2006年04月30日

テニアン島の沖縄県民犠牲者の慰霊塔壊される

とあるコメント欄より教えてもらったのだが、
 

テニアン島県人慰霊塔壊される/容疑の中国人逮捕か
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200604261300_02.html

侮辱する落書きも
 太平洋戦争当時に犠牲になった県出身者二千人余を慰霊するテニアン島の「沖縄の塔」の一部が破壊され、侮辱的な落書きがされていたことが二十五日までに分かった。同日、県庁で会見を開いた南洋群島帰還者会の宜野座朝憲会長らが明らかにした。
 すでに現地警察が二十代の中国人男性を逮捕したとの情報があるという。同会では情報の確認を急ぐ一方、五月下旬の南洋群島墓参団の派遣時に、在サイパンの出張駐在官事務所に対し、遺憾の意を文書で送ることも検討している。
 破壊されたのはテニアン市内にある「沖縄の塔」を含め、約三十メートルの範囲内にある日本関係五カ所の慰霊施設。
 同塔では建立趣旨を記したプラスチック製の縦四十センチ、横六十センチの銘板が外され、なくなっていた。また銘板の台座や塔の壁面にボールペン状の筆記具で中国語で「豚」を意味する「日本猪」の文字や豚の絵の落書きを計三カ所で確認した。
 四月上旬に、現地の旅行代理店から連絡を受け、テニアンで直接確認した宜野座会長は、地元で教員を務める県人女性から聞いた話として「破壊現場を目撃した生徒の情報を基に警察が二十代の中国人の男を逮捕した。男は銘板を海に投げ捨てたと供述している」と説明した。公的機関からの情報はないという。
 宜野座会長は「慰霊を始めて四十年近くなるが、こんなことは初めて。非常に残念でならない」「大げさに言えば外交問題にも広がる」と怒った。同会は塔を修復し慰霊祭を予定通り行うとしている。

 さすがに私も少し怒りかな?右翼でなくてもこんなことする奴は最低だと正直私ですら思う話だ。確かに日本に対する憎しみもあるかもしれないが、日本の国旗(日の丸)を焼いたりすることとはわけが違う。もちろん、沖縄県民をはじめ多くの日本人が南洋諸島に支配者・横暴者として入植し、君臨し、テニアンの原住民をはじめ、多くの南洋諸島の住民を苦しめ、時に虐待したり、強制労働で酷使したりした事実がある。多くは自発的に太平洋の南の楽園に夢、もしくは希望を抱いて海を渡っていったのであろうが、否応なく、本人が自覚していなくても大日本帝国体制の南洋植民地支配の片棒を担ぎ、そこにいた原住民たちを朝鮮や台湾、満州に入植した場合と同じく蹂躙した。そのことの罪は日本人であれば、一人一人に付きまとう。それはともかくとして、戦争が置き、戦況が悪化するにつれて、日本軍は島の原住民と同じく、苛酷に扱い、沖縄県民をはじめ多くの日本人入植者も苦しめられた。米軍が上陸すると、「捕虜になるな、捕虜になるくらいなら自決せよ」という軍命令が伝えられた。軍からも自決を強要された人が多い。投降しようとしたりした親子が日本軍によって背後から銃殺されたりもした。そのようにして沖縄県民も犠牲になったのである。いくら日本人が憎いからといって、彼らも日本軍・大日本帝国による犠牲者にならざる負えなかった人々である。慰霊塔に侮辱的な落書きをしたり、破壊行為をするようなことは人間として許すことはできない。一番気になるのは犯人が中国人であるという情報である。本当だろうか? 
たとえば、>地元で教員を務める県人女性から聞いた話として「破壊現場を目撃した生徒の情報を基に警察が二十代の中国人の男を逮捕した。男は銘板を海に投げ捨てたと供述している」と説明した、とあり、実際には、この記事では県人女性から聞いた話として伝聞である。


 「沖縄の塔」壊される 日米激戦のテニアン島
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060425-00000200-kyodo-soci 

 太平洋戦争中、日米の激戦で多数の死者が出た米自治領北マリアナ諸島のテニアン島で、沖縄出身の戦没者を慰霊する「沖縄の塔」が、落書きや壊される被害に遭っていたことが25日、分かった。
 塔を建立し、毎年現地で慰霊祭をする南洋群島帰還者会(沖縄県浦添市)によると、慰霊塔の2カ所に「日本猪」との文字や豚の絵が落書きされ、慰霊の趣旨が刻まれた銘板(縦40センチ、横60センチ)がはがされ、なくなっていた。花を供える筒も壊されていた。
 宜野座朝憲会長(75)は「こんなことは初めて。残念でならない」と話している。周辺の日本人戦没者の4慰霊施設にも、落書きや銘板が割られるなどの被害があったという。
 会には「地元警察が島に住む中国人男性を器物損壊容疑で逮捕した」との未確認情報が現地在住者から寄せられている。
   
2chのネット右翼内ではその中国人であることばかりが強調されて、反中感情があおりたてられているようである。この記事でも未確認情報で現地定住者から寄せられていると伝聞である。慰霊塔の破壊を行った犯人が逮捕されたという話も、逮捕されたのが中国人だという話もまったく裏づけがとれていない未確認情報にすぎないわけである。裏づけの取れていない話を妄信して、反中オナニーばかりやってんじゃねーよ。人間として最低な奴らだと私はつくづく思う。実際のところは、大日本帝国の侵略戦争の犠牲になった当時の沖縄県民たちや植民地支配されて苦しめられ、否応なく日本の戦争に巻き込まれたテニアンをはじめとする南洋諸島の原住民犠牲者たちの痛みはまったくネット右翼の頭のなかにはないらしい。つくづく自己中で、人間性が欠如した最低の糟どもだ。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:50 | Comment(37) | TrackBack(108) | 激怒(むかついた)ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

インドネシアの作家、プラムディア氏死去―『日本軍に棄てられた少女たち』の著者

インドネシアの作家、プラムディア氏死去 2006年04月30日18時38分
http://www.asahi.com/obituaries/update/0430/002.html
 現代インドネシアを代表する作家で、ノーベル文学賞候補にもなったプラムディア・アナンタ・トゥルさんが30日、ジャカルタ市内の自宅で糖尿病による呼吸器不全のため死去した。81歳。
 スハルト元大統領が権力を握るきっかけとなった65年の「9・30事件」で逮捕され、79年まで政治犯として拘束された。80年に、オランダ植民地支配下で苦悩するジャワ人の若者を描いた代表作「人間の大地」を発表した。
 同じ主人公による4部作を完成させたが、スハルト政権は「共産主義を広める」などの理由から発禁処分にした。一方でこれまでに日本語を含む約40カ国語に翻訳されている。
 95年にはアジアのノーベル賞と呼ばれるマグサイサイ賞、00年には福岡アジア文化賞大賞をそれぞれ受賞。第2次大戦中の日本軍政下で従軍慰安婦にさせられた女性の聞き書きをまとめた「日本軍に棄てられた少女たち」を01年に出版した。

非常に残念なことです。私が一番読みたかった「日本軍に棄てられた少女たち-インドネシアの慰安婦悲話」の著者です。コモンズ出版のサイトをみれば、内容はわかると思います。著者が政治犯としてスハルト政権から弾圧されて、ブル島に流刑されたとき見聞きした日本軍に騙され棄てられたインドネシア人少女たちの実話です。高い信憑性が保障されて、史料価値は高いと思われます。右翼どもにお勧めしたいものです。また、嘘だ、丁稚上げだとでもこの本の価値を貶めようとするのでしょうか?ともあれ、ご冥福をお祈りします。

アンボン終戦秘話?

軍事評論家=佐藤守のブログ日記
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/というブログがある。たまたま検索していて引っかかった記事がある。
 
2006-04-09 アンボン終戦秘話
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20060409/

 戦況が不利であることは知っていたが、8月15日の陛下の放送は意外だった。誰もが虚脱状態だったが、在アンボンの海軍25根拠地隊司令官・一瀬中将より、陸軍の第5師団長の方が先任だから、降伏に伴う一切の指揮を取ってもらおうとのんきに構えていたところ、師団長と参謀長が敗戦を聞いて自決してしまった。そこで一瀬司令官以下、在アンボンの2万5千人の日本人を無事に内地に復員させる責任は、海軍が負うことになった。 
 進駐してきた豪州軍の司令官はスティールという准将で、補給参謀はアーノット少佐だったが、日章旗を下し、ユニオンジャックを掲げた波止場で降伏式が終わると、豪州軍司令部スタッフをオランダ総督邸であった司令部庁舎に案内した。豪州軍のために綺麗に掃き清められ、長官室には日本人形や生け花まで飾られていて、負けっぷりを良くしようという我々のせめてもの配慮だった。
 スティール准将が〈先任者〉である一瀬司令官に「アドミラル」の敬称で先に敬礼し、それぞれ紹介しあったが、アーノット少佐は、日本軍の幕僚が余りに若いので驚いていた。
 スティール准将が「私は第1次大戦のとき、少尉で地中海に派遣されダーダネルス作戦に参加したが、独逸のUボートに撃沈され海上を漂流した。そのとき日本の駆逐艦に救助された思い出がある。今回、占領軍指揮官としてやってきたが、日本海軍の軍規は立派だ。アドミラル一瀬以下、各スタッフの協力を得て、戦後処理復員業務を速やかに終了させたい」と話したが、一瀬司令官も「私も当時地中海で日本駆逐艦の甲板士官をしていた。かっての戦友がこのような状況下でお会い出来たことは感慨無量である。貴軍の命令を着実に実行し、2万5千人の日本人を速やかに無事帰国させたい」と述べた。
 当時インドネシア独立運動が巻き起こり、アンボンでも武装蜂起があって治安は悪かったので、豪州軍は日本軍から「軍刀」だけを取り上げたものの、武器類はそのまま携行保管させていた。収?された日本軍は、森林を伐採して芋を植え、食料を自給自足しつつ帰国を待つことになったが、携行食糧は約1ヶ月、芋が実るのは4ヶ月。どうしても食料不足は避けられない。そこでアーノット少佐にその補給をお願いし、昭和20年末ごろ入ることになっていたが、十月ごろに連合軍の上級司令部から米軍の参謀長がアンボンを視察に来た。ところが日本海軍が兵器を携行して歩哨に立ったり、町を巡察している。これに驚いた参謀長はスティール准将以下、豪州軍スタッフを怒鳴りつけたらしい。しかしスティール司令官以下も負けてはいなかった。占領軍政も日本軍の協力でうまくいっている、と反論、そして辞表を提出して帰国することになったという。
帰国を前にしたスティール司令官とアーノット少佐は、連絡将校の川崎中尉に「米軍参謀長と意見があわないので帰国するが、約束した食料はたとえ米軍が補給しなくとも豪州政府が必ず送る。帰国すれば私は〈国会議員〉だし、アーノットは豪州ナンバーワンの〈ビスケット会社の社長さん〉だ。ところで君を密かに呼んだのは、御土産に別室に集めてある日本刀を一振りずつ持って帰りたい。出来るだけ古くてよいものを選んでくれ。これはアドミラル一瀬にも、うちの参謀のコステロ中佐にも内緒だ」とウインクしたという。
その後占領軍は豪州軍からオランダ軍に交代したが、その支配下では仕事もなくのんびりしたものだったが、食糧事情は困窮した。
昭和21年4月のある日、英国国旗を掲げた貨物船が2隻入港した。豪州からの食料だった。バター、チーズ、コンビーフ、小麦粉、ビスケットなど、25000人の一ヶ月分であった。スティール准将とアーノット少佐が約束を果たしてくれたのである。坂部大尉は目頭が熱くなったという。「受領に行った船長室で出された紅茶とビスケットのうまかったこと!ふと、そのビスケットのブランドを見たら〈アーノットカンパニー〉とあった。復員船が入ったのはその日から約一ヶ月後であった。食料不足の日本に帰る復員兵のリュックサックには、このコンビーフやビスケットが大事に詰め込まれていた」という。
 昨日の友は今日の敵、今日の敵は明日の友。二十一世紀の太平洋・アジア地区の安定は、日米豪の3カ国が中心になって動くと言われている。
この話を聞いて、私には、何となく明るい予感がしたのであったが、高山教授が言った様に、貴重な〈秘話〉が埋もれたまま消滅することは残念でならない。

このブログの内容を見る限り、老いぼれの右翼爺である。過去の大日本帝国を美化し、大日本帝国が行った侵略戦争がいかにアジア・太平洋地域を踏みにじり苦しめたということに気づいていないのである。日本軍がアンボンで潔く正しく紳士的に降伏を終えたということが書いてある。しかし、状況が180度急変し、オーストラリア軍を捕虜として支配していた側から屈服し服従させられる側になったため、特にアンボンの部隊の上層部たちは自分たちの命が欲しいから、借りてきた猫のように従順になり、進軍してきたオーストラリア軍に大人しく媚びた(そういう命令を部隊全体に出した)だけの話だ。日本軍人というのは、状況が変われば態度を急変させて、何事もなかったかのようにおとなしく紳士的になるのがうまい。あれだけ横暴で腐りきっていた日本軍の上官連中も、アジア各地で強姦や暴虐を重ねていた極悪日本兵も、8月15日を境に急変し、おとなしくなり、日本の家庭(家族)のもとへ帰ると何事もなかったかのようにればよき夫、よき父に様変わりしました。この話はなんら美化できるものではなく、こんなのを持ち出して、日本軍賛美思想を宣伝しようなど犠牲になった人々に対して不遜極まりないものだ。謝罪してもらいたいね。さらにアンボンで降伏したオーストラリア軍兵士に対して日本軍は何をしたのか、佐藤氏は知らないようなので教えてあげよう。オーストラリア軍は司令部となる建物が綺麗に掃き清められ、長官室には日本人形や生け花まで飾られている誠意のある対応を快く受け入れ、日本軍に戦後処理復員業務を速やかにするように、また、武器類の携帯を認めるなどそれ相応の配慮で応じた。しかし、逆に日本軍が1942年にアンボン島に侵攻し、オーストラリア軍を屈服させた際、オーストラリア軍兵士たちにどれだけ酷いことをしたのかわかっていないのだ。
 
第7週 オーストラリアと太平洋戦争
http://opinion.nucba.ac.jp/~kamada/H17Koceania/oceania17-7.htmlより
アンボンで実際には何がおきたのか
オーストラリア映画『アンボンで何が裁かれたか』(Blood Oath)1990年は、泰郁彦『昭和史の謎を追う』下巻、文芸春秋社、1993年所収の「第31章 BC級戦犯たちの落日ーアンボンで何が裁かれたか」(pp.151-167)で詳しく検証されています。以下、泰氏の論文を要約します。  

ラハ事件
日本軍のラハ攻略の激戦の後、日本軍の報告ではオーストラリア兵約200名(後の報告では250名)が捕虜となった。多くの捕虜はアンボンに送られたが、よりわけられたオーストラリア兵に対して銃剣の刺殺による集団処刑が行われた。後に、数珠つなぎになった50体ほどの遺体が発掘されたが、全貌の解明に届かなかった。豪側は、ラハの死者を300人ほどとしているが、戦死者と処刑者の内訳はつきとめられなかった。泰氏は、戦死者は20名程度で、あとは処刑されたのではないかと推測している。ラハ事件では、最高責任者はすでに戦死しており、1人が死刑、2人が禁固20年の有罪判決を受けた。

アンボン収容所の捕虜虐待
アンボン攻略直後は、収容所は管理がゆるやかで、労働も課せられなかった。監督者が交替した1942年6月から待遇が悪化し、暴行、処刑などの「捕虜いじめ」が頻発した。特に1944年以降は補給が絶たれ、日本兵も慢性的飢餓にさらされて、捕虜の待遇もさらに悪化した。アンボン収容所での捕虜の生存率は、23%であった。飛行士処刑も含め、起訴された者は100人を超えたが、死刑13名、有期刑43名の結末となった。

捕虜飛行士の処刑
映画のストーリーのモデルとなった飛行士の処刑事件では、3名が死刑となった。映画のストーリーのように片山たちが「命令者」と証言した大佐は有期刑にとどまり、実行者であった士官の片山、高橋と兵曹長の3名に極刑が科された。


映画になるほど、降伏したオーストラリア軍兵士に対して酷い残虐行為をしたのである。オーストラリア軍捕虜は1000人ほどいたが、日本軍敗戦後には300人ほどになっていたそうである。生存率が23%恐ろしい限りである。忘れてはならないのは、捕虜だけではなく、アンボン島の日本軍の苛政に苦しんだ原住民のことである。
半月上通信 No.48
http://www.han.org/a/half-moon/hm048.htmlより
 ジャワ島スマランなどでオランダ人女性を連行したケースや、スマランからフローレス島へオランダ人・インドネシア人女性を連行したケース、ボルネオ島ポンティアナックで地元女性を連行したとみられる事件、モア島で軍が連行したとする裁判資料、サバロワ島で地元女性を連行したとする証言、アンボン島で地元女性を連行したとする証言などがある。

アンボン島では地元女性を慰安婦として連行して、日本軍の性奴隷として働かせていたそうです。しかし、詳しいソースとなるとわかりません。慰安婦以外の住民虐待についてもさしたるソースは見つかりませんでした。  

東南アジアでもこの"侵略"ぶり
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper51.htm

(4)インドネシア
  インドネシアは石油、スズ、ボーキサイトなど豊富な資源を有する国です。ですから日本は、敗戦の直前まで「独立」を認めようとしませんでした。インドネシア人は当初、日本軍を歓迎しましたが、希望はすぐに失望にかわりました。
 日本軍は、結社・集会、政治的言論・行動・示唆を禁止しました。インドネシアを三つの地域に分割してしまい、民族旗と民族歌を禁止しました。そのかわり、「日の丸」を掲揚し「君が代」を歌うこと、学校では宮城邁拝(皇居にむかって最敬礼すること)も行なわれました。
 何千人という人々が「ロウムシャ」(労務者)として徴用され、マラヤ・ビルマ・タイなどへも送られました。この「ロウムシャ」という言葉は、日本の占領時代、重労働を強いられた人々、という意味でインドネシア語になっているほどです。それほど多数の人々が重労働に使われたのです。食糧に対する日本軍の徴用もきぴしく、多数の餓死者が出ました。
 敗戦後、アンボンで日本人戦犯の処刑が行なわれた時、民衆は「ざまみろ、早く死んじまえ」と火のような憎しみの叫びをあげたのでした(『昭和戦争文学全集』15)

明確な虐待に関するソースは見つかりませんでしたが、アンボン島でも戦犯裁判が開かれて、日本人戦犯が処刑されましたが、民衆はそのとき、憎しみの叫びをその処刑される戦犯に投げかけたそうです。『火のような憎しみ』という形容句がアンボン島でも日本軍の振る舞いは傍若無人極まりないものがあり、原住民が計り知れない苦痛を味わい、敗戦後の日本軍に対する怨念はすさまじかったことを示すものである。
佐藤守氏が『アンボン秘話』と取り上げているのも、秘話でもなんでもなく、ただのオナニーやマスターベーションの類にすぎないのである。日本軍の軍規は厳正であり、敗戦後の復員の過程を含めて立派だったとブログをみた一般人を洗脳するようなオナニー話を書いている暇があったら、日本軍がアンボン島をはじめ、インドネシア、そしてアジア各地で行った残虐行為と、その犠牲者、被害者、家を失ったもの、家族を失ったものなど一連の残虐行為によって被害を被った人々に対して言及することがあるだろう。現に佐藤守氏は元日本兵で、戦争体験者でしょう。あなたのような日本軍が行った一連の残虐行為を恥じず、右翼活動に精を出すような人が現在の日本のような絶望的な状況を作り出しているのです。戦争を体験した佐藤守氏のような爺さんが日本軍が行った蛮行や虐待行為の数々を無視し、アイボン秘話なるものを都合のいい話と都合のいい解釈でもって持ち出して、大日本帝国・日本軍美化言論を行うことは普通のネット右翼以上に罪が重いことを自覚してもらいたいものだ。  

とある記事の反響

エイズ感染・発症、1199人...2年連続で千人突破
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/17165872.html
の記事について結構反響があったようです。

釣り・・・なのか?

>日和見性の病気に苦しみながら(中略)死んでいく右翼どもの姿を想像してみたい
こんなことを世界に向けて発信する人間に、平和を語る資格はあるのですか?
平和のためなら「右翼」は死んでもかまわないと言うのなら、イラク戦争に対するブッシュ大統領の見解と同じってことですよね。
Posted by 2344 at 2006年04月29日 01:06

無論釣りではありません。私は右翼を死んでもいいとは思っていません。ただし、右翼には大変嫌いです。たとえば、大日本帝国の起こした戦争は「自衛戦争」だったとか、「解放戦争」だったという妄言。これだけでも腹が立ちます。日本軍の残虐行為によって犠牲になった無数のアジアの民に失礼だと思いませんか?右翼どもがネットサイトや掲示板、雑誌や新聞、他の出版・報道機関にでてきて発言するところだけでも許せません。大日本帝国によって侵略された近隣諸国の人々や私から見れば、目の前で堂々とオナニーやマスターベーションを見せ付けられているようで大変気持ち悪いし、不快感をもちます。オナニーやマスターベーションというのは隠れて一人でこそこそとやるものです。右翼思想を改めるか、あるいは一生右翼思想を頭の中のみにとどめておいて、掲示板やサイトも含めて一切外に出さないということにしてほしいということ。大日本帝国の侵略や戦争加害行為で犠牲になったすべての命や被害者に対して失礼です。そのような気持ちを私は 「エイズが右翼思想をもつものだけを選択して空気感染し、何十年というスパンではなく、数日という短い期間で発症し、短期間で免疫不全に陥り、カリニ肺炎やカポジ肉腫などの日和見性の病気に苦しみながら、アジア・太平洋地域で犠牲になった数多のアジアの人々に請いを求めながら死んでいく右翼どもの姿を想像してみたいものです。」という風に表現しました。理解いただけますかね?

あのー違和感を持ったのでコメントしにきました。
普通ならば、久しぶりに会った友人に悩みを打ち明けようという心情を推し量れば、まず最初は「女子高生を妊娠させたらエイズに感染させちゃったんだ〜〜」ではなくて、やはり「俺エイズになっちゃったんだ。そしたら女子高生に〜〜」じゃないでしょうか?
自分がエイズになったことが話のついでに出るほど人間は死を恐れない生き物ではないと思いますよ。
作り話ってやっぱりどこか齟齬が出るものですね。従軍慰安婦しかり、強制連行しかり。
Posted by ring at 2006年04月29日 11:21

まず、私が文句を言いたいのは、従軍慰安婦や強制連行が作り話だと決め付けている点です。作り話だと決め付けている右翼勢力は一方の都合のいい証言や書籍は妄信する一方で、先入観や偏見で自身の敬愛する大日本帝国の悪い事実は嘘だと決め付けてかかる。まるで大日本帝国の体質を受け継いだ現在の日本政府の奴隷。それが右翼だ。もう一点、あなたは高校時代の知り合いが私に「女子高生を妊娠させて、エイズに感染させて、その両親とトラブルになっている」ということを打ち明けたことを嘘だといっていますが、嘘ではありません。真実です。自分がエイズになったことが話のついでにでたということでおかしいと決め付けていらっしゃるようで。実は彼自身何人の女性ともやっていて、その女子高生以外にも感染させた女性がいるでしょう。しかし、今回の場合は、相手が女子高生であり、妊娠させて、おまけに自身がもっていたエイズを感染させて、両親にも介入されたということで重大さに気がついたのだと思います。まあ、このことは従軍慰安婦や強制連行などの大日本帝国の加害事実とは異なり、つくり話だと妄信されるのであれば、それはあなたの自由です。ブログやネット上の匿名の世界で、私の話が本当か嘘かは証明しようがないですから。
考えてみたらそうだな。討伐人に高校時代の知り合いが泣きついてきたというのはネタか?もしかしたら、討伐人がエイズに感染し、女子高生をエイズに感染させて、妊娠させた張本人だったりして。女子高生の両親とも揉め事をおこしたが、在日韓国人であることを盾にしらばくれているとか・・・。今も女とやりまくって、エイズを広めているとか・・・?
Posted by at 2006年04月29日 12:15

おい、これは名誉毀損だろ?誰だこんなこと書いたやつは。私はちなみに現在まで童貞で、他人との経験は一切ない。事実無根だ。名誉毀損で訴えてやろうか?
>女子高生をエイズに感染させて、妊娠させた張本人だったりして
その書き込みは、討伐人さんへの名誉毀損にあたりますよ。
Posted by 熊 at 2006年04月29日 12:49

ありがとうございます。熊さま
 ・・・・とうとう自分のサイトに引き篭ったかとおもったら、こんな馬鹿ネタですか。
 お前さん、かなり前に公安が平和主義者とやらを狙って、細菌兵器をまいて病死させたというねたも投下してたな。

 ともあれ、通報させていただきますた。
犯罪予告も散々な去ったようなので、タイーホされる様、楽しみにお待ち申しております。
Posted by at 2006年04月29日 21:32


私は犯罪予告などこのブログでもほかの掲示板等のコミュニティーでも一切したことはないが。「右翼を殺してやるとか、石原慎太郎を暗殺します」などと書いたことは一度もない。もちろん、「右翼は死んでほしい」「大日本帝国犠牲者の痛みを味わって死んだらいいねん」という発言をしたことはあるが、私が実行するという予告ではなく、そうなったらいいという願望や想像の類に過ぎず、犯罪予告にあたるわけはない。もちろん、その右翼がエイズに感染して死んでほしいと書いたことが犯罪予告にあたるとでも言いたいのか?寝言は休み休み言えってんだ。どこまで右翼は脳みそ腐ってんだ?
>お前さん、かなり前に公安が平和主義者とやらを狙って、細菌兵器をまいて病死させたというねたも投下してたな。
そんなネタながした覚えはないが、勝手に捏造するな、糞右翼 

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 01:39 | Comment(34) | TrackBack(1) | 備忘録・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

教育基本法改悪についてのニュース

教育基本法改悪案 なにが問題か
「生徒・教師に足かせ」/「教基法改正」閣議決定

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200604281700_03.html
関心低く不安も
 

 戦後教育の理念を支えてきた教育基本法の改正案が二十八日午前の閣議で決定した。今国会での法案成立は困難な情勢とされるが、改正に向けた動きが進む。改正案について、県内の教育現場からは「国が生徒や教師の権利に足かせをはめるものだ」などと反対の声が上がる。一方で、戦後教育の「分岐点」と指摘されながら、反応が乏しい社会全体に疑問を投げ掛ける意見、学校運営への影響を懸念する声が聞かれた。
 沖縄市の小学校男性教諭(45)は「現行法は『個人の尊厳を重んじ』という表記のように、国が教育の権利を侵さないようになっている。改正案はまさにその逆。子どもたちや現場の教師に足かせをつけるものだ」と「教育の憲法」とされる現行法改正の動きを厳しく批判する。「教員の間で問題意識に差が大きい。着々と改正に向かっているのに危機感がない人もいる」とも指摘する。
 「絶対に反対だ」。本島中部に住む中学校女性教諭(31)は言い切る。改正された場合、「愛国心」を強制する学習指導要領がつくられる可能性を危惧する。「教員評価システムと連動し、行政の意に沿わない教員は厳しい評価が下されるだろう」と強調した。
 糸満市の女性教諭(56)は「現行法にある教育の機会均等などが失われている。教育理念が変わったからといって現場がどう変わるのだろうか。どの教員も想像できないだろう。変えるべきは現状の教育環境なのに」と皮肉を込めた。「世の中が騒がないのが不思議。野党からも強い批判が出ない。閣議決定もされ淡々と改悪に向かっている」と社会の関心の低さに困惑する。
 那覇市の小学校男性教諭(50)は「改正内容を見る限りでは、良いのか悪いのか判断しかねる。現場でどのような影響が出るのか想像できない」と実感がわかない様子。「職場では現場の仕事に手いっぱいで、意見や情報を交わす機会はない」と日常業務に追われる現状を語った。

 

教育基本法改悪案 なにが問題か

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-29/2006042903_02_0.html
国の教育介入 公然と
 
 政府の改悪案でまず重大なのは、いまの教育基本法が厳しく禁じている教育への国家権力の介入を、公然と進めるものになっている点です。
 現行法は第一〇条で「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである」と定めています。政府案は、この後半部分を削り、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と書き換えています。
 現行の条文に込められていたのは、戦前の教育への反省です。教育が国家権力の強い支配のもとに置かれていた当時、教師は「お国のために死ぬことこそ栄誉だ」と教え、教え子を戦場に送る役割を担わされました。
 「逝(ゆ)いて還(かえ)らぬ教え児(ご)よ/私の手は血まみれだ!/君を縊(くび)つたその綱の/端を私も持つていた/しかも人の子の師の名において…」(『戦死せる教え児よ』から)
 これは一九五二年に高知県教職員組合の機関誌に発表された中学教員・竹本源治氏の詩です。いまの時代に、当時の教師たちの悔恨の情を伝えています。
 この痛苦の経験から、今後教育に携わる者は、上から何をいわれたから、ではなく、目の前の子どもや保護者に対して直接に責任を負うという立場で教育にあたるべきだというのが、教育基本法の第一〇条の精神です。
 これに対し、改悪案は“今後は法律に従って教育をしろ”というのです。教育基本法の精神を百八十度転換させ、「国民のための教育」ではなく「お国のための教育」を支える法律へと、変質させてしまうものです。
 
「愛国心」 改憲と連動


 改悪案は「教育の目標」に「我が国や郷土を愛する態度」を盛り込みました。

 「自分の国やふるさとを愛するのは良いことでは」と考える人は少なくありません。日本共産党も、民主的な社会の形成者にふさわしい市民道徳を身につけるための教育を一貫して重視し、その一つとして「他国を敵視したり、他民族をべっ視するのではなく、真の愛国心と諸民族友好の精神をつちかう」ことを主張してきました。
 ここでいう「真の愛国心」は、いまの憲法と教育基本法の精神から当然生まれてくるものです。
 戦前は「忠君愛国」のスローガンのもとに、他国への敵視、他民族へのべっ視があおられ、国民は侵略戦争に駆り立てられました。それを反省し、平和と民主主義を国の根本原理として打ち立てた憲法と、その理想の実現を掲げた教育基本法のもとでこそ、「真の愛国心」を育てる教育ができるのです。
 その教育基本法をあえて変え、「国を愛する態度」を書き込もうとするのは、よこしまな狙いがあるからです。いま、憲法を変えて「戦争できる国」をつくろうという動きがあります。それと連動して、「戦争できる国」を支える人材を育てたい、という狙いです。
 教育基本法に「国を愛する態度」が書き込まれれば、ゆがんだ「愛国心」が子どもに押しつけられることになりかねません。
 多くの地方紙も、社説で「教育が復古調の政治潮流にさらされかねない」(信濃毎日新聞十四日付)、「通知表で『愛国心』に対する評価を求めたり、国歌斉唱・国旗掲揚の強制が強まるのではないか」(琉球新報・同)などの懸念を表明しています。 
 
 改悪案は「教育の目標」に「我が国や郷土を愛する態度」を盛り込みました。
 「自分の国やふるさとを愛するのは良いことでは」と考える人は少なくありません。日本共産党も、民主的な社会の形成者にふさわしい市民道徳を身につけるための教育を一貫して重視し、その一つとして「他国を敵視したり、他民族をべっ視するのではなく、真の愛国心と諸民族友好の精神をつちかう」ことを主張してきました。
 ここでいう「真の愛国心」は、いまの憲法と教育基本法の精神から当然生まれてくるものです。
 戦前は「忠君愛国」のスローガンのもとに、他国への敵視、他民族へのべっ視があおられ、国民は侵略戦争に駆り立てられました。それを反省し、平和と民主主義を国の根本原理として打ち立てた憲法と、その理想の実現を掲げた教育基本法のもとでこそ、「真の愛国心」を育てる教育ができるのです。
 その教育基本法をあえて変え、「国を愛する態度」を書き込もうとするのは、よこしまな狙いがあるからです。いま、憲法を変えて「戦争できる国」をつくろうという動きがあります。それと連動して、「戦争できる国」を支える人材を育てたい、という狙いです。
 教育基本法に「国を愛する態度」が書き込まれれば、ゆがんだ「愛国心」が子どもに押しつけられることになりかねません。
 多くの地方紙も、社説で「教育が復古調の政治潮流にさらされかねない」(信濃毎日新聞十四日付)、「通知表で『愛国心』に対する評価を求めたり、国歌斉唱・国旗掲揚の強制が強まるのではないか」(琉球新報・同)などの懸念を表明しています。
 教育基本法改正も大変危険な動きです。愛国心という言葉自体が危険です。誰でも郷土愛や日本という国を愛する心を日本人であれば誰でも持っています。それを国が強制しようとするところに大変危険なところがあるわけです。戦前の大日本帝国体制では「忠君愛国」のスローガンのもと、近隣アジア地域への蔑視、他民族への見下した優越感、大和民族優越思想が植えつけられ、国民は天皇を守るため、そして、八紘一宇思想が意味する天皇を中心としたピラミッド型社会をアジア・太平洋地域に欧米列強に変わる形で成立させるという妄想のもと、アジア・太平洋地域への侵略戦争に駆り立てられていきました。現行の教育基本法は戦前の教育の反省を踏まえて、国家への教育の介入を限りなく排除し、平和国家への基礎を担うものでしたが、それを現在の政府は変質させようとしているのです。大日本帝国時代では教師は「お国のために死ぬことこそ栄誉だ」と教え、戦争に駆り立てて、子供たちを政府の異のままに働く殺人ロボットにしました。「国民のための教育」ではなく、「お国のための教育」に変えて、個人の心の中まで国家権力が愛国心の名のもとに統制しようとしているのです。断固阻止しなければなりません。ファシスト小泉政権、次期政権候補の安部・麻生ファシスト右翼政治家にもNO!を突きつけよう!!!
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80年前の共謀罪的弾圧による死刑判決を考える

[AML 6852] 80年前の共謀罪的弾圧による死刑判決を考える より転載

Kamedaです。
4月29日をごまかしの「みどりの日」としていたのも今日限りですが、その日に生まれた昭和天皇ヒロヒトは摂政の時代から天皇国家の象徴として打倒対象とされてきた。そのうちいわゆる大逆罪を適用されたのは三例であるが(金子文子・朴烈、難波大助、李奉昌が大審院に付される)、もう一つ中浜哲、古田大次郎たちのギロチン社も金子文子・朴烈のケースと同様に摂政ヒロヒトへの攻撃の実行がないにも関わらず攻撃・打倒の意図を有していたことが死刑判決に結びつけられた。
とくに中浜哲が実行したのは「リャク」行為(活動への協賛金を出させる)だけで恐喝罪に相当する行為だけである。
 中浜哲は80年前、1926年4月15日に死刑を執行された。中浜哲とギロチン社の活動を考える講座を5月14日日曜午後一時から東京都内で開催する。関心ある方は下記E-メールへ問い合わせを。
kameda@s2.ocv.ne.jp 

ギロチン社の活動 

 中浜鉄と古田大次郎を中心とした活動組織がギロチン社。著名な会社へのリャク行為と資金獲得のための銀行員襲撃、関東大震災時の朝鮮人、大杉栄らの虐殺への復讐を目的とした労働運動社の和田久太郎(震災時の戒厳令司令官、福田雅太郎狙撃未遂)村木源次郎との共同行動、その後の爆弾使用が震災後の社会不安と相乗されネーミングも含め社会にインパクトを与えた。古田は現金の奪取を失敗、誤って銀行員を刺殺するが中浜も計画に関与として教唆(強盗殺人)で立件される。1925年5月5日の第三回公判で死刑求刑、5月28日無期懲役の判決となるも大阪控訴院で1926年3月6日死刑判決。4月15日午前10時に絞首された。恐喝以外の実行行為に一切関与しなかった中浜にも死刑判決が出されたのは、来訪していたイギリス皇太子や当時の摂政宮(後の天皇ヒロヒト)へのテロリズムの意志に対する報復判決で思想を裁いたと理解するしかない。中浜は「実際の神體 ──特別至上なる架空的権威を抹殺する為に闘争の力を以って...」(「闘争への道」) と獄中から寄稿した論文では天皇打倒を示唆。
http://www.ocv.ne.jp/~kameda/news-bunkokutom.html 関連データサイト
http://www.ocv.ne.jp/~kameda/miyashita.html 大逆罪弾圧関連サイト


考えさせられる投稿なので、転載しました。今から80年前ほどになるのでしょうか。戦前の大日本帝国時代にも、これから施行されるであろう共謀罪と同じような弾圧が起きていたのでした。中浜鉄氏は脅迫以外の行為において実行したことがないのに、死刑判決が下されました。社会主義者をはじめとしてひどい弾圧が行われました。共謀罪の成立を阻止し、暗黒の時代へと逆行させようとする動きを阻止しなければなりません。
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2006年04月29日

日本の恥を世界にさらす男、その名は石原慎太郎

AMLにて、紹介されて、
CLick for Anti War
http://d.hatena.ne.jp/claw/ でも取り上げられていた記事ですが、
東京都知事、現代美術を腹にすえかね
カルチエ財団、展覧会の開会式でとんだ「とばっちり」 東京特派員ミシェル・テマン 2006年4月24日 リベラシオン
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mcpmt/Liberation20060424.html
「彼は酔っぱらってるのか?」--普通、日本の式典は、ありがたいお言葉をもって華やかに開会を告げる。この日、開会の式辞の栄に浴したのは、炎と燃える(そして炎を燃やしたがる)東京都知事、石原慎太郎、73歳である。彼の隣には、カルチエ・インターナショナル会長ベルナール・フォルナス、東京都現代美術館館長・氏家齊一郎、カルチエ財団理事エルヴェ・シャンデスも顔をそろえている。会場のざわめきが徐々に静まる。しかし、石原は何も事前の準備をしていなかった。マイクを手に、正面の巨大スクリーンを見据えながら(そこには、硫黄質の雲、ボンデージ・アートの作品、暗殺された写真家アレール・ゴメスによる裸体などが映し出されている)、石原は、いくぶん口ごもりながら、いつもながらの歯に衣着せぬ言辞を繰り出した。
「都知事は酔っぱらってるのか?」--彼の最初の数語に「ショックを受けた」ある日本の有名スタイリストが首をかしげる。実のところ、東京都知事は、フロアの招待客たちを前にして、いつもながらのお家芸を披露してみせたにすぎなかったのだ。彼はすべてをぶち壊しにしてやろうと考えた。手加減などまったく抜きにして、彼は現代美術をこき下ろし、愚かしくもそれを西洋芸術だけの専売品のごとく描き出してみせるのだった。招待客に背を向けて話す尊大無礼、決めつけの口調と難解を装った語彙をもって、石原は、展覧会そのものをこっぴどくやっつける。たった今、案内付きで鑑賞してきたばかりの展示がよほど退屈だったのだろう。「今日ここに来て、なにかすごいものが見られるんだろうと思っていました。ところが、実際は何も見るべきものはなかった。」イヤホーンで同時通訳を聴きながら、ベルナール・フォルナスはぐっと息をこらえる。

 
札付きのナショナリスト--こうした文化の財宝も、石原慎太郎のお眼鏡にはまったく適わなかったらしい。「ここに展示されている現代美術は、まったくもって笑止千万なものである」と彼は付け加える。たとえば、先頃パリで人々の注目を集めたオーストラリアのロン・ミュエクによる巨大な彫刻作品「ベッドのなかで」も、石原には揶揄の対象だ。「ベッドのなかの巨大な母親像は、まるで赤ん坊のような目をしている。」ほかならぬ、この作品こそは、展覧会のポスターとカタログの表紙にも選ばれた目玉作品なのだ。
常々、ナショナリズムと朝鮮・中国への敵視の言説で知られる石原は(2004年にはフランス語をも痛罵した)、1999年以来、東京都知事をつとめる元・人気小説家である(1955年、日本のゴンクール賞に当たる芥川賞を受賞)。みずから余暇には絵を描いて過ごすというが、末っ子〔石原延啓〕とは仲違いしており、そしてその末っ子というのが、これまた折悪しく画家なのである。ここぞとばかりに彼が述べるところによれば、「見る者に説明を要する現代美術というのは無に等しい。」そして、最後のとどめのように、「日本の文化は西洋文化よりもよほど美しい。」会場内には衝撃が走った。一部には、これを冗談と受けとめ、笑い声を上げる人もいる。しかし、多くの人々は憤慨をあらわにした。
席に戻って天井ばかりを凝視している東京都知事に続いて挨拶に立ったのは、ベルナール・フォルナスである。彼は、一転して、今回の出展作家たちにさかんな讃辞を送った。挨拶のなかでフォルナスが、ジャン=ミシェル・アルベローラ、松井えり奈といった画家たちから、森山大道といった写真家まで、東京都現代美術館に展示されている作品を「重要な傑作」と評するにおよんで、会場から一斉に拍手喝采が巻き起こる。こうして、石原の主張も宙に浮いた格好となる。

 
なんだ?この無礼講は?まったく日本の恥だな。石原慎太郎は在日韓国・朝鮮人差別発言や「シナ」「三国人」などの問題発言が絶えない、強烈な反中国感情をもつ偏狭した右翼ナショナリストである。やはり、石原の穢れた人間性がこういう場でも発揮されたようだ。カルチエ財団が主催した西洋美術を集めた式典であり、数々の著名人が集まる場で、並んだ数々の美術作品を扱き下ろし、そして、「日本の文化は西洋文化よりもよほど美しい」と止めを刺すような暴言を数々の外国人を含む著名人の前ではいた。もちろん、感性は人それぞれだろう。ただし、たとえ本当にそう思っていたとしても、まして、東京都を代表するものとして式典に招かれた東京都知事。このような華やかな式典の場では踏みとどまり、お世辞でもいいから並んだ作品をほめて、華やかな祝福を送るというのが普通の良識をもった人間だ。こんなやつを当選させた都民の罪は重いだろう。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:51 | Comment(19) | TrackBack(5) | 激怒(むかついた)ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エイズ感染・発症、1199人…2年連続で千人突破

エイズ感染・発症、1199人...2年連続で千人突破 (読売新聞) - 4月28日21時46分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060428-00000113-yom-soci

 
 昨年1年間にエイズウイルス(HIV)に感染した人と、エイズを発症した人の国内での報告数は、過去最高の1199人で、2年連続1000人を突破したことが、厚生労働省エイズ動向委員会の調査でわかった。

 先月末までの感染者数と患者数の累計は1万1326人になった。

 同委員会によると、昨年、日本人の新たな感染者・患者の合計は1043人で、男性が1000人と大半を占めた。99年以降、日本人の男性間の性的接触による感染が急増しているが、昨年も日本人の643人が男性間の感染だった。

 委員長の岩本愛吉・東大医科学研究所付属病院長は「特に10代後半から30歳代にかけての若い男性の性感染が増えており、学校現場などでの教育や啓発が大事だ」と話している。
 
さて、たまたま目についたニュースなので取り上げてみました。たまにはこのような話題も取り上げるのも悪くないでしょう。私的な話題となりますが、私の高校時代の知り合いに女たっらしのとんでもない奴がいました。ずっと前の話ですが、私は偶然彼に会ったのですが、彼は困って泣きついてきたのです。女子高生とやったらしいのですが、女子高生を妊娠させたあげく、さらにその女子高生にエイズを感染させてしまったというのです。検査で胎児も感染していることが判明。ちなみに中絶可能期間の21週を遠にすぎており、その女子高生も子供を産まざるおえないとのこと。女子高生に感染させた上に、胎児にも母子感染しているということ。そのことでその女子高生のお嬢様の両親とトラブルに陥り、窮地に立っているということです。彼は両親とも疎遠であり、追い込まれているということです。彼自身幾人の女性との関係をもっており、どこかでエイズに感染したのでしょう。私は同情して助けてあげようと思ったのですが、彼が在日朝鮮・韓国人の○○君を罵倒し、右翼発言をしていたことを思い出したので、見捨ててあげてきました。その女子高生には同情します。男というのは恥知らずな生物です。彼は罰を受けるべきでしょう。彼には、何十人ものアジア女性をレイプしたり、慰安所でやりまくった日本軍の悪しきジェンダー思想が受け継がれているのでしょう。私は彼自身どうなったのか知りません。まあ、私はエイズというのは人間の乱れた性モラルが生んだ非情な病気の一つだと思います。
 エイズが右翼思想をもつものだけを選択して空気感染し、何十年というスパンではなく、数日という短い期間で発症し、短期間で免疫不全に陥り、カリニ肺炎やカポジ肉腫などの日和見性の病気に苦しみながら、アジア・太平洋地域で犠牲になった数多のアジアの人々に請いを求めながら死んでいく右翼どもの姿を想像してみたいものです。そんなことはさておいて、良識派の皆様は十分に気をつけてください。

2006年04月28日

日本政府のあまりのしつこい粘着のため、韓国政府も国際司法の場での獨島問題の決着を検討!?

「国際司法裁で争う場合、結果を100%確信できない」 朝鮮日報
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/28/20060428000034.html
 柳明桓(ユ・ミョンファン)外交部次官は26日、国会で独島(日本名竹島)問題に関連し、「同問題は望むと望まぬとかかわらず、国際海洋法裁判所に持ち込むことができるし、国際司法裁判所に委ねる可能性も全く排除することはできない」と話した。柳次官は「研究のピッチを上げて、実効的に対応できる証拠を固める」と述べた。外交部はこれと関連して、27日に国際法学者を外交部に呼び、対応案を論議した。
 
 国際海洋法裁判所は国際司法裁判所とは異なり、一方の提訴で訴訟を行うことができる。国際海洋法裁判所には日本の外務次官を務めた柳井俊二氏が裁判官を務めている。
 
 一方、国際司法裁判所で訴訟が開始されるためには双方の同意が必要だ。韓国政府関係者は「国際司法裁判所に持ち込んでも特に不利なことはないが、裁判の結果が100パーセント確信できないので避けるのが望ましい」と話した。
 
アン・ヨンギュ記者


韓国側も国際司法の場での決着に向けて準備を始めたようです。法的にも、歴史的にも、道義的・道徳的側面においても日本側に勝ち目はありません。現在、獨島を実効支配しているのは韓国側であり、韓国人にとって、イスラム教徒でいうメッカのような国民的聖地となっているのです。歴史的経緯でいえば、韓国に対する侵略と植民地化の過程のなかで不法に占領された地が独島であり、強制連行や従軍性奴隷、植民地支配の過去の歴史と獨島問題は切り離せないものであります。したがって、独島に対する日本の領有権主張は本来韓国に返された領土を再び領土的野心でもって奪い取ろうとする不遜極まりないものであり、正しい歴史認識をもっておらず、過去の植民地支配やその過程に対する償いと反省の態度の欠片もない証拠である。小泉やその後継とされる安部や麻生は「靖国参拝」および問題発言を繰り返しており、教育現場に「日の丸・君が代」を持ち込んで愛国教育を推進し、平和や過去の植民地や侵略の流れを反省する教育をうたう教育基本法を改悪しちょうとしているのである。排外主義を煽り、失政から目を背けさせ、ファシスト路線を推進しようとする日本政府や右翼勢力にとって「領土問題」は最大の材料である。

 国際司法裁判所の決着で、韓国側が完膚なきままに勝利し、日本を打ち負かして、さらに断固たるものとして独島の領有を確立したものとできればうれしい。さらに、その偉大な勝利のもと、尖閣諸島の問題で、中国や台湾側が提訴し、日本側の不法占拠から本来敗戦時に解放されるべきだった最後の領土である尖閣諸島を解放し、領土的にはアジア・太平洋戦争を真に終結させることに繋がってくるだろう。日本政府や右翼勢力にとってはまたとない打撃であり、日本政府や右翼勢力が改心する大いなる機会となるだろう。
 しかし、韓国側が100%勝つとは限らない。法的にも歴史的にも、道義的・道徳的側面においても日本が勝つ余地はまったくないのであるが、裁判というのは国際間の政治的綱引きの場であり、裁判官も一人の人間である以上、世界の世論、日本側の裏工作の動きに大いきく影響されてくるのだ。国際海洋裁判所には日本政府のエージェントである柳井俊二がいる。万が一という自体が起こりえるのである。そこでの対策としては改めて、世界の世論に対して、大日本帝国の韓国に対する植民地支配および他のアジア太平洋地域に対する侵略や戦争加害の問題を提起して、堅固たる反日本政府包囲網を築き、独島に対して日本政府が領有権を主張することが、韓国の領土に対する再侵略であり、過去の侵略や植民地支配を反省していない(怒涛)という印象を世界に対して与えることである。欧米諸国には連合軍の捕虜や抑留者(民間人)がいかに日本軍によって酷いことをされたかという歴史的事実を大日本帝国の侵略と植民地支配の歴史を強調する中で提示し、日本政府に対する反発を強める材料と大いに使用するべきである。また、中国や北朝鮮以外の東南アジア諸国、そしてとりわけ、太平洋諸国の地域に反日本歴史美化・日本右翼の世論の創出も欠かすことはできない。韓国政府が100%の確信をもって、国際司法裁判所あるいは国際海洋法裁判所などの国際法廷の場で日本政府を打ち負かすことができるような環境を整えることに誠意をもって尽くすのが竹島/独島問題における良識派日本人の使命であろう。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:55 | Comment(63) | TrackBack(3) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

500系のぞみ ネームワッペン(BlogPet)

きょう、右翼討伐人とこは作成♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「右翼討伐犬」がぼちぼちいこか・・・!を読んで書きました。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 12:45 | Comment(10) | TrackBack(0) | BlogPet用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

海底地名、6月提案も可能 見送り合意ないと韓国

海底地名、6月提案も可能 見送り合意ないと韓国 2006年4月26日(水)
http://www.toonippo.co.jp/news_kyo/news/20060426010013242.asp
 【ソウル26日共同】日韓が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)周辺の海底地名変更について、韓国の柳明桓外交通商第1次官は26日、国会で、先の日韓外務次官会談で6月にドイツで行われる国際会議での提案見送りまでは合意していないとの認識を示し、準備が整えば提案も可能との考えを明らかにした。
 日本側は、会談で日本が竹島周辺での海洋調査計画を中止する代わり、韓国側が6月の提案を見送ることで合意したと発表したが、韓国側は韓国式名称への変更提案を「適切な時期に行う」との立場を表明していた。柳次官の発言により、合意をめぐる日韓の解釈の違いが浮き彫りになった。

 盧武鉉大統領が25日の特別談話で地名変更を「当然の権利」と強調したことを受け、韓国側が「日本側の要求で譲歩しない」との原則を示したものだが、6月提案は準備不足により実現は難しい状況だ。(共同通信社)


独島および独島周辺海域は韓国の完全な主権海域である。したがって、自由に海底地形などの名称を変更しようと韓国側の自由のはずである。今回、6月のドイツでの国際会議での海底名称変更を日本側に譲歩して、提案見送られたとメディアでは報じられたが、韓国側がそれを否定した形だった。「適切な時期に行う」という韓国側の主張を誤って解釈してしまった日本側の失点だろう。日本側に勘違いさせて、有頂天に浮かれている右翼勢力を勘違いさせないためにも、日本側の「6月提案見送り」という妄想を否定してくれた、韓国にGJと言いたいね。

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:30 | Comment(43) | TrackBack(0) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月27日

軍隊のない国家−パラオ共和国

[AML 6817] 軍隊のない国家(6)−−パラオ共和国  より転載

前田 朗です。

4月27日

例によって軍隊のない国家です。

前田 朗「軍隊のない国家(6)――パラオ共和国」法と民主主義407号

法と民主主義407号

http://www.jdla.jp/houmin/index.html

特集は「日米安保と自衛隊の再編」と「尼崎事故1年と国鉄闘争」です。

私の文章の目次

一 非核憲法の顛末

二 「親日国家」

三 憲法政治の構造

さわりだけ紹介しておきます。

* ***********************************

 パラオは太平洋西部に位置し、日本の真南にあたる。面積四八八平方キロ(屋久島とほぼ同じ)、人口約二万人(二〇〇四年)の小国で、首都はコロールである(憲法では暫定的な首都とされ、バベルダオブに新首都が建設されることになっている)。

 人種はミクロネシア系、パラオ語が国語であるが、公用語はパラオ語と英語である。憲法もパラオ語と英語があるが、両者に相違のある場合は英語版が優先する。.宗教はキリスト教である。

 主要産業は観光業と漁業である。アメリカや日本の経済援助に依存している比率が高い。国家経済自体、アメリカからの援助金と観光業収入によって支えられている。農業・漁業生産物は主に自家消費用及び小規模国内市場向けである。製造業としては中国人労働者を使った縫製工場以外には見るべきものがなく、食料品をはじめ主な消費物資はほとんどを輸入に頼っている。産業面では一九九〇年代に観光業が大幅に伸び、観光客数は増加を続けたが、ここ数年は伸び悩んでいる。

 パラオ経済を実質的に支えているのはアメリカによる財政援助と、日米などが行っている大規模開発援助である。二〇〇九年にアメリカの財政援助が終了するので、それまでに経済自立を図ることが課題になっている。

 日本とパラオの関係も良く知られるところだが、第一次大戦時に日本軍がミクロネシアを占領し、一九二〇年、国際連盟から日本のミクロネシア(南洋群島)委任統治が認められた。一九二二年、南洋群島全体を管轄する南洋庁本庁がコロールに設置される。これ以後、日本は町づくりと産業育成を進めた。南洋拓殖を中心とする官営企業と、南洋貿易などの民間企業がミクロネシアの殖産興業にあたった。多数の日本人が移住し、貿易、海運、水産、ヤシ栽培、製糖業、リン鉱石採掘などを行なった。南洋庁の置かれたコロールは町づくりが進み、最盛期にはパラオ人一五百人に対して、日本人は一万三〇〇〇人に達したという(5)。

 第二次大戦では、日本軍とアメリカ軍の激戦の地となった。ペリリュー島とアンガウル島は日本軍玉砕の島として知られる。ペリリュー島の場合、戦闘開始前に島民の強制移住が行われたので戦闘に巻き込まれずに済んだが、戦後、帰島してみると島影はすっかり変貌していた。皇民化教育がなされていたため「パラオ挺身隊」が組織され、ニューギニア戦線に送られ、半数が死亡または行方不明となるなど、多くの被害を受けた。しかし、日本政府は現地の被害者にまともな戦後補償を行っていない(6)。

 第二次大戦後、アメリカはミクロネシア地域を他国に軍事利用させないために排他的な政策をとった。同時に、日本の影響を消し去るために、日本人がつくった町を破壊したという。多くの建物や道路が破壊されたまま放置された。しかも、アメリカ風な町づくりをしたり、アメリカ文化を積極的にもたらしたわけではない。長い間、ミクロネシア地域を閉鎖していたといってよい。人々を島嶼の檻に閉じ込めたままの「動物園政策」とも言われる。

 このためもあって、パラオでは親日的な雰囲気が強く、今日でも「親日国家」ということが強調されることが多い。ドイツやアメリカと違って、町をつくり、「文化」をもたらし、産業を育成したので、日本時代にはパラオの人々の生活水準も向上したからと言われる。

 確かにパラオの人々は日本人に好意的である。しかし、もともと歴史や記憶を大切にするパラオの文化にとって、日本との関係は極めて錯綜している。また、日本人の側で「パラオは親日国家だ」という声がやけに高いのは、むしろ奇妙なことですらある(7)。世界には一九〇を超える国家があるというのに。



(5)Exhibit of History and Culture during Japanese Administration
Period, Project for the 50th Anniversary of Belau National Museum, Belau
National Museum and Embassy of Japan in the Republic of Palau, 2005. 
は、当時のコロールの様子を模型や地図で再現したパラオ国立博物館展示のパンフレットである。

(6)第二次大戦の記憶に関連して、 Karen L. Nero, Time of Famine, Time
of Transformation: Hell in the Pacific, Palau. in: Geoffrey M. White &
Lamont Lindstrom (ed.), The Pacific Theater, Island Representations of
World War II, University of Hawaii Press, 1989.

(7)次の指摘に注意すべきである。「・・・年配の人の使う達者な日本語と、日本時代の思い出話につられて、パラオの人々は日本びいきだと単純に考え、パラオに投資してひと旗あげようと考えている日本人もいる。とんでもない心得違いである。もともとパラオの人たちが誰に何の迷惑もかけずに住んでいた土地へ、ドイツにかわる支配者として押しかけ、彼らの土地を勝手に使い、三等国民として皇民教育を受けさせ、時には強制労働をさせたりして、自分たちが利益を得たあげくの果てに無関係な戦争に巻き込んで戦禍を残して去っていったのが日本人である。しかも、頭越しのミクロネシア協定で戦時賠償をごまかそうとしている。パラオが経済的自立に苦しむ今、経済大国になった日本に援助を望むのは無理のないことである。そこのところを考え違いすると大変なことになる」(上原伸一、前掲書一〇四〜一〇五頁)。


前田 朗氏は平和憲法9条を守り、そして無防備条例の推進活動をされています。その中で軍隊のない国家シリーズに取り組んでおられます。今回パラオについては日本の植民地時代と親日国とされるパラオと日本の歪んだ関係に触れた冒頭文に関心を引かれ転載しました。

ミクロネシア、パラオ、マーシャル諸島および太平洋地域全般における大日本帝国加害事実
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/13728839.html
において、パラオにおける大日本帝国の加害事実について触れました。ずかずかと支配者(圧政者、悪魔)として島民(原住民)をはるかに上回る移民を送り込んで押し寄せて、三等国民としての皇民教育を受けさせて、時には強制労働、そしてパラオ挺身隊として戦地に送り込みました。従軍慰安婦の問題や、戦争中に進駐してきた日本軍による強姦などの性暴力の問題もあったのかもしれません。ペリリュー島のケースの場合、玉砕前に強制移住が行われ、島民を含む民間人の犠牲者はでなかったのですが、パラオなどを含むベラウ全島の食糧・生産供給する島がベリリュー島だったらしく、戦況の悪化による外部からの補給の寸断に加え、ペリリュー島が日本軍に占拠されたために、パラオの食糧事情は逼迫し、島民の半分が餓死したという。それらの犠牲者や被害者に対して日本政府はミクロネシア協定を盾に戦時賠償をごまかし補償を拒んでいるのである。
 パラオを以外のサイパン、グアムを含む北マリアナ連邦、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島においても、同じ侵略・植民地化を受けた韓国や中国と異なり、大日本帝国非難の声や戦争加害、侵略における補償追及や、靖国神社参拝反対活動の声はほとんど聞こえないが(実際に旅行した人(大学の知り合いetc)に尋ねたことがあるのだが、パラオ以外でも年配の人は日本語をしゃべり、日本の植民地時代を懐かしむような人も少なくないという)、これらの地域で大日本帝国が行った蛮行を真摯に受け止めて、決して世論が親日だとしても、日本国民は勘違いしてはならないのである。また、それらの地域でも大日本帝国や日本軍被害者の声を掘り起こし、パラオ挺身隊などで日本軍に動員されて犠牲になった遺族などを探しだし、中国や韓国と同じく日本の歴史問題に対して厳しく接してもらえるように環境を整えるのは若い世代の日本人、そして私(右翼討伐人)を含む良識派の役割である。私は太平洋諸国は大日本帝国の戦争責任や戦争加害や侵略の問題の大きなブラックボックスとして空いている空間である。右翼勢力は中国や韓国を避けて南に下る「海洋国家」論なる妄想を抱いているが、日本に巣食う右翼勢力に対して四面楚歌の状況を作り出す上で大きな役割を果たし、大いなる可能性を秘めているのが太平洋諸国・地域であると思います。。良識ある日本人であれば、太平洋諸国・地域に着目し、戦争被害者や反日本右翼・歴史美化反対世論の創出に尽くさなければならないのは言うまでもない。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:57 | Comment(9) | TrackBack(0) | 大日本帝国侵略・戦争被害諸国民衆による市民連帯結成を | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「昭和」と天皇制の歴史的責任を問う4.29集会とデモ

 いくつかお知らせを転載します。
[AML 6805]「昭和」と天皇制の歴史的責任を問う4.29集会とデモ  より転載

桜井大子です。

■4.29――「みどりの日」、そして来年からは「昭和の日」となる
その日が、目前に迫ってきました。
■4.29集会実行委から、この4.29という「祝日」に対する抗議行動への
再度のお誘いです。ぜひご参集ください。

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「昭和」と天皇制の歴史的責任を問う4.29集会

日時●2006年4月29日(土)13時15分開場  
場所●渋谷区立勤労福祉会館(JRほか渋谷駅/パルコ前)
講師●酒井隆史(大阪女子大学教員)/鈴木裕子(女性史研究)
  *集会後、デモを予定
主催●同集会実行委員会

【よびかけ】
アジア連帯講座/国連・憲法問題研究会/昭和天皇記念館・
廃館準備委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」
強制反対の意思表示の会/ 明治大学駿台文学会/連帯社
(50音順)

【連絡先】
東京都新宿区上落合3―15―1―301 落合BOX
電話:090―3438―0263  

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【よびかけ文】

 九条改憲を軸として、日本が本格的な戦争国家となるための政治的・社会的再編が進行している。この攻撃は、戦後一貫してこの国の政治を深部で規定してきたアメリカとの同盟関係によって具体的に進められている。いわゆる「2+2」(日米安全保障委員会)によって昨年秋に発表された「日米同盟未来のための変革と再編」によって、自衛隊は地球的規模に展開している米軍の戦略のなかにはっきりと位置づけられた。米軍の指揮系統化に自衛隊を組み込むなど、日米安保体制はその軍事同盟としての役割を飛躍的に強め、米軍再編の名のもとに在日米軍基地機能の一層の強化が図られている。こうした同盟関係の要請に応じて、改憲攻撃は文字通りの「新憲法づくり」としてすすめられているのだ。
 この間の「皇室典範改正論議」は、秋篠宮妃紀子の妊娠が明らかになったことによって、当面先送りの様相を呈しているが、グローバリゼーションの進行のなかで、日本国家のナショナルな統合の軸であり続けている象徴天皇制と天皇主義が果たす役割もまた強化されている。私たちは、そのような状況のなかで、今年も四・二九という日を迎えようとしている。
 昨年の第一六二回国会で成立した「改正祝日法」によって、来年から、現在「みどりの日」である四月二九日を新たに「昭和の日」とし、「みどりの日」は五月四日に移動することとなった。
 私たちは「昭和の日」に反対する行動を続けていくなかで、侵略戦争の最高責任者であり、自らの延命のために敗戦を長びかせ、そのことによってアジアの人びと、国内の人びとを大量に殺した責任を負う昭和天皇ヒロヒトと天皇制国家の責任を糾弾してきた。そして、戦後においても国家による謝罪と被害当事者・遺族への補償を拒否し続ける、「戦後責任」を負う日本国家を批判し続けてきた。そうした戦前―戦後の天皇制国家のありかたをまるごと賛美するのが「昭和の日」にほかならない。私たちは、どのような意味においても「昭和」を祝わない。
 昨年秋には、ヒロヒト在位五〇年を記念して造られた立川の「昭和記念公園」の中に、国土交通省によって建設された「昭和天皇記念館」が開館させられた。展示内容を請け負う天皇主義者の団体、「昭和聖徳記念財団」には、政府・財界・神道関係者などの面々が名を連ねている。この「昭和天皇記念館」の展示内容は、戦争に反対し、平和を希求し、みどりを愛した昭和天皇というデマゴギーに満ちている。
 現在進んでいる「昭和」の浮上とは、その意味で正面から天皇制国家の戦争・戦後責任に居直るものが必ずしも主流になっているということはできない。むしろ戦後一貫してふりまかれた「平和天皇」のイメージと同様、それを隠蔽し忘却させ、歴史を偽造するものであり続けている。しかし、「平和天皇」の背後には、つねに伝統主義的・神権天皇の顔がはりついているのだ。それが不断に呼び起こす天皇主義とナショナリズムの動きは、たとえば、私たちの集会に対する天皇主義右翼の暴力的介入として、日常的に登場してきている。そればかりではない。年に一度の靖国神社参拝を公言し実行し続けている小泉首相、ヒロヒトの戦争責任を明確に指摘した女性国際戦犯法廷を扱ったNHK番組への改竄を指示した安倍官房長官、天皇の靖国参拝を求めた麻生外相などの動きに見られるように、現在の政権中枢が、かかる右翼政治によって占められるようになっていることを、見過ごすことはできない。
 グローバル化のなかでの改憲と戦争国家化の進行、そのもとで進む一連の天皇制とナショナリズムの再編強化の動き、これに対して私たちは分析と批判を強めつつ、アジアの人びととともに天皇制の戦争・戦後責任を問い続けていきたい。4・29集会実行委員会への参加と賛同を訴える。


以上転載しました。4月29日(土)はみどりの日で祝日ですね。ゴールデンウィークを前にした祝日ですが、私には残念ながら祝日は存在しません。そんなことはおいておいて、みどりの日を移動させて、4月29日、昭和天皇の誕生日ですが、「みどりの日」を移動させ、4月29日を「昭和の日」とする悪行が行われようとしています。断じて許すことはできないというのがこの内容です。若干疑問を呈するところがあります。侵略戦争の最高指導者であるというのは正しいですが、『自らの延命のために敗戦を長びかせ』というのは完全には立証されていません。陸軍の、特に若手参謀らが本土決戦を辞さないという強硬路線をとろうとしていた。8月9日に11時50分にポツダム宣言受諾をめぐる御前会議があり、10日の午後2時を回るまで続けられたが、その終わり際に鈴木首相が天皇のご聖断を拝した。昭和天皇は「それならば私の意見をいおう。私は外務大臣の意見に同意である」と当時の東郷外務大臣の国体護持のみの条件としてポツダム宣言を受諾し降伏すべきだとした意見に賛同し、このたった一回のご聖断によって降伏が決定されたことは有名である。昭和天皇の裏には軍事指導者・財閥・官僚役人などの利権吸血マフィアどもがいたは事実であるが、諸説はあるにしろ、最高指導者である昭和天皇の戦争責任は免れることはできないのである。昭和天皇が操り人形になっていたにしろ、名目上は大日本帝国の頂点に君臨していた以上、アジアの人びと、国内の人びとを大量に殺した責任を負うのは当然である。それにしても右傾化が進み、近隣諸国との関係がもつれ、反動化が進むなかで「昭和の日」構想が浮上してきたのである。もちろん、とんでもない話である。昭和という激動の時代を忘れずに、また、昭和というのは戦前・戦中・戦後をつなぐ時代であり、大日本帝国のアジア・太平洋侵略戦争の戦争責任・戦後責任の問題を踏まえて、後世へ伝えていくというのであって「昭和の日」を制定するのであれば、理解できるが、先の戦争の最高指導者であり、アジア・太平洋地域の民衆にとって憎き仇の象徴である昭和天皇の誕生日を選ぶのは甚だおかしいのである。昭和天皇は積極的に戦争や侵略を主導したわけではなく、周囲の取り巻き(軍部や官僚など)に流されて仕方なく戦争を容認せざる負えなかったというであっても、日本国民が国を挙げて記念日をつくり誕生日を祝うような人物ではないはずであり、近隣諸国の民衆からしたら靖国神社参拝行為と同様に先の侵略戦争を真摯に反省していない態度だと受け取られるだろう。断固「昭和の日」の制定を阻止しなければならない。

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:30 | Comment(5) | TrackBack(38) | 大日本帝国侵略・戦争被害諸国民衆による市民連帯結成を | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月25日

共謀罪について/共謀罪に反対します

私自身、AMLやPAMLなどでたびたび共謀罪についての呼びかけもあり、共謀罪について知っていたが、なかなかブログにて扱う機会がなかった。事態が切迫しているというので、このブログでも関連の記事を投稿します。
[paml:05346] 共謀罪ができたら大変!(転送歓迎)  より転載

メルマガのために書いた原稿ですが、すべての市民活動に関連があり、時間との勝負なので、複数のMLに投稿します。重複、不必要な 方、ごめんなさい。転送を歓迎します。
========
共謀罪リアルタイム世論調査@インターネット(賛否が拮抗していま
す。参加して意見を表明しよう)
http://www.yoronchousa.net/webapp/vote/form/?id_research=334

初めての方、「きくちゆみの地球平和ニュース」へようこそ。マスコミががなかなか報道しない大切な情報を発信します。良かったらこちらの登録ページをお友だちにお伝えください。
  
http://www.mag2.com/m/0000172015.html

<共謀罪(きょうぼうざい)ができたら大変!止めましょう>

本当の名前は、とても長いんですね。「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑 法等の一部を改正する法律案(=共謀罪:きょうぼうざい)」。長くて
大変なので、「共謀罪」で話を進めます。この法案が今、衆議院の法務 委員会で審議中で、28日には採決されそうです。

共に謀(はか)ると書いて「共謀(きょうぼう)」。2人以上の人間が 相談して何か(悪いことを)企むことが罪になる法律です。

「私は悪いことなんてしないから、関係ないわ」と思っているでしょう?でも、本当に関係ないでしょうか。

たとえば、会社のいやーな上司に嫌気がしている同僚と仕事の後に飲んで、「一度ぶん殴ってやりたい」「本当」と意気投合したら「傷害の共謀罪」

 近くに高層マンションの計画され、あなたの家とご近所が日陰になってしまう。マンションの建設に一緒に反対しませんか、と相談したら、 「威力業務妨害の共謀罪」。

お母さんグループがこどもの健康のために添加物入りの食べ物やジュー スを買わないようにしましょう(不買運動)、と相談したら、「組織的威力業務妨害の共謀罪」。

「うちの旦那(かみさん)、いなくなればいいのに」「うちもー」、なんて会話も、「殺人の共謀罪」!

そして極めつけは、一緒にいた誰かが警察に密告すれば、密告した人は罪にならないこと。つまり、密告を奨励している点。たとえば、密告者を市民団体などに侵入させれば、市民活動をめちゃくちゃにできるし、 誰でも逮捕できちゃう。

全部で619の罪に共謀罪(話し合うことが罪)が適応されます。政府や企業活動にじゃまな人は、共謀罪容疑で逮捕してしまえば、日本は権力者と金の亡者の天国になるでしょう。

私は、ピンク(エッチ)ビラとかピザやお寿司のちらしは許して、反戦や平和を訴えたチラシを配った人を逮捕するような警察(国家権力)を信用できません。彼らに共謀罪を与えたら、凶暴化するのは必至。それもじわじわやってくるでしょう。戦前の治安維持法だって威力を発揮し たのは、法律ができて10年後。戦争に反対した人たちは逮捕されたり、拷問されたり、殺されたりしました。

アメリカは「最後のテロリストがいなくなるまで対テロ戦争を続ける」 と言っています。小泉さんであれ、その次の首相が誰であれ、日本の指 導者たちはアメリカ様に楯突いたりしません。これからも戦争が継続し、拡大する確立は高いのです。

そのうち国家を守るのは国民の義務となり、徴兵制が復活する可能性もあります。今、小学生の子どもたちが10年後に徴兵され、日本と関係ないアメリカの戦争にかり出される(イラクのように)ことも。そのときに反対しても、反対者は逮捕されてしまうでしょう。

これと平行して、教育基本法を変えて、お国のためにいのちを投げ出す、国を愛する子どもを育てよう、と権力者たちは言っています。そして、憲法を変えて、戦争のできる国にしよう、とも。権力者自身とその子どもは戦場にいかなくて済むでしょうが。

そろそろ、目覚めてましょう、みなさん。日本人の大半がまだこの法案のことを知りません。

マスコミは竹島のことで大騒ぎ。こうやってマスコミが大フィーバーする影では、やばーいことが進行しているのですよ。「タマちゃん」や「白装束」のときを思い出してください。そうそう、日の丸君が代法だって、最初偉い人は「決して強制はしない」と言いましたよね。それが、今、どうなっていますか?「君が代」を歌わない先生は処分され、 解雇されています。

さて、ここから先は、この1週間(採決28日)までにあなたや私にできることです。

まず、テレビや新聞などマスコミに働きかけましょう。共謀罪をもっとわかりやすく報道してほしい、共謀罪は民主主義を壊す、監視社会をつくり自由なコミュニケーションを阻む、日本にそぐわない、共謀罪に反 対です、でも何でもいいです。心配だ、慎重になって、というだけでもいいと思います。

そして、審議の鍵を握っているのは、石原伸晃議員。市民ロビイストの関さんからの指示は以下のとおり:
====
http://sekigumi.ti-da.net/d2006-04-20.html
【共謀罪】 なぜ委員長がターゲットなのか?

法案の採決を止めることができる立場の人は衆議院/法務委員会/委員長です。

共謀罪の廃案を願う人々は、
http://www.nobuteru.or.jp/
衆議院/法務委員会/委員長 石原伸晃さん(自由民主党)衆議院第1議員会館743号
Fax:03-3593-7101と
東京8区(=杉並区) の地元事務所
杉並区阿佐ヶ谷南1-14-20ジャート阿佐ヶ谷ビル1F
Tel:03-3220-1331
Fax:03-3220-1330

に集中して働きかけてください。
======
以上は、関さんから。そして、以下は今村和宏さんからのアドバイスです。

石原伸晃さんに加えて、衆議院の与党法務委員に働きかけることも大切です。
中でも早川議員や漆原議員などの与党理事に働きかけるのが効果的です。

●早川忠孝理事(自民)埼玉4区選出
電話:03-3508-7469
FAX:03-3592-1747

●漆原良夫理事(公明)北陸信越選出
電話:03-3508-3639
FAX:03-3508-7149

この2人は、法案の問題点を熟知し、それでもしょうもない修正案を議員立法の形で提示し、しかもほとんど審議もしないで強行採決することに、すっきりしない気持ちを持っているはずです。

この人たちは法務委員会でキャスティング・ボードを握っているので、その気持ちを少しでも揺さぶることができれば、それだけで採決への勢いが鈍ります。それに、石原伸晃法務委員長の微妙なブレーキが重なれば、大きな力になると思います。
=======
あきらめるのはまだ早いです。
4月24日から28日まで5日間あります。どこまで声を届けられるか。
どうぞ、このメールをお友達にも転送してください。
思想や言論統制につながる共謀罪は、監視社会と戦争への道です。
一緒に共謀罪を止めましょう。

   食べ物がおいしい日本が大好きだけど、
   愛することを強制されたくないきくちゆみより


きくちゆみのブログ  http://kikuchiyumi.blogspot.com
911ボーイングを探せ  http://www.wa3w.com/911
テロリストは誰?  http://www.wa3w.com
グローバル・ピース・キャンペーン http://globalpeace.jp
Harmonics Lifeセンター  http://harmonicslife.net
Global Peace Campaign (English) http://english.globalpeace.jp
Yumi's English Blog  http://yumikikuchi.blogspot.com

とにかく、恐ろしい自体になっていました。小泉政権下で進んだ近隣諸国との摩擦、そして増田都子教諭や君が代、日の丸に反対した教員の不当な処分とつくる会教科書が採択されるなどの教育界などの右傾化、そして小泉後の安倍もしくは麻生右翼ファシスト政権の誕生。それに何でもありの共謀罪成立が加われば、日本の民主主義と平和主義は崩壊するでしょう。
「共謀罪」審議入り、28日に強行採決?
http://himadesu.seesaa.net/article/16923750.html
ノンポリ氏の不条理日記でも取り上げられていました。私自身今まで取り上げることがなくてごめんなさい。
 
共謀罪に反対か賛成かのトラックバックアンケートが行われているようです。
http://clickenquete.com/b/r.php?Q0000026C9637
 
保坂展人のどこどこ日記の
共謀罪審議入りの強行を糾弾する(社民党福島党首談話)
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/010f7db061c83685cb68be39a674aff6によれば、
 「共謀罪」は改めて言うまでもなく、具体的な犯罪行為がなくても単に合意したというだけで処罰できるとするものであり、重大な人権侵害につながる深刻な危険性はらんでいる。619もの主要犯罪について、犯罪が実行される前に単に合意したと言うだけで犯罪を成立させてしまう捜査当局による乱用のおそれがあるものであり、現代版治安維持法とも、思想処罰法とも呼べる憲法違反の稀代の悪法である。近代刑法の基本原則にも反するものである。


というわけです。共謀罪というのは、犯罪が実行される前に単に合意したというだけで犯罪を成立させてしまうものだそうです。何よりも問題なのは犯罪事実を話し合い合意したという犯罪事実が第三者やもしくはその当事者の証言あるいは自白でしか裏づけがとれないということです。もし政府の息のかかった第三者なる人物が政府がつぶしたい組織あるいは団体に入り込み、第三者なる人物としてその団体の誰々で「政府に対するテロ行為」が話し合われたなるものがでっち上げて密告されたらひとたまりもありません。その「誰々死んだらいいね」「俺が殺してやるよ(藁)」などという冗談交じりの会話で本気で「殺そう」などと思っておらず、まったくの冗談だとしても「犯罪」が成立することにもなりかねません。また、街路でそのような一般的な井戸端会議でも見聞きして、「共謀罪」を持ち出して金品を要求するなど強請るような悪徳警官も蔓延って、街に容易に出歩くことができない戦前・戦中のような暗黒の世の中になるかもしれません。大変恐ろしいです。もちろん、共謀罪が成立しても、すぐにこのようなことになるわけではないでしょう。おそらく、2~3年の単位では大きな問題は生じないかもしれません。しかし10〜20年のスパンとなると大変危険でしょう。目に見えないところから、共謀罪による弾圧が始まるでしょう。しかし、やがては一般の国民生活にまで弾圧の影が押し寄せてきます。こうなったら、取り返しがつきません。このブログでもただいまより共謀罪に反対を正式に表明します。そういえば、ナチスについてとある牧師が言っていたことを思い出します。

『ナチスが共産主義者を攻撃したとき、自分は共産主義者じゃなかったから大丈夫だと思い、何も行動しなかった。次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分は社会主義者でなかったから何も行動にでなかった。それからナチスはユダヤ人を迫害した。自分は不安だったが、ユダヤ人じゃなかったからまた何も行動しなかった。ナチスは学校、新聞、自由主義者らをどんどん弾圧した。そのたびに不安を増大したが、それでもなお行動にでることはなかった。それからナチスは教会を弾圧しはじめてそのとき牧師だった私は行動にでたが、そのときはすでにおそかった』という内容だったと思う。間違ってたら御免なさい。ともあれ、共謀罪が成立した後起こるだろう経過とそっくりです。皆様も無関係でありません。私はなおさら無関係ではないでしょう。私は日本政府の為政者からしたら、反日ブログだし、反小泉ブログだし、そして大日本帝国の侵略・戦争加害、戦争責任の日本政府や右翼勢力にとって都合の悪いことに取り組む私のブログおよび私自身真っ先に共謀罪の餌食になると思います。住基ネット法案や個人情報保護法案など悪法がこれまでもどんどん可決されて通されてきました。共謀罪はなんとしても喰いとめないといけません。ここにて私のブログでも反対を表明します。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:11 | Comment(34) | TrackBack(8) | 備忘録・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月24日

米国からの圧力で竹島問題解決

竹島問題:衝突回避 土壇場一転決着 毎日新聞 2006年4月23日 3時00分
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060423k0000m010132000c.html
 竹島周辺の日本の海洋調査をめぐる日韓の外務事務次官協議は22日夜、決裂の可能性さえ指摘される中、土壇場で合意した。双方が国内に強硬論を抱えながらも外交的解決にこだわったのは、竹島問題が日韓の領土紛争として国際的な注目を浴びるのは得策ではないとの判断が働いたとみられる。ただ、ぎくしゃくする日韓関係が領土問題で「不信」を顕在化させた形でもあり、今回の問題のツケは小さくない。
 ◇火種残し「歩み寄り」
 日韓合意は、韓国が6月の海底地形に関する国際会議で竹島(韓国名・独島)周辺の海底地形に韓国名をつけることを提案しないのと同時に、日本が海洋調査を中止する「痛み分け」の構図だ。だが、22日の協議は一時「決裂」情報が飛び交うほど難航。同日夜、日韓両国はそれぞれ記者会見したが発表内容は自国に都合のいい解釈だった。
 午後7時45分、谷内正太郎外務次官はソウルのホテルで会見し「協議の結果、韓国が韓国名の名称を提唱するかどうかの問題については、6月には行わないという理解に達した」と述べた。その数分後、韓国外交通商省の柳明桓(ユミョンファン)第1次官は同省庁舎で「韓国は我々の正当な権利である海底地名登録を今後必要な準備を経て適切な時期に推進することにした」と発表した。
 海底地形の韓国名の表記提唱について「6月はない」と解釈した日本と、「適切な時期に推進する」と主張した韓国。このあいまいさが急転直下の合意に結びついた。だが、柳次官は日本の海洋調査について「中止という表現だが撤回と同じ意味だ」と指摘。韓国の今後の出方次第で日本が海洋調査に踏み切る可能性もあるのに、一方的にそれを排除するなど「火種」は残ったままだ。
 今回の協議は、谷内次官が「国際法にのっとった科学的な海洋調査」との立場を崩さず、「過去の侵略の正当化」と反発する韓国側との間で平行線をたどった。韓国にとっても盧武鉉(ノムヒョン)大統領が「静かな外交」を再考する姿勢を示す中、柔軟姿勢への転換は難しい情勢だった。
 双方が主張を譲らないまま結論を先送りする手段として浮上したのが、00年から中断している排他的経済水域(EEZ)の境界画定交渉を再開し、その中で積み残した協議を続けるという方法だった。これによって「交渉の場」が確保されたことになり、決裂という最悪の結果は避けられた。日本側はこれまでもEEZ交渉を働きかけてきた経緯があり政府内には「大成功」の声もある。
 だが、柳次官は「今回の事態はEEZが画定していないために発生した」と発言しており、5月に再開するEEZ画定に関する局長協議では、竹島周辺海域を韓国側だと認めさせるよう攻勢をかけるとみられる。
 外務省幹部は22日夜、次官協議の妥結を「目の前にある危機をとりあえず回避しただけ。お互いにいったん頭を冷やして本質的な話をしましょうということだ」と自ちょう気味に評価した。海洋調査などをめぐる今回の対立点の協議は5月に再開するEEZの境界画定交渉に委ねられたが、双方が歩み寄る見通しはないのが現状だ。【大貫智子、ソウル・堀山明子】 
 ◇日韓の不安定さ露呈
 今回の海洋調査問題は、竹島の領有権や過去の歴史認識をめぐる日韓の対立が東アジアの不安定要因であることを国際社会に印象づけた。特に日本政府は東シナ海のガス田開発や靖国神社問題で中国とも激しい非難の応酬を繰り広げ、米国や東南アジア諸国から懸念の目を向けられている。その中で、友好国だったはずの韓国との関係を「衝突」寸前まで悪化させたことは、東アジアのリーダーを名乗る資格を疑わせかねない。
 「米国から圧力がかかった。このことは首相官邸にも伝わっている」
 谷内正太郎外務事務次官のソウル派遣が決まった20日、政府筋はこう語り、米政府が日韓対立への懸念を非公式に伝えてきたことを認めた。東アジアは中国の台頭と北朝鮮の核開発という不安定要因を抱えており、「米国の同盟国同士でけんかするのはまかりならぬということだ」と別の政府関係者は分析する。
 日本側は「EEZの海洋調査は国際法にのっとった当然の権利」と主張し、調査に踏み切る場合も海上保安庁の武装した巡視船は同行させず丸腰の測量船だけを派遣して「衝突」を回避する方針だった。海洋調査を「過去の侵略を正当化する歴史問題」と位置づけて「拿捕(だ)も辞さない」とした韓国政府の強硬路線が国際的に「過剰反応」と映るだろうとの計算があった。最後は外交的解決で折り合ったが、小泉純一郎首相と盧武鉉大統領の下で相互不信が深刻化している現実を露呈した。【平田崇浩】


日本の独島の領有権を主張すること自体が過去の朝鮮半島に対する侵略の過程のドサクサで略奪し占領地のひとつである独島を再び帝国主義的野望のもと取り戻そうとしている反動極まりないことを伝えていないのである。しかし、毎日新聞にしては良識的な方であろう。一番重要なのは私が太字の部分である。『友好国だったはずの韓国との関係を「衝突」寸前まで悪化させたことは、東アジアのリーダーを名乗る資格を疑わせかねない』というのはそのとおりである。ただし、『資格を疑わせかねない』という表現ではなく、『東アジアのリーダーを名乗るばかりか、東アジアの一員である資格すらない』ときつい表現でしたほうがよかったと思う。そんなことよりも重要なのは米国の圧力により、独島周辺の調査を日本側があきらめたというところである。もちろん、米国は国益しか考えてないだろう、米国の圧力は日本には相当利くということだ。米国ポチぶりはあきらかだが、私はこうなればとことん米国に圧力をかけてもらいたいと思う。米国は日本に対してまず独島領有権を放棄するように圧力をかけてもらいたい。それと日本政府には「侵略戦争を美化する靖国神社」や「右翼勢力」を撲滅すべく行動を起こすよう、そして、日本の政治家や官僚のすべてが大日本帝国がアジア・太平洋地域を侵略し、無数の戦争犯罪を犯し蹂躙したという「正しい歴史の認識」をもつように圧力を米国はかけるべきだと思う。こうなれば、とことん米国にやってもらいたいものがある。 
まあ、それはともかくとして米国の圧力にしろ、なんにしろ収まったのがいいが、今後日本が独島調査を強行しようとするとなれば、拿捕とはいわず、韓国側は海保の調査船、巡視船をすべて撃沈してもかまわないと私的には思ったりする。そんなことになれば、日本の右翼勢力や既存の支配層どもを喜ばすだけだろうが、ほんとに「歴史を鑑とした正しい歴史の認識」をもたない日本政府や右翼、政治家どもはとっととくたばってしまえばいい。

 
ところで、千葉7区で衆院の補選があって、自民と民主の一騎打ちがあったようだが、民主党の候補が勝ったようだ。
 
衆院千葉7区補選 初当選の太田氏、お礼を兼ねて街頭に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060424-00000017-maip-pol
まあ、小沢自体右翼政治家だから、気になるけど。それと竹島/独島調査船問題が気になる。マスコミは独島問題ばかり扱っていたが、国民の目を選挙からそらせるばかりではなく、政府が強行にでて韓国側が拿捕にでれば、ナショナリズムが勢いづき、千葉補選での圧勝を狙って勢いをつけるというのが小泉自民党の狙いだったかもしれないね。領土問題を自らの政権の失政を隠し、摩擦を醸成する形で国民を扇動していくファシスト的やり方には飽き飽きしている。いい加減にしろと言いたい。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:34 | Comment(56) | TrackBack(80) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

裁かれた戦争犯罪 イギリスの対日戦犯裁判 林博史著 岩波書店part1

 この本は右翼や数々の日本側の誤解などによってゆがめられた戦犯裁判に関する認識を改めるものです。細かに調べあげられて書かれた戦犯裁判に関する完成度の高い著作だと思います。著者である林博史氏が一年間ロンドンに海外留学しまして、イギリスの国立公文書館、戦争博物館、インド省図書館、アメリカ国立公文書館などで資料を集め、集めたコピーを読みながら、足りない部分を公文書館で探すと言う地道な作業を縫い合わせて完成させた労作です。ほぼ全面的に公開されているイギリスの対日戦犯裁判に関する資料を手がかりにしてイギリスの対日戦争犯罪裁判の全体像を描き、日本軍兵士が裁かれた戦犯裁判の経過とその歴史的特質を、英国・日本・東南アジアの戦中・戦後の文脈のなかで解明し、戦犯裁判に関する研究水準を飛躍的に高めることに貢献しました。
 私は本書を参考に戦犯裁判やその問題点をわかり易く、皆様にご理解いただけるように努力してまとめていきたいと思います。まず戦犯裁判についての基本的な事項を本書を参考に記述します。イギリスの対日戦犯裁判についてはpart2以降で
 

●戦争犯罪という考えが生み出された背景
 19世紀の帝国主義の時代と第一次世界大戦という殺戮戦の経験を経て、それへの反省から人類は戦争をなくそうとし、あるいは植民地体制を批判し、あるいは人権の伸長を図ろうと努力してきた。しかし、残念ながら第二次世界大戦という史上まれに見る大殺戮戦を阻むことはできなかった。冷戦のもとで、冷戦終結後も世界各地で戦争は絶えなかった。
 戦争を防ぎ、あるいは戦争が起きても、その中で残虐さを減らそうとする努力が戦争犯罪や戦争責任という考えを生み出された。戦争犯罪は犯罪であるがゆえに裁き、裁くことは新たな戦争や戦争犯罪を防止することにつながるはずだった。戦争犯罪裁判は第一次世界大戦後にもおこなわれるが、本格的に大規模におこなわれたのは第二次世界大戦後、連合国によってであった。そこで行われた戦犯裁判とはどのようなものだったのか、それを検討することはあらためて20世紀を見直すうえで重要なテーマの一つである。 
 

●戦犯裁判とは
 大きく分けて、第一に、平和に対する罪(A級戦争犯罪)を含む戦争犯罪を裁いた
ニュルンベルク裁判と東京裁判(極東国際軍事裁判)、第二に、通常の戦争犯罪(B級戦争犯罪)と人道に対する罪(C級戦争犯罪)を裁いたBC級戦犯裁判がある。A級裁判は国家や軍、あるいはナチスの指導者がおもに裁かれ、ニュルンベルク裁判では連合国4ヶ国(英国、フランス、米国、ソ連)、東京裁判では11ヶ国(アメリカ、英国、ソ連、フランス、オランダ、中華民国、オーストラリア、ニュージランド、カナダ、インド、フィリピン)から裁判官がでる国際裁判である。他方、BC級戦犯については、9ヶ国(アメリカ、イギリス、オーストラリア、オランダ、フランス、フィリピン、中華民国、中華人民共和国、ソ連)がそれぞれ別個に裁判を行った。ただし、A級とBC級という区分の仕方はアメリカ式の呼び方であり、たとえばイギリスは主要戦争犯罪(あるいは重い戦争犯罪)Major War Crimesと軽戦争犯罪Minor War Crimesという分け方をしており、厳密にはイギリスの裁判にはC級犯罪に当たるものはない。各国統一されてはいないが、通常はBC級戦犯裁判として一括している。
東京裁判での被告が28人に対し、BC級戦犯裁判では5700人に上ってのぼり、死刑判決も前者が7人に対し後者は984人にのぼっている(ただし、後者の場合、後に減刑されたケースも多い/ソ連や中華人民共和国による戦犯裁判における被告は数に含まれていない)

●BC級戦犯裁判を取り扱って検討することの重要性と意義
 BC級戦争犯罪は具体的な個々の戦争犯罪である。住民虐殺や捕虜虐待などの戦争犯罪がなぜ、どのようにして犯されたのかという問題はそれを犯した
システムやそれを実行した個人のあり方を問うものである。命令に従って戦争犯罪を実行した者の責任をめぐっては、軍隊と市民社会の関係にとどまらず組織と個人の関係がどうあるべきかという問題につながっていく。国家や企業とそのなかの個人との関係がどうあるべきかという問題につながっていく。国家や企業から不法行為の実行を指示された。あるいはそのことを知った公務員あるいは社員が上司の指示だとしてそのまま不法行為を実行するのか、それとも実行を拒否しあるいは不法行為をやめさせるためにそれを市民に公表するのかということは、民主主義社会における個人のあり方としてきわめて重要な問題を投げかけている。組織の中の個人の人権の尊重、不当な命令に対する異議申し立ての権利、組織の不法行為をチェックするシステムの導入などの戦争犯罪の経験から汲み取るべき経験がたくさんあり、現時あの企業や国家などの組織の問題を扱う上でBC級戦犯裁判を振り返ることは非常に重要である。 

●BC級戦犯裁判について不十分な議論や研究が行われてこなかったことに対する問題
 一部の人たちを除いて、もBC級戦犯裁判(戦争犯罪)が提起する問題について真剣に考えようとしてこなかった。戦争犯罪の経験を過去のものとすることによって(それを批判するか、無批判に忘れ去ろうとするかの違いはあるが)、戦後日本の平和主義が形成されてきたのである。今まで確立してきた日本国憲法9条の理念の根底にある戦争観の問題点として戦争だからそうなってしまったのだ、戦争が悪いのだ、だから戦争を否定意しなければならないというように、戦争自体にすべてを押し付け、そこからストレートに戦争否定に導く論理になっていることである。極端にいえば、大日本帝国がおこなったことを侵略戦争だと認めず、戦争だから誰もがやっているのだといって個々の戦争犯罪を否定する右翼・保守的史観と戦争絶対否定の理念は両立しえた。日本の将兵の多くが無謀な作戦によって餓死させられたことも戦争一般のせいにされる。そのためにそうした作戦を行った者たちの責任やそれを許したシステムへの批判はなおざりにされる。戦争犯罪を戦争一般のせいにすることによって、侵略戦争をおこない、無数の戦争犯罪を犯した大日本帝国のシステムや指導者の責任が免罪される。このこと自体に大きな戦後体制の問題点がある。こうした国家システムやそこでの個人(指導者も民衆も含めて)のあり方を問うことなく、すべてを戦争が悪いのだとする、思考停止のうえに戦後の「平和国家日本」が作られてきたのである。この間、アジア諸国の戦争犯罪の被害者からの戦後補償の訴えは、こうした戦後日本のあり方を根本から批判するものだとして受け止められるだろう。戦争犯罪・戦争責任の課題と正面から取り組まなかったために、こうした問題を引きずり、現在の右翼勢力の勃興、および世界に友がいない国家として孤立した歪んだ日本が存在する。 
 戦争否定の理念をかかげる憲法9条を支持することと自衛隊や日米安保を支持することが共に両立して存在しているが現在の日本の姿である。戦争を否定しながらも、もし日本が攻められたらどうするかという問いに対して、攻撃されたら戦争だから何かをされるかもしれない、だからそらないためには自衛力(軍隊)が必要だという論理に簡単になってしまった。しかも、そこでつくられる軍隊のあり方については全く無関心であった。自衛隊とい名前を使うことによって、軍隊の問題点が解消されたかのような議論さえも存在する。戦争犯罪の経験を踏まえていれば当然、兵士の人権の尊重、戦争犯罪を防止する軍隊内のシステムの導入など人権と民主主義の観点からのコントロールが検討されるべきなのに対して、そうした議論はまったくおこなわれてこなかったのである。さらには革新の側が自衛隊内の民主主義や人権を議論することが自衛隊を認めることにつながるという理由から、そうした議論を意識的に避けてきたということがあるにしても、結局は現実に存在する巨大な軍隊=自衛隊は、いくつかの外枠の規制(海外派兵の禁止や徴兵制禁止など)を除いて放置されてきたのである。日米安保体制やそのもとで日本に駐留する米軍については完全に野放しになっている。
 理念としては戦争否定を認めながら、現実としての軍隊を無条件で肯定するあるいは容認してしまうというのが戦後平和主義の問題点である。現実としての軍隊を無条件で肯定・容認してしまうことで、理念としての戦争否定は瓦解している。戦後の平和主義をもう一度根底から立て直すには、こいれまでなおざりにされてきた、大日本帝国・日本軍がおこなった戦争犯罪・戦争責任の問題に立ち向かい、人権と民主主義の観点から戦争絶対否定の理念に向かって現実を条件づけていく営みが必要となるのである。
 つまり、大日本帝国・日本軍が行った侵略戦争・戦争犯罪の問題に立ち向かい、取り組んでいく上で、日本軍が人類史上存在した軍隊・武装組織として暴力性・非人道性の点において他よりも抜きん出ている実態があるにしても、軍隊一般がもつ一般社会とは異質の暴力性・非人道性を抱えた存在であることを踏まえ真摯に理解し、平和主義の理念である戦争・軍隊否定の論理を効果的に体系づけていく必要があるだろう。軍隊という存在自体が暴力の体系であり、他者を暴力で屈服させ、あるいは抹殺することを目的とした武装組織である。一般の社会では1人を殺せば殺人犯だが軍隊では多数を殺せば英雄になるということに見られるように、軍隊は社会の論理とはやはり異質の存在であるわけだ。。日本軍性奴隷制度をめぐる議論のなかで、日本軍のあり方が生み出した性暴力のシステムであることを前提にしても、軍隊という組織そのものがもつ性暴力性も指摘されている。軍隊によるレイプなどの性暴力などは軍隊自体のもつ性格によって
動機づけられているのである。各々の軍隊によってその程度は多様であり、軍「慰安婦」制度を持っていた日本軍と連合軍を同一視することはできないし、各国の軍隊間には大きな違いがあり、その違いを生み出した背景には、軍隊内の兵士の人権などの軍隊のシステム、社会の人権や民主主義の水準などが関わっている現状があるにしても、軍隊そのものあるいは戦争そのものを否定しようとすることには大きな意義があるのである。そうしたことから、戦争と軍隊そのものを否定した日本国憲法の精神は積極的な意義をもつ。その理念に構築し、完璧なものにできる無数の重要な経験が、BC級戦争犯罪とその戦争犯罪裁判には含まれいる。 

★注釈
FO:(イギリス)外務省 Foreign Officeの未公刊資料
WO:陸軍省 War Officeの未公刊資料
アメリカ国立公文書館
RG153:陸軍法務長部資料
RG331:連合軍東南アジア司令部資料

 
part2へと続く
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 01:20 | Comment(25) | TrackBack(0) | 書籍などにみる日帝悪および書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

朝鮮法律家委が白書で論証 独島は朝鮮民族固有の領土

朝鮮法律家委が白書で論証 独島は朝鮮民族固有の領土 [朝鮮新報 2006.4.22]
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/04/0604j0422-00001.htm
 朝鮮法律家委員会は18日、独島が朝鮮固有の領土であることを論証する次のような白書を発表した。
 日本当局は、2007年から使用される国内の高校の教科書に独島が「日本の領土」であることを明確に記述するよう指示した。
 他国の領土を自国の領土であると強弁する日本当局の行為は現在、北と南、海外に住む全朝鮮民族の憎悪と・りをかきたてている。
 独島が先祖伝来の朝鮮民族固有の領土であることは、歴史的事実に鑑みても、国際法上の見地からも、誰も否定できない厳然たる事実である。
 日本反動層の「竹島領有権」主張は何の妥当性もない荒唐無けいで破廉恥なき弁である。
 朝鮮法律家委員会は、日本の「竹島領有権」主張の不法性を再度暴露、断罪し、日本反動層の歴史わい曲、領土ぼう張策動を全世界に告発するため、この白書を発表する。
「島根県編入」は偽造文書
 日本反動層が独島を自国の領土であると主張する主な「法律的根拠」の一つとして挙げた1905年2月22日の「島根県告示」・40号による独島の「島根県編入」は偽造文書である。
 同告示の不法性は国際法上の先占の原則に全面的に反するところにある。
 また、国際的に公認されている領域取得の条件である国家的意思とその意思の対外的公布に関連しても「島根県告示」による「竹島領有権」主張はいかなる合法性もない。
 領域取得に関連する意思表示行為は必ず国家の最高権限の直接的な意思表示を求め、このような行為を地方自治体の権限行使では到底認められないというのが国際法上公認されている原則である。
 独島は朝鮮人によって発見され、新羅に統合されて以来、絶えず朝鮮が占有、管理、利用し死守してきた朝鮮の領土である。
 ・2次世界大戦後、日本が自国の主権が行使される領土に独島を含めていない「カイロ宣言」「ポツダム宣言」を受諾したのは、それを朝鮮の島として公式に認めたことを示している。
「対日講和条約」に含まれず
 戦後、日本反動層が主張した「竹島領有権」のもう一つの「法律的根拠」は、1951年9月8日に締結された「対日講和条約」の朝鮮領域規定に独島が含まれていないということだ。
 日本反動層はこの条項を根拠に、独島が朝鮮の島と規定されていないため、日本の島と見なすべきであると主張している。
 「対日講和条約」に規定されている鬱陵島はその・属島である独島まで包括している意味と解釈されなければならない。
 それは、独島と一番近い大きな島が鬱陵島であり、独島と鬱陵島との距離が独島に最も近い距離にある日本の隠岐島に比べてほぼ半分だからである。
 小島をそれと最も近い距離にある大島の・属島として認めるのは国際慣例であり、日本もその例外にはならない。
 諸般の事実は、日本反動層が「対日講和条約」によって独島が「日本の領土」になったという主張が荒唐無けいで根拠がないことを示している。
 こんにち、日本が最高当局者の「靖国神社」参拝と共に公然たる歴史わい曲によって領土ぼう張策動を露骨化しているのは、他ならぬ米国のあと押しとひ護を受けているからである。
 こんにちの状況は、朝鮮半島とアジア地域の平和と安全を守るため、われわれが核抑止力と自衛的軍事力をいっそう強化していることがいかに正当であるかを再度明白に示している。
 朝鮮法律家委員会は、日本当局が高校の教科書に独島を自国の領土であると記述するように強要したことを、全朝鮮民族の尊厳と自主権に対する重大な侵害、耐えがたい冒とくと見なし、糾・する。
 また、心から国と民族を愛する北と南、海外のすべての法律家が、民族共同の力で日本反動層の独島強奪企図の粉砕に決起すること、正義と公正を重んじる世界の進歩的な法律家が日本の歴史わい曲、領土ぼう張策動に警戒心を高め、歴史の真実と神聖な領土主権を守るためのわれわれの努力に積極的な支持と連帯を寄せてくれるものと信じる。(朝鮮通信)
この問題に関して南北連帯が実現することを祈っています。この論説はすばらしいもので、日本政府の独島領有の主張を木っ端微塵に粉砕しています。独島の島根県編入の文書が偽造であり、「対日講和条約」によって独島が日本領になったという主張を真っ向から反論し否定するものです。独島領有権の主張は紳士に一連の過去の侵略の過程をまったく反省していないことの証明です。独島自体が過去の侵略の過程で日本が不法に占領した、ポツダム宣言に明記されたカイロ宣言によって手放さなければならない領土のひとつだからです。その領土を侵略的野心で取り戻そうとする下劣な心を南北共同で断固粉砕しなければなりませんし、私も応援します。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:47 | Comment(75) | TrackBack(1) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

インドネシアの駐日大使、新刊本で日本を批判

【インドネシア】 駐日大使、新刊本で日本批判「日本は損得だけに興味がある」[04/22]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1145800614/より

 
(時事通信)インドネシアのアブドゥル・イルサン駐日大使は、日本が経済利益にばかり注目し、西側だけに目を向けていると批判した。

最新の本「インドネシア外交官の目から見た日本」(「Politik Dan Reformasii Di Jepang」で、イルサン大使は、日本が自国の経済利益を追うことに汲々としており、 そのことによって東南アジア諸国の間で日本から援助と投資を得るよう競わせていると言う。

木曜日、本書の日本語版発刊の記者会見の席で大使は、2004年の津波災害の後、 インドネシアから多くの日本企業が撤退したことを遺憾に思う、損得だけに興味があるように見えた、と言った。

イルサン大使は、西洋教育を受けた政治やビジネス分野の新しいリーダーの多くが、西側の目だけを通してその他のアジア諸国を見る傾向があると書いた。

同書は昨年、インドネシア語で発表されたもので、大使が東京の靖国神社付属の博物館を訪れた後、自分で日本語版の発行を決めたと大使は言った。そこではインドネシアのオランダからの独立日をオランダが最近まで主張してきた1949年12月27日と書かれていた。 インドネシア人がずっと主張してきた1945年8月17日ではなかった。

第二次世界大戦で日本の敗北の二日後にインドネシアが作成した独立宣言を認めることを、オランダは昨年まで拒絶してきた、とイルサン大使は書いた。インドネシアが日本のおかげで自国の独立を獲得したと誤解している日本人が多くいるとも本に書いた。

若い日本のリーダーたちも、第二次世界大戦の間に日本人からインドネシア人に加えられた酷い仕打ちにほとんど注意を払わない、と書かれている。これには、防御施設の建設のための強制労働によって、多くのインドネシア人が死んだことが含まれる。

ソース:毎日MSN(英語)<Indonesian envoy offers tough critique of Japan in new book>
http://mdn.mainichi-msn.co.jp/international/news/20060422p2g00m0in003000c.html

関連サイト:【インドネシア外交官の目から見た日本】アブドゥル・イルサン著 宍戸久美子訳
2006年3月刊 46判 264頁 (有)オフィス・プロモシ (5%)税込:\1575 (本体:\1500)
http://www.asiabunko.com/i_gaikoukan.htm
「日本人は非常に礼儀正しく、親しみ深い民族であると感じるのに」、「なぜ、日本軍がインドネシアの占領期間中、あれほどにも残虐な、非人間的とも言える態度を示したのか?」 また、「日本では、インドネシアの独立は日本政府の指導と尽力により実現したのだとする者が多い」が、 日本の軍事訓練や、個人的な貢献は認めつつも、「オランダ及び日本の植民地支配に
対抗してのインドネシア民族独立への過程は、インドネシア自身の民族指導者と 独立闘争者の完全なるイニシアティブに基づいて遂行されたものである」と明確に述べる。

アブドゥル・イルサン駐日大使のいうことはもっともだと思います。日本は戦後も経済的利益を求め、アジア諸国の住民のことなど一切考慮に入れていません。だからこそ、日本企業や日本人による戦後の経済侵略とアジア民衆に恐怖を与えた企業の公害や日本人の横暴が繰り返されてきたのです。何度もいいますが、自らをアジアの指導民族と位置付け、現人神(あらひとがみ)の天皇が統治する大和民族は世界最優秀民族とさえ自称して、アジア・太平洋地域に君臨しようとしました。アジアの指導民族なるものも幻想であり、日本人の身勝手な発想でしかありませんでした。アジアの民衆は文化の遅れた劣等人種とみなされ、戦争中のアジア人に対する虐殺、日常的なビンタ、暴行、罵倒が繰り返しおこなわれ、蹂躙し続けた過去を認識し、国民間で反省し、償う気持ちを形成されてこなかったことがこのような問題を引き起こしたのです。面白いのはアジア蔑視が続く一方で、日本を打ち負かした欧米に対しては鬼畜米英だったのが猫のように欧米に従うようになり、欧米の視点からアジア諸国をみる傾向が形成されたのだと思います。面白いのが「日本がアジアを解放したと宣伝する」靖国神社付属の博物館(遊就館)で駐日大使が見たものである。インドネシアのオランダからの独立日をオランダが最近まで主張してきた1949年12月27日であり、インドネシア人がずっと主張してきた1945年8月17日ではないということである。そこにも日本のアジアに対する見方の歪みが見てとることができる。インドネシアが日本のおかげで自国の独立を獲得したと誤解している日本人(右翼)どもがいっぱいいることは非常に残念であり、歴史修正主義者として本来ならば罰せられなければならないのである。そうでなければ、防御施設の建設のための強制労働などによって犠牲になったインドネシアかたがたに対して失礼でしょう。そのようなやからはこのスレッドのコメントにも見て取れる。 
 
190 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2006/04/23(日) 23:22:26 ID:vP2g1IjC この人、華僑の人だと思うよ。かなり入り込んでるから。
昔はずいぶん華僑が恨みを買って暴動起きたりしてたな。

242 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2006/04/23(日) 23:27:23 ID:ahub9RwE 親日1位インドネシア、2位フィリピン・・・・・ほんまかな。
一般ピープルだけが親日なのか?どうなっちゃってるの。
それとも、華僑の陰謀かな。

412 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2006/04/23(日) 23:43:42 ID:jWrrDnCK >>405 華僑が多いのは確か。厨狂との関係は・・・どうだっけ?

414 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2006/04/23(日) 23:43:50 ID:jhiTgWZO >>405
華僑のいるところ反日あり

460 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2006/04/23(日) 23:47:25 ID:jWrrDnCK >>445 華僑系じゃないのか・・・勉強してみるd

477 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2006/04/23(日) 23:48:48 ID:KRpBZ0NU マレーシアでもそうだしインドネシアでもそうだけど、日本軍は
この人たちを殺したりはしていないんだよ。
殺したのは華僑。  


89 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2006/04/23(日) 23:13:43 ID:8ecJvjQA ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

インドネシアはおそらく、韓国から妙なことを吹き込まれている

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

【韓国】 韓−インドネシア、戦略的同伴者関係で一致 [04/03]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1144052519/

1 名前:死にかけ自営業φ ★ 投稿日:2006/04/03(月) 17:21:59 ID:???
韓国とインドネシアは3日、戦略的同伴者の関係を築くことで一致した。
そのため、両国外相を共同議長とする共同委員会を設け、2年ごとに開催することにした。
インドネシアを訪問中の外交通商部・潘基文(パン・キムン)長官は、ハッサン・外相と会談した後、
こうした内容を盛り込んだ共同文書を発表。
両外相はまた、両国首脳の相互訪問を年内に実現させることにも合意した。

ソース 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=74335&servcode=200§code=200

 


一番多かったのは華僑の陰謀だとよ。89はマルチコピペだが、韓国に反日発言をすると吹き込まれただとよ。右翼というのは友人からの批判を真っ当に受け取ることができない「障害者」だなw
 

まともな意見もあった。

252 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2006/04/23(日) 23:28:21 ID:amEs/sSx 韓国や北朝鮮や中国に何か言われても目を覚ませなくなってる日本のバカウヨは
それ以外の国に批判されると堪えるんだな
友人として貴重な忠告してくれたと思え
この人の批判が間違ってると胸を張って言えるようになるために謙虚になるべきだ
選挙のために小競り合いや靖国を利用する小泉亡国内閣を疑え 
 
 まったくだ。友人としての貴重な忠告をしてくれたと受け入れるべきだ。インドネシアで日本軍がいかにひどいことをやったかを理解し、当時の日本軍に占領されて苦しんだインドネシア民衆の気持ちになって苦しめられたインドネシア人の痛みを理解するように努力すべきなのだ。それにしてもいい情報である。右翼勢力は韓国や北朝鮮、中国以外の国に、歴史問題において批判されると堪えるということだ。どんどんとほかの国々に、日本のつくる会などの右翼の歴史美化勢力を批判するように働きかけなければならない。私はアジア・太平洋地域の大日本帝国により侵略と戦争加害の被害にあった国々、少なくとも市民間で連帯が実現しなければならない。

 韓国、北朝鮮、中華人民共和国、マーシャル諸島、ミクロネシア、パラオ、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、ブルネイ、インドネシア、東チモール、フィリピン、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ナウル共和国、キリバス共和国、(台湾)などの20数カ国に及び、市民間で連帯すれば、日本政府および右翼勢力に大きな打撃を与えることができるのだ。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:14 | Comment(79) | TrackBack(776) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月23日

ウクライナから元日本兵の方が63年ぶりの帰国、肉親と感動の再会

たまにはこのようなほのぼのとしたうれしい話題をたまには取り上げましょう。
 
63年の空白「運命だった」 元日本兵上野さん帰郷  (河北新報) - 4月21日7時5分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060421-00000004-khk-toh

 「故郷を見たい。墓参りがしたい」。ウクライナから一時帰国した岩手県洋野町出身の元日本陸軍兵士、上野石之助さん(83)は20日、岩手県庁で肉親と感動の再会を果たした後に記者会見し、63年間ぶりの帰郷の感激を語った。

 上野さんは午後2時すぎ、東北新幹線で東京から盛岡市に到着した。県庁知事室で、洋野町から駆け付けた弟の左舘丑太郎さん(81)と妹の下城ハナエさん(75)、上野タケさん(69)、4人のおいと対面。涙ぐむ丑太郎さんらの姿を見て上野さんも目頭を押さえた。歩み寄って「わたしの弟よ、かわいい妹たちよ」と言葉を掛け、抱き合った。

 記者会見で、上野さんは「まだ感動で言葉が出ない」と述べた。長い間帰国できなかったことについては「どんな状況になっても生きていく。それしかしなかった」「ただ単に運命だった」と言葉少なに答えた。

 上野さんは12人きょうだいの2番目に生まれ、健在な4人のうちでは最年長。丑太郎さんは「何とも言えない」と感極まった。親族代表のおい上野幸夫さん(59)は「聞いていた通り、優しいおじさん。故郷でゆっくり休み、きょうだいや友達と話をして楽しんでもらいたい」と語った。

 増田寛也知事から慰労金と花束を贈られた上野さんは、通訳を介して「日本語の会話帳を買って勉強しています」と笑顔を見せた。

 上野さんは第二次世界大戦後に樺太(サハリン)で行方不明になったが、現地で結婚した妻とウクライナで生存していることが昨年分かり、一時帰国した。
 
元日本兵 63年ぶりに親族と対面 涙で抱き合う 盛岡
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060421-00000000-maip-soci
 
 元日本兵の上野(うわの)石之助さん(83)=ウクライナ在住、岩手県洋野町出身=が20日、盛岡市で親族と63年ぶりに対面した。涙で弟や妹と固く抱き合い、「会えてうれしい」と万感の思いを伝えた。上野さんは太平洋戦争中の1943年に樺太(サハリン)に出征。戦後も現地にとどまったが、58年から消息不明になり、00年に戦時死亡宣告が出されていた。【林哲平】
 ◇言葉短く「運命だった」
 「ただ、運命だったと思う」。旧陸軍兵士の上野(うわの)石之助さん(83)は、ほほ笑みに時折ため息を交えながら、太平洋戦争、米ソ冷戦と時代に翻ろうされた人生を、ごく短い言葉で振り返った。
 上野さんは20日午後、63年ぶりに古里の岩手県に戻った。県庁の知事応接室で待ちかまえていた弟の左舘(さだて)丑太郎さん(81)、妹の下城ハナエさん(75)、上野タケさん(69)らに歩み寄り、「私のかわいい妹たちよ」とロシア語で語りかけ、一人一人としっかり抱き合った。左舘さんは握りしめたハンカチであふれる涙をぬぐった。上野さんも瞳をぬらし、唇を震わせて再会の喜びをかみしめた。
 記者会見で上野さんは「まだ感動で言葉が出てこない。まずは両親の墓参りをし、親族に会いたい」と話し、つらい日々をどうして乗り越えたのかとの質問には「どんな状況であっても生きていく。それしかないと思う」と気丈に答えた。弟の左舘さんは「なんとも言えず、涙だけです」と言葉少なに喜びを語った。
 上野さんは髪こそ真っ白だが、長旅の疲れを感じさせない元気な足取り。日本語は話せなくなったといい、会話はすべてロシア語だったが、増田寛也知事が日本語で話しかけると、通訳を待たずに笑顔でうなずいた。
 県などによると、上野さんは戦後、樺太(サハリン)の製材工場などに勤めた後、1960年ごろにウクライナの小都市に移った。現地の妻との間に1男2女をもうけ、今回の一時帰国には長男のアナトリーさん(37)も同行している。
 上野さんは20日夕に生家がある洋野町に帰郷。両親の墓参などをして、28日に日本をたち、ウクライナに戻る予定。【林哲平、念佛明奈】
 
フィリピンのルパング島から小野田寛雄元少尉、グアム島から横井庄一元伍長、そして台湾の高砂族出身の中村輝夫氏がインドネシアのモロタイ島から救出されて帰還しました。今からそれぞれ20〜30年前の出来事ですかね?そして、平成18年の現在、終戦から60年以上経過したなかでウクライナから元日本兵が帰還されました。まだ戦争は終わっていないことを改めて実感させられました。とくにかく上野石之助氏がご無事に生還されて肉親との再会も果たせたことを何よりだと思います。アジア・太平洋戦争で多くの日本国民、日本軍将兵の方々、さらに大多数のアジアの人々が生きたくても歴史の闇に埋もれ、戦争犯罪の犠牲になった人々のことを常に頭の中においておかなければなりません。日本政府は行方不明と片付け、死亡の裏づけがとれないまま、戦時死亡宣告を出して今まで上野さんを死んだことにして葬りさっていたのでしょうか?少なくとも終戦時点で生存が確認されていました。58年に行方不明になった時点で何もしてこなかったのでしょうか?日本政府の人命軽視ぶりには驚かされます。イラクでも日本人らが武装勢力に拉致された事件がありましたが、人命軽視ぶりと人質を見殺しにしてまで、米国に尽くそうとする旧態依然の体質があきらかとなりました。日本政府のこの体質はどうしようもなりません。この体質が戦争責任や侵略・戦争加害問題や近隣諸国との歴史問題において被害者や犠牲者、隣国の民衆の感情を省みない悪しき態度の根源となっているのです。一刻もはやく日本政府のこの体質を改善しなければなりません。日本には選挙という手段があります。国会の体質を変えて現在の自民党政権を打倒し、良識派政権を確立させなければなりません。何度もいうように近隣諸国に対する侵略と加害の歴史を理解し、大日本帝国の被害者と犠牲者の痛みが分かり、贖罪感情をもって償い、近隣諸国との真の友好を求め、人命と平和を尊重する国民性が有権者である国民一人一人に共通のコンセンサスとして形成されていなければなりません。そのためにこのブログがあるのであり、このブログでは大日本帝国の加害事実をひとつでも多く取り上げて、大日本帝国がいかに非道な国家であること、大日本帝国の加害を知り、近隣諸国に対する償いの心をこのブログの読者が一人でも多くもてるよう、私自身努力していく次第です。以上
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:03 | Comment(6) | TrackBack(6) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月22日

海南島「朝鮮村試掘」の目的

[paml:05337] 2006年5月海南島「朝鮮村試掘」の目的  より転載

紀州鉱山の真実を明らかにする会からのお知らせです。 
 佐藤正人
………………………………………………………………
◆◆2006年5月海南島「朝鮮村試掘」の目的◆◆

 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、2006年5月に「朝鮮村試掘」を行なうことにしました。
 参加を希望する方、あるいは日程を知りたい方は、会あてに連絡ください。  
               
http://members.at.infoseek.co.jp/kisyukouzan/
   
 この文書の公開が遅くなったのは、韓国の真相糾明委員会からの最終連絡を待っていたからです。


■「試掘」規模:5平方メートル〜7平方メートルを想定。
 ただし、地権問題などにより、こんかいの「試掘」が、最初で最後の科学的「発掘」となるおそれがあるため、条件があれば規模を拡大する。  

 紀州鉱山の真実を明らかにする会だけで、「朝鮮村発掘」をやりとげることはできない。会だけで独自に「発掘」するとしても、それは「試掘」であって、わたしたちができるのは、本格的・全面的な「朝鮮村発掘」の前提作業だけである。

■目的:
1、「朝鮮村」における日本人による朝鮮人虐殺の事実を確かめる。
 1998年6月から2006年4月まで、紀州鉱山の真実を明らかにする会は30回あまり、「朝鮮村」を訪問してきた。おおくの村人が、日本侵略時に、朝鮮人が「朝鮮村」とその周辺で日本人によって強制労働させられ、虐殺され、埋められたのを目撃したと証言している。
2、はじめての科学的な「発掘」をおこなう。2001年1月の韓国MBCらによる「発掘」によっても、朝鮮人が埋められていた事実ははっきりしたが、その「発掘」方法・記録は十分には科学的でなかった。今回は、全面的な科学的「発掘」の前提として、朝鮮人が埋葬されていると村びとが証言する広い地域のうちの僅かな部分を、慎重に考古学者の指導のもとに可能なかぎり科学的に「試掘」する。
3、死因を特定する。
 @埋葬様式、A埋葬状態、B遺体状態、C遺骨、D遺物状態、E遺物内容などを解析・鑑定・分析し、できるかぎり死因を特定する。
  朝鮮人であるかどうかは、埋葬様式と埋葬状態の分析によってできるだけ明らかにする。
4、公的機関による全面的「発掘」をうながす。
 「朝鮮報国隊」に入れられていた朝鮮人が「朝鮮村」に埋められたという事実は、おおくの「朝鮮村」村びとの証言、および当時の日本人刑務官(衣笠一第7次「朝鮮報国隊」派遣中隊長、のちに部隊本部庶務主任)の証言によって明らかであるのだから、今回の「試掘」は、韓国政府と日本政府による全面的「発掘」 →鑑定、犠牲者追悼、日本政府の引責・謝罪・責任者処罰の第1歩である。
5、「朝鮮村発掘」は、日本の侵略史の発掘、日本の侵略犯罪の発掘である。
 「朝鮮村発掘」が国民国家日本の侵略犯罪・他地域・他国侵略史の発掘である以上、それをおしすすめることは、国民国家日本の近現代史と全面的に対決することである。
 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、日本政府(総理大臣、法務大臣、厚生労働大臣)に「“南方派遣朝鮮報国隊”の真相究明にかんする要請」をおこなったが、厚生労働省職業安定局総務課から「厚生労働省では“南方派遣朝鮮報告隊”に関する資料がないため、要請に対してお答えすることができません」(「南方派遣朝鮮報国隊」と書くべき個所が、「南方派遣朝鮮報告隊」となっていた)という「回答」があっただけである。


■附記 
  紀州鉱山の真実を明らかにする会は、2002年4月17日に金大中大統領に、2003年5月5日に盧武鉉大統領に、@「朝鮮村」に埋められている人たちの遺骨の死因を解明してほしい、A「朝鮮村」の遺骨の処遇を国家プロジェクトとして考えてもらいたい、と 要請した。
  これにたいし、03年11月12日付けで、韓国外交通商部長官から、「海南島をふくめ、海外に所在する日帝時代の韓国人犠牲者の遺骨奉還と関連して、外交通商部ではまず、日本、および太平洋各地を調査し、実態調査を実施した後、総合的な計画を樹立したあと、汎政府次元で推進するのが望ましいという立場です」という公文書が送られてきた。
 2004年11月に、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会が韓国国家機構として設置され、2005年2月1日から、強制動員被害真相調査申請と被害申請の受付開始した。
  2005年4月に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会に、日帝強占下の海南島における朝鮮人強制動員・虐殺被害真相糾明を共同でおこなうこと、そのために、「朝鮮村」発掘をおこなうことを提言した。
 この提言に、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会は同意したが、それからこんにちまで1年間、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会は、海南島での組織的調査も「朝鮮村」発掘の具体的準備もすすめてこなかった。
 海南島における日本の朝鮮人にたいする侵略犯罪は、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会が職権で調査すべきであるが、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会の要請に応じて、2005年6月23日に、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会にたいし調査請求をおこなった。その請求は同年9月2日に受理されたが、請求内容にかかわる回答は、これまで届いていない。
  いつまでも放置しておくことができないため、やむをえず、こんかい紀州鉱山の真実を明らかにする会が独自で「試掘」せざるをえなくなったが、全面的な「発掘」は今後の課題である。ただし、地権問題が複雑化しており、こんかいの「試掘」後、埋葬地が「開発」=破壊されるおそれが生じている。


おそらく緊急を要すると思うので、お知らせしました。海南島で朝鮮人労働者が強制連行され、特定の場所に住まわされて奴隷労働者として酷使されていました。それだけではなく、日本軍によって朝鮮人労働者が虐殺されて、埋められて現在にいたるというわけです。韓国政府に海南島の朝鮮人虐殺問題に対する要請において、前向きな回答が得られたそうですし、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会が発足し、被害真相調査申請と被害申請の受付が開始されまして、被害の真相究明の共同実施と虐殺埋葬地の発掘作業を行うように申請を致しました。ところが肝心の韓国政府は海南島での調査や発掘作業の準備を進めている様子がなく、再度の申請にもかかわらず動く様子がありません。そして何よりも問題なのは日本政府であり、本来ならば日本政府が被害実態・事実の究明と、発掘作業、鑑定、犠牲者追悼、謝罪・責任者処罰犠牲者の身元確認、犠牲者遺族への補償などの一連の作業のすべてを行う道義的義務があるのはいうまでもありません。しかし、日本政府にしろ、韓国政府にしろ、動くのを待っていては埒があきませんから、紀州鉱山の真実を明らかにする会のほうで試掘をおこなうことになりました。ただし、全面的な発掘、被害実態の調査をすべてを民間でやりとげることは不可能です。しかも土地の地権問題が複雑化しており、埋葬地が開発されて今後発掘が不可能になるなど、急を要するのが事実です。非道な国家犯罪が闇に葬り去られようとしています。良識派の皆様はただちに日本政府に抗議の意見や手紙を送るなど、紀州鉱山の真実を明らかにする会にお力を貸してあげてください。以上です。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:20 | Comment(6) | TrackBack(116) | 大日本帝国侵略・戦争被害諸国民衆による市民連帯結成を | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『飛礫』47号(特集 新たな帝国日本と領土拡張)の再案内

[AML 6735] 『飛礫』47号(特集 新たな帝国日本と領土拡張)の再案内  より転載

つぶて書房の吉田です。

 明らかに日本政府の計画的な挑発である。独島(竹島)周辺で日本が海洋測量調査を行おうとしていることだ。
 盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は4月18日、韓国の野党指導部らとの晩餐懇談会で「日本は侵略の野望を捨てていないのではないか。北東アジアの平和を壊している。第2の侵略行為であり、挑発だ」と述べたという(朝鮮日報4月19日)。彼は昨年3月23日の「対日問題談話」でも次のように述べている。
 「日露戦争とは、名称からして日本とロシアの領土をめぐる戦争のように見えますが、そうではなく、日本が韓半島を完全に手に入れるために起こした韓半島侵略戦争でした。実際、日本はこの戦争に勝利した直後、我々の外交権を強奪し、事実上の植民統治を開始しました。日本はこの戦争中に、独島(竹島)を自国の領土に編入しました。それこそ、武力で独島を強奪したのです。日本の島根県が『竹島の日』と定めた2月22日とは、100年前日本が独島を自分たちの領土に編入した、まさにその日なのです。それこそ、過去の侵略を正当化し、大韓民国の光復(独立)を否定する行為です」。
 事実はまさにこうであった。日露戦争中の独島の日本領土編入は、単にドサクサにまぎれてのものというだけでなく、独島などの軍事戦略的価値が大きいことを踏まえてのものであった。独島(竹島)略奪によって「朝鮮半島の竹辺から鬱陵島、リアンクール島(独島=竹島)、松江に到る一連の軍用通信線の体系がつくりあげられた」(朴炳渉論文 『飛礫』47号)のである。
 こうした侵略と侵略戦争の犯罪的事実を隠して、政府・右翼・マスコミ一体の反韓国キャンペーンが凄まじい。国際機関「国際水路機関」(IHO)が6月にドイツで開く「海底地形名称に関する小委員会」に向けたものだという日本政府の調査目的なるものは「いいぬけ」の論理ではないのか。真の目的は軍事調査であり、切迫する対「共和国」戦争が勃発したときドサクサに紛れて独島(竹島)の軍事占領、再略奪を考えた戦争準備=世論工作ではないのか。それは決して「歴史認識」のレベルの問題ではない。独島(竹島)、釣魚諸島(尖閣諸島)、北方諸島、沖ノ鳥島の日本の「領土化」は日本の支配階級の新たな帝国主義的野望なのである。事実、昨年5月20日、東京都知事・石原慎太郎はさんご礁、沖ノ鳥島を視察して「あれは島
だ。日本の領土だ。文句あるか」と叫んだばかりか、日本の支配階級は東中国海のガス田開発をめぐって中国との抗争に入っている。
 彼らの目的は、04年6月に発表した自民党の「海洋権益を守るための9つの提言」に明確だ。国連海洋法条約によって「国土の約11・7倍、世界第6位となる約447万平方kmの俳他的経済水域及び大陸棚において、主権的権利又は管轄権を有することとなった」「海洋国家であるわが国にとって、海洋権益を確保
することは国益に直結する重要な課題である」というのだ。海洋権益とは「通商・貿易ルート」「漁業活動」「石油・ガスなど重要な海底資源の開発」にとどまらず、「安全保障分野においては、シーレーンの安全確保をはじめ、安保・防衛戦略上の重要な要素」であるのはいうまでもない。いまや独島(竹島)、釣魚諸島(尖閣諸島)、北方諸島、沖ノ鳥島の日本の「領土化」は国是なのである。
 中国や韓国、アジア諸国の人びとの弾劾に「靖国」、検定右翼教科書、国連安保理常任理事国入りと並んで領土問題があるが、戦争屋ブッシュの反テロ世界戦争に参戦する「新たな帝国」日本の覇権主義、帝国主義的野望に危機感を募らせているのだ。とりわけ領土問題はかつても民族排外主義と戦争を煽るも
のであっただけに危機感は大きい。
 日本の人民にとって「新たな帝国」日本の領土拡張主義との対決は、民族排外主義を否定し戦争を阻止するために不可欠である。
 『飛礫』47号(2005年夏)で「新たな帝国日本と領土拡張」を特集した。ぜひご一読ください。また、現在発売中の『飛礫』50号(06年4月1日発行)で、「アイヌモシリ『北方領土論』」(結城庄司 アイヌ解放同盟代表)を掲載した。併せて読んでください。 

◆◆『飛礫』47号(2005年夏)
■特集 新たな帝国日本と領土拡張
◆いま、なぜ、領土問題なのか
  ―-特集にあたって        『飛礫』編集委員会
◆竹島=独島は日本の「固有領土」か?      朴炳渉(歴史研究家)
◆日本の領土拡張としての海洋  窃盗した「尖閣諸島」 加藤智久(退職教員)
◆アイヌ民族のための「場所=土地」を東京に     長谷川 修
◆日本の植民地支配下にあったミクロネシアのハンセン病隔離政策の被害と国家責任
           滝尾英二(人権図書館・広島青丘文庫)
◆市民に向かう教育ファシズム  ドキュメント05年春・東京
                坂巻岳男(都立高校教員)

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◆◆『飛礫』50号(2006年春)
■《特集》扶桑社謝罪す!教科書アイヌ民族差別事件
◇特集にあたって             『飛礫』編集委員会
◇写真無断使用、扶桑社謝罪する  旭川市副読本作成のとりくみ
   川村シンリツ エオリパック アイヌ(川村カ子トアイヌ記念館館長/旭川アイヌ語
    教室運営委員長/チカップニアイヌ民族文化保存会会長)
◇扶桑社は謝罪したけれど  検定教科書(公民)糾弾のとりくみ
黒田秀之(アイヌ民族と連帯し扶桑社教科書を批判する会)
◇共に生きる未来のために  アイヌの教育について考える
川村久恵(ピリカ・ウレシカの会)
◇アイヌモシリ「北方領土論」    結城庄司(アイヌ解放同盟代表)
◇教科書におけるアイヌ民族  日本人(和人)の認識を問う 黒田伊彦(関西大学教員)

◇学校教育におけるアイヌ民族      石黒文紀(教育労働者)
◇アイヌ民族についての北海道の教育の現状    日比野裕司(小学校教員)
◇アイヌ民族を学校に招いて   船木暢夫(教育労働者)・坂口大介(教育労働者)

◇「つくる会」教科書採択率0.4%が示す可能性と課題

奥村悦夫(えひめ教科書裁判を支える会)
【資料1】アイヌ民族と連帯し扶桑社教科書を批判する集会(大阪)へのメッセージ

ホッカイドウ・教育労働者  よしだ じゅんいち
【資料2】扶桑社関連文書
*2005年7月19日扶桑社への「抗議ならびに要請」
*2005年7月29日扶桑社編集部からの回答書
【資料3】和解書と謝罪文
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■□購入の申し込みは□■
○『飛礫(つぶて)』43号は1000円 + 送料(210円、2冊以上290円)
[『飛礫(つぶて)』年間購読(4冊)4840円(送料込み)]
○購読の申し込みは下記にお願いします。
○ぜひ友人や知人にひろめてください。ご紹介いただければ見本をお送りします。
◇1号につき3冊以上を購入される方は、「ステーション」として、2割引きをしています(送料も小社負担)。ぜひ「ステーション」になってください。

●つぶて書房
 神戸市兵庫区松原通1−1−40
 Tel・Fax  078−672−5601
 郵便振替  00970−9−317034
E-mail   tsubute at as.email.ne.jp 
http://www.mmjp.or.jp/tsubute/ 


『飛礫』という出版物があったのですね。始めて知りました。冒頭の文がすばらしいので転載しました。この文では竹島/独島をめぐる問題の中で、6月にドイツで開く「海底地形名称に関する小委員会」に向けたものだという日本政府の調査目的なるものは「いいぬけ」の論理であって、真の目的は軍事調査であるという見方が示されました。領土問題を利用した日本政府、マスコミ、右翼の反中・反韓国キャンペーンはすごいものがあります。いまや独島(竹島)、釣魚諸島(尖閣諸島)、北方諸島、沖ノ鳥島というのは、日本の支配層および利権権益者、右翼勢力にとって、帝国主義的野望の象徴であるのです。東シナ海問題でも日本政府、マスコミ、右翼勢力はヒステリックに国民を「国益、国益」の名においてナショナリズムを煽る中、領土問題を利用した民族排外主義、軍事化の危機は目前です。さらに領土問題に関していえば、右翼だけではなく、保守はもちろん、社民党や民主党の革新・リベラルグループ、共産党までが日本政府に追従するか、言及を避けて、現政府に迎合しようとする傾向が大きいです。排外主義 を煽り,偏狭なナショナリズムを鼓舞させる手法をとり,国内での失政を覆 い隠し国民の不満を外に向ける常套手段であり、国民を洗脳しいのままに動かす上で好都合な大きな道具が領土問題なのはいうまでもありません。領土問題とは大日本帝国の過去の侵略・植民地支配、戦争加害の歴史問題と不可分な事柄であります。過去の侵略・植民地支配、戦争加害について国民一人一人がアジアの被害者、犠牲者の痛みを理解し、償う気持ちをもつとともに、領土問題の大日本帝国の一連の侵略戦争、植民地支配、戦争責任の中での明確な位置づけをはっきりさせて、大多数の国民の中でコンセンサス形成が図られるようにすることが緊急の課題だと思います。私はこのブログで大日本帝国の侵略戦争と植民地支配、加害の事実を取り上げ、少なくともこのブログの読者には自国の過去の過ちを客観的に見つめる材料を提供していき、右翼勢力を駆逐し、日帝の残滓を撲滅し、日本社会の再生を果たせるように努力していく次第です。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 21:30 | Comment(19) | TrackBack(0) | 大日本帝国侵略・戦争被害諸国民衆による市民連帯結成を | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

領土問題の解決に向けての自分的考察

日本の領土問題について少し考えてみました。日本の領土問題のまずひとつは大日本帝国的な領土執着思想からくるものだと考えます。日本は敗戦後、多くの占領地および植民地を失いましたが、国土は小さいものの広大な排他的経済水域を保有しています。しかし、竹島/独島、尖閣諸島、北方領土で近隣諸国との領土問題、沖ノ鳥島が「岩」か「島」かの国際海洋法上の問題を抱えている。それらの島々が日本の領土でなくなれば、沖ノ鳥島が「島」でなくなれば、このような排他的経済水域の大部分が失われることになる。問題は近隣アジア諸国との友好やアジアの平和と安定を度外視してまでも、広大な排他的経済水域という日本の領海を広げたり、保持することに執着する右翼勢力や政治家が存在するということである。日本国土面積を上回る排他的経済水域を擁しているが、沖ノ鳥島はそれに貢献しているとされるが、その海域を守るために沖ノ鳥島を「島」だと言い張る外交的努力をして、その「島」の水没を防ぐために巨額の血税をつぎ込んで護岸工事を行ったりしている。広大な海域を近隣アジア諸国との対立を煽り、巨額な血税をかけて、血のにじむような努力をしてまで、固執すべき理由が私にはわからない。世界有数の広大な排他的経済水域を抱えていることの国家としての見栄みたいなのがあったりするのだろうか?大日本帝国的な領土執着思想の残滓がなせる業であろう。
 もっとも重要なのは日本の抱える領土問題が大日本帝国の侵略の過去の歴史問題と結びついて不可分で切り離せないことに気づいていないのである。これまで取り上げてきた竹島/独島にしろ、尖閣諸島にしろ、大日本帝国が過去の侵略で奪った領土の一つである。これらの領土に対して執着し、権利や領土として日本の主権を主張することは過去の侵略について真摯に反省していないことの表れであることを示すものである。ます近隣諸国と領有権を争う島々について個々に見ていきたい。

●竹島/独島
これまで主張したとおりである。振り返れば、竹島/独島を島根県に編入して日本の領土にしたのは1905年1月のことだった。最高国家機関である太政官は 1877年3月29日付で「鬱陵島と独島は日本領とは関係ない地であり、朝鮮領土である」とこの鬱陵島と独島については朝鮮の主権を認めていたのである。しかし、独島が日露戦争において重要な軍事的拠点になることを理由に1905年1月に閣議決定して島根県の管轄において日本の領土とすることを決定したのである。1910年の日韓併合前であり、韓国側からなんら抗議も来ていないので、正当なものだと主張する輩が後を絶たない。竹島編入時の日韓関係はどうなっているのか振り返ってみると、1904年2月に日露開戦とともに、「日韓議定書」への調印を押し付けたのである。

1904年2月23日締結の「日韓議定書」には
「第一条 (前略)大韓帝国政府は大日本帝国を確信し施設の改善に関し其忠告を容るゝこと、
 第四条 第三国の侵害により、若くは内乱のため大韓帝国の皇室の安寧あるいは領土の保全に危険のある場合は、大日本帝国政府は速やかに臨機必要の措置を取るべし(後略)、
 第五条 両国政府は相互の承認を経すして後来本協約の趣旨に違反すへき協約を第三国との間に訂立することを得さること」とあって、実質的には明らかに大韓帝国の主権(外交と軍事)を制限したのである。韓国の実質的な植民地化の起点はこの時点より始まった。1904年の8月には「第一次日韓協約」も押し付けた。その内容は
「 一 韓国政府は日本政府の推薦する日本人一名を財務顧問として韓国政府に傭聘し財務に関する事項は総て其意見を詢ひ施行すへし
一 韓国政府は日本政府の推薦する外国人一名を外交顧問として外部に傭聘し外交に関する要務は総て其意見を詢ひ施行しへし
一 韓国政府は外国との条約締結其他重要なる外交案件即外国人に対する特権譲与若くは契約等の処理に関しては予め日本政府と協議すへし」とあって、完全に韓国にとって片務的であって、韓国が外交権を行使するのに、日本政府より推薦された第三国人の外交顧問や日本政府の許可が必要なのであった。それに対して日本側に対して何の義務もない。財務顧問として日本人、外務顧問として日本政府の推薦する外国人を置くように強制されて実質的に保護国に成り下がったのである。この後「第二次日韓協約」も押し付けられるが、竹島編入後のことであるから省略する。竹島編入時の1905年1月時点で日本政府に韓国が抗議することは不可能である。日本政府が韓国の外交権をコントロールし、外交は日本政府の裁可なしにできないからである。韓国は日本に何をされても文句を言えない状態に立場におかれたのである。竹島編入が韓国に通告されたのはしかも翌年3月のこと。1905年以降の日本の領有化を根拠にして、日本の正当な領土であり、韓国の現在の領有は不当だと考えるならば、このような独島領有の過程を正当化しなければならないのである。それは歴史を知らない恥知らずがするものである。ところが、この問題に関しては右翼以外にも恥知らずな思考停止に陥る人々もいるから嘆きかわしい次第である。

●尖閣諸島
つづいて尖閣諸島。これも大日本帝国の侵略の延長線上にあることが時系列でみればはっきりと理解できるのである。
1894年7月25日 日本軍が清の北洋艦隊を奇襲攻撃して、日清開戦
1895年1月14日 尖閣諸島領有を閣議決定
1895年3月30日 日清間で停戦が成立
1895年4月17日 下関条約を結び、第二条により遼東半島、台湾、澎湖諸島を略奪し、賠償金2億円を巻き上げる。

時系列にみると戦争中のドサクサにまぎれて、尖閣諸島を一方的に日本に編入したことが見て取れるだろう。日本側では清国の支配が及んでいないことを慎重に確認した上での編入であり、全く問題はなかったというが、これ自体が詭弁である。1885年の時点にも尖閣諸島を日本領にするという動きがあったが、清国の抗議を恐れなければならなかったので、この時点での編入は見送られた。しかし、日清戦争も日本側に有利に展開し、1894年11月22日には清国領である旅順要塞を陥落させるに至ったのである。日本側の勝利が確実に近づくなかで、1895年1月に尖閣諸島を閣議決定により奪い取ったのである。戦争のさなかに日本領土にするという戦争中ドサクサまぎれの卑劣極まりない略奪である。慎重に調べるといったが、清国とは戦争のさなかであり、断交状態であり尖閣諸島が清国の支配が及んでいるかいないかについて清国の意見を聞くことは不可能である。「清国の支配が及んでいないことを慎重に確認した」というのも全くの嘘であり、日清戦争が有利に展開し、勝利を目前としており台湾や遼東半島までも奪い取る方針を確定していたのであった。以前とは決定的な「事情の差異」を「慎重に確認」した上で、1895年1月の尖閣諸島編入の閣議決定が行われたのである。その1895年1月14日に行われた閣議はこの当時一般に公表されることはなかったし、尖閣諸島を日本側に編入するという公示がなされたわけでもない。講和条約で尖閣諸島の日本側への編入を突きつけたわけでもなく、日清戦争で完全に屈服させられ、巨額の賠償金と台湾、澎湖諸島、遼東半島の割譲を突きつけられた清国が、自分の知らないところで戦争中に秘密裏に行われた尖閣諸島の編入に抗議することなどできるはずもないのだ。降伏後の領土において、「カイロ宣言の条項は実行される」と明記したポツダム宣言を受け入れて無条件降伏した。カイロ宣言は、朝鮮半島、南洋諸島、満州、台湾、澎湖諸島、アジア各地域の占領地などこれまでの侵略過程において奪ったすべての地域を返還することを求めている。しかし、ほかの地域はすべて解放されたが、尖閣諸島については中国に返還されることがなく、琉球列島とともにアメリカ軍が軍事占領を続けた。1972年に沖縄が日本に返還されると、沖縄の付属地として尖閣諸島は日本領土に組み込まれるに至った。しかし、尖閣諸島は、中国名で釣魚諸島は国際法的にも、歴史的においても中国に返還されるべき領土であることはまぎれもない事実であることはわかってもらえたと思う。したがって、中国に対して、尖閣諸島を返還し、日清戦争、満州事変、日中戦争で中国を侵略して多くの中国民衆を殺し、苦しめてきた加害の歴史とともに、今まで尖閣諸島を不法に占有し続けてきたことに対しても謝罪した上で、償いの気持ちをもち、心からの反省の気持ちをもって真の日中友好を実現すべきである。

●北方領土
北方領土については、少なくとも尖閣諸島や竹島/独島とは決定的に異なる点があると考える。それはロシアに対する侵略の上で手に入れたものではないからだ。しかし、忘れてはならないことがある。この地はもともとアイヌ民族などの北方民族の地だったからだ。江戸幕府と帝政ロシアが、アイヌ民族をはじめとする北方先住民族を無視し、「日ロ通好条約」締結してもともとなかった国境線を敷いて分断しそこにすむ先住民の生存権を蹂躙し続けたのである。北方領土を含む北海道では明治政府が発足以来、屯田兵などの入植政策を取り、恐ろしいアイヌ民族などの北方先住民に対する植民地政策が取られた。これまでは江戸幕府のころから共存関係が崩れつつあったが、明治政府が発足すると一挙に均衡が瓦解し、アイヌ民族などの北方先住民に厳しい同化政策が敷かれ、開拓史や入植者に迫害され、酸鼻をきわめる虐待と略奪に苦しんだのである。日露交渉において、ロシアのプーチン大統領は、「2島返還」で決着する方針を打ち出しましたが、結局「平行線」になりました。しかし、領土問題をめぐる交渉ではアイヌ民族などの北方先住民の存在が無視されています。まずはアイヌ民族などの北方先住民に対する大日本帝国時代に行われた侵略、迫害、同化政策、戦争責任の問題について余すとこなく事実を解明するとともに、謝罪と補償をおこなうべきである。北方領土問題はアイヌなどの北方先住民の先住権・自決権を尊重し、彼らを日露間の交渉に参加させること。そして、北方四島、サハリン、クリル列島を北方先住民の先住権と自決権のもとに、日露両政府の管轄・統治権が一切及ばない民族解放地区(?)に制定し、江戸時代以前の環境に戻し、お互い自由に往来できるようにすべきだと私は考えます。

●沖ノ鳥島
沖ノ鳥島の沈没および消滅を防ごうと巨額の費用をかけて必死に涙ぐましい努力をしているが、無駄である。沖ノ鳥島は国際海洋法上の「岩」であることは疑いようがない事実である。それに沖ノ鳥島に巨額の費用を費やし、強引に「島」だと言い張って広大な排他的経済水域を確保することに何のメリットもない。税金の無駄遣いでしかないのだ。それこそ、なんとしても広大な領域をもってすがりつきたいという大日本帝国的悪しき領土執着思想からくるものである。沖ノ鳥島が「岩」となって、広大な排他的経済水域を失っても何の損失も蒙らないと思うし、維持し続けることのメリットがわからない。沖ノ鳥島を失い、排他的経済水域が大幅に削られることによって国益が損なわれると国民は杓子定規に思い込まされているだけだ。沖ノ鳥島には大きな政治的な権益があり、役人や政治家、その公共工事・管理を行うゼネコンの利権になっているだけの話だ。中国や台湾が沖ノ鳥島は「島」であることに意義を唱えているが、広大な排他的経済水域(EEZ)を持とうとする野心を捨てることも日帝悪を克服する過程の一つであり、日本政府および日本国民には沖ノ鳥島を「岩」だと正々堂々と認めて、両国の争いを穏健に終わらせることが長期的国益につながるのである。

●まとめ
「領土問題」と「過去の大日本帝国の侵略・植民地支配の歴史問題」は全く無関係であり別個の独立した問題だという見方を多くの日本国民は持っているが、その論理はは誤りであることがわかっていただけたと思う。少し考えれば容易に理解できるはずである。竹島/独島と尖閣諸島については大日本帝国が植民地化、侵略する過程の中で編入が行われという歴史的経緯は明らかである。両島は不法に侵略され占領された島々であり、先のカイロ宣言で返却され日本領から切り離されるべき土地であったのである。尖閣および竹島/独島における権利および領有権を日本が主張することはできない。世界の普遍的な倫理や人道、人類の英知がそれを許さない。韓国や中国に対する一連の対外侵略戦争の道筋の中で不法に領有が行われたという事実がわかったもらえたと思う。北方領土についてもロシアに対する侵略の中で領有が行われたものではないが、アイヌ民族などの北方先住民族に対する加害と密接な関連するものだ。沖ノ鳥島についても大日本帝国の野蛮な領土執着思想からきているものである。このように考えれば、領土問題は大日本帝国の侵略と植民地化への道のりの線上に位置するものであり、大日本帝国の侵略と植民地化の歴史問題と密接に結びついたものであることは明白である。解決策はおのずと見えており、竹島/独島については韓国の領有権を認めること、尖閣諸島については中国に対して返還すること、北方領土においては北方先住民の代表を交渉にまぜて、日露両国の双方が領有権も放棄する形で北方領土を含むサハリン、クリル諸島などの広域を民族解放地区に制定することである。沖ノ鳥島については「岩」だと認め、排他的経済水域を放棄すること。その過程において、中国や韓国、北方先住民の方々に対して過去の侵略と加害とともに、領土問題で拗らせて現在に至るまで迷惑をかけ続けたことに対しても謝罪し、紳士に反省の気持ちを行動で移して彼らの納得できる形で暗い不幸な歴史を清算し、真の和解を実現すべきである。

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2006年04月21日

一日でも長く語り継ぐ/中帰連山陰支部(BlogPet)

いつも、右翼討伐人は
私の勤務していた蚌埠(パンプー)特務機関の地域する安徽省の揚子江北側に、南北に通じる鉄道が二路線あった。
って言ってたけど…

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「右翼討伐犬」が書きました。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 12:52 | Comment(13) | TrackBack(0) | BlogPet用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

竹島/独島関連の海保調査船問題のニュースについて

<竹島問題>外務次官を21日に韓国派遣 交渉解決目指す
政府、竹島周辺海域の調査準備 韓国は猛反発 2006年04月20日03時10分
http://www.asahi.com/politics/update/0419/006.html

 日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)周辺を含む排他的経済水域(EEZ)で海上保安庁が海洋調査を予定していることに韓国政府が強く反発している問題で、日本政府は19日、事態打開に向け、韓国側と折衝を継続した。20日朝にはソウルで潘基文(パン・ギムン)外交通商相が大島正太郎駐韓大使を呼び、韓国側の対応を伝える見通しだ。一方、海保の測量船2隻は19日、鳥取県の境港に入港し、付近で待機。韓国側の反応次第では20日にも調査を始める構えで、日韓関係が一段と悪化する可能性が出てきた。 
   


日韓EEZと調査海域の図
 
 小泉首相は19日夜、「報告は聞いているが、国際法にのっとって対応したい」と述べた。韓国政府が強く反発していることについては「そんなに興奮しない方がいい。日本は冷静に対応する」と、韓国側の冷静な対応を求めた。首相官邸で記者団の質問に答えた。
 安倍官房長官は19日の記者会見で「国際法にのっとり、お互いに冷静に対応することが必要だ。科学的な調査であり、各国も行っていることと変わりはないと思っている」と述べた。国連海洋法条約上、他国への事前説明なく海洋調査ができるとの考えを示した。
 安倍氏は「日本側としてはなるべく円満な解決を図りたいと考え、韓国側とも接触している」とも語り、事態収拾に向け韓国側と協議していることを明らかにした。
 政府関係者によると、外務省の谷内正太郎事務次官が17日、羅鍾一(ラ・ジョンイル)駐日大使と都内で会談。調査を相互に事前連絡する事前通報制度の導入を呼びかけた。
 さらに日本側は、6月の国際会議で韓国側が海底の地形に韓国独自の名称の申請をしなければ、調査を延期するなどの提案も韓国側に打診した。
 しかし、これらの提案に対し、韓国側は「日本が計画を即刻撤回すれば交渉は可能だ」(潘外交通商相)との姿勢を崩しておらず、打開の糸口はみつかっていない。
 海保の調査対象海域は竹島の北方から若狭湾沖、能登半島の西方を結ぶ長方形のエリア。その一部では約30年前に測量が行われたが、戦後は測量が実施されていない海域もあるという。海保は最新のデータに基づく海図を製作するため、測量を行いたいとしている。
 6月21〜23日にドイツで海底地形の名称に関する国際会議が予定されている。韓国側が海底地形に独自の名称をつける動きがあることから、それに対抗する形で日本としても新たな海図を作製する準備を進めてきた。
 一方、韓国国会は19日、「独島(竹島)近海の水路測量計画の即時中断」を求める決議を本会議出席241人(定数299)の満場一致で採択した。
 同決議は「日本政府による独島領有権主張の内容を高校歴史教科書に載せようとする企て」にも反対し、韓国政府に「日本の挑発を阻止する実質的で強力な対策」を促している。
 韓日議員連盟の文喜相(ムン・ヒサン)会長は19日、日本側会長の森喜朗・前首相あてに「状況はとても厳しい。日本に賢い対応を望む」との内容の書簡を送った。
 羅大使は19日、日本記者クラブでの会見で「日本がこれまで行ってきた一連の歴史歪曲(わいきょく)の延長線上にある」として、日本側に調査中止を求めた。日本は竹島の領有権を主張するための既成事実作りを狙っているとの指摘とみられ、日本側が調査を中止し、その上で「外交的に解決することが望ましい」と述べた。


<竹島問題>外務次官を21日に韓国派遣 交渉解決目指す
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060420-00000148-mai-pol
 竹島(韓国名・独島)周辺の海洋調査計画に韓国が強く反発している問題で、日本政府は20日、谷内正太郎外務事務次官を21日に韓国に派遣することを決めた。海上保安庁の測量船と韓国警備艦が衝突する「不測の事態」を回避するため、外交交渉による解決を目指す。鳥取県境港市沖で19日から待機している測量船は21日の協議中は調査を見合わせる方針。
 日本政府の海洋調査は、6月に行われる海底地形に関する国際会議に韓国が竹島周辺の韓国名を提案する動きをみせたのに対抗して計画された。韓国側は調査計画の撤回を要求しているが、潘基文(バンギムン)外交通商相は20日、ソウルで会談した大島正太郎駐韓大使に対し、日本側がまず調査計画を撤回することを条件に、韓国名提案を延期する可能性も含めて日本側との協議に応じる姿勢を示した。
 これを受け日本側は20日に予定していた調査の開始を悪天候を理由に見送り、外交的解決を図るため谷内次官の派遣を決定。谷内次官は21日、ソウルで韓国外交通商省の柳明桓(ユミョンファン)次官らと会談し、「韓国名提案をやめれば海洋調査を中止する」と主張してきた日本政府と韓国側との接点を探る。小泉純一郎首相は20日夜、記者団に「冷静に外交交渉で円満に解決していきたい」と語った。
 ただ、柳次官は同日の国会答弁で「主権侵害は国内法で処理する」と述べ、測量船が韓国の排他的経済水域に入った場合は拿捕(だほ)も辞さない強硬姿勢を改めて強調。日本側も安倍晋三官房長官が記者会見で「(拿捕が)国際法違反になることは明々白々。粛々と(調査の)準備はしていく」と述べるなど、双方とも硬軟織りまぜた神経戦が続いている。【ソウル堀山明子、大貫智子】

竹島問題:安倍官房長官が脚本・演出
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/korea/news/20060420org00m030041000c.html
 誰が海洋調査を指揮しているのか(上)  
 「これからは安倍時代に備える時・・・」
 19日、東京の外交消息筋は独島(日本名:竹島)近海の海洋調査を陣頭指揮する人物として一斉に安倍晋三官房長官を名指しした。
 「日本の海洋調査に対し韓国は猛反発している」という指摘に、安倍官房長官は19日の記者会見で「調査は韓国もしている」と切り返し、「互いに冷静に対処するのが重要だ」という言葉をオウムのように繰り返した。安倍官房長官は18日にも海上保安庁の石川裕己長官に首相官邸で別途面会、「国際法に従い冷静に対処せよ」と指示している。
 首相官邸周辺では「安倍官房長官が事実上、内政と外交の主導権を掌握し、小泉純一郎首相がこれを黙認している」という話が出ている。安倍官房長官が、今年9月退任を控える小泉首相の代わりをし、実質的な政策決定権者として浮上、権力が集中しているというものだ。先週6か国協議の各国代表が東京に宿泊していた時、外務省の懸念にもかかわらず、「拉致被害者の横田めぐみさん(失踪当時13才)の夫が韓国人拉致被害者だと判明した」とのDNA鑑定結果発表を強行したのも安倍官房長官だった。また安倍官房長官は、先月韓日の対北朝鮮協調問題を話し合うため訪日した金昇圭(キム・スンギュ)国家情報院院長との単独面談を終えた直後に、大阪朝鮮総連施設に対し家宅捜索を指示したといわれている。
 安倍官房長官に権力が集まる中、日本の対内外政策でも安倍色が濃くなってる。「次期首相候補に最も適切な人物」を問う各種世論調査で40% 以上の高い支持率を得て不動の1位を守るや、官僚らも「9月安倍首相就任」を前提に動いている。(朝鮮日報) 2006年4月20日

竹島問題:安倍官房長官の歴史観、小泉首相より深刻
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/korea/news/20060420org00m030040000c.html
 誰が海洋調査を指揮しているのか(下)  
 安倍氏を最も有力な首相候補に作り上げたのは北朝鮮の日本人拉致だ。2002年9月に平壌で開かれた日朝首脳会談は、安倍氏が首相候補に浮上した決定的なきっかけとなった。彼は小泉首相に「拉致問題に対する謝罪を引き出すまでは平壌宣言に署名してはいけない」と主張した。そして平壌から戻った翌日、拉致被害者家族を直接訪ねて頭を下げた。こうした行動が報道され、安倍氏の人気は急上昇し始めた。北朝鮮制裁の先頭に立ちながら「北朝鮮の体制崩壊を誘導するべき」「平壌に草も生えないようにする」との主張までしてきた。
 安倍氏は普段から韓国に対しては「重要な国」と口癖のように言う。しかし「靖国参拝は首相の義務」と主張、従軍慰安婦を否定する彼の屈折した歴史観は小泉首相よりも深刻だ。彼は私的な集まりで盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権を「左翼・反日政権」と名指しすると言われている。東京の外交消息筋は「安倍時代が来たら韓日関係はさらに難しくなるのではないか」と懸念している。
 韓国に対するダブルスタンダードは彼が一番尊敬する祖父・岸信介元首相までさかのぼる。岸元首相在任期間中に在日韓国人の北朝鮮帰国事業が始まった。当時、韓国の自由党政権は岸元首相にたより、 帰国事業阻止を試みたが徹底的に裏切られた。外相を勤めた安倍晋三氏の父・安倍晋太郎は親韓派として比較的いい印象を残したが、彼もやはり自民党内の最右翼派閥・青嵐会のメンバーだった。(朝鮮日報)2006年4月20日

今回の騒動の発端には安倍晋三がいるのでしょう。安倍が海保の陣頭指揮を執って、今回の騒動になった海保の海底測量調査行動を仕掛けたという見方が強いです。ドイツで海底地形の名称に関する国際会議があるが、そこで韓国側が独島周辺海域の海底地形の名称を新たに提案しているそうですが、その提案が通るのを阻止し、対抗して日本側も提案しようとした。しかし、そのための最新データーがないために、今回の海洋調査に踏み切ったという構図です。お互いの主張するEEZが重なり合っているためにも問題は大きく、隔たりが大きいです。長く述べるとなんなので、結論から言いましょう。そもそも日本側に独島領有の正当性はございません。したがって、今回の韓国側の海底地形名称の国際会議の場での提案も韓国の主権下において提案するわけで、日本側の主権を侵すものではありません。したがって、日本側の海底名称提案中止の要求も、それに変わる独島海域への調査行動もなんら正当性はなく、韓国の主権を侵害するものであり、歴史歪曲行動の一貫であり、独島再侵略に向けて既成事実を作り出し積み重ねようとする日帝的野蛮行為です。現在独島を実行支配しているのは韓国であり、韓国の領土だとするのが普通である。たかが小さな島ごとき、そして今回のように海底地名の名称ごとき問題に拘って、韓国側の反日感情を煽ることのほうがよっぽど国益を損ね北東アジアの安定と平和を乱しているのだ。右翼勢力連中にはそれが狙いであり、右翼討伐人として良識的市民の一員として断固阻止しなければならない。
右翼でなくても保守系はいざ知らず、社民党や共産党のような革新勢力の中にも竹島/独島は日本領であり、韓国が不法占拠したというかつて朝鮮半島を植民地化した加害の歴史を忘却したかのような被害妄想のファシスト思想の残滓が見られるのは非常に私にとって不愉快である。まず、朝鮮半島侵略の歴史について勉強してみよう。  

1875年に江華島事件が起こった。海軍軍艦が朝鮮側を露骨に挑発。朝鮮側が砲撃したのにたいして、城内に押し入り、民家を焼き払うなど卑劣な報復攻撃を行った。これが大日本帝国の朝鮮侵略の一歩である。
1876年に日朝修好条規という不平等条約を押し付ける。
1904年2月の日露開戦ともに「日韓議定書」への調印を押し付ける。
同年8月「第一次日韓協約」を押し付けて、外交権を完全に奪い、服従国とした。
1905年1月 戦争遂行上の軍事拠点として注目していた「リアンクール島」(独島)を「竹島」という名を冠し不法に島根県へ編入。
1910年に「日韓併合条約」により、完全に朝鮮半島は大日本帝国の植民地支配に入る。

独島の不法編入の経緯については
「竹島」を日本が編入した経緯(概要)
http://himadesu.seesaa.net/article/2916534.htmlを参照のこと。
ともあれ、時系列でみれば、日本の独島領有は朝鮮半島の植民地化への線上にあったことが理解できると思います。さらにいえば、明治政府の最高国家機関である太政官は 1877年3月29日付で「鬱陵島と獨島は日本領とは関係ない地であり、朝鮮領土である」と(この時点では非常に小さな無人島でありあえて領有する値打ちを見出していなかったのだろうが)正式に独島を放棄しているのだが、独島が重要な軍事拠点になりうると判断し、韓国の外交権が完全に奪われ、日本に何をされても文句をいえない保護国に成り下がった段階でこっそりと島根県に編入するという卑劣な独島略奪をおこなったことに対して認識してもらいたいものである。もちろん、戦後軍事力をもって、強行に奪った韓国側の行為にも問題点は確かにある。李承晩ラインによって、今まで自由にいけた漁場が韓国側に封鎖されて、封鎖を超えようとすら場拿捕されて悲劇を生んだ。日本漁民といっても生活をかけて漁業しているわけだから、その点同情する余地はある。しかし、過去の朝鮮半島への侵略および植民地支配の歴史を無視して、李承晩ライン、竹島不法占拠などの被害者面をしているのは卑怯である。このことに関しては右翼だけの問題ではない。従軍性奴隷問題や戦争加害・侵略の問題に取り組むのが熱心な良識的リベラルや革新勢力である社民党や民主党も、竹島/独島問題となるととたんに被害者面になる。過去の侵略や植民地化の問題と切り離して思考停止の上に竹島/独島は韓国側の不法占拠であり、日本側の立場に立つ。竹島/独島問題もほかの問題とともに過去の侵略や植民地支配の加害の歴史と切り離すことは不可能であり、朝鮮半島への侵略および植民地支配の歴史と不可分であることを認識しなければならない。朝鮮半島の侵略や植民地化への流れの中に大日本帝国による独島の占領が含まれているのであり、敗戦後、大日本帝国が解体されいく中で明治以来の対外侵略過程で占領した広大な地域が日本から解放されていった。朝鮮半島も大日本帝国から解放され、切り離される段階で鬱陵島の付属島である独島も朝鮮半島に属して大日本帝国から切り離されることは道義的に当然のことである。
【タイトル】竹島(独島)と固有領土の認識
インターネット「歴史会議室」
http://www.han.org/a/half-moon/hm062.html

 日本陸軍参謀本部は、1936年3月現在の大日本帝国(日本本州、朝鮮、台湾、関東州、樺太を含む)の『地域一覧図』を同年4月に刊行したのだが、この地図の目的は大日本帝国に属する全地域を、本州、朝鮮、関東州、台湾、樺太、千島列島、南西諸島、小笠原諸島などにグループ分類することであった。
 日本陸軍参謀本部は、この『地図区域図』で、独島を日本本州に含める空間がたっぷりあるのにもかかわらず、独島を鬱陵島と共に“朝鮮区域”に含め、竹島の右側に“朝鮮区域”と“日本の本州区域”を区分する墨で線引きした。  

 この『地図区域一覧図』は、日本陸軍省が敗戦など眼中になく、大日本帝国の永遠の存続を信じていた1936年に製作した地域別地図だけに、決定的に重要な資料である。
 この資料で独島が朝鮮と日本のどちらに入れられるのかは非常に重要な問題である。なぜならば、もし大日本帝国が外的圧力によって崩壊するようなことになれば、独島の帰属問題に決定的な影響を与えるからである。
 ところが日本の陸軍参謀本部は、独島を“朝鮮区域”に入れたのである。陸軍省は、独島が鬱陵島の付属島であり、朝鮮領であることをよく知っていたからに他ならない。


日本側の公文書でも朝鮮半島が大日本帝国から切り離される際に独島も朝鮮半島の付属地であり、現在の韓国の領有がいかに正当かどうかがわかるものだ。独島は今や韓国人の偉大な聖地であるが、それは大日本帝国でもっとも早く植民地化されたのが独島であることに由来するのがその理由のひとつであろう。
以上のことより、独島の日本側の主張は過去の加害の歴史的視点を無視した横暴なものであり、言語同断であり、ただちに国際司法裁判所への提訴を破棄し、独島領有の主張を放棄すべきだ。日本政府は過去の植民地支配とともに独島再侵略の野望を半世紀にもわたってしつこく続けて韓国民に迷惑をかけ、再侵略への恐れと怒りをもたらし続けたことに対しても謝罪しなければならない。紳士に過去の侵略・植民地支配の歴史に償い続ける友好な日韓関係を築き、「これまでの外交の過ちへの反省もバネに未来志向で東アジアの平和と安定を相互理解、信頼、善隣友好関係を基に推し進めたい」と決意表明して、紳士にアジア民衆の信頼を得るべく大日本帝国的領土(領海)野心を一切捨て去るべきである。右翼勢力を一切日本国内から駆逐し、革新リベラル層は竹島/独島問題などの領土問題も過去の侵略・植民地支配の加害の歴史と不可分であることに気づき、韓国の独島領有権を認めることだ。小さな島ごときで北東アジアの平和と安定が乱れてはならない。そうすることが日韓関係を真の友好関係とし、近隣アジアの平和と安定をもたらすことにつながることに一刻も早く目をさまして頂きたいと思う。以上

2006年04月20日

竹島/独島海域への海保による示威的海洋調査につながる問題ですが、沖ノ鳥島問題における日本政府の大日本帝国的野心について

2chで久々にいろいろ検索していたのですが、こんな記事があった。
領土にしてEEZ広げる策略...沖ノ鳥島
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=74837&servcode=200§code=200
「サンゴを育てて沖ノ鳥島の水没を阻むよう」−−。

日本政府が太平洋の岩島にサンゴを植えるプロジェクトに取りかかったと朝日新聞が17日、報道した。日本が巨額の予算と最先端の技術を投入してサンゴ礁を移植する理由は「海の領土」を確張するためだ。
東京から南に1740キロ下れば岩島に出くわす。サンゴ礁でできた沖ノ鳥島だ。緯度上では台湾やホノルルよりもっと南だ。大きさは東西で4.5キロ、南北で1.7キロだが大部分水に浸っている。高潮のときはちっぽけな岩2つが水面上で70センチ程度現れるだけだ。それは面積にして10平方メートル程度。
しかしこの岩島の持つ価値は恐ろしい。日本は沖ノ鳥島が国際法上でも厳然たる「島」だとし、ここを基点に200海里の排他的経済水域(EEZ)を設定する権利をもつと主張している。日本の主張どおりなら、日本本土(38万平方キロ)よりも広い40万平方キロのEEZとなる。
しかし利害関係にある中国の言い分は違う。「人すら住むことができない岩にすぎないのにEEZの基準になるか」というのだ。したがって周辺の海は公海にすぎないという主張だ。たまに中国の探査船が沖の鳥島周辺を航海し、日本の神経を刺激することもこうしたことからだ。
日本はこの島を守るためにずいぶん前から刻苦してきた。波で岩島が削られていくことを阻むため、1989年には600億円を投入して岩島をコンクリートと金属構造物で固めた。構造物の材料は海水の侵食作用に堪えられる特殊素材を使った。
しかし最近、また別の問題が発見された。沖の鳥のサンゴ礁が急激に減るのを確認したのだ。魚がサンゴ礁をかじる上、エルニーニョ現象による水温上昇が原因であると指摘された。これにより日本の水産庁は、ある学者が18年にわたって開発した最新サンゴの養殖技術でこの島を守ることにしたと朝日新聞は報道した。
腔腸動物であるサンゴ礁が海面近くに産んだタマゴを採取して水槽で育てた後、また海に放す方法だ。水産庁は5月から沖の鳥周辺で20万〜30万個のタマゴ採取して育てた後、夏に植え替るという計画だ。
沖の鳥周辺にはマグロ、カツオが生息し、コバルト、マンガンなどの地下資源も豊かであると知られている。それだけではなく、沖の鳥は台湾とグアムにつながるところに位置し、戦略的価値も大きい。

 

中国と沖ノ鳥島をめぐって対立しているようだ。人が住むことができない岩にすぎないから、沖ノ鳥島なる「岩」にEEZを敷くことはできないというのが中国の立場。日本は「島」として広大なEEZを確保して、膨大な領海を手に入れることができる。
ところで、新しいニュースだが、台湾側も日本側の「島」であるという主張に疑問を呈している。
沖ノ鳥島、台湾も「岩」...日本との漁業交渉で主張 (読売新聞) - 4月19日14時39分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060419-00000206-yom-int

【台北=石井利尚】日本最南端の沖ノ鳥島について台湾当局が日本政府に対し、「沖ノ鳥島は『島』ではなく『岩』だ」とし、日本はその周辺海域を排他的経済水域(EEZ)に設定できない、と主張していることがわかった。  
 日台関係筋によると、台湾側がこの見解を示しているのは、日本側との漁業交渉の場。今年5月にも開かれる次回漁業交渉で改めて提起する。
 同島EEZはマグロの好漁場。台湾側の見解は漁業権益の確保を狙ったものと見られる。
 同島については中国政府が2004年春、「島ではなく岩だ」と主張し、日本政府が抗議している。台湾当局者は18日、本紙に対し、「中国(政府の主張)とは無関係だ。台湾として『岩』と判断した。(島かどうか)台湾と日本が話し合うべき議題だ」と述べた。
 日台間では1996年から、尖閣諸島近海などの漁業権益を巡り、断続的に漁業交渉を行っている。

ちなみに  

国連海洋法条約第121条 島の定義によれば、
1 島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、満潮時においても水面上にあるものをいう。
2 3に定める場合を除くほか、島の領海、接続水域、排他的経済水域及び大陸棚は、他の領土に適用されるこの条約の規定に従って決定される。
3 人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない。

ただし、「島」と「岩」を明確に区別するものは存在しないが、しいて言えば3項で、人間の居住は不可能だし、島独自の経済的生活を維持することなど不可能だから、沖ノ鳥島は「岩」だという解釈も成り立つ。

ちなみに過去にニュースには
【EEZ】「島」でなく「岩」 中国の主張正当と米専門家 沖ノ鳥島問題で米紙
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1108623922/

★中国の主張正当と米専門家 沖ノ鳥島問題で米紙  
【ニューヨーク16日共同】16日付の米紙ウォールストリート・ジャーナルは、 沖ノ鳥島(東京都)が、周辺海域を排他的経済水域(EEZ)に設定できる「島」でなく「岩」にすぎないと中国が主張している問題を一面で取り上げ、同島は無人で経済活動もなく、米国などの海洋法専門家らが中国の主張を正当とみている、と伝えた。
「沖ノ鳥島問題で日本、困難な立場に」との見出しで、日本政府は同島の消失を避ける対策は取っているが、国連海洋法(1994年発効)でEEZ主張の条件となっている経済活動を創出する努力をほとんどしてこなかったと指摘。

日本の立場は、英国が1990年代にEEZの主張をあきらめた大西洋の
「ロックオール島」の例に酷似していると専門家がみているとし、「沖ノ鳥島のEEZをもっともらしく主張することはできない」とするファンダイク・ハワイ大教授の意見を紹介した。
共同通信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050217-00000029-kyodo-int


米国の専門家からも国連海洋法の1994年発行時点でEEZ主張の条件である経済活動を創出する努力をほとんどしてこなかったから、沖ノ鳥島を国連海洋法のEEZ主張の条件でありうる「島」ではないと中国の主張を正当なものとしている。しかし、これでは経済活動を創出する努力をしていれば、どんな海洋上の「岩」でも「島」と主張することができて、自国のEEZを拡大できる野蛮な侵略反動行為につながってくるし、その米専門家の意見には私としても納得できないところが多々ある。ロックオール島の例がある模様。ところで、沖ノ鳥島の写真とロックオール島の写真を比較してみよう。
1)沖ノ鳥島 チタン製のフタの中の「島の様子」 020519iwa_L.jpg
2)沖の鳥島全景 okinotorijima.jpg
3)沖ノ鳥島を波などの侵食から守るために巨額の費用をかけてチタン製のフタで保護したことを知らせる新聞記事 okinotorijima2.jpg
4)国連海洋法に基づき「岩」だと認定されたロックオール島
Rockall.jpg  

1)http://www.sankei.co.jp/databox/pc_tanbou/images/020519iwa_L.jpg
2)http://www007.upp.so-net.ne.jp/ogamaru/ogasawara/okinotorijima.JPG
3)http://www007.upp.so-net.ne.jp/ogamaru/ogasawara/okinotorijima2.jpg
4)http://www.cifr.it/Rockall.jpg
ロックオール島は沖ノ鳥島よりもはるかに立派であり、上に建造物でさえ立ちいかにも「島」だという感じである。しかし、それでさえも「岩」だと認定されてしまう現実の前に沖ノ鳥島を「島」だと主張して譲らない日本のご都合主義には呆れて腹立たしいというのはこれらの写真を比較した私の感想だ。なぜ、この沖ノ鳥島が「島」であるという日本の主張に対してこれまで長い間、世界は疑問に思わなかったのだろうか?日本政府はアジア・太平洋戦争に敗れ膨大なの領土(植民地・占領地・その領海を含む)を失ったが、少なくとも海洋の領土(領海)だけは確保せんがための日帝的野心に基づいて、沖ノ鳥島を「島」だと愚弄して、国際社会を騙し続けたのであろう。これに対して近年中国から反対の声があがっているし、台湾からもそれはおかしいと言って来た。これだけの膨大な海を日本が独り占めしようと考えるのはおかしいし、海はみんなのものだ。別に日本が占有して沖ノ鳥島周辺の資源を単独で開発することのメリットはなく、国際間で協力して開発したほうが費用がかからず国益にも沿う道であろう。大日本帝国的精神に基づく領土的野心を一切捨て、沖ノ鳥島なる「岩」にこだわるのをやめて、中国や台湾の怒りに耳を傾け、両地域に対する過去の侵略や加害の不幸な歴史を認識し、多国間で協調する道をとること。私は私は広大な排他的経済水域(EEZ)を持とうとする野心を捨てることが日帝悪を克服する過程の一つであり、日本政府および日本国民には沖ノ鳥島を「岩」だと正々堂々と認めて、争いを穏健に終わらせることが沖ノ鳥島を「岩」と認めることが長期的な国益につながるとに気づいてほしいと思います。以上

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 01:40 | Comment(30) | TrackBack(0) | 日々の雑感ならびに考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月19日

竹島/独島周辺海域における海保の示威的測量調査行為について

糞ネット右翼の荒らしのコメントで教えてもらったのだが、
 

■海保の測量船が出発 20日から竹島周辺調査か
日本と韓国の間で領有権をめぐり対立が続いている竹島(韓国名・独島)周辺海域の
海洋調査にあたる海上保安庁の測量船が18日、東京を出発した。竹島周辺海域で20日
ごろから調査を実施するとみられる。
韓国の潘基文外交通商相は18日「独島問題が韓日関係よりも優先されるというのが
政府の基本認識」と述べており、調査開始で日韓関係の一層の悪化が懸念される。
関係者によると、測量船はいったん鳥取県・境港に入港。20日に出港し、調査海域で
海図を作製するため測量などを行い、26日に境港に戻る予定。

調査海域は日本の排他的経済水域(EEZ)内だが、日韓両国で、排他的経済水域の
境界が明確に定まっていないため、韓国が自国の排他的経済水域と主張している海域も
一部に含んでいるという。

ソース:共同通信
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=main&NWID=2006041801004534

■「日本の独島探査船を撃沈せよ」 強硬発言相次ぐ

探査船を独島近海に派遣するという日本政府の計画に対して、国内の独島関連団体はもちろん、各政党や
市民団体、ネチズンらの対日強硬発言が相次いでいる。

独島本部は15日声名を発表し、「日本の科学探査船派遣地点は独島領海範囲であり、明らかに韓国の排他的経済水域だ」として、「このような挑発は大韓民国の独島に対する領土主権を無視した行為で、大韓民国自体を凌辱・侮辱する行為」と厳しく糾弾した。

独島本部は更に、「独島領海に侵入する日本の探査船は必ず拿捕し、国内法によって処罰せねばならない。応じない場合は撃沈すべきだ」と主張したうえで、「我が国政府が過去のように実質的な対応を回避するようなら、今後は独島はもちろん我が国の領土自体を維持しえなくなる状況に追い込まれるであろう」と警告した。

同団体は、「日本の挑発行為は、タケシマ領有権主張を我が方が容認してやって1999年に締結・発効された新韓日漁業協定の中で、独島に対する権利を我が国と対等に保障してやったことが原因だ」として、「一日も 早く新韓日漁業協定を廃棄して、大統領が自ら独島を訪問し、領土死守宣言を行うべきだ」と主張した。

市民団体「活貧団」は今月17日午後1時に愛国市民団体とともに日本大使館と大使公邸を抗議訪問したうえ、 大邱と浦項、鬱陵島、独島を巡回した後、日本の首相官邸と外務省の前でデモを起こすと発表した。

洪ジョンシク団長は、「『独島は歴史的にも国際法上にも日本領土』と減らず口を叩く日本政府は、侵略軍国主義の復活を企てるアジアの悪鬼・地球村の悪童」として、「他国の領土に侵入しようとする暴挙を直ちに中断せよ」と糾弾した。

活貧団は、「島根県のいわゆる『竹島の日』制定や、日本の極右総理の靖国参拝で悪化している韓日関係が、海洋探査船の独島海域進入計画でいっそうとげとげしくなった。今後、海軍・海兵隊特殊部隊出身の義烈団員を募集して独島海上でデモを行なった後、日本の文部省と総理官邸、島根県、対馬島を巡って、強力な反日闘争を展開する計画だ」とした。

活貧団はまた、独島問題に対して強硬対処することと、独島に警察に代えて海軍を駐屯させる特別法を制定することなどを政府と国会に求めた。<後略>

▽ソース:ニューシス/Yahoo!Koreaニュース(韓国語)(2006-04-15 13:12)
http://www.newsis.com/_common/content.aspx?val=20060415131202298
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=4&newssetid=746&articleid=2006041513122625080

 ほかにもさまざまなコピペがあったけど、これだけ転載しておく。ようは海上保安庁の測量船が竹島/独島の周辺海域で測量調査行うというもの。ちなみに韓国が主張するEEZもその調査領域に入るらしい。小泉政権になってから、日本の右傾化が進み、靖国参拝や閣僚の偏狭した過去の侵略否定発言や妄言などが相次いで、近隣諸国を刺激する言動が目立つ。麻生や安部のような極右候補までもが首相候補に取り沙汰されているのだ。竹島/独島周辺海域への測量調査も、そのような右傾化する動きの一貫だろう。どうして近隣諸国を刺激するようなことばかりをするのであろうか?韓国にとっては再侵略であり、大韓民国の主権を侵害し、凌辱・侮辱する友好関係をぶち壊しにする示威反動行動の一貫と捉えている。ちなみに、竹島/独島は日韓両国で領有権を争っている係争地域ではなく、すでに法的にも歴史的にも韓国の領有権は確定しているものだ。韓国側の譲歩の結果、日本漁民が韓国の竹島/独島復帰までの間漁業していた経緯があり、日韓漁業協定で竹島・/独島周辺海域でも日本漁船が漁業を行うことは可能だが、今回の日本側の示威的行動の結果、日韓漁業協定は破棄されることになるかもしれない。今回の竹島/独島周辺海域を含む海保の測量船調査というあからさまな挑戦的行動は日韓両国の関係をさらに険悪なものとし、国益を損なうものであることはあきらかだ。
 
ちなみに竹島/独島が完全な韓国領であることは
▼竹島=独島問題、朝日新聞社への質問書 by半月城氏
http://d.hatena.ne.jp/claw/20050331#p3に示されている。
若干抜粋すると
 
  先日、韓国の中央日報読売新聞の記事「摩擦の歴史的背景」を批判して、記事
「不利な独島資料は知らん振り」を載せ、こう記しました。
 <(読売新聞には)決定的な問題点がある。 日本政府と地方政府が二度にわた り、自ら「日本の領土でない」と明らかにした文献には全く言及していなかった(注
1)>
  この批判ないし不満は、そのまま貴紙にも当てはまるように思えてなりません。 というのも、貴紙は「竹島問題、意見対立 解決の道遠く」(3/28)と題した解説記事
を載せ、日本と韓国、双方の主張の対立点を簡潔にまとめておられましたが、そこで
はなぜか明治政府が1877年に竹島(鬱陵島)および松島(竹島=独島)を放棄したこと
などにはまったくふれておられないからです。
  この明治政府の決定こそ、韓国の学者が<「獨島が韓国領である」という真実
日本側資料が再確認する決定的な資料>とまで言い切るほど重要な史実なのですが、
そうした主張や史実をなぜ報道しないのでしょうか?
  その史実を韓国の雑誌『新東亜』2000.5月号は次のように記しました(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  「愼縉・lt;/font>教授の獨島百問百答」
Q43.しからば、当時の日本の最高機関である太政官(総理大臣府)は鬱陵島と
獨島をどの国の領土と判定したのか?
ANS.太政官ではこれ(内務省からの伺書、半月城注)を検討し、鬱陵島と
その外一島の獨島(松島)は内務省の判断のように、やはり日本とはなんら関
係がなく、朝鮮領と判定して最終結論をだした。
  太政官(右大臣・岩倉具視)は内務省の伺書を受けて検討した後、調査局 長の起案にて 1877年3月20日「伺いの趣である竹島(鬱陵島)外一島(松
島)の件は本邦(日本)と関係がないと心得ること」という指令文を作成し、
これを最終決定した。
  日本の最高国家機関である太政官は最終決定であるこの指令文を 1877年
3月29日、正式に内務省に送り、指令手続きを完了した。日本の内務省はこの
指令文を1877年4月29日付で島根県に送り、現地でもこの問題を完全に終結し
た。
  日本の明治政府の最高国家機関である太政官は 1877年3月29日付で「鬱
陵島と獨島は日本領とは関係ない地であり、朝鮮領土である」と最終決定した
指令文を再確認して公文書内務省と島根県に送ったのである。
  当時、鬱陵島・獨島が朝鮮領であり日本領ではないという 1877年3月29
日付の日本最高国家機関の最終決定は、それに先立つ徳川幕府将軍が1696年1
月28日にくだした決定と同様に画期的なものであった。
  明治維新当時、日本の最高国家機関である太政官が鬱陵島、獨島は朝鮮領
であり日本領ではないという要旨の決定をくだし、内務省と島根県に公文書
指令したことは「獨島が韓国領である」という真実を日本側資料が再確認する
決定的な資料であり、今日の日本政府がごり押しをして、獨島が日本領である
という主張の虚構性をよく証明する決定的な日本の公文書であるといえる。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 

すでに明治政府が鬱陵島および竹島/独島を放棄していたのですね。よって、右翼および日本政府の竹島/独島領有権主張は妄言であり、韓国への再侵略に他ならないというわけです。かつて朝鮮半島を強引な条約を結ばせて開国、そして併合・植民地化させたようなことを韓国に対してやろうとしています。このような日本政府・右翼の日帝的試みを良識的市民は力合わせて粉砕しなければなりません。

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:59 | Comment(27) | TrackBack(0) | 日々の雑感ならびに考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昭和の日粉砕デモ!IN 京都

[AML 6714] 昭和の日粉砕デモ!@京都 より転載

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■何がめでたい「国民の祝日」!侵略史の隠蔽と天皇制の賛美を許すな!■
■「昭和の日」粉砕4・29デモンストレーション          ■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

★日時 4月29日土曜日
       14時 三条河川敷集合、集会開始
       15時 出発

★コース:三条河川敷〜河原町〜四条通〜円山公園 解散

※音のなるものや光るもの、はためくものなど好きなモノを持ってお集まりくだ


※でも、携帯電話や身分証明書は持ってこないほうがイイカモ!

主催:反戦反政府行動
Mail:
hanseifu@mail.goo.ne.jp

ウェブサイト:
http://antigovernment.hp.infoseek.co.jp/index.html
ブログ:
http://d.hatena.ne.jp/posada/

★★4月25日火曜日★前段企画<入場無料!>★★
講演会「ヒロヒトとその時代」
講師;池田浩士さん(京都精華大学)
場所・時間:京都精華大学黎明館L001教室にて 18;30より
京都精華大学へのアクセス:京阪出町柳乗換〜叡山電鉄京都精華大前下車徒歩1

http://www.kyoto-seika.ac.jp/access/index.html


*************<以下呼びかけ文>**************

【何がめでたい「国民の祝日」?】
4月29日は昭和天皇ヒロヒトの誕生日。この日は戦前から「天長節」といって「祝
日」だった。戦後は「天皇誕生日」と名称が変わり、ヒロヒトが死んでからは「
みどりの日」となった。そして来年からは「昭和の日」に変わる。「国民の祝日
」は祝日法で「国民こぞって祝い、感謝し、または記念する日」であると定めら
れているが、そもそもいったい何がめでたいというのだろうか?
現在ある「国民の祝日」は、戦前に定められた「祝日」とほぼまったく同じであ
る。戦前の「祝日」はすべて天皇の宗教行事と軍事的行事に由来しており、戦後
も名称を変えただけで生き続けている。天皇制と軍事にからめられとられた「国
民の祝日」は私たちのものではない。あたりまえの「休日」を自分たちの手に取
り返さなければならない。

【ヒロヒト有罪!】
ヒロヒトは、かつてアジア太平洋地域に侵略して2000万人もの人々を殺し、自分
らも殺され餓死し自殺させられた旧日本軍の「大元帥」であり、戦前の日本の最
高責任者であった。開戦を命令し、ポツダム宣言の受諾(降伏)を引きのばした
張本人であった。「国体護持」=自己保身の道を探るためだけに降伏を引きのば
しため、空襲や沖縄戦、原爆によって死傷した人々に対して責任があり、旧日本
軍のおこなった虐殺や拷問、強姦、性奴隷制度の被害者に対して責任がある存在
だった。
にもかかわらず敗戦後、ヒロヒトはアメリカの意向(占領政策)によって極東軍
事裁判で訴追されず、戦争責任をまったくとらずに「象徴天皇」として生き延び
た。アメリカの意向に沿った戦後国家(日米安保体制)づくりに政治的に動き、
半永久的な沖縄占領をアメリカに申し入れまでした。このような人物の誕生日を
どう「国民こぞって祝い」「感謝」「記念」しろというのか。

【政府は戦後補償をおこなえ!】
戦後日本の民衆は天皇制を解体することはおろか、ヒロヒトを退位させることす
らできなかった。逆に「日本国と国民統合の象徴」としてうやまうように出発し
た。この「象徴天皇制」は、戦後も靖国神社を通じた日本の戦争被害者の統合に
大きな役割を果たした。天皇自身の戦争責任の放棄(天皇制の現存)は、まさに
戦後日本による戦争責任のとり方の「象徴」だ。
戦後日本は、韓国と台湾がGNPの50%以上を軍事費として投入する中、アメリ
カの「核の傘」の下に入ることで「奇跡」の経済復興をとげてきた。被害を与え
たアジア諸国家への「賠償」は経済再侵出の足がかりとされ、そのことで被害者
個人への補償は置き去りにされた。今なお数多くの戦争被害者を日本は無視し続
けている。被害者への謝罪と補償がない限り、戦争は終わらない。しかし今、日
本は謝罪と補償を拒むばかりか、すでに新たな戦争への道を歩み出そうとしてい
る。

【反戦・反ナショナリズムの声をあげよう!】
今、政府は地元の反対の声を無視し在日米軍基地の再編を強行しようとしている

沖縄の辺野古、座間、岩国…。戦後日本の米軍基地は、朝鮮やベトナム、アフガ
ニスタン、イラクなどへの軍事行動の後方基地として使われてきた。今回の再編
は、その延長線上に自衛隊と米軍の一体行動が目指されている。日本は巨額の思
いやり予算などで米軍に加担し続け、自らも自衛隊を海外に繰り出す「派兵国家
」となった。「外国に攻められたらどうする」とあおりながら、政府は国民保護
法などの有事法制や共謀罪などの治安弾圧立法を推し進め、私たちの日常を管理
し新たな戦争へと足を進めようとしている。歩を踏む道が戦争や管理に向かうと
き、「国民であること」が敵/味方を分ける指標として機能する。だから今、私
たちは戦争反対の声をナショナリズム反対の声につなげたいと思う。

反戦・反ナショナリズムのデモンストレーションをともに!


 

というわけで、転載します。京都といえば、京都御苑(京都御所)といった天皇家のお住まいとされてきた場所があります。天皇とゆかりのある地でこのようなデモが行われるというのは意義のあることです。少し呼びかけ文が過激なところがありますね。>開戦を命令し、ポツダム宣言の受諾(降伏)を引きのばした というところに若干異説もあるところですね。少なくとも大日本帝国天皇体制の背後には軍官財政の利権カルテルが存在しました。天皇の威光に寄生し、日本国民はもちろん、さらには朝鮮や中国各地の植民地の民衆から血を啜って吸い上げて利権とするような軍部や財界の連中がいました。アジア・太平洋戦争時には天皇の威光を世界に広める八紘一宇思想というプロパガンダをもちだし侵略戦争を正当化し、戦争利権に群がる軍部や財界の存在がありました。天皇が絶対的権力をもっていなかったという説もあり、いろいろ議論があるところです。しかし、アジア・太平洋地域の大日本帝国の被害にあった民衆の立場から考えて見ましょう。日本軍の虐殺や強姦などの苦痛にあったアジアの被害者たちにとってみれば、大日本帝国の最高指導者が天皇であり、天皇ヒロヒトこそがもっとも憎むべき存在として君臨していました。そういった過去を認識していれば、昭和の日というアジアにとって憎むべき人物の一人であるヒトヒトの誕生日を「国民こぞって祝い」「感謝」「記念」しろというのはとんでもないことです。私も嫌です。よって、このデモンストレーションを支持します。京都在住の方はぜひご参加ください。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:30 | Comment(7) | TrackBack(1) | 大日本帝国侵略・戦争被害諸国民衆による市民連帯結成を | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中国の鉄道線路を持ち去った日本軍 中谷孝(元日本軍特務機関員)

【コラム・戦中派の目】中国の鉄道線路を持ち去った日本軍 中谷孝(元日本軍特務機関員) 2006年04月15日掲載
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200604151747186より

 
  戦争を知らない日本人に、日中戦争の私の体験を話すと「エッホント、マサカ」という声が返ってくることがある。平時の常識では考えられないことが多かった。戦場の常で、残虐な話など聞き飽きる程だったが、略奪も軍の組織が"作戦"という名目で行なうと、当事者に余り罪悪感が無いようだ。 
 
 私の勤務していた蚌埠(パンプー)特務機関の管轄する安徽省の揚子江北側に、南北に通じる鉄道が二路線あった。一つは南京の対岸、浦口(プーカオ)から蚌埠・徐州・天津を通り北京に至る大幹線"津浦鉄道"。他に、揚子江上流、裕渓口から北に巣県、合肥県を通り、淮南炭鉱の積出し口、田家庵に至る全長約200粁(キロメートル)の淮南鉄道である。昭和18年頃だったと記憶するが、この淮南鉄道を日本軍が撤去すると知らされた。考えられないことだ。 
 巣県、合肥県には特務機関も現地事務所を置いている。私は昭和16年、新任の機関長櫻庭大佐の初度巡視に随行した折りに利用したことがあったが、沿線には人口が密集していた。この重要な鉄道を日本軍が一方的に廃止するなど無茶なことをするはずはないと思ったが、説明を聞いて唖然とした。大本営参謀の思いつきだった。南方戦場で鉄道を敷設しているが、内地は鉄不足でレールを送れない。そこで中国の線路を外して送ることにしたというのである。 
 撤去される現地はたまったものではない。路盤はそのまま自動車が走れるから、さほど不便ではないというが、巣県、合肥県の住民にとっては、生活必需物資の輸送ができなくなる。この沿線、民間の自動車は一台もない。単線の鉄道路盤は狭くて、荷馬車は軍用トラックと共存できない。自給自足の農民は別として、一般都市住民にとっては大変な事態である。併し、日本軍が住民の立場を考慮するはずはない。秘密裏に準備が進み、蚌埠には工兵の鉄道隊が到着し、直ちに現地に向かった。淮南炭の積出しは田家庵で船積みし、淮河を下り、蚌埠で鉄道に積み替えるルートのみになった。 
 最初の話では淮南-蚌埠間に最短ルートの新線を敷くということだったが、遅々として進まなかった。中国の鉄道を占領したからといって、勝手に線路を持ち去るなどと想像もできなかったが、戦争とはそういうものなのだ。その頃から、南方へ向かう輸送船の撃沈される数が激増した。果たしてあのレールが南方の戦地に届いただろうか。 
 
 レールを外した路盤は自動車が走れるようにはなったが、既に自動車用ガソリンが逼迫していた。各部隊の割当量も減らされる一方で、特務機関の現地班には事実上ゼロに等しかった。内地では民間車軸は木炭車に替わっていたが、戦場まで、代用燃料を使うことになったのである。淮南鉄道撤去の影響はあまりに大きかった。 
 昭和19年12月、淮河上流の古都寿県で、1人で情報工作に当たっていた私は、合肥に転勤命令を受けた。鉄道のない合肥には行きたくはないが、やむを得ない。田家庵まで船で下って、合肥警察隊の連絡トラックに便乗して任地に向かった。警備隊本部ではドラム缶1本だけ、最後の一戦用のガソリンを残してあると言っていたが、連絡用のトラックはアセチレンガスで走っていた。 
 配当される自動車燃料はペール缶に入ったカーバイド(炭化カルシウム)である。ガス発生器にカーバイドを入れ、タンクから水を垂らすとアセチレンガスが発生する。運転手は必要出力を予測して水を垂らしながら走る。ガスと同時に化学反応で熱が出る。すると、当然、水蒸気も発生する。これが禍の原因になった。途中、カーバイドを詰め替えながら走るが、時折、力が無くなって、遂に停まってしまう。水蒸気が凍結してパイプが詰まってしまうのだ。パイプを外し、焚火で溶かして又走る、又停まる。繰り返すうちに暗くなり、途中の分遣隊に一泊する羽目になった。外套を着たままでも、毛布一枚の夜は眠れなかった。結局、80kmを二日がかりで着任するはめになった。 
 この道路がわたしにとって忘れることのできないものとなったのは、昭和20年3月16日のことである。業務連絡の為、巣県に出張することになり、日本軍に協力する南京国民政府第一方面軍のトラックに便乗した。私は第一方面軍の王占林師長とは、昭和14年、彼が日本軍に帰順した当時以来の付き合いで、親しい仲だったので、日本軍のトラックより気楽に便乗していた。日本で開発した木炭車はアセチレン車よりはましであった。釜の中で不完全燃焼して発生する一酸化炭素を燃料として走るのである。 
 巣県に一泊して、空の弾薬箱を積んだトラックに便乗して帰路に就いた。便衣(中国服)を着ていた私は、ソフト帽の上から頬かぶりして弾薬箱の上に座っていた。午後2時過ぎ、橋を渡り終わったとき、突如、大きな衝撃とともにトラックは右に倒れながら土手から飛び出した。地雷にかかったのだ。何も覚えていないが、かすかに足の下に美しい青空が見えた記憶がある。まっさかさまに放り出されたのだ。重症を負い、後遺症に苦しんだ。 
 戦後40歳過ぎて、日本で専門医の診断を受けたが、頚椎捻挫、外傷性硬膜下出血であったといわれた。全く命拾いである。淮南鉄道撤去の影響は大きい。 
 
 そして8月15日、敗戦と同時に合肥県城は敵に囲まれた。敵の各部隊は日本軍の武器を手に入れようとひしめいていた。然し、警備隊は現地での武装解除を嫌い、淮南まで移動することを決定、19日払暁、総員脱出した。城外でわずかな銃撃を受けたが戦闘にはならず、脱出は成功したが、居留民の保護はタライ回しで決まらない。結局、身軽な立場の私が引き受けざるを得なかった。 
 合肥には29名もの民間人が入り込んでいたとは知らなかった。将校用慰安婦、隊外酒保(兵用飲食店)経営者、物資買付商人等であったが、2才の幼児を連れた夫婦者もいた。この烏合の衆を、炎天下、全く日陰のない道を80kmも死なせずに歩かせて、九竜崗の領事館出張所まで連れて行く自信はなかった。1日目の午後、早くも部隊に死者が出た。下痢患者は脱水症状に弱い。2日間の予定を3日掛けることになり、2晩星を仰いで寝た。 
 29名の水の確保が大変だった。休憩中、農家に走り汲み置きの水を飯盒と水筒に分けてもらった。九竜崗に着いて、領事館員に引き継いだとき、急に疲れが出た。今時の流行語だが、自分を褒めてやりたい。淮南鉄道撤去の影響は日本軍にも大きくのしかかった。自業自得である。 
 
 戦争に常識は通用しない。戦場で紳士的な軍隊など見た事もない。同情心、良心を捨てなければ戦争はできないことを、私は7年間充分に体験した。
 
中国戦線で日本軍や日本兵はやりたい放題やっていたことはすでに有名であります。略奪や強姦、虐殺、民間人への暴虐、殺害といった直接の加害の側面だけではありませんでした。中国では鉄道線路でさえ、略奪してしまったのです。ろくに自動車もない時代、住民らの移動の手段は鉄道でした。さらにいえば、生活必需物資の輸送手段でした。南洋の占領地に敷くレールがないので、苦肉の策として中国からの鉄道路線の持ち出しでした。中谷孝氏が言うように本当に考えられないことをするものです。全長約200粁(キロメートル)の淮南鉄道ですが、単線であり、撤去した跡の路盤は自動車が通れるものの、民間に自動車を持っているものはおらず、単線で狭いため荷馬車では軍用トラックとの共存は不可能とのことでした。地域住民の立場など日本軍が考慮するわけではありません。しかし、鉄道線路を撤去したつけは日本軍にまわってきます。路盤には自動車が走れるようになったものの、自動車用のガソリンが底をついて戦場でさえ代用燃料を使うはめになりました。代用燃料のアセチレンを用いたものの、効率が非常に悪く使い物にならないとのこと。敗戦後、混乱の中で民間人を連れて脱出しなければならなかったが、目的地まで鉄道もなく歩いて『死の行進』という有様。もちろん、自業自得というだろうが、歩かなければならかった者たちも上層部の無責任で身勝手な政策で犠牲になった被害者であろう。中谷孝氏は「戦争では常識は通用しない」と。また、憲法9条改正など平和に逆行し、戦争への道を進もうとしているが、同情心、良心を捨て、60年前のように大量虐殺を行う狂信的兵士に自ら、そしてその後の世代にさせるような世の中にしてはいけない。
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〈朝鮮人強制連行と麻生炭鉱 −下−〉 許せぬ麻生外相の妄言癖

〈朝鮮人強制連行と麻生炭鉱 −下−〉 許せぬ麻生外相の妄言癖 [朝鮮新報 2006.4.19]
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/01/0601j0419-00005.htm

偏狭的歴史観を弾劾する

 (靖国問題など)以上のような発言からもわかるように、外務大臣麻生太郎衆議院議員の発言は、もはや事実や論理に合わないむちゃな妄言、相手の立場や実情をまったく無視するような暴言と言わざるをえない。
 私たち「無窮花の会」は、そのつど大臣に抗議した。その一例を次に紹介しておこう。
 「(要旨)麻生氏の(靖国問題の)発言について、韓国与党・ウリ党のスポークスマンは、11月28日、日本閣僚がこうした暴言を繰り返すなら、日本は嘆かわしくて歴史認識や罪の意識すらない国家であると烙印を押されるだろうと批判しました。また、中国各紙も28日、日本外相がまたも狂った発言(北京青年報)∞(首相の)靖国参拝に対する中、韓両国の批判を顧みる必要はないと、わめき立てている=i北京晩報)と報じています。また東アジアサミットに参加した韓国外交官は、一連の会議を通じて、靖国問題への中、韓両国の懸念が、日本を除く15カ国に共有されることになった≠ニ述べ、アジアで反日包囲網が広がっていると語っています。
 麻生氏は、自身がポスト小泉の一人とマスコミに報道されていることを意識してか、その地位を保全するために小泉首相を擁護したつもりであろう。しかし今回のような発言は、その度合いをはるかに越え、自らの偏狭的民族主義を露呈する結果となった。
 
 首相の靖国参拝については、福岡判決、大阪高裁も憲法違反と判決を出しているにもかかわらず、三権分立を尊守すべき立場にあるはずの麻生氏が、司法の判断をまったく無視するとは、政治家の資質に欠けていると言うしかない。
 しかもあろうことか、12月13日の会見で、外相は票にならない、(外に)出て回っているより、いろんな人と会っているほうが票になるとの発言に至っては、怒りを越え、呆れるばかりである。外相という立場にありながら、自らの言動がわが国の国益を大きく損ねているうえ、アジアの共生と平和をないがしろにするという自覚もなければ、問題意識も持ちえないとは、日本のリーダーとなる資格すらないことを国内外に明らかにしたも同然であります。
 今回の発言を機に、中、韓両国内で麻生氏の家系≠ワで取り沙汰され、朝鮮人労働者の酷使と収奪の上に麻生家が栄えたという史実が報道されるや否や、氏に対する批判はさらに高まりを見せているのです。
 麻生氏の妄言癖は、今に始まったことではない。03年5月、東京大学で行った『創氏改名』発言が大きく批判されているにもかかわらず、無視を続け、韓国側の抗議に至ってようやく収拾に乗り出し釈明を行ったが、公式謝罪ではなく、かえって責任回避の姿勢を責められるという結果を招いてしまいました。
 私たちは、歴史の過ちを乗り越え、人権の世紀といわれる21世紀にふさわしい、新しい国際関係、新しい歴史を相互に構築しようと、相互理解を深め、友好と親善をモットーに、各地でさまざまな努力を続けています。にもかかわらず今回のような発言は、私たちの願いや努力に冷水を浴びせる愚行と言わざるをえません。
 私たちはここに、外務大臣・麻生太郎衆議院議員の偏狭的歴史観に基づく、差別発言を弾劾し、強く抗議するとともに、発言の撤回と公式謝罪、外務大臣の即時辞職を強く求めます」(2005年12月22日)
 抗議文の一例にすぎないが、私たちは、過去を否定したり、歴史的事実を意図的に風化させようとする閣僚らのさまざまな妄言に惑わされることなく、アジア各国の愛国教育に見習い、正しい歴史認識の基に、不幸な事実がもたらした痛みを分かち合い、共有し、謝罪し、償う国民性を志向すべきであろう。過去を否定して現時点から出発しようとする歴史認識のあり方を根底から改めなければ、私たち日本人としての国際社会における信頼は、得られないのではないか。(芝竹夫、ムグンファの会)

私も麻生太郎の即時辞職と、さらにいえば私は右翼討伐人として麻生太郎を国会議員を含む一切の公職からの追放を求めます。普通は人物の資質云々に家系がどうのこうの、先祖がどうのこうのまで取り沙汰されることはありません。ただし、麻生太郎の妄言癖や偏狭的な歴史観をもち、過去の日本の悪しき歴史的事実を否定するような言動を吐き、アジアとの共生や平和の関係をないがしろにしているという自覚も問題意識も一切欠いていて、なおかつ外相という日本政府の要職につく立場であるからこそ、麻生太郎一族が朝鮮人労働者の血で染まり、卑劣な搾取と酷使の上に栄えたという家系の歴史的事実が今と取り沙汰されているのです。麻生太郎を外相にした代償は非常に大きいものがあります。麻生や安部のようなやつが時期首相になるのを阻止し、過去の罪行を否定したり、過去のものとして臭いものに蓋にするような歴史認識のあり方を改め、アジア各国の信頼をとりものすべく努力しなければなりません。正しい歴史認識を基本に、過去の大日本帝国の侵略や戦争加害がアジア地域に与えた痛みを感じ、共有し、謝罪し、償う国民性を志向し、未来に向けて努力しなければなりません。

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2006年04月16日

日本の教育界の危機/職員会議での「採決禁止」 都教委が 異例の通知/校長権限強化へ

[AML 6686] 【都教委News33】職員会議での「採決禁止」 都教委が 異例の通知/校長権限強化へ より転載

 すみたに@「日の丸・君が代」強制に反対する市民運動ネットワーク です。
長文・重複失礼いたします。


┏━━ http://blog.livedoor.jp/suruke/ ━━━━━━━━━━━━━━━━
  ◇◆ 都┃教┃委┃情┃報┃メールニュース◇◆ 第★号 2006年★月★日
     ━┛━┛━┛━┛━┛
                 発行:「日の丸・君が代」強制に反対する
   (※転送・転載歓迎※)           市民運動ネットワーク
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 4月13日、東京都教育委員会は、職員会議での採決を禁止するという異例の通
知を出しました。毎日新聞は一面トップで報じています。

 国立市では、都教委による「改善指導」(00年)以降、校長権限強化が進めら
れました。校長が職員会議で配布する文書には、やたらと「校長決定」の文字。
 「私が法律です」「校長の方針と異なることは話し合ってはいけません。」
「教職員が集まって話すことは、校長の召集権に反するので認めません。」等、
校長が発言するようになりました。
 こういう校長の居丈高な振る舞いは、教職員だけでなく、当然、児童・生徒や
保護者に対しても向けられていきます。
 「あなたたち教員がやれば体罰。私がやれば指導」「忙しいので、保護者とは
会いません。15分でもダメです。」。都立学校でもこんな校長が増えていくので
は・・・?
 「民間企業では当たり前」という見方もあるでしょうが、こんな硬直的で風通
しの悪い組織モデルは、果たして一般的でしょうか? すでに精神疾患、退職者
の多い東京の学校ですが、こんな通知はさらに状況を悪化させるのではないでし
ょうか。

▼ 目 次  
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【1】 職員会議での「採決禁止」 都教委が異例の通知/校長権限強化へ
【2】 《資料》学校経営の適正化について(4/13 都教育庁学務部)
【3】 鳥海教育委員委員「憲法・教育基本法を変えていかなければ」と発言
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┏━┓━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 ▼ 職員会議での「採決禁止」 都教委が異例の通知/校長権限強化へ
┗━┛━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 4月13日、東京都教育委員会は、「職員会議で挙手や採決によって教職員の意
向を確認するような運営は行わない」などとする通知を都立校長あてに出しまし
た(詳細は、【2】の資料をご覧下さい)。
 地方紙含め、新聞各紙は、旧文部省が2000年に「職員会議は意思決定権を持た
ない」との通知を出しているが挙手や採決そのものを禁止するのは極めて異例、
などと報じており、朝日・毎日は社説で「東京の先生は気の毒だ」「教職員会議
 挙手・採決禁止は大人げない」などと都教委の通知を批判しています。

 この間、都議会では古賀俊昭都議、教育委員会では米長邦雄教育委員が、一部
の都立高校の校長を名指しして、職員会議のあり方等を批判してきました。
 米長教育委員は、自身のホームページで「東京都教育委員会は、学校内の職員
会議では校長が一番と通知を出しました。これは逆に言えば、そうしなければな
らないほど現場が厳しいともいえます。」と書いています。

米長邦雄ホームページ>まじめな私 > 組合
 
http://homepage1.nifty.com/yonenaga-kunio/sakusaku/3_1.htm

【関連報道】

■社説:採決禁止 東京の先生は気の毒だ(朝日4/15)
 
http://www.asahi.com/paper/editorial20060415.html#syasetu2
■社説:教職員会議 挙手・採決禁止は大人げない(毎日4/15)
 
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060415ddm005070167000c.html

■「民主主義を学ぶ場で…」識者懸念 職員会議の採決禁止(朝日4/15)
 
http://www.asahi.com/national/update/0415/TKY200604140346.html
■職員会議での採決禁止 「校長の決定権拘束」 都教委通知(朝日4/14)
 
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200604140180.html

■職員会議:教員の挙手、採決禁止 校長主導の運営を徹底
  −−都教育庁が異例の通知(毎日4/14)
 
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/archive/news/2006/04/14/20060414ddm001040042000c.html
■都教委:職員会議で挙手や採決禁止 校長の効率的運営狙い(毎日4/14)
 
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060414k0000m040148000c.html
■職員会議:都教育庁通知 現場は反発「職場息苦しくなる」(毎日4/14)
 
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/wadai/archive/news/2006/04/20060414ddm041010038000c.html

■職員会議で挙手・採決を禁止、都教委が異例の通達(読売4/14)
 
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060414i204.htm?from=main2
■職員会議の影響力排除目指し 都教育長が『適正化』通知(東京4/14)
 
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tko/20060414/lcl_____tko_____002.shtml
■職員会議で採決禁止 都教育庁通知 管理職の権限強化(赤旗4/15)
 
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-15/2006041504_01_0.html

■「職員会議での挙手・採決は不適切」・都教委が通達(4/14日経ほか)
 
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20060414AT1G1401H14042006.html
 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/20060414/20060414_026.shtml
※その他、北海道新聞・河北新報・中国新聞・熊本日日新聞・四国新聞・福島民
友新聞・神戸新聞・山陰中央新報・静岡新聞・秋田魁新報・徳島新聞・岩手日報
・山陽新聞など

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■2 ▼ 《資料》学校経営の適正化について(4/13 都教育庁学務部)
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 4月13日の東京都教育委員会第7回定例会での報告資料です。
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報告資料(5)
                          平成18年4月13日
                            学  務  部
           学校経営の適正化について

 学校経営の適正化については、これまで職員会議の位置付けの明確化、管理運
営規程の整備等を実施し、通知等によっても趣旨の徹底を図ってきた。
 この間、都立高校改革推進計画の進展等により、都民の都立学校への関心が高
まり、校長が目指す質の高い学校づくりを推進していくためには、従来にも増し
て適正な学校経営に努め、都民に信頼される組織体制を整備していくことが不可
欠である。
 学校経営の適正化をさらに進めていくためには、@主幹が中心となって、公務
分掌組織で議論された内容や教職員の建設的な意見を把握するとともに、企画調
整会議の場で、管理職、主幹及び主任が学校経営の方向性を十分議論していくこ
と、A委員会等の検討事項については文書で校長に報告し、校長から指示を受け
ていくことなど意思決定の透明性を高めていくことが重要である。
 主幹制度の定着、学校経営支援センターの設置などの新たな状況を踏まえ、学
校経営上の留意点について改めて整理し、通知する。なお、これに伴い、「学校
運営の適正化について(通知)」(平成13年6月1日付13教学高第158号)は廃
止する。

1 企画調整会議を中心とした学校運営
 (1) 学校運営の中枢機関として位置づけられている企画調整会議は、職員会議
  における議題整理にとどめず、公務分掌組織での教職員の建設的な意見を踏
  まえた十分な議論を行う場として活性化させることとした。

 (2) 原則として週1回程度定例会を開催し、企画立案のための時間を十分確保
  する。

 (3) 「企画調整会議録」を記録するとともに、教職員に配布するなど教職員が
  閲覧できるようにし、校内で情報の共有を図ることとした。(「企画調整会
  議録」の記載例を提示)

2 職員会議の適正な運営
 (1) 職員会議(成績会議等も含む)において、「挙手」「採決」等の方法を用
いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり行わないこととした。

 (2) 職員会議で取り扱う報告、意見聴取及び連絡に関する事項は、全て企画調
整会議を経た上で、事前に資料を添付し副校長に提出することを徹底した。

 (3) 職員会議の司会者及び記録者は、職員会議の適正な運営を確保するため、
輪番によらず、適格な司会者及び記録者を校長が選任することとした。


3 委員会の整備と適正な運営
 (1) 校務に関する分掌組織や校内人事等を検討させる委員会を設置したり、委
員会等から分掌組織や校内人事案に関する調整をさせたりすることは許されない
ことを明確にした。また、委員等の「互選」は許されないことを徹底した。

 (2) 委員長は、検討内容について校長に報告し、指示を受けるとともに、「委
員会会議録」を提出することとした。(「委員会会議録」の記載例を提示)

 (3) 委員会の検討結果は、企画調整会議に報告するとともに、必要に応じて職
員会議に報告することを徹底した。

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■3 ▼ 鳥海教育委員委員「憲法・教育基本法を変えていかなければ」と発言
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 4月6日と10日に、今年も教育施策連絡会が行われました。都教委が区市町村
教委関係者、公立学校校長らを集めて、今年度の方針を説明するために行ってお
り、例年、石原都知事や教育委員らが持論を展開しています。

 毎日新聞によれば、都知事・教育委員らの主な発言は以下の通りです。

●石原都知事:「国会の議員たちが今ごろ慌てて教育基本法を変える、そんな小
手先で物事が変わるわけじゃない」「国に対する本当の愛着はありゃしない。歴
史の教育が間違っている」「入学式で『日の丸揚げて君が代歌え』って、それは
それで必要なことで一つの手掛かりだが、本質はそんなものじゃない」

●鳥海巌教育委員:「憲法を変え教育基本法を変えていかなければならない。国
の在り様、国家理念を示す必要がある」

●内館牧子委員:「日本の子どもは自分に自信がなく、楽をしたい傾向がある。
家庭教育の貧しさが背景にある」

●米長邦雄委員:「ゆとりある教育が大事で、総合的な学習に熱心な教師や学校
をほめてあげてほしい」

●木村孟委員長:「学力低下の指摘があるが、データを見ると、それほど心配す
る必要はない」

■都教委:区市町村教委に方針伝達−−教育施策連絡会 /東京(毎日4/17)
 
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/tokyo/news/20060407ddlk13010314000c.html
■石原知事:日米戦知らない若者…「歴史教育、疑問」−都教育施策連絡会で(
毎日4/11)
 
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/tokyo/news/20060411ddlk13010355000c.html


 都知事・教育長・教育委員らの発言要旨は、5月上旬に都教委ホームページや
教育庁報に掲載されるものと思われます。
 全文については、開示請求しますので、後日、お知らせする予定です。
 なお、過去の教育施策連絡会については、以下のページにまとめてあります


教育施策連絡会での教育委員の発言(2003年)
 
http://tokyo.cool.ne.jp/kunitachi/kyouiku/030421shisaku.htm

教育施策連絡会での知事・教育長・教育委員の発言 (2004年)
 
http://tokyo.cool.ne.jp/kunitachi/kyouiku/0408tokyoui.htm

 
日本の教育界は危機です。とりわけ東京都が深刻だと思います。東京都といえば、ファシスト石原慎太郎が権力を握っています。独裁・全体主義の様相を呈しています。学校組織では校長の権限が強化され、校長が法律であり、教職員は「校長の方針に反すること」は話あってはいけませんなど、まさに戦前の大日本帝国化への流れの一貫です。学校経営の適正化と称して校長の権限を強化し、職員会議を形骸化させ、教職員の自主的取り組みを阻害し、統制しようとするものです。やがては生徒や児童、保護者、ひいては社会および日本国家全体のファシスト化につながっていくでしょう。非常に危機感をもち憤怒したのでここに転載します。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 18:41 | Comment(13) | TrackBack(7) | 激怒(むかついた)ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アンダマン・ニコバル両諸島における日本軍の加害事実(虐殺事件を中心に) 追記編

アンダマン・ニコバル両諸島における日本軍の加害事実(虐殺事件を中心に)
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/16455967.html
にちょっとだけ追記。インターネット上でアンダマン・ニコバル両諸島における日本軍の加害事実に関するソースを見つけました。
 

自由研究発表 要旨03
日本占領下のアンダマーン・ニコーバール諸島-軍政・海洋少年塾・「インド独立運動」
杉本雄一郎(東京大学大学院) 
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jssah/conference/prog68_abstract.html

 1942年3月23日アンダマーン・ニコーバール諸島の首府ポートブレァPort Blairは,日本軍により占領された後3年半海軍軍政がしかれる。占領直後より日本側は島民生活圏に東京時間,皇紀といったいわゆる「日本式」を導入するいっぽうで他地域の海軍軍政とは異なり,当地における民族独立運動を支援する旨を表明し,実際にインド独立連盟I.I.L.支部やインド国民軍I.N.A.が創設される。しかし武力を是とする日本側とM.K.ガーンディー流の非暴力主義を信奉する島民との間に独立運動に対する根本的な認識乖離が生じてもいた。いっぽう日本軍政は,「南方占領地域」軍政の三大原則に含まれる国防資源の確保を試みると同時に島民や東南アジア方面からの「ロームシャ」を人的「資源」として動員した。諸島内の労働力動員には進出していた台湾拓殖会社も関与していたが,これらの人々は半ば騙される形で島内外動員を受け,「モノ」のごとく酷使され,多くの人々は終戦後生きて故郷に戻ることができなかった。
 43年初旬連合軍によりボールドヘッドスパイ作戦Operation Baldheadが発動され,占領後約1年間「平穏さ」を保っていた同諸島は戦争という現実の渦中に巻き込まれる。同作戦は44年初旬まで実施され,第1回スパイ潜入時には島民中の通牒者と直接接触していたことが確認できる。いっぽうスパイ潜入を察知した日本軍は,多数の島民をスパイ容疑者として逮捕し拷問を用いた取調べを実施する。結果的に43年初旬に7名,44年初旬には44名の島民がスパイ真犯人として処刑された。これらはすべて島民指導者層に位置するI.I.L.やI.N.A.のメンバーであった。スパイ事件発生と指導者層処刑により,島民は同諸島における独立運動が日本支配とその戦争遂行に従属的な存在であることを確認することになる。ところでスパイ捜査が進行していた43年初旬には,海軍軍政の人的物的動員業務のサポートを主要業務とするアンダマーン海軍民政部が開庁するが,要員の補充が滞ったためその対処策の一環として同年4月に日本語教育機関海洋少年塾が設立される。一期6ヵ月全寮制のもと日本人教員と概ね友好的に寮生活を過ごした島民少年たちが塾において浴した日本語教育は,言語運用能力訓練を優先する実用第一主義と異なって,軍国思想の注入,日本支配への忠誠心の養成,「日本人」化を企図するものであったことが元塾生のノートの記録から確認することができる。そして塾生の多くは軍政機構下の通訳などとして巣立ってゆく。
 大東亜会議が開催された43年の暮れにS.C.ボースは同諸島の地を踏んだが,三日間の訪問中すべての行事は日本側のシナリオにもとづき実施され,島民との直接的接触は実現しなかった。さらに自由インド仮政府P.G.I.代表団が民政の移管を前提に進出するが,当時の司令部参謀による「いてもいなくても同じような存在」という評価があるように日本側から等閑に付されるほどの存在であったといえる。結果的に日本側からの民政移管は実施されず,45年6月に代表団はシンガポールへ退却している。いっぽうでS.C.ボース来訪以降もスパイ捜査は継続され多くの島民が逮捕されるが,取調室には日本人の命令で容疑者に対し拷問を適用する島民警官とともに海洋少年塾出身者の姿があった。現在島民が記憶する日本語で「ケームカチョー」なる単語があるが,これはスパイ捜査の中心で島民の恐怖の対象であった民政部警務課課長をさす。このように日本軍は戦争と軍政遂行に障害を来すものはすべて排除した。そして当地の独立運動は,元I.N.A.兵士が「メヘズ ナームmehz naam」と証言するように限りなく実体の伴わない「有名無実」の存在にとどまっていたと考えられる。そして終戦後島民は人的物的被害に対する謝罪の言葉さえも日本軍側からうけることなく「戦後」をむかえる。

これによれば、島民側の独立運動はガンディー流の非暴力主義に基づいており、武力と暴力の塊である日本軍とは相容れない存在でした。多くの島民、とりわけ島民指導層がスパイ容疑で逮捕され、拷問されて殺されていったのです。驚くべき事実がありました。日本語教育機関海洋少年塾が創設されて島民少年らが洗脳されて忠実な対日協力者に仕立てられていくいくとうものであり、日本軍が逮捕した容疑者の拷問には島民警官とともに、海洋少年塾出身者として対日協力者として仕立てられていた島民少年の姿があったというものです。触れられなかった真実です。日本軍は戦争と軍政遂行のために障害とみなしたものを次々と粛清し、自由インド仮政府の担った独立運動も有名無実の存在となりました。結局は島民の人的物的な被害に対する謝罪の言葉さえも日本軍から受けることもなく「戦後」を迎えましたが。戦後60年の現在でも島民の犠牲者や被害者に対する日本政府の謝罪の言葉もないし、アンダマン・ニコバル両諸島はスマトラ沖地震の大災害で注目を一時浴びましたが、日本軍がこの両諸島でいかに暴虐を働いたのか知っている日本人はいません。まことに嘆かわしい次第です。以上
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〈朝鮮人強制連行と麻生炭鉱 −中−〉 タダ働き 「宮城遥拝」「君が代」

〈朝鮮人強制連行と麻生炭鉱 −中−〉 タダ働き 「宮城遥拝」「君が代」 [朝鮮新報 2006.4.11]
 
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/01/0601j0412-00003.htm
被連行者の証言から

「結婚して半年後に連行された。今でも朝鮮の故郷とともに、妻の顔が夢の中に出る。どこへ連れて行かれるかもわからないまま、三日がかりで筑豊の麻生赤坂炭坑へ。四日目から仕事に就かされ、日ごとに食事が少なくなった。昼の弁当もいっしょに食べたことがばれて桜の棒でたたかれた。就労時間は午前6時から午後8時まで、一度坑内に入るとお日様を見ることはない。
 昭和19年の10月に落盤で肩の骨を折った。が、治療どころか間なしに仕事させられた。人間一人死んでもアリ一匹死んだのと同じと思うと悔しかった。
 

 日給は2円だったが、労務が国に送金してやるといって金を手にすることがなかった。友人に頼んで家に手紙を出して問い合わせたが、届いていなくて返事はなく、タダ働きさせられたことに腹が立った。

 赤坂炭坑では、朝たたき起こされるとすぐに寮の広場に集められて、意味もわからないまま『宮城遥拝』と『君が代』斉唱をさせられた」(文有烈さん)
 「1942年(昭和17年)の夏、ちょうどお盆の15日、私たちは大暴動を起こした。飯を腹いっぱい、そして労働時間をもっと短く、暴力だけはやめてくれと朝鮮人の班長を通して要求していたが、なしのつぶて。盆休みもなく『この非常時に何を言うか! 大日本帝国臣民の精神をたたき込んでやる』と、いきまいた労務に反発を大きくした。抗夫たちは、いっせいに立ち上がった。まず労務事務所を叩きこわして占拠した。電話線も切った。飯塚署からトラック10数台に分乗して警官隊が来た。激突の三日間だった。が、同胞にケガ人が出たので占拠を解いた。70人が警察に連行された。
 私たちは同胞21人とともに、吉隈坑を脱走した。昼は竹藪に隠れ、夜間歩き続けた。三日目の夜、やっと大牟田の同胞のもとにたどりついた」(金某さん)。
 
麻生セメントKK
 
 JR後藤寺線と県道鶴三緒田川線が接する位置に、船尾駅がある。田川盆地の一角にあたり、白い石灰岩むき出しの船尾山の全貌を正面にすることができる。左右にそびえ立つ巨大な煙突の1本は麻生セメント田川工場、1本は閉鎖されて間もない三井セメントKKである。
 麻生セメントの前身は産業セメント鉄道KKで、その筆頭株主が外相麻生太郎の父、多賀吉であった。すなわち鉄道会社でそれまでに蓄積されていた石炭資本で船尾山を買収してセメント産業に打って出たのである。太郎は、先代の跡を継いで社長に就任した。しかし1979年(昭和54年)、福岡県から衆議院議員に出馬、当選したので社長を辞めた。以来、昨今まで地元の確固たる票田をバックに議員職を続け、ついに外務省のトップに起用された。
 
外務大臣発言
 
 日本の植民地支配下における朝鮮人の「創氏改名」は、「朝鮮の人々が満州で仕事がしにくいから、名字をくれと言ったのがそもそもの始まりだ」「植民地支配による義務教育がハングル普及に貢献した」(いずれも東京大学でおこなった講演で、03年5月31日)。
 「靖国の話をするのは、世界で中国と韓国だけ、ほかから言われたことはほとんどない」「(靖国問題によって)日本が孤立しているとか、好かれていないとか、どうでもいいことは気にしなくていい」(いずれも金沢市内で開催された講演で、05年12月12日)
 「私自身があそこで一番問題だと思うのは、祀られている英霊の方からすると、天皇陛下のために万歳と言ったのであって、総理大臣万歳と言った人はゼロですよ。だったら天皇陛下の参拝なんだと思うね、それが一番」「(天皇参拝が)何でできなくなったのかと言えば、公人、私人のあの話からだから。それをどうすれば解決するかという話にすれば、答えはいくつか出てくる」(いずれも公明党参議院議員後援者らの会合で、06年1月31日)
 「日清戦争の頃、台湾という国を日本に帰属することになったときに、日本が最初にやったのは、義務教育です。貧しい台湾の人々が、子どもを学校にやったらカネをとるという大英断を下した」 「結果として、ものすごく教育水準が上がって識字率が向上した。おかげで台湾という国は、きわめて教育水準が高い国であるがゆえに今の時代に追いつけている」(いずれも福岡市で行った講演で、06年2月4日)
 「(中国の軍事力の)内容が、外にはなかなかわかりにくいというのは、透明性という点に関しては、不信感をあおる。前原さんが言っている(中国が)脅威で、不安を煽っているというのは確かだと思う」「隣国で10億の民を持って、原爆を持って、軍事費が毎年2ケタの伸び、連続17年間、内容がきわめて不透明というんだったら、どんなことになるかなあということに関しては、かなり脅威になりつつある。そういう意識はある」(いずれも記者会見で、05年12月23日)(芝竹夫、ムグンファの会)

麻生一族の血塗られた過去です。麻生太郎の反動的右翼発言は許すことはできません。もちろん、原則として先祖の罪を現代の子孫が負わされることはないことはあたりまえですが、麻生太郎には負わせて自身の右翼的妄言を自覚させて先代の罪も償ってもらったほうがよさそうです。自分自身が外務大臣になれたのも、多くの犠牲になった朝鮮人労働者の屍を踏みつけて財産を成した結果ということに気づいて、先代が犯した罪を自覚し、その犠牲者の痛みを我が身で感じて、犠牲になった朝鮮人労働者たちに謝罪し、贖罪の念をもつという気持ちにならないといけません。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:05 | Comment(44) | TrackBack(1) | 激怒(むかついた)ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月14日

後で知ったことなのですが、増田都子先生の免職処分への怒り(BlogPet)

右翼討伐犬は、千代田へ闘争したの?
でも右翼討伐犬は、東京まで統一教会と右翼一貫された!


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「右翼討伐犬」が書きました。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 14:16 | Comment(15) | TrackBack(0) | BlogPet用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月13日

アンダマン・ニコバル両諸島における日本軍の加害事実(虐殺事件を中心に)

壊滅的...アンダマンニコバル
http://am.tea-nifty.com/ep/2004/12/dairyandamanese.htmlより
 
うちのじいちゃんはアンダマンに派兵されてた。
戦犯で処刑されるところを、アンダマンの現地の人々による申し立てで命を救われたという。
じいちゃんは故人。
大戦を知る古老も、日本語や日本の唱歌を覚えているアンダマン人も、大半はすでに故人であったろう。
このたびの津波災害で震源地直近であるアンダマンニコバルの情報がみごとに欠けているのが非常に気になっていた。
(略)  

大戦当時。
食糧が涸渇し、ゾウをも殺す日本兵と現地民との確執が深刻だったという。
スパイ容疑での民間人処刑も行われたという。
記録の少ないアンダマン戦。

 
ゾウをも殺すことができる残虐非道な心をもつ日本兵と現地民の確執が深刻になるのは当然だろう。第二次世界大戦中、最前線であり連合軍の工作の中心となり、大海の中で孤立し、疑心暗鬼になり日本軍が凶暴性を高める中で虐殺や民間人の処刑が行われた。


インド領アンダマン諸島にも韓国人の日本軍「慰安婦」

発見された新しい関連資料

http://www.jrcl.net/web/frame04a6.html
 
 日本軍の慰安婦として引っぱられていったハルモニ(おばあさん)たちの苦難に満ちた旅路はどこまで続いていたのか。
 「満州」からインドネシアまで東アジアの全域にわたっている慰安所の跡ごとに朝鮮の乙女たちのハン(恨)は涙でにじんでいる。ここに、さらにもう一つインド領アンダマン諸島にも韓国人の軍慰安婦がいたという事実が最近、文献から明らかになった。アンダマン諸島は太平洋戦争において日本が占領した地域のうち、最も西方に位置している。当時、日本軍の最前方だったのだ。  
軍属や商社員までもが利用

 「日本軍の慰安婦として連れてきた一団の韓国人女性たち(a batch of Korean women)が居住できるように彼の事務所を貸すことを要求した」。
 インドのドキュメンタリー作家であるイクバル・シンが書いた『アンダマン・ストーリー』(1978)の245ページに出てくる一文章だ。「彼」とは当時アンダマン諸島でインド独立運動をしていたティワン・シンを指している。1942年2月23日、アンダマン島の中心地であるポートブレアに進駐した日本軍は、彼を排除するために反対派が作りあげた話に乗せられて、彼をスパイ容疑で投獄しようとし、そのきっかけをつかむ方便として彼にこのような無理な要求をしたのだという。
 脈絡はともあれ、このひとことの言及はアンダマン島に韓国人の軍慰安婦がいたという事実を証言している。この本は、83年にヘチョのインド巡礼の道を調査中にアンダマン諸島に立ち寄ったコ・ビョンイク元ソウル大総長が、この諸島の歴史に関心を持ち購入、所蔵してきたものだ。コ元総長から、この本についての話を聞いた在米の史学者パン・ソンジュ氏が韓国挺身隊研究所に連絡し、この新たな事実が陽の目を見ることになった。
 アンダマン諸島に日本軍の慰安所があったということは日本の戦争資料センターが発行している季刊誌『戦争責任研究』95年冬号に紹介されたことがある。アンダマン諸島を管轄していた日本海軍第35独立混成旅団所属の第12特別根拠地隊司令部が定めた「海軍慰安所利用内規」を通じてだった。軍慰安婦問題研究家である木村コウイチロウは日本の防衛庁防衛研究所に所蔵されていた資料を引用して記録した。この論文において内規の詳細な事項を、こう紹介している。
 「海軍慰安所の管理と経営は海軍司令部が一括してこれを定める。家屋は業者が無償貸与するものとし、家具調度品などは最小限必要なものを一時貸与する。業者は貸与された物件の保管に責任をとる。軍慰安所の使用券は司令部が発行し、それを各隊が定めた標準によって配布する」。
 このような各条項を通してみるとき、この慰安所は軍が強力な影響力をもって管理、経営の責任者として業者に慰安所の経営を委託していたことが分かる。この資料によれば司令部傘下の慰安所は五カ所で、軍人だけではなく、軍属、司令部の許可を得た商社員もが利用でき、階級、身分を基準に利用時間や料金を定めた。
 今日までビルマ(現ミャンマー)、タイ、インドネシアなど東南アジアに散在した日本軍慰安所に、わが国のハルモニたちが引っ張られて行った事実は証言や文献を通じて明らかになったが、インド領のアンダマン諸島にまで韓国人慰安婦がいたことが確認されたのは今回が初めてだ。インド洋のコバルト色の海と風変わりな植生がぐっと異国的だとして最近の韓国人観光客を誘惑しているが、大洋のまっただ中でその凄絶な生を終えたハルモニたちがいたという事実は、また違う思いにわれわれを誘う。

だれがいたのかは分からない

 アンダマン諸島は19世紀中葉、英国の植民地支配に立ち向かったインドの政治犯たちが幽閉されていた「セルラー」という監獄で有名だ。その監獄のそばで、死ぬまで同じ夜を送らなければならなかった一群の朝鮮の乙女たちは、独立という言葉を口にのぼせることさえもできたのだろうか。
 韓国挺身隊研究所カン・ジョンスク研究員は今回、明らかになった事実について「日本軍が行った所なら韓国人慰安婦も必ず行ったと言える」と言い切った。アンダマン諸島は日本の敗戦後、連合軍が管理したのだから軍慰安所についての記録は英国などに残っているだろう、というのがカン研究員の主張だ。だがいまのところ、ここにどんな顔の、どこ出身の、だれが生きていたのか、われわれは知ることができない。(「ハンギョレ21」第268号、99年7月29日付、パク・ヨンヒョン記者)

 
 アンダマン・ニコバル島の最前線にまで韓国人女性が連れてこられました。誰がいたのかは分かりません。恐らく敗戦後帰国できずにアンダマン・ニコバルの地ではるか祖国へ帰ることを夢みて朽ち果てていかれたのか、あるいは日本軍によって虐殺されたのか分かりませんが、余すところなく真相究明を行い、事実の公表し、遺族への謝罪および補償、連れてこられた慰安婦女性が生存しているならば、一刻も早く帰国させなければなりません。そのための調査が全く日本政府によってなされていません。  アンダマン・ニコバル諸島はインドの独立闘志チャンドラ・ボースのゆかりの深い島々として知られ、自由インド仮政府が置かれていた。インドの独立を目指す有志たちがアンダマン・ニコバルを拠点に日本軍とともに存在した。また、英国の植民地であるインドの政治犯の流刑所としても知られており、皮肉なことに日本の植民地体制の下で苦しんでいた韓国人女性が日本軍性奴隷として連れてこられたのである。
 
東南アジアの日本軍慰安所
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper22.htm
 
インド領だったニコバル諸島にも日本軍の慰安所が開設され、ここには日本人やインドネシア人の慰安婦が連れてこられていたという(26)。
 
 (26)河東三郎『ある軍属の物語』思想の科学社、1989年
アンダマン・ニコバルには日本人やインド時ネシア人の慰安婦も連れてこられていたようだ。
 
  東南アジアで日本は何をしたのか  
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper01.htm
 
 日本との戦争が始まると、インド領であるベンガル湾のアンダマン・ニコバル諸島が一九四二年三月日本軍に占領された。最前線のこの島々は連合軍の工作の対象となり、そのため住民がスパイを働いているという疑いをもった日本軍による住民への拷問、虐殺がおこなわれた。


最近読んだ本(お勧めしたい本)やビデオのページ
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/16review.htm

木村宏一郎『忘れられた戦争責任―カーニコバル島事件と台湾人軍属』  

 連合国が日本に対しておこなった、いわゆるBC級戦犯裁判についてはこれまで多くのことが語られてきた。しかしその圧倒的多数は日本側の被告に身を寄せてその語りだけに耳を傾け、日本人の被告がいかに虐待され報復裁判で根拠もなしに罰せられたのか、ということをことさらに強調してきた。もちろんそうした側面を否定するものではないが、日本軍の残虐行為の対象とされて殺され苦しめられた人々(被害者)、裁いた連合軍の裁判関係者、裁かれた日本人戦犯や日本人弁護士(ここには当時、日本国民にさせられていた韓国・朝鮮人や台湾人も含まれる)のそれぞれに耳を傾け、冷静に戦犯裁判について議論しようとする姿勢がほとんど見られなかった。評者はさきにイギリス裁判についての研究をまとめた(『裁かれた戦争犯罪―イギリスの対日戦犯裁判』岩波書店、一九九八年)が、連合国のいずれかを取り上げ、その政策意図や裁判の実施過程について裁判国の資料を使ってまとめたものは残念ながらそれまでなかった。同書のなかでシンガポールやマレー半島でのいくつかのケースを取り上げて検討したが、個々のケースについて被害者、連合軍、日本の三者の資料をあわせて検討する作業が必要であると痛感していた。本書はカーニコバル島事件について見事にその真相を抉り出し、イギリスがおこなった戦犯裁判の意義と限界を明らかにしている。
 本書はカーニコバル島事件に関わって、シンガポールでイギリス軍によっておこなわれた戦犯裁判で死刑に処せられた台湾人軍属安田宗治(本名頼恩勤)の跡をたどり、その事件の真相に迫ろうとするものである。インド洋にあるアンダマン・ニコバル諸島(インド領)のなかの一つの島カーニコバル島には日本の陸海軍が配備されていたが、連合軍の反攻の前に孤立し、英機動部隊による三度にわたる空襲を受け緊迫した状況下におかれた。そうしたなか一九四五年七月から八月にかけて島民八〇数名をスパイ容疑で逮捕し処刑するという事件がおきた。安田軍属は通訳として島に駐留し、逮捕した島民の取り調べにあたった。日本側の資料によれば島民がスパイ活動をおこなったので彼らを逮捕し軍律会議にかけて銃殺したというものだった。論者によっては(茶園義男氏)、対日協力者が戦後、自分の身を守るために事実無根の事件をでっち上げ、イギリスは報復のために利用したという議論さえある。
 この事件について筆者は日本側の文献や関係者の証言を集めるとともに、イギリスがおこなった裁判の記録(速記録や証拠書類など関係書類一式がまとめて綴じられている)を入手し、さらにインド人の研究も参照しながら事実を読み解いていく。日本軍は、島民のスパイ組織があり、信号ロケットやランプで英軍の潜水艦や飛行機に連絡を取っていたと主張したが、筆者はロケットもランプも根拠のないものであること、スパイ組織なるものが存在しなかったことなどを諸資料と照らし合わせて結論づけていく。裁判長の訴訟指揮が検察に有利に導いたということはなかったこと、証人数や尋問時間においても弁護側が検察の二倍以上の機会が与えられていたことなど裁判の運営が「公正」であったと評価している。
 裁判では一六名が起訴され、齋俊男少将(第三六独立混成旅団長)以外に安田宗治軍属を含む五名、計六名が死刑となった。全体の責任者である旅団長とともに島民の取り調べにあたり、拷問をおこなってニセの自白をひきだしたと見られた下級の五名にも死刑というものだった。この五名のなかには取調べをおこなった木村久夫上等兵も含まれていた(なお齋俊男少将について筆者は「総司令官」としているが旅団長をこのように呼称するのは適切ではないだろう)。
 筆者は裁判記録のなかから、判決後木村が、弁護士と共謀して真相を伏せていたと訴えている嘆願書を見つけた。残念ながらその真相を書いたものは残っていなかったが、ほかの日本側関係者の証言から、軍律会議は開かれておらず裁判なしで島民を処刑したこと、しかも銃殺というものではなく、銃撃、銃剣刺殺、首の試し切り、軍医による肝臓摘出などきわめて残虐な虐殺であったことを明らかにした。裁判では拷問によるウソの自白が事件の重要なポイントであると考えられ、取調べにあたった五名を旅団長とともに死刑にしたが、それは真相からは外れていた。軽い刑に終わった、あるいは免罪された参謀や大隊長ら駐屯部隊の上層部こそが厳しく裁かれるべきであることを主張している。 この裁判がイギリスによる報復だとか、でっち上げだというような、これまで日本側から言われてきた議論が完全に否定されると同時に、イギリス裁判が一定の「公正」さを持ち、事実をそれなりに追求していたことを承認しつつ、事件の真相を捉えそこない、責任をとるべき者を免罪し、そうではない下級の者に極刑を与えたという裁判の欠陥を見事に抉り出した。筆者の、それぞれの資料を読み解きながら真実に迫る、資料批判の確かさと執念にあらためて敬服させられた。
 戦犯として処刑された安田宗治の妻頼黄甘さん、娘の暎暎さんと筆者との交流が氏を動かした大きな要因だろう。台湾人軍人軍属の遺族にはようやく一九八九年になって二百万円の弔慰金が支払われたにすぎなかった。軍事郵便貯金は九五年に一二〇倍の計算で支払われただけだった。日本が引き起こした戦争が頼黄甘さんをはじめ台湾の人々に深い傷を残している。本書のタイトル「忘れられた戦争責任」とは、日本軍の犠牲となったカーニコバルの人々に対するものであると同時に、日本軍の一員として駆り立てられた台湾など植民地の人々に対するものでもある、その二重の意味が本書には込められていると読める。
 本書は今後、BC級戦犯裁判を研究するうえでの一つのモデルとなる、すぐれた著作である。氏の努力に敬意を表するとともにこうした作業の積み重ねこそがいま必要であると感じる。(青木書店、2001年12月刊、3400円)   <『歴史評論』2002年9月号、に掲載したものです> 
 

 木村宏一郎『忘れられた戦争責任-カーニコバル島事件と台湾人軍属』という本については私は読んだことはありません。しかし、林博史の書評とこれまでの情報からは想像はできます。日本軍のアンダマン・ニコバル島の島民に対する残虐行為、そして免罪された日本軍の上層部と下級兵士に責任を押し付けられた裁判の問題点ととりわけ台湾人軍属安田宗治氏が極刑にされたことだった。アンダマン・ニコバル諸島という小さな最果ての島々に大日本帝国・日本軍の戦争加害の問題、戦後の戦犯裁判、日本人の逸れに対する有り方など重要な問題点がたっぷりと詰まっているのである。日本人の被告がいかに虐待され報復裁判で根拠もなしに罰せられたのか、この裁判がイギリスによる報復だとか、でっち上げだというような側面はこの本によればすべて否定されている。イギリス側はむしろ一定の公正さを保ち、見方によっては証人数や尋問時間においても弁護側が検察の二倍以上の機会が与えられてたなど、むしろイギリス側の検察にとって不公正であり、より力のある日本軍の上層部が弁護士を雇い、自分たちが免罪、あるいは軽い刑で済んで、本来なら裁かれるべきではない、あるいはより軽い刑で済むはずの下級兵士に大罪をなすりつけることにつながったような気がする。ネットの右翼的妄言にはイギリスの報復裁判であり、でっち上げだった、著しく不公正で根拠はないものとして、アンダマン・ニコバル島での虐殺事件を否定しようとするような典型的な思考停止型歴史修正主義言論がありました。紹介します。
東方見聞録 アンダマン島
http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/19440630matukawa/2501matukawa-andaman.htmより
●アンダマン島の戦略的価値 


(略)

地理上のアンダマンはイギリスとオーストラリアの連絡ルートを断つために重要だったのであり、そのことは南太平洋の島々にも言えることでした.
政治的に見るならば,日本政府がアンダマン諸島を,インド独立を目指すネタジ・スバス・チャンドラ・ボースの自由インド仮政府に割譲したこと,この事実は現在殆ど顧みられることはありませんが,もっと注目されるべき事だと思うのです.
戦後になってイギリスは,自由インド仮政府の首脳だったインドの人々を英国王に対する反逆罪で告訴しますが,弁護側はアンダマンという領土を保有した自由インド仮政府は交戦権を持つれっきとした独立国と認められるという反論を行います.民衆もまた被告を熱狂的に支持し,結局イギリスによる復讐裁判は被告たちを極刑に処することに失敗するのです.詳しい経緯は紙面を改めて書きます.
マルコ・ポーロから650年後のアンダマン諸島は,西洋と東洋が熾烈な鍔迫り合いをせめぎあう文明衝突の最前線となっていたのです.そして犬頭人が住んでいた島々は,飢えと戦闘と病に薨れた数多の日本軍将兵の骨に埋め尽くされたのでした.(この項おわり)


この記述は嘘をついています。どこだか分かりますか?太字にした部分です。民衆側が被告を熱狂的に支持するわけはありません。日本軍占領下は連合軍の封鎖もともない食糧の枯渇、飢餓(日本兵も多数餓死している)、強制労働、そして戦争末期にかけて起きた住民処刑および虐殺です。それに被告たちを極刑にするのは失敗してません。ただ、本来裁かれるべき上層部が免罪されたり、軽い刑で済まされたということです。日本軍上層部はいろいろ事実を隠蔽して、でっち上げたりして下級兵士に罪を押し付けました。この記述は事実無根であり、歪曲甚だしい右翼的妄言の典型的例です。

 
側の海路三万キロ   ニューヨークの思い出 島崎生徒
http://www2u.biglobe.ne.jp/~navy77/page019.html
 
 彼の厳父は海兵50期出身の大佐であった。海軍大学出の参謀としてアンダマン諸島第12特別根拠地隊のあるポートブレアの副長兼先任参謀として、昭和19年4月、インド洋方面最前線基地である海軍部隊に赴任した。横須賀海軍砲術学校の教官研究部員からの転任であった。
 アンダマン・ニコバル諸島といえば、インド洋の一部ベンガル湾海域のマラッカ海峡の北海上にスマトラからビルマのヤンゴンの方に向けて連なる300以上の島嶼である。
 英国が管理している時代は、巨大な監獄が辺りを睥睨し、インド本国やビルマでの反英活動家や凶悪犯人を連行投獄していた。住民は殆どが流刑囚人とその子孫家族で、道路工事やジャングルでの材木の伐採などの雑用があてがわれ、食料はビルマやインドから米や小麦などを運び込んで配給しており、ここでの農耕による生産活動などは皆無であった。
 太平洋戦争時には日本軍は英軍と戦いこの島嶼に進駐した。このような背景の中での島民の統治、食料の供給は至難を極めたことは想像に難くない。英国統治時代は、何しろ労働は酷だが何とか心配なく食えていたのであるから。
 チャーチルは声を大にしてアンダマン奪回を叫んだと聞く。占拠していた日本軍にして見れば、英軍による海上封鎖と執拗な攻撃、スパイ・ゲリラの送りこみ、敵軍の来襲を避けての部落民移動、食糧の供給(日本軍の食料も覚束ない中)、その内一部住民の餓死事故の発生、どれをとっても何も分からない住民から見れば虐待と見えただろう。
軍政方針としては一定の自給自足の促進、日本語学校の創設、農耕指導など、日本軍側の親切心から出た配慮も虐めとしか受け取られなかったであろう。
 やがて敗戦、英軍は人道的責任を問い、戦犯者の認定摘発、報復的裁判、それに原住民による顔実験などにより被告96人を認定し、その内の43人がシンガポール チャンギー刑務所にて刑死されたのである。
 当然、その中の筆頭として島崎大佐がおられたのである。最善を尽くしたと自負できる島民に対する軍政のあり方、それも現地人にして見れば拉致・虐待となり、報復的裁判前後には言語に絶する侮辱と憎悪の暴行なども繰り返されたと聞く。
 こうしてアンダマン・ニコバル諸島の戦後処理として一方的そして報復的裁判により刑死者は無念の涙を飲んで憤死されたものと思う。本来試合が終われば英国流のノーサイド(ラグビー)として紳士的判断を下しそうなものの英国軍の、思わぬ残虐なる仕打ちには憾み骨髄に徹するものがあったろう。  

(略)


ああ!黄泉への道には味方も敵もなく、ただ死にいくだけであり、(踏むべき道を違えようが違えまいが拘泥することなく、片っ端から冥土に連れ込んでしまう)
 
戦局の悪化とともにアンダマンは、ポートブレアといい山中といい、友軍も住民〔放浪的、反抗的、また純朴な種族が混住していた〕も白骨の山と化し、露さえ降りていた。

住民政策では、一部住民のスパイ・ゲリラ活動とも相俟って、情を優先すれば敵の思う壺であったし、(当時のアンダマンは、英軍海軍の海上封鎖により兵料責めの状態であり、住民の食料生産などは元より不必要な政策下にあったため、食糧危機に瀕していた)
戦争遂行の必須政策を真面目に実施すれば、住民の生活は深刻度を増す結果となる。しかし
、住民は英国の統治下、労働奴隷的食料のあてがい扶持的政策の下にあり、その習慣は、幾ら指導しても、食料緊迫の状況下でも自給体制を自ら考え様とはしなかった。
時に我が方は決戦態勢下、その中での最適化を目指して島における軍政を推進し、住民に対する配慮も含めこれ以外に道はなかったし、正道に外れたとは決した思わない。
勝者が敗者を裁く、しかも住民の摘発的検索による認定を唯一の証拠として戦犯者の烙印を押すことが罷り通ってよいのであろうか。
報復の手段としての裁判などは、幾ら勝ち戦の後の異常な精神状態の下とはいえ、歴史の正義からしても全く愚者たちのやることである。
嘆かわしい次第である。
 

 前の『東方見聞録』の記述よりはるかにましである。前の『東方見聞録 アンダマン島』のページの記述を明確に否定する部分があるからだ。英軍の封鎖のためだけの理由だとしながらも、食糧の供給の外からの供給がなく、飢餓が蔓延していること。住民が食糧を自給できない制度に慣れており、日本軍がいくら指導しても自給体制を自ら考えようとしなかったとかいろいろ住民側を悪く罵り、日本軍は努力しており、何の非はないととんでもないことを書いているものの、日本軍の占領統治が結果的に住民の反発を招いていることを認めている。戦犯裁判の際、被告らに住民らが侮辱と憎悪の暴行を加えたことも認めている。これらの記述は民衆が日本兵戦犯の被告らを熱狂的に支持し,極刑を覆したなる妄言を木っ端微塵に否定するものだった(島民に慕われていたり、島民自身が被告は極刑に値することはやっていないことを知っており、島民からの嘆願で極刑が覆った日本軍戦犯裁判史上稀な事例がアンダマン・ニコバル諸島で起こった可能性も否定できないが、その場合も日本兵個人であり、日本軍や日本軍の占領統治が慕われていたからではない)。しかしこれもまた典型的な日本軍の戦争加害を減免しようとする記述に他ならない。 
太字を中心に反論しておこう。『軍政方針としては一定の自給自足の促進、日本語学校の創設、農耕指導など、日本軍側の親切心から出た配慮も虐めとしか受け取られなかったであろう』とあるが、自給自足の促進、日本語学校の創設、農業指導などを行ったのは事実かもしれないが、占領軍の自衛措置に他ならないものである。それに日本軍は親切心など一欠けらももたない。たとえば日本語学校を創設したことの意味を考えてみればわかる。大東亜共栄圏下に組み込んて大日本帝国の植民地下にして島民に皇民化教育を行ったことにほかならない。本当に馬鹿馬鹿しい限りの記述である。『アンダマン・ニコバル諸島の戦後処理として一方的そして報復的裁判により』しているが、前述の通り、一方的な報復的裁判ではないことは明らかである。『刑死者は無念の涙を飲んで憤死されたものと思う』とあるが、これはその通りだと思うが、その無念の涙というのは自身の冤罪、罪を上層部から被せられて、信じていた上官などから裏切られたという風な気持から来るものだ。決して裁判での日本軍加害事実が冤罪であるということを意味するものではない。『情を優先すれば敵の思う壺であったし』とあるが、本当にそうだろうか?敵のスパイ行為というのもたとえば、スパイ組織なるものがなかったことは木村宏一郎著『忘れられた戦争責任―カーニコバル島事件と台湾人軍属』によれば明らかだ。もちろん、日本軍は連日来る連合軍の空襲と窮乏と戦況の悪化が相まって、疑心暗鬼になっていたことは事実である。疑わしい島民を処刑するためにスパイ組織なるものをでっち上げたのが真相だろう。情を優先するどころが、日本軍は情など一欠けらもなく(もちろん日本兵個人個人のレベルでは例外もあるかもしれないが)、残酷・残忍に振る舞い、島民の反発を募らせていったことこそが、反日感情を高ぶらせ、連合軍(敵)の思う壺だったのではないのか?『住民は英国の統治下、労働奴隷的食料のあてがい扶持的政策の下にあり、その習慣は、幾ら指導しても、食料緊迫の状況下でも自給体制を自ら考え様とはしなかった。』という記述も何回も言うように住民を愚弄するものであり、日本軍を免罪しようとするものだ。そもそも、アンダマン・ニコバル諸島を侵略して、駐屯しているのはどこのどいつだと言いたい。日本軍である。日本軍の兵員数に関する資料は見当たらないが、少なくとも数万人はくだらないと思う。何万人もの日本兵が駐屯したのであれば、もともと非食糧自給地区であったアンダマン・ニコバル諸島で食糧危機に陥るのは必至である。長年身についた習慣を変えるのは並大抵のものではない。まず、きちんと前もって調査せずに、アンダマン・ニコバル諸島を侵略して、英国・インド領を攻略する基地にしようとしたのが悪い(そもそもアンダマン・ニコバル諸島を侵略したこと、アジア・太平洋地域への侵略戦争を発動したこと)が悪いのである。もう一つは戦術・戦略面の準備不足・欠如である。日本軍は「現地自活」「現地調達」の方針をとって、兵站を軽視し、現地から過酷な取立てすることを基本方針としていた。まして、アンダマン・ニコバル諸島のような食糧の生産土壌が根本から欠如している地区でこのような方針をとった場合、どういう惨事になるのか想像できるだろう。もう一つは物理的に兵站がのびきって、英軍の封鎖も合わさって補給(日本本土からも、他地域からも)が不可能になっていたことで、アジア・太平洋戦争を発動した際、明確な戦略がなく、海軍・陸軍間に留まらず、相互の各部隊間で連携が全く欠如しており、物理的・経済的・国力の面を無視して戦線を無秩序に底なしに広げていったのである。そういった失敗の数々を住民のせいにしてごまかそうとするのは甚だおかしいのだ。『勝者が敗者を裁く、しかも住民の摘発的検索による認定を唯一の証拠として戦犯者の烙印を押すことが罷り通ってよいのであろうか。報復の手段としての裁判などは、幾ら勝ち戦の後の異常な精神状態の下とはいえ、歴史の正義からしても全く愚者たちのやることである。』ということだが、これも完全に間違っている。アンダマン・ニコバルでの戦犯裁判をはじめ、英国の戦犯裁判に限っていえば、単純に勝者による敗者に対する報復裁判という観点でみるのは(個々の事例)にもよるだろうが、間違っているといえる。英国裁判の中心は日本軍による自国の捕虜や抑留者に対する日本軍の残虐行為を裁いたというよりは、日本軍による自国の植民地の住民への加害をより多く裁いたといえる。アンダマン・ニコバルでの戦犯裁判における被害者は島民なのだから。それに一部に報復の手段での裁判という観点を認めるとしても他にどうすればいいという代案はあるのか?アンダマン・ニコバルで日本軍の残虐行為の犠牲になった島民犠牲者・被害者を無視した横暴な言論である。日本人の手で裁きなおすべきだったというのであれば別だが。アンダマン・ニコバルでの戦犯裁判をはじめ、日本軍の残虐行為を裁いたということ自体に意義があるのである。裁かれなかったら被害者や犠牲者の人々は報われないだろう。英国自身、昔の大英帝国を復活させるために住民の支持を必要としていたのである。

ところで、『その中の筆頭として島崎大佐がおられたのである。最善を尽くしたと自負できる島民に対する軍政のあり方』と
いう部分があり、島崎大佐自身は島民のために最善を尽くした良心的な軍人だった可能性がある。そのような軍人がいた可能性にについては詳しくは<続きを読む>で 触れることにする。
続きを読む
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2006年04月12日

一日でも長く語り継ぐ/中帰連山陰支部

一日でも長く語り継ぐ/中帰連山陰支部 2006年04月10日 マイタウン島根
http://mytown.asahi.com/shimane/news.php?k_id=33000000604100003

∞ 中帰連山陰支部が春の集い ∞

 太平洋戦争での加害体験の証言を通して日中友好を進める「中国帰還者連絡会」(中帰連)の山陰支部が8日、松江市内で「春の集い」を開いた。同会本部は02年に会員の高齢化で解散したが、山陰支部は会員が比較的若く、唯一活動を続けてきた。しかし、同支部も最年少会員が82歳になるなど、年々集まる会員は減少。まとめ役の難波靖直さん(84)は「みんなが集まれるのは、最後かもしれない。それでも活動は続けたい」と話す。

■平和の思い 次の世代に

 「自分の経験をできる限り話したい」「戦争のむごさを風化させてはいけない」
 冒頭の自己紹介では、それぞれが戦争体験と平和への思いを訴えた。発足当初は52人いた会員も、現在は17人。この日、参加できたのは8人だけだった。浜田市の鹿田正夫さん(87)は、「加害者の私が、被害者の中国人に嘆願書を出してもらったおかげで助かった」と涙ながらに語った。

 中帰連は、中国遼寧省の撫順(ぶじゅん)戦犯管理所に収容された旧日本軍将兵ら約1千人が帰国後の57年に結成。会員は、中国での民間人の殺害や略奪の体験を証言して戦争反対を訴え、日中友好を進めてきた。しかし、02年4月に解散。若者らでつくる「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」が事業を受け継いだ。

 山陰支部は、島根、広島、山口県出身者で編成され、戦争中に中国南西部に送られた39師団232連隊第1大隊の県内出身者が結成。本部解散後も「自分たちの言葉で伝えたい」と、県内各地で体験を語る会を開くなど地道な活動を続けている。

 会員の難波さんは、発足当初から手書きの会報を作り、事務局を支える一方、松江市内の喫茶店などで会を開き、若い人たちに体験を語ってきた。先輩の兵士から剣や銃の整備不良を注意され、繰り返し殴られたことや広場に立てられた柱に縛られて殺された中国人を埋めたこと…。人間性を奪う戦争の恐ろしさを訴え続けた。

 05年3月、集会で知り合った若者らに会報の作成など事務局の仕事を譲った。16年前に心筋梗塞(しんきんこうそく)で倒れて以来、体調は良くなかったが、同年5月、約50年ぶりに中国訪問を実現。撫順の戦犯管理所を訪ね、当時、世話になった中国人との再会も果たした。帰国後は、県内各地で2カ月に1回、集会を開いてきた。

 3月、大田市の会員が1人亡くなった。今後の活動にも不安がよぎる。「私たちのような人間がいたことを語り継いでもらえるように、1日でも長生きして、次の世代にたくさんの種をまきたい」。最後の1人がいなくなるまで、活動を続けるつもりでいる。

戦争体験者、とりわけ日本軍の当事者たちは年々高齢化が進み、どんどんと少なくなっています。そんな中で戦争体験を1人でも多く伝え、戦争の悲惨さを訴え、日本がかつて近隣諸国に対して侵略し、多くの無辜の民衆の人命を奪い、いかに非道なことをしてきたのかを話す元日本軍兵士の団体があります。それは中帰連の人々です。自身が多くの人々の命を奪い、中国の村々を略奪してきたかを話し、決して日本軍や「戦争という極限の状態だから仕方がない」と戦争一般のせいにせず、自身の罪を悔いて、戦争体験談を話し、平和の大切さと日中友好に邁進する中帰連の元日本軍兵士の方々には尊敬の念を抱きます。一年でも多く生きて、そしてあの戦争を体験した歴史の証言者として1人でも多くの若い世代に戦争体験を伝え、「認罪」(過去の戦争の罪を認める)の精神を伝えていってください。

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:58 | Comment(24) | TrackBack(6) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月11日

そこが知りたいQ&A−植民地支配下、朝鮮半島出身者の遺骨問題 日本政府の実態調査はどうなってるの?

そこが知りたいQ&A−植民地支配下、朝鮮半島出身者の遺骨問題 日本政府の実態調査はどうなってるの?
[朝鮮新報 2006.4.11]
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/01/0601j0411-00001.htm
各地で「ゼロ回答」続出 ようやく昨年から着手 不備相次ぎ再調査
 日本の植民地支配下で朝鮮半島から強制連行され、各地で犠牲となった朝鮮人の遺骨に関する日本政府の実態調査が昨年から行われている。しかし、調査不備が相次いで明らかになるなど、依頼を受けた自治体や寺院などから不満が噴出した。厚労省は今年に入り、遺骨問題の専門部署として人道調査室を設置。1月23日には再度、各自治体や寺院に調査依頼を行った。北海道、群馬県、茨城県、神奈川県下では新たな情報や手がかりがみつかっている。
 Q 朝鮮半島出身者の遺骨問題とは?
 A 日本の植民地支配下で朝鮮半島から強制連行され、各地の戦場、軍需工場、炭鉱などで働かされ、犠牲となった朝鮮人の遺骨問題だ。数十年間も日本各地に放置されてきた。日本の国策として連れてこられ命を落としたにもかかわらず、日本は遺族に通知すらしなかった。厚生労働省や自治体が管理していた遺骨に関しては、無断合葬や粉砕処理、偽物の安置といった信じがたい事実も発覚しており、労働現場付近に埋まったままのものも多い。創氏改名、そして関係省庁が資料を公開しようとしていないことにより遺骨、遺族探しは困難を極めている。南朝鮮政府の要請を受けて、日本政府はようやく重い腰を上げ、昨年から実態調査に取り組んだ。
 Q 遺骨、遺体の数は。
 A 朝鮮新報は昨年、北海道から沖縄にいたるまで調査し、遺骨、遺体、名簿、過去帳などから7千数百人分の情報を確認した。だが、それはごく一部でしかない。朝鮮人の元軍人、軍属は、厚生労働省の発表によると総数24万2341人、うち「戦傷病死者」は2万1909人。一方、1953年作成の公安調査庁の資料では、総数36万4186人、うち死亡、行方不明が1万6363人とされている。
 いわゆる「民間」の強制連行については、日本政府は過去に約67万人という数字を提示したが、百数十万人以上というのが定説だ。犠牲者は、専門家の間では5万人から6万人とされている。日本外務省北東アジア課が62年2月19日に作成した資料では「4万6306+α」(45年3月現在)との数字も示されている。しかし、広島、長崎の原爆、東京、大阪大空襲などの犠牲者については全容が明らかにされていない。
 Q なぜ遺骨が残っているのか。
 A 解放後、南朝鮮には約9000人分の「遺骨」が返還されたが、位牌だけのものが多く、後に本人が生きていたことが判明したケースもある。また、解放直後に同胞が南朝鮮に持ち帰ったか、あるいは近年、送還された遺骨が数千人分あるとされているが、北には1体も返還されていない。日本はこれまでにばく大な資金を投じて戦没者の遺骨発掘調査を行ったが、朝鮮人については一度も正確な調査を行ってこなかった。「民間」の強制連行に関しては、日本政府と関連企業の責任のなすり合いによって放置されてきた。北海道や九州の炭鉱、各地の労働現場で働かされ事故や病気で命を落とした朝鮮人に関しては、まともな墓も造られず付近の山林に放置されたまま今でも発掘されていないケースも多い。
 Q 日本政府の実態調査はどこまで進んでいるのか。
 A 日本政府は昨年、各自治体、強制連行関連企業、全国の寺院に調査と情報提供を依頼した。だが日本政府の調査に取り組む姿勢、調査、返還のガイドラインがあいまいだったため、自治体では混乱が生じ、遺骨の存在が明らかであるにもかかわらず「該当なし」と回答するケースが相次いだ。結果、昨年9月の集計では約900人分しか得られなかった。今年に入り、厚労省は遺骨問題の専門部署として人道調査室を設置、1月23日には再度調査依頼を行った。しかし、人道調査室のメンバーはたったの3人で、調査依頼も何ら強制力をもたずあいまいなまま。またも自治体から不満が噴出している。
 Q どのような対応、調査が必要なのか。
 A すでにみつかっている遺骨については、何よりもまず、日本政府関係者が現場に足を運んで事実を調べ、遺族に直接謝罪するよう努めなければならない。そのうえで強制連行、強制労働現場周辺や寺院に遺骨が存在しているのかしていないのか、調べる必要がある。強制連行被害者、目撃者などの証言、寺院にある過去帳、自治体が管理している埋火葬許可証などが強力な情報源だ。厚労省やすべての関係省庁が総力をあげて調査し、資料や名簿をすべて公開、全容を明白にする必要がある。(李泰鎬記者)

日本政府は朝鮮半島出身者の遺骨問題に取り組む姿勢において不誠実甚だしいものであり、私自身怒りが湧き出してきます。多くの朝鮮人が大戦中に日本人労働力枯渇のため連れてこられて、多くが犠牲になりました。犠牲になった朝鮮人犠牲者たちに対して、戦後60年もたっているにも関わらず、何にもしてこなかった。多くの朝鮮人犠牲者の屍が今も発見されず、まともな墓もなく山林に多く眠っています。一刻も早く犠牲者を救い出し、真相究明して、犠牲者遺族に対する補償と謝罪につなげなければなりません。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:45 | Comment(53) | TrackBack(0) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月09日

君が代拒否関連不当処分関連の記事

根津教諭の「君が代」拒否
停職「出勤」に物々しい警備の出迎え でも生徒たちとはしばしの交流 2006年04月08日掲載

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200604081233286
 
停職「出勤」に物々しい警備の出迎え でも生徒たちとはしばしの交流 
 
  卒業式での「君が代」拒否で東京都教育委員会から停職3ヶ月の処分を受けた、根津公子教諭は7日、新任先の鶴川二中に「出勤」した。門前で待ち構えていたのは、公安警察官らしき男たちを含む物々しい警備態勢。でも生徒たちは、同教諭が手にしたプラカードに目をとめると、「ああ、根津先生ですか」と言って色々と話しかけてきた。一日の様子を根津教諭が報告する。(ベリタ通信)   
 

根津公子です。 
 
河原井さんは出勤時間に合わせて、豊田駅と日野駅でチラシまきをした。大勢が参加してくださった。 
 
 私は、鶴川二中校門前に「出勤」。8時ぴったりに着くと、ご丁寧な「お出迎え」。すぐに物々しい警備に遭遇することになった。副校長のほかに市教委らしき人が2人いる。訊いたら案の定、S統括指導主事とM指導主事だと言う。「校長の要請でいらしたのですか」と訊くと、「違う。市教委の判断で来た」とのこと。理由は、「何かあるといけないから」だと。昨日の、立川市教委と同じだ。 
 しばらくすると、市教委の2人は、「○○が来たから」とか言って帰っていった。気づくと、公安警察かと思われる男の人が4人いる。私を観察しているようだ。彼らは、「品川」「多摩」ナンバーの2台の車で来ていた。品川ナンバーの車は卒業式が終わり、生徒も保護者もすべて帰った1時頃に引き上げたが、多摩ナンバーの車は、5時まで居残った。 
 
 さて私は、プラカードを持って、ここにいる人たちに混ざって、「おはようございます。おめでとうございます」と生徒や新入生の保護者に声をかけた。「○○○」と書かれた名札を首にかけた人は私の前に立ちはだかろうと、何度も繰り返した。私とプラカードの文字が見えないようにしていることは明確だった。 
 
 登校してくる生徒の数が少ないと思っていたら、2,3年生は係や合唱の生徒だけが登校したのだと言う。その生徒たちの下校時にも、副校長および入学式の外警備に当たった教員とともに私も生徒たちに「さよなら」と声かけをした。面識のない私にきょとんとし、プラカードを見るので、「停職3ヶ月」の文字を指して、「これが私です。校長先生からお話があったでしょ」と言うと、「ああ、根津先生ですか」。さすが中学生の記憶力!ほんとうにすごいものだ。 校長には前もって、「私をいない者にしないで。停職3ヶ月であることを理由とともに生徒たちに紹介してほしい」と頼んでいたところ、昨日の着任式で「7月から出てくる根津先生」と紹介したのだそうだ。 
 
「停職って何に?」「なぜ停職なの?」「なんで起立しないと停職なの?そんなの自由じゃん!」「君が代って、どういう意味か知らないよ」と生徒たち。しばしの間、交流をした。 
 
 3時、「プラカードを写していいですか」とデジカメを持ってきた副校長が私に訊いた。「さんざん皆が見ているものだから写してもかまわないけれど、それは市教委へ報告書を出せと言うこと?」と答えると、副校長は、「いやいや。先生方が見ていないから」と、あまりに陳腐な答えをした。報告書作成送付以外に写す目的はないだろうに。 
 
 10人の方が門前に訪ねてくださった。 
 
 寒くて、曇り空だったのに、帰りには、紫外線の影響なのか、顔が熱っている。何よりも長時間「通勤」。ここまで記録を打つのに、睡魔との闘いだった。  
 
追記:プラカードには次のように書いた。「ご入学おめでとうございます。希望に燃えた今の気持ちを大切にしてください。  私は4/1付で二中に着任しました。でも今、停職3ヶ月の処分に。  卒業式の「君が代」斉唱の際起立しなかったことが処分の理由です。私は間違っていると思うことには、従えないのです。」 

   
増田都子教諭と同じ、東京都教育委員会です。東京都は石原都知事という極右知事で有名であり、教育の右翼反動化が進んでいます。君が代の斉唱に起立しなかったために処分されました。起立しなかったのは自身の良心のためです。
 
もう一つ
『日の君』強制に反対する学習会、開催 2006/04/08
http://www.janjan.jp/living/0604/0604062016/1.php
 
 都立高校で「日の丸・君が代」を強制する石原都知事らを対象とする告訴・告発を支援している「『日の丸・君が代』の強制者を告訴・告発する会」主催の「4・3『学習指導要領』学習会」が、4月3日夜、弁護士会館で開かれた。

 講師には元日弁連会長の土屋弁護士を始め、渡辺、永見、長島、矢澤の5人の弁護士がなり、参加者は被処分者、告訴・告発人を含め51人が参加した。

 この「告訴・告発」は昨年末の12月28日に不起訴処分とされ、現在、公務員職権乱用罪での「付審判請求」と、強要・脅迫で「検察審査会」に申し立て中である。

 学習会は冒頭に、不起立で今年再雇用を取り消された告発人代表である松原氏が近況を報告した。

 今年は不起立で33名が処分され、その内の21名は始めての「不起立」での処分で、処分の最高は不起立5回目の教師が定職3ヶ月の処分を受け、また、再雇用の不採用が10名、署名は全国で1700筆余りが集まっていると報告された。

 学習会では最初に永見弁護士が、今までの経過と今後やるべき事の他、告訴事実の内容や検察官の不起訴理由などについて解説し、検察は不起訴の理由を「罪とならず」としか言わず、裁判所に「理由開示」を求めたが、その内容にも殆ど理由は無いと説明した。

 続いて長島弁護士が、指導要領を根拠とする職務命令の正当化について「指導しなくてはならない」ではなく、「指導するものとする」の意味や、国旗・国歌法に対する今までの政府答弁、憲法19条「思想及び良心の自由」や教基法の「不当な支配」などとの関係を解説した。

 最後に渡辺弁護士が、主に憲法19条の「思想・良心の自由」との関係を、その由来や外国の例なども紹介し、解説した。渡辺弁護士は既に検察は「強制」の事実は認めざるを得ず、この強制への義務の有無が焦点であり、その強制は思想そのものが処罰対象になり違憲であり、それは公務員の「全体の奉仕者」に優先すると解説した。

 その後、被処分者本人の意見や、参加者からの質問や意見などが相次ぎ、3時間に渡る熱い議論が続いた。当日は、新聞記事を始め、国会答弁書、国内関連法規、ユネスコの「教員の地位に関する勧告」など、多くの資料も配付された。


日本、特に東京都で教育の反動化が進んでいます。日の丸を教育の場で掲揚しなかった、君が代を斉唱しなかったから、また掲揚された日の丸に向かって起立しなかったから、君が代の斉唱の際起立しなかったから、不当に処分をされている。 自分の良心に従い、起立をせず、斉唱を拒む教職員は、処分され、処分をされた教職員たちは、「再発防止」という名の研修を課される。そればかりか、起立をしなかったり、「君が代」を歌わなかった児童・生徒が自分のところから出ただけなのに不当に処分を受ける。やがては児童や生徒にも強制されることになる。

 ただ、私としては「君が代」と「日の丸」の存在自体の大日本帝国の侵略・戦争加害の視点において道義的・倫理的に許されるものではないと思える。まずはそのことについて、私の考えを述べたい。「君が代」にしろ「日の丸」にしろ、起源はもっと古い時代になり、厳密にいえば明治期につくられたというのは間違いらしい。ただ、明治維新がはじまり、やがて富国強兵の天皇主権帝国主義体制が確立するに伴い、国民の統合と国家への忠誠の象徴として「君が代」と「日の丸」が学校教育を通じて国民に広まりました。特に日清戦争、日露戦争、朝鮮植民地化、日中戦争、アジア・太平洋戦争へと進むにつれて、対外侵略のための国民統制と洗脳、天皇制帝国主義体制と取り巻き連中(軍政官財)の利権構造の維持・拡大のための道具として使われてきました。「脱亜入欧(アジアから脱却し、欧米列強に追いつけ追い越せ)」をスローガンに富国強兵政策を推し進めていきますが、第二次世界大戦に突入する頃には、軍事力的には念願かなって欧米諸国に肩を並べるほどの帝国主義国家へとなりました。八紘一宇思想というのは打ち出され、欧米諸国に変りアジア・太平洋地域の盟主になろうと大規模な侵略戦争の発動にうってでました。八紘一宇思想はそのものは悪くなく「世界は一家人類は皆兄弟」というものでしたが、大日本帝国の指導層が都合のいいように作り変えて、天皇を「親」、「長男」を日本としたピラミッド型の世界秩序の確立を訴えるものへと変りました。大東亜共栄圏は大日本帝国がいう八紘一宇思想をアジア・太平洋地域で確立させようと、欧米列強に代わり、大日本帝国を頂点とし、天皇を最高権力者とした植民地支配が実現した形だといえましょう。「日の丸」と「君が代」の関連でいえば、この思想を前面に押したて、アジア・太平洋地域を侵略し、搾取と虐殺と、女性への強姦・輪姦と暴虐の限りを尽くした日本軍の先頭にたって絶えず翻っていたが「日の丸」であり、徴兵されて望まざるとも強制的に戦地に送られた若者たちのいわゆるかの八紘一宇思想でいう『親』にあたる天皇を崇め奉る歌が「君が代」である。「君が代」は歌詞の内容が天皇主権国家であった戦前・戦中の大日本帝国の天皇ファシスト体制を象徴するものであり、「天皇が治める世の中」を絶対の不可侵の価値観として国民に押し付ける天皇制称賛の歌に他ならない。日の丸についてはどうか。日の丸について思うことを私なりに述べたい。日の丸ほどシンプルな旗は世界中探してもないだろう。日の丸の中央の丸は明るく輝き昇る太陽を示し、その太陽とは天皇のことである。中央に丸以外は真っ白で何の模様も絵柄もない。天皇を大空に輝く太陽にたとえ、その輝く太陽である天皇以外は親(天皇)の子供である皇民は天皇の存在を崇め祟り、天皇(皇国)の領土・財産・利権を増やすことに絶対的忠誠をもって従事すること以外、すべて(自分の信条、思想、良心、家族も身内も友人、財物、喜怒哀楽の感情なども)を捨て去れと皇民(植民地、占領地の民を含めて)に強制しているのである。つまり天皇のためには、命も惜しくないとして多くの若者が特攻隊や人間魚雷の捨て身での攻撃を強制され犠牲になりました。天皇という『太陽』を守るためには一億総玉砕を厭わないと異常な徹底抗戦思想の源にもなったのです。日の丸の旗は天皇を中心とした帝国主義ファシスト体制を守るための国民の思想統制とアジア・太平洋地域侵略のための錦の御旗の役割を担いました。当然大日本帝国に侵略され、大きな犠牲と痛みと苦しみを味わった周辺のアジア太平洋の国々の視点からも考える必要があります。大日本帝国・日本軍が植民地化したり、侵略して占領した地域には必ず「日の丸」が立てられたました。朝鮮半島を植民地化した際には朝鮮総督府に、地方でいえば役所や学校にも「日の丸」が立てられ、植民地化され抑圧される朝鮮民衆の前に絶えず翻って絶望と憎悪の象徴となったのです。そのことは台湾、南洋諸島、満州、中国各地、アジア・太平洋戦争ではマラヤやシンガポール、インドネシア、フィリピンなどでもそうでした。それを見せつけられた侵略・加害されて苦しめられた側の民衆にとっては「日の丸」が侵略のシンボルであるのは当然です。大日本帝国軍は、八肱一宇(世界中の民を神である天皇の奴隷の一つにし、大和民族の指導のもと大日本帝国を頂点とした世界秩序を目指す)というとんでもない宗教的・妄想観念な動機に裏づけされたカルト的な匪賊軍団であり、決して国民の生命・財産を守る国防軍ではなかったことはあきらかであった。侵略軍の旗は侵略される側から見れば侵略のシンボルであり、憎悪と悲痛の叫びの対象でした。したがって、侵略された側から見れば「日の丸」は明らかに侵略のシンボルです。侵略の現場に立てられていた「日の丸」を国旗であり続けたことをよくよく考えてみれば信じられないくらいです。ナチスのカギ十字とも並べられていた旗です。同じファシズム国家であり、ともに三国同盟を結んでいたドイツとイタリアは戦後、侵略戦争と自身のファシズム体制のシンボルになった国旗と国歌を変え、この点でも当事者として深い反省の態度を示しました。ところが、日本は戦後、国旗も国歌も変えず、「日の丸」と「君が代」を使用し続けて、侵略戦争とアジア・太平洋の地域に大きな加害と苦痛を与えた責任をとらなかった。日本においては、過去の歴史に対する反省と謝罪と償いを、自ら主体的に果たしてきたとは言い難い実態が存在します。このような国旗と国歌の問題においても平和憲法をもち、平和主義と戦争放棄を自認してきた戦後日本にとって、国旗・国歌と「日の丸」「君が代」はそもそもふさわしくないということを国民1人1人が気づかないといけないと思います。もちろん、「日の丸」と「君が代」の強制は憲法19条の思想及び良心の自由、14条の思想、良心、宗教の自由、教育基本法においても違反する不法、不当な通達である法的な側面からも論じることは大事ですが、日本の教育と子供たちの未来を真に考えるために大日本帝国天皇ファシスト体制の支配の維持、国民思想の統制、侵略戦争への国民の動員、アジア・太平洋の周辺国家・地域への植民地化・侵略戦争と加害において、「日の丸」「君が代」が果たした役割を考え、真の倫理的・道徳的な面から論じて日本社会を良識的な方向に導いていかないといけないと思います。その辺の言及が少ない・足りないというのが、これらの記事や主催する団体への私への意見として申し上げておきます。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 12:59 | Comment(28) | TrackBack(7) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月08日

南京大虐殺フィールドワーク(南京・無錫・石家荘・天津フィールドワーク)のご案内

非常にいい企画があります。AMLより転載します。
 
[AML 6591] 南京大虐殺フィールドワークご案内

神戸学生青年センターの飛田です。神戸・南京をむすぶ会の事務局長をしています。複数のメーリングリストに投稿します。重複して受け取られる方には申し訳ありません。
案内は、
http://ksyc.jp/nankin/20060407houtyuu.htm
同PDFファイルのチラシは、http://ksyc.jp/nankin/2006annai.pdf
申し込み用紙は、http://ksyc.jp/nankin/20060407mousikomiytousi.pdf

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神戸・南京をむすぶ会&兵庫在日外国人教育研究協議会(第9次訪中団)
南京・無錫・石家荘・天津フィールドワークのご案内
(A)2006年8月13日〜20日(7泊8日)
(B)  同  8月13日〜17日(4泊5日)
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 今夏、第9回目の訪中をいたします。神戸・南京をむすぶ会は、97年には南京・淮南、98年には南京・撫順、99年には南京・太原・大同・北京、00年には南京・ハルビン、01年には南京・蘇州・杭州、02年には南京・重慶、03年はSARSの関係で訪中できませんでしたが、04年には、南京、大連、旅順、昨年(05年)は、南京・済南・青島をたずねました。いずれも日本がかつて侵略したところですが、そこでフィールドワークをしたり幸存者(中国では日本軍の被害にあいながらも幸いにも生き残った人々をこう呼んでいます)からお話を伺ったりしています。

 今年は、神戸・南京をむすぶ会と兵庫在日外国人教育研究協議会の共催プログラムです。そして南京大虐殺の跡地フィールドワークののち2つのグループに分かれます。全日程参加のグループ‘(A)は7泊8日、南京中心のグループ(B)は4泊5日です。

 上海空港から日本軍の侵略したコースにそって観光地としても有名な無錫に日本軍の跡を訪ねます。南京では中国の人々と侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館での恒例の8・15集会に参加し、幸存者の証言を聞きます。午後から南京大虐殺現場のフィールドワークです。

 8月16日に、Bグループは上海に向かい上海での戦跡訪問、Aグループは、石家荘に向います。

 石家荘は、中国人強制連行で中心的な役割を果たした都市として知られていますが、日本軍が多くの毒ガスを残した地域としても有名です。

 最後の訪問地は天津です。天津は神戸の姉妹都市の関係にありますが、中国人強制連行と深い関係をもった都市です。アジア・太平洋戦争の時期に天津港から多くの中国人が日本に連行されましたし、戦後は日本から中国に送られた犠牲者の遺骨がいまも安置されている納骨堂があります。また今夏「天津殉難烈士記念館」が完成しますが、その落成式(8月18日)に出席したいと思います。

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 今年は、大学生1名をご招待します。参加したい気持ちを書いた作文をお送りください。その中から優秀賞1名を招待いたします。全日程のコースです。締め切りは6月15日、ふるって応募ください。
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●日程/2005年●
@8月13日(日)
(A)関空13:15、CA922便、上海14:35
(B)関空13:40、MU161便、上海14:50
上海、無錫フィールドワーク、無錫泊
A8月14日(月) 無錫から南京へ、南京フィールドワーク、南京泊
B8月15日(火) 朝、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館で追悼集会、南京

C8月16日(水)
(A)南京08:40、MU2967便、石家荘10:20、石家荘フィールドワーク、石家荘泊
(B)南京フィールドワーク、上海へ移動、上海泊
D8月17日(木)
(A)石家荘、北?村フィールドワーク、
   列車15:55石家荘発2046便、21:53天津着、天津泊
(B)上海12:25、MU731便、関空15:40、解散
E8月18日(金、以下Aグループのみのスケジュール)
 午前、天津殉難烈士記念館落成式、午後、天津フィールドワーク、天津泊
F8月19日(土) 天津フィールドワーク、天津泊
G8月20日(日) 北京16:20 CA161便、関空20:00、解散

●旅行代金
(A)177,000円
    (大学生 157,000円、高校生137,000円、含空港税)
(B)138,000円
    (大学生 123,000円、高校生108,000円、含空港税)
 旅行保険4000円の加入をお勧めします。
 一人部屋希望者は(A)30,000円、(B)20,000円追加です。
●旅行手配  叶_戸華聯旅行社 兵庫県知事登録旅行業第3-408号
           TEL 078-391-5185 FAX 332-4458
●締 切 日 
2006年7月17日(月)申込み用紙
http://ksyc.jp/nankin/20060407mousikomiytousi.pdf
をFAXまたは郵便でお送
り下さい。合わせてパスポートの関連事項記述部分のコピーもお送りください。
※大学生、高校生の参加費を軽減するために募金を募っています。ご協力をよろしくお願いします。    送金先<00930-6-310874 神戸・南京をむすぶ会>
●主  催 神戸・南京をむすぶ会&兵庫在日外国人教育研究協議会
●申込み先 神戸・南京をむすぶ会
   〒657-0064 神戸市灘区山田町3-1-1 神戸学生青年センター内
    TEL 078-851-2760 FAX 821-5878
    
http://www.ksyc.jp/nankin/ e-mail hida@ksyc.jp

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飛田雄一HIDA Yuichi@(財)神戸学生青年センター 
http://www.ksyc.jp  hida@ksyc.jp
Kobe Student Youth Center
〒657-0064 神戸市灘区山田町3-1-1
3-1-1Yamada-cho, Nada-ku, Kobe 〒657-0064 JAPAN
TEL +81-78-851-2760 FAX +81-78-821-5878


奮ってご参加ください。あの悲惨な大日本帝国の侵略と戦争の歴史から刻々と遠ざかる中で特に若い人が改めて日本軍の蛮行からの"幸存者"からの話を聞き、当時苦痛と悲痛を味わった人々の魂の叫びを聞き、1人1人が痛みを知って理解するのは人類の愛と平和の世紀を目指す上で大切なことだと思います。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 21:13 | Comment(19) | TrackBack(1) | 大日本帝国侵略・戦争被害諸国民衆による市民連帯結成を | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

韓日親善の幻想〜反省と謝罪のないまま韓国に桜を植えた日本 <桜と過去の植民地支配の問題>

【日韓】 韓日親善の幻想〜反省と謝罪のないまま韓国に桜を植えた日本[04/06]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1144417714/より

 

桜は事実上日本の国花だ。日帝強制占領期間、韓半島のあちこちに植えられた桜は光復
以後受難にあった。日本帝国主義を象徴するからといって無惨に切られて行った。
数十年間日帝の侵略に苦しんだ「朝鮮人」たちの怒りだった。
しかし1960年代中盤、桜は「復活」した。切られた場所にまた植えられた。4/3日付け
本紙でも桜の復活に日本人たちが積極介入した事実が明かされた。

日本人たちは在日韓国人と一緒に日本産改良種の苗木を飛行機に積んで運び寄贈した。
ひいては何回も訪韓して直接肥料を与えるなど真心を注いだ。彼らの意思は本当に純粋
だったのかも分からない。醜いすぎ去った事が繰り返されてはいけないという考えを
桜にこめた、と言った在日韓国人ムン・デイル(76)さんの説明は真心が感じられた。
関係した日本人の多くはもう世を去ったが、ムンさんは「彼らも同じ考えだった」と言った。

しかし、日本人たちも本当にそんなつもりだったかどうかは信じがたい。
単純化して見よう。ある日急に家に強盗が侵入した。銃刀で脅して財物を奪って、婦女子を
強姦したし抵抗する家族は残忍に殺した。後日、まさにその強盗の家族が謝りの一言もなく
「去った事は忘れてこれからうまくやろう」と花をプレゼントした。そんな花を気持ち良く
受けることができるか。そんなやり方で恨みが解けると期待したのか。当時の国民情緒は
明らかだった。「どうして仇敵の国の国花か」と言う批判が少なくなかったことを関係者
たちは証言している。

過ちは「桜寄贈」ではない。一番重要な手続きを飛ばした点だ。韓日関係を思ったら、
反省と謝罪の記録を一緒に残さなければならなかった。それでも桜植樹を強行したことは
すぎ去った事を清算することができなかった時代背景と無関係ではないだろう。
結論は自明だ。反省どころか過去に回帰する日本を見ろ。すぎ去った過去の解法である
「反省と謝罪、容赦」を略した彼らの「純粋な意味」は幻想に過ぎなかった。

桜を抜いてしまう必要はない。桜見物を止める理由もない。日帝が大陸侵略のために、
この地に鉄道を敷いたが撤去しないように。重要なのは「彼らの真義」を「歪曲」しない
事だ。たまに日帝が朝鮮経済のために鉄道を敷いたというような彼らの不純だった意図を
ごまかそうとしないかどうか。

リュ・スンヨル特別企画取材チーム長

ソース:世界日報(韓国語)<[世界の目]桜に幼い韓日親善の幻想>
http://www.segye.com/Service5/ShellView.asp?TreeID=1184&PCode=0007&DataID=200604061541000196

写真:http://www.segye.com/photo/2006/4/6/0722-1.jpg


日本側の過去の韓国に対する侵略と植民地化の歴史に対する無理解が生んだ問題の一つでしょう。 加害者側では忘れるのが早いのです。ただし、韓国ではいまだに過去の酷い大日本帝国による侵略と加害の歴史は忘れられていません。まだ、従軍性奴隷被害者など数々の大日本帝国の支配下で加害を受けて苦しんだ思いをもつ年配の人々が健在であり、それが次の孫の世代に伝えられて大日本帝国の加害の歴史への怒り世代の溝を越えて受け継がれているのです。過去の歴史は過ぎ去ったものとして、日本の侵略の象徴ともなりうる日本の桜を日本人自身が植えるという行為に対して韓国の人々がどう思うか考えてみなさい。純粋で無垢な思い出切られた桜を元に戻すための良心的思いで日本人ら本人らは行ったのですが、韓国側では受け入れていません。反省と謝罪という過程がなかったからです。ともあれ、桜が抜かれることはなさそうです。その桜の運命は日本政府および日本人が今後どのように朝鮮半島の植民地化および戦時に多くの人々を性奴隷や労務者として動員したりして多くの犠牲を出したことに対する謝罪と反省の態度をとり続け、いかに韓国の国民に対して真の信頼を得られるようにするかどうかに関わってくるでしょう。


 【日韓】 解放後の韓国に桜を植え続ける日本〜専門家「不順な意図による文化侵略」と批判[04/03]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1144166015/というニュースもあります。

 
1960年代中盤以後、国内あちこちで大々的に起きた「桜植樹」に在日韓国人と日本人たちが
組織的に介入した事実が明らかにされた。これらは巨額を投入して日本の桜の苗木を飛行機
にのせて運び、寄贈しただけなく鎮海(チンヘ)の場合、日本人植物学者らが以後自発的に
何回も訪韓して肥料を与えて成長状態を把握するなど真心を注いだことが確認された。

当時このような桜植樹は、反日感情を刺激して批判的な世論を起こしたことが確認され、
解放20余年たってからまた桜を植えることが国民情緒を無視したまま推進されたことが分
かった。慶南鎮海桜の「復活」、汝矣島桜花見通り、日帝時代湖南のお米が日本に運ばれて
行った「収奪の道」、全州〜群山間の国道の桜通りなど、かなり多数の国内の桜の木がこの
ようにして植えられて今日に至る。

このような事実は、当時苗木を寄贈した在日韓国人、担当公務員、郷土史学者たちの証言と
取材チームが在日韓国人の知り合いから単独で入手した関連資料などを通じて初めて確認
された。ソウル市、全羅北道、鎮海市、群山市、全州市など該当の地方自治体と傘下機関に
は関連記録が全くなかった。

これによって「巧みな文化浸透」という指摘とともに、特に日本人たちがどうして韓国に
桜を植えたのか、その背景と意図に「歴史的関心」が集まっている。桜植樹が推進された
当時、国内では桜の苗木を求めにくかったというのが当時の実務者たちの一致した証言だ。
1945年解放以後日本ミリタリズムを象徴する桜があちこちで切り倒されたためという説明だ。
(中略:日本側の友好のためというインタビュー)
これに対してファン・ピョンウ韓国文化遺産政策研究所長は「日本の不順な意図が介入した
‘文化的侵略’だ」とし「‘存在が意識を規定する’と言う言葉のように、日本が韓半島内で
自分たちの過去 (侵略者としての) 文化的郷愁を具現するための欲望が隠されている」と主張した。

ソース:世界日報<汝矣島派手な桜の後には…日本 '黒い下心' あったか>
http://www.segye.com/Service5/ShellView.asp?TreeID=1258&PCode=0007&DataID=200604031553000162
写真:http://www.segye.com/photo/2006/4/3/40401-1.jpg
◇取材チームが独自に入手した鎮海桜、苗木寄贈と係わった文献。1960年代後半以後、
在日韓国人と一緒に日本人 15人と 9個の日本企業が苗木寄贈運動に参加したことが記録されている。
   
それだけ大日本帝国が朝鮮半島の民衆に対して与えた苦痛は大きかったということだ。桜の植樹が文化侵略、再侵略・再植民地化と見做されるくらいにね。大日本帝国は植民地統治期間中、数々の桜を植えた。桜というのは日本の象徴する花であり、植民地から解放後、日本政府や日本人の変わりに植民地の苦痛に対する朝鮮半島民衆の怒りを一身に受けたのである。別に良識的な純粋な友好への思いによる日本人有志らによる桜の植樹は歓迎されるべきだと思う。しかし、過去の植民地化と加害に対する反省と謝罪の態度と記録を同時に残さなければならない。そうでないと、また文化侵略だとか、再侵略・再植民地化に対する懸念が韓国人らから消えることはなく、また桜の木は受難にあうのであろう。桜の木には罪はない。桜の木はかつて、植民地支配と加害に対する日本政府や日本人に代わりに報復の受難を受けた歴史をもつ。桜の木に対して同じような苦難を二度と味あわせてはならない。過去の植民地化と加害に対する配慮が足りなかった桜の木を植樹した日本人たちに少し怒りということでこのニュースを締めくくる。日本の周辺の国々、つまりアジア・太平洋地域の国・地域はみな大日本帝国の侵略と加害を受けた歴史をもつ。この問題は韓国と日本の二国間ではなく、中国と日本、あるいはインドネシアと日本、タイと日本、フィリピンと日本、マレーシアと日本、他のアジアの国々と日本、太平洋諸国・地域(グアム・サイパン、パラオ、ミクロネシア、マーシャル諸島、ソロモン諸島、ナウル、キリバスなど)と日本などでおこってくるかもしれない。善意でそれらの国・地域に対して何かをするということは大いに歓迎されることだ。ただ、善意とはいえ、過去の侵略や加害に対する反省や謝罪という観点や過程を抜きにするとそれら当該国の国民感情を害し、国益や友好に大きく傷つくことがありえるということがこの記事において示されている。日本国民1人1人が戦争に関係のない現代の世代も含めて、過去の侵略と加害の歴史を学び、侵略や被害にあった国々の当時の民の苦痛の思い、日本軍の蛮行にあった被害者や犠牲者の痛みを理解した上で世界に羽ばたいて欲しいと思います。以上
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 20:52 | Comment(28) | TrackBack(0) | 激怒(むかついた)ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

在日の元慰安婦・宋さんの記録映画制作進む、『慰安婦は20世紀最大の人身売買』と米国の公式認定・責任追及を米良識的下院議員らが求める。

在日の元慰安婦・宋さんの記録映画制作進む 2006年04月07日08時43分
http://www.asahi.com/national/update/0407/TKY200604070090.html 
 戦時中に日本軍の慰安婦として戦地に駆り出された女性のうち、在日韓国人として唯一名乗り出た宋神道(ソン・シンド)さん(83)=宮城県在住=を記録に残す映画制作が進んでいる。監督は韓国人の安海竜(アン・ヘリョン)さん(44)。映画づくり支援のため8日に東京・亀戸で開かれるコンサートに、韓国を代表する打楽器奏者・張在孝(チャン・ジェヒョ)さん(35)が出演する。日本の慰安婦問題に韓国の男性2人がエールを送る、おそらく初の機会になる。
 宋さんは93年に日本政府を相手取り損害賠償請求訴訟を起こしたが、03年に最高裁で上告が棄却され、敗訴が確定した。一方で、市民集会などでは「裁判負けてもオレの心は負けてない」「裁判やってよかった。オレも人間らしくなって、アカ抜けたババアになっちまった」などと語り、個性的な発言で知られた。
 張さんは昨年、日本で宋さんの記者会見を目の当たりにして「慰安婦問題を自分の問題として考えたことなど一度もなかったのに、急に身近に感じられた」とコンサート出演を決めた。
 安さんは「宋さんが戦争被害者としてだけでなく、戦争反対の強烈なメッセージを持っているのにひかれた。支援の市民団体との緊密な関係も記録に残したかった」と話す。映画の制作費は約600万円。今秋、完成する予定で、国際映画祭にも出品したいという。
 宋さんは映画づくりについて「いいどころじゃねえべっちゃ」と喜び「あんたたちが意味あるように映画つくってくれたらいいじゃない」とコメントしている。
 公演は8日午後6時から「カメリアプラザ」で。在日の李政美(イ・ジョンミ)さん、閔栄治(ミン・ヨンチ)さんも歌や打楽器で出演する。前売り一般3200円、学生・60歳以上2500円。当日券(一律)は4千円。中学生以下無料。申し込みはファクスで03・3785・1181「在日の慰安婦裁判を支える会」へ。

栄さんは在日韓国・朝鮮人女性で唯一名乗りでた日本軍の性奴隷被害者ですが、日本政府を訴えた裁判で負けました。人道は国境を越えて、何よりも強いはずですが、日本政府の頑なな過去の非を認めない保身に凝り固まった悪しき体質の前に破れさりました。裁判所の裁判官自体、一部を除いて三権分立という司法権の独立を忘れて、日本政府の犬の官僚に成り下がったというのが一連の戦後補償関連の裁判で示されています。映画を通じて、日本の若い世代に多数の女性が日本軍の強制売春を大日本帝国という巨大な権力の名の下に強制されて犠牲になったことを改めて知ることになったら幸いだと思います。栄さんは悲惨な性奴隷の青春時代を生きましたが、そのトラウマを見せ付けず、ユーモアに振舞うその気概に関心させられます。長く生きて日本政府を追及して、右傾化する日本社会に歯止めをかけてください。
 
もう一つは

【米国】米議員、『慰安婦は20世紀最大の人身売買』〜公式認定・責任促求[04/07]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1144398114/より

 
レイン・エボンス米民主党下院議員(イリノイ州)は6日、日本政府が慰安婦問題を公式に認めて責任を負う事を促す決議案を提出した。

エボンス議員は、「日本政府は1930年代以降、太平洋戦争が終わるまでアジア・太平洋群島の植民地で、若い女性達を性的玩具として組織的に服従させて拉致した」とし、「慰安婦の悲劇は20世紀最大の人身売買中の一つだ」と指摘した。

彼は日本が当時、13歳の幼い少女達まで家から拉致するなど、20万名の女性を奴隷にし、多くの慰安婦が殺害されたり自殺をしたとして、慰安婦問題は過去だけではなく現在も人権問題として残っていると語った。

彼は、「日本政府は戦後賠償交渉で、このような戦争犯罪を完全に明らかにしなかった。 一部の教科書には慰安婦の悲劇を最小で記載している」とし、「日本政府の官僚達は昨年の6月に、慰安婦という言葉を日本の教科書から削除する事を褒め称えた」と指摘した。

エボンス議員は日本政府に対し、慰安婦の責任認定、慰安婦問題が反人権犯罪と言う事を、 現在や未来の世代に教育させる事、慰安婦を再発させないと繰り返して強力に表す事、 国連や国際アムネスティーの慰安婦問題勧告案を履行する事を促した。

ソース:国民日報KUKIニュース/ワシントン(韓国語)
http://kuki1.stoo.com/news/html/000/490/458.html
 
 


米議員14人、日本に慰安婦謝罪促す(朝鮮日報:2005/03/25)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/25/20050325000051.html より

 
 レイン・エバンス下院議員をはじめとする14人の米下院議員が、日本軍強制慰安婦被害者に対する日本政府の明確な謝罪と適切な賠償を促す議会決議を進めていると、エバンス議員が24日明らかにした。

 同議員は、この日議事堂で慰安婦被害者のカン・イルチュルさんなどが出席したなかで開かれた記者会見で、「日本が世界平和と安定のリーダーとなっているが、過去の行為に全面的な責任を取る姿は見せていない」とし、他の議員13人とともに慰安婦被害者に対する日本政府の公式謝罪と適切な補償を促す議会決議を進めていると述べた。

 また、「第2次世界大戦終戦60周年になる今日まで、日本政府が慰安婦被害者に充分な謝罪や適切な補償をしなかったとは驚くべきこと」とし、「ドイツとオーストリアは99年自らの戦時補償問題にけりをつけたが、日本はこの悲しい歴史の幕を閉じるための措置を取っていない」と指摘した。

 エバンス議員は01年にも下院議員20人とともに慰安婦問題に対する日本政府の即座の謝罪と賠償を促す決議案を下院に上程したが、審議を待っていた途中で会期が終了し、成立しなかった。

姜仁仙(カン・インソン)特派員 insun@chosun.com
 レイン・エバンス議員らに万歳です。慰安婦被害者に対する公式謝罪と補償を即すための決議案を通してください。ドイツやオーストリアと異なり、自らの過去の侵略・戦争加害の被害者に対する補償問題に幕を閉じるための誠意のある世界の人道・良識に基づく措置をとってこなかったのである。慰安婦問題は追及されるどころか、隠蔽あるいは、それ以前に大日本帝国の国家犯罪ではないとしてつくる会の教科書だけではなく、すべての教科書から抹殺されようとしているのだ。大変な危機である。 
私が提示した2chのネット右翼どもがいろいろと沸いていた。
慰安婦制度が戦争犯罪であることはそれが明らかになるはるか以前より明らかだったのだ。林博史著の『裁かれた戦争犯罪 イギリスの対日戦犯裁判』によれば、オーストラリアの戦争犯罪捜査員であるニュージランド人ジェイムズ・ゴッドウィン大尉が日本軍強制強姦制度がすでに戦争犯罪であり、悪辣極まりない前代未聞の国家犯罪であることを見抜いているのだ。本書のp277〜278より引用すれば
 
 ところで戦争犯罪の捜査員のなかには日本軍の慰安婦制度を戦争犯罪と考えていた者がいないわけではなかった。イギリスではないが英連邦の一員であるオーストラリアの戦争犯罪捜査員に加わり東京で活動していたニュージランド人ジェイムズ・ゴッドウィン大尉はその1人だった*。
* James Mackay,Betrayal in High Places.この本はゴッドウィンが残した日記や捜査資料を基に彼の捜査員としての活動を記した本である。ゴッドウィンは1950年に捜査員をやめてマラヤ、ボルネオなどでイギリスの植民地の行政官を勤めた人物である。

 日本軍の捕虜になった経験を持ち日本語ができた彼は1947年8月より捜査員としての活動を始めた。彼はGHQの上層部より捜査を止められたケースとして天皇や731部隊のケースと並んで慰安婦問題があったという。「約25万人の女性が、公式に設置された数え切れないほどの慰安所(売春所)で、好色な日本帝国陸軍の欲求に(無報酬)で奉仕する売春を強要されていたといううわさ、いや証拠があった。これらの深刻な問題はわれわれのあいだで議論された。しかしアメリカの民主主義の建前にとって奇妙なことに、捜査に対する包括的な検閲と禁止が課せられた。私は自問している。一体なにが起きているのか。」(ibid.,p.177)
 ゴッドウィンは日本軍が占領したすべての地域で日本軍の「性奴隷産業」(ibid.,p.220)がおこなわれていたことを知っていた。そしてその捜査を抑えているのはマッカーサーとG2のウイロビーだと推測している。彼はいくつかの戦争犯罪を政治的な判断で裁かないという、「選択された正義」(ibid.,p.162)に強く反発していた。
 このことは連合軍の戦争犯罪捜査員のなかに日本軍の慰安婦制度を戦争犯罪と考えていた人たちがいたこと、GHQすなわち米軍が慰安婦制度自体の捜査を抑えていたことを示している。
ということだ。ここでは約25万人という数字がでてくる。レイン・エボンス下院議員によれば、20万人という数字がでてくる。日本内地、植民地、占領地、戦場の日本軍が存在した各地で性的に玩具にされた女性が20万人ほどいたのは間違いはない。厳密にいえば、公式な慰安婦だけではなく、日本兵による作戦中の強姦などの性暴力犯罪、部隊あるいは個人のグループが宿舎に女性を拉致して集団強姦・日夜レイプした例、強制的に占領地の女性が将兵の現地妻にされた例、将校や古参兵が妾などとして個人的に多数の女性を独占して囲むような例を含むなど広義なものであろう。厳密な定義である日本軍慰安婦(性奴隷)だけではなく、大戦中占領地や戦場で日本軍が存在したすべてありとあらゆる場所で広範囲に行われた女性が性的玩具として扱われた女性に対する性暴力犯罪を近年まで糾弾されることはなかった。もう一つエボンス議員らに注文していいだろうか?大戦時に日本軍の性暴力犯罪が戦犯裁判で追及されなかった背景には米国がいたことをご存知だろうか?米国は731部隊、日本軍の人体実験、細菌戦、毒ガス使用の国際法違反の非道な戦争犯罪をはじめ、天皇の戦争責任の問題を含めて、日本軍慰安婦制度を含む各地で広範囲に行われた日本軍による女性の性暴力犯罪を免責したのである。その理由は田中利幸著の「なぜ米軍は従軍慰安婦問題を無視したのか」『世界』1996年10月・11月の論文が詳しいとのこと。ここでは触れないが、米国が日本軍の性暴力の問題を免責した自国の責任問題も触れて認識し、米国議会で改めて追及してもらいたい。米国政府には東京裁判、BC級戦犯裁判において、米国の国益のために、731部隊の問題、そして、今何よりも現在も人権問題として残っている非道な日本軍性暴力犯罪の隠蔽に協力したり、自ら隠蔽を行ったり,各国の戦争犯罪調査員を妨害するなどしてきた。そういった隠蔽するという戦犯裁判時の自らの人類に対する罪を精算するために、日本軍性暴力を含む日本軍戦争犯罪被害者や犠牲者遺族への補償や歴史歪曲教育の問題に対して日本政府に確固たる圧力をかけてもらいたい。米国は郵政民営化を含む日本の構造改革(自国の企業、特に大統領や閣僚一族が大株主であるなど、の利益になるように)、沖縄や日本本土の米軍基地問題(アジア覇権の基地として)、イラク戦争などの自身の侵略・戦争行為において日本を加担させることに対して日本政府に圧力をかけてきた。米国はこれからはそういう自身の国益のために圧力を使うのではなく、60年以上も前に行われた大日本帝国・日本軍の侵略・戦争加害の問題に対して日本政府に誠意のある断固たる処置をとらせるために、自身の対日圧力カードをこういった人道の問題に対し、日本政府に使用すべきである。米国はイラク戦争などの侵略反動行為をやめて、自身の一国主義・覇権主義を止めて真の良識路線をとるべきである。今回の問題を提起したエバンス議員が大統領になり、米国議会で多数派になれば、世界は紛争の世紀を終結させて、平和と愛の世紀へ人類を導くことにも繋がる。ともあれ、エバンス議員らの提案が米国議会で通り、20世紀、いや人類史上例をみないほど悪質な女性に対する日本軍性暴力犯罪への真の歴史の幕を閉じて、被害者の望む日本と被害諸国の真の和解と友好と平和の確立が訪れることを私は望む。それを拒み、妨害する日本の右翼勢力および右翼反動政治家、悪徳官僚勢力どもを粉砕し、次の世代にそれらを残してならないのは言うまでもない。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:35 | Comment(57) | TrackBack(0) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月07日

BlogPetと荒らしの件について(BlogPet)

本日よりブログペットを設置しました
ブログペットの"右翼討伐人は、右翼を討伐しなかった
ブログペットの名前はとりあえず、ブログペットの名前はとりあえず"右翼討伐人は、必至とかをアダルトスパムしたかったよ
ブログペットの"右翼討伐人は本日、ネットで殺風景などをアダルトスパムしたかった
その代わり変とかをブログしなかった


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「右翼討伐犬」が書きました。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 09:01 | Comment(19) | TrackBack(6) | BlogPet用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

韓国KBSテレビ・SBSテレビ、免職となった増田都子教諭の校内インタビューを相次ぎ放映

【日韓】韓国KBSテレビ・SBSテレビ、免職となった増田都子教諭の校内インタビューを相次ぎ放映(動画あり)[04/05]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1144256369/より

【KBSテレビ 5日夜9時のニュース】
<アンカー>
日本の東京都教育委員会が、日本の歪曲された歴史認識を批判してこれを生徒に教えたという理由で現職教師を解雇して、波紋が広がっています。東京の金デフェ特派員です。

<レポーター>
東京都内の中学校で社会科を教える増田都子教諭は去年3月、盧武鉉大統領の三一節演説文を見て、この演説文を教材に討論授業を行ないました。そして生徒たちが書いた文を集めて、盧大統領に手紙を送りました。 大統領の憂慮とは違って日本の生徒たちは過去史について謝罪して真実を反省する正しい歴史を学んでいる、 という点を示すためでした。

<増田都子教諭>
「私は正しい歴史認識を教えているのであって、誤った歴史認識を批判するのは社会科教員として当然です」

<レポーター>
また、「日本はいかなる国も侵略した事実はない」という歴史歪曲発言を繰り返した東京都議会の自民党議員を、授業時間に条目別に批判しました。東京都教育委員会は昨年9月、増田教諭に研修を発令して授業を出来なくしたのに続き、先月末に電撃的に解雇しました。

<増田都子教諭>
「当たり前の努力をしている教員をクビにするわけなので、こんなものは絶対に許すわけにはいきませんので、 あらゆる手段を使って戦っていきたいと考えています」

<レポーター>
増田教諭の討論授業で、生徒たちは日本の過去史について正しく学ぶことができ、日本が周辺諸国に真摯に謝罪しなければならない理由も分かるようになりました。増田教諭は、この教室で授業をすることはできなくなりましたが、真実を教えねばならないという所信には変わりがありません。

▽ソース: http://news.kbs.co.kr/article/news9/200604/20060405/860716.html
▽動画(●を外してください): mmst://news●vod.kbs.co.kr/news/2006/04/05/300K/230.asf
________

【SBSテレビ 5日夜8時のニュース】
<アンカー>
日本の公立学校教師が、授業時間中に日本の歴史歪曲を批判して、解雇されました。梁ユンソク特派員です。

<レポーター>
「恥ずべきことに、ある都議は日本の侵略事実を否認している。教育委員会は、侵略を正当化した扶桑社教科書が一番良いと言う。こんな歴史捏造主義者たちは、独立記念館に一度行ってみなければならない。」

東京の公立中学校の社会科教師である増田さんが盧武鉉大統領に書いた手紙の中の一節です。盧大統領の昨年の三一節記念演説と一緒に授業資料に書いたものです。

しかし、独特の授業方式で正しい歴史を教えるという増田教諭に教育委員会の懲戒処分が下りました。不適切な学習資料だったというのです。先月末には解雇にあたる免職処分を受けました。懲戒期間中にも自分の主張を曲げないなど反省の色がないという理由からでした。歴史歪曲を批判する教育現場の声を押えつけようとする意図が覗えます。

<増田都子教諭>
「正しい歴史認識を教えるという当たり前の努力をしている教員をクビにするわけなので、こんなものは絶対に許すわけにはいきません」

<レポーター>
東京都教育委員会は、極右派である石原都知事の指揮の下、都立中学校に扶桑社教科書を採択させるなど教科書歪曲を直接・間接に支援しているという批判を受けています。

▽ソース: http://news.sbs.co.kr/international/international_NewsDetail.jhtml?news_id=N1000095420
▽動画(●を外してください): mms://news●vod.sbs.co.kr/nw/0121/nw0121c111317.asf

 
とりあえず、2chにあった記事を抜粋しました。東京都による不当な弾圧であることが伺えます。「日本はいかなる国を侵略したこともない」とほざいた東京都議会の自民党議員を各々の項目をあげて批判する授業を行いましたが、子どもたちにその右翼の自民党議員のような悪い歴史観や思想をもつ大人にさせないためであったのです。大日本帝国の過去の所業をっ子どもたちに理解させ、植民地下で苦しめられた韓国人の痛みを理解させて、謝罪しなければならないことを子どもたちに分からせたのです。当然当たり前の努力です。自民党右派をはじめ、さまざまな為政者や右翼勢力、産経新聞などによって不当に圧力を加えられ、不当な研修処分まで課せられました。その挙句に今回の解雇です。研修期間中も自分の主義主張を曲げなかったのですが、それこそ不当な権力による思想・信条の自由の侵害ではないでしょうか?良識的な教員を弾圧し、歪んだ歴史歪曲教育やナショナリティックな反動教育を施し、反動的な歪んだ愛国心を子どもたちに持たせて、自分たちの右翼ナショナリズム主義に 染まったいわば自分たちの従順なロボットになるいわば紅衛兵にしようと東京都あるいは小泉などの為政者、そして右翼勢力は企んでいるんでしょう。こんなことは絶対許すわけにはいきません。断固抗議を。

増田都子教諭のブログと掲示板
http://wind.ap.teacup.com/people/
http://8155.teacup.com/kurage/bbs

があります。応援メッセージを良識的教諭である増田都子氏に送ってあげてください。断固戦いましょう。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 01:42 | Comment(17) | TrackBack(0) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

後で知ったことなのですが、増田都子先生の免職処分への怒り

[AML 6579] 4・7都教委への抗議行動より

【以下転送大歓迎】
▼都教委による増田都子先生の免職処分への抗議と申し入れに参加を
 3月31日、千代田区九段中学校で社会科の教員をしていた増田都子先生が都教
委に免職処分(解雇)されました。東京都は日の丸・君が代不起立の先生た
ちを33人処分していますが、増田先生の場合は公民の授業で、侵略戦争を肯定し
ている古賀都議を批判したこと、扶桑社の教科書を批判したことなどから、
昨年9月、都研修センターに送り込まれ、3月31日に解雇されてしまいました。
 緊急ですが、明日4月7日(金)1時半から都教委に抗議の申し入れ行動を行
います。ぜひご参加をおねがいいたします。

◎4月7日(金)午後1時15分までに、都庁の議会棟5階の「市民の党」控室に
集合を。1時半までに移動します。(JR新宿駅西口下車5分)
◎問い合わせ・連絡先 都議会議員・伊沢けい子(・0422−70−6229)


 

これは右傾化・反動化への動きへの一貫です。
増田都子通信 : 権力の番犬と化した裁判所より
http://www.labornetjp.org/labornet/NewsItem/20040624m3
福岡地裁で小泉靖国参拝違憲判決を出したような極く少数の例外を除き、現在の裁判官の大部分は「憲法の番人」でなく、「権力の番犬」と化しています。それは、実際に裁判をしてみて初めて!?分かることなのです。私も、沖縄米軍基地の事実を教えることを「反米偏向教育」だなどという一母親と裁判をして初めてそれを理解しました。なにしろ、私は、余談ながら、その母親相手から始まって5つの裁判を闘い、今、3悪都議相手と都教委相手の、2つの裁判を闘っていますから。あと一つ、産経相手にも裁判する予定。
でも、中学『公民』教科書で『裁判所』のところを開いてみてください。私が教員になった頃からしばらくは『人権を守る裁判所』と見出しがありました。しかし、最近(ここ10年くらい?)では、あまりに実態と離れていることを文部省(現文科省)も認めざるをえなくなったのでしょうね、『法律を守る裁判所』!?が見出しです・・・『人権を守る裁判所』でなく、『憲法を守る裁判所』でなく!?それでも、人権を守るためには裁判も利用するほかないのですが。
ところで、私は、この『足立十六中事件』を一母親が引き起こして以来、東京都の教育反動と断乎、闘ってきました。生徒たちが97年卒業式の「国歌斉唱」で一斉に着席してしまった私の平和教育・民主教育が、その第一ターゲットだったからです。私は四面楚歌ならぬ八面楚歌・・・(1)一部右翼的保護者、(2)保身しか考えず、平然と真っ赤な嘘を吐き、書く校長・教頭、(3)都(区)教委、(4)土屋たかゆきら右翼都議、(5)産経新聞、(6)行政の犬になり下がった官僚裁判官、(7)所属組合員を売って恥じない全教(都教組)、(8)子どもが泣いたという浪花節にコロリと引っかかり、教育内容・方法に対して不当な干渉をしかけてきた一母親への屈服を迫った「人権派」弁護士・・・の中で、断固として闘ってきました(詳しくは拙著『教育を破壊するのは誰だ!』を、どうぞ)。そこで、K.F.氏をはじめ今回の250名にのぼる処分者らに言いたいことがあります。私が、孤立無援の中で文字通り、集中砲火を一身に浴びて孤軍奮闘していた時、あなた方は何をしていたのか?と・・・
ま、産経新聞が、デマ情報を大々的に流した以外は、都教組(全教)の意図的隠蔽もあり、「全く知らなかった」ということでありましょうが・・・それに私にしても、一母親が事件を起こさなかったら、都教組(全教)永年組合員表彰を受けて、選挙があれば共産党へのカンパに素直に応じていたと思うけどね!?また、この事件に巻き込まれ、ひどい被害・弾圧を受けて初めて、国労闘争団の人達と知り合い、その闘いの意義を知った、ということも事実です。なかなか、人間、自分の身に火の粉が降りかからなければ、想像力が働かない!?

 
増田都子さん裁判資料:「進める会」パンフより声明「許せない!教基法一〇条をふみにじる教育への不当な政治介入」
http://page.freett.com/postx/henkou/yurusuna.html

恐るべきデマ、「洗脳」、「マインドコントロール」、「偏向」

増田さんが三都議を提訴したのは、彼らが『こんな偏向教師を許せるか』という本を、右翼的な出版社・展転社から発行し、増田さんの授業を「洗脳」だの「マインドコントロール」だのと、まるで統一教会やオウム真理教まがいのものであるかのように、誹誇・中傷したからです。
もちろん、増田さんの授業には、そんな非難をされるいわれは、どこにもありません。増田さんは、普通の教科書を使った授業のほかに、生徒自らが意見を表明し、互いに討論しあう「紙上討論」という形式も取り入れ、生徒達に親しみのもてる、良心的な授業に情熱的に取り組んできただけです。この授業は、朝日新聞が好意的にとりあげましたし、都の人権尊重教育指定校の実践のまとめの冊子の中にも人権尊重教育実践例の一つとして掲載されています。土屋都議らは、これ以前にも、都議会の質問や街頭宣伝等々で、増田さん攻撃に血道をあげてきましたが、彼らの目的はただ一つ、子どもたちに平和の尊さを理解させようとする増田さんの平和教育を何としても、叩きつぶすことです。

都教委は三都議と結託、増田さんの個人情報を提供

彼ら三都議は、この本の中で、増田さん自身が開示請求をしたときには黒々と壁塗りか完全非開示だった、処分に関する足立区教委報告書や研修状況に関する個人情報を、何の墨塗りもなしにまるごと掲載しています。この都議達は、法令が守られていれば非開示のはずの情報まで、都議の「特権」(?!)を悪用して、都教委から不正に入手した上に、増田さんを誹誘・中傷するためだけに活用しています。
都教委が、地方公務員法の守秘義務及び都個入情報保護条例に反して、彼らに情報を漏洩したことは、彼ら自身が裁判所に提出した書面の中で認めています。こうしたやり方のどこに、彼らのいう「公共性」、「公益性」などがあるというのでしょうか。こんな順法精神、人権感覚、常識の欠落した都議たちが、教育基本法十条をふみにじって、都の教育現場に不当に介入し、都教委と結託して、良心的な教員達を脅し、締め上げているのです。

国立や七生養護の学校の大量処分も、みな三都議らの介入がきっかけ

土屋都議は、すでに2000年7月1日に足立16中の近くの北千住駅頭で行った街頭宣伝で、増田さんを「犯罪者」と攻撃、そのあまりの俗悪さに、裁判所に「違法行為」と認定され、増田さんに対する損害賠償35万円の支払いを命じられています。
彼らの毒牙にかかったのは、増田さんだけではありません。数年前、国立の教員17名が「公務員の信用失墜行為」、「職務専念義務違反」で処分されたのは、土屋都議らが産経新聞などと結託して「児童が校長に土下座を要求」などと事実を歪めたデマ宣伝を繰り広げ、都教委に処分を迫ったからです。またつい最近も、日野市の七生養護学校を中心に、前校長の停職1ヶ月・平教員への降格、65名の教員が「厳重注意」など計116名が処分を受けましたが、これも土屋都議らが、この学校の教員達が長年続けてきた性教育(つい最近まで、都教委が模範的な実践と推奨してきたもの)の実践を、何かみだらなもの、子供達に有害なものででもあるかのように、騒きたてた結果です。
こんな呆れた議員たちが、もっともらしく「教育正常化」と称して、現場の教員達の自主性、創造性をふみにじり、教育の活力をますます奪う、不当な政治介入を続けているのです。

三都議は、教育基本法・憲法の改悪をめざす「つくる会」と一体

彼らが増田さんをはじめ平和教育、民主教育を推進しようとする教員達を目の敵にするのは、彼ら自身がきわめて右翼的に「偏向」した政治的な立場や教育観に立脚しているからです。
増田さんの裁判でも、土屋都議らを支援する会の賛同人には、藤岡信勝はじめ「つくる会」を担う右翼的な知識入が軒並み名を連ねています。また裁判の傍聴には、天皇礼賛、男尊女卑の右翼的な宗教団体「キリストの幕屋」の人たちがつめかけています。つまり、彼らの教育への介入は、侵略戦争賛美の教科書採択をたくらみ、憲法・教育基本法の改悪をめざす、「つくる会」はじめさまざまな反動勢力、右翼勢力との緊密な連携のもとになされているのです。土屋都議らに対する増田さんの告発は、これら反動勢力、それと連動する都教委、文部科学者等々に対する告発、反撃の意味をもっています。この裁判闘争勝利のため、ぜひとも多くの教員、労働者.市民、知識人のみなさんの支援・連帯を、お願いします。

増田都子教員を貶める背景には巨大な国家と右翼勢力のカルテルがありそうです。近年、反動化と右傾化の波が押し寄せています。教育現場では戦前、戦中の大日本帝国で行われたように実際の弾圧となって降りかかっているのです。たとえば日の丸に対して抗議したり、君が代の起立斉唱を自らの良心に基づいて拒否した教員らが実際に弾圧されています。そういった動きの中で起きた出来事です。侵略戦争や植民地支配をして近隣諸国を苦しめた大日本帝国を肯定する教科書採択をたくらみ、自身の悪しき歴史観・思想を子どもたちに押し付けて洗脳して、右翼勢力を躍進させ、戦前・戦中の日帝ファシスト体制回帰をたくらむ勢力がいます。大日本帝国の過去の所業を追及し、近隣諸国への反省を踏まえ、犠牲になったアジアの民の痛みに思いを馳せ、謝罪と清算の活動に取り組む良識派勢力が彼ら右翼勢力にとって邪魔なわけです。
 
東京新聞に増田都子教員免職のニュースがありました。
 

女性教諭に『公務員不適格』処分
都教委

http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060404/mng_____sya_____012.shtml

 

 社会科授業で配った資料の中で、東京都議を「歴史偽造主義者」と実名でひぼうしたなどとして、都教委から戒告処分を受けた千代田区立中学の女性教諭(56)が、研修中も反省がみられなかったとして、三月末に分限免職になっていたことが三日、分かった。  

 分限免職は「公務員には不適格」と判断された場合の処分で、教員免許が失効する懲戒免職とは異なる。都教委が昨年度に分限免職としたのは教諭一人。

 教諭は「都議をひぼうしたのではなく、誤った歴史観を批判しただけ。研修の不当性を訴えた裁判が継続中なのに分限免職とする都教委のやり方は問題だ」と主張、処分を不服として都人事委員会に審査請求する。

 教諭は昨年、三年生の公民の授業で、自分が韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領にあてた手紙を資料として配布。手紙の中で、日本の侵略戦争を否定する発言をした自民党都議の実名を挙げ「国際的には恥をさらすことでしかない歴史認識を、得々として喜々として披露している」と指摘。また「新しい歴史教科書をつくる会」主導の扶桑社版の教科書について、「歴史偽造で有名な」などと書いた。

 これについて、都教委は同年八月末、「不適切な文言を記載した資料を作成、使用した」などとして教諭を戒告処分とし、九月一日から十六日と、同二十日から今年三月末までの二回、研修を命じていた。

 分限免職の処分説明書によると、教諭は過去に二回、「プリントで生徒の保護者をひぼうした」などとして懲戒処分を受けた。さらに今回の研修中に抗議文を読むなどしたことが「公務員としての自覚や責任感が著しく欠如し、その職に必要な適格性に欠く」としている。

あまりにも非道な弾圧です。一議員の誤った歴史観を批判しただけなのに、東京都の教育委員会から研修を課されました。「日の丸」や「君が代」を強制し、歴史を偽造して、子どもたちの心に歪んだ「愛国心」を植えつけようとする東京都や自民党、小泉政権の一連の動きの中で弾圧されたのです。右翼都議や不当な処分を下した教育委員長のほうが、「公務員の信用」を失墜させているのは明らかです。増田都子教員のような良識的な先生が日本の未来を担う子供たちを育てるのにふさわしいでしょう。つくる会の教科書を支持する歴史観をもつ教員が子供たちに歪んだ歴史観の元、歪曲された「愛国心」を植えつけられてその子供たちが大人になったときの世界のほうが恐ろしいと思います。さっさと右翼勢力の害悪と小泉ファシスト勢力は日本から消え去って、いつの日か増田教員をはじめ、数々の良識的教員を陥れた反動右翼勢力どもに罰が下されることを願いたいと思います。以上  
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:59 | Comment(23) | TrackBack(0) | 激怒(むかついた)ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月06日

「義務は国」と原告側 在外被爆者訴訟最高裁口頭弁論

「義務は国」と原告側 在外被爆者訴訟最高裁口頭弁論
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2006/kiji.html

 【東京支社】日本からの出国を理由に、被爆者援護法に基づく健康管理手当の支給を打ち切られたのは不当として、長崎で被爆した韓国人元徴用工の李康寧(イ・カンニョン)さん(78)=釜山市在住=と、長崎市の元高校教師、広瀬方人さん(76)が国などを相手に手当の支給を求めた訴訟の上告審で、最高裁第三小法廷は四日、それぞれ口頭弁論を開いた。原告の李さん、広瀬さん側は在外被爆者援護に対する国の責任を強調。一方、被告の国側は「手当支給は自治体の事務」とする書面を提出した。

 一連の在外被爆者訴訟で、最高裁が口頭弁論を開いたのは初めて。二件とも同日で結審、六月十三日に判決が言い渡される。

 争点となっている「手当支給義務を国、地方自治体のいずれが負うか」について、李さん、広瀬さん側はこの日の弁論で「自治体は国外に住む被爆者に対する手当支給の権限を持たない」「在外被爆者問題を生じさせたのは、戦時中の強制連行や戦後の移民政策」―などとして「国が責任を負う」と主張した。

 一審で勝訴、二審で敗訴した広瀬さんは「手当が打ち切られた理由(旧厚生省通達)を長崎市から知らされなかった。私の怠慢で手当を請求しなかったわけではない」として、手当請求権に消滅時効(五年)を適用した二審判決の不当性を訴えた。李さんは病気のため出廷できなかった。

 李さんは、一九九四年七月の渡日治療時に認められた手当の支給が同年十月の帰国で打ち切られたことを不当として九九年五月に提訴。一審の長崎地裁、二審の福岡高裁とも国に支給を命じたが、国側が「手当の支給は地方自治体(長崎市)の事務」として上告した。

 広瀬さんは、日本語教師として中国に赴任していた九四年八月―九五年七月の間、支給されなかった手当の支払いを求めて二〇〇一年九月に提訴。一審の長崎地裁は国に手当支給を命じたが、二審の福岡高裁が「手当請求権は時効で消滅している」として請求を退けたため、広瀬さんが上告した。

いい加減にしろ。この糞国家が。もちろん、今回訴訟の上告審を起こした原告側の主張は正当。被爆者補償の問題を一自治体任せにして押し付けておくのは言語道断だ。大日本帝国の崩壊の後を引き継いだ日本政府として自らの戦争責任を放棄し、一自治体に押し付けた。じっと待ち続けている在外被爆者の気持ちを考えて欲しいものだ。自治体というのは基本的には国内でしか通用しないし、自治体と他国の政府の交渉は海外との大きな制度の違いから、困難と障害に突きあたる。被爆者には一刻の猶予はないのだから、広島県や長崎県などの自治体に任せず、国が全面的に被爆者支給の業務を受け持つべきだ。支給は広島県、長崎県、他の都道府県などの自治体に任せているが、責任を放棄している。『支払い事務者は自治体』と必ず隠れみのに使う国の論理・姿勢を断じて許してはならない。この不条理を許していれば、国家全体の倫理が崩壊し、モラルハザードに陥るだろうし、すでに陥っているかもしれない。今回の上告審で原告が勝ち、国は最高裁へ上告せず、自らの戦争責任と自治体を隠れ蓑に被爆者への支給を自治体任せに押し付けてきた責任問題に対して謝罪しべきである。 在外被爆者の援護措置についてはさまざまな問題があり、在外の被爆者が支給を求めて「被爆者健康手帳」を取得申請するには、被爆実態の確認などを理由に依然、本人が来日しなければならないのである。法律を見直すべきだが、国の抵抗は強くかたくなに拒んでいる。戦争責任を認めないし、過去の侵略や戦争加害の問題を頑なに拒み、あらゆる被害者や犠牲者に対して心から謝罪し、反省することができないという旧態依然の悪辣体質が残っているからに他ならない。年を経るごとに来日しにくくなる。国内、国外の被爆者ともに平均年齢が高くなり、一刻も許されなくなる。今回の広瀬さん、李さんの2人をはじめ彼らの切実なる願いをかなえて欲しい。被爆者はどこにいても、国籍を問わず被爆者なのだから一刻も早い解決を望む。

posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:57 | Comment(3) | TrackBack(96) | 激怒(むかついた)ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

全廃の「指紋」復活 入管法改定案衆院で可決

全廃の「指紋」復活 入管法改定案衆院で可決
http://www.mindan.org/shinbun/news_view.php?page=20&category=2&newsid=6561

定住外国人も視野

 日本に入国する外交官と特別永住者を除く16歳以上の外国人すべてに指紋と顔画像を登録させる「出入国管理及び難民認定法」改定案が3月30日、衆議院本会議で可決された。成立すれば、民団などの粘り強い闘いによって00年4月に全廃が実現した指紋押捺制度が復活することになる。こうした管理強化は外国人一般への差別をさらに助長するものと心配されている。

後退する「共生社会」

 今回の改定案は「テロの未然防止」や「上陸審査及び退去強制手続きの一層の円滑化」が目的。

 日本に上陸すると、入国審査窓口で指紋と顔写真などのバイオメトリクスデータ(生体情報)を取られる。これらの個人情報はデータベース化され、「捜査照会対象」とされる。なにかあれば名前、顔写真、指紋から該当データが検索され、テロなどの犯罪捜査の対象となる。16歳未満と外交官、特別永住者を除いても対象者は年間400〜500万人と推定されている。

 今回の改定法案には記されていないが、定住外国人や日本人の「希望者」を対象に「自動化ゲート」と呼ばれる新たな「指紋採取制度」が創設される。これは入官窓口であらかじめ指紋登録をしておけば、鉄道の自動改札機のような機械式ゲートを高速道路のETCのようにスピーディーに通過できるというもの。

 民主党の保坂展人衆議院議員は「義務ではないが、定住外国人も日本人も自動化ゲートを突破口として指紋登録を始める。政府は究極の個人情報をどのように扱うのか。初めは『希望者』とソフトにスタートするが、今後、なんらかの事件を契機に指紋押捺を国民の義務として課していく確率が高いのでは」と警戒している。

 「外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会」は可決を前にした3月23日、「日本は21世紀の課題として『観光立国』『経済の自由化』を標榜する一方で、それを制御する『いやがらせ政策』をとろうとしているとしか考えられない」とする「緊急反対声明」を発表している。

 外登法の指紋押捺制度が全廃されたのは00年4月のこと。80年代の在日外国人らの粘り強い闘いが実ったものだ。「テロ対策」を理由に定住外国人、日本人まで監視・管理の網をかぶせようとする今回の改定案が施行されれば、「共生社会」を築いていくうえで大きなマイナスとなりそうだ。

(2006.4.5 民団新聞)

大変危険な動きです。「テロの未然防止のため」のためだとかきれいごとを言うが、入管法に基づき外国人指紋制度を復活させようとしてます。人種主義・人種差別・外国人嫌悪を扇動するきわめて重大な問題点のある入管法改正案をこのままと通してもいいのでしょうか?ちなみに今回の改正は外国人だけではありません、日本人にも法の網がかぶせられようとしています。大変危険なものであり、断固として反対しなければなりません。ファシスト反動化・全体主義体制への動きを食い止めなければなりません。在日外国人との共生社会・多文化社会を築きあげていく上で大きなマイナスであるし、民主主義体制の存続にも関わる重大な問題です。
 
 
 http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
 
http://meyasu.jimin.or.jp/cgi-bin/jimin/meyasu-entry.cgi
直ちに抗議を送りましょう。
 
 
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:11 | Comment(11) | TrackBack(3) | 激怒(むかついた)ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

BlogPetと荒らしの件について

このブログもずいぶんと殺風景であり、癒しを与えるために本日よりブログペットを設置しました。ブログペットの名前はとりあえず"右翼討伐犬"とします。何かいい名前があればまた考えます。とりあえず、ブログペットの"右翼討伐犬"くんをよろしくお願いします。2匹目も欲しくて必至に努力していたのですが、無理なようですね。ともかく、よろしくお願いします。 
それと荒らしについては対策が効いたのか糞右翼の荒らしについては本日はありませんでした。その代わり変なアダルトスパムが来ているようで、それについても対策したいと思います。以上
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:00 | Comment(5) | TrackBack(0) | 備忘録・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

投稿のテスト(BlogPet)

うまく投稿できるかな?


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「右翼討伐犬」がテスト投稿の為に書きました。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 21:15 | Comment(5) | TrackBack(101) | BlogPet用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

元従軍慰安婦、ベトナム戦争時の韓国軍による虐待行為を調査

2chで知った前のニュースなのですが、
 

[社会]
元従軍慰安婦、ベトナム戦争時の韓国軍による虐待行為を調査

2006/03/30 07:12 JST更新

http://viet-jo.com/news/social/060326094227.html

 

 3月22・23日の両日、旧日本軍の従軍慰安婦被害者の会の会員であるYune-Chung Okさんと研究者グループが中部地方フーイエン省を訪れ、ベトナム戦争に参戦した韓国軍兵士が行ったベトナム人女性への性的虐待に関する調査を行った。  
 調査は、ベトナム戦争中にアメリカを支援し参戦した各国軍による性的虐待が頻発した中部地方のフーイエン省、クワンガイ省、ビンディン省で実施され、研究者グループは被害者から直接聞き取りを行なうなど虐待の証拠を収集した。
 Yune-Chung Ok代表は、「戦時中に性的虐待を受けた多くの女性が現在も耐えがたい苦しみを抱えて生活しており、支援を必要としている」と語った。

 
良識的なニュースです。韓国軍もベトナムで日本軍がアジア各地でやったような酷い蛮行を行いました。韓国が本格的にベトナム戦争において派兵しはじめたのは、65年です。戦後・植民地解放後20年の時期です。しかし、この韓国軍のベトナムにおける蛮行と大日本帝国とは無関係ではありません。2chのコメント欄よりベトナム派兵の韓国軍の連隊長以上は 日本教育受けた連中であり、しかもその中の多くは 旧日本軍出身者が多いということを教えてもらいました。考えてみたらそうです。ベトナム戦争に韓国軍が参戦した際の韓国側はばりばりの軍事政権であり、しかも大統領は朴正煕であったのです。朴正煕はばりばりの対日協力者で、というのも日本陸軍士官学校を出ており、成績は優秀で関東軍に配属されています。大日本帝国の悪しき体質を受け継いでいるのでしょう。国のトップがこうですから、韓国軍も対日協力者・親日派が多く、しかも連隊長以上の幹部に旧日本軍出身者が多いというのもうなづけます。日本軍の非人道的・残虐非道の体質を受け継いでしまったのです。もし大日本帝国が存続し、かつての日本陸軍がベトナム戦争に参戦した場合と同じような酷い蛮行をおこなってしまったのです。そのようなことを指摘した人を右翼が『そんな奴らを雇う韓国は蛆虫以下だな』といって切り捨てましたが、そのような右翼こそが蛆虫以下なのです。とはいえ、当時の韓国政府の責任が0ではなく、旧日本軍・大日本帝国の体質を受け継いでいるからといって、罪行が完全に免罪されるわけではありません。
済州島虐殺の慰霊祭、盧大統領が初めて出席
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/16190131.html 触れましたが、大日本帝国は植民地支配の際、分断統治を行い、親日派・対日協力者層を育成しました。敗戦し、植民地解放後、新たな支配者として米軍がやってくるわけですが、幹部にいた親日派・対日協力者をそのまま排除せず、利用しました。親日派と、右翼勢力、地主が米軍と協力して、反対する農民や労働者を熾烈に弾圧しました。朝鮮戦争後も親日派・対日協力者層が軍事政権下の韓国で牛耳り続けたのです。大日本帝国・日本軍の体質は存続し続けました。ベトナム戦争が勃発し、米国に協力する形でベトナムに韓国軍は派兵しましたが、そういう背景のもとで韓国軍によるすさまじい蛮行が行われたのです。とりわけ、女性に対する性的虐待・暴行が酷かったのです。韓国政府も真相究明には及び腰ですが、そんな中で日本軍の性奴隷被害者である女性たちが立ち上がり、同じ軍隊による性的地獄を味わったものとして調査と自国のベトナム戦争の戦争性的暴行被害者の救済に乗り出したのです。彼女らの賢明な良識を日本の右翼たちには見習ってもらいたいものです。そのような欠片の心も日本の右翼どもにはない。なんか右翼どもは日本軍性奴隷被害者彼女たちに対してめちゃくちゃ言ってくれている。たとえば、

 【ベトナム】元従軍慰安婦、ベトナム戦争時の韓国軍による性的虐待行為を調査★2[03/30]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1143707970/において(★1については発見が遅れたためログとしては私はもっていません。)

「米軍と共に戦った韓国軍」
が蛮行を行っていても、>>1の調査団や今の韓国世論には
痛くも痒くもない。
むしろ米軍批判につながるから嬉しいくらいだろう。

さらに、「米軍と共に戦った韓国軍」の蛮行を暴き、
それと故意にいっしょくたにして
「旧日本軍の従軍慰安婦の論拠」
を捏造出来るなら、一石二鳥だ。

しかも「米軍と共に戦った韓国軍」の蛮行を暴くことは、
他国から見れば、一見「自国の罪を反省している」ように見える。
発言の信憑性も増す。
真意が反米でも。

一石三鳥だよ。

 

「旧日本軍の従軍慰安婦被害者の会」ってことは、ベトナム行って「旧日本軍はもっと酷い事をした。韓国軍のしたことはそれより百万倍マシ」とかいうために行ったに違いない。
(地元の感情を逆なでするだけだろうけど。)
  


従軍慰安婦などと言ってる連中が調査するんだから、結果は知れてる。
「韓国軍による婦女子に対する非行は無かった。紳士的な
兵士ばかりだった。」

こんな感じだろ。 

と右翼どもの心ないコメントの数々に怒りを感じます。慰安婦被害者たとは決してよこしまな心などもたず、同じ軍隊による性的苦痛を受けた女性としてその蛮行の事実関係を調査し、純粋に人道的信念からベトナム女性被害者の救済に取り組もうとしているのです。人間としての資質にすら残っていない蛆虫右翼どもはとっとと消え去れ!
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:52 | Comment(17) | TrackBack(174) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月05日

〈朝鮮人強制連行と麻生炭鉱 −上−〉 労働争議に警察、暴力団を動員

〈朝鮮人強制連行と麻生炭鉱 −上−〉 労働争議に警察、暴力団を動員 [朝鮮新報 2006.4.5]
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/01/0601j0405-00002.htm
九州地方朝鮮人強制連行真相調査(1974年4月)

 私たちは約20年間にわたる調査団(団長、尾崎陞元日弁連会長)を受け入れるため、前年1年間をその準備にあてた。以下はその間に入手した情報と本番で、明らかになった数々の資料や証言である。
 総連行者数155万人、うち全国炭坑に34万人、筑豊地区に約15万人という被連行者は、植民地下の総督府や、官憲の介入による強制であった。が、それ以前にも早くから民間による連行があった。
 すなわち、1869年(明治2年)に「鉱山開放令」が布告され、それまで藩制下にあった石炭の採掘が、地場資本や中央資本家に解放され、三池や高島の官営、唐津の海軍炭坑(明治4年)をはじめ、麻生芳雄の忠隈炭坑(明治6、7年)…と、1万坪以上の石炭王国のはしりを形成した。麻生はさらに、赤坂、綱分、吉隈、豆田、山内、上三緒…と、次々に開坑し、政商ともいうべく政府有力者とも大きなコネを持つに至ったのである。 
 麻生太郎の曾祖父大吉は、ついに「筑豊石炭鉱業連合会」の会長として、すでに応召者続出の煽りをくって、決定的に不足をきたしていた労務者を補充するために、連合会翼下の各社(貝島、安川、蔵内他)を代表して「炭礦稼働者補充ニ関スル陳情書」(1934年、昭和9年)を政府に提出した。政府は、三井、三菱、古河、住友などの大手が、同様に労務者不足を訴えていることをかんがみ、その打開策として植民地からの移入を検討した。そして「労務動員実施計画綱領」なるものを閣議決定(1938年、昭和13年)し、同年7月、内務省次官から「朝鮮人労務者内地移住ニ関スル件」を通達した。いわゆる強制連行はここに始まる。
 しかし私たちは、閣議決定以降だけを強制連行の区分にしてはならない。それ以前に「日朝修交条約」(1897年、明治30年)があり、「乙巳保護条約」(1905年、明治38年)という不平等条約に次ぐ「日韓併合条約」(1910年、明治43年)によって、名目的にも実質的にも朝鮮半島を支配し、植民地化して、国土も民族も支配下においたのである。民族の移住は、自由意志による移住ではもはやなくて、国家権力による強制的移入であった。だから明治以降のわが国の納屋制度にみられる、納屋頭による賃金のピンハネや、さがりクモと称されるようなリンチまで横行し、現場からの逃亡が頻発したのである。
 こうした圧制は、戦時下においても変わりなく続いた。福岡県による文書「縣政重要事項」(1944年、昭和19年)や、「事務引継書」(1945年、昭和20年)によると、麻生鉱業所の移入者数7996人に対し、逃走者数4919人(61.5%)にも及ぶ。各事業所が雇い入れていた「請願巡査」の監視下においてすらこうした実態であったことは、明治、大正、昭和初期の様子を彷彿とさせる。 
 
麻生朝鮮人争議
 
 麻生鉱業所の圧制は、一日二食、十数時間労働、休暇なしにもかかわらず、賃金は他鉱の1/2、遅配、未払い続きといった実態からも如実に窺える。
 1932年(昭和7年)7月25日早朝から、上三緒坑朝鮮人66人がストライキに突入した。これは、上記の実態は言うまでもなく、上三緒坑・豆田抗の合理化による244人の配置転換、78人の解雇が直接の引き金だった。
 争議は、上三緒坑から麻生吉隈坑へ広がり、吉隈坑では待遇改善のビラが撒かれた。それには@賃金3割値上げA労働時間10時間厳守B処遇改善…が掲げられていた。各坑一成争議は、7月−7日間、8月−31日間、9月−3日間、延べ41日間におよび、会社側は警察や特高をはじめ、暴力団まで動員して争議団と激突した。
 にもかかわらず、九州水平社の花山清や松本吉之助らは、争議団に救援米やその他の物資援助を惜しまなかった。麻生鉱業所の構造支配は、特殊風呂=Aエタ風呂=i上三緒坑)に見られるほど、部落差別までも経営手段にしていたのであったからにほかならない。
 こうした朝鮮人坑夫と被差別部落との連帯は、この争議に関して、とくに階級的視点からも特記すべきであろう。
 1932年9月3日、現場復帰109人、解雇191人をもってこの争議は終結した。(芝竹夫、ムグンファの会)

少し怒りに思いました。麻生太郎の血は曽祖父が所有していた炭鉱で酷使された朝鮮人労働者たちの血と肉で汚れている。麻生太郎が右翼政治家ではなく、先代もしくは大日本帝国の過去を反省する清き心をもち、近隣諸国との友好をめざす良識的な志をもつ真っ当な政治家であれば何も言うまい。 麻生の曽祖父麻生大吉は労働者の血と炭鉱開発の暴利によってどんどんとのし上がっていった。当然産業が発達し、満州事変以後、さらに戦争へと進み軍事化が加速するなかでにつれて、石炭の需要が拡大し、不足していた労務者の補充が必要になった。労務者といっても、戦時下に入っており、青年は兵隊にとられており、日本人労働力の補充は望めそうにないので植民地が犠牲になったのである。朝鮮人強制連行というのは「労務動員実施計画綱領」を閣議決定(1938年、昭和13年)し、同年7月、内務省次官から「朝鮮人労務者内地移住ニ関スル件」を通達したころから始まる。ただし、この記事ではこの閣議決定以降だけを強制連行の区分にしてはならないとしている。朝鮮侵略の歴史は「日朝修交条約」(1897年、明治30年)があって、「日韓併合条約」(1910年、明治43年)によって朝鮮を完全な植民地として、国土も民族も支配下においた。明治以降の納屋制度に見られるように、賃金のピンハネやさがりクモと称されるようなリンチまで横行し、日本本土に連れてこられた朝鮮人労働者は酷い待遇を受けたのである。こうした圧制は戦時下だけではなく、平時下においても変わりなく続いたという。特に麻生の曽祖父の炭鉱はすさまじい有様だった。戦時下の警察の厳重な監視下でさえ、労働者の61.5%が逃亡したという。後半の記事では朝鮮人労働者たちの争議の様子が記述されている。
賃金の引き上げや労働環境の改善を求めて、朝鮮人労働者たちは蜂起した。その争議の弾圧の際、警察や特高だけではなく、暴力団まで動員されたという。暴力団まで動員する悪辣さにはもう言葉がない。凄惨な流血の惨事になったのだろう。当然結果を見ての通り敗北に終わった。しかし、朝鮮人労働者対麻生鉱業所(会社側)の対立ではなく、日本人下位層(被差別部落)も連携したある。朝鮮人労働者と被差別部落との連帯は注目されるべきで、ともに麻生一族に生き血を吸われ、低賃金と劣悪な労働条件のもとでともに扱き使われてきた人たちでした。麻生一族をはじめ、日本の保守や右翼の政治家たちは自分たちが朝鮮・韓国の人たちや日本の被差別下位層の生き血を啜り搾取して莫大な富を築き上げ、幾多の人々の屍があることを知っているのでしょうか?とりあえず、まだ<下>があるというので楽しみにしています。自らの先祖の代の罪行を省みず、創始改名は強制でなかった、台湾などの植民地美化発言の反動的言動をしてはばからない麻生太郎に首相どころか、人間としての資格すらないことは明らかだと言っておきます。こんなやつが首相候補なんて呆れてものがいえません。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:28 | Comment(16) | TrackBack(5) | 激怒(むかついた)ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

荒らし対策として<禁止WORD>

荒らし対策として、糞右翼荒らしどもがよく使う語尾なり言葉なりを禁止WORDにしておきました。もちろん、教えませんが、荒らしでない皆様が使う分には何の問題もありません。
これでも荒らしが続いて、我慢できなくなるようなら、前の投稿で警告したようにまずはIP公開晒しの刑にします。以上
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 20:44 | Comment(5) | TrackBack(62) | 備忘録・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日は早く帰ってきたので

ちょうど、記事投稿が少々やりずらくなった。昨日あたりから機能が新たに追加されたらしく、記事投稿欄に下にあった(文章を編集する)ボタン類が投稿欄の上に来て、その数も大幅に追加されて大幅にバラエティーが増えていた。ブログへの投稿前の投稿欄に書き込んだ段階でタグの機能が反映されるようにもなっていた。もちろん、ある意味で便利になったと思うが、すごく重いし、タグの編集等、いろいろやりずらくなった面が多い。私個人が使う分としては、これほど多くの機能を望んではいないし、取捨選択できるようにもっと改善させて欲しい面が多々あるというのが私の思うところ。
 
もう一つは荒らしだが、相変わらずだ。警告を発していたのに。アク禁やコメント禁止にするのもいいけど、その前にIP公開晒しの刑にしようと思う。本当に警告だ。どうしてそんなに私のブログをコピペばかりで荒らしたがるのか。そんなに右翼勢力にとって都合の悪いのだろうか?私は強硬措置は取りたくないからいい加減やめてくれ。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 20:27 | Comment(13) | TrackBack(0) | 日々の雑感ならびに考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

済州島虐殺の慰霊祭、盧大統領が初めて出席

済州島虐殺の慰霊祭、盧大統領が初めて出席 2006年04月03日19時08分
http://www.asahi.com/international/update/0403/003.html

 
 韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は3日、済州島で48年、左翼勢力の蜂起とともに一般住民が軍・警察に無差別虐殺された「済州島4・3事件」の犠牲者慰霊祭に韓国大統領として初めて出席した。政権が掲げる歴史見直しの一環で、盧大統領は「武力衝突と鎮圧の過程で、国家権力が不法に行使された」として遺族らに謝罪した。
 大統領はまた、「事実をはっきりさせ、汚名をそそぐことで二度とこうしたことが起きないよう誓う」とし、犠牲者の名誉回復を積極的に進める考えを示した。
 同事件は左右対立のさなかの48年4月3日、独立をめぐる南だけの単独総選挙に反対した左翼勢力が同島で武装蜂起し、鎮圧過程で無関係の島民が虐殺された事件。李承晩(イ・スンマン)政権の下で54年まで弾圧が続き、1万人以上が殺害されたとされる。
 事件は共産主義者の反乱とされ、長くタブー視されてきたが、金大中(キム・デジュン)前政権が真相究明に着手。盧大統領は就任直後の03年10月、韓国政府として初めて事件の責任を認めて謝罪した。
 
過去のニュースにはこのようなニュースもあった。 
朝鮮日報、イ首相「過去の政権の過ちを見過ごさない」 2005/04/03 17:18
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/04/03/20050403000023.html  
 イ・へチャン首相は3日「政府は今後、過去の政権による過ちを見過ごすことなく、きちんと事実を究明し、正しいことは称え、過ちははっきり謝罪し、歴史の傷を癒して真の和解と統合を果たしていく」と述べた。特に李首相は「これに基づいて他国にも歴史の前で真実と良心を守ることを堂々と呼び掛けていく」と述べた。
 李首相は、済州(チェジュ)4.3事件(1948年4月に済州島で起きた大量虐殺事件)57周年犠牲者慰霊祭に出席し、追悼の辞でこのように述べた。
 李首相は、「済州4.3事件の真相を究明し、無念の犠牲者の名誉を回復することは、過去のわれわれの功罪をはっきりさせ、大韓民国の建国に貢献した方々を正しく評価し、無念の被害を被った方々を慰霊し、真の統合を果たすことに目的がある」と述べた。
キム・ホンジン記者 mailer@chosun.com

盧大統領という革新政権になっていらい、韓国の良識化が加速しているようだ。日本の場合の済州島の事例としては沖縄が有名だ。沖縄では大戦中の沖縄戦において日本軍によって住民虐殺が行われたが、日本政府は沖縄に対しては真相究明の努力は愚か、いかなる謝罪も行ってはいない。韓国政府や盧大統領の態度は良識的であり、敬意に値するものである。ちなみに済州島虐殺事件であるが、  


序にかえて
--済州島四・三事件と私たち--
http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/papers/introduction.htm  より

「済州島四・三事件」とは何か
 

 一九四八年四月三日。分断国家樹立の危機せまる朝鮮で、東アジア現代史最大の悲劇の一つが幕を上げた。
 この日の未明、朝鮮の南端・済州島では、左派勢力に率いられた「武装自衛隊」が、警察支署や右翼青年団の宿舎などをいっせいに襲撃する武装蜂起が発生した。いわゆる「済州島四・三事件」の勃発である。
「済州島四・三事件」とは、一九四八年四月三日にはじまる済州島民衆の抗争と、これを理由に軍・警察・右翼青年団などが引き起こした一連の島民虐殺事件を指す。数万名にのぼる犠牲者を出したこの事件は、いったいどのような歴史的背景のもとに発生したのだろうか。
 日本の植民地支配から解放された直後の朝鮮では、民衆による自主独立国家建設の動きが急速に拡散していた。日本敗戦の日=一九四五年八月一五日に、呂運亨を中心に組織された朝鮮建国準備委員会(略称・建準)は、民族解放運動勢力の統一戦線体として、事実上、朝鮮の行政と治安を担う存在となった。全国各地に一四五の建準支部がつくられ、これらは朝鮮民衆による地方自治機関の役割を果たしていた。
 建準に集結した政治勢力は、同年九月六日に、朝鮮人民共和国の樹立を宣言して建準の組織を解消し、各地の支部は人民委員会に再編成された。しかし九月八日に南朝鮮に進駐してきた米軍は、人民委員会を左翼組織と決めつけ、やがて全面的に弾圧するに至った。一方で米軍政は、民衆運動勢力を抑圧するために右翼や親日派勢力と結びつき、これを統治基盤の確立に利用しようとした。
 済州島でも一九四五年九月一〇日に建準支部が創設され、同月二三日、これは済州島人民委員会に改編された。植民地期の民族解放運動勢力を中核とする済州島人民委員会は、強力な自治機関として民衆の圧倒的支持を受けていたが、それは済州共同体社会の中で、きわだった階級対立・イデオロギー対立が存在しなかったという事情によるところが大きいと思われる。また他地域と違って、一九四七年初めの時点までは、米軍政との間に直接的な抗争も発生しなかった。
 ところが一九四七年三月一日(すなわち三・一独立運動の二八周年記念日)、統一された自主独立国家の樹立を訴える民衆のデモに警察が発砲し、六名が死亡する事件が起こった。この事件を契機に、米軍政は「陸地」--朝鮮半島本土を済州島の人々はこう呼ぶ--から警察官や右翼青年団を済州島に送り込み、彼らの執拗な迫害を避けようと、多くの島民が漢拏山中に身を隠したり、島外に脱出する事態となった。年が明け一九四八年に入ると、済州島には、民衆が白色テロルから身を守るためには、自ら立ち上がらざるを得ないと思い詰める、緊迫した雰囲気が漂いはじめた。四月三日の武装蜂起は、以上のような背景のもとに決行されたものであった。
 この日の蜂起は、解放後の南朝鮮各地で繰り広げられていた反米武装闘争と比較して、とりたてて規模が大きいものではなかった。しかし同年五月一〇日に実施された、南朝鮮単独政府樹立のための代議員選挙が、済州島の二選挙区では民衆の抵抗によって、投票率が五〇パーセントに満たず無効となると、米軍政は国防警備隊(のちの韓国軍)を本格的に動員し、苛酷な鎮圧作戦に乗り出した。
 済州島民衆に対する強硬弾圧の方針は、この年の八月一五日に成立した大韓民国政府に引き継がれることになった。李承晩・初代大統領のもとで、一一月には法的根拠の疑わしい戒厳令が済州島一円に宣布される一方、いわゆる「焦土化作戦」が展開され、この美しい島で集中的な殺戮が繰り広げられた。一九四九年の春には武装遊撃隊はほぼ壊滅状態となり、大規模な「討伐作戦」は、ひとまず終わりを告げた。しかし国家権力による島民の虐殺はなおも続き、とくに一九五〇年六月の朝鮮戦争勃発後には、かつて漢拏山から投降した人々が予備検束されたうえ、殺害される事件がしばしば起こった。その後、一九五三年には対遊撃戦特殊部隊が投入され、ゲリラ残余勢力をほぼ根こそぎにし、翌一九五四年九月二一日、漢拏山禁足地域の全面開放が宣布されて、六年六カ月に及んだ流血事態は、ようやく幕を下ろすことになった。
 殺戮を正当化するため、「討伐隊」による犠牲者には、一様に「アカ」のレッテルが貼られた。反共イデオロギーを自らの権力基盤とする歴代独裁政権のもとで、生存者たちは「アカ」の嫌疑がかけられることを恐れ、長く沈黙せざるを得なかった。しかし一九八〇年代末、韓国社会の民主化のうねりとともに、彼らはようやく重い口を開き、みずからの体験を語りはじめた。とくにここ数年にわたって実施された済州道議会の調査などの結果、約一万五千名に上る「四・三」犠牲者の実名が示され、今となっては氏名を把握できない死亡者をも勘案すれば、犠牲者総数は少なくとも三万人は下らないだろうと推測されている。同じく済州道議会の調査によれば、犠牲者の八割以上は軍・警察・右翼青年団など「討伐隊」の手で殺害された人々であり、そしてその多くは武装抗争と直接関わりをもっていないことが、もはや明白となった。「四・三事件」の実像は、こうして次第に明らかになったのである。
だが受難の体験を語る島民は、全体から見れば、いまだごく一部に過ぎない。多くの被害者は、さらなる迫害への恐怖から、あるいは「四・三」で受けたトラウマ(心的外傷)から、いまも口を閉ざしたままである。  

 
酷いものである。済州島は吉田清治著の『私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行』における慰安婦強制連行の舞台でもあるし、日本軍の防空壕など戦争遺跡が多数残されている島である。戦後も彼らの不幸は終わらなかった。進駐してきた米軍軍政や取り巻きの右翼・親日派との抗争の中で住民虐殺は起きた。今でも被害者はトラウマから、口を閉ざしたままであり、いかに凄惨な迫害と虐殺が行われていたのかわかる。  


日本にとっての「四・三事件」

 

 では日本近現代史にとって、あるいは現代日本社会にとって、「四・三事件」はいかなる意味をもっているのか。とくに日本人の立場から「四・三」を考える今日的意義は、いったい何なのか。思いつくままに、さしあたり次の三点を指摘しておきたい。
 第一に、「四・三」において済州島民衆を力づくで弾圧した政治勢力、言い換えれば南朝鮮単独政府樹立に加担し、南北分断体制構築への道を開いた政治勢力の中に、多数の「親日派」が存在していた点に留意しなければならない。かつての朝鮮に対する植民地統治の過程で、日本帝国主義は朝鮮民族の一部を対日協力者として抱き込み、民族解放運動勢力の分断をはかってきた。日本が朝鮮支配の安定をもくろんで育成した親日派勢力が、解放後は済州島民衆を生存の危機にさらす存在になっていったという歴史的脈絡から、私たちは目をそらすわけにはいかない。
 また日本帝国主義は、個々の被支配民族内部の分裂をはかるだけでなく、支配下においた諸民族を階層化・差別化することによって分断し、各民族の抵抗運動が相互に連携することを困難にさせた。日本の植民地支配が崩壊した後も、圧倒的な軍事力をもって情報を独占するアメリカが、その版図の大部分を継承し、分断支配構造は維持されることになる。第二次大戦直後の激動する東アジア情勢のもとで、固有の課題をかかえた各地域の運動が連携し合う関係を築くことは、いっそう困難であった。
 「四・三」の悲劇がかくも深刻なものとなった背景には、こうした日本の植民地支配の残滓に、地理的条件などが相俟って、済州島の運動が孤立した闘いを余儀なくされたところが大きいと考えられる。そして類似の状況は、おそらく台湾にも、沖縄にも、存在していたことであろう。
 第二に、「四・三」という膨大な犠牲者を出した事件が、日本社会にほとんど知られていないことの異常さを認識しなければならない。冷戦は、被害者たる済州島の人々に沈黙を強い、彼らを孤立化させる一方で、日本社会の構成員の大多数から、隣人の悲痛な体験を知る機会を奪ってきた。敗戦直後、植民地帝国のイデオロギーに染まっていた日本の民衆は、冷戦の実態を把握するための目と耳を奪われ、さらに日本政府は韓国の軍事独裁政権を支えることによって、間接的にではあれ「四・三」の真実を明らかにする道を塞いできたのである。
 その結果、日本社会は冷戦がアジアの民衆を抑圧する装置として機能していることに、思いを馳せる想像力を欠くことになった。今日まで日本社会が戦後補償問題への態度を曖昧にしつづけているのも、私たちがアジア民衆の受難の実態に対する歴史的想像力を欠如させている点と無関係ではあるまい。「四・三」の真実を知ることは、私たちの冷戦に対する認識の空白を埋める作業の一つであり、日本社会に経済的繁栄をもたらした構造の本質に接近するための重要なステップとなるであろう。
 第三に、在日の済州島出身者の中には、「四・三」前後の白色テロルを避け、日本に渡航してきた人々が数多くいるという点も重視しなければならない。数千名と推測されるこれらの人々のほとんどは、耐え難い悲しみを心の奥底に沈めたまま、この五〇年間、沈黙を守ってきた。
 彼ら/彼女らは、日本社会の構成員として私たちと生活をともにする仲間である。先に述べたように、「四・三」の悲劇は日本の植民地支配の残滓が加担することによって引き起こされた。その「四・三」で負った心の傷が癒されないまま、彼ら/彼女らがこの社会で放置されていることに、私たちは鋭い痛みを感じざるを得ない。そして韓国現代史における「四・三」の重大な意味を考えるとき、また「四・三」と連動するかのように、日本では四・二四阪神教育闘争が時期を同じくして展開されたことを想起するとき、「四・三」に象徴されるアメリカの弾圧政策が、「在日」社会全体に深刻な影を落としていることを見据えなければなるまい。
 「四・三」被害者の心の傷が癒されるためには、何よりも彼ら/彼女らが自らの体験を率直に語ることのできる通路が、日本社会の中に開かれていなければならない。そしてそのためには、日本の朝鮮植民地統治に加えて、冷戦構造が「在日」社会のあり方をいかに規定してきたのかという点をも、視野に収める必要が出てくるだろう。すなわち日本人が在日韓国・朝鮮人とともに生きる社会を築くための歴史認識を培うプロセスの一つとして、「四・三」の真実を知ることは重要な意義を持っているのである。

日本にとっての「四・三事件」 を考えるにあたり、過去の朝鮮半島植民地支配(日帝悪の問題)と戦後の済州島における虐殺とを結びつけて我々日本人は考えなければならない。日帝悪と決して不可分のものではないし、大日本帝国による朝鮮半島分断統治の結果として、解放後も多数の親日派が残り、進駐してきた米軍によって大部分は駆逐されずに利用されてきた。そのような親日派が米軍に対する民族解放運動勢力に対して凄惨な弾圧を加えた存在であった。また、日本政府は戦後も韓国の軍政を支援し続けて、戦後の人権抑圧に対しても手をかし、済州島の4.3事件の真相を究明する道もふさいでいたのである。それと在日韓国人のなかには済州島出身者も多く、虐殺と迫害の難から逃れるために日本へ渡ってきた人たちであった。このように考えれば、敗戦後も日本のアジアに対する罪は終わったわけではないし、戦後の間接的な人権抑圧支援の点も絡め視野を拡大して、大日本帝国の戦後補償問題および侵略・戦争加害責任問題に日本政府は取り組まなければならない。日本政府に課せられた宿題は多い。盧武鉉大統領の済州島虐殺に対して謝罪した良識的な態度をもっと、日本の指導者層は見習ってもらいたいものだ。
日本にとっての「四・三事件」 を考えるにあたり、過去の朝鮮半島植民地支配(日帝悪の問題)と戦後の済州島における虐殺とを結びつけて我々日本人は考えなければならない。日帝悪と決して不可分のものではないし、大日本帝国による朝鮮半島分断統治の結果として、解放後も多数の親日派が残り、進駐してきた米軍によって大部分は駆逐されずに利用されてきた。そのような親日派が米軍に対する民族解放運動勢力に対して凄惨な弾圧を加えた存在であった。また、日本政府は戦後も韓国の軍政を支援し続けて、戦後の人権抑圧に対しても手をかし、済州島の4.3事件の真相を究明する道もふさいでいたのである。それと在日韓国人のなかには済州島出身者も多く、虐殺と迫害の難から逃れるために日本へ渡ってきた人たちであった。このように考えれば、敗戦後も日本のアジアに対する罪は終わったわけではないし、戦後の間接的な人権抑圧支援の点も絡め視野を拡大して、大日本帝国の戦後補償問題および侵略・戦争加害責任問題に日本政府は取り組まなければならない。日本政府に課せられた宿題は多い。盧武鉉大統領の済州島虐殺に対して謝罪した良識的な態度をもっと、日本の指導者層は見習ってもらいたいものだ。
日本にとっての「四・三事件」 を考えるにあたり、過去の朝鮮半島植民地支配(日帝悪の問題)と戦後の済州島における虐殺とを結びつけて我々日本人は考えなければならない。日帝悪と決して不可分のものではないし、大日本帝国による朝鮮半島分断統治の結果として、解放後も多数の親日派が残り、進駐してきた米軍によって大部分は駆逐されずに利用されてきた。そのような親日派が米軍に対する民族解放運動勢力に対して凄惨な弾圧を加えた存在であった。また、日本政府は戦後も韓国の軍政を支援し続けて、戦後の人権抑圧に対しても手をかし、済州島の4.3事件の真相を究明する道もふさいでいたのである。それと在日韓国人のなかには済州島出身者も多く、虐殺と迫害の難から逃れるために日本へ渡ってきた人たちであった。このように考えれば、敗戦後も日本のアジアに対する罪は終わったわけではないし、戦後の間接的な人権抑圧支援の点も絡め視野を拡大して、大日本帝国の戦後補償問題および侵略・戦争加害責任問題に日本政府は取り組まなければならない。日本政府に課せられた宿題は多い。盧武鉉大統領の済州島虐殺に対して謝罪した良識的な態度をもっと、日本の指導者層は見習ってもらいたいものだ。日本にとっての「四・三事件」 を考えるにあたり、過去の朝鮮半島植民地支配(日帝悪の問題)と戦後の済州島における虐殺とを結びつけて我々日本人は考えなければならない。日帝悪と決して不可分のものではないし、大日本帝国による朝鮮半島分断統治の結果として、解放後も多数の親日派が残り、進駐してきた米軍によって大部分は駆逐されずに利用されてきた。そのような親日派が米軍に対する民族解放運動勢力に対して凄惨な弾圧を加えた存在であった。また、日本政府は戦後も韓国の軍政を支援し続けて、戦後の人権抑圧に対しても手をかし、済州島の4.3事件の真相を究明する道もふさいでいたのである。それと在日韓国人のなかには済州島出身者も多く、虐殺と迫害の難から逃れるために日本へ渡ってきた人たちであった。このように考えれば、敗戦後も日本のアジアに対する罪は終わったわけではないし、戦後の間接的な人権抑圧支援の点も絡め視野を拡大して、大日本帝国の戦後補償問題および侵略・戦争加害責任問題に日本政府は取り組まなければならない。日本政府に課せられた宿題は多い。盧武鉉大統領の済州島虐殺に対して謝罪した良識的な態度をもっと、日本の指導者層は見習ってもらいたいものだ。
日本にとっての「四・三事件」 を考えるにあたり、過去の朝鮮半島植民地支配(日帝悪の問題)と戦後の済州島における虐殺とを結びつけて我々日本人は考えなければならない。日帝悪と決して不可分のものであるし、大日本帝国による朝鮮半島分断統治の結果として、解放後も多数の親日派が残り、進駐してきた米軍によって大部分は駆逐されずに利用されてきた。そのような親日派が米軍に対する民族解放運動勢力に対して凄惨な弾圧を加えた存在であった。また、日本政府は戦後も韓国の軍政を支援し続けて、戦後の人権抑圧に対しても手をかし、済州島の4.3事件の真相を究明する道もふさいでいたのである。それと在日韓国人のなかには済州島出身者も多く、虐殺と迫害の難から逃れるために日本へ渡ってきた人たちであった。このように考えれば、敗戦後も日本のアジアに対する罪は終わったわけではないし、戦後の間接的な人権抑圧支援の点も絡め視野を拡大して、大日本帝国の戦後補償問題および侵略・戦争加害責任問題に日本政府は取り組まなければならない。日本政府に課せられた宿題は多い。盧武鉉大統領の済州島虐殺に対して謝罪した良識的な態度をもっと、日本の指導者層は見習ってもらいたいものだ。日本にとっての「四・三事件」 を考えるにあたり、過去の朝鮮半島植民地支配(日帝悪の問題)と戦後の済州島における虐殺とを結びつけて我々日本人は考えなければならない。日帝悪と決して不可分のものではないし、大日本帝国による朝鮮半島分断統治の結果として、解放後も多数の親日派が残り、進駐してきた米軍によって大部分は駆逐されずに利用されてきた。そのような親日派が米軍に対する民族解放運動勢力に対して凄惨な弾圧を加えた存在であった。また、日本政府は戦後も韓国の軍政を支援し続けて、戦後の人権抑圧に対しても手をかし、済州島の4.3事件の真相を究明する道もふさいでいたのである。それと在日韓国人のなかには済州島出身者も多く、虐殺と迫害の難から逃れるために日本へ渡ってきた人たちであった。このように考えれば、敗戦後も日本のアジアに対する罪は終わったわけではないし、戦後の間接的な人権抑圧支援の点も絡め視野を拡大して、大日本帝国の戦後補償問題および侵略・戦争加害責任問題に日本政府は取り組まなければならない。日本政府に課せられた宿題は多い。盧武鉉大統領の済州島虐殺に対して謝罪した良識的な態度をもっと、日本の指導者層は見習ってもらいたいものだ。
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糞荒らしどもに警告

これ以上、悪質な荒らしを続けると、アク禁にします。私は強硬な処置は取りたくありません。右翼であれ、いかなる思想であろうと、節度や分別、秩序のあるコメントについては一切触りませんが、悪質な荒らしについては削除します。長く続くようであれば、アク禁などの強硬手段をとりたいと思います。警告です。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 01:38 | Comment(24) | TrackBack(117) | 備忘録・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クンユアム旧日本軍博物館の掲示板に書き込まれていた私への質問について

とりあえず、糞右翼の書き込みで知ったのだが、例のクンユアム旧日本軍博物館なる組織連中の1人林均氏から質問が来たようだ。
 
ここの掲示板にも書き込まれている
http://www1.ezbbs.net/26/khunyuam/
名前:林 均    日付:2006年4月3日(月) 15時57分
RYU様
 ご指摘ありがとうございます。
検索をかけた所、早速ヒットしました。
 右翼討伐委員会のブログ簡単にですが拝見する事ができました。
 かなり偏った考えをお持ちの方のように見受けましたが反対の「論」にも
耳を傾けていきたいと思います.
 後ほど、小生の考えをまとめたメールを先方には送りどのような返事を頂けるのかを待って見たいと思います.
 

名前:林 均    日付:2006年4月3日(月) 18時49分
 右翼討伐委員会に以下の書き込みをしました.
 
 私は「平和の為の財団」(タイ国 チェンマイ県登録)の副理事長をしている林という者です。
 ブログは匿名性の高い事は十分承知していますが、大人の責任ある議論をする為にあえて本名を使用して書き込みをさせていただきます。
 当財団は、クンユアムの博物館の運営費のサポートを仕事の一つにしております。
 以前、貴殿のブログにおいて次の記述が有りましたが、

[クンユアム旧日本軍博物館(これはとてつもなく悪質。一応博物館を名乗っているが、先の日本帝国の侵略戦争を美化する反動右翼組織だ)]
 
 この件につき以下の質問をさせていただきますので、ご回答をお願いいたします.
 
 1.「とてつもなく悪質」とは何がどう悪質なのか明確なご指摘をお願いいたします.
 2.「一応、博物館を名乗っているが」とはどうゆう意味なのでしょうか。
 3.「戦略戦争を美化する」どのような事をさしているのでしょうか.

お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします.

 どのような回答が来るのか待ちたいと思います

 
とりあえず、メールと私のブログにコメントをしたとあるが、メールuyotoubatsunin@yahoo.co.jpを確認しても林均氏からはメールは来てませんし、ブログにも林均氏のコメントを確認しましたが見当たりませんでした。最近荒らしが多いので埋もれているかもしれませんが、一応ご質問の主旨を確認した以上、このブログにていつか回答のほうを行いたいと思います。ただし、私のほうも多忙な身ですが反対の論にも耳を傾けると言うことに敬意を表し誠意のある回答をしたいと思いますので日数はしばらくかかると思いますが、お待ちください。以上です。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:41 | Comment(14) | TrackBack(75) | 備忘録・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月04日

朝日新聞の良識的社説侵略と進出 事実を踏まえ論じよう

侵略と進出 事実を踏まえ論じよう  2006年04月04日(火曜日)付
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
 
中国との外交などをテーマにした日曜日のテレビ番組で、安倍官房長官が82年の「教科書書き換え問題」について発言した。次のような趣旨である。  
 教科書検定によって「侵略」を「進出」に改めたと報じられ、中国や韓国から抗議された。日本は官房長官談話で事実上それを認め、謝罪した。しかし、「進出」と書き換えられた事実はなかった。ちゃんと調べて説明すればよかった。結果として大変な誤りを犯してしまった――。
 政府のスポークスマンの発言である。検定で「侵略」という言葉を書き換えさせたことはまったくなかったと受けとめた人が多いのではないか。
 また当時の政府は事実を調べもしないまま、官房長官談話を出して中国などに謝った。そう思った人もいるだろう。
 しかし、いずれも事実とは異なる。
 教科書の書き換えが問題になったのは24年前だ。若い人は知らないし、記憶が薄れた人も多いだろう。そんな中で、事実の一部だけを取り上げ、当時の政府判断を誤りと決めつけるような発言がそのまま独り歩きしては困る。これを機に、事実のおさらいをしておきたい。
 82年6月、高校の教科書について検定結果が報道された。朝日新聞を含め多くの新聞や放送が、「華北を侵略」という記述が検定によって「華北に進出」に変えられたなどと伝えた。
 ところが、その後、「華北に進出」という表現は検定前から書かれていたことがわかった。その限りでは、安倍氏の指摘した事実はある。当時のずさんな取材を率直に反省したい。
 では、「侵略」という言葉がすんなり検定を通るような状況だったかといえば、そうではない。中国との関係に限っても「侵略」の言葉を削られたり、「侵入」に変えさせられたりする変更が計4カ所あった。東南アジアについては「侵略」を「進出」に変えた例もあった。
 それ以前の検定では、中国との関係で「侵略」を「進出」に書き換えさせられたこともあった。
 82年の検定では、韓国も独立運動などの記述をめぐって訂正を求めた。
 文部省幹部らが中国へ派遣され、自民党の三塚博、森喜朗両氏は韓国を訪れて説明した。この後、宮沢喜一官房長官が検定のあり方を改める談話を出した。
 「華北に進出」と書き換えられた事実はなかったが、ほかの例や過去の検定を見れば、同じような問題がある。そう判断したからこそ、政府は官房長官談話を出したのだろう。
 これを受けて、検定基準に「近隣諸国条項」が加えられた。アジア諸国との歴史的な関係に配慮するというものだ。
 歴史への反省を踏まえた当時の官房長官談話を否定するかのような、現在の官房長官の発言は、政府の姿勢に疑念を抱かせかねない。テレビでの発言が意を尽くしていないのならば、改めて言葉を補った方がよくはないか。
 
朝日新聞の良識的社説です。82年の教科書検定で朝日新聞が『侵略』を『進出』と書き換えたということを報じたことは事実無根でしたが、さらに悪いことにそれ以前に『侵略』を『進出』や『侵入』に帰られていた例が82年以前にあったということだ。『侵略』と『進出』や『侵入』とは全然意味合いが異なる。中国大陸に日本軍が侵略したというのは満州事変の例では明らかである。中国大陸には日本軍および日本帝国の財閥が群れをなして中国民衆を襲い、阿片を売りまくったり、炭鉱や鉱山などの資源を中国人の血と肉を使って搾取しまくっていたのである。そのような事実を踏まえた反省の態度など当時の日本政府には全くなかったのだ。安倍の奴は朝日新聞を咎めたいだけであろうが、官房長官の身でありながら、このような浅はかな発言をするのは無知きわまりないし、大日本帝国がいかに近隣諸国に迷惑をかけたことを反省しようと努力してきた先人の努力を汚す不遜きわまりないものであろう。このような奴に首相の資格はない。世論調査では安倍が小泉後の首相候補として一番であるが、まことに嘆かわしい限りである。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 23:30 | Comment(16) | TrackBack(163) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月03日

少しスタイルシートをいじくりました。

右サイドのコンテンツが下のほうにいってしまうなど(おそらく本文の長いURLのせい)見にくいところがあったり、不具合が生じたので、スタイルシートのHTMLをいじくってみました。見やすくなったでしょうか?もし見にくいとか、何かご意見があれば、コメント欄に書き込んでください。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 00:45 | Comment(49) | TrackBack(0) | 備忘録・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月02日

50年目の証言 アジア・太平洋の傷跡を訪ねて 森武麿著にみる日帝悪 中国編ー主として南京大虐殺について と まとめ

 主として1988年8月に南京大虐殺50周年を記念して、著者が「アジア・太平洋戦争地域の戦争犠牲者に思いを馳せ心に刻む会」の一員として現地を訪ねたときの記録より、南京大虐殺とその証言の事項を中心に抜粋したい。

p155
 8月13日。中華民航機で九州から東中国海を横切ると、赤黒い大きな河口が見えてきた。長江(揚子江)である。この河口デルタ地帯に広がる街が上海である。
(略)

 1937年8月13日、日本軍は上海を攻撃。第二次上海事変の始まりである。7月7日に華北、北京郊外の盧溝橋事件に端を発した日中戦争は、このときから華中、上海に戦線を拡大した。これが8月13日の上海事変から12月13日の南京占領にいたる華中における侵略戦争の始まりであった。松本石根上海派遣軍を中軸として、北に第16師団(中嶋今朝吾中将)、南に第10軍(柳川平助中将)を加えて三方面から南京攻略戦を展開する。


p158
 5時10分の南京行きの列車に乗り込む。
 列車から見る景色はほとんど水田で、日本の農村の雰囲気である。灌漑もよく発達しており、溜め池が広範に点在していた。池は養殖場になっている。50年前、この鉄道沿線の豊かな村落を日本軍が奪い、食糧を略奪し、家々を焼き払い、住民を虐殺しながら上海から南京まで進軍したのである。当時、中央公論者から派遣された従軍小説家、石川達三はこの進軍を『生きている兵隊』で活写している。


ゆうの小さな資料集
http://www.geocities.jp/yu77799/bunkajin.htmlより
●石川達三
 石川達三氏は、南京陥落後の1937年12月下旬、中央公論会の特派員として、上海、蘇州、南京をめぐりました。南京入りは1月5日のことです。

 氏は1月帰国後、兵隊たちから聴取した体験談をもとに、小説「生きている兵隊」を著しました。この小説は「中央公論」三月号に掲載されましたが、「反軍的内容を持った時局柄不穏当な作品」として発売禁止処分を受け、その後「新聞紙法」違反で起訴、禁錮四ヵ月、執行猶予三年の判決を受けました。
(略)

「読売新聞」昭和21年5月9日
(見出し) 裁かれる残虐『南京事件』
(略)

 "生きてゐる兵隊"の一節だ、かうして女をはづかしめ、殺害し、民家のものを掠奪し、等々の暴行はいたるところで行はれた、入城式におくれて正月私が南京へ着いたとき街上は屍累々大変なものだつた、大きな建物へ一般の中国人数千をおしこめて床へ手榴弾をおき油を流して火をつけ焦熱地獄の中で悶死させた

南京における日本軍は進撃途中を含めて血なまぐさい残虐行為を行っていたのですね。昭和21年というところから信憑性が極めて高いことが分かります。

p159〜161
南京をガイドしてくれたのは南京大学の高興祖(歴史系副教授)である。さっそく、高先生の案内で南京駅の西方約4キロの下関(中山埠頭)に向かう。下関には「中山埠頭偶難同胞記念碑」が建てられていた。「侵華日軍南京大屠殺遺址」と掘られた碑には、つぎのようなことが書かれている。
 1937年12月16日の晩、日本軍が当時南京の国際安全区という難民収容地区に避難していた難民のうち「中国兵」にあたるとして約5000人を捕まえ縛ったうえで、ここに連れてきて射殺し、長江に放り込んだ。12月18日には難民のうち青年たち約4000人を捕まえ射殺。その後も近くの麦畑に住む約900人を虐殺し、ここでの犠牲者は総計1万人余に達する。
 私は、この碑文にある南京「大屠殺」という文字が目に焼きついた。中国では「南京大虐殺」ではなく「南京大屠殺」と呼ばれているのである。この碑の建立は1985年8月で、その他の南京大虐殺の碑も最近建てられたものが多い。1982年の教科書問題以来、「南京大虐殺」は「まぼろし」であったという日本側の心ない歴史解釈に対する中国政府、国民の意思表示であると思われる。
 中山埠頭近くの長江沿いに和記洋行会社跡がある。ここは元イギリス人経営のハム会社で、現在も南京肉類連合加工廠として業務を続けている。和記洋行には当時数千人の難民が隠れていたが、日本軍の捜索と検束によって、青年を中心に3000人が虐殺されたという。当時難民が隠れていた6階建ての食肉用冷蔵庫を見た。イギリス人の経営であるから保護されるのではないかという期待から、ここに逃げ込んだのであろう。しかし、日本軍にとって国際難民区すら無視する状況では、ここも安全ではありえなかったのである。
 和記洋行の近くの長江河岸の煤炭港に行った。ここも本多勝一著『中国の旅』で有名な虐殺跡地である。碑文には1937年12月17日に武装解除された中国兵と民衆3000人が煤炭港に集められて虐殺され、おびただしい死体が長江に浮かび、また付近の民家に押し入った日本軍が、放火して住民を焼き殺したと書かれていた。ここでの生存者が1人おり、そのときの虐殺の状況がこのように後世に記録されたという。
 さらに、長江一帯で最大といわれる虐殺のあった草圭峡に行った。ここは長江と幕府山に挟まれた狭い地域で、12月13日の南京占領後、捕虜など中国人5万7000人を集め、17日に集団虐殺を行った。数が多いので銃弾で間に合わず、銃剣で刺殺し、そのうえで重傷者も含めて焼却し、長江に流したと言う。
 帰りぎわ、南京の景勝地玄武湖にまわった。湖の真ん中に覧勝桜という展望台があり、そこからは東に美しい紫金山を望むことができる。南京は北西に長江、東に紫金山、南に雨花台があり、川と山に囲まれた盆地上の天然要塞であることがわかる。そこに城門を張りめぐらせて敵の侵略を防いだのである。しかし、この地形はいったん攻め込まれてしまえば住民にとって逃げ道を断たれてしまう袋小路となる。南京大虐殺の発生する一因であった。

酷いことをずいぶんしました。これだけでは終わりません。それと最後に南京の地形は天然要塞であり、攻められにくい地形だということですが、逆にいえば、一端攻め込まれて制圧されると住民にとっては逃げ道を断たれ袋小路になるということです。南京大虐殺否定派の論法のうち、日本軍による南京侵攻当時、市民の多くは脱出して20万人しかいなかったから、30万人虐殺は不可能だといったものがあります。しかし、日中戦争前に100万人以上だった人口が簡単に20万人以下になるわけはありません。周辺からも難民や兵士らが流入しています。逃げられにくい地形ですからなおさらです。南京大虐殺は否定できない事実ということです。

p161〜162
 8月15日。51年前の同日、近衛内閣によって「暴支膺懲」(悪い中国を懲らしめる)声明が出され、日中全面戦争への実質的な宣戦布告が行われた。朝早く、漢中門に立ち寄った。(略)ここ漢中門を経て南京大虐殺記念館(「侵華日軍南京大屠殺同胞記念館」)を訪れた。(略)
 正面には「遇難者 VICTIMS 遭難者 300000」という碑文が彫られ、犠牲者が30万人に達することを表している。庭の一角に建てられている遭難同胞遺骨陳列室には、江東門あたりから発掘した遺骨が並べられ、無数の骸骨の眼窩がこちらをにらんでいる。
 転じは写真が中心で、最初に「日軍殺焼淫掠暴行」と大きく掲げてある。殺し、焼き、奪うという三光作戦の実態が再現され、捕虜の首を軍刀で切り落とすところ、見せしめにさらし首にしたところ、婦人を強姦したところ、大量の子供の死体が並べられているところなど、日本軍の残虐さがつぎからつぎへと展示される。また、日本軍の機関銃、銃剣、日本刀が虐殺の証拠品として陳列されていた。
 日本で論争になっている犠牲者数について、ここでは1946年の南京戦犯軍事法廷の南京虐殺に関する判決に基づき、12月15日から12月末までの各地の概数を合わせて約20万人という数字を出している。当時の主要慈善団体が南京で遺体を埋葬した数字を根拠として、紅卍会(赤十字)4万3123人、崇善堂11万2266人、合計15万5389人を掲げている。これは埋葬のあめ、確実に数えあげられた遺体数である。このほか、長江に流された無数の死者、焼き殺された無数の死者など数えられない犠牲者を加えると、虐殺総数は30万人にもなると中国側は推定している。

これは1988年8月に著者が訪れたときのことであり、今は展示はどうなっているのかは分からない。およそ開館3年目にあたるとのこと。
南京大虐殺についてはおもに陥落時についての日本軍の組織的な虐殺、また日本兵の数々の奇行・姦淫によって犠牲に至らしめられた中国人などによって20〜30万人に達するとされる。それだけではなく、日本軍の砲爆撃、中国軍との戦闘の巻き添えによる戦災犠牲者を考えなければならない。そして、何とか一連の虐殺行為・日本兵の暴虐・戦闘行為によって死ななかったものの重症を負った負傷者のことを考えなければならない。それと南京大虐殺によって南京の占領は終わったわけではなく、日本の敗戦の1945年8月15日まで南京における日本軍の占領は続いた。その間の7年間、憲兵隊による暴虐や食糧不足、労務者徴発、従軍慰安婦としての女性の連行、日本兵による淫乱などの過酷な統治が繰り広げられたことを考えれば、総合的な犠牲者は30万人をはるかに越えるのではないかと考えることもできるのである。

●南京大虐殺の証言 p163〜166
私は2人の生存者から当時の状況をお聞きしました。最初は、今回はじめて証言に立つ孫漢皐さんである。
「私は虎山で要塞の工事をしていました。12月13日に日本軍が来たので、それを壊して四散しました。茶館まで逃げましたが、すでに岡本部隊が着ており、そこで捕らえられました。日本軍に『軍人か、良民か』と聞かれました。『良民』とは百姓のことだというので、私は『大工だ』と答えました。『椅子を作ることはできるか』と聞かれたので、すぐに椅子を作り、それで殺されませんでした。私は炊事の手伝いをさせられていましたが、その後、日本軍は安徽省に移動したので、解散されました。
 田舎に帰ろうと思って、晩の5時ごろ和記洋行に通りかかると、ちょうど日本軍が避難民を逮捕しているところで、そこでまた捕まってしまいました。夜8時ごろ、おびただしい人々と一緒に縛られて連行され、機関銃を浴びせられました。たくさんの人が亡くなりました。私はいちばん最初に機関銃の音を聞いて人の陰に隠れました。激しい雨が急に降りだし、日本軍は銃撃をやめて帰りました。
 10時ごろになると、静まりかえっていることを知り、逃げ出そうと思い出しました。両手が縛られていたので、長時間かけて爪と歯で切りました。太い縄でした。このとき、私の三本の前歯はすべて抜けました。近くの家のドアを叩くと、『鬼か人間か』と言われました。私の姿はおびただしい返り血を浴び、血だらけで前歯もなかったから、人間とは思えなかったのでしょう。そこは紅卍会のドイツ人のところでした。そのときノックの音がしました。『だれか中国人が来ていないか』と日本軍が探しに来たのです。そのドイツ人は『いない』と言ってくれました。ドイツ人はそのとき日本軍に殴られました」
 孫さんの話は淡々として感情を激することもなく、淀みなく続けられた。何度もわたる危機をくぐり抜けたことは奇跡としたいいようがなかった。
 つぎは、紅卍会の管開福さんの証言である。
「私は南京大虐殺の前から紅卍会に所属していました。1937年12月13日から日本軍は大虐殺を始めました。翌年1月に南京に入ると、街の至るところに死体が転がっていました。死体収容は難民区(国際安全区)から始めました。そこには市の6分の1に当たる数十万の難民が集まっていました。難民区には本当は軍は入れないのですが、日本軍は入り、検束して殺しました。男も女も殺しました。ここで最初の死体埋葬を行い、3月まで難民区で仕事をしました。
 つぎに、街のなかをトラックでまわりました。しかし、日本軍に銃を撃たれるので、紅卍会ということが日本軍にわかるように手帳を作りました。それでもトラックが止まらないうちに銃撃されるので、今度は日本領事館のなかのお坊さんを連れていき、トラックの上で手の鈴を鳴らしてもらいました。漢中門では3日間で1000人の死体を収容して、ガソリンで焼きました。あるときは共同墓地に7000体を埋葬しました。
 太平門は商店街でしたが、100人ほどを捕まえて針金でつがぎ、一商店に閉じ込め焼き殺すところを見ました。また、中山門の外側と内側で数百人の手を針金で縛り、木の上に吊るし上げているのを見ました。
 1938年8月までこの仕事を続けました。メインストリートでの死体埋葬は終わりましたが、横丁にはまだ残っていました。犬や猫がしだいに死体を食べはじめるようになりました。死体はとくに煤炭港など長江下関あたりが多かったようです。日本軍が東方面から攻めたため、西の長江に追い詰められた中国兵と人民は逃げ道を失ったのです。
 大虐殺のとき、難民区の人は外でなにが起きているのか知りませんでした。生活用品がないので探しに外に出かけていきます。紅卍会の腕章をつけていく人もいましたが、見つかりしだい殺されました。とくに洋装の人が殺されました。百姓ではなく兵隊と思われたのです」
 管さんの話も静かな口調で淡々と話された。

これらは貴重な証言です。アイリス・チャン氏の「レイプ オブ ナンキン」に描かれた日本軍によって引き起こされた悲惨な惨劇も嘘ではないことが明らかだと思います。南京大虐殺の前より紅卍会に所属していた方の貴重な証言もありました。虐殺中も日本軍によって殺される危険を冒しながら、賢明に遺体の処理と埋葬に奔走している紅卍会の姿がありました。本当に酷いです。フィリピンでも地方の村落および戦争末期に同様の酷い日本軍の凶行がありました。南京大虐殺否定派ども右翼反動歴史歪曲主義者はこれらの証言を読んで自身の1人の人間として最低で、人類としての普遍的な絶対道徳倫理に反する思想を改めて悔いるべきである。
●高興祖先生の話p166〜167
日本の第10軍(柳川平助中将)、第6師団(熊本)、第114師団(宇都宮)は中華門からはじめて南京城内に入り、激しい戦闘が行われた。中山門は上海派遣軍の第16師団(京都)が攻略したところで、12月13日には、この門の上で日の丸を掲げている日本兵の姿が南京陥落の報道写真として日本へ流された。中山門にいたるまで、中国国民党政府軍の頑強な抵抗にあった第16師団は、南京の中心的な治安部隊として城内の粛清に当たった。12月17日に上海派遣軍と第10軍が南京入城式を行い、中山門から市内を行軍した。高先生によると、城壁の上の堀に多数の捕虜となった中国兵を並べ、銃殺したという。
 この夜、高先生を囲む会がホテルの一室でもたれた。高先生はすでに60歳で、この8月で南京大学を定年退官するという。
 この会では、私たちの質問に高先生が答えるというかたちで進められた。おもな質問は、@南京大虐殺の20〜30万人の数の根拠について、A現在の生存者の掘り起こしについて、B中国における日本の侵略戦争に関する教育について、などであった。
 これに対して、高先生はつぎのように答えた。
@30万人の根拠は、南京戦犯軍事法廷判決の結果(約20万人)と、処理された遺体のうち、長江に流れたり焼かれたりしたり、その他不明の者を含めると30万人に達する。中国では日中戦争の中国側犠牲者は軍民あわせて2000万人であり、そのうち死者は900万人であると推定している。
A証言者の掘り起こしについては、1984年から本格的に取り組み、生存者1700人を調べ、104人の証言を記録した。1982年教科書問題が起きてから研究が進み、水準が高くなった。個人的には南京大虐殺の原因となったのは日本の教育の問題であり、戦前の天皇制教育と民族差別教育の問題があると思う。
B中国では、アヘン戦争以来の西欧列強の侵略から日本の侵略まで系統的に教えている。1985年に建てられた南京の大虐殺記念館もその一環で、3年間にすでに100万人が見学している。とくに、南京大虐殺を教える目的は、生命の尊さと平和のたいせつさと同時に、中国が侵略された原因が「国が遅れていることにある」ことを認識させ、そのため現在「4つの現代化」(1979年の改革・開放政策の開始において中国共産党は農業、工業、国防、科学技術の4つの現代化を提唱した)が必要なことを学ばせている。
 高先生の話は淡々としていたが、長年の研究に裏づけられたものであり、とくに戦前日本の教育の民族差別の指摘に共感を覚えた。
 
私も戦前の日本の教育のあり方は問題であったと思う。まず、天皇制教育では御真影を教育現場に配置し、教育勅語を発布し、天皇崇拝を植えつけようとする教育が行われた。天皇制と国家への忠誠心を訴え、国家のために死ぬことを讃え、国や上(上司)の決めたことならいかなる非道なことでも遂行しなければならないというような教育を国民1人1人に叩き込み、軍隊ではさらにそれが鍛えられた。人間の尊厳を傷つけ、命を奪ったり、人々の生命を無慈悲に奪うことに対してなんとも思わない、国家・組織の命令に絶対服従するロボット国民を作り上げていったのである。それに加え民族差別教育である。民族差別ばかりではない、大和民族優越思想教育も施していった。日本人はアジア地域は西欧列強に支配されており、いち早く産業革命を成功させ、上り詰めた大和民族の指導をあてにしているに違いないという夢想を抱き、やがて、それは大和民族が他の有色人種の頂点に立ち、教え導く義務があるというとんでもない妄想に発展していった。それがアジア民衆は優秀な大和民族に無条件でひれ伏し、大和民族の国家・大日本帝国は大東亜共栄圏を建設し、アジアを指導し、統治する盟主になることは当然ということにつながっていった。当然、それが天皇制教育と合わさって、今日の悲劇を生んだというわけである。

p194〜195より
 1992年10月、昭和天皇が実現できなかった訪中を現天皇は日中国交回復20周年を記念して行い、はじめてさきの大戦について、「中国国民に対し多大な苦難を与えた。これは私の深く悲しみとするところ」と、中国に公式に謝罪した。

もちろん、すばらしいことである。昭和天皇が訪中できなかったのは言うまでもない。ただし、現天皇が戦争に対する反省の念をもって訪中されたことはまことにすばらしいと思う。
 
 南京大虐殺については、1990念12月に旧東ドイツ国立中央公文書館で1938年1月付のドイツ大使館南京分館の書記官の南京大虐殺報告書が発見された。それには「身の毛もよだつドキュメント。(ヒットラー)総統もぜひ見てほしい」と述べられていた。また、1994年9月、アメリカ公文書館は在米大使館宛の日本外務省公電史料を発表した。そえによると、1938年1月の時点で「30万人以上が虐殺」と日本側が打電していたことが明らかになった(「朝日新聞」同年9月11日付)。これは当時の外務省が事実を確認したものではなく、外国人記者などの記述をそのまま打電したものと思われるが、「30万人」という風評をすでに日本側が知っていたことを示すものであった。現在も虐殺人数は不明であり、40万人説から数千人説まであるが、通説では「軍民合わせて20万人を下らない」(洞豊雄氏)といわれる。

ヨーロッパ戦線では一番残虐だったのはナチス・ドイツでした。ナチス・ドイツの幹部でさえ、日本軍の蛮行は身の毛のよだつものだったそうです。後、在米大使館への日本側の公電でも日本側が「30万人」という風評があることを確認しており、中国側の「30万人」は信憑性の高いものだと考えられる。
南京大虐殺について私のまとめたものについて

@中国側の南京大虐殺数30万人を否定する証拠は存在しない。
A南京否定派が使う人口20万人はあくまで安全区内のものであり、その他の周辺地域や市街地域が存在し、周辺からの難民や中国兵の数も計算に入れていないため不適当
B紅卍字会や崇善堂による15万5337体もの埋葬記録が存在する。さらに揚子江等に捨てられた遺体を含めれば20万体以上によるとされている。
ただし、その15万5337体が100%重複等がなく、すべて直接の虐殺によるものだったか、正確だったかは今となっては検証しようとない。ただし、南京で20万人以上とされる。
人々が日帝軍国主義の侵略野心によって犠牲になったというのは確かである。
C中国の侵攻自体が国際法違反だったものである。
D中国の南京大虐殺30万人は実際には虐殺者に加え、戦死者・その他による死、場合によっては
負傷者等もを加えたものである可能性がある。
E中国人は日本軍によって1000万人〜3500万人もの死者を実際には日本軍によって1000万人〜3500万人を日本軍によって虐殺されたという表現をするが、これは日帝の侵略主義に対する怒りと過去を悔い改め、自らの過去を向き合おうとしない日本へ対する怒りの表現である。
東京裁判では中国政府が20万人虐殺された、今では30万人虐殺されたとしているが、実際にはすべて虐殺によるものではないにしろ、南京では人口の大半が消されるほどの大惨事が日本軍によって引き起こされたものであり、中国民衆の感情を考慮にいれたものである。

「満州国」の731部隊については、1990年代にはいるころから急速に関心が高まった。1989年7月に新宿区の旧陸軍軍医学校跡から100体以上の人骨が発見されて細菌戦争のための人体実験犠牲者ではないかといわれた。区で独自の鑑定を行ったが、日本樹陰とは異質な骨まで含まれ、鋸で開頭手術をした跡などが見つかったが、731部隊との関係は疑問のままである。1993年8月には、防衛庁防衛研究所図書館で旧陸軍の細菌戦実施の業務日誌が発見され、1940年10月に湖南省にペスト菌を爆撃機でまいたという。
 また、旧日本軍が中国に残した化学兵器の処理が現在問題となっている。敗戦時、ソ連の進入を前にして日本軍は、大量のイペリット、ホスゲン、青酸ガスなどの化学兵器を「満州国」の吉林省を中心に黒龍江省、遼寧省、河北省などの土中に埋めて逃亡をはかったのである。1995年のうちに批准される化学兵器禁止条約により、日本は化学兵器を遺棄した責任として、10年以内にその処理が義務づけられる。現在、中国国内には処理されていないままの化学砲弾200万発、毒性化学剤100トン、放置された化学兵器の直接の犠牲者が2000人にのぼるという。これらの毒ガス兵器は日中全面戦争が始まった1937年から敗戦の1945年までに、日本軍は華北を中心に2091回使い、中国人死傷者は民間人を含め8万人におよぶと中国側はいう。
 強制連行では、1995年6月に秋田県の花岡銅山で働かされていた中国人の生存者、遺族11人が鹿島建設を相手に東京地裁に賠償請求を起こした。これは中国からの最初の提訴となる。
 また中国でも従軍慰安婦が1995年8月に日本政府に謝罪と賠償を求めてはじめて提訴する。この元慰安婦は山西省の4人で10代半ばで日本軍に拉致、監禁されたという。従軍慰安婦の中国人提訴は韓国人、フィリピン人、オランダ人に続いて4番目となった。これに対し、政府は1995年6月に「女性のためのアジア平和基金」を設け、慰安婦基金として10億円の民間募金をつのり、1人当たり数百万円を贈ることを計画しているという。

この本が出版されたのは1995年7月であり、それまでの一連の日本の中国における戦争責任をめぐる動きの部分を引用してみました。2006年現在とは違ってくるところもあるかもしれません。

50年目の証言 アジア・太平洋の傷跡を訪ねて 森武麿著にみる日帝悪 フィリピン編
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/14807634.html
50年目の証言 アジア・太平洋の傷跡を訪ねて 森武麿著にみる日帝悪 タイ・マレー半島北部
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/14755894.html
50年目の証言 アジア・太平洋の傷跡を訪ねて 森武麿著にみる日帝悪 冒頭の説明とマレー半島南部編
http://uyotoubatsunin.seesaa.net/article/14680267.html
の関連エントリーをよろしくお願いします。
私が取り上げなかった部分は本書を参考にしてください。

●まとめ
 この本が出版されたのは1995年にあたり、このころはアジア・太平洋戦争が終結して50年目になっていた。今は60年と半世紀以上立っているが、今もアジア各地では戦争の傷跡は癒えず、戦後補償の要求が燃えさかり続けている。今の日本でも右翼勢力、歴史反動主義者と良識派が争い侵略戦争や植民地支配の評価をめぐって迷走を続けている有様である。日本における「過去の克服」の問題は終わっていない。 ドイツと日本の比較でいえば、第二次世界大戦への国家賠償額が日本は1億円で、ドイツの7兆円と比べても大きな開きがある。戦後補償の内容も、ドイツ政府はナチス犠牲者であるユダヤ人への直接補償のみならず、ベンツ・クルップなどナチス下の大企業もユダヤ人の強制労働に対して補償を実施している。また1993年、ドイツはナチスのソ連侵攻にともなうロシア人、ベラルーシ人、ウクライナ人に対する残虐行為に対して、その生存者や遺族に10億マルク(約800億円)を支払うことを決定した。第二次世界大戦の戦勝国であるアメリカも、1988年に戦時下の日系人の強制収容所立ち退きに対してひとり2万ドルの支払いを決定した。1995年オーストリアでは、ユダヤ人を中心とするナチス犠牲者の約3万人に対して約45億ドルの支払いを決定した。これを比較したとき日本の場合はどうであろうか。現在アジア諸国から戦後補償要求という形で突きつけられている。連合国は日本にたいして戦争賠償請求を放棄した。アジア諸国に対しては賠償を行ったが、不十分であり、経済援助としてダムや港湾施設、工場プラントとして現物給付されたものが多い。日本政府の個人補償はいうまでもなく、日本企業の個人補償もほとんど進んでいないのが実情である。アジア諸国民がいらだつのは当然のことである。
さらにこのような侵略戦争の評価に関しての混乱と戦後補償の立ち遅れは、根本的には日本国民の歴史認識の問題性にあるち思われる。アジア太平洋戦争の任期においては、戦死、空襲、耐乏生活、原爆などの日本国民の戦争被害の悲劇から二度と戦争を繰り返すまい、戦争に巻き込まれないと決意し、戦後の平和憲法にストレートにつながる歴史認識がこれまで主流であった。この一面は別に悪くはないが、日本がアジア民衆に何をしたのかということ。南京大虐殺、中国、東南アジアでの住民虐殺、強制連行、アジア各地の女性を軍隊性奴隷にした国家的強制売春システムなど、アジア各地で今も消し去ることのできない惨禍として語り継がれているアジア民衆への日本の加害行為認識がきわめて弱いといわざる負えない。ひとことでいえば、日本人は戦争の被害者意識が強く、アジアへの加害責任の認識が弱いことである。日本国民の先の戦争に対する被害者意識の強さが右翼および歴史修正主義を生み出す土壌をつくり、米国やソ連にはめられた被害者でありわが国は悪くないだとか、アジアを解放したなどの妄言が生まれてくる。そうしたことが「アジア侵略」や「戦後補償」の国民的合意あできない大きな要因でもある。アジアの真の仲間入りを果たすためには、アジアに対して戦争責任のケリをつけ、謝罪しなければならない。アジアとの交流が深まった今、アジア各国と従来のような政府レベルではなく、アジアの人々個人個人と直接交流しなければならないし、個人レベルでの理解が欠かせない時代にますます入ってくると思う。そのためには民衆レベルでの日本の戦争責任、個人レベルでの戦後補償が問題とならざるをえないからだ。アジアにおける日本の戦争責任の自覚と複雑な民族問題の解決の大切さ、かけがいのない1人1人の人権擁護の大切さについて1人1人が理解すべきだと思います。
(おわりにかえてー戦争責任と戦後50年の項p250〜258を参考にして編集)

改めて思ったのが、日本軍が先の戦争でアジア・太平洋地域(特に中国、フィリピン、マレー半島の華人たち)に行った悲惨な加害事実である。アジア・太平洋戦争では中国や東南アジアを侵略し、地域で補完的に機能していた、アジア・太平洋地域のの経済を自活経済で破壊し、人々の生活を窮乏と窮状のどん底に落とし込んだこと。何よりも侵略した各地域(特に中国、フィリピン、マレー半島の華人たちに)で語るに耐えないほどの非人道的な残虐行為を行った。古代史から平成16年の現在に至るまで凶悪さ、悪逆非道さ、そして最も人命軽視ことにおいて、日本軍・大日本帝国に勝るものはないということを認識すべきだ。今も続く、大日本帝国の戦争加害・侵略犠牲者遺族や被害者の日本への反発は、日本政府、政治家の日本の戦争加害・侵略についての反省なき軽率な言動がもたらしたものでもある。現代でも日本はアジア各地の環境を破壊し、日本人のアジア各地での行動や日本企業の公害輸出、労働の劣悪さ、排他性において反発されることが多々ある。それは私たちは日本による侵略戦争の実態をしり、謙虚に反省すると同時に、アジアの人々の心を理解できていないからである。そして、何よりもアジア人を含むほかの有色人種の方々を見下し、先進国の名誉白人気取りでいてアジア民衆と対等な視点で立つことができないでいる。それは戦前・戦中に植えつけられた大和民族優越思想などが抜け切っていないからだ。アジア人と対等に立つためには、過去の日本がアジア太平洋地域を侵略し、現地の人々に苦痛を与えこと、そして戦争責任を自覚し、過去を反省・贖罪するということから始まる。過去日本がやったことを申し訳なく思う気持ちを日本の市民1人1人が自覚できたら、日本政府や日本企業の大戦中の残虐行為や強制労働の問題に対して法的責任をきちんと取らせる。会社・法人、政府、官僚組織を含め日本全体が過去の侵略・戦争への反省を自覚するに至り、アジア・アフリカなどを含む発展途上地域の人々の生活を踏みにじるような日本企業やODAの問題を解決し、国益や官益、企業の利益・利潤よりも発展途上地域の人々の生活を考えた政策・援助・投資をすることにも繋がっていく。これが日本人が国際社会に出て活躍するための道でもあり、日本の未来のあり方と不可分の今日的課題である。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 22:28 | Comment(18) | TrackBack(1) | 書籍などにみる日帝悪および書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Yahooブログ<憂国列記>を斬る。

私に関するブログ記事を検索してひっかかったブログ記事の一つ
憂国列記
http://blogs.yahoo.co.jp/sakusikahosokawa
コメントもあまりついてないので小物だと思います。ちなみに本人は

自分の考え
http://blogs.yahoo.co.jp/sakusikahosokawa/470635.htmlにて
 基本的に自分は中道派だと思います。時に左翼的な考えも出れば右翼的な考えだと思います。
けれど支那、朝鮮辺りには右翼的な考えがほとんどです。どこかの国で言うバランサーです(笑)

自称中道派だといってますが私からすれば完璧な糞ネット右翼です。支那という日本軍が中国大陸を蹂躙した際の合言葉である【暴支膺懲】を彷彿とさせる気持の悪い蔑称を平然と使用できる神経が私には信じられないのですが。そもそも大日本帝国の侵略・戦争加害問題を考える上で中国と朝鮮半島というのは欠かせないもので、最も大きな苦痛を味わったのが中国や朝鮮半島の民衆です。彼らに対して右翼的な考えしかでないということ自体、典型的な糞右翼なのです。
5 先の日本の大戦をどう思うか。

勿論、戦争ですから。失うものが大きいでしょう。
ただ、その当時の状況や日本が与えた影響を考慮する必要があります。

先の支那や亜細亜との戦争は侵略戦争と自分は位置付けます。それは美化しません。
いくら、現地の住民が喜んだとしても、近代化に協力したとしても、
明らかに日本側の過失ではあります。
サヨクと違うのは全てを否定しないこと。肯定できる部分は肯定します。
亜細亜諸国の独立運動の先駆けとなったのは事実です。
白人による劣等感に悩まされていた亜細亜人に希望を持たせたのも事実です。

後は日本側の補償。これはもう支那側は放棄しているので問題にしません。
韓国ともキッチリと補償済みです。
国際常識とはそんな物です。後はうだうだ言わないのが最低限のマナー。
勿論、反省を忘れるなという事ではありません。が、いちいち掘り起して
謝罪を求めるものでもない。ここら辺が自分を中道と位置付けている理由です。

この文言だけでも右翼ですね。もちろん、侵略戦争であることだけは定義づけていることはほめたいと言う気もしますが、読んでいると全然本人からそういう感じが感じ取れないです。侵略戦争であると定義づけていることとブログの内容が一致しません。肯定できる部分は肯定するというだけでも典型的な右翼だし、日本人からすれば先の大戦において大日本帝国は絶対悪でしかない存在でしかなくてはなりません。犠牲になって死んでいった幾多のアジアの人々、拷問や強制労働、従軍慰安婦の苦痛を味わった被害者のこと考えるだけでもそのように考えることはできないのが普通の心をもった人間です。アジア人に希望をもたせたのは大日本帝国ではありません。大日本帝国・日本軍における旧植民地の百数十年を超える過酷な圧政と戦い耐え忍んだ中で希望を見出し、日本の敗戦とともに花開いたというだけの話です。それを大日本帝国のおかげだというのは笑止千万。大日本帝国・日本軍によって殺さたり傷つけられたり苦痛を味わった数千万人のアジアの民に対して失礼だと思わないのでしょうか?過去の大日本帝国の侵略・戦争加害責任を正当に認識していれば、『肯定できる部分は肯定します。』『亜細亜諸国の独立運動の先駆けとなったのは事実です。』などという妄言ははけないはずです。後、補償に関する問題ですが、仮に補償が解決されたと考えても、あなたは先の大戦を侵略戦争だと定義づけているのであれば、それに代わる侵略・戦争加害で犠牲になった犠牲者・被害者たちに対する誠意のある贖罪感情を持って、現代の世代としての反省の念の気持をもっているのでしょうか?それにかわることやそれにかわる全うな良識的精神をきづきあげているのでしょうか?長くなるのでここまでにしておきますが、あなたのような人間に中道派などと名乗る資格はありません。もっと、真摯に侵略・戦争加害の問題を考え、日本軍による残虐行為によって犠牲になったやられた犠牲者の痛みを理解し、反省を踏まえた上で、かって迷惑をかけた国々の人達と、どのように友好をきづきあげていくかという良識的な思考になるように心がける。それができないならば、ネットから一切の手を引いて、右翼的な記述を社会や公共の場面に出さないでください。大日本帝国の侵略・戦争加害によって犠牲になった幾多の民衆に対して失礼です。

私に関するブログ記事も斬っておこう。

右翼討伐だか知らんが
http://blogs.yahoo.co.jp/sakusikahosokawa/1247530.html
 もう名前からして左翼のイデオロギー的な匂いがぷんぷんしてきて、唾でも吐きたくなるような感じがします。この手の人に多いのは人の話を聞かずに、自分の意見のみが正しいという自己主張が強いんですよね。

 自分が一番気に入らないのは、右翼を完全否定してしまっているところ。自分は出来ることなら真正左翼の人達とも手を取り冷静な議論をしていきたいと思っています。しかしこういうエセ左翼の面被った奴等が闊歩しているようではまだまだ左翼側の汚点はぬぐえないでしょう。

で、まぁ眺めていたところ「南京事件」が出てきましたので、綴りたいと思います。

なんか都合の悪い記述に対しては『左翼のイデオロギー的な匂いがぷんぷんする』とか言って提起されている問題に対して真っ当に考えるのを避けるという典型的な右翼のパターンですね。私は自分の意見のみが正しいとは思わないですし、自己主張も控えてます。もっともこの記事では東中野修道を讃えてますけどね。

東中野修道氏は南京事件を「今の時点では」否定しています。
それは客観的な証拠に基づき冷静な判断をした結果その結論に辿り着いたのだと思います。
修道氏は著書「南京事件証拠写真を検証する」でも分かるとおりかなりの年月をかけ、細心の注意を払い南京事件の証拠として出された写真を一枚、一枚検証していった良心的な人物です。「たかじんのそこまで言って委員会」にも出演していましたがゲスト等の質問に非常に丁寧な答えを出していました。その番組の中でも言っていますが、
「あるものは証拠が出てきますが、ないものは証拠は出てこない」(というような趣旨の発言
正確には覚えていませんが)
という事を仰っていました。思わず「その通りだ」と思いましたね。

修道氏は別に有ったか無かったかということには深く言及していません。その証言が正しいか、提示された証拠が正しいか、という事を検証しているだけです。
序文に「今の時点では」否定していると書きました。もし南京事件の「有力な証拠」が出れば修道氏も直ぐに検証してあった派に行くと思います。けれど、「有力な証拠」も無く真実味に欠ける証言ばかりで修道氏はあえて「なかった」と結論付けたのだと思います。

引用部分には分かるとおり修道氏の疑問に対して全く持って答えられていない。
人間ですから。修道氏のように疑問を提示する人がいておかしくありません。
だから日本にも、「あった派」と「ない派」が存在するのです。

笑わせないでくれ。なにが『東中野修道氏は南京事件を「今の時点では」否定しています。それは客観的な証拠に基づき冷静な判断をした結果その結論に辿り着いたのだと思います。』
東中野修道はでたらめの塊だ。恣意的な証拠どころかいろいろと資料を改ざんし、歪曲した判断に基づき、捏造した結論をでっちあげただろうが。
東中野修道のでたらめぶりはあきらかだ。てめえはネット検索もできないのか?ちなみにそのでたらめぶりを検証した中ですばらしいサイトがある。南京事件やそれに付随する中国における日本軍の所業一般を取り扱っている豊富な資料が満載のサイトがある。
南京事件 小さな資料集
http://www.geocities.jp/yu77799/である。
ちなみに
東中野氏の徹底検証 1
はじめに
http://www.geocities.jp/yu77799/higasinakano0.htmlより
一般的に、「歴史書」は、いろいろな「資料」を一定のストーリー(あるいは「史観」)に沿って再構成し、事件の実像を描く、というスタイルで書かれていると思います。「南京事件」についての、洞氏、秦氏、吉田氏、笠原氏、藤原氏の概説書(と限らず、いわゆる「歴史書」一般)は、すべてこのスタイルです。

 当然のことですが、「資料」の意味を捻じ曲げて引用したり、「資料」から演繹的に読み取れること以外のことを勝手に付け加えたり、「ストーリー」と明らかに対立するデータを無視したり、意図して公正を欠く記述を行うことは、「禁止事項」です。これでは「歴史書」ではなく「歴史小説」になってしまいます。

 ところが東中野氏のこの本は、捻じ曲げ引用、勝手な解釈、対立データの無視、一方的な記述―「禁止事項」のオンパレードでした。いやはや、ここまでいいかげんな本だったとは・・・。
だそうです。
その著書「南京事件証拠写真を検証する」のでたらめぶりは
南京大虐殺と「証拠写真」
「南京事件『証拠写真』を検証する」を検証する
http://www11.ocn.ne.jp/~nbbk/143/index3.htmlおよび
「南京事件」143枚の写真
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/で確認できる。その東中野修道らの著作である「南京事件証拠写真を検証する」は捻じ曲げ引用、勝手な解釈、一方的記述などのでたらめのオンパレードであり、大部分が検証する値打ちすらないものばかりであることは明らかだ。東中野修道という人物そのものに疑問をもたないこと自体、中道派ではなく、糞右翼にすぎないことを典型的に示している事例である。

で、反論できなくなるとすぐに怒りを起こして損害賠償だのを持ち込む。
それを誰が信用するというのでしょうか。浅はかですよねぇ。
しかもそれを応援しようとしている愚かなブログがあるわけですよ。
さっきも言ったとおり修道氏は「無かった」と自称被害者の女性に言っているわけではありません。
「何故なのか?」と疑問を提示しているのです。自分が被害にあったと言うならば誰を問わずその状況を説明するのが第一課題と自分は考えます。それも出来ないで、謝罪も、賠償も、へったくれもありません。根拠も無いのは被害者の女性でしょうが。
第一、これは証言だけに頼り切ってしまっている。証言なんていくらでも出てきますよ。

それは例えば今、自分が「俺の爺さんは支那人の兵隊に殺されたんだ賠償しろ」と言って「何故なのか」
と返されて「否定するな!殺されたんだ!それを傷つけるとは!損害賠償だ!」と喚いてるようなものです。具体的な反論は何にもありませんね。あくまで証言者の感情論だけで流されている。

勿論、写真だって古い写真に少し加工を施し、いかにも支那人が爺さんを殺している様に見せかければ偽証拠の出来上がりです。そういう事例があるから修道氏のように真実を検証しようという人が出てくるのです。

頑なに否定しては議論の余地がありません。そして証言や検証もされていない証拠をただ鵜呑みにする左翼や支持団体の多いこと。多いこと。

馬鹿の一つ覚えとは良くいったものです。嘘や偽りに凝り固まった証言が通じると、味を占めてただそれだけを中心に相手に押し付ける。で、反論されると怒る。

反論できなくなったから、訴訟を起こしたからではありません。根拠もなく、偽者呼ばわりされたことによって被害者女性である夏淑琴氏自身が尊厳を傷つけられたこと、また、南京大虐殺という史実を否定しようとする右翼を罰し、彼らを野放しにすることが日本の若者や未来にとってもよくないという偉大な決断に基づいて起こされたものです。証言だけに頼り切っているというが、この種の蛮行においては証言以外の証拠はなかなか見つからなかったが、ただマギーフィルムに被害にあった夏氏が写っており、それを東中野修道が否定したことにより問題に発展したわけだ。被害者を偽者呼ばわりするならば、偽者呼ばわりする側が証拠を容易するのが筋であろう。そうでないから当然名誉毀損で告発する。それは当然だろうが。ちなみに、『勿論、写真だって古い写真に少し加工を施し、いかにも支那人が爺さんを殺している様に見せかければ偽証拠の出来上がりです。そういう事例があるから修道氏のように真実を検証しようという人が出てくるのです。』とブログ主は言っているが、偽証拠や偽写真なるものはほどんど皆無に等しいことが良識派の検証によって明らかになっている。東中野修道ら右翼歴史歪曲主義者が南京大虐殺という史実を否定したいがために、偽写真でないのに偽写真に見せようとあらゆる手でデタラメ検証を行っているというのが実態だ。そういうことも分からないのか?糞が。かたくなに日本軍の蛮行を否定しているのが右翼だし、議論の余地をなくしているのが右翼だ。証言や検証もされていない証拠だといって、大日本帝国・日本軍の蛮行の数々を否定しようとする右翼やその支持団体の多さには呆れてものがいえません。どうしてこういう反動的な右翼の輩がのさばるような世の中になってしまったのでしょうか?嘆かわしいです。

右翼討伐その2
http://blogs.yahoo.co.jp/sakusikahosokawa/1248346.html
よく、左翼の人物に唯一口出しできないのが
「報道の自由」だとか「言論の自由」なんですよね。
さすがに、左翼もこれを否定しまうと、日本の根本である民主主義自体を否定してしまうので言いません。しかしこのプロフィールには堂々と言論禁止を訴えているのです。
驚くと同時に一種の恐怖感を覚えました。何の矛盾も考えずこんな事を平気で公の場にベラベラと書き綴れるのですから。

それは当然のことを書いたまでです。「報道の自由」だとか「言論の自由」も無制限に許されるわけではないということはご存知でしょう。たとえば、「イスラム教徒・ムスリムを皆殺しにしてよい」「沖縄で米兵強姦事件が起こった。けしからんから米国大使館、あるいは米軍基地を爆破してしまおう」というような言動を吐いたら、即座に可笑しい人物だと思われるし、報道機関、あるいはそうじゃなくても公にやった場合は間違いなく逮捕です。それと同じことが大日本帝国・日本軍の蛮行を否定したりする議論にもいえるわけです。大日本帝国を讃える言論を規制したり、大日本帝国・日本軍の蛮行を否定したり矮小化する言動を禁止したりしても、あるいは在日コリアンなどに対する外国人蔑視などを禁じても日本の民主主義は否定されません。そもそも、言論の自由、それに付随する報道の自由、表現の自由などは元々も自由権のひとつであって、つまり個人なり法人などの組織が国家権力の制約や強制から自由に思想を表現したり、表明したりする権利のことを言うのだ。近代民主主義の基本原則として確立されたものであり、民主主義の原則は「法の下の万人の平等」であるから、王や貴族といった特権階級、あるいは国家などが、個人の自由を不当に制限することはできないのである。そういうことが背景にあるものであり、「国家権力、ないしは何らかの権力からの個人の自由」という意味合いであるものであり、大日本帝国の蛮行否定、大日本帝国賛美、民族差別などは「言論の自由」などのさまざまな自由権の名の元で無制限に許容することはできないというのが私の立場である。「言論の自由」などは基本的人権の一つであるが、右翼勢力の躍進の糧とするために大日本帝国の蛮行を否定したり、侵略を美化したり、解放戦争だとか讃えたり、在日コリアンに対する民族差別を煽動したりする思想を擁護するロジックとして、「言論の自由」を持ち出すのは矛盾しているということがお分かりですか?私は自由と民主主義を尊重する一日本市民として「大日本帝国を賛美したり、その蛮行を否定・歪曲したり、在日コリアンなどの人々を蔑視したりする言動を『言論の自由』で擁護することはできないし、むしろそうした言動こそが自由と民主主義の敵」であることを主張したい。
自分達に都合の良い発言は許可して、反する発言は駄目ってか?ご都合主義も大概にしましょうね。
それこそ支那の言論統制と変わりはない。

ご都合主義はあなた方のほうです。大日本帝国を賛美したり、蛮行を否定したり歪曲したり、右翼的活動を擁護するための手段として「言論の自由」という歴史の中で国家権力との戦いの中で確立されていった偉大な民主主義の基本原則を持ち出そうとしているのですからね。
また、エセ極左の右翼討伐委員会について書きたいと思います。

私は断じて極左ではありませんし、また"エセ"と呼ばれる筋合いもありません。右翼討伐委員会についてぜひ書いてください。あなたは小物のブログ右翼などで忙しい中気にかけている時間があるかどうかは分かりませんが、このブログに関する記事を書かれるなら、私に反論する時間があるなら再度反論してこのブログにエントリーします。ところで、東中野修道についていかにでたらめな糞人物であるかのサイトを提示しておきましたので、あなたがこれで東中野修道という人物を通して、右翼勢力に対する懐疑の念を持たれるきっかけになったらいいなと思います。少し長くなりましたが以上。

ちょっとだけ追記 マギーフィルムに写っていた夏淑琴さんの件ですが、きちんと検証しているところがありました。

[274]マギーフィルム画像と解説書
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=274;id=imgbord#atop

[368]Re(3):東中野修道氏のトリック
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=368;id=imgbord#368の部分ですかね。この掲示板では東中野修道らの検証がいかにいい加減で、南京大虐殺を資料を恣意的に引用、解釈を捻じ曲げてでも否定しようとする右翼学者どもの罪深さが改めて認識できると思います。

私に関するブログ記事<涼風庵(麻生閣下を次期総理に!)>を斬っておく

右翼サイト認定キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!!
http://ryou1kanou.seesaa.net/article/15305938.html
「右翼討伐委員会」なるブログ(リンクは貼りません、検索してください)で、右翼認定をもらいました。
コメントは(キモすぎ)だそうで。

お褒めにあずかり恐悦至極。
中共に「言論暴力団」と名指しされた産経新聞のような勲章です。
リアルで可愛い女の子に言われたら傷つくかもしれないけど(爆

本当にキモイんですけどね。所詮小物のブログ右翼でしょうけど。産経新聞に自分を喩えてなにがうれしいのでしょうか?産経新聞は新聞の体をなしていない糞右翼新聞社なんですけどねwww
右翼を批判するページのわりには。「討伐」、「殴り倒す」などの乱暴な語彙が豊富です。
日本の「軍国主義復活」を批判しながら、核ミサイル製造に精を出す支那のような感じですね(良い意味で−笑)。

それは悪かったですね。ただ、右翼の言動を見ていると無性に腹が立って、どうしても乱暴な語彙が多くなります。ただし、あくまで良識的なものでありえばいいのです。その良識的というのは一般的な道義や道徳に反しないこと。このブログで強調しているのが、大日本帝国・日本軍の数々の所業や侵略・戦争加害を否定したり、矮小化したり、当時の日本政府の責任を連合国に押し付けたり軽減させたりするような思考態度をとらないこと。その上で現代の世代として先の大戦をはじめとする大日本帝国の侵略・戦争加害の問題を真摯に反省し、世界平和にたって行動するということがこのブログで強調する"良識的"というものです。
「右翼討伐人」さんはある記事で、東中野修道氏を「歴史修正主義者」と罵倒し、「名誉毀損で(?)訴える」事を容認しておられます。
しかし、別の記事の「政治的発言、被爆者は自粛を−平和推進協の要請に波紋」のニュースでは、言論の自由の侵害だ、と訴えられておられます。
東中野修道氏の学術研究に対し、学問の自由および言論の自由を否定しようとしながら、後者に対しては言論の自由だと怒ってみせる。
これは、ダブルスタンダードではないでしょうか?

いえ、別にダブルスタンダードではありません。たとえば、レイプ被害者がいるとしまして、レイプ被害者を嘘だと公に報じた報道機関(新聞社、マスコミ、雑誌出版業界などを含む)があるとしましょう。レイプ被害者というのは悲惨なもので、事実が知られると周りから白く見られて偏見されて社会から疎外されるケースがほとんどです。そのような被害者が勇気をもって警察に告発していたとしても、もし彼女がレイプ被害者ではないという風に報じた報道機関があったとします。そのような報道機関に対してそのレイプ被害者が名誉毀損で訴えるのがおかしいとあなたは言っているのです。夏淑琴さんが東中野修道を訴えましたが、それは東中野が彼女を偽被害者呼ばわりしたためです。彼女が東中野を名誉毀損で訴えるのはレイプ被害者の件と同様に正当です。このような報道権力および歴史歪曲主義者・右翼によるセカンドレイプ言動に対して被害者が名誉毀損で訴えでるというのは当然の行為だと思います。被爆者については名誉毀損云々は関係ありません。大日本帝国の被害者・犠牲者であるといえます。憲法9条改正などの反動化が進む中、実際の惨劇を身に受けた被爆者被害者らの意見を聞いて取り入れるというのは現代の世代の当然の義務です。彼らに政治的言動を長崎県という公権力が規制しようとするのは言論弾圧と見られて当然ではないでしょうか?
そういうことすらも考察に及ばず、ダブルスタンダードとはどういう頭をしているんでしょうかね?
あと、改行が少ない上に難解な文章で、何が言いたいのかわかりにくい。
主張の正しさ云々の以前の問題ですね。

それは悪かったですね。私は文章がうまくありませんので。最も右翼にとっては受け入れがたい事実が満載でありますから、難解に感じて苦痛なんでしょうけどね。

「重慶大爆撃」、日本政府に1人1千万円の賠償請求

「重慶大爆撃」、日本政府に1人1千万円の賠償請求  「人民網日本語版」2006年3月31日
http://www.people.ne.jp/2006/03/31/jp20060331_58627.html
日本による中国侵略戦争の中で、重慶の空襲で負傷など悲惨な被害を受けた中国人40人が30日、日本政府に官報への謝罪声明の掲載と、1人あたり1千万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。

中国侵略日本軍は1938〜1943年、当時国民党政府の臨時首都であった重慶に長時間の無差別爆撃を行った。爆撃は200回を超え、約6万人の一般市民が死傷した。

原告団は訴状の中で、1911年に日本が批准した「ハーグ条約」(武力衝突の状況下での文化財産保護に関する条約)は、無防備の都市を攻撃してはならないと定めており、しかも当時すでに空襲対象を軍事目標に限定する関連法案が国際的にあったことから、日本軍による無差別爆撃は「ハーグ条約」などの国際条約に違反する戦争犯罪行為にあたると指摘している。

原告の中国人40人は70〜80代で、いずれも重慶大爆撃で家族を失ったり、負傷して障害が残った経歴を持つ。

原告団の鄭友預・秘書長は「原告の心の中では、現在もなお戦争は終わっていない。小泉首相が靖国神社に参拝するシーンをテレビで観ると、父親を殺害した仇(かたき)を参拝しているように感じる。われわれの感情を踏みにじるこうした行為は、いつまで続くのか」と語る。提訴の目的については「日本人に歴史と向き合ってもらい、最後には日本人と中国人が心の底から手を取り合えるようにすること」と説明した。(編集NA)

とりあえず、日本政府による補償は当然。無差別に重慶という都市を爆撃し、「ハーグ条約」などの国際条約に違反するほか、大日本帝国による中国への不当な侵略という側面のなかで日本軍が行ったものである。罪を正当に認識し、被告への賠償を通じて日本人ひとりひとりが過去の戦争加害・侵略について認識し、被害者との和解および中国との真の友好へ向けて歩んでいってほしい。
posted by 右翼討伐人改めアクアリウス at 17:03 | Comment(8) | TrackBack(0) | 良識的ニュース・記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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