝しました。侵略・植民地氏支配の清算をしないまま、イラク・アフガンへの派兵という事態の中で新たな「英霊」を作る可能性もあります。居直り挑発とも思える参拝に対し、強い憤りをもって以下の抗議文を送りました。


抗議文
                
内閣総理大臣 小泉純一郎 様
 61回目の「終戦」記念日となる今日8月15日、小泉首相は、アジアの平和と友好を、心より願う多くの人たちの想いをふみにじり、靖国神社への参拝を強行しました。私たちは大きな怒りと深い悲しみをいだいています。私たちは、日本のひきおこした侵略戦争により、2000万人のアジアの人々、300万人にのぼる日本人が犠牲になり、亡くなられたことを知っています。そして今にいたるも、原爆や空襲の被害にあわれた人々、「従軍慰安婦」とされた人々、強制的に連行され働かされた人々らが、日本やアジア各地で、戦争被害の傷が癒されぬまま、日本の戦争責任を追及し続けていることを知っています。この人たちを前にして、小泉首相の靖国参拝の事実に、私たちはもはや言葉を失なってしまいます。小泉首相の靖国参拝はこれらの人たちを再び、いや、6たび、侵略し、蹂躙し、心を踏みにじったことになります! これはもはや犯罪的行為です!「心の問題」を言うあなたの心はいったいどこにあるのでしょうか?
 靖国神社を参拝することは「国のために死ぬこと」を賛美することです。それは過去の侵略戦争を賛美することのみでなく、イラク派兵に続く新たな戦争、戦死を賛美することにつながります。そして、それは徹底して加害を正当化する行為です。戦争被害者に心をよせる行為ではありません。小泉首相が言うように、本当に、戦争犠牲者に想いをよせ、平和を願うのであるならば、侵略戦争の責任を明確にし、戦後責任を果たさなければなりません。日本は侵略戦争の反省のうえで、憲法を生み出しました。戦争放棄の9条や、政教分離の20条にはそのことがはっきりしめされています。この憲法の精神を守らなければなりません。首相
の靖国参拝を違憲とする司法判断はありますが、合憲とする判断はいまだありません。
 戦争被害者の心を踏みにじり、憲法を踏みにじり、信頼にもとづく外交をつくりだすことのできない小泉首相に、心や平和を語る資格はもうありません。私たちは小泉首相の靖国参拝強行に強い怒りをもって抗議します。
                         2006年8月15日
                   不戦へのネットワーク
                   名古屋市昭和区白金1−13−10
                   TEL 052−881−3573
 

 
以上転載。この抗議声明の言うとおりです。大日本帝国の無謀な侵略戦争すべての犠牲者のことを考えなければなりません。靖国神社の本質を知っていれば、参拝できるわけはありません。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:42 | Comment(5) | TrackBack(86) | お知らせ および メーリングリスト関連総合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小泉ファシストの靖国参拝!天罰を!

ついに小泉ファシストが靖国参拝をやりやがった。
早速諸外国から反発がでている。
 
「戦犯の位牌に頭を下げることは人類に対する精神的テロ」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/15/20060815000033.html
 
 韓国の与野党は15日、小泉総理が靖国参拝を強行したことに対し、口をそろえて「アジアの平和を踏みにじる行為」とし、強く非難した。

 与党ヨルリン・ウリ党の禹相虎(ウ・サンホ)スポークスマンはこの日、「ウリ党がこれまで再三にわたって、万が一靖国参拝を強行する場合、両国関係は取り返しがつかないほど困難な状況に置かれると警告してきたにもかかわらず、小泉首相が強行したことに対し、強く非難する。平和と和解を目指したアジアの念願を徹底して踏みにじった」と論評した。

 禹スポークスマンは「光復節である今日、主権強奪と野蛮な植民地支配を指導したA級戦犯の位牌の前で頭を深く下げたことは、侵略戦争の傷がまだ十分に癒えていない周辺国の国民の心に刃物を突き刺したも同然の野蛮な犯罪行為であり、人類に対する精神的テロ」と強く非難した。

 また禹スポークスマンは「先日、日本国民が崇拝する天皇でさえ、戦犯合祀を反対し、一度も靖国参拝を行わなかった。また2005年に大阪高裁は靖国参拝に対し違憲判決を下した。日本の一部勢力の奥底に眠る侵略的本性が、捏造された歴史で生まれた精神的退行であることを立証している」と批判した。

朝鮮日報/NEWSIS

外交部:小泉首相の靖国参拝を批判「正義に挑戦」  
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2006&d=0815&f=politics_0815_001.shtml
 
 小泉純一郎首相が15日朝、靖国神社を参拝したことを受けて、中国外交部は同日、公式サイトに声明を発表した。

  声明はまず「戦争被害国の人民の感情を傷つけるもので、日中関係の政治的基礎を破壊する行為だ。中国政府は強く抗議する」と非難した。

  また「国際社会、アジアの隣国、日本国民からの懸念や反対を無視して、小泉首相はA級戦犯を祭っている靖国神社の参拝に固執している。国際社会の正義に挑戦するものであり、人類の良識を台無しにしている」と主張。

  更に「日中関係の健全な発展は両国人民の利益に合致する」「歴史を正しく認識することは、日中関係を回復・発展させるための政治的な基礎となり、両国が未来に向き合うための前提となる」と日中関係のあり方について、従来からの主張を繰り返した。

  声明は結びの部分で「日本の各界の見識ある人々が歴史的潮流に従い、政治的な障害を除去し、日中関係を正常な軌道に戻すものと信じている」と述べ、日中関係の修復を念頭に置いた論調になっている。(編集担当:菅原大輔)
 
ついでにシンガポールからも、
【シンガポール】外務省、靖国参拝に「遺憾の意を示す」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060815-00000992-nna-int
 シンガポールの外務省報道官は15日、小泉首相の靖国神社参拝に対し、「遺憾の意を示す」とするコメントを発表した。

 コメントは参拝について問う報道陣に答えたもので、「参拝を日本の内政事項」としながらも、国際外交上の配慮から「このような参拝が中国、韓国、他のアジアの地域から強い抗議を引き起こすのは事実である。このような行為は東南アジア諸国連合(ASEAN)を含む東アジアのより綿密な協力関係を構築するという、われわれのより大きな共通の関心事のプラスにはならない」と述べた。

 シンガポールは1942年から45年の3年半にわたる日本軍による占領期を「シンガポールの歴史上最も暗い暗黒の時代」と博物館のキャプションなどで説明している。
(NNA) - 8月15日18時6分更新
 
 小泉ファシストの靖国参拝はテロ行為である。公約といっても、自民党総裁選時の公約であって、国民との公約ではない。日本国内でさえも過半数が靖国参拝に反対しているのだ。靖国神社は戦争を美化し、国民を軍隊に動員し、侵略戦争遂行に協力した戦争責任をとろうとしない極悪カルト神社だ。戦争被害国である韓国や中国などのアジア諸国はもとより、日本軍犠牲者・被害者・遺族はもとより、人類へのテロ行為である。断固抗議しなければならない。小泉ファシストに天罰を
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:32 | Comment(11) | TrackBack(0) | 激怒(むかついた)ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月14日

戦後61年の8月15日を迎えるにあたって、大日本帝国・日本軍の各国民衆の被害情報収集計画

この機会に、数あるコミュニティー(ブログや掲示板)に対して、大日本帝国・日本軍の加害および民衆の被害情報を求める一切書き込みを計画してみようと思っています。対象国はできる限りマイナーな国で、旅行者や滞在者から、当時の戦争や日本軍占領時代を知る人からの体験談が得られればいいと思っています(第三者を通しての伝聞となりますが)。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:41 | Comment(13) | TrackBack(0) | 備忘録・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

朝鮮皇族に靖国参拝をさせた鬼畜大日本帝国

靖国神社に参拝する朝鮮皇族の写真…韓国初公開
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/14/20060814000037.html

 朝鮮皇族らが1941年10月に日本の皇族とともに靖国神社を参拝する様子を写した写真が韓国で初めて公開された。

 写真収集家の鄭成吉(チョン・ソンギル)氏(大邱・東山病院博物館名誉館長)は13日、日本の皇族らの靖国神社参拝風景を収めた写真が掲載された『靖国神社臨時大祭記念写真帖』を本紙に公開した。

 1853年の開港以後、日本が行った11の戦争における戦没者、計246万人を祀っているのが靖国神社だ。1978年に東条英機など太平洋戦争のA級戦犯14人が合祀されたため、日本の首相らが靖国を参拝することに対して韓国と中国が強く反発している東アジア外交紛争の現場でもある。
200608140000372insert_2.jpg

 この写真帖には昨年7月に亡くなった大韓帝国最後の皇世孫・李玖(イ・グ、高宗皇帝の孫であり、英親王の息子/右から3番目)をはじめ、イ・グン(一番右)、イ・チュン(右から2番目)ら朝鮮王族3人が日本の皇族らと並んで靖国神社を参拝する写真が含まれている。イ・グン、イ・チュンは義親王(高宗皇帝の次男)の孫だ。

200608140000373insert_3.jpg
 のみならず、この写真帖には日本に人質として連れていかれた朝鮮最後の王族・英親王の妃である李方子女史(右から2番目)も登場する。李方子女史は天皇皇后両陛下のすぐ後ろ、2番目の列で靖国神社参拝の列に加わっている。また、王族らの後に続き、太平洋戦争のA級戦犯・東条英機が参拝する姿も写真の中に収められている。

 この写真帖に掲載された写真は皇室専属の写真家が撮影したもので、皇族や祭礼に出席した人にのみ配られる非売品であることが判明している。

 ソウル大国史学科の李泰鎮(イ・テジン)教授は「1941年は日本が太平洋戦争を目前に控えた時期であり、戦争を前にして朝鮮人の動員を引き出す目的で強制的に靖国神社に参拝させたようだ。これは朝鮮を植民地として服属させたということを意味するものであり、絶対に自発的な参拝ではないだろう」と説明した。

朴蘭姫(パク・ランヒ)記者

朝鮮日報

つくづく大日本帝国はとんでもない国だと思うよ。大日本帝国天皇制ファシスト体制の「天皇と国家のために戦って死ね」という帝国主義侵略戦争を遂行するための宗教イデオロギーを供給するためのカルト機関が靖国神社だ。朝鮮という国は併合され、国を奪われた哀れな朝鮮民族の皇帝そして、その孫・妃までが靖国神社に日本の皇族とともに、参拝を強制される。時期は1941年10月という、真珠湾攻撃やコタバル上陸というアジア・太平洋戦争が勃発したその都市である。人質にとられた朝鮮皇族らが不憫ではならない。狙いは、植民地である朝鮮半島の民衆の容赦なく、侵略戦争に動員する前準備として、朝鮮皇族らを無理やり靖国参拝を強制したのであろう。つくづく大日本帝国というとんでもない国家が過去にこの日本に存在したことを思い知らされる。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:22 | Comment(58) | TrackBack(68) | 激怒(むかついた)ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

朝鮮日報の良識的社説−次期首相も靖国神社に参拝するのか

【社説】次期首相も靖国神社に参拝するのか
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/14/20060814000025.html

 日本の小泉首相が15日に靖国神社に参拝する可能性が高いと日本のメディアが報じた。靖国神社には東条英機をはじめ、第2次大戦でのA級戦犯が合祀されている。来月退陣する小泉首相がまた靖国神社に参拝すれば、2001年の就任以来、毎年欠かさずに参拝したことになる。韓国政府は小泉首相が再度靖国神社参拝を強行した場合、公式に抗議し外交措置をとるとの立場を日本に伝えたという。

 小泉首相は来月選出される新しい自民党の総裁に首相の職を譲る。小泉首相が就任してからの5年半の間、韓国、中国をはじめとしたアジア諸国と日本の外交関係はずたずたに壊れた。韓日、中日間の首脳会談も中断を余儀なくされ、歴史教科書問題や独島(日本名竹島)問題をめぐる摩擦も絶えなかった。何より周辺国の懸念をものともしない小泉首相の靖国神社参拝強行が周辺諸国との溝を深めた。

 次期首相の有力候補である安倍晋三官房長官も毎年靖国神社に参拝してきた。今年4月にもお忍びで参拝したという。「安倍首相」も小泉首相に続き、靖国神社を参拝するならば、アジアの多くの国々との関係は破局状態にならざるを得ない。

 日本の政治指導者らの靖国神社参拝は、かつての日本の軍国主義が数百万人のアジアの人々の命を奪った侵略戦争を美化し、その責任を否定する行為だ。この歴史を否定する厚顔無恥な行為に目をつぶり、日本をアジアのリーダーと認める国はアジアのどこにも、もちろん世界のどこにもない。日本国内でも右派の政治指導者らの靖国神社参拝に反対する国民が過半数を超えたとの世論調査結果が数日前に公表された。昭和天皇でさえも1978年、A級戦犯が他の戦没者とともに靖国神社に合祀されるや、「平和の精神にそぐわない」として参拝を中止したという事実が最近明らかになった。

 小泉首相の後を継ぐ新しい首相もまた靖国神社に参拝するとすれば、それは日本が韓国、中国をはじめとする隣国を見下すという宣言をしたに等しい。新しい日本の首相は靖国参拝問題で周辺諸国の人々の自尊心を傷つけ、心の傷に塩を塗るようなことをこれ以上慎むべきだ。

朝鮮日報の良識的社説です。小泉ファシストの靖国参拝ばかりが注目されていますが、次期首相の靖国参拝にも目を向けていかなければなりません。次期首相というのは、安倍ドブネズミです。安倍ドブネズミの糞野郎が首相になることを断固阻止すべきでしょう。次の新しい首相が靖国神社に参拝すれば、日本とアジアの関係は完全に破綻します。戦後友達のいない日本でありながらも、何かしら政治・経済、そして市民間の地道な交流でつなぎとめられてきたアジアとの関係は完全に破局に陥ります。また、60年前の敵同士の関係に逆戻りですね。救いようがありませんね、この国は。

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:02 | Comment(9) | TrackBack(171) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中日韓の民衆が小泉首相の靖国参拝反対で集会 東京

中日韓の民衆が小泉首相の靖国参拝反対で集会 東京
http://www.people.ne.jp/2006/08/14/jp20060814_62208.html

  中国台湾、日本、韓国の民衆が13日午後、東京で集会を開き、日本の小泉純一郎首相の靖国神社参拝に反対し、また、過去に行われたアジア各国への侵略の歴史を正視することを要求した。新華社が伝えた。

  集会に参加したのは中国台湾の先住民、日本、韓国の市民など約1000人。集会では、台湾地区の民意を代表して高金素梅さんが次のように述べた。
「私は、もう10回も日本にきているが、目的はただ一つ。それは、台湾先住民の祖先の霊魂を返還してくれるよう靖国神社に求めること、過去に台湾に対して行われた植民地統治の歴史を正視するよう日本政府に求めることだ。靖国神社は侵略戦争を美化しており、台湾先住民の祖先の霊魂と危害を与えた犯罪人とを一緒に祭る権限は無い。これは台湾先住民の人権、文化権、信仰の自由を無視する暴力行為だ。日本政府が歴史に正しく向き合うことなしに、アジアに平和は訪れない。」

  韓国の国会議員・金希宣氏は、日本が侵略の歴史を反省しないばかりか、A級戦犯を「英霊」として靖国神社に祭るということは、かつて日本の軍国主義で踏みにじられたアジア各国の人々に対する冒とくだとして、小泉首相の靖国神社参拝に抗議をした。

  日本の東京大学の高橋哲哉教授は、次のように指摘する。
「小泉首相の5回の靖国神社参拝は、日本国憲法の政教分離の原則に違反している。首相は今また参拝すると言い立ててているが、この挑発的な言動には憤慨させられる。何とか参拝をやめさせなければならない。靖国神社が中国台湾、韓国、朝鮮の戦没者約5万人を合祀していることは、遺族の感情を深く傷つけるもので、彼らの霊魂を返還するのは当然のことだ。」

  集会参加者は、夜には靖国神社周辺をろうそくをともしてデモ行進し、台湾先住民の霊魂や韓国・朝鮮の戦没者の位牌の返還を靖国神社に要求するとともに、小泉首相の靖国参拝停止を求めた。(編集YS)

  写真:小泉首相の靖国神社参拝固執に抗議する中国台湾先住民の代表高金素梅さん(前列左)ら=13日夜、靖国神社附近で

  「人民網日本語版」2006年8月14日

中国も台湾も韓国も、そして日本の市民も靖国参拝に反対していますね。台湾先住民の靖国訴訟原告である高金素梅氏も来ているのですね。いよいよ明日ですが、小泉ファシストは靖国参拝をするのでしょうか?残念ながら、私は靖国神社の現場に行って、闘いの場に加わることはできませんが、遠くからでも、精一杯気持ちをこめて、前線で戦っている方にエールを送りたいと思います。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:54 | Comment(5) | TrackBack(111) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国際民衆法廷 250人が「傍聴」(BlogPet)

きょう右翼討伐犬は、放置するはずだったの。
および広島で被害が投下された!
および被団協は長崎で有罪放置したの?
およびきのうは広島まで広島大で記念された。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「右翼討伐犬」が書きました。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 17:06 | Comment(3) | TrackBack(0) | BlogPet用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

読売テレビ番組、「"桜と蛍と富士"〜日本兵が目にした祖国」を見たときの雑感

8月13日、読売テレビで、15:00〜16:30にかけて、終戦記念番組「"桜と蛍と富士"〜日本兵が目にした祖国」というとんでもない番組が報道されていたことをご存知だろうか。見てて大変腹だった。まるでオナニー番組である。占守島はともかく、ビルマ、ニューギニアにおいては、もともと日本の領土ではなく、日本軍が現地の人々を踏みにじり、勝手に入ってきて侵略し、横暴に横暴を重ねた地域である。戦争責任というのが微塵も感じられなかった。
 ビルマでは、英軍とシャン高原での戦いで負傷した元日本兵に焦点を当て、自分たちが侵略した土地を何食わぬ顔で、思い出に浸りめぐっていくというとんでもない設定。インパール作戦が勝算ゼロで、補給線も確保できない作戦で、多くの日本兵が犠牲になったかということ、自身も変わり果てた日本兵を見て驚愕していたことを言っていたが、現地のビルマの人々はその日本兵である自分たち以上に過酷な運命を背負っていたことに触れていない。イワラジ河付近の村で、当時のことを知るおばあさんにインタビューするが、「日本兵は悪いことをしていない」という。本当かやらせかは断言できない。その元日本兵は、「ご迷惑をおかけしました」と形だけの謝罪というこれまたとんでもない設定。その元日本兵が、負傷し、野戦病院のあったカローに向かうが、その途中で、日本軍の通訳をしていた人(?)に出会う。ここでも日本兵は悪いことをしていないと言う。その元日本兵が自身が戦闘で負傷した場所も訪れ、何かを思い出したように駆け出し、迫撃砲がどうたらこうたら。その後、携帯から電話がかかってきている間に、ビルマ編が終了。カローにはヒマラヤ桜があり、その桜をみて、日本兵が故郷の桜を思い出し、生まれ故郷を思い、いかに癒されたという。その桜に再開し、戦友の慰霊を果たすために訪れるといういかにもむちゃくちゃな設定である。

 東部ニューギニア編に移る。首都のポートモレスビーの映像が映された後、ニューギニアのウエワクに移る。そこでは、多くの慰霊団や遺骨収集団が訪れる。補給網を断たれ寸断された日本兵の多くが餓死や、マラリアなどの熱帯病に倒れ、十数万もの遺骨がこの地で眠っており、回収されたのは1万ほどに過ぎないということ。ニューギニア編では、蛍が扱われていた。ニューギニアに蛍がいたのは意外だった。蛍は桜のように、生まれ故郷を思い出させて、帰郷の念に浸らせる役割があるほか、ランプを灯したように、飛び回り光輝く蛍に、戦死した戦友の魂が来たのだと思いを馳せたのだという。おびただしい数の蛍が一本の木に集まる光景を見たニューギニアの日本兵は、復員してからも忘れないだろうし、無念の死を遂げた戦友の魂を光輝く蛍に見て、戦死した仲間を悼んだのであろう。番組のスタッフが向かった村は、ブナという名前だったと思う。ウエワクから西へ向い、未舗装の道を進んでいく。途中の村で戦争体験者である長老に出会う。長老自身は、日本兵は補給も断たれかわいそうだとし、食料を恵んだという。日本軍も苦しかったから村民と仲良くしたという。ここでも話を聞く限りは悪いことをしなかったようだ。連合軍の空襲で日本軍の通信兵が死亡したことを嘆き悲しんでいたという。昔駐屯していた日本兵から日本語を教えてもらったようだが、忘れたようだ。ただし、その長老がひとつだけ覚えている日本語の歌がある。それは君が代である。君が代を歌うパプアニューギニアの長老がいかにも痛々しかった。こんなのをテレビで報道して、読売テレビは何をしたかったのだろうか。番組を見る限りでは、そこにいた日本軍は悪いことをしていないし、悪い思い出をその長老は抱いていないようであるが、終戦記念番組で公共の電波に乗せる読売テレビの神経を疑う。
 この番組の感想をいえば、とんだオナニー番組であるし、"桜"にしろ、"蛍"にしろ、その元日本兵たちの生きる支えになって忘れられないかけがいのないものかもしれない。ただし、日本軍によって踏みにじられて苦しめられた現地の人々に対する加害という視点が根本的に欠けている。ただのオナニーにしか過ぎない。日本軍というのは、現地の人々にとっては、匪賊以下の悪魔畜生であったのだ。番組ではビルマやニューギニアで数少ない現地の戦争体験者にインタビューしている。幸い日本軍からひどいことをされた人々では証言を信じる限りなさそうであるが、現地の戦争被害者を探せばたくさん見つかるはずである。日本軍にたまたま悪い感情をもっていない人だけを選んでインタビューするとか、あるいは丸っきりお金を払ってでのやらせで、「日本兵は悪いことをしなかった」などのやらせ証言を出すなどして、日本軍は鬼畜以下の存在であることを視聴者から覆い隠し、歴史修正主義を広める素地としようとする魂胆が見えて仕方ない。まるで、終戦記念に元日本兵の爺どもと右翼などの歴史修正勢力に贈るオナニー番組である。こんなとんでもない番組を放送した罪は重い。読売テレビに抗議メールを送っておきました。この番組の存在を知らなかった人は多いと思いますが、見た人々は抗議メールを送りましょう。

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:45 | Comment(14) | TrackBack(0) | 日々の雑感ならびに考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月13日

靖国神社に勝手に合祀関連ニュース

靖国神社合祀、首相参拝に抗議のキャンドルデモ
2006年08月11日23時51分
http://www.asahi.com/national/update/0811/TKY200608110321.html
 
 韓国や台湾の戦争犠牲者の遺族らが日本の市民団体と連名で11日、小泉首相の靖国神社参拝中止を求める要請書を内閣府を通じ提出した。韓国の国会議員でつくる「靖国神社関連真相調査団」のメンバーも来日し、集会に合流。日本政府と靖国神社に対し、韓国人合祀(ごうし)の経緯などをただす質問書を提出する。  
 参加者らは11日夜、ろうそくを手に、霞が関や日比谷公園周辺をデモ行進し、首相ら閣僚の参拝中止や、韓国人・台湾人の合祀取り下げを訴えた。これに対し、民族派団体が「靖国神社の冒涜(ぼうとく)は許さないぞ」などと、デモ隊の前で声を張り上げる場面もあった。
 小泉首相の靖国神社参拝を違憲とする訴訟を起こした日本の市民らが、靖国神社への家族の合祀取り下げを求める韓国・台湾の遺族や支援者を招き、約200人が来日。「平和の灯を! ヤスクニの闇へ キャンドル行動」と称し、15日まで連日、集会やデモを計画している。
 
<合祀取り消し求め提訴>靖国神社相手は初めて 大阪地裁
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060811-00000109-mai-soci
 
 第二次世界大戦などの戦没者遺族9人が11日、「同意なく肉親をまつられ、人格権を侵害された」と主張し、靖国神社に合祀(ごうし)取り消しを求めて大阪地裁に提訴した。「国が全面的に協力し、戦没者の情報提供をしたことで合祀が急速に進んだ」として国と同神社に計900万円の損害賠償も求めた。靖国神社自体に合祀取り消しを求める初の訴訟で司法判断が注目される。
 原告は、浄土真宗の僧侶ら51〜79歳の日本人男女8人と台湾人男性1人。原告らは1940〜45年ごろに父や兄弟、叔父ら肉親11人を戦争で亡くしたが、何の断りもなく全員が靖国神社に合祀された。日本人8人は合祀取り消しを求めてきたが神社側に拒否された。
 原告側は「自分自身の方法での追悼をまっとうできない気持ちと、肉親の心中を思い、耐え難い精神的苦痛を味わっている」と訴え、靖国神社が合祀儀式に使う霊璽(れいじ)簿など三つの名簿から肉親の氏名を抹消するよう請求した。【中本泰代】
 ▽靖国神社広報課の話 訴状を見ていないのでコメントは差し控える。
 ◇「魂を返して」…合祀取り消し求める原告らが会見
 原告は提訴後に記者会見。肉親の合祀をやめるよう求めたことに対し、靖国神社から今年、「合祀は明治以来の伝統を受け継いでおり、事前に遺族の承諾を得ることはございません」との手紙が届いたことを明らかにし、「肉親の魂を返してほしい」と訴えた。
 僧侶の父を1944年1月、パプアニューギニアで亡くした原告団長の菅原龍憲さん(66)=島根県=は自身も浄土真宗の僧侶。宗教的信念に基づき、約20年にわたり合祀取り消しを求めてきた。だが、神社側は応じず、「お父さんも、英霊として祀(まつ)られていることを喜んでいるかもしれない」と神経を逆なですることも言われた。「遺族の願いを踏みにじっても祀る自由は成立するのか」と菅原さんは声を上げた。
 高砂義勇隊に徴用された義父が輸送船への爆撃で亡くなった台湾の先住民族、楊元煌さん(51)は「民族固有の弔い方がある。合祀された義父の魂は、私たちと暮らすことができず、先祖も家族も悲しみ続けなければならない」と訴えた。兄2人を亡くした大阪府内の古川佳子さん(79)も「兄たちは今も靖国に捕らわれ、後に続く者のために利用されている。まだ戦争は終わっていない」と話した。【中本泰代】  
(毎日新聞) - 8月11日22時18分更新
今年も熱い夏がやってきました。 小泉ファシストが任期最後の悪あがきで靖国参拝をするのかが注目されています。小泉ファシストの靖国参拝を断固粉砕することはもちろんですが、故人が靖国神社に勝手に合祀されて、苦しみの淵にいる韓国や台湾、日本の戦没者遺族がいることを忘れてはいけません。国が靖国神社に対して、常に戦没者の氏名を提供し、合祀の対象を提供し続けてきたことは、政教分離の原則に反することです。何よりも耐え難い苦しみを背負っているのは、同意もなしに合祀されて肉親の人格権を否定された戦没者遺族の方々です。靖国神社には、遺族の思いを踏みにじってまで、戦没者を祀る自由や権利はありません。肉親をどのように悼むのかは、遺族自身の心の問題であるし、無謀な侵略戦争を遂行し、杜撰・無責任な作戦計画によって無駄死にさせた戦争を指導した加害者と一緒に、同じ土台で合祀され、同じ場所にいるということは普通の神経をしているものなら耐えられないと思う。韓国や台湾の遺族の方ならなおさらのことであろう。靖国神社というのは、悪魔のカルト施設であるし、国民総意で廃止し、すべての戦没者の魂を解放するのが正しい道ではないだろうか。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:20 | Comment(1) | TrackBack(50) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月09日

朝鮮総連への放火、日本極右のテロ

とんでもないニュース。
 
神奈川・湘南西湘支部会館に対する放火事件 総聯狙った「テロ」
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/01/0601j0808-00001.htm
 
 2日夜11時ごろ、総聯神奈川・湘南西湘支部が入る湘南西湘同胞生活相談綜合センターの建物(藤沢市)を狙ったと思われる放火事件が起きた。通行人が藤沢警察署に通報し、駆けつけた警察官が消し止めた。  
 火は玄関入口にある花壇に放置されていた自動車のエンジンオイル缶から上がっていた。中には油と携帯用ガスボンベ2缶、紙や布が入っていた。警察官の話では「火は20〜30センチほどで、幸いボンベ爆発の寸前で消せたので惨事には至らなかった」という。
 さらに警察によると、建物の前の歩道に「テポドン発射記念 お中元お届けします」とカタカナで書かれたタオルが置かれていたという。
 この問題で3日、県庁で記者会見が行われた。談話を発表した総聯神奈川県本部の林鍾圭国際部長は、朝鮮のミサイル発射訓練以降、総聯や朝鮮学校生徒らを狙ったいやがらせが続く中で起きており、「政治的意図と敵意があると断ぜざるをえない。まさしくテロ行為だ」と指摘。犯人検挙と再発防止を訴えた。
 総聯湘南西湘支部の河東鎮委員長は、センターでは同胞の生活支援が行われており、昨年12月に支部が移転してきて以来、近隣の日本人との交流も行われていたとして、「非常にショックで悲しい。同時に怒りでいっぱいだ」と述べた。
[朝鮮新報 2006.8.8]
 
 

朝鮮総連支部の建物前でオイル缶燃える/藤沢
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/localj7/

 二日午後十一時五分ごろ、藤沢市本町二丁目の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)湘南西湘支部が入居する「湘南西湘同胞生活相談総合センター」前で、オイル缶が燃えているのを通行人が発見、一一〇番通報した。建物前の花壇に置かれたオイル缶から炎が上がっており駆け付けた藤沢署員がマットをかぶせ消し止めた。同署で火炎瓶処罰法違反の疑いもあるとみて調べている。

 調べでは、オイル缶は四リットル用(高さ二四センチ)。ガソリンのような液体と携帯用ガスボンベ二本が入っており、ティッシュペーパーで火を付けた跡があった。

 缶には「御中元」と文字があり、そばの道路に、白いタオルに黒のマジックで「テポドンハッシャキネン オチュウゲン オトドケシマス」と書かれ畳んで置いてあったという。

 同建物が、ハナ信用組合藤沢支店だった二〇〇三年七月三十一日未明には火炎瓶のようなものが入り口に投げつけられる事件があった。同署で関連についても調べている。

 当時は、前年の九月に北朝鮮が日本人拉致問題を正式に認めた後で、全国で総連関係施設に銃弾が撃ち込まれたり、発火装置が見つかる事件が相次いでいた。

 今回の放火事件を受け、朝鮮総連県本部の林鍾圭国際部長は三日午後、県庁で会見し、「ミサイル発射訓練以後、朝鮮総連に対する右翼の悪質な街宣活動、在日同胞子女への脅迫などが続く中で起きたテロ行為で絶対に許すことはできない」とする談話を発表した。

[AML 8618] 朝鮮総連に放火にて、流されていました。在日朝鮮人、特に子女に対する脅迫や暴力、迫害が増す中で、起きた卑劣なテロ行為です。けが人がいないこと、未然に大惨事が防がれたことは幸いでした。とにかく、卑劣極まりないということで怒り。このニュースを報じたのは、日本のメディアの中では神奈川新聞でした。目に見えないところで、右翼勢力の卑劣なテロ活動が盛んに起きており、在日朝鮮人の方々の生命が危険に晒されています。とんでもない話です。これで、先進国とはね。根本の原因は、日本人や日本社会における過去の侵略・加害の償い・罪悪・贖罪感情の欠如にあると、私は思う。大日本帝国が、数百万人の朝鮮民衆を強制連行し、炭坑や鉱山、ダム、軍事工場に閉じ込め、強制労働させたこと。また、20万人とも言われる朝鮮女性を日本軍軍隊性奴隷政策のもしたことに対する償いも歴史の清算もこれっぽっちも行われていないことを考えないといけない。この延長線上に、現代の日本社会での朝鮮学校や在日朝鮮人への脅迫や襲撃、今回の朝鮮総連への放火テロ行為が存在する。歴史は繰り返すというが、まさにそのとおりです。大日本帝国や戦後の日本政府・日本社会における朝鮮民衆に対する植民支配、民族差別・抑圧の国家的、日本人民族的な大罪の数々を真に謝罪し償い、そして一億の日本人一人一人が真摯に自覚することがこれらの日本の在日朝鮮人への人権問題の解決への必須条件ではないだろうか
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:00 | Comment(16) | TrackBack(40) | 激怒(むかついた)ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月08日

小泉ファシストの最後の悪あがき 15日靖国参拝!?

小泉首相:15日前後の靖国参拝を示唆
 小泉純一郎首相は8日夜、終戦記念日(8月15日)の靖国神社参拝を宣言した01年の自民党総裁選公約に関する認識をただした記者団に対し、「公約は生きていますね」と答えた。具体的な参拝時期は「適切に判断する」と従来通りの発言を繰り返したが、首相周辺は「13日から16日の間に参拝する」と話しており、首相の発言は終戦記念日の15日を含め、その前後に参拝する可能性を強く示唆したものとみられる。
 小泉首相は01年4月の自民党総裁選の討論会で「戦没者たちに敬意と感謝の誠をささげるのが政治家として当然。まして、首相に就任したら、8月15日にいかなる批判があろうと必ず参拝する」と明言していた。
 ただ、就任後の初参拝は、中国や韓国の反発に配慮して8月13日に前倒ししたほか、2回目以降も終戦記念日を避け、春秋の例大祭や元日などに参拝している。【小林多美子】
毎日新聞 2006年8月8日 20時50分 (最終更新時間 8月8日 22時49分)

小泉ファシストの最後の悪あがきか。断固阻止を!!!
 
ついでに、[AML 8605] 8・15集会(午前中)のご案内 より転載

平和遺族会事務局の佐々木です。
8月15日の集会と平和行進のご案内です。

【以下転送大歓迎】

 小泉首相・石原都知事らの靖国神社参拝反対とアジアの平和・共生を訴えて、平和遺族会全国連絡会は8月15日午前中に下記のような催しを行います。また、8月15日にもしも小泉首相が靖国参拝を強行した時は、その翌日の正午から、首相官邸近くで緊急の共同抗議行動を行います。
 
▼小泉首相は靖国神社参拝の中止を! アジアと共に生きる日本を創ろう! 8・15集会
◎8月15日(火)午前9時45分〜正午
 記念講演「憲法から靖国問題を考える」
 講師=横田耕一さん(九州大学名誉教授・流通経済大学教授・憲法学者)
◎基調報告=西川重則・平和遺族会全国連絡会代表(戦没者遺族)
「アジアの叫びに応えよう!ーー日本はアジアに何をしたのか」
◎アピール 高金素梅(チワス アリ)さん
 (台湾立法委員・靖国アジア訴訟原告団長・平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動実行委員会共同代表)
◎「沈黙の時」(アジア太平洋戦争のすべての犠牲者に思いを馳せ、心に刻みながら追悼の時をもつ)
◎日本教育会館8階第1会議室(・03・3230・2831)(地下鉄神保町駅・竹橋駅・九段下駅)
◎参加費=500円
◎正午から靖国神社周辺を戦没者遺族を先頭に平和行進
◎主催=平和遺族会全国連絡会

▼小泉首相が6度目の靖国神社参拝を強行した時は直ちに抗議を!
 アジア諸国や日本国内の「参拝中止」の声、そして大阪高裁など司法の「違憲判断」に背を向けて、小泉首相が参拝を強行した時は、その翌日正午に国会近 くの首相官邸前で、緊急の抗議行動をします。ただし、参拝の翌日が土・日・祝日なら順延し、最も近い平日の同時刻に行います。ぜひご参加下さい。
 
<緊急共同抗議行動>
◎呼びかけ団体(50音順)
 政教分離の侵害を監視する全国会議、NCC(日本キリスト教協議会)靖国神社問題委員会、平和遺族会全国連絡会、靖国参拝違憲訴訟の会・東京
◎日時=小泉首相参拝の翌日。正午から約1時間。雨天決行。
◎場所=首相官邸前(30分前に衆議院議員面会所集合。地下鉄国会議事堂前・永
田町下車)
◎各団体の抗議声明、のぼり、横幕、プラカードなどをご持参下さい
◎行動終了後、内閣府を通じて抗議声明提出と申し入れを予定

 
というわけで、小泉ファシストの靖国参拝という人類のあらゆる道徳や人倫に反する犯罪的行為の断固阻止を。任期末の最後の悪あがきを許すわけにはいきません。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:49 | Comment(11) | TrackBack(7) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミサイル発射した金総書記より人気がない小泉首相

ミサイル発射した金総書記より人気がない小泉首相  米日中ロ朝5カ国首脳好感度調査で最下位
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/08/20060808000037.html

 世論調査の結果、6カ国協議参加国の韓半島(朝鮮半島)周辺5カ国首脳のうち、日本の小泉首相が北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記よりも好感度が低く、最下位となった。

 8日、SBSの『キム・オジュンのニュース・アンド・ジョイ』が世論調査専門機関のリアルメーター(イ・テクス代表)と共同で調査したところ、16.4%が中国の胡錦濤主席を選び、好感度1位となった。

 ついで米国のブッシュ大統領が15.3%という僅差で2位、3位はロシアのプーチン大統領の 13.9%だった。

 北朝鮮の金正日総書記は8.8%で4位、小泉首相は3.3%にとどまり最下位だった。

 男女別では男性には胡錦濤主席の好感度が高く、ブッシュ大統領はプーチン大統領についで3位だった。

 一方、女性ではブッシュ大統領を好感度ナンバーワンに選び、胡錦濤主席とプーチン大統領がそれぞれ2・3位になった。

 金正日総書記とえいば最近、ミサイル発射を強行して韓半島の緊張を高めた張本人にもかかわらず、小泉首相が最下位になったのは、このところ続いている靖国神社参拝や独島(日本名・竹島)領有権主張で、反日感情がいっそう高まったためとみられている。

 こうした傾向は、先日の韓国日報と読売新聞による共同調査にも現れている。韓国人は中国に56.4%、米国に51.1%が好感を持っている一方、日本に対する好感は17.1%で、ロシア(47.1%)はもちろん北朝鮮(30.9%)に比べても大幅に下回っており、今回のリアルメーターの調査と同じ傾向を示した。

 今回の調査は今月2日、全国の19歳以上の男女460人を無作為に抽出、電話で調査した。集計誤差は95%、信頼水準は±4.6%だ。

朝鮮日報/NEWSIS

愉快なニュースだ。小泉ファシストは、金正日以下というわけでえすね。韓国国民の日本に対する好感度は米日中ロ朝5カ国の中で最下位。ということは、したがって、韓国国民の好感度が世界で一番低い国は日本と言い換えても問題はないわけだ。ここまで、日韓関係を破綻させたのは、小泉ファシストと安倍や麻生などの右翼閣僚。中国、そして、シンガポール、マレーシアなどの他のアジア・太平洋諸国でやっても同じ結果がでるでしょうね。

あいち・平和のための戦争展 と おたる平和展2006のご案内

■「おたる平和展2006」
 主催:2006年おたる平和展実行委員会
 後援:小樽市・小樽市教育委員会
 とき:2006年8月14日、15日 10時〜17時
                8月16日            10時〜16時
 ところ:小樽産業会館 入場無料
 特別展示:海南島で日本はなにをしたのか 虐殺・掠奪・性奴隷化、抗日反日闘争
 一般展示:原爆パネル
        小樽空襲
        小樽防空壕監視隊女子隊員
        小樽高商出身特攻隊員
        茅沼炭鉱朝鮮人強制連行の記録
        中国人強制連行の記録
        朝鮮戦争時の小樽駐留米軍
        北海道軍事地図ほか
 映画上映:「マリーン・ゴーホーム」(北海道AALA2004年制作)ほか
 報告(8月15日13時から):
     佐藤嗣郎「戦時下の小樽  暁部隊のことなど」
     高階孝次「我等少国民」
     能山優子「韓国の遺族と文通して」
     佐藤正人「海南島で日本はなにをしたのか」


「あいち・平和のための戦争展 聞こえませんか? 戦争の足音が」
○とき 8月23日(水)〜27日 (日)9時30分〜17時(最終日16時)
○入場料 500円(高校生以下無料)
○ところ 名古屋市博物館3Fギャラリー   ※昨年までと会場が変わりました。ご注意ください。
○交通 名古屋駅から地下鉄桜通線「桜山」下車 4番出口5分
○主催 あいち平和のための戦争展実行委員会 052-931-0070
○特別企画 映画『人間の碑』上映 ・第二次世界大戦時の空襲は、死傷者51万人の民間人の命を奪い、重い身体障害
を負った人の数も、47万人を越えるという。主人公である杉山千佐子さんは、国 の無責任な政策に対し、国家補償を訴え、
30年以上にわたって活動を続けてきた 。
・とき 26日(土)・27日(日) 13時開場 13時45分上映
・ところ 名古屋市博物館 地下ホール
・入場料 戦争展「入場料」でごらんいただけます。入場の際は展示リーフをお 持ちください。
(映画だけの方は500円)

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:51 | Comment(5) | TrackBack(23) | お知らせ および メーリングリスト関連総合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月06日

泰緬鉄道:世界遺産登録へ タイの市長、広島市長に協力要請 /岡山

泰緬鉄道:世界遺産登録へ タイの市長、広島市長に協力要請 /岡山
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2285030/detail
◇建設時の日本軍通訳、倉敷の永瀬さん同行
 第二次世界大戦中にタイ西部カンチャナブリー市で泰緬(たいめん)鉄道建設にかかわった旧日本軍通訳、永瀬隆さん(88)=本名・藤原隆、倉敷市西阿知町=と、カンチャナブリー市のプラシド・オパティパコン市長(55)らが4日、広島市役所に秋葉忠利市長を訪ね、泰緬鉄道の世界遺産登録への協力を求めた。秋葉市長は「戦争の惨禍を伝えるためお手伝いする」と約束した。
 プラシド市長は広域行政の研修を受けるため、国際協力機構の招きで来日中。永瀬さんは泰緬鉄道のクワイ河鉄橋の世界遺産登録を目指しており、世界遺産の原爆ドームを持つ広島市に協力を求めることにした。
 プラシド市長は「クワイ河鉄橋は歴史的な価値がある。戦争とは何かを後世の人が知るためにも残したい」と秋葉市長に協力を要請。秋葉市長は「平和な世界につながれば素晴らしい。今回の訪問は意義深い」などと応じた。永瀬さんは会談後、「遺産登録は私の人生最後の仕事。広島の協力は力強い」と話した。
 プラシド市長は会談に先立ち、広島市中区の原爆資料館で、広島ユネスコ協会の北川建次会長とも面会。遺産登録への協力を取り付けた。6日には平和記念式典に出席する。【四谷寛】


2006年08月05日18時14分        

 
短いニュース記事です。ですが、タイのカンチャナブリ市からの泰緬鉄道世界遺産化の協力要請に対する広島市の協力姿勢は非常に正しいものであると思う。確かに、原爆を落とされた被害者であるが、同時に広島も大日本帝国を形成していた一部として加害者であったのである。その意味で遅すぎるが広島市民の戦争責任を果たす上で、真価が問われているのである。

 泰緬鉄道について広島の原爆投下を含めた視点で述べておきたい。泰緬鉄道では、多くの連合軍捕虜をはじめ、建設には25万人以上におよぶアジア民衆が動員された。たとえば、インドネシアのジャワ島からも「ロウムシャ」として、鉄道建設のため強制連行されてきたが、いかにひどかったかを示す証拠として、E.J.H.コーナーの証言がある。『思い出の昭南博物館』という題名で翻訳出版されている。 

 日本軍はタイービルマ間に鉄道を建設するため、インドネシアで人手を集めはじめた。過酷な人夫狩りが、年齢、男女の別なく無差別にあちこちの村で行われた。幸運にも魔の手を逃れたのは若くてすばしこい者だけであった。〔中略〕彼らはタイへ船で輸送されたが、その船は途中シンガポールに立ち寄った。航海は2週間ほどであったが、それに耐えられないような年寄り、障害者、病気のジャワ人たちは船から吐き出された。それで、博物館と私たちの住んでいた旧セント・アンドリュー・スクールのあいだの空き地に彼らを収容するためのバラックが建てられた。彼らはよたよたと生気の無い足取りで歩きながら、そのバラックに入っていった。
 航海中に死んだ者も少なくなかった。そういうときは、死体を米袋に入れ、生き残った仲間が海に捨てた。米袋は穴だらけであったから、穴から手足が突き出ていた。バラックのなかでもたくさん死んだが、やはり死体を米袋に入れて海に投げ捨てていた。米袋を肩にかつぎ、軟体動物のようによろよろ歩いていた老人が、運びきれずに、袋をどぶに置き去りにした。いったん道に放り投げてもまた持ち上げ、足を引きずりながら海に向かう者もいた。〔中略〕人夫が女であり、、若くてきれいだと、カタンの近くにある兵舎に送られ、兵士たちの慰みものになった。通行人は、彼女らがジャワ語で「助けて」と悲鳴を上げるのを耳にし、胸をしめつけられた。真昼間に堂々と市民の目の前で繰り広げられたこの惨事は、占領直後の華僑大虐殺と並んで、永遠に歴史上に残る日本軍の汚点となった。〔中略〕バラックは体を動かせないほど弱っていた人夫でいっぱいだった。なかにはいることもできなかった。誰かが体を少し動かしたすきに、私とバートは少しずつなかへはいっていった。死体の数を確認して届け、引き取ってもらわねばならなかったのだ。腐臭のする死体のほかに、死にかけた人間がそこらじゅうに座ったり横たわったりしていた。ある朝、私たちは、死体が13あることを確認し、報告した。市のトラックがきて、死体をつめこみはじめたとき、13番目の死体が動き出し、よろよろと立ち上がったかと思うと自分はまだ死んでいないと言った。だが報告が13とある以上13集めなければならない。運転手は彼を前の座席に乗せると、死体を運び去っていった。
 
(日本軍政下のアジア ー「大東亜共栄圏」と軍票ー 小林英夫著 岩波新書 p147〜148からの孫引きですが)
悲惨な光景が繰り広げられていたのです。現場の泰緬鉄道となれば、それ以上のこの世のものとは思えない地獄絵図が存在したことは、言うまでもありません。原爆投下で広島では10万人以上の人命が失われたといいますが、それをはるかにしのぎ、広島の原爆以上の過酷さ・無慈悲さでもって、多くのアジア民衆の命を奪っていたことに思いを馳せるべきなのです。広島の原爆ドームが立派な世界遺産で、あの多くの人命を奪い、アジアの人々の塗炭の苦しみと血と肉で日本軍が完成させた泰緬鉄道が、後世の人に日本軍の非人道の象徴としての負の世界遺産として登録されてこなかったのは、日本政府、そして日本人自身の怠慢というべきではないでしょうか。731部隊の施設、南京大虐殺記念館をはじめ、負の世界遺産に登録すべきところはたくさんあります。いずれも、大日本帝国の戦争・侵略責任にかかわるものです。いかに、日本人が過去の侵略・戦争加害を忘却し、無知だったかという恥ずべき国民であることの証拠です。皆様は広島市の決意を応援してあげましょう。以上です。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:20 | Comment(41) | TrackBack(101) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

韓国人の原爆被害、日本が間違っている

韓国人の原爆被害、日本が間違っている
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=78561&servcode=200§code=200

  第2次世界大戦が終わってから61年が過ぎた。だが依然として戦争の傷あとを抱えたまま生きている人々がいる。被爆者とその2世らだ。1945年に日本で原爆被害をこうむった韓国人は約7万人、と推定されている。現在、被爆者に登録された人は2206人。そのうち慶尚南道陜川(キョンサンナムド・ハプチョン)の人が552人で全国で最も多い。陜川が「韓国の広島」と呼ばれる理由だ。

  慶尚南道陜川郡陜川邑・原爆被害者福祉会館には満65歳以上の被爆者75人が暮らしている。それらは61年前の傷あとを抱えたまま残り少ない人生を送っている。原爆が投下された毎年8月6日になると、福祉会館に一度も欠かさずに訪ねてくる日本人がいる。この10年間、韓国被爆者への支援に率先してきた「太陽会」の理事長、高橋公純(64)氏と同会のメンバーらだ。それらは毎年8月6日に同会館を訪問し、日本食民支配時代(1910〜45)に強制連行された数多くの韓国人の犠牲と原爆の実像、被爆者の苦痛を解決するために全力を尽くしている。

  高橋氏は「日本が韓国を植民地化しなかったならば、皆さまが被害を受けることもなかったはず」とし「日本人被爆者と同じく報償を行なわずにいる日本政府に二重の責任がある」と強調する。同氏は「これ以上核兵器の危険がなく、平和の持続が可能な世の中にするため、陜川を訪ねている」と述べた。

チョン・ビョンチョル記者 <jbc@ilgan.co.kr>


2006.08.04 15:30:13

この記事も正論。広島の原爆投下で被害にあったのは、日本人だけではない。強制連行されるなどして広島にいた韓国・朝鮮の方々も被爆の被害にあった。日本が韓国を植民地化し、強制的に連れてこなければ原爆の被害に会うことはなかった。そういった韓国に対する植民地侵略責任がついて回るのである。8月6日のこの日に、このことの意味を紳士に考えてもらいたいものだ。

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:32 | Comment(28) | TrackBack(0) | 大日本帝国・侵略戦争・戦争責任関係ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本のせいでアジアには多くの“めぐみさん”がいる

8月6日といえば、広島に原爆が投下された非常に痛ましい日です。非常に短いですが、そんな今日の日本人に耳が痛いかもしれないが、過去の戦争の加害者であったことを感じさせられる記事を。


  日本のせいでアジアには多くの“めぐみさん”がいる韓明淑首相、日本経済新聞とインタビュー
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/05/20060805000019.html

 韓明淑(ハン・ミョンスク)首相は3日、ソウル政府総合庁舎で行われた日本経済新聞との単独インタビューを行った。

 韓首相は横田めぐみさんをはじめとする北朝鮮による日本人拉致問題について、「日本の関心と努力を十分に理解している。アジアには今でも(従軍慰安婦など)過去の日本の行為によって本人の意志とは関係なく強制的に動員された数多くの“めぐみさん”がいる」と話したと、日本経済新聞は報じた。

チョン・シヘン記者

朝鮮日報

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:22 | Comment(19) | TrackBack(0) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

安倍ドブネズミこそこそと今年の4月に靖国参拝!!

この卑怯者のドブネズミが・・・。しかもこそこそと、人間的に恥ずかしくないのかな!?夏バテで疲れ果てているけど、少し怒りに任せてブログ記事に書く。
 
安倍氏、4月に靖国神社参拝 総裁選の争点にも 2006年08月04日11時16分
http://www.asahi.com/politics/update/0804/001.html
 安倍官房長官が今年4月15日に靖国神社に参拝していたことがわかった。複数の政府関係者が明らかにした。昨年10月の官房長官就任後の参拝は初めて。自民党総裁選では谷垣財務相が靖国参拝を控える考えを明らかにしており、参拝の是非をめぐる議論が熱を帯びそうだ。公明党の神崎代表は4日、安倍氏の参拝に不快感を示した。中韓両国の反発も避けられそうにない。
 安倍氏は同日午前の記者会見で「この問題が外交問題化、政治問題化しているなかで、(靖国に)行くか行かないか、あるいは参拝したかしないかを申し上げるつもりはない」と明言を避けた。一方で「戦没者の方々に手を合わせて、ご冥福を祈り、尊崇の念を表する。その気持ちに変わりはない」と語った。
 政府関係者によると、安倍氏は4月15日朝、公用車を使わずにモーニング姿で靖国神社に参拝した。玉串料はポケットマネーで払い、「内閣官房長官、安倍晋三」と記帳したという。安倍氏は参拝後、東京・新宿御苑での首相主催の「桜を見る会」に出席していた。
 安倍氏は自民党幹事長だった04年、幹事長代理だった05年には終戦記念日に参拝した。官房長官就任後は自身が首相に就任した場合も含め、今後も参拝を続けるかどうかについては明言を避けてきた。
 そのうえで、小泉首相が8月15日の参拝を総裁選の公約に掲げ、中韓両国との関係が冷え込んだ経緯を踏まえ、安倍氏は「8月15日に参拝すれば、総裁選で争点化し、国益に反する」と判断。同日の参拝にこだわらない方針を固めていた。
 ただ、安倍氏は「靖国に祭られた近代以降の戦没者を追悼するには、太平洋戦争終結の日よりも春秋の例大祭が適切」というのが持論。今回の参拝時期も、4月21日から行われた春季例大祭の直前にあたり、こうした主張に沿ったものだ。総裁選への影響などを配慮して、参拝の事実を公にしなかったとみられる。
 一方、公明党の神崎代表は4日朝、記者団に「私は、日中、日韓関係改善を考えれば、首相、外相、官房長官は靖国参拝を自粛すべきだと申し上げてきた。それだけに極めて遺憾だ」と述べ、強い不快感を示した。
 中国側は王毅・駐日大使が昨年11月の朝日新聞記者との会見で、首相や官房長官、外相は参拝を控えるよう求めている。

現職の官房長官の参拝は、大日本帝国の侵略戦争を賛美し、肯定する靖国神社の思想に堂々とお墨付きを与えるようなものだ。靖国神社のA級戦犯合祀を含む、靖国神社の歴史認識や戦争・侵略加害責任をめぐるあり方については、中国や韓国、東南アジア・太平洋地域のかつての被害地域はもとより、日本国内からも、そして天皇のヒロヒトからも疑問視されている有様である。そんな神社に参拝できるものだ。そんな常識すら欠いている人物が、時期首相の国など終わっている。しかも、統一教会に祝電を出していた問題はどうなっているんだ。どうしてどこのマスコミも堂々と安倍批判特集をやらないんだろうね。新聞やマスメディアの論調の多くは安倍で決まりで論陣を貼っている。こんなドブネズミ野郎が首相になったら、この国は終わりだろうね。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:06 | Comment(34) | TrackBack(126) | 激怒(むかついた)ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月05日

いくつかのお知らせをまとめて転載

いくつかのお知らせをまとめて転載します。 
 
今年の8・15 「蟻の兵隊」上映会のご案内

★トーク ; 新たな戦争の足音がする〜先の戦争の傷跡を残しながら・・!
鬼建一郎(鹿児島県中国帰国者団結会・会長)                
       
鶴田恒郎 (鹿児島県日中友好教職員の会・会長)( 現在2人交渉中  )                       

コーディネイト 相星雅子(作家)     

★映画上映 ; 『蟻の兵隊』 〜‘06年話題 の中国残留兵ドキュメント映画
 池谷薫監督 (1時間41分作品)  香港国際映画祭♪人道に関する優秀
映画賞受賞,カナダ国際ドキュメンタリー映画祭上映

☆とき   8月15日(敗 戦の日)講演Pm1:00〜 映画Pm2:30〜
☆ところ   県黎明館 講堂(2F)099−222−5100
☆参加費   前売り1200円(当日1500円)、高校生以下無料
                
☆彡  益金・カンパ等は中国残留日本兵&中国残留孤児の訴訟団の活動へ送らせて頂きます。  また、署名も宜しくお願い致します!

☆彡  「蟻の兵隊」は、6月のペンシルクラブ で『日中関係のゆくえ』と題して鹿児島市で講演された、横浜市立大学名誉教授で経済専門家の矢吹晋さん、故黒木和雄(映画監督)、佐藤忠男(映画評論家)を初め多くの支援によって製作されています。                        
                   

2006第8回平和のためのサマーフェスタ実行委員会
            問い合 わせ先 090−3016−0074 (小川みさ子)

呼びかけ人  

井上従昭(妙行寺僧侶)  尾崎一治(ハンセン病問題市民会議かごしま顧問)
   

布田秀治(牧師)  寺本是精(ハンセン病問題市民会議かごしま事務局長)
道免明美(―_Q餤帖法 …疆長穎此兵�児島県日中友好教職員の会代表)
鶴丸芳晴(農業) 並河真知子(ふくろうのパン) 瀬戸山良彦(ペンシルクラブ)         
鬼建一郎(鹿児島県中国帰国者団結の会会長) 八木正三(反戦平和ネット)
大山みどり(みんなで平和をつくる会)  小川みさ子(有事を許さない女たちの会)
藤あけみ(平和の歌で毎年参加ですが、今年は家庭の事情でお休みです♪)


 [小泉首相の靖国神社参拝反対行動]

 小泉首相の靖国参拝に反対する行動が各地で提起されています。
ぜひ参加しましょう。東京と大阪における行動提起を紹介します。

[東京]================================

平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動
●キャンドル行動日程
8月11日(金):18:30 屋内集会 → 霞ヶ関キャンドルデモ
8月12日(土):19:00 銀座キャンドルデモ
8月13日(日):15:00−19:00  屋内集会(地下鉄「神保町」・日本教育会館ホール)
  第1部 講演・証言・アピール
  講演=高橋哲哉(東京大学教授)
  証言=李 金珠(光州遺族会長/夫がタラワ島で戦没、靖国神社に合祀)
  金城 実(彫刻家/沖縄靖国訴訟原告団長)
  チワス アリ(台湾立法院委員/靖国アジア訴訟原告団長)
  アピール=李 煕子(合祀取消訴訟韓国人遺族代表/キャンドル行動実行委共同代表)
  第2部 コンサート
    台湾=「飛魚雲豹音楽工団」/韓国=「朴保」さんライブ
  集会終了後(19:30〜) キャンドルデモ
8月14日(月):野外イベント & キャンドル人文字(地下鉄「外苑前」・明治公園)
  13:00〜18:00 野外展示 & コンサート
  18:00〜20:00 2000名の参加者によるキャンドル人文字づくり
8月15日(火):早朝  抗議デモ

●「キャンドル行動」についての問合せ先
平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動実行委員会
東京都新宿区三栄町八番地三栄ビル6F 四谷総合法律事務所気付
TEL:03-3358-5793 FAX:03-3351-9256
e-mail:
peacecandle2006@yahoo.co.jp
HP:www.peacecandle.jp
平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動実行委員会
【共同代表】今村嗣夫(弁護士)、小田 実(作家)、東海林 勤(牧師、高麗博物館理長)、菅原龍憲(真宗遺族会、靖国アジア訴訟団原告団長)、徐 勝(立命館大学コリア研究センター長)、新倉 修(日本国際法律家協会会長)、西野瑠美子(「女たちの戦争と平和資料館」館長)、針生一郎(美術評論家)、李 仁夏(大韓川崎教会名誉牧師)、山本俊正(日本キリスト教協議会総幹事)、金城 実(彫刻家、沖縄靖国訴訟原告団長)、李 海学(牧師、韓国実行委員長)、高金素梅(台湾立法委員、靖国アジア訴訟原告団長)、李 煕子(韓国太平洋戦争被害者補償推進協議会)

[大阪]================================

8.9世界連帯行動・水曜デモin大阪
もう待てない!日本政府は被害者らの声に耳を傾けよ
8月9日(水) 18:30〜 地下鉄淀屋橋陸橋北側 大阪市役所南
ミニ集会    18:30〜
ピースウォーク 19:00〜(淀屋橋〜大阪駅前)
スタンディング&パフォーマンス19:20〜20:00
当日は「河内音頭水曜デモバージョン」を踊ります。メッセージを描いたうちわのご用意よろしく。
呼びかけ団体:日本軍性奴隷問題の解決を求める会・大阪

アジア民衆とともに8.15を問う!
小泉靖国参拝を許さない8.10大阪集会
  日時:2006年8月10日(日) 午後6時30分〜
  場所:北区民センター2階大ホール
   (環状線天満橋駅または地下鉄堺筋線扇町駅徒歩5分)
     入場無料
  内容 「小泉政治全面批判―8.15と靖国」 森田実さん(政治評論家)
     「アジア戦争責任と靖国」 朴 一さん(大阪市大教授)
     靖国アジア訴訟団原告団より 映像を交えたアピール 他
  主催 大阪平和人権センター
     日朝日韓民衆連帯8月行動実行委員会
                  (ヨンデネット・ユニオンネット呼びかけ)
  協賛 小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団
  連絡先 大阪平和人権センター 06-6351-0793
      おおさかユニオンネットワーク(丹羽) 06-6355-3101
            ヨンデネット大阪 
yondenet@e-sora.net

第20回 アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む会
  日時:2006年8月13日(日) 午前10時〜午後4時30分
  場所:クレオ大阪西ホール  TEL 06-6460-7800 
      (JR環状線・西九条駅から徒歩3分) 
 (地図) 
http://www.creo-osaka.or.jp/west/index.html
 (チラシ/PDF/228KB)
  
http://www.kcat.zaq.ne.jp/iranet-hirakata/060813kizamukai.pdf

  午前:死者は「靖国」の外にいる(10時〜12時)
      解説 上杉聰さん(「心に刻む会」呼びかけ人)
      台湾 チワス・アリさん(台湾立法院委員)
      韓国 金 旭さん(強制連行被害者遺族)
      日本 岩淵宣輝さん(太平洋戦史館専務理事)
  午後:首相の靖国参拝をどう考えるか(13時30分〜16時)
      日本 田中伸尚さん(ノンフィクションライター)
      中国 李 秀石さん(上海国際問題研究所日本研究室副主任)
      韓国 南 相九さん(「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会」遺骨問題担当チーフ調査官)
  参加費:1300円(前売り1000円・中高生半額)
  主催:「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む会」実行委員会
  事務局:TEL 06-6562-7740  FAX 06-6562-5272


日時  8月9日(水) 19:00〜21:00
場所  ひとまち交流館京都第4会議室(河原町正面バス停前)
内容
「考えてみよう靖国問題」上映(30分)
−日韓共同ドキュメンタリー「あんにょん・サヨナラ」から−
靖国をめぐってのトーク
朝鮮植民地支配と靖国神社 川瀬貴也さん(京都府立大学文学部助教授) 
小泉靖国参拝違憲訴訟と今後の取組み 菱木政晴さん(靖国アジア訴訟原告団)
グングン(在韓軍人軍属)裁判と靖国問題 古川雅基さん(支援する会)
靖国新訴訟に向けてのアピール(ビデオメッセージ)
  李熙子さん(太平洋戦争犠牲者補償推進協議会共同代表)
平和の灯を!靖国の闇へ キャンドル行動の訴え

連絡先 
在韓軍人軍属裁判を支援する会
日本製鉄元徴用工裁判を支援する会
中田 e-mail 
nkt-mi@d6.dion.ne.jp

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:39 | Comment(17) | TrackBack(1) | お知らせ および メーリングリスト関連総合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

8.20 あの二人が「撫順」を語る!

熊谷伸一郎@撫順の奇蹟を受け継ぐ会 からのイベントのお知らせです。

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         高橋哲哉×斎藤貴男 対談

   「撫順」―加害と再生の地から現代と未来を語る!

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 戦後61年を迎えようとしている現在、小泉首相の靖国参拝問題や教科書問題など、東アジアのみならず世界から、日本の歴史認識問題が問われています。憲法や教育基本法などを考えるにあたっても、歴史認識問題を切り離すことはできません。

 「撫順」――この加害と再生の地が私たちに与えてくれているヒントをてがかりに、これら課題を解決するための道筋、私たちの社会のあり方について、みなさんとともに考える機会になれば幸いです。「平頂山事件」発生地であり戦犯管理所がおかれた(現在も残っています)「撫順」を訪れたことのある二人が対談します!

 ◆ 日 時:  8月20日(日) 13:30〜16:30(13:00開場)
 ◆ 会 場:  東京しごとセンター B1 講堂にて
 ◆ 資料代:  一般1000円 学生 500円
  ◆ アクセス: JR飯田橋東口 徒歩7分
      都営地下鉄大江戸線 飯田橋 A2出口 徒歩7分
      東京メトロ有楽町線/南北線 飯田橋A2出口 徒歩7分
  ◆  M a p   
http://www.tokyoshigoto.jp/traffic.php
  ◆ 内 容

 <映像と証言> 事件紹介ビデオ/元兵士による証言 

 <対談>     高橋哲哉×斎藤貴男 対談 

      ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
      ┃・・・ 平頂山事件を知っていますか? ・・・
      ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

 1932年9月16日、旧日本軍は撫順近郊の平頂山地域の住民3000人あまりを機関銃で掃射し、掃射後も生存者を探し出しては刺殺するという残虐な住民虐殺事件を起こしました。日本軍は証拠隠滅のために、残された死体の山と村全体を焼き、地上から消滅させました。その現場に建てられた平頂山殉難同胞遺骨館には、殺された村民の累々たる遺骨が、今もそのまま残されています。この遺骨を目の前にしたとき、人はどうしてこれほどまでに残虐なことができるのか、という疑問がわいてきます。

      ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
      ┃・・ 撫順戦犯管理所とは?・・
      ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

 日本の敗戦後、旧日本軍の将兵たち約1000人を戦犯として収容した施設です。戦争中に多くの戦争犯罪をおかしていた彼らですが、収容された当初は、戦犯として扱われることに激怒し、抵抗しました。しかし、中国人に人道的な待遇を受けるなかで、しだいに人間性を取り戻し、いつしか自分たちの加害行為を被害者の立場から考えるようになりました。
 
      ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
      ┃      ・・・ パネリスト紹介 ・・・
      ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 
 ◆高橋哲哉(東京大学大学院教授)

 1956年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。
日本にはびこる歴史修正主義などを鋭く批判している。
著書に『靖国問題』など多数。
   
 ◆斎藤貴男(ジャーナリスト)

 1958年生まれ。格差が広がり監視社会化する状況を深い取材で報告する。
著書に『機会不平等』など多数。

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        賛同団体・個人&ボランティアスタッフ
             募集しています!
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◆一緒にイベントをつくりませんか?

 私たち実行委員会では一緒にイベントを告知してくださる方、当日の運営スタッフを一緒に行ってくださる方を募集しています!
是非下記まで御連絡を!20代、30代も多く参加する楽しい会です!

◆イベント開催・運営費は任意のカンパで賄われます。
   団体および個人の賛同、またカンパのご協力をお願いいたします。

 *団体 2000円 通信欄に賛同団体名をご記入ください
 *個人 1000円 通信欄に賛同・個人 とご記入ください
 *カンパ       通信欄にカンパ とご記入ください
   
 *なお、賛同いただいた団体名・個人のお名前を当日配布資料に掲載させていただきます。ご都合悪い場合はその旨ご連絡くださいますようお願いいたします。

    ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
    ┃ 口座名義 「撫順」から未来を語る実行委員会   
    ┃ 郵便口座 00150−0−335468 
     ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

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 ◆主催: 「撫順」から未来を語る実行委員会
 ◆連絡先:  tel 03-5396-6067 fax 020-4624-2381
        
tyuukiren@yahoo.co.jp
  (イベントに関する一切のお問い合わせ先はこちらになります。)
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┏━━━━━━┓
┃more info  ┃  こちらをご参照ください☆
┗━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ◆撫順戦犯管理所や元兵士の戦後の活動に関心のある方はこちら↓
  撫順の奇蹟を受け継ぐ会  
http://www.tyuukiren.org/

 ◆その他の中国人戦争被害事件について詳しく知りたい方はこちら↓
  中国人戦争被害者の要求を支える会 
http://www.suopei.org/index-j.html

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以上ですが、ご都合のつく方はご参加ください。

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:09 | Comment(8) | TrackBack(0) | お知らせ および メーリングリスト関連総合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

記事を書きたいが・・・・夏バテ

記事を書きたいものの、力がでない。
体が非常に重いし、手足のしびれも感じる。
頭の奥からどんよりとくる激しい痛み、食欲もない。
明日は8月6日、広島に原爆が落とされた日である。8月15日の敗戦記念日(大日本帝国ファシズム体制からの(日本を含む)アジア・太平洋地域の解放記念日)を迎える。靖国神社問題などの熱い時期であるが、気力を振るい起たそうとするが、どうも力がでない。ぼたんきゅ〜 というわけです。はあ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:40 | Comment(14) | TrackBack(0) | 備忘録・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

原付で事故(BlogPet)

きょう右翼討伐犬は、ここで右翼討伐人で曲がり角を転倒したいです。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「右翼討伐犬」が書きました。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 13:11 | Comment(5) | TrackBack(0) | BlogPet用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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